最
初に:本日本語訳の使用条件
本書はソフトウェアの世界での「オープンソース」の考え方を参
考にした「オープン翻訳」として作成した、マックス・ヴェーバーの博士号論文(正確には博士号論文をベースに拡張した論文)である”Zur
Geschichte der
Handelsgesellschaften im Mittelalter”の
丸山尚士による日本語訳です。
「オープン翻訳」という名前の意図として、個人的興味・研究・
教育の目的であれば無償で参照・利用していただいて構いません。(Amazonで
販売しているものは、その仕組み上無償という設定が出来ず、Kindle版
については$0.99、
ペーパーバック版は税込み1,021円
の最低価格に設定させていただいています。ご了解願います。無償のPDF版、HTML版は下記のブログ上にあります。)但し翻訳者としての著作権は
放棄しません。また無断での商用利用を禁止します。
なお、翻訳内容についての異議・誤訳の指摘、ご意見等は歓迎い
たします。
t-maru@shochian.comまでメールをお送りいただくか、https://max-weber.jp/でどの記事でも構いませんので、コメントとして登録いただけれ
ば、内容について検討し、納得出来るものであれば適宜翻訳の改訂を図ります。(本日本語訳は最初、このブログ上で発表したものです。)
こ
の翻訳について
この翻訳は上記のように「オープン翻訳」として利用者に無償で
提供されますが(Amazonで
の販売版を除く)、その内容については、以下のように有償の出版物以上の品質を目指して作成しました。
1.
最
新の校訂版である、J. C.
B. Mohr (Paul Siebeck), Tübingenによる2008年
出版のマックス・ヴェーバー全集第1巻
のテキストに基づいた日本語訳です。
2.
こ
のヴェーバーの博士号論文の最初の日本語訳(2020年9月現在)です。
3.
本
文や注釈中に出て来る、古典ラテン語、中世ラテン語(俗ラテン語)、初期イタリア語、初期スペイン語他の日本語訳も含む完全な日本語訳です。(ドイツ
語以外については、Lutz
Kaelber氏の英訳にある訳を参考にしましたが、全てをただそのまま英語
から日本語訳にしたのではなく、こちらでも原文を読んでチェックを行い誤りと思われる部分は訂正しています。この英訳本では、他の著者によるその文献
の英訳を引用しているもの{例えば学説彙纂とかランゴバルド法}と、Lutz
Kaelber氏自身が訳したと思われるもの{他に英訳が出ていない、例えばConsitutum
Ususからの引用など}が混じっていますが、残念ながら後者について
は明らかな誤訳や訳し漏れが散見されます。英訳の質については前述のブログに論評した記事がありますのでご興味があればそちらを参照願います。なお、
ドイツ語部分については全て原文から訳していて、英訳からの重訳ではありません。
4.
論
文中に出て来る人名、地名、専門用語等については可能な限り最低限レベルではありますが訳注を付与しました。読者はこれによって他の文献を確認すると
いった手間が省けます。訳注の数は300以
上になっています。
5.
全
集における注釈の内容も必要に応じて適宜確認し、誤りではないかと思われるものは指摘しています。
6.
文
中の指示代名詞についても、自明である場合を除いて可能な限りそれが指している語そのもので翻訳し、「それ」「この」といった指示詞だけといった訳を
可能な限り避けています。また、適宜意味上の補足を[]の中に入れています。
7.
長
い複文が続く文の場合、例えば”Es
ist wahrscheinlich, daß….”を「○○○○○○○○○○○○○○は、真実らしく思われる。」
のような元のドイツ語の順番を入れ替えた日本語にせず、「次のことは真実らしく思われる。つまり、○○○…」
のような形でのネイティブが原文を読む際の理解の順番に合わせるような訳を多用しました。(全部ではありません。)これの欠点としては「つまり」のよ
うな語が増えてくどくなるというのがありますが、長所としては、ヴェーバーの長い補足の複文を読む前に結論としてはどうなのかを先に知ることが出来、
読みやすくなっていると思います。
以上の特長はあくまで理想的な日本語訳を目指しての基本姿勢で
す。その姿勢は訳者が学生時代に折原浩先生のヴェーバーの「経済と社会」解読演習に2年
半参加して学んだものであり、また同じく学生時代に参照させてもらった世良晃志郎先生のヴェーバーの著作の翻訳の姿勢に学んだものでもあります。その
結果についてはそうは言ってもまだ至らない部分が誤訳も含めて数多くあると思いますが、オープン翻訳という特長を活かし、日本の研究者のコミュニ
ティーでこの翻訳を育てていってさらに完成度が上がったものを目指していただければ幸甚です。
参考図:この論文に登場するイタリアの諸都市。
(偶
然ではありますが、2020年春のイタリアでの新型コロナウイルスの大流行で多数の死者が
出た地域と多く一致します。犠牲者の方のご冥福を心よりお祈りいたします。)
範
例:
():原著中にある括弧。
[]:訳者が補足情報として挿入した語句。ラテン語やドイツ語
の原句をそのまま記載した場合の日本語訳を含みます。
原文のイタリックは下線に変更しています。(章のタイトルや文
献表の箇所を除きます。 )
原注は本文中に挿入しました。(段落の途中で原注を挿入してい
る場合があります。)訳注は各ページに脚注として挿入しました。
原文中の人名については読みやすさを考え可能な限りカタカナ表
記としました。しかしその正確さについては(そもそも外国人名のカタカナ表記についてこれだけが正しいというものは存在しませんが)多くはインター
ネット上の名前の発音サイト等で確認しましたが、保証するものではありません。あくまで翻訳者のカタカナ表記案としてご理解いただきたいです。元の綴
りは訳注の中に記載しています。
翻訳に使用した底本:
Max Weber, “Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter,
Schriften
1889-1894”, Herausugegen von Gerhard Dilcher und Susanne Lepsius, Max
Weber
Gesamtausgabe, Abteilung I: Shriften und Reden, Band 1, 2008, J. C. B.
Mohr
(Paul Siebeck), Tübingen
翻
訳者略歴
丸山 尚士(まるやま・たかし)
1961年山口県生まれ。現在神奈川県川崎市在住。
1986年3月
東京大学教養学部教養学科第二ドイツの文化と社会卒業。
大学時代に一般教養の社会学、全学一般教養ゼミナール、教養学
科での大学院と合同の演習を通じ、4年
間折原浩東大名誉教授よりマックス・ヴェーバーについて学ぶ。
卒業後は民間企業勤務。
2004年から2006年
にかけて、羽入辰郎の「マックス・ヴェーバーの犯罪」批判の活動に参加、その時の論考はナカニシヤ出版の「日本マックス・ウェーバー論争」の中に、
「羽入式疑似文献学の解剖」という題で収録されている。
中
世の合名・合資会社[1]の歴史について
南
欧の史料に基づいて
枢密法律顧問官のゴルトシュミット教授[2]に感
謝と畏敬の念をもって献呈す。
内容目次[3]
序文 142(6)
Ⅰ. ローマ法と今日の法 研究の工程 144(7)
ソキエタースと合名会社 144(7)
ローマ法におけるソキエタース 145(8)
近代法における合名会社 147(10)
ローマ法の根本原則の変遷を示しているという条項について:
1) D.63[4]
§5 pro socio [あ
るソキエタースの成員の他の成員に対しての権利] 152(14)
2) D.44 §1 de aedilicio
edicto [アエディリス[5]の布告について] 152(15)
3) Argentarii [銀
行家] 153(16)
4)
マラカ[6]法 C.65 153(16)
ローマ法についての考察の結果としての否定的な結論 155(17)
研究の工程。経済的見地と法的見地の関係。 155(18)
Ⅱ. 海
上取引法における諸ソキエタース
1)
コムメンダと海上取引における諸要求 157(20)
西ゴート法典と海上取引 158(21)
コムメンダの経済的な基礎 159(22)
コムメンダのソキエタース的性格 163(25)
コムメンダへの参加者の経済的な位置付け 163(25)
2)
ソキエタース・マリス[海のソキエタース] 165(27)
ソキエタース・マリスの法的性格 166(28)
経済的な意味 168(30)
3)
コムメンダ関係の地理的領域 170(31)
スペイン 170(32)
シチリア、サルディーニャ 172(33)
トラーニ、アンコラ 172(33)
アマルフィ 172(33)
ピサ 173(34)
ヴェネツィア 173(34)
ジェノヴァ 174(35)
4)
海上取引に関係するソキエタースの財産法上の扱い 177(37)
ソキエタースの基金 177(37)
特別財産形成への萌芽 179(39)
ソキエタースの債務 180(40)
成果 181(41)
5)
陸上コムメンダと合資会社 182(42)
陸上コムメンダ 182(42)
合資会社の始まり、ピアチェンツァ 184(45)
陸上コムメンダの意味 188(48)
Ⅲ. 家
族と労働ゲマインシャフト
共通の家族経済 190(50)
家族経済の財産法上の帰結。夫婦財産共有制[財産ゲマインシャ
フト]。 191(50)
諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト。 195(54)
財産法的発展の行程。成員の分け前への権利。 196(55)
家族外での家計ゲマインシャフト 201(58)
手工業のソキエタース 201(59)
これらのゲマインシャフトの共通の土台 203(61)
共通の特質 205(62)
1)
男性socii[ソ
キエタースの成員達]への制限 205(62)
2)
不動産の除外 206(63)
財産関係における変化 206(63)
第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係。 208(65)
家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係 210(66)
ゲマインシャフトにおける責任についての二重の意味 211(67)
1)
共有財産についての責任 211(67)
2)
成員の個人責任 213(69)
家の成員の責任の源泉と発展 216(72)
諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。
序説。 218(74)
スペイン 218(74)
ヴェネツィア 222(77)
その他のイタリアの地方諸都市における法規 226(82)
非独立の仲間の責任 229(84)
家族ゲマインシャフトにおける財産分与義務 232(86)
個人債務とゲマインシャフトの債務 237(89)
家族以外での連帯責任。共通のstacio[工
房、店]。 237(90)
個人債務と業務上債務 238(91)
ゲゼルシャフトにおける特別財産 240(93)
経営ゲゼルシャフトと商事会社 245(98)
合名会社とソキエタース契約の目印。商号。 247(100)
ゲゼルシャフトの契約についての文献史料[7] 250(102)
Ⅳ. ピ
サ。Constitutum
Usus[8]におけるソキエタース法 253(106)
Constitutum
Usus 253(106)
Constitutum Usus の
領域 255(107)
Constitutum Usus の
条文の性質 257(108)
ソキエタース法的な内容:(109)
Ⅰ. ソ
キエタース・マリス 257f(109f)
法的な区別。Kapitanie[キャ
プテン]の意味 258(109)
ソキエタース・マリスの財産法 261(112)
特別財産 261(112)
1)
個人への債権者との関係 262(112)
2)
ソキエタースの成員達のゲゼルシャフトの基金への位置付け 262(113)
3)
ゲゼルシャフトの債権者への位置付け 263(114)
4)
ゲゼルシャフトの財産の範囲 263(114)
ここまでの成果 合資会社 264(115)
Ⅱ. 特
別財産の無いソキエタース。Dare ad portandum in
compagniam 265(116)
Ⅲ. 固
定配当金を持ったソキエタース。Dare ad proficuum maris 267(118)
ソキエタース法に対する利子禁止教義の意義 269(120)
Ⅳ. ソ
キエタース・マリスと家族ゲマインシャフト 272(123)
ソキエタース・マリスが家族連合[associationen]から生じたという仮説 273(123)
家族ゲマインシャフトの特性 274(125)
ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト 276(126)
Vita communis [共
通の生]:(127)
1)
前提条件 277(127)
2)
その影響 278(128)
Societas omnium bonorum[9] 280(130)
ピサにおける連帯責任原理 280(131)
Ⅴ. Compagna de terra[10] 281(132)
合名会社と合資会社の原理上の違い 283(133)
ソキエタースに関する諸文献 284(134)
成果 286(137)
Ⅴ. フィ
レンツェ 287(138)
フィレンツェにおける産業上の財産 287(138)
Ⅰ. 法
規における文献素材。発展段階 288(139)
A. ゲゼルシャフトの連帯責任についての血縁関係の意味 289(139)
家族とソキエタースの類似性について 291(142)
1)
仲裁裁判 291(142)
2)
責任と相続財産分与義務 292(142)
3)
ソキエタースの成員の個人的関係 293(143)
4)
家住み息子と使用人頭 294(143)
家族ゲマインシャフトのソキエタース的性格とソキエタースの家
族的性格 295(144)
B. ソキエタースの財産法:ソキエタースの債務と個人債務(145)
ソキエタースの債務を判断する目印:
1)
会計簿への記帳 296(146)
2)
ソキエタースの名前での契約(147)
ソキエタースの財産に対する差し押さえからの個人への債務者の
除斥 300(149)
Ⅱ. 諸
文献:アルベルティ家とペルッツィ家における商業簿記 302(151)
家計ゲマインシャフト 302(151)
ゲマインシャフトの土台としてのソキエタース契約 305(154)
資本金と各ソキエタース成員の出資 305(155)
各ソキエタース成員のゲマインシャフトの外部での特別財産:
1)
不動産 306(155)
2)
個人の動産 306(156)
1336年のアルベルティ家の相続協定 308(157)
成果 311(160)
VI.
法的文献、結論 312(162)
法的文献とそのソキエタースへの関係 312(162)
1)
合資関係 313(162)
2)
合名会社:
a. 特別財産 315(164)
b. 連帯責任。委任の仮定と代表者[Institorat]の仮定。 317(167)
連帯責任の実質的な根本原理との関係 320(169)
国際的な発展に対しての法学研究の成果。ソキエタース会社。 323(172)
ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年
法。発展の結着、 326(175)
結論 得られた成果の法教義学的利用の可能性 330(179)
文献一覧表 333(182)
序
文
法教義学的には、ローマ法のソキエタースと近代商法における
会社形態の中でもっとも重要な集団との相違点、特に合名会社との原理上の相違点については、しばしば詳細に論じられまた十分に解明もされてきた。歴史
[法制史]上では、そうした会社形態の近代的原理の発展は、地中海沿岸諸国、とりわけイタリアの諸都市国家における、交易を主体とした生活の中から生
まれて来たのであり、それらの会社形態の原理は国際交易の上で実用的に必要なものとして理解され、その主要な特性としてこれまで解明されてきたのであ
る。
しかしながら、特にそれらの会社形態の初期の発展段階にて、
個々の事例における法形成がどのように行われてきたのかということ、つまりまったくの新たな法的思考が、日常の中でたちまち何倍にも増大して行く様々
な必要性の中から成長していき、やがて商慣習へと進化し、そこからさらに商業における慣習法としてまで認められるようになったのかということと、さら
には現在において存在する各種の法律上で定められた団体が本当にその中から発展してきたのかどうかという確認と、またどこまでそう言えるのかという問
題は、現在においても多くの場合完全に疑いのないレベルまでは解明されていない。というのもラスティヒ 1)[11]によって[執筆計画が]発表された[商事]会社についての包括
的な著作は、既に発表されている部分の記述によれば、我々には入手が不可能である多数の文献史料に基づいて執筆されるのであるが、その完成はまだかな
り先の話である[12]。そのことがこの論文での試み、つまりまずは既存の諸研究に関
連付け、出版された文献史料に基づいて商法の発展における本質的な諸契機についてのより具体的なイメージを得るということを、よりいっそう試みる価値
のあるものとすると言うことが出来るだろう。私の方で入手可能である文献史料については前述の通りの状況であり、従ってこの論考で得ることの出来た結
論それ自体が、その主要な点において、私には入手不可能だった史料、とりわけ手書きの史料によって本質的な訂正が行われてきた、といったような幻想は
まったくの所成立し得ないのである。2)
これから述べる研究は、ベルリンの枢密顧問官のゴルト
シュミット教授のゼミナールにてある時に提出された筆者の論文を拡張し改訂することから始まったものである。その内容としては、[単に]
合名会社の歴史としてではなく、[商事]会社全般の歴史についての貢献として捉えるのが正しいであろう[13]。この論文ではただ一つの財産法上の制度として、合名会社だけ
でなく合資会社をも包含して解明するということを試みている。確かに私はこの二つの会社形態を[法的には]同一のものとして統合的に把握することが可
能であり、さらにまたその二つの差異をも歴史的に明らかにすることが出来ると考えている。この論文で利用するのは、前述したように印刷史料のみであ
り、それも利用出来たのはベルリン図書館収蔵のものと、枢密顧問官ゴルトシュミット教授の個人所有のもののみであり、後者は教授がご親
切にも参照を許可してくださったものである。従ってこの論文の数少ない成果としての新たな観点となり得るのは、おそらくこれまでの知見の訂正と各概念
の境界をより具体的に定義し直すことであろう。
1)その論考は、商法雑誌の第34巻
に収録されており、これから続く研究への出発点として構成されている。[14]
2)
この理由から、史料批判についても以下の論文では断念している。
[手
書き文献資料等の]写真については、印刷された入手可能な資料の中に収録されているもののみを、論述に利用している。
ロー
マ法と今日の法。研究の工程。
ソ
キエタースと合名会社
以下の研究において、第一にどの法規を取上げるべきかという
問題は、ローマ法のソキエタースと現代法の合名会社の本質的な対比を思い浮かべるならば、容易に明らかになる。
二つの概念の対置には、それによって二つの実際的な比較を行
うことが出来るように、二つの概念間の境界をより詳細に解明することがまず必要である。
合名会社とローマ法のソキエタースとは一般には決して簡単に
対比させることが出来ない。何故ならば、合名会社はソキエタースに対してはまずはその特別な場合を意味するからである。それ故に合名会社とソキエター
スは対比ではなく、前者が後者のある一つの場合としてのみ比較され得るのであり、その特定の場合のソキエタースは今日の合名会社と同様の諸目的を持っ
ているのである。――こういうことを断るのは、ローマ法のソキエタースの概念の一つの特徴はまさに、様々に異なる現実の諸形態に対してそれぞれに異な
る法規定を適用するのではなく、汎用的に適用出来るある種の概念上の法的テンプレートを意味せんとするからである。
故に合名会社は本質的にはまず商業上の営利の目的のために存
在するのであり、さらには[ドイツ]商法典第85条
に規定されているように[15]、いずれの社員も出資財産に対する責任を制限されず、結局は
「当座[的な]組合」に対比されるものとして、つまりはその目的を継続的な共通の営業活動を行うことに置き、個々のその時々の業務についてのみ共同作
業を行うのではない形態として、――そういった理由からこの論考では合名会社をローマ法のソキエタースの特別な形態に相当するものとして、ソキエター
スと同一の尺度で評価出来るように概念化するであろう。
続けて、ソキエタースと同名会社の違いは本質的には例えば次
のように定式化される:
ロー
マ法におけるソキエタース
ローマ法によれば、この種のソキエタースは、当事者間での契
約の締結により、相互にそのソキエタースの目的の遂行に必要な行為を強制するという義務を生じさせる。その義務の個別の内容は、我々の考察対象におい
ては以下のようなものである:[16]
1.
