「中世合名会社史」の日本語訳について既訳分

中世合名会社史の日本語訳ですが、個々の記事だとトップページから辿るとテキストの順番が逆になって見にくいので、これまで作業した分を先頭から並べたものを見られる方の便宜のため公開します。このページにおいても日本語訳はまだ暫定版に過ぎず、今後何度も何カ所も変更される可能性があります。また最初に個別記事で発表したものとフォーマット等で若干変更している場合があります。
《》内は訳者注です。原文でのイタリックは、この日本語訳の中では下線に変えています。
最終更新:2020年1月19日 日本語訳第12回目まで。
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マックス・ヴェーバー

中世の合名会社の歴史について
南欧の史料に基づいて

枢密法律顧問官のゴルトシュミット教授に感謝と畏敬の念をもって献呈す。

内容目次

序文 142
Ⅰ. ローマ法と今日の法 研究の工程 144

ソキエタスと合名会社 144
ローマ法におけるソキエタス 145
近代法における合名会社 147
ローマ法の根本原則の変遷を示しているという条項について:
1) D.63 §5 pro socio (あるソキエタスの成員の他の成員に対しての{権利}) 152
2) D.44 §1 de aed[ilicio] edicto (アエディリス{按察官}の布告について) 152
3) Argentarii (銀行家) 153
4) マラカ《スペイン南岸のフェニキアの植民市で後にローマの同盟市》法 C.65 153
ローマ法についての考察の結果としての否定的な結論 155
研究の工程。経済的見地と法的見地の関係 155

Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタス

1) コムメンダと海上取引における諸要求 157
西ゴート法典と海上取引 158
コムメンダの経済上の諸原則 159
コムメンダのソキエタス的性格 163
コムメンダへの参加者の経済的な位置付け 163
2) ソキエタス・マリス(海のソキエタス) 165
ソキエタス・マリスの法的性格 166
経済的な意味 168
3) コムメンダ関係の地理的領域 170
スペイン 170
シチリア、サルディーニャ 172
トラーニ、アンコラ 172
アマルフィ 172
ピサ 173
ヴェネツィア 173
ジェノヴァ 174
4) 様々な海上取引関連ソキエタスの財産権法上の扱い 177
ソキエタスの基金 177
固有財産形成への萌芽 179
ソキエタスの責務 180
ソキエタスの成果 181
5) 陸上コムメンダと合資会社 182
陸上コムメンダ 182
合資会社の萌芽、ピアチェンツァ 184
陸上コムメンダの意味 188

Ⅲ. 家族と労働ゲマインシャフト

生計を共にする家族経済 190
家族経済の財産法上の帰結 191
諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト 195
財産法的発展の行程。構成員の相続法。 196
家族外での家計ゲマインシャフト 201
手工業者のソキエタス 201
これらのゲマインシャフトの共通の土台 203
共通の特質 205
1) 男性socii(ソキエタスの構成員{複数})への制限 205
2) 不動産の除外 206
財産関係における変化 206
第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係 208
家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係 210
ゲマインシャフトにおける責任についての二重の意味 211
1) 共有財産についての責任 211
2) 構成員の個人責任 213
家の構成員の責任の源泉と発展 216
諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説 218
スペイン 218
ヴェネツィア 222
その他のイタリアの地方における法規 226
非独立構成員の責任 229
家ゲマインシャフトにおける相続時の財産分与義務 232
個人債務とゲマインシャフトの債務 237
家族以外での連帯責任。共通のstacio(業務、仕事) 237
個人債務と業務上債務 238
ゲゼルシャフトにおける共有財産 240
家業ゲゼルシャフトと手工業ゲゼルシャフト 245
合名会社の特質とソキエタス契約 247
出典 250

Ⅳ. ピサ。Constitutum Usus 《1161年に編纂されたピサにおける法令集》におけるソキエタス法 253

Constitutum Usus 253
Constitutum Usus の領域 255
Constitutum Usus の条文の性質 257
ソキエタス法的な内容:
Ⅰ. ソキエタス・マリス 257f
法的な区別。船長の意味 258
ソキエタス・マリスの財産法 261
固有財産 261
1) 個人債権者との関係 262
2) ソキエタス構成員の会社資本金への拠出 262
3) 会社の債権者への拠出 263
4) 会社財産の範囲 263
ここまでの成果 合資会社 264
Ⅱ. 固有財産の無いソキエタス。Dare ad portandum in compagniam 265
Ⅲ. 固定配当金を持ったソキエタス。Dare ad proficuum maris 267
ソキエタス法に対する高利原理の意義 269
Ⅳ. 海上ソキエタスと家族ゲマインシャフト 272
海上ソキエタスの家族連合における起源についての推定 273
家族ゲマインシャフトの特性 274
ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト 276
Vita communis 《共通の生、同じゲマインシャフトの中で生きる人々》:
1) 前提条件 277
2) その影響 278
Societas omnium bonorum 《構成員全員の善意に基づくソキエタス》 280
ピサにおける連帯責任原理 280
Ⅴ. Compagna de terra 《陸上のCompagna=イタリアでソキエタスとコムメンダから発展した会社の原型》21
合名会社と合資会社の原理上の違い 283
ソキエタスに関する文献類 284
成果 286

Ⅴ. フィレンツェ 287

フィレンツェにおける産業上の財産 287
Ⅰ. 成文化された資料:発展段階 288
A. 会社の連帯責任についての血縁関係の意味 289
家族とソキエタスの類似性について 291
1) 仲裁裁判 291
2) 責任と相続分与義務 292
3) ソキエタス構成員の個人的関係 293
4) 家の息子と雇用人 294
家族ゲマインシャフトのソキエタス的性格とソキエタスの家族的性格 295
B. ソキエタスの財産法:ソキエタスの債務と個人債務
ソキエタスの債務の徴表:
1) 会計簿への記帳 296
2) ソキエタスの名前での契約
ソキエタスの財産に対する差し押さえからの個人債務者の除斥 300
Ⅱ. 諸文献:アルベルティとペルッツィにおける商業簿記 302
家計ゲマインシャフト 302
ゲマインシャフトの土台としてのソキエタス契約 305
資本金と各ソキエタス構成員の出資 305
各ソキエタス構成員のゲマインシャフトの外部での固有財産:
1) 不動産 306
2) 個人の動産 306
1336年のアルベルティ家の相続協定 308
成果 311

Ⅳ. 法的文献、結論 312

法的文献とそのソキエタスへの関係 312
1) 合資会社関係 313
2) 合名会社:
a. 固有財産 315
b. 連帯責任。強制的な仮定と代表者(Institorat)の仮定 317
連帯責任の実質的な根本原理との関係 320
国際的な発展についての法学研究の成果 ソキエタス会社 323
ジェノヴァのロタにおける諸決定とジェノヴァの1588/9年法 発展の結着 326
結論 得られた成果の法教義学的利用の可能性 330

文献一覧表 333

序文

 法教義学的には、ローマ法のソキエタスと近代商法における会社形態の中でもっとも重要な集団との、特に合名会社との原理上の相違点については、しばしば詳細に論じられまた十分に解明もされてきた。法制史上では、そうした会社形態の近代的原理の発展は、地中海沿岸諸国、とりわけイタリアの諸都市国家における、交易を主体とした生活の中から生まれて来たのであり、それらの会社形態の原理は国際交易の上で実用的に必要なものとして把握され、その主要な特性としてこれまで解明されてきたのである。

 しかしながら、特にそれらの会社形態の初期の発展段階において、個々の事例において法形成がどのように行われてきたのかということ、つまりまったくの新たな法的思考が、日常の中でたちまち幾倍にも膨れ上がっていく様々な必要性の中から成長していき、やがて商慣習へと進化し、そこからさらに商業における慣習法としてまで認められるようになったのかということと、さらには現在において存在する各種の法律上で定められた団体が本当にその中から発展してきたのかどうかという事実の確認と、またどこまでそう言えるのかという程度の問題は、現在においても多くの場合で、完全に疑いのないレベルまでは解明されていない。というのもラスティヒ 1)《Gustav Lastig、1844 – 1930、ドイツの法学者、商法の発展を商業の種類が拡大されてきた歴史に求める歴史学派で、ゴルトシュミットのライバル的存在》によって(執筆計画が)発表された(商事)会社についての包括的な著作は、既に発表されている部分の記述によれば、我々には入手が不可能である多数の文献史料に基づいて執筆されるのであるが、その完成はまだかなり先の話である。《全集版の注によれば、ラスティヒ自身が少なくとも30年はかかると発表時に述べているとのこと。実際に最初の構想の発表は1878年で、最終的に完成したものが発表されたのは1907年であり、29年後である。》そのことがこの論文での試み、つまりまずは既存の諸研究に関連付け、出版された文献史料に基づいて商法の発展における本質的な諸契機についてのより具体的なイメージを得るということを、よりいっそう試みる価値のあるものとすると言うことが出来るだろう。私の方で入手可能である文献史料については前述の通りの状況であり、従ってこの論考で得ることの出来た結論それ自体が、その主要な点において、私には入手不可能だった史料、とりわけ手書きの史料によって本質的な訂正が行われてきた、といったような幻想はまったくもって成立し得ないのである。2)

 これから述べる研究は、ベルリンの枢密顧問官のゴルトシュミット教授のゼミナールにてある時に提出された筆者の論文を拡張し改訂することから始まったものである。その内容としては、(単に)合名会社の歴史としてではなく、(商事)会社全般の歴史についての貢献として捉えるのが正しいであろう。この論文ではただ一つの財産法上の制度として、合名会社だけでなく合資会社をも包含して解明するということを試みている。確かに私はこの二つの会社形態を同一のものとして統合的に把握することが可能であり、更にまたその二つの差異をも歴史的に明らかにすることが出来ると考えている。この論文で利用するのは、前述したように印刷史料のみであり、それも利用出来たのはベルリン図書館収蔵のものと、枢密顧問官ゴルトシュミット教授の個人所有のもののみであり、後者は教授がご親切にも参照を許可してくださったものである。従ってこの論文の数少ない成果としての新たな観点となり得るのは、おそらくこれまでの知見の訂正と各概念の境界をより具体的に定義し直すことであろう。

1) その論考は、商法雑誌の第34巻に収録されており、これから続く研究への出発点として構成されている。《英訳の注によれば第34巻はヴェーバーの引用ミスで正しくは第23巻と第24巻。Zeitschrift für das Gesamte Handelsrecht, “Beiträge zur Geschichite des Handelsrechts”, 1878年と1879年》

2)この理由から、史料批判についても以下の論文では断念している。
(手書き文献資料等の)写真については、印刷された入手可能な資料の中に収録されているもののみを、論述に利用している。

ローマ法と今日の法
研究の工程

ソキエタスと合名会社

 以下の研究において、まず第一にどの法規を取上げるべきかという問題は、ローマ法のソキエタスと現代法の合名会社の本質的な対比を思い浮かべるならば、容易に明らかになる。

 二つの概念の対置には、それによって二つの実際的な比較を行うことが出来るように、二つの概念間の境界をより詳細に解明することがまず必要である。

 合名会社とローマ法のソキエタスとは一般には決して簡単に対比させることが出来ない。何故ならば合名会社はソキエタスに対してはまずはその特別な場合を意味するからである。それ故に合名会社とソキエタスは対比ではなく前者が後者のある一つの場合としてのみ比較され得るのであり、その特定の場合のソキエタスは今日の合名会社と同様の諸目的を達成しようとするのである。-こういうことを断るのは、ローマのソキエタスの概念の一つの特徴はまさに、様々に異なる現実の諸形態に対してそれぞれに異なる法規定を適用するのではなく、汎用的に適用出来るある概念上の法的なテンプレートを意味せんとするからである。

 故に合名会社は本質的にはまず第一に商業上の営利の目的のために存在するのであり、さらには(ドイツ)商法典第85条に規定されているように《訳者注①》、いずれの社員も出資財産に対する責任を制限されず、結局は「当座(的な)組合」に対比されるものとして、つまりはその目的を継続的な共通の営業活動を行うことに置き、個々のその時々の業務についてのみ共同作業を行うのではない形態として、-そういった理由からこの論考では合名会社をローマ法のソキエタスの特別な形態に相当するものとして、ソキエタスと同一の尺度で評価出来るように概念化するであろう。
 続けて、ソキエタスと同名会社の違いは本質的には例えば次のように定式化される:

ローマ法におけるソキエタス

 ローマ法によれば、この種のソキエタスは、当事者間での契約の締結により、相互にそのソキエタスの目的の遂行に必要な行為を強制するという義務を生じさせる。その義務の個別の内容は、我々の考察対象においては以下のようなものである:《列挙の番号は訳者追加》
1. ソキエタスの各成員が労働力を、また必要に応じてソキエタスの目的の遂行に必要な資金を提供するということ。
2.あるソキエタスの成員に対して、契約によりその成員がソキエタスの目的に適合するべく負わされた責任の程度に応じて、ソキエタスを精算する際にはその程度割合に応じた分け前を与えること。
3.契約に従ってソキエタスの各成員が立て替えた金銭が、同じくその成員に返金されること。
4.ソキエタスの目的に沿った業務を遂行していく上で、ソキエタスの成員全員に対して生じた債権については、それぞれにその出資割合に比例して(pro rata)配分すること。
5.利益を各成員に配分すること。
6.当該の業務により獲得した物権を特定のソキエタス成員に与えること。

 処分可能な現金をソキエタスの共通の勘定(arca commnis)に入れておくこと、つまりソキエタスの目的のために行われた業務などから発生した所得を、取り敢えずはその勘定に入れておくようにすることは、望ましいと言えるであろう。次にあるソキエタスの成員で、当該業務の必要から何らかの支払いをしなければならなくなった場合、その勘定から現金を引き出し支払いに充てることが、その成員の権利でありかつ義務とされる。その勘定の実際の中身は、その成員のソキエタスへの出資分に比例した財産として成立し、単に精算方法を簡略化するということと、その都度それぞれのソキエタスの成員が出資分に比例した支払をする手間を簡略化するのに役立っている。その勘定の中に見出される現金準備においてのその成員の割り当て分については、他の成員の分についても同様にその成員の個人財産の一部なのであって、その成員に対しての債権者は直ちに合法的に差し押さえすることが出来る性質の財産である。第三者は、ただお互いに義務を持った成員間の関係の複合体としてのソキエタスにはまったく接点を持たない。-あるソキエタスの成員がある業務をソキエタスの名前で第三者と行う場合、それは個人の名前で行われる業務と、その法的効果についてはまったく何らの差もないのである。もしソキエタスの名前で行われる業務で損失が発生した場合には、外部に対してはその損失はただその損失と直接関わった特定の業務を執り行ったソキエタスの成員の損失とみなされ、その損失について、ソキエタスに対しての当該成員の取り分への賠償請求権は、よって確かにその担当の成員の個人財産に対して有効なのであり、このような請求権は個人へのものとして破産財団の借方勘定に入れられる。その場合の破産債権はただ個々のソキエタス成員の財産に対して、その個人と契約した債権者という関係でのみ成立し、その債権者が時には同じソキエタスの他の成員という関係である場合もある。特に例えばこの「ソキエタス財産」に対して宣告された特定の破産の管理可能な財産になり得るような共通勘定(arca communis)やソキエタス契約に沿った形で作り出された物権といったものは存在しないのである。そういった破産というのはナンセンスであろうし、その破産が(管理の)対象とすることが出来るものは存在し得ないであろう。というのも、この「ソキエタス財産」に帰属するすべての財産は、比例配分により分割された共有財産の個々の対象物をまとめた全体とまったく等しいのであり、それらの個々の対象物はまた同時に個々のソキエタスの成員のソキエタス財産とは別の個人財産の一部でもある。-それ故にそういった破産は単に破産請求権を持つ主体についてだけではなく、同時にまた自分が占有しようとしている破産財団の財産という客体=対象物についても、いたずらに存在しないものを追い求めているのと同じであるからである。

訳者注① Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch (ADHGB)
1869年制定、第85条の規程は以下の通り。”Eine offene Handelsgesellschaft ist vorhanden, wenn
zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter gemeinschaftlicher
Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter die Betheiligung auf
Vermögenseinlagen beschränkt ist.
Zur Gültigkeit des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen
Abfassung oder anderer Förmlichkeiten nicht.”

(日本語訳)
合名会社とは以下の場合に成立する。
2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責任を制限されない。
会社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。
《その契約を第三者に対抗出来るようにするには合名会社の商業登記が必要である。》

 これに対し合名会社の構成は、ソキエタスに対してはっきりとした違いを見せる:
そのような合名会社の存在は、まずその作用をソキエタスの成員同士の関係に限定して及ぼすのではまったく無く、むしろそれは第三者にとって無視することが出来ない一つの事実となるのである。ゲゼルシャフト(会社)の契約が、ある決められた割合でソキエタスのある成員に権利を与え、かつその成員を「ゲゼルシャフト(会社)の」名前で行う業務に従事させる場合、全ての社員(Gesellschafter)はその業務に直ちに拘束されるのである。第三者であって、そういったゲゼルシャフト(会社)の業務において契約しその結果債務を負う者は、また(直接契約に関わった成員以外の)他のソキエタスの成員をも契約の当事者として認め、その成員が「ゲゼルシャフト(会社)の名において」債権全額を保持していることを認めなくてはならない。逆にその第三者が(そのゲゼルシャフト{会社}に対して)債権を持つ場合、直接の契約相手に対してだけでなく、他のソキエタスの成員も全額の債務を負っているとみなすことが出来、さらに「ゲゼルシャフト(会社)」そのものについても、会社資産における債務としてそれを負っているとみなすことが出来る。こうしたゲゼルシャフト(会社)の財産は、本質的で特徴的な要素として、あるソキエタスの成員の法的な取扱いの効果の点で、債権者(借方)としても債務者(貸方)としても契約の当事者であるソキエタスの成員個人を超えて影響力を持つということと密接に関係している。そしてそういったソキエタスの成員個人を超えた法的取扱いの効果については、ある一人のソキエタスの成員が執り行った全ての業務について及ぶのではなく、ただ「ゲゼルシャフト(会社)の名において」執り行った業務のみに対してのみ及ぶのであるから、あるソキエタスの成員が執り行った業務の結果としての義務的な関係は、その成員がただ自分の名前で執り行ったのか、また「ゲゼルシャフト(会社)の名において」執り行ったかによって全く違った意味を持つのである。その一方で全ての「ゲゼルシャフト(会社)の名において」執り行われた業務は、それがどのソキエタスの成員によって執り行われたかどうかに関わらず、すべてのソキエタスの成員相互に全く同等の意味を持つのである。

 それ故に、(ゲゼルシャフトに対して)強制的に権利を与えることと義務を負わせることの両方が生じるが、その二つはそれぞれのゲゼルシャフト(会社)の資産において貸借対照表の借方や貸方へ記載された他の資産や負債とは本質的にその意味を異にしているが、その二つを他から区別する目印は二つにおいて同じなのである。同様に、「ゲゼルシャフト(会社)の名において」獲得された可視物(species = 外観をもったもの)への物権もそこに見出すことが出来るが、それはローマ法の共有財産の規定に対する個々のソキエタスの成員の取り分に応じた処分権に基づいているのではなく、むしろそのソキエタスの成員はゲゼルシャフト(会社)契約またはソキエタス法によってのみ、またただその範囲を限度として権利を与えられ処分権を持つのである。またこの法的な客体は、あるソキエタスの成員の(私有)財産における他の対象物とは異なっており、その双方を区別する目印によりそれらの他の対象物に対してまさに区別されるのである。このゲゼルシャフト(会社)というカテゴリーにおいて、義務的なものと並んでまた物権においても、これまで言及してきた違いというのは、ゲゼルシャフト(会社)の目的との関係の違いによる結果である。その結果ローマ法における共通勘定(arca communis)は、それをここで議論してきたようなゲゼルシャフト(会社)の財産物件として包括的に考える時は別の意味を持つようになる。その共通勘定の財産物件の権利は、ソキエタスの成員の他の(個人)財産物件とははっきりと区別されるのであり、その処分についても他の財産物件の処分方法とは区別され、個々のソキエタス成員の共通財産への部分的処分権はゲゼルシャフト(会社)が存続する限り直接的には無効であり、ゲゼルシャフト(会社)法に従って取り決められた処分権の方が優先される。個々のソキエタス成員の部分的処分権は、会社法による処分権に対しては劣位の権利に過ぎず、それ故にこのソキエタスの成員への債権者は、これらの客体ないしは部分的分け前に対しては直接強制執行の対象物に入れることは出来ないし、またその成員の破産財産中に個別かつ直接それらを入れることも出来ない。同様に、他方ではその(共通勘定という財産の)複合体の貸方に記載される負債は、個々のソキエタス成員の債務とは次のことにより明確に区別される。それは、その負債が、ただその負債が、共通勘定(arca communis)を上記の意味(会社の財産としての処分権が個々のソキエタス成員の部分的処分権より優先するという意味)で直接に貸借対照表の借方に記入出来るようにし、そしてその共通勘定への直接的な財産の追加の獲得を正当化する。それ故に、何かの処分権が会社とソキエタス成員個人との間で対立する場合には、まず(会社資産への)財産に組み入れられた後、それでもなおその成員の個人財産として残留する部分のみが、そのソキエタス成員の財産または破産財産に算入される。

 すべてがある特定の(ゲゼルシャフト{会社}の)目的に役立つための諸権利の複合体が、その権利については他の権利とは区別され特別に規定された方法で行使され、またそれに対して特別な責任が課せられるのであるが、ここではそれを「財産」と名付けたい。そしてこの名称は何らの根拠のある疑いもなく正当であるが、故にこうした特性は、またこれまで述べてきた権利関係の総体に帰属するものである。共通勘定(arca communis)からある種の特別財産という考え方が生じ結局「ゲゼルシャフト(会社)財産」に成るのであるが、そのゲゼルシャフト(会社)財産は今や強制執行や破産の対象になり得る一つのまとまった対象物であるが、またそれは同時にこのゲゼルシャフト(会社)財産と個々のソキエタスの成員との間での権利と義務の成立を概念的には排除しない。1)

今や(ゲゼルシャフト{会社}の資産という)客体の側に(ここで定義した意味での会社)財産であるという目印が存在するとしたら、その法教義学的な必要性は明白であり、その客体は法規において精確に記述しようとする利害関心において不可欠のものであり、そのためにまた(その客体を所有する者である)主体も、または主体に相当する何か別のものでも、その財産の機能を(法的に)規定するために不可欠となるのである。その目的での一つの契機となるのは商号(Firma)の使用である。商号はただ実際的な簡約表現のための技法であり、というのもその用語の使用は上述してきたような「ゲゼルシャフト(会社)の」名前において行なわれる財産関係を簡易的に記述するのに役立つからである。

1)  ドイツ帝国上級商事裁判所 民事判決第5巻206頁。

 商取引におけるゲゼルシャフト(会社)の捉え方という点で、商号はしかしながらそこにおいて容易にある種の人格を獲得する。人格の獲得、すなわち商号の擬人化は以下のような法的な規定を定める上での出発点となる。その規定とは、たとえばある業務が執り行われる場合に誰がそれに従事するのであるかとか、あるいはある商号に対して以前より存在している債務は一体誰が負うのかなどといったことを、現実の生の中で比較的に簡素かつ自然に記述するものである。法学的な構成という意味で、外部から観察出来る外形を持った対象物を用い実際的な規定を記述することは、まったくもって簡単なことではない。もしそれ故に法学的に商号に実際的な人格性を持たせることまでに進めることが出来ないのであれば、体系的な記述の要求に応じるという限りにおいて、「商号」「業務」「ゲゼルシャフト(会社)」にそれぞれ法学的な考察における対象物として個別に重要な機能を持たせることが出来る。

 これまで述べてきたことから、こういった法学的解釈の発展の根本原理は、まずは第一に連帯責任とゲゼルシャフト(会社)の特別財産という相互に緊密に関連した二つの制度であるということが容易に導き出される。

 本質的な意味において、これらの二つの制度は以下の論述では次の点で法制史的に考察されなければならない。つまり一体どのような目的でゲゼルシャフト(会社)形態の発展一般に関与したのかということと、またこうした発展がこの二つの対立関係の確立無しには起き得なかったのかどうかということである。2)

 中世におけるソキエタスの発展の根本原理の解明に入る前に、たとえ非常に手短にではあっても、ここにおいて始めて提起されたのではない問題について詳しく述べるべきであろう。つまりローマ法において、ソキエタスの純粋に義務的な性質と、その義務的な性質がソキエタスの成員間に働くことへの制限とを克服するような少なくとも何かの契機が存在していたのかどうかということである。

2) 合名会社の方についてのここでの概略説明は、Laband《Paul Laband、1838~1918、ドイツの法学者》の商法雑誌第30・31巻のものとは原理的に異なり、少なくとも彼のゲゼルシャフト(会社)の基金の財産としての機能の説明は破綻していると思われる。-それは彼の理論的展開において、合名会社の関係においての「内的なもの」と「外的なもの」の慣習的な区別を認めたがらないことから生じているが-二つの対立を説明の中で利用することを第30巻の51ページのCにおいて彼自身がまったく無しで済ますことは出来ていないのであるが-Labandは合名会社の特質をただ外部への責任だけとしている。ゲゼルシャフト(会社)の基金を特別財産として別扱いにすることについては、強制的な共同の所有権において、ソキエタスの一方の成員の権利が他方の成員の権利を、それぞれの財産への完全な支配をお互いに制限することが、ただ問題になる。-その証明としては、Labandはゲゼルシャフト(会社)の財産の金額は、第三者の、とりわけ債権者の権利の対象ではないと述べている。

