「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳について既訳分

正式版を公開しました。下記のものは校正前の版です。正式版を参照願います。
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中世合名・合資会社成立史の日本語訳ですが、個々の記事だとトップページから辿るとテキストの順番が逆になって見にくいので、これまで作業した分を先頭から並べたものを見られる方の便宜のため公開します。このページにおいても日本語訳はまだ暫定版に過ぎず、今後何度も何カ所も変更される可能性があります。また最初に個別記事で発表したものとフォーマット等で若干変更している場合があります。
《》内は訳者注です。原文でのイタリックは、この日本語訳の中では下線に変えています。
最終更新:2020年9月3日 日本語訳第46回目まで。(校正前版としては一応完了)
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マックス・ヴェーバー

中世の合名・合資会社の歴史について
南欧の史料に基づいて

枢密法律顧問官のゴルトシュミット教授に感謝と畏敬の念をもって献呈す。

内容目次

序文 142
Ⅰ. ローマ法と今日の法 研究の工程 144

ソキエタスと合名会社 144
ローマ法におけるソキエタス 145
近代法における合名会社 147
ローマ法の根本原則の変遷を示しているという条項について:
1) D.63 §5 pro socio (あるソキエタスの成員の他の成員に対しての{権利}) 152
2) D.44 §1 de aed[ilicio] edicto (アエディリス{按察官}の布告について) 152
3) Argentarii (銀行家) 153
4) マラカ《スペイン南岸のフェニキアの植民市で後にローマの同盟市》法 C.65 153
ローマ法についての考察の結果としての否定的な結論 155
研究の工程。経済的見地と法的見地の関係 155

Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタス

1) コムメンダと海上取引における諸要求 157
西ゴート法典と海上取引 158
コムメンダの経済上の諸原則 159
コムメンダのソキエタス的性格 163
コムメンダへの参加者の経済的な位置付け 163
2) ソキエタス・マリス(海のソキエタス) 165
ソキエタス・マリスの法的性格 166
経済的な意味 168
3) コムメンダ関係の地理的領域 170
スペイン 170
シチリア、サルディーニャ 172
トラーニ、アンコラ 172
アマルフィ 172
ピサ 173
ヴェネツィア 173
ジェノヴァ 174
4) 様々な海上取引関連ソキエタスの財産法上の扱い 177
ソキエタスの基金 177
固有財産形成への萌芽 179
ソキエタスの責務 180
ソキエタスの成果 181
5) 陸上コムメンダと合資会社 182
陸上コムメンダ 182
合資会社の萌芽、ピアチェンツァ 184
陸上コムメンダの意味 188

Ⅲ. 家族と労働ゲマインシャフト

生計を共にする家族経済 190
家族経済の財産法上の帰結 191
諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト 195
財産法的発展の行程。構成員の分け前への権利。 196
家族外での家計ゲマインシャフト 201
手工業者のソキエタス 201
これらのゲマインシャフトの共通の土台 203
共通の特質 205
1) 男性socii(ソキエタスの構成員{複数})への制限 205
2) 不動産の除外 206
財産関係における変化 206
第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係 208
家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係 210
ゲマインシャフトにおける責任についての二重の意味 211
1) 共有財産についての責任 211
2) 構成員の個人責任 213
家の構成員の責任の源泉と発展 216
諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説 218
スペイン 218
ヴェネツィア 222
その他のイタリアの地方諸都市における法規 226
非独立の仲間の責任 229
家族ゲマインシャフトにおける財産分与義務 232
個人債務とゲマインシャフトの債務 237
家族以外での連帯責任。共通のstacio(工房、店) 237
個人債務と業務上債務 238
ゲゼルシャフトにおける特別財産 240
経営ゲゼルシャフトと商事会社 245
合名会社とソキエタス契約の目印。商号。 247
ゲゼルシャフトの契約についての文献史料 250《原文は「Urkunden=出典」になっている。》

Ⅳ. ピサ。Constitutum Usus 《1161年に編纂されたピサにおける慣習法の集成。》におけるソキエタス法 253

Constitutum Usus 253
Constitutum Usus の領域 255
Constitutum Usus の条文の性質 257
ソキエタス法的な内容:
Ⅰ. ソキエタス・マリス 257f
法的な区別。Kapitanie(キャプテン)の意味 258
ソキエタス・マリスの財産法 261
固有財産 261
1) 個人への債権者との関係 262
2) ソキエタスの成員達のゲゼルシャフトの基金への位置付け 262
3) ゲゼルシャフトの債権者への位置付け 263
4) ゲゼルシャフトの財産の範囲 263
ここまでの成果 合資会社 264
Ⅱ. 固有財産の無いソキエタス。Dare ad portandum in compagniam 265
Ⅲ. 固定配当金を持ったソキエタス。Dare ad proficuum maris 267
ソキエタス法に対する利子禁止教義の意義 269
Ⅳ. ソキエタス・マリスと家族ゲマインシャフト 272
ソキエタス・マリスが家族連合(associationen)から生じたという仮説 273
家族ゲマインシャフトの特性 274
ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト 276
Vita communis 《共通の生》:
1) 前提条件 277
2) その影響 278
Societas omnium bonorum 《ソキエタスの全ての財産が現在と将来に渡って共有されるソキエタス》 280
ピサにおける連帯責任原理 280
Ⅴ. Compagna de terra 《陸上のCompagna=イタリアでソキエタスとコムメンダから発展した会社の原型》21
合名会社と合資会社の原理上の違い 283
ソキエタスに関する諸文献 284
成果 286

Ⅴ. フィレンツェ 287

フィレンツェにおける産業上の財産 287
Ⅰ. 法規における文献素材。発展段階 288
A. 会社の連帯責任についての血縁関係の意味 289
家族とソキエタスの類似性について 291
1) 仲裁裁判 291
2) 責任と相続財産分与義務 292
3) ソキエタスの成員の個人的関係 293
4) 家住み息子と使用人頭 294
家族ゲマインシャフトのソキエタス的性格とソキエタスの家族的性格 295
B. ソキエタスの財産法:ソキエタスの債務と個人債務
ソキエタスの債務を判断する目印:
1) 会計簿への記帳 296
2) ソキエタスの名前での契約
ソキエタスの財産に対する差し押さえからの個人への債務者の除斥 300
Ⅱ. 諸文献:アルベルティとペルッツィにおける商業簿記 302
家計ゲマインシャフト 302
ゲマインシャフトの土台としてのソキエタス契約 305
資本金と各ソキエタス成員の出資 305
各ソキエタス成員のゲマインシャフトの外部での特別財産:
1) 不動産 306
2) 個人の動産 306
1336年のアルベルティ家の相続協定 308
成果 311

VI. 法的文献、結論 312

法的文献とそのソキエタスへの関係 312
1) 合資会社関係 313
2) 合名会社:
a. 固有財産 315
b. 連帯責任。委任の仮定と代表者(Institorat)の仮定 317
連帯責任の実質的な根本原理との関係 320
国際的な発展に対しての法学研究の成果 ソキエタス会社 323
ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年法 発展の結着 326
結論 得られた成果の法教義学的利用の可能性 330

文献一覧表 333

序文

 法教義学的には、ローマ法のソキエタスと近代商法における会社形態の中でもっとも重要な集団との、特に合名会社との原理上の相違点については、しばしば詳細に論じられまた十分に解明もされてきた。法制史上では、そうした会社形態の近代的原理の発展は、地中海沿岸諸国、とりわけイタリアの諸都市国家における、交易を主体とした生活の中から生まれて来たのであり、それらの会社形態の原理は国際交易の上で実用的に必要なものとして把握され、その主要な特性としてこれまで解明されてきたのである。

 しかしながら、特にそれらの会社形態の初期の発展段階において、個々の事例において法形成がどのように行われてきたのかということ、つまりまったくの新たな法的思考が、日常の中でたちまち幾倍にも膨れ上がっていく様々な必要性の中から成長していき、やがて商慣習へと進化し、そこからさらに商業における慣習法としてまで認められるようになったのかということと、さらには現在において存在する各種の法律上で定められた団体が本当にその中から発展してきたのかどうかという事実の確認と、またどこまでそう言えるのかという程度の問題は、現在においても多くの場合で、完全に疑いのないレベルまでは解明されていない。というのもラスティヒ 1)《Gustav Lastig、1844 – 1930、ドイツの法学者、商法の発展を商業の種類が拡大されてきた歴史に求める歴史学派で、ゴルトシュミットのライバル的存在》によって(執筆計画が)発表された(商事)会社についての包括的な著作は、既に発表されている部分の記述によれば、我々には入手が不可能である多数の文献史料に基づいて執筆されるのであるが、その完成はまだかなり先の話である。《全集版の注によれば、ラスティヒ自身が少なくとも30年はかかると発表時に述べているとのこと。実際に最初の構想の発表は1878年で、最終的に完成したものが発表されたのは1907年であり、29年後である。》そのことがこの論文での試み、つまりまずは既存の諸研究に関連付け、出版された文献史料に基づいて商法の発展における本質的な諸契機についてのより具体的なイメージを得るということを、よりいっそう試みる価値のあるものとすると言うことが出来るだろう。私の方で入手可能である文献史料については前述の通りの状況であり、従ってこの論考で得ることの出来た結論それ自体が、その主要な点において、私には入手不可能だった史料、とりわけ手書きの史料によって本質的な訂正が行われてきた、といったような幻想はまったくもって成立し得ないのである。2)

 これから述べる研究は、ベルリンの枢密顧問官のゴルトシュミット教授のゼミナールにてある時に提出された筆者の論文を拡張し改訂することから始まったものである。その内容としては、(単に)合名会社の歴史としてではなく、(商事)会社全般の歴史についての貢献として捉えるのが正しいであろう。この論文ではただ一つの財産法上の制度として、合名会社だけでなく合資会社をも包含して解明するということを試みている。確かに私はこの二つの会社形態を同一のものとして統合的に把握することが可能であり、更にまたその二つの差異をも歴史的に明らかにすることが出来ると考えている。この論文で利用するのは、前述したように印刷史料のみであり、それも利用出来たのはベルリン図書館収蔵のものと、枢密顧問官ゴルトシュミット教授の個人所有のもののみであり、後者は教授がご親切にも参照を許可してくださったものである。従ってこの論文の数少ない成果としての新たな観点となり得るのは、おそらくこれまでの知見の訂正と各概念の境界をより具体的に定義し直すことであろう。

1) その論考は、商法雑誌の第34巻に収録されており、これから続く研究への出発点として構成されている。《英訳の注によれば第34巻はヴェーバーの引用ミスで正しくは第23巻と第24巻。Zeitschrift für das Gesamte Handelsrecht, “Beiträge zur Geschichite des Handelsrechts”, 1878年と1879年》

2)この理由から、史料批判についても以下の論文では断念している。
(手書き文献資料等の)写真については、印刷された入手可能な資料の中に収録されているもののみを、論述に利用している。

ローマ法と今日の法
研究の工程

ソキエタスと合名会社

 以下の研究において、まず第一にどの法規を取上げるべきかという問題は、ローマ法のソキエタスと現代法の合名会社の本質的な対比を思い浮かべるならば、容易に明らかになる。

 二つの概念の対置には、それによって二つの実際的な比較を行うことが出来るように、二つの概念間の境界をより詳細に解明することがまず必要である。

 合名会社とローマ法のソキエタスとは一般には決して簡単に対比させることが出来ない。何故ならば合名会社はソキエタスに対してはまずはその特別な場合を意味するからである。それ故に合名会社とソキエタスは対比ではなく前者が後者のある一つの場合としてのみ比較され得るのであり、その特定の場合のソキエタスは今日の合名会社と同様の諸目的を達成しようとするのである。-こういうことを断るのは、ローマのソキエタスの概念の一つの特徴はまさに、様々に異なる現実の諸形態に対してそれぞれに異なる法規定を適用するのではなく、汎用的に適用出来るある概念上の法的なテンプレートを意味せんとするからである。

 故に合名会社は本質的にはまず第一に商業上の営利の目的のために存在するのであり、さらには(ドイツ)商法典第85条に規定されているように《訳者注①》、いずれの社員も出資財産に対する責任を制限されず、結局は「当座(的な)組合」に対比されるものとして、つまりはその目的を継続的な共通の営業活動を行うことに置き、個々のその時々の業務についてのみ共同作業を行うのではない形態として、――そういった理由からこの論考では合名会社をローマ法のソキエタスの特別な形態に相当するものとして、ソキエタスと同一の尺度で評価出来るように概念化するであろう。
 続けて、ソキエタスと同名会社の違いは本質的には例えば次のように定式化される:

ローマ法におけるソキエタス

 ローマ法によれば、この種のソキエタスは、当事者間での契約の締結により、相互にそのソキエタスの目的の遂行に必要な行為を強制するという義務を生じさせる。その義務の個別の内容は、我々の考察対象においては以下のようなものである:《列挙の番号は訳者追加》
1. ソキエタスの各成員が労働力を、また必要に応じてソキエタスの目的の遂行に必要な資金を提供するということ。
2.あるソキエタスの成員に対して、契約によりその成員がソキエタスの目的に適合するべく負わされた責任の程度に応じて、ソキエタスを精算する際にはその程度割合に応じた分け前を与えること。
3.契約に従ってソキエタスの各成員が立て替えた金銭が、同じくその成員に返金されること。
4.ソキエタスの目的に沿った業務を遂行していく上で、ソキエタスの成員全員に対して生じた債権については、それぞれにその出資割合に比例して(pro rata)配分すること。
5.利益を各成員に配分すること。
6.当該の業務により獲得した物権を特定のソキエタス成員に与えること。

 処分可能な現金をソキエタスの共通の勘定(arca commnis)に入れておくこと、つまりソキエタスの目的のために行われた業務などから発生した所得を、取り敢えずはその勘定に入れておくようにすることは、望ましいと言えるであろう。次にあるソキエタスの成員で、当該業務の必要から何らかの支払いをしなければならなくなった場合、その勘定から現金を引き出し支払いに充てることが、その成員の権利でありかつ義務とされる。その勘定の実際の中身は、その成員のソキエタスへの出資分に比例した財産として成立し、単に精算方法を簡略化するということと、その都度それぞれのソキエタスの成員が出資分に比例した支払をする手間を簡略化するのに役立っている。その勘定の中に見出される現金準備においてのその成員の割り当て分については、他の成員の分についても同様にその成員の個人財産の一部なのであって、その成員に対しての債権者は直ちに合法的に差し押さえすることが出来る性質の財産である。第三者は、ただお互いに義務を持った成員間の関係の複合体としてのソキエタスにはまったく接点を持たない。――あるソキエタスの成員がある業務をソキエタスの名前で第三者と行う場合、それは個人の名前で行われる業務と、その法的効果についてはまったく何らの差もないのである。もしソキエタスの名前で行われる業務で損失が発生した場合には、外部に対してはその損失はただその損失と直接関わった特定の業務を執り行ったソキエタスの成員の損失とみなされ、その損失について、ソキエタスに対しての当該成員の取り分への賠償請求権は、よって確かにその担当の成員の個人財産に対して有効なのであり、このような請求権は個人へのものとして破産財団の借方勘定に入れられる。その場合の破産債権はただ個々のソキエタス成員の財産に対して、その個人と契約した債権者という関係でのみ成立し、その債権者が時には同じソキエタスの他の成員という関係である場合もある。特に例えばこの「ソキエタス財産」に対して宣告された特定の破産の管理可能な財産になり得るような共通勘定(arca communis)やソキエタス契約に沿った形で作り出された物権といったものは存在しないのである。そういった破産というのはナンセンスであろうし、その破産が(管理の)対象とすることが出来るものは存在し得ないであろう。というのも、この「ソキエタス財産」に帰属するすべての財産は、比例配分により分割された共有財産の個々の対象物をまとめた全体とまったく等しいのであり、それらの個々の対象物はまた同時に個々のソキエタスの成員のソキエタス財産とは別の個人財産の一部でもある。――それ故にそういった破産は単に破産請求権を持つ主体についてだけではなく、同時にまた自分が占有しようとしている破産財団の財産という客体=対象物についても、いたずらに存在しないものを追い求めているのと同じであるからである。

訳者注① Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch (ADHGB)
1869年制定、第85条の規程は以下の通り。”Eine offene Handelsgesellschaft ist vorhanden, wenn
zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter gemeinschaftlicher
Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter die Betheiligung auf
Vermögenseinlagen beschränkt ist.
Zur Gültigkeit des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen
Abfassung oder anderer Förmlichkeiten nicht.”

(日本語訳)
合名会社とは以下の場合に成立する。
2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責任を制限されない。
会社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。
《その契約を第三者に対抗出来るようにするには合名会社の商業登記が必要である。》

 これに対し合名会社の構成は、ソキエタスに対してはっきりとした違いを見せる:

近代法における合名会社

 そのような合名会社の存在は、まずその作用をソキエタスの成員同士の関係に限定して及ぼすのではまったく無く、むしろそれは第三者にとって無視することが出来ない一つの事実となるのである。ゲゼルシャフト(会社)の契約が、ある決められた割合でソキエタスのある成員に権利を与え、かつその成員を「ゲゼルシャフト(会社)の」名前で行う業務に従事させる場合、全ての社員(Gesellschafter)はその業務に直ちに拘束されるのである。第三者であって、そういったゲゼルシャフト(会社)の業務において契約しその結果債務を負う者は、また(直接契約に関わった成員以外の)他のソキエタスの成員をも契約の当事者として認め、その成員が「ゲゼルシャフト(会社)の名において」債権全額を保持していることを認めなくてはならない。逆にその第三者が(そのゲゼルシャフト{会社}に対して)債権を持つ場合、直接の契約相手に対してだけでなく、他のソキエタスの成員も全額の債務を負っているとみなすことが出来、さらに「ゲゼルシャフト(会社)」そのものについても、会社資産における債務としてそれを負っているとみなすことが出来る。こうしたゲゼルシャフト(会社)の財産は、本質的で特徴的な要素として、あるソキエタスの成員の法的な取扱いの効果の点で、債権者(借方)としても債務者(貸方)としても契約の当事者であるソキエタスの成員個人を超えて影響力を持つということと密接に関係している。そしてそういったソキエタスの成員個人を超えた法的取扱いの効果については、ある一人のソキエタスの成員が執り行った全ての業務について及ぶのではなく、ただ「ゲゼルシャフト(会社)の名において」執り行った業務のみに対してのみ及ぶのであるから、あるソキエタスの成員が執り行った業務の結果としての義務的な関係は、その成員がただ自分の名前で執り行ったのか、また「ゲゼルシャフト(会社)の名において」執り行ったかによって全く違った意味を持つのである。その一方で全ての「ゲゼルシャフト(会社)の名において」執り行われた業務は、それがどのソキエタスの成員によって執り行われたかどうかに関わらず、すべてのソキエタスの成員相互に全く同等の意味を持つのである。

 それ故に、(ゲゼルシャフトに対して)強制的に権利を与えることと義務を負わせることの両方が生じるが、その二つはそれぞれのゲゼルシャフト(会社)の資産において貸借対照表の借方や貸方へ記載された他の資産や負債とは本質的にその意味を異にしているが、その二つを他から区別する目印は二つにおいて同じなのである。同様に、「ゲゼルシャフト(会社)の名において」獲得された具体的な物(species = 外観をもったもの)への物権もそこに見出すことが出来るが、それはローマ法の共有財産の規定に対する個々のソキエタスの成員の取り分に応じた処分権に基づいているのではなく、むしろそのソキエタスの成員はゲゼルシャフト(会社)契約またはソキエタス法によってのみ、またただその範囲を限度として権利を与えられ処分権を持つのである。またこの法的な客体は、あるソキエタスの成員の(私有)財産における他の対象物とは異なっており、その双方を区別する目印によりそれらの他の対象物に対してまさに区別されるのである。このゲゼルシャフト(会社)というカテゴリーにおいて、義務的なものと並んでまた物権においても、これまで言及してきた違いというのは、ゲゼルシャフト(会社)の目的との関係の違いによる結果である。その結果ローマ法における共通勘定(arca communis)は、それをここで議論してきたようなゲゼルシャフト(会社)の財産物件として包括的に考える時は別の意味を持つようになる。その共通勘定の財産物件の権利は、ソキエタスの成員の他の(個人)財産物件とははっきりと区別されるのであり、その処分についても他の財産物件の処分方法とは区別され、個々のソキエタス成員の共通財産への部分的処分権はゲゼルシャフト(会社)が存続する限り直接的には無効であり、ゲゼルシャフト(会社)法に従って取り決められた処分権の方が優先される。個々のソキエタス成員の部分的処分権は、会社法による処分権に対しては劣位の権利に過ぎず、それ故にこのソキエタスの成員への債権者は、これらの客体ないしは部分的分け前に対しては直接強制執行の対象物に入れることは出来ないし、またその成員の破産財産中に個別かつ直接それらを入れることも出来ない。同様に、他方ではその(共通勘定という財産の)複合体の貸方に記載される負債は、個々のソキエタス成員の債務とは次のことにより明確に区別される。それは、その負債が、ただその負債が、共通勘定(arca communis)を上記の意味(会社の財産としての処分権が個々のソキエタス成員の部分的処分権より優先するという意味)で直接に貸借対照表の借方に記入出来るようにし、そしてその共通勘定への直接的な財産の追加の獲得を正当化する。それ故に、何かの処分権が会社とソキエタス成員個人との間で対立する場合には、まず(会社資産への)財産に組み入れられた後、それでもなおその成員の個人財産として残留する部分のみが、そのソキエタス成員の財産または破産財産に算入される。

 すべてがある特定の(ゲゼルシャフト{会社}の)目的に役立つための諸権利の複合体が、その権利については他の権利とは区別され特別に規定された方法で行使され、またそれに対して特別な責任が課せられるのであるが、ここではそれを「財産」と名付けたい。そしてこの名称は何らの根拠のある疑いもなく正当であるが、故にこうした特性は、またこれまで述べてきた権利関係の総体に帰属するものである。共通勘定(arca communis)からある種の特別財産という考え方が生じ結局「ゲゼルシャフト(会社)財産」に成るのであるが、そのゲゼルシャフト(会社)財産は今や強制執行や破産の対象になり得る一つのまとまった対象物であるが、またそれは同時にこのゲゼルシャフト(会社)財産と個々のソキエタスの成員との間での権利と義務の成立を概念的には排除しない。1)

今や(ゲゼルシャフト{会社}の資産という)客体の側に(ここで定義した意味での会社)財産であるという目印が存在するとしたら、その法教義学的な必要性は明白であり、その客体は法規において精確に記述しようとする利害関心において不可欠のものであり、そのためにまた(その客体を所有する者である)主体も、または主体に相当する何か別のものでも、その財産の機能を(法的に)規定するために不可欠となるのである。その目的での一つの契機となるのは商号(Firma)の使用である。商号はただ実際的な簡約表現のための技法であり、というのもその用語の使用は上述してきたような「ゲゼルシャフト(会社)の」名前において行なわれる財産関係を簡易的に記述するのに役立つからである。

1)  ドイツ帝国上級商事裁判所 民事判決第5巻206頁。

 商取引におけるゲゼルシャフト(会社)の捉え方という点で、商号はしかしながらそこにおいて容易にある種の人格を獲得する。人格の獲得、すなわち商号の擬人化は以下のような法的な規定を定める上での出発点となる。その規定とは、たとえばある業務が執り行われる場合に誰がそれに従事するのであるかとか、あるいはある商号に対して以前より存在している債務は一体誰が負うのかなどといったことを、現実の生の中で比較的に簡素かつ自然に記述するものである。法学的な構成という意味で、外部から観察出来る外形を持った対象物を用い実際的な規定を記述することは、まったくもって簡単なことではない。もしそれ故に法学的に商号に実際的な人格性を持たせることまでに進めることが出来ないのであれば、体系的な記述の要求に応じるという限りにおいて、「商号」「業務」「ゲゼルシャフト(会社)」にそれぞれ法学的な考察における対象物として個別に重要な機能を持たせることが出来る。

 これまで述べてきたことから、こういった法学的解釈の発展の根本原理は、まずは第一に連帯責任とゲゼルシャフト(会社)の特別財産という相互に緊密に関連した二つの制度であるということが容易に導き出される。

 本質的な意味において、これらの二つの制度は以下の論述では次の点で法制史的に考察されなければならない。つまり一体どのような目的でゲゼルシャフト(会社)形態の発展一般に関与したのかということと、またこうした発展がこの二つの対立関係の確立無しには起き得なかったのかどうかということである。2)

 中世におけるソキエタスの発展の根本原理の解明に入る前に、たとえ非常に手短にではあっても、ここにおいて始めて提起されたのではない問題について詳しく述べるべきであろう。つまりローマ法において、ソキエタスの純粋に義務的な性質と、その義務的な性質がソキエタスの成員間に働くことへの制限とを克服するような少なくとも何かの契機が存在していたのかどうかということである。

2) 合名会社の方についてのここでの概略説明は、ラーバント《Paul Laband、1838~1918、ドイツの法学者》の商法雑誌第30・31巻のものとは原理的に異なり、少なくとも彼のゲゼルシャフト(会社)の基金の財産としての機能の説明は破綻していると思われる。――それは彼の理論的展開において、合名会社の関係においての「内的なもの」と「外的なもの」の慣習的な区別を認めたがらないことから生じているが――二つの対立を説明の中で利用することを第30巻の51ページのCにおいて彼自身がまったく無しで済ますことは出来ていないのであるが――ラーバントは合名会社の特質をただ外部への責任だけとしている。ゲゼルシャフト(会社)の基金を特別財産として別扱いにすることについては、強制的な共同の所有権において、ソキエタスの一方の成員の権利が他方の成員の権利を、それぞれの財産への完全な支配をお互いに制限することが、ただ問題になる。――その証明としては、ラーバントはゲゼルシャフト(会社)の財産の金額は、第三者の、とりわけ債権者の権利の対象ではないと述べている。

 その論法を仮に認めるとしても、なるほどゲゼルシャフト(会社)の財産の金額は第三者の債権の対象では無いとしても、その「存在」は第三者に対しても法的な権利の対象である。ゲゼルシャフト(会社)の財産というものは、経済的には無に等しい場合もあり得るかもしれないが、法的にはそれは存在し、経済状態という意味では重要な帰結は無くとも、ソキエタスの成員達はそれが確かに存在しまたその存在によってそれを法的に取り扱うことが開始されるということを、どうやっても隠し通すことは出来ないのである。

 ラーバントはゲゼルシャフト(会社)の財産に対する個人の債権者を除外する理由として以下を挙げている。つまり、個々のソキエタスの成員に対する債権者は、その成員に対する債権者として以上の(ゲゼルシャフト{会社}に対する)権利を持つことは出来ず、それはラテン語では”nemo plus juris transferre potest quam habet ipse”《誰も自分自身が持っている以上の権利を他人に渡すことは出来ない》と表現されるが、そして確かに個々のソキエタスの成員は他のソキエタスの成員の義務的な請求権そのものによって制限を受けている。ある個人への債権者のみをとってみてもまた、もし仮にその債権者が全ソキエタス成員に対する連帯的な債権を持つ者であったとしても、それは直ちにゲゼルシャフト(会社)の債権者ではあり得ないであろうし、かつまた他のソキエタス成員の義務的な権利がどのように、それぞれのソキエタスの成員が会社の所有物に対して保持している分け前から債権者を排除するという上述の物権的な作用を及ぼすのかということについても疑わしい。仮に個々の他のソキエタスの成員の権利が個人の債権者と対立しているとしたら、これらの権利を単に無効にするということが同時にその個人への債権者をゲゼルシャフト(会社)の債権者にし、またゲゼルシャフト(会社)の財産の占有を可能にすることになるが、そういう事は実際には起きていない。

 ローマ法でのソキエタスの場合は、複数のソキエタスの成員が個々の場合において、例えば保証人として連帯して責任を負う場合でも、未だゲゼルシャフト(会社)の財産というものは成立していないし、また銀行家についても、その責任は法律上義務付けられてはいるものの、この種の財産を共有するような制度については何も知られていない。

 法制史においてもまた、ゲゼルシャフト(会社)の共有の財産という考え方が発展していく過程において合名会社が果たした大きな役割について今後この論文で追究していくことになるであろう。

 重要なのは唯、既知の通り合名会社が共有財産という特性を特定の他のゲゼルシャフト(会社)形態と分け合ったということであり、また常にその種の共有財産の概念の設定は、ゲゼルシャフト(会社)内部の責任関係と非常に密接な関連を持っている。

参照:ラーバントについては、ギールケ《Otto Friedlich von Gierke、1841~1921、ドイツの法学者、特に団体法の研究で有名》のDie Genossenschaftstheorie und ide deutsche Rechtspruchung (ゲノッセンシャフトの理論とドイツの判例)の438ページを参照。

ローマ法の根本原則の変遷を示しているという条項について

 一般論として、先に述べた合名会社の二つの制度についてその何らかの契機がローマ法の中の私法全般の領域において見出されるかどうかということは、否定されなければならない。

1. D. 63 §5 pro socio あるソキエタスの成員の他の成員に対しての(権利)《actio pro socio はソキエタスの一成員として他の成員に対する法的な行動{訴訟など}のこと》

 まずは個々の法令において先に述べたような限界を乗り越えていくような事例があるかどうかを見出そうと試みることが可能であろう。それはつまりあるソキエタスの特定の成員に次のような権利――つまりD.63 §5《D=Digesta、ユスティニアヌス法典の中の学説彙纂がくせついさん、17.2.63.5》の pro socio――が与えられる場合である。それはあるソキエタスの成員Aが支払い不能に陥った時、別のソキエタスの成員Bが、さらに他のソキエタスの成員C、D他に対して、そのC、D他がAから全額を回収済みの場合、BはC、D他に対してAから回収出来なかったAへの請求額を請求出来るという権利である。
 このような外見上はソキエタスにおける純粋にそれぞれの取り分に応じた関係の原則を逸脱しているように見える原則は、それにも関わらずactio pro socioというソキエタスの一員が他のソキエタスの成員に対して取り得る法的行動という原則からの自然な帰結であり、その帰結においては――それはソキエタスの成員間の関係を取り扱うのであるが――種善意のソキエタスの成員は損失をソキエタスの他の成員と等分に分け合うことを要求するのである。

2.D.44 §1 de aedilicio edicto アエディリス《按察官:古代ローマで建築、道路、水道、市場、度量衡、穀物配分などを担当する高位官職》の布告について《D.21.1.44.1》

 Roesler 3)《Hermann Roesler、 レースラーまたはロエスレル、1834-1894、ドイツの法経済学者、1878年にルター派からカトリックに改宗した結果メクレンブルク州での公職を失い、またビスマルクに対し批判的であって当局から危険人物視されたこともあって日本に渡り、いわゆるお雇い外人として伊藤博文に仕え、大日本帝国憲法と商法の草案を作る上での中心的な役割を果たした。》は、追加の条項としてD.44 §1のアエディリス(按察官)の布告に言及している:
Proponitur actio ex hoc Edicto in eum, cujus maxima pars in venditione fuit, quia plerumque venaliciarii ita societatem coëunt, ul quidquid agant, in commune videantur agere; aequum enim Aedilibus visum est, vel in unum ex his, cujus major pars, aut nulla parte minor esset, acdilicias actiones competere, ne cogatur emptor cum singulis litigare.
(この布告は奴隷の売買において、もっとも大きな売上を上げるものに対して提案されるものである。というのは通常奴隷の商人達はソキエタスを結成し、彼らの成すこと全ては共同の行為としてみなされるからである。按察官にとっては、ソキエタスの成員の中でもっとも大きな売上を上げている一人に対してでも、または他の成員に引けを取らない売上を上げている者に対してでも、この制度は好ましいものであり、購買者は多数の商人と訴訟沙汰になることを避けることが出来るであろう。)《日本語訳は、最後のcum singulisをcum multisに修正した上で解釈している。》――実際の所、この市場における争いへの裁定から発生した規定において、法律家によって奴隷商人達の仮想的な利害ゲマインシャフトにとって合理的であると根拠付けられたのであるが、法的に見て更に深く分析出来るような特別な性質は見当たらず、その根本原理をソキエタス法の中に見出すことは出来ない。ここにおける仮想的なソキエタスは、より広い範囲での訴訟についての法的な基礎としてではなく、ただ按察官の立法者としての動機からのみ説明されている。

3)商法雑誌、第4巻参照。

3.銀行家

 既に按察官の布告以前に、複数の銀行家の関係は、ローマ法の解釈における実質的な変化として認めることが出来るかもしれない。それについて触れているローマ法での出典の箇所は、実際の所、書面契約(contractus litteris)の特殊性と銀行家の記帳(nomina simil facta)から生じた法の形成を裏付けるが、しかしながらそれは本来ソキエタス制度の存在を裏付けるものではない。

4.マラカ法 C.65

 実際の所、ソキエタスの法原則から生じる連帯性を正当化する規定をローマの植民都市のマラカ《現在スペインのマラガ》の法は少なくとも外見上は定めているが、それは「ソキエタスの成員」という表現の意味する所についてもちろん疑いを差し挟む余地が無い訳ではない:
マラカ法 C.65(この条文は担保・抵当物件の売買を扱っている)
… ut ei qui eos praedes cognitores ea praedia mercati erunt praedes socii heredesque eorum i[i]que ad quos ea res pertinebit de is rebus agere easque res petere persequi recte possit.
(~は以下を目的として、つまり当該の担保物件、保証人、及び資産を金銭で購入した者、及び当該の担保物件、ソキエタスの仲間、相続人、に対して権利を持つ者は、正当に法的行為及び当該の資産についての訴訟を行うことが出来る。)

 つまり:購買者の(属するソキエタスの他の)ソキエタスの成員は、その購買者の相続人と同様に直接訴訟に及ぶ権利を持つ。ここで考慮すべきなのは、我々は行政法の領域を参照しているのであり、役所によって締結された契約が存在しているということである。ここでのこの特別な公法での契約法の特性がどこまで影響力を持っているかということと、それによって私法の適用が停止するかのということについてははっきりしない。

ローマ法についての考察の結果としての否定的な結論

 私法の領域において、後期ローマ法においてもまたバシリカ法典《ビザンチン皇帝レオ6世 (在位 886~912) による ユスティニアヌス法典の批判的な見直しとしての大法典》とその注釈書のどちらにおいても、古くからの基本原則の改変は見られないのである。ここに見てきたような特別な法文やまたは地方における俗法での法制定を後の時代の、つまり我々がこの論文で取り扱うべき、中世における大規模な交易に起因する制度への発展の起点として扱うことについては、どちらについても少なくとも根拠に乏しい。

4)D.9 (D.2.14.9pr) pr.de.pactis
Si plures sint, qui eandem actionem habent, unius loco habentur.
Ut puta plures sunt rei stipulandi vel plures argentarii, quorum nomina simul facta sunt … unum debitum est, – und
(もし何人かの債権者が同一の行動を取る時、彼らは一まとめの一人の債権者として扱われる。というのは例えば、ある契約の規定により何人かの債権者が存在するか、あるいは何人かの銀行家が同時に何らかの債権を持つようになった場合、{彼らは一人のまとめた債権者として扱われるため}債権自体は一つしか存在しない。)そして、
D.34 pr.de recept[is arbitris] (III.8): Si duo rei sunt aut credendi aut debendi et unus compromiserit … videndum est, an si alius petat, vel ab alio petatur, poena committatur.
Idem est in duobus argentariis, quorum nomina simul eunt (erunt Hal[oander]).
(もし二人の債権者または債務者が存在する場合、そのどちらか一方がその債権または債務を何らかの裁定に持ち込んだ場合、片方が訴え、他方が訴えられた場合には、罰金が課せられなければならない。二人の銀行家が同じ債権を持つ場合も同じである。)

5)モムゼン《Theodor Mommsen、1817-1903、ドイツのローマ史家、法学者。ヴェーバーのこの論文の審査に陪席し、「私がやがて墓場に急がねばならぬとき、『槍はすでにわが腕に重すぎる、われにかわりて、わが子、汝この槍を持て』と呼びかける相手は、わが敬愛するマックス・ヴェーバー以外にはない。」という賛辞を送った。》の”Stadtrechte”(都市法)の以下に引用した箇所を参照。

6)Heyrovský《Leopold Heyrovský、1852-1924、チェコのローマ法の専門家》の”Die leges contractus.”(契約法)を参照。

7)帝政ローマ期にも、似たような規定が他にも存在し、例えばVipasca鉱山管理法《Vipascaは昔の鉱山名、現在の地名はポルトガルのアルジュストレル》のZ.5《Bruns、Fontes{”Fontes iuris romani antiqui”, C.G. Bruns [Karl(Carl) Eduard Georg Bruns、1816-1880、ドイツの法律家・法学者)], Tübingen, 1909}、247ページ、https://zenodo.org/record/2484590 参照》に、”conductori socio actorive ejus und weiter passim. “(賃借人に、または彼の{属するソキエタスの他の}ソキエタスの成員に、彼の代理人に)とあり、他にも多数同様の箇所がある。共和制期については同様のものを知らない。ユリア地方法のZ.49(Bruns、Fontes、104ページ)では、関連した事例としてただ”redemptorei, quoi e lege locationis dari oportebit, heredeive eius”(契約者またはその相続人に対して、契約の内容に従って賠償が裁定されるべきである)という箇所があるのみである。

研究の工程 経済的な見地と法的な見地の関係

 ローマ法においても、またさらに中世において、つまりイタリアの文献史料の中においても、「ソキエタス」という表現は個別に形成された権利関係ではなく、人間同士の様々な関係を表現する一般的なカテゴリーの一つとして登場する。そういった諸関係に共通して他から区別される標識は、もっとも高度に細分化された法的構成においては、利益の獲得、リスクテイク、あるいは何かに投じた費用の中の一つまたは複数の事において、それらが複数の人間の共通の勘定において行われるとされている場合に見出される。そういった様々に異なったゲゼルシャフト形成の諸関係において、どのような標識から、今日の合名会社の原理が発生するのかということこそが、本質的に我々がこの論文で取り扱う問題である。

 その問題の解明という目的において、次のようなことを単純に行うことは出来ない。つまり、今日の合名会社が有形資産と労働の成果を結合させているという外面的な形態だけを見て、歴史を遡って中世の諸法規の中に経済的に見て良く似た機能を持っている形象を切り出したり、さらにそういった形象の中に合名会社に類似していて歴史的に合名会社に発展していくであろうような制度を見出すとか、さらにそういった形象だけの観察に限定して研究を進めるといったことである。というのは我々はこの研究を課題の経済的側面に注目して行うのではなく、法的な根本原理の創世記の記述という観点で行うのであり、研究の最初から、法的な差異と経済的な差異をまぜこぜにするという前提条件を仮にも設定することは正当化され得ない。むしろより可能性が高いのは、法的には決定的な根本原則がその発生の最初においては、一般的な経済的な概念からまったくかけ離れた領域において成立したということと、そういった法的な根本原則に規制される実際の人間同士の諸関係が、その発生当初に比べると完全に元の姿を変えてしまったということである。

 それ故に我々がやらなければならないことは――さらにまた法的要素と経済要素の対比を可能にするための境界設定により――観察の対象を法制史において登場してくるゲゼルシャフト(会社)の諸形態の中の主要な集団へと拡げることである。

 法においては、経済の立場から見るとまったくその外側にあるような性質の標識がしばしば決定的に重要なものとされることがある。このような法形成の固有の性質からはまさに次のようなことが導き出される。経済的に見た差異の結果として外から見てはっきりした法的な構成要件上の区別が立ち現われる場合にはしかし、法的にもまた差異が生じ、従ってまた他から区別される法形態が発生の段階に達しているということを推定することは正当である。これから行う観察において、どの程度まで経済的見地から評価することが出来るのか、あるいは評価すべきなのかということにより経済的見地の重要度が決まるのであり、そしてさらにこれから詳しく述べていく議論の中の一部では、研究の対象物の性質そのものによってその対象物自身が生成される場合も示される。

Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタス

1.コムメンダと海上取引における諸要求

 貿易というものを中世において相当な規模で見出すことが出来るのは、まず第一に地中海の複数の沿岸都市においてであるということは、頭の中で少し考えただけでも歴史的にも確かなことである。特に地中海の西側の水域《イタリアの西岸とスペインに囲まれた水域》に面している沿岸諸都市においては、貿易は今日でもまだ完全には消滅してはいない。というのもここにおいて本質的に海上取引による商品の取引や販売に使われる一つの事業形態が発生したのは、特にイタリア西岸の諸都市とスペインの海岸地域 1)の間の交易においてでである。

 この地中海沿岸諸都市間の海上取引は、既にかなり古い時代において、債権法において独特の諸原則を発達させていた。  

 既にローマ法においてfoenus nauticam《foenusはfaenus(利息)で「海事利息」の意味。海事契約利息とも言う。ある貸主が貿易を行うものに資金を貸し付けるが、借主は船が無事に戻って来た時のみに返済義務を負い、海難事故で船が全損した場合は返済不要という内容のもの。返済の際には借りた金額より多い金額を返すため、一種の海上損害保険の先駆けともみなせるが、教会の利子禁止の裏をくぐるような利息付き貸し付けともみなせるため、1236年に法王庁から非難されたことがある。参考:Palgrave Macmillan, A. B. Leonard編, “Marine Insurance Origins and Institution, 1300 – 1850 (Palgrave Studies in the History of Finance)” 》やlex Rhodia《ロード海法、紀元前3世紀にロードス島で編纂されたと信じられていた海上取引に関する慣習法。原本は今日でも未発見。ユスティニアヌス法典の勅法彙纂の中に”lex Rhodia de iactu”(「投荷 (共同海損) に関するロード法」)という一章が含まれている。(「共同海損」は船の事故の時に損害を船主や用船者と荷主全員で平等に負担する仕組みで、今日の海上保険でも存在する概念。)参考:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典》において特別な規定が設けられており、それは海上取引で考慮に入れるべき特別な種類の危険を斟酌するものだった。まさしくそういった諸制度は民族大移動の時期を通じて完全に廃れることは一度もなかった。我々はそういった制度を、一般的に知られている通り、中世初期の法的文献史料において再び見出すことになる。2)しかし中世においては、古代の法に比べて、法的な分析に基づいて危険分担を決めるという程度が弱く、そうした危険分担を概して自明の規則に従って定めていた。  海上取引においてその債権者や参加者になった者は――まずそういった順番で考えてみると――そのどちらの者もある継続的な事業経営に関わった訳ではなく、むしろある特別の航海という個々の事業に対して債権者は資金を貸付け参加者はその取引に参加するのであるが、――とはいっても海上取引は単純な統一された事業ではなく、それぞれが個別の危険(リスク)を持っている個々の事業の連続体なのである。

1)西ゴート法典《西ゴート王国のChindasuinth王が642年から643年にかけて最初に編纂し、その息子のRecesswinth王が654年により大規模にまとめた法典。ローマ法とゲルマンの慣習法及びキリスト教会法を融合しようとしたもの。》、1.XII t. IIIの”transmarini negotiatores”(海上取引)を参照。

2)ゴルトシュミットの商法雑誌第35巻に掲載されている”Lex Rhodia und Agermanament”(ロード海法と姉妹都市)を参照。

西ゴート法典と海上取引

 この危険については、当時の交易関係に対応する上では、飛び抜けて重要な要素であり、交易を行う上で計算に入れておかなければならないものであったが、海上取引に何らかの形で関与した者によって分割して担われる必要があった。――このことは立法上で最大の問題であり、それ故取り敢えず法学的には関係者の関与の仕方を細々と分類することは行われず、そういった分類はここでは相対的に重要度が低い。西ゴート法典においては最初に”commendare”(委任する)、”commodare”(貸し与える)という動詞が、各々の参加者の返還のための何かの引き渡し、つまり”in specie”(あるあらかじめ取り決められた特定の一つの物で)または”in genere”(あらかじめ取り決められた複数の物のどれかで)といった形態や、委託(Deposit)から貸付け(Darlehen)まで、――各々の参加者の功利的な意図での引き渡しは、後にローマ法においては当該の業務がどの法的カテゴリーに属するかという点で重要ではなくなるのであるが――を意味するようになる。まさに西ゴート法典においては、債権者の債務者に対する、参加者の事業発案者に対する、あるいは委託者の委任者に対するそれぞれの関係がはっきりとは分離されていないように見えるところが特徴である。3)これら全ての者の経済的な目的は、ここにおいて本質的にまさに同一であった。つまり、海を越えた先の市場に対して何かを輸出し、そして逆にその市場から何かをあらためて輸入するということである。これらの目的のための経済的な必要な事は常に本質的に同一のものであった。まず一方では、商品の購入のための労働力の投入、次に海を越えて商品を送るための輸送手段、そして最後に運んだ商品を外国の市場で販売するための特別な販売技術による労働力の投入である。他方では輸出する商品を購入しまた輸送手段を確保するための資金である。投入すべき労働力と資金、場合によっては借り入れによる、という意味での必要物の調達は、それぞれの輸出事業で必ず行わなければならない事である。既に西ゴート法典においても、危険と利益を参加者間でどのように分担するかということが法形成においてまさに本質的な問題であった。

3)(商品の)委託と販売の委託は西ゴート法典では同一の章:”de rebus praestitis 1. Vt. Vc. III.”(貸付けられたものについて)で扱われている。委託することと貸付けることは、c.VIII において相互に入り交じった形で規定されている。そこでは本質的には海上取引が想定されていることは、c. V の同一場所の表題部(verbo naufragium: 「海難事故に関する規定」)から分かる。その規定の中に含まれているものは、直接に後の時代においてのコムメンダに関する法的な規定を我々に思い起こさせる。――ランゴバルド法《ゲルマン民族であるランゴバルド族の部族法。643年に編纂されたロタリ王法典(Edictum Rothari)などいくつかの法典の総称。》においては、国内部族について定められたものでは、信用を受けた者に危険負担責任が課せられ、つまりその者は貸付けの規定に従って、信用を供与した企業者の利益を考慮すること無く、返済を行う義務があった。まずは海上取引を考慮する西ゴート法典においては、既に商品の委託と販売の委託において独特のやり方で危険負担責任を分割しており、ローマ法の根本原則 (I. V tit. V c. III)とは相違しており、むしろより独創的に利子付きの貸付けにおいても (同一場所の c. IV: “de pecunia perdita et usuris ejus” {失われたお金とその利子について}) 投機の目的で ( “sub condicione receperit”{ある条件下での将来の受け取り}、つまりどの事業に、受け取った資金が使われるのか、を規定している)危険負担責任を分割している。供託者、委託販売人、信用供与者については常に、まさにそれぞれの相手方と同様に、企業者の危険負担責任の一部を分担するのである。

4)ゴルトシュミット、”De societate en commandite”(委託に関わるソキエタスについて)、1851年;ジルバーシュミット、”Die Kommenda in ihrer frühesten Entwickelung.”(コムメンダの最初期の発展について)

コムメンダの経済的な基礎

 上記で述べたような参加者にとって等しく必要なことは、今や同一の法的な制度の確立をもたらすのであり、それはコムメンダという名前である特別な法的な形態と成り、既に歴史的にかなり初期の段階で完全に確立した法形態となり、海上取引はそれを利用したのである。

 コムメンダがある者が別の者の商品を売却することをその者自身のリスクにおいて行い、そして利益を得るというある種の業務であることは周知の事である。ゴルトシュミットが推測しているように、コムメンダが既にローマの世俗法に含まれていたかどうかは、取り敢えずここでは保留とし、我々はそれをただ中世において追究する。

 もっとも原始的な海上取引の内容は以下のようなものである:商品の生産者あるいはその生産者から商品を買い付けた商人が個人として船に乗り込み、この船に輸出用または輸入用の物品を積み込むというものであるが、コムメンダの制度が見出されるような時代においては、既にそのような原始的な形態は乗り越えられていた。既に最古の法的史料においてpatronus navis(船の所有者)は、商人達に対して船を提供し、その商人達は自分達の貨物と一緒に船に乗り込む、という形で登場する。さらにそれを越えて、労働の分担も進んでいた。つまり卸し商人は自分自身の代わりに継続的に使役する関係であるfattore(イタリア語、使用人頭)、messatge (カタルーニャ語、メッセンジャー)を、船に乗り込ませる。船主、それはスペインでは主にRhederei 《スペインのアラゴン王ペドロ3世(1239 – 1285)により編纂された地中海における海事法である concolato del mare に出て来る初期の海運業者》であったが、そちらはそちらなりに patronus navis として自分達の使役人を仕立てるのである。

5)ゴルトシュミットの前掲論文、商法雑誌第35巻、P.80、107を参照。この見解についての個々の事例においての確認は、後に適当な場所で言及する。

6)ジルバーシュミットの10世紀のヴェネツィアでの collegantia 《合資会社の原初形態》についての見解は、ゴルトシュミットの前掲書 Z. XXXV P. 80、 81によれば、偽ロード海法《8世紀にビザンチン帝国において私人の手により編纂され、ロード海法を偽装したもの》のχρεωκοινωνία (χρεως+κοινωνία、信用ソキエタス)にもっと古い例があるとされている。

7)トラニ法典《イタリアの港湾都市トラニで1063年に編纂された中世地中海での最初の海商法典》 ( Pardessus《Jean Marie Pardessus、1772年~1853年、フランスの法学者》編、 Collection des lois maritimes)とトルトサ慣習法《1149年にスペインのバルセロナで編纂された慣習法の集成》 (Oliver《Bienvenido Oliver、1836~1912年、スペインの法律家・歴史学者》編のEl derecho de Cataluña)と比較せよ。前者の編纂年代は諸説あり確定していない。しかし我々が研究の対象にしている制度はかなり早期に成立している。

8)consolato del mar を参照。Archive de L’Orient Latin I P.431も、Rhedereiの存在を前提にしている。 (Archives de L’Orient Latin, Tome I, Paris Ernest Leroux, 1881)

 この段階に至るとこういった海上取引での仕組みのさらなる発展については、色々な方向があり得た。――一方では自分の従者を商品と共に送り込む代りに、次のようなやり方が利益的には好都合と考えられるようになる。つまりその度毎にその商品を販売しようとしている市場を良く知っている第三者を雇い入れ、商品と共に船に乗り込ませ、さらにその際にその第三者が自身の裁量において船を委託者から借りるとか、その者自身が輸送手段を確保する、といったことを認めるというやり方である。他方では逆にそういった第三者を雇い入れることをせずに、商品と一緒に送り込まれる代理人ではなく、船主自身が報酬をもらった上で商品の販売をも引き受けるというやり方もある。9)取引の及ぶ範囲が広大になればなるほど、次のようなやり方がより一層好都合であると考えられるようになったに違いない。つまり、自分の従者を長い船旅の後、その者にとって未知の国に送り込むより、その国での諸事情に精通した委託販売人に商品を委託するというやり方である。後者のやり方はその後自然に、ジェノヴァにおいて公正証書上に繰り返し同一の名前が現れるようになったことからも分かるように、すぐにこの種の販売委託を請け負う独立した事業の出現につながったのである。

9)ジェノヴァのGiovanni Scriba《12世紀のジェノヴァにおける最初期の公証人》の公証人証書(Historiae Patriae Monumenta《イタリアの史的文書の集成。1836年~1901年にトリノで編纂された。全22巻。以下HPMと略す。》のchartaum II)、No. 261、328、329、306他多数。1155年以降、こういった様式の全ての例が得られる。329と306では船主とコムメンダで委託を受けた者は同一人物ではない。トラニ法典とトルトサ慣習法においては、法的な代理人としての船主の代理人という者は出て来ない。Decisiones Rotae Genuae (de mercatura, et ad eam pertinentibus) (1606年)(ジェノヴァ控訴院判例集、原文のGenuensisは全集版の注によれば、Genuaeの誤り)を参照。

 ある一人のそういった代理人の報酬は、いつも決まった額で固定報酬という形で与えられることもあったが、ある場合にはしかし、12世紀のジェノヴァで普通に行われていたように、委託販売人は利益の一部の分配にも与ることが出来たのであり 10)、こうしたやり方が通常コムメンダと呼ばれる関係なのである。こうした委託販売人が自らも利益の分け前に与ることの利点は明白であるが、しかしまた次のような状況にも適合したものであった。つまり、委託を受けた代理人が根源的にただ委託した方の手足である限りにおいて、そうした手足は競争が激化して単純に商品を通常の海外市場に投入することが難しくなればなるほど、それだけいっそう需要を正しくつかみ一般論として自立した取引が必要になるという意味で変わっていかざるを得ないのである。コムメンダで委託を受けた者は一人の請負人として職務を行うのであり、その結果その働きに対する報酬はもはや雇い人のような固定した賃金の受け取りではなく、その事業全体の収益の一部を受け取ることになるのである。

10)コムメンダの標準となる史料は、先に引用したジェノヴァの公証人証書の1155年の例えば1.cのNo. 243に見られる:”Ego … profiteor me accepisse in societatem a te … lib[ras]50, quas debeo portare laboratum usque Alexandriam et de proficuo quod ibi Deus dederit debeo habere quartam et post reditum debeo mittere in tua potestate totam prescriptam societatem …”(私は…ソキエタスの関係において貴方から50リブラを受け取ったことを認め、私は自分の業務としてその商品をアレクサンドリアまで運搬しなければならない。その仕事の収益の中から神は私が1/4を受け取ることをお許しになるであろう。そして私が戻ってきた後は全てのあらかじめ決められたソキエタスの利益を貴方に渡さなければならない…)
コムメンダで委託を受けた者の通常の生計の費用は規則により委託をした側の負担となり、その他の業務遂行に必要な諸掛かりについては委託された側の負担となる。――コムメンダ契約の根底にある一方的な性質は文献史料においては領収書の形で現れ、そこからそれを読み取ることが出来る。

コムメンダのソキエタス的性格

 コムメンダにおけるソキエタス的要素は――コムメンダはその成立の最初からソキエタスと呼ばれたが――ソキエタスの形態での業務を次の限りにおいて内包している。つまり、事業におけるリスクの分担はここにおいても資金提供者が負い、それに対して航海と販売における諸掛かりは取り決められた範疇に従って(注10を参照)それぞれが一定割合を負担し、更には利益もそれぞれの持ち分に応じて分割されたのである。このソキエタスという制度の国際的な発展形態であるコムメンダは次のような形で登場する。つまり、利益の分割の仕方を決める尺度について、後に大部分がはっきりした法的規定となる任意法という形での商習慣が、委任を受けた者は純利益の内から1/4を配当として得るということを定める形である。

コムメンダの参加者の経済的位置付け

 この(コムメンダにより)業務を委託する側は、商品の生産者であるか、または後背地の商品を買い付ける仲買人かであり、一般的には輸出業者であることが多くその場合は商品を、あるいは輸入業者の場合は資金を委託するのであるが、ある場合にはこの両方を兼ねることもあり、その場合は輸出した商品を売却したその売上げを転用して別の商品を買い付けて輸入を行うのである。(ジェノヴァでは後者の場合を商売上の技法として”implicare”と呼んでいた。)

11)仲買人について:HPMのchart IIのNo.306(1156年)を参照:
”Nos M[archio dormitor] et A[lexander lngonis Naselli] profitemur nos accepisse a te W[ilielmo Ncuta] 8 pecias sagie et volgia que constant tibi lib[ras] 24. has debemus portare laboratum apud Palermum et inde quo voluerimus dum insimul erimus etc.”(我々Marchio dormitorとAlexander Ingonis Naselliは貴方Wilhelm Neutaから24リブラの価格で貴方に債務を負っている8巻きのsagieとvolgia《2つともおそらく当時の織物の種類か?欧州は元々毛織物が一般であったが、この時代に絹織物と木綿が伝わっている。ヴェーバー以外にも2、3の文献がここを引用しているが、この2つについてはそのまま引用しており訳されていない。》を受け取ったことを確認します。我々はそれをパレルモまで運搬する義務があります。そしてそこから先も我々は出来る限り一緒に行動したいと希望しています。等々)

12)前掲書(HPM)のNo. 337 (1156年): Ego … profiteor me accepisse a te … (folgen die Waren) unde debeo tibi bizantios 100 … et eos debeo portare ad tuum resicum apud Babiloniam et implicare in lecca et brazili … et adducere ad tuum resicum etc. (私は貴方から次の商品を受領した事とそれによって貴方に100ビサンチン{金貨}の債務があることを確認します。そして私はその商品をバビロニアにある貴方の作業場まで運搬し、そしてそこでleccaとbrazili《おそらく2つとも何かの染め物の技法ないし染料の種類か?》に染めるという義務を負っています。さらにその染めた布を貴方の作業場まで持っていき…等々)――Lepa《Rudolf Lepa、1851 – 1921、ローマ法学者》の見解(商法雑誌第26巻P.448)である、”accomodare”と”implicita”が前者は委任された者が事業収益に対して分け前を持つことにより、後者は対象物の価値の1%を受け取ることにより、それぞれ報酬の受け取り方が異なっているということは、Lepaがその証拠として挙げているCasaregis 《J. L. M. de Casaregis、1670 – 1737、イタリアの法学者で手形やその裏書き、保険や海上取引などの各種商行為を研究し後代の 商法の整備の基礎を作った。》の”Discursus de commercio”の29.9ではきちんと証明されていない。”Implicare”はジェノヴァの文献史料においてではなく、むしろもっと後代でLepaが説明しているような意味を持つようになった。それは当時の商慣習において、ごく普通に使われていた単語で、ドイツ語での”Anlegen”、”Investieren”(出資する、投資する)に相当する表現だったのであり、今日のイタリア語の”impiegare”(資金を用いる)に等しい。Thöl《Heinrich Thöl、1807 – 1884、ドイツの法学者でドイツ商法の整備に貢献した。》もこのCasaregisの引用の箇所について更なる根拠を示すこと無しに、Akkomendatar(コムメンダにおける委任する方)が、”Implizitar Provision”という利益配分を得ていたという見解を示している。既に述べたようにより以前の時代については、どこまで後代の概念が適用出来るかについては疑ってかからなければならない。