ソキエタースの各成員が労働力を、また必要に応じてソキエタースの目的の遂行に必要な資金を提供するということ。
2.あるソキエタースの成員に対して、契約によりその成員がソキ
エタースの目的に適合するべく負わされた責任の程度に応じて、ソキエタースを精算する際にはその割合に応じた分け前を与えること。
3.契約に従ってソキエタースの各成員が立て替えた金銭が、同じ
くその成員に返金されること。
4.ソキエタースの目的に沿った業務を遂行していく上で、ソキエ
タースの成員全員に対して生じた債権については、それぞれにその出資割合に比例して[pro
rata]配分すること。
5.利益を各成員に配分すること。
6.当該の業務により獲得した物権を特定のソキエタース成員に与
えること。
処分可能な現金をソキエタースの共通の勘定[arca
commnis]に入れておくこと、つまりソキエタースの目的のために行われ
た業務などから発生した所得を、取り敢えずはその勘定に入れておくようにすることは、望ましいと言えるであろう。次にあるソキエタースの成員が、当該
業務の必要から何らかの支払いをしなければならなくなった場合、その勘定から現金を引き出し支払いに充てることが、その成員の権利でありかつ義務とさ
れる。その勘定の実際の中身は、その成員のソキエタースへの出資分に比例した財産として成立し、単に精算方法を簡略化するということと、その都度それ
ぞれのソキエタースの成員が出資分に比例した支払をする手間を簡略化するのに役立っている。その勘定の中に見出される現金準備においてのその成員の割
り当て分については、他の成員の分についても同様にその成員の個人財産の一部なのであって、その成員に対しての債権者は直ちに合法的に差し押さえるこ
とが出来る性質の財産である。第三者は、ただお互いに義務を持った成員間の関係の複合体としてのソキエタースにはまったく接点を持たない。――あるソ
キエタースの成員がある業務をソキエタースの名前で第三者と行う場合、それは個人の名前で行われる業務と、その法的効果についてはまったく何らの差も
ないのである。もしソキエタースの名前で行われる業務で損失が発生した場合には、外部に対してはその損失はただその損失と直接関わった特定の業務を執
り行ったソキエタースの成員個人の損失とみなされ、その損失について、ソキエタースに対しての当該成員の取り分への賠償請求権は、よって確かにその担
当の成員の個人財産に対して有効なのであり、このような請求権は個人へのものとして破産財団の借方勘定に入れられる。その場合の破産債権はただ個々の
ソキエタース成員の財産に対して、その個人と契約した債権者という関係でのみ成立し、その債権者が時には同じソキエタースの他の成員という関係である
場合もある。特に例えばこの「ソキエタース財産」に対して宣告された特定の破産の管理可能な財産になり得るような共通勘定[arca
communis]やソキエタース契約に沿った形で作り出された物権といったも
のは存在しないのである。そういった破産というのはナンセンスであろうし、その破産が[管理の]対象とすることが出来るものは存在し得ないであろう。
というのも、この「ソキエタース財産」に帰属する全ての財産は、比例配分により分割された共有財産の個々の対象物をまとめた全体とまったく等しいので
あり、それらの個々の対象物はまた同時に個々のソキエタースの成員のソキエタース財産とは別の個人財産の一部でもある。――それ故にそういった破産は
単に破産請求権を持つ主体についてだけではなく、同時にまた自分が占有しようとしている破産財団の財産という客体=対象物についても、いたずらに存在
しないものを追い求めているのと同じであるからである。
これに対し合名会社の構成は、ソキエタースに対してはっきり
とした違いを見せる:
近
代法における合名会社
そのような合名会社の存在は、まずその作用をソキエタースの
成員同士の関係に限定して及ぼすのではまったく無く、むしろそれは第三者にとって無視することが出来ない一つの事実となるのである。ゲゼルシャフト[17]の契約が、ある決められた割合でソキエタースのある成員に権利
を与え、かつその成員を「ゲゼルシャフトの」名前で行う業務に従事させる場合、全ての社員はその業務に直ちに拘束されるのである。第三者であって、そ
ういったゲゼルシャフトの業務において契約しその結果債務を負う者は、また[直接契約に関わった成員以外の]他のソキエタースの成員をも契約の当事者
として認め、その成員が「ゲゼルシャフトの名において」債権全額を保持していることを認めなくてはならない。逆にその第三者が[そのゲゼルシャフトに
対して]債権を持つ場合、直接の契約相手に対してだけでなく、他のソキエタースの成員も全額の債務を負っているとみなすことが出来、さらに「ゲゼル
シャフト」そのものについても、会社資産における債務としてそれを負っているとみなすことが出来る。こうしたゲゼルシャフトの財産は、本質的で特徴的
な要素として、あるソキエタースの成員の法的な取扱いの効果の点で、債権者[借方]としても債務者[貸方]としても契約の当事者であるソキエタースの
成員個人を超えて影響力を持つということと密接に関係している。そしてそういったソキエタースの成員個人を超えた法的取扱いの効果については、ある一
人のソキエタースの成員が執り行った全ての業務について及ぶのではなく、ただ「ゲゼルシャフトの名において」執り行った業務のみに対してのみ及ぶので
あるから、あるソキエタースの成員が執り行った業務の結果としての義務的な関係は、その成員がただ自分の名前で執り行ったのか、また「ゲゼルシャフト
の名において」執り行ったかによって全く違った意味を持つのである。その一方で全ての「ゲゼルシャフトの名において」執り行われた業務は、それがどの
ソキエタースの成員によって執り行われたかどうかに関わらず、全てのソキエタースの成員相互に全く同等の意味を持つのである。
それ故に、[ゲゼルシャフトに対して]強制的に権利を与える
ことと義務を負わせることの両方が生じるが、その二つはそれぞれのゲゼルシャフトの資産において貸借対照表の借方や貸方へ記載された他の資産や負債と
は本質的にその意味を異にしているが、その二つを他から区別する目印は二つにおいて同じなのである。同様に、「ゲゼルシャフトの名において」獲得され
た具体物[species
= 外観をもったもの]への物権もそこに見出すことが出来るが、そ
れはローマ法の共有財産の規定に対する個々のソキエタースの成員の取り分に応じた処分権に基づいているのではなく、むしろそのソキエタースの成員はゲ
ゼルシャフト契約またはソキエタース法によってのみ、またただその範囲を限度として権利を与えられ処分権を持つのである。またこの法的
な客体は、あるソキエタースの成員の[私有]財産における他の対象物とは異なっており、その双方を区別する目印によりそれらの他の対象物に対してまさ
に区別されるのである。このゲゼルシャフトというカテゴリーにおいて、義務的なものと並んでまた物権においても、これまで言及してきた違いというの
は、ゲゼルシャフトの目的との関係の違いによる結果である。その結果ローマ法における共通勘定[arca
communis]は、それをここで議論してきたようなゲゼルシャフトの財産物
件として包括的に考える場合には別の意味を持つようになる。その共通勘定の財産物件の権利は、ソキエタースの成員の他の[個人]財産物件とははっきり
と区別されるのであり、その処分についても他の財産物件の処分方法とは区別され、個々のソキエタース成員の共通財産への部分的処分権はゲゼルシャフト
が存続する限り直接的には無効であり、ゲゼルシャフト法に従って取り決められた処分権の方が優先される。個々のソキエタース成員の部分的処分権は、会
社法による処分権に対しては劣位の権利に過ぎず、それ故にこのソキエタースの成員個人への債権者は、これらの客体ないしは部分的分け前に対しては直接
強制執行の対象物に入れることは出来ないし、またその成員の破産財産中に個別かつ直接それらを入れることも出来ない。同様に、他方ではその[共通勘定
という財産の]複合体の貸方に記載される負債は、個々のソキエタース成員の債務とは次のことにより明確に区別される。それは、その負債が、ただその負
債が、共通勘定[arca
communis]を上記の意味[会社の財産としての処分権が個々のソキエター
ス成員の部分的処分権より優先するという意味]で直接に貸借対照表の借方に記入出来るようにし、そしてその共通勘定への直接的な財産の追加の獲得を正
当化する。それ故に、何かの処分権が会社とソキエタース成員個人との間で対立する場合には、まず[会社資産への]財産に組み入れられた後、それでもな
おその成員の個人財産として残留する部分のみが、そのソキエタース成員の財産または破産財産に算入される。
全てがある特定の[ゲゼルシャフトの]目的に役立つための諸
権利の複合体が、その権利については他の権利とは区別され特別に規定された方法で行使され、またそれに対して特別な責任が課せられるのであるが、ここ
ではそれを「財産」と名付けたい。そしてこの名称は何らの根拠のある疑いもなく正当であるが、故にこうした特性は、またこれまで述べてきた権利関係の
総体に帰属するものである。共通勘定[arca
communis]からある種の特別財産という考え方が生じ結局「ゲゼルシャフ
ト財産」に成るのであるが、そのゲゼルシャフト財産は今や強制執行や破産の対象になり得る一つのまとまった対象物であるが、またそれは同時にこのゲゼ
ルシャフト財産と個々のソキエタースの成員との間での権利と義務の成立を概念的には排除しない。1)
今や[ゲゼルシャフトの資産という]客体の側に[ここで定義し
た意味での会社]財産であるという目印が存在するとしたら、その法教義学的な必要性は明白であり、その客体は法規において精確に記述しようとする利害
関心において不可欠のものであり、そのためにまた[その客体を所有する者である]主体も、または主体に相当する何か別のものでも、その財産の機能を
[法的に]規定するために不可欠となるのである。その目的での一つの契機となるのは商号[Firma]
の使用である。商号はただ実際的な簡約表現のための技法であり、というのもその用語の使用は上述してきたような「ゲゼルシャフトの」名前において行な
われる財産関係を簡易的に記述するのに役立つからである。
1)
ドイツ帝国上級商事裁判所 民事判決第5巻206頁。
商取引におけるゲゼルシャフトの捉え方という点で、商号はし
かしながらそこにおいて容易にある種の人格を獲得する。人格の獲得、すなわち商号の擬人化は以下のような法的な規定を定める上での出発点となる。その
規定とは、たとえばある業務が執り行われる場合に誰がそれに従事するのであるかとか、あるいはある商号に対して以前より存在している債務は一体誰が負
うのかなどといったことを、現実の生の中で比較的に簡素かつ自然に記述するものである。法学的な構成という意味で、外部から観察出来る外形を持った対
象物を用い実際的な規定を記述することは、まったくもって簡単なことではない。もしそれ故に法学的に商号に実際的な人格性を持たせることまでに進める
ことが出来ないのであれば、体系的な記述の要求に応じるという限りにおいて、「商号」「業務」「ゲゼルシャフト」にそれぞれ法学的な考察における対象
物として個別に重要な機能を持たせることが出来る。
これまで述べてきたことから、こういった法学的解釈の発展の
根本原理は、まずは第一に連帯責任とゲゼルシャフトの特別財産という相互に緊密に関連した二つの制度であるということが容易に導き出される。
本質的な意味において、これらの二つの制度は以下の論述では
次の点で法制史的に考察されなければならない。つまり一体どのような目的でゲゼルシャフト形態の発展一般に関与したのかということと、またこうした発
展がこの二つの対立関係の確立無しには起き得なかったのかどうかということである。2)
中世におけるソキエタースの発展の根本原理の解明に入る前
に、たとえ非常に手短にではあっても、ここにおいて始めて提起されたのではない問題について詳しく述べるべきであろう。つまりローマ法において、ソキ
エタースの純粋に義務的な性質と、その義務的な性質がソキエタースの成員間に働くことへの制限とを克服するような少なくとも何かの契機が存在していた
のかどうかということである。
2)合名会社の方についてのここでの概略説明は、ラーバン
ト[18]の商法雑誌第30・31巻
のものとは原理的に異なり、少なくとも彼のゲゼルシャフトの基金の財産としての機能の説明は破綻していると思われる。――それは彼の理論的展開におい
て、合名会社の関係においての「内的なもの」と「外的なもの」の慣習的な区別を認めたがらないことから生じているが――二つの対立を説明の中で利用す
ることを第30巻の51ペー
ジのCに
おいて彼自身がまったく無しで済ますことは出来ていないのであるが――ラーバントは合名会社の特質をただ外部への責任だけとしている。
ゲゼルシャフトの基金を特別財産として別扱いにすることについては、強制的な共同の所有権において、ソキエタースの一方の成員の権利が他方の成員の権
利を、それぞれの財産への完全な支配をお互いに制限することが、ただ問題になる。――その証明としては、ラーバントはゲゼルシャフトの
財産の金額は、第三者の、とりわけ債権者の権利の対象ではないと述べている。
その論法を仮に認めるとしても、なるほどゲゼルシャフトの財産の金額は第三者の債権の対象では無いとしても、その「存在」
は第三者に対しても法的な権利の対象である。ゲゼルシャフトの財産というものは、経済的には無に等しい場合もあり得るかもしれないが、法的にはそれは
存在し、経済状態という意味では重要な帰結は無くとも、ソキエタースの成員達はそれが確かに存在しまたその存在によってそれを法的に取り扱うことが開
始されるということを、どうやっても隠し通すことは出来ないのである。
ラー
バントはゲゼルシャフトの財産に対する個人の債権者を除外する理由として以下を挙げている。つまり、個々のソキエタースの成員に対する債
権者は、その成員に対する債権者として以上の[ゲゼルシャフトに対する]権利を持つことは出来ず、それはラテン語では"nemo
plus juris transferre potest quam habet ipse” [誰
も自分自身が持っている以上の権利を他人に渡すことは出来ない]と表現されるが、そして確かに個々のソキエタースの成員は他のソキエタースの成員の義
務的な請求権そのものによって制限を受けている。ある個人への債権者のみをとってみてもまた、もし仮にその債権者が全ソキエタース成員
に対する連帯的な債権を持つ者であったとしても、それは直ちにゲゼルシャフトの債権者ではあり得ないであろうし、かつまた他のソキエタース成員の義務
的な権利がどのように、それぞれのソキエタースの成員が会社の所有物に対して保持している分け前から債権者を排除するという上述の物権的な作用を及ぼ
すのかということについても疑わしい。仮に個々の他のソキエタースの成員の権利が個人の債権者と対立しているとしたら、これらの権利を単に無効にする
ということが同時にその個人への債権者をゲゼルシャフトの債権者にし、またゲゼルシャフトの財産の占有を可能にすることになるが、そういう事は実際に
は起きていない。
ローマ法でのソキエタースの場合は、複数のソキエタースの成員が個々の場合において、例えば保証人として連帯して責任を負う場合でも、未だゲゼルシャ
フトの財産というものは成立していないし、また銀行家についても、その責任は法律上義務付けられてはいるものの、この種の財産を共有するような制度に
ついては何も知られていない。
法制史においてもまた、ゲゼルシャフトの共有の財産という考え方が発展していく過程において合名会社が果たした大きな役割について今後この論文で追究
していくことになるであろう。
正しいのは唯、既知の通り合名会社が共有財産という特性を特定の他のゲゼルシャフト形態と分け合ったということであり、また常にその種の共有財産の概
念の設定は、ゲゼルシャフト内部の責任関係と非常に密接な関連を持っている。
参
照:ラーバントについては、ギールケ[19]のDie
Genossenschaftstheorie und ide
deutsche Rechtspruchung [ゲ
ノッセンシャフトの理論とドイツの判例]の438ページを参照。
ロー
マ法の根本原則の変遷を示しているという条項について
一般論として、先に述べた合名会社の二つの制度についてその
何らかの契機がローマ法の中の私法全般の領域において見出されるかどうかということは、否定されなければならない。
1. D. 63 §5
pro socio
あるソキエタースの成員の他の成員に対しての権利[actio pro
socio][20]
まずは個々の法令において先に述べたような限界を乗り越えて
いくような事例があるかどうかを見出そうと試みることが可能であろう。それはつまりあるソキエタースの特定の成員に次のような権利――つまりD.63
§5[21]の pro socio ――
が与えられる場合である。それはあるソキエタースの成員Aが
支払い不能に陥った時、別のソキエタースの成員Bが、
さらに他のソキエタースの成員C、D他
に対して、そのC、D他
がAか
ら全額を回収済みの場合、BはC、D他に対してAか
ら回収出来なかったAへ
の請求額を請求出来るという権利である。[22]
このような外見上はソキエタースにおける純粋にそれぞれの取
り分に応じた関係の原則を逸脱しているように見える原則は、それにも関わらずactio
pro socioというソキエタースの一員が他のソキエタースの成員に対して取
り得る法的行動という原則からの自然な帰結であり、その帰結においては――それはソキエタースの成員間の関係を取り扱うのであるが、善意[23]のソキエタースの成員は損失をソキエタースの他の成員と等分に
分け合うことを要求するのである。
2.D.44
§1 de aedilicio edicto アエディリス[24]の布告について
レースラー3)[25]は、追加の条項としてD.44 §1の
アエディリスの布告に言及している:
Proponitur actio ex hoc Edicto in eum, cujus maxima pars in venditione
fuit,
quia plerumque venaliciarii ita societatem coëunt, ul quidquid agant,
in
commune videantur agere; aequum enim Aedilibus visum est, vel in unum
ex his,
cujus major pars, aut nulla parte minor esset, acdilicias actiones
competere,
ne cogatur emptor cum singulis litigare.
[この布告は奴隷の売買において、もっとも大きな売上を上げる
ものに対して提案されるものである。というのは通常奴隷の商人達はソキエタースを結成し、彼らの成すこと全ては共同の行為としてみなされるからであ
る。按察官にとっては、ソキエタースの成員の中でもっとも大きな売上を上げている一人に対してでも、または他の成員に引けを取らない売上を上げている
者に対してでも、この制度は好ましいものであり、購買者は多数の商人と訴訟沙汰になることを避けることが出来るであろう。][26]――実際の所、この市場における争いへの裁定から発生した規定
において、法律家によって奴隷商人達の仮想的な利害ゲマインシャフトにとって合理的であると根拠付けられたのであるが、法的に見てさらに深く分析出来
るような特別な性質は見当たらず、その根本原理をソキエタース法の中に見出すことは出来ない。ここにおける仮想的なソキエタースは、より広い範囲での
訴訟についての法的な基礎としてではなく、ただ按察官の立法者としての動機からのみ説明されている。
3)商法雑誌、第4巻
参照。
3.Argentarii[銀行家]
既に按察官の布告以前に、複数の銀行家の関係は、ローマ法の
解釈における実質的な変化として認めることが出来るかもしれない。それについて触れているローマ法での出典の箇所は、実際の所、書面契約[contractus
litteris]の特殊性と銀行家の記帳[nomina simil facta]から生じた法の形成を裏付けるが、しかしながらそれは本来ソ
キエタース制度の存在を裏付けるものではない。
4.マラカ法 C.65
実際の所、ソキエタースの法原則から生じる連帯性を正当化す
る規定をローマの植民都市のマラカ[27]の法は少なくとも外見上は定めているが、それは「ソキエタース
の成員」という表現の意味する所についてもちろん疑いを差し挟む余地が無い訳ではない:
マラカ法 C.65(こ
の条文は担保・抵当物件の売買を扱っている。)
… ut ei qui eos praedes cognitores ea praedia mercati erunt praedes
socii
heredesque eorum i[i]que ad quos ea res pertinebit de is rebus agere
easque res
petere persequi recte possit.
[~は以下を目的として、つまり当該の担保物件、保証人、及び
資産を金銭で購入した者、及び当該の担保物件、ソキエタースの仲間、相続人、に対して権利を持つ者は、正当に法的行為及び当該の資産についての訴訟を
行うことが出来る。]
つまり:購買者の[属するソキエタースの他の]ソキエタース
の成員は、その購買者の相続人と同様に直接訴訟に及ぶ権利を持つ。ここで考慮すべきなのは、我々は行政法の領域を参照しているのであり、役所によって
締結された契約が存在しているということである。ここでのこの特別な公法での契約法の特性がどこまで影響力を持っているかということと、それによって
私法の適用が停止するかのということについてははっきりしない。
ロー
マ法についての考察の結果としての否定的な結論
私法の領域において8)、後期ローマ法においてもまたバシリカ法典[28]とその注釈書9)の
どちらにおいても、古くからの基本原則の改変は見られないのである。ここに見てきたような特別な法文やまたは地方における俗法での法制定を後の時代
の、つまり我々がこの論文で取り扱うべき、中世における大規模な交易に起因する制度への発展の起点として扱うことについては、どちらについても少なく
とも根拠に乏しい。
4)D.9 (D.2.14.9pr)
pr.de.pactis
Si plures sint, qui eandem actionem habent, unius loco habentur.
Ut puta plures sunt rei stipulandi vel plures argentarii, quorum
nomina simul
facta sunt … unum debitum est, – und
[も
し何人かの債権者が同一の行動を取る時、彼らは一まとめの一人の債権者として扱われる。というのは例えば、ある契約の規定により何人かの債権者が存在
するか、あるいは何人かの銀行家が同時に何らかの債権を持つようになった場合、{彼らは一人のまとめた債権者として扱われるため}債権自体は一つしか
存在しない。]そして、
D.34 pr.de recept[is arbitris] [III.8): Si duo rei sunt aut credendi aut debendi et
unus compromiserit … videndum est, an si alius petat, vel ab alio
petatur,
poena committatur.
Idem est in duobus argentariis, quorum nomina simul eunt [erunt
Hal[oander]].
[も
し二人の債権者または債務者が存在する場合、そのどちらか一方がその債権または債務を何らかの裁定に持ち込んだ場合、片方が訴え、他方が訴えられた場
合には、罰金が課せられなければならない。二人の銀行家が同じ債権を持つ場合も同じである。]
5)モ
ムゼン[29]の"Stadtrechte”
[都
市法]の以下に引用した箇所を参照。
6)ヘ
イロフスキー[30]の"Die
leges contractus.” [契約法]を参照。
7)
帝政ローマ期にも、似たような規定が他にも存在し、例えばVipasca[31]鉱山管理法のZ.5(ブ
ルンズ[32]、Fontes[33]、P.247)
に、"conductori
socio actorive ejus
und weiter passim. “ [賃
借人に、または彼の{属するソキエタースの他の}ソキエタースの成員に、彼の代理人に]とあり、他にも多数同様の箇所がある。共和制期については同様
のものを知らない。ユリア地方法のZ.49(ブルンズ、Fontes、104ペー
ジ)では、関連した事例としてただ"redemptorei,
quoi e lege locationis dari oportebit, heredeive eius” [契約者またはその相続人に対して、契約の内容に従って賠償が
裁定されるべきである]という箇所があるのみである。
8)ラ
スティヒによって引用した論文の中で描写されている歴史についての見解
について議論するのは、その見解についての広範囲な説明を前にして、それを行う動機も存在しないし、論述のための場所も不足している。相続財産の精算
法を取上げるのが成功につながる考え方かどうかについては不確かであることには間違いないであろうし、その相続財産の精算法は相対的に古い制度とは言
えない。
9)
注目に値するであろうことは、ソキエタースという語がまたarca communis[共通の金庫]、つまりソキエタースの基金の中身を言う場合に
も使われるということであり、それは後のイタリアでの例と一致している。しかしこの表現は既に例えばD.63 §3のpro socioの
箇所に既に登場している。
研
究の工程 経済的な見地と法的な見地の関係
ローマ法においても、またさらに中世において、つまりイタリ
アの文献史料の中においても、「ソキエタース」という表現は個別に形成された権利関係ではなく、人間同士の様々な関係を表現する一般的なカテゴリーの
一つとして登場する。そういった諸関係に共通して他から区別される標識は、もっとも高度に細分化された法的構成においては、利益の獲得、リスクテイ
ク、あるいは何かに投じた費用の中の一つまたは複数の事において、それらが複数の人間の共通の勘定において行われるとされている場合に見出される。そ
ういった様々に異なったゲゼルシャフト形成の諸関係において、どのような標識から、今日の合名会社の原理が発生するのかということこそが、本質的に
我々がこの論文で取り扱う問題である。
その問題の解明という目的において、次のようなことを単純に
行うことは出来ない。つまり、今日の合名会社が有形資産と労働の成果を結合させているという外面的な形態だけを見て、歴史を遡って中世の諸法規の中に
経済的に見て良く似た機能を持っている形象を切り出したり、さらにそういった形象の中に合名会社に類似していて歴史的に合名会社に発展していくであろ
うような制度を見出すとか、さらにそういった形象だけの観察に限定して研究を進めるといったことである。というのは我々はこの研究を課題の経済的側面
に注目して行うのではなく、法的な根本原理の創世記の記述という観点で行うのであり、研究の最初から、法的な差異と経済的な差異をまぜこぜにするとい
う前提条件を仮にも設定することは正当化され得ない。むしろより可能性が高いのは、法的には決定的な根本原則がその発生の最初においては、一般的な経
済的な概念からまったくかけ離れた領域において成立したということと、そういった法的な根本原則に規制される実際の人間同士の諸関係が、その発生当初
に比べると完全に元の姿を変えてしまったということである。
それ故に我々がやらなければならないことは――さらにまた法
的要素と経済要素の対比を可能にするための境界設定により――観察の対象を法制史において登場してくるゲゼルシャフトの諸形態の中の主要な集団へと拡
げることである。
法においては、経済の立場から見るとまったくその外側にある
ような性質の標識がしばしば決定的に重要なものとされることがある。このような法形成の固有の性質からはまさに次のようなことが導き出される。経済的
に見た差異の結果として外から見てはっきりした法的な構成要件上の区別が立ち現われる場合にはしかし、法的にもまた差異が生じ、従ってまた他から区別
される法形態が発生の段階に達しているということを推定することは正当である。これから行う観察において、どの程度まで経済的見地から評価することが
出来るのか、あるいは評価すべきなのかということにより経済的見地の重要度が決まるのであり、そしてさらにこれから詳しく述べていく議論の中の一部で
は、研究の対象物の性質そのものによってその対象物自身が生成される場合も示される。
Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタース
1.コムメンダと海上取引における諸要求
貿易というものを中世において相当な規模で見出すことが出来
るのは、まず第一に地中海の複数の沿岸都市においてであるということは、頭の中で少し考えただけでも歴史的にも確かなことである。特に地中海の西側の
水域[イタリアの西岸とスペインに囲まれた水域]に面している沿岸諸都市においては、貿易は今日でもまだ完全には無くなってはいない。というのもここ
において本質的に海上取引による商品の取引や販売に使われる一つの事業形態が発生したのは、特にイタリア西岸の諸都市とスペインの海岸地域 1)の
間の交易においてである。
この地中海沿岸諸都市間の海上取引は、既にかなり古い時代に
おいて、債権法において独特の諸原則を発達させていた。
既にローマ法においてfoenus nauticam[34]やlex Rhodia[35]において特別な規定が設けられており、それは海上取引で考慮に
入れるべき特別な種類の危険を斟酌するものだった。まさしくそういった諸制度は民族大移動の時期を通じても完全に廃れることは一度もなかった。我々は
そういった制度を、一般的に知られている通り、中世初期の法的文献史料において再び見出すことになる。2)し
かし中世においては、古代の法に比べて、法的な分析に基づいて危険分担を決めるという程度が弱く、そうした危険分担を概して自明の規則に従って定めて
いた。
海上取引においてその債権者や参加者になった者は――まずそういった順番で考えてみると――そのどちらの者もある継続的な事業経営に関わった訳ではな
く、むしろある特別の航海という個々の事業に対して債権者は資金を貸付け参加者はその取引に参加するのであるが、――とはいっても海上
取引は単純な統一された事業ではなく、それぞれが個別の危険[リスク]を持っている個々の事業の連続体なのである。
1)西ゴート法典[36]、1.XII
t. IIIの"transmarini
negotiatores” [海上取引]を参照。
2)ゴ
ルトシュミットの商法雑誌第35巻に掲載されている"Lex
Rhodia und Agermanament” [ロード海法と姉妹都市]を参照。
西
ゴート法典と海上取引
この危険については、当時の交易関係に従事する上では、飛び
抜けて重要な要素であり、交易を行う上で計算に入れておかなければならないものであったが、海上取引に何らかの形で関与した者によって分割して担われ
る必要があった。――このことは立法上で最大の問題であり、それ故取り敢えず法学的には関係者の関与の仕方を細々と分類することは行われず、そういっ
た分類はここでは相対的に重要度が低い。西ゴート法典においては最初に"commendare”
[委
任する]、"commodare” [貸し与える]という動詞が、各々の参加者の返還のための何か
の引き渡し、つまり"in
specie” [あるあらかじめ取り決められた特定の一つの物で]または"in
genere” [あらかじめ取り決められた複数の物のどれかで]といった形態
や、委託[Deposit]
から貸付け[Darlehen]まで――各々の参加者の功利的な意図での引き渡しは、後に
ローマ法においては当該の業務がどの法的カテゴリーに属するかという点で重要ではなくなるのであるが――を意味するようになる。まさに西ゴート法典に
おいては、債権者の債務者に対する、参加者の事業発案者に対する、あるいは委託者の委任者に対するそれぞれの関係がはっきりとは分離されていないよう
に見えるところが特徴である。3)こ
れら全ての者の経済的な目的は、ここにおいて本質的にまさに同一であった。つまり、海を越えた先の市場に対して何かを輸出し、そして逆にその市場から
何かをあらためて輸入するということである。これらの目的のための経済的な必要な事は常に本質的に同一のものであった。まず一方では、商品の購入のた
めの労働力の投入、次に海を越えて商品を送るための輸送手段、そして最後に運んだ商品を外国の市場で販売するための特別な販売技術によ
る労働力の投入である。他方では輸出する商品を購入しまた輸送手段を確保するための資金である。投入すべき労働力と資金、場合によって
は借り入れによる、という意味での必要物の調達は、それぞれの輸出事業で必ず行わなければならない事である。既に西ゴート法典においても、危険と利益
を参加者間でどのように分担するかということが法形成においてまさに本質的な問題であった。
3)
[商品の]委託と販売の委託は西ゴート法典では同一の章:"de
rebus praestitis 1. Vt. Vc. III.” [貸
付けられたものについて]で扱われている。委託することと貸付けることは、c.VIII に
おいて相互に入り交じった形で規定されている。そこでは本質的には海上取引が想定されていることは、c. V の
同一場所の表題部(verbo
naufragium[海
難事故に関する規定])から分かる。その規定の中に含まれているものは、直接に後の時代においてのコムメンダに関する法的な規定を我々に思い起こさせ
る。――ランゴバルド法[37]に
おいては、国内部族について定められたものでは、信用を受けた者に危険負担責任が課せられ、つまりその者は貸付けの規定に従って、信用を供与した企業
者の利益を考慮すること無く、返済を行う義務があった。まずは海上取引を考慮する西ゴート法典においては、既に商品の委託と販売の委託において独特の
やり方で危険負担責任を分割しており、ローマ法の根本原則
(I. V tit. V
c. III)
とは相違しており、むしろより独創的に利子付きの貸付けにおいても
(同
一場所の c. IV:
"de pecunia perdita et usuris ejus” [失
われたお金とその利子について])
投
機の目的で
( "sub
condicione receperit” [あ
る条件下での将来の受け取り]、つまりどの事業に受け取った資金が使われるのか、を規定している)危険負担責任を分割している。供託者、委託販売人、
信用供与者については常に、まさにそれぞれの相手方と同様に、企業者の危険負担責任の一部を分担するのである。
4)ゴルトシュミット、"De
societate en commandite” [委
託に関わるソキエタースについて]、1851年;ジルバーシュミット、"Die
Kommenda in ihrer frühesten Entwickelung.” [コ
ムメンダの最初期の発展について]
コ
ムメンダの経済的な基礎
上記で述べたような参加者にとって等しく必要なことは、今や
同一の法的な制度の確立をもたらすのであり、それはコムメンダという名前である特別な法的な形態と成り、既に歴史的にかなり初期の段階で完全に確立し
た法形態となり、海上取引はそれを利用したのである。
コムメンダがある者が別の者の商品を売却することをその者自
身のリスクにおいて行い、そして利益を得るというある種の業務であることは周知の事である。ゴルトシュミットが推測しているように、コ
ムメンダが既にローマの世俗法に含まれていたかどうかは、取り敢えずここでは保留とし、我々はそれをただ中世において追求する。
もっとも原始的な海上取引の内容は以下のようなものである:
商品の生産者あるいはその生産者から商品を買い付けた商人が個人として船に乗り込み、この船に輸出用または輸入用の物品を積み込むというものである
が、コムメンダの制度が見出されるような時代においては、既にそのような原始的な形態は乗り越えられていた。既に最古の法的史料においてpatronus
navis[船の所有者]は、商人達に対して船を提供し、その商人達は自
分達の貨物と一緒に船に乗り込む、という形で登場する。さらにそれを越えて、労働の分担も進んでいた。つまり卸し商人は自分自身の代わりに継続的に使
役する関係であるfattore[イ
タリア語、使用人頭]、messatge [カ
タルーニャ語、メッセンジャー]を、船に乗り込ませる。船主、それはスペインでは主にRhederei[38]であったが、そちらはそちらなりに
patronus navis として自分達の使役人を仕立てるのである。
5)ゴルトシュミットの前掲論文、商法雑誌第35巻、P.80、107を
参照。この見解についての個々の事例においての確認は、後に適当な場所で言及する。
6)ジ
ルバーシュミットの10世紀のヴェネツィアでの
collegantia[39]についての見解は、ゴルトシュミットの前掲書 Z. XXXV P.