 その論法を仮に認めるとしても、なるほどゲゼルシャフト(会社)の財産の金額は第三者の債権の対象では無いとしても、その「存在」は第三者に対しても法的な権利の対象である。ゲゼルシャフト(会社)の財産というものは、経済的には無に等しい場合もあり得るかもしれないが、法的にはそれは存在し、経済状態という意味では重要な帰結は無くとも、ソキエタスの成員達はそれが確かに存在しまたその存在によってそれを法的に取り扱うことが開始されるということを、どうやっても隠し通すことは出来ないのである。

 Labandはゲゼルシャフト(会社)の財産に対する個人の債権者を除外する理由として以下を挙げている。つまり、個々のソキエタスの成員に対する債権者は、その成員に対する債権者として以上の(ゲゼルシャフト{会社}に対する)権利を持つことは出来ず、それはラテン語では”nemo plus juris transferre potest quam habet ipse”《誰も自分自身が持っている以上の権利を他人に渡すことは出来ない》と表現されるが、そして確かに個々のソキエタスの成員は他のソキエタスの成員の義務的な請求権そのものによって制限を受けている。ある個人債権者のみをとってみてもまた、もし仮にその債権者が全ソキエタス成員に対する連帯的な債権を持つ者であったとしても、それは直ちにゲゼルシャフト(会社)の債権者ではあり得ないであろうし、かつまた他のソキエタス成員の義務的な権利がどのように、それぞれのソキエタスの成員が会社の所有物に対して保持している分け前から債権者を排除するという上述の物権的な作用を及ぼすのかということについても疑わしい。仮に個々の他のソキエタスの成員の権利が個人の債権者と対立しているとしたら、これらの権利を単に無効にするということが同時にその個人債権者をゲゼルシャフト(会社)の債権者にし、またゲゼルシャフト(会社)の財産の占有を可能にすることになるが、そういう事は実際には起きていない。

 ローマ法でのソキエタスの場合は、複数のソキエタスの成員が個々の場合において、例えば保証人として連帯して責任を負う場合でも、未だゲゼルシャフト(会社)の財産というものは成立していないし、また銀行家についても、その責任は法律上義務付けられてはいるものの、この種の財産を共有するような制度については何も知られていない。

 法制史においてもまた、ゲゼルシャフト(会社)の共有の財産という考え方が発展していく過程において合名会社が果たした大きな役割について今後この論文で追究していくことになるであろう。

 重要なのは唯、既知の通り合名会社が共有財産という特性を特定の他のゲゼルシャフト(会社)形態と分け合ったということであり、また常にその種の共有財産の概念の設定は、ゲゼルシャフト(会社)内部の責任関係と非常に密接な関連を持っている。

参照:Labandについては、Gierke《Otto Friedlich von Gierke、1841~1921、ドイツの法学者、特に団体法の研究で有名》のDie Genossenschaftstheorie und ide deutsche Rechtspruchung (ゲノッセンシャフトの理論とドイツの判例)の438ページを参照。

ローマ法の根本原則の変遷を示しているという条項について

 一般論として、先に述べた合名会社の二つの制度についてその何らかの契機がローマ法の中の私法全般の領域において見出されるかどうかということは、否定されなければならない。

1. D. 63 §5 pro socio あるソキエタスの成員の他の成員に対しての(権利)《actio pro socio はソキエタスの一成員として他の成員に対する法的な行動{訴訟など}のこと》

 まずは個々の法令において先に述べたような限界を乗り越えていくような事例があるかどうかを見出そうと試みることが可能であろう。それはつまりあるソキエタスの特定の成員に次のような権利-つまりD.63 §5《D=Digesta、ユスティニアヌス法典の中の学説彙纂がくせついさん、17.2.63.5》の pro socio-が与えられる場合である。それはあるソキエタスの成員Aが支払い不能に陥った時、別のソキエタスの成員Bが、さらに他のソキエタスの成員C、D他に対して、そのC、D他がAから全額を回収済みの場合、BはC、D他に対してAから回収出来なかったAへの請求額を請求出来るという権利である。
 このような外見上はソキエタスにおける純粋にそれぞれの取り分に応じた関係の原則を逸脱しているように見える原則は、それにも関わらずactio pro socioというソキエタスの一員が他のソキエタスの成員に対して取り得る法的行動という原則からの自然な帰結であり、その帰結においては-それはソキエタスの成員間の関係を取り扱うのであるが-善意のソキエタスの成員は損失をソキエタスの他の成員と等分に分け合うことを要求するのである。

2.D.44 §1 de aedilicio edicto アエディリス《按察官:古代ローマで建築、道路、水道、市場、度量衡、穀物配分などを担当する高位官職》の布告について《D.21.1.44.1》

 Roesler 3)《Hermann Roesler、 レースラーまたはロエスレル、1834-1894、ドイツの法経済学者、1878年にルター派からカトリックに改宗した結果メクレンブルク州での公職を失い、またビスマルクに対し批判的であって当局から危険人物視されたこともあって日本に渡り、いわゆるお雇い外人として伊藤博文に仕え、大日本帝国憲法と商法の草案を作る上での中心的な役割を果たした。》は、追加の条項としてD.44 §1のアエディリス(按察官)の布告に言及している:
Proponitur actio ex hoc Edicto in eum, cujus maxima pars in venditione fuit, quia plerumque venaliciarii ita societatem coëunt, ul quidquid agant, in commune videantur agere; aequum enim Aedilibus visum est, vel in unum ex his, cujus major pars, aut nulla parte minor esset, acdilicias actiones competere, ne cogatur emptor cum singulis litigare.
(この布告は奴隷の売買において、もっとも大きな売上を上げるものに対して提案されるものである。というのは通常奴隷の商人達はソキエタスを結成し、彼らの成すこと全ては共同の行為としてみなされるからである。按察官にとっては、ソキエタスの成員の中でもっとも大きな売上を上げている一人に対してでも、または他の成員に引けを取らない売上を上げている者に対してでも、この制度は好ましいものであり、購買者は多数の商人と訴訟沙汰になることを避けることが出来るであろう。)《日本語訳は、最後のcum singulisをcum multisに修正した上で解釈している。》-実際の所、この市場における争いへの裁定から発生した規定において、法律家によって奴隷商人達の仮想的な利害ゲマインシャフトにとって合理的であると根拠付けられたのであるが、法的に見て更に深く分析出来るような特別な性質は見当たらず、その根本原理をソキエタス法の中に見出すことは出来ない。ここにおける仮想的なソキエタスは、より広い範囲での訴訟についての法的な基礎としてではなく、ただ按察官の立法者としての動機からのみ説明されている。

3)商法雑誌、第4巻参照。

3.銀行家

 既に按察官の布告以前に、複数の銀行家の関係は、ローマ法の解釈における実質的な変化として認めることが出来るかもしれない。それについて触れているローマ法での出典の箇所は、実際の所、書面契約(contractus litteris)の特殊性と銀行家の記帳(nomina simil facta)から生じた法の形成を裏付けるが、しかしながらそれは本来ソキエタス制度の存在を裏付けるものではない。

4.マラカ法 C.65

 実際の所、ソキエタスの法原則から生じる連帯性を正当化する規定をローマの植民都市のマラカ《現在スペインのマラガ》の法は少なくとも外見上は定めているが、それは「ソキエタスの成員」という表現の意味する所についてもちろん疑いを差し挟む余地が無い訳ではない:
マラカ法 C.65(この条文は担保・抵当物件の売買を扱っている)
… ut ei qui eos praedes cognitores ea praedia mercati erunt praedes socii heredesque eorum i[i]que ad quos ea res pertinebit de is rebus agere easque res petere persequi recte possit.
(~は以下を目的として、つまり当該の担保物件、保証人、及び資産を金銭で購入した者、及び当該の担保物件、ソキエタスの仲間、相続人、に対して権利を持つ者は、正当に法的行為及び当該の資産についての訴訟を行うことが出来る。)

 つまり:購買者の(属するソキエタスの他の)ソキエタスの成員は、その購買者の相続人と同様に直接訴訟に及ぶ権利を持つ。ここで考慮すべきなのは、我々は行政法の領域を参照しているのであり、役所によって締結された契約が存在しているということである。ここでのこの特別な公法での契約法の特性がどこまで影響力を持っているかということと、それによって私法の適用が停止するかのということについてははっきりしない。

ローマ法についての考察の結果としての否定的な結論

 私法の領域において、後期ローマ法においてもまたバシリカ法典《ビザンチン皇帝レオ6世 (在位 886~912) による ユスティニアヌス法典の批判的な見直しとしての大法典》とその注釈書のどちらにおいても、古くからの基本原則の改変は見られないのである。ここに見てきたような特別な法文やまたは地方における俗法での法制定を後の時代の、つまり我々がこの論文で取り扱うべき、中世における大規模な交易に起因する制度への発展の起点として扱うことについては、どちらについても少なくとも根拠に乏しい。

4)D.9 (D.2.14.9pr) pr.de.pactis
Si plures sint, qui eandem actionem habent, unius loco habentur.
Ut puta plures sunt rei stipulandi vel plures argentarii, quorum nomina simul facta sunt … unum debitum est, – und
(もし何人かの債権者が同一の行動を取る時、彼らは一まとめの一人の債権者として扱われる。というのは例えば、ある契約の規定により何人かの債権者が存在するか、あるいは何人かの銀行家が同時に何らかの債権を持つようになった場合、{彼らは一人のまとめた債権者として扱われるため}債権自体は一つしか存在しない。)そして、
D.34 pr.de recept[is arbitris] (III.8): Si duo rei sunt aut credendi aut debendi et unus compromiserit … videndum est, an si alius petat, vel ab alio petatur, poena committatur.
Idem est in duobus argentariis, quorum nomina simul eunt (erunt Hal[oander]).
(もし二人の債権者または債務者が存在する場合、そのどちらか一方がその債権または債務を何らかの裁定に持ち込んだ場合、片方が訴え、他方が訴えられた場合には、罰金が課せられなければならない。二人の銀行家が同じ債権を持つ場合も同じである。)

5)モムゼン《Theodor Mommsen、1817-1903、ドイツのローマ史家、法学者。ヴェーバーのこの論文の審査に陪席し、「私がやがて墓場に急がねばならぬとき、『槍はすでにわが腕に重すぎる、われにかわりて、わが子、汝この槍を持て』と呼びかける相手は、わが敬愛するマックス・ヴェーバー以外にはない。」という賛辞を送った。》の”Stadtrechte”(都市法)の以下に引用した箇所を参照。

6)Heyrovský《Leopold Heyrovský、1852-1924、チェコのローマ法の専門家》の”Die leges contractus.”(契約法)を参照。

7)帝政ローマ期にも、似たような規定が他にも存在し、例えばVipasca鉱山管理法《Vipascaは昔の鉱山名、現在の地名はポルトガルのアルジュストレル》のZ.5《Bruns、Fontes{”Fontes iuris romani antiqui”, C.G. Bruns [Karl(Carl) Eduard Georg Bruns、1816-1880、ドイツの法律家・法学者)], Tübingen, 1909}、247ページ、https://zenodo.org/record/2484590 参照》に、”conductori socio actorive ejus und weiter passim. “(賃借人に、または彼の{属するソキエタスの他の}ソキエタスの成員に、彼の代理人に)とあり、他にも多数同様の箇所がある。共和制期については同様のものを知らない。ユリア地方法のZ.49(Bruns、Fontes、104ページ)では、関連した事例としてただ”redemptorei, quoi e lege locationis dari oportebit, heredeive eius”(契約者またはその相続人に対して、契約の内容に従って賠償が裁定されるべきである)という箇所があるのみである。

研究の工程 経済的な見地と法的な見地の関係

 ローマ法においても、またさらに中世において、つまりイタリアの文献史料の中においても、「ソキエタス」という表現は個別に形成された権利関係ではなく、人間同士の様々な関係を表現する一般的なカテゴリーの一つとして登場する。そういった諸関係に共通して他から区別される標識は、もっとも高度に細分化された法的構成においては、利益の獲得、リスクテイク、あるいは何かに投じた費用の中の一つまたは複数の事において、それらが複数の人間の共通の勘定において行われるとされている場合に見出される。そういった様々に異なったゲゼルシャフト形成の諸関係において、どのような標識から、今日の合名会社の原理が発生するのかということこそが、本質的に我々がこの論文で取り扱う問題である。