 この最後の2つの場合においては、コムメンダで委託される方を特別に独立した者と位置付けることが不可欠になる。そういった委託される方は、その取り扱う業務を自己の勘定では扱わないために、実質的には企業家とみなすことは出来ない。一方コムメンダで委託する方は、商品を販売する市場とは一様に弱い関係でつながっているだけであり 13)、それに対して委託される方が独立して主に業務を執り行う者として、委託する方と市場の間に自らを割り込ませるのである。原則的にまずは一人の委任者に一人の被委任者が対置される。被委任者がコムメンダで委託されたもの以外の商品をその市場に持ち込む場合には委任者側の特別な許可が必要な限りにおいて、後の時代になってコムメンダによる委託外の商品についての(被委任者側からの)申告を、形式的にではあるが文献史料の中で確認することが出来る。(参照:HPM chart II、346、424,655など多数)しかしながら複数のコムメンダ契約による商品の受け入れと、さらにそれに加えて自分自身の商品の持ち込み、また多数の自分自身の船と自分の家族を従業員として使った大規模な貿易事業は、しかしながらジェノヴァの文献史料が示しているように、もはや特別の事では無くなっているのである。このことはまずもって経済的な面では重要であるが、法的な概念の把握という意味では、多数の委任者が同一の被委任者を使い、危険と利益の分担のために組合を結成し、つまりソキエタスとしてのコムメンダが成立するという後代に観察出来る関係は、まだほとんど確認することが出来ないのである。

13)HPMのchart. IIのNo. 340は、コムメンダ関係を取り結ぶことは既に銀行の業務の一つになっていたことを示している。ヴェネツィアの銀行のコムメンダ契約法(1374年9月28日、1403年11月21日)を参照せよ。(Lattes《Elia Lattes、1843 – 1925、イタリアのローマ法、法制史・経済史の研究家でエトルリア語の専門家。》により、”La libertà delle banche a Venezia”の書名で出版されている。)

2.ソキエタス・マリス(海のソキエタス)

 あるもう一つのゲゼルシャフトの形態、つまり一般にソキエタス・マリス(海のソキエタス)と呼ばれるものがもたらしたのは、大きな変革であった。ソキエタス・マリスでは、資本家の視点から見た場合、まず第一に一方向的なコムメンダから、双方向での出資を伴うソキエタスへと移行を果たしたのである。

 この新しい関係を公証人の下で公正証書を作成するためのジェノヴァにおける一般的な様式は以下のようなものである: Chart.II 293 v.J. 1165: W[ilielmus Buronus] et I[do de Rica] professi fuerunt se ad invicem societatem contraxisse 200 librarum, in qua quidem duas partes W[ilielmum Buronum] et terciam I[donem] contulisse pariter confessi fuerunt. Hanc omnem societatem nominatus I[do] laboratum debet portare Bugiam et hinc ubi voluerit. In reditu utriusque capitali extracto proficuum debet per medium dividere etc. (HPMのChart. II 293 v.J. 1165: Wilielmus BuronusとIdo de Ricaは二人が200リブラの金額の相互的ソキエタスの契約を締結したことを認める。その契約の中でWilielmus Bonorusが全体の2/3を出資し、Ido de Ricaが1/3を出資していることも了解した。このソキエタス契約に基づいた全ての商品を、Idoはその業務としてブルギアまで、さらにそこからIdoが希望する場所まで運送しなければならない。Idoが戻ってきた場合には、それぞれ自分の出資金を差し引いた後で、利益は折半されなければならない、等々。)

 歴史を遡ってコムメンダの存在を証拠付ける限りにおいて、この形のソキエタスもまた証拠付けられるのである。しかしながら、ジルバーシュミットがこの形のソキエタスをより新しいものとみなしている事については賛成せざるを得ない。14)

 この場合においての、ソキエタスで委任される者の位置づけは、既に論じたようにより自立した存在にならなければならなかった。その行う業務が自分自身の勘定でも行われる限りにおいて、少なくとも共同企業人となったのである。

14) 文献史料を一読すれば、ソキエタス・マリスはコムメンダと比較してみた場合、そういう風に(コムメンダとは異なったやり方で)取り決めると意図されたことが疑わしく思え、ある種の特別協定の性格を帯びているということが分かる。ソキエタス・マリスの取り決めは、しばしば貿易に持ち込んだ商品の内、ほんの一部のみをカバーしている。(Chart. II 348など多数)Consolato del mare《アラゴンのペドロ3世(1239 – 1285)によって編纂された地中海の海事法の集成、現在のアラゴン語の元になった言語で書かれている。》では、ある一人の、自身の商品に同行してそれを運搬していくソキエタスの成員の存在が、コムメンダの被委任者と同様に有効と認められることが、こうした関係の特別な正当化のために不可欠であった。その理由はそうしたソキエタスの成員が提供するより金額の大きい保証金にあった:perçó com comendataris van per lo mon mults qui en tot ço que portan ne an alguna cosa. Encora mas si aquelles comandes no eran que hom los fa, irien à onta. Encora mas si aquelles comandes se perden, ells no y en res, perço car à ells no costarà res del lur ne y perden res … è en axi lo senyor de la nau ò leny no pot ne deu esser de pijor condició que un altre comendatari.“《以上はアラゴン語の元になった言語で書かれており、日本語訳はLutz Kaelberの英訳に載っているStanley S. Jadosの”Consulate of the Sea and Related Documents”の英訳を元にしている。》(何故ならば、船の命令を承諾する者の多くは、船上において彼ら自身の個人的な貨物を所持しておらず、ただ船から許可されて持ち込んだ物のみを、世界中をその船で旅する間所持する。さらには彼らが船に対する命令権を委託されていない場合には、その存在は無に等しい。もう一つ付け加えれば、海上で貨物が紛失した場合でも彼らはその貨物に対して何らの所有権も持っていないため、失う物は何も無い。…それ故に船の所有者が、船上の他の者よりも有利に扱われるということは公平ではない。)《訳者の推定であるが、ここをもう少し意訳すると、「何故ならばコムメンダで委託された者の多くは、船上で彼ら自身が出資した商品を保持しておらず、ただ一部の被委託者が自分で買い入れた商品を少しだけ許可を得て持ち込んでおり、それを世界中をその船で旅する間所持する。さらには彼ら自身が船主ではない場合にはその存在は無に等しい。もう一つ付け加えれば、海上で貨物が損害を受けた場合でも、多くの場合それは被委託者の所有物ではないため、彼らにとっての損害は存在しない。…それ故に(被委託者が船主であっても)船主が他の船上の者より有利に扱われることは公平ではない。」》

ソキエタス・マリスの法的性格

 このソキエタス・マリスという形態の、コムメンダと対比させた上での特徴は、何よりもまず本質的には危険の共有ということである。――そして例えば利益の分割の仕方のような事ではない。コムメンダにおいては、委任される者は出資0に対して利益の1/4を得る。それに対してソキエタス・マリスでは、慣習的に 15) 総資本の内の1/3の出資に対し、残りの2/3は委任する側が出資するのであるが、その委任される者の1/3の出資の利益の1/2、つまり1/6(1/2 x 1/3)だけ出資分の配当として多くもらうのである。これは委任する側から見れば、出資分の割合である利益の2/3の内の1/4だけ(2/3 x 1/4 = 1/6)が委任される者に取られるということである。海上取引にかかった費用の分担についても、コムメンダと異なる所はまったく無かった 16)。そういった利益やコストの分担の仕方の違いではなく、ただ危険の共有のみが2つの制度の違いを生じさせているのである。旅する方のソキエタスの成員(ピサでの呼び方ではtractator{トラクタートル})の商品は、ソキウス・スタンス(socius stans、ピサでただ出資だけの成員をこう呼んだ)の商品と一緒にされて船に積み込まれ、もしある一方の商品が海上で損害(海損)を被った場合、その損害は両方に共通の損害、つまりソキエタスの財産の減少として扱われるのである。《今日の海上損害保険における「共同海損」の原理》

15) Chart. II 428: A.は200、 Bは100とその労働力を提供する。利益は1/2ずつに分けられ次のような注釈が付記されている:”cum ista societas nominatur”(このことがソキエタスと呼ばれているために)。双方から持ち込まれた商品の量の比率が2/3対1/3で無い場合は、このソキエタス・マリスではその比率の部分だけがソキエタスとして成立しているものと見なされ、残った部分はコムメンダと見なされ別扱いの勘定となった(Chart. II 348など多数)。 

16) 大半が自明の前提とされ、時折言及されている:Chart. II 340. を参照。

 商品を販売したことから得られた利益は、その商品を用意した者の利益ではなく、一種の共有財産となるのである。――ソキエタスの財産についてはもはやソキウス・スタンスの特別勘定でもなく、またトラクタートルのでもなく、ソキエタス財としてある勘定を、――ソキエタスの資本勘定とここでは名付けるが――成立させるのであり、この勘定に対して貸方に記入したり(出金したり)、借方に記入したり(入金したり)するのである。(まだ商業簿記的にではなかったが、会計上ではこの時代において既に簿記とみなすべき先例が見出されるのである。)こういった共通勘定について、どのような支出を行いあるいは収入を得るかという、特にこの勘定の利益になることについて(”venire in societatem”{ソキエタスの中に入れる}、HPMのChart. II。380、457、487、604、619、729、734,910など多数を参照)、多種多様の取り決めを証拠付ける文献史料が残されている。多くのそういった勘定は、お互いに様々に異なった精算関係を持つことが可能になる。

 このようなソキエタス・マリスの発展においては、それが新しい制度だといってもコムメンダとの根本的な違いは共通の基金の形成という点を無視すれば、おそらくはっきりと認識されることはなかった。――しかしながら何らかの形で重要な相違が存在しているということは、(共通基金の形成という明確な区別が存在する故に)ラスティヒによっても否定はされていなかった。まさに通常の場合コムメンダを特徴付ける要素、つまり危険が委任する者だけによって負担されるとういうやり方は、ソキエタス・マリスにおいては変更が加えられているのである。ソキエタス・マリスが通常のコムメンダである度合いが薄いほど、新たな現象として危険が委託を受ける側でも負担される場合において、法的に見ればより一層次のことが重要になる。つまり、ソキエタス・マリスにおいては最初から最後まで、もはやある一人のソキエタスの成員が自分の勘定で海上取引という業務を執り行ない、そのことによりその者が業務の責任者となり、トラクタートル(委任を受ける者)にはただその労働力を提供させるというのではなくなり、――ソキエタス・マリスにおいては参加する委任者と被委任者の双方が相手の出資に対する危険をも分担するのである。

17) Chart. II 576を参照(陸上コムメンダの場合、後記。)

経済的な意味

 経済的な意味においても二つの制度の違いは顕著である。既にコムメンダ、特に資金委託の形のコムメンダの場合において、委託を受ける者が委託する者と販売市場の間に入る存在となっていく傾向があったが、ソキエタス・マリスにおいては更に、トラクタートル自身が自己資本を海上取引に投入しており、それもとりわけ多くのソキウス・スタンスが一人のトラクタートルと投資において関係を結ぶ場合において、コムメンダとの違いは明白であった。トラクタートルの活動が次第に困難さを増していく市場との関係において重要性が増せば増すほど、それだけ経済的には一層トラクタートルが企業家として、逆にソキウス・スタンスは単なる参加者に見えてくるというのが必然の成り行きだった。その場合にはソキウス・スタンスはもはや外部の労働力を自分の事業に組み入れる者ではなくなり、自分の海上取引における役割が単なる投資家に留まることを認めるようになる。後者の自己認識は紛れもなく、トラクタートルと取り結んだ種々の契約をソキエタス・マリスへの投資、つまり特別な形に統合された信託投資とかあるいはそれに似た短期利益を目的とした投資としてみなす、となっていくのである。18)いまやソキエタス・マリスが経済的にはこのような新しい意味を持つことが可能になるか、あるいは事実上しばしばなったにも関わらず、ソキエタス・マリスはその法的な構成という意味では、新しい影響をまったく及ぼさなかった。二つの制度の間に法的な差異は存在せず、経済的に旅するソキエタスの成員(トラクタートル)の労働またはソキウス・スタンスの資本を別の他の団体の業務であるかのようにみなすことになる。この最後のケースにおいては、ソキウス・スタンスの位置付けを自分の資本を外部の者による業務による利益または損失に関連付ける者とみなすことや、またその関係を経済的に「参加」と描写することを誰ももはや正当とは思わないであろう。――そこからソキエタス・マリスの曖昧さをしばしば批判し、その曖昧さがコムメンダ関係というものをそれに「参加する」者と捉えることに起因するというラスティヒのソキエタス・マリスの把握の仕方には反駁せざるを得ない。コムメンダについてはまさに参加という形で機能しているとも言えるのである。19)

18) Constit[utum] legis Pisanae civitatis (Francesco Bonaini《1806 – 1874、イタリアの文献・古文書学者》編の、Statuti inediti della città di Pisa 《https://archive.org/details/statutiineditid00tusgoog/page/n9》 Vol. II) c. 21. Stat[uten] v. Pera c. 108.を参照。これをジェノヴァ市民の誓約ゲノッセンシャフト(コミューン)であるCompagna communis《11世紀の終わりにジェノヴァの市民によって結成された自治組織で後の共和国のベースとなった。》のソキエタスにおいて誰にも帰属しないお金を受け取ることについての誓約と比較せよ。(Breve della comagna v.1157)

19) ラスティヒはむしろコムメンダ関係を「一方向的な労働ゲゼルシャフト」として、彼が”participatio”(参加する)と名付ける「一方向的資本ゲゼルシャフト」とははっきりと区別しようとしている。ただ委任者と被委任者の関係において存在する要素のみが、ソキエタス・マリスにおいても経済的には問題であり、それについての解答は誰が海上取引業務の「主人」であり、つまり企業家であるとみなすことが出来るかということであり、――それは可能性として二者の内のどちらでもないことがあり得、それは結局二者のどちらもが等しくそうであると言うことになる。ラスティヒはEndemann《Samuel Wilhelm Endemann、1825 – 1899、ドイツの法学者・ドイツ帝国議会議員》の”societas pecunia-opera”《”in qua alter imposuit pecuniam, alter operam”、つまりソキエタスの一方の成員はお金だけを出し、他方の成員は労働だけを提供するもの。》等の理論(Endemannの„Studien in der romanistisch-kanonistischen Wirtschafts- und Rechtslehre.“《第1巻:1874年、第2巻:1883》の中の)に対して、経済的な見地を法的な観察に混ぜ込ませているとして、効果的かつ正当に反駁しているが、しかしラスティヒ自身もまた彼が作成した(法的な)カテゴリーの中に経済的なものも混ぜてしまっているのである。(ラスティヒの言う)「参加」も、法的にはとりわけ多種多様な形態を取りうるのであり、ソキエタス・マリスを対象にしない技術的・法的な意味付けが、私の知る限りの出版されている文献史料には見出すことが出来ないのである。ラスティヒ自身も曖昧さを後に認めているが、我々は後でピサにおいて特に次のことを観察するであろう。つまりソキエタス・マリスがそれが最初に花開いた時期から既にコムメンダと異なっていたこと、そしてまた参加というモードで見た場合にも機能しており、そこ(ピサ)においてこれらの原因によって特別な、他のものには欠けている法的な定義をすることが出来るということである。「参加」はそれ自身が本来法学的ではなく経済的な概念である。

3.コムメンダ関係の地理的領域

 ここにおいては、膨大な文献史料に基づいてコムメンダとソキエタス・マリスの発展の経過を個々の地域共同体(都市共同体、コミューン)において追っていくことはしない。ピサについては、第4章で特別に取り扱うこととする。というのはピサの法律は我々の研究目的に対して非常に興味深いものであるからである。――個々の国々におけるコムメンダ関係に関する文献史料についての概説は、それが我々の関心に適合する場合において、かつまたこの制度の地域的ではなく国際的な意味を俯瞰するという目的においてのみここで扱うこととする。
実際の所、コムメンダ関係は地中海周辺のあちらこちらで見出すことが出来る。

スペイン

 スペインにおいてはコムメンダ関係の法的な発展は、既に引用した西ゴート法典の引用箇所や Fuero Iuzgo《Fuero Juzgoとも表記。スペインのカスティーリャ王国で1241年にフェルディナント3世により制定された法律で、内容的には654年の西ゴート法典のスペイン語への翻訳が主で他にローマ法や教会法の影響も受けている。》において確立するが、しかしながらそこで規定されているコムメンダ関係は独自性が弱く、まずは外国人が従事している商取引 20) に適用されるものだった。本質においてジェノヴァの法律がそのままコピーされており、コムメンダや海上取引法に関心の力点は置かれておらず――それはConsolato del mareでも同じであるが――海上船舶の運航に関する法規、つまり船主と乗組員他との関係に重点が置かれている。急速に浸透したローマ法においてはそれから、既に13世紀においてそれぞれの国での法的な発展の内容をほとんど変更せず 21) そのまま吸収した。ただバルセロナ 22) においてのみ、この制度の(現地の法での)規定が生き残っていた。Siete Patridas(7つの章、の意)《スペインのカスティーリャ王国で賢王(El Sabio)と呼ばれたアルフォンソ10世(在位:1252 – 1284)によって編纂された法規集。同王は他に音楽史において「聖母マリアのカンティーガ集」の編纂でも有名。》では、やはりローマ法の規定のみしか見出せない。

20) アグラムント(カタルーニャ州の地名)の議会による1118年の Fuero de Guadalajara 《アルフォンソ7世が12世紀に定めたグアダラハーラの地方法》では、商人をただ外国人としてのみ扱っており、Consolato del mare c. 172.175はジェノヴァ法の内容を含んでいる。バルセロナにおいては、1258年の規定において完全にジェノヴァの法規定の内容を取り込んでいる。Leyes de Recopilacion《1772年のスペインの法規集成》1. VII t.X1. 3では、外国人による船舶の航行業務についての規制が有り、そういう外国人に対しては特別に大規模な貿易取引の場合にのみ(コムメンダ関係を)許可しているように見える。

21) 1258年の Costums de Valencia《バレンシアで13世紀に制定された通常の法と同様の効力を持つ慣習法の集成。》では、コムメンダの被委任者について取り決められている。マヨルカ島では1433年の法規の中では純粋なローマ法が支配的である。トルトーサにおける慣習法の集成ではエンコミエンダ (1. IX r. 23) 《8世紀から15世紀までのスペインにおけるレコンキスタというキリスト教地域復活運動の中で、征服した地域の住民の労働が功績を挙げたものに委託される制度》において修正が加えられている。

22) コムメンダ等についての法規が見出せるのは、以下の文献においての1271、1283、1304、1343年の部分においてである。Jean-Marie Pardessus《1772 – 1853、フランスの法学者。商法・海事法の専門家。》の”Collection des lois maritime”、Don Antonio de Capmany《1742 – 1813、スペイン(カタルーニャ)の政治家、歴史家、ローマ法学者、辞書編纂者。》の”Memorias historicas sobre la marina, comercio y artes de la antigua ciudad de Barcelona”(マドリッド、1779年)。

シチリア島、サルディーニャ島

 シチリア島とサルディーニャ島の諸都市においては、文献史料を見た限りにおいては、独立した大規模取引の欠如により、コムメンダの制度は発達しなかった。23)

トラーニ、アンコーナ

 トラーニ法典においては 24)、独立したコムメンダの被委託人は、まだ海上取引の商品に付き添う商人の通常の代理人の代用品としてのみ言及されている。

アマルフィ

 アマルフィにおいては、Kolonna(colonna) 25) 《colonnaについては栗田和彦著『アマルフィ海法研究試論』(関西大学出版部、2003)で詳しく研究されています。ここに情報あり。》という制度において、コムメンダにおいて発展した船に商品を積み込んで海上取引を行う場合の危険の分散と利益の分割という考え方が適用されている。しかし、それはただ小規模で原始的な沿海貿易で相対的に小規模な資本が投下される場合に使われただけである。独自の、大規模な海上取引に付属するコムメンダのような制度はそこでは独立したものとしては発展しなかったように見える。26)

 これまで述べて来た全ての地中海沿岸の領域においては、バルセロナの例外を除いては、独自の継続的な大規模海上取引が存在せず、それ故にコムメンダという制度も、またその特徴的な根本原理も、存在自体は知られていたが、イタリアの大沿岸都市においてそうであったように、独自な形で、また決疑論《あらかじめ存在する理論的なカテゴリーやモデル(後のヴェーバーの用語法では理念型{Idealtypus})に個々の事例(ラテン語でcasus、ケース)がどのように当てはめられるのかあるいはられないのかを検討する学問の技法。例えば法教義学において、個々の事件にどのような法律概念を適用出来るか検討する(例:殺人だが正当防衛なので無罪)ようなこと。》的に完全な形にまで、発展することはなかった。

23) パレルモ法典《詳細不明》の第76章からは、大規模な海上取引はただ外国人の手に委ねられていたことが結論付けられる。サルディーニャ島のサッサリ(の法典)では、外国人が内国人に委託するその時々のコムメンダについての言及が見出される。スペインと南イタリアとイタリアの島々においての全体での貧弱な文献収集からは、コムメンダという制度は知られていたが、同時にそれの独自の発展はそれらの地域では見出すことが出来ない。

24) Pardessusによればトラーニ法典の成立年代は1063年であるが、周知の通り、この成立年代に関しては疑義が投げかけられている。1397年のアンコーナ法典《詳細不明》はその内容をトラーニ法典に負っている。

25) ラーバントの商法雑誌第7巻に収録された”Tavola de Amalfa”(正しくは”Tabula Amalfitana”、全集版の注による。)とジルバーシュミットの”Commenda in ihrer frühesten Entwicklung”(コムメンダの最初期の発展について)を比較参照せよ。

26) 1274年の” Consuetudines civitatis Amalphiae”(アマルフィ市民慣習法)(Luigi Volpicella《詳細不明》の編集による)の第14章によれば、societas vascelli(= Colonna)に並置してソキエタス・マリスを記載している。しかしその本質的な原理の説明が欠けており、特に利益が出資分に応じて(pro rata)分けられたかということは疑わしい。ソキエタス・マリスがこの地へは外から持ち込まれたのであり、独自に発達したのではないと言うことは、事業の危険を資本家が負うという必須とみなされた特別な前提条件の記述を見ても明らかである。

ピサ

 ピサについては別途《第4章にて》考察を行う。

ヴェネツィア

 ヴェネツィアではジルバーシュミットが指摘するように10世紀において既に、collegantia という形で、入手出来る文献史料が明白に証拠立てているように、コムメンダとソキエタス・マリスの根本原理を発展させている。collegantiaの担い手が本来の企業家であるということは、コムメンダやソキエタス・マリスと同様に確からしく、それは営利目的の資本投下の一つの形態を作り出している。

27) 1081年の調停の文献史料(Archivio Veneto《1871年創刊のイタリアの史学雑誌》第6巻、P.318)を参照。そこでは、rogadia、transmissum、commendacio、collegantiaといった用語が使われている。transmissumはおそらく輸送に関する業務で船主のコムメンダに関わるものであろう。commendacioはここ以外でも多く使用されているが、供託物(Depositum)の意味であろう。colleganitaはソキエタス・マリスであり、しかしジルバーシュミットの言うようにrogadiaが一方的なコムメンダであるかどうかは疑わしい。ヴェネツィア法典の1. III c. 3では、collegantia はソキエタス・マリスの形態を内包しており、単なる一方向的なコムメンダとは違い、トラクタートルもまた資本参加するのである。rogadiaについて可能性が高いのは、固定報酬によって委任を引き受けるということであり、コムメンダの前段階と言えるだろう。roga communis《共同事業についてのコミッション、Kaelberの英訳による》という表現がヴェネツィア法典(Promissiones maleficiiの第22章。《→全集版の注によれば、1232年のPardessusのCollection Vの第22章にある、Statut criminel de Veniceが正しく、Promissiones maleficii{虚偽の約束}という箇所は実際には存在しない。》)の中に見出されるが、なるほどそこでは communis rogam《共同事業についてのコミッション》または communis marinarium《海上取引についてのコミッション》を請け負ったものは、契約違反を犯した場合には、poena dupli(二重の罰)が課せられるという脅し文句が記載されている。Pardessusの”Collection des lois maritimes antérieures au dix-huitième siècle”(1824 – 1845、全6巻)の第5巻のP.19では communis roga を”arrhes payées au nom de la ville pour engagement sur le navire de l’état”(都市国家の名前において、都市国家の船についての契約に対して支払われた手付金)と説明している。この用語と船の航行との関連も、引用したヴェネツィア法の箇所から見て明白である。さらにヴェネツィア法の1. III c. 2を見れば(基礎的な記載追加は既に13世紀初頭に見出される)、rogadia の目的が商品の販売とされていることも明らかである。同法の1.1 c.48の箇所からは何も判断出来ない。従ってそこでの船の航行との関係も明らかではない。

28) Archivio Veneto XX《詳細不明》のP.75の1150年の例とP.76の1191年の例、さらにはP.325を参照。1403年の銀行法のv. 21. XI. によれば、collegantia はまた銀行による資本投下の手段としても使われている。

ジェノヴァ

 ジェノヴァにおいて、コムメンダやソキエタス・マリスを見出すことができる法規や文献史料の中で、それらに南仏の諸法規が依拠しているのであるが 29)、二つの制度が当然のものとして定義されていることについては、何の疑問も差し挟む余地も無く同意出来る。ジェノヴァの契約書の書式は、地中海沿岸の全ての国で、十字軍の時代 30) においてオリエントでの大規模な国際的商取引の中で、一字一句変更無しにそのまま用いられた。ジェノヴァそれ自身においても、コムメンダとソキエタス・マリスの書式は明白に海外との取引についての都市国家により定められた法書式であった。Compagna communis《1097年頃に結成された誓約共同体、自治組織であり、ジェノヴァ共和国の原型となったもの。》のメンバーでない者は、この書式を使用することが出来なかった。文献史料ではこの都市の最初の名門の家門であるドーリア(Auria)家、スピノラ家他が非常にしばしばコムメンダの委任者として登場する。同じく非常に頻繁に同じコムメンダの委任者が同時に非常に多くの異なった商品についてのソキエタス関係を結んでいる。

29) ニース(Hist. Pat. Mon. Leg. Munic.T. 1)、マルセイユ(1253年)、モンペリエ(ParadessusのCollectionに収録)。

30) アルメニアのアイアスにおけるNikolaus DensとAntoniusu de Quartoの公正証書、及びArchivcs de l’Orient latin vol. 1.1. に収められた13世紀のキプロスのファマグスタにおける Lambertus de Sambuseto の公正証書を参照。地中海沿岸の全ての国が登場する。これらの文献史料はほとんど一字一句ジェノヴァの公証人であるGiovannni Scribaの書式を借りている。オリエントでの独自の表現は、ソキエタス・マリス相当語としてiatenum、von tchaten、zusammenlegen = collegantiaなどが存在する。

 これらの法規における様々な規定は、法的関心の範囲内で、ジルバーシュミットにより詳細に分析されている。それ故に、本論文ではそれらを再度細かく蒸し返すことは行わない。本質においてそれらの規定は任意法規《当事者の意思によって適用を免れることができる法規》を含んでおり、ソキエタスの成員同士の関係を規制している。しかしここでもまたそれらの規定の完全な姿は存在していない。それらの規定は、全てのイタリアの諸法規と同様に、――何が解釈において重要であるかという意味で――本質的に個々の細かい点を扱っているのであり、それらは実地においては疑義をもたらしたり、困難を引き起こすこともあったのである。そういった不完全さは、特に「一方的な労働ゲゼルシャフト」と「一方的な資本ゲゼルシャフト」(ラスティヒが定義した意味で)の間での経済上の意味の揺れのために、しばしば疑念を引き起こす次のような問題を生じさせる。つまり、委任された側は航海中にどの程度まで委任した側あるいはsocius stansの指示に従う必要があったのかということと、また委任された側が自らはリスクを負うこと無しに、どの程度まで予定の航路から外れることを決定する権利があったのかということ、さらには当然の懸念事項として、トラクタートルが外国で死亡した場合にその後継者をどうするか、等々の問題である。

 トラクタートルの非独立性は基本原則であり、その反対に独立性を認める場合には多くは特別事項として追加条項の中で処理され、トラクタートルが貿易のためにどこに赴くとしても(quocunque iverit)、そのトラクトールはソキエタス関係をそのまま維持するとされた。

 ジェノヴァの法規における規定はこれらの制度に関してはほとんど変更されることはなかった。1567年の改定においてでさえ、特記すべき変更点は無かった。ようやく1588/89年版の法規において重要な変更が加えられている。これについては後述する。 31)  当時コムメンダとソキエタス・マリスはその古い形態では商取引においてそれまで長い間保持していた重要な意義をもはや保持してなかった。商取引自体が別の方向に進み始めていたし、地中海における海上取引はもはや全世界においては上位に位置するものではなくなっていたし、その古い形態は他の形態に席を譲らざるを得なかった。もちろん他の形態といっても部分的には古い形態をベースにしていたのであるが。16世紀の判例集―― Decisiones Rotae Genuensis、Rotae Lucensis、Rotae Florentinae、Rotae Romanae – においては、コムメンダとソキエタス・マリスに関する箇所では、その古い形態についてはもはや言及されていない。

31) 最終章(第7章)参照。

4. 海上取引に関係するソキエタスの財産法上の扱い

 それではここまで歴史的及び地理的に追跡して来た《コムメンダとソキエタス・マリスという》制度が、この論考で取り扱っている問題《ローマ法のソキエタスが歴史的にどのように合名会社へと発展していくか》に対してどのような意味を持つのであろうか?

 我々がこれまでに見て来たように、これらのソキエタスのある一定のやり方の資本投下は最初からその本質的な要素であったし、その資本投下がさらにはその名称としても「ソキエタス」として表現され、あたかもそれがソキエタスの本来の代表例であったかのように扱われていたのである。それではこれらの資本投下の結果としての基金は、ソキエタスの成員の他の財産に対し、また対外的にどのような地位を占めるのであろうか?

ソキエタスの基金

ソキエタスに投下された資本は、まず何より単純に法的な客体(オブジェクト)の複合体である基金であり、その複合体すなわちソキエタスの基金は精算の目的で次のような特別の計算を必要とする。つまり、何が利益としてこの基金に組み入れられるか、そして何が損失としてこの基金から差し引かれるのかということである。というのは、複合体すなわちソキエタスの基金はリスクと特別な計算による利益の分割に関して、その土台を提供しているのである。そのためその複合体すなわちソキエタスの基金は、トラクタートルによって持ち込まれた商品や資本とは区別されなければならず、複合体=基金はある特別の勘定を形作る。そして今日の簿記が複数の勘定がそれぞれ法的な主体であり、それぞれがお互いに債権と債務を持ち合っているという具体的なイメージを用いているように、ジェノヴァの文献史料においてもまた、そこでのソキエタスで何がその収入となり、何が支払うべきものになるのかという点において、あたかもある種の法的な主体であるかのように取り扱われているのである。しかしながらそういった基金はそのことによってまた、ソキエタスの成員同士の関係においてのみ、ある種の特別財産の地位を獲得したのであろうか?今日の簿記上の勘定がそうであるような、同時に第三者に対しても特別財産の地位を獲得することがまだ起きていないのは確からしいことである。コムメンダとソキエタス・マリスという二つの関係は、それら自体が完全なものであり、ローマ法による根拠付けによって成立が可能になっているであるが、これらに関する文献史料は我々がローマ法のソキエタスとして知っているものをまさにその記述の中で思い起こさせるのである 32)。ソキエタスの成員同士の関係の全体像は、ソキエタスの成員同士の間での相互債権として法的に説明することが完全に可能である。

32)上記にて引用した(イタリア中世都市での)文献史料の記述を、以下のローマ法におけるソキエタスの文献史料、つまりルーマニアのトランシルヴァニア《ドイツ語でSiebenbürger》の歴史博物館収蔵の《ヴェーバーがこの論考を書いていた時、既に当該史料はベルリンの博物館に移送されている。今日でも同じ。》紀元167年のトリプチカ《木板の表面に蝋を塗って先の尖った鉄筆類で文字を書けるようにしたのが蝋板本だが、トリプチカはその板を3つ重ねてつなぎ合わせたもの。しかしここで言及されているラテン語金石碑文大成の950は2枚しか無い。》(Corpus Inscriptionum Latinarum《ラテン語金石碑文大成。CILと略記する。1847年にテオドール・モムゼンが主宰した解読のための委員会が発足し、2020年1月現在全17巻が刊行され、18万種類にも及ぶラテン語の金石碑文の解読結果が収録されている。》の、Voluminis Tertii Pars Posteriorの950。「Dociusの蝋板本」)と比較せよ。:
Inter Cassium Frontinum et Julium / Alexandrum societas dani(st)ariae (= 銀行業務) ex/X kal. Januarias q[uae] p[roximae] f[uerunt] Pudente e(t) Polione cos. in prid(i)e idus Apriles proximas venturas ita conve/n(i)t, ut quidq(ui)d in ea societati arre/natum fuerit lucrum damnumve acciderit/ aequis portionibus s(uscip)ere debebunt./ In qua societate intuli(t Juli)us Alexander nume/ratos sive in fructo X (qu)ingentos, et Secundus Cassi Palumbi servus a(ctor) intulit X ducentos/sexaginta septem ‘pr … tiu … ssum Alburno … d(ebe)bit)./ In qua societ(ate) siquis d(olo ma)lo fraudem fec(isse de/)prehensus fue(rit) in a(sse) uno X unum …/(denarium) unum X XX … alio inferre deb(ebit)/et tempore perac(t)o de(ducto) aere alieno sive/ summam s(upra) s(criptam) s(ibi recipere sive), si quod superfucrit,/dividere d(ebebunt) pp.
(Cassius Frontinus《英訳はFrontiusとしているが誤りと思われる。》とJulius Alexanderの間で、銀行取引に関するソキエタスの契約を締結した。その有効日は紀元165年の1月1日の10日前《紀元164年の12月23日。kal.(月の初日)の何日前、という時は実際の日数差に2日を足す。》から翌年の4月13日の1日前《紀元166年4月12日。ローマでは月中の日はいくつかの起点の日の何日前という風に表現された。》までであり、L. Arrius PudensとL. Fufidius Pollioが執政官(コンスル)であった年である。《ローマの執政官は任期は1月1日から1年間であり、ある年を言う場合は誰それが執政官であった年、と表現される。》その契約の中で次のことを合意した。すなわち、そのソキエタスにおいて、「相互が供託した資金において」《arrenatumという語のBrunsの解釈による》どちらのソキエタスの成員も、将来における利益または損害に対しては、その持ち分に応じて分担する義務を負う。そのソキエタスにおいて、Julius Alexanderは500デナリウスを現金で、かつ利益を得ることを目的として(?)支払い、Cassius Palmbusの代理人である奴隷のSecundusは《ローマでは奴隷が主人に代わって利殖を行うのが通常だった。》前もって267デナリウスを支払い、Alburoはそれについて債務を負うことになる。このソキエタスにおいて、その成員の誰かがソキエタスの資産について虚偽の手段を用いて詐欺を行ったことが明らかになった場合は、罰金として(だまし取ったお金)1デナリウスに対して20《ヴェーバーのテキストではXXの上に横線があり、これは1000倍を意味するので20,000になるが、数字が大きすぎるし、インターネット上で確認出来るこの部分の原典では横線は付いていない。Kaelberの英訳ではその左の解読出来ない文字も含めて30としている。》デナリウスをソキエタスの他の成員に支払わなければならない。そしてソキエタスの契約が終了した時には、負債を差し引いた上で、元々のそれぞれの拠出額を回復させなければならない。そしてもし剰余金が存在する場合は、それは成員間で分けられなければならない。)
”arrenatum”という単語は文法的に意味がはっきりしない。モムゼンは、Georgius Bruns《詳細不明だが、おそらくこの950についての注釈を作成した学者。》の”Fontes iuris romani antiqui in usum prae lectionem”の第5版のp.269に準拠し、ここの意味を”sub arrha mutuo datum”(誓約された相互の供託金?)としている。《この部分については全集版の注90を参照。モムゼンがBrunsの脚注を見落として間違った解釈をし、ヴェーバーがそれをそのまま引用した可能性が指摘されている。》より蓋然性の高い仮説としては、卑俗的表現である”ad-re-nasci”(そこに向かって生まれ出でる)という、ある資本投下の結果として生じてくる(”hinzu-er-wächst”)利益または損失の全てを表現しているとも考えられる。この考え方はコムメンダにおける通常の考え方にも適合するであろう。特徴的なのは――これについては後で《第4章》ピサでの金銭価値の見積り(aestimatio)についての議論の所で述べることになるが――更に現金以外の形でソキエタスに持ち込まれた有価物の価額評価がまた、中世の、特にピサにおけるソキエタス・マリスの本質的な目印であるということである。入手しうる文献史料は全て、海上取引に関する諸ソキエタスが、ローマ法の中の市民法によって根拠付けられていることの、蓋然性の証明の役目をここでも果たしているのである。

固有財産形成への萌芽

 ジェノヴァの法についてのこれらの原理的な立脚点は、しかしながらまだ完全に確立されたものとは言えなかった。そこには後代での大きな発展の始まりとなるような萌芽のみが見出される。そういった発展の始まりは特に次の事において見出される。つまり法の規定がソキウス・スタンスに対して、ソキエタスの所有物について、即ちソキエタスの中に持ち込まれ、ソキエタスの資金によって購われた物についての、――そういう言い方が出来るとするならば――「返済からの分離」(別除)への権利(別除権《破産の際に優先的に弁済を受ける権利》)を付与する場合である 33)。

33)同じ内容の規定がジェノヴァの法規の様々な版の中に見出される:
Pietro Datta《Regia deputatione di storia patria(1833年に設立された王立のイタリアの歴史史料の蒐集・編纂を行う団体)のメンバー》の”Frammento Di Breve Genovese”《1858年》IVの de pccunia ad statutum terminum accepta(法規によって決められた期日に受領した金銭について), 及びペラの法規 I. V c. 211:
… der socius hat den Vorzug, „et praesumatur… pecuniam vel rem illam quae inventa fuerit in ejus (scil, des reisenden socius) mobili a tempore quo pecuniam illam acceperit … processisse vel comparata esse de pccunia illa vel societate aut accomendacione accepta “
(ソキエタスは資産を保有する。「そしてあらかじめ次のことが想定されている。…旅するソキエタスの成員(トラクタートル)が、その(貿易の)旅の途上にて受け取ることになるお金や物品は、その成員が(ソキウス・スタンスの)出資金を受け取った時以降…ソキエタスからかあるいはコムメンダ関係による出資金に起因して、発生したかあるいは獲得された(とみなされる)。」)
故に次のような基本原則が確立する。金額は物の(販売された)場所によって決定される、逆もまた同様。Statuta et Decreta Communis Genuae、1567年 I. IV c.43. にも同じ規定が存在する。
このことは花嫁の持参金についての”utilis rei vindicatio”(所有権に関する返還請求権)を想起させる。この持参金というものも、女性の財産に至る法的な発展が途中で止まってしまっている制度である。《花嫁の持参金はローマでは通常の慣習だった。》

そういったソキウス・スタンスへの別除権の付与によって、事実上ソキウス・スタンスの出資金に属していたり、その資金に対する収入であったり、あるいはその出資金によって購われた財産のある部分については、旅する側のソキエタスの成員(トラクタートル)の個人的債権者の(トラクタートルの)破産の際の差し押さえから免除されることになり、トラクタートルの(ソキエタスの)全体の利益の中での分け前のみが、破産の際には破産財団に組み入れられる。他方では、ソキウス・スタンスの個人への債権者は資金提供型のコムメンダにおいてはどのような場合であっても直接的にはソキエタスの基金に手を付けることが出来ないということであり、それは当然の帰結として、個人への債権者はトラクタートルからソキウス・スタンスの出資分と利益(の分け前)を返してもらうよう要求出来るだけである。それ故に、ソキエタスの基金については、どのような場合であっても特別の取り決めがなされる必要があった。

ソキエタスの責務

 しかしながら旅するソキエタスの成員(トラクタートル)がその業務の執行において、債務を負ったり、債権を得る場合はどう扱われるのであろうか?

 ”nomina”《物に対比される債権》は諸規定での明確な記述によれば、ソキエタスの成員(ソキウス・スタンス)の優先権と別除権に関係づけられた客体に付随している。ペラ《イタリアの都市名》の法規定によれば、ソキウス・スタンスはそれらの客体を、あたかも自分自身の所有物であるかのように 34)、直接的に訴求することが出来る

 ソキエタスの業務の執行の中で契約された債務については、それ自身が当然のこととして――そこには何らの疑いもないが――単純にトラクタートルの債務である。文献史料を見ても、ソキウス・スタンスがまたその債務によって拘束されるということについては、どこにもそのように読み取れる箇所は無い。しかしながら、もしかしたらソキエタスの勘定についてトラクタートルに信用を供与している債権者は、ソキエタスの基金に何らかの関係を持つのであろうか?それについても文献史料の中には何らの明示的な規定も見出せない。ともかくここで注意しておくべきおことは、ソキエタスの成員の破産の際のソキエタスの仮想的な所有物に対する無条件の優先権を定めている規定を収録している法規は、同時にそれに対する制限も明示的に付け加えていることである:
”nisi sit res illa, de qua venditor nondum sit pretium consecutus”(もしまだ売りに出されておらず従って価格未定の物件が存在しない場合においては)(ペラの法規定、前述、C.211、1567年のC43)。また14世紀のアルベンガ《イタリア共和国リグーリア州サヴォーナ県の都市》の法規もジェノヴァの法規の影響を受けて、特別に明瞭に、破産の場合に売主に対し”rei vindicatio utilis”(自分の所有物に対する返還請求権)を定めている。

 トラクタートルは本質においてソキエタスのために購買や販売という業務を執り行うため、ソキエタスに対する主要な債権者は、ソキエタスの成員よりも強い優先権によって、ソキエタスの成員に対する自己の権利が保護されるのである。

34)前述の通り、”possil petere totum debitum de quanto sibi contigerit per quantitatem sue societalis vel accomendacionis”(その者は全ての債務を、その債務がその者のソキエタスまたはコムメンダ関係の範囲内で課されている限度内で認めることが出来る。)この規定は多数のコムメンダ契約が一人の同一の被委任者と締結されている場合についてのものであろう。ペラの規定の216も同様の意味を持っていると思われる。

 こうした法的な取扱いからは、被委任者(トラクタートル)の破産において委任者(ソキウス・スタンス)の勘定から返済を受けようとする請求の仕方を思い起こさせるが、こうした請求についてはドイツ帝国破産法の第38条の別除権によって保護されるのである。最終章(第6章)を参照。そこでは後代におけるコムメンダから委託業務への移行について言及される。

35)ピサの場合については、前述の通りここでは取り扱わない。

36)アルベンガの法規:”et tunc presumam et habebo pecuniam et rem illam in ejus bonis … processisse et comparatam esse de pecunia illa vel societatis vel accomendacionis excepta re illa, de qua venditor nondum sit pretium consecutus. in qua venditor habeat vendicationem rei venditac donec sibi de pretio fuerit satisfactum.”(そしてそれから私は以下のことを当然のことと想定する。つまり私が資金及び彼の所有物の中のある物を入手するようになるだろうということと…ソキエタスまたはコムメンダ関係によって投入された金銭について{購買対象として}現れ購われたその物について、売り手がまだ売価を入手していない商品を除いて、それらの売りに出されている商品に対しては、売り手は満足する価格を入手するまでは、その商品に対する所有権を保持し続ける。)

成果

 ソキエタスによる営業活動として執り行われた業務によって形成された権利と義務の複合体に、ある種の特別財産として《その後合名会社に発展していくという》特別な運命を歩ませるということについてのいくつかの契機が《これまで考察してきたコムメンダとソキエタス・マリスという制度の中に》実際の所存在していたということは、どうあっても認めざるを得ないだろう。しかしながら、実際の所、それらはまさしく単なる契機に過ぎず、ソキエタスの基金に対しての債権者の地位を特別に完全なものにすることは行われなかった。債権者とソキエタスの基金の関係は、コムメンダやソキエタス・マリスという制度の発展の過程において、今日委託販売人《トラクタートル》の破産の際に販売委託人《ソキウス・スタンス》の権利を保護する目的でのある種の法的な制度の構築という点では、ほとんど進展が見られなかった。《コムメンダやソキエタス・マリスと称されるには》購入された商品の存在が前提となっている。

 ソキエタスの基金の特別財産としての位置づけは、ここでは 37)せいぜいのところ断片的なものでしかない。しかしながら若干の理論上の修正は考えられるものの、ラスティヒがこれらのソキエタスの法的な構成について述べていることは正しい。つまり本質においては、対外的にはトラクタートルが、対内的にはソキウス・スタンスが有資格者であったということである。後者についてはもちろん、ソキウス・スタンスが個々のケースで自身が企業家であった場合においての話であるが。

 完全に明白なことは、連帯責任の原理が、ここにおいてはまだその第一歩を踏み出すことが出来ていないということである。ソキウス・スタンス自身が、当該のソキエタスに投資した分以外の財産について、ソキエタスに属する商品についてトラクタートルと契約した債権者達と関係を持つことにはならないということは、ソキウス・スタンスのトラクタートルの債権者達との関係が、トラクタートルの財産についてそれが破産した際に優先権という形で現れること以上に、はっきりと表現出来るものは他に存在しない。このことはジェノヴァの1567年の法規においても、また13世紀のものについても同様である。

37)ピサではこのことはもはや当てはまらない。

5.陸上コムメンダと合資会社

陸上コムメンダ

 コムメンダはこれまで見てきたように海事法上の制度であり、これより以前の時代においては内陸の諸都市では知られている限りでは全く存在していなかった。非常な遠方との取引という困難を克服する必要があり、ソキエタスの成員の間の意思疎通と相互の監視が不可能であった場合に、コムメンダが登場した。陸上での取引は、これ以前の時代においては、市場から市場への往来に結びついていたし、コムメンダの必要が無かった。またその外的な活動においては危険の分散という考え方を海上取引においける特色のようには十分に考慮することが無かった。
 それにも関わらず「陸上のソキエタス」つまり”compagnia di terra”と呼ばれた制度においては、海上取引に関するソキエタスの根本原理が利用されているのを見出すことが出来る。それについて少し述べてみたい。
 陸上における業務の遂行について、利益の分け前を得ることを目的とした資本の引き渡しに対しては、海上取引におけるソキエタスの書式がほとんどそのままの形で使用された 38)。

38)Chart. II 545: I[terius] magistcr de antelamo (? arte lane?) et G[uido] mag[ister] de antelamo (arte lane?) contraxerunt societatcm in quam I|terius] l[ibras| 10 et G[uido] contulit l[ibras] 30. Ex his usque 5 annos debet facere pred[ictus] G[uido] calcionarios … et de proficuo … IVam habere debet I[terius] et 3/4 G[uido| pro fideli tamen cura … ab ipso G[uidone] adhibenda vel sol.20 de proficuo primum habere debet ante divisionem vel sol. 5 de parte ipsius I[terii] …
(antelamo{?羊毛職工?}のマスターであるイテリウスと、同じくantelamo{?羊毛職工?}のマスターであるグイドはソキエタスの契約を締結し、その中でイテリウスは10リブラを、そしてグイドはそこに30リブラを拠出した。この契約によって前述のグイドは、calcionaria《詳細不明。英訳は羊毛の靴下としている。あるいは石灰でなめした革製品?》を5年の間作り続けなければならない。…その利益からイテリウスは1/4を受け取ることになり、それに対してグイドはその忠実な労働の対価として3/4を受け取る。…その利益からグイドはまたは20ソリドゥス(金貨)を利益の中からそれを分割する前にまず受け取ることになる。または5ソリドゥス(金貨)をイテリウス自身の取り分から…(ちなみにこの部分は、利益の分割ではなく、危険の分散を目的とするゲマインシャフトの形成をもくろんだソキエタスの取り決めをしていることの明白な証拠である。)
 325: L[anfrancus Piper] dedit in societatcm B[ernardo Porcello] lib[ras] 50 quas idem se accepisse confessus est. has idem B[ernardus] debet tenerc usque 5 annos expletos et laborare cum eis in Ianua unde cas removere non debet sine licencia ipsius L[anfranci]. De omni proficuo quod deus in eis dederit L[anfrancus] duas partes et B[ernardus] terciam habere debet …
(ランフランクス・ピペルはソキエタスの契約においてベルナルドゥス・ポルセルスに50リブラを支払った。そしてベルナルドゥス・ポルセルスは同じ額を自身が受け取ったことを確認している。このお金をベルナルドゥスは5年が終了するまで保持しなければならない。そしてベルナルドゥスはジェノヴァでこのお金で仕事を行い、ランフランクスの許可無しにはこのお金をソキエタスから引き出すことは出来ない。全ての利益から神が次の分け前をお与えになる。つまりランフランクスが2/3をそしてベルナルドゥスが1/3を取ることになる。…ランフランクスは”stacio”を業務が行われる場所にしている。)
 576: Ego … accepi a te … lib[ras] 8 《denariorum ianuensium》in societatem de quibus debeo facere laborare in confeccione nepotem meum … et de proficuo quod inde consequitur medictatem tibi debeo . capitale tuum super me salvum erit et illud tibi restituam … usque prox[imum] fest[um] S. Michaël….
(私は貴方からソキエタスの契約において8リブラをジェノヴァのデナリウス金貨で受け取った。その契約によって、私は私の孫{または甥}を製造に従事させなければならない。…利益の中から半分を貴方に渡さなければならない。あなたの出資分については、私に関しては安全でしょうし、それを次の聖ミカエル祭までにはあなたに返します。)

 重要な違いとしては、ここではソキエタスの契約が個人の一回きりの事業として取り交わされているのではなく、ある一定の期間の継続を見込んだ業務として契約されているということが、本質的に目に付く。資本家はここではある一回の事業の危険と利益の両方に関与している。他の場合として、ここでも個々のケースにおいては、業務を執り行う者がかなりの程度資本家に従属する場合と 39)、資本家が業務を執り行う者の事業執行にただ参加するだけと解釈される場合との両方が見出される40)。

39)前注38の文献史料325番ではそうなっている。

40)注38の文献資料576番ではそうなっている。

 ジェノヴァの法規においては、陸上取引のソキエタスに関しては、言及する価値のあるものは含まれていない。海上取引への資本投下は無条件により利益が上がるものであったし、また競争において圧倒的に比較優位に立ったものだった。それに対し、陸上ソキエタスの場合は概して本質的に陸上取引とは無縁な海事法における根本原理を内陸におけるビジネスの世界に転用しているだけである。他の、歴史的に見てはるかに重要な例としては、ピアチェンツァの商業法規 41)の中に見出すことが出来る。ピアチェンツァは、(法規のc. 72、 89、 155、 131、 132、 133、 165、 560が示しているように)その自分の法律を、ピアチェンツァという都市そのものをその隣接した後背地として位置付けているジェノヴァとの主要な取引においてカスタマイズしたのである。

41) 13世紀の初めより。

合資会社の始まり。ピアチェンツァ。

 既に海上取引において、同一のトラクタートルと多数のソキウス・スタンスが組んでいる例において、――疑いもなくいっそうしばしば出現して来るようになった――自己裁量で行動するソキエタスの成立が可能になったことを確認出来る。

 しかしながら、そういった関係が成立していない場合においても、まさに明白に本来の関係に対置されるような関係の成立を規制することが不可欠だった。

 というのはその例としてジェノヴァの諸法規 42)が、ソキエタスに所属する商品でトラクタートルが送り返したものの分割、それらの現金化、そしてトラクタートルが死亡した場合について事実上の規制を行っているからである。その場合ソキウス・スタンス達が関与を余儀なくされる海上取引の航海上で遭遇する様々な状況の中から、ある一定の危険と利益の共通性が成立するという傾向があった。そしてまたこの時代に限らず中世初期に既に知られていたものとして、ロード海法における投荷の法原理を、ローマ法の当該部分の有効領域を超えて利用することが一定程度有効であったという傾向が存在していた。ピアチェンツァにおいては、そこの法規に基づけば、次のような状況が生じていた:

42)ペラの法規、c.211を参照。

43)ゴルトシュミットの”Lex Rhodia und Agermanament”(ロード海法と姉妹都市)についての引用済みの論考における詳論を参照。

 ”Statuta Antiqua Mercatorum Placentiae”(ピアチェンツァの古い商法)のc. 76は、多数の者から「共通のもの」とされた「債権」において、債務者から支払われたもの全ては分割されなければならず、そしてまた外部の債務者がソキエタスの中の一人の債権者に対して支払ったものであっても同様に全員で分割されなければならないと定めている。さらにc. 144はあるソキエタスの成員の誰かが、(別の)外部のソキエタスの成員から手紙を受け取った場合は、その{ソキエタスの}中で何でも外部との情報のやり取り及び(または)取引に関することは開示される(”in qua aliquid de cambio et《vel》 negociatione legatur”)ということで、その者は遅滞なくその手紙を他のソキエタスの成員に開示しなければならなかった 44)。そのソキエタスの中の誰かが私的にうまく市況を利用して儲けた場合には、その者はソキエタスの他の成員に利益を分け与えなければならなかった。c. 76に関連して更に次のような規定も存在する:ある債権者団体の一人が他の成員に、自分は債権の回収のために――それは成員の共通の利害に関わることであるが――旅に出るつもりだとこっそりと告げる場合、そして(それを聞いた)その成員がその旅の費用分担を支払いたくない場合、その旅する者は自分の債権の分だけの金額を回収するのである。もしその者が、ある他のソキエタスの成員との取り決めによって(”parabola sociorum”)いくらかの額を回収し、そしてその一部をその者の責任外の理由で失った場合、全ての損害はソキエタスの負担とされる(”totum damnum de societate sit”)。最後に、c. 145によればあるソキエタスの成員がある業務上の旅において、他の成員の知らない所で自分自身の商品や資金を(”de suo”)一緒に持っていった場合、そこから生じた利益も損失も、あたかもそれがソキエタスの財であるかのように、成員間で分けられなければならなかった。

44) ここでの関係が示すように、ただソキエタスの成員同士の関係について規定しているのであり、ラスティヒが想定しているように、外部の都市などの取引所の相場表を提出することを義務付けたり、利己的な投機を禁止しようとしているのではない。

 ここにおける事実からは次のことが想定される。つまり、あるソキエタスが存在しそれがピアチェンツァを継続して定住の場所とし、――c. 144、145、77の引用によれば――、そしてそのソキエタスにおいて一人または多数のソキエタスの成員が継続的に業務上の旅を行い、そして他の成員は資本を分担しピアチェンツァに定住している、ということである。第582、53、509章ではまさしく、家族仲間(Genossen)に適用されるのと同じ種類(species)のソキエタスについて規定しているように見える 45)。この部分については次のようなはっきりした印象を受ける。つまり、ここにおいてはある関係について述べているのであり、その関係においては単純なソキエタス・マリスにおいてはソキウス・スタンスに帰属させていた役割を、多数の成員による組合(Konsortium)がその地位を獲得しているということである。その多数の成員の中からトラクタートルが出て来て、その者はその組合に対してソキエタス・マリスの場合においてもまさにそうであったように、指導的な地位を占めるのである。複数のソキウス・スタンス達によって形成されたゲマインシャフトはここでは「企業家」、即ち使い古された言い方での業務の「支配人(Chef)」であるように見える。その形態の中で既にその基礎を見出せるのは、複数のソキウス・スタンス達は継続してソキエタスがそこで作られた土地に定住し、その時々に決められる者としてのトラクタートルは反対に旅の中に身を置くということである。この種のソキエタスによって企てられた業務が、トラクタートルの関わる現場において経営体(Betrieb)として成立した場合には、次のことが可能となっていなければならなかった。即ちこれまでに見てきたソキエタスに関する法規においての傾向に一般的に適合する形で、複数のソキウス・スタンス達はただ資本参加するだけとなり、寄り集まったソキウス・スタンス達はより一層単なる参加者の一種に成り、その過程において今や特別な同盟(Assoziation)関係が成立したのである。それは別の言葉で言えば、彼らは有限責任社員となったのである。というのは、ピサの法規についての考察においてより詳細に論じることになるが《第4章》:もしピアチェンツァの法規での不備の多い位置付けの背後に、これまで述べて来たような状況が存在するのであれば、我々はここに於いて合資会社をその非常に曖昧模糊とした発展の過程をまさに目の当たりにするのである。有限責任社員の無限責任社員(トラクタートル)に対する位置付けは、常に今日のそれと一致する訳では決して無い。より古い方の合資会社の状況は、有限責任社員(ソキウス・スタンス達)が本来の意味での企業家であり、トラクタートルは彼らの手足のような存在に過ぎない。合資会社における他の要素はようやく後の時代になって出現するのである。ここまで述べて来たようなコムメンダにおいて同一の被委任者を共有する多数の委任者達による同盟(Assoziation)からの合資会社の発生は、Casaregis《Josephi Laurentii Mariæ de Casaregis、Discursus Legales de Commercio、1740年の著者》によって明確に述べられている 46)。更にFierli 47)《Gregorio Fierli、1744 – 1807年、イタリアの法律家、”Della società chiamata accomandita e di altre materie mercantili”の著者》は、”accomandita regolare”《正規の合資会社》と “(accomandita) irregolare”《非正規の合資会社》を区別し、前の方は有限責任社員が自分達の出資の分に対しての所有者であり続けたと解釈している。彼は無限責任社員のみがソキエタスの担い手であるという形態は非正規のものと捉えている。有限責任社員達が自分が出資した金額を超える分については免責になるという根本原則もまた、彼らの置かれた立場の違いの結果であり、その時々に常に疑問が投げかけられているのはFierliが更に述べている通りである。ソキエタスの債権者のソキエタスの基金への優先権(現地では後に”sportello”《現代のイタリア語では「銀行窓口」》と呼ばれるようになった)は、Fierliの引用が明らかにしているように、同じように長い年月に渡って保持され、最終的には法的に明確な説明が与えられるようになった。ともかく、合資会社の確かな本質的要素は、個人として全ての責任を負う者と、自分の出資した分だけの責任に限定されるソキエタスの成員であり、そしてジェノヴァに見られるように、ソキエタスの特別財産形成への契機となる要素が存在していた。