80、 81によれば、偽ロード海法[40]のχρεωκοινωνία
[χρεως+κοινωνία、信用+ソキエタース]にもっと古い例があるとされている。
7)
トラーニ法典[41](パルドゥシュ[42]編、
Collection des lois maritimes)とトルトサ慣習法[43](オリバー[44]編のEl
derecho de Cataluña)と比較せよ。前者の編纂年代は諸説あり確定していない。しか
し我々が研究の対象にしている制度はかなり早期に成立している。
8)consolato del
marを
参照。Archive de
L'Orient Latin I P.431も、Rhedereiの存在を前提にしている。 (Archives de L'Orient Latin, Tome I, Paris Ernest Leroux,
1881)
この段階に至るとこういった海上取引での仕組みのさらなる発
展については、色々な方向があり得た。――一方では自分の従者を商品と共に送り込む代りに、次のようなやり方が利益的には好都合と考えられるようにな
る。つまりその度毎にその商品を販売しようとしている市場を良く知っている第三者を雇い入れ、商品と共に船に乗り込ませ、さらにその際にその第三者が
自身の裁量において船を委託者から借りるとか、その者自身が輸送手段を確保する、といったことを認めるというやり方である。他方では逆にそういった第
三者を雇い入れることをせずに、商品と一緒に送り込まれる代理人ではなく、船主自身が報酬をもらった上で商品の販売をも引き受けるというやり方もあ
る。9)取
引の及ぶ範囲が広大になればなるほど、次のようなやり方がより一層好都合であると考えられるようになったに違いない。つまり、自分の従者を長い船旅の
後、その者にとって未知の国に送り込むより、その国での諸事情に精通した委託販売人に商品を委託するというやり方である。後者のやり方はその後自然
に、ジェノヴァにおいて公正証書上に繰り返し同一の名前が現れるようになったことからも分かるように、すぐにこの種の販売委託を請け負う独立した事業
の出現につながったのである。
9)ジェノヴァのジョヴァンニ・スクリーバ[45]の公証人証書(Historiae
Patriae Monumenta[46]のchartaum
II)、No.
261、328、329、306他
多数。1155年
以降、こういった様式の全ての例が得られる。329と306で
は船主とコムメンダで委託を受けた者は同一人物ではない。トラーニ法典とトルトーサ慣習法においては、法的な代理人としての船主の代理人という者は出
て来ない。Decisiones
Rotae Genuae[47][de
mercatura, et ad eam pertinentibus]
[1606年]
を参照。
ある一人のそういった代理人の報酬は、いつも決まった額で固
定報酬という形で与えられることもあったが、ある場合にはしかし、12世
紀のジェノヴァで普通に行われていたように、委託販売人は利益の一部の分配にも与ることが出来たのであり 10)、
こうしたやり方が通常コムメンダと呼ばれる関係なのである。こうした委託販売人が自らも利益の分け前に与ることの利点は明白であるが、しかしまた次のような状況にも適
合したものであった。つまり、委託を受けた代理人が根源的にただ委託した方の手足である限りにおいて、そうした手足は競争が激化して単純に商品を通常
の海外市場に投入することが難しくなればなるほど、それだけいっそう需要を正しくつかみ一般論として自立した取引が必要になるという意味で変わってい
かざるを得ないのである。コムメンダで委託を受けた者は一人の請負人として職務を行うのであり、その結果その働きに対する報酬はもはや雇い人のような
固定した賃金の受け取りではなく、その事業全体の収益の一部を受け取ることになるのである。
10)コムメンダの標準となる史料は、先に引用したジェノヴァの公
証人証書の1155年の例えば参照箇所のNo.
243に
見られる:"Ego
… profiteor me accepisse in
societatem a te … lib[ras]50, quas debeo portare laboratum usque
Alexandriam et
de proficuo quod ibi Deus dederit debeo habere quartam et post reditum
debeo
mittere in tua potestate totam prescriptam societatem …” [私は...ソ
キエタースの関係において貴方から50リブラ[ポンド]を受け取ったことを認め、私は自分の業務とし
てその商品をアレクサンドリアまで運搬しなければならない。その仕事の収益の中から神は私が1/4を受け取ることをお許しになるであろう。そして私が戻ってきた
後は全てのあらかじめ決められたソキエタースの利益を貴方に渡さなければならない...]
コ
ムメンダで委託を受けた者の通常の生計の費用は規則により委託をした側の負担となり、その他の業務遂行に必要な諸掛かりについては委託された側の負担
となる。—コムメンダ契約の根底にある一方的な性質は文献史料においては
領収書の形で現れ、そこからそれを読み取ることが出来る。
コ
ムメンダのソキエタース的性格
コムメンダにおけるソキエタース的要素は――コムメンダはそ
の成立の最初からソキエタースと呼ばれたが――ソキエタースの形態での業務を次の限りにおいて内包している。つまり、事業におけるリスクの分担はここ
においても資金提供者が負い、それに対して航海と販売における諸掛かりは取り決められた範疇に従って(注10を
参照)それぞれが一定割合を負担し、さらには利益もそれぞれの持ち分に応じて分割されたのである。このソキエタースという制度の国際的な発展形態であ
るコムメンダは次のような形で登場する。つまり、利益の分割の仕方を決める尺度について、後に大部分がはっきりした法的規定となる任意法という形での
商習慣が、委任を受けた者は純利益の内から1/4を
配当として得るということを定める形である。
コ
ムメンダの参加者の経済的位置付け
この[コムメンダにより]業務を委託する側は、商品の生産者
であるか、または後背地の商品を買い付ける仲買人かであり、一般的には輸出業者であることが多くその場合は商品を、あるいは輸入業者の場合は資金を委
託するのであるが、ある場合にはこの両方を兼ねることもあり、その場合は輸出した商品を売却したその売上げを転用して別の商品を買い付けて輸入を行う
のである。(ジェノヴァでは後者の場合を商売上の技法として"implicare"と呼んでいた。)
11)仲買人について:HPMのchart
IIのNo.306(1156年)
を参照:
”Nos M[archio dormitor] et A[lexander lngonis Naselli] profitemur nos
accepisse
a te W[ilielmo Ncuta] 8 pecias sagie et volgia que constant tibi
lib[ras] 24.
has debemus portare laboratum apud Palermum et inde quo voluerimus dum
insimul
erimus etc.” [我々Marchio
dormitorとAlexander
Ingonis Naselliは
貴方Wilhelm Neutaから24リ
ブラ[ポンド]の価格で貴方に債務を負っている8巻
きのsagieとvolgia[48]を受け取ったことを確認します。我々はそれをパレルモまで運搬
する義務があります。そしてそこから先も我々は出来る限り一緒に行動したいと希望しています。等々]
12)
前掲書[HPM]のNo.
337 (1156年): Ego
… profiteor me accepisse a te …
[folgen die
Waren] unde debeo
tibi bizantios 100 … et eos debeo portare ad tuum resicum apud
Babiloniam et
implicare in lecca et brazili … et adducere ad tuum resicum etc. [私は貴方から次の商品を受領した事とそれによって貴方に100ビサンチン[金貨]の債務があることを確認します。そして私は
その商品をバビロニアにある貴方の作業場まで運搬し、そしてそこでleccaとbrazili[49]に染めるという義務を負っています。さらにその染めた布を貴方
の作業場まで持っていき...等々]—レ
パ[50]の見解(商法雑誌第26巻P.448)
である、"accomodare"と"implicita"が前者は委任された者が事業収益に対して分け前を持つことによ
り、後者は対象物の価値の1%を受け取ることにより、それぞれ報酬の受け取り方が異なってい
るということは、レパがその証拠として挙げているカサレギス[51]の”Discursus
de commercio”の29.9で
はきちんと証明されていない。"Implicare"はジェノヴァの文献史料においてではなく、むしろもっと後代で
レパが説明しているような意味を持つようになった。それは当時の商慣習において、ごく普通に使われていた単語で、ドイツ語での"Anlegen"、"Investieren”
[出
資する、投資する]に相当する表現だったのであり、今日のイタリア語の"impiegare”
[資
金を用いる]に等しい。テール[52]もこのカサレギスの引用の箇所について更なる根
拠を示すこと無しに、Akkomendatar[コムメンダにおける委任する方]が、”Implizitar
Provision”と
いう利益配分を得ていたという見解を示している。既に述べたようにより以前の時代については、どこまで後代の概念が適用出来るかについては疑ってかか
らなければならない。
この最後の二つの場合においては、コムメンダで委託される方
を特別に独立した者と位置付けることが不可欠になる。そういった委託される方は、その取り扱う業務を自己の勘定では扱わないために、実質的には企業家
とみなすことは出来ない。一方コムメンダで委託する方は、商品を販売する市場とは一様に弱い関係でつながっているだけであり13)、
それに対して委託される方が独立して主に業務を執り行う者として、委託する方と市場の間に自らを割り込ませるのである。原則的にまずは一人の委
任者に一人の被委任者が対置される。被委任者がコムメンダで委託されたもの以外の商品をその市場に持ち込む場合には委任者側の特別な許
可が必要な限りにおいて、後の時代になってコムメンダによる委託外の商品についての[被委任者側からの]申告を、形式的にではあるが文献史料の中で確
認することが出来る。(参照:HPM
chart II、346、424,655など多数)しかしながら複数のコムメンダ契約による商品の受け
入れと、さらにそれに加えて自分自身の商品の持ち込み、また多数の自分自身の船と自分の家族を従業員として使った大規模な貿易事業は、しかしながら
ジェノヴァの文献史料が示しているように、もはや特別の事では無くなっているのである。このことはまずもって経済的な面では重要であるが、法的な概念
の把握という意味では、多数の委任者が同一の被委任者を使い、危険と利益の分担のために組合を結成し、つまりソキエタースとしてのコムメンダが成立す
るという後代に観察出来る関係は、まだほとんど確認することが出来ないのである。
13)HPMのchart.
IIのNo.
340は、
コムメンダ関係を取り結ぶことは既に銀行の業務の一つになっていたことを示している。ヴェネツィアの銀行のコムメンダ契約法、1374年9月28日、1403年11月21日
を参照せよ。(ラッテス[53]により、"La
libertà delle banche a
Venezia"の
書名で出版されている。)
2.ソキエタース・マリス[海のソキエタース]
あるもう一つのゲゼルシャフトの形態、つまり一般にソキエ
タース・マリス[海のソキエタース]と呼ばれるものがもたらしたのは、大きな変革であった。ソキエタース・マリスでは、資本家の視点から見た場合、ま
ず第一に一方向的なコムメンダから、双方向での出資を伴うソキエタースへと移行を果たしたのである。
この新しい関係を公証人の下で公正証書を作成するためのジェ
ノヴァにおける一般的な様式は以下のようなものである:
Chart.II 293 v.J. 1165: W[ilielmus
Buronus] et I[do de Rica] professi fuerunt se ad invicem societatem
contraxisse
200 librarum, in qua quidem duas partes W[ilielmum Buronum] et terciam
I[donem]
contulisse pariter confessi fuerunt. Hanc omnem societatem nominatus
I[do]
laboratum debet portare Bugiam et hinc ubi voluerit. In reditu
utriusque
capitali extracto proficuum debet per medium dividere etc. [HPMのChart.
II 293 v.J. 1165: Wilielmus
BuronusとIdo
de Ricaは二人が200リ
ブラ[ポンド]の金額の相互的ソキエタースの契約を締結したことを認める。その契約の中でWilielmus
Bonorusが全体の2/3を
出資し、Ido
de Ricaが1/3を
出資していることも了解した。このソキエタース契約に基づいた全ての商品を、Idoは
その業務としてブルギアまで、さらにそこからIdoが
希望する場所まで運送しなければならない。Idoが
戻ってきた場合には、それぞれ自分の出資金を差し引いた後で、利益は折半されなければならない、等々。]
歴史を遡ってコムメンダの存在を証拠付ける限りにおいて、こ
の形のソキエタースもまた証拠付けられるのである。しかしながら、ジルバーシュミットがこの形のソキエタースをより新しいものとみなし
ている事については賛成せざるを得ない。14)
この場合においての、ソキエタースで委任される者の位置づけ
は、既に論じたようにより自立した存在にならなければならなかった。その行う業務が自分自身の勘定でも行われる限りにおいて、少なくとも共同企業人と
なったのである。
14)
文
献史料を一読すれば、ソキエタース・マリスはコムメンダと比較してみた場合、そういう風に[コムメンダとは異なったやり方で]取り決めると意図された
ことが疑わしく思え、ある種の特別協定の性格を帯びているということが分かる。ソキエタース・マリスの取り決めは、しばしば貿易に持ち
込んだ商品の内、ほんの一部のみをカバーしている。(Chart. II 348など多数)Consolato
del mare[54]では、ある一人の、自身の商品に同行してそれを運搬していくソ
キエタースの成員の存在が、コムメンダの被委任者と同様に有効と認められることが、こうした関係の特別な正当化のために不可欠であった。その理由はそ
うしたソキエタースの成員が提供するより金額の大きい保証金にあった:perçó com
comendataris van per lo mon mults qui en tot ço que portan ne an
alguna cosa.
Encora mas si aquelles comandes no eran que hom los fa, irien à onta.
Encora
mas si aquelles comandes se perden, ells no y en res, perço car à ells
no
costarà res del lur ne y perden res … è en axi lo senyor de la nau ò
leny no
pot ne deu esser de pijor condició que un altre comendatari.“[55][何故ならば、船の命令を承諾する者の多くは、船上において彼
ら自身の個人的な貨物を所持しておらず、ただ船から許可されて持ち込んだ物のみを、世界中をその船で旅する間所持する。さらには彼らが船に対する命令
権を委託されていない場合には、その存在は無に等しい。もう一つ付け加えれば、海上で貨物が紛失した場合でも彼らはその貨物に対して何らの所有権も
持っていないため、失う物は何も無い。...それ故に船の所有者が、船上の他の者よりも有利に扱われるとい
うことは公平ではない。][56]
ソ
キエタース・マリスの法的性格
このソキエタース・マリスという形態の、コムメンダと対比さ
せた上での特徴は、何よりもまず本質的には危険の共有ということである。――そして例えば利益の分割の仕方のような事ではない。コムメ
ンダにおいては、委任される者は出資0に
対して利益の1/4を得る。それに対してソキエタース・マリスでは、慣習的に15)総
資本の内の1/3の出資に対し、残りの2/3は
委任する側が出資するのであるが、その委任される者の1/3の
出資の利益の1/2つまり1/6[1/2 x
1/3]だけ出資分の配当として多くもらうのである。これは委任する
側から見れば、出資分の割合である利益の2/3の
内の1/4だけ[2/3 x 1/4 = 1/6]
が委任される者に取られるということである。海上取引にかかった費用の分担についても、コムメンダと異なる所はまったく無かった16)。
そういった利益やコストの分担の仕方の違いではなく、ただ危険の共有のみが二つの制度の違いを生じさせているのである。旅する方のソキエタースの成員
(ピサでの呼び方ではtractator[トラクタートル])の商品は、ソキウス・スタンス([socius
stans]、ピサでただ出資だけの成員をこう呼んだ)の商品と一緒にさ
れて船に積み込まれ、もしある一方の商品が海上で損害[海損]を被った場合、その損害は両方に共通の損害、つまりソキエタースの財産の
減少として扱われるのである。[57]
15)
Chart. II 428: A.は200、 Bは100と
その労働力を提供する。利益は1/2ずつに分けられ次のような注釈が付記されている:"cum
ista societas nominatur” [こ
のことがソキエタースと呼ばれているために]。双方から持ち込まれた商品の量の比率が2/3対1/3で
無い場合は、このソキエタース・マリスではその比率の部分だけがソキエタースとして成立しているものと見なされ、残った部分はコムメンダと見なされ別
扱いの勘定となった(Chart. II 348など多数)。
16) 大
半が自明の前提とされ、時折言及されている:Chart.
II 340. を参照。
商品を販売したことから得られた利益は、その商品を用意した
者の利益ではなく、一種の共有財産となるのである。――ソキエタースの財産についてはもはやソキウス・スタンスの特別勘定でもなく、またトラクタート
ルのでもなく、ソキエタースの財としてある勘定を、――ソキエタースの資本勘定とここでは名付けるが――成立させるのであり、この勘定に対して貸方に
記入したり[出金したり]、借方に記入したり[入金したり]するのである。(まだ商業簿記的にではなかったが、会計上ではこの時代において既に簿記と
みなすべき先例が見出されるのである。)こういった共通勘定について、どのような支出を行いあるいは収入を得るかという、特にこの勘定の利益になるこ
とについて("venire
in societatem” [ソキエタースの中に入れる]、HPMのChart. II. 380、457、487、604、619、729、734,910な
ど多数を参照)、多種多様の取り決めを証拠付ける文献史料が残されている。多くのそういった勘定は、お互いに様々に異なった精算関係を持つことが可能
になる。
このようなソキエタース・マリスの発展においては、それが新
しい制度だといってもコムメンダとの根本的な違いは共通の基金の形成という点を無視すれば、おそらくはっきりと認識されることはなかった。—し
かしながら何らかの形で重要な相違が存在しているということは、[共通基金の形成という明確な区別が存在する故に]ラスティヒによって
も否定はされていなかった。まさに通常の場合コムメンダを特徴付ける要素、つまり危険が委任する者だけによって負担されるとういうやり方は、ソキエ
タース・マリスにおいては変更が加えられているのである。ソキエタース・マリスが通常のコムメンダである度合いが薄いほど、新たな現象として危険が委
託を受ける側でも負担される場合において、法的に見ればより一層次のことが重要になる。つまり、ソキエタース・マリスにおいては最初から最後まで、も
はやある一人のソキエタースの成員が自分の勘定で海上取引という業務を執り行ない、そのことによりその者が業務の責任者となり、トラクタートル[委任
を受ける者]にはただその労働力を提供させるというのではなくなり、――ソキエタース・マリスにおいては参加する委任者と被委任者の双方が相手の出資
に対する危険をも分担するのである。
17)
Chart. II 576を参照(陸上コムメンダの場合、後記。)
経
済的な意味
経済的な意味においても二つの制度の違いは顕著である。既に
コムメンダ、特に資金委託の形のコムメンダの場合において、委託を受ける者が委託する者と販売市場の間に入る存在となっていく傾向があったが、ソキエ
タース・マリスにおいてはさらに、トラクタートル自身が自己資本を海上取引に投入しており、それもとりわけ多くのソキウス・スタンスが一人のトラク
タートルと投資において関係を結ぶ場合において、コムメンダとの違いは明白であった。トラクタートルの活動が次第に困難さを増していく市場との関係に
おいて重要性が増せば増すほど、それだけ経済的にはいっそうトラクタートルが企業家として、逆にソキウス・スタンスは単なる参加者に見
えてくるというのが必然の成り行きだった。その場合にはソキウス・スタンスはもはや外部の労働力を自分の事業に組み入れる者ではなくなり、自分の海上
取引における役割が単なる投資家に留まることを認めるようになる。後者の自己認識は紛れもなく、トラクタートルと取り結んだ種々の契約をソキエター
ス・マリスへの投資、つまり特別な形に統合された投資信託とかあるいはそれに似た短期利益を目的とした投資としてみなす、となっていくのである18)。
いまやソキエタース・マリスが経済的にはこのような新しい意味を持つことが可能になるか、あるいは事実上しばしばなったにも関わらず、ソキエタース・
マリスはその法的な構成という意味では、新しい影響をまったく及ぼさなかった。二つの制度の間に法的な差異は存在せず、経済的に旅するソキエタースの
成員[トラクタートル]の労働またはソキウス・スタンスの資本を別の他の団体の業務であるかのようにみなすことになる。この最後のケースにおいては、
ソキウス・スタンスの位置付けを自分の資本を外部の者による業務による利益または損失に関連付ける者とみなすことや、またその関係を経済的に「参加」
と描写することを誰ももはや不当とは思わないであろう。――そこからソキエタース・マリスの曖昧さをしばしば批判し、その曖昧さがコムメンダ関係とい
うものをそれに「参加する」者と捉えることに起因するというラスティヒのソキエタース・マリスの把握の仕方には反駁せざるを得ない。コ
ムメンダについてはまさに参加という形で機能しているとも言えるのである。19)
18)
Constit[utum] legis Pisanae
civitatis (ボ
ナイーニ[58]編の、Statuti
inediti della città di Pisa[59]
Vol. II) c. 21.
Stat[uten] v. Pera c. 108.を
参照。これをジェノヴァ市民の誓約ゲノッセンシャフト[コミューン]であるCompagna
communis[60]のソキエタースにおいて誰にも帰属しないお金を受け取ることに
ついての誓約と比較せよ。(Breve della
comagna v.1157)
19) ラ
スティヒはむしろコムメンダ関係を「一方向的な労働ゲゼルシャフト」と
して、彼が"participatio”
[参
加する]と名付ける「一方向的資本ゲゼルシャフト」とははっきりと区別しようとしている。ただ委任者と被委任者の関係において存在する要素のみが、ソ
キエタース・マリスにおいても経済的には問題であり、それについての解答は誰が海上取引業務の「主人」であり、つまり企業家であるとみなすことが出来
るかということであり、—それは可能性として二者の内のどちらでもないことがあり得、そ
れは結局二者のどちらもが等しくそうであると言うことになる。ラスティヒはエンデマン[61]の”societas
pecunia-opera”[62]等の理論(エンデマンの„Studien
in der
romanistisch-kanonistischen Wirtschafts- und Rechtslehre.“[63]の中の)に対して、経済的な見地を法的な観察に混ぜ込ませてい
るとして、効果的かつ正当に反駁しているが、しかしラスティヒ自身もまた彼が作成した[法的な]カテゴリーの中に経済的なものも混ぜて
しまっているのである。[ラスティヒの言う]「参加」も、法的にはとりわけ多種多様な形態を取りうるのであり、ソキエタース・マリスを対象にしない技
術的・法的な意味付けが、私の知る限りの出版されている文献史料には見出すことが出来ないのである。ラスティヒ自身も曖
昧さを後に認めているが、我々は後でピサにおいて特に次のことを観察するであろう。つまりソキエタース・マリスがそれが最初に花開いた時期から既にコ
ムメンダと異なっていたこと、そしてまた参加というモードで見た場合にも機能しており、そこ[ピサ]においてこれらの原因によって特別な、他のものに
は欠けている法的な定義をすることが出来るということである。「参加」はそれ自身が本来法学的ではなく経済的な概念である。
3.コムメンダ関係の地理的領域
ここにおいては、膨大な文献史料に基づいてコムメンダとソキ
エタース・マリスの発展の経過を個々の地域共同体[都市共同体、コミューン]において追っていくことはしない。ピサについては、第4章
で特別に取り扱うこととする。というのはピサの法律は我々の研究目的に対して非常に興味深いものであるからである。――個々の国々におけるコムメンダ
関係に関する文献史料についての概説は、それが我々の関心に適合する場合において、かつまたこの制度の地域的ではなく国際的な意味を俯瞰するという目
的においてのみここで扱うこととする。
実際の所、コムメンダ関係は地中海周辺のあちらこちらで見出
すことが出来る。
ス
ペイン
スペインにおいてはコムメンダ関係の法的な発展は、既に引用
した西ゴート法典の引用箇所や
Fuero Iuzgo[64]において確立するが、しかしながらそこで規定されているコムメ
ンダ関係は独自性が弱く、まずは外国人が従事している商取引20)に
限定適用されるものだった。本質においてジェノヴァの法律がそのままコピーされており、コムメンダや海上取引法に関心の力点は置かれて
おらず――それはConsolato
del mareでも同じであるが――海上船舶の運航に関する法
規、つまり船主と乗組員他との関係に重点が置かれている。急速に浸透したローマ法においてはそれから、既に13世
紀においてそれぞれの国での法的な発展の内容をほとんど変更せず21)そ
のまま吸収していた。ただバルセロナ22)に
おいてのみ、この制度の[現地の法での]規定が生き残っていた。Siete Patridas[7つの章、の意][65]では、やはりローマ法の規定のみしか見出せない。
20)
ア
グラムント[66]の議会による1118年
の
Fuero de Guadalajara[67]では、商人をただ外国人としてのみ扱っており、Consolato del
mare c. 172.175は
ジェノヴァ法の内容を含んでいる。バルセロナにおいては、1258年の規定において完全にジェノヴァの法規定の内容を取り込んで
いる。Leyes de
Recopilacion[68]
1. VII t.X1. 3では、外国人による船舶の航行業務についての規制が有り、そう
いう外国人に対しては特別に大規模な貿易取引の場合にのみ[コムメンダ関係を]許可しているように見える。
21) 1258年の
Costums de Valencia[69]では、コムメンダの被委任者について取り決められている。マヨ
ルカ島では1433年の法規の中では純粋なローマ法が支配的である。トルトーサに
おける慣習法の集成ではエンコミエンダ (1. IX r. 23)[70]において修正が加えられている。
22) コ
ムメンダ等についての法規が見出せるのは、以下の文献においての1271、1283、1304、1343年
の部分においてである。ジャン=マリー・パルドゥシュ[71]の"Collection
des lois
maritime"、
ドン・アントニオ・ド・カプマニー[72]の"Memorias
historicas sobre la
marina, comercio y artes de la antigua ciudad de Barcelona"(マドリッド、1779年)。
シ
チリア島、サルディーニャ島
シチリア島とサルディーニャ島の諸都市においては、文献史料
を見た限りにおいては、独立した大規模取引の欠如により、コムメンダの制度は発達しなかった。23)
ト
ラーニ、アンコーナ
トラーニ法典においては24)、
独立したコムメンダの被委託人は、まだ海上取引の商品に付き添う商人の通常の代理人の代用品としてのみ言及されている。
ア
マルフィ
アマルフィにおいては、Kolonna[colonna]25)[73]という制度において、コムメンダにおいて発展した船に商品を積
み込んで海上取引を行う場合の危険の分散と利益の分割という考え方が適用されている。しかし、それはただ小規模で原始的な沿海貿易で相対的に小規模な
資本が投下される場合に使われただけである。独自の、大規模な海上取引に付属するコムメンダのような制度はそこでは独立したものとしては発展しなかっ
たように見える26)。
これまで述べて来た全ての地中海沿岸の領域においては、バル
セロナの例外を除いては、独自の継続的な大規模海上取引が存在せず、それ故にコムメンダという制度も、またその特徴的な根本原理も、存在自体は知られ
ていたが、イタリアの大沿岸都市においてそうであったように、独自な形で、また決疑論[74]的に完全な形にまで、発展することはなかった。
23)
パ
レルモ法典[75]の第76章
からは、大規模な海上取引はただ外国人の手に委ねられていたことが結論付けられる。サルディーニャ島のサッサリ[の法典]では、外国人が内国人に委託
するその時々のコムメンダについての言及が見出される。スペインと南イタリアとイタリアの島々においての全体での貧弱な文献収集からは、コムメンダと
いう制度は知られていたが、同時にそれの独自の発展はそれらの地域では見出すことが出来ない。
24)パ
ルドゥシュによればトラーニ法典の成立年代は1063年であるが、周知の通り、この成立年代に関しては疑義が投げか
けられている。1397年のアンコーナ法典[76]はその内容をトラーニ法典に負っている。
25)ラー
バントの商法雑誌第7巻に収録された"Tavola
de Amalfa"[77]とジルバーシュミットの"Commenda
in ihrer frühesten Entwicklung” [コ
ムメンダの最初期の発展について]を比較参照せよ。
26) 1274年の"
Consuetudines civitatis
Amalphiae” [ア
マルフィ市民慣習法](ヴォーピチェラ[78]の編集による)の第14章
によれば、societas vascelli(=
Colonna)に並置してソキエタース・マリスを記載している。しかしその
本質的な原理の説明が欠けており、特に利益が出資分に応じて[pro rata]分けられたかということは疑わしい。ソキエタース・マリスが
この地へは外から持ち込まれたのであり、独自に発達したのではないと言うことは、事業の危険を資本家が負うという必須とみなされた特別な前提条件の記
述を見ても明らかである。
ピ
サ
ピサについては別途[79]考察を行う。
ヴェ
ネツィア
ヴェネツィアではジルバーシュミットが指摘す
るように10世
紀において既に、collegantia という形で、入手出来る文献史料が明白に証拠立てているよう
に、コムメンダとソキエタース・マリスの根本原理を発展させている。collegantiaの担い手が本来の企業家であるということは、コムメンダやソキ
エタース・マリスと同様に確からしく、それは営利目的の資本投下の一つの形態を作り出している。
27)1081年
の調停の文献史料(Archivio
Veneto[80]第6巻、P.318)
を参照。そこでは、rogadia、transmissum、commendacio、collegantiaといった用語が使われている。transmissumはおそらく輸送に関する業務で船主のコムメンダに関わるもので
あろう。commendacioはここ以外でも多く使用されているが、供託物[Depositum]の意味であろう。colleganitaはソキエタース・マリスであり、しかしジルバーシュミッ
トの言うようにrogadiaが一方的なコムメンダであるかどうかは疑わしい。ヴェネツィア
法典の1. III c. 3では、collegantia
は
ソキエタース・マリスの形態を内包しており、単なる一方向的なコムメンダとは違い、トラクタートルもまた資本参加するのである。rogadiaについて可能性が高いのは、固定報酬によって委任を引き受ける
ということであり、コムメンダの前段階と言えるだろう。roga communis[81]という表現がヴェネツィア法典(Promissiones
maleficiiの
第22章。[82])の中に見出されるが、なるほどそこでは communis
rogam[共
同事業についてのコミッション]または communis
marinarium[海
上取引についてのコミッション]を請け負ったものは、契約違反を犯した場合には、poena dupli[二重の罰]が課せられるという脅し文句が記載されている。パ
ルドゥシュの"Collection
des lois maritimes antérieures au dix-huitième siècle” [1824
- 1845、全6巻]
の第5巻
のP.19で
は communis
roga を"arrhes
payées au nom de la ville pour engagement sur le navire de l’état” [都市国家の名前において、都市国家の船についての契約に対し
て支払われた手付金]と説明している。この用語と船の航行との関連も、引用したヴェネツィア法の箇所から見て明白である。さらにヴェネツィア法の1. III c. 2を見れば(基礎的な記載追加は既に13世紀初頭に見出される)、rogadia
の
目的が商品の販売とされていることも明らかである。同法の1.1 c.48の箇所からは何も判断出来ない。従ってそこでの船の航行との関
係も明らかではない。
28) Archivio
Veneto XXのP.75の1150年
の例とP.76の1191年
の例、さらにはP.325を
参照。1403年
の銀行法のv.