 その問題の解明という目的において、次のようなことを単純に行うことは出来ない。つまり、今日の合名会社が有形資産と労働の成果を結合させているという外面的な形態だけを見て、歴史を遡って中世の諸法規の中に経済的に見て良く似た機能を持っている形象を切り出したり、さらにそういった形象の中に合名会社に類似していて歴史的に合名会社に発展していくであろうような制度を見出すとか、さらにそういった形象だけの観察に限定して研究を進めるといったことである。というのは我々はこの研究を課題の経済的側面に注目して行うのではなく、法的な根本原理の創世記の記述という観点で行うのであり、研究の最初から、法的な差異と経済的な差異をまぜこぜにするという前提条件を仮にも設定することは正当化され得ない。むしろより可能性が高いのは、法的には決定的な根本原則がその発生の最初においては、一般的な経済的な概念からまったくかけ離れた領域において成立したということと、そういった法的な根本原則に規制される実際の人間同士の諸関係が、その発生当初に比べると完全に元の姿を変えてしまったということである。

 それ故に我々がやらなければならないことは-さらにまた法的要素と経済要素の対比を可能にするための境界設定により-観察の対象を法制史において登場してくるゲゼルシャフト(会社)の諸形態の中の主要な集団へと拡げることである。

 法においては、経済の立場から見るとまったくその外側にあるような性質の標識がしばしば決定的に重要なものとされることがある。このような法形成の固有の性質からはまさに次のようなことが導き出される。経済的に見た差異の結果として外から見てはっきりした法的な構成要件上の区別が立ち現われる場合にはしかし、法的にもまた差異が生じ、従ってまた他から区別される法形態が発生の段階に達しているということを推定することは正当である。これから行う観察において、どの程度まで経済的見地から評価することが出来るのか、あるいは評価すべきなのかということにより経済的見地の重要度が決まるのであり、そしてさらにこれから詳しく述べていく議論の中の一部では、研究の対象物の性質そのものによってその対象物自身が生成される場合も示される。

Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタス

1.コムメンダと海上取引における諸要求

 貿易というものを中世において相当な規模で見出すことが出来るのは、まず第一に地中海の複数の沿岸都市においてであるということは、頭の中で少し考えただけでも歴史的にも確かなことである。特に地中海の西側の水域《イタリアの西岸とスペインに囲まれた水域》に面している沿岸諸都市においては、貿易は今日でもまだ完全には消滅してはいない。というのもここにおいて本質的に海上取引による商品の取引や販売に使われる一つの事業形態が発生したのは、特にイタリア西岸の諸都市とスペインの海岸地域 1)の間の交易においてでである。  この地中海沿岸諸都市間の海上取引は、既にかなり古い時代において、債権法において独特の諸原則を発達させていた。  既にローマ法においてfoenus nauticam《foenusはfaenus(利息)で「海事利息」の意味。海事契約利息とも言う。ある貸主が貿易を行うものに資金を貸し付けるが、借主は船が無事に戻って来た時のみに返済義務を負い、海難事故で船が全損した場合は返済不要という内容のもの。返済の際には借りた金額より多い金額を返すため、一種の海上損害保険の先駆けともみなせるが、教会の利子禁止の裏をくぐるような利息付き貸し付けともみなせるため、1236年に法王庁から非難されたことがある。参考:Palgrave Macmillan, A. B. Leonard編, “Marine Insurance Origins and Institution, 1300 – 1850 (Palgrave Studies in the History of Finance)” 》やlex Rhodia《ロード海法、紀元前3世紀にロードス島で編纂されたと信じられていた海上取引に関する慣習法。原本は今日でも未発見。ユスティニアヌス法典の勅法彙纂の中に”lex Rhodia de iactu”(「投荷 (共同海損) に関するロード法」)という一章が含まれている。(「共同海損」は船の事故の時に損害を船主や用船者と荷主全員で平等に負担する仕組みで、今日の海上保険でも存在する概念。)参考:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典》において特別な規定が設けられており、それは海上取引で考慮に入れるべき特別な種類の危険を斟酌するものだった。まさしくそういった諸制度は民族大移動の時期を通じて完全に廃れることは一度もなかった。我々はそういった制度を、一般的に知られている通り、中世初期の法的文献史料において再び見出すことになる。2)しかし中世においては、古代の法に比べて、法的な分析に基づいて危険分担を決めるという程度が弱く、そうした危険分担を概して自明の規則に従って定めていた。  海上取引においてその債権者や参加者になった者は-まずそういった順番で考えてみると-そのどちらの者もある継続的な事業経営に関わった訳ではなく、むしろある特別の航海という個々の事業に対して債権者は資金を貸付け参加者はその取引に参加するのであるが、-とはいっても海上取引は単純な統一された事業ではなく、それぞれが個別の危険(リスク)を持っている個々の事業の連続体なのである。

1)西ゴート法典《西ゴート王国のChindasuinth王が642年から643年にかけて最初に編纂し、その息子のRecesswinth王が654年により大規模にまとめた法典。ローマ法とゲルマンの慣習法及びキリスト教会法を融合しようとしたもの。》、1.XII t. IIIの”transmarini negotiatores”(海上取引)を参照。

2)ゴルトシュミットの商法雑誌第35巻に掲載されている”Lex Rhodia und Agermanament”(ロード海法と姉妹都市)を参照。

西ゴート法典と海上取引

 この危険については、当時の交易関係に対応する上では、飛び抜けて重要な要素であり、交易を行う上で計算に入れておかなければならないものであったが、海上取引に何らかの形で関与した者によって分割して担われる必要があった。-このことは立法上で最大の問題であり、それ故取り敢えず法学的には関係者の関与の仕方を細々と分類することは行われず、そういった分類はここでは相対的に重要度が低い。西ゴート法典においては最初に”commendare”(委任する)、”commodare”(貸し与える)という動詞が、各々の参加者の返還のための何かの引き渡し、つまり”in specie”(現物で)または”in genere”({お金を借りていた自分の}一族に対して)といった形態や、委託(Deposit)から貸付け(Darlehen)まで、-各々の参加者の功利的な意図での引き渡しは、後にローマ法においては当該の業務がどの法的カテゴリーに属するかという点で重要ではなくなるのであるが-を意味するようになる。まさに西ゴート法典においては、債権者の債務者に対する、参加者の事業発案者に対する、あるいは委託者の委任者に対するそれぞれの関係がはっきりとは分離されていないように見えるところが特徴である。3)これら全ての者の経済的な目的は、ここにおいて本質的にまさに同一であった。つまり、海を越えた先の市場に対して何かを輸出し、そして逆にその市場から何かをあらためて輸入するということである。これらの目的のための経済的な必要な事は常に本質的に同一のものであった。まず一方では、商品の購入のための労働力の投入、次に海を越えて商品を送るための輸送手段、そして最後に運んだ商品を外国の市場で販売するための特別な販売技術による労働力の投入である。他方では輸出する商品を購入しまた輸送手段を確保するための資金である。投入すべき労働力と資金、場合によっては借り入れによる、という意味での必要物の調達は、それぞれの輸出事業で必ず行わなければならない事である。既に西ゴート法典においても、危険と利益を参加者間でどのように分担するかということが法形成においてまさに本質的な問題であった。

3)(商品の)委託と販売の委託は西ゴート法典では同一の章:”de rebus praestitis 1. Vt. Vc. III.”(貸付けられたものについて)で扱われている。委託することと貸付けることは、c.VIII において相互に入り交じった形で規定されている。そこでは本質的には海上取引が想定されていることは、c. V の同一場所の表題部(verbo naufragium: 「海難事故に関する規定」)から分かる。その規定の中に含まれているものは、直接に後の時代においてのコムメンダに関する法的な規定を我々に思い起こさせる。-ランゴバルド法《ゲルマン民族であるランゴバルド族の部族法。643年に編纂されたロタリ王法典(Edictum Rothari)などいくつかの法典の総称。》においては、国内部族について定められたものでは、信用を受けた者に危険負担責任が課せられ、つまりその者は貸付けの規定に従って、信用を供与した企業者の利益を考慮すること無く、返済を行う義務があった。まずは海上取引を考慮する西ゴート法典においては、既に商品の委託と販売の委託において独特のやり方で危険負担責任を分割しており、ローマ法の根本原則 (I. V tit. V c. III)とは相違しており、むしろより独創的に利子付きの貸付けにおいても (同一場所の c. IV: “de pecunia perdita et usuris ejus” {失われたお金とその利子について}) 投機の目的で ( “sub condicione receperit”{ある条件下での将来の受け取り}、つまりどの事業に、受け取った資金が使われるのか、を規定している)危険負担責任を分割している。供託者、委託販売人、信用供与者については常に、まさにそれぞれの相手方と同様に、企業者の危険負担責任の一部を分担するのである。

4)ゴルトシュミット、”De societate en commandite”(委託に関わるソキエタスについて)、1851年;ジルバーシュミット、”Die Kommenda in ihrer frühesten Entwickelung.”(コムメンダの最初期の発展について)

コムメンダの経済的な基礎

 上記で述べたような参加者にとって等しく必要なことは、今や同一の法的な制度の確立をもたらすのであり、それはコムメンダという名前である特別な法的な形態と成り、既に歴史的にかなり初期の段階で完全に確立した法形態となり、海上取引はそれを利用したのである。  コムメンダがある者が別の者の商品を売却することをその者自身のリスクにおいて行い、そして利益を得るというある種の業務であることは周知の事である。ゴルトシュミットが推測しているように、コムメンダが既にローマの世俗法に含まれていたかどうかは、取り敢えずここでは保留とし、我々はそれをただ中世において追究する。

 もっとも原始的な海上取引の内容は以下のようなものである:商品の生産者あるいはその生産者から商品を買い付けた商人が個人として船に乗り込み、この船に輸出用または輸入用の物品を積み込むというものであるが、コムメンダの制度が見出されるような時代においては、既にそのような原始的な形態は乗り越えられていた。既に最古の法的史料においてpatronus navis(船の所有者)は、商人達に対して船を提供し、その商人達は自分達の貨物と一緒に船に乗り込む、という形で登場する。さらにそれを越えて、労働の分担も進んでいた。つまり卸し商人は自分自身の代わりに継続的に使役する関係であるfattore(イタリア語、代理指図人)、messatge (カタルーニャ語、メッセンジャー)を、船に乗り込ませる。船主、それはスペインでは主にRhederei 《スペインのアラゴン王ペドロ3世(1239 – 1285)により編纂された地中海における海事法である concolato del mare に出て来る初期の海運業者》であったが、そちらはそちらなりに patronus navis として自分達の使役人を仕立てるのである。

5)ゴルトシュミットの前掲論文、商法雑誌第35巻、P.80、107を参照。この見解についての個々の事例においての確認は、後に適当な場所で言及する。

6)ジルバーシュミットの10世紀のヴェネツィアでの collegantia 《合資会社の原初形態》についての見解は、ゴルトシュミットの前掲書 Z. XXXV P. 80、 81によれば、偽ロード海法《8世紀にビザンチン帝国において私人の手により編纂され、ロード海法を偽装したもの》のχρεωκοινωνία (χρεως+κοινωνία、信用ソキエタス)にもっと古い例があるとされている。

7)トラニ法典《イタリアの港湾都市トラニで1063年に編纂された中世地中海での最初の海商法典》 (b. Pardessus, Collection des lois maritimes)とトルトサ慣習法《1149年にスペインのバルセロナで編纂された慣習法の集成》 (b. Oliver, El derecho de Cataluña)を比較せよ。前者の編纂年代は諸説あり確定していない。しかし我々が研究の対象にしている制度はかなり早期に成立している。

8)consolato del mar を参照。Archive de L’Orient Latin I P.431も、Rhedereiの存在を前提にしている。 (Archives de L’Orient Latin, Tome I, Paris Ernest Leroux, 1881)

 この段階に至るとこういった海上取引での仕組みのさらなる発展については、色々な方向があり得た。-一方では自分の従者を商品と共に送り込む代りに、次のようなやり方が利益的には好都合と考えられるようになる。つまりその度毎にその商品を販売しようとしている市場を良く知っている第三者を雇い入れ、商品と共に船に乗り込ませ、さらにその際にその第三者が自身の裁量において船を委託者から借りるとか、その者自身が輸送手段を確保する、といったことを認めるというやり方である。他方では逆にそういった第三者を雇い入れることをせずに、商品と一緒に送り込まれる代理人ではなく、船主自身が報酬をもらった上で商品の販売をも引き受けるというやり方もある。9)取引の及ぶ範囲が広大になればなるほど、次のようなやり方がより一層好都合であると考えられるようになったに違いない。つまり、自分の従者を長い船旅の後、その者にとって未知の国に送り込むより、その国での諸事情に精通した委託販売人に商品を委託するというやり方である。後者のやり方はその後自然に、ジェノヴァにおいて公正証書上に繰り返し同一の名前が現れるようになったことからも分かるように、すぐにこの種の販売委託を請け負う独立した事業の出現につながったのである。