45)計算をきちんと行うという義務は、特にある商人が”pecunium communem cum fratribus penes se”(その兄弟達と共同で所持している資金)を持っている場合には、厳しく要求されていた。

46)Discursus 29 No. 4、 6、 7、 19、 24-28についての、Thöl《Heinrich Thöl、Handelsrecht、1841年の著者》のHandelsrecht I、§102の注釈11における注解を参照せよ。ただ、 Thölによって、コムメンダの被委任者を識別するために使われた目印である、”institor”《今日のイタリア語で店主、行商人の意》が、会社法においての法教義学において、この”institor”の概念が意義を勝ち得たという主張は誤解を招く。

47)Fierliの”Della società chiamata accomandita”を参照。

陸上コムメンダの意味

 陸上のソキエタスの通常の場合は、ピアチェンツァで形作られたものではなく、それはむしろこれまで引用して来たジェノヴァの文献史料の中で記述されている。それらの史料によれば、陸上のソキエタスという制度は海上取引に関するソキエタスに対して、全くのところ副次的なものに留まっていた。陸上のソキエタスに関するある修正は一般的に危険の負担の観点で行われたと思われ、きわめて多くの場合トラクタートルに責任を負わせている。トラクタートルが全額の返還 48)という責任を免れるのは”vis major”《フランス語・英語での”force majeure”と同じ、超越した力=不可抗力》による損害発生の証明をなし得た場合のみである。これに対しソキエタス・マリスでは、トラクタートルが損失分はソキウス・スタンスの債務として負担されなければならないとか、トラクタートルの損失分はソキウス・スタンスのそれよりも少なくあるべきだとかの主張を覆そうとする場合、ソキウス・スタンスの側が立証しなければならなかった 49)。一般論として陸上のソキエタスにおいては、危険や費用の負担の定め方にしても、利益の分割の仕方の点でも、海上取引のソキエタスにおけるような確固たる慣例は形作られなかった 50)。これらの陸上でのソキエタスの形態は、良く知られているように、これ以上重要な役割を担うことは無かった。陸上ソキエタスへの参加は、内国取引の関係において様々な形で役割を担った。その中ではコムメンダ的な陸上のソキエタスは最重要なものであることは一度も無かった。この点についてはピサの例についての検討《第4章》で再度取上げることになるだろう。

48)Constitutum Ususnの第26章を参照。Consuetudines civitatis Amalfiae、1274年、の c. 14と比較せよ。”salvum in terra”(陸上における安全)という表現は、海上取引のソキエタスにおいてはトラクタートルの方により重い責任があると記述されるが(例えば、Statuta Peraeの c. 214)、ここでの責任は不可抗力の場合であっても免れ得ないように見える。(参照:ゴルトシュミットの”Festgabe für Beseler”のP.210以下。《Beseler: Georg Beseler、1809 – 1888、プロイセンの法律家、政治家》

49)マルセイユの法規(Pardessus編)のc. 24に明確に規定されている。

50)注38の文献史料を参照。

 我々にこれまでの考察によって、連帯責任の根本原理はこれまで扱って来た制度の中には見出すことが出来ないということが明らかになった。まさに陸上でのソキエタスの中で店舗(apotheka、注38参照)の経営の場合における(参加者の関係の)構造が全体的な権利関係を決定し、それと同時に次のような考え方を排除した。つまり経営のための基金の内全てかあるいは一部を出資した資本家が、その報酬としてただ利益の一部を受け取り、さらにまるであたかもその業務に対してお金を貸した債権者達に対して何らかの保証をすることを意図していた、といった考え方である。標準的なひな型として用いられた海上取引に関するソキエタスについては、ソキウス・スタンスの個人的な保証が、そのソキエタスの構造に対してそれと反するものになっていたのではないかということを、我々はこれまで既に確認して来た。

 我々が更に(ソキエタスの)特別財の形成についての何らかの契機を見出すことがあったとしても、しかしながらそれは我々がこの論文で探し求めている特別財差の根本原理としては扱うことは出来ない。(その特別財産形成に対しての)間接的な影響として見なし得るかどうかについては、ここではまだ保留としておく 51)。

 我々はここまでただ、海事法上のまたは海事法に依存する法的な制度のみを考察の対象として来た。そしてこれからは、内国におけるソキエタスの形態の研究に視線を移すことになるが、その内国の法においては常に、時間を節約するためにも、そういった法は海上取引との関係で言えばこれまで詳細に見て来た様々な法規とは異なり、原則的には無関係であると理解されるべきである。

51) 最終章を参照。

III. 家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト

共通の家族経済

 ある家族における父親とその妻及びその子供達の、または共通の家に住んでいる家族の内の、父親が亡くなった後の家族仲間の共通の家族経営というものは、最も古い(社会的な)関係の一つであり、その関係はゲマインシャフト的な生業を執り行うという目的をもったゲマインシャフトの財産の形成につながっていくことに間違いなく、また法的な規制の対象になるように見えるものである。

 城壁に囲まれた都市の中で、自立した定住のための土地と現金を得ることの困難さは、見知らぬ人の住居に家賃と引き換えに住む事へのよく知られた嫌悪感と結びつき、そのことはほとんど個人の自由の放棄と捉えられていたのであるが、家における世継ぎの息子と共同相続人に対し、共通の家を間仕切り壁 1) によって分割するか、一つの家に一緒に住むという家ゲマインシャフトの継続のどちらかの選択を迫ることとなった。前者の場合は、分割といっても当然限界があるが、我々はこれをイタリアにおいて見出す。その場合、当然のように見えるような田舎においての人間関係においてのみではなく、まさしく規則的に都市においても頻繁に事例を見出すのである。その場合、一方では結婚した息子達もまたその父親の家に留まっていたし、他方では相続人達が共通の家計を継続的に、しばしば何世代にも渡って維持したのである。

1) 実際の所、より古い法規においては、この種の家の分割は慎重に扱うべきものとして詳細に規定されている。例えば”Breve Curiae Arbitrorum V”、ピサ、c.4 (Bonaini編《Francesco Bonaini、1806~1874年、イタリアの歴史家・文献学者》の”Statuti inediti della citta dir Pisa”中)を参照せよ。

家族経済の財産法上の帰結。夫婦財産共有制(財産ゲマインシャフト)

 こういった家に関係する人間関係の財産法的な作用としては、今やゲルマン法の夫婦財産共有制(財産ゲマインシャフト)の一種と成らざるを得なかった。それは純粋に個人主義的な財産形成であり、家の主人の個人財産として子供達の、また共同相続人の集合体(communio)の要求権は存在せず、中世の法とはまったく異なっていた。

 家長はその子孫と一緒に住み、家ゲマインシャフトの財産に対する処分権を持ち、ローマ法との唯一の違いは、後に論じるように、ローマ法においては家長以外の家族仲間は父親の側にあって権利を共有する者としてはなく、せいぜい家長(paterfamilia)の個人財産として構成された家の財産の収入の一部についての受け取り人として考慮されるだけであった。これに対して、ゲルマン法では全ての家の構成員の要求権が根本原理として成立している。家の構成員は家長の権力によってなるほど本質的には拘束されていたが、しかしそれは全ての関係についてではなかった。家住み息子《まだ父親の保護監督下にあり独立していない息子のこと》の処分権は家の共通の財産に対しても及んでいた。共同相続人においては、彼らが(家)ゲマインシャフトを維持しているのであるが、各々ゲマインシャフトの財産について責任とまた処分権を与えられていた。ゲマインシャフトの財産は全ての共同相続人について、特にはっきりした原則的制限も無く、その時々の必要に供された。ローマ法のcommunioと対立する点は、今述べた考え方以外にも、個々の成員の要求権が独立していて外部と交渉可能な複数の客体への概念上の分け前として構成されていなかった、という所にも存在する。分け前に応じた共同の権利という考え方は、ゲマインシャフトが存在する間は、決して個々の成員への権利付与の尺度としては登場していなかった。個々の成員が必要とする物については、むしろその金額の大小に関わらず、前述《第1章の「ローマ法におけるソキエタス」》の通り、共通の金庫《arca communis》から一人一人の成員が支払う手間を取らせることなく支払われ、他方では同時に非常に特徴的なことは、個々の成員の利得の全体がその規模の大きさに関係無く、また個々の成員の持ち分に算入されることなく(ゲマインシャフトの共通勘定に)払い込まれるということである。収入も共通のものとして扱うということは、詳細に検討してみると、支払いにおいてそれぞれの持ち分から払うというやり方の欠如よりも、むしろはるかに驚くべきことである。――我々の今日における人間関係においては、次の事を当たり前だとみなしている。つまりある家の父親がその子供達に、彼らが両親の家計に従属している間にかかった費用について、何か特別な事情があると疑われる場合を除き、請求する事は無い。それと反対に、ローマ法における場合とは違っているそういうやり方の相関物としての営利ゲマインシャフト(Erwerbgemeinschaft)については自然なものとは見なし得ないし、むしろ逆に――人は一般的な原則論の立場から次のように問うであろう:「一体何の権利があって?」――息子が自分自身の収入をその手元に取っておくことを多かれ少なかれ自明の事と見なすのである。何らかの個々の勘定に収入を算入するということが行われていないという事は、古い法律においては夫婦財産共有制(財産ゲマインシャフト)の立場では自然なこと 2) であるように思われる。こういったことが根本思想である事は、各種文献史料が早くから規定していた制限事項から直ちに見て取ることが出来る。そういった文献史料においては、商取引における全ての収入と支出を共同の物(ゲマインシャフト)とすることが、多くの場合非合理的な結果を招くことになったのであるが。

2) Ansaldi de Ansaldis 《Ansaldo Ansaldi、1651~1719年、イタリアの法律家、なおヴェーバーは”Ansaldus de Ansaldis”としている。》の”Discursus legales de commuciis et mercatuta”(ジェノヴァ、1698年)のDisc. 49は、更に、フィレンツェでのある利益の分配についての裁判における法的鑑定の中で、societas omnium bonorum《全ての収入と支出が共同のものとなるソキエタス》があらかじめ存在していた事について、次の事柄から証拠を導き出している。その事柄とは、”notissima illa societatis omnium bonorum requisita“(非常に慣習的な全ての収入と支出を共同のものとするソキエタスの必要性)と描写されるものである:つまり”communis habitatio, lucrorum communicatio et nunquam ratio reddita“(共有の住居、利益の共有、そして共通の勘定が放棄される事は決して無かった)ということである。同様にDisc. 50では、ある勘定から控除したり逆にその勘定に算入したりする事が行われていないという場合が利用されている。また比較すべき事は、Disc. 52においての”societas particularis”(特定ソキエタス)と”societas universalis”(普遍的ソキエタス)の同じ見地からの区別であり、そこでの”societas universalis”とはつまり次のような事であると理解される。”contractus activi et passivi, dispendia et emolumenta per consocios omnium bonorum facta et acquisata non curantur, sed habita dumtaxat contemplatione ad bona de tempore divisionis faciendae, partitio fieri debet aequaliter.”(能動的契約と受動的契約、”societas omnium bonorum”の活動による費用と利益、そしてソキエタスが獲得したもの、これら全てを成員間でどう割り振るかという事は考慮されない。しかしながらただ{ソキエタスの所有する}商品が分割された場合だけは考慮され、その際の分割の仕方は均等にされなければならない。)

 Lex Longobardorum l. II Rubr. de successionibus: Rex Rothar: … Si fratres post mortem patris in casa communi remanserint, et unus ex ipsis in obsequio regis aut cum judice aliquas res acquisierit, habeat in antea absque portione fratrum, et que foris in exercitu acquisierit commune sit cum fratribus quos in communi casa dimiserit, et si quis alicui de suprascriptis fratribus garathinx (Boherius = donatio) fecerit, habeat in antea ille cui factum fuerit, et si quis ex ipsis duxerit uxorem et de rebus communibus meta data fuerit: quando alter uxorem tulerit aut quando ad divisionem faciendam venerint, simili modo de communibus rebus ei refundat aliud tantum quantum ille alter frater in meta dederit. paterna autem vel materna substantia quod reliquum fuerit inter se equaliter dividant …
(ランゴバルド法 I. II 表題「相続について」:ロタリ王:…もしある兄弟達が父親の死後も共通の住居に留まる場合、そしてその中の一人が王に忠誠を誓うことによって、あるいは何かの判決によって何かの物を獲得する場合、その者はそれが兄弟達によって分割されるのより先に自分の物として持つことになる。しかしその兄弟達の中で兵士として出征してその報酬として何かを獲得した場合には、その者はそれを兄弟達と共有することになる。《訳者の推測であるが、ランゴバルド族での兵役が例えば家ゲマインシャフト当たりに2人といった割り当て制であったならば、その兵役の義務に対し支払われる報酬がその兵士ではなく家ゲマインシャフトに支払われるのは自然である。これに対し王に従僕として仕える場合は本人の意思に基づくのであるから報酬がその者に払われるのであろう。》もし誰かが兄弟達の一人に贈り物(Boherius = donatio)をする場合、それを受け取った者はその物については兄弟達と共有する必要は無い。そして兄弟達の内の誰か一人が妻を娶って(その妻の実家に)共通の財産から(一種の)結納金《H.ミッタイスの「ドイツ私法概説」のP.114によれば、ランゴバルド語での”meta”は嫁を迎える際にMunt(家父長権)を相手から譲り受ける代償として支払うMundschatzのことであるという。これで実家に支払われたお金の中から花嫁は嫁資=持参金を得ることになる。》を払うことになる。そして他の兄弟達の内の別の一人も妻を娶った時、または何らかの形の財産の分割が行われる時は、最初に結婚した兄弟がその妻の実家に与えたのと同額の財産が共通の金庫から与えられる事になる。しかしながら父親または母親の所有物で残った物がある場合は、それらは兄弟達の間で均等に分割される。)結婚する娘達はその保護監督者である父親または男の兄弟がその結婚式に持たせてやる持参金(嫁資)を受け取り、それによって財産の分与を受けたことになる。更に次の事についての規定も見出される。つまりもし彼女達が寡婦として共通の家に出戻りした場合に、どのように持参金を家の勘定に戻すのかと言う事と、後に万一財産の分割が発生した場合に、その寡婦についてどのような分け前が考慮されるかという事である 3)。

3) ランゴバルド法(ロタリ法典)におけるこの箇所は、そっくりそのまま他のランゴバルド法典にコピーされている。12世紀におけるAriprandとAlbertus《両者とも詳細不明》によるランゴバルド法への注釈(Anschütz《August Anschütz、1826~1874年、ドイツの法学者》編、”Die Lombarda-Kommentare des Ariprand und Albertus”、1855年、ハイデルベルク)では、この箇所についてのコメントは無い。

故に王に忠誠を誓うことによって王より与えられたか、あるいは何かの判決によって獲得されもののみがゲマインシャフトの勘定には入らず、そして(外部から嫁いで来た)妻に共通の財産から(ex communi)与えられた”meta”《全集版の注釈では「花嫁の持参金」とされているが、P.193の下でヴェーバーは「持参金」{mitgebenと動詞形で表現}は父親または男の兄弟より花嫁に与えられ、「それによって財産の分与を受けたことになる。(und sind damit abgefunden)」と書いているので、ex communi{共通の財産}から(花嫁に直接)与えられると読める記述は明らかに矛盾している。”meta”はH.ミッタイスの「ドイツ私法概説」によれば、花婿が花嫁の父親から花嫁に対するMunt{保護監督権}を引き渡してもらうことの代償として花嫁の父親に支払う、日本語で言えば一種の結納金のことであり、確かに父親はその受け取ったお金の中から娘に持参金を渡すのであるが、一度お金は父親の財産となったものを更に財産分与として与えるのであり、直接花婿の家から花嫁に支払われる訳では無い。ヴェーバーは花嫁の持参金以外に、何か別のお金が花婿の家の共通財産から花嫁に支払われると勘違いしている可能性も否定出来ない。H.ミッタイスによれば、ランゴバルド法での女性の地位、とりわけ婚姻後の地位についてはもっとも大きく学説が変わったとしており、ヴェーバーの時代ではmetaの意味が間違って解釈されていた可能性も考えられる。》のみが、(財産全体の)分割の際には、各成員個人に帰属すると認められる。そうでない場合の全ての収入は、兵士として出征したことで得られるものであってもゲマインシャフトの勘定に入り、同じく全ての支出もゲマインシャフトの勘定から行われるのである。支出のゲマインシャフト(全ての支出を共通の勘定から行うこと)にとって重要な事は、より古い時代の単純な人間関係の中にあった。そこでは支出を毎日必要となるもののみに限定しており、まだ信用売買は全く利用されていなかった。そういったやり方は今日の眼では心許なく見えるが、実際はそれ程でも無かった。収入のゲマインシャフトが関係する場合は、それ以外の要素も現れて来たかのようであった。つまり家族仲間の間での自然な関係 4)として、共通の家に住む共通の労働と生業という要素である。家族というものは、その時代での見方によれば、まだまず第一に一つのまた自然に与えられもした「生産ゲマインシャフト」であり、今日我々が普通に考えている単なる「消費ゲマインシャフト」だけでは無いのである。そういった生産ゲマインシャフトは、特にイタリアの諸都市では、広範囲に及ぶゲゼルシャフト形成の基礎であった。

4)Breve Pisani. Communis. v. 1286 l. I c. 118における家住み息子に対する家の労働の強制を参照せよ。またランゴバルド法の表題 “De eo quod pater filiis vel filiabus necesse habet relinquere”(父がその息子達や娘達に残すように強制されたものについて)における、家の労働に良く貢献した(bene servientes)息子達に対して遺言で援助を与えることへの許可についても同様に参照せよ。こうした見解を裏付ける更に何倍もの具体例については後でまた扱うことになる。

諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト

 家族ゲマインシャフトと共に基礎に置かれる親族関係は、最初から本質的な契機ではあり得なかったということをここで確認しておかなければならない。

 家族を構成員とする家のゲマインシャフトは家族の成員以外にまた家族以外の人間 5)を含んでいた:家における使用人もまた、古い時代から家の成員として認められていた。そしてその取り扱いは家族について法的な因果関係を考える上での意味を持っており、それについては今後折に触れ立ち帰って検討することになる。財産法の側面については、大規模な商業の始まった時代においては、親族関係は大きな意義を持ち得ず、その代りに家計ゲマインシャフト、文献史料での呼び方では、”stare ad unum panem et vinem”(一つのパンと一本のワインを共にする)、がそれによって結び付けられた労働 6)のゲマインシャフトという点において本質的な特徴として表現されている。

5) このこと(家族以外の人間が加わっていること)は、ギールケ《Otto von Gierke、1841~1921年、ドイツの法学者でゲルマン法主義者であるゲルマニステンの中でもっとも高名》のGenossenschaftsrecht《邦訳書名:ドイツ団体法論》の第1巻のP.14以下において、他の関係の場合でも注記されている。――ギールケがジッペ(氏族)と家計の関係について論じている所で、彼はその二つの差異を本質的にジッペ(氏族)のゲノッセンシャフトとは対立関係にある、家計ゲマインシャフトに基づく専制君主の組織の中に見出している。しかし注意を要するのは、家のゲマインシャフトが家父長を頂点に置いていない場合で、つまり各成員が平等に扱われるように構成されている場合において、むしろ何よりもそれ自体が独特の性格を持っている、ということである。またイタリアにおいても、少なくともランゴバルド法においては、家族の組織に対しての家父長の専制君主的な固有の権利という考え方は存在せず、南イタリアにおいてもほとんど存在していなかった。

6)バルドゥス《Baldus de Ubaldis、1327年頃~1400年、イタリアの法学者で中世ローマ法の大家》のConsilia IV 472:”cohabitatio sola non facit societatem“(一緒に住んでいるというだけではソキエタスの構成要件として十分ではない)の箇所を、Consilia II 74の、一緒に暮している兄弟達の「勤勉な労働」によって獲得されたものは均等に分けられなければならない、の所と結び付けて参照せよ。Consilia のIIの451と更にIIIの30の、相続された共通の財産はその一族の間で、また労働によって獲得されたものは頭数によって分割されねばならない、を参照せよ。Consilia I 19の箇所においては、ロマニステン(ローマ法重視派)的な見解をより厳密に借用しようとする場合において、ソキエタス契約締結の証拠が必要とされ、それは共通の労働を結合しつつ一緒に暮すこと以外の要素から推定されるのである。というのはIIの260はIの19に出て来る判断を次のことによって再び無効とする。つまり分け前の持ち主があるものをどこから獲得したのかということを証明出来ない時、それについては共通の財産から取得したと見なし、そのことにより獲得の意図についての証拠が無いのにも係わらず、ゲマインシャフトのために獲得したのだということにして、成員間の共通性が損なわれないような状態に留めるのである。
 共通の家に一緒に住んでいない者は、ゲマインシャフトによって産み出されたものを取得することは出来ない。――このことは既に引用済みのランゴバルド法の箇所から結論付けることが可能であり、そしてピサのConstitutum Ususでは明確に、ゲマインシャフトは家に不在の者(absentia)が他の住居を建てた場合にはその者の権利を剥奪する、と述べている。
 その中で行われる共通の生業と結び付いている共通の住居は、財産法の側面においてもまた本質的なものであり、――そして我々にもこの側面がまず第一に重要なのである。

7)Bonaini、Statuti inediti della città di Pisa Vol. II のp.880を参照せよ。

財産法的発展の行程。構成員の分け前への権利。

 財産法的発展の行程は、次の事によって特徴付けられる。つまり、既に我々が見て来たように、ランゴバルド法は無制限の財産ゲマインシャフトに対する様々な制約を最初から視野に入れていた:少額の収入についてはゲマインシャフトの共通勘定に入れることはなく、しかし支出については少額でもゲマインシャフトからとしなければならなかった。この支出をどこから行うかについて、次に本質的では無い新たな変更が加えられた。個々の成員はいまやゲマインシャフトにおいて計算の目的である種の――まだ簿記とは言えないまでも――個別勘定を持つことになり、もはや全ての収入がゲマインシャフトには必ずしも入らなくなり、この傾向は更なる制約条項の出現を示唆するものとなった。

 しかしながら法的な観察の上で更に重要な因果関係が出現している。ゲマインシャフトのある構成員が計算を行うことと、少額の収入が自分に帰属するというのと、支出がまた自分の持ち分の勘定から行われるという風に見なすこと 8)が始まるや否や、――そしてゲマインシャフトがその本来的な業務を行うものとして現れ出るや否や、両方の場合で次のことが不可欠になる。――つまり、その場合には次のような原則的な疑問が出て来るのである。それは全ての構成員から見て、誰が一体それぞれの分割された部分について独立した権利を持っていると認めるのか――例えば家住み息子達か?――というものであり、ゲマインシャフトにおいての個々の成員による共通財産の分割は一般的に持ち分という概念で考えられたのであり、そしてそれはソキエタスへの投資として理論的には扱われる傾向があった。しかしそれから、法的に重要な次の疑問に対しての態度決定が必要となった:つまり、共通の財産における家族の財産は、ゲマインシャフトの個々の成員の分け前として分離して扱うべきなのか、または逆に能動的でも受動的でも、ゲマインシャフトの仲間への分け前へという権利に対抗して、徹底的に共通の財産の統一を保つことを選ぶようにするか、ということである。

8)これらの必要性についての論理的帰結を導くためのこみ入った法的決疑論の構成については、バルドゥスの何を共通の家計として一般的に把握するのかという疑問に対する多数の決定事項によって十分に答が与えられている。これについては、Consilia Iの21、97、260,IIの87、347、IVの189、239,335、461、Vの40、65、234,259,284、372において、そして他にも多くの箇所で述べられている。既にランゴバルド法において、――前記の箇所を参照――女性の嫁資(持参金)またはローマ法の嫁資であるdosの計算についての特別な規定を導き出すという目的での、疑問に対する答がここでも前面に登場している。

 第一の方向、つまり家族の財産を個々の成員がそれぞれ分け前として持つという方向に向かったのは、ノルマン人《12世紀に南イタリアを占領し、ノルマン・シチリア王国を建国した。》の残した考え方 9) から非常に強い影響を受けた南イタリア-シチリア島の法における考え方であった。それらの法の規定によれば、家族の財産は持ち分に従って父親と子供達の間で分割されて所有されていたように見える。父親は生者に囲まれながら、自分自身の死を想定しつつ生き、それぞれの子供達と同等に、家族財産の中のある決められた部分に対してしか自由処分権を持っていなかった。

9) 類似した考え方は古フリースラントでも、またバルト海から侵入したブルグント人の法においても見られた。《現在のオランダであるフリースランドにゲルマン民族であるフリース人が進出し、7~8世紀にフリースラント王国を建国した。ブルグント人は元々スカンジナビアに住んでいたゲルマン人であり、5世紀初めにローマ帝国領内に侵入し、ライン川の西にブルグント王国を建国した。ブルグント王国は叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の舞台としても有名。また現在のフランスのワインで有名なブルゴーニュ地方の名前はブルグントにちなむもの。》Brünneck《Wilhelm von Brünneck、1839~1917年。ドイツの法学者、法制史家。》のSiziliens mittelalterliche Stadtrechte 《1881年、シチリア島の中世の都市法》を参照せよ。Pappenheim《Max Pappenheim、1860~1934年、ドイツの法制史家》の Launegild und Garethinx 《1882年、ブレスラウ》は、c. 51, 1において liber legis Gundebadi(ブルグント王国のGundbad王の法律の書)を西ゴート王国の I ArfÞaer balker 9 principio (相続財産の一部?)と比較している。

10) ソレントでは(Consuetudines rubr. 《rubrは法規における構成単位》43《ソレント慣習法集成》)、父親は自分の労働による報酬のみを自分自身のものとして取得し、相続対象となる財産については子供達が一緒の家に住んでいる限りにおいてそれを自分で管理し、共通の生計への収入についてはしかしながら子供達が成人した後は(rubr.43 前掲書)、その子供達がもはや父親と一緒に住んでいないことになると直ちに(rubr. 7 前掲書、 Consuetudines v. Neapel の r. 7 と比較せよ)、父親・母親・子供達の間で成年に達した者に対する分け前に応じた収入の分割が始まり、息子達(rubr. 43、前掲書)は分割を要求することが出来た。つまり家族の構成員による共有財産(communio)が成立しているのである。1345年のシチリア島のカターニアの法(名称:III Consuetudo unica)は家族成員間の等しい関係を次のように表現している:家族構成員の財産はあたかも「一つの体」(unum corpus)と成るであろうと。シチリア島のメッシーナの法(ホーエンシュタウフェン朝のもの《ホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世の時代、1197~1250年》)と1299年のカルタジローネ《同じくシチリアの町》の法、そして Ordinaciones terrae Noti《1341年、シチリア島のノートの法規》は父親の分け前についてより詳細に定めており、また次のような規定も存在する。つまり、父親とそれぞれの家族構成員はそれぞれの分け前の分についてのみ自由処分権を有することが正当化されている。しかし、その分け前分についてはそれ以外に何の制約条件も無く自由に処分出来たのである。メッシーナの法のc.33では明確に、両親の生きている間においては、(子供達からの)分割の要求を無効と定めている。そのことについてはカルタジローネの法は次のような除外規定を置いている:もし父親が息子または娘を一人前と認めて自由にしない限りは、と。こうした関係のこれまで知られている限りでの最も古い法律条文での言及は、1150年のルッジェーロ2世《1130~1154年までシチリア王》のもの(ギリシア語とラテン語で記載)である: … „si genitor in vita habuerit 3 liberos … consuetudo est ex omni substantia eorum ipsum obtinere duas partes, id est 8 uncias, filios autem terciam“.(もしある父親が生きている内に3人の子供を持ったとしたら…慣習では父親は彼らの全ての所有物の中から2/3を得、それは8/12と等しいが、息子達はそれに対してその中から1/3を得る。)
 フランス民法典の”part disponible”(自由に処分出来る財産分与分)は、ここにおいて既に生きている者同士の間で適用されていた。
 シチリア島においてノルマン人の法とビサンチン(東ローマ帝国)の法が、中間的な法も存在せずに同時に並立しているということは、シチリア島においては個人の原則がまずフリードリヒ2世皇帝の Constitutiones Regni Siciliae (l. II t. 17)において取上げられており(更に1286年にはアマルフィで、Volpicella《Luigi Volpiicella、1864~1949年、イタリアの歴史家》の編による文献史料 Consuetudini d’Amalfi において、”vivens lege Romana”(生きているローマ法)という宣言が登場する)、ローマ法における communio がゲルマン法での家族財産という概念に直接的に移行するのを促進したと言えるかもしれない。
 シチリア島の諸法規とBrünneckのそれに関する前掲書(Sisiliens mittelalterliche Stadtrechte)を参照せよ。

 このような家族の構成員が家の財産の内からそれぞれ分け前を持つといった法的な考え方は、シチリア島以外の他のイタリアにおいては一度も存在していなかった。個々の構成員にとってのこうした人間関係の金銭的な意味は、ここにおいてもまた自然に前面に登場して来ることになった。その後それ故にそういった諸ゲマインシャフトは大規模な商業において役割を果たし始めた。そうした大規模な商業における共通の業務への出資という形での重要な関与においての、共通の財産の要求は正当なものと見なされるようになり、――ただ観念的な分け前の概念における家族の(共有)財産概念の崩壊は、南イタリアにおけるような形ではまだ始まっていなかった。家族財産の原則的な一体性は維持されていた。全体的な経営ゲマインシャフトと個々に分割された財産についての共通の財産を超える原則的に無制限な処分権の、これらの諸ゲマインシャフトに固有であった根本原則は、それぞれのゲマインシャフトに大規模商業における行動能力を付与するという意味で、かなり高いレベルでの有用性を保つように明確に形成されたいた。

11) ランゴバルド法もまた家族の構成員の分け前的な権利という根本原理に従った家族財産の形成への傾向を持っていた。そのことは文献史料のRegistrum Farfense (Il Regesto di Farfa pubblicato della Società romana di storia patria vol. II、1879年、ローマ)《ファルファはローマの近郊で北東方向にある地名》にはっきりと示されている。(Brunner《Heinrich Brunner、1840~1915年、オーストリアの法制史家》の Mitteilungen des Instituts für österreichische Geschichtsforschung、第2巻、P.10以下)を参照せよ。これらの諸都市ではしかしながら、今後本論考で示されるように、こうした発展はただ部分的に発生していたに過ぎなかった。

家族以外での諸家計ゲマインシャフト

 しかしながら、今まさに述べた最後の理由(個々の成員の分け前である財産の処分権の共有財産に対する優先が、そのゲマインシャフトに商業での行動能力を付与すること)は、そういった根本原理がまず第一に家族に属する者に限定されると見なすべきことへの理由とはなり得ない。既に述べて来たように《全集版のP.195、「諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト」の最初の箇所》、家を基礎にする家族のゲマインシャフトはその構成員として家族以外の人間も包含していたし、それも既にランゴバルド法において本質的には親族関係という要素では無く、家を共通にするゲマインシャフトという事実をその関係の基準と見なしていたし、その場合こうしたゲマインシャフトに適用された法文は、共通の家計と労働を通じての共通の経営が、親族関係に基づいていない人間集団の中で行われているという(家族だけの関係と)同等の原則が存在している場合には、まさに同じような法適用が可能だったのである。事実として、また中世の法においても、家のゲマインシャフトの効力をただ親族関係に限定するということは行われていなかった。それはむしろ家族の外側でそれと同じようなゲマインシャフト関係が作られ、全く家族ゲマインシャフトと同等に扱われたのである。更には、より古い時代においてはそうした家族の外でのゲマインシャフト関係は手工業を基礎として形成されたのである。

手工業のソキエタス

 内陸の諸都市においてより大規模な遠方との交易についての諸前提条件がようやく外部に対して次第にはっきりと姿を見せるようになったということは、既にこれまで述べて来た《5.の「陸上コムメンダと合資会社」の箇所》。そうした取引は自然な形では最初は商品を次の市が立つ場所に輸送することから始まり、そして時には(海上輸送や貿易のために)海に面する港まで運ぶことになり、それは更に輸送の範囲を広げて行くことになり、その結果その商売の形態は商品の売り買いというより販売が主となり、工芸的な労働がその繁栄の基礎をそこで築くことになった。というのもそうした内陸都市における法規の中では、そうした産業の内容を警察がそうするように取り締まる規定が多くの部分を占めていたのである。そういった産業の労働が生み出したものは、まずは手工業によって生産された商品であり、それに応じてここにゲゼルシャフト形成の源流が見出されるのである。その際に、資本を相互に拠出してまとめることによる共通の基金の形成と、一方向的なコムメンダというやり方でのゲゼルシャフト化に対しては、この時点ではまだほとんどの所必要性に乏しく、かつ可能性という意味でもほとんど無かった。特定の手工業の職人がある別の一人の職人仲間とお互いに協力し(ある種の組合を結成し)た場合、そこに共通の労働が発生し、その目的はその仲間と作業場と販売のための店舗において仕事を分担することであり、というのもその共通の仕事は本質的には(同じ)居住場所の中において進行したのであり、その居住場所とは原理的には店舗であり同時に作業場であったのであるが、それ故に労働仲間は同時に家仲間と成り、食卓と家計を分け合ったが、つまりは一つの家に起居する職人仲間(Geselle)に成ったのであり、ラテン語では famulus, factor であり――、または同じく独立した構成員(Genosse)――ラテン語では socius ――でもあった。「一つのパンと一本のワインを共有する」(stare ad unum panem et vinum)はこうした労働ゲゼルシャフト(そう名付けるのであれば)にとって自然なことであり、このことが法律におけるこういう関係の形成において明確な意味を持っているのである。ただ手工業におけるこれらのゲゼルシャフト形態の源流が次のことを明らかにする。つまり、更に後の時代で巨大な産業として経済的に世界を支配したような商業上の諸ソキエタスでのゲゼルシャフトに成長した家計的要素は、本論考では後でそれについて取上げることになるが、確かに必ず必要なものでも無いしまた本質的なものでも無いが、しかしそれはある重要性の高い(他から区別するための)特徴となっているのである。

12)海上取引の盛んな都市と産業の発達した都市の対立がLastigによって強調されている。(Entwicklungswege und Quellen des Handelsrechts《商法の発達の道と源泉》)ゴルトシュミットはZeitschrift für das Gesammte Handelsrecht《総合商法雑誌》の第23号の309ページ以下で、このLastigの論に対し、対立を際立たせるやり方が行き過ぎであり、また一般化も過度であるとして批判している。Lattes《Alessandro Lattes、1858~1940年、イタリアの法制史家で商法史とランゴバルド法が専門》は Il diritto commerciale nella legislazione statutaria においてLastigに賛成しているが、彼が主に注目しているのは生成されて来る法規における2種類の都市の対立であり、つまりはその歴史的な発展である。彼の主に都市制定法の入門として有用な著作は、我々にとって重要な法制史上の観点についてはほとんど触れていない。

13) ある家内手工業者の雇い主との関係に関する法適用式としてのコムメンダの利用については、ピサの法についての章《第4章》にて手短に述べることとする。

14) バルドゥス編の Consilia V25 に述べられている、同じ台(banca)の上に立っている《同じ露店を営んでいる》肉屋の「ソキエタス」を参照せよ。

14a) 更にザクセンシュピーゲル《ザクセンの騎士 Eike von Repgowによって1220年から1235年の間に編纂されたドイツ中世の慣習法をまとめた法書。中低ドイツ語で書かれている。「ザクセンの鏡」の意。》の第1巻 Art. 12を参照せよ:
Swô brudere oder andere lûte ir gut zu samene habn, erhôen si daz mit irre kost oder irme dînste, der vrome ist ir aller gemeine, dazselbe ist der schade. Swaz aber ein man mit sîme wîbe nimt, das en teilt he mit sinen brûdern nicht (dazu cf. die Stelle der l[ex] Longob[ardorum]). Verspilt aber ein man sîn gût oder verhûret erz oder verguftet erz mit gift oder mit kost, dâ sîne brûdere oder die ir gût mit ime gemeine habn, nicht zûphlicht en habn, der schade den her daran nimet, sol sînes eines sîn, und nicht sîner brûdere noch sîner gewerken, die ir gût mit ime gemeine habn.(兄弟達と他の人達が財産を共有している場合でその者達が投資と労働の結果としてその財産を増やそうとする場合、利益については全員に共通のものとなり、損失についてもまた同じである。しかしある一人の成員が結婚した相手の女性から何かを得る場合には、その人はそれを他の兄弟には分け与えない。(ランゴバルド法の相当箇所を参照せよ。)しかしある成員が賭博にお金をつぎ込んだり、何かを浪費したり、贈り物や他の目的でお金を使った場合、その成員の兄弟やその成員と財産を共有している者がそれらの支出について同意していない場合は、損失はその成員のみの負担となり、その成員の兄弟や財産を共有している者の負担とはならない。)――イタリアの諸法規においては、ほとんど規則的に、手工業者は商人(mercatores)と一緒に扱われ、その商人(mercatores)についての規定において、手工業者とその商人の関係が規定されている。

これらのゲマインシャフトの共通の土台

 この種のゲゼルシャフトの形態の全体構造に対する家ゲマインシャフトという要素の影響は疑う余地の無いものである。というのもそのような(Geselleとしての)ソキエタスの成員の地位は非常に高く、ソキエタスにおいて元々そうであったように、信頼関係に基づいたものでなければならなかったということは明白であり、ソキエタスはそのような(Geselleとしての)成員に対しては、丁度常時雇われている奉公人が都度都度雇われる賃金労働者に対するのと同じように振る舞うのである。これらの関係の家族的な性質もまた明らかである。親族という観点で見た場合、そして家住み息子と召使い、またはfactorつまり(Geselleとしての)ソキエタスの成員とまだ独立していない共同相続人が非常に本質的な点で等しく扱われていることが見出される場合、それについては特別な説明は必要無いであろう。ここにおいて「家族法的な」根本原則が他の関係にそのまま応用されたということもまた出来ない。そうではなくて、等しい根本原則が平行的な法形成を導いたのである。というのは財産法において判定基準となるような関係が、二つのケースで同じように存在したからである。仕事を共にする仲間の関係は、本質的に家族による家計の中での構成員である家族同士の関係に似ており、他方ではその家族による家計は同時に何らかの事業経営の基盤でもあろうとした場合、簿記と外部から一つの法的主体として認識されるようにすることの二つの条件が必要であった。要するに、経営ゲゼルシャフトという形で財産法における重要な要素として扱われるために必要な全ての条件がこの二つだったのである。つまりは、家族による家計と経営ゲゼルシャフトの両方にて、法的に重要な要素は同じなのである 16)。ただ、家族ゲマインシャフトにおいては共通の家計という土台は最初から存在しているものであるが、家族以外の人との労働ゲマインシャフトにおいては共通の家計(記帳)は任意のものでしかなく、しかも改めて作り出されねばならなかった。これらのことから、家族ゲマインシャフトは、ある特定の観点から見てそれに該当するものとしての原生的法制度として把握されるのであり、それ故に文献史料にて(家ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフトの)2つの集団が共通のものとして記述されている箇所がもっとも重要なのである。

 中世における法形成の過程が様々な都市で始まった時、古くからの親族関係に基づく公法及び私法の基礎原理は既に失われており、他の場合と同様にその地位は他の純粋に経済的な原理に置き換えられたのである 17)。

 手工業的な労働が家族の内側においても外側においてもゲマインシャフト的関係構築の共通の源泉なのである。

15) この点については後でフィレンツェの章で特別に詳しく扱うことになる。

16) ザクセンシュピーゲルの注釈14を参照せよ。手工業(における労働関係)が財産ゲマインシャフトの中で家族原理と並立するように存在している場合、ザクセンシュピーゲルはこの双方を不可欠なものとして扱っている。

17) この点についてはLamprecht《Karl Lamprecht、1856~1915年、ドイツの歴史家。歴史研究における法則性の発見の重要性を主張し、史料批判を重視するドイツの他の歴史学者との激しい論争を引き起こした。》の”Deutsches Wirtschaftsleben im Mittelalter”(ドイツ中世の経済的な生)のIのP.288の注3と、Inama-Sternegg《Theodor Inama von Sternegg、1843~1908年、ドイツ・オーストリアの経済史家。》の”Deutsche Wirtschaftsgeschichte”(ドイツ経済史)のP.75の注1を参照せよ。その意義についてはまたHeuslar《Andreas Heusler、1865~1940年、スイスの中世研究者で特にゲルマンとスカンディナビアを専門とした。》のInstitutionen Des Deutschen Privatrechts(ドイツ私法における諸制度)第2巻のP.304以下で詳細に論じられている。所有されている物が財産の主要部分を占めている場合、傾向としては物を(全体の財産から)分離して個人所有とする方向へ、また動産と手工業的労働の存在は商品ゲマインシャフトへと進んでいる。

共通の特質

 これらのゲマインシャフト関係の2つの特質について、ここにおいてまずは手短に確認しておくのが良いであろう。

1.男性socii(ソキエタスの構成員{複数})への制限

 まず第1のものはゲマインシャフトの男性 18) 構成員に対する、その個人としての影響力に対する制限である 19)。つまり、働いて収入を得て商業において自発的に活動するゲマインシャフトの成員が、ゲマインシャフトの共通財産に対する考え得る主体なのである。それについて新しく証拠となるのは、共通の業務を執り行うことにより、成功の場合も失敗の場合も運命を共にするということを出発点に置いているということである。

18) Ansaldus de Ansaldisの”Discursus legales de commercio et mercatura.”(1698年、ジェノヴァ)のDisc.49を参照せよ。そこでは姉妹の(共通の財産への)関与の問題が普通法上で議論の余地があるものとされている。

19) Bonani編の”Constitutum Usus Pisanae Civitatis”の”De societate inter extraneos facta”(家族外のメンバーとの間でのソキエタスについて)の章の”inter laicos et masculos”(俗人と男性の間で)を参照せよ。更に別の例は後でまた取上げる。特にヴェネツィアについての議論の所で。またランゴバルド法ではただ兄弟について述べており、ブルグンドの法では父親と子供達から成るゲマインシャフトを規定しているが、しかしそこでは夫婦間での財産共有ゲマインシャフトについては何らの規定も存在しない。

2. 不動産の除外

 2つ目は、ゲマインシャフトの共通の基金への帰属という意味での、規則に沿った形での不動産の除外である。既に海上取引に係わる諸ソキエタスにおいて、ソキエタスへの債権者の優先権が動産に対してに限定されたように 20)、ここにおいてもただ動産のみがゲマインシャフトの共通財産とその(各成員が持つ)個別の影響力の対象なのである 21)。共通の家というものは発展における出発点でありかつゲマインシャフトの土台であるが、(不動産としての)それそのものについては非常に明白なこととしてゲマインシャフトの共通財産には算入されていなかったし 22)、その他の動産は常に家の外に存在したのである。それ故に収益を上げる資本がさらなる発展のための材料なのである。

20) Statuta Peraeのc.20を参照せよ。

21) この部分はLattesによる”Il diritto commerciale nella legislazione statutaria”の§6の注5と6において言及されている商法における不動産の除外についての引用の中に含まれている。その他、この論考のフィレンツェの所でも再度言及することになる。

22) 家はそれぞれの持ち分所有者のソキエタスの取り決めに従った処分対象物の特別な一つのものとはならなかった。今日においてもあるソキエタス、例えば会社が不動産を(簡単には)売却することが出来ないように、持ち分所有者はその時々のゲマインシャフトの土台、つまり共通の家を、抵当に入れたり売却することは出来なかった。

財産関係における変化

 それ故に財産ゲマインシャフトがもはや単純に全体をカバーするのではなく、構成員の財産のある一部のみを包括するだけになった場合、そして、既に述べたように、個々の成員による財産の分割がそれによって益々進展した形で投資や各成員がゲマインシャフトにおいて保持する一つの勘定としての性質を持つと見なされた場合、この(各員の)勘定を全体として高い程度で独立した法的主体としてみなすのと、取り分けその勘定をそうした独立のものとして(共通財産とは切り分けて)処分する可能性を認める必要性が出てきた。実際の所、フィレンツェのAlbertiという家族 23)においての遺言と遺産相続手続において、(死亡した)持ち分所有者の勘定について、その勘定を利害関係者(相続人)の間で分割しそれぞれの勘定への振り替えが命じられているという事実が見出される。更には、ゲマインシャフトの成員の資金でゲマインシャフトの共有基金には属していないものについても、可能であればそのソキエタス(ゲマインシャフト)において投資させるという需要が生じて来て、その場合には個々の成員が二重の意味でゲマインシャフトの業務に参加するという特別な関係が見出されるのである。つまりはまずはその成員がゲマインシャフトの共有財産の中での持ち分の金額の範囲においての参加と、更にはゲマインシャフトで利用可能な投資された資本において、ジェノヴァでの文献史料 24) においてソキエタス・マリスとコムメンダが同時並行して行われていたという事実に適合するような、ゲマインシャフトの業務への出資者としての参加である。さらに後の時代では、家族において、元々は法律の規定によって成立していたゲマインシャフト関係を、契約に基づいてまたその時々の必要性に応じて作り出す 25) ということも行われるようになり、それによって家族ゲマインシャフトはソキエタス法に準じた形で規定されるようになったのである 26)。それから我々はここにいても「投資」という概念にたどり着いたが、それは全体の共有財産の中での一定の割合としてであり、その割合によって当該のソキエタスの成員の分としての利益、損失、そして資本が分割されるのであり、――それはソキエタス・マリスの場合と同様である。しかしながらここにおいて次のような疑問が出て来る。つまり、この投資とここで呼ぶものがコムメンダ関係におけるものと同じ意味を持っているのかということである。この疑問については他のはるかに重要な人間関係の側面としての、ゲマインシャフトの外部や第三者に対しての作用について考察した後に答えることが出来る。我々はこの目的については、まずは後の時代の発展の最終的に予想出来る結末について述べた後で、再びその結末の開始点へと立ち戻って行かねばならない。

23) Passerini《Luigi Passerini Orsini de’ Rilli、1816~1877年、イタリアの政治家・歴史学者・系譜学者。》の”Gli Alberti di Firenze”(フィレンツェのアルベルティ家)を参照。また下記の本稿でのフィレンツェに関する部分も参照せよ。

24) 下記の本稿でのフィレンツェに関する部分も参照せよ。

25) 注23のAlberti家の史料とPeruzzi《Simone Luigi Peruzzi、1832~1935年、イタリアの歴史家、メディチ家に連なる家系の出身。》の”Storia del Commercio e dei’ Banchieri di Firenze”を参照せよ。

26) それどころか、Registrum Farfense(注11参照)のNo.36の史料が示しているように、家ゲマインシャフトそのものが契約によって創り出されている事例が存在するのである。この文献史料においては、二人の同じ家に住んでいる兄弟が彼らの叔父(伯父)を家ゲマインシャフトに迎え入れている: te … affratamus et in tertia portione … heredem esse volumus.(我々はあなたを家族として迎え入れ、そして相続人として1/3の分け前を持つことを希望する。)このケースは田舎においての家共同体に関するものである。Brunnerの前掲書(注11参照)のP.12以下では血縁関係にある者同士のゲゼルシャフト形成を商業の目的で使うことと家族ゲマインシャフトとの類似について言及している。

第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係。

 法的に重要な様々な事実が(何らかのゲマインシャフトの)構成員である個人の枠を超えて権利と義務を産み出すという現象は、疑うことなくまずは氏族(ジッペ)を基礎として発生するのであり、その氏族の間においては相互に義務(債務)を保証しあっていたし、またそれに相当する権利(債権)も持っていたのである。特に私的復讐の権利と義務はある種の”obligatio ex delicto”(違法行為から発生する義務)を創り出すのであり、そこにおいては各成員は能動的(復讐を行った場合)または受動的(復讐を受けた場合)に法規則に沿った形で関与するのである。このことに該当する法律上の規定は、中世後期になってもまだ完全には消滅していなかった 27)。

27) Constititum Legis Pisane civitatis l. II c. 77(ピサの市民法)に出て来る私的復讐が違法行為を行った者に対して行われる場合についての刑罰の規定を参照せよ。

 能動的・受動的な殺人に対する賠償金の義務が既にleges barbarorum(ゲルマン法)においてほとんど純粋に財産権法的な性質を帯びた(つまり債務となった)後においては、義務的債務についての責任という概念への原則的な制限がもはや存在していなかったかのように見える。それは特にローマ法における不正と(ゲルマン法における)犯罪との明確な区別が欠如しているということをあまり意識していない場合に特にそうである。実際の所、それ(殺人の賠償金、支払い義務が財産権法的な性質を帯びるということ)に関する法規上の条文は、ランゴバルド法において見出すことが出来る。とは言ってももちろん純粋に氏族的な関係に更に財産権法的な関係が追加された、という形においてのみであるが 28)。このような(財産権法的な)経済の根本原理は氏族関係においては存在していなかったし、少なくとも信用貸しがある程度行われるようになった時代においては、氏族関係はそれ自身はまったくもって経済的なゲマインシャフトではなく、それ故に犯罪から生じる責任を超えて発展することは無かったし、ビジネスの中で発生する債務についての土台という意味では、氏族関係は有効ではなかったし、氏族的な関係に基づく動機は金銭に換算出来るようなものではなかった。

28) Rubr. De debitis et guadimoniis et que liceat pignorare vel non. Rex Rothar: Nulli liceat alium pro alio pignorare, excepto illo qui gaphans esse invenitur id est coheres ejus proximior qui ad illius hereditatem si casus evenerit venturus est. (ランゴバルド法の中の表題「債務及び利益について、差し押さえが許されるもの、または不可のもの」。ロタリ王:誰も他人の名前において何かを差し押さえることは許されない。例外としてその者が”gaphans”であることが分った場合以外は。”gaphans”とは、その者がほぼ共同相続人に近しい者であって、財産を相続するためにやって来たという場合のことを言う。)
“Gaphans”についてAlbertusは次のように説明している:「それは近縁の親族であって相続するためにやって来た者のことである。」それ故に債務は最も近縁の親族に対してに限定されており、それは債務者がまだ生存している時においてもその最も近縁の親族に対して既に発生しているのであり、遺産との関係が重要である。どの程度まで相続人の債務がここに端を発しているかということは、はっきりしていない。更にLimprandus王《Liutprand王、712~744年の間、ランゴバルドの王。》:
Si quis debitum fecerit et res suas vendiderit et tale fuerit illud debitum, quod solvere non possit et filius ejus per uxorem suam aliquid acquisiverit vel postea sibi per quodcunque ingenium laboraverit postquam genitor ejus omnes res venum daverit vel pro debito suo creditoribus suis dederit: aut a publico intromissus fuerint; non habeant facundiam creditores res ejus quas filius ejus de conjuge sua habere videtur vel postea conquisivit aut laboravit … distrahendi … sie tamen ut … prebeat sacramentum quod de rebus patris vel matris sue si ipsa in mundio patris mortua fuerit nihil apud se habeat nec alicui commendaverit …
(もしある者が債務を負うことになり、(その債務の解消のため)自分の所有物を売却することになり、それでもその債務を(全て)解消することが出来ない場合、その者の息子がその配偶者から財産を得た場合、もしくはその息子がどこかで働いた結果としてお金を得た場合、その父親が全ての所有物を売却したか、その債務のためにその代金を債権者に与えるということが済んだ後で、またはその父親がその財産を公衆によって差し押さえられた場合、そういった場合においても債権者は債務者の財産(のように見えるもの)でその債務者の息子が配偶者から得たものまたはその息子の労働により獲得したものを強制的に取り立てる権利を持たないであろう。…しかしながら…その息子は父親の財産からまたは母親が父親の監督権下にある状態で亡くなった場合にその母親の財産から何も得ておらず、また隠してもいないということを誓わなければならない。)
Ariprandはこの箇所から次のような陳腐な結論を導き出している。つまり「財産を何も相続しない者は、債務についても何も相続することはない。」ランゴバルド法ではしかしながら、Pappenheimの”Launegild und Garethinx”のP.70で述べられているように、被相続人(親)の死後の相続人の責任については規定しておらず、その被相続人(親)がまだ存命中の(相続人の)責任について規定しているのであり、その第2節では相続人である息子に対してある一定の生業で得られた自由に処分出来る財産についての保証を与えており、その際には(その相続人である息子と)父親の所有物に対する関係が、再度本質的なものとして記載されている。――Petrus《Petrus、生没年不詳、12世紀初頭のフランスのプロヴァンスの法学者》の”Petri Exceptiones Legum Romanorum”のLL. RR. l. IV c. 53における以下の箇所が何かの意味があるのか、または何を意味しているのかは、つまり父親が召使いと息子との間の契約について責任を持つかどうかは、”si in rem patris versum est, in solidum”(それが、全体として父親の物に転じるかどうか)ははっきりしない。おそらくは、息子と召使いが家計においての何かの物について契約する、ということを意味しているかもしれない。

家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係

 家計ゲマインシャフトの領域において今やある構成員の違法行為についての責任は他の成員達が負うことになる 29)ということが(様々な法規で)見出される。しかし(法規の中の)そういった規定に続く詳しい説明では、ある成員の契約上の債務が他の成員に及ぼす作用ということに対しては、そういった(共同)責任は全くの所後退してしまっており、最終的には消滅してしまっている。しかしこの作用については、そういったゲマインシャフト関係を基礎として成立したのである。常に(そういった法規で)見出されることは、未成年者の法という観点において、ローマ市民法での違法行為とゲルマン法での犯罪がほぼ同じと見なさざるを得ない場合、つまり処刑法においてと特にここでは逃亡した者の破産において、違法行為から発生したのではない(単なる)債務が発生するという場合であっても、犯罪という観点(からの責任=債務の発生)を準用して考えるやり方への郷愁である。

29) クレモナの法規(1388年 第495項)とマッサの法規(1592年、規定自体はそれより古い)の l. IV c. 17は家の主人と父親に対し、召使いや家住み息子に生じた損失について無制限に責任を負わせることを定めている。シチリア島において1282年の憲法(Pardessus V P.255)は、息子、父親、兄弟等の間での相互責任を無効としている、”cum poena suos tenere debeat authores”(処罰がそれを行ったものを結び合わせる場合は)。その他の法規(ボローニャの法規のv. J. 1250ff. l. II c. 8、ピサのConstitutum Ususの45――後代での追加――、ヴィチェンツァの法規のv. 1264 III c quod dominus、モデナの法規のv. 1327 ref. l. IV c. 10)は違法行為、特に家住み息子達が行ったものについての責任についての制限という形で、より早い時期に成立した無条件の責任を規定している。これに該当するフィレンツェの法規の中身については、後でまた取上げる。