21. XI. によれば、collegantia
は
また銀行による資本投下の手段としても使われている。1235年のStatuta
navium (パルドゥシュ V
p.20 f.)も参照せよ。
ジェ
ノヴァ
ジェノヴァにおいて、コムメンダやソキエタース・マリスを見
出すことができる法規や文献史料の中で、それらに南仏の諸法規が依拠しているのであるが29)、
二つの制度が当然のものとして定義されていることについては、何の疑問も差し挟む余地も無く同意出来る。ジェノヴァの契約書の書式は、地中海沿岸の全
ての国で、十字軍の時代30)
に
おいてオリエントでの大規模な国際的商取引の中で、一字一句変更無しにそのまま用いられた。ジェノヴァそれ自身においても、コムメンダとソキエター
ス・マリスの書式は明白に海外との取引についての都市国家により定められた法書式であった。Compagna
communis[83]のメンバーでない者は、この書式を使用することが出来なかっ
た。文献史料ではこの都市の最初の名門の家門であるドーリア[Auria]
家、スピノラ家他が非常にしばしばコムメンダの委任者として登場する。同じく非常に頻繁に同じコムメンダの委任者が同時に非常に多くの異なった商品に
ついてのソキエタース関係を結んでいる。
29)
Hist. Pat. Mon. Leg. Munic.T. I のニース、1253年
のマルセイユ、パルドゥシュのCollectionに収録されたモンペリエを参照。
30)
ア
ルメニアのアイアスにおけるニコラウス・デンス[84]とアントニウス・デ・クアトロ[85]の公正証書、及びArchivcs
de l’Orient latin vol. 1.1. に収められた13世
紀のキプロスのファマグスタにおけるラムベルトゥス・デ・サムブセト[86]の公正証書を参照。地中海沿岸の全ての国が登場する。これらの
文献史料はほとんど一字一句ジェノヴァの公証人であるジョヴァンニ・スクリーバの書式を借りている。オリエントでの独自の表現は、ソキ
エタース・マリス相当語としてiatenum、von
tchaten、zusammenlegen
= collegantiaなどが存在する。
これらの法規における様々な規定は、法的関心の範囲内で、ジ
ルバーシュミットにより詳細に分析されている。それ故に、本論文ではそれらを再度細かく蒸し返すことは行わない。本質においてそれらの規
定は任意法規[87]を含んでおり、ソキエタースの成員同士の関係を規制している。
しかしここでもまたそれらの規定の完全な姿は存在していない。それらの規定は、全てのイタリアの諸法規と同様に、――何が解釈において重要であるかと
いう意味で――本質的に個々の細かい点を扱っているのであり、それらは実地においては疑義をもたらしたり、困難を引き起こすこともあったのである。そ
ういった不完全さは、特に「一方的な労働ゲゼルシャフト」と「一方的な資本ゲゼルシャフト」(ラスティヒが定義した意味で)の間での経
済上の意味の揺れのために、しばしば疑念を引き起こす次のような問題を生じさせる。つまり、委任された側は航海中にどの程度まで委任した側あるいはソ
キウス・スタンスの指示に従う必要があったのかということと、また委任された側が自らはリスクを負うこと無しに、どの程度まで予定の航路から外れるこ
とを決定する権利があったのかということ、さらには当然の懸念事項として、トラクタートルが外国で死亡した場合にその後継者をどうするか、等々の問題
である。
トラクタートルの非独立性は基本原則であり、その反対に独立
性を認める場合には多くは特別事項として追加条項の中で処理され、トラクタートルが貿易のためにどこに赴くとしても[quocunque
iverit]、そのトラクトールはソキエタース関係をそのまま維持すると
された。
ジェノヴァの法規における規定はこれらの制度に関してはほと
んど変更されることはなかった。1567年
の改定においてでさえ、特記すべき変更点は無かった。ようやく1588/89年
版の法規において重要な変更が加えられている。これについては後述する31)。
当時コムメンダとソキエタース・マリスはその古い形態では商取引においてそれまで長い間保持していた重要な意義をもはや保持してなかった。商取引自体
が別の方向に進み始めていたし、地中海における海上取引はもはや全世界においては上位に位置するものではなくなっていたし、その古い形態は他の形態に
席を譲らざるを得なかった。もちろん他の形態といっても部分的には古い形態をベースにしていたのであるが。16世
紀の判例集— Decisiones
Rotae Genuensis、Rotae
Lucensis、Rotae Florentinae、Rotae Romanae – に
おいては、コムメンダとソキエタース・マリスに関する箇所では、その古い形態についてはもはや言及されていない。
31)
最
終章[第7章]
参照。
4. 海上取引に関係するソキエタースの財産法上の扱い
それではここまで歴史的及び地理的に追跡して来た[コムメン
ダとソキエタース・マリスという]制度が、この論考で取り扱っている問題[ローマ法のソキエタースが歴史的にどのように合名会社へと発展していくか]
に対してどのような意味を持つのであろうか?
我々がこれまでに見て来たように、これらのソキエタースのあ
る一定のやり方の資本投下は最初からその本質的な要素であったし、その資本投下がさらにはその名称としても「ソキエタース」として表現され、あたかも
それがソキエタースの本来の代表例であったかのように扱われていたのである。それではこれらの資本投下の結果としての基金は、ソキエタースの成員の他
の財産に対し、また対外的にどのような地位を占めるのであろうか?
ソ
キエタースの基金
ソ
キエタースに投下された資本は、まず何より単純に法的な客体[オブジェクト]の複合体である基金であり、その複合体すなわちソキエタースの基金は精算
の目的で次のような特別の計算を必要とする。つまり、何が利益としてこの基金に組み入れられるか、そして何が損失としてこの基金から差し引かれるのか
ということである。というのは、複合体すなわちソキエタースの基金はリスクと特別な計算による利益の分割に関して、その土台を提供しているのである。
そのためその複合体すなわちソキエタースの基金は、トラクタートルによって持ち込まれた商品や資本とは区別されなければならず、複合体=基金はある特
別の勘定を形作る。そして今日の簿記が複数の勘定がそれぞれ法的な主体であり、それぞれがお互いに債権と債務を持ち合っているという具体的なイメージ
を用いているように、ジェノヴァの文献史料においてもまた、そこでのソキエタースで何がその収入となり、何が支払うべきものになるのかという点におい
て、あたかもある種の法的な主体であるかのように取り扱われているのである。しかしながらそういった基金はそのことによってまた、ソキエタースの成員
同士の関係においてのみ、ある種の特別財産の地位を獲得したのであろうか?今日の簿記上の勘定がそうであるような、同時に第三者に対しても特別財産の
地位を獲得することがまだ起きていないのは確からしいことである。コムメンダとソキエタース・マリスという二つの関係は、それら自体が完全なものであ
り、ローマ法による根拠付けによって成立が可能になっているであるが、これらに関する文献史料は我々がローマ法のソキエタースとして知っているものを
まさにその記述の中で思い起こさせるのである32)。
ソキエタースの成員同士の関係の全体像は、ソキエタースの成員同士の間での相互債権として法的に説明することが完全に可能である。
32)上記にて引用した[イタリア中世都市での]文献史料の記述
を、以下のローマ法におけるソキエタースの文献史料、つまりルーマニアのトランシルヴァニア[88]の歴史博物館収蔵の[89]紀元167年
のトリプチカ[90](Corpus
Inscriptionum Latinarum[91]の、Voluminis
Tertii Pars Posteriorの950。
「Dociusの
蝋板本」)と比較せよ。:
Inter Cassium Frontinum et Julium / Alexandrum societas dani[st]ariae (= 銀行業務) ex/X
kal. Januarias q[uae]
p[roximae] f[uerunt] Pudente e[t] Polione cos.
in prid[i]e
idus Apriles proximas venturas ita
conve/n[i]t, ut
quidq[ui]d in ea societati arre/natum fuerit lucrum damnumve
acciderit/
aequis portionibus s[uscip]ere
debebunt./ In qua societate
intuli[t Juli]us
Alexander nume/ratos sive in
fructo X [qu]ingentos,
et Secundus Cassi Palumbi
servus a[ctor]
intulit X ducentos/sexaginta septem
‘pr … tiu … ssum Alburno … d[ebe]bit]./ In
qua societ[ate]
siquis d[olo
ma]lo
fraudem fec[isse
de/]prehensus
fue[rit] in a[sse] uno
X unum …/[denarium] unum
X XX … alio inferre deb[ebit]/et
tempore perac[t]o de[ducto] aere
alieno sive/ summam s[upra] s[criptam] s[ibi
recipere sive], si
quod superfucrit,/dividere d[ebebunt] pp.
[Cassius FrontinusとJulius
Alexanderの間で、銀行取引に関するソキエタースの契約を締結した。その
有効日は紀元165年の1月1日
の10日前[92]から翌年の4月13日
の1日前[93]までであり、L.
Arrius PudensとL.
Fufidius Pollioが執政官[コンスル]であった年である[94]。その契約の中で次のことを合意した。すなわち、そのソキエ
タースにおいて、「相互が供託した資金において」[95]どちらのソキエタースの成員も、将来における利益または損害に
対しては、その持ち分に応じて分担する義務を負う。そのソキエタースにおいて、Julius
Alexanderは500デナリウスを現金で、かつ利益を得ることを目的として支払い、Cassius
Palmbusの
代理人である奴隷のSecundusは[96]前もって267デ
ナリウスを支払い、Alburoは
それについて債務を負うことになる。このソキエタースにおいて、その成員の誰かがソキエタースの資産について虚偽の手段を用いて詐欺を行ったことが明
らかになった場合は、罰金として[だまし取ったお金]1デナリウスに対して20[97]デナリウスをソキエタースの他の成員に支払わなければならな
い。そしてソキエタースの契約が終了した時には、負債を差し引いた上で、元々のそれぞれの拠出額を回復させなければならない。そしてもし剰余金が存在
する場合は、それは成員間で分けられなければならない。]
”arrenatum”と
いう単語は文法的に意味がはっきりしない。モムゼンは、ブルンズ[98]の”Fontes
iuris romani antiqui in usum
prae lectionem”の
第5版のp.269に
準拠し、ここの意味を"sub
arrha mutuo datum” [誓約された相互の供託金]としている[99]。より蓋然性の高い仮説としては、卑俗的表現である"ad-re-nasci”
[そ
こに向かって生まれ出でる]という、ある資本投下の結果として生じてくる["hinzu-er-wächst"]利益または損失の全てを表現しているとも考えられる。この考
え方はコムメンダにおける通常の考え方にも適合するであろう。特徴的なのは――これについては後で[100]ピサでの金銭価値の査定[aestimatio]についての議論の所で述べることになるが――さらに現金以外
の形でソキエタースに持ち込まれた有価物の価額評価がまた、中世の、特にピサにおけるソキエタース・マリスの本質的な目印であるということである。入
手しうる文献史料は全て、海上取引に関する諸ソキエタースが、ローマ法の中の市民法によって根拠付けられていることの、蓋然性の証明の役目をここでも
果たしているのである。
特
別財産形成への萌芽
ジェノヴァの法についてのこれらの原理的な立脚点は、しかし
ながらまだ完全に確立されたものとは言えなかった。そこには後代での大きな発展の始まりとなるような萌芽のみが見出される。そういった発展の始まりは
特に次の事において見出される。つまり法の規定がソキウス・スタンスに対して、ソキエタースの所有物について、即ちソキエタースの中に持ち込まれ、ソ
キエタースの資金によって購われた物についての、――そういう言い方が出来るとするならば――「返済からの分離」[別除権[101]]を付与する場合である 33)。
33)同じ内容の規定がジェノヴァの法規の様々な版の中に見出され
る:
ダッ
タ[102]の"Frammento
Di Breve Genovese” [1858年]IVの
de pccunia ad statutum terminum accepta [法規によって決められた期日に受領した金銭について], 及びペラの法規 I. V
c. 211:
… der socius hat den Vorzug, „et praesumatur… pecuniam vel rem illam
quae
inventa fuerit in ejus [scil, des
reisenden socius] mobili a
tempore quo pecuniam illam acceperit … processisse vel comparata esse
de
pccunia illa vel societate aut accomendacione accepta “
[ソ
キエタースは資産を保有する。「そしてあらかじめ次のことが想定されている。...旅するソキエタースの成員[トラクタートル]が、その[貿易
の]旅の途上にて受け取ることになるお金や物品は、その成員が[ソキウス・スタンスの]出資金を受け取った時以降...ソキエタースからかあるいはコムメンダ関係による出資金に起因
して、発生したかあるいは獲得された[とみなされる]。]
故
に次のような基本原則が確立する。金額は物の[販売された]場所によって決定される、逆もまた同様[103]。Statuta
et Decreta Communis Genuae、1567年 I.
IV c.43. にも同じ規定が存在する。
こ
のことは花嫁の持参金についての"utilis
rei vindicatio” [所
有権に関する返還請求権]を想起させる。この持参金というものも、女性の財産に至る法的な発展が途中で止まってしまっている制度である。[104]
そういったソキウス・スタンスへの別除権の付与によって、事実
上ソキウス・スタンスの出資金に属していたり、その資金に対する収入であったり、あるいはその出資金によって購われた財産のある部分については、旅す
る側のソキエタースの成員[トラクタートル]の個人的債権者の[トラクタートルの]破産の際の差し押さえから免除されることになり、トラクタートルの
[ソキエタースの]全体の利益の中での分け前のみが、破産の際には破産財団に組み入れられる。他方では、ソキウス・スタンスの個人への債権者は資金提
供型のコムメンダにおいてはどのような場合であっても直接的にはソキエタースの基金に手を付けることが出来ないということであり、それは当然の帰結と
して、個人への債権者はトラクタートルからソキウス・スタンスの出資分と利益[の分け前]を返してもらうよう要求出来るだけである。それ故に、ソキエ
タースの基金については、どのような場合であっても特別の取り決めがなされる必要があった。
ソ
キエタースの債務
しかしながら旅するソキエタースの成員[トラクタートル]が
その業務の執行において、債務を負ったり、債権を得る場合はどう扱われるのであろうか?
"nomina"[105]は諸規定での明確な記述によれば、ソキエタースの成員[ソキウ
ス・スタンス]の優先権と別除権に関係づけられた客体に付随している。ペラ[106]の法規定によれば、ソキウス・スタンスはそれらの客体を、あた
かも自分自身の所有物であるかのように 34)、
直接的に訴求することが出来る。
ソキエタースの業務の執行の中で契約された債務については、
それ自身が当然のこととして――そこには何らの疑いもないが――単純にトラクタートルの債務である。文献史料を見ても、ソキウス・スタンスがまたその
債務によって拘束されるということについては、どこにもそのように読み取れる箇所は無い。しかしながら、もしかしたらソキエタースの勘定についてトラ
クタートルに信用を供与している債権者は、ソキエタースの基金に何らかの関係を持つのであろうか?それについても文献史料の中には何らの明示的な規定
も見出せない。ともかくここで注意しておくべきおことは、ソキエタースの成員の破産の際のソキエタースの仮想的な所有物に対する無条件の優先権を定め
ている規定を収録している法規は、同時にそれに対する制限も明示的に付け加えていることである:
”nisi sit res illa, de qua venditor nondum sit pretium consecutus” [もしまだ売りに出されておらず従って価格未定の物件が存在し
ない場合においては](ペラの法規定、前述、C.211、1567年のC43)。
また14世
紀のアルベンガ[107]の法規もジェノヴァの法規の影響を受けて、特別に明瞭に、破産
の場合に売主に対し"rei
vindicatio utilis” [自分の所有物に対する返還請求権]を定めている。
トラクタートルは本質においてソキエタースのために購買や販
売という業務を執り行うため、ソキエタースに対する主要な債権者は、ソキエタースの成員よりも強い優先権によって、ソキエタースの成員に対する自己の
権利が保護されるのである。
34)前述の通り、"possil
petere totum debitum de
quanto sibi contigerit per quantitatem sue societalis vel
accomendacionis” [その者は全ての債務を、その債務がその者のソキエタースまた
はコムメンダ関係の範囲内で課されている限度内で認めることが出来る。]この規定は多数のコムメンダ契約が一人の同一の被委任者と締結されている場合
についてのものであろう。ペラの規定の216も同様の意味を持っていると思われる。
こうした法的な取扱いからは、被委任者[トラクタートル]の破産において委任者[ソキウス・スタンス]の勘定から返済を受けようとする請求の仕方を思
い起こさせるが、こうした請求についてはドイツ帝国破産法の第38条の別除権によって保護されるのである。最終章[第6章]を参照。そこでは後代におけるコムメンダから委託業務への
移行について言及される。
35)
ピサの場合については、前述の通りここでは取り扱わない。
36)
アルベンガの法規:"et tunc
presumam et habebo pecuniam et rem illam in ejus bonis … processisse
et
comparatam esse de pecunia illa vel societatis vel accomendacionis
excepta re
illa, de qua venditor nondum sit pretium consecutus. in qua venditor
habeat
vendicationem rei venditac donec sibi de pretio fuerit satisfactum.” [そしてそれから私は以下のことを当然のことと想定する。つま
り私が資金及び彼の所有物の中のある物を入手するようになるだろうということと...ソキエタースまたはコムメンダ関係によって投入された金銭につ
いて{購買対象として}現れ購われたその物について、売り手がまだ売価を入手していない商品を除いて、それらの売りに出されている商品に対しては、売
り手は満足する価格を入手するまでは、その商品に対する所有権を保持し続ける。]
成
果
ソキエタースによる営業活動として執り行われた業務によって
形成された権利と義務の複合体に、ある種の特別財産として[その後合名会社に発展していくという]特別な運命を歩ませるということについてのいくつか
の契機が[これまで考察してきたコムメンダとソキエタース・マリスという制度の中に]実際の所存在していたということは、どうあっても認めざるを得な
いだろう。しかしながら、実際の所、それらはまさしく単なる契機に過ぎず、ソキエタースの基金に対しての債権者の地位を特別に完全なものにすることは
行われなかった。債権者とソキエタースの基金の関係は、コムメンダやソキエタース・マリスという制度の発展の過程において、今日委託販売人[トラク
タートル]の破産の際に販売委託人[ソキウス・スタンス]の権利を保護する目的でのある種の法的な制度の構築という点では、ほとんど進展が見られな
かった。[コムメンダやソキエタース・マリスと称されるには]購入された商品の存在が前提となっている。
ソキエタースの基金の特別財産としての位置づけは、ここでは37)せ
いぜいのところ断片的なものでしかない。しかしながら若干の理論上の修正は考えられるものの、ラスティヒがこれらのソキエタースの法的
な構成について述べていることは正しい。つまり本質においては、対外的にはトラクタートルが、対内的にはソキウス・スタンスが有資格者であったという
ことである。後者についてはもちろん、ソキウス・スタンスが個々のケースで自身が企業家であった場合においての話であるが。
完全に明白なことは、連帯責任の原理が、ここにおいて
はまだその第一歩を踏み出すことが出来ていないということである。ソキウス・スタンス自身が、当該のソキエタースに投資した分以外の財産
について、ソキエタースに属する商品についてトラクタートルと契約した債権者達と関係を持つことにはならないということは、ソキウス・スタンスのトラ
クタートルの債権者達との関係が、トラクタートルの財産についてそれが破産した際に優先権という形で現れること以上に、はっきりと表現出来るものは他
に存在しない。このことはジェノヴァの1567年
の法規においても、また13世紀のものについても同様である。
37)ピサではこのことはもはや当てはまらない。
5.陸上コムメンダと合資会社
陸
上コムメンダ
コムメンダはこれまで見てきたように海事法上の制度であり、
これより以前の時代においては内陸の諸都市では知られている限りでは全く存在していなかった。非常な遠方との取引という困難を克服する必要があり、ソ
キエタースの成員の間の意思疎通と相互の監視が不可能であった場合に、コムメンダが登場した。陸上での取引は、これ以前の時代においては、市場から市
場への往来に結びついていたし、コムメンダの必要が無かった。またその外的な活動においては危険の分散という考え方を海上取引においける特色のように
は十分に考慮することが無かった。
それにも関わらず「陸上のソキエタース」つまり"compagnia
di terra"と呼ばれた制度においては、海上取引に関するソキエタースの根
本原理が利用されているのを見出すことが出来る。それについて少し述べてみたい。
陸上における業務の遂行について、利益の分け前を得ることを
目的とした資本の引き渡しに対しては、海上取引におけるソキエタースの書式がほとんどそのままの形で使用された38)。
38)Chart.
II 545: I[terius] magistcr de
antelamo (? arte lane?) et G[uido] mag[ister] de antelamo (arte lane?)
contraxerunt societatcm in quam I|terius] l[ibras| 10 et G[uido]
contulit
l[ibras] 30. Ex his usque 5 annos debet facere pred[ictus] G[uido]
calcionarios
… et de proficuo … IVam habere debet I[terius] et 3/4 G[uido pro
fideli tamen
cura … ab ipso G[uidone] adhibenda vel sol.20 de proficuo primum
habere debet
ante divisionem vel sol. 5 de parte ipsius I[terii] …
[antelamo(?羊毛職工)の熟練職人であるイテリウスと、同じくantelamo(?羊
毛職工)の熟練職人であるグイドはソキエタースの契約を締結し、その中でイテリウスは10リブラ[ポンド]を、そしてグイドはそこに30リブラ[ポンド]を拠出した。この契約によって前述のグイド
は、calcionaria[108]を5年
の間作り続けなければならない。...そ
の利益からイテリウスは1/4を
受け取ることになり、それに対してグイドはその忠実な労働の対価として3/4を
受け取る。...そ
の利益からグイドはまたは20ソ
リドゥス[金貨]を利益の中からそれを分割する前にまず受け取ることになる。または5ソリドゥス[金貨]をイテリウス自身の取り分から...(ちなみにこの部分は、利益の分割ではなく、危険の分散を目的
とするゲマインシャフトの形成をもくろんだソキエタースの取り決めをしていることの明白な証拠である。)
325:
L[anfrancus Piper] dedit in societatcm B[ernardo Porcello] lib[ras] 50
quas
idem se accepisse confessus est. has idem B[ernardus] debet tenerc
usque 5
annos expletos et laborare cum eis in Ianua unde cas removere non
debet sine
licencia ipsius L[anfranci]. De omni proficuo quod
deus in eis dederit L[anfrancus] duas partes et B[ernardus] terciam
habere
debet …
[ラ
ンフランクス・ピペルはソキエタースの契約においてベルナルドゥス・ポルセルスに50リブラ[ポンド]を支払った。そしてベルナルドゥス・ポルセル
スは同じ額を自身が受け取ったことを確認している。このお金をベルナルドゥスは5年が終了するまで保持しなければならない。そしてベルナルドゥ
スはジェノヴァでこのお金で仕事を行い、ランフランクスの許可無しにはこのお金をソキエタースから引き出すことは出来ない。全ての利益から神が次の分
け前をお与えになる。つまりランフランクスが2/3をそしてベルナルドゥスが1/3を
取ることになる。...]
ランフランクスはstacioを
業務が行われる場所にしている。
576: Ego …
accepi a te … lib[ras] 8 《denariorum
ianuensium》in societatem
de quibus debeo facere laborare in confeccione nepotem meum … et de
proficuo
quod inde consequitur medictatem tibi debeo . capitale tuum super me
salvum erit
et illud tibi restituam … usque prox[imum] fest[um] S. Michaël….