9)ジェノヴァのGiovanni Scriba《12世紀のジェノヴァにおける最初期の公証人》の公証人証書(Historiae Patriae Monumenta《イタリアの史的文書の集成。1836年~1901年にトリノで編纂された。全22巻。以下HPMと略す。》のchartaum II)、No. 261、328、329、306他多数。1155年以降、こういった様式の全ての例が得られる。329と306では船主とコムメンダで委託を受けた者は同一人物ではない。トラニ法典とトルトサ慣習法においては、法的な代理人としての船主の代理人という者は出て来ない。Decisiones Rotae Genuae (de mercatura, et ad eam pertinentibus) (1606年)(ジェノヴァ控訴院決定集、原文のGenuensisは全集版の注によれば、Genuaeの誤り)を参照。

 ある一人のそういった代理人の報酬は、いつも決まった額で固定報酬という形で与えられることもあったが、ある場合にはしかし、12世紀のジェノヴァで普通に行われていたように、委託販売人は利益の一部の分配にも与ることが出来たのであり 10)、こうしたやり方が通常コムメンダと呼ばれる関係なのである。こうした委託販売人が自らも利益の分け前に与ることの利点は明白であるが、しかしまた次のような状況にも適合したものであった。つまり、委託を受けた代理人が根源的にただ委託した方の手足である限りにおいて、そうした手足は競争が激化して単純に商品を通常の海外市場に投入することが難しくなればなるほど、それだけいっそう需要を正しくつかみ一般論として自立した取引が必要になるという意味で変わっていかざるを得ないのである。コムメンダで委託を受けた者は一人の請負人として職務を行うのであり、その結果その働きに対する報酬はもはや雇い人のような固定した賃金の受け取りではなく、その事業全体の収益の一部を受け取ることになるのである。

10)コムメンダの標準となる史料は、先に引用したジェノヴァの公証人証書の1155年の例えば1.cのNo. 243に見られる:”Ego … profiteor me accepisse in societatem a te … lib[ras]50, quas debeo portare laboratum usque Alexandriam et de proficuo quod ibi Deus dederit debeo habere quartam et post reditum debeo mittere in tua potestate totam prescriptam societatem …”(私は…ソキエタスの関係において貴方から50リブラを受け取ったことを認め、私は自分の業務としてその商品をアレクサンドリアまで運搬しなければならない。その仕事の収益の中から神は私が1/4を受け取ることをお許しになるであろう。そして私が戻ってきた後は全てのあらかじめ決められたソキエタスの利益を貴方に渡さなければならない…)
コムメンダで委託を受けた者の通常の生計の費用は規則により委託をした側の負担となり、その他の業務遂行に必要な諸掛かりについては委託された側の負担となる。-コムメンダ契約の根底にある一方的な性質は文献史料においては領収書の形で現れ、そこからそれを読み取ることが出来る。

コムメンダのソキエタス的性格

 コムメンダにおけるソキエタス的要素は-コムメンダはその成立の最初からソキエタスと呼ばれたが-ソキエタスの形態での業務を次の限りにおいて内包している。つまり、事業におけるリスクの分担はここにおいても資金提供者が負い、それに対して航海と販売における諸掛かりは取り決められた範疇に従って(注10を参照)それぞれが一定割合を負担し、更には利益もそれぞれの持ち分に応じて分割されたのである。このソキエタスという制度の国際的な発展形態であるコムメンダは次のような形で登場する。つまり、利益の分割の仕方を決める尺度について、後に大部分がはっきりした法的規定となる任意法という形での商習慣が、委任を受けた者は純利益の内から1/4を配当として得るということを定める形である。

コムメンダの参加者の経済的位置付け

 この(コムメンダにより)業務を委託する側は、商品の生産者であるか、または後背地の商品を買い付ける仲買人かであり、一般的には輸出業者であることが多くその場合は商品を、あるいは輸入業者の場合は資金を委託するのであるが、ある場合にはこの両方を兼ねることもあり、その場合は輸出した商品を売却したその売上げを転用して別の商品を買い付けて輸入を行うのである。(ジェノヴァでは後者の場合を商売上の技法として”implicare”と呼んでいた。)

11)仲買人について:HPMのchart IIのNo.306(1156年)を参照:
”Nos M[archio dormitor] et A[lexander lngonis Naselli] profitemur nos accepisse a te W[ilielmo Ncuta] 8 pecias sagie et volgia que constant tibi lib[ras] 24. has debemus portare laboratum apud Palermum et inde quo voluerimus dum insimul erimus etc.”(我々Marchio dormitorとAlexander Ingonis Naselliは貴方Wilhelm Neutaから24リブラの価格で貴方に債務を負っている8巻きのsagieとvolgia《2つともおそらく当時の織物の種類か?欧州は元々毛織物が一般であったが、この時代に絹織物と木綿が伝わっている。ヴェーバー以外にも2、3の文献がここを引用しているが、この2つについてはそのまま引用しており訳されていない。》を受け取ったことを確認します。我々はそれをパレルモまで運搬する義務があります。そしてそこから先も我々は出来る限り一緒に行動したいと希望しています。等々)

12)前掲書(HPM)のNo. 337 (1156年): Ego … profiteor me accepisse a te … (folgen die Waren) unde debeo tibi bizantios 100 … et eos debeo portare ad tuum resicum apud Babiloniam et implicare in lecca et brazili … et adducere ad tuum resicum etc. (私は貴方から次の商品を受領した事とそれによって貴方に100ビサンチン{金貨}の債務があることを確認します。そして私はその商品をバビロニアにある貴方の作業場まで運搬し、そしてそこでleccaとbrazili《おそらく2つとも何かの染め物の技法ないし染料の種類か?》に染めるという義務を負っています。さらにその染めた布を貴方の作業場まで持っていき…等々)-Lepa《Rudolf Lepa、1851 – 1921、ローマ法学者》の見解(商法雑誌第26巻P.448)である、”accomodare”と”implicita”が前者は委任された者が事業収益に対して分け前を持つことにより、後者は対象物の価値の1%を受け取ることにより、それぞれ報酬の受け取り方が異なっているということは、Lepaがその証拠として挙げているCasaregis 《J. L. M. de Casaregis、1670 – 1737、イタリアの法学者で手形やその裏書き、保険や海上取引などの各種商行為を研究し後代の 商法の整備の基礎を作った。》の”Discursus de commercio”の29.9ではきちんと証明されていない。”Implicare”はジェノヴァの文献史料においてではなく、むしろもっと後代でLepaが説明しているような意味を持つようになった。それは当時の商慣習において、ごく普通に使われていた単語で、ドイツ語での”Anlegen”、”Investieren”(出資する、投資する)に相当する表現だったのであり、今日のイタリア語の”impiegare”(資金を用いる)に等しい。Thöl《Heinrich Thöl、1807 – 1884、ドイツの法学者でドイツ商法の整備に貢献した。》もこのCasaregisの引用の箇所について更なる根拠を示すこと無しに、Akkomendatar(コムメンダにおける委任する方)が、”Implizitar Provision”という利益配分を得ていたという見解を示している。既に述べたようにより以前の時代については、どこまで後代の概念が適用出来るかについては疑ってかからなければならない。

 この最後の2つの場合においては、コムメンダで委託される方を特別に独立した者と位置付けることが不可欠になる。そういった委託される方は、その取り扱う業務を自己の勘定では扱わないために、実質的には企業家とみなすことは出来ない。一方コムメンダで委託する方は、商品を販売する市場とは一様に弱い関係でつながっているだけであり 13)、それに対して委託される方が独立して主に業務を執り行う者として、委託する方と市場の間に自らを割り込ませるのである。原則的にまずは一人の委任者に一人の被委任者が対置される。被委任者がコムメンダで委託されたもの以外の商品をその市場に持ち込む場合には委任者側の特別な許可が必要な限りにおいて、後の時代になってコムメンダによる委託外の商品についての(被委任者側からの)申告を、形式的にではあるが文献史料の中で確認することが出来る。(参照:HPM chart II、346、424,655など多数)しかしながら複数のコムメンダ契約による商品の受け入れと、さらにそれに加えて自分自身の商品の持ち込み、また多数の自分自身の船と自分の家族を従業員として使った大規模な貿易事業は、しかしながらジェノヴァの文献史料が示しているように、もはや特別の事では無くなっているのである。このことはまずもって経済的な面では重要であるが、法的な概念の把握という意味では、多数の委任者が同一の被委任者を使い、危険と利益の分担のために組合を結成し、つまりソキエタスとしてのコムメンダが成立するという後代に観察出来る関係は、まだほとんど確認することが出来ないのである。

13)HPMのchart. IIのNo. 340は、コムメンダ関係を取り結ぶことは既に銀行の業務の一つになっていたことを示している。ヴェネツィアの銀行のコムメンダ契約法(1374年9月28日、1403年11月21日)を参照せよ。(Lattes《Elia Lattes、1843 – 1925、イタリアのローマ法、法制史・経済史の研究家でエトルリア語の専門家。》により、”La libertà delle banche a Venezia“の書名で出版されている。)

2.ソキエタス・マリス(海のソキエタス)

 あるもう一つのゲゼルシャフトの形態、つまり一般にソキエタス・マリス(海のソキエタス)と呼ばれるものがもたらしたのは、大きな変革であった。ソキエタス・マリスでは、資本家の視点から見た場合、まず第一に一方向的なコムメンダから、双方向での出資を伴うソキエタスへと移行を果たしたのである。  この新しい関係を公証人の下で公正証書を作成するためのジェノヴァにおける一般的な様式は以下のようなものである: Chart.II 293 v.J. 1165: W[ilielmus Buronus] et I[do de Rica] professi fuerunt se ad invicem societatem contraxisse 200 librarum, in qua quidem duas partes W[ilielmum Buronum] et terciam I[donem] contulisse pariter confessi fuerunt. Hanc omnem societatem nominatus I[do] laboratum debet portare Bugiam et hinc ubi voluerit. In reditu utriusque capitali extracto proficuum debet per medium dividere etc. (HPMのChart. II 293 v.J. 1165: Wilielmus BuronusとIdo de Ricaは二人が200リブラの金額の相互的ソキエタスの契約を締結したことを認める。その契約の中でWilielmus Bonorusが全体の2/3を出資し、Ido de Ricaが1/3を出資していることも了解した。このソキエタス契約に基づいた全ての商品を、Idoはその業務としてブルギアまで、さらにそこからIdoが希望する場所まで運送しなければならない。Idoが戻ってきた場合には、それぞれ自分の出資金を差し引いた後で、利益は折半されなければならない、等々。)

 歴史を遡ってコムメンダの存在を証拠付ける限りにおいて、この形のソキエタスもまた証拠付けられるのである。しかしながら、ジルバーシュミットがこの形のソキエタスをより新しいものとみなしている事については賛成せざるを得ない。14)  この場合においての、ソキエタスで委任される者の位置づけは、既に論じたようにより自立した存在にならなければならなかった。その行う業務が自分自身の勘定でも行われる限りにおいて、少なくとも共同企業人となったのである。

14) 文献史料を一読すれば、ソキエタス・マリスはコムメンダと比較してみた場合、そういう風に(コムメンダとは異なったやり方で)取り決めると意図されたことが疑わしく思え、ある種の特別協定の性格を帯びているということが分かる。ソキエタス・マリスの取り決めは、しばしば貿易に持ち込んだ商品の内、ほんの一部のみをカバーしている。(Chart. II 348など多数)Consolato del mare《アラゴンのペドロ3世(1239 – 1285)によって編纂された地中海の海事法の集成、現在のアラゴン語の元になった言語で書かれている。》では、ある一人の、自身の商品に同行してそれを運搬していくソキエタスの成員の存在が、コムメンダの被委任者と同様に有効と認められることが、こうした関係の特別な正当化のために不可欠であった。その理由はそうしたソキエタスの成員が提供するより金額の大きい保証金にあった:perçó com comendataris van per lo mon mults qui en tot ço que portan ne an alguna cosa. Encora mas si aquelles comandes no eran que hom los fa, irien à onta. Encora mas si aquelles comandes se perden, ells no y en res, perço car à ells no costarà res del lur ne y perden res … è en axi lo senyor de la nau ò leny no pot ne deu esser de pijor condició que un altre comendatari.“《以上はアラゴン語の元になった言語で書かれており、日本語訳はLutz Kaelberの英訳に載っているStanley S. Jadosの”Consulate of the Sea and Related Documents”の英訳を元にしている。》(何故ならば、船の命令を承諾する者の多くは、船上において彼ら自身の個人的な貨物を所持しておらず、ただ船から許可されて持ち込んだ物のみを、世界中をその船で旅する間所持する。さらには彼らが船に対する命令権を委託されていない場合には、その存在は無に等しい。もう一つ付け加えれば、海上で貨物が紛失した場合でも彼らはその貨物に対して何らの所有権も持っていないため、失う物は何も無い。…それ故に船の所有者が、船上の他の者よりも有利に扱われるということは公平ではない。)《訳者の推定であるが、ここをもう少し意訳すると、「何故ならばコムメンダで委託された者の多くは、船上で彼ら自身が出資した商品を保持しておらず、ただ一部の被委託者が自分で買い入れた商品を少しだけ許可を得て持ち込んでおり、それを世界中をその船で旅する間所持する。さらには彼ら自身が船主ではない場合にはその存在は無に等しい。もう一つ付け加えれば、海上で貨物が損害を受けた場合でも、多くの場合それは被委託者の所有物ではないため、彼らにとっての損害は存在しない。…それ故に(被委託者が船主であっても)船主が他の船上の者より有利に扱われることは公平ではない。」》