1.共有財産についての責任

 さて、今まで述べて来たような様々な人間関係について具体的なイメージを持とうとした場合、明らかなのはゲマインシャフトの成員の債権者に対する債務において、まず第一に次のような本質的かつ実際的な疑問が湧き上がって来ることである。その疑問とはその成員がその債務のために万一強制執行を受ける場合にどのように振る舞うのかということであり、特にその成員が共通の家の中において直接強制執行を受けるのかどうかということである。法の発展の中ではこの問いに対しては肯定を与えており、こうした全体のまとまりとしての家計という考え方が、疑いもなく基本的な法学上の思考形式を創り出していたのである 30)。そうした総体としての家計は処分したり、また誰かがそれを代表したりすることが可能であったし、――それらの適用の仕方が全成員において同等ではなかったにせよ――根本的にどの成員にも権利が与えられていたのであり――こうした考え方は私法においても公法においてもまたそれ以外でも重要な意味を持ったのである。こうした種類の責任 31) は、実際的には次のような法文の中に登場する。つまりあるゲマインシャフトの成員の債務について、その成員がその債務を支払わない場合、その債務全額に対する強制執行が家の総体に及ぶということである。こうした考え方が根本原則であることは、次のような場合に見出し得る。その場合とは、諸法規が既に共通の家の中に見出し得るものの全てに対しての無条件の責任に対し制限を加えた箇所において、そうした制限が、まずは家の中に存在する全ての物が一旦差し押さえられ、次に法規において全体または部分的な差し押さえの免除を受け得ることが規定されている者が我々の用語での「調停」を申し立て、無条件の責任に対する制限の法的根拠を立証しなければならなくなる、という形で実現される、そのような場合である:Statuta Communis Vicentiae 1264 l. III c. de emancipationibus:[„] … quicquid filius habet, hoc totum praesumatur de bonis parentum habere, nisi expressim et liquide possint probare … se acquisivisse ex officio vel successione vel … alia … justa causa …[“]Ebenso Statuta Massae (gedr. 1592) für die communio fraterna.  Liber tertius causarum civilium communis Bononiae (gedr. 1491):
(1264年のヴィチェンツァのStatuta Communis Vicentiae 1264 l. III c.の{子供の父親からの}解放について:「…ある息子が所有している物が何であれ、その全ては両親の財産から得たものだと推定され、明白に相続によって得たと証明される場合、職業上の正当な権利によって獲得した場合、財産の(相続以外の)継承による場合、または他の正当な理由による場合を除く。」)
マッサの法規(1592年)もcommunio fraterna(兄弟同士のソキエタス)について同様のことを定めている。

 ボローニャのLiber tertius causarum civilium communis Bononiae (1491年):父親(の父権)から解放されて一人前になった息子達は、差し押さえしようとする債権者に対して、自分達は当該の債務が発生するよりも前に解放されていた、と証明することになっていた。

30) 他の人間関係については:ヴィチェンツァでは公的な債務は家に対して賦課された。(Statuten v. 1264 l. II c の最後の所)ミラノではそれが家族に対して賦課された。(Statuten v. 1502 fol. 81、1217年の追放に関する法規のIの最後の箇所によっても既に規定されていたことを参照せよ。)家族の構成員は連帯してその賦課を負った。モデナでは(Statuta 1327 ref. I 165)各々の家族の構成員は家族に対して課された兵役の義務を果たした。シエナでは(Statuten v. 1292)個々の手工業の工房(bottega、より正確には工場と販売店を兼ねるようなもの)が、個人ではなく、ツンフト(同業者組合)への上納金を支払っている。モンカリエーリでは(Statuten v. 1388 H. P. M. l. Mon. I vol. 1450)fratres communiter viventes(一緒に住んでいる兄弟)の債権は、相互に所得税の評価のためには、それぞれの財産の中には組み入れられなかった。フィレンツェのカリマーラのStatuto dell’ Arte を一瞥すると、その地ではどのように個々の工房(bottega)と個々のソキエタスが、その土地でのツンフトの組織の基礎として使われていたかが示されている。

31) ローマ法についてはこの事柄についてはよりシンプルであった。家族の中の父親については家族全体が責任を負った。そして家族の中の息子については、その息子自身が責任を負った。manus injectio (債権者が債務者に対し手で触れるという、古代ローマ法においての強制執行の象徴行為)が息子に対して行われた場合には、父親がその息子に代わって債務を支払うことになっていた。――中世の法は財産能力の無い者が債務を負うということ自体を認容しなかったであろう。――別々に住んでいない共同相続人については、ローマ法はその譲渡可能な各人の相続分について責任を負わせた。こうした法概念は中世の法には見られない。

2.構成員の個人責任

 (個人の成員の債務に対する強制執行がその成員の所属する家の総体に及ぶという)こうした考え方は、また共通の財産それ自身の責任(債務)でもあったし、そしてそれぞれの構成員のお互いに共通財産における自分の持ち分に対してだけの責任(債務)でもあった。しかしそれはある一人の成員の債務が他の成員にも連帯保証人として及ぶという直接的な関係にまでは至っていなかった。

 (共通の財産への責任とそれぞれの成員の共通の財産の中の持ち分についての責任との)この二つの違いについては、ベルガモのStatuti del paratico e foro della Università de’ mercatanti(1479年校訂、中身はもっと以前に記述されたもの、1780年版)の中に明確に規定されているのを見出すことが出来る: c. 92: … quod patres et filii masculi … et fratres stantes ad unum panem et vinum … talium fugitivorum teneantur et obligati sint creditoribus in solidum et contra eos procedi possit … realiter tantum … sed si intromiserint se de negociatione, tunc … teneantur sicut eorum ascendentes pp.
(父親とその男の子供達…そして一かけらのパンと一本のワインを共にする兄弟達であるということ…そのような逃亡者達については、責任を負わされ、債権者に対して全体で義務を負わされ、債権者に対して訴えを起こすことも可能であり…そしてただ実際には…しかしもし彼らがある業務に従事するならば、その場合…彼らは彼らの年長者と同様に責任をおわされる、等々。)
つまり:あるゲマインシャフトの成員の債務はそれ自体として債権者に対して他の成員にもその債務を負わせるでのはなく、ただ「実際上は」共通の財産に対してその債務が課されるのである。

 我々にとってここでまた問題なのはそういった債務が個人の責任になるかどうかということである。氏族の構成員の責任は次のようなものであり、またまさにそのようなものとして後に(この論考で)示される。つまり、それは家を共にする仲間(ゲノッセン)の責任であり、更に後の合名会社のそのもっとも初期の形成においては、常に合名会社の社員(socii)の責任だったのである。

 そのことはしかしながら、このような個人的な責任を(他の)構成員との関係において直ちにゲマインシャフトの財産に基礎付けることを認容するのでは決して無い。とりわけSohm《Gotthold Julius Rudolf Sohm、1841~1917年、ドイツの法学者・神学者・協会史家》がつい最近 32)《1888年12月22日》出版したばかりの論考《Die deutsche Genossenschaft》において、これらのゲマインシャフトをその基礎としている合手の原理《合有という形の共同所有で、各成員はその持ち分を自由に処分出来ず、利益も損失も共同で分かち合い、その共有団体が解消される場合にのみ各成員にその持ち分が分配されうような共有の形》から構成員の「債務ゲマインシャフト」という概念を、経営ゲマインシャフトへの相関概念として導き出す場合には、この箇所における合手概念の利用については経営ゲマインシャフトと対抗するような試みをすべきではないと考える 33)。そこにおいては(Sohmは)まず第一に論理的にはしかしながら次のことを仮定しているかのように見える。つまり、債務ゲマインシャフトが、丁度経営ゲマインシャフトと同様に、共有であった財産と同時に(共有財産が成立した)その後に共有になった財産にまでも及ぶということである。しかしながら連帯責任というものはそういったもの(債務ゲマインシャフト)よりも根本的に更に上位のものなのである。更にSohmが合手制における構成員に「構成員としてその者に帰属する管理権」を行使させるとする場合には、そのことは我々の例に適用すれば、後代のそして今日の合名会社においての共有の財産に対しての負債ということを解明するのに利用可能である。しかしそれにもかかわらず、これから試みる説明は正当であり、そこでは「業務上」締結された契約に対する責任への制限が、なるほど物事の本質における必要不可欠な、しかしようやく歴史的に発展して来た古き時代の無制限の責任への制限を意味するということである。とするならば、これらのより古い時代の法の状態についてのそういった定式化が可能かどうかと言う検討は、後の時代における歴史的根本原理を考慮していないと考えられる。(その際に不法行為についての責任はどこへ行ってしまったのか?)そういった(債務ゲマインシャフトのような)定式化は全くのところ個人における連帯責任が問題にされる限りにおいては、次のような考え方と相容れない。つまりある「管理する」権利についての論理的な帰結としてはただ、管理された財産についてのみ成立し得る 34)という考え方である。次のことには留意すべきである。つまり家計ゲマインシャフトにおいては、たまたま成立していた共通の財産も、またその家計ゲマインシャフトと共に古い時代から結成されていた労働ゲマインシャフトも、共通の業務を一緒に執り行う 35)ゲマインシャフトでは無かったのであり、標準的であったのは実際の所「個々の権利に基づくような」と言うべき関係だったのであり、そしてそういった契機は後の時代における今日の合名会社の形成に至るものとして再び見出されるのであり、本質的に合資会社に対置されるものを形成するのである。

32)Die deutsche Genossenschaft, “die Festgabe für Windscheid”から。《Bernhard Windscheid、1817~1892年、ドイツの法学者でドイツ民法典の起草者の一人》

33)最終章(第6章)を参照せよ。

34)SohmのP.30を参照:「これらの(他の)成員の財産の持ち分も処分出来るという権利。」

35)このことは同時代の法学文献における見解でもあった。バルドゥスのConsilia III. 451.

家の構成員の責任の源泉と発展

 家の構成員(ゲノッセン)の個人的な責任は今や文献史料においては多かれ少なかれ犯罪に関連した破産の事例と結び付くようになる。次のことについては除外されるのではないし、また――何かよりはっきりした事は肯定的な面でも否定的な面でも述べることは出来ない――それはつまり次の事に関してのわずかな蓋然性を語っているということであり、それは相互に姻戚関係にあった頃の記憶は法形成に影響を与えたのであり、またそういった法形成を容易にもしたと言う事である。しかしそれはまたそれ以上のものでも無い。(法形成の)発展それ自身は疑いも無く氏族的な考え方の外側で成就したのであり、そしてなるほど、姻戚関係という契機がもはや統一されたものでは無くなって初めてある役割をようやく演じたのである。ある特定の考え方は「他の物から現れ出た」のではなく、他の物を置き換えたのである。氏族社会的なゲノッセンシャフトの位置におけるゲマインデ関係(地域的な共同体)におけるように、近隣関係を基礎とする地方における耕地ゲマインシャフトというものが登場して来たのであり、そうした耕地ゲマインシャフトというものは、植民の場合においてはおそらく規則的に近隣関係と一つのものであったのであり、それ故にここにおいて家族の位置していた場所に、業務を主とする暮らしにとってもっとも重要な財産法的な特性、つまり共通の家計と業務ゲマインシャフトが登場してきたのである。より新しい原則が古いものから発展したのだということは、証明することが出来ないし、変化した部分について適切にその特徴を述べることも難しい。Vicus(古代ローマでの村)はおそらく決して氏族関係による構成員(ゲノッセン)だけを包含していたのではないし、共通の家計は確かに氏族関係に先行するただ一つの関係では決して無かった。そこでは確定されたある土地への定住と農業経済のやり方が、このやり方という点ではゲマインシャフトでの業務を主とする暮らしが諸都市において自らをはっきりと形作ったように、異なったかつ新しい原則が、その原則はその本質においては古い原則から原理的に差別化を図ったのであるが、古い原則を置き換えたのである 36)。

36)Lastigにおけるこの関係の形成の説明は、私には全くもって受入れ難いように思われる。

 さて家の仲間(ゲノッセン)の責任というものがより古い法においては原則的に無制限であったということが、一般的に諸都市の法規における法の発展の方向を常にそういう責任を制限する方向にするという結果に導いた。法においてそういう制限が設けられているということは、そのような制限が実際に家の仲間(ゲノッセン)同士の関係においても存在したということである。古き時代におけるある仲間(ゲノッセン)の他の仲間(ゲノッセン)に対する完全な責任は、原始的な商取引や信用関係においても疑うべきもなく存在していた。当時において、後の時代に先行して現れて来ていた個々の成員を拘束するということは、同じように自明なこととして、それぞれの成員が家共同体の共通の勘定について責任を持つということになった。それは今日において家長である父親が、家のメンバーが使った小売人や手工業者に対する代金を、ぶつぶつ言いながらあるいは黙って仕方なく支払うようなものである。そうした生き方の帰結としての共通の成功や破滅ということは、ある一人の成員の契約(の責任)が他にも及ぶということである 37)。

37) Constitum Usus Pisene civitatisは家ゲマインシャフトを次のように定義している:”si de communi in una domo vixerint et contractus et similia communiter fecerint, sive absentes sive praesentes, sive uno absente, altero praesente etc.” (もし彼らが一緒に一つの家に住んで契約及び同様の協定を取り交わした場合、またはある者が不在である者が居た場合、または一人が不在で他の者は居る場合、等々。)

 より古い時代の法に対する意識において、原理的に異なっている二つの考え方、つまり共通の財産それ自身の責任と、全ての構成員(ゲノッセン)の責任とを常に区別すること 38)は困難であると認めざるを得ない。この二つの区別は、財産ゲマインシャフトが本質において完全なものである限りにおいては重要性が低かった。これに対して――構成員(socii)の間よりもむしろ外部に対する関係において――次のような困難が生じてくるのが不可避だった。つまり、信用の意義が増大して来た時に個々の成員が債務によって拘束されることは、次のような性格を持つことになり、つまり当該の成員に債務について責任を取らせることは、もっぱら共通の家計という原則においてはしばしば不当なものと見なされるようになったということである。他方においては、当該のゲマインシャフトを業務を中心とする暮らしの中で信用の担保として使えるようにするために、まさにそのゲマインシャフトが無条件の責任を持つという形で対応したのである。こういった信用の担保としての利用は、また個々の成員の持ち分全額までへの責任の限定という場合において――それは普通当然と見なされる考え方であるが――放棄されることになったかもしれない。信用の担保として利用することの方が利害の上でより重要であった場合には、(無制限の)責任ははっきりと確立される必要があった。法の発展において、このような立法上の問題点は一体どのように解決されたのであろうか?

38)この点についての法学上の解釈が存在していた限りにおいては、後者(全ての構成員の責任)が前者(共通の財産についての責任)からの法学的な帰結として考察されている、例えばバルドゥスのConsilia V 125: ソキエタスの構成員(socii)は拘束される、何故ならcorpus societatis(ソキエタスの体)、つまりゲゼルシャフトの財産が拘束されるからである。

諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説。

 こうした(信用の担保としての共通の財産の利用と個々の成員の持ち分についての責任とのせめぎあいという)問題の立て方を通じてようやく我々は文献史料に基づいた論述を開始することが出来る。これまでに既に扱ってきた文献についての論述は色々な意味で先走りしたものになっていた。というのはそういった文献史料の状態に不備が多かったため、ある一般的な根本原理を作り出し、それによってそれらの文献史料がどういった問題を扱っていたかを明らかにするという必要性があった。

 諸法規の内容について適切な評価を行なうには次のことが必須である。つまり、商業と産業の極めて大規模な発展とそれに伴う非常に多くの新規の法律制定への新たな欲求以外に、ローマ法の伝播を考慮すべきということである。ローマ法のそうした影響については、考察するにあたっては、非常に強い影響力を持っていたものとして扱わなければならない。まさにそういったローマ法の影響について、商法の歴史においては、様々な都市の諸法規がより古い時代の諸制度を自分自身に適合するようにして、確定し取り入れてきたのだという説が唱えられている。

スペイン

 ローマ法の流入がどのように行なわれて来たかということについては、確かにごくわずかのスペインの文献史料が明白な証拠を提供してくれている。

 より古い時代の複数の地方の条例からは次の事が明らかになる。つまり、元々家族ゲマインシャフトからの帰結である連帯責任というものは、スペインにおける諸法規では既に良く知られていたということが。

 1142年のダロカ《スペインのアラゴン州サラゴサ県にある都市》法は次のことを前提としている。つまり父親はその息子の債務については疑わしき場合(in dubio)には責任を持つ 38a)ということを。この前提と共同相続人の間の相互の連帯責任については、実際の所当たり前のことと見なされており、間接的な表現では同時代の他の 39) 文献史料にも登場する。

38 a)この場合、父親の裁量に委ねられている。(Muñoz《Tomas Muñoz y Romero、1814~1867年、スペインの歴史家 》、 Colleccion de fueros municipales、マドリッド、1847年):
Si quis habuerit filium prodigum vel lusorem … desafillet illum si voluerit in consilio et si non receperit illum postea non respondeat pro illo. (もし誰かが浪費家である息子や放埒な息子を持った場合、…その息子を追放とさせよ、もしその父親が相談の上でそれを望んだとしたら、そしてもしその息子を後で貰い受けなかった場合には、その父親はその息子については責任を持たない。)――Desafillareという単語はつまり=家ゲマインシャフトから追放する、という意味である。(Muñozの本のP.534)

39)メディナセリ《スペインのカスティーリャ・イ・レオン州ソリア県の都市》の法(MuñozのP.435)においては12世紀の初めから(一説によれば既に武人王{el Batallador}アルフォンソ1世《1073年または1074年~ 1134年、アラゴン王およびナバラ王、在位:1104~1134年》の時代から)(特定の場合においては)免責とすることを必要と見なしている明白な規定が存在した。同様にアルフォンソ7世が1118年にトレドに与えた特権においては、逃亡者(fugitive)が元々権利を持っていたその母親の財産に関しての、妻と子供達の責任を特別に免除していた。同様の規定が1144年のペラルタ《スペインのナバラ州の都市》の法(MuñozのP.546)にも登場していた。1250年のカスティーリャの旧法は1359年に古い法素材(皇帝中の皇帝{el Emperador}と称されたアルフォンソ7世の時代から、またCortes von Najera《ナヘラ、スペインのラ・リオハ州の都市》などから)から改定されたものであるが、相続債務についての共同相続人の連帯責任について明確に述べている:(Fuero viejode Castillaの)l. V t. III:
 Todo ome o muger que muer, dejan fijos que reden lo suo de 5 sueldos en ariba, e deve el muerto debda manifiesta a otro ome, aquel a quien deve la debda, puede prendar los fijos e coger la debda si fallara en que e aquel fijo que pagara la debda puede mandar a los otros riedes que lo ayuden a pechar aquella debda quel pagò por suo padre, pues eredaron suos bienes tambien como el.(全ての男性または女性で死亡して、残された子供達がどちらからか5 sueldos以上を相続する場合、そして死んだどちらかが別の男からかなりの額の借金を負っている場合、その借金の貸主はその子供達を質に取ることが出来、もしその貸主が子供達の財産の中で支払いに充てられるものを発見した場合には、そこから貸金を回収することが出来る。そして死んだ父親または母親の借金を支払ったある一人の子供は、その父親の代りに借金を返すことについて他の相続人にも相応の負担を求めることが出来る。というのもそれらの他の相続人もまた、その子と同じく亡くなった者の財産を相続したのであるから。)

 またSanta Chritine《スペインのカタルーニャ州東部の町》の1212年 40)の法においても、共同相続人はイタリアでの諸法規と同様に、カスティーリャの法によって連帯して構成員(socii)として責任を持つ 41)べきであることが規定されている。

40)Muñozによる。

41)注39を参照。

 しかしこういった様々な条文は、ローマ法が侵入して来たことにより完全に取り除かれることとなった。

 既に1250年のCortes de Valenciaにおいては父親の息子に対する責任はその父親の同意に基づくとされている。アルフォンソ9世《1171~1230年、1188~1230年のレオン王》の巨大な立法の集成、つまりSiete Partidas《アルフォンソ10世の時にまとめられた7部からなる巨大なカスティーリャの法集成》は1256年から1265年の間で改定されているが、しかしながらローマ法を純粋な形でスペインに輸入しようと試みている。(例えば)Senatus consultum Macedonianum(Part. V 1,6)《紀元47年頃ウェスパシアヌス皇帝の時の法規で、父親から独立する前の子供が借金することを禁じたもの》、peculium castrense《兵士が軍務において得た財産》等の概念. (前掲書の2.)、actio exercitoriaとactio institoria《前者は債権者がある船長と契約した債権について、その船長を飛び越えて直接船主や船の借主に対して働きかけが出来る権利、後者は債権者がある店のマネージャーと契約した債権について直接に店の持ち主に働きかけが出来る権利》 (P. V 22, 8で規定)、その中ではそういったケースでの責任義務に制限が加えられている。Societas omnium bonorum《ソキエタスの全ての財産が現在及び未来において成員間で共有されるもの》(学説彙纂でのsocietas leonia《ライオンのソキエタス、イソップ寓話の「獅子の分け前」でライオンが狩りの獲物の分配の大半を取ってしまう話に基づくもので、そこから特定のソキエタスの成員がソキエタスのほとんどの利益を独占することを言う》に関する全ての定義や、特定の成員の立替金の勘定なども含めて)を含めた全てのローマ法でのソキエタス関係の法、これらの全てが次の規定に影響を与えている:compania que fazen los mercaders y los otros omes para poder gañar algo mas de ligaro ayuntado ssu aver en uno“ (ソキエタスで商人達と他の者達が共同で更に幾許かのお金を稼ぐために彼らの財産を一つにして投資するもの)(P. V t. X)Nueva Recopilation de Leyes《1567年編纂のスペイン大法典》では、次に(L. V t. XIII l. 1)特別な協定という観点から、各ソキエタスの成員は連帯責任ではなく、出資分に応じて責任を持つと言うことをまた特別に強調している。他のどこでもなくまさにここにおいて、ローマ法は実質的に使い回されている。これより以降の法的な文献史料はより古い時代の法的見解の残滓をごくわずかしか留めていない。

42)バルセロナではソキエタスの他の成員への法律上の(連帯)責任は後の時代にはもはや忘れられていた。それはMarquilles《James Marquilles、1368年または1370年~1451年または1455年、カタルーニャの法律家》による注釈(1491年出版の”De usaticis barchinonensibus”)において封建法関係についての特別な例外(P.337)的な事例として強調されて示されているのに見られる通りである。マヨルカ島の法規については、例えば”emancipatio in fraudem creditorum “(1413年のOrdinac de Mallorcaの新版)(債権者を欺くような債務者である息子の父親からの独立)の禁止のみが、わずかにその名残として考慮に入れられている。トルトサ慣習法(Oliver《Bienvenido Oliver、1836~1912年、スペインの法律家・歴史学者》による”El derecho de Cataluña”)のいくつかの部分は古い時代の法律の発展的解消を独特の方法で行なっている。それらの部分はソキエタスについてローマ法おソキエタスの法的テンプレートの内ごくわずかな条文だけを採用しており、特徴的と言えるのはただ資本から(extractis capitalibus)得られた利益が、出資金額の比率で分けられるのではなく、”mig par mig”つまり単純な頭数で割った金額で分けられねばならなかったということである。しかしながら、相続ゲマインシャフトについては、それらの部分は極めて風変わりな規定を採用している。つまり遺産分割の訴えは相続の事由が発生してから30年後に時効になるという規定である:I. II、第13章15節:”de XXX ans avant los uns no poden forçar los altros que venguen daquela cosa a parcio …”({事由が発生した日から}30年目のその日以降は甲は乙の遺産を分割するという権利を主張することは出来ない…)――ここにおいてより古い時代の理解が難しい人間関係にローマ法の法的テンプレートが適用されている。兄弟間の相続ゲマインシャフトにおける「兄弟の間での」(per frayresca)(l. VI r. II c. I)遺産分割のやり方は何かの意図による、遺産相続のコミュニティーについてのより古い時代の独特な基本原理の残滓である。さらに新しい時代の地方法においては、より手工業者間での自警団(警察)組織に関する内容が多くなっている。(ブルゴス《スペインのカスティーリャ・イ・レオン州のブルゴス県の県都》の法規がそうであったし、サラマンカ《同州のサラマンカ県の県都》の法もである。)スペインの地ではそれから、非常に明らかなことながら、(新たな)ソキエタス法の形成について独自な貢献はもはやされることが無くなっていた。Gonzola Suarez de Paz《詳細不詳》の”Praxis ecclesiastica et secularis” (1613年にフランクフルトで出版)は、訴訟の様式としては概してただ成員(ゲノッセン)間のactio pro socio《ソキエタスのある成員の他の成員に対する法的行動、訴訟など》だけを扱っていたし、それももっぱらイタリアの諸都市の法規を思い起こされるという意味においてのみ、告訴は仲裁(contadores)という名前の和解に至って結着している。これについては後述のフィレンツェに関する論考を参照せよ。

ヴェネツィア

 この「残存物」においてはしかし実際の所はより古い時代のある法的解釈を問題としているのであり、共通の法からの恣意的な逸脱を問題としているのではないことは、ヴェネツィアにおける法の発展がそれを証明している。

 我々にとってここで興味深いことは、ヴェネツィアの様々な法規の中で繰り返し言及されている”fraterna compagnia”《共同相続人である男性の兄弟で結成される相続財産を共有財産として持つ一種のソキエタス》である。そこにおいてはその制度は一定の期間だけ連続して存在する相続ゲマインシャフトであると解釈される。問題となるのは次の箇所である:
 l. III c. 4 de fraterna compagnia.
 Volumus quod fratres mortuo patre remaneant in fraterna compagnia quamdiu divisi non fuerint. Idem in germanis consanguineis filiis fratrum inter se et cum patruis. Et non procedat ultra fraterna compagnia. Sorores autem inter se et cum fratribus non sint in fra[terna] cia, sed faciant inter se sorores rationes eorum tantum que habuerint a patre vel avo vel aliquo alio de superioribus … et etiam cum fratribus si fratres inter se remaneant in frat[erna] cia nisi et ipsi divisionem fecerint. Si pater … aliqua specialiter dimiserit filio … illud non erit de frat[erna] cia.
(l. III c. 4 fraterna compagniaについて。
我らは次の事を希望する。つまり兄弟達はその父親が亡くなった後はお互いがばらばらに別れてしまわない限りは、fraterna compagniaの中に留まることを。この事はその兄弟達の血縁上の息子達、その兄弟達の間、そして彼らの父方の伯父についても同様である。そしてfraterna compagniaはそれ以上に拡大して適用されることはない。姉妹達についてはしかしながら、彼女達自身の間でもまた兄弟達との間でもfraterna compagniaに所属することはない。しかし彼女達は、彼女達の中で、ただ父親から受け取るであろうもの、または祖父から、あるいはともかく彼女たちより年長の誰かから受け取るであろうものについては、それは彼女たち自身の財産勘定として持つことになるであろう。…そしてまた兄弟達が彼ら同士の間でfraterna compagniaの中に留まり、彼ら自身がばらばらになってしまわない限りは、もし父親が…何かを特別にその息子に与えるとしたら…そのものはfraterna compagniaのものにはならない。)

すなわち:fraterna compagniaは兄弟間での(共有する)財産について形成されるのである。それ以外にfraterna compagniaには属さない別の財産が有り、それは特別な遺産として遺されたもので、姉妹達の相続分である。その後者の相続分はなるほど(家族)ゲマインシャフトの中に存在しているのではあるが、それはゲマインシャフトとの関係においては単なる精算関係(rationes faciant = 精算すること)なのであり、単なる一つの勘定であるに過ぎない。兄弟がゲマインシャフトに所属するということは、それ故もっと多くのことを意味するのである。それは一体何か?それについてはまだこの段階では明確になっていない。しかしながら、先に引用したランゴバルド法の箇所にこの制度の名残が見られることは明らかである。

 このfraterna compagniaの関係とその他の類似の関係に関連しているのが1335年にヴェネツィアとコトル《モンテネグロの都市、中世においてはダルマチア地方の有力な都市国家だった。》との間で締結された権利補助契約 43)の一節である:
„… Item quod fratres, existentes in fraterna societate, teneantur cuilibet debito facto per aliquem ipsorum, cum hoc condicione, quod ille frater qui noluerit teneri debito fratris sui, ante debitum contractum debeat fecisse cridari per riparium dicte terre in platea et scribi per notarium in quatreno communis se nolle teneri ad debitum fratris, et taliter … minime teneatur. — Item quod socii, habentes, societatem, ad invicem teneantur ad debitum factum per aliquem ipsorum, quod si fecerit cridari et scribi se nolle teneri, ut de fratribus proxime scriptum est superius etc.“
(同様に兄弟によるソキエタスの成員である兄弟は、そのソキエタスの別の成員である誰かが負った債務について責任があり続け、それは以下の条件の場合に、つまりある兄弟が他の兄弟の債務について責任を負い続けることを望まない時に、その債務が発生する前に、(その債務が発生するであろう)当該の通りの運河の土手一帯に向けて宣告し、さらに公証人の元で公正証書を4部作成しコムーネの公式登記簿簿に登記しなければならない。《通常公証人の公正証書は、(1)まず公証人が自分用のメモを作成、(2)次いで公証人自身の登記簿に登録、(3)公正証書の作成、と3段階を経るが、更にコムーネの登記簿に登記する場合は4番目の作業がある。この全ての過程を合わせて「4部作成」と表現していると思われる。》その内容は、彼は自分の兄弟の債務について責任を負わされることを欲しない、等々というもので…(その証書によって)彼が(他の兄弟の)債務を負わされることは決して無かった。――同様にソキエタスのメンバーである成員は、ソキエタスの他の成員の誰かが負った債務について相互に連帯責任を負っていたが、しかしもしある一人の成員が宣告して公正証書を公式に登記して彼が兄弟によって発生した債務について責任を負わないとした場合、まさに先に上記のように兄弟のソキエタスで公正証書が作成されたのと同様に、等々。)
さらに次のように言及される:
„frater sive socius habens societatem fraternam cum illo.“
(ある兄弟またはソキエタスの成員が、その者と共に兄弟のソキエタスに所属する場合。)

43)1868年のMonumenta spectanita historiam Slavorum meridionalium Vol. I ZagrabiaeのNo.696。

ここにおいて観察することが出来るのは、まずはcompagnia fraternaに関することとしてはその法的な帰結としては連帯責任なのであり 44)、ただ一定の書式によるそれに対する拒絶のみを認めているということである。そして特徴的なことは、こういった法的な帰結について、コトルとの交信文ではそれについて言及されているが、ヴェネツィアの法規ではそういった言及が無いということである。つまりヴェネツィアの内部での取引においては(連帯)責任そのものが自明のこととされていて、特別な個人の都合を認めることが無く、ただ国際的な取引においてのみそれが認められていたことである。まさにそれと同様にソキエタスにおいても、ここでは相続ゲマインシャフトと並んで重要なものとして位置付けられているが:またもソキエタスとそこから発生する連帯責任についてはヴェネツィアの内部の法規では言及されておらず、ただ外国のコムーネに対してのみそれに関係した内容について言及されている。

 上記にて引用したヴェネツィアの法規の目的は、以上のことからも分るように、いずれにせよfraterna compagniaの導入を意図したものではなく、おそらくはfraterna compagniaにおいてそれの対象となる世代の数を限定することを意図したものであろう。立法というものの傾向は得てしてこういう方向に行きがちである。というのも17世紀においてさえZorzi《Marc’ Antonio Zorzi、1703~1787年、イタリアの法律家・詩人》がfraterna compagniaに対しての分割請求を実務的に処理した時には、この制度の本質的な側面である対外的な作用が、次の法文によって既に無効とされているのである:
1619. 7. Luglio. Nel Magg[iore] Cons[iglio] Essendo per Legge nello Statuto nostro deciso che la fraterna cia sintenda, quando li fratelli non sono tra di essi divisi nelle faccoltà e occorrendo ch’alcuno, ò per mal giorno ò per altro contraza debiti, li Beni di tutta la facoltà sono sottoposti e così ne rimane il danno e pregiudizio anco à quelli che non ne hanno havuto colpa … andarà parte:

 che nell’ avvenire non possa il fratello di fraterna in alcuna maniera senza l’assenso espresso dell’ altro fratello, obbligarlo … ma ogni obbligazione … s’intenda sempre propria e sola di quel fratello che l’havesse contratta, e i Beni della sua specialità e della sua porzione di fraterna a lui spettanti obbligati à pegno, non quelli d’altri fratelli …
( 1619年7月7日、大評議会《Maggior Consiglio、ヴェネツィア共和国の最高決定機関》にて。ヴェネツィア共和国の法律に基づいて以下のことが決定された。つまりfraterna compagniaとは次のことを意味する:即ちある特定の兄弟達において(相続した財産が)それぞれの財産に分割されておらず、またその兄弟達の誰かが時勢に恵まれなかったとか、あるいは他の理由で債務を負う契約を締結することになった場合、その兄弟達全体の財産はその債務に対して責任があり、仮にその兄弟達に何の違法行為が無かった場合でも、その財産が被った経済的害や損失はそのまま有効である…別の箇所では:
 あるfraterna compagniaの中の一人の兄弟が、どういうやり方であれ、他の兄弟による同意無しには、自分単独で債務を負う契約を締結することは出来ないということを意味している。…しかしまたその一人の兄弟が契約したどのような債務もそれはその兄弟だけに責任がある特別な負債であり、fraterna compagniaの中での彼の取り分のみがその負債の担保とされ、他の兄弟の取り分についてはそうならないということを意味する…)

44)マニン《Danielle Manin、1804~1857年、ヴェネツィアの弁護士・政治家、1848年に成立したヴェネツィア臨時政府の大統領となったが1849年にオーストリアに敗れ、以後はパリで亡命生活を送った。》の(Giurisprudenza Venetaでの)見解によれば、兄弟は同意がある場合にのみ責任があるということは、より以前の時代においては正当なこととはされていなかた。

45)Pratica del foro Veneto(ヴェネツィアの法曹実務について)のP.35を参照せよ。

この法規定から直接には、連帯責任というものは相続ゲマインシャフトから派生した招かざる法的帰結であるかのように見える。それ故に人が相続ゲマインシャフトによって得るのは、ソキエタスの共通の基金という特性であり、その特性は元々は法律の規定としてそのゲマインシャフトに固有のものとして決められていたものである。というのもこのソキエタスの共通基金というのは、元々はソキエタスの男性の成員に対する制限として発生したのであり、すまりはソキエタスが従事するビジネスにおいて、個人的な労働を通じて関与する成員への制限からであり、その際姉妹達はそういった男性成員とは別扱いされ、何か特別な場合において「参加者」として扱われるに過ぎなかった。1619年のヴェネツィアの法律はそれ故にソキエタスの共通基金の特質をまだ単なるソキエタスの契約によって作り出された財産ゲマインシャフトとしている。ここにおいて我々は以下のような発展への契機を見出すことになる。それはつまり家族仲間の間での共通の経済が、それはかつてその集団の主要な要素であったのだが、次第に後退していき、純粋な契約ベースの関係に席を譲るために、やがては完全に消滅してしまうという発展である。まだヴェネツィアにおいては、コトルとの契約が示しているように、この発展はただ次のことを通じて実現している。つまり、個々の共同相続人が、異議申し立てによって、それぞれの留保分の財産を確保することが出来、そしてその者がfraterna compagniaの一員としては扱われないということを通じてである。他のイタリアの諸都市では、(フィレンツェの)Alberti家に関する記録やPeruzzi 46)の書籍が明確に示しているように、《AlbertiとPeruzziについては第3章の注23と注25を参照。》後になって次のことが生じた。つまり(家族ゲマインシャウトとソキエタスの)関係が逆になっていて、その結果最初に共同相続人としての特性がソキエタスの成員という性格を形作るのではなく、家族仲間がまたある特別な時間的に限定された契約を締結し(それには公的な登記をするための通知が規則的に付随していた)、そうして初めてソキエタスの成員としての全ての働きが生じているのである。つまり、そういったことを通じて家族ソキエタスというものは、他のゲゼルシャフトの仲間として完全に現れ出でるのであり、その特徴としては本質的には、元々存在していた共通の財産と生業を執り行うという基礎の上に、ソキエタスを特別に簡易的に基礎付けることが出来たということである 47)。

 ヴェネツィアの法律は、他のイタリアの諸都市における法の発展とは別に独自の道を進み、ローマ法の伝播とはほとんど接点を持たず、しかしまさにそれ故に、一般法における新たな法形成に対しては大きな影響を及ぼすことが無かった。そうした一般法での新たな法形成は、様々に異なる諸要素が交錯することに成立しているためにその過程において、まさに我々がヴェネツィアの例で得ることが出来たような、単純な絵を描くということは常に完全に不可能であった。

46)Passerini《Luigi Passerini Orsini de’ Rilli、1816~1877年、イタリアの政治家・歴史学者・系譜学者。》の”Gli Alberti di Firenze”(フィレンツェのアルベルティ家)を参照。また、Peruzzi《Simone Luigi Peruzzi、1832~1935年、イタリアの歴史家、メディチ家に連なる家系の出身。》の”Storia del Commercio e dei’ Banchieri di Firenze”を参照せよ。更に本稿で後述するフィレンツェの部分も参照せよ。

47)ヴェネツィアの法律のその他の内容は些末なものが多く、注目すべきなのはただ、例えば l. I c. 37 にて書面での契約による家住み息子の債務が父親の責任としては特別に免除されている、という箇所くらいである。大規模な、書面によって契約された信用業務においては、上記に述べられているように、責任を制限することへのきっかけをまず見出そうとしていたのである。

その他のイタリアの地方諸都市における法規

 我々にとって法的発展の出発点であると仮定できる法文、それはつまり他の者と一緒に共通の家計において全員が生業に勤しむという形での完全なゲマインシャフトの中で生きる者は、それが家族ゲマインシャフトの仲間であっても、また工房(stacio)または店(taberna、bottega)における手工業者兼小商人のソキエタスの成員であっても、後者のケースは古い時代においては同じ家に住み込むことになるのであるが、どちらにせよその仲間が債務者として連帯責任を負うという、そういう法文は重要な内陸都市のほとんど全ての法規に見出すことが出来る。家族仲間のゲマインシャフトについては以下の法文の下記の箇所で扱われている:
・Liber civilis urbis Veronae c. 150 (父親と息子の相互の責任を定めている。) ・Statuta communis Vissi l. III c. 19.
・14世紀のローマの法規(Camillo Re編)のc. 108: Haftung der fratres dictorum mercatorum campsorum vel qui in communi cum eis vixerint.(前述の両替商の兄弟またはその者と一緒に暮した者の責任。)
・Liber tertius causarum civilium communis Bononiae、1491年印刷のもの: 小作人及びその小作人と”in eadem familia vel communione vel societate”(同じ家族としてまたは同じ地域または同じソキエタスで)生活している者は地主に対して責任を負う。
・1388年のクレモナ《イタリアのロンバルディア州の都市》のStatuta mercatorumのrubr. 101から126、逃亡者について: 責任を負うのは patres, fratres, filii … socii … et qui cum eis stant ad unum panem et vinum({その逃亡者の}父親、兄弟達、息子達…同じソキエタスの成員…そしてその者と一かけらのパンと一本のワインを共にした者達); 同様の規定が見られるのが次の2つ:
 -1388年のクレモナのStatuta civitatisのrubr. 495.
 -1582年印刷のマッサ《イタリアのトスカーナ州にある都市》の法規、l. III c. 77: Si fratres paternam hereditatem indivisam retinuerint et simul in eadem habitatione et mensa vitam duxerint, (もし兄弟達が父親の遺産を分割しないで保持し、そして同時に同じ家に住み同じものを食べるのであれば、)その各々はゲマインシャフトの名前において契約するという仮想的な権利を持つ。
・1422年のStatuta Burgi et Curie S[ancti] Georgii: 父親と息子の相互の責任。 ・ブレシア《イタリアのロンバルディア州にある都市》のStatuti della Mercanziaのc. 91 から107、逃亡者について:責任はその者と一緒に生活した者全員に及ぶが、その者の家族において参加者=共通利害の関係者(commis intéressés)では無い者(使用人など)を除く。
・ベルガモ《イタリアのロンバルディア州にある都市》のStatuti e privilegi del Paratico e foro della università de’ mercantiのc. 89: 以下の者は責任を負う:”filii et fratres qui cum eis stant ad unum panem et vinum et fratres et socii ejusdem negotiationis ipsum negocium exercentes et omnes alii descendentes talium fugitivorum“(息子達と兄弟達でその者達と一かけらのパンと一本のワインを共にした者、そして兄弟達と、その者と同じ業務上のソキエタスの成員で自分自身でも業務を行う者、そしてその逃亡者達の全ての子孫)、更にc. 92、 93など。
・1600年改定のボローニャ《イタリア北部のコムーネ》のStatuti della honoranda Università d’ Mercatanti della inclita cittàのrubr. 60 と fol. 48.  ここに引用した法規の内のいくつかは、まだ印刷技術が発明されていなかった時代のものであり、ただラスティヒの何度も引用した論文の中の抜粋という形で出版されているだけである。 これらの法規の一部(マッサ、ベルガモ、ボローニャ)は、家計ゲマインシャフトに並置して同一の工房(stacio)、食堂(mensa)、店(negociatio)のゲマインシャフトを位置付けているか、または家族仲間に並置してこれらのソキエタスの成員について述べている。

 以下に引用する法規の箇所は、家族ゲマインシャフトへの特別な言及無しに、工房(stacio)とソキエタスの成員について責任を負わせている:
・13世紀のピアチェンツァ《イタリアのエミリア=ロマーニャ州にある都市》のStatuta antiqua mercatorumのc. 550:si plures permaneant in una stacione et unus eorum mercatum fecerit … quod quilibet ipsorum teneatur in totum … si fuerint socii in illa stacione.(もし複数の人間が一つの工房の中に引き続き居住してそしてその中の一人が何かの商売をする場合…何故ならばその中の誰であっても全体に対して責任があるからである…もし彼らがその工房でのソキエタスの成員であったのなら。)同様の内容が1341年のCap[itula] de fugitivisにも見られる。
・Statuta domus mercatorum Veronae IIIのc. 85の箇所、ここについてはこの論考で後に更に扱う。
・Statuta urbis Mutinaeの1327年改定版のl. IIIのrubr. 22:ソキエタスの成員の責任;それについての補遺:”et intelligantur socii quantum ad predicta qui in eadem stacione vel negociatione morentur vel merceantur ad invicem“.(そして彼らは次の限りにおいて{その}ソキエタスの成員であると解釈される。つまりその者達が前述の者と同じ工房{stacio}または店{negociatione}に留まっているか、あるいは相互に取引がある場合である。)
・1292年のシエーナ《イタリアのトスカーナ州の都市》1292年のStatuti de’ LanajuoliのDist. II c. 22. ・1312年のスプリト《クロアチア南部の都市、15世紀から18世紀終わりまではヴェネツィアに支配された》のStatuti dei Mercanti(ラスティヒによる)。
・1376年のルッカ《イタリアのトスカーナ州の都市》のStatuti del Corte(ラスティヒによる)。
・アレッツォ《イタリアのトスカーナ州の都市》の法規(1580年版) l. II rubr. 42: ソキエタスの名前で締結された契約に対するソキエタスの成員の連帯責任。

非独立の仲間の責任

 こうした(連帯)責任は原則的にはゲマインシャフトに所属する(独立の)者が負うが、その場合非独立のメンバー:(独立前の)息子、(家族ではない他から来た)職人、(家族ではない)店員にもこの責任が及ぶ。ここに述べられた後者の者達の責任の重さの程度はもちろんそれぞれで異なっている。しかしながら家族については次のような事態が発生している。つまり、従僕やお手伝いの場合においてもまた、諸法規の傾向はむしろ、以前は独立したゲマインシャフトの仲間について、すべてを制限無く等しくみなしていたのを今度は制限するという、ある意味まったく逆の方向に向かっているのである。それ故に前述した非独立の者達は、その時々において家に属する財産を許可無く勝手に売却する 48)ことは禁じられていたのである。ということはつまり、より古い法原則によれば、そうした者達は以前はゲマインシャフトの主人(Chef)を拘束するやり方で、彼らの家の仲間としての立場からの自然な帰結として彼らの権利が想定されるような家の財産を自由に処分することが出来るということについての広範囲に正当とされる権利を獲得していたのに違いないのである。従僕の立場については、この論考のフィレンツェの所で再度手短かに論じられる。我々にとってここで興味深いのは、これらの家における様々な非独立の働き手と本質的に同様に、家住み息子を取り扱っているということであり、それは同時にローマ法と比較した上ではまさにはっきりした違いを示している。そのローマ法は半ば神話化している種族の(共有)財産(Gentilvermögen)が消滅した後は、ただ個人の財産だけを扱っているが、商取引における増大する信用取引への要求によって、家住み息子に課せられていた責任の中身を規制する必要性を感じていたのである。しかし、他に利用出来る法的な観点が存在しなかったため、ローマ法は家住み息子の責任についての規制の根拠として、非自由民の特別の固有財産という考え方を利用したのである。それ故に唯一の現実的な特別財産の形成は、それは商取引における切迫した要求に応えるものであったが、actio tributaria《ある主人に従属する者が、本来その者の固有財産に入れられるべき利益の中の取り分を、主人がごまかして自分のものにしようとした場合に、従者が主人を訴え苦情申し立てをすること》という形で発展し、奴隷の権利に関する領域から出現したのである。中世の法はこの点において、非独立の家仲間だけでなく、私法上の権利を持っている家仲間の関係をも規制する必要があるという課題に直面していた。家住み息子達においては、先に論じたように《第3章の「財産法的発展の工程。構成員への分け前の権利。」》常に家住み息子達にも所有権を与えるという考え方が、明確に書いてあった場合も曖昧に書いてあった場合もあったが、実質的に存在しており、家住み息子は他の家仲間と同様に家仲間でありそれに対して制限を加えることが出来るのはただ家長としての権力だけであり、父親の無制限のただ父親にのみ属する財産権では無かったのである。その結果として次の疑問が生まれる:家住み息子、つまりここではその父親と一かけらのパンと一本のワインを共にして生きている息子は、どの程度まで家族に対して(連帯)責任を負わせることが出来るか、という疑問である。それに対する答えはきわめて様々であり得るが、しかしながらそこでは根本的に家住み息子は他の者と同様家仲間の一人であり、その家住み息子が締結した契約は他の家仲間が締結したものと同じ効力を持つことになるという考え方に依拠することは行なわれていなかったのである 49)。

48)ヴェローナ《イタリアのベネト州の都市》のStat[uta] domus mercator[um]のl. III c. 12.

49)違法行為については、既に見てきたように《第3章の「第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする血縁関係。」》ある種の責任が根源的に発生している。契約が(違法行為に対する責任を)規定している限りにおいて、いくつかの法規は家族に対してそれ以上の責任を課さなかった。そのような法規としてはピアチェンツァのもの(c. 201 vv. „patres“ など)、Visso(Statuta comunis Vissi)などがある。――他の都市のものでは、ブレシア《イタリアのロンバルディア州の都市》のもの(Stat[uti] della Mercanziaのc. 61)、ベルガモ《イタリアのロンバルディア州の都市》のもの(Cap[itula] de fugitivis の1341年版の p.203, 205 の引用箇所)、サンジョルジョのもの《イタリアにはSan Giorgiaが付く都市が25ぐらいありどの都市を指しているか不明》があり、これらの法規は全てが同様に、ヴェネツィアでの兄弟間での申し立てのケースと同様に、あらかじめ決められていた責任を抗議によって覆すことが出来た。いくつかの法規では、まだ父親の家に住んでいる家住み息子と契約することが禁止されていた。ボローニャの法(l. III cons. civiの引用箇所 72)、モンカリエリ《イタリアのピエモンテ州にある都市》、ローディ《イタリアのロンバルディア州の都市》(Statuti vecchi c. 46)とニッツァ《イタリアのピエモンテ州のニッツァ・モンフェラートのことか?》の法規では、その父親と別れて住んでおらずまた商人ではない息子に対しては、義務の遂行能力というものが一般的には否認されていた。この後の条件(商人ではないこと)は、次のことを再度明らかにしている。つまり、人が家住み息子に対してその義務遂行能力を明らかに認めるのは、ただ家族全体の(連帯)負担とすることが想定出来た場合のみであったが、しかしまさしく商人の権利というものが信用を得るという利害関心において、古い法原理の中において採用されていたのである。家住み息子と契約することの直接的な禁止はまた法の観点においてのみその根拠を見出すのであり、もし誰かが家住み息子と契約するということは、家族の財産が損害を被る可能性が想定されていた。ボローニャの法規(liber tertius caus. civil. fol. 54 c.)でも、息子が父親から別れたことによって初めて義務遂行能力が与えられるとしている。(ただ{父親と}別れて住んでいる者とそして商人が義務を果たすことを要求される、とされる。)

家族ゲマインシャフトにおける財産分与義務

 家ゲマインシャフトはその際に常に次の事を前提としていた:父親から離れて別に住んでいる息子(filius seorsum a patre habitans)は、この家ゲマインシャフトのメンバーでは無くなる、ということを。ただ(息子の独立による)経済の分離の前に父親または息子によって作られた債務のみが、その分離の後でもまだ他方の(連帯)責任とされる 50)。ローマ法の侵入はこうした法的発展を後にもっぱらコモン・ロー(ius commune)へと作り替えた。責任の制限はやはりここにおいてもより大規模な、書面で取り交わされる債務について必要とされるようになった 51)。その責任の制限については(共有の)財産は全ての成員の必要に応えるものであるという、古くからある考え方と適合していた。そこから導かれるのは、しかしながら全ての費用、それはつまり債務も含めて全員の責任になる、ということではなかった。何故ならばここで扱われているのはもはや個々の成員の必要ではなく、それまで予想されていなかった財務的な意義を持つ投機的な活動であったからである。しかしながら、必ずしも常にローマ法の原則が使われたのではなかった。ここにおいて、むしろある興味深い特別な発展が見出されるのである。

50)ピアチェンツァの法規、c.514。

51)ヴェネツィアの法規、l. I c. 37。

 ただ単に家ゲマインシャフトが無くなったという事実をもって、古い法原則では家族の責任も無くなるということになっていた。しかしながら不可解に感じるのは、(息子の)責任については、その息子が継続してその父親と同じ住居の中に住んでいるか、それともその外に住んでいるかということで有り無しが決められるということを理解しようとする時である。ゲマインシャフトの本質的な側面としてはよくそういう風に強調されるように、血縁関係ではなく、またある空間を共有するということでもなく、その2つがただ経済ゲマインシャフトを結び付けているから、または結び付けている限りにおいて、そうだと言えるのである。古い形のゲマインシャフト的家計はそういったものを包含していた。というのも家計はその予算の中に、今日でも小さな男の子にとってそうであるように、収入と支出の全てを包括していたからである。多くの者が一かけらのパンと一本のワインを共にするということが意味するのは、古い時代においては、それぞれの者の収入と支出はそれが疑わしい場合でもともかく共有だったのであり、というのは手工業者の経済的活動は、まずは身体的に生存し続けていくということが中心だったのであり、つまりはパンとワインに関わることであり、それは生命を維持していくのに不可欠なものを示すイタリアでの常套句だったのである。製造業者は後になって、自身の家計における支出のみの勘定を持つことになった 52)。古い時代においての家族の中の父親はこうした勘定において(支出のみでなく)借方と貸方で、自分が関係するすべてのものを把握しようとしていた。それ故に家ゲマインシャフトの廃止は、ただ生計ゲマインシャフトの廃止としてのみ法的な意義を持ち得るのである。息子が両親の家の外で父親と一緒のゲマインシャフトにおける計算に組み入れられる場合は、その息子は例え家の外にいても言葉の本来の意味でパンとワインを共にするソキエタスの成員のままなのである。逆に息子がその父親の家に住んでいて、しかしゲマインシャフトとしては父親と生計を共にしていない場合には、息子は共通の家に住むという事実にも関わらず、もはや父親とパンとワインを共にする同じソキエタスの成員ではないのである。それ故に家計の分離は生計ゲマインシャフトの分離として理解され、父親は息子と話し合って結着を付ける必要があった。しかしここにおいてその結着の中身はどのようなものと理解すれば良いのであろうか?諸法規は様式については多くの場合公正証書(carta publica)を要求していた。しかしながら他にも具体的なものが要求されていた。父親は息子と話し合って結着を付ける際に財産を分与した。それも正当とされる割合(legitima pars)で、息子が当然受け取るべきとされる割合を分与した。従ってそれいについての法規定が存在していたし、それも北イタリアの法規によれば明らかに、疑わしき場合でも財産の内の主要部分の全てを分与の対象にしなければならなかった 54)。

52)その方向への発展についてはこの論考のフィレンツェの章において、Peruzzi家とAlberti家の場合において注目することになる。その両家の場合においては、初期の段階からまたある程度経ってからも、全ての支出において事業のためのものと家計のためのものが入り乱れて処理されていたのであり、ただ常にそういった支出は事業における大規模な勘定の中で既に「支出」として切り分けられていたように見える。

53)Petrus de Ubaldis《1335~1400年、イタリアの法律家。兄弟にバルドゥス、Angelusがおり、この3兄弟はしばしば同一視される。》の”De duobus fratribus”の序文において、自然法に反しているため、諸法規が次のことを定めようとしていることは許容できないとしている:”quod pater teneretur pro filio nisi filius patri referat quaestum.”(父親は息子が儲けを父親に渡さない場合を除いては息子について責任がある。)

54)シチリア-南イタリアの法における財産分与の元々の原則は一般的な形では見出すことが出来ない。しかしながら次注を参照せよ。

 ピアチェンツァの1341年のCapitula de fugitivis、1350年の補遺: 父親は息子に連帯保証の分全額(solidum)を支払わなければならない。または、 “ipsi filio obligato assignare partem legitimam omnium bonorum suorum … super qua quatenus attigerit creditor solucionem suam consequatur“.(彼自身の息子が負っている債務の分について彼の全財産の内の一定部分で法的に息子がもらう権利がある分を分け与え…債権者はその分け与えられた分の範囲で支払いを求めることが出来る。)

ただこういった部分的な財産の移動のみが、本当の息子への財産分与として通用し、このことは諸法規によって息子が潜在的に持っている持ち分についての権利からの論理的帰結として理解されることは明白である 55)。我々にとっても、この時代においての法学 56)における早くも現れているローマ法的な見解にとっても、ほとんど身の毛もよだつような原則、つまり息子はその父親が彼に独立した家計を譲渡しようとする場合、自分の取り分を父親がまだ生存している時であっても望むことが出来たという原則については、自明のこととして、これらの同じ諸法規が――ローマ法の流入の影響により、この原則を認めずまたこの原則を明確に排除している 57)ことを意味している。まさにこの原則が我々に身の毛がよだつようなやり方で示そうとしてることは、我々の社会的・経済的な見解が理解して来た、家族の財産権の確立という大きな変化を、頭から否定しようとしていることである。こうした法規定のこういう側面からの評価についてはここでは扱わない。しかしながらそういった法規定で述べられていることからは、次のことが間違いなく生じてきていることが確認出来る。それはそのような規則が成立し得るのはただ、まだ独立していない家住み息子も家の財産の一部に権利を持つ家の仲間であり、そして彼自身の契約が家族の財産に対して及ぶという見解が権利意識において優勢であるという場合のみである。同様に我々はここでまた、いわゆる”emancipatio legis Saxonicae”《ザクセン法における息子の解放、ローマ法と対比してのゲルマン法における、息子を父親の監督権(Munt)から解放して財産を分与することに対しての根拠付けのこと。「経済と社会」の家ゲマインシャフトに関する部分を参照。》の意味について、実際的な根本原理をこれまでとは異なる見地で観察することが出来る。家計の分離の論理的帰結としての財産分与の義務は、その他にも確かにゲマインシャフトの維持に対しての強い動機付けでもあった。

55)ヴィチェンツァ《北イタリアのヴェネト州にある都市》の法規は、違法行為の場合には家族の責任が全ての財産の主要部分に及ぶことを承認している:1264年のヴィチェンツァのStatuta communisのl. III rubr. の”quod dominus teneatur pro servo et pater pro filio”(家の主人は奴隷{召使い}について責任があり、父親は息子について責任がある): つまり父親は責任があり “ita quod persona patris pro virili porcione cum aliis filiis computetur“(それ故に父親の人格は他の息子達とまったく同じ分だけ認められる)、モデナ《イタリアのエミリア=ロマーニャ州のコムーネ》の法規は家族の成員の中でのそれぞれのカテゴリーについて独特な分類方法を提示している:家住み息子で犯罪を行った者、その結果”bona ejus devastari deberent”(彼の財産は没収される)、その場合あるやり方で計算され分割される、つまり父親は1/2を負担し、残った半分は息子達の間で一定の割合によって分割されることが規定されており、そのようにして調査された割合でそれぞれの財産が没収される。父親が犯罪を行った場合には。その財産の1/2が没収され、残りの1/2は子供達に残される。よって父親もまたある比率に応じて権利を与えられる。シチリア島と南イタリアの法規を参照せよ。

56)Carpano《Orazio Carpani、1525~1595年、イタリアのミラノ生まれの法律家・書記》はミラノの法規への注釈書の中で、法学的に考えた場合、遺産を与える者がまだ生存している時に(息子の)権利が既に有効になるということは不可解であると説明している。

57)パドヴァ《イタリアのヴェネト州の都市》の12・13世紀の法規:父親は息子に対してはただ扶養する義務があるが、財産の一部を与える義務は無い、しかしながらただ”nisi justum videbitur potestati vel rectori de parte arbitrio ejus dando”(父親が息子に一部の財産を与えることについての裁定が権力者または支配者によって正当であると見なされない限りにおいて)。マッサ《イタリアのトスカーナ州の都市》の法規も同様のことを定めている。最も決定的な表現は1502年のミラノの法規に現れている:fol. 150: Si pater filium emancipaverit, partem debitam jure naturae bonorum suorum assignare compellatur. (もし父親が息子を一人前として独立させる時には、自然法により、父親の財産の中から息子の取り分を分け与えることが強制される。)ここにおいてもまた息子達だけが、ここに記述されたようなやり方で取上げられている。

 1264年のヴィチェンツァのStatuta Communisのlib. IIIの見出し:”quod dominus teneatur pro servo et pater pro filio”(家の主人は奴隷{=召使い}に対する責任を持ち、そして父親は息子に対して責任を持つということ)は更に次のことを示している。つまり、家の使用人はその主人に対して自分達についての責任を負わせることを正当化する点で、家住み息子と同位置に置かれているということと、このことはしかしローマ法学を取り入れたというようなことではなく、Institrat《主人の代理で主人の名前による契約を締結する代理権を持った者》または「推定代理権」であり。それは家族及び代理人において法的に誰かに義務を負わせることが出来る権利と今日で言うところの「業務代理人」と「使用人頭」である、ということを示している。

個人債務とゲマインシャフトの債務

 これまで述べて来たこと以外に、我々はこの独特なAusschichtung《現代のドイツ語辞書には無い単語。おそらくは初高ドイツ語で、原義は「層を形成すること」、ここでは息子に財産を分与することで、元の家ゲマインシャフトとは層関係を成す新しい家ゲマインシャフトを作ることを言っていると思われる。》の義務の制度について、――これによって我々は前述した問いにまた戻るのであるが:ゲマインシャフトの成員の債務に対するゲマインシャフトの責任の制限の問題が諸法規によってどのように解決されたのか?――(その問いに対しては)次のような様々な場合が存在していることを見て取ることが出来る。つまり、そこにおいてはこうした制度は事実上次のようなやり方で行われている 58)。それはただ一人の成員への割り当て分が、それは先に家族ゲマインシャフトのソキエタス的性格について見出したことを考慮に入れてそういう風に言うことが出来るのであるが、つまりその成員の出資分が、つまり(投下)資本が、それをその成員はゲマインシャフトに投資した訳だが、その出資総額の範囲内においてのみ債権者に対する担保として使用出来るということである。それ故にここでは父親の財産における家住み息子への分与分、この分与分のみが家住み息子の債務の担保となるのである。しかし他方では、この種の(有限責任の)規則が我々がこれまで論じて来たようなゲマインシャフト全般に適用されるのでは必ずしもないことは、我々が既に見てきた通りである。無限責任の考え方は、それは当初の論理的帰結であったが、それは後の時代になっても保持され、そして我々は既にそれより先に進んだ(ゲマインシャフトの)形態も確認して来たが、商法が確立される時代になってもその原則は保持されたのである。我々はそうした歴史的経過に適合したこととして以下のものを認容する。つまり、古い時代からの(無限)責任の原理がまさしくゲマインシャフトとその債務の扱いについて存続したのであり、その債務というものは商法の範疇に入るような商取引の遂行に関連していたのである。これをもって我々は業務上の債権者と個人的な債権者に釣り合わせることが出来る重要な対象物を見出すのである。債務全体の中で、ゲマインシャフトとその全ての成員が責任を持つ債務と、ある一人の契約を締結した成員の、その成員の本来の取り分にだけの責任となる債務との境界は、後者においての経過の中では、その成員は自分の持ち分をゲマインシャフトから取り出して「新たな層を形成」(Ausschichtung)しているのだが、また我々がこの2つの場合をある成員の債務の可能となる法的帰結として確認した後において、一体どこに線を引けばいいのであろうか?