[私
は貴方からソキエタースの契約において8リブラ[ポンド]をジェノヴァのデナリウス金貨で受け取った。
その契約によって、私は私の孫{または甥}を製造に従事させなければならない。...利益の中から半分を貴方に渡さなければならない。あなたの出資
分については、私に関しては安全でしょうし、それを次の聖ミカエル祭までにはあなたに返します。]
重要な違いとしては、ここではソキエタースの契約が個人の一回きりの事業として取り交わされているのではなく、ある一定の期間の継続を見込んだ業務と
して契約されているということが、本質的に目に付く。資本家はここではある一回の事業の危険と利益の両方に関与している。他の場合として、ここでも
個々のケースにおいては、業務を執り行う者がかなりの程度資本家に従属する場合と39)、
資本家が業務を執り行う者の事業執行にただ参加するだけと解釈される場合との両方が見出される40)。
39)前注38の
文献史料325番
ではそうなっている。
40)
前注38の文献資料576番
ではそうなっている。
ジェノヴァの法規においては、陸上取引のソキエタースに関し
ては、言及する価値のあるものは含まれていない。海上取引への資本投下は無条件により利益が上がるものであったし、また競争において圧倒的に比較優位
に立ったものだった。それに対し、陸上ソキエタースの場合は概して本質的に陸上取引とは無縁な海事法における根本原理を内陸におけるビジネスの世界に
転用しているだけである。他の、歴史的に見てはるかに重要な例としては、ピアチェンツァの商業法規41)の
中に見出すことが出来る。ピアチェンツァは、(法規のc. 72、 89、 155、 131、 132、 133、 165、 560が
示しているように)その自分の法律を、ピアチェンツァという都市そのものをその隣接した後背地として位置付けているジェノヴァとの主要な取引において
修正したのである。
41)13世
紀の初めより。
合
資会社の始まり。ピアチェンツァ。
既に海上取引において、同一のトラクタートルと多数のソキウ
ス・スタンスが組んでいる例において、――疑いもなくいっそうしばしば出現して来るようになった――自己裁量で行動するソキエタースの成立が可能に
なったことを確認出来る。
しかしながら、そういった関係が成立していない場合において
も、まさに明白に本来の関係に対置されるような関係の成立を規制することが不可欠だった。
というのはその例としてジェノヴァの諸法規42)が、
ソキエタースに所属する商品でトラクタートルが送り返したものの分割、それらの現金化、そしてトラクタートルが死亡した場合について事実上の規制を
行っているからである。その場合ソキウス・スタンス達が関与を余儀なくされる海上取引の航海上で遭遇する様々な状況の中から、ある一定の危険と利益の
共通性が成立するという傾向があった。そしてまたこの時代に限らず中世初期に既に知られていたものとして、ロード海法における投荷の法原理を、ローマ
法の当該部分の有効領域を超えて利用することが一定程度有効であったという傾向が存在していた。ピアチェンツァにおいては、そこの法規に基づけば、次
のような状況が生じていた:
42)ペラの法規、c.211を
参照。
43)ゴ
ルトシュミットの”Lex Rhodia
und Agermanament” [ロー
ド海法と姉妹都市]についての引用済みの論考における詳論を参照。
"Statuta Antiqua
Mercatorum Placentiae” [ピアチェンツァの古い商法]のc. 76は、
多数の者から「共通のもの」とされた「債権」において、債務者から支払われたもの全ては分割されなければならず、そしてまた外部の債務者がソキエター
スの中の一人の債権者に対して支払ったものであっても同様に全員で分割されなければならないと定めている。さらにc.
144は
あるソキエタースの成員の誰かが、[別の]外部のソキエタースの成員から手紙を受け取った場合は、その[ソキエタースの]中で何でも外部との情報のや
り取り及び[または]取引に関することは開示される["in
qua aliquid de cambio et [vel]
negociatione legatur"]
ということで、その者は遅滞なくその手紙を他のソキエタースの成員に開示しなければならなかった44)。
そのソキエタースの中の誰かが私的にうまく市況を利用して儲けた場合には、その者はソキエタースの他の成員に利益を分け与えなければならなかった。c. 76に
関連してさらに次のような規定も存在する:ある債権者団体の一人が他の成員に、自分は債権の回収のために――それは成員の共通の利害に関わることであ
るが――旅に出るつもりだとこっそりと告げる場合、そして[それを聞いた]その成員がその旅の費用分担を支払いたくない場合、その旅する者は自分の債
権の分だけの金額を回収するのである。もしその者が、ある他のソキエタースの成員との取り決めによって(”parabola
sociorum“)いくらかの額を回収し、そしてその一部をその者の責任外の
理由で失った場合、全ての損害はソキエタースの負担とされる(”totum
damnum de societate sit”)。最後に、c. 145に
よればあるソキエタースの成員がある業務上の旅において、他の成員の知らない所で自分自身の商品や資金を("de
suo")一緒に持っていった場合、そこから生じた利益も損失も、あた
かもそれがソキエタースの財であるかのように、成員間で分けられなければならなかった。
44)
こ
こでの関係が示すように、ただソキエタースの成員同士の関係について規定しているのであり、ラスティヒが想定しているように、外部の都
市などの取引所の相場表を提出することを義務付けたり、利己的な投機を禁止しようとしているのではない。
ここにおける事実からは次のことが想定される。つまり、ある
ソキエタースが存在しそれがピアチェンツァを継続して定住の場所とし、――c.
144、145、77の
引用によれば――、そしてそのソキエタースにおいて一人または多数のソキエタースの成員が継続的に業務上の旅を行い、そして他の成員は資本を分担しピ
アチェンツァに定住している、ということである。第582、53、509章
ではまさしく、家族仲間[Genossen]に適用されるのと同じ種類[species]
のソキエタースについて規定しているように見える45)。
この部分については次のようなはっきりした印象を受ける。つまり、ここにおいてはある関係について述べているのであり、その関係においては単純なソキ
エタース・マリスにおいてはソキウス・スタンスに帰属させていた役割を、多数の成員による組合[Konsortium]がその地位を獲得しているということである。その多数の成員
の中からトラクタートルが出て来て、その者はその組合に対してソキエタース・マリスの場合においてもまさにそうであったように、指導的な地位を占める
のである。複数のソキウス・スタンス達によって形成されたゲマインシャフトはここでは「企業家」、即ち使い古された言い方での業務の「支配人[Chef]」
であるように見える。その形態の中で既にその基礎を見出せるのは、複数のソキウス・スタンス達は継続してソキエタースがそこで作られた土地に定住し、
その時々に決められる者としてのトラクタートルは反対に旅の中に身を置くということである。この種のソキエタースによって企てられた業務が、トラク
タートルの関わる現場において経営体[Betrieb]
として成立した場合には、次のことが可能となっていなければならなかった。即ちこれまでに見てきたソキエタースに関する法規においての傾向に一般的に
適合する形で、複数のソキウス・スタンス達はただ資本参加するだけとなり、寄り集まったソキウス・スタンス達はより一層単なる参加者の一種に成り、そ
の過程において今や特別な同盟[Assoziation]関係が成立したのである。それは別の言葉で言えば、彼らは有
限責任社員となったのである。というのは、ピサの法規についての考察においてより詳細に論じることになるが[109]:もしピアチェンツァの法規での不備の多い位置付けの背後に、
これまで述べて来たような状況が存在するのであれば、我々はここに於いて合資会社の、その非常に曖昧な発展の過程をまさに目の当たりにするのである。
有限責任社員の無限責任社員(トラクタートル)に対する位置付けは、常に今日のそれと一致する訳では決して無い。より古い方の合資会社の状況は、有限
責任社員(ソキウス・スタンス達)が本来の意味での企業家であり、トラクタートルは彼らの手足のような存在に過ぎない。合資会社における他の要素はよ
うやく後の時代になって出現するのである。ここまで述べて来たようなコムメンダにおいて同一の被委任者を共有する多数の委任者達による同盟[Assoziation]からの合資会社の発生は、カサレギス[110]によって明確に述べられている46)。
さらにフィアリ
47)[111]は、"accomandita regolare” [正規の合資会社]と “ [accomandita] irregolare” [非正規の合資会社]を区別し、前の方は有限責任社員が自分達
の出資の分に対しての所有者であり続けたと解釈している。彼は無限責任社員のみがソキエタースの担い手であるという形態は非正規のものと捉えている。
有限責任社員達が自分が出資した金額を超える分については免責になるという根本原則もまた、彼らの置かれた立場の違いの結果であり、その時々に常に疑
問が投げかけられているのはフィアリがさらに述べている通りである。ソキエタースの債権者のソキエタースの基金への優先権(現地では後
に"sportello”
[専
用窓口]と呼ばれるようになった)は、フィアリの引用が明らかにしているように、同じように長い年月に渡って保持され、最終的には法的
に明確な説明が与えられるようになった。ともかく、合資会社の確かな本質的要素は、個人として全ての責任を負う者と、自分の出資した分だけの責任に限
定されるソキエタースの成員であり、そしてジェノヴァに見られるように、ソキエタースの特別財産形成への契機となる要素が存在していた。
45)計算をきちんと行うという義務は、特にある商人が"pecunium
communem cum fratribus penes se” [そ
の兄弟達と共同で所持している資金]を持っている場合には、厳しく要求されていた。
46)Discursus 29
No. 4、 6、 7、
19、 24-28についての、テール[112]のHandelsrecht
I、§102の
注釈11に
おける注解を参照せよ。ただ、テールによって、コムメンダの被委任者を識別するために使われた目印である、"institor"[113]が、会社法においての法教義学において、この"institor"の概念が意義を勝ち得たという主張は誤解を招く。
47)フィ
アリの"Della
società chiamata accomandita"を
参照。
陸
上コムメンダの意味
陸
上のソキエタースの通常の場合は、ピアチェンツァで形作られたものではなく、それはむしろこれまで引用して来たジェノヴァの文献史料の中で記述されて
いる。それらの史料によれば、陸上のソキエタースという制度は海上取引に関するソキエタースに対して、全くのところ副次的なものに留まっていた。陸上
のソキエタースに関するある修正は一般的に危険の負担の観点で行われたと思われ、きわめて多くの場合トラクタートルに責任を負わせている。トラクター
トルが全額の返還48)と
いう責任を免れるのは"vis
major"[114][不可抗力]による損害発生の証明をなし得た場合のみである。
これに対しソキエタース・マリスでは、トラクタートルが損失した分はソキウス・スタンスの債務として負担されなければならないとか、トラクタートルの
損失となる分はソキウス・スタンスのそれよりも少なくあるべきだとかの主張を覆そうとする場合、ソキウス・スタンスの側が立証しなければならなかった 49)。
一般論として陸上のソキエタースにおいては、危険や費用の負担の定め方にしても、利益の分割の仕方の点でも、海上取引のソキエタースにおけるような確
固たる慣例は形作られなかった50)。
これらの陸上でのソキエタースの形態は、良く知られているように、これ以上重要な役割を担うことは無かった。陸上ソキエタースへの参加は、内国取引の
関係において様々な形で役割を担った。その中ではコムメンダ的な陸上のソキエタースは最重要なものであることは一度も無かった。この点についてはピサ
の例についての検討[115]で再度取上げることになるだろう。
48)Constitutum
Ususの第26章
を参照。Consuetudines civitatis Amalfiae、1274年、
の c.
14と
比較せよ。"salvum
in terra” [陸上における安全]という表現は、海上取引のソキエタースに
おいてはトラクタートルの方により重い責任があると記述されるが(例えば、Statuta Peraeの c.
214)、
ここでの責任は不可抗力の場合であっても免れ得ないように見える。(参照:ゴルトシュミットの"Festgabe
für Beseler"のP.210以下[116]。)
49)
マルセイユの法規(パルドゥシュ編)のc. 24に明確に規定されている。
50)
注38の文献史料を参照。
我々にはこれまでの考察によって、連帯責任の根本原理はこれ
まで扱って来た制度の中には見出すことが出来ないということが明らかになった。まさに陸上でのソキエタースの中で店舗(apotheka、注38参
照)の経営の場合における[参加者の関係の]構造が全体的な権利関係を決定し、それと同時に次のような考え方を排除した。つまり経営のための基金の内
全てかあるいは一部を出資した資本家が、その報酬としてただ利益の一部を受け取り、さらにまるであたかもその業務に対してお金を貸した債権者達に対し
て何らかの保証をすることを意図していた、といった考え方である。標準的なひな型として用いられた海上取引に関するソキエタースについては、ソキウ
ス・スタンスの個人的な保証が、そのソキエタースの構造に対してそれと反するものになっていたのではないかということを、我々はこれまで既に確認して
来た。
我々がさらに[ソキエタースの]特別財の形成についての何ら
かの契機を見出すことがあったとしても、しかしながらそれは我々がこの論文で探し求めている特別財差の根本原理としては扱うことは出来ない。[その特
別財産形成に対しての]間接的な影響として見なし得るかどうかについては、ここではまだ保留としておく51)。
我々はここまでただ、海事法上のまたは海事法に依存する法的
な制度のみを考察の対象として来た。そしてこれからは、内国におけるソキエタースの形態の研究に視線を移すことになるが、その内国の法においては常
に、時間を節約するためにも、そういった法は海上取引との関係で言えばこれまで詳細に見て来た様々な法規とは異なり、原則的には無関係であると理解さ
れるべきである。
51)最
終章を参照。
III. 家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト
共
通の家族経済
ある家族における父親とその妻及びその子供達の、または共通
の家に住んでいる家族の内の、父親が亡くなった後の家族仲間の共通の家族経営というものは、最も古い[社会的]関係の一つであり、その関係はゲマイン
シャフト的な生業を執り行うという目的をもったゲマインシャフトの財産の形成につながっていくことに間違いなく、また法的な規制の対象になるように見
えるものである。
城壁に囲まれた都市の中で、自立した定住のための土地と現金
を得ることの困難さは、見知らぬ人の住居に家賃と引き換えに住む事へのよく知られた嫌悪感と結びつき、そのことはほとんど個人の自由の放棄と捉えられ
ていたのであるが、家における世継ぎの息子と共同相続人に対し、共通の家を間仕切り壁1)に
よって分割するか、一つの家に一緒に住むという家ゲマインシャフトの継続のどちらかの選択を迫ることとなった。前者の場合は、分割といっても当然限界
があるが、我々はこれをイタリアにおいて見出す。その場合、当然のように見えるような田舎においての人間関係においてのみではなく、まさしく規則的に
都市においても頻繁に事例を見出すのである。その場合、一方では結婚した息子達もまたその父親の家に留まっていたし、他方では相続人達が共通の家計を
継続的に、しばしば何世代にも渡って維持したのである。
1)実際の所、より古い法規においては、この種の家の分割は慎重
に扱うべきものとして詳細に規定されている。例えば"Breve
Curiae Arbitrorum V”、
ピサ、c.4 (ボナイーニ[117]編の"Statuti
inediti della citta dir
Pisa"中)
を参照せよ。
家
族経済の財産法上の帰結。夫婦財産共有制[財産ゲマインシャフト]
こういった家に関係する人間関係の財産法的な作用としては、
今やゲルマン法の夫婦財産共有制[財産ゲマインシャフト]の一種と成らざるを得なかった。それは純粋に個人主義的な財産形成であり、家の主人の個人財
産として子供達の、また共同相続人の集合体[communio]の要求権は存在せず、中世の法とはまったく異なっていた。
家長はその子孫と一緒に住み、家ゲマインシャフトの財産に対
する処分権を持ち、ローマ法との唯一の違いは、後に論じるように、ローマ法においては家長以外の家族仲間は父親の側にあって権利を共有する者としては
なく、せいぜい家長[paterfamilia]の個人財産として構成された家の財産の収入の一部についての
受け取り人として考慮されるだけであった。これに対して、ゲルマン法では全ての家の成員の要求権が根本原理として成立している。家の成員は家長の権力
によってなるほど本質的には拘束されていたが、しかしそれは全ての関係についてではなかった。家住み息子[118]の処分権は家の共通の財産に対しても及んでいた。共同相続人に
おいては、彼らが[家]ゲマインシャフトを維持しているのであるが、各々ゲマインシャフトの財産について責任とまた処分権を与えられていた。ゲマイン
シャフトの財産は全ての共同相続人について、特にはっきりした原則的制限も無く、その時々の必要に供された。ローマ法のcommunioと対立する点は、今述べた考え方以外にも、個々の成員の要求権
が独立していて外部と交渉可能な複数の客体への概念上の分け前として構成されていなかった、という所にも存在する。分け前に応じた共同
の権利という考え方は、ゲマインシャフトが存在する間は、決して個々の成員への権利付与の尺度としては登場していなかった。個々の成員が必要とする物
については、むしろその金額の大小に関わらず、前述[119]の通り、共通の金庫[arca communis]
から一人一人の成員が支払う手間を取らせることなく支払われ、他方では同時に非常に特徴的なことは、個々の成員の収入の全体がその規模の大きさに関係
無く、また個々の成員の持ち分に算入されることなく[ゲマインシャフトの共通勘定に]払い込まれるということである。収入も共通のものとして扱うとい
うことは、詳細に検討してみると、支払いにおいてそれぞれの持ち分から払うというやり方の欠如よりも、むしろはるかに驚くべきことである。――我々の
今日における人間関係においては、次の事を当たり前だとみなしている。つまりある家の父親がその子供達に、彼らが両親の家計に従属している間にかかっ
た費用について、何か特別な事情があると疑われる場合を除き、請求する事は無い。それと反対に、ローマ法における場合とは違っているそういうやり方の
相関物としての営利ゲマインシャフト[Erwerbgemeinschaft]については自然なものとは見なし得ないし、むしろ逆に――人
は一般的な原則論の立場から次のように問うであろう:「一体何の権利があって?」――息子が自分自身の収入をその手元に取っておくことを多かれ少なか
れ自明の事と見なすのである。何らかの個々の勘定に収入を算入するということが行われていないという事は、古い法律においては夫婦財産共有制[財産ゲ
マインシャフト]の立場では自然なこと2)で
あるように思われる。こういったことが根本思想である事は、各種文献史料が早くから規定していた制限事項から直ちに見て取ることが出来る。そういった
文献史料においては、商取引における全ての収入と支出を共同の物[ゲマインシャフト]とすることが、多くの場合非合理的な結果を招くことになったので
あるが。
2)アンサルドゥス・デ・アンサルディス[120]の"Discursus
legales de commuciis
et mercatuta"(ジェ
ノヴァ、1698年)のDisc.
49は、さらに、フィレンツェでのある利益の分配についての裁判に
おける法的鑑定の中で、societas
omnium bonorum[全
ての収入と支出が共同のものとなるソキエタース]があらかじめ存在していた事について、次の事柄から証拠を導き出している。その事柄とは、"notissima
illa societatis omnium bonorum requisita” [非
常に慣習的な全ての収入と支出を共同のものとするソキエタースの必要性]と描写されるものである:つまり”communis
habitatio, lucrorum communicatio et nunquam ratio reddita” [共有の住居、利益の共有、そして共通の勘定が放棄される事は
決して無かった]ということである。同様にDisc. 50では、ある勘定から控除したり逆にその勘定に算入したりする事
が行われていないという場合が利用されている。また比較すべき事は、Disc. 52においての"societas
particularis” [特定ソキエタース]と"societas
universalis” [普遍的ソキエタース]の同じ見地からの区別であり、そこでの"societas
universalis"と
はつまり次のような事であると理解される。"contractus
activi et passivi, dispendia et emolumenta per consocios omnium
bonorum facta
et acquisata non curantur, sed habita dumtaxat contemplatione ad bona
de
tempore divisionis faciendae, partitio fieri debet aequaliter.” [能動的契約と受動的契約、"societas
omnium bonorum"の活動による費用と利益、そしてソキエタースが獲得したもの、
これら全てを成員間でどう割り振るかという事は考慮されない。しかしながらただ{ソキエタースの所有する}商品が分割された場合だけは考慮され、その
際の分割の仕方は均等にされなければならない。]
Lex Longobardorum l. II
Rubr. de
successionibus: Rex Rothar: … Si fratres post mortem patris in casa
communi
remanserint, et unus ex ipsis in obsequio regis aut cum judice aliquas
res
acquisierit, habeat in antea absque portione fratrum, et que foris in
exercitu
acquisierit commune sit cum fratribus quos in communi casa dimiserit,
et si
quis alicui de suprascriptis fratribus garathinx (Boherius =
donatio)
fecerit, habeat in antea ille cui factum fuerit, et si quis ex ipsis
duxerit
uxorem et de rebus communibus meta data fuerit: quando alter uxorem
tulerit aut
quando ad divisionem faciendam venerint, simili modo de communibus
rebus ei
refundat aliud tantum quantum ille alter frater in meta dederit.
paterna autem
vel materna substantia quod reliquum fuerit inter se equaliter
dividant …
[ランゴバルド法 I. II
表題「相続について」:ロタリ王:…も
しある兄弟達が父親の死後も共通の住居に留まる場合、そしてその中の一人が王に忠誠を誓うことによって、あるいは何かの判決によって何かの物を獲得す
る場合、その者はそれが兄弟達によって分割されるのより先に自分の物として持つことになる。しかしその兄弟達の中で兵士として出征してその報酬として
何かを獲得した場合には、その者はそれを兄弟達と共有することになる[121]。もし誰かが兄弟達の一人に贈り物(Boherius = donatio)
をする場合、それを受け取った者はその物については兄弟達と共有する必要は無い。そして兄弟達の内の誰か一人が妻を娶って[その妻の実家に]共通の財
産から[一種の]結納金[122]を払うことになる。そして他の兄弟達の内の別の一人も妻を娶っ
た時、または何らかの形の財産の分割が行われる時は、最初に結婚した兄弟がその妻の実家に与えたのと同額の財産が共通の金庫から与えられる事になる。
しかしながら父親または母親の所有物で残った物がある場合は、それらは兄弟達の間で均等に分割される…]
結婚する娘達はその保護監督者である父親または男の兄弟がその結婚式に持たせてやる持参金[嫁資]を受け取り、それによって財産の分与を受けたことに
なる。さらに次の事についての規定も見出される。つまりもし彼女達が寡婦として共通の家に出戻りした場合に、どのように持参金を家の勘定に戻すのかと
言う事と、後に万一財産の分割が発生した場合に、その寡婦についてどのような分け前が考慮されるかという事である3)。
3)
ラ
ンゴバルド法[ロタリ法典]におけるこの箇所は、そっくりそのまま他のランゴバルド法典にコピーされている。12世紀におけるアリプランドとアルベルトゥ
ス[123]によるランゴバルド法への注釈(アンシュッツ[124]編、"Die
Lombarda-Kommentare des
Ariprand und Albertus"、1855年、
ハイデルベルク)では、この箇所についてのコメントは無い。
故に王に忠誠を誓うことによって王より与えられたか、あるいは
何かの判決によって獲得されもののみがゲマインシャフトの勘定には入らず、そして[外部から嫁いで来た]妻に共通の財産から[ex
communi]与えられた"meta"[結
納金を原資とした嫁資][125]のみが、[財産全体の]分割の際には、各成員個人に帰属すると
認められる。そうでない場合の全ての収入は、兵士として出征したことで得られるものであってもゲマインシャフトの勘定に入り、同じく全ての支出もゲマ
インシャフトの勘定から行われるのである。支出のゲマインシャフト[全ての支出を共通の勘定から行うこと]にとって重要な事は、より古い時代の単純な
人間関係の中にあった。そこでは支出を毎日必要となるもののみに限定しており、まだ信用売買は全く利用されていなかった。そういったやり方は今日の眼
では心許なく見えるが、実際はそれ程でも無かった。収入のゲマインシャフトが関係する場合は、それ以外の要素も現れて来たかのようであった。つまり家
族仲間の間での自然な関係4)と
して、共通の家に住む共通の労働と生業という要素である。家族というものは、その時代での見方によれば、まだまず第一に一つのまた自然に与えられもし
た「生産ゲマインシャフト」であり、今日我々が普通に考えている単なる「消費ゲマインシャフト」だけでは無いのである。そういった生産
ゲマインシャフトは、特にイタリアの諸都市では、広範囲に及ぶゲゼルシャフト形成の基礎であった。
4)Breve
Pisani. Communis. v. 1286 l. I
c. 118に
おける家住み息子に対する家の労働の強制と比較せよ。またランゴバルド法の表題 "De eo
quod pater filiis vel filiabus necesse habet relinquere” [父がその息子達や娘達に残すように強制されたものについて]
における、家の労働に良く貢献した[bene
servientes]
息子達に対して遺言で援助を与えることへの許可についても同様に比較せよ。こうした見解を裏付けるさらに何倍もの具体例については後でまた扱うことに
なる。
諸
ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト。
家族ゲマインシャフトと共に基礎に置かれる親族関係は、
最初から本質的な契機ではあり得なかったということをここで確認しておかなければならない。
家族を成員とする家のゲマインシャフトは家族の成員以外にま
た家族以外の人間 5)を
含んでいた:家における使用人もまた、古い時代から家の成員として認められていた。そしてその取り扱いは家族について法的な因果関係を考える上での意
味を持っており、それについては今後折に触れ立ち帰って検討することになる。財産法の側面については、大規模な商業の始まった時代においては、親族関
係は大きな意義を持ち得ず、その代りに家計ゲマインシャフト、文献史料での呼び方では、"stare
ad unum panem et vinem” [一かけらのパンと一本のワインを共にする]、がそれによって
結び付けられた労働6)の
ゲマインシャフトという点において本質的な特徴として表現されている。
5)
こ
のこと[家族以外の人間が加わっていること]は、ギールケ[126]のGenossenschaftsrecht[127]の第1巻
のP.14以
下において、他の関係の場合でも注記されている。――ギールケがジッペ[氏族]と家計の関係について論じている所で、彼はその二つの差
異を本質的にジッペ[氏族]のゲノッセンシャフトとは対立関係にある、家計ゲマインシャフトに基づく専制君主の組織の中に見出している。しかし注意を
要するのは、家のゲマインシャフトが家父長を頂点に置いていない場合で、つまり各成員が平等に扱われるように構成されている場合において、むしろ何よ
りもそれ自体が独特の性格を持っている、ということである。またイタリアにおいても、少なくともランゴバルド法においては、家族の組織に対しての家父
長の専制君主的な固有の権利という考え方は存在せず、南イタリアにおいてもほとんど存在していなかった。
6)バ
ルドゥス[128]のConsilia
IV 472:"cohabitatio
sola non facit
societatem” [一
緒に住んでいるというだけではソキエタースの構成要件として十分ではない]の箇所を、Consilia II
74の、
一緒に暮している兄弟達の「勤勉な労働」によって獲得されたものは均等に分けられなければならない、の所と結び付けて参照せよ。Consilia のIIの451と
さらにIIIの30の、
相続された共通の財産はその一族の間で、また労働によって獲得されたものは頭数によって分割されねばならない、を参照せよ。Consilia I 19の箇所においては、ロマニステン[129]的な見解をより厳密に借用しようとする場合において、ソキエ
タース契約締結の証拠が必要とされ、それは共通の労働を結合しつつ一緒に暮すこと以外の要素から推定されるのである。というのはIIの260はIの19に
出て来る判断を次のことによって再び無効とする。つまり分け前の持ち主があるものをどこから獲得したのかということを証明出来ない時、
それについては共通の財産から取得したと見なし、そのことにより獲得の意図についての証拠が無いのにも係わらず、ゲマインシャフトのために獲得したの
だということにして、成員間の共通性が損なわれないような状態に留めるのである。
共通の家に一緒に住んでいない者は、ゲマインシャフトによっ
て産み出されたものを取得することは出来ない。――このことは既に引用済みのランゴバルド法の箇所から結論付けることが可能であり、そしてピサのConstitutum
Ususでは明確に、ゲマインシャフトは家に不在の者[absentia]が他の住居を建てた場合にはその者の権利を剥奪する、と述べ
ている。
その中で行われる共通の生業と結び付いている共通の住居は、
財産法の側面においてもまた本質的なものであり、――そして我々にもこの側面がまず第一に重要なのである。
7)ボナイーニ、Statuti
inediti della città di Pisa
Vol. II のp.880を参照せよ。
財
産法的発展の行程。成員の分け前への権利。
財
産法的発展の行程は、次の事によって特徴付けられる。つまり、既に我々が見て来たように、ランゴバルド法は無制限の財産ゲマインシャフトに対する様々
な制約を最初から視野に入れていた:少額の収入についてはゲマインシャフトの共通勘定に入れることはなく、しかし支出については少額でもゲマインシャ
フトからとしなければならなかった。この支出をどこから行うかについて、次に本質的では無い新たな変更が加えられた。個々の成員はいまやゲマインシャ
フトにおいて計算の目的である種の――まだ簿記とは言えないまでも――個別勘定を持つことになり、もはや全ての収入がゲマインシャフトには必ずしも入
らなくなり、この傾向は更なる制約条項の出現を示唆するものとなった。
しかしながら法的な観察の上でさらに重要な因果関係が出現し
ている。ゲマインシャフトのある成員が計算を行うことと、少額の収入が自分に帰属するというのと、支出がまた自分の持ち分の勘定から行われるという風
に見なすこと8)が
始まるや否や、――そしてゲマインシャフトがその本来的な業務を行うものとして現れ出るや否や、両方の場合で次のことが不可欠になる。――つまり、そ
の場合には次のような原則的な疑問が出て来るのである。それは全ての成員から見て、誰が一体それぞれの分割された部分について独立した権利を持ってい
ると認めるのか――例えば家住み息子達か?――というものであり、ゲマインシャフトにおいての個々の成員による共通財産の分割は一般的に持ち分という
概念で考えられたのであり、そしてそれはソキエタースへの投資として理論的には扱われる傾向があった。しかしそれから、法的に重要な次の疑問に対して
の態度決定が必要となった:つまり、共通の財産における家族の財産は、ゲマインシャフトの個々の成員の分け前として分離して扱うべきなのか、または逆
に能動的でも受動的でも、ゲマインシャフトの仲間への分け前へという権利に対抗して、徹底的に共通の財産の統一を保つことを選ぶようにするか、という
ことである。
8)これらの必要性についての論理的帰結を導くためのこみ入った
法的決疑論の構成については、バルドゥスの何を共通の家計として一般的に把握するのかという疑問に対する多数の決定事項によって十分に
答が与えられている。これについては、Consilia Iの21、97、260,IIの87、347、IVの189、239,335、461、Vの40、65、234,259,284、372に
おいて、そして他にも多くの箇所で述べられている。既にランゴバルド法において、――前記の箇所を参照――女性の嫁資[持参金]またはローマ法の嫁資
であるdosの計算についての特別な規定を導き出すという目的での、疑問に
対する答がここでも前面に登場している。
第一の方向、つまり家族の財産を個々の成員がそれぞれ分け前
として持つという方向に向かったのは、ノルマン人[130]の残した考え方9)か
ら非常に強い影響を受けた南イタリア-シチリア島の法における考え方であった。それらの法の規定によれば、家族の財産は持ち分に従って父親と子供達の
間で分割されて所有されていたように見える。父親は生者に囲まれながら、自分自身の死を想定しつつ生き、それぞれの子供達と同等に、家族財産の中のあ
る決められた部分に対してしか自由処分権を持っていなかった。
9)類似した考え方は古フリースラントでも、またバルト海から侵
入したブルグント人の法においても見られた[131]。ブリュンネック[132]のSiziliens
mittelalterliche
Stadtrechte[133]を参照せよ。パッペンハイム[134]の
Launegild und Garethinx[135]は、c.