ソキエタス・マリスの法的性格

 このソキエタス・マリスという形態の、コムメンダと対比させた上での特徴は、何よりもまず本質的には危険の共有ということである。-そして例えば利益の分割の仕方のような事ではない。コムメンダにおいては、委任される者は出資0に対して利益の1/4を得る。それに対してソキエタス・マリスでは、慣習的に 15) 総資本の内の1/3の出資に対し、残りの2/3は委任する側が出資するのであるが、その委任される者の1/3の出資の利益の1/2、つまり1/6(1/2 x 1/3)だけ出資分の配当として多くもらうのである。これは委任する側から見れば、出資分の割合である利益の2/3の内の1/4だけ(2/3 x 1/4 = 1/6)が委任される者に取られるということである。海上取引にかかった費用の分担についても、コムメンダと異なる所はまったく無かった。 16) そういった利益やコストの分担の仕方の違いではなく、ただ危険の共有のみが2つの制度の違いを生じさせているのである。旅する方のソキエタスの成員(ピサでの呼び方ではtractator{トラクタトール})の商品は、ソキウス・スタンス(socius stans、ピサでただ出資だけの成員をこう呼んだ)の商品と一緒にされて船に積み込まれ、もしある一方の商品が海上で損害(海損)を被った場合、その損害は両方に共通の損害、つまりソキエタスの財産の減少として扱われるのである。《今日の海上損害保険における「共同海損」の原理》

 商品を販売したことから得られた利益は、その商品を用意した者の利益ではなく、一種の共有財産となるのである。-ソキエタスの財産についてはもはやソキウス・スタンスの特別勘定でもなく、またトラクタトールのでもなく、ソキエタス財としてある勘定を、-ソキエタスの資本勘定とここでは名付けるが-成立させるのであり、この勘定に対して貸方に記入したり(出金したり)、借方に記入したり(入金したり)するのである。(まだ商業簿記的にではなかったが、会計上ではこの時代において既に簿記とみなすべき先例が見出されるのである。)こういった共通勘定について、どのような支出を行いあるいは収入を得るかという、特にこの勘定の利益になることについて(”venire in societatem”{ソキエタスの中に入れる}、HPMのChart. II。380、457、487、604、619、729、734,910など多数を参照)、多種多様の取り決めを証拠付ける文献史料が残されている。多くのそういった勘定は、お互いに様々に異なった精算関係を持つことが可能になる。

 このようなソキエタス・マリスの発展においては、それが新しい制度だといってもコムメンダとの根本的な違いは共通の基金の形成という点を無視すれば、おそらくはっきりと認識されることはなかった。-しかしながら何らかの形で重要な相違が存在しているということは、(共通基金の形成という明確な区別が存在する故に)Lastigによっても否定はされていなかった。まさに通常の場合コムメンダを特徴付ける要素、つまり危険が委任する者だけによって負担されるとういうやり方は、ソキエタス・マリスにおいては変更が加えられているのである。ソキエタス・マリスが通常のコムメンダである度合いが薄いほど、新たな現象として危険が委託を受ける側でも負担される場合において、法的に見ればより一層次のことが重要になる。つまり、ソキエタス・マリスにおいては最初から最後まで、もはやある一人のソキエタスの成員が自分の勘定で海上取引という業務を執り行ない、そのことによりその者が業務の責任者となり、トラクタトール(委任を受ける者)にはただその労働力を提供させるというのではなくなり、-ソキエタス・マリスにおいては参加する委任者と被委任者の双方が相手の出資に対する危険をも分担するのである。

17) Chart. II 576を参照(陸上コムメンダの場合、後記。)

経済的な意味

 経済的な意味においても二つの制度の違いは顕著である。既にコムメンダ、特に資金委託の形のコムメンダの場合において、委託を受ける者が委託する者と販売市場の間に入る存在となっていく傾向があったが、ソキエタス・マリスにおいては更に、トラクタトール自身が自己資本を海上取引に投入しており、それもとりわけ多くのソキウス・スタンスが一人のトラクタトールと投資において関係を結ぶ場合において、コムメンダとの違いは明白であった。トラクタトールの活動が次第に困難さを増していく市場との関係において重要性が増せば増すほど、それだけ経済的には一層トラクタトールが企業家として、逆にソキウス・スタンスは単なる参加者に見えてくるというのが必然の成り行きだった。その場合にはソキウス・スタンスはもはや外部の労働力を自分の事業に組み入れる者ではなくなり、自分の海上取引における役割が単なる投資家に留まることを認めるようになる。後者の自己認識は紛れもなく、トラクタトールと取り結んだ種々の契約をソキエタス・マリスへの投資、つまり特別な形に統合された信託投資とかあるいはそれに似た短期利益を目的とした投資としてみなす、となっていくのである。18)いまやソキエタス・マリスが経済的にはこのような新しい意味を持つことが可能になるか、あるいは事実上しばしばなったにも関わらず、ソキエタス・マリスはその法的な構成という意味では、新しい影響をまったく及ぼさなかった。二つの制度の間に法的な差異は存在せず、経済的に旅するソキエタスの成員(トラクタトール)の労働またはソキウス・スタンスの資本を別の他の団体の業務であるかのようにみなすことになる。この最後のケースにおいては、ソキウス・スタンスの位置付けを自分の資本を外部の者による業務による利益または損失に関連付ける者とみなすことや、またその関係を経済的に「参加」と描写することを誰ももはや正当とは思わないであろう。-そこからソキエタス・マリスの曖昧さをしばしば批判し、その曖昧さがコムメンダ関係というものをそれに「参加する」者と捉えることに起因するというLastigのソキエタス・マリスの把握の仕方には反駁せざるを得ない。コムメンダについてはまさに参加という形で機能しているとも言えるのである。19)

18) Constit[utum] legis Pisanae civitatis (Francesco Bonaini《1806 – 1874、イタリアの文献・古文書学者》編の、Statuti inediti della città di Pisa 《https://archive.org/details/statutiineditid00tusgoog/page/n9》 Vol. II) c. 21. Stat[uten] v. Pera c. 108.を参照。これをジェノヴァ市民の誓約ゲノッセンシャフト(コミューン)であるCompagna communis《11世紀の終わりにジェノヴァの市民によって結成された自治組織で後の共和国のベースとなった。》のソキエタスにおいて誰にも帰属しないお金を受け取ることについての誓約と比較せよ。(Breve della comagna v.1157)

19) Lastigはむしろコムメンダ関係を「一方向的な労働ゲゼルシャフト」として、彼が”participatio”(参加する)と名付ける「一方向的資本ゲゼルシャフト」とははっきりと区別しようとしている。ただ委任者と被委任者の関係において存在する要素のみが、ソキエタス・マリスにおいても経済的には問題であり、それについての解答は誰が海上取引業務の「主人」であり、つまり企業家であるとみなすことが出来るかということであり、-それは可能性として二者の内のどちらでもないことがあり得、それは結局二者のどちらもが等しくそうであると言うことになる。LastigEndemann《Samuel Wilhelm Endemann、1825 – 1899、ドイツの法学者・ドイツ帝国議会議員》の”societas pecunia-opera”《”in qua alter imposuit pecuniam, alter operam”、つまりソキエタスの一方の成員はお金だけを出し、他方の成員は労働だけを提供するもの。》等の理論(Endemannの„Studien in der romanistisch-kanonistischen Wirtschafts- und Rechtslehre.“《第1巻:1874年、第2巻:1883》の中の)に対して、経済的な見地を法的な観察に混ぜ込ませているとして、効果的かつ正当に反駁しているが、しかしLastig自身もまた彼が作成した(法的な)カテゴリーの中に経済的なものも混ぜてしまっているのである。(Lastigの言う)「参加」も、法的にはとりわけ多種多様な形態を取りうるのであり、ソキエタス・マリスを対象にしない技術的・法的な意味付けが、私の知る限りの出版されている文献史料には見出すことが出来ないのである。Lastig自身も曖昧さを後に認めているが、我々は後でピサにおいて特に次のことを観察するであろう。つまりソキエタス・マリスがそれが最初に花開いた時期から既にコムメンダと異なっていたこと、そしてまた参加というモードで見た場合にも機能しており、そこ(ピサ)においてこれらの原因によって特別な、他のものには欠けている法的な定義をすることが出来るということである。「参加」はそれ自身が本来法学的ではなく経済的な概念である。

3.コムメンダ関係の地理的領域

 ここにおいては、膨大な文献史料に基づいてコムメンダとソキエタス・マリスの発展の経過を個々の地域共同体(都市共同体、コミューン)において追っていくことはしない。ピサについては、第4章で特別に取り扱うこととする。というのはピサの法律は我々の研究目的に対して非常に興味深いものであるからである。-個々の国々におけるコムメンダ関係に関する文献史料についての概説は、それが我々の関心に適合する場合において、かつまたこの制度の地域的ではなく国際的な意味を俯瞰するという目的においてのみここで扱うこととする。
実際の所、コムメンダ関係は地中海周辺のあちらこちらで見出すことが出来る。

スペイン

 スペインにおいてはコムメンダ関係の法的な発展は、既に引用した西ゴート法典の引用箇所や Fuero Iuzgo《Fuero Juzgoとも表記。スペインのカスティーリャ王国で1241年にフェルディナント3世により制定された法律で、内容的には654年の西ゴート法典のスペイン語への翻訳が主で他にローマ法や教会法の影響も受けている。》において確立するが、しかしながらそこで規定されているコムメンダ関係は独自性が弱く、まずは外国人が従事している商取引 20) に適用されるものだった。本質においてジェノヴァの法律がそのままコピーされており、コムメンダや海上取引法に関心の力点は置かれておらず-それはConsolato del mareでも同じであるが-海上船舶の運航に関する法規、つまり船主と乗組員他との関係に重点が置かれている。急速に浸透したローマ法においてはそれから、既に13世紀においてそれぞれの国での法的な発展の内容をほとんど変更せず 21) そのまま吸収した。ただバルセロナ 22) においてのみ、この制度の(現地の法での)規定が生き残っていた。Siete Patridas(7つの章、の意)《スペインのカスティーリャ王国で賢王(El Sabio)と呼ばれたアルフォンソ10世(在位:1252 – 1284)によって編纂された法規集。同王は他に音楽史において「聖母マリアのカンティーガ集」の編纂でも有名。》では、やはりローマ法の規定のみしか見出せない。

20) アグラムント(カタルーニャ州の地名)の議会による1118年の Fuero de Guadalajara 《アルフォンソ7世が12世紀に定めたグアダラハーラの地方法》では、商人をただ外国人としてのみ扱っており、Consolato del mare c. 172.175はジェノヴァ法の内容を含んでいる。バルセロナにおいては、1258年の規定において完全にジェノヴァの法規定の内容を取り込んでいる。Leyes de Recopilacion《1772年のスペインの法規集成》1. VII t.X1. 3では、外国人による船舶の航行業務についての規制が有り、そういう外国人に対しては特別に大規模な貿易取引の場合にのみ(コムメンダ関係を)許可しているように見える。

21) 1258年の Costums de Valencia《バレンシアで13世紀に制定された通常の法と同様の効力を持つ慣習法の集成。》では、コムメンダの被委任者について取り決められている。マヨルカ島では1433年の法規の中では純粋なローマ法が支配的である。トルトーサにおける慣習法の集成ではエンコミエンダ (1. IX r. 23) 《8世紀から15世紀までのスペインにおけるレコンキスタというキリスト教地域復活運動の中で、征服した地域の住民の労働が功績を挙げたものに委託される制度》において修正が加えられている。