58)上述の注11を参照。

家族以外での連帯責任。共通のstacio(工房、店)

 家のゲマインシャフトを基礎とする連帯責任の原則が及ぶ範囲が必ずしも家族である成員に限定されていなかったということを先に列挙した諸法規は示しており、それらの中の一部はそういう限定を設けていなかったし、また別の一部は一かけらのパンと一本のワインを共にする者達を家族である成員に依然並置していた。家族の外で家のゲマインシャフトを手工業の領域で見出してみようとする試みについては既に述べて来た。しかしながら手工業から始まって、それは国際的な意義を持つ産業へと成長し、手工業者の住居、それはその者の工房でもあり販売のための店舗でもあったが、その住居が占めてた場所に後には広大な大工場的な経営が登場して来るのである。そのような(大規模の工場)経営においてはしかしながら、職人仲間の家ゲマインシャフトはもはやまったくもって通常のことではあり得なくなっていた。いわんや経営ゲマインシャフトを特徴付けるような目印となっていることもあり得なかった。こうした方向への変化というものは、小手工業の場合がそうであったような、自然な形での住居と工房と販売のための店の兼用がもはやされなくなった時に、既に始まっていた。botteghe(店、工房)、staciones(工房、店)、tabernae({小規模の}店、飲食店、酒場)は都市の街区の中で建物を賃借して営まれていたし、共通の家のゲマインシャフトはいつも同じbottega《=botteghe》の中での共通の仕事と規則的に一緒になっているということはまったく無くなっていたし、仲間(Konsorten《古いイタリア語で同輩・仲間》)はそれぞれ異なるbotthegheの中で異なる仕事に従事しているということもあった。いまや実際的な連帯責任の利害関心は業務上の債務を可能にする信用に集中していたので、それ故そのような別れた場所での業務の場合には、共通のstacioは経営ゲマインシャフトの根幹であり、また連帯責任のための統合された基礎でもあったが、商取引のためにもはや利用することが出来ない家計ゲマインシャフトの要素は、副次的なものとして背景に退かなければならなかった。それに適合して我々は共通のstacioを先に引用した諸法規の箇所において既に家ゲマインシャフトに並置される自立的な責任の基礎として位置付けて来た。そこで引用されていたベルガモの Statuti del paratico の箇所は、既にstacioの抽象的な意味を「業務」と把握していた。

個人債務と業務上債務

 まずはしかしながらいわばゲマインシャフトという建物を支える「支柱」59)とでも言うべきものは、具体的な作業場であったり、また(露店レベルの)小さな店であった。そこから導かれることとして、債務の作用の及ぶ所が、契約の当事者を超えて、stacio(工房、店)の経営の中に包含されている者にも及ぶようになり、そういった経営に関する契約としては:”sopre aquelle cose … sopre le quali seranno compagni“(そういった事柄を超えて…そういった事柄を超えて彼らは仲間となるであろう)という規定をシェーナ《イタリアのトスカーナ州の都市》のlanajuoli《英訳によれば羊毛を扱う商人》の法規のl.c.が述べている。こういった考え方、つまり連帯責任は、共通の職業による経営の中において、我々の言い方ではソキエタスとしての会計としてひとかたまりと見なすことが出来るような業務に対してのみ適用されるべきということは、そうした(ソキエタスの中の)人間関係から見れば明白であり、しかしながら原理的に特別に重要なことであった。そうした考え方が明白であった理由は、それがソキエタスの内部を連結することの単純な帰結であり、その結果として共通のstacio(工房、店)の形成につながったからである。二人のソキエタスの仲間がいたとして、その二人がゲゼルシャフトとしての業務の遂行の外側で、お互いに財産権的な関係はなく、そうでありながら家計における債務等について相互に責任を持ち合うということは意味を成さないと言えるであろう。また家族の家ゲマインシャフトにとって次の方向への発展も見出すことが出来る。即ち、ただ共通の家計の利害に沿う形で作られた債務が、ゲマインシャフト(全体としての)の責任という論理的帰結を作り出すという発展である。それから家ゲマインシャフトからの業務ゲマインシャフトの解放と同じくらいに古くからあるのは、ただ共通の業務のみに関係する債務が直ちに全ての全てのソキエタスの成員に関係してくるという考え方である。ピアチェンツァの古い商人の法(Statuta antiqua mercatorum Placentiae)のc. 550とその1325年の改定版(Reformacio)のc. 6はその考え方に従って同じstacio(工房、店)に属するソキエタスの成員の責任を、そのソキエタスの成員の一人である一人の(共通の業務として対外的に取引する)商人によって作られた債務についてのみに及ぶと規定している。ヴェローナ《イタリアのヴェネト州の都市》のStatuta domus mercatorumの l. III c. 85も同様の原則を定めている。ローディ《イタリアのロンバルディア州の都市》とアレッツォ《イタリアのトスカーナ州の都市》の法規については、すぐこの後で扱う。

 フィレンツェの法規を除いて、その法規については特別に後で取上げることになるが、諸法規においてこの重要な(連帯責任という)関係については、どちらかといえば貧弱な内容となっている。引用したそれぞれの法規においての表現の仕方を見る限りでは、その当時そういった内容の規定は自明のことと考えられていたという結論になるほどなるかもしれない。しかしがら次第に程度を増し重要になっていた問題:
1)ソキエタスの内部の債権者、つまり業務の執行における契約にて発生した債務への、(ソキエタスの内部でその事業に投資した)債権者の(ソキエタスの外部の)個人への債権者に対する関係の問題
2)(ソキエタスの外部の)個人への債権者の(ソキエタスの)業務上の財産に対する問題
これらの問題に対するより詳しい説明は、フィレンツェの法規を除いては各都市の法規の史料には直接的には含まれていない。

59)いくつかの法規は、ソキエタスからある成員が脱退した場合、その者は(自分の)bottega(店、工房)を他のソキエタスの成員に任せなければならないと定めている。より詳しくは1271年の版のモデナの法規に対するCampori《おそらくGiuseppe Campori、1821~1887年、イタリアの政治家・歴史家・美術品蒐集家》による序文に引用されている文献原本を参照せよ。ピサの1321年の Breve dei Consoli della Corte dei mercatanti はc. 80にて以下を定めている:”… se alcuno mercatante … comperasse alcuna cosa u merce u avere alcuno et de la parte di quali merce intra loro u differenzia d’avere fosse … non patrò … di quelle avere … dare oltre una parte, non dividendo quella parte per lo numero dei mercatanti et persone ma per numero de le botteghe“. (…もしある商人が…何かの物または商品を買ったか、あるいは何かの彼らの間で共有されているそれらの商品の一部を所有した場合、あるいは違う物を所有した場合…その者は…その持っている物から…その一部の商品ないし違う物を超えて与えることが出来ない、その所有している部分を商人または成員の数で分けることは行わず、bottegaの数によって分ける。)従って(あるソキエタスの成員がそのソキエタスから脱退しようとする時)脱退者の持ち分については残った成員の頭数で分けられるのではなく、bottegaの数で分けられるのであり、ここで権利を与えられているのは個々の成員ではなく、それぞれの業務である。

60)1390年のローディの法規(rubr. 244)によれば、家住み息子の契約が有効になるのは、ただその契約が父親の家の業務において締結された場合だけである。ただそういう業務だけがつまり家に対して責任を負わせるのである。

ゲゼルシャフトにおける特別財産

 上記の2番目の問題は、ゲマインシャフトの財産の位置付けにとっては決定的な意味を持っている。「業務」は(ソキエタスの外部の)個人債務者に対してどういう位置付けになり、またそれはゲゼルシャフトの構成員(社員)に対してどういう位置付けになるのか?一般的にこのような「業務」(Geschäft)という語において理解されることとして見出し得るのは、何らかの形で創り出されたものの痕跡であり、それは我々が今日における合名会社の財産について創り出されたものの痕跡として確認すべきもの、つまりゲゼルシャフトの「特別財産」であろうか?  ソキエタスの内部への人間関係、またソキエタスの成員間の人間関係に影響することは、既にランゴバルド法において家族コミューンに対して無制限の共有についてのかなりの程度の制限が存在していたということである。ランゴバルド法での該当の条文は、イタリアの諸都市の法規の中で部分的な単語レベルの類似をもって繰り返されている:
・1216年のミラノの法規、rubr. XIV.:fratres, inter quos est quoddam jus societatis, quicquid in communi domo vivendo acquisierint, inter eos commune erit.(兄弟達で、彼らの間において何らかの法的なソキエタス関係にある場合、何物であれ、その共通の家に住んでいる者が何かを獲得した場合、それはその兄弟の間で共有される。)
・1502年のミラノの法規(1502年にミラノで印刷されたもの)fol. 150:Item fratres quoque, inter quos est quoddam jus societatis, illud obtineant ut quicquid etc … que non habeant locum in quesitis ex successione … nec etiam occasione donationis … vel dotis … et intelligantur fratres stare in communi habitatione etiam si contingat aliquem ex pred[ictis] fratribus se absentare ex causa concernenti communem rem …(同様にまた兄弟達で、彼らの間で何らかの法的なソキエタス関係がある場合で、それ、または何か、等々を維持する場合で、そして遺産継承者から得たもの、または何かの機会の贈り物または嫁資{持参金}から得たもの、そういうものの一部を受け取っていない場合、その時は兄弟達はあたかも一緒の住居に住んでいると理解される。それは前述の兄弟達の中の一人が共通の財産に関することが理由で家を去ることがあったとしてもである。)
・マッサの法規(1532年印刷) l. III c. 77:Si fratres paternam hereditatem indivisam retinuerunt et simul in eadem habitatione Vet mensa vitam duxerint, quicquid ex laboribus, industria, aut ipsorum, vel alicujus negociatione vel ex ipsa hereditate .. , vel aliunde, ex emtione venditione, locatione vel contr. emphyteotico acquisitum fuerit, totum debeat esse commune .. quamvis frater acquirens nomine proprio contraxisset … ita tut non conferatur acquisita ejus deducto aere alieno. idem quoque servetur in aliis debitis quomodocunque contractis si pervenerint in utilitatem communis, et non aliter … (もし兄弟達が父親からの遺産を分割せずに保持する場合、そして同時に同じ住居に住んで同じテーブルで食事を取る場合で、何であっても将来彼らが獲得するもの、あるいは労働、作業から、または自分または誰かの仕事から、または自分の相続したものから…または別のものから、例えば売上の送金から、または貸家または永小作権の契約による収入から、全てのものは共同所有となる…しかしながらある兄弟の一人が自分の名前で契約して獲得したもの…それ故に彼が獲得したものは彼の債務と相殺した後に共有財産とは一緒にされないように維持する。また同じく(共有の)原則が他の債務や契約についても、もしそれが共通の財産に関係する場合は保持される。もうそうでない場合については…)この後に先に引用した仮定的な委任に基づく連帯責任についての記述が続いている。
・ローディのStatuti vecchiの c. 16: Consuetudo est, quod fratres et patrui et alii qui nunquam se diviserunt simul habitantes vel stantes quicquid acquirent, acquiritur in communi … Ausnahme: legatum, hereditas, donatio, similia … et debitum quod fecerint sit commune. Et ita quod ex eo debito fratres inter se pro partibus contingentibus ipso jure habeant actionem ad debitum solvendum nisi sit debitum fidejussoris vel maleficii vel alterius sui proprii negotii.(次のことは慣習となっている。即ち兄弟達と父方の伯父(叔父)達とその他の者で自分達の財産を一度も分割したことが無く、また一緒に住むか滞在している場合には、何であれ将来獲得するものは共有のものとして獲得される…例外:遺産、継承したもの、贈与されたもの、その他同様のもの…それから債務について(将来)発生するものは(同じく)共有とされる。そしてそれ故に、その債務の中から兄弟達は彼ら自身の間で、それぞれの分担分に応じてその債務の発生分について、法律上《ipso jure》その債務について支払いを行う。但しその債務が保証人のものだったり、または犯罪によるものだったり、誰かのその人自身の業務による債務である場合を除く。)
・モデナの法規、1327年に改定されたもの、 l. III rubr. 22: Si aliquis mercator vel aliquis de aliqua artium dederit aliquid in credentia licet ille qui dederit sit absens, socii tamen possint petere si debitor negaverit et si confiteatur rem emisse a socio absenti … alii non possint petere et id in quo socius est obligatus pro societate eo absente et alii solvere teneantur si confiteantur vel probatur contractum factum esse pro societate … et intelligantur socii —(もしある商人または何かを取り扱う者が何かを信用取引で売った場合、その場合にその売った人間が仮に(その後)不在となっても問題は無く、それにも関わらず(その販売者と同じ)ソキエタスの成員達はもし債務者がその債務を否定しようとする場合でも、またはその売った物が(現在)不在であるそのソキエタスの成員から送られた場合でもその代金を請求することが出来る…そのソキエタスの成員は代金の請求を出来ないかもしれない。そしてその不在のソキエタスの成員がソキエタスの名前で負っている債務については、もし他の成員がその契約がソキエタス全体のために成されたことを認めたか確かめた場合には、そのソキエタスの他の成員はその債務について支払う責任がある…そしてソキエタスの成員達とは次のように理解され――この後に先に引用したソキエタス成員達の家仲間としての定義が続いている。

これまで引用してきた諸法規の中に、ある確かな発展段階が存在する。ミラノの法規は明確にランゴバルド法に依拠している。特別に記載された例外的な収入(lucra)を例外として、他の全てはゲマインシャフトの勘定に入る。マッサの法規では逆にゲマインシャフトに入る収入の方を主として記述されている。そこで想定されているのは、共通の相続財産からの収入以外の、ゲマインシャフトの(共通の)負担となるような業務からの所得である。その際に重要なのは、”quamvis … nomine proprio contraxisset”(しかしながら…自分自身の名前で契約した)と記載されている章(r.)においてはほぼいつも次のことが前提とされていることで、つまりソキエタスの成員が締結した契約は、それがゲマインシャフトに関係する場合は、同時にゲマインシャフトの名前でも締結されたと見なされることである。ソキエタスの成員間の関係においては、このことはマッサの法規によれば成員間で平等に適用される。しかしまさにその同じ法文の中にほのめかされている前提を見出すことが可能であろう。それはつまり、受動的な面に注目して見た場合、このことは(ソキエタスの外部の)第三者との関係においては異なっているのではないかということである。この推測は引用済みのモデナの法規の箇所によってよりはっきりと根拠付けられる。ある一人のソキエタスの成員によって「ソキエタスの名前で」(pro societate)締結された契約が、明らかに能動的かつ受動的に、あるやり方でゲマインシャフトに関係づけられることになるが、そのやり方とは各ソキエタスの成員はその契約に関する訴訟において、その「ソキエタスの名前で」というのを一種の言い訳として(ad causam)自身を正当化することが出来るということである。こうした直接的な効果をマッサの法規のl.c.もまた強調している:ゲマインシャフトはローマ法的な形で成立するのではなく、それ故に純粋な売上だけがゲマインシャフトに支払われるかもしれないだけではなく、同時に発生した責任が直接的に能動的かつ受動的な形でゲマインシャフトの負うところになるのである。このことをもっともはっきりと表現しているのは、先に引用したアレッツォの法規である:
 c. 42: Quilibet socius alicujus negociationis mercantiae seu artis in qua … socios habeat, et contraxerit obligationem, dominium, possessio et actio ipso jure et etiam directa queratur alteri socio … Zahlung an einen befreit auch gegenüber den anderen, .. et insuper quilibet socius etiam in solidum teneatur ex obligatione vel contractu pro altero ex sociis celebrato pro dicta societate vel conversis in ea, et d[ictorum] sociorum bona … intelligantur obligata …
(c.42:あるソキエタスのある成員が、商人の仕事または何か別の取引でその中で…ソキエタスの成員達に関わる場合で、そして何かの債務、所有権、所有そのもの、または法律上で認められている行動について契約を締結した場合、そしてその契約について別のソキエタスの成員から苦情を受ける場合、…ある一人のソキエタスの成員への支払いは他の成員に支払ったことと等価だと見なされる…それに加えてソキエタスの成員の誰かだけではなく、またソキエタスの成員全体で次のことへの責任を負うことになる。即ち債務からのもの、ソキエタスの別の成員の名前でソキエタス全体に及ぶ契約からのもの、当該のソキエタスの名前で執り行われたもの、そして前述したソキエタスの財産についてのもの、これら全てについてソキエタスの全体に責任があると解釈される…)

それ故に実質的にまたは形式的に「ゲゼルシャフトの」勘定の中に入れられる業務は、ゲゼルシャフトの成員間の関係において、そしてモデナやアレッツォの法規で見て来たように、また外部に対しても特別な法的効果を持つのであり、その法的効果はまさにソキエタスのある成員の業務ではなく、「ソキエタスそのものの」業務として通用するという点において成立するのである。我々がここで第1章にて論じた合名会社の特別財産のことを振り返ってみると、この「ゲゼルシャフト」の権利と義務と個々の成員のそれとの区別こそが特別財産形成への本質的な契機の全てとなっていることを見出すことが出来る。もし、我々が既に見て来たように、既にソキエタス・マリスの関係の中に次のことへの明確なな萌芽が存在したとしたら、つまりソキエタスの基金を独立のものとすることと、また第三者との関係においてその基金を考慮することへの萌芽であるが、その場合にはそういったソキエタスにおいては、まさしく第三者に対する関係から(ソキエタスの共通基金の独立化が)出現したのであるが、それは非常に先進的な事例であったに違いない。ソキエタスの財産の一部で、それに対する(モデナの法規参照)個々のソキエタスの成員の請求権が、「ソキエタスの名前で」(締結された債務契約)に起因する(強制)処分に対して劣位に置かれるという性質のものが存在する。またあるソキエタスの成員の債務で、そのために、既に見て来たように、強制執行が直接にゲマインシャフトに対して行われるものが存在する。それではゲマインシャフトがそのような(連帯責任の形での)責任を負わない債務についての債権者の位置付け、つまり「個人への債務」の位置付けはどのようなものになるのであろうか?ローディ、モデナ、そしてアレッツォの法規について、ソキエタスの名前で契約した債務がソキエタスの成員達の連帯責任という結果に終わるということと、他の債務がそういう結果に終わらなかったということの相関関係が確かに存在し得たのである。しかしながら文献史料は今度は、先に見て来たように、次の二つの問題を区別していない。一つはソキエタスの成員の個人としての責任の問題であり、もう一つはそれとは本来異なっている(ソキエタスの)共通財産について債権者が差し押さえをすることが出来るかという問題である。我々はそこから次のことを仮説として提示する:個人への債権者であり、かつゲゼルシャフトの財産には関与していない者が、そのゲマインシャフトの財産を直接差し押さえることが出来るということである。しかしもしそうであれば、次のことは想定可能であろうか?:その個人への債権者がゲゼルシャフトの財産について本来まったく何の権利も持っていなかったということが。その答えは「(権利を持つことは)非常に困難」である:我々は既に次のことを確認して来た。つまり家住み息子の債務のために、ゲマインシャフトがそれを負担するということは無効であり、そうではなくてその債務はその家住み息子が一人で負担するのであり、――不法行為による債務の場合はとりわけそうであるが――債権者はその家住み息子が(元の家族)ゲマインシャフトから独立して別のゲマインシャフトを作ることを要求することが出来、その新しいゲマインシャフトに与えられる財産は、その債務者(家住み息子)の元のゲマインシャフトの共通の財産の中の彼の取り分と同額なのである。諸法規での規定ではしかし逆に、そういった種類の債務ではなく、ゲマインシャフト全体としての負担に結果としてなるような債務を扱っており、特にそれは商取引上の債務であり、家住み息子のゲマインシャフトからの独立について規定しているのではなく、上記で列挙したように、父親、息子達、兄弟達等々にその債務について連帯して責任を負わせている。ここから次のような区別が生じる:1)ゲマインシャフト債務;この債務はゲマインシャフトの成員の財産全体の負担となり、またそれぞれの個人財産においても負担ともなる。2)個人債務;これについてはあるゲマインシャフトから別れて新しいゲマインシャフトを作る権利と義務を両方含んでいる。これがもし家族ゲマインシャフトにおいてであった場合には、我々はその根拠として次の事を仮定出来る。つまり同様の分割が他の別のゲマインシャフトについても発生するであろうということが。それにも関わらず、フィレンツェの法規を除いて他の諸法規はこの区別については何も言及していない、――フィレンツェの法規についてはしかしながら後で再度特別に論じることとする。

61)ランゴバルド法への依拠は特に次のことを示している。――”quaesita ex successione”(相続からの収入)という観点で見て、古代の法では問題とされなかったものであるが――特別の勘定に入れるべき様々な収入(lucra)(上記参照)の内容を確かめておくべきということである。ランゴバルド法における妻の財産と(契約の)手付け金のように、バルドゥスによって編集されこの論考の注8において引用した箇所において、ゲマインシャフトにおけるdos(古代ローマでの嫁資)がその特別な勘定という問題に関して、非常に重要である。

経営ゲゼルシャフトと商事会社

 以上論じて来たように、次のことを確認して来た:ある債務で一人のソキエタスの成員が実質的または形式的にソキエタスの勘定に入れるべきものとして、またソキエタスの名前で契約するものは、ソキエタスの財産とソキエタスの個々の成員それぞれに責任を負わせる。その際に思い出さないといけないのは、我々がここで「ソキエタス」や「ソキエタスの業務において」や「その(ソキエタスの)勘定に」入れられる債務の契約を話題にする場合には、必ずしもいつも純粋に商法の領域だけにおいて議論を展開しているのではないということである。

 我々はなるほどもはや家計ゲマインシャフトの領域に留まっているのではないが、次のことを確認して来た。つまり経営ゲマインシャフトまたは業務ゲマインシャフト(stacio、bottega)は家計ゲマインシャフトを同列のものと見なしていたし、部分的に、――各都市の諸法規のそれぞれの発展段階によって――家計ゲマインシャフトを継承したのである。このゲマインシャフトに基づく責任については、ただ商業経営に従事した者達だけではなく、作業場で労働した者達、つまり手工業的な業務に従事していた者達にも関係しているのであり、更には独立している者と非独立の者の両方に関係している。後の時代の独立した仲間への制限はブレシアの Statuten der Mercanzia の引用済みの箇所《c.91~107》において見出すことが出来る。ゲマインシャフトの発展は、しかしそれにも関わらずまた次の方向に向かって進行している。それは業務としての労働、手作業から出現した連帯責任の原理が、商業においてもっとも顕著な意義を獲得したということである。その連帯責任の原理はいまや本来の業務的な領域を離れ始めて、業務仲間についてはただ商業の領域にて活動する者、つまり商事会社の社員がその連帯責任の原則を基礎に置き始めたのである。こういった発展は、私見であるがヴェローナの Statuta domus mercatorum で記述されていることなのである:

 l. III c. 85. Item ordinamus, quod quilibet mercator istius civitatis possit habere societatem cum alio de Verona simul et ad invicem, quamvis non essent de uno et eodem misterio. Et quod illi, qui reperirentur esse socii palam teneantur unus pro alio de illo debito et mercanderia vel de misterio quam et quod fecerint stando simul et permanendoin societate: Quod autem praejudicare non debeat alicui mercatori vel de misterio qui non esset socius palam et non steterit simul in societate et stacione: nec praejudicet etiam stando in stacione et essendo socius palam: dummodo non esset praesens, cum socio, ad accipiendam mercanderiam et non promitteret de solvendo eam.
(l. III c. 85. 同様に我々は次のことを規定する。つまりその都市のどの商人であってもヴェローナの別の人間とソキエタスを結成することが出来るということを。しかしながらその逆も同様だが、その二人は一つの同じ職業ではないと見なされる。そして公的にソキエタス関係にあると見出された者達は、一人は他の者のためにその債務と商品とについて、または彼らが一緒に居て同じソキエタスの中に留まった間に従事した職業について、責任を負う:しかしながらこのことは次の様に最初から解釈されてはならない。つまり誰であっても、商人であってもある職業に従事する者であっても、公的には(元々同じ)ソキエタスの仲間ではないし、そして(一緒のソキエタスを結成する前に)ソキエタスまたは工房・店の中に一緒に留まっていた訳でもない:さらにはまた次のような者も同じ公的なソキエタスと工房・店に居たと判断されるべきではない。それは、その者が他のソキエタスの仲間とは一緒に居なかったり、商品を受け取ることになっていなかったり、またはその商品について代金を支払うことを約束しない場合である。)

それ故にsocii(ソキエタスの成員達)というのは商法においてはただ次のことを意味する:
1)「palam」(公開された形で、公式に)でそして「同じstacione(工房・店)で」ある業務をsociiとして営んでいる者達で、その際に参加者(単なる出資だけを行う者)と個人としてではなく(ソキエタスの)経営に関与する者は除外される。
2)1)の者達の中で、しかしながらただ業務の商業的な面において、業務上の対外的活動を行う者達のみ:このことを先ほど引用した法規(ヴェローナのStatuta domus mercatorum)の最後の文は言いたいのである 62)。

この2)によって生産を行うための作業場にて手工業的な業務だけに従事する者達は除外される。”Idem misterium”(同じ職業)は、法規の該当箇所が述べているように無関係であり、古い時代に必須であった”eandem artem exercere“(同じ種類の職業)条件は取り除かれている。連帯責任の原理は、その元々の成立の土台としていたものから切り離され、結局のところ手工業における共通の経営から商業の共通の経営へと移し替えられたのである。

62)次のように考えてはいけない。つまり双方が存在し(一緒に)契約するのだと。というのはそこで意味されていることは、ただ「一人が他方のために」責任を負わなければならない、ということだからである。そうではなくてここではピサのConstitutum Ususが”communiter vivere”(一緒に暮している者)の定義としていることと同じことが想定されている。それは”si contractus et similia communiter fecerint”(もし彼らが契約していて、一緒に同じような業務に従事する)ということであり、そこでも一緒に契約するということは想定されておらず、それについては法規のもっと先の箇所で明確に示されている。(ピサの例を参照)

合名会社とソキエタス契約の目印。商号

 以上のことから、しかしまたようやく次の疑問への答えについて:つまり上記で定義した意味でのソキエタスの成員がある契約を取り結ぶ時、それはソキエタスの業務として取り扱われるのか?という疑問に対しての最終的な答が与えられているのである。ソキエタス関係を協定する対象物が共通のbottega(店)やstacio(工房)である限りにおいて、連帯責任を負うソキエタスの成員についても、またその成員が取り結んだ契約で、それはソキエタスの契約として認められていたが、その契約についても直ちにそれらを識別するための目印が与えられているのである:つまり共通の店において契約することである。しかしながら大規模な商取引においてそれは実際の店舗とは関係の無いものになっていた。アレッツォの法規(既に引用した箇所)はそのことからsociiの定義を単に:
 „… et intelligantur socii, qui invicem pro talibus se tractant et publice pro sociis habentur … “(ソキエタスの成員とは次のように理解される。つまり自分自身を相互にそのように取り扱い、そして公的に他のソキエタスの成員との関係を保持している者達として。)

そしてヴェローナのStatuta domus mercatorumは引用した箇所でsociiについて”palam”(公開された、公的な)と表現している。ソキエタスの業務としてそれ相応の法的な扱いを受ける業務についての目印として、アレッツォの法規は次のように規定している:”pro dicta societate celebrata”(当該のソキエタスの名前で執行された)業務であるとし、さらに次のように定めている:
 „et si quis contraxerit nomine alterius praesumatur pecunia fuisse illius cujus nomine contractum fuerit“(もし誰かが他の成員の名前で契約を取り結んだ場合、その契約で言及されている金銭については、その名前で契約が行われたその成員のものとなると見なされる)(この後に先に引用した箇所が続く)。

同様にモデナの法規は当該の業務が”pro societate“(ソキエタスの名前で)執行されたかどうかということを判定している。それ故にソキエタスの名前において締結された契約はソキエタスの責任となる。ここにおいてつまり共通のtaberna(店)が以前は使われていた位置に、今度はゲマインシャフトの共通の名前というものが登場して来るのである。次のことは明白である、つまりこの目印が誰がソキエタスの成員の資格を持っているのかということを判定する問題にも利用可能であるということである。そしてまさにそれは実際に利用されたのである。taberna、つまり小規模の経営を進めるための業務を行う店の前に、盾のような板にその店の所有者の名前が書かれたもの(看板)が掲げられ、一般的な意味での第三者の契約者はその名前がその板の上に書かれている者(cujus nomen „expenditur“)(その者の名前が{重要な情報として}載っている)が我々の言う意味でのsociiの一人であることを確かめることが出来る。ここにおいて大規模な取引が商号(Firma)を用いて行われるということが発生したのであるが、言ってみればこの商号は仮想的な看板である。ただソキエタスの名前で締結された契約(に関わるもの)のみがソキエタスの業務であるように、ただ個人的に責任を負うソキエタスの成員である者、その者の名前で契約が締結されるが、その者の名前は商号の中に記載されて(含まれて)いるのである。(このことはまた後の時代のRota Genuensisと1588/89年のジェノヴァの法規[この論考の結論を参照]での諸決定においての”cujus nomen expenditur”(その者の名前が{重要な情報として}載っている)の実質的な意味となっている。)より正確に言えば、今挙げた二つ(看板と商号)について更に別の基準が存在する:それはソキエタスの成員としての資格を明確にするための公的な登記簿への登記である(登記は既に13世紀からイタリアの数多くのコムーネ{イタリアの地方自治体}で制度化されていた)、――ソキエタスの借金としての債務の存在を明確にするためにはソキエタスの帳簿への記帳が行われた。公的な登記簿への登記に関しては、次のことは実証されていない。つまりそれが個々の商号の所有者を公衆に明示する 63)という目的に本当に貢献したのかどうかということである。しかしながら登記が後の時代になって、ある人が現存する業務を執り行っているソキエタスの成員であることを調べるのに使われたということに関しては疑いの余地が無い 64)。ゲゼルシャフトの帳簿への記帳に関しては、それはもちろん確実な目印であり、それだけで証明手段としての性質を持っている:ソキエタスの債務がソキエタスの帳簿に記帳されていない場合には、その債務は債権者に返済しなくても良かった 65)。しかしながら何よりもソキエタスの勘定上の債務として公的な登記簿に登録すること《おそらく公正証書の作成について言っていると思われる》はその債務がトラクタートル(Kommanditisten)66)自身の債務であるのと同時にソキエタスの基金についての債務でもあることを登録するのであり、ソキエタス・マリス 67)の契約においてはこの登記が前提条件となっていた。これに対して共通の名前の下にある共通に執行された業務に起因する債務について契約を締結する者は、そこで前提条件となるのはただ、合名会社の場合においてのみ、契約を締結しようとするソキエタスの成員は、まるで自分自身が契約するのと同様に扱われ、それ故にここではその業務と個々の契約を、その者の名前のみにて進めることが可能である。「ソキエタスの名前で」契約することは、「商号」が独立した存在となることに成功し始めた時に、”usato nome delle compagnia”(会社の名前を使った)契約となり、さらにはソキエタスの商号の下での契約行為になり、その商号はもはやソキエタスの成員(社員)全員の名前を含んでいる必要は無くなっていた。

63)ラスティヒの見解(ここまでに何度も引用した論文の中の)、つまり大学への学籍登録が裁判権の確立に寄与したのではないかという仮説については、それを裏付けるような相当数の明白な印刷された文献史料が挙げられていない。

64)この後のフィレンツェに関する論述の中の注5(全集版テキストでは注12)に引用された1303年の記述を参照せよ。

65)この後のフィレンツェに関する論述を参照せよ。

66)Ansaldus de AnsaldisのDiscursus legales de commercioのDisc. 51を参照せよ。登記はトラクタートル(Kommanditisten)を一般の単なる出資者から区別している。

67)第2章を参照せよ。

68)後述のフィレンツェに関する論述とそのフィレンツェの法規自身が引用している1509年のボローニャのStatuti della honoranda università de mercatantiのfol. 67を参照せよ。

69)しかしながら同様のことは既により古い時代にもあった。特に家族ソキエタスの場合ではただ、しばしば世間で良く知られた家の名前だけを挙げることが行われた:Buchon《Jean Alexandre Buchon、1791~1849年、フランスの歴史家》の1843年にパリで出版されたNouvelles recherches sur la Principauté française de Moréeの中で引用されているシチリアのロベルト王《1276~1343年、ロベルト一世、ナポリ王》の史料の中に出て来るsocietas Aczarellorum de Florentina (di Acciajuoli)など。

70)誤解を避けるため、次のことをさらに特別に強調しておいた方が良いであろう。つまり上記における商号という制度の発展はどんな場合でも完全なものであるかのように記述されるべきではない、ということである。中世における(会社の)代表権の原則の発展を取上げること無しに、ゲゼルシャフト(会社)の商号の法制史的な原則――会社法の歴史の中で疑い無く重要な点であるが――を完全に記述することは出来ない。我々の研究のためには次の事実から出発すれば十分である。つまり商号がゲマインシャフト的な店舗においても上記のテキストで述べられているような関係で引き継がれているという事実である。

ゲゼルシャフトの契約についての文献史料《この項は冒頭の目次では単に「文献史料」となっている》

 以上述べて来たことに適合する形で、当時の合名会社という関係は対外的には文献史料の中では次のように記述されている。つまりトラクタートルがそのソキエタスの契約の中ではソキエタス・マリスにおいて何一つ所有していない一方で、その文献には利益の分割の仕方についての規定が有り、さらに航路その他が確認され、ここではトラクタートルであるソキエタスの成員は外国においては所属するソキエタスを代表し、全権を保持し、その全権の中にはそのトラクタートルをソキウス・スタンスである成員が”procurator et certus nuntius“(代理人で、かつ合意に基づくメッセンジャー)に任命し、ソキエタスの契約については連帯して責任を負うことを義務付け、そして実際の契約においては、この”instrumentum procurae”(代理のための道具)という概念を引き合いに出して、取り決めが契約者(=トラクタートル)とそのソキエタスの仲間(=ソキウス・スタンス)の双方の名前で行われるのである。この類いの文献史料は主としてキリスト教徒が占有している中東地域 71)への国際交易の中心地の一つから多数見つかっている。

 これらの文献史料を目にすることにより、我々には最後の原理的な問いが生じて来る。

71)Archives de l’Orient latin Vol. II Documents のp.5: Ego Raffus Dalmacus facio, constituo et ordino meum certum nuncium et procuratorem Lanfrancum de Lenaria socium meum presentum etc. (私ことRaffus DalmacusはLenariaのLanfrancusを私との合意に基づくメッセンジャーかつ代理人、さらには私と同じソキエタスの現在における仲間として、確認し任命しかつ手配する、等々。)全く同じ文章で今後は逆にLenariaのLanfrancusがRaffus Dalmacusを自分との合意に基づくメッセンジャー兼代理人に任命している。同様の文献史料であるソキエタスの成員の契約について連帯して責任を負うという取り決めをしているものは、同じ出版物の中で、公証人の元での公正証書の登記のために提供されたキプロス島のファマグスタ、アルメニアのアジャクシオ《コルシカ島のアジャクシオの間違い?アルメニアにアジャクシオという地名は確認出来ない。》など類似の例が約100ばかり有る。

 ここに関連文書として引用してきた文献史料が作成された時代において、即ち大体十字軍が終了しようとしていた頃《最後の十字軍である第9回十字軍は1271年 – 1272年》、連帯責任の原則は間違いなく既に法的に有効なものとなっていた、――しかしながらその法律上の書式は当時何世紀もの間継承されて来たものであり、この考え方から次の二つのことを近接するものと考えてはならない。一つは法律で規定された連帯責任が様々な文献史料の中で慣習的に維持されてきた連帯しての責任の約束を破壊して置き換えるのだと考えることである。もう一つはそれ故に、常に繰り返されてきた連帯責任を定めた契約という事実から、ソキエタスの成員の間では連帯しての責任が望ましいものとされていたと、またそこからそれに適合した形の慣習法が成立してきたという仮定 72)をすることである。――まずは次のことに注意しなければならない。中世初期の文献史料がある一定の(連帯責任の)取り決めを含むということから、その当時において次のことが生じて来たのでは全くない。それはつまりこの連帯責任に関して明確に条文化された法的関係の作用がまた本来ex lege、つまり法律それ自体の効果として直接に生じたのではないということである。それはむしろ逆である:この連帯責任という自然な要求については、当時の公正証書が特別に詳細に、またかなりの文言を費やして記載するのが常であったし、この事に関連する文献史料においては、この連帯責任という条項を詳細に規定して 73)含めることについての純粋に法的な要求以外での様々な理由が存在した。ここでの文献史料は国際的な取引関係を扱っているのであり、そして14世紀においてのフィレンツェのギルドの法規においてもまだ、ソキエタスの成員の連帯責任として昔からずっと法文として確定させており、それは外国との取引における確実性という利害関心において、各ソキエタスの外国における代表者に対して文書によって全権を与えることを各ソキエタスに対して規定しており、それ故ここでは資格証明の目的でのこの種の登記についての同様の需要についても述べているのである。最後の資格証明という目的は特に以下に説明する目的のためであった。何故ならばここでは海上輸送による取引が問題にされているのであり、しかし海上取引についてはコムメンダ契約を使うのが普通であり、旅をするソキエタスの成員はそこから次の状態に置かれた。即ちその権利を取引相手に求めてもらうために、そのソキエタスの成員について連帯責任を負うことを義務化し、ソキウス・スタンス(Kommandite)のトラクタートルとして見なしてもらうという資格証明の手段が不足していたのである。(この目的のために資格証明の需要が生まれた。)しかしながら本質的にはこの章で実証の手段として提示して来た文献がその中でほのめかされている偶発性について言わんとしているのは、私はそう信じたいのであるが、法規の中での法形成の向かう方向は、通常それは連帯責任の原理の取引における慣習から発展したに違いないと思われているが、その原理をより確実にしまた拡張する方向ではなく、共通の取引という経営が関わる領域の場合はむしろそれを制限し、その適用範囲を狭めようとする方向に向かったのである。そのことは次のことを否定するものではない。つまりそれが法規における法的な発展にとって重要だったということである。その場合においては、商取引が連帯責任を法規定にすることを促進した。そして公証人に関する文献史料は、明らかに法学におけるローマ法的な法解釈により影響を受けているので、そういった把握の仕方は実際のところ一つの水路だったのであり、その水路を通じて法律家の観察の仕方は現実の取引とそれによってまた法形成に近づいていったのである。――そのことについては結論の章で手短に述べる。何はともあれ、さらにいくつかの法領域について、その法領域に対してはそれ以外では抜けの多い法規についての文献史料を広範囲に自由に使用することが出来るが、次のことについての証拠を見出さなければならない。それはつまり先の2つの章での叙述が、それらの法的な文献史料としての内容の吟味に耐え得るのかどうかということであり、それは我々にとってはそこで扱われた諸制度について、包括的な、また部分的には地方色に染まってもいる確固たる像を引き出すということである。

72)ランゴバルド法において既に、l. II rubr. の”de debitis et quadimoniis”において、その最後で連帯責任の条項を定めた部分が存在している。同様の例でCollectio sexta novellarum Dmni Justiniani imperatorisの”de duobus reis promittendi”の章もある。

73)人はそれ以外にも次のものにも注目しがちである。つまり1279年の婚姻契約、アルメニアのアジャクシオ《コルシカ島のアジャクシオの間違い?》にて締結されたもので、その中で婚姻適格年齢の女性が(その契約を破った場合には)違約金を払うという条件で(!)婚姻契約を結んでいる。”stare et habitare tecum in tua domo”(あなたの家に居て、あなたと一緒に住みます。)、”nec jacere cum alio viro”(他の男性と寝たりしません。)更に服従等を誓っている。そして婚姻する男性は”食べ物と着る物を十二分に与えること”を誓っている。結論としては、当時の結婚におけるこれらの義務はそれ自体として固有のものではなかった。

Ⅳ. ピサ。Constitutum Usus 《1161年に編纂されたピサにおける慣習法の集成。》におけるソキエタス法

 我々はこの章で、我々にはピサのソキエタス法として知られているものについての叙述に特別に一つの章を立てることにする。その理由は主に、ピサの法規についての文献史料において、次のような性質のものを見出すからである。つまりそれらは明らかに法典編纂上の意図において決議論的に十分に検討された上で作られている。そこにはローマ法 1)の概念の強い影響をはっきりと認めることが出来るし、また相対的に非常に価値の大きな財産を特に際立つように取上げている。また経済的な現象の中に法的に重要なことを見出そうとしている。しかしながら例えばジェノヴァの法規との違いという意味では、主に法の生成の能力という意味で、ある制度の発展の過程においての経済的な意味で新たに発生している差異を、法学的にも差別化を行って正しく取り扱おうとしている。ピサの法的文献についてとりわけ興味深いのはその相対的な歴史の古さである。

1)次を参照せよ。例えば既に真正のローマ的な概念である利得に対する評価だけについても――id, quo factus est locupletior(ある物、それによってその者がより富めるようになった物)という表現がある。 —例えばBonaini編の Statuti inediti della città di PisaのVol. IIの後半、PP.341とPP.348における諸制度で学説彙纂には含まれていないものを参照。ピサにおいて学説彙纂の手稿《ピサ写本と呼ばれている》が保存されていたことは非常に大きな影響力を持っている。――ピサの法典におけるこれらの規定(Beve Pisanti communis et compagnie 1313年 l. I c. 247)と比較せよ。

 Consitutum Usus《1160年という中世の早いタイミングで集成されたピサの慣習法の集成で、当時強力な艦隊を持ちヴェネツィアと並んで地中海と東方との海上取引を支配していたピサの状況を反映して海事関係の慣習法を多く含む。》は我々がこの章で本質において検討しようとしている法的史料であるが、その日付はピサ暦《新年が前年の3月25日に既に始まる》で1161年、我々の暦《グレゴリオ歴》で1160年のものであるが、この年に制定されたものは間違いなく最初の版では無く、また同時に最後の判でも無い 2)。

2)Schaube《Adolf Schaube、1851年~1936年、ドイツの歴史家》の”Das Konsulat des Meeres in Pisa”の P.2の 3, 149と比較せよ。またそれについてのゴルトシュミットの商法雑誌第35巻に収録された論考のP.601も同じく比較せよ。  

 これらの法典の性質について詳細に述べるのはこの論考の役割ではないにしても、次のことについてのいくつかの注記は必須であろう。それはつまり、これらの法典編纂――Constitutum Ususはその序文にもそのようなものであろうとしているとことが書かれているが――が他の法的史料にどのように取り入れられたか、とりわけピサの特殊法の集成であるConstitutum Legisに、それから様々な法規が自明の前提としている、補完的なものとして働く共通法にどのように取り入れられたかという状況についての注記が必須である。そういう状況は、今日の商法・民法に対する関係を多くの関連する点で想起させてくれる。

Ususの領域。

 Constitutum Ususの管轄下に置かれる領域は次のような諸事実の列挙によって確認される。その諸事実は、Ususの範疇に入れられるのであり、それはそれ故に客観的なものに限定され、例えば商人という職業についての職業法の場合のように主観的なものでは無い。我々の商法典(HGB)が商取引に関わる「事柄」を商法の中で扱っているように、「商取引に関わる諸件」(causae pertinentes ad usum)をConsitutum Ususはその中で扱っているのである。そういったUsus関係の事柄の取り扱いは、ある特別な法廷にて行われた。それは、Curia previsorum apud ecclesiam Sti Ambrosiiであり、1259年以降は、Curia Ususと呼ばれた。その管轄権については、訴訟において民事法廷での審議の前にUsusにおいて判決すべき関係のものが争点となっている場合には、仮処分によってその案件がCuria Ususに回付されるという形での訴訟手続となり、(最終的にCuria Ususでの)管轄権が確定する。

 Ususがカバーしている領域について、《Bonainiの本において》多数の文献史料 3)が列挙されている。その領域というのは全くもってそれ自体として閉じていて、システマティックな系統分類がきちんとされている法的関係の複合体として記述されているのではまるでなく、それはむしろ私法の全ての領域を超えて新しい枝を伸ばしているのである。不動産法、公共の道路や水路についての法、婚姻財産法、相続に関する手続き、市場関係、所有権、ソキエタス法、貸借、不法行為の結果として生じる債務、そういったものについての個々の法的関係がUsusに取り入れられている。そういったもの全てについてある統一した原理を見出すことは不可能である:実際にそういうものは存在しない。Ususの反対のものはlexであり、それもConsitutum Ususの序文に詳しく説明してあるように、まずはローマ法(lex Romana)であり、また同時にランゴバルド法(lex Langobarda)であり、それに従ってピサの市民は、”quaedam retinuit”(色々なものを維持してきた)のであり、さらにはまた最終的にはConsitutum Legisの基礎として、共通法を補完して支える、ある特定の個別立法となったのである。

 Ususはそれ故に、その当時の人間の意識によれば、《Bonainiの本に》列挙されているどの一つの文献史料にも閉じていない、慣習法が発展したものとして記述されなければならない。その現れ方は、――ここでは一般的な分析を試みるのでは全く無いが――商法の領域、とりわけソキエタス法の領域に関連する部分においては商慣習であり、一部は地域に限定されたもので一部は国際的なものである。その中に含まれている法文はほとんどが任意法的な性質のものであり、そしてそれはその商慣習がまだどう見ても出現したばかりで発展途上にあると理解される場合を除いてであるが 4)。そういった商慣習はさらに任意の規範に関係するだけでなく、また次のことを前提としている。つまり、その同じ商慣習がそういった規範に適合するように固定化されるのが常であったということである、――そのためここでは、一般的にまずは商取引における慣習法の根本原理としての商慣習であり、次に法規という形で確定された規範として観察することが出来る。

3)BonainiのStatuti inediti della città di Pisa Vol. II. p.835を参照。

4)たとえば、creditores hentice(出資による債権者)の破産時の優先権についての重要な法文は、未だ叙述において明確さに欠けその全体像に関する検討も不十分なものであった。

Consitutum Ususの条文の性質。

 我々にとっての結論は、我々はConsitutum Ususにおいて本質的に(全体を通じてではない)我々が関心を持っている(商取引の)領域における次のような性質の法文を見出すことを期待することは出来ないということである。そのような法文とは、その本質において最初から任意のものではなく、強制的な性質を持ち、つまりは単純に言えば、ある一定の事実から法的な結果として引き出されるもの、というそういう性質の法文のことである。そういった法文に属するものとしては、まずは第一に連帯責任であり、それについてはこれまで既に取上げてきた。しかしながらこの連帯責任についての直接的な表現は事実上Consitutum Ususの中には出て来ない。それに関連した法的な人間関係がそれでもどの程度まで存在しているかということを明確にすることについて以下でさらに詳細に述べることになる。どういった場合でもConsitutum Ususの中に連帯責任についての言及が無いという事実から、その原理が存在していなかったという結論を引き出すべきではない。

 それ以外に、ピサにおいて海上取引が無条件に広く行われていたという点で、ピアにおける様々な人間関係はジェノヴァのそれに似通っていた。その理由からも我々は次のことを期待する。つまり、海上取引にとって都合の良い資本と労働の結合についての法形態がここでは特に広範囲に創り出されていることを見出すことである。

ソキエタス法的内容

 今述べたことは、Consitutum Ususでは実際に起きていることである。Consitutum Ususの中のこれらの制度についての章は、我々がそれについて一般的に入手出来る史料の中ではもっとも浩瀚なものである。――

1.ソキエタス・マリス

 我々はソキエタス・マリスがConsitutum Ususの中で詳細に論じられているのを見出す 5)。特にジェノヴァにおいて知られていたものが通常のケースとして次のspecies(外観を持った具体的な物)として見出すことが出来、そのspeciesは”societas inter stantem et in aliquod tassedium euntem”(ソキウス・スタンスとある商業上の航海を行う者との間のソキエタス)と描写されている。それはある輸出業者とあるトラクタートルの組合(Association)であり、ソキウス・スタンスが2/3、トラクタートルが1/3を出資した場合には、利益の分割については半々になる。こういった利益の分割の仕方は、別のケース《コムメンダのこと》では、トラクタートルが利益の1/4(quarta proficui)を取り、これらは通常のやり方(naturalia negotii)であった。

 ジェノヴァにおいては、我々が既に見て来たように、個々のケースにおいて経済的に見た場合、トラクタートルはソキウス・スタンスの単なる従属的器官である場合と、逆にトラクタートルが本来の意味での企業家であり、ソキウス・スタンスは本質において単に出資を通じて参加するだけの資本家であるという場合のどちらかであった。ピサにおいても同様の法文がこの二つのやり方の裏付けとなっていたが、そこではKapitanie(キャプテン)という概念がこの二つの違いを法学的に有効にするために使われていた。

5)Consitutum Ususのc.22のde societate inter extraneos facta p.883 の引用箇所qqを参照せよ。

法的な区別。Kapitanie(キャプテン)の意味

 Capitaneus 6)とは、――その言葉の意味に適合するのは――次のソキエタスの成員、つまり我々が前述した業務での”Chef”(主宰者)、つまり事実上の企業家と名付けた者である。Consitutum Ususによれば、ソキウス・スタンスとトラクタートルのどちらもが”capitaneus”であることが可能である。誰であれcapitaneusである者は今や当該の事業の全体に対して処分権を持つ。特にcapitaneusではないソキエタスの成員は、自己の判断でその事業を取りやめることは出来ず、その者がソキウス・スタンスである場合には自己の出資した分を取り返すことは出来ないし、またその者がトラクタートルである場合は予定されていた航海を中止することは出来ない。その一方でcapitaneusは、――他のソキエタスの成員に対して、証明することが出来る形での発生損失について補償を行う限りにおいて――当該事業の中止、出資分の返還、航海の中止といったことの決定について権限を与えられていた。実際にこのことが決定的に重要な点であり、その他の違いについては副次的なものに過ぎない。capitaneusはまた、ソキエタス契約の目的という点で見れば、その事業全体の管理者という位置付けになるのであり、他のソキエタスの成員の契約上の権利というものは、その中では個別の資格でしかない。このことの結果として次のような法規上の表現が出て来る。つまりソキウス・スタンスがcapitaneusである場合には、トラクタートルはcapitaneusの許可無しには一回の航海について他の(第三者と)コムメンダ契約を結んでそこから別に自分の収入を得ることは出来なかった。もしトラクタートルがそれに違反してその航海に自分の商品も持ち込んだ場合には、トラクタートルが第三者とのコムメンダ契約で得た全体の利益の内の1/4の取り分については、全てが最初のソキエタスの取り分とされた 7)。逆のケースでトラクタートルがcapitaneusである場合は、次のことは自明である。つまり、そのトラクタートルがその事業に参加することが出来、その事業に必要な人員はそのトラクタートルの望む通りとなり、もし損失が発生した場合でトラクタートルの責任となるのは、その者がその事業によって定められていたトラクタートルの本来の出資金よりも少ない出資金しか出しておらずそれによって損害が発生した場合だけ 8)である。

6)Consitutum Ususのp.884 l.c.を参照せよ。

7)p.893 l.c.の”jus capitanie (”capitanie jure salvo”)においてトラクタートルの、ソキウス・スタンスがcapitaneusの場合の利益取得の権利について詳しく規定されている。

8)p.884の中央部を参照せよ。

 一般的に言って、ソキウス・スタンスがcapitaneusとなる特別な取り決めが無かったことにより、法規によればトラクタートルがcapitaneus 9)と成るのが通例であった――その場合にここでもまた先に一般的な説明として論じた次の方向への発展が見られた。つまり、ソキウス・スタンスが通常は資本家として把握され、外国との取引という事業に参加するだけ、という形の発展である。このことはConsitutum Ususにおいてある事業において一人のトラクタートルが多くのソキウス・スタンスと契約を結ぶということが通例であることによって、よりいっそうの頻度で起きることになった。これらの多数の”socii ejusdem hentice”(同じソキエタスに出資しているソキエタスの成員達)とその相互の関係については、とりわけその者達の間での利益と危険の分割については、Consitutum Ususが詳細に規定している。我々は既にこういった関係についてはジェノヴァでの例を見て来たし、ピアチェンツァにおいても固有のやり方でそうした関係が形成されるのを見て来た。そのピアチェンツァでは我々は特に次のことを確認した。つまり、そこではまだ多数のKommendanten(委任する側=ソキウス・スタンス)が本来の企業家として通用していたということを。その場合はその時々のトラクタートルは、ただその複数のKommendantenの共通の、彼らがビジネスを行う上での道具である器官として位置付けられていた。そうした関係はまたConsitutum Ususにおいても存在することが出来ていて、それどころかこういうケースは、”societas inter extraneos facta”(親族外の者と結成されたソキエタス)についての章で詳細に扱われている。それからさらに複数のソキウス・スタンスの中の一人がゲゼルシャフトのcapitaneusとなり、トラクタートルはそのcapitaneusに従属し、そのcapitaneusには会計の必要性が生じ、その者は貿易のための航海が終わった後に、ソキエタスを解体して精算する。その際に法規自身がそう規定しているように、ソキウス・スタンスの内の一人がcapitaneusであるということは常に行われていることでは決してなかった。もしトラクタートルがcapitaneusであった場合は、その者は逆にゲゼルシャフトの清算人でなければならなかったし、既に論じて来たように、ソキウス・スタンスの指図することには拘束されなかった――ただ当然のこととして損害が発生した場合にはそれをソキウス・スタンス達に補償する義務を負っていた――、ソキウス・スタンスの側はむしろ彼らの側として、capitaneusであるトラクタートルに一度出資した資金を委任したままにしなければならなかった。その場合でも引き続きソキウス・スタンス達には広範囲の監督権が別に留保されていたし、また彼らが元々企業家であったという意識自体は決して失われてはいなかった。特にトラクタートルによって不正なやり方で譲渡または売却されたソキエタスの財産の悪意の所有者に対抗しての返還請求や利益請求、それ故さらにトラクタートルの第三者に対する処分権の制限についての権能も、ソキウス・スタンス達に認められていた。