51, 1においてliber
legis Gundebadi[ブルグント王国のGundbad王
の法律の書]を西ゴート王国の I ArfÞaer
balker 9 principio [相
続財産の一部?]と比較している。
10)ソレントでは[Consuetudines
rubr.[136]
43[137]]、父親は自分の労働による報酬のみを自分自身のものとして取
得し、相続対象となる財産については子供達が一緒の家に住んでいる限りにおいてそれを自分で管理し、共通の生計への収入についてはしかしながら子供達
が成人した後は[rubr.43 前掲書]、その子供達がもはや父親と一緒に住んでいないことに
なると直ちに[rubr. 7 前掲書、
Consuetudines v. Neapel の r. 7
と
比較せよ]、父親・母親・子供達の間で成年に達した者に対する分け前に応じた収入の分割が始まり、息子達[rubr. 43、前掲書]は分割を要求することが出来た。つまり家族の成員に
よる共有財産[communio]が成立しているのである。1345年
のシチリア島のカターニアの法[名称:III
Consuetudo unica]
は家族成員間の等しい関係を次のように表現している:家族成員の財産はあたかも「一つの体」[unum corpus]と成るであろうと。シチリア島のメッシーナの法[ホーエン
シュタウフェン朝[138]のもの]と(1299年
の)カルタジローネ[139]の法、そして
Ordinaciones terrae Noti[140]は父親の分け前についてより詳細に定めており、また次のような
規定も存在する。つまり、父親とそれぞれの家族成員はそれぞれの分け前の分についてのみ自由処分権を有することが正当化されている。しかし、その分け
前分についてはそれ以外に何の制約条件も無く自由に処分出来たのである。メッシーナの法のc.33では明確に、両親の生きている間においては、[子供達からの]
分割の要求を無効と定めている。そのことについてはカルタジローネの法は次のような除外規定を置いている:もし父親が息子または娘を一人前と認めて自
由にしない限りは、と。こうした関係のこれまで知られている限りでの最も古い法律条文での言及は、1150年のルッジェーロ2世[141]のもの[ギリシア語とラテン語で記載]である: … „si
genitor in vita habuerit 3 liberos … consuetudo est ex omni substantia
eorum
ipsum obtinere duas partes, id est 8 uncias, filios autem terciam” [もしある父親が生きている内に3人の子供を持ったとしたら...慣
習では父親は彼らの全ての所有物の中から2/3を得、それは8/12と
等しいが、息子達はそれに対してその中から1/3を得る。]
フランス民法典の"part
disponible” [自
由に処分出来る財産分与分]は、ここにおいて既に生きている者同士の間で適用されていた。
シチリア島においてノルマン人の法とビサンチン[東ローマ帝国]の法が、中間的な法も存在せずに同時に並立しているということは、シチリア島において
は個人の原則がまずフリードリヒ2世皇帝の
Constitutiones Regni Siciliae (l. II
t. 17)において取上げられており(さらに1286年にはアマルフィで、ヴォルピチェラ[142]の編による文献史料
Consuetudini d’Amalfi において、"vivens
lege Romana” [生きているローマ法]という宣言が登場する)、ローマ法にお
ける communio がゲルマン法での家族財産という概念に直接的に移行するのを促
進したと言えるかもしれない。
シチリア島の諸法規とブリュンネックのそれに関する前掲書[Sisiliens
mittelalterliche Stadtrechte]
を参照せよ。
このような家族の成員が家の財産の内からそれぞれ分け前を持
つといった法的な考え方は、シチリア島以外の他のイタリアにおいては一度も存在していなかった。個々の成員にとってのこうした人間関係の金銭的な意味
は、ここにおいてもまた自然に前面に登場して来ることになった。その後それ故にそういった諸ゲマインシャフトは大規模な商業において役割を果たし始め
た。そうした大規模な商業における共通の業務への出資という形での重要な関与においての、共通の財産の要求は正当なものと見なされるようになり、――
ただ観念的な分け前の概念における家族の[共有]財産概念の崩壊は、南イタリアにおけるような形ではまだ始まっていなかった。家族財産の原則的な一体
性は維持されていた。全体的な経営ゲマインシャフトと個々に分割された財産についての共通の財産を超える原則的に無制限な処分権の、これらの諸ゲマイ
ンシャフトに固有であった根本原則は、それぞれのゲマインシャフトに大規模商業における行動能力を付与するという意味で、かなり高いレベルでの有用性
を保つように明確に形成されていた。
11)ランゴバルド法もまた家族の成員の分け前的な権利という根本
原理に従った家族財産の形成への傾向を持っていた。そのことは文献史料のRegistrum
Farfense (Il Regesto di
Farfa[143]
pubblicato
della Società romana di storia patria vol. II、1879年、
ローマ)にはっきりと示されている。(ブルンナー[144]の
Mitteilungen des Instituts für
österreichische Geschichtsforschung、
第2巻、P.10以下を参照せよ。)これらの諸都市ではしかしながら、今後本論
考で示されるように、こうした発展はただ部分的に発生していたに過ぎなかった。
家
族以外での諸家計ゲマインシャフト
しかしながら、今まさに述べた最後の理由[個々の成員の分け
前である財産の処分権の共有財産に対する優先が、そのゲマインシャフトに商業での行動能力を付与すること]は、そういった根本原理がまず第一に家
族に属する者に限定されると見なすべきことへの理由とはなり得ない。既に述べて来たように[145]、家を基礎にする家族のゲマインシャフトはその成員として家族
以外の人間も包含していたし、それも既にランゴバルド法において本質的には親族関係という要素では無く、家を共通にするゲマインシャフトという事実を
その関係の基準と見なしていたし、その場合こうしたゲマインシャフトに適用された法文は、共通の家計と労働を通じての共通の経営が、親族関係に基づい
ていない人間集団の中で行われているという[家族だけの関係と]同等の原則が存在している場合には、まさに同じような法適用が可能だったのである。事
実として、また中世の法においても、家のゲマインシャフトの効力をただ親族関係に限定するということは行われていなかった。それはむしろ家族の外側で
それと同じようなゲマインシャフト関係が作られ、全く家族ゲマインシャフトと同等に扱われたのである。さらには、より古い時代においてはそうした家族
の外でのゲマインシャフト関係は手工業を基礎として形成されたのである。
手
工業のソキエタース
内陸の諸都市においてより大規模な遠方との交易についての諸
前提条件がようやく外部に対して次第にはっきりと姿を見せるようになったということは、既にこれまで述べて来た[146]。そうした取引は自然な形では最初は商品を次の市が立つ場所に
輸送することから始まり、そして時には[海上輸送や貿易のために]海に面する港まで運ぶことになり、それはさらに輸送の範囲を広げて行くことになり、
その結果その商売の形態は商品の売り買いというより販売が主となり、工芸的な労働がその繁栄の基礎をそこで築くことになった。というのもそうした内陸
都市における法規の中では、そうした産業の内容を警察がそうするように取り締まる規定が多くの部分を占めていたのである。そういった産業の労働が生み
出したものは、まずは手工業によって生産された商品であり、それに応じてここにゲゼルシャフト形成の源流が見出されるのである。その際に、資本を相互
に拠出してまとめることによる共通の基金の形成と、一方向的なコムメンダというやり方でのゲゼルシャフト化に対しては、この時点ではまだほとんどの所
必要性に乏しく、かつ可能性という意味でもほとんど無かった。特定の手工業の職人がある別の一人の職人仲間とお互いに協力し[ある種の生産組合を結成
し]た場合、そこに共通の労働が発生し、その目的はその仲間と作業場と販売のための店舗において仕事を分担することであり、というのもその共通の仕事
は本質的には[同じ]居住場所の中において進行したのであり、その居住場所とは原理的には店舗であり同時に作業場であったのであるが、それ故に労働仲
間は同時に家仲間と成り、食卓と家計を分け合ったが、つまりは一つの家に起居する職人仲間[Geselle]
に成ったのであり、ラテン語では famulus, factor で
あり—、
または同じく独立した[対等に近い関係の]成員[Genosse]――
ラテン語では
socius――
でもあった。「一かけらのパンと一本のワインを共有する」[stare ad unum panem et
vinum]はこうした労働ゲゼルシャフト[そう名付けるのであれば]に
とって自然なことであり、このことが法律におけるこういう関係の形成において明確な意味を持っているのである。ただ手工業におけるこれらのゲゼルシャ
フト形態の源流が次のことを明らかにする。つまり、さらに後の時代で巨大な産業として経済的に世界を支配したような商業上の諸ソキエタースでのゲゼル
シャフトに成長した家計的要素は、本論考では後でそれについて取上げることになるが、確かに必ず必要なものでも無いしまた本質的なものでも無いが、し
かしそれはある重要性の高い[他から区別するための]特徴となっているのである。
12)海上取引の盛んな都市と産業の発達した都市の対立がラ
スティヒによって強調されている。(Entwicklungswege
und Quellen des Handelsrechts[商
法の発達の道と源泉])ゴルトシュミットはZeitschrift
für das Gesammte
Handelsrecht[総
合商法雑誌]の第23号の309ペー
ジ以下で、このラスティヒの論に対し、対立を際立たせるやり方が行き過ぎであり、また一般化も過度であるとして批判している。ラッ
テス[147]は Il
diritto commerciale nella
legislazione statutaria に
おいてラスティヒに賛成しているが、彼が主に注目しているのは生成されて来る法規における2種類の都市の対立であり、つまりはその歴史的な発展である。彼
の主に都市制定法の入門として有用な著作は、我々にとって重要な法制史上の観点についてはほとんど触れていない。
13) あ
る家内手工業者の雇い主との関係に関する法適用式としてのコムメンダの利用については、ピサの法についての章[148]にて手短に述べることとする。
14) バ
ルドゥス編の
Consilia V25 に述べられている、同じ台[banca]
の上に立っている[同じ露店を営んでいる]肉屋・屠殺業者の「ソキエタース」を参照せよ。
14a)
さらにザクセンシュピーゲル[149]の第1巻 Art. 12を
参照せよ:
Swô brudere oder andere lûte ir gut zu samene habn, erhôen si
daz mit
irre kost oder irme dînste, der vrome ist ir aller gemeine, dazselbe
ist der
schade. Swaz aber ein man mit sîme wîbe nimt, das en teilt he mit
sinen brûdern
nicht (dazu cf. die Stelle der l[ex] Longob[ardorum]). Verspilt aber
ein man
sîn gût oder verhûret erz oder verguftet erz mit gift oder mit kost,
dâ sîne
brûdere oder die ir gût mit ime gemeine habn, nicht zûphlicht
en habn,
der schade den her daran nimet, sol sînes eines sîn, und nicht sîner
brûdere
noch sîner gewerken, die ir gût mit ime gemeine habn.
[兄
弟達と他の人達が財産を共有している場合でその者達が投資と労働の結果としてその財産を増やそうとする場合、利益については全員に共通
のものとなり、損失についてもまた同じである。しかしある一人の成員が結婚した相手の女性から何かを得る場合には、その人はそれを他の兄弟には分け与
えない。(ランゴバルド法の相当箇所を参照せよ。)しかしある成員が賭博にお金をつぎ込んだり、何かを浪費したり、贈り物や他の目的でお金を使った場
合、その成員の兄弟やその成員と財産を共有している者がそれらの支出について同意していない場合は、損失はその成員のみの負担となり、
その成員の兄弟や財産を共有している者の負担とはならない。]
――
イタリアの諸法規においては、ほとんど規則的に、手工業者は商人[mercatores]と一緒に扱われ、その商人[mercatores]についての規定において、手工業者とその商人の関係が規定さ
れている。
こ
れらのゲマインシャフトの共通の土台
この種のゲゼルシャフトの形態の全体構造に対する家ゲマイン
シャフトという要素の影響は疑う余地の無いものである。というのもそのような[Geselleと
しての]ソキエタースの成員の地位は非常に高く、ソキエタースにおいて元々そうであったように、信頼関係に基づいたものでなければならなかったという
ことは明白であり、ソキエタースはそのような[Geselleと
しての]成員に対しては、丁度常時雇われている奉公人が都度都度雇われる賃金労働者に対するのと同じように振る舞うのである。これらの関係の家族的な
性質もまた明らかである。親族という観点で見た場合、そして家住み息子と召使い、またはfactorつ
まり[Geselleとしての]ソキエタースの成員とまだ独立していない共同相続人
が非常に本質的な点で等しく扱われていることが見出される場合15)、それについては特別な説明は必要無いであろう。ここにおいて
「家族法的な」根本原則が他の関係にそのまま応用されたということもまた出来ない。そうではなくて、等しい根本原則が平行的な法形成を
導いたのである。というのは財産法において判定基準となるような関係が、二つのケースで同じように存在したからである。仕事を共にする仲間の関係は、
本質的に家族による家計の中での成員である家族同士の関係に似ており、他方ではその家族による家計は同時に何らかの事業経営の基盤でもあろうとした場
合、簿記と外部から一つの法的主体として認識されるようにすることの二つの条件が必要であった。要するに、経営ゲゼルシャフトという形で財産法におけ
る重要な要素として扱われるために必要な全ての条件がこの二つだったのである。つまりは、家族による家計と経営ゲゼルシャフトの両方にて、法的に重要
な要素は同じなのである16)。
ただ、家族ゲマインシャフトにおいては共通の家計という土台は最初から存在しているものであるが、家族以外の人との労働ゲマインシャフトにおいては共
通の家計[記帳]は任意のものでしかなく、しかも改めて作り出されねばならなかった。これらのことから、家族ゲマインシャフトは、ある特定の観点から
見てそれに該当するものとしての原生的法制度として把握されるのであり、それ故に文献史料にて[家ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフトの]二つの
集団が共通のものとして記述されている箇所がもっとも重要なのである。
中世における法形成の過程が様々な都市で始まった時、古くか
らの親族関係に基づく公法及び私法の基礎原理は既に失われており、他の場合と同様にその地位は他の純粋に経済的な原理に置き換えられたのである 17)。
手工業的な労働が家族の内側においても外側においてもゲマイ
ンシャフト的関係構築の共通の源泉なのである。
15)この点については後でフィレンツェの章で特別に詳しく扱うこ
とになる。
16)
ザクセンシュピーゲルの注釈14aを参照せよ。手工業[における労働関係]が財産ゲマインシャフ
トの中で家族原理と並立するように存在している場合、ザクセンシュピーゲルはこの双方を不可欠なものとして扱っている。
17)
この点についてはランプレヒト[150]の"Deutsches
Wirtschaftsleben im
Mittelalter” [ド
イツ中世の経済的生活]のIのP.288の
注3と、イ
ナマ=スターネグ[151]の"Deutsche
Wirtschaftsgeschichte”
[ド
イツ経済史]のP.75の注1を
参照せよ。その意義についてはまたホイスラー[152]のInstitutionen
Des Deutschen
Privatrechts[ド
イツ私法における諸制度]第2巻のP.304以
下で詳細に論じられている。所有されている物が財産の主要部分を占めている場合、傾向としては物を[全体の財産から]分離して個人所有とする方向へ、
また動産と手工業的労働の存在は商品ゲマインシャフトへと進んでいる。
共
通の特質
これらのゲマインシャフト関係の二つの特質について、ここに
おいてまずは手短に確認しておくのが良いであろう。
1.男性socii[ソキエタースの成員{複数}]への制限
まず第一のものはゲマインシャフトの男性18)成
員に対する、その個人としての影響力に対する制限である19)。
つまり、働いて収入を得て商業において自発的に活動するゲマインシャフトの成員が、ゲマインシャフトの共通財産に対する考え得る主体なのである。それ
について新しく証拠となるのは、共通の業務を執り行うことにより、成功の場合も失敗の場合も運命を共にするということを出発点に置いているということ
である。
18)アンサルドゥス・デ・アンサルディスの"Discursus
legales de commercio et mercatura."(1698年、
ジェノヴァ)のDisc.49を参照せよ。そこでは姉妹の[共通の財産への]関与の問題が普
通法上で議論の余地があるものとされている。
19)ボ
ナイーニ編の"Constitutum
Usus Pisanae Civitatis"の"De societate inter extraneos facta” [家族外のメンバーとの間でのソキエタースについて]の章の"inter
laicos et masculos” [俗
人と男性の間で]を参照せよ。さらに別の例は後でまた取上げる。特にヴェネツィアについての議論の所で。またランゴバルド法ではただ兄弟について述べ
ており、ブルグンドの法では父親と子供達から成るゲマインシャフトを規定しているが、しかしそこでは夫婦間での財産共有ゲマインシャフトについては何
らの規定も存在しない。
2. 不動産の除外
二つ目は、ゲマインシャフトの共通の基金への帰属という意味
での、規則に沿った形での不動産の除外である。既に海上取引に係わる諸ソキエタースにおいて、ソキエタースへの債権者の優先権が動産に対してに限定さ
れたように20)、
ここにおいてもただ動産のみがゲマインシャフトの共通財産とその[各成員が持つ]個別の影響力の対象なのである21)。
共通の家というものは発展における出発点でありかつゲマインシャフトの土台であるが、[不動産としての]それそのものについては非常に明白なこととし
てゲマインシャフトの共通財産には算入されていなかったし22)、
その他の動産は常に家の外に存在したのである。それ故に収益を上げる資本がさらなる発展のための材料なのである。
20)Statuta
Peraeのc.20を
参照せよ。
21)
この部分はラッテスによる"Il
diritto commerciale nella legislazione statutaria"の§6の
注5と6において言及されている商法における不動産の除外についての引
用の中に含まれている。その他、この論考のフィレンツェの所でも再度言及することになる。
22) 家
はそれぞれの持ち分所有者のソキエタースの取り決めに従った処分対象物の特別な一つのものとはならなかった。今日においてもあるソキエタース、例えば
会社が不動産を[簡単には]売却することが出来ないように、持ち分所有者はその時々のゲマインシャフトの土台、つまり共通の家を、抵当に入れたり売却
することは出来なかった。
財
産関係における変化
それ故に財産ゲマインシャフトがもはや単純に全体をカバーす
るのではなく、成員の財産のある一部のみを包括するだけになった場合、そして、既に述べたように、個々の成員による財産の分割がそれによって益々進展
した形で投資や各成員がゲマインシャフトにおいて保持する一つの勘定としての性質を持つと見なされた場合、この[各員の]勘定を全体として高い程度で
独立した法的主体としてみなすのと、取り分けその勘定をそうした独立のものとして[共通財産とは切り分けて]処分する可能性を認める必要性が出てき
た。実際の所、フィレンツェのアルベルティという家族23)に
おいての遺言と遺産相続手続において、[死亡した]持ち分所有者の勘定について、その勘定を利害関係者[相続人]の間で分割しそれぞれの勘定への振り
替えが命じられているという事実が見出される。さらには、ゲマインシャフトの成員の資金でゲマインシャフトの共有基金には属していないものについて
も、可能であればそのソキエタース[ゲマインシャフト]において投資させるという需要が生じて来て、その場合には個々の成員が二重の意味でゲマイン
シャフトの業務に参加するという特別な関係が見出されるのである。つまりはまずはその成員がゲマインシャフトの共有財産の中での持ち分の金額の範囲に
おいての参加と、さらにはゲマインシャフトで利用可能な投資された資本において、ジェノヴァでの文献史料24)に
おいてソキエタース・マリスとコムメンダが同時並行して行われていたという事実[153]に適合するような、ゲマインシャフトの業務への出資者としての
参加である。さらに後の時代では、家族において、元々は法律の規定によって成立していたゲマインシャフト関係を、契約に基づいてまたその時々の必要性
に応じて作り出す25)と
いうことも行われるようになり、それによって家族ゲマインシャフトはソキエタース法に準じた形で規定されるようになったのである26)。
それから我々はここにいても「投資」という概念にたどり着いたが、それは全体の共有財産の中での一定の割合としてであり、その割合によって当該のソキ
エタースの成員の分としての利益、損失、そして資本が分割されるのであり、――それはソキエタース・マリスの場合と同様である。しかしながらここにお
いて次のような疑問が出て来る。つまり、この投資とここで呼ぶものがコムメンダ関係におけるものと同じ意味を持っているのかということである。この疑
問については他のはるかに重要な人間関係の側面としての、ゲマインシャフトの外部や第三者に対しての作用について考察した後に答えることが出来る。
我々はこの目的については、まずは後の時代の発展の最終的に予想出来る結末について述べた後で、再びその結末の開始点へと立ち戻って行かねばならな
い。
23)パッセリーニ[154]の"Gli
Alberti di Firenze” [フィレンツェのアルベルティ家]を参照。また下記の本稿での
フィレンツェに関する部分も参照せよ。
24)
下記の本稿でのフィレンツェに関する部分も参照せよ。
25)
注23のアルベルティ家の史料とペルッツィ[155]の"Storia
del Commercio e dei'
Banchieri di Firenze"を
参照せよ。26)
そ
れどころか、Registrum Farfense[注11参
照]のNo.36の
史料が示しているように、家ゲマインシャフトそのものが契約によって創り出されている事例が存在するのである。この文献史料においては、二人の同じ家
に住んでいる兄弟が彼らの叔父[伯父]を家ゲマインシャフトに迎え入れている: te …
affratamus et in tertia portione … heredem esse volumus.[我々はあなたを家族として迎え入れ、そして相続人として1/3の分け前を持つことを希望する。]このケースは田舎においての
家共同体に関するものである。ブルンナーの前掲書[注11参照]のP.12以
下では血縁関係にある者同士のゲゼルシャフト形成を商業の目的で使うことと家族ゲマインシャフトとの類似について言及している。
第
三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係。
法的に重要な様々な事実が[何らかのゲマインシャフトの]成
員である個人の枠を超えて権利と義務を産み出すという現象は、疑うことなくまずは氏族[ジッペ]を基礎として発生するのであり、その氏族の間において
は相互に義務[債務]を保証しあっていたし、またそれに相当する権利[債権]も持っていたのである。特に私的復讐の権利と義務はある種の"obligatio
ex delicto” [違法行為から発生する義務]を創り出すのであり、そこにおい
ては各成員は能動的[復讐を行った場合]または受動的[復讐を受けた場合]に法規則に沿った形で関与するのである。このことに該当する法律上の規定
は、中世後期になってもまだ完全には消滅していなかった27)。
27)Constititum
Legis Pisane civitatis l.