22) コムメンダ等についての法規が見出せるのは、以下の文献においての1271、1283、1304、1343年の部分においてである。Jean-Marie Pardessus《1772 – 1853、フランスの法学者。商法・海事法の専門家。》の”Collection des lois maritime”、Don Antonio de Capmany《1742 – 1813、スペイン(カタルーニャ)の政治家、歴史家、ローマ法学者、辞書編纂者。》の”Memorias historicas sobre la marina, comercio y artes de la antigua ciudad de Barcelona”(マドリッド、1779年)。

シチリア島、サルディーニャ島

 シチリア島とサルディーニャ島の諸都市においては、文献史料を見た限りにおいては、独立した大規模取引の欠如により、コムメンダの制度は発達しなかった。23)

トラーニ、アンコーナ

 トラーニ法典においては 24)、独立したコムメンダの被委託人は、まだ海上取引の商品に付き添う商人の通常の代理人の代用品としてのみ言及されている。

アマルフィ

 アマルフィにおいては、Kolonna(colonna) 25) 《colonnaについては栗田和彦著『アマルフィ海法研究試論』(関西大学出版部、2003)で詳しく研究されています。ここに情報あり。》という制度において、コムメンダにおいて発展した船に商品を積み込んで海上取引を行う場合の危険の分散と利益の分割という考え方が適用されている。しかし、それはただ小規模で原始的な沿海貿易で相対的に小規模な資本が投下される場合に使われただけである。独自の、大規模な海上取引に付属するコムメンダのような制度はそこでは独立したものとしては発展しなかったように見える。26)

 これまで述べて来た全ての地中海沿岸の領域においては、バルセロナの例外を除いては、独自の継続的な大規模海上取引が存在せず、それ故にコムメンダという制度も、またその特徴的な根本原理も、存在自体は知られていたが、イタリアの大沿岸都市においてそうであったように、独自な形で、また決疑論《あらかじめ存在する理論的なカテゴリーやモデル(後のヴェーバーの用語法では理念型{Idealtypus})に個々の事例(ラテン語でcasus、ケース)がどのように当てはめられるのかあるいはられないのかを検討する学問の技法。例えば法教義学において、個々の事件にどのような法律概念を適用出来るか検討する(例:殺人だが正当防衛なので無罪)ようなこと。》的に完全な形にまで、発展することはなかった。

23) パレルモ法典《詳細不明》の第76章からは、大規模な海上取引はただ外国人の手に委ねられていたことが結論付けられる。サルディーニャ島のサッサリ(の法典)では、外国人が内国人に委託するその時々のコムメンダについての言及が見出される。スペインと南イタリアとイタリアの島々においての全体での貧弱な文献収集からは、コムメンダという制度は知られていたが、同時にそれの独自の発展はそれらの地域では見出すことが出来ない。

24) Pardessusによればトラーニ法典の成立年代は1063年であるが、周知の通り、この成立年代に関しては疑義が投げかけられている。1397年のアンコーナ法典《詳細不明》はその内容をトラーニ法典に負っている。

25) Labandの商法雑誌第7巻に収録された”Tavola de Amalfa”(正しくは”Tabula Amalfitana”、全集版の注による。)とジルバーシュミットの”Commenda in ihrer frühesten Entwicklung”(コムメンダの最初期の発展について)を比較参照せよ。

26) 1274年の” Consuetudines civitatis Amalphiae”(アマルフィ市民慣習法)(Luigi Volpicella《詳細不明》の編集による)の第14章によれば、societas vascelli(= Colonna)に並置してソキエタス・マリスを記載している。しかしその本質的な原理の説明が欠けており、特に利益が出資分に応じて(pro rata)分けられたかということは疑わしい。ソキエタス・マリスがこの地へは外から持ち込まれたのであり、独自に発達したのではないと言うことは、事業の危険を資本家が負うという必須とみなされた特別な前提条件の記述を見ても明らかである。

ピサ

 ピサについては別途《第4章にて》考察を行う。

ヴェネツィア

 ヴェネツィアではジルバーシュミットが指摘するように10世紀において既に、collegantia という形で、入手出来る文献史料が明白に証拠立てているように、コムメンダとソキエタス・マリスの根本原理を発展させている。collegantiaの担い手が本来の企業家であるということは、コムメンダやソキエタス・マリスと同様に確からしく、それは営利目的の資本投下の一つの形態を作り出している。

27) 1081年の調停の文献史料(Archivio Veneto《1871年創刊のイタリアの史学雑誌》第6巻、P.318)を参照。そこでは、rogadia、transmissum、commendacio、collegantiaといった用語が使われている。transmissumはおそらく輸送に関する業務で船主のコムメンダに関わるものであろう。commendacioはここ以外でも多く使用されているが、供託物(Depositum)の意味であろう。colleganitaはソキエタス・マリスであり、しかしジルバーシュミットの言うようにrogadiaが一方的なコムメンダであるかどうかは疑わしい。ヴェネツィア法典の1. III c. 3では、collegantia はソキエタス・マリスの形態を内包しており、単なる一方向的なコムメンダとは違い、トラクタトールもまた資本参加するのである。rogadiaについて可能性が高いのは、固定報酬によって委任を引き受けるということであり、コムメンダの前段階と言えるだろう。roga communis《共同事業についてのコミッション、Kaeblerの英訳による》という表現がヴェネツィア法典(Promissiones maleficiiの第22章。《→全集版の注によれば、1232年のPardessusのCollection Vの第22章にある、Statut criminel de Veniceが正しく、Promissiones maleficii{虚偽の約束}という箇所は実際には存在しない。》)の中に見出されるが、なるほどそこでは communis rogam《共同事業についてのコミッション》または communis marinarium《海上取引についてのコミッション》を請け負ったものは、契約違反を犯した場合には、poena dupli(二重の罰)が課せられるという脅し文句が記載されている。Pardessusの”Collection des lois maritimes antérieures au dix-huitième siècle”(1824 – 1845、全6巻)の第5巻のP.19では communis roga を”arrhes payées au nom de la ville pour engagement sur le navire de l’état”(都市国家の名前において、都市国家の船についての契約に対して支払われた手付金)と説明している。この用語と船の航行との関連も、引用したヴェネツィア法の箇所から見て明白である。さらにヴェネツィア法の1. III c. 2を見れば(基礎的な記載追加は既に13世紀初頭に見出される)、rogadia の目的が商品の販売とされていることも明らかである。同法の1.1 c.48の箇所からは何も判断出来ない。従ってそこでの船の航行との関係も明らかではない。

28) Archivio Veneto XX《詳細不明》のP.75の1150年の例とP.76の1191年の例、さらにはP.325を参照。1403年の銀行法のv. 21. XI. によれば、collegantia はまた銀行による資本投下の手段としても使われている。

ジェノヴァ

 ジェノヴァにおいて、コムメンダやソキエタス・マリスを見出すことができる法規や文献史料の中で、それらに南仏の諸法規が依拠しているのであるが 29)、二つの制度が当然のものとして定義されていることについては、何の疑問も差し挟む余地も無く同意出来る。ジェノヴァの契約書の書式は、地中海沿岸の全ての国で、十字軍の時代 30) においてオリエントでの大規模な国際的商取引の中で、一字一句変更無しにそのまま用いられた。ジェノヴァそれ自身においても、コムメンダとソキエタス・マリスの書式は明白に海外との取引についての都市国家により定められた法書式であった。Compagna communis《1097年頃に結成された誓約共同体、自治組織であり、ジェノヴァ共和国の原型となったもの。》のメンバーでない者は、この書式を使用することが出来なかった。文献史料ではこの都市の最初の名門の家門であるドーリア(Auria)家、スピノラ家他が非常にしばしばコムメンダの委任者として登場する。同じく非常に頻繁に同じコムメンダの委任者が同時に非常に多くの異なった商品についてのソキエタス関係を結んでいる。

29) ニース(Hist. Pat. Mon. Leg. Munic.T. 1)、マルセイユ(1253年)、モンペリエ(ParadessusのCollectionに収録)。

30) アルメニアのアイアスにおけるNikolaus DensAntoniusu de Quartoの公正証書、及びArchivcs de l’Orient latin vol. 1.1. に収められた13世紀のキプロスのファマグスタにおける Lambertus de Sambuseto の公正証書を参照。地中海沿岸の全ての国が登場する。これらの文献史料はほとんど一字一句ジェノヴァの公証人であるGiovannni Scribaの書式を借りている。オリエントでの独自の表現は、ソキエタス・マリス相当語としてiatenum、von tchaten、zusammenlegen = collegantiaなどが存在する。

 これらの法規における様々な規定は、法的関心の範囲内で、ジルバーシュミットにより詳細に分析されている。それ故に、本論文ではそれらを再度細かく蒸し返すことは行わない。本質においてそれらの規定は任意法規《当事者の意思によって適用を免れることができる法規》を含んでおり、ソキエタスの成員同士の関係を規制している。しかしここでもまたそれらの規定の完全な姿は存在していない。それらの規定は、全てのイタリアの諸法規と同様に、-何が解釈において重要であるかという意味で-本質的に個々の細かい点を扱っているのであり、それらは実地においては疑義をもたらしたり、困難を引き起こすこともあったのである。そういった不完全さは、特に「一方的な労働ゲゼルシャフト」と「一方的な資本ゲゼルシャフト」(Lastigが定義した意味で)の間での経済上の意味の揺れのために、しばしば疑念を引き起こす次のような問題を生じさせる。つまり、委任された側は航海中にどの程度まで委任した側あるいはsocius stansの指示に従う必要があったのかということと、また委任された側が自らはリスクを負うこと無しに、どの程度まで予定の航路から外れることを決定する権利があったのかということ、さらには当然の懸念事項として、トラクタトールが外国で死亡した場合にその後継者をどうするか、等々の問題である。
 トラクタトールの非独立性は基本原則であり、その反対に独立性を認める場合には多くは特別事項として追加条項の中で処理され、トラクタトールが貿易のためにどこに赴くとしても(quocunque iverit)、そのトラクト-ルはソキエタス関係をそのまま維持するとされた。
 ジェノヴァの法規における規定はこれらの制度に関してはほとんど変更されることはなかった。1567年の改定においてでさえ、特記すべき変更点は無かった。ようやく1588/89年版の法規において重要な変更が加えられている。これについては後述する。 31)  当時コムメンダとソキエタス・マリスはその古い形態では商取引においてそれまで長い間保持していた重要な意義をもはや保持してなかった。商取引自体が別の方向に進み始めていたし、地中海における海上取引はもはや全世界においては上位に位置するものではなくなっていたし、その古い形態は他の形態に席を譲らざるを得なかった。もちろん他の形態といっても部分的には古い形態をベースにしていたのであるが。16世紀の判例集- Decisiones Rotae Genuensis、Rotae Lucensis、Rotae Florentinae、Rotae Romanae – においては、コムメンダとソキエタス・マリスに関する箇所では、その古い形態についてはもはや言及されていない。

31) 最終章(第7章)参照。

4. 海上取引に関係するソキエタスの財産権法上の扱い

 それではここまで歴史的及び地理的に追跡して来た《コムメンダとソキエタス・マリスという》制度が、この論考で取り扱っている問題《ローマ法のソキエタスが歴史的にどのように合名会社へと発展していくか》に対してどのような意味を持つのであろうか?

 我々がこれまでに見て来たように、これらのソキエタスのある一定のやり方の資本投下は最初からその本質的な要素であったし、その資本投下がさらにはその名称としても「ソキエタス」として表現され、あたかもそれがソキエタスの本来の代表例であったかのように扱われていたのである。それではこれらの資本投下の結果としての基金は、ソキエタスの成員の他の財産に対し、また対外的にどのような地位を占めるのであろうか?