9)p. 884 l.c.を参照せよ。

10)p. 839(補遺):”inter socios ejusdem hentice seu societatis maris etc.”(出資を同じくするソキエタスの、またはソキエタス・マリスの成員達の間で);hentica =ἐνθήκη、Einlage(出資)。この語の語源がギリシア語であるということはまたもこの制度が東ローマに由来するということの証拠となる。

11)トラクタートルは特にcapitaneusであるソキウス・スタンスに対して航海からの帰還命令を受ける可能性と航海において果たすべき課題を与えられているという点で拘束されていた。

12)このトラクタートルがcapitaneusであるというケースは、文献史料においては完全な形では記述されていない。ただその存在について、p. 884 l.c.によれば通常のケースであったことは確実と思われる。

13)ソキエタスの成員間の関係の全体については、p. 886 ff. l.c.を参照せよ。

ソキエタス・マリスの財産法

 我々にとってもっとも中心となる問題は、ここにおいても――まずは:これまで述べたような状況はそこで言及されているソキエタスの財産権とどう折り合っているのか、またゲゼルシャフトの特別財産という考え方をどう解決しているのか?その答えが肯定的なものである場合には、我々はこれらのソキエタスの財産の発展の過程において、合名会社の形成についての基本原理を見出すことが可能であろうか?――実際の所、次のことを確認することが出来る。つまりConsitutum Ususの法文は、ジェノヴァの法規と同様に、ただよりさらに明確にかつ意識的に、ソキエタスの成員達の出資によって作り出された基金、つまり”hentica”を特別な運命の下に置くという内容の法文を含んでいる。

特別財産

 法規であって” inter socios ejusdem hentice seu societatis maris”(同じソキエタスに出資した者達またはソキエタス・マリスの成員達の間で)とこれらの成員達と(外部の)債権者との間の関係の差異について、Consitutum Ususの中で条項が追加されているものは、これらの規定にこれらの人員グループ分類毎のそれぞれについての、仮にソキエタスが破産した場合の財産の優先権についての注記を付け加えており、その注記の追加がここで 14)番号のより若い補遺として行われていることが特徴的なことである。その内容は我々にとって特別に興味深いものである。

14)p. 839 l.c.を参照せよ。

 この箇所にて述べられていることは以下の通りである:

1.個人への債権者との関係

 I. ソキエタスの中の成員と、ある債権者でソキエタスに出資された財産についての債権者ではない者との間での訴訟において、その債権者がソキエタスの成員に対する債権を持ったのが、その成員がソキエタスへの出資をする前だった場合(inter socios et alios creditores, qui non sint creditores ejusdem hentice, licet creditores sint priores tempore)、――ソキエタスの成員達はソキエタスに属する財産(rebus societatis)については優先権を持つが、それは他の財について法による秩序が守られている(in aliis bonis secundum ordinem juris observetur)限りにおいてである。それ故にこの場合ソキエタスの成員達は債権者とソキエタスの成員達の中の個人としての債務者の間に入り、その債権者に対し、その債権者がソキエタスの共通の出資金を担保に取るという契約を締結していない場合には、ソキエタスの財産の返還を請求することが出来る。(トラクタートル個人への債権者と我々は呼ぶべきであろう。)

2.ソキエタスの成員達のゲゼルシャフトの基金への位置付け

 II. さらに次のことが述べられる。

“inter socios ejusdem hentice seu societatis maris, licet aliqui socii sint priores tempore et habeant etiam hypothecas, tamen in praedictis bonis (scil. societatis), ejus, quod quisque sociorum recipere habet, communiter admittantur et per libram dividant”(同一のソキエタスへの出資を行ったソキエタスの成員達の間で、またはソキエタス・マリスの成員達の間で、仮にその中のある成員が他の成員よりも優先権を持ち、またソキエタスの財産を担保として使っていたとしても、その、先に言及された財産(つまりはソキエタスの財産)は成員の全員が受け取る権利を持ち、共有のものと認められ、出資比率に応じて均等に分けられる)
それ故に多数のソキウス・スタンスが一人のトラクタートルを共通に持つその者達は(というのはそれがここで想定されたケース:つまり同一のソキエタスへの出資をしたソキエタスの成員達{socii ejusdem hentice}である)、ソキエタスの財産を(出資額に応じて)均等に分けることになる。それ故にさらに次の義務への遵守が必要となる:

1)ソキエタスの成員達の中の誰であっても、ソキエタスの財産への強制執行の際に自己出資分について他の成員達に対する優先権を主張することは出来ない。
2)ソキエタスの成員達の中の誰であっても、自己のIllaten in natura《全集版の注釈によれば出資分のこと》の返還請求をすることは出来ない。

――これらのことは明確には述べられてはいない。しかしこれらのことは I. の法文への相対概念かつ論理的帰結として成立する。さらにも次のことからも直接導かれる。つまり、ジェノヴァのソキエタス・マリスの場合と同様にここでも、ソキエタスの本質的な機能は危険を共有(分散)することであり、それ故に個々の成員についての事象はもはや考慮されず、そうではなくてただ利益と損失が全体の勘定の中に算入されるのであるが、Consitutum Ususが明確に規定しているように、あるソキエタスで「混ざり合った状態を享受する」(havere mixtum)、つまり共通の財産が分割されずに存在しているということと、利益と損失が出資割合に応じて(per libram)分割されなければならない 15) ということが規定されている。このことからもこの II. は直接導かれるのである。

15)p.884 l.c.を参照せよ。

3. ゲゼルシャフトへの債権への位置付け

 III. トラクタートルへの債権者で、トラクタートルがその者とソキエタスの財貨について契約を取り交わした者は、ソキウス・スタンス個人に対する債権者ではない。このことはやはり直接的には表現されておらず、ただ私には少なくとも自明と思われるが、次のことからも判断される。それはこういった責任関係が破産時における優先権を通じて構成されているそのやり方によってである。そこにおいてはソキエタスへの出資者達は、その出資分を一つにした財産に対する債権者(creditores hentice)の差し押さえには対抗出来ない――そのことはcreditores henticeという名前がまさに示す通りであるが――となっており、その(トラクタートルとのソキエタスの財貨についての)債権者は出資の結果一まとめにされたソキエタスの財産について、ソキエタスの成員達に対して、またさらにソキエタスの成員個人に対する債権者に対しても、優先権を与えられている。ソキウス・スタンスそれぞれの個人的な連帯責任の引き受けを基礎とするソキエタスは、むしろ明確にジェノヴァでのソキエタス・マリスにおける構築の仕方にまた舞い戻るような今述べたようなソキエタスの構成のやり方を必要としていない。――ソキエタスへの債権者はソキウス・スタンスに対してはただ、出資されて一まとめにされた財産への債権者(creditores hentice)であるということである。

4.ゲゼルシャフトの財産の範囲

 IV. hentica(出資の結果として一まとめにされた財産に基づくソキエタス)がここで述べて来たようなやり方で機能することを開始するのは、そこに所属する具体的な物(species)が、ソキエタスの基金という形で一つになった瞬間である。ソキエタスの基金というものは法学的には次のことが成立した後に成立する。それは該当する価値のある客体が、それぞれの金銭的価値(aestimatio)に従って事実上一つにまとめられた(mixta)時に、それらはその結果としてソキエタスの基金に算入され、それもある一定の合計額として「算入された」、その後である。それらの客体について価額が未定の場合は、それらはまだソキエタスの財では無い。何故ならその場合には個々のソキエタスの成員が、自分の出資によってどこまでソキエタスの財産の中で分け前を持つのかということが確定しないからである。――というのも、しかしながら、個々のソキエタスの成員の勘定に算入されるのはその成員が持ち込んだ財貨そのものではなく、その財貨の資本としての価額なのであり、この資本としての価額を通じてその成員のソキエタスの財全体の中でのその成員の分け前の権利が表現されるのであり、それ故にその価額の確定は法学的に見たソキエタスの成立の過程の中で本質的な部分なのであり、それによってその成員に対して出資金(hentica)の中の分け前の比率は、まさしくその成員によって持ち込まれた財貨の登場する所において確定するのである。henticaとまだ価額が確定していない有価物との関係は、まだ仮のものであり、それは利益や損失と一緒で特別な勘定として扱われ、それが売却されて価額が確定した時に初めて共通の金銭勘定の中に取り込まれるのである。

16)p.885 l.c.を参照せよ。

17)ローマ法における嫁資の価額の決定(dos aestimata)についての規定を参照せよ。これらのソキエタスとローマ法における先行事例(卑俗法の中から、ゴルトシュミットがロード海法やAgermanament《詳細不明、この語自体は「姉妹都市」という意味なので、マラカ法などのローマの同盟市・自治市・植民市の法のことではないかと思われる。》をそう呼んでいるように)、特に Contractus aestimatorius との関係については――学説彙纂D.44のpro socioを参照せよ。――aestimatioのそこでの取り扱いは、またも(この「価額の決定」ということの重要性の)有力な証拠としてみなすことが出来る。

ここまでの成果。合資会社

 ここまでの論述の結果として私にとって明らかになって来たことは――ここにこのように現れている事象によって(rebus sic stantibus)《clausura rebus sic stantibus=法学でいう「事情変更の原則」をもじっていると思われる。つまりローマ法でのソキエタスの法規定が貿易に伴って生じた新しい人間関係による事情変更により新しい解釈が必要となった、と言いたいのだと思われる。》、通常は非常に理解しづらいConsitutum Ususの法文について、より明証性の高い解明を行うことが出来たということである。――それはつまり、我々はここにおいて合資会社の財産法的な基礎原理を目の当たりにしているということである。合資会社に必要なものは全てここにおいて揃っているか、あるいは少なくともその登場が予示されている。「個人的に」責任を負うゲゼルシャフトの構成員、つまりトラクタートル 18)と、――価値のある客体の複合体で個人への債権者の差し押さえの対象になるもの、その客体の複合体に対してはゲゼルシャフトが存在している間は各ソキエタスの成員の持ち分への権利は劣位に置かれるのであるが、その複合体に対しては各ソキエタスの成員は債権者ではなく持ち分所有者(株主)として権利を与えられる。それ故これらのことによってソキエタスの特別財産が形成され、それはゲゼルシャフトの債権者に対してその債権の額に応じた《proratarischen→ラテン語のpro rata「取り分に応じて」からのおそらくヴェーバーの造語》返済をあらかじめ用意するのであるが、最終的にはゲゼルシャフトの構成員《=有限責任社員》でその責任は自己の出資分に限定されている者達、これら全てが実質的に合資による会社財産形成の目印なのであるが、しかし法学的にはまだ完全な姿とは言えない。この「不完全な」という意味は、特に次の理由でそうである。何故ならばゲゼルシャフトの財産の存在は、少なくともまだその出資元が外から見て取れる限りにおいては、対外的には強制執行の要請があった時に初めてその存在が明るみに出るのであり、それ以前においてはトラクタートルのみが契約当事者であり、そしてそのトラクタートルとそのソキエタスの業務において契約する債権者は、最初から権利を与えられているのは次のことだけである。つまり、その債権者達が、個々の強制執行の対象となる客体に対して、――つまり既に述べて来た意味でゲゼルシャフトの財産に属する客体について、絶対的に優先権を与えられているということである。全体の人間関係は純粋にローマ法的に構成されており、そのような合資会社的なゲゼルシャフトはまだそれ自体が可能な契約当事者として自立するまでには至っておらず、そのゲゼルシャフトの特別な破産の可能性もまだ考慮されていなかった。そういった特別財産の成立は、文献史料によれば、その成員達に対する強制執行や破産手続の場合によりいっそう詳細に規定されていた。そういったソキエタスの成員達が(まだ)財産を自らの手の内に持ち、またトラクタートルをも管理していた。――

18)トラクタートルの個人責任は、ここでは全く疑いのないものであり、それはジェノヴァにおける場合と同じである。しかしConsitutum Ususにおいては明確には規定されていない。そのトラクタートルの個人責任という考え方は、まさしく他の様々なものと同様に、当たり前のこととして成立している。直接に文献史料の中の特定の位置から証拠となるのを持ってきて証明するのでない限りは、何かをただ主張しようとするやり方には疑問が多い。Consitutum Ususでのソキエタス法の規定は、しかしその浩瀚さにも関わらず、逆にその浩瀚さが最も重要な箇所だけを取り出すのを不可能にしてしまう。そういったソキエタス法の規定は、法文においてソキエタス法の成立がその当時の人間にとっては疑いもないものであり、そのためにその意味の説明も省略されているように見えるような形で記述されている、まさにその箇所において《現在の我々から見れば論証の》不備を露呈している。これらの法文については従って、他の諸都市の類似の法規によってと、最終的には昔存在していた原初的な人間関係の構図からの論理的帰結によって補完的に説明されなければならない。

II. 固有財産の無いソキエタス(Dare ad portandum in compagniam)

 ここまではただ次のケースについてのみ詳細に論じて来た。それは多数のソキエタスの成員達が出資を一斉に行うことによりソキエタスの基金が形成され、それが様々な関係において特別財産としての機能を発揮するというケースである。Consitutum Ususにおいてはしかしながら、別のケースも存在している。それは利益の中からの分け前を条件とした、事業に対しての一方向的な投資のケースであり、丁度ジェノヴァでのコムメンダのように――事業参加者に対しての1/4の利益配分――を含むものであった。

 これらのケース、つまり、”dare ad portandum in compagniam”と表現される形態についての非常に不備の多い所見から、まずは次のことが導かれる 19)。つまりこうしたやり方で引き渡された資本が、それについて価額が確定した場合には、既に出資された分と一緒に、その事業の中に組み込まれたトラクタートルまたは第三者の資本と一体化される。しかしながらこのケースでは、法規によれば、ソキエタスの元の成員達に不利益をもたらしてはならないとされている。この最後の部分の意味するところは、ただ次のことである。つまり、このような形であるソキエタスに出資する者は、それによって上述した意味でのsocius hentice《同一のソキエタスに出資したソキエタスの成員達》にもcreditor hentice《一つにまとめられた出資に基づくソキエタスへの債権者》にも成ることはなく、そうではなくてただ今日の匿名組合員(stiller Gesellschafter)のように、トラクタートルに対しての債権者であり、そのトラクタートルに対して資金を貸付けるのである。その者は、法規がそう定めているように、その貸付けの行為によって事実上トラクタートルの仕事に関与している場合でも、それによってソキエタスの成員、今日の言葉で言う有限責任社員(Kommanditist)に成ることは決して無い。このような外部の者がその出資をソキエタスの共同出資金と一体化した場合に、元々のソキエタスの成員達に何らかの損害を与えた場合には、その者はその分を補償しなければならなかった――このことから上述した特別の意味での「資金の引き渡し」は、ad portandum in compagniamにおいては所与または通常のケースでは無かったように思われる。トラクタートルは引き渡された資本について、それを自己の責任でされに別の委託契約に出資することが出来たが、これはソキエタス・マリスの場合では権限が与えられていなかったことである。

19) P.885を参照。

 ここにおいての《henticaが形成されるケースとこのad portandum in compagniaとの》本質的な違いは次のような点にあると考えられる。つまり、ここでの出資は技術的な意味でhenticaとして取り扱われず、従ってまた法規においても、henticaとソキエタス・マリスについては債務に関わる人間関係についての明確な規定の中では言及されていない。そのためにここではゲゼルシャフトの財産が成立したようにはまったく思えず、そのためにこの形態をソキエタス・マリスと違うものとして扱う場合は、あたかも商法典においての「匿名」組合と合資会社の中間に位置付けられるものとして考えることが出来るかもしれない。ゲゼルシャフトの財産を持った合資会社は疑い無く法学的にはより上位の形態である。もしラスティヒが participatio 《参加する》という動詞によってこうした人間関係を理解しようとしているのであれば、それは確かに意義のあることと考えても良いであろう。その participatio という概念においては、ただ債務という考え方だけを扱い、その業務への参加者の間で維持されている利益と損失の分担を特別財産の形成とは見なさず扱うのであり、それはソキエタス・マリスとは対置される性格のものであると考えられる。――こうした見解は法学的なものであり、資本と労働がどのように結合されているかということについて、それぞれの単なる経済的な差異を抜き出して描写しようとしているのではないだろう。

 こういった固有財産を持つソキエタスと持たないソキエタスの違いというものは、しかしながら当初から存在していた訳ではない。――我々はその違いについてはジェノヴァの例においては、ただ曖昧にまた間接的に認識することが出来ただけである。その2つの違いが明確になるにはようやく次のような時点からである。それは根源的には現金取引の中で利用されていたコムメンダとソキエタス・マリスという制度が、外部に対して債権-債務の関係を明確に示す必要性が生じた時で、それは特に海外との商取引においてもより大規模な信用取引が行われるようになった場合である。ジェノヴァにおいてはただソキエタスの財産形成についての非常に萌芽的な諸契機を見出すことが出来ただけである。その財産形成についての法的な取り扱いという意味では、ピサにおける法規の編纂者達のより高度の水準にある法学的技術が、既に見て来たようにかなり早い段階でそれ以上の成功を収めていた。

 これまで論じて来たことからジルバーシュミットがコムメンダの中に合資会社の、そしてソキエタス・マリスの中に合名会社の、それぞれの始まりを見出そうとするアプローチは正しくないと思われる。ソキエタス・マリスはむしろ逆に合資会社の基礎原理なのであり、コムメンダはしかし、それが一方向的な関係に留まる限りにおいては、単純な参加型の関係という形でのみ発展する傾向を持っており、固有の制度としては最終的には消え去ってしまった。それはConsitutum Ususの中では既に見て来たように、datio(dare) ad portandum in compagniam の所である意味相当程度継母(ままはは)のように扱われていた。

 今述べた最後のことを明らかにし、そして同時に我々の見解が正しいということについてのさらなる証拠は次の所で提供される。つまり、まずはコムメンダが取り入れられている法規の該当部分においてであり、さらにはコムメンダがその形を変えていくその方向によって、そしてまたConsitutum Ususの中でより単純化された信用取引の受け入れという方向にさらに進んでいく取引における人間関係についての規定を通じて提供される。その人間関係は dare ad proficuum de mari という名称で詳細に規定されている 20)。

20) Constitutum Ususの c. 24: de his quae dantur ad proficuum maris を参照。  

III. 固定配当金を持ったソキエタス(Dare ad proficuum maris)

 この dare ad proficuum maris もまた、文献史料によれば、ある種の”accipere havere ad proficuum de mari in aliquo tassedio ad tractandum in hentica”(共同出資によるソキエタス{hentica}の商品をどこか航海に出てそれを{海外で}販売し、それによって利益を得ようとする意図に基づくソキエタスへの参加の受け入れ)である。この表現から、コムメンダがこの制度の歴史的な土台であることが良く分る。その他また数多い煩瑣な形式的な疑問に答える完全に統一された諸規定から分ることは、もし何らかの理由でここで通常の利益分割のやり方が採用されない場合には、補完的に使われていた契約法(lex contractus)の規定である1/4の利益配分にまた戻ってしまうということである。(その1/4の利益は、例えば契約違反の場合の違約金として支払わなければならないものである。”ac si re vera socius esset”{そしてもしその者が何か正当な手段によってソキエタスの成員であるだろうとされるならば。})この人間関係については、それ以外の点では対外的にその祖先であるコムメンダとの類似点がほとんど見つからない。例えば出資に関してはピサでは、商慣習として固定化された利益の内の最大の取り分についての料金表が作られていて、その%で示された値は仕向先の港の位置する場所によって異なっていた 21)。これらの法文の規定は、企業家側からすれば「資本の調達コスト」として支払わなければならないものであり、根源的には常のこととして、(そうした資本調達コストを負担する前提で)利益を事業によって得ようとするものであった。利益が想定より少ないかあるいは全く無いという事態が――何らかの責任を負う必要がないこと(例えば不可抗力)が原因で――生じてそれが通知されることにより、ある決まった規則によって支払い利益の割引が発生する。また払い込まれた資本の全額の償還の際にも、臨時の減額の通知によって、元本割れの金額の返却という事例も見られた。この制度は海事利息制度《第2章の冒頭で言及されているfoenus nauticamのこと。そちらの訳注を参照。》とソキエタスの中間に位置付けられるが、しかし私はSchröder 22)《Richard Schröder、1838~1917年、ハイデルベルク大学の法制史家・商法学者》の説である海事利息制度の変形であるとは考えず、むしろ海事利息制度の法規定の中に取り入れられている法文によって変形された出資ソキエタス、コムメンダの特別なケースであると考える。――その「特別なケース」とは以下のようなケースである:その形成にあたっては、西地中海の沿岸に位置する全ての港を仕向地として完全に分類して算出した取引のリスクとさらにそこから派生する保証(のコスト)から、その(貿易)業務において平均してどの程度の計算可能な収益が得られるかということを明らかにする、そういうケースである。またそういう取り決めの目的は明らかに、信用取引の引き受けが主眼ではなく、利益の分割の仕方である。

21)Consitutum Usus c. 25: constitutio de prode maris を参照。

22)Endemann編の Handbuch des deutschen Handels-, See-, und Wechselrechts の第4巻の§ 46、Wagner《Rudolf Wagner、1851~1885年、ドイツ-ラトビアの法学者》のHandbuch des SeerechtsのIのp. 25のNo. 61、ゴルトシュミット(Festgabe für Beseler p. 204)は全てこの制度をゲゼルシャフト的に変形された海事利息制度としている。私は文献テキストトの中で探そうとした海事利息制度のコムメンダへの歴史的な依存という仮説を、そのコムメンダについては根本原理としては応急的なものとして登場したと考えるべきであるとする文章への言及を考慮し、少なくとも債権-債務関係の形成という点では正当であると考えたい。

 こうした業務の細かい点については、我々の関心の範囲外である。我々がここに見出すのは、先に述べた参加型業務がはっきりとより広範囲に行われるようになったということであり、それは料金表に記載されたそれぞれの港湾との増大する定期的な取引より生じた。そうした参加型の業務はそれぞれの港湾との貿易での固定化された利益配当を可能にしたのである。というのもいまや、既に述べて来たように、これらの関係も――その取り扱いについてはソキエタス・マリスと関連し、――またコムメンダを継承するものとして登場しているため、我々はここでまた、ラスティヒの言う所の一方向的な労働ゲマインシャフトと同じく一方向的な資本ゲゼルシャフトの対立が、こうした貿易業務の発展においての決定的な契機ではなかったことを見出すのである。

 ”dare ad proficuum de mari “の形の制度は後に消滅してしまっている。法典の補遺においては、固定化された利益と引き換えの資本提供を禁止しており、Consitutum Ususの中の該当の章は破棄され、”usura”が先頭に付く名前の章はこの業務形態を別のより害のないものに置き換えている。

ソキエタス法に対する利子禁止原理

 この機会に手短に次の見解についての議論に立ち入っても良いであろう。その見解とは中世における諸ソキエタスの発展を教会法での利子禁止原理の方へ本質において引き戻そうとするものであり、特にEndemannがそういう立場である 23)。この見解では次のことが仮定されている。つまり当時の教会法の教義において、ソキエタスを「資本と労働の結合」(pecunia-opera)と把握し、それの一つであるコムメンダ関係について、その本来の構造を本質的に次のことから把握している。つまりそれは資本が教会法によっての利子禁止の制限を何とかかいくぐって利子(収益)を得ようとするする形態であると。それ故にある人間関係について考慮する場合、もしそれが経済的には明らかに一定の利息の受け取りを条件とした資金貸付けとして登場するのであれば、それは(教会法では営利を目的とする)ソキエタスと見なされるのである。――次のことは既に知られている。この時代の人間が地代徴収権購入《Rentankauf、ある土地の所有者から土地そのものを買うのではなく、その土地の利用者に対して発生する年間いくらという地代{Rente}の徴収権を購入するもの。毎年受け取る地代が支払った金額に対する利子のように機能するが、貸付けではなくあくまで売買であるため、教会法の利子禁止原理の制限を免れた。》に似たやり方で抵当権上の保証が付いたヴェールに隠された利子付き貸付けをどのように行おうとしていたのかを説明しようとするのであるが、しかしこのような把握の仕方はその後断念されたと見なし得るのである。アーノルド《Wilhelm Christoph Friedlich Arnold、1826~1883年、ドイツの法律家・歴史家・政治家》等の研究は次のことを明らかにした。地代徴収権購入は次第に(資金提供者から地主への)貸付けの関係から諸都市における土地所有権(の代用)として発展し、そしてそれは全くの自明のことである経済的な要求を充たすものであったが、しかしながら利子付き貸付けが出来ないことに対する代替品としては主要なものでは全く無かった。――それがまた後になって、その制度が独立して発展した後になってようやく、投資先を求める資本が利子付きの抵当権設定という形態が欠けていることに対しての代替品として利用されたとしてもである。ソキエタス的な関係に関して言えば、これまで述べたことから十二分に次のことを確認することが出来る。つまりここにおいても(ソキエタスの)法学的かつ経済的な発展は(教会法の利子禁止原理をかいくぐる手段としてよりも)独立に発生したということである。

23)Studien zur romanisch-kanonischen Wirtschafts- und Rechtslehre を参照。――それに対するラスティヒの反論は引用済みの論文を参照せよ。

我々はしかしながら、他方ではもちろん次のことも見て来た。つまりは実際の所コムメンダとソキエタス・マリスの形態は投資の目的で、場合によっては未成年者の財産を運用するためにも使われていたということである。――このことはピサの法規においてもまたそうであった。当時においてはこの種類のソキエタスの発展が、中世においては一度それが到達段階として最高点に至ったということにより、そのことは経済的には決定的なことという扱いで大きく限界点を超えることを認容しているが、そのような形で投資された資本はそのやり方を主要なものとして選んだと言える。何故ならばそれによってその当時の人は通常考えれば自然なやり方である利子付きの貸し出しを放棄しているからである。しかしながらこのことは常に証明出来ないだけでなく、また逆のことが正しいとさえすることが出来る。当時の商取引においては、当時の人々が教会法の利子禁止について「良心の法廷」(forum conscientiae)《キリスト教徒が自己の内面における神との関係で事の善悪を自分の良心に従って判断すること。カントは人間の良心を「内的法廷の意識」と呼んでいる。》の外側でも真摯に実務的に対処しようと考える前に、純粋な利子付きの貸付けは、相対的に見ると本当に取るに足らない役割しか果たしていなかった。投資先を欲する資本が今日であっても利子付きの貸付けが基本的に含まれている個人への私的な貸付けに向かうということは決して広範囲では行われていない。ましては当時はさらに少なかった。――公的な信用というものの本質は、当時においてひょっとしたら発生していたかもしれない資本家という者達の手間暇を要する需要に応じる方向に向かうことはほとんどなかったであろう。運用可能な資本は、それが不動産の購入と貸し出しという形、つまり資本家による不動産の引き渡しという方向に向かっていなかった場合は、その利用と投資の対象として、我々の法領域における海上取引を見出したのである。しかしながら純粋な貸し付けのやり方というのはこの海上取引という目的においてはほとんど適していなかった。ある事業で航海という目的で受け入れられた資金貸し付けに対する返済については、万一その事業が何らかの惨事《例えば船の難破》に見舞われた場合が、もっとも問題であると考えられていた。その理由からローマ法の foenus nauticum が、そして北イタリアの諸法規ではコムメンダと競争していた海上貸し付け制度(Seedarlehen)が登場するのであり、そこにおいて投資が利益の分配を条件とする航海の危険への参加という形で登場するのであり、後者を非常に隆盛を極めたがために、その分より多くの資金を必要とした取引が喜んで受け入れたのである。こうした海上貸し付け制度はしかしまた、先に詳しく論じたように、この当時大規模な取引のあった地中海貿易を理解する上では有用であるが、その大規模取引に対し海上貸し付け制度は次のような意味で関わってその利用を許したのではなかった。即ち資金の引き渡しは海を越えての商品の輸送という事業自体に参加するのが目的ではなかったし、それは同様にその事業の可能性のあるリスクそのものに直接関わろうとするものでもなかった。その意味でこういったリスクがこのシステムによって《海難事故の》平均的な確率という意味での計算可能性の中で扱えるようになったという見解は修正する必要がある。この意味から、そして綿密に検討された利子禁止の教義の回避の必要性からではなく、資本家達による危険の共有と、また権利関係では経済的に見れば貸し付けに近づいた状態であることが説明出来るようになり、さらにはこのシステムが定額の配当金を持つソキエタスとして構成されているように見えるのである。利子の教義としては――そういったものが存在していることを認めようとする立場からであるが――経済における戦場にそれが姿を見せたとしたら、それは各種のソキエタスの形態の発展が――それはラスティヒがEndemmanに対して明確に強く反論した点であるが――それをとっくに実現していた。教会法による利子禁止がその後演じた役割は、イタリアにおいても決して小さなものではなかった。(ほとんど全ての法規定がそれについて何らかの記述を行っている。――どのように?はここでは扱わない。)しかしながらある新しい法的な制度の発展または既に存在している制度のさらなる発展においては、我々が研究対象としている領域では、私が見る限りでは利子禁止という方向に戻るような傾向は見出せない。ここでは唯一の制度、つまり dare ad proficiuum maris のみが、その利子禁止という教義に対し違反するようになっていたが、その他の制度に関しては《利子というやり方の》成長を妨げる方向に作用し、創造的な方向には作用していなかった。丁度 “dare ad proficuum maris” の人間関係が、それはソキエタスの構成のやり方としては明らかにもっとも劣悪なものであったが、Endemman的な理論の範例《利子禁止の回避の方法として》という意味では、最適であるように思われる。それは利子という経済原理の支配の前でその確立に成功したのであり、利子の原理が本当の意義を持つようになって広く普及した時になってみれば、それはむしろ《利子禁止原理の》犠牲になったのであり《実際に1236年に法王庁から非難され、最終的には無くなっている》、それもリスクについての調整方法によってではなく、固定した利益という考え方によってであるが、そのことは利子禁止ということがその本来の構造の基礎目的には決してなっていなかったということを明確に示している。

 我々は利子禁止に関する議論はこの辺りで切り上げ、ピサのソキエタス法の観察に戻ることにしたい。

IV. ソキエタス・マリスと家族ゲマインシャフト

 というのは我々はまだ海上取引に関わる諸ソキエタスの一般的かつ前述した形でのいくつかの特別な形成物についてまだ詳しく論じなければならないからである。それらの形成物はまさに我々の関心に応えるという意味で適当であるし、Consitutum Usus においては”de societate inter patrem et filium et inter fratres facta“(父親と息子の間、または兄弟の間にて結成されたソキエタスについて)という特別な章において取り扱われている 24)。

 つまりはソキエタス・マリスが次の場合では確実に修正されているのである。つまり、ここでの章の表題に示されているようにソキエタスが家族の成員の間で締結されている場合である。それについてここで論じるべきであると考える。

24)Consitutum UsusのCapitulo 21を参照。

ソキエタス・マリスが家族連合(associationen)から生じたという仮説

 ここで主にジルバーシュミットによって主張されている仮説に対してその誤りを指摘しておかなければならない。その仮説とはピサにおける種々のソキエタスがまさしく家族法を起源にしていると見なすべきである、というものである。――それはつまりある家族の成員、特に家住み息子が家族の資金を用いてある商取引のための旅を企てた時に、次のことの必要性が明らかになったということである。それは申し合わせによって、得られるであろう利益の分配の仕方を定めるということであり、それはその後確かな商慣習として発展しただろうということである。このような商慣習は、この種の事業が extraneus (親族以外の外部の者)の資金によって行われている場合には特に、その事業の基礎的な要素として扱われるということである。

 ソキエタス・マリスにおいて複数の extraneus の間で通用していた根本原則は、家族の成員にとってはそのまま適用出来るのではなくむしろ逆だったのであり、その原則が家族による成員間でのソキエタスに適用される場合には修正された上で適用されたのである。その場合に関連法規の理解としては、その法規においての”societas inter patrem et filium et inter fratres facta”についての記述に対して、”societas inter extraneos facta”に適用される法文をそのまま適用することに疑問があることが示されており、当面の間は家族間のソキエタスは extraneus 間のソキエタスの特殊な場合として理解されるようになるのであり、そのことは法規の該当する章を見れば分ることである。さらに法規の関連箇所の記述を見れば、こうした理解の仕方が事実上の人間関係に適合していたことが分る。しかしここで前提とされるのは次のようなことである。この家族の成員の間でのソキエタスがそれ自身の傍らに、一般的でまた同時にある意味特別でもあるそれ自身に元々備わっていた修正された要素を保持し続けたということであり、その要素の中身をこれから詳しく述べていく。その要素は自らがその源泉となったものは何であったのかという問いを投げかけている。

 まず第一に確認されなければならないのは、この関係においては純粋に親族関係という要素は意味を持っていないということである。もし in potestate (ある力を持つ)ではない、つまに共通の家の中に住んでいない息子または兄弟が、その父親または兄弟とソキエタスを結成する場合、そのソキエタスは societas extraneorum (親族以外の人間とのソキエタス)と取り扱われる 25)。

25)P.887 l.c. 参照。

 共通の家計を土台にした共通の労働はここにおいても家族の暮しの中での経済的に自然な要素である、それ故に法規は父親に対して息子をその家で労働に従事させる権利を与えている。また同じ理由から、息子が父親の資金を使って海上取引に従事する場合には、申し合わせの欠如により利益は頭数で(pro rata)分割された。父親が航海に同行する場合には、父親は常に息子の分担分として持ち込まれた商品の売却によって得られた利益の1/4を受け取っており、それは”sicut havere esset extranei”(あたかも息子が赤の他人であると望むかのように)ということであり、しかしその他にも”totum quod per operam sive alio modo acquisiverit”(彼自身の労働によって、または別の何かの手段によって獲得した全ての物)を自分の元に留めていたのである。息子の労働の成果については、最初のケース(父親の資金で息子が海上取引を行う場合)では、息子には何も与えられず、報酬は直ちに父親のものとなった。父親はここで挙げたような諸ケースにおいては、自然な帰結としてそのソキエタスの capitaneus であったのであり、そのソキエタスはその他の点では親族ではない他人とのソキエタスの規則に完全に適合していたし、さらにそこではまた利益の分割についての異なったやり方が申し合わせられるのが常であった。

家族ゲマインシャフトの特性

 家族ゲマインシャフトの財産法的な帰結は、ここも我々が既に別の所でなじみとしている事であるが、――家族財産は純粋な個人財産(の集まり)としては扱われず、全ての成員の共通の家計として規定されている。父親はそれ故に法規によれば随意にそのような(貿易取引のための)ソキエタスを個々の息子と結成し、そのことによって他の成員を蚊帳の外に置くことは出来なかった。もし父親がそれでも敢えてそれをやった場合には、そこから得た利益は共通財産の収入となった。もしその父親が「それにも関わらず」、家族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタスを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父親は家ゲマインシャフトから独立していない(家住みの)息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいしか出来ず、それ以外に何かを(例えば金銭で)息子に対して支払うことは出来なかったであろう。そこでは次のような考え方が背景にあったのは間違いない。つまり、――より以前の時代からの発展に適合する形で――(家族ゲマインシャフトの)共通の財産に対して複数の(それぞれの成員の)勘定が作られ、それは共通財産が外部に対して開示されていないという状態を損なわない形で、また(他の家族との)相互の関係にてそれぞれ共通財産中に分け前を持つ家族の個別の成員が、自分自身の金銭勘定とリスクの負担に基づいて何らかの業務において企業家としてかあるいは(資本だけの)参加者として関わることが出来るようになったという形で行われていたが、そういった考え方である。以上のことは次の箇所でも確認出来る。つまりピサの法によれば先に詳しく述べた父親の(独立しようとする)息子への財産分与義務は、独立前の息子が何らかの違法行為を行った場合に(も)成立しており、そこにおいてはまた共通の財産に対する分け前への関係においてその息子に固有の、違法行為に対して課せられた罰金の支払いに(も)使用出来る個々の財産について述べている、その箇所である。我々にはこうしたある家族ゲマインシャフトにおいてのそのようにお互いに分け前を権利として認めるという考え方は、共同相続人、兄弟達、そして一般的に同等の地位にある者達の間であるとしたら何も不思議なことではない。しかし父親と息子達の間でもそのような(等しい)関係を想定するということは、あまり自然なことではないように思われる。しかし我々は14世紀における、この先で考察することになるフィレンツェのペルッツィ家とアルベルティ家の会計において次の事を見出す。つまり、事実上かつ疑いも無く分割されていない家計が成立した所では、息子達はその父親がまだ存命中はその本来の家計とは別のある一定の金額の勘定をしばしば作り、それによって商取引を行う家族によるソキエタスに関与していた。この場合に外部に対して父親が家族を代表しているという見方は疑わしかった。しかし父親はそのソキエタスにおいて(外部との)契約にサインし、投資を行っていた。しかし父親はそういうケースではあくまで”per se et filius suos”(彼自身とその息子達のために)それを行っていたのである。

 家族の成員に付随する権利についてのこうした見解、つまり共通の財産に対してのある割り合いによる分け前という考え方がその家族に対してあるはっきりしたソキエタスとしての性格も付与したという見解は、既に以前から主張されており、その際にまた次の事も注記されていた。つまり家族ゲマインシャフトに対するこうした取り扱いは、家族の資本が何世代にも渡って本質的に商業を営むための財産であった場合には、そういう風に取り扱うしかなかったし、またそういう風に取り扱わなければならなかった。

 ピサにおける societas inter patrem et filium facta は、多く法文の中から読み取る限りでは、その中に多くの要素を包含している:純粋な商慣習としての要素、契約法を基礎として派生した要素、そして家族財産法から発生した要素、そして我々に対し抑制的な形で示されているのは家族成員のそれぞれの分け前分に対する権利(の集合体)である共通の財産、そしてまた家住みの息子達などであり、これらの要素は他の場所でも、もっともはっきりした形では(シチリア島などの)南イタリアで見出せる。最後の2つの要素はしかしながら他の要素とは区別して考えるべきで、最初の範疇は家族法から発生するのではない。その源泉は常に同一である。つまり父親と息子が実際に(同じ)ソキエタスの成員である場合であり、そのソキエタスははっきりと「名前を持った」(nominata)ものであり、明確に取り決められており、そうでない限りソキエタスという形態での利益の分割というものは成立し得ないのである。――その結果として、その基礎となるべきはただ契約のみであった。

ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト

 こうした(家ゲマインシャフトと契約に基づくソキエタスの)混合は、また法規が societas inter fratres facta (兄弟の間で結成されたソキエタス)の場合においてはまた特有のものとして認められるものであり 26)、そういうソキエタスは多数の独立していない共同相続人のゲゼルシャフト関係と理解することが出来る。

26) P.878f. の引用箇所 を参照。

 父親は法規によれば、遺言による処分によりそのようなソキエタスを自分の相続人に対して基礎付けることが出来たし、同様に相続人達は相続ゲマインシャフトをソキエタスへと作り替えることが出来た。――最初のケースでは、(遺言に対して)直ちに反対を受けない限りにおいて、またどちらの場合もはっきりとした取消し要求がされない限りにおいては有効であった。後者のケースがその当時基本的に許されていたからといって、次のことを当然と考えるのは適当でないであろう。つまり、結果としてその関係はソキエタスの成員達の同意に基づき、即ち原理的にはただ任意の成員間で作られるとかと述べるのは正しくない。解約権の成立は、ソキエタスの契約に基づく成立とはまったく別物である。このことは実務上は次の事を意味している。つまり共同相続人達がそのソキエタスが解散されるまでは相互に拘束されており、また特別な意思表示無しにソキエタスの成員として扱われるということをである。更にまたソキエタスの解散については、様々なケースで個々の成員の除権について猶予期間が設けられており、更に共同相続人の内の一人が業務を遂行することが出来ない場合でも、その者について、権利を取上げることも、また本人からの権利放棄の両方が不可能であることも意味している。それ故に:その相続人ソキエタスは根本的には解散するためには、またそこまで無条件ではないにせよ設立のためにも、共同相続人の意思表示を必要とした。

 ソキエタスの創設のためには、よりむしろ特別の意思表示を代替するものとして、明白な共同相続人の「共生」(communis vita)が確立された。そこからすぐさま派生してくることは、法規が共同相続人達に対して次のことを命じることである。それは「仮に共同相続人達が共に暮さなかった場合でも」(etiamsi non communiter vixerint)、明示的な契約無しに利益の分割を一定の割合に応じて保証することが出来、その利益はある共同相続人が共通の動産を用いて業務を行って獲得したものである場合、それに対してはっきりした同意の意思表示(expressus consensus)を与えることで、利益とリスクは通常のソキエタスの成員間におけるのと同じように分割されなければならなかった。はっきりした同意の意思表示(expressus consensus)はそれ故にここにおいてはその効果において「共生」(communis vita)と等価であった。

Vita communis(共生)

1.前提条件

 これら今述べたことはソキエタスの成立についての vita communis の影響であるとすれば、次のような疑問が生じて来る:この vita communis という概念は、そういった特別な人間関係を除外してみた場合には、それ自体としてはどのような意味を持っているのであろうか?

 Vita communis のここで述べられた意味での法学的な区別のための目印については、Consitutum Usus は次のようなやり方で示している 27):

1)”si de communi in una domo vixerint”(もしそのコミュニティが一つの家に同居している場合は)。――つまり住居ゲマインシャフトであり、この先で述べるように家計ゲマインシャフトでもある。不在者、つまり他の住居に住んでいる者はゲマインシャフトの一員であることを止めることになる。

27)P. 879を参照。

2)”et contractus et similia communiter fecerint”(そして契約またはその同等物を一緒に締結したとしたら)、――これの意味する所は双方が常に一緒に契約を締結するということではなく、双方が契約によって共通の勘定を設定することを意味する。それは法規の補遺の中で、次のように示されている通りである:”sive absentes sive praesentes sint, sive unus praesens alius absens”(双方とも不在であるか、双方とも居るか、あるいは片方が居て他方が不在の場合)。

3)共通の資本の存在は要求されていない。一緒に生きるということだけで、”de eo, quod tunc acquisiverint”(彼らがその時に獲得することになるであろうその物について)ゲマインシャフトとしての作用を及ぼす(ゲマインシャフトのものとして扱う)ことが出来る。それ故に、資本ではなく、共通の労働にここでの人間関係は基礎付けられているのである。このことは次のことによっても確認される。つまりこの種のゲマインシャフトが機能するのは、ただ――ヴェネツィアのcompagnia fraternaの名残として――ゲマインシャフトが男性の成員のみで成立する場合のみである。ただ労働力を提供する者だけが(ゲマインシャフトの)仲間(Genossen)である。

2. その影響

 この共同の生(Kommunion)《ヴェーバーはVita Communisの言い換えでKommunionという語を使っている。この言葉の本来の意味はカトリックでの「聖体拝領」、つまり信者がキリストと一体になる儀式。そもそもVita communis自体が本来はキリスト教徒の共同生活を指す言葉であることに注意。》の影響は以下のことの中に現れる。

 1)全ての共通の財産の取り扱いは、特定の動産の直接的な個人的使用にまで及ぶものであった:”de eo quod tunc acquisiverint si aliquid eis praeter convenientia vestimenta remanserit, de acquisitu eorum sit commune”(その時に彼らが獲得したものについて、もし彼らにサイズの合った衣服以外の何かが残ったとしたら、その彼らの獲得したもの{の残り}は共有となる)28)。ある持分所有者が外部の資金によってある業務を営む場合、そこから得られた全ての利益はゲマインシャフトのものとなる。この持分所有者がゲマインシャフトとは別にある特別財産を持っている場合で、その特別財産またはそれ以外でゲマインシャフトの外部にある彼の妻の嫁資(dos)をある事業に用いた場合、その場合彼はその事業によって得た利益の1/4をゲマインシャフトに入金する、――それは法学的には明白かつ論理一貫したものであり、というのは彼の労働による利益はソキエタス法によれば全利益の1/4に値すると規定されており、それについてはゲマインシャフトのものとなる。残りの3/4については出資から得た収益分となる 29)。

28) P. 880 の引用箇所 を参照。

29) P. 882 の引用箇所 を参照。

 2)それぞれの個々の成員は彼ら自身として共有の財産を使ってそれにより何かの業務を営むという権利を付与されている。そして法規は確かに、他の成員に対して2日の猶予期間の間での異議申立の権利を付与している。しかしその異議申し立ては、当該の業務について、その業務を企てた者(企業家)がそれを自分の勘定にて引き受ける限りにおいて、その企業者の個人的な勘定に対して作用するだけであり、その企業家の勘定がそれ自体を超えてさらに何らかの(共有の)資金を必要とする限りにおいては、異議を申し立てる者はなるほどその勘定の中の利益については関与するが、全ての成員間においてのリスクについては関与しなかった。それ故に一人一人の持分所有者は自分自身の勘定の分を超えて(ゲマインシャフトの)財産を使って業務を行うことが正当化されている。他の持分所有者はこの個々の持分所有者の行動を止めることは出来なかった。ある一人の持分所有者の勘定の中で行われた comperae 《現代イタリア語のcompraに相当するとするすれば「買うこと」。但し単純な購買行為ではなく、何かの特別な購買と思われる。12-14世紀のジェノヴァやフィレンツェではこの言葉は、国が私的団体に対して債券を発行し、それを買ったものは例えば塩にかかる間接税のようなものを一種の利子として受け取ることが出来た、その債券またはそれを引き受けた団体のこと。つまり一種のRentenkauf(定期収入金を一種の利子の代替物にした金銭貸借)である。全集の注はヴェーバーがConsitutum Ususの中の概念を使っているとしているが、それがどのページなのかをヴェーバー自身も全集の編集者も記載しておらず、本当にそうなのか疑わしい。》に対しては、他の持分所有者は介入権を持っていた。(今日の合名会社の場合と同様。)

 3)各持分所有者に個人的に必要なお金は共通の財産から充足されたが、それはあくまで個人レベルの需要に限定されていた。もし持分所有者の中の誰かが過度の出費をした場合には、法規は他の持分所有者に対して異議申し立ての権利を認めていた。しかしその異議の及ぶ所としては、持分所有者同士の関係の中で、より安い金額の見積りを証拠として、その出金をした持分所有者が多く使った分を異議の結果として取り立て、異議を申し立てた持分所有者達の勘定にそれを入れるということだけに限られていた。このように一見独特な規則の存在は、先に述べた見解、つまり(法の)発展は一般的に元々正当であった持分所有者の無制限の財産についての処分権を制限する方向に推移していたという見解に対する一つの明白な証拠である。

 以上がピサの法における communis vita の中身である。我々はこれまでに次のことを見て来た。つまり communis vita は、それが成立する所ではそれが維持される方法としては、一つは遺言によって形成の指示があったソキエタスによってであり、またもう一つは共同相続人達がソキエタス・マリスの形である業務を営むという形によってである。また communis vita は明示的なソキエタス契約の締結を代替し、またそれはいわば共生の精神(animus associandi)を文書化することによって具現化するのである。共同相続人達の間でのソキエタスは従ってただ契約だけに基づく訳ではない。しかしそうではあってもそのソキエタスの中には契約というものに適合した要素が含まれているのである。文献史料で見る限り重点は以下の所に置かれている。つまりこのソキエタスもまた”societas nominata”(当時者間の明確な合意に基づくソキエタス)であるという点である。ソキエタス・マリスの法からこの communis vita のソキエタスは利益配分のやり方を受け継いでおり、――vita communis それ自身のソキエタスにおいては全ての業務が全ての持分所有者の勘定に対して等しく収益をもたらす場合には、一緒に住んでいる者達のソキエタスが構成されている所では、コムメンダの原理に従った利益の分割の仕方が登場してくるのであり、まさにこのことから判断する限り、根源は明らかに家族財産法にあるのではなく、ソキエタス・マリスについての任意法を基礎とする法原則にあるのである。

Societas omnium bonorum 《全ての財産が現在及び将来において成員間に共有されるソキエタス》

 我々はこれまで完全な家計ゲマインシャフトとしては、家族仲間(Familiengenossen)によって構成されたもののみを見て来た。

 非親族との間の同様の関係については、Consitutum Ususの中には societas omnium bonorum《全ての財産を共有するソキエタス》と societas lucri 《利益のみを共有するソキエタス》についてのわずかな注釈があるだけである 30)。後者と前者の違いは次のことにある。つまり後者は利益のゲマインシャフトであり、前者の場合は全ての最終的な資本全てが頭数に応じて分割される。 societas omnium bonorum においては――このことはランゴバルド法の兄弟間のゲマインシャフトの規定を思い出させるが――ただ封土と土地貸借のみがゲマインシャフトから除外されていた。それ以外にどのような事実がここで与えられた概念に適合するかということは不明瞭であり、ただ次のことが推測出来るだけである。つまりこの非親族との間でのソキエタスは、communis vita で家族の構成員の間で適合する関係が非親族との間の関係でも使われているということである。

30) P.883 の引用箇所 を参照。

ピサにおける連帯責任原理

 もし我々がそれでも完全なまでに規定されているこの《vita communisという》制度に対してどのように連帯責任の原理を位置付けられるかという問いかけをする場合には、その場合にはここでもまたまず次の事を強調すべきであろう。つまり、法規の中でそれが言及されていないことを即ちそれがピサにおいて存在していないと結論付けてはならないということである。取り分けこれまで詳しく述べて来た家計ゲマインシャフトの内部に向かっての構造は連帯責任を、ここでは全てのゲマインシャフトの財産の外部に向かっての責任を仮定しているように見える。連帯責任について法規の中で言及されていないということは、ここで主張した見解が正しいならば、次のことから説明出来るかもしれない。つまりピサにおける連帯責任は、ジェノヴァの場合と同様に、中心に存在している貿易取引にとって何の意味も持っておらず、というのは貿易取引はコムメンダという法形式を利用していたからである。Consitutum Usus の中に含まれているソキエタス法は、その結果として連帯責任について全く触れていないだけではなく、むしろ逆のことを規定している。

V. Compagina de terra (陸上のCompagnia)

 海上取引のゲゼルシャフトについての法形式は、ここにおいてまた、ジェノヴァとピアチェンツァにおけるのと同じく、陸上取引についても適用されている。

 Dare ad proficuum maris に相当するのはここでは”dare ad proficuum de terra in bottega vel alio loco” 31) (陸上取引で得られる利益のために、bottega または他の場所にあるものに対して出資する)であり、ただここでは投資した場合に得られる固定の利益の料金表が欠落しており、そして全ての関係はまだ貸借の関係として構成されており、そこにおいてはトラクタートルが責任を免れれるのは不可抗力の通知をした場合のみである。

31)Capitulo 22 l.c.