II c. 77[ピ
サの市民法]に出て来る私的復讐が違法行為を行った者に対して行われる場合についての刑罰の規定を参照せよ。
能動的・受動的な殺人に対する賠償金の義務が既にleges
barbarorum[ゲルマン法]においてほとんど純粋に財産権法的な性質を帯び
た[つまり債務となった]後においては、義務的債務についての責任という概念への原則的な制限がもはや存在していなかったかのように見える。それは特
にローマ法における不正と[ゲルマン法における]犯罪との明確な区別が欠如しているということをあまり意識していない場合に特にそうである。実際の
所、それ[殺人の賠償金、支払い義務が財産権法的な性質を帯びるということ]に関する法規上の条文は、ランゴバルド法において見出すことが出来る。と
は言ってももちろん純粋に氏族的な関係にさらに財産権法的な関係が追加された、という形においてのみであるが28)。
このような[財産権法的な]経済の根本原理は氏族関係においては存在していなかったし、少なくとも信用貸しがある程度行われるようになった時代におい
ては、氏族関係はそれ自身はまったくもって経済的なゲマインシャフトではなく、それ故に犯罪から生じる責任を超えて発展することは無かったし、ビジネ
スの中で発生する債務についての土台という意味では、氏族関係は有効ではなかったし、氏族的な関係に基づく動機は金銭に換算出来るようなものではな
かった。
28)Rubr.
De debitis et guadimoniis et
que liceat pignorare vel non. Rex Rothar: Nulli liceat alium pro alio
pignorare, excepto illo qui gaphans esse invenitur id est coheres
ejus
proximior qui ad illius hereditatem si casus evenerit venturus est. [ランゴバルド法の中の表題「債務及び利益について、差し押さ
えが許されるもの、または不可のもの」。ロタリ王:誰も他人の名前において何かを差し押さえることは許されない。例外としてその者が"gaphans"であることが分った場合以外は。"gaphans"とは、その者がほぼ共同相続人に近しい者であっ
て、財産を相続するためにやって来たという場合のことを言う。]
"Gaphans"に
ついてアルベルトゥスは次のように説明している:「それは近縁の親族であって相続するためにやって来た者のことである。」それ故に債務
は最も近縁の親族に対してに限定されており、それは債務者がまだ生存している時においてもその最も近縁の親族に対して既に発生しているのであり、遺産
との関係が重要である。どの程度まで相続人の債務がここに端を発しているかということは、はっきりしていない。さらに リンプランドゥス王[156]:
Si quis debitum fecerit et res suas vendiderit et tale fuerit illud
debitum,
quod solvere non possit et filius ejus per uxorem suam aliquid
acquisiverit vel
postea sibi per quodcunque ingenium laboraverit postquam genitor ejus
omnes res
venum daverit vel pro debito suo creditoribus suis dederit: aut a
publico
intromissus fuerint; non habeant facundiam creditores res ejus quas
filius ejus
de conjuge sua habere videtur vel postea conquisivit aut laboravit …
distrahendi … sie tamen ut … prebeat sacramentum quod de rebus patris
vel
matris sue si ipsa in mundio patris mortua fuerit nihil apud se habeat
nec
alicui commendaverit …
[も
しある者が債務を負うことになり、[その債務の解消のため]自分の所有物を売却することになり、それでもその債務を[全て]解消することが出来ない場
合、その者の息子がその配偶者から財産を得た場合、もしくはその息子がどこかで働いた結果としてお金を得た場合、その父親が全ての所有物を売却した
か、その債務のためにその代金を債権者に与えるということが済んだ後で、またはその父親がその財産を公衆によって差し押さえられた場合、そういった場
合においても債権者は債務者の財産[のように見えるもの]でその債務者の息子が配偶者から得たものまたはその息子の労働により獲得したものを強制的に
取り立てる権利を持たないであろう。...しかしながら...そ
の息子は父親の財産からまたは母親が父親の監督権下にある状態で亡くなった場合にその母親の財産から何も得ておらず、また隠してもいないということを
誓わなければならない。]
ア
リプランドはこの箇所から次のような陳腐な結論を導き出している。つまり
「相続財産から何も得ない者は、債務についても何も相続することはない。」ランゴバルド法ではしかしながら、パッペンハイムの"Launegild
und Garethinx"のP.70で述べられているように、被相続人[親]の死後の相続人の責任
については規定しておらず、その被相続人[親]がまだ存命中の[相続人の]責任について規定しているのであり、その第2節では相続人である息子に対してある一定の生業で得られた自由
に処分出来る財産についての保証を与えており、その際には[その相続人である息子と]父親の所有物に対する関係が、再度本質的なものとして記載されて
いる。――ペトルゥス[157]の"Petri
Exceptiones Legum
Romanorum"のLL. RR. l. IV
c. 53に
おける以下の箇所が何かの意味があるのか、または何を意味しているのかは、つまり父親が召使いと息子との間の契約について責任を持つかどうかは、"si in
rem patris versum est, in solidum” [そ
れが、全体として父親の物に転じるかどうか]ははっきりしない。おそらくは、息子と召使いが家計においての何かの物について契約する、ということを意
味しているかもしれない。
家
計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係
家計ゲマインシャフトの領域において今やある成員の違法行為
についての責任は他の成員達が負うことになる29)と
いうことが[様々な法規で]見出される。しかし[法規の中の]そういった規定に続く詳しい説明では、ある成員の契約上の債務が他の成員に及ぼす作用と
いうことに対しては、そういった[共同]責任は全くの所後退してしまっており、最終的には消滅してしまっている。しかしこの作用については、こ
ういったゲマインシャフト関係を基礎として成立したのである。常に[そういった法規で]見出されることは、未成年者の法という観点におい
て、ローマ市民法での違法行為とゲルマン法での犯罪がほぼ同じと見なさざるを得ない場合、つまり処刑法においてと特にここでは逃亡した者の破産におい
て、違法行為から発生したのではない[単なる]債務が発生するという場合であっても、犯罪という観点[からの責任=債務の発生]を準用して考えるやり
方への郷愁である。大半の法規集において、ゲマインシャフト成員の責任については、破産の際においてのいくつかの規定として非常に詳細に記述されてい
る。この事は歴史[法制史]において重要である。
29)クレモナの法規(1388年
第495項)
とマッサの法規(1592年、規定自体はそれより古い)の l. IV c. 17は家の主人と父親に対し、召使いや家住み息子に生じた損失につ
いて無制限に責任を負わせることを定めている。シチリア島において1282年の憲法(パルドゥシュ V P.255)は、息子、父親、兄弟等の間での相互責任を無効としている、"cum
poena suos tenere debeat authores” [処
罰がそれを行ったものを結び合わせる場合は]。その他の法規(ボローニャの法規のv. J. 1250ff.
l. II c. 8、
ピサのConstitutum
Ususの45—後代での追加—、
ヴィチェンツァの法規のv. 1264 III c quod dominus、モデナの法規のv.
1327 ref. l. IV c. 10)は違法行為、特に家住み息子達が行ったものについての責任に
ついての制限という形で、より早い時期に成立した無条件の責任を規定している。これに該当するフィレンツェの法規の中身については、後でまた取上げ
る。
ゲ
マインシャフトにおける責任についての二重の意味
我々が考察して来たゲマインシャフト関係において、つまりは
二つの程度が違うというレベルではなく、お互いにまったく異なった意味が登場する:
1.ゲマインシャフトの成員の債務による共通の[負の]財
産としての負債として、そして
2.個人としてお互いに[個別の]債務者としてゲ
マインシャフトの他の成員と共同責任を負うこととして
の二つである。
1.共有財産についての責任
さて、今まで述べて来たような様々な人間関係について具体的
なイメージを持とうとした場合、明らかなのはゲマインシャフトの成員の債権者に対する債務において、まず第一に次のような本質的かつ実際的な疑問が湧
き上がって来ることである。その疑問とはその成員がその債務のために万一強制執行を受ける場合にどのように振る舞うのかということであり、特にその成
員が共通の家の中において直接強制執行を受けるのかどうかということである。法の発展の中ではこの問いは肯定されており、こうした全体のまとまりとし
ての家計という考え方が、疑いもなく基本的な法学上の思考形式を創り出していたのである30)。
そうした総体としての家計は処分したり、また誰かがそれを代表したりすることが可能であったし、――それらの適用の仕方が全成員において同等ではな
かったにせよ――根本的にどの成員にも権利が与えられていたのであり――こうした考え方は私法においても公法においてもまたそれ以外でも重要な意味を
持ったのである。こうした種類の責任31)は、
実際的には次のような法文の中に登場する。つまりあるゲマインシャフトの成員の債務について、その成員がその債務を支払わない場合、その債務全額に対
する強制執行が家の総体に及ぶということである。こうした考え方が根本原則であることは、次のような場合に見出し得る。その場合とは、諸法規が既に共
通の家の中に見出し得るものの全てに対しての無条件の責任に対し制限を加えた箇所において、そうした制限が、まずは家の中に存在する全ての物が一旦差
し押さえられ、次に法規において全体または部分的な差し押さえの免除を受け得ることが規定されている者が我々の用語での「調停」を申し立て、無条件の
責任に対する制限の法的根拠を立証しなければならなくなる、という形で実現される、そのような場合である:Statuta
Communis Vicentiae 1264 l.
III c. de emancipationibus:[„] … quicquid filius habet, hoc totum
praesumatur
de bonis parentum habere, nisi expressim et liquide possint probare …
se
acquisivisse ex officio vel successione vel … alia … justa causa
…[“]Ebenso
Statuta Massae (gedr. 1592) für die communio fraterna. Liber tertius
causarum civilium communis Bononiae (gedr. 1491):
[1264年
のヴィチェンツァのStatuta
Communis Vicentiae 1264 l.
III c.の
{子供の父親からの}解放について:「...あ
る息子が所有している物が何であれ、その全ては両親の財産から得たものだと推定され、明白に相続によって得たと証明される場合、職業上の正当な権利に
よって獲得した場合、財産の[相続以外の]継承による場合、または他の正当な理由による場合を除く。」]
マッサの法規(1592年
印刷)もcommunio
fraterna[兄弟同士のソキエタース]について同様のことを定めている。
ボローニャのLiber tertius causarum
civilium communis
Bononiae (1491年
印刷):父親[の父権]から解放されて一人前になった息子達は、差し押さえしようとする債権者に対して、自分達は当該の債務が発生するよりも前に解放
されていた、と証明することになっていた。
30)
他
の人間関係については:ヴィチェンツァでは公的な債務は家に対して賦課された。(Statuten v.
1264 l. II c の
最後の所)ミラノではそれが家族に対して賦課された。(Statuten v.
1502 fol. 81、1217年の追放に関する法規のIの
最後の箇所によっても既に規定されていたことを参照せよ。)家族の成員は連帯してその賦課を負った。モデナでは(Statuta 1327
ref. I 165)
各々の家族の成員は家族に対して課された兵役の義務を果たした。シエーナでは(Statuten v.
1292)
個々の手工業の工房[bottega、より正確には工場と販売店を兼ねるようなもの]が、個人では
なく、ツンフト[同業者組合]への上納金を支払っている。モンカリエーリでは(Statuten v.
1388 H. P. M. l. Mon. I vol. 1450)
fratres communiter viventes[一
緒に住んでいる兄弟]の債権は、相互に所得税の評価のためには、それぞれの財産の中には組み入れられなかった。フィレンツェのカリマーラのStatuto dell’
Arte を
一瞥すると、その地ではどのように個々の工房[bottega]と個々のソキエタースが、その土地でのツンフトの組織の基礎
として使われていたかが示されている。
31) ロー
マ法についてはこの事柄についてはよりシンプルであった。家族の中の父親については家族全体が責任を負った。そして家族の中の息子については、その息
子自身が責任を負った。manus
injectio [債
権者が債務者に対し手で触れるという、古代ローマ法においての強制執行の象徴行為]が息子に対して行われた場合には、父親がその息子に代わって債務を
支払うことになっていた。――中世の法は財産能力の無い者が債務を負うということ自体を認容しなかったであろう。――別々に住んでいない共同相続人に
ついては、ローマ法はその譲渡可能な各人の相続分について責任を負わせた。こうした法概念は中世の法には見られない。
2.成員の個人責任
[個人の成員の債務に対する強制執行がその成員の所属する家
の総体に及ぶという]こうした考え方は、また共通の財産それ自身の責任[債務]でもあったし、そしてそれぞれの成員のお互いに共通財産における自分の
持ち分に対してだけの責任[債務]でもあった。しかしそれはある一人の成員の債務が他の成員にも連帯保証人として及ぶという直接的な関係にまでは至っ
ていなかった。
[共通の財産への責任とそれぞれの成員の共通の財産の中の持
ち分についての責任との]この二つの違いについては、ベルガモのStatuti
del paratico e foro della
Università de’ mercatanti(1479年
校訂、中身はもっと以前に記述されたもの、1780年
版)の中に明確に規定されているのを見出すことが出来る: c.
92: … quod patres et filii
masculi … et fratres stantes ad unum panem et vinum … talium
fugitivorum
teneantur et obligati sint creditoribus in solidum et contra eos
procedi possit
… realiter tantum … sed si intromiserint se de negociatione,
tunc …
teneantur sicut eorum ascendentes pp.
[父親とその男の子供達...そ
して一かけらのパンと一本のワインを共にする兄弟達であるということ...そ
のような逃亡者達については、責任を負わされ、債権者に対して全体で義務を負わされ、債権者に対して訴えを起こすことも可能であり...そ
してただ実際には...し
かしもし彼らがある業務に従事するならば、その場合...彼
らは彼らの年長者と同様に責任をおわされる、等々。]
つまり:あるゲマインシャフトの成員の債務はそれ自体として債
権者に対して他の成員にもその債務を負わせるでのはなく、ただ「実際上は」共通の財産に対してその債務が課されるのである。
我々にとってここでまた問題なのはそういった債務が個
人の責任になるかどうかということである。氏族の成員の責任は次のようなものであり、またまさにそのようなものとして後に[この論考で]
示される。つまり、それは家を共にする仲間[ゲノッセン]の責任であり、さらに後の合名会社のそのもっとも初期の形成においては、常に合名会社の社員
[socii]
の責任だったのである。
そのことはしかしながら、このような個人的な責任を[他の]
成員との関係において直ちにゲマインシャフトの財産に基礎付けることを認容するのでは決して無い。とりわけゾーム[158]がつい最近32)[159]出版されたばかりの論考[Die deutsche
Genossenschaft]において、これらのゲマインシャフトをその基礎としている合
手の原理[160]から成員の「債務ゲマインシャフト」という概念を、経営ゲマイ
ンシャフトへの相関概念として導き出す場合には、この箇所における合手概念の利用については経営ゲマインシャフトと対抗するような試みをすべきではな
いと考える33)。
そこにおいては[ゾームは]まず第一に論理的にはしかしながら次のことを仮定しているかのように見える。つまり、債務ゲマインシャフトが、丁度経営ゲ
マインシャフトと同様に、共有であった財産と同時に[共有財産が成立した]その後に共有になった財産にまでも及ぶということである。しかしながら連帯
責任というものはそういったもの[債務ゲマインシャフト]よりも根本的にさらに上位のものなのである。さらにゾームが合手制における成
員に「成員としてその者に帰属する管理権」を行使させるとする場合には、そのことは我々の例に適用すれば、後代のそして今日の合名会社
においての共有の財産に対しての負債ということを解明するのに利用可能である。しかしそれにもかかわらず、これから試みる説明は正当であり、そこでは
「業務上」締結された契約に対する責任への制限が、なるほど物事の本質における必要不可欠な、しかしようやく歴史的に発展して来た古き時代の無制限の
責任への制限を意味するということである。とするならば、これらのより古い時代の法の状態についてのそういった定式化が可能かどうかと言う検討は、後
の時代における歴史的根本原理を考慮していないと考えられる。(その際に不法行為についての責任はどこへ行ってしまったのか?) そういった[債務ゲマインシャフトのような]定式化は全くのと
ころ個人における連帯責任が問題にされる限りにおいては、次のような考え方と相容れない。つまりある「管理する」権利についての論理的な帰結としては
ただ、管理された財産についてのみ成立し得る34)と
いう考え方である。次のことには留意すべきである。つまり家計ゲマインシャフトにおいては、たまたま成立していた共通の財産も、またその家計ゲマイン
シャフトと共に古い時代から結成されていた労働ゲマインシャフトも、共通の業務を一緒に執り行う35)ゲ
マインシャフトでは無かったのであり、標準的であったのは実際の所「個々の権利に基づくような」と言うべき関係だったのであり、そしてそういった契機
は後の時代における今日の合名会社の形成に至るものとして再び見出されるのであり、本質的に合資会社に対置されるものを形成するのである。
32)Die
deutsche Genossenschaft,
"die Festgabe für Windscheid"か
ら。[161]
33)
最終章[第6章]を参照せよ。
34)ゾー
ムのP.30を参照:「これらの[他の]成員の財産の持ち分も処分出来ると
いう権利。」
35)
このことは同時代の法学文献における見解でもあった。バルドゥスのConsilia III.
451を
参照。
家
の成員の責任の源泉と発展
家の成員[ゲノッセン]の個人的な責任は今や文献史料におい
ては多かれ少なかれ犯罪に関連した破産の事例と結び付くようになる。次のことについては除外されるのではないし、また――何かよりはっきりした事は肯
定的な面でも否定的な面でも述べることは出来ない――それはつまり次の事に関してのわずかな蓋然性を語っているということであり、それは相互に姻戚関
係にあった頃の記憶は法形成に影響を与えたのであり、またそういった法形成を容易にもしたと言う事である。しかしそれはまたそれ以上のものでも無い。
[法形成の]発展それ自身は疑いも無く氏族的な考え方の外側で成就したのであり、そしてなるほど、姻戚関係という契機がもはや統一されたものでは無く
なって初めてある役割をようやく演じたのである。ある特定の考え方は「他の物から現れ出た」のではなく、他の物を置き換えたのである。氏族社会的なゲ
ノッセンシャフトの位置におけるゲマインデ関係[地域的な共同体]におけるように、近隣関係を基礎とする地方における耕地ゲマインシャフトというもの
が登場して来たのであり、そうした耕地ゲマインシャフトというものは、植民の場合においてはおそらく規則的に近隣関係と一つのものであったのであり、
それ故にここにおいて家族の位置していた場所に、業務を主とする暮らしにとってもっとも重要な財産法的な特性、つまり共通の家計と業務ゲマインシャフ
トが登場してきたのである。より新しい原則が古いものから発展したのだということは、証明することが出来ないし、変化した部分について適切にその特徴
を述べることも難しい。Vicus[古
代ローマでの村]はおそらく決して氏族関係による成員[ゲノッセン]だけを包含していたのではないし、共通の家計は確かに氏族関係に先行するただ一つ
の関係では決して無かった。そこでは確定されたある土地への定住と農業経済のやり方が、このやり方という点ではゲマインシャフトでの業務を主とする暮
らしが諸都市において自らをはっきりと形作ったように、異なったかつ新しい原則が、その原則はその本質においては古い原則から原理的に差別化を図った
のであるが、古い原則を置き換えたのである36)。
36)ラスティヒにおけるこの関係の形成の説明は、
私には全くもって受入れ難いように思われる。
さて家の仲間[ゲノッセン]の責任というものがより古い法に
おいては原則的に無制限であったということが、一般的に諸都市の法規における法の発展の方向を常にそういう責任を制限する方向にすると
いう結果に導いた。法においてそういう制限が設けられているということは、そのような制限が実際に家の仲間[ゲノッセン]同士の関係においても存在し
たということである。古き時代におけるある仲間[ゲノッセン]の他の仲間[ゲノッセン]に対する完全な責任は、原始的な商取引や信用関係においても疑
うべきもなく存在していた。当時において、後の時代に先行して現れて来ていた個々の成員を拘束するということは、同じように自明なこととして、それぞ
れの成員が家共同体の共通の勘定について責任を持つということになった。それは今日において家長である父親が、家のメンバーが使った小売人や手工業者
に対する代金を、ぶつぶつ言いながらあるいは黙って仕方なく支払うようなものである。そうした生き方の帰結としての共通の成功や破滅ということは、あ
る一人の成員の契約[の責任]が他にも及ぶということである37)。
37)Constitum
Usus Pisene civitatisは家ゲマインシャフトを次のように定義している:”si de
communi in una domo vixerint et contractus et similia communiter
fecerint, sive
absentes sive praesentes, sive uno absente, altero praesente etc.” [もし彼らが一緒に一つの家に住んで契約及び同様の協定を取り
交わした場合、またはある者が不在である者が居た場合、または一人が不在で他の者は居る場合、等々。]
より古い時代の法に対する意識において、原理的に異なってい
る二つの考え方、つまり共通の財産それ自身の責任と、全ての成員[ゲノッセン]の責任とを常に区別すること38)は
困難であると認めざるを得ない。この二つの区別は、財産ゲマインシャフトが本質において完全なものである限りにおいては重要性が低かった。これに対し
て――成員[socii]
の間よりもむしろ外部に対する関係において――次のような困難が生じてくるのが不可避だった。つまり、信用の意義が増大して来た時に個々の成員が債務
によって拘束されることは、次のような性格を持つことになり、つまり当該の成員に債務について責任を取らせることは、もっぱら共通の家計という原則に
おいてはしばしば不当なものと見なされるようになったということである。他方においては、当該のゲマインシャフトを業務を中心とする暮らしの中で信用
の担保として使えるようにするために、まさにそのゲマインシャフトが無条件の責任を持つという形で対応したのである。こういった信用の担保としての利
用は、また個々の成員の持ち分全額までへの責任の限定という場合において――それは普通当然と見なされる考え方であるが――放棄されることになったか
もしれない。信用の担保として利用することの方が利害の上でより重要であった場合には、[無制限の]責任ははっきりと確立される必要があった。法の発
展において、このような立法上の問題点は一体どのように解決されたのであろうか?
