「経済と社会」再構成を巡るこれまでの経緯を知るためのテキスト

折原浩氏が、これまで40年以上の年月をかけて取り組んできた「経済と社会」の旧稿の再構成案を巡る議論について知るための基礎的なテキストを紹介します。下記以外にも大学の紀要やドイツの専門雑誌に発表されたものが存在しますが、そちらは省略しています。

1.「マックス・ウェーバー : その学問の包括的一肖像」(上・下)、R・ベンディクス著、折原浩訳、三一書房、1987-1988年(初版:1966年、中央公論社)
2.「『経済と社会』からの訣別」、F・H・テンブルック著、住谷一彦・小林純・山田正範訳、1976年(原論文)、(1997年、未來社、「マックス・ヴェーバーの業績」に収録)
3.「マックス・ウェーバー基礎研究序説」、折原浩著、未來社、1988年
4.「『経済と社会』仮構の終焉」、W・シュルフター著、茨木竹二訳、岩波書店、1988年(「思想」1988年5月号収録)
5.「ヴェーバーの再検討 -ヴェーバー研究の新たなる地平-」、W・シュルフター著、河上倫逸訳、1990年
6,「ヴェーバー『経済と社会』の再構成―トルソの頭」、折原浩著、東京大学出版会、1996年5月
7.「ヴェーバーとともに40年 社会科学の古典を学ぶ」、折原浩著、弘文堂、1996年6月
8.「『合わない頭をつけたトルソ』から『頭のない五肢体部分』へ -『マックス・ヴェーバー全集』(『経済と社会』「旧稿」該当巻)編纂の現状と問題点)」、折原浩著、未來社、2000年1月(「マックス・ヴェーバーの新世紀」、橋本努・橋本直人・矢野善郎編、に収録)
9.「『経済と社会』再構成論の新展開 ーヴェーバー研究の非神話化と『全集』版のゆくえ」、ヴォルフガング・シュルフター+折原浩共著、鈴木宗徳・山口宏訳、未來社、2000年11月
10.「日独ヴェーバー論争 『経済と社会』(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて」、折原浩著、未來社、2014年

1は、それまで断片的な著作のみが論じられていたマックス・ヴェーバーについて、その学問の全体像を示そうとしたほぼ初めての試み。
2は、1のベンディクスのヴェーバー観を批判すると同時に、ヴェーバーの「経済と社会」の構成について、マリアンネ・ヴェーバーや二度に渡って校訂版を出したヨハネス・ヴィンケルマンが採用した「二部構成」(一部が基礎概念や範疇論で二部が宗教社会学や法社会学などの具体的な社会学の展開とするもの)について、ヴェーバーが本来そういう構成の意図を持っていなかったことを明らかにし、更にヴェーバーの主著とされるものは宗教社会学の一連の作品がそうで、「経済と社会」は出版社から依頼された仕事に過ぎないので価値がそもそも低いと主張したもの。
3は折原浩氏(1の日本語訳者でもある)が、2のテンブルックの批判に応え、二部構成が間違っていることに賛成すると同時に、しかしそれでも「経済と社会」の意義は損なわれないと主張し、今後再構成を目指していく意思を表明したもの。
4はモーア・ジーベック社から刊行されることになったヴェーバー全集の編集委員となったシュルフターが、そのスタッフに対しテンブルックの批判を伝え、彼自身の考えを分かりやすく整理して示したもの。
5は4と同様のもの。
6は折原浩氏が東京大学教養学部教養学科大学院における10年をかけた「経済と社会」の精読演習を終えた後出したもので、同書に含まれるすべての「前後参照句」を手がかりにテキストの正しい配列を探り、また全体の論理的展開についても十分考慮した上で、旧稿については「社会学の根本概念」ではなく「理解社会学のカテゴリー」を「頭」である範疇論として読むべきことを主張し、再構成案を示したもの。
7は折原浩氏が「経済と社会」の再構成に取り組んだ動機を、「経済と社会」が元々そうであった社会学・経済学の「教科書」として使いたい、と語ったもの。
8は一度は折原浩氏と同様「理解社会学のカテゴリー」を旧稿の頭として置くことに賛成したシュルフターが、ヴェーバーと出版社とのやりとりの調査などによって、同カテゴリーが旧稿の途中でもはや「頭」として機能しなくなった、と主張を変え、結局全集では、「理解社会学のカテゴリー」は科学論文集に収録され、旧稿の部分は執筆順・テーマ順に5つの巻として出版されたのを批判したもの。
9は8と同じで、折原浩氏とシュルフターが双方の意見を表明したもの。
10はその後も続いた折原浩氏とドイツの全集編集陣との論争の経過をまとめたもの。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です