 Compagnia de terra 32) は様々な形態を取ることが可能であった。――それはmずは商用の旅に関連付けることが出来、それはソキエタス・マリスと同じであり、ただこの場合は旅の目的値が海の向こうではなく陸続きの場所というだけである。

 Compagnia de terra はまた――そしてこの場合においてのみ特異性を示すのであるが――ある店/工房、”bottega”においての業務の遂行に関連付けられることが可能である。

32)Consitutum Ususのc.23のde compagnia de terra, P.897 l.c.を参照。

 このcompagnia de terra の形態では、出資者側のリスクが《陸上取引なので》軽減されているという事情に合わせ、企業家の利益の取り分は全利益の1/3になっている。これはソキエタス・マリスの場合では出資比率がトラクタートルが1/4、出資者《ソキウス・スタンス》が3/4の場合、利益は折半になっている。法規はここにおいても、トラクタートルが独立した企業家であるかどうかということを区別している。(”cum jam de suo quis negotiationem facere paratus fuit vel alterius”)(既にある者が自分自身の資本でまたは他人の資本で業務を行う準備が出来ている場合に)――それから出資が一方的で《トラクタートル自身が出資しない》場合は、トラクタートルは全利益の内から分配割合に従い2/3を出資者に戻す。それからその他の場合ではトラクタートルは完全に独立しており、資本家は単なる参加者である。――またはトラクタートルが多かれ少なかれ資本家達に従属した器官である場合である。最後の場合ではトラクタートルは多くの場合ある決まったbottegaと関連付けられて考えられており、そのbottegaと契約することで資本家はトラクタートルと契約するのであり、トラクタートルは自分の1//4の出資分を超えて第三者の外部の商品を出資として受け入れることは出来なかった。後の時代になって明らかに追加された規定としては、トラクタートルとある特定のbottegaを関連付けるという直接的な強制を除外するというものがあるが、そのことによって高い明証性を持ってそうした除外が元々存在していたと結論付けることが出来る。このことからまた、次のことも確からしいと考えることが出来る。つまりトラクタートルのbottegaに対する広範囲で見られて依存関係を考慮に入れた場合、bottega におけるトラクタートルは隷属的な手工業者のやり方を引き継いだいわば後継者であったということである。それは fattore (使用人頭)、famulus (家奴)、Kommis (手代・番頭)が隷属的な使用人の後継者であったのと同じで、委任される者(Kommendatar)は隷属的なKargadors《船荷に同行する使用人、現代スペイン語ではcargadorで港湾労働者、運送屋、ポーターの意味。》の後継者であった。より確定的なことを述べるのは不可能であるが、次の考え方はしかしながら確実に存在している。つまり societas de terra と今まさに述べて来たやり方での隷属的なトラクタートルはまた法形式としては、今日我々が家内制手工業と呼ぶある程度の大きさの産業と労働者の関係に適用されるものと同様のものであった。Consitutum Usus の法規定により決められているように、こうした製造のための集団(association)において製造業者はトラクタートルの労働によって作り出された商品から得られる利益の配分についてのある種の独占権を留保しており(第三者の出資の禁止により)、製造業者はトラクタートルに対し手工業生産のための機械や治工具、家具、そしてしばしばある種のCottage-System《労働の対価の一部として住居を安く提供すること》――住居または bottega を提供している 33)。

33)疑いもなく存在していた家内制手工業の法形式についてより深入りするのはこの論考の目的ではない。Stieda《Wilhelm Christian Hermann Stieda、1852~1933年、ドイツの国民経済学者、経済史家。》の Die deutsche Hausindustrie によるこの制度についての全ての経済学的な指標はしかしながらこの論考で述べて来た様々な人間関係に当てはまっている。ほとんどすべての規定の中に大商人または大工場経営者と手工業マイスター《熟練職人》達との間のこの種のソキエタスの結成を禁止する条項が何度も繰り返し現れている。もちろんこうしたソキエタスの禁止は社会政策的に労働従事者や手工業の保護を目的として追求したものではなく、いずれにせよ一義的にはそうではなく、その他の大工場経営者達を手工業によって製造された安価な商品との競争からと、労働力の供給の全てを個々人の利益のための独占から守ることが目的であった。――後述の注35も参照せよ。

合名会社と合資会社の原理上の違い

 製造業者にとってそのような状況があったのであれば、我々は観察結果について次のような興味深い証拠を再び手にしたことになる。――その観察結果はラスティヒが詳しく述べた見解に近付くのであるが――それはつまりコムメンダ関係とそしてそれに続き更にはまた合資会社へも発展していく人間関係が、その出発点は経済的に見て、また更にはそういう言い方さえ出来る、社会的に平等ではない地位の者達の連合(association)であるということであり、その一方では連帯責任原理というものが、相互に平等であって原則的にはある財産に対して平等な処分権を付与されている者達のゲマインシャフトから生まれているということである。  ピサにおける様々なソキエタスが、そこから連帯責任の原理が生成される基礎では決して無いと言う事例を我々は数多く目にすることが出来る。ここで問題となるのはただ次のことである。つまり可能性としてソキエタスの財産に対しての制限の方策が、特別財産一般の形成を、つまりまた公開会社(ゲゼルシャフト)の形成を、抑制する方向に働いたのではないかということである。特に次のことは確からしいと言えるであろう。つまりbottegaとそれに属する財産についての責任を制限することが、その制限はソキエタス・マリスからの類推によって compagnia de terra において生じたに違いないののであるが――文献史料はそれについては何も言及していないが――、公開会社(ゲゼルシャフト)においての業務によって生じた財産に対する、先に述べた制限の強化を促進したのであると。それ以外にソキエタスの財を特別な勘定に入れるという簿記上のやり方も、つまりそれがどのようにジェノヴァの文献史料及び海上取引に関わる諸ソキエタスにおける事物の本性(die Natur der Sache)《法律が存在しない時に裁判の判断の基準となる社会通念や公序良俗などのこと》から発生したのかということも、また連帯責任原理の生成への抑制に影響力を持っていたと言える。文献の位置付けについてはしかしながら未定のままにしておかねばならない。

ソキエタスに関する諸文献

 これまで詳しく述べて来たことから導き出されることであるが、ピサの法規がソキエタス法に関する研究に対して相対的に多くの材料を提供している一方で、その研究調査の成果物は非常にわずかである。――Bonainiが出版した書籍において、compagnia de terra においての対立する意味として次の2つが例示されている。その一つは 1)利益の取り分という意味での労働の対価、そしてもう一つは2)利益の取り分という意味での資本投下の対価、である。

 1)の例としては1337年の次の文献がある:  Toccius maliscalcus … posuit semetipsum cum domna Cia … ad standum et morandum cum ea ed ejus familia ad artem … matiscalcie et fabrorum faciendam et exercendam in apotheca ipsius dae Ciae et extra, ubicumque lucrum … percipiendum erit, hinc ad annum unum … et ei ejusque familiae … serviet pp. (蹄鉄工の Toccius は Cia 婦人と次のことについて合意した…つまり彼女とその家族の元に留まりさらに滞在し続け次のことを行うことを。…職人として蹄鉄工の仕事にCia婦人の作業場にて従事し作業することを、またはそれによって利益を保証される限りにおいては別の場所でも…この日付から1年間…彼女とその家族に奉仕することを。等々)(ここで書かれた蹄鉄工の仕事の)利益はまずは Cia 婦人のものとなり、Toccius は賃金として月に45ソリドゥスを得、さらに全体の利益の1/4を得る。 ここにおいては Cia がソキエタスの capitanea (capitaneus の女性形)であり、Tocciusは部分的には従僕でありそれに対しては賃金が支払われ、また同時に全体の事業に対するトラクタートルなのであり――それに対しては利益の一部が与えられる。

 2の例として存在するのは1384年の次の文献である:  Carbone … ligator bellarum de Florentia … et Joannes filius dicti Carbonis ferrovecchius … ex una parte, et Berthus furnarius … ex una et alia parte fecerunt … societatem … in arte … de ferrovecchiis, vendendi ad minutum et alia faciendi per dictum Johannem … in quadam apotheca posita in civitate Pisana conducenda … In qua … societate dictus Johannes mittat … suam personam et industriam … Et dictus Berthus mictet … florenos 200 auri … in florenis, mercantiis pp…. investiendies per dictum Johannem in mercantiis pp…. Et debet dictus Johannes … esse caput et major in dicta apotheca conducenda pp. (Carbone は…フィレンツェの貴金属についての責任を負うことになる…そして前述の Carbone の息子である Johannes は貴金属を扱う商人であり…この Johannes を一方のメンバーとし、そして金属加工の職工である Berthus を…もう一方のメンバーとしてソキエタスを結成する…次のやり方で…金属屑については、小物とまた他に作られた(大きな)物は前述の Johannes によって販売され…Johannes はピサにある店(倉庫)において契約し…そのソキエタスにおいては前述の Johannes は彼自身の労働力と業務を提供する…そして前述の Berrthus は mictetする《おそらく高炉を使って金属製品を作るといった意味》。…200フロリン金貨が…フロリン金貨で、商品に、等々…前述の Johannes はによって商品その他への出資が行われる等々…そして前述の Johannesは…前述の契約した店(倉庫)において(その事業の)責任者かつ管理者とならなければならない、等々。)店(倉庫)(apotheca)の家賃と Johannes とその従者の生活費、さらに同様のソキエタスにおいて慣習的に差し引かれる経費を控除した後に残ったものが、利益の残りとなる。そして4年が経過した後の最終資本は半分ずつに分けられる。  

 Ricordi Di Cose Familiari de Meliadus Baldiccione De’Casalberti Pisano 《Bonaini編の1339~1382年のピサの文献史料、1850年版》は一人の資本家について言及している。その者は、同様の後継の資本家がジェノヴァにおいても登場するが、同時にかつ継続的にその資本を海上または陸上における非常に様々な事業に投資しており、その大半はソキエタスにおいてであった 34)。

34)Archivio storico italiano App. t. VIII. 単純なコムメンダ、例えば1344年:Commuccio … e Barone suo figliolo de Piombino dîno dare a me Milisdusso Balduccione … che li diei loro in compagnia di pescara in Corsica fior. 6 d’oro e altretanti ne die’ loro Andrea Masso … (Commuccio とその息子であるピオンビノ《イタリアのトスカーナ州リヴォルノ県のコムーネ》の Barone は私こと Milisdusso Balduccione に与えることについて…その者達は私と彼らが compagnia を結成してコルシカ島で魚の売買をした日に6フロリン金貨を私に与え、同じ額を彼らは Andrea Masso にも与え…)利益の分割の割合は自明なこととしてここでは言及されていない。同様に:1344年:Commuccio … de’ dare a me Miliadusso Balduccione … che li diei in Cia ad andare in Corsicha a la parte … a mio risco di mare e di gente fior. 12.)(Commuccio は…私こと Miliadusso Balduccione に与えることについて…その者が compagnia を結成してコルシカ島に行った日に次の部分に対して、つまり海の危険の分と人員の費用として12フロリンを私に与える。)この部分では1フロリンと12ソリドゥスの他に12フロリンが支払われていることが明記されている。――Compagnia di terra:1357年の文献:50フロリンがbottegaにおいて委託され、…e non li de’ mettere in mare e se Dio li fa bene de’ fare bene a me e se danno lo simile, la parte che ne toccha a 3 mili donari, (そしてその者はそれを海上取引に持ち込んではならない。神がその者に幸運を与えるのであれば、その者は私にも同じようにしなければならない。同様に貨物に損傷が起きた場合には、その者は私の持分である300デナリまで補償しなければならない。)――この場合は明白なこととして(他のソキエタスの成員の行動に)干渉権を持たない単なる資本参加である。

 一人の製造業者(工場主)と一人の労働者 35)の連合(association)についての文献としては、Bini《Telesforo Bini、1805~1861年、イタリアの文学史家》編のもの(I Lucchesi a Venezia I p.50)があり、その文献はまた先に述べて来たこの種のソキエタスのピサという都市に対しての経済的な意義をまた裏付けている。――これ以外には証拠となるような文献素材は存在していない。

35)Joannes quondam Buncontei Paltoris tintor ex parte una, et Cincius quondam Tedaldini et Franciscus filius Campanari … mercatores sete et filugelli pro se ipsis … intendentes simul compagniam et societatem facere in arte tingendi … setam et filugellum … et propterea apothecam communem et masseritias et alia utilia et necessaria habere … Joannes … exercebit et operabit artem tintorie bona fide … custodiendo et gubernando feliciter setam et filugellum … (以前は Buncontei Paltoris であった染物職人の Joannes を一方のメンバーとして、そして以前は Tedaldini であった Cincius と Cappanariの息子である Franciscus は…生糸と蚕を自分達自身で扱う商人であり…以下を行おうとしている。Compagnia とソキエタスを結成し染色を行う…生糸と蚕を…そしてそのために共通の apotheca (店)と作業場とその他の設備と必要なものを保持する…Joannes は…染色作業と設備の操作を誠実に行い…生糸の生産と蚕の飼育を自発的に維持し管理することを… )それもある業務を執り行うための bottega において。Joannes はその割り当て分として500リブラを得、更に設備と利益の1/2を手元に留める。第三者と(更に別の)ソキエタスを結成することは出来ず、他の者のための染色作業も行うことが出来ない。製造業者が労働力を自分のためだけに使うように独占することはおそらく次の人間関係《の規定》と同じであり、それは文献の中では手工業者とのソキエタスの結成の禁止の所で扱われている人間関係である。禁止の理由は、それについては既に注33で述べているが、手工業者の社会的・政治的な保護という側面は小さく、むしろその中に見られる競争とまたそこからの懸念としての労賃の上昇を抑止するという側面が大きかった。

 既に言及した労働者と手工業者の古くからの依存関係は、未だにある個別の専門分野に属している互助的な小事業に従属していて、その個別の専門分野に該当するギルド(Zunft)の中に出現しているのである。

成果

 ここまでのピサの諸法規についての観察の成果としては次のことが挙げられる。つまり、Consitutum Ususがソキエタスについて規定している箇所では、合資会社的な関係が存在していることを確認出来たことである。――歴史的に見てのこれらの法形態と合名会社 36)との間においてのはっきりした対立は、ここにおいてまさに明確に現れているのである。

36)歴史的な事実として、両者(合名会社と合資会社)は異なった起源からそれぞれ派生して来たということは、多くの独断的な見解を吟味する上では重要である。

 ギールケ(Die Genossenschaftstheorie und die deutsche Rechtsprechung)が合名会社を個人を対象とする法規に基づく関係であると描写する場合、その描写はあくまでも彼がその際に理解している意味においてのみ認容することが出来る。その意味とはソキエタスの成員が実際の所 stare ad unum panem et vinum (一かけらのパンと一本のワインを分け合う)ということによって相互に関係づけられている、ソキエタスの成員の総体的な財産権における人格として、ということである、――しかしギールケは更に(p. 454 l.c.)合資会社に対して概念的な構成を行おうとしている。それによれば、その際には「制限された株式による財産権を持った人格」、つまり有限責任社員が合資会社に従事しているのであり、しかしながらそのことは株式による合資会社についてあまり一般的では無い「代替可能となった人員」という概念を導き出している。そうした議論は非常に独断的でかつ必ずしも正しいとはいえないように見え、有限責任社員のある決まった額の出資金に固定された会社への参加の程度がどのように次のことを導き出すことが出来るか、つまり財産権の観点で見た法人の人格性の一部(である有限責任社員)についての別の意味を説明することが出来るかどうかということであるが、その説明については何か別の義務的な人間関係についてのものをそのまま適用しているように見える。出資者は合資会社における労働力の、またはその会社財産のどの任意の部分についてもそれを自由に使うことは出来ず、自由に処分可能なのは自己の出資分の固定された金額についてのみであり、それは金銭貸借における債権者の立場と同じことである。その出資者の全体の活動においてのビジネスの部分については、(合資会社という)ソキエタスの関係によって影響を受けることはまったく無かった。歴史的には完全に次のことが確認可能である。つまり、合名会社が実際の所前述したような意味での人格権と名付けられるような人間関係から派生したという一方で、合資会社はまったく異なる前駆体から出現したのであり、その前駆体においては最初から(後の)有限責任社員においてその(合資会社の)業務全体についての関係を扱っているのではなく、その業務の意味は、本質的にはただ出資を通じて参加するだけである。有限責任社員にとってはその参加の度合いというものは出資した金額の範囲内に制限されていたのである。

 合資会社が合名会社にとって次の発展段階であるというような、そういう事実は見出せない。そうではなくて、合名会社と合資会社は歴史的にも理論的にもお互いに同じレベルで鋭く対立するものなのである。

V. フィレンツェ

フィレンツェにおける産業上の財産

 フィレンツェにおける商法の発展については、既にラスティヒにより繰り返し主張されているように、カテゴリーとしてイタリアの沿岸(港湾)諸都市のそれと対比されるものとして把握されかつ説明されている。フィレンツェは、コムーネにおける独立した法規という形での法形成が始まった時代においては、内陸都市であって、その海への出入り口として唯一関税徴収のための税関が無い商用の道路が、その前にあるピサの領土によって封鎖されていた。《1406年にフィレンツェがピサを支配下に収めるまでこの状態は続いた。》このフィレンツェにおいては本来のものとしての大規模な交易と遠隔地との交易を資本形成の基礎として説明することは出来ず、フィレンツェ自身が作成していた法形式については、ここでは独自のものは存在していなかった 1)。そうではなくて経営活動については、産業においての労働への言及という形で行われていた。大規模な産業によって形成された財産がこの都市の経済的な力の基礎となったのであり、そしてまた大規模な同業者組合(Konsortien)によるが、それは14世紀においてはイングランドのエドワード王《エドワード3世》、ナポリのアンジュー家《ロベルト1世》、ギリシアにおけるラテン語話者住民、イタリアにおけるグエルフィ《教皇党》に対する資金援助を行っていた。その同業者組合はツンフト(ギルド)のメンバーの中の大規模ないくつかの家によって形成され、特に毛織物業者の集まりから、つまり Arte de Calimala という毛織物業者組合から、ペルッツィ、アルベルティ、バルディッサ、アッチャイオリの各名門家が出現した。このような産業における財産が何世代にも渡って取り組もうとした経済上の課題は、同時にツンフトの法規においての立法上の課題でもあった。疑いも無く、発展の最初の諸段階においては、商品の売買というものは商品の製造の後ろに隠れた存在であり、我々はその点において労働ゲマインシャフトの力強い発展を、特に家族ゲマインシャフトの力強い発展を予期するのである。――それの意味する所は、家族こそ産業におけるゲマインシャフトの自然な土台であり、そしてただ父親達から息子達や孫達へと代々継承された緊密に保持された大資本がその労働ゲマインシャフトの優先的地位を継続させることが出来たのである。 1)

1) コムメンダ関係については Arte di Calimala の法規(Emiliani-Giudici《Paolo Emiliani Giudici、1812~1872年、イタリアの文筆家》編のStoria dei comuni) のI c. 59で非公式のものとして言及されているだけである。

I. 法規における文献素材。発展段階

 そしてそれが実際に起きたことだった。

 ラスティヒは 2)、1309年の Generalis balia、法規の1320、1321、1324、1355年の各版と、1393年のArte di Calimala と die Statuta mercatorum によって構成されている発展の順序について論述し、そして類似する箇所をまとめて並べることによりその内容を一目で分るようにした。

2)既に引用済みの商法雑誌の論文を参照せよ。

 そこで述べられている発展の経緯は、本質において上述した一般論としての発展と同じであり、特に次の点においてそうである。つまり連帯責任の前提条件として、より古い時代の文献においての”communiter vivere”(一緒に生きること)に後に”eandem mercantiam et artem exercere”(同じ商品を扱い同じ仕事に従事すること)ということが付加されているという点においてである。個々の法規からの引用を並べてみることでをここで繰り返す必要はないであろう。――

ゲゼルシャフト(会社)の連帯責任についての血縁関係の意味

 より古い版の法規においては、連帯責任はまず第一に一緒に生活している(communiter viventes)「肉体における兄弟(fratres carnales)」のものとして言及されている。ラスティヒはまたここから一つの――実際の所はあまり有力とは言えない――論拠を引き出しているが、その論拠とは純粋に血縁関係による観点を優先して考えることへの論拠である。次の考え方は――ここで再度手短にこの問題に立ち入るが――疑う余地が無い。それはつまり確かな事実から考えてジッペ(氏族)の仲間の間におけるお互いの責任関係がより古い制度であるという考え方である。しかしながらそれは少し誇張されており、それ故にここでの結論としてはより後の時代になって家のゲマインシャフトに基礎を置く連帯責任がその古い(氏族の仲間の間での)責任関係の発展形として出現したのだということになる。フィレンツェにおいてはラスティヒによって引用された法規の諸版の中で最も古いものの更に前に既に、ソキエタスの成員間の連帯責任を承認する原則を見出すことが出来る:Custodes nundinarum Campanie et Brie、つまり(フランスの)シャンパーニュ(とブリー)の大市《フランスのシャンパーニュ平原の諸都市で行われた12~14世紀での大規模な市のこと》の警備当局が1278年にフィレンツェの警備当局に対して、ある何かの罪(または債務)によって逃亡者となった Lapo Rustichi について、その者本人とその者のソキエタスの仲間について財産を差し押さえ身柄を拘束することを要請している3)。同一の警備当局が1300年にフランスの裁判所に対して、フィレンツェの Scali のソキエタスによる Guido Pazzi という者の債務に対しての強制執行を行って欲しいという内容の依頼をしている。そのソキエタスは”nomine suo et dictorum sociorum suorum”(その者自身と前述のその者のソキエタスの名において)シャンパーニュの大市と”per suorum et dicte societatis venditionem bonorum”(その者自身と前述のソキエタスによる商品の販売について)4)契約していた。1303年には、ソキエタスの債務に基づく支払いの不履行によりフィレンツェのコムーネによって(更なる借り入れを)禁じられた 5)というフィレンツェの市民が、それに対してその男はソキエタスの成員ではなかったと抗弁しており、更に次のように主張している:
 „que li livres et l’escripture toute dou dit Francoiz furent venues a Paris … par la quele escriture il ne fu onques trouvez comme compains … Item que la coustume de la dite vile de Florence est tel que qui est compains d’aucune compaignie, ses nons est portés au Conses de la vile et autrement il n’est pas tenus compains”(その書物と書面は全て前述のフランソワがパリにやって来たと言っているということを…どんな他の文献によってもその者はかつてソキエタス{コムパニーア}の成員と見なされたことは無い…さらにフィレンツェの前述の町の慣習法は何かのソキエタスの成員である者は、その町のConses《ラテン語でのcensus、市民の登記簿のことと思われる》に名前が記録される、そうでなければその者はソキエタスの成員とは見なされない。) Scaliのソキエタスは、その破産について Villani《Giovanni Villani、1276または1280~1348年、フィレンツェの銀行家、外交官、年代記作者》が1326年のこととしてその年代記で述べているが、このソキエタスは1326年の時点で既に100年以上も存続しており、同様にアルベルティとペルッツィのソキエタスが後の時代と同様な形態で既に13世紀に存在していた。

3)Giornale Storico degli Archivi Toscani(トスカーナ州の古文書館の史料)の Iのp.246を参照せよ。In dem Excitatoriumの項の252ページにこの例と同様の例が見られ、そしてまたロマニストの主張する Institorats 《会社の責任者、ある業務の責任者》の概念を使った論理構成が既に行われている:”quod dictus Bartolus et Grifus fratres et Johannes Adimari mercatores predicti, dictum Lapum pro ipsis ipsorumque societatis totius nomine, constituerant in solidum … actorem et nuntium specialem negotiorumque gestorem, prout in instrumento … vidimus …”(前述のBartolusとGrifusの兄弟、そしてJohannes Adimari、これらの以前言及した商人達は、前述の Lapus を自分達と自分達のソキエタス全体の名前において、全員一致で指名した、代理人、特別かつ仕事上のメッセンジャー、また仕事を遂行する者として、この文書に書いてある限りにおいて、…我々は確認した…ということを)ここで示された文献は責任についての法的な根拠としてではなく、(委任された者の)身分と正当性の証明のために引用されており、それもようやく2番目の手紙においてである。

4)1284年にロンドンにて発行された受領書(Balduzzi Pegolotti《Francesco Balducci Pegolotti、1290~1347年、フィレンツェの商人かつ政治家》の Della decima e di varie altre gravezze imposte del comune di Firenze t. II のp.324)にて Simone Gherardi は次のことを告白している、della compagnia di Messes Thomaso Ispigliati e di Lapo Ughi Spene: … che io ò ricevato e avuto per me e per li compagni desla vandetta compagnia etc(大市におけるソキエタス{コムパニーア}の仲間である Thomaso Ispigliati と Lapo Ughi Speneについて:…私は私の名前においてと販売のためのソキエタスの仲間の名前において受領し所有した、等々)。

5)Giornale Storico degli Archivi Toscani Iの p.272を参照せよ。

 諸法規が後の時代になってもなお肉体における兄弟(fratres carnales)における責任を最上位に置いているか、あるいはただそれだけに言及している。そこで行われているのはまったくもって a potiori (重要性の高いものから先に扱う)なやり方である:フィレンツェ人におけるソキエタスは圧倒的に多くは家族ソキエタスであった。このことにはまったくもって経済的な理由があった:親族以外のメンバーとの連合(association)の当時のまた今日におてものアキレスの踵《一番の弱点》は、ある成員の死亡によるその連合の崩壊と、その成員の死後遅かれ早かれ連合の財産を流動化(資産売却による現金化)しなければならない必要性であり、多くの場合それは多大な損失を伴うものであった。この危険を伴う不測の事態について、何世代にも渡って継承され、家計ゲマインシャフトに基礎を置く家族連合(association)においては、相当な程度までこのリスクを軽減することが出来ていた。産業における財産の存続と連続性はここにおいて確固たる自然な土台を持っていた。しかしそれにもかかわらず、家族ソキエタスにおいてもまた次の規則を持っていた。つまり、そのソキエタスの中心部を成す家族の成員以外に、その家族の名前がゲゼルシャフトの名前となっていたのであるが、家族ではない成員の存在を許容しており、その者達の権利は家族成員と同等であるという規則である。この規則はアルベルティ家とペルッツィ家のソキエタスに関する書面に疑いもなくはっきりと現れている。

 ここにおいて言及された方式の全てのソキエタスは、それについては既に述べて来たが、ある種の家族的な性格を持っていた。その性格は非常に個人的な、根源的に常にそれと結び付けられていた家計のゲマインシャフトによって強められており、ソキエタスの成員間の信頼関係を作り出していたのである。

家族とソキエタスの類似性について
1.仲裁裁判

 家族仲間の間での争いごとは、ソキエタスの成員間のそれと同様、ここフィレンツェにおいても他の都市と同様に、正規の訴訟手続によっては解決されていなかった、――根源的に見て明白なこととして、そのような人員間の果たし合いのような裁判上の手続が不適当であることにより、――そうではなくて権威者(ex officio)による強制的な命令による仲裁によって解決されていた 6)。

6)Statuta Populi et Communis Florentiae は1415年に Edit. Friburg-Florentiae, l. II c. 66 を最終的に改訂している。また Statuto dell’ A[rte] di Calimala I 60. を参照せよ。ほとんどすべての法規ににおいて繰り返されているソキエタスの成員がお互いに証人として出廷することが出来ないということと、それに適合している証言の拒否についての法、例えば Decisiones Rotae Lucensis 35 を比較せよ。

2.責任と相続財産分与義務

 家全体での責任については、――ソキエタスの場合は基本的に使用人頭(fattori)と徒弟(discepoli)の責任も、家族の場合は家住み息子の責任も、主人または父親に対して、そしてその逆の責任も、Statuta Populi et Communis Florentiae l. II c. 110 とツンフト(ギルド)の法規(ラスティヒが引用した箇所)によって等しく認められていた。家族仲間(Genossen)の責任に関しては、諸法規はまたここにおいて固有のものであり、そして我々にとっては別の場所で既に出会っている相続財産分与義務と――そしてそれに関連する権利とを――家族の中のある債務超過の状態にある成員の相続分について無限責任として規定している。――これと全く相似の形でソキエタスについて、Statuto dell’ Arte di Calimala (I c. 62)における規定は、強制執行を次のことに関して定めている。”compagni e compagnia e gli altri … salvo che se’l maggiore o lo scrivano di quella compagnia … giurasse … che quello compagno, per cui si domanda, non abbia del suo nella compagnia, in questo caso non siano tenuti di pagare per lui. E se … dicesso che egli avesse meno … facciasi l’eccecuzione solo in quella quantità che s’ha … “(ソキエタス{コムパニーア}の成員とソキエタス{コンパニーア}と他のもの…もしソキエタス{コムパニーア}の支配人またはソキエタス{コムパニーア}における雇われ人が…誓ったのでなければ…その者について問い合わせがあったソキエタス{コムパニーア}の成員が、そのソキエタス{コムパニーア}において何も所有していない場合には、そのソキエタス{コムパニーア}の他の成員はその者に代わって支払うことは無い、そしてもし…彼が彼自身で(請求された金額より)少ない金額しか持っていないと言われているとしたら…強制執行《eccecuzione →esecuzione、英語でのexecution》についてはただその者が保有している範囲内で行うものとする…) ここにおいては、忘れるべきではないが、個人に対する債権者のことを扱っているのであり、我々はここにおいて以前述べた最初の発展段階について確認することが出来る:つまりソキエタスにおいて責任というものが占めている位置に、直ちにかつ直接的にゲマインシャフトに対する強制執行が登場して来るのであり、ソキエタスにおいては財産分与の義務と債権者による財産分割の要求が登場して来るのである 7)。

7)(ヴェーバーがこの論考を執筆していた)今日の商法典(HGB)の第119,120。126、127条を参照せよ。

3. ソキエタスの成員の個人的関係

 家族仲間の場合と同じように、ソキエタスの成員においてもゲマインシャフトの効力はゲマインシャフト全体の業務を主とする暮らしに対して及んだし、また全ての重要な個人的な関係に対しても及んだ。フィレンツェ以外の土地での結婚、つまり管理不能の場所での結婚は、ソキエタス(コムパニーア)の許可無しにはソキエタスの成員、使用人頭(factor)、そして徒弟(discipulus)には認められていなかった 8)。それらの者達は、彼らがツンフト(ギルド)のメンバーであるソキエタスに所属する限りにおいては、そのツンフトから脱退することは許されていなかった 9)。また彼らはソキエタス(コムパニーア)の仕事以外に、さらに別の自分自身の仕事をすることも許されていなかった 10)。

8)Statuto dell’ Arch. di Calimala I c. 75を参照せよ。

9)上掲書 c.81。

10)上掲書 c.67。

4. 家住み息子と使用人頭

 商人(のソキエタス)におけるfattore――使用人頭《日本語での番頭や手代に相当》――とdiscepolo――徒弟――の位置付けは、家住み息子の位置付けと非常に似た形で規定されている。家住み息子と同じように、fattoreは基本的にゲマインシャフトの全てを手に入れているが、その者自身はあくまでそのゲマインシャフトにおいての非独立の一部分として所属しているだけである 11)。fattore と discepolo の両方がゲゼルシャフトの債務について更に責任があり《ゲマインシャフトの話をしていたのにここで急にゲゼルシャフトの話にすり替わる点について違和感有り》、債権者はその債務を直接に fattore や discepolo 自身の債務であると見なすことが出来る。(しかしながら)諸法規はそういうケースにおいては、ただゲゼルシャフトの代表者(Chef)のみに対して、その債務について責任を持たせ、それを返済することを義務付けている 12)。ようやく1393年になってこれらの者達の個人的な責任は免除されるようになった 13)。代表者を裁判の対象にするということと、これらの fattore や discepolo を裁判の対象にするということは、両方共に必要なことであった 14)。fattore にソキエタスの業務の義務を負わせる上でのその正当性の証明のやり方については既に言及して来た。そういった全てのことを考慮しても、――徒弟と使用人頭の(ソキエタスとの)関係についてここで詳細に述べることはしないが――非独立のゲマインシャフトの成員(とソキエタスと)の関係においての、ソキエタスと家族ゲマインシャフトの相似性は疑いようもないほど明白である。

11)Tractatus Consulum Artium et Mercatorum R. 17を参照。――この法規の1415年版におてもL. IVで同じものが採用されている。

12)の引用箇所 R. 18. を参照。

13)Tractatus de cessantibus et fugitivis R. 14を参照。

14)Tractatus Consulum Artium et Mercatorum R. 19を参照。

 

家族ゲマインシャフトのソキエタス的性格とソキエタスの家族的性格

 ここで問題となるのはここまで述べたことから演繹して、ソキエタスというものは家族法の概念を転用《言語は”Herübernahme”、辞書に無い単語。おそらくギリシア語のμετάληψις=換喩、ある慣用的な表現の中の言い回しを別のコンテキストにおいて使うこと{例:「早起きは三文の得」という表現を踏まえて「明日は三文得するつもり(=早起きする予定である)」などと言うこと。}、をドイツ語にしたのではないか。ドイツ語の直訳のニュアンスは「こちらに持ってきて受け取ること」》したものと考えてよいかどうかということである。今我々がここで考察しているソキエタスというものは、疑い無くある一種の人間関係というもの以上の独自の形態を持っているが、それはソキエタスの関係それ自体から直ちに生まれて来るようなものではない。そのソキエタスはしかしながら、その起源として手工業から発生したものとして、全くのところ家計のゲマインシャフトと結び付けられたものとして説明しうるのであり、そのゲマインシャフトは一緒になった仲間(Genosssen)同士の個人的関係に影響を及ぼす信頼関係を内包していた。これに対して他方では、法律における諸規定は家族ソキエタスについて、我々の見解からすれば数多くの違和感のある内容を定めており、そうした法規定は次のような観察の仕方によってのみ明確に理解される。つまり、家の新しく生まれた息子について、早々と父親または祖父の業務における使用人頭(Kommis)とかソキエタスの成員(Compagnon)に将来成ることを期待する、そういう観察の仕方においてである。

 労働ゲマインシャフトと後の時代の巨大な産業上の連合(Associationen)は、まず最初の発展段階において家族に固有である要素と共通の家計をその発展の段階の中で自分自身の内に取り込んでいた。家族はしかしながら、それ自身がソキエタスとして構成されており、――たとえばそのように両者の関係を構成することが出来るかもしれないし、またラスティヒの見解は私見ではその点で制限して考えるべきであると思われる。

ソキエタスの財産法
ソキエタスの債務と個人的債務

 既に我々が知っているもっとも初期のフィレンツェでの法的史料において、ソキエタスの仲間(Genosssen)の責任については次の方向へと進んでいた。つまり、ソキエタスの成員一人一人の任意の債務の全てではなく、ただある決まったカテゴリーを、つまりソキエタス(全体)の債務のみを連帯責任の対象として考える、という方向である。そして次に来る立法上の問題は、ある債務がソキエタスの債務であるかないかということを判定するための標識をどう設定すべきか、ということであった。

 1309年の Generalis balia は特定のソキエタスの成員達に”in quantum socios tangeret”である債務に対して責任を負わせており、その意味はその債務がその成員達に関係している限りにおいて、ということであった。しかし何をもってその者達は関係していると言えるのか?商取引においてはそれについての実用的な判断のための目印が必要であった。

ソキエタスの債務を判断する目印
1.会計簿への記帳

 ここフィレンツェにおいては簿記が最初から意義を持ち得ていた。我々が既にソキエタス・マリスにおいてソキエタスの財についての特別な記帳の必要性を強調したように、ここにおいては更にも増して業務の遂行に関連しての特別な記帳が必須であった。そういった特別な記帳の発生を、これまで既に見て来たアルベルティ家とペルッツイ家の帳簿を載せた出版物 15)は明らかにしている。既に1324年の法規で下記のことが規定されている:

 „Et quicunque recipere debet aliquam pecuniae quantitatem adscriptam alicujus libri societatis alicujus quilibet sociorum et obligatur in solidum.“
 (そして誰であれある額のお金をソキエタスの何かの勘定から受け取ることになっている場合は、ソキエタスのどの成員であっても、その金額について連帯して責任を負う。)

15)Passerini《第3章の注46への訳注参照》の Gli Alberti di Firenze を参照。また Peruzzi《同左》の Storia del commercio c dei banchieri di Firenze を参照。特に後者の帳簿には勘定表が含まれている。

同様に Statut der Arte di Calimala I 88 も次のことを規定している:

 ”a pagare tutti e ciascuno debiti, i quali egli overo alcuno de’ suoi compagni fosse tenuto di dare ad alcuna persona i quali debiti fossono scritti nel libro della loro compagnia.”
 (全てのかつ各々の債務を支払うことにより、その債務はその者自身かその者の属するソキエタスの別の誰かが、また別の第三者に対して負っていると見なされるのであるが、その債務はそのソキエタスの帳簿に記帳されると見なされる。)

そして1393年の商人の法(Satute mercatorum)は次のことを規定している:

 ”Si vero aliquis … promissionem fecerit etiam ignorante … socio … et ratio talis debiti … reperiretur descripta in aliquo libro ydoneo talium sociorum … quilibet talium sociorum sit … in solidum obligatus.”
 (もし実際に誰かが…約束を(将来において)した場合でそしてまたソキエタスの成員がそのことを知らなかった場合…そしてその場合の債務の金額が…ある適当なソキエタスの帳簿に記帳されたものが見出されることになるであろう…そのようなソキエタスの成員の誰もが…連帯して責任を負うことになる。)

こうした(特別記帳の)基本原則は、このように一貫して採用されている。

 しかしながら当然のこととして、この基本原則だけでは十分ではなかった。第三者に対する責任、債権者の権利は、ただ単に債務者の記帳の仕方だけに依存していることは有り得なかった。記帳は(債務の存在の)証拠を示す一つのやり方という性格を持っていた。このある意味偶然作られたような目印とは別に、もっと本質的な目印が必要だった:それはつまりどの債務がソキエタスが負うべきものとして記帳されるのかということであった。

2.ソキエタスの名前での契約

 より古い時代の小規模な人間関係におけるのと同じように、ここにおいてある商店の業務遂行についてどう取り扱うかを検討するとすれば、結論として使われるのはその商店において、またはその商店の中から自生的に生まれた目印であった。より後の時代での大規模な取引においてはこの目印ということは問題にされていなかった。Tractatus de cessantibus et fugitivis のある箇所(第14章)が次のことについて公的な判断基準を決めている場合において、その判断基準とはソキエタスとしての債務が存在しているのか否かということについてのものであるが、既に1324年の法規のある箇所(ラスティヒによって出版された本の中に引用されている箇所)において、またより後の時代の法規の諸版において、更にまた Statuto dell’ Arte di Calimala においても、ある一人のソキエタスの成員による、その者がソキエタスの名前において契約しているという説明付きでの単純な契約が、そのソキエタスの成員に対して対外的に義務を負わせる上で十分なものと認められ、そのソキエタスの帳簿への記帳と並んで、債権者達からのソキエタスの成員に対する要求を十分に満たす基礎的なこととして法規の中で設定されていた。この”asserere se facere pro se et sociis suis”({契約を}自分自身の名においてとまた他のソキエタスの成員の名において行うこと)のより後の時代での形態は、商号(Firma)を使った契約であり、それは1509年のボローニャの”Statuti della honoranda università de’ mercatanti”のfol. 67に示されている通りである。その同じ法規によれば、ソキエタスの成員の責任はお互いに、ここで言及している内容に適合する諸ケースにおいての以下の事実の相互確認によって制限を受けていた。その事実とは、
1)債権者が債務のソキエタスの帳簿への記帳を証明すること。または
2)送金の手形の上に”proprio e usato nome della compagnia”(適切かつ一般に認められているソキエタスの名前)が記載されていること。
の2つである。後者については当然のこととしてここでは”pro se et sociis suis”(自分の名前と自分の属するソキエタスの成員の名前で)で契約するということに適合している。

 またフィレンツェにおいても、より後の時代の会社(ゲゼルシャフト)の商号の名前で契約することへの土台となったものを見出すことが出来る。その商号による契約はソキエタスの債務というものについての純粋に形式的な標識である。しかしながらその商号というものは、実際には発達しなかった。ある側で商号の概念が敬遠されるようになると、別の側ではそれはむしろより強固な概念となった。商号の定義は様々な法規の中ではこうなっている:”asserendo .. se facere pro se et sociis suis.”(自分が自分の名前と自分の属するソキエタスの成員の名前で行動していると主張すること。)それ故にまず第一に浮かんでくる疑問は:誰が一体その者のソキエタスの仲間であるのか、共通の家計や共通の店舗(taberna)がもはや識別のための目印としては十分で無くなった後は?ということである。それに対しての簡単な定義:その者とある商号(Firma)の下である業務を営む者 16)、はまだ使われていなかった。1324年の法規と1355年の法規との間の時期に”publica fama ipsos socios esse”(その者達がソキエタスの仲間であるという公的な情報が存在していること)、それはつまり:該当の者達が外部に対して自分達はそのソキエタスの一員であるというように振る舞い、そしてそれを相手方に確認させる、そういう状況を意味している。これより後の時代の法規においては、もはや識別のための目印一般が挙げられていない。

16)”Quorum nomina expenduntur”(その者達の名前が重視される)というのが、後の時代における定義になる。

 しかしながらそれから契約を行おうとする人は、――それは部分的にはローマ法学理論の影響により――契約の相手がただその契約しようとしているソキエタスの成員の言葉だけによって、その者がソキエタスの名前で契約するのだということについて、本当は連帯責任にはなっていないのではないかという不安に駆られ、その結果としてその契約しようとするソキエタスについての有効性について一人または複数のソキエタスの成員の同意(書)を要望するようになった 17)。このような複数の法規に見出すことが出来る諸規定は、より前の時代の有効性が限定された連帯責任の残滓といったようなものではなく、より後の時代における司法警察的な性質を持った制限であり 18)、それは例えば Statuto dell’ Arte di Calimala 19)の規定と同じ立ち位置のものである。その規定とは官公庁に次のことについての判定をさせるということで、その判定とは外国に旅しているソキエタスの成員達にソキエタスの側から文書によって裏付けられた無制限の権利が与えられているかどうかということについてのものであった。その際のあるソキエタスの成員の正当性の証明は、その成員と同じソキエタスの他の成員の義務として最初から用意されていたものではなく、それはただ国際的な取引における金銭のやり取りの確実性についての要求に支えられていたものだった。Statuta mercatorum の1393年版と1415年の法規集成の中でのそれの改版においては、そういった制限を再度無くしている。それらの法規の版で要求されているのはただ次のことである。”talis contractus esset vel fuisset de aliqua vel super aliqua re spectanti et pertinenti ad societatem seu trafficum hujusmodi sociorum”(そのような契約は、ソキエタスまたはソキエタスの成員の取り引きに関連するかあるいは付属する何か、あるいはその何かに関連するものについてであるとされるか、あるいはあったとされる。)それ故、その契約のソキエタスとの関連性の確認は裁判官に委ねられた。その場合にはただソキエタスの元々の営業内容に含まれる業務のみが取り扱われなければならなかった。

 こういった法の改版によりフィレンツェにおける連帯責任原理の発達は終わってしまっている。この根本原則の決定的な確立は、つまり誰がその商号(の会社)に所属するのかということについての確認方法の確立は、つまりは”cujus nomen expenditur”(誰の名前が{重要な情報として}商号の中に入れられているか)ということは、その商号を使って締結された契約に基づく業務に対して保証を与えたし、その確立は先に素描した国際的な発展の一部を構成していた。

17)1324年版の法規と1355年の法規:dummodo nullus socius possit (hiernach wohl nicht nur im Verhältnis unter den socii)) contrahere debitum in civitate vel districtu Florentiae ex quo aliquis socius vel socii teneantur …, nisi talis obligatio fiat de consensu saltem duorum aliorum de ipso societate.(一人のソキエタスの成員も以下のことが出来ないとされている場合は{ここについてはソキエタスの仲間における関係だけに限定されていない}、債務について市内またはフィレンツェの行政区において同意すること、その債務についてはどのソキエタスの成員または成員達も責任を持つが、…もしそのような債務がそのソキエタスの最低2名の同意をもって発生していない場合は。)

18)前注における規定はその効力をフィレンツェの行政区の中に限定している。この規定が狭義の更新であることは、Statuto dell’ Arte di Calimalaがこの規定を含んでおらず、ようやく1341年の Additamenta のSub IIにおいて付け加えられているということから判定出来る。

19)I c. 66を参照。

ソキエタスの財産に対する差し押さえからの個人への債務者の除斥

 今まで述べたことから、あるソキエタスの成員によって契約された債務について、ソキエタスの財産がそれについて責任を負う場合には、その場合にはその関連で次のような概念が生まれてくる。つまりソキエタスの成員の他の(個人的)債務については、ソキエタスの財産は関知しないということである。この論理的帰結は Statuto dell’ Arte di Calimala の次の箇所(I c.56)を思い起こさせる――そしてそれによってソキエタスの特別財産というものが決定的に構成されるのである:

 もしあるソキエタスの成員が(個人的な)債務を負っているとした場合、
 ”in sua specialità a suo nome per carta o per scrittura di sua mano secondo che è principale, o per mallevadore, ove non si faccia menzione della compagnia della quale fosse compagno, fattore overo discepolo … sia costretto cotale obligato nella sua persona e ne’ suoi beni solamente … niuno di quella compagnia possa essere costretto nè molestato … veramente si … avesse alcuni beni in quella compagnia, sia tenuto la compagnia di rispondere interamente di quelli beni per tale obligato e conviuto.”
 (その者の専門の職業において、その者の名前によって簡単な申し込み書によるか、あるいはその者自身の責任に基づくその者の自筆署名付きの契約書によって、あるいは保証人を通じて、その際にその者が成員、使用人頭または徒弟であるという、そのソキエタスへの言及無しに…そのような場合の債務はその者個人の債務であり、またその者自身の財産に対する債務であり…そのソキエタスの成員の誰においてもその債務を強制されたり責任を負わされることはない…本当に…その者が当該のソキエタスにおいて何かの財を持つ場合、そのソキエタスはそのような債務とそれへの同意については、ただその者の{ソキエタスに投資した}財の部分についてだけ責任があるとされる。)

最後に考慮した事例においての規制方法については、ソキエタスの成員への財産分与ということを通じて既に言及して来た。ゲゼルシャフトの財産について何か特別な破産ということが可能かどうかと言うことは、どの法規においても言及されていない。そのような可能性を考えることは困難であると考えられていた。あるソキエタスが破産した場合、そのソキエタスの成員個人に対する債権者はその破産ついては無関係の状態ではいるのは難しかった。そしてそのソキエタスの成員の個人財産はいずれの場合においてもソキエタスの破産に直接関連付けられ、差し押さえられてしまうのである。その次にソキエタスの特別財産についてのゲゼルシャフトに対する債権者の権利が、それはFierli 《第3章の訳注参照》20) が叙述している通りであるが、”sportello”(専用窓口)からの優先的な返済を受ける権利として立ち現われるのである。法的な史料が大規模なゲゼルシャフトの財政的破綻について語っている所では、つまり1326年のScali家《当時のフィレンツェの三代銀行家ファミリーの一つ》の破綻、そしてBardi家の破綻、また1345年 21)のペルッツイ家他の破綻について語っている所では、そういった史料でそういったCompagnia(ソキエタス)を破産者として扱っており、そしてさらにそういったソキエタスについて「破綻しており逃亡している」と説明している。

20)Della Società chiamata Accomanditaを参照。

21)Villani《第5章の訳注参照》の Croniche storiche X c. 4 を参照せよ。

II. 諸文献:アルベルティとペルッツイにおける商業簿記

 これまでに既にしばしば言及してきたこれらの大規模なソキエタスの人間関係について文献史料にて知られていることについて、ここで最終的に更に手短に立ち入ってみたい。その内容は多くはない:最大限に見てもこの2つの規模の大きい、Arte di Calimala に属していた銀行家ファミリーであるアルベルティとペルッツイの両家についての抜粋的記述に過ぎない。それはそれぞれの個別の記述については法学的な視点からではなく、そしてペルッツイに関する部分は、更に素人で専門家ではない者によって出版されたものである 22)。引き続きこの断片的な文献史料においても、我々がこれまで論じて来た発展を再び見出すことが出来るのである。

22)Passeriniの Gli Alberti di Firenzeを参照。Peruzziの storia del commercio e dei banchieri di Firenze も参照せよ。さらにはゴルトシュミットの商業雑誌掲載の論文の第14巻のP.660と比較せよ。

家計ゲマインシャフト

 まず第一に登場して来るのは、ゲゼルシャフトの自然な特性としての共通の家計である。libro segreto des Giotto Peruzzi(ジオット・ペルッツィの決算帳簿) の1308年以下及びその他の年の中にある記帳明細は、あるソキエタスの成員のソキエタス共通の費用として支出された分をある成員個人が立て替えた生計上の支払い 23)についての精算を含んでいる――:それは例えばパン、塩漬け肉、酒、馬、ロウソク、小遣い(danari borsinghi《=財布の中のお金》)、奉公人の賃金など――そしてそれらから切り離されていない帳場や商品倉庫での必要な支出、例えば定型文書と業務の帳簿用の羊皮紙、封ろう、筆記用具などである。これらの支出についてはまずは金庫番のソキエタスの成員によってソキエタスの共通金庫から払い出され、それから個々の関連する家族のメンバーに対して割り当てられる 24)。

23)バルドゥスによってもまた、Consilia II 260 において、家計上での費用支出で疑わしいものは、単純にソキエタスの成員達による議論の対象となっている。

24)例えば Peruzziの: 1308年の codici(補遺)の t. I p.2:
Sono lire 698. 16. 8 a fiorini che Tommaso Peruzzi e Compagni nostri pagarono per me Giotto Peruzzi per la terza parte di spese di casa e famiglia comune col detto Tommaso e con Arnoldo miei fratelli la quale fue da Kalen novembre 1308 a Kalen novembre 1309 — — l. 698. 18. 8.
(私は8月16日に698リラをフィオリーノ金貨換算で《当時のフィレンツェはフィオリーノ金貨とピッチョロ銀貨が使われていたが、この2つの交換比率は変動していたため{銀は次第に減価していた}、この当時金額をリラで言う時はどちらの価値をベースにしたかを言う必要があった。》受け取った。それはトマソ・ペルッツィと私の所属するソキエタスが私ことジオット・ペルッツィに対して支払ったもので、それは家と家族の共通の出費の1/3についてであり、前述のトマソとアルノルドの2人の兄弟と一緒に{1/3ずつ}もらったものであり、それは1308年の11月1日から1309年の11月1日についての支出予定としてである。―――698リラ、8月18日。)

 1309 p.3: Sono l. 933. 4. 10 a fiorini che Tommaso etc. pagarono etc. per la terza parte di spese di casa, di famiglia, per fazioni di comuni, di cavalli e di fanti, pane e vino e a nostra e loro spese comuni con Tommaso suddetto e Arnoldo nell’ a.
 (1309年のp.3:私は10月4日に993リラをフィオリーノ金貨換算で受け取った。それはトマソ他が支払ったもので、それは家、家族と、またソキエタスの共通費用の一部について、馬、{男の}召使い、パンと酒、また上記のトマスとアルノルドとの共通の支出を含めた1310年の予定支出の1/3としてである。しかしこの金額は137番帳簿の分として記帳される。―――933リラ、10月4日。)

 1310 pero in spese in questo libro nel 137 — — — — — l. 933. 4. 10. 1310 … per spese della mia famiglia per calzare, vestire, danari borsinghi, più 35 fiorini d’oro giocati e 45 fior. d’oro per spese di mobilia al bagno a Menzona come appare al libro della compagnia.
 (1310年…私の家族の次の支出について、つまり普段着とドレスと、お小遣い、の支出分として追加の35リラがフィオリーノ金貨換算で提供され、更に45リラがフィオリーノ金貨換算でメンツォナの家の浴場の備品の費用として提供され一緒にソキエタスの帳簿に記帳される。)

 1312 … di mangiare e bere, salario di masnadieri, di fanti e lanciulli e spese di cavalli e fazione di comune e altre spese che face a comune …
 (1312年…飲食の費用について、警備担当のごろつき共の賃金、男女の召使いの俸給、馬、ソキエタスの共通費用の一部と、共通の目的で使われた他の費用…)

今やはっきりとした発展が認められるようになった。1313年にはこのような共通の支出、今丁度そう名付けるのであるが、が出現している。しかしそれははっきりそれと強調された例外的な支出と一緒にされており、その例外とは被服費や小遣い銭の費用であった。この最後のものについてはそれを発生させた者の特別な勘定に入れられた 25)。

25)… per la terza parte di spese di casa, di famiglia, e fazione di comune e altre, senza vestimenti nè calzamenti nè danari borsinghi, spese in comune col detto Tommaso mio fratello e con Ridolfo di Donato mio nepote …
(…の支出の1/3について、家の、家族の、そして共通の費用の一部、そして他の費用、しかし衣服、靴、小遣い銭は除き、また前述の私の兄弟であるトマソと私の孫であるリドルフォ・ディ・ドナートと一緒に費用を…)

そのような共通の支出というものが出て来たのに適合してある変化が1334年5月1日のアルベルティ家の相続において同様に出現しているのを見出すことが出来る。それによればある未来の時期まで――その時までは支出はペルッツィ家の場合と同じように取り扱われ――各人は自身の家族の必要とするものの費用を自らが負担しなければならなかった。そこから例外として除かれたものはゲマインシャフトで一緒に行う宴会の費用といくつかの同様のものの費用だった。そういった費用はひとまずは共通の費用として扱われ、その後各家族に割り当てられた。しかしながら明白なこととして、関与している各家族のソキエタスの中での力が異なっていることにより、まずは各々の成員に対してあらかじめ決められている固定額がその者の負担分として記帳され、その後残った分についてだけ均等に分割されてそれぞれの負担とされたのである 26)。

26)1334年の5月1日よりカロッチオ、ドゥッチオとアルベルト・ディ・ラポ・アルベルティの間で次のようなやり方の精算が行われるようになった。つまり、”ciascheduno quelle della sua propria famiglia del suo proprio le debba fare, chome bene piacerne a ciachuno” (各々はこれらの自分自身の家族についての費用について本人自身がそれを負担しなければならない。そのやり方は各々にとって好ましいことである)、これに対し、
“le spese chessi far a chomune, cioè alle tavola nostra, ove chomunemente partecipiamo, e le spese chomuni a minuto diputa a presente affare per noi a Jacopo di Charoccio … queste cotali tassiamo, che ne debba tocchare per anno a Charoccio l. 300 piccioli e a Duccio l. 250 piccioli e a Alberto l. 200 piccioli l’anno.
({ソキエタスの}共通の経費として発生した支出については、それは我々が一緒に集まって会食した費用であるが、その共通の支出は細かなものを含めて出席した者に委任され、我々の間での処理についてはジャコポ・ディ・カロッチオに…この支出については次のように割り当て、今年の内に取り立てなけれならない。カロッチオには300デナリ・ピッチョリで、ドウッチオには250デナリ・ピッチョリで、そしてアルベルトには200デナリ・ピッチョリの支払いを今年の分として割り当て取り立てる。)

 E fummo in achordo che se la detta spesa fosse maggiore che quel chotale piu fosse per terza intra noi e se la detta spesa fosse minore che anche quel meno fosse per terzo intra noi.”
 (次のことについて契約が取り交わされており、上記の支出が今割り当てた金額の合計より多い場合はその超過分は我々の間で1/3ずつ負担する。逆に実際の支出額が割り当て合計額より少ない場合は、その余った分は我々の間で1/3ずつ支払額から控除される。)

《フィレンツェの通貨は従来からあるデナリ・ピッチョロと言う銀貨に加え、1252年にいわゆるフィオリーノ金貨(フローリン金貨)を鋳造し、このフィオリーノ金貨が19世紀における英ポンドや第2次世界大戦後のブレトンウッズ体制での米ドルのように、その当時の欧州での国際金融・商取引における基軸通貨となった。しかし国内での日常品の売買などにはフィオリーノ金貨は額面が大きすぎて使いにくく、デナリ・ピッチョロ銀貨も使い続けられた。1252年での1フィオリーノ金貨は240デナリ・ピッチョロ銀貨の換算レートであったが、このレートは変動するものであり、14世紀前半には1フィオリーノ金貨=780デナリ・ピッチョロ銀貨にまで銀貨が減価していた。このため、何かの金額をリラの単位で言う時はフィオリーノ金貨とデナリ・ピッチョロ銀貨のどちらで換算したものなのかを示す必要があった。なお、このデナリ・ピッチョロは現在イタリア語で、”denaro spicciolo”(小銭)という形で今も残っている。》

 同様の方法で宿泊者があった場合の費用を共通で分担する場合のある決まった額の割当金が規定されている。もし実際の金額がその定額を超えている場合には、超過分は各々が負担していた。費用全体をどのように個々の成員で分担するかについては、ソキエタスにおける兄弟達の動産の額に比例して割り当てられており、該当の者の勘定への算入という形で処理されていた。

 こうした(共通の費用の発生という)変化は、それは我々にはピサにおいて確認した現象を思い起こさせるものであるが、先に叙述した法の発展の傾向について間違えようがないはっきりした具体例を提供している。その傾向には元々無制限であった個々のソキエタスの成員の財の処分の自由という権利を、ソキエタスの人間関係に適合する形で制限するというものである。

ゲマインシャフトの土台としてのソキエタス契約

 いまや我々の研究もゲマインシャフト関係の基礎を論じる所にまで至ったが、その際にその基礎というものは形式的には契約によったものである。なるほど家計のゲマインシャフトというものは、世代から世代へと継続していたが、それへの参加者というものは、継続して同一の者とその子孫であった。しかしながら形式的にはある決まった年数に時間的に制限されたゲゼルシャフトがその都度書面によるソキエタス契約によって作り出されており、その契約が更新される際には常に参加者の分け前としての権利も新たなものに差し替えられた。

27)Peruzziによって既に引用済みの箇所を含む多くのソキエタス契約を含んだ書籍が出版されている。

資本金と各ソキエタス成員の出資

 ソキエタスの資本金――il corpo della compagnia (コムパーニアの実体)――は各ソキエタスの成員の出資金を合計したものとして成立していた。

 これらの出資金は、通常の場合認められうる限りにおいて全部をまとめた合計額として表現され、利益が繰り入れられ損失が控除される。各ソキエタスの成員の出資金は総決算(Generalrechnung)、つまり saldament della compagnia 28) (コムパーニアの決算)と呼ばれたもので、一般的に2年に1回行われる決算までは増額も減額もすることが出来なかった。その決算の時までは、またそのソキエタスの成員の死においても、その出資金はソキエタスに縛り付けられ、そして利益と損失を分割する際の基準となった。決算の時になってやっとソキエタスの成員は出資金の額を変更することが出来、そしてそれ以降増額したまたは減額した結果としての出資金の額でソキエタスの成員はソキエタスに関与し、その金額でのその成員の新たな資本勘定が開設されるのである。その決算において、もしそれがある場合はようやく利益が発生するので、その成員の「購買」もまた疑い無く、前もって一概にはその成員の資本勘定への算入は許されておらず 29)、そうではなく、我々が既に見て来たように個人的なまたは家計上の必需品対する支出も、ソキエタスの共通金庫から支払われ、後にそれらの支出が各成員に振り替えられた。(もしかすると、またはよりむしろ、非常にはっきしたこととして、後の時代になって共通の家計用の金庫はソキエタスの共通金庫から分けられるようになった。)ソキエタスの財産はこういったやり方で、形式的に閉じたものとなっていた。

28)ソキエタス契約の協定として繰り返し登場している。

29)その成員の分の利益の分け前についても同じで、何故ならばそういったものが存在しているのが分るのは決算が行われてからであったからである。

各ソキエタス成員のゲマインシャフトの外部での特別財産。
1.不動産

 まず第一にソキエタスの財産の外部にあるものとして留まったのは不動産の形での所有物だった。共通の不動産というものを見出すことが出来るのは、特にフィレンツェにおける家であり、それはゲゼルシャフトの居住地となっていたが、明らかに共通のものであった。しかしながらソキエタスの契約と決算から次の事が出現して来ているように思われる。つまり資本金への出資だけが計算され記帳されており、資産を分割したり持ち分を計算したりすることは、ただ動産の場合のみに可能となっていた。このことは上記の一般的な(不動産についての)説明と矛盾していない。外見上はっきりした、当時の慣習に適合した、包括範囲の広い不動産の所有はソキエタスの参加者の特別な所有権として成立し、ゲマインシャフトにおいては考慮されなかった。フィレンツェにおける諸家族の間では良く知られているように、家とその分割物《相続の際に、ある家を間仕切で区切って分割することが行われていた。》に対してのはっきりした所有というものが見出される。しかしながら個々のソキエタスの成員の不動産についてはソキエタスの契約の中では全く言及されていない。

個人の動産

 それにも関わらず、ソキエタスの成員はゲゼルシャフトの基金以外にも動産を所有している。そしてそうした動産の中で我々にとって取り分け重要なのは、次のような資金である。それはソキエタス(コンパニーア)において何かの目的で自発的に出資されたものであるが、しかしながら出資金としては扱われないものである。ほとんどすべてのソキエタスの契約の中にそういった資金についての規定を見出すことが出来る。そういった資金はあるソキエタスの成員が、”fuori del corpo della compagnia”(コンパニーアの資本金の外側で)所有するものである。というのもここにおいてはソキエタス(コンパニーア)の資本金の特徴は、ソキエタスの成員がその資本金における自己の出資額を決算が行われるまでは変更することが出来ないということであり、そのために次のことを受け入れなければならなかった。つまり各ソキエタスの成員は当初の出資金以外の資金を初期出資と同じやり方でソキエタス(コンパニーア)に関連付けることが出来ないということである。そういった類の資金は、そのソキエタスの成員独自の勘定として取り扱うことが可能であろう。その勘定とは、その金額についてはその成員が総決算の時以外であっても増額したり減額したりすることが出来る、そういう性格のものである。そのことに適合するのは、――そしてそれはソキエタスの契約の中で何度もはっきりと述べられていることであるが、――そういった資金はその成員の出資金と同様のやり方では収益や損失に関与することは出来ないということである。大抵の場合、そうした資金はソキエタスにとっては単にそれをソキエタスの成員に対して利子を支払うべき借り入れであるように見え、それは今日においての、いつでも引き出すことが出来る銀行預金と同じである 30)。