ソキエタスの基金

ソキエタスに投下された資本は、まず何より単純に法的な客体(オブジェクト)の複合体である基金であり、その複合体すなわちソキエタスの基金は精算の目的で次のような特別の計算を必要とする。つまり、何が利益としてこの基金に組み入れられるか、そして何が損失としてこの基金から差し引かれるのかということである。というのは、複合体すなわちソキエタスの基金はリスクと特別な計算による利益の分割に関して、その土台を提供しているのである。そのためその複合体すなわちソキエタスの基金は、トラクタトールによって持ち込まれた商品や資本とは区別されなければならず、複合体=基金はある特別の勘定を形作る。そして今日の簿記が複数の勘定がそれぞれ法的な主体であり、それぞれがお互いに債権と債務を持ち合っているという具体的なイメージを用いているように、ジェノヴァの文献史料においてもまた、そこでのソキエタスで何がその収入となり、何が支払うべきものになるのかという点において、あたかもある種の法的な主体であるかのように取り扱われているのである。しかしながらそういった基金はそのことによってまた、ソキエタスの成員同士の関係においてのみ、ある種の特別財産の地位を獲得したのであろうか?今日の簿記上の勘定がそうであるような、同時に第三者に対しても特別財産の地位を獲得することがまだ起きていないのは確からしいことである。コムメンダとソキエタス・マリスという二つの関係は、それら自体が完全なものであり、ローマ法による根拠付けによって成立が可能になっているであるが、これらに関する文献史料は我々がローマ法のソキエタスとして知っているものをまさにその記述の中で思い起こさせるのである 32)。ソキエタスの成員同士の関係の全体像は、ソキエタスの成員同士の間での相互債権として法的に説明することが完全に可能である。

32)上記にて引用した(イタリア中世都市での)文献史料の記述を、以下のローマ法におけるソキエタスの文献史料、つまりルーマニアのトランシルヴァニア《ドイツ語でSiebenbürger》の歴史博物館収蔵の《ヴェーバーがこの論考を書いていた時、既に当該史料はベルリンの博物館に移送されている。今日でも同じ。》紀元167年のトリプチカ《木板の表面に蝋を塗って先の尖った鉄筆類で文字を書けるようにしたのが蝋板本だが、トリプチカはその板を3つ重ねてつなぎ合わせたもの。しかしここで言及されているラテン語金石碑文大成の950は2枚しか無い。》(Corpus Inscriptionum Latinarum《ラテン語金石碑文大成。CILと略記する。1847年にテオドール・モムゼンが主宰した解読のための委員会が発足し、2020年1月現在全17巻が刊行され、18万種類にも及ぶラテン語の金石碑文の解読結果が収録されている。》の、Voluminis Tertii Pars Posteriorの950。「Dociusの蝋板本」)と比較せよ。:
Inter Cassium Frontinum et Julium / Alexandrum societas dani(st)ariae (= 銀行業務) ex/X kal. Januarias q[uae] p[roximae] f[uerunt] Pudente e(t) Polione cos. in prid(i)e idus Apriles proximas venturas ita conve/n(i)t, ut quidq(ui)d in ea societati arre/natum fuerit lucrum damnumve acciderit/ aequis portionibus s(uscip)ere debebunt./ In qua societate intuli(t Juli)us Alexander nume/ratos sive in fructo X (qu)ingentos, et Secundus Cassi Palumbi servus a(ctor) intulit X ducentos/sexaginta septem ‘pr … tiu … ssum Alburno … d(ebe)bit)./ In qua societ(ate) siquis d(olo ma)lo fraudem fec(isse de/)prehensus fue(rit) in a(sse) uno X unum …/(denarium) unum X XX … alio inferre deb(ebit)/et tempore perac(t)o de(ducto) aere alieno sive/ summam s(upra) s(criptam) s(ibi recipere sive), si quod superfucrit,/dividere d(ebebunt) pp.
(Cassius Frontinus《英訳はFrontiusとしているが誤りと思われる。》とJulius Alexanderの間で、銀行取引に関するソキエタスの契約を締結した。その有効日は紀元165年の1月1日《注:ユリウス暦。現在使われているグレゴリオ暦では12月31日に相当。当時のローマでは利子の計算は月の1日を起点として行われた。なお英訳はこの1月1日を何故か12月23日と訳しているが理由は不明で訳者に問い合わせ中。》から翌年の4月13日の1日前《紀元166年4月12日。ローマでは月中の日はいくつかの起点の日の何日前という風に表現された。》までであり、L. Arrius PudensとL. Fufidius Pollioが執政官(コンスル)であった年である。《ローマの執政官は任期は1月1日から1年間であり、ある年を言う場合は誰それが執政官であった年、と表現される。》その契約の中で次のことを合意した。すなわち、そのソキエタスにおいて、「相互が供託した資金において」《arrenatumという語のBrunsの解釈による》どちらのソキエタスの成員も、将来における利益または損害に対しては、その持ち分に応じて分担する義務を負う。そのソキエタスにおいて、Julius Alexanderは500デナリウスを現金で、かつ利益を得ることを目的として(?)支払い、Cassius Palmbusの代理人である奴隷のSecundusは《ローマでは奴隷が主人に代わって利殖を行うのが通常だった。》前もって267デナリウスを支払い、Alburoはそれについて債務を負うことになる。このソキエタスにおいて、その成員の誰かがソキエタスの資産について虚偽の手段を用いて詐欺を行ったことが明らかになった場合は、罰金として(だまし取ったお金)1デナリウスに対して20《ヴェーバーのテキストではXXの上に横線があり、これは1000倍を意味するので20,000になるが、数字が大きすぎるし、インターネット上で確認出来るこの部分の原典では横線は付いていない。Kaelberの英訳ではその左の解読出来ない文字も含めて30としている。》デナリウスをソキエタスの他の成員に支払わなければならない。そしてソキエタスの契約が終了した時には、負債を差し引いた上で、元々のそれぞれの拠出額を回復させなければならない。そしてもし剰余金が存在する場合は、それは成員間で分けられなければならない。)
”arrenatum”という単語は文法的に意味がはっきりしない。モムゼンは、Georgius Bruns《詳細不明だが、おそらくこの950についての注釈を作成した学者。》の”Fontes iuris romani antiqui in usum prae lectionem”の第5版のp.269に準拠し、ここの意味を”sub arrha mutuo datum”(誓約された相互の供託金?)としている。《この部分については全集版の注90を参照。モムゼンがBrunsの脚注を見落として間違った解釈をし、ヴェーバーがそれをそのまま引用した可能性が指摘されている。》より蓋然性の高い仮説としては、卑俗的表現である”ad-re-nasci”(そこに向かって生まれ出でる)という、ある資本投下の結果として生じてくる(”hinzu-er-wächst”)利益または損失の全てを表現しているとも考えられる。この考え方はコムメンダにおける通常の考え方にも適合するであろう。特徴的なのは-これについては後で《第4章》ピサでの金銭価値の見積り(aestimatio)についての議論の所で述べることになるが-更に現金以外の形でソキエタスに持ち込まれた有価物の価額評価がまた、中世の、特にピサにおけるソキエタス・マリスの本質的な目印であるということである。入手しうる文献史料は全て、海上取引に関する諸ソキエタスが、ローマ法の中の市民法によって根拠付けられていることの、蓋然性の証明の役目をここでも果たしているのである。

固有財産形成への萌芽

 ジェノヴァの法についてのこれらの原理的な立脚点は、しかしながらまだ完全に確立されたものとは言えなかった。そこには後代での大きな発展の始まりとなるような萌芽のみが見出される。そういった発展の始まりは特に次の事において見出される。つまり法の規定がソキウス・スタンスに対して、ソキエタスの所有物について、即ちソキエタスの中に持ち込まれ、ソキエタスの資金によって購われた物についての、-そういう言い方が出来るとするならば-「返済からの分離」(別除)への権利(別除権《破産の際に優先的に弁済を受ける権利》)を付与する場合である 33)。

33)同じ内容の規定がジェノヴァの法規の様々な版の中に見出される:
Pietro Datta《Regia deputatione di storia patria(1833年に設立された王立のイタリアの歴史史料の蒐集・編纂を行う団体)のメンバー》の”Frammento Di Breve Genovese”《1858年》IVの de pccunia ad statutum terminum accepta(法規によって決められた期日に受領した金銭について), 及びペラの法規 I. V c. 211:
… der socius hat den Vorzug, „et praesumatur… pecuniam vel rem illam quae inventa fuerit in ejus (scil, des reisenden socius) mobili a tempore quo pecuniam illam acceperit … processisse vel comparata esse de pccunia illa vel societate aut accomendacione accepta “
(ソキエタスは資産を保有する。「そしてあらかじめ次のことが想定されている。…旅するソキエタスの成員(トラクタトール)が、その(貿易の)旅の途上にて受け取ることになるお金や物品は、その成員が(ソキウス・スタンスの)出資金を受け取った時以降…ソキエタスからかあるいはコムメンダ関係による出資金に起因して、発生したかあるいは獲得された(とみなされる)。」)
故に次のような基本原則が確立する。金額は物の(販売された)場所によって決定される、逆もまた同様。Statuta et Decreta Communis Genuae、1567年 I. IV c.43. にも同じ規定が存在する。
このことは花嫁の持参金についての”utilis rei vindicatio”(所有権に関する返還請求権)を想起させる。この持参金というものも、女性の財産に至る法的な発展が途中で止まってしまっている制度である。《花嫁の持参金はローマでは通常の慣習だった。》

そういったソキウス・スタンスへの別除権の付与によって、事実上ソキウス・スタンスの出資金に属していたり、その資金に対する収入であったり、あるいはその出資金によって購われた財産のある部分については、旅する側のソキエタスの成員(トラクタトール)の個人的債権者の(トラクタトールの)破産の際の差し押さえから免除されることになり、トラクタトールの(ソキエタスの)全体の利益の中での分け前のみが、破産の際には破産財団に組み入れられる。他方では、ソキウス・スタンスの個人債権者は資金提供型のコムメンダにおいてはどのような場合であっても直接的にはソキエタスの基金に手を付けることが出来ないということであり、それは当然の帰結として、個人債権者はトラクタトールからソキウス・スタンスの出資分と利益(の分け前)を返してもらうよう要求出来るだけである。それ故に、ソキエタスの基金については、どのような場合であっても特別の取り決めがなされる必要があった。

ソキエタスの責務

 しかしながら旅するソキエタスの成員(トラクタトール)がその業務の執行において、債務を負ったり、債権を得る場合はどう扱われるのであろうか?

 ”nomina”《物に対比される債権》は諸規定での明確な記述によれば、ソキエタスの成員(ソキウス・スタンス)の優先権と別除権に関係づけられた客体に付随している。ペラ《イタリアの都市名》の法規定によれば、ソキウス・スタンスはそれらの客体を、あたかも自分自身の所有物であるかのように 34)、直接的に訴求することが出来る

 ソキエタスの業務の執行の中で契約された債務については、それ自身が当然のこととして-そこには何らの疑いもないが-単純にトラクタトールの債務である。文献史料を見ても、ソキウス・スタンスがまたその債務によって拘束されるということについては、どこにもそのように読み取れる箇所は無い。しかしながら、もしかしたらソキエタスの勘定についてトラクタトールに信用を供与している債権者は、ソキエタスの基金に何らかの関係を持つのであろうか?それについても文献史料の中には何らの明示的な規定も見出せない。ともかくここで注意しておくべきおことは、ソキエタスの成員の破産の際のソキエタスの仮想的な所有物に対する無条件の優先権を定めている規定を収録している法規は、同時にそれに対する制限も明示的に付け加えていることである:
”nisi sit res illa, de qua venditor nondum sit pretium consecutus”(もしまだ売りに出されておらず従って価格未定の物件が存在しない場合においては)(ペラの法規定、前述、C.211、1567年のC43)。また14世紀のアルベンガ《イタリア共和国リグーリア州サヴォーナ県の都市》の法規もジェノヴァの法規の影響を受けて、特別に明瞭に、破産の場合に売主に対し”rei vindicatio utilis”(自分の所有物に対する返還請求権)を定めている。

 トラクタトールは本質においてソキエタスのために購買や販売という業務を執り行うため、ソキエタスに対する主要な債権者は、ソキエタスの成員よりも強い優先権によって、ソキエタスの成員に対する自己の権利が保護されるのである。

34)前述の通り、”possil petere totum debitum de quanto sibi contigerit per quantitatem sue societalis vel accomendacionis”(その者は全ての債務を、その債務がその者のソキエタスまたはコムメンダ関係の範囲内で課されている限度内で認めることが出来る。)この規定は多数のコムメンダ契約が一人の同一の被委任者と締結されている場合についてのものであろう。ペラの規定の216も同様の意味を持っていると思われる。
 こうした法的な取扱いからは、被委任者(トラクタトール)の破産において委任者(ソキウス・スタンス)の勘定から返済を受けようとする請求の仕方を思い起こさせるが、こうした請求についてはドイツ帝国破産法の第38条の別除権によって保護されるのである。最終章(第6章)を参照。そこでは後代におけるコムメンダから委託業務への移行について言及される。

35)ピサの場合については、前述の通りここでは取り扱わない。

36)アルベンガの法規:”et tunc presumam et habebo pecuniam et rem illam in ejus bonis … processisse et comparatam esse de pecunia illa vel societatis vel accomendacionis excepta re illa, de qua venditor nondum sit pretium consecutus. in qua venditor habeat vendicationem rei venditac donec sibi de pretio fuerit satisfactum.”(そしてそれから私は以下のことを当然のことと想定する。つまり私が資金及び彼の所有物の中のある物を入手するようになるだろうということと…ソキエタスまたはコムメンダ関係によって投入された金銭について{購買対象として}現れ購われたその物について、売り手がまだ売価を入手していない商品を除いて、それらの売りに出されている商品に対しては、売り手は満足する価格を入手するまでは、その商品に対する所有権を保持し続ける。)