30)Peruzziにおける1300年のソキエタス契約(Peruzzi編 l.3 c.2 6番)。結論部は:Ordinato si è quando faremo ragione di detta compagnia che ciascuno abbia sua parte siccome toccherà per migliajo; ancora si è ordinato che quelli compagni che tengono de’ loro danari fuori del corpo della compagnia e dovranno riaverli da essa la compagnia ne dove a quei cotali a ragione dell’ 8 per cento l’anno. (次のことが取り決められる。つまり我々が前述のコンパニーアについて権利を持つ場合、その権利とはそれぞれが自分の取り分を1000分のいくつという単位で表された分だけ持つことになるというものである。しかしまた次のことも取り決められる。つまりこれらのコンパニーアの成員達が彼らのお金をコンパニーアの資本金以外で保持する場合、彼らはそのコンパニーアから1年間8%を利子として支払いを受けなければならない。)  1322年のアルベルティ家のソキエタス契約: … il corpo della compagnia diciamo che sia in somma l. 25000 a fiorini e ciascuno debba partire per sua parte per gli denari che metterà per suo corpo di compagnia del guadagno e perdito che Iddio ne desse; e que’ denari che si metterano per lo corpo siano obbligati alla detta compagnia e niuno ne posse trare nè avere per niuno modo, salvo che quando si facesse il saldamento della regione della detta compagnia e se avesse alcuno che ne volesse traere, si possa in questo modo che da quello saldamento inanzi debba abbattere di sua parte e di suo corpo di compagnia quanti danari egli traesse e quei che rimangono s’intendono essere sua parte. Ancore se … volesse al saldamento … mettere … piu danari … debba dal saldamento … inanzi partire per gli denari che vollà mettere … E ciascuno de’ detti compagni che avrà danari nella detta compagnia, oltre i denari che avrà per il suo corpo, stea al provvedimento degli altri compagni p.p. t. I p.25). (…我々はコンパニーアの資本金を合計でフィオリーノ金貨換算で25,000リラとする。それぞれの者はそれぞれの持分としていくら出資するのかを明確にしなければならない。その投資した資金については、コンパニーアの資本金の中でその者の持分となり、そこから上がる利益と損失については神がそれを与え給うであろう。このコンパニーアの資本金として投資された資金については、前述のコンパニーアの債務と見なされ、誰もその資金を引き出したり所有するすることはどんなやり方でも出来ない。ただ前述のコンパニーアがその所在地にて実施する決算の場合を除く。もしコンパニーアの成員の内の誰かが(資本金から)お金を取り戻したいと思う場合には、この決算の時は可能であるが、その際にはあらかじめその者の分の資本金をその分だけ減額しておかねばならず、自分の分の資本金からいくら取り戻してその結果残ったその者の資本金がいくらになるかを明確にしなければならない。しかしもし成員の内の誰かが決算の時に更に資金を投入したい場合には、その決算の時ににいくら増資したいかをあらかじめ明確にしておかなければならない。そして前述のコンパニーアの成員の内の誰かが、そのコンパニーアにおける自分の分の資本金を更に増やしたい場合には、その金額をあらかじめ他の成員に通知しておかねばならない、等々。(t. I p.25))  ここで書かれていることはPeruzzi編の1304年のアルベルティ家の契約の内容と既に合致している。

1336年のアルベルティ家の相続協定

 こうした(コンパニーアの成員間の)人間関係の全体像について理解する上で最も良い材料となるのは、1336年のカロッチオ、ドゥッチオ、そしてアルベルトの3兄弟のラポ・デル・グィディーチェ・デイ・アルベルティの遺産についての相続協定であり、その遺産はその協定の時まで17年間も分割されない状態のままで置かれていた。その協定における本質的な取り決めの部分をここで吟味する意義が十分あるであろう 31)。

31)Passeriniによる出版物、Gli Alberti di Firenzeを参照。  ラポ・デル・グィディーチェは死の際にコンパニーアにおいて、それへの出資分として1200リブラを保持していた。1336年の遺産分割の際には財産の内訳は次のようになっていた《死の際の1200リブラの出資金とと下記の数字との関連が不明、出資金ではなく下記の”in Accomandigia”(預け入れ金)のことか?》:

    22,300リブラ            コンパニーアの資本金中の出資額     
    10,308リブラ18ソリドゥス6デナリ   コンパニーアへの出資金以外の投資額
—————————————————————————————
    32,608リブラ18ソリドゥス6デナリ  が動産として、それに
     4,785リブラ            の不動産(課税対象額)が加わり、
合計で
—————————————————————–
  37,393リブラ18ソリドゥス6デナリ
  が分割対象の総額となる。

 この合計額から、4,008リブラ18ソリドゥス6デナリが兄弟達の共通の負担分として、コンパニーアに対しての”in Accomandigia”(預け入れ金)として控除されることになる。このことの意味は:利子を条件とした預け入れかあるいは疑似的なコムメンダ(資金委託)で、つまりは収益の分け前を条件としてのものである。この場合においては利子付きの預け入れの方がまずはより確からしく思われるが、しかしながらジェノヴァにおいてコムメンダによる委託の商品がソキエタス自身の商品と並置されたように、それ自体としてここではコムメンダ(による出資)が出資資本金に並置されていると解釈することも出来る。ソキエタスの成員はそれから出資金を保持している公開社員であるのと同時に、匿名の社員(持分所有者)であるとも考え得るであろうし、利益の分割の仕方については、推定ではあるがそれぞれ異なっていたであろう。この事例においてまた後者の匿名社員という人間関係が想定されているであろうことは、この協定の中で言及されている亡父の遺言に基づく規定が示している通りである。その遺言によれば3人の息子をはフィオリーノ金貨換算で200リラをそれぞれの息子(亡父の孫)のコンパニーアへの出資分として負担することになっており、この規定の詳細な記述は先ほど述べた疑似的なコムメンダを意味している 32)。
 資本金として設定されている金額   37,393リブラ18ソリドゥス 6デナリ 
 各成員についての控除分        4,008リブラ18ソリドゥス 6デナリ
—————————————————————————————–
 差し引き残額            33,385リブラ 0ソリドゥス 0デナリ
この残額については3人の兄弟の間で分割される。そしてなるほどより年長の兄弟の分け前の分についてはその妻の嫁資がゲマインシャフトの中に算入されている筈なので、カロッチオの取り分はドゥッチオよりも500リブラ多くなり、またドゥッチオはアルベルトよりも1000リブラ多く取るということになる。 従って兄弟間での分割の内訳は:

  カロッチオ  11,794リブラ
  ドゥッチオ  11,295リブラ
  アルベルト  10,295リブラ
  ———————————
  合計     33,385リブラ となる。
これによって資本金である33,385リブラは上記のようにきれいに分割されてそれぞれの持分が設定された訳である。 この遺産分割については次図で再確認する: それぞれの所有分は 33):

32)この場合において、コムメンダ的に委託されている資本に対して、更にある金額を追加したりまた何かの用益権を更に付加するということが認められていなかったというまさにそのことから、次のことが明らかになる。つまりそのようなコンパニーアの資本金の外にある資金の受け入れが、今挙げたケース以外では許されていたことを。

33)ここに引用された数字は、Passerini編の書籍によっているが、写本の状態が良くなかったことが、あるいは印刷が良くなかったことが原因で、ひどく歪んでしまっており、計算の結果がしばしば食い違っている。私はそれに対して自分なりの修正を施しているが、ただそれによってのみ正しい計算結果を確認出来たと考えるが、しかし一つ一つの修正についてここで細々と述べるには紙面が足りない。

       カロッチオ   ドゥッチオ   アルベルト    合計
———————————————————————————————
1)動産    725L-S-D   2,030L-S-D   2,030L-S-D   4,785L-S-D
として
2)資本金に  7,766L13S04D  7,766L13S04D 6,776L13S04D  22,300L-S-D
組み入れ                  《他が正しければここは                        6,766S13S04Dの間違い。》
3)資本金外の3,303L6S8D    1,498L06S08D 1,498L 6S 8D   6,300L-S-D
資金
———————————————————————————————–
合計    11,795S-S-D   11,295S-S-D  10,295S-S-D   33,385L-S-D
             上記以外のコムメンダによる委託    4,008L18S06D              —————————————————————
             以上で前述の資本合計となる。     37,393L18S06D
《L=リブラ、S=ソリドゥス、D=デナリ、1L=20S、1S=12D》

 この表から分るように、それぞれのソキエタスの成員が所有するのは:
 1)不動産であって、ソキエタスとは無関係に存在するもの。
 2)動産であって、明示的に示されている限りにおいてソキエタスとは無関係のもの。
 3)動産であって、ソキエタスにおいて、利子付きという場合であれ、利益についての配当という形であれ(無利子の預け入れではない、それは用益権への言及が示している通りである)、投資されているもの。
 4)コンパニーアの資本金の中での各自の出資金としての財産。

成果

 corpo della compagnia というイタリア語での表現は、ラテン語では corpus societatis (ソキエタスの実体)に相当する。このラテン語での表現は法律家においての、例えばバルドゥスの用法では、外部に対する関係においてのゲゼルシャフトの財産、つまり合名会社の特別財産を意味する。ここにおいては同じ表現が内部に対しての関係としての特別財産を意味するのであり、それはこれまで述べて来た状況の中から発生してきたように見える。諸法規が外部に対しての特別財産というものを制定し定義するように、ソキエタスの契約はそういったものを内部に対してソキエタスの成員達に対して制定し定義するのである。そして外部に対してのゲゼルシャフトの特別財産と同じものの内部に対してのものが全く同一のものであることは全く疑いの余地が無い 35)。この2つが相等しいということは何らの偶然でもなく、また法学における観察において無視して良いことでは全く無い。更に次のことについては詳しく論じるまでもなく自明のことである。つまり corpus societatis というものは必要性から生まれた合名会社の歴史的な発展であり、ゲマインシャフト(会社)の位置付けとして、(会社の)財産に対する唯一の主体であるということと適合している。以上のことを見解としてまとめると、この corpo della compagnia というものは、フィレンツェの(法的)文献史料においては、その概念を他から切り離して特別なものと捉え、そしてそれに対して特別の記述を行うことが本質においての目的であった。ここでの成果としては、 Laband の見解に対しての歴史的な観察に基づく意見の表明という意義を持っている。

34)Consilia V 125を参照。

35)もちろんこの同じであるということの意味は、corpo della compagnia と corpus societatis が表現として意味が同じだからではなく、誰かが “nella compagnia”(コンパニーアの中で)持つもの(Statuto dell’ Arte di Calimata I c. 62の先に引用した部分を参照)で、まさにここで記述した出資金以外のもので、外部に対しての関係で同一の役割を持つ何か別のものが存在するということは全く考え難いからである。

 このこと(ゲゼルシャフトの特別財産を他から切り離してまさに特別なものとして取り扱うこと)は、また次の二つのことの対立をいっそう明確にしている。一つは合名会社におけるこれまで述べて来たような法学的に必然性を持っている特別財産への投資という概念であり、もう一つは単なる貸し付けという形での資本参加である。前出のアルベルティ家の相続協定の例が示しているように、ある特定のソキエタスの成員が意図的に何らかの資金をソキエタスに対して投資したとしても、この資金によってはまだゲゼルシャフトの基金においての持分所有者にはならないということである。そうではなく、(ゲゼルシャフトの)特別財産というものはこういった(資本)参加的な人間関係とは別に存在しているということである。――ラーバントが次のように言う場合、つまりゲゼルシャフトの財産が成立しているということが今日の合名会社の概念と法的には等価であると言う場合、それに対してはたまたまソキエタスの成員間の関係はまた貸借関係としてかあるいは資本参加としてかの二つに整理して考えることが出来るため、次のように反論することが出来る:もしソキエタスの成員間に今挙げた二つの人間関係の内の一つが成立した場合、そういった場合であってもまだそれ以外にゲゼルシャフトの特別財産というものは成立し得るのであると。その特別財産というものが対外的にはたとえ経済的に無に等しいものであっても《例えば法律上資本金が存在していても実際には資本金を食い潰して欠損になっている場合など》、法学的は存在しているということは、この論文の導入部で既に述べて来た。しかし、それについて更に次のことを確認することが出来る。つまりここで(ゲゼルシャフトの)内部についての関係が、外部に対しての関係においても決定的に作用するということである。ソキエタスの成員の間における関係でゲゼルシャフトの財産とされるものは全て、外部の(ソキエタスへの)債権者達との関係においてもまたゲゼルシャフトの財産とされるのである。

VI. 法的文献。結論。

法的文献とそのソキエタスへの関係

 我々はここまでの論述によって、我々が扱って来た法的な制度の解明について次の所にまで到達出来た。つまり合名会社にとっての全ての本質的な基礎原理:商号(Firma)、連帯責任、特別財産について明らかにすることが出来た。我々は同様に、合名会社に対立するものを比較して検討するという目的で、合資会社についてその始まりからある発展段階の一つに到達するまでを観察して来た。その発展段階においては、法的な構造についてみれば、今日の合資会社が有している意義という点で見てもそう大きくは隔たっていない。より後の時代における法形成は、それについてここで扱うことは出来ないが、今述べた発展段階における法的な構造を通じて法学的な見方を継承しており、そういった構造の組み合わせとそれの拡張によって、そういう法学的な見方は現代における人間関係に適合したゲマインシャフトの形態を創出することが出来ていた。――しかしながらここでは単にその内の何点かだけについて論じることとする。

 まず第一に明らかにしたいのは、(合資会社の黎明期の)同時代の法学者がその時代における制度として観察している人間関係についてである。

1.合資関係

 合資会社の人間関係は、契約法の基礎の上に成立するものとして見た場合、ローマ法の理論に照らし合わせて何か非常に把握困難なものとして扱うことは許されていなかった。しかし実際にはその把握は非常に困難だったのであり、それはラスティヒのEndemannに対する所見と一致していることは間違いない。その当時の法学の文献が行っている合資会社関係への考察を見ると次のことが述べられている。つまりそういう考察においては、ローマ法学がそのような合資会社関係については、多分に嫌々ながらではあるが、新しい制度として歴史的な把握を行うことがほとんど無理であることを認めることで妥協するという、そういう意義しかなかったことが表明されている。バルドゥスのConsiliaとその中に含まれている他の者の文書は、それについて十分な証拠となっている。その者達によって取り扱われている societas “pecunia-opera”(in qua alter impossit pecuniam, alter operam)(資本-労働結合型ソキエタス、{その中では一方の成員は資金を提供し、他方の成員は労働を提供する})は、コムメンダを想定して述べていることは間違いない 1)。

1)バルドゥス編の Consilia II 87 のquatra proficui ({トラクタートル}が利益の1/4を取ること)と比較せよ。コムメンダというものは、バルドゥスがそれをそうイメージしているようにこのような形態で行われ、それまではそのような形態は存在していなかった。ただ利益のみが分割され、最終資本はそうされなかったということと、利益が得られなかった場合には、投下資本は全額償還されたということについて、バルドゥスは明らかに変則的であると考えており、その変則性をソキエタスがまさに “lucrum dividere”(利益を分けること)を目的として、”capitare dividere”(資本を分けること)を目的としていない理由としていた。他方ではコムメンダという形態は冒険的な性格を持っていると把握することが出来、損失は参加する双方の側で等しく分担することになっていた。その場合、もし全ての資本が失われてしまった場合には(!)、委任した側(Kommendant)がその1/2を負担し、そしてトラクタートルもまた(!)損金の全体額に関わらず資本の1/2を負担し返金しなければならなかった: Consilia IV 65、 214、 453。同じくRoffredusなどの法注解学者達もコムメンダについて同じような把握の仕方をしていた。ただ特別な協定が取り交わされる場合があり(それについてバルドゥスがそう主調し、他の学者はその存在を疑っているが)、その場合には資本家のみがリスクを負担することが求められていた。それ故にコムメンダの制度の法学的構成はここでは全くナンセンスなほどの資本というものの重要視につながるのであり、それはまた法学者の見解において、全員がそれを高利貸し的な制度とは見なしていなかったことの証拠である。

歴史的に見れば、そうした法学的な把握の際には海上取引におけるコムメンダの本来の目的が考慮されていなかった。法教義学的に見た関係という意味で法学者達は――明らかにローマ法主義の見解の結果として、ソキエタスの成員というものは基本的に対等の関係であり、同じような権利を与えられた契約者でなければならないという立場に立っており、――その見方によれば、委任される人(トラクタートル)は自分自身を、つまり自分の労働力をゲゼルシャフトへの投資(の代替物)として持ち込み、それは委任する人(ソキウス・スタンス)が資金をそこに持ち込むのと同様のことであり、委任される人(トラクタートル)の労働の成果がその者にとっての利益(fructus)であり、それは丁度資本家にとっての利子に相当し 2)、――しかしその際には次の事が認識されていなかった。つまり今描写したような姿が、たまたまだったとしても、より対象を明確に把握するために使用されたのだとしたら、それはある意味許容範囲ではあっても観念的なお遊びであり、もしそれを使って法学的な構成が行われなければならなかったのだとしたら、それはもうナンセンス以外の何物でも無い。

2)もっとも明確にそのことが表現されているのは、Petrus de Ubaldis《第3章の注53での訳注を参照》編の De duobus fratribus III 12 であり、投資された全資金の返済という委任された方(トラクタートル)の義務が、たとえ利益も損失も目論まれていない場合であっても、次の事についての動機の説明となっている。つまり、委任された方の労働(operae)が資本家にとっての期間利子( interusurium)《高利には該当しないと当時許容されていた範囲の一定期間に生ずる利子》に相当するということと、それから委任された方(トラクタートル)が分け前を持つことが出来るのは(資本の中ではなく)ただ利益の中においてのみであるということである。Angelus de Periglis de Peruso《?~1446または1447年、イタリアのペルージャ出身の法学者、Petrus de Ubaldisの兄弟のAngelusとは別人》の De societatibus Pars I no. 2 においては同じような概念が扱われており、そこでは著者は次のような議論を展開している:最終資本の分割は次のように行われるのではない。つまり資本家が当初の出資金を回収し、次にトラクタートルが自分の労働分としてその同額を取り、そして更に残った分が分割される(つまり:初期資本が100で最終資本が300だった場合、委任した方が100を取り、トラクタートルが次に100を取り、残りの100が分割される)のではない。そうではなくて、トラクタートルの人格が委任する側の資本と等価に扱われるので、委任した側がまず資本100を取り、トラクタートルはその人格分として0、つまり何も取らず、残った200が分割されるのである。

より後の時代の著述家にとって、Endemannが指摘したように、これらのソキエタス契約において次に尚一層頭を悩ませる問題となったのは、このようなソキエタスの契約が(教会法による)高利の禁止に該当するのか、するとすればどの段階でそうなるのかという問題であった。我々がこの論考で見て来たように、コムメンダのいくつかの変種は実際に高利禁止の犠牲になって廃れてしまっていたし 3)、そこまで行かなくても、高利禁止原則は実務上の取り扱いにおいて、確実に法理論家を困惑させていた。法律家達によるその問題についての取り扱いと説明の仕方の全ては、また次のことを示している。つまりそういった場合に何かしら良く考えられかつ論理が一貫した形で行われた、経済的なまたは非常に社会的な観察方法についての理論といったものに基づいていたのではなく、それはそれぞれ個別の場合の判断として何か抽象的な論理構成の産物としてのみ行われていた、ということである。

3)バルドゥスによれば、(海上取引での)危険が債務者(=トラクタートル)の側だけに生じるのでは無い場合には――ピサにおける dare ad proficuum maris はそれには該当しなかったが――利益の何%か(procentuale lucrum)を利子にように徴収することは許されていた。

2.合名会社
a) 特別財産

 我々にとってここでより興味深いのは法学においての合名会社の取り扱いである。まず第一にそれに関係するのは特別財産であるが、明らかに見て取れる限りにおいては、文献の中では特別には扱われていない。ソキエタスに対する債権者の権利とそれの(ソキエタスの成員である)個人への債権者に対しての関係は、法学的には(ソキエタスの)破産の際の優先権(債権を他の債権者よりも先に回収出来る特権)という形で現れ、そしてそれについてはピサの例で見て来ているが、ソキエタスの成員達の(ソキエタスの成員の中の)個人への債権者に対しての関係と、ソキエタスの債権者のソキエタスの成員達への関係は、どちらについてもまずは法規によって回収優先権を与えられた債権者という形で把握される。Franciscus de Porcellinis von Padua 4)《?~1453年、イタリアのパドヴァ生まれの法学教師》はそこから次に、ジェノヴァの法規 5)の考え方と一致して、次のような法文を残すに至っている。つまりまたソキエタスの成員(委任する方)の投資金に対しても次のローマ法の考え方が適用出来るということである。そのローマ法の考え方とは、”res succedit in locum pretii et pretium 《succedit》in locum rei”(財というものはそれに対して価格が与えられた場所で成立し、価格というものはある物の(それが売られた)場所で成立する)というものである。
4)De duobus fratribus Quaestio 1を参照。

5)Statuta Perae lib. V c. 207 を参照。

ソキエタスの成員達はソキエタスの財との関連では一まとまりで”una persona”(一人の個人)と見なすことが出来るとしよう。その場合であってもソキエタスの特別財産というものは発達することがなく、そうではなくてソキエタスの基金というものは言ってみればローマ法のdos(嫁資)と同じように扱われていた。《ローマ王の嫁資(dos)は家ゲマインシャフトの財産とは別勘定にされ、法律上は夫の所有物であるが、実質的には妻の所有物とされ、離婚したり寡婦になったりした場合は妻であった女性に戻された。》ソキエタスの財というものは次の場合にはむしろ特別財産とは全くの逆の方に置かれていた。その場合とはバルドゥスが corpus societatis (ソキエタスの実体→資本金)について語っていた時既にそうであった 6)。そして彼の言葉が引用される時、そして他には Dezisionen der Rota von Genua 《ジェノヴァ控訴院判例集、1606年》の中でソキエタスが “corpus mysticum”《神秘的な体、元々はキリスト教で信者の集まりをキリストの体と一体化した一つの霊的な共同の体と見なすもの。転じて欧州において人以外のものに人格を認める場合に使われた。》として、つまりある種の法人として呼称されている場合である。ここにおいてはソキエタスの基金はソキエタスの財に発展したのであるが、しかしそれはゲゼルシャフトの財ではなく、法人(Korporation)の財としてであった。というのは corpus societatis という表現は既にバルドゥスにおいても法的な主体――つまりゲゼルシャフト――または法的な客体――その財産――を意味していただろうからであり、――後者についてより確からしいと思われるのは 8)、――少なくとも明らかなのは、ソキエタスを法人と見なすことの法人にとっての動機は次のような観察によるものであるということである。その観察とは、破産時の先取り特権(債権の優先回収権)を用いた法的な論理構成はソキエタスの基金に財産としての特質をよりむしろ認めなければならない場合に十分では無かったというものである。その財産についてはそこからただソキエタスを一種の法人(Korporation)として把握することによって可能になると信じられていた。

6)バルドゥスのConsilia V 125を参照。

7)Decisiones Rotae Genuensis《Genuensisは正しくはGenuae》 7の: “quia societas est corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”(何故ならばソキエタスは複数の名前{人}が一つに溶け合った神秘体である)を参照。

8)ここでの用語法の、ソキエタスの内部についての corpo della compagnia との関係についての考察は、”フィレンツェ”の章(第5章)の結論部を参照せよ。

そこから生じて来るものとしてはまず、
1. gesta extra societatem non obligant consortium, sed solum ipsum contrahentem (ソキエタスの外部にて行われたことはコンソーシアム{一つのまとまりとしてのソキエタスの成員全体}を拘束せず、ただ契約を行った者のみを拘束する 9)、その一方では
2. あるソキエタスの成員が次のような者として契約する場合は、”qui habet unum obligatum, habet et alterum et ipsam societatem”({何かの契約でそれを契約した}一人だけに責任を負わせているものは、もう一つべつのものにも責任を負わせている。つまりその者が所属するソキエタスである)(つまりゲゼルシャフトの財産である)、というのは:”quicquid scribitur per socium habentem facultatem nominis expendendi, dicitur scriptum ab ipso corpore seu societate, non ab ipsis ut particularibus”(ソキエタスの成員でソキエタスの名前で支払いをする能力を持っている者によって書かれた{書面で契約された}ものは何であれ、その者のコーポレーションまたはソキエタスによって書かれたものとして見なされ、どのような場合でもその特定の者{個人}だけによって書かれた{契約された}とは見なされない 10)。)ソキエタスをある複数の nomina(名前)を一緒にして構成した一つの人格として叙述することが示しているのは商号(Firma)の人格化がゲゼルシャフトを独立の存在として構築するための手段であったということである。ソキエタスを法人として把握することは、それについてはもう全く疑う余地は無い。しかし歴史的そして法教義学的にはそれは認められていないが、 ただそうした把握の仕方はゲゼルシャフトの基金を法の発展においてのソキエタスの成員の個人財産から特別財産として分離することをまた疑い無く非常に容易にした:その当時の法学にとってこれ以外の他のカテゴリーで意のままに扱えるものは存在していなかった。

9)Decisiones Rotae Genuensis 12 を参照。

10)Decisiones Rotae Genuensis 7 を参照。

b)連帯責任。委任の仮定と代表者(Institorat)の仮定。

 ロマニステン(ローマ法主義者)的なゲゼルシャフトの財産の法的な構成が、ひとたび法人という観念が使われるようになって以降は、それほど困難でなかったとしたら、そのことはよりいっそう法学者達に対して連帯責任の原理を創出させることにつながった。その創出を手助けするごく自然な考え方としては、契約を行うソキエタスの成員を仮定的な他のソキエタスの成員の代表者と見なすことであった。まず利用されたのは「委任が行われた」ということを仮定することで、契約を行うソキエタスの成員を代理人 11)または mandatarius exigendi 12)(代理の任を与えられた者)として取り扱い、それに合わせて次のことを行うことを目論んだ。つまり、おそらくはソキエタスの他の成員と対置する形で、その者に対する代理権の授与を expressis verbis 、つまり明確な言葉によって保証する書面を用意するということを 13)。しかしながらこういった構成の仕方はソキエタスにおいての実際の人間関係にほとんど合致していなかった。こういったやり方がきわめて異常と見なされていたに違いない一方で、明示的な全権というものが存在しないことに対して――そこから直ちに導かれる形で――まったくもって普通のものでは無い、非常に強い権力を持った全権というものを仮定することになったのである。その時々のケースにおいて、前提となっている各ソキエタスの成員が相互に保証人 14)になるという考え方は、一人一人が代表者的な連帯保証人としての責任を明確にするという目的には十分ではなかった 15)。同様にローマにおける銀行家による共同保証というやり方を利用することも、それは Petrus de Ubaldis がほのめかしていることであるが 16)、出来ておらず、それは連帯責任によって結び付けられた諸ゲマインシャフトが本質的には銀行的な業務を全く行っていなからであった。そういった考え方より、結局の所信じられるようになったのはローマ法における Institorat (代表者)という概念をこうした場合での把握の仕方としての法的なひな型として使うことが出来る、ということであった。パンデクテン法学《ローマ法の影響下にあった当時のドイツの普通法学》における、 institor (店主)の考え方のように、ここにおいては業務の遂行において締結された契約についての責任が扱われているのであり、その業務の遂行については契約を行う者が管理人としてそれを差配さはいしており、そしてその者が実質的には他の者――ここではソキエタスの成員の総体(しかしそこには契約を締結する者も含まれており、そこが既にローマ法とはまず異なっている点である)――に責任を負わせているのである。

11)Decisiones Rotae Florentinae 55 を参照。

12)Decisiones Rotae Florentinae 107を参照。

13)このことは、l’Orient latinの古文書史料の源泉であり、これらの全ての法様式が使用している。

14)バルドゥスのConsilia V 155を参照。

15)そうした把握の仕方はしかしながら Decisiones Rotae Romanae P. III d. 168 に見られる、ソキエタスの成員を Korrealschulner 《相対債務者、自分の持分だけについて責任を負う債務者》という概念の基礎となっている。

Institor(店主)がそういう風に扱われるように、ソキエタスの成員達は連帯して責任を負うことになるが、それは全くのところ Institor が特別な全権をひけらかすような行いをせずに業務遂行に勤しんでいるという理由からである。そして最終的には――このことが特別に重要であると思われるが――何人かの個人が共通の Institor を持つ場合、その者達は各自連帯してその Institor に対して責任を負うのである。そういう状況に対応するために採用されたのがソキエタスの成員を交代制で Institor に任命すること(praepositio institoria)であり、こうした把握の仕方が長く優勢な考え方として続いたのである 17)。

16)De duobus fratribus IX 参照。

17)トライチュケ《ハインリヒ・トライチュケ、1834~1896年、ドイツの歴史家、政治記者、1871~1884年の間帝国議会議員。》による Die Gewerbegesellschaft においても、まだ特に Thöl 《第2章の注12の訳注参照》の Handelsrecht (商法)においてもそれが見られる。

こうした把握の仕方は、ローマ法の概念の利用が重視された場合には、次のような驚くべき結果をもたらしている:Carpano 《第3章の注76の訳注参照》がそのミラノの法規への注解書の中で次のような結論を引き出している。つまり連帯責任というものは個々のソキエタスの成員がソキエタスの名前で契約する場合に成立するのであり、それに対してもしあるソキエタスの名前での契約の締結の際に全てのソキエタスの成員が個人として関与したとしたら、それはもう連帯責任ではあり得ず、各人の持分に比例した(pro rata)責任のみが発生するのであり、その際にはそれぞれのソキエタスの成員が自らかつ自己のために契約するのであり、それ故に institor という者は存在せず、それによって連帯責任を裏付ける法的な基礎はどこかに行ってしまうのであると 18)。このことは再度次のことに関しての証拠となる。つまりまずはどの程度まで法学における論理構成を行う上において法律家の個々人としての判断のみがその基礎になっているかということ、次に如何に法律家がそれ故に正当化され得ないかということ、最後にその中の底深い所に哲学的または社会的な理論を見出すことが出来るかという、そういった事々への証拠となる。――一般論として、Carpano によって提示された難点については驚きはしないが、その一方でまた他の著述家もそのことについて言及しているのである 19)。

18)Carpano による1502年の法規の第483章への注1を参照。

19)Bartolus と Petrus de Ubaldisがその例である。Petrus de Ubaldis の De duobus fratribus IX を参照。

連帯責任の実質的な根本原理との関係

 今まで見てきたような(連帯責任の)純粋にロマニステン的な論理構成の試みにも関わらず、(その当時の)法学にとっては次のような観察結果を見なかったことにして済ますことは不可能だった。その観察結果とは、連帯責任というものが、それは実際の所当時一般に採用されていたのであるが、今まで述べて来たような法学的思考形式に関連付けられていたのではなく、全くもって具体的で外から見てはっきり分る諸事実に関連付けられていたということである。それ故にそういった諸事実と先に述べたような法学的思考形式を結び付ける必要性が生じていたが、しかしそれは常に成功した訳ではなかった。家計ゲマインシャフトが(合名会社の)発展の歴史における出発点であったということは、法学的な文献の中にも登場するようになっていた。duo fratres communiter viventes(一緒に生活している二人の兄弟)の主題は相当浩瀚な法学書籍の中で何度も詳しく論じられていたが、それ以外にその主題自体が単体として研究論文(モノグラフ)にて取上げられていた 20)。それが可能である限りにおいて、ローマ法の societas omnium bonorum 《全ての財産が現在及び将来に渡って共有されるソキエタス》という分類形式が使われ、実質的な根本原理である共通の家計は、上述したような委任とか Institorat といった関係の上述の意味での成立という仮定を正当化するという役割を演じていたが、そういった観察結果は現実の人間関係の本質とはほとんど適合していなかった。しかしながらそういった観察結果は他方ではそれ自身をさらに明確に形作る上で有効に働く要素を内蔵していた。法学が家計のゲマインシャフト、つまり後の stacio(店)や taberna (店、食堂)を、あるソキエタスが成立する上での契機としてのみ観察している過程において、それらのゲマインシャフトは次のようなやり方で解釈する必要があった。つまりそういったゲマインシャフトの実情を分析することによって、それが発達する主因を明らかにし、法学はその主因をソキエタスの特性として他のものから切り出して描写するという、そういうやり方である。

20)ペルージャの Petrus de Ubaldisの De duobus fratribus と、パドヴァの Franciscus de PorcellinisのDe duobus fratribus を参照せよ。

というのも法学者達が強調したのは、発達の主な原因を単に一緒に住むということに帰するのではなく、その一緒に住むことにより経営ゲマインシャフトを形成するという意図をもって行われている場合にだけそうするべきということであった。夫と一緒に住んでいる妻は、それについて Rota Florentina Dec. 65 は詳しく述べているが、それ故に夫と一緒のソキエタスの一員とは見なされない。何故ならばその夫婦の共同生活はまず第一には、共同の経営の実務を行うという意図以外の別の法的根拠に基づいているからである。同じ原則が一緒に住んでいる兄弟達にも適用出来る。その場合においても単純に一緒に住んでいる(cohabitatio)という事実は責任についての法的根拠ではなく 21)、その事実に共同の労働と共同の経営という意図が含まれていることが法的根拠なのである。法学はこの意図については、兄弟の間においてそれぞれが自分の勘定を持って精算するというやり方が存在しない場合が、その意図を裏付ける根拠と見なした 22)。以上のこと全てが連帯責任の考え方を識別する上での目印なのであり、これまで見て来たように、それらのことは観察対象とする実際の人々の生において実際に起きたことなのである。――この共同での経営の業務遂行ということがこの意図においての本質的な側面であったとしたら、この意図は外部からも判別出来るように適当なやり方で文書化されねばならなかった。

21)バルドゥスの Consilia IV 472:Cohabitatio non facit societatem. (一緒に住むだけではソキエタスの形成とは言えない。)を参照。

22)Petrus de Ubaldisの書籍のDe duobus fratribus の序文を参照。また Ansaldus de Ansaldisの Discursus legales de commercio Disc. 49 を参照。バルドゥスは Consilia V 482 にて兄弟間での societas omnium bonorum の成立を判定する標識として以下を列挙している:

1. coarctatio in una domo,(一つの家の中で密に暮していること)
2. commensalitas (vixisse communi sumptu),(生活する上で出費を共通のものとしていること)
3. lucrorum communicatio,(収入を共通のものとしていること)
4. defensio communis in litibus,(訴えられた場合は共同で対抗すること)
5. communio bonorum pro indiviso,(財産を分割しないで共有すること)
6. publica fama super societate omnium bonorum.(societate omnium bonorum の存在が公にされていること)

上記の条件(6番を除いて)のどれも、それ単体だけでは連帯責任が存在しているという仮定を産み出すには十分ではない。しかし一緒に業務に携わっているということは常に必須条件だったと考えられる。

バルドゥスは(連帯責任が発生する条件として)共通の「業務(negociatio)」23)の存在と、更にそれに関連して成員の誰もが、それが家族の一員であろうと家族以外の者であろうと、実際に業務に従事していたこと、そして「取引者(negociator)」として登場していることも必要と考えていた 24)。

23)注22の最後の部分を参照。

24)バルドゥスの Consilia V 125 (屠殺業者・肉屋のソキエタス);V172:ただ業務を行う能力がありかつ実際に業務に従事している者のみがソキエタスの成員と見なされた;I 19:ただソキエタスが成立する場合のみ経営というものは兄弟の勤労によってゲマインシャフトの中に現れる(III 30も参照);III 451:一緒に住むこと(cohabitatio)がではなく、しばしば行われる共同の行為(actus sociales frequenter facti)が(連帯責任発生のための)仮定を生じさせる。Petrus de Ubaldis の引用箇所 III, 2を参照。

論理的な帰結としての、利益はただこの経営においての業務遂行からゲゼルシャフトの中に入って来るもののみであるという考え方は、そこから直ちに導き出されることは、他の方法による利益は”Adventizgut”(本業外収益による異質な財産)と見なされるということである 25)。

25)バルドゥスの Consilia I 120 を参照。

更にそこから進んだ論理的な帰結となるのは、それ故にソキエタスの勘定に入れられる業務をまた形式上他の業務から区別しなければならなかった、ということである。そのような形式的な標識を当時の法学は契約書の文中にそれを発見した。それは単に”nomine communi”(共通の名前で)という章句であり、――形式的にまたゲマインシャフトの勘定に入れられるという意味にもなるが――その共通の名前で執り行われた業務がソキエタスの業務として関係付けられたのである 26)。その語句においては、委任という仮定と代表者の仮定の両方がその中に取り込まれていたのである。この標識を利用することによってその当時の法学は自らを再び実践的な方の発展の基礎の上に位置付けることが出来たのであり、その法の発展は、これまで我々が見て来たように、(連帯責任の原理を採用した合名会社の成立といった)同様の結果につながったのである。この最後のことが起きたということは、もしかすると部分的には法学者達の功績であったかも知れず、彼らの作業は放棄の編纂であるのと同時にまた、本質的な部分では司法上の実践でもあったのであり、そういった実践がこのような論理的な帰結を明確にして発展させたのである。

26)Petrus de Ubaldis の引用箇所 III, 2を参照。

国際的な発展に対しての法学研究の成果
ソキエタス会社

 引き続いて今まで述べて来たようなゲマインシャフトの単なる成立を根拠とする連帯責任は、ロマニステンの教義にとっては適当なものでなかった。何故ならば全ての新しい解釈の仕方にも関わらず、それはローマ法の法形式に正しく適合する現象ではなかったからである。バルドゥスはそれまで通用していた法に対して、連帯責任を実際に存在するものとして認めていた。しかしながらそれについての個々の司法的決定を通じて、明らかに次のような傾向を持っていた。それは当該の集団における委任や代表者という意図を証明することが益々困難になっていたことによって、当該のゲマインシャフトをひとまずはソキエタスと定義するが、しかしそれに付随する不人気の(連帯責任という)制度を可能な限り制限しようとする、そういう傾向である 27)。

27)Consilia V, 125, 402を参照せよ。

カルパノは自身のミラノの法規についての注解書の中で、次のことについて強い疑いを抱いていた。それは1498年の法規の第415章が、ある父親の息子に対する債権者のための父親の息子への相続財産分与義務に関しての規定であるが、それが神意に背いて人間が作った法であるのか(contra divina et humana jura sei)ないのか、という疑いである 28)。そしてカルパノはそのことにより、証拠の重視ということを正当化しようと試みるのであるが、それを彼は望ましいことと考えていた。

28)注釈aaa:というのは次のことは不自然と考える。ある者が自分がまだ生存中に息子に対して遺産相続を行わなければならない、ということは。

1502年の法規の第481章の、相互に別れないで一緒に住んでいる兄弟に関しての箇所について、カルパノは次のように注意している。つまりそのような(連帯責任を持った)ゲマインシャフトについては十分に注意を払う必要があると、それはあたかも「丁度火に対してそうするように 29)」、というのもそうしたゲマインシャフトは全ての関与者を場合によっては破滅に導くこともあるだろうから、としている。

29)注釈b:このようなソキエタスやコミュニティからは身を遠ざけるべきである、丁度火から身を遠ざけるべきであるように。

いずれの場合においても、このような法学的な把握は次のことに対して強力に影響を及ぼした。つまり(相互に)責任を持つソキエタスの成員達とそういう内容のソキエタス契約の特性が、そういう性格を示すものとして契約の中で使われた名前への参照と言及によって確認されるということと、こうした名前による識別、つまり「ソキエタスの名前で」(nomine societatis)契約するということが、個人の債務からソキエタスの債務を区別する上での最も確実な標識になったということである。そのことはある時間の間継続的な意義を持っていた。というのも責任についての古くからの基礎:つまり共通の家計、共通の店(stacio)、工房(bottega)、店・食堂(taberna)が国際的な取引きにおいて、その存在意義を失った際に、いまや別の標識がソキエタスに何かの責任を負わせる契約と、その契約によって責任を負うことになる個人にとっての必要物になったのであり、それによって法学における予備的な仕事は実際的な意義を勝ち取ったのである。その意義においては次のような原則が採用されていた。つまり、ソキエタスの勘定に算入される業務だけがソキエタスの成員達に関係付けられるのであり、法的な構成を行う場合には、そういった業務はさらにソキエタスの全員を一つにまとめた集合体として、つまり一つの corpus (身体)として擬人化し、最終的には次のような慣習法が確立するに至った。その慣習法とはつまり、その種の業務の契約の際には、全てのソキエタスの成員の個別の勘定に関係する形で契約するのだということが特別に強調され、そしてそれ故に当該のソキエタスは外部に対しては全てのソキエタスの成員の名前を包含する集合的表現 30)としての一つの総体として、つまり本来の意味の商号(Firma)として立ち現われることとなった、――というものであり、――そしてそういう業務は今度は次のような論理的な帰結を導き出していた。つまりある業務の関係者はある集合的な名称を受け入れ、そしてその名前において契約を締結する。ある者がいて、その名前が集合的な商号の中に包含されていると見なされる者は――”cujus nomen expenditur”(その者の名前が載っている)――連帯して責任を負うソキエタスの成員とされるのである。集合的な商号の名前を使って締結された契約こそがソキエタスの契約であるとされたのである。

30)”Corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”(複数の名前が融合している神秘的な体)、先に引用した Dezision der Rota Genuensis を参照せよ。

31)商号については Dietzel《Gustav Dietzel、1827~1864年、ドイツの法学者》の論文、一般法年鑑の第4巻と、本論文の第3章の注70を参照せよ。

以上のような原則についてと、それによって合名会社と合資的関係を明確に区別するということは、実際の所(法制史から)商法の領域に足を踏み入れてしまっており、それについてはここで見て来た通りである。そしてこれらの考え方が実際に行われるようになったということは、私見ではあるが、やはりまた法学の貢献の一つであり、その貢献の中で法学は同時代の既にあった法との関係において、この章の冒頭で見て来たようなこうした新しい会社形態の法的把握についてある種の制限を含めていたのである。法学はこの論文で取り扱って来た法的制度(会社)の経済的意義と歴史的な発展に対してはほとんど関与していなかったが――しかしそういった法的な把握は間違いなく存在していた――従ってこの部分についてのボローニャやパドヴァの大学で法学の予備教育に従事していた法学者《バルドゥスのことと思われる、原文は「予備教育を受けていた」であるが、バルドゥスはこの2つの大学で教えていたのであり、学生として学んではいない。》の評価については、正当なものとしては、控えめにしておくべきものであろう。――しかしながらローマ法の法的思考の新しいものを解明する能力は、法とはある意味まったく異質な領域でもまたその真価を発揮したのである。以上のようなことを明らかにすることが、先に描写して来た法学文献の概観の目的であったが、これらの文献についてほぼ完全にそう出来たかという点と、あるいは法教義の歴史的発展について全体で明らかにすることが出来たかと言う点については 32)、残念ながらまったくそうとは言えない。

32)これについてはEndemannによる研究によって、より包括的に行われている。ただバルドゥスのConsiliaの扱いは彼の研究した法教義の意義との関係においては上手く行っていない――この研究では、特にConsiliaの傍注とそれに関係した部分が無視されている。

ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年法
発展の結着

 こういった法科学《法制史の分野では、法教義学中心の伝統的な法学と、法科学は区別される》の仕事の成果としてもっとも完全な形で表に現れて来たのはジェノヴァの控訴院判例集であり、それは学識経験者による判事で占められた裁判所 33)によるものであり、その判例集はその当時疑い無く国際的な価値を認められていた。

33)Statuten v. Genua v. 1588/9 1. I c. 7によれば: constans ex tribus doctoribus exeris. (常に3人の外部から招聘された博士から成る)を参照。《exerisをexterisとして解釈。この綴りの変更は全集の注による。》

ジェノヴァにおいては、そこは合資会社の発祥の地の一つであるが、既に見て来たように、会社法の実務において焦眉の急の問題であったのは、合名会社を合資会社関係から、つまりは個人的に(無限)責任を負うソキエタスの成員(社員)を有限責任社員から区別することが不可欠だったということである。実際の所この区別は厳密に行われていたのである。特にパラヴィチーニ家とグリマルディ家《共にジェノヴァの名門28家の一つ、特にグリマルディ家はモナコの支配者として有名》の間で何百万リラという巨額の金額について争われた大規模な裁判(Decis. 14)においては、控訴院は原則的に次のことを強調する立場を取った。つまり、商人達がソキエタス関係にある場合において、Institorat(代表者)の仮定というものはまったく成立していないということを。(このことは Bartolus 34)《Bartolus de Saxoferrato、1313または1314~1357年11月より前、ペルージャ生まれの法律家でバルドゥスの先生》の主調には反しているが)しかしながらその反面次の場合については特に強調はしていなかった。つまり、契約に沿った形である一人のソキエタスの成員のみが事業の管理権を持ち、事業において彼のみが外部に対して契約者として現れる場合、つまりそれ故に契約は他のソキエタスの成員の名前を含めた形では行われず 35)、そして第三者である契約の相手方は、”nicht “fidem eorum secuti sunt”” 36)(ソキエタスの他の成員の信用を求めていなかった)、それはつまり契約する者の信用がソキエタスとしての信用を担保するものではない、そういう場合である。そのためにあるソキエタスの成員で、自分の名前にて契約が締結され、更に彼自身の判断で他のソキエタスの成員達の名前を含めた形で契約を締結する権利を持つ者、そういう成員のみが合名会社の(無限責任)社員である。ソキエタスの名前で締結された契約のみが他のソキエタスの成員、つまり”quorum nomina expenduntur”(その者達の名前が載っている)、に関係付けられ、それらの成員達は契約を締結した者の特別な事業の従事者となる 37)。ここにおいてソキエタスの成員の周知の二重人格性《ソキエタスの契約に拘束される「社員」としてとその者自身の個人としての二重性》が現れて来るのである。

34) Decisiones XII no. 67以下を参照。

35)前掲書、no. 48を参照。

36)前掲書、no. 97を参照。

37)Decisiones 7を参照。

38)前掲書を参照。

 これらの新しい内容の法については、控訴院が強調したように、それは一般法から派生したものであったが、1567年の法規がまだ何もそれらを含んでいない一方で、1588/89年の法規はそれらを取り入れていたのである 39)。

39)De societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l. 2.): Socii sive participes societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in solidum pro omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu societatis.
(商人達のソキエタスまたは事業について(第12章、の引用箇所):ソキエタスの成員またはソキエタスあるいは何かの事業についての出資者で、その名前がそこにおいて記載されている者は、全ての業務と全員そして個々のソキエタスまたはその事業に対しての債権者(達)に対して連帯して責任を負う。)

 Socii seu participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in aliquo obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et beneficia …
(ソキエタスの成員または出資者で、その名前が記載されていない者は出資者の出資金を超えた何かの債務、あるいはその者がソキエタスの共通資金の中で分担している金額を超えた債務について責任を負わないとされる。しかしそれにも関わらず、そういう者達は出資(分担)の割合に応じて(事業による)利益とその他の便益を受け取る…)

 Creditores hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum, sive plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur quibuscunque aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio nomine, et in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint potiores et anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et praeferri debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel quondam suam praetenderet.
(この種の債権者達は、ソキエタスまたは事業を、あるいは一人の者の名前によって全部のまたは複数の成員を…(債権者達は)商品と財産において、ソキエタスまたは事業に対して、ソキエタスのどの成員一人への債権者よりも優先権を持つ。出資者自身の名前によるかあるいは他の名前によっても、前述の商品と財産において、債権者は次のように見なされる。つまり抵当と特権において他の債権者よりも上位にあり、かつ時間的にも(破産の際の)先取り特権を与えられている。それ故に嫁資や他の何か別のものについても優先されるし、また優先されなければならないが、例外としてある者がその者個人の所有物としている商品と、または前からその者の所有物と見なされる商品を除く。)

 De accommendis et implicitis (cap. 13 の引用箇所).
(委託された(コムメンダ契約で)ものと、関係者について(第13章、の引用箇所))

 ここにおいてより古い時代のジェノヴァの法規のコムメンダに関する規定は、特に興味を惹くような変更は無く、繰り返されている。その中には債権者の先取り特権とコムメンダ契約で委託された商品についてのソキエタス成員に対しての規定も含まれている。

そこにおいては発展の成果が次のような形式で法として形作られていた:
 1.何人かの人員から成るソキエタスで、そのゲマインシャフトとしての名前の下である業務を営み、そこではソキエタスの成員がソキエタスの債権者達と彼ら相互に対してのみ連帯責任を負っている形態(合名会社)。
 2.何人かの人員から成るソキエタスで、ある業務をソキエタスの名前で営み、別の者は出資を通じてそのソキエタスに関与するもの。後者の責任は個人として(無限責任を)負うのではなく、その出資額を上限とした責任(有限責任)に限定される。Rota von Genua のDecis. 14、それはこの種のソキエタスについて規定している箇所であるが、それによれば次のように見える。つまり、ただ出資しただけのソキエタスの成員がまた事業の遂行のやり方についてある程度の影響力を持っていたということであるが、そうでないとしたら次の問いは成立し得ない。つまり事業を遂行するソキエタスの社員(is qui complementum dat、{ある者で何からの補完を行う者《例えば資金が不足する場合の追加の出資など》} — Decisiones Rotae Genuensis 18、 — 無限責任社員)が有限責任社員に対しての管理者(Institor)として観察することが適当かどうかという問いである。そこには次のことの名残りが見られる。つまり元々は有限責任社員こそが、無限責任社員ではなく、本来の企業家と見なすべき存在だったということである。この形態は明らかに合資会社である。

 この2つの会社形態の双方において、我々がこれまで確認して来た意味でのゲゼルシャフト(会社)の財産が成立している。この法規の第12章のI.IVと古い時代の法規の編集(Statuta Perae 207)を比べてみると明らかに、前者の法規は後者の法規にある付加規定を拡張したものを含んでおり、さらに第12章の当該の部分を読むと、次のことについては全く疑問の余地が無い。つまりそこで記述されているソキエタスで連帯責任が無いものは、ソキエタス・マリスの発展したものであるということである。古い時代の一方向的なコムメンダは次の章にて扱われている。そしてその最後の部分から明らかに分ることは、そういったコムメンダは手数料ベースの委託販売になったということである。それ故に古い時代の統一された法的制度であったコムメンダは、次の二つの方向へと分かれて発展した:一方ではソキエタス・マリスを経由して合資会社に、もう一方は手数料ベースの委託販売へと 40)。

40)Lepa《第2章の注12の訳注参照》の商法雑誌の第26巻のP.438以下の記述と比較せよ。ただ私の印象では、Lepaは手数料ベースの委託販売の利用が始まったのが更にもっと古い時代と考えているように思える。古い時代のトラクタートル(Kommendatar)については手数料ベースの委託販売人とは見なすことは出来ない。トラクタートルは、先に見て来たように、委任する側(ソキウス・スタンス、Kommendanten)の非独立の器官であるか、またはそれより後の位置付けでは、自身が企業家であり、委任する側の資本を自分自身の業務においての投資としてだけ利用したのである。(コムメンダにおいてトラクタートルが取る)1/4の利益配分を手数料として理解することはまず無理であり、いずれの場合でも第2章の説明を通じて確からしく思われることは、こうした見解は当時の人々の理解とも合致していないということである。Lepaは手数料ベースの委託販売人もまたソキエタスの成員として考えていた。そしてソキエタスの業務を海外との取引きに限定していなかった。コムメンダから手数料による委託販売が分かれるのはもっと後の時代であるが、ここではそれについて立ち入るべきではない。しかしながらコムメンダと委託販売の対立ははっきりしたものでは全く無かった。

それというのも、第12章の該当する部分において、我々が仮定しているように、古い時代においてのコムメンダの場合に存在していた萌芽が発展して形作られてたゲゼルシャフトの特別財産が合名会社と合資会社において同じように利用されており、そのためここにおいては次のことが明らかになったように思える。それは前述の箇所で可能であると主張したように、コムメンダ関係における特別財産の形成が、合名会社におけるゲゼルシャフトの特別財産の発展と形成の仕方を同様に採用することで行われたということである。――ジェノヴァの法規の1598/99年版についてここでさらに詳しく述べる。まずそれは合資会社と合名会社の対立について特別に明確なやり方で並置して扱っており、それからその法規については法学の影響が明らかであるので、そこにおいては普通法の応用としての合名会社についての規定が、それが先の場所で説明されていたように、明らかに採用されているのである。その他の点については、この研究は後は次のことを確認すれば、終着点に到達したと言えるであろう。それはここで扱って来た諸制度について地方の諸法規において次の点にまで追いかけたかということである。その点とは、まずは科学の土台の上で国際的な法形成の発展が起こり、そしてその法形成が地方の諸法規の成果を取り入れ自らの手柄としたという点である。そしてその後、このような国際的な発展の成果がそれ自身として、今度は近代的なより広範囲の地域においての立法につながる端緒をどのように見出したかということは、もはやこの論文で扱う範囲を超えている。

結論。得られた成果の法教義学的利用の可能性。

 これまで行って来た考察の成果の法教義学的かつ法実務的な意義を問われた場合には、まず次のことが確認されなければならない。それはこのような考察についてそのような意義をある程度はっきりした形で切り出すことは出来ないということである。このことはもしかすると次の場合にはまた違った対応になるであろう。つまり、もしこの考察から次の問いへの答えが得られるとしたら、その問いについてはここでは提示されるだけで今すぐ答えを出すべき筋合いのものではないが、その問いとは合手制度とこの考察で合名会社の発生の基礎としてつきとめられた諸制度との関係はどうなっているのか、ということである。この問いは提示自体はされなければならない。何故ならば、周知のように、顕著な特徴から 41)合手制度は合名会社が成立する上での基礎として扱われるし、その場合さらに、つまり問いは事実においてはまず次のように言い換えられねばならないとされるからである: 合名会社は歴史的かつ法教義学的に合手関係なのか、あるいは何か別のものなのか?それからさらに問われるかもしれない、(もしそうだとしたら)それは一体何なのか?この問いについてはここでは種々の理由から答えを保留とせねばならない。まずは、この問いは何よりも用語論的なものであり、そこでは合手の概念を債務関係に適用する場合には、周知のように全くの所ただ契約する者の communi manu (共通の手=合手)だけに限定されていない。《ドイツ民法では合手の概念は組合、夫婦財産共同性、共同相続関係などの「共有」の場合において使われている。》――このドイツ法におけるある制度に関しての用語法の問題をローマ法の領域に持ち込んで結着を付けることは出来ない。同じ制度がしかし次の場合では問題無く扱うことが出来、今の問いに対しては満足な答えが与えられるであろう。それは更に新たに抽出される問いとしてであり、つまりここにおいて法制史上の合名会社の先祖というものを、イタリアのおいて見出し得ていた色々な制度について、その概念の中に当てはめて見て問題が無いかという問いである。この最後の問いは完全にゲルマン法上の問題であり、そしてもし我々が次のことについての研究の工程の中で、つまり我々が追究した法的制度の発展についてゲルマン法の考え方がその程度まで影響力を持っていたのか、それともまた何か別の起源を受け入れるべきなのかという研究の過程において、決して些末ではない何かの手がかりを得ていたとしたら、そうだとしたら次のことは是認されないであろう。それは純粋にドイツ法の土台の上において、何か(合名会社に)平行して発展したものが無かったかどうかという確認を行うこと無しに、ここでの問いに対して何か確固たる判断を行うことである。どの程度までドイツ法が関与していたかを確認していない場合はしかしながら、ここで扱っている諸制度のドイツ法の合手の考え方との関係についての論述は暗中模索の状態に陥ってしまうであろう。というのもこのドイツ法の関与の程度という問題は対象としている法制度の法教義学的な詳細な議論に入った瞬間に、直ちに燃え上がってしまうであろう。そのためそういった詳細な議論はドイツ法の領域に属する同種の制度についての調査と分析を行うまでは差し控えることになる。――そのような同種の制度が存在していることは、第3章の注14aで引用したザクセンシュピーゲルの箇所が示している。こうした調査と分析はしかしながら、また別の観察として留保しなければならない。

41)ギールケゾーム、そして何よりもKuntzeの商法雑誌の第6巻収録の論文を参照せよ。

 その研究を留保する代わりに、別の方向においての成果を確認することが出来るかもしれない。(この論文で行った)歴史的な観察により、合名会社と合資会社については二つの別のものとするのではなく、原則的には同じ土台の上に構築されたものであり、単に会社形態の分類において別のものと扱うことが出来ると言える。特別財産は二つの制度に共通しており、しかしその発展の仕方については二つは全く異なった出発点から始まってそれぞれの状態に至っているのであり、そして更に述べれば財産処分能力を持っているということは、ただこの二つの形態にのみ備わっているのではなく、確かに非常に本質的な特徴ではあっても決してまず第一に他からの判別に使われるべきような特徴ではない。財産処分能力はただゲゼルシャフト(会社)形成の基礎の法学的な性質として見られるものであり、それはこの二つの形態でそれぞれ根本的に異なっているのである。合資会社は合名会社と比べた場合、その発展の経過はまったく異なっていた。合資会社の有限責任社員においてのいわゆる「責任」は合名会社の(無限責任社員の)それと並置することはまったく出来ず、合名会社のそれの緩和と制限として理解される。というのみ歴史的な発展に従って考察する限り、「有限責任社員の(無限)責任」について語ることは全くもって正当化され得ない 42)。

42)Endemann《下線は訳者が追加》のハンドブック第1巻中のラスティヒの論文とも比較せよ。

有限責任社員は「責任を負う」のではなく、その資本を用いて利益及び損失(の機会に)参加するのであり――それこそがイタリアの文献史料においての理解であるが――その利益と損失はその有限責任社員にとっては他人の行った業務の結果であり、それ故にその者が投資した資金は(会社が)第三者への支払いを済ませた後で(deduct aere alieno)のみ返還請求出来るのであり、更に会社の債務の返済の原資として使われてしまう性質のものであった。合名会社はソキエタスの成員の総体としての財産権上の人格性を保持しているが、有限責任社員の(全体としての)財産権的な人格性というものは、合資会社におていは認められていなかった。合資会社の信用の基礎は合名会社のそれとは根本的に異なっていた。合名会社を総体としての人格性を持ったゲマインシャフトと表現する一方で、合資会社は(有限責任社員)の参加の関係として構成することが出来る。