38)
この点についての法学上の解釈が存在していた限りにおいては、後者[全ての成員の責任]が前者[共通の財産についての責任]からの法学的な帰結として
考察されている、例えばバルドゥスのConsilia V
125: ソ
キエタースの成員[socii]
は拘束される、何故ならcorpus societatis[ソ
キエタースの体]、つまりゲゼルシャフトの財産が拘束されるからである。
諸
法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説。
こうした[信用の担保としての共通の財産の利用と個々の成員
の持ち分についての責任とのせめぎあいという]問題の立て方を通じてようやく我々は文献史料に基づいた論述を開始することが出来る。これまでに既に
扱ってきた文献についての論述は色々な意味で先走りしたものになっていた。というのはそういった文献史料の状態に不備が多かったため、ある一般的な根
本原理を作り出し、それによってそれらの文献史料がどういった問題を扱っていたかを明らかにするという必要性があった。
諸法規の内容について適切な評価を行なうには次のことが必須
である。つまり、商業と産業の極めて大規模な発展とそれに伴う非常に多くの新規の法律制定への新たな欲求以外に、ローマ法の伝播を考慮すべきというこ
とである。ローマ法のそうした影響については、考察するにあたっては、非常に強い影響力を持っていたものとして扱わなければならない。まさにそういっ
たローマ法の影響について、商法の歴史においては、様々な都市の諸法規がより古い時代の諸制度を自分自身に適合するようにして、確定し取り入れてきた
のだという説が唱えられている。
ス
ペイン
ローマ法の流入がどのように行なわれて来たかということにつ
いては、確かにごくわずかのスペインの文献史料が明白な証拠を提供してくれている。
より古い時代の複数の地方の条例からは次の事が明らかにな
る。つまり、元々家族ゲマインシャフトからの帰結である連帯責任というものは、スペインにおける諸法規では既に良く知られていたということが。
1142年
のダロカ[162]法は次のことを前提としている。つまり父親はその息子の債務に
ついては疑わしき場合[in
dubio]には責任を持つ38a)と
いうことを。この前提と共同相続人の間の相互の連帯責任については、実際の所当たり前のことと見なされており、間接的な表現では同時代の他の39)文
献史料にも登場する。
38 a)
この場合、父親の裁量に委ねられている。(ムニョース[163]、 Colleccion
de fueros municipales、
マドリッド、1847年):
Si quis habuerit filium prodigum vel lusorem … desafillet illum si
voluerit in
consilio et si non receperit illum postea non respondeat pro
illo. [も
し誰かが浪費家である息子や放埒な息子を持った場合、…そ
の息子を追放とさせよ、もしその父親が相談の上でそれを望んだとしたら、そしてもしその息子を後で貰い受けなかった場合には、その父親
はその息子については責任を持たない。]—Desafillareと
いう単語はつまり=家ゲマインシャフトから追放する、という意味である。(ムニョースの本のP.534)
39)
メディナセリ[164]の
法(ムニョースのP.435)
においては12世
紀の初めから(一説によれば既に武人王{el Batallador}
アルフォンソ1世[165]の
時代から)[特定の場合においては]免責とすることを必要と見なしている明白な規定が存在した。同様にアルフォンソ7世
が1118年
にトレドに与えた特権においては、逃亡者[fugitive]
が元々権利を持っていたその母親の財産に関しての、妻と子供達の責任を特別に免除していた。同様の規定が1144年
のペラルタ[166]の
法(ムニョースのP.546)
にも登場していた。1250年
のカスティーリャの旧法は1359年
に古い法素材(皇帝中の皇帝{el Emperador}
と称されたアルフォンソ7世
の時代から、またCortes von
Najera[167]な
どから)から改定されたものであるが、相続債務についての共同相続人の連帯責任について明確に述べている:[Fuero viejode
Castillaの]l. V t. III:
Todo ome o
muger que muer, dejan fijos que reden lo suo de 5 sueldos en ariba, e
deve el
muerto debda manifiesta a otro ome, aquel a quien deve la debda, puede
prendar
los fijos e coger la debda si fallara en que e aquel fijo que pagara
la debda
puede mandar a los otros riedes que lo ayuden a pechar aquella debda
quel pagò
por suo padre, pues eredaron suos bienes tambien como el.[全
ての男性または女性で死亡して、残された子供達がどちらからか5 sueldos以
上を相続する場合、そして死んだどちらかが別の男からかなりの額の借金を負っている場合、その借金の貸主はその子供達を質に取ることが出来、もしその
貸主が子供達の財産の中で支払いに充てられるものを発見した場合には、そこから貸金を回収することが出来る。そして死んだ父親または母親の借金を支
払ったある一人の子供は、その父親の代りに借金を返すことについて他の相続人にも相応の負担を求めることが出来る。というのもそれらの他の相続人もま
た、その子と同じく亡くなった者の財産を相続したのであるから。]
またサンタ・クリスティン[168]の1212年40)の
法においても、共同相続人はイタリアでの諸法規と同様に、カスティーリャの法によって連帯して成員[socii]
として責任を持つ
41)べきであることが規定されている。
40)
ムニョースによる。
41)
注39を
参照。
しかしこういった様々な条文は、ローマ法が侵入して来たこと
により完全に取り除かれることとなった。
既に1250年
のCortes
de Valencia[ヴァレンシア議会]においては父親の息子に対する責任はその
父親の同意に基づくとされている。アルフォンソ9世[169]の巨大な立法の集成、つまりSiete Partidas[170]は1256年
から1265年
の間で改定されているが、しかしながらローマ法を純粋な形でスペインに輸入しようと試みている。[例えば]Senatus
consultum Macedonianum(Part. V 1,6)[171]、peculium castrense[兵士が軍務において得た財産]等の概念. (前
掲書の2)、actio exercitoria[172]とactio institoria[173](P. V 22, 8で
規定)、その中ではそういったケースでの責任義務に制限が加えられている。Societas omnium bonorum[ソキエタースの全ての財産が現在及び未来において成員間で共
有されるもの](学説彙纂でのsocietas
leonia[174]に関する全ての定義や、特定の成員の立替金の勘定なども含め
て)を含めた全てのローマ法でのソキエタース関係の法、これらの全てが次の規定に影響を与えている:compania
que fazen los mercaders y
los otros omes para poder gañar algo mas de ligaro ayuntado ssu aver
en uno” [ソキエタースで商人達と他の者達が共同でさらに幾許かのお金
を稼ぐために彼らの財産を一つにして投資するもの](P. V
t. X)Nueva Recopilation de
Leyes[175]では、次に(L. V t. XIII l. 1)特別な協定という観点から、各ソキエタースの成員は連帯責任
ではなく、出資分に応じて責任を持つと言うことをまた特別に強調している。他のどこでもなくまさにここにおいて、ローマ法は実質的に使い回されてい
る。これより以降の法的な文献史料はより古い時代の法的見解の残滓をごくわずかしか留めていない。
42)
バルセロナではソキエタースの他の成員への法律上の[連帯]責任は後の時代にはもはや忘れられていた。それはマルキレス[176]に
よる注釈(1491年
出版の"De
usaticis barchinonensibus")
において封建法関係についての特別な例外(P.337)
的な事例として強調されて示されているのに見られる通りである。マヨルカ島の法規については、例えば"emancipatio
in fraudem creditorum "(1413年
のOrdinac de
Mallorcaの
新版)[債権者を欺くような債務者である息子の父親からの独立]の禁止のみが、わずかにその名残として考慮に入れられている。トルトーサ慣習法(オ
リバー[177]に
よる"El
derecho de Cataluña")
のいくつかの部分は古い時代の法律の発展的解消を独特の方法で行なっている。それらの部分はソキエタースについてローマ法おソキエタースの法的テンプ
レートの内ごくわずかな条文だけを採用しており、特徴的と言えるのはただ資本から[extractis
capitalibus]
得られた利益が、出資金額の比率で分けられるのではなく、"mig par
mig"つ
まり単純な頭数で割った金額で分けられねばならなかったということである。しかしながら、相続ゲマインシャフトについては、それらの部分は極めて風変
わりな規定を採用している。つまり遺産分割の訴えは相続の事由が発生してから30年
後に時
効になるという規定である:I. II、
第13章15節:"de XXX
ans avant los uns no poden forçar los altros que venguen daquela cosa
a parcio
…” [{事
由が発生した日から}30年
目のその日以降は甲は乙の遺産を分割するという権利を主張することは出来ない…]――
ここにおいてより古い時代の理解が難しい人間関係にローマ法の法的テンプレートが適用されている。兄弟間の相続ゲマインシャフトにおける「兄弟の間で
の」[per frayresca]
(l. VI r. II
c. I)
遺産分割のやり方は何かの意図による、遺産相続のコミュニティーについてのより古い時代の独特な基本原理の残滓である。さらに新しい時代の地方法にお
いては、より手工業者間での自警団[警察]組織に関する内容が多くなっている。(ブルゴス[178]の
法規がそうであったし、サラマンカ[179]の
法もである。)スペインの地ではそれから、非常に明らかなことながら、[新たな]ソキエタース法の形成について独自な貢献はもはやされることが無く
なっていた。ゴンゾラ・スアレズ・デ・パズ[180]の"Praxis
ecclesiastica et secularis" (1613年
にフランクフルトで出版)は、訴訟の様式としては概してただ成員[ゲノッセン]間のactio pro
socio[ソ
キエタースのある成員の他の成員に対する法的行動、訴訟など]だけを扱っていたし、それももっぱらイタリアの諸都市の法規を思い起こされるという意味
においてのみ、告訴は仲裁[contadores]
という名前の和解に至って結着している。これについては後述のフィレンツェに関する論考を参照せよ。
ヴェ
ネツィア
この「残存物」においてはしかし実際の所はより古い時代のあ
る法的解釈を問題としているのであり、共通の法からの恣意的な逸脱を問題としているのではないことは、ヴェネツィアにおける法の発展がそれを証明して
いる。
我々にとってここで興味深いことは、ヴェネツィアの様々な法
規の中で繰り返し言及されている"fraterna
compagnia” [共同相続人である男性の兄弟で結成される相続財産を共有財産
として持つ一種のソキエタース]である。そこにおいてはその制度は一定の期間だけ連続して存在する相続ゲマインシャフトであると解釈される。問題とな
るのは次の箇所である:
l. III c. 4 de fraterna
compagnia.
Volumus quod fratres
mortuo patre remaneant in
fraterna compagnia quamdiu divisi non fuerint. Idem in germanis
consanguineis
filiis fratrum inter se et cum patruis. Et non procedat ultra
fraterna
compagnia. Sorores autem inter se et cum fratribus non sint in
fra[terna] cia,
sed faciant inter se sorores rationes eorum tantum que habuerint a
patre vel
avo vel aliquo alio de superioribus … et etiam cum fratribus si
fratres inter
se remaneant in frat[erna] cia nisi et ipsi divisionem fecerint. Si
pater …
aliqua specialiter dimiserit filio … illud non erit de frat[erna] cia.
[l. III c. 4 fraterna
compagniaに
ついて。
我らは次の事を希望する。つまり兄弟達はその父親が亡くなった
後はお互いがばらばらに別れてしまわない限りは、fraterna
compagniaの中に留まることを。この事はその兄弟達の血縁上の息子達、そ
の兄弟達の間、そして彼らの父方の伯父についても同様である。そしてfraterna
compagniaはそれ以上に拡大して適用されることはない。姉
妹達についてはしかしながら、彼女達自身の間でもまた兄弟達との間でもfraterna
compagniaに所属することはない。しかし彼女達は、彼女達の中で、ただ父
親から受け取るであろうもの、または祖父から、あるいはともかく彼女たちより年長の誰かから受け取るであろうものについては、それは彼女たち自身の財
産勘定として持つことになるであろう。...そ
してまた兄弟達が彼ら同士の間でfraterna compagniaの
中に留まり、彼ら自身がばらばらになってしまわない限りは、もし父親が...何
かを特別にその息子に与えるとしたら...そ
のものはfraterna
compagniaのものにはならない。]
すなわち:fraterna compagniaは兄弟間での[共有する]財産について形成されるのである。そ
れ以外にfraterna
compagniaには属さない別の財産が有り、それは特別な遺産として遺された
もので、姉妹達の相続分である。その後者の相続分はなるほど[家族]ゲマインシャフトの中に存在しているのではあるが、それはゲマインシャフトとの関
係においては単なる精算関係(rationes
faciant = 精算すること)なのであり、単なる一つの勘定であるに過ぎな
い。兄弟がゲマインシャフトに所属するということは、それ故もっと多くのことを意味するのである。それは一体何か?それについてはまだ
この段階では明確になっていない。しかしながら、先に引用したランゴバルド法の箇所にこの制度の名残が見られることは明らかである。
このfraterna compagniaの関係とその他の類似の関係に関連しているのが1335年
にヴェネツィアとコトル[181]との間で締結された権利補助契約43)の
一節である:
„… Item quod fratres, existentes in fraterna societate, teneantur
cuilibet
debito facto per aliquem ipsorum, cum hoc condicione, quod ille frater
qui
noluerit teneri debito fratris sui, ante debitum contractum debeat
fecisse
cridari per riparium dicte terre in platea et scribi per notarium in
quatreno
communis se nolle teneri ad debitum fratris, et taliter … minime
teneatur. —
Item quod socii, habentes, societatem, ad invicem teneantur ad debitum
factum
per aliquem ipsorum, quod si fecerit cridari et scribi se nolle
teneri, ut de
fratribus proxime scriptum est superius etc.“
[同様に兄弟によるソキエタースの成員である兄弟は、そのソキ
エタースの別の成員である誰かが負った債務について責任があり続け、それは以下の条件の場合に、つまりある兄弟が他の兄弟の債務について責任を負い続
けることを望まない時に、その債務が発生する前に、[その債務が発生するであろう]当該の通りの運河の土手一帯に向けて宣告し[182]、さらに公証人の元で公正証書を4部
作成しコムーネの公式登記簿簿に登記しなければならない[183]。その内容は、彼は自分の兄弟の債務について責任を負わされる
ことを欲しない、等々というもので...[そ
の証書によって]彼が[他の兄弟の]債務を負わされることは決して無かった。――同様にソキエタースのメンバーである成員は、ソキエタースの他の成員
の誰かが負った債務について相互に連帯責任を負っていたが、しかしもしある一人の成員が宣告して公正証書を公式に登記して彼が兄弟によって発生した債
務について責任を負わないとした場合、まさに先に上記のように兄弟のソキエタースで公正証書が作成されたのと同様に、等々。]
さらに次のように言及される:
„frater sive socius habens societatem fraternam cum illo.“
[ある兄弟またはソキエタースの成員が、その者と共に兄弟のソ
キエタースに所属する場合。]
43)1868年
のMonumenta
spectanita historiam Slavorum meridionalium Vol. I ZagrabiaeのNo.696参
照。
ここにおいて観察することが出来るのは、まずはcompagnia
fraternaに関することとしてはその法的な帰結としては連帯責任なのであ
り44)、
ただ一定の書式によるそれに対する拒絶のみを認めているということである。そして特徴的なことは、こういった法的な帰結について、コトルとの交信文で
はそれについて言及されているが、ヴェネツィアの法規ではそういった言及が無いということである。つまりヴェネツィアの内部での取引においては[連
帯]責任そのものが自明のこととされていて、特別な個人の都合を認めることが無く、ただ国際的な取引においてのみそれが認められていたことである。ま
さにそれと同様にソキエタースにおいても、ここでは相続ゲマインシャフトと並んで重要なものとして位置付けられているが:またもソキエタースとそこか
ら発生する連帯責任についてはヴェネツィアの内部の法規では言及されておらず、ただ外国のコムーネに対してのみそれに関係した内容について言及されて
いる。
上記にて引用したヴェネツィアの法規の目的は、以上のことか
らも分るように、いずれにせよfraterna
compagniaの導入を意図したものではなく、おそらくはfraterna
compagniaにおいてそれの対象となる世代の数を限定することを意図したも
のであろう。立法というものの傾向は得てしてこういう方向に行きがちである。というのも17世
紀においてさえゾルチ[184]がfraterna compagniaに対しての分割請求を実務的に処理した時には、この制度の本質
的な側面である対外的な作用が、次の法文によって既に無効とされているのである:
1619. 7. Luglio. Nel Magg[iore] Cons[iglio] Essendo per Legge nello
Statuto
nostro deciso che la fraterna cia sintenda, quando li fratelli non
sono tra di
essi divisi nelle faccoltà e occorrendo ch’alcuno, ò per mal giorno ò
per altro
contraza debiti, li Beni di tutta la facoltà sono sottoposti e così ne
rimane
il danno e pregiudizio anco à quelli che non ne hanno havuto colpa …
andarà
parte:
che nell’ avvenire non
possa il fratello di
fraterna in alcuna maniera senza l’assenso espresso dell’ altro
fratello,
obbligarlo … ma ogni obbligazione … s’intenda sempre propria e sola di
quel
fratello che l’havesse contratta, e i Beni della sua specialità e
della sua
porzione di fraterna a lui spettanti obbligati à pegno, non quelli
d’altri
fratelli …
[1619年7月7日、大評議会[185]にて。ヴェネツィア共和国の法律に基づいて以下のことが決定さ
れた。つまりfraterna
compagniaとは次のことを意味する:即ちある特定の兄弟達において[相続
した財産が]それぞれの財産に分割されておらず、またその兄弟達の誰かが時勢に恵まれなかったとか、あるいは他の理由で債務を負う契約を締結すること
になった場合、その兄弟達全体の財産はその債務に対して責任があり、仮にその兄弟達に何の違法行為が無かった場合でも、その財産が被った経済的害や損
失はそのまま有効である...別
の箇所では:
あるfraterna compagniaの中の一人の兄弟が、どういうやり方であれ、他の兄弟による同
意無しには、自分単独で債務を負う契約を締結することは出来ないということを意味している。...し
かしまたその一人の兄弟が契約したどのような債務もそれはその兄弟だけに責任がある特別な負債であり、fraterna
compagniaの中での彼の取り分のみがその負債の担保とされ、他の兄弟の取
り分についてはそうならないということを意味する...]
44)
マニン[186]の
[Giurisprudenza
Venetaで
の]見解によれば、兄弟は同意がある場合にのみ責任があるということは、より以前の時代においては正当なこととはされていなかた。
45)Pratica del foro Veneto[ヴェ
ネツィアの法曹実務について]のP.35を
参照せよ。
この法規定から直接には、連帯責任というものは相続ゲマイン
シャフトから派生した招かざる法的帰結であるかのように見える。それ故に人が相続ゲマインシャフトによって得るのは、ソキエタースの共通の基金という
特性であり、その特性は元々は法律の規定としてそのゲマインシャフトに固有のものとして決められていたものである。というのもこのソキエタースの共通
基金というのは、元々はソキエタースの男性の成員に対する制限として発生したのであり、すまりはソキエタースが従事するビジネスにおいて、個人的な労
働を通じて関与する成員への制限からであり、その際姉妹達はそういった男性成員とは別扱いされ、何か特別な場合において「参加者」として扱われるに過
ぎなかった。1619年
のヴェネツィアの法律はそれ故にソキエタースの共通基金の特質をまだ単なるソキエタースの契約によって作り出された財産ゲマインシャフトとしている。
ここにおいて我々は以下のような発展への契機を見出すことになる。それはつまり家族仲間の間での共通の経済が、それはかつてその集団の主要な要素で
あったのだが、次第に後退していき、純粋な契約ベースの関係に席を譲るために、やがては完全に消滅してしまうという発展である。まだヴェネツィアにお
いては、コトルとの契約が示しているように、この発展はただ次のことを通じて実現している。つまり、個々の共同相続人が、異議申し立てによって、それ
ぞれの留保分の財産を確保することが出来、そしてその者がfraterna
compagniaの一員としては扱われないということを通じてで
ある。他のイタリアの諸都市では、[フィレンツェの]アルベルティ家に関する記録やペルッツィ46)の
書籍が明確に示しているように[187]、後になって次のことが生じた。つまり[家族ゲマインシャフト
とソキエタースの]関係が逆になっていて、その結果最初に共同相続人としての特性がソキエタースの成員という性格を形作るのではなく、家族仲間がまた
ある特別な時間的に限定された契約を締結し(それには公的な登記をするための通知が規則的に付随していた)、そうして初めてソキエター
スの成員としての全ての働きが生じているのである。つまり、そういったことを通じて家族ソキエタースというものは、他のゲゼルシャフトの仲間として完
全に現れ出でるのであり、その特徴としては本質的には、元々存在していた共通の財産と生業を執り行うという基礎の上に、ソキエタースを特別に簡易的に
基礎付けることが出来たということである47)。
ヴェネツィアの法律は、他のイタリアの諸都市における法の発
展とは別に独自の道を進み、ローマ法の伝播とはほとんど接点を持たず、しかしまさにそれ故に、一般法における新たな法形成に対しては大きな影響を及ぼ
すことが無かった。そうした一般法での新たな法形成は、様々に異なる諸要素が交錯することに成立しているためにその過程において、まさに我々がヴェネ
ツィアの例で得ることが出来たような、単純な絵を描くということは常に完全に不可能であった。
46)パッ
セリーニ[188]の”Gli Alberti
di Firenze” [フィ
レンツェのアルベルティ家]を参照。また、ペルッツィ[189]の”Storia del
Commercio e dei’ Banchieri di Firenze”を
参照せよ。さらに本稿で後述するフィレンツェの部分も参照せよ。
47)
ヴェネツィアの法律のその他の内容は些末なものが多く、注目すべきなのはただ、例えば l. I c. 37 に
て書面での契約による家住み息子の債務が父親の責任としては特別に免除されている、という箇所くらいである。大規模な、書面によって契約された信用業
務においては、上記に述べられているように、責任を制限することへのきっかけをまず見出そうとしていたのである。
そ
の他のイタリアの地方諸都市における法規
我々にとって法的発展の出発点であると仮定できる法文、それ
はつまり他の者と一緒に共通の家計において全員が生業に勤しむという形での完全なゲマインシャフトの中で生きる者は、それが家族ゲマインシャフトの仲
間であっても、また工房(stacio)
または店(taberna、bottega)
における手工業者兼小商人のソキエタースの成員であっても、後者のケースは古い時代においては同じ家に住み込むことになるのであるが、どちらにせよそ
の仲間が債務者として連帯責任を負うという、そういう法文は重要な内陸都市のほとんど全ての法規に見出すことが出来る。家族仲間のゲマインシャフトに
ついては以下の法文の下記の箇所で扱われている:[190]
・Liber civilis urbis
Veronae c. 150 (父親と息子の相互の責任を定めている。)
・Statuta communis Vissi
l. III c. 19.
・14世
紀のローマの法規(カミーロ・レ[191]編)のc. 108: Haftung der
fratres dictorum
mercatorum campsorum vel qui in communi cum eis vixerint.[前述の両替商の兄弟またはその者と一緒に暮した者の責任。]
・Liber tertius causarum
civilium communis
Bononiae、1491年
印刷のもの: 小作人及びその小作人と”in eadem familia vel
communione vel societate”
[同じ家族としてまたは同じ地域または同じソキエタースで]生
活している者は地主に対して責任を負う。
・1388年
のクレモナ[192]のStatuta mercatorumのrubr. 101か
ら126、
逃亡者について:
責任を負うのは patres, fratres, filii
… socii … et qui cum
eis stant ad unum panem et vinum[{そ
の逃亡者の}父親、兄弟達、息子達...同
じソキエタースの成員...そしてその者と一かけらのパンと一本のワインを共にした者達]; 同
様の規定が見られるのが次の二つ:
- 1388年
のクレモナのStatuta
civitatisのrubr. 495.
- 1582年
印刷のマッサ[193]の法規、l. III c. 77: Si fratres
paternam hereditatem
indivisam retinuerint et simul in eadem habitatione et mensa vitam
duxerint, [もし兄弟達が父親の遺産を分割しないで保持し、そして同時に
同じ家に住み同じものを食べるのであれば、]その各々はゲマインシャフトの名前において契約するという仮想的な権利を持つ。
・1422年
のStatuta
Burgi et Curie S[ancti]
Georgii: 父
親と息子の相互の責任。
・ブレシア[194]のStatuti della Mercanziaのc. 91 か
ら107、
逃亡者について:責任はその者と一緒に生活した者全員に及ぶが、その者の家族において参加者=共通利害の関係者(commis
intéressés)では無い者[使用人など]を除く。
・ベルガモ[195]のStatuti e privilegi del
Paratico e foro della
università de’ mercantiのc. 89:
以下の者は責任を負う:"filii et fratres qui
cum eis stant ad
unum panem et vinum et fratres et socii ejusdem negotiationis ipsum
negocium
exercentes et omnes alii descendentes talium fugitivorum” [息子達と兄弟達でその者達と一かけらのパンと一本のワインを
共にした者、そして兄弟達と、その者と同じ業務上のソキエタースの成員で自分自身でも業務を行う者、そしてその逃亡者達の全ての子孫]、さらにc. 92、 93など。
・1600年
改定のボローニャ[196]のStatuti della honoranda
Università d’
Mercatanti della inclita cittàのrubr.
60 と fol. 48。
ここに引用した法規の内のいくつかは、まだ印刷技術が発明されていなかった時代のものであり、ただラスティヒの何度も引用した論文の中
の抜粋という形で出版されているだけである。
こ
れらの法規の一部(マッサ、ベルガモ、ボローニャ)は、家計ゲマインシャフトに並置して同一の工房[stacio]、
食堂[mensa]、店[negociatio]
のゲマインシャフトを位置付けているか、または家族仲間に並置してこれらのソキエタースの成員について述べている。
以下に引用する法規の箇所は、家族ゲマインシャフトへの特別
な言及無しに、工房[stacio]
とソキエタースの成員について責任を負わせている:
・13世
紀のピアチェンツァ[197]のStatuta antiqua
mercatorumのc. 550:si
plures permaneant in una stacione
et unus eorum mercatum fecerit … quod quilibet ipsorum teneatur in
totum … si
fuerint socii in illa stacione.[も
し複数の人間が一つの工房の中に引き続き居住してそしてその中の一人が何かの商売をする場合...何
故ならばその中の誰であっても全体に対して責任があるからである...も
し彼らがその工房でのソキエタースの成員であったのなら。]同様の内容が1341年
のCapitula de fugitivisにも見られる。
・Statuta domus mercatorum
Veronae IIIのc. 85の
箇所、ここについてはこの論考で後にさらに扱う。
・Statuta urbis Mutinaeの1327年
改定版のl.
IIIのrubr. 22:ソキエタースの成員の責任;それについての補遺:"et
intelligantur socii quantum
ad predicta qui in eadem stacione vel negociatione morentur vel
merceantur ad
invicem” [そ
して彼らは次の限りにおいて[その]ソキエタースの成員であると解釈される。つまりその者達が前述の者と同じ工房[stacio]
または店[negociatione]に留まっているか、あるいは相互に取引がある場合である。]
・1292年
のシエーナ[198]1292年
のStatuti de’
LanajuoliのDist.
II c. 22. ・1312年
のスプリト[199]のStatuti dei Mercanti(ラスティヒによる)。
・1376年
のルッカ[200]のStatuti del Corte(ラスティヒによる)。
・アレッツォ[201]の法規(1580年
版) l.
II rubr. 42:
ソキエタースの名前で締結された契約に対するソキエタースの成
員の連帯責任。
非
独立の仲間の責任
こうした[連帯]責任は原則的にはゲマインシャフトに所属す
る[独立の]者が負うが、その場合非独立のメンバー:[独立前の]息子、[家族ではない他から来た]職人、[家族ではない]店員にもこの責任が及ぶ。
ここに述べられた後者の者達の責任の重さの程度はもちろんそれぞれで異なっている。しかしながら家族については次のような事態が発生している。つま
り、従僕やお手伝いの場合においてもまた、諸法規の傾向はむしろ、以前は独立したゲマインシャフトの仲間について、全てを制限無く等しくみなしていた
のを今度は制限するという、ある意味まったく逆の方向に向かっているのである。それ故に前述した非独立の者達は、その時々において家に属する財産を許
可無く勝手に売却する48)こ
とは禁じられていたのである。ということはつまり、より古い法原則によれば、そうした者達は以前はゲマインシャフトの主人[Chef]
を拘束するやり方で、彼らの家の仲間としての立場からの自然な帰結として彼らの権利が想定されるような家の財産を自由に処分することが出来るというこ
とについての広範囲に正当とされる権利を獲得していたのに違いないのである。従僕の立場については、この論考のフィレンツェの所で再度手短かに論じら
れる。我々にとってここで興味深いのは、これらの家における様々な非独立の働き手と本質的に同様に、家住み息子を取り扱っているということであり、そ
れは同時にローマ法と比較した上ではまさにはっきりした違いを示している。そのローマ法は半ば神話化している種族の[共有]財産[Gentilvermögen]が消滅した後は、ただ個人の財産だけを扱っているが、商取引
における増大する信用取引への要求によって、家住み息子に課せられていた責任の中身を規制する必要性を感じていたのである。しかし、他に利用出来る法
的な観点が存在しなかったため、ローマ法は家住み息子の責任についての規制の根拠として、非自由民の特別の固有財産という考え方を利用したのである。
それ故に唯一の現実的な特別財産の形成は、それは商取引における切迫した要求に応えるものであったが、actio
tributaria[202]という形で発展し、奴隷の権利に関する領域から出現したのであ
る。中世の法はこの点において、非独立の家仲間だけでなく、私法上の権利を持っている家仲間の関係をも規制する必要があるという課題に直面していた。
家住み息子達においては、先に論じたように[203]常に家住み息子達にも所有権を与えるという考え方が、明確に書
いてあった場合も曖昧に書いてあった場合もあったが、実質的に存在しており、家住み息子は他の家仲間と同様に家仲間でありそれに対して制限を加えるこ
とが出来るのはただ家長としての権力だけであり、父親の無制限のただ父親にのみ属する財産権では無かったのである。その結果として次の
疑問が生まれる:家住み息子、つまりここではその父親と一かけらのパンと一本のワインを共にして生きている息子は、どの程度まで家族に対して[連帯]
責任を負わせることが出来るか、という疑問である。それに対する答えはきわめて様々であり得るが、しかしながらそこでは根本的に家住み息子は他の者と
同様家仲間の一人であり、その家住み息子が締結した契約は他の家仲間が締結したものと同じ効力を持つことになるという考え方に依拠することは行なわれ
ていなかったのである49)。
48)
ヴェローナ[204]のStatuta domus
mercatorumのl. III c. 12.
49)
違法行為については、既に見てきたように[205]あ
る種の責任が根源的に発生している。契約が[違法行為に対する責任を]規定している限りにおいて、いくつかの法規は家族に対してそれ以上の責任を課さ
なかった。そのような法規としてはピアチェンツァのもの(c. 201 vv.
„patres“ な
ど)、Visso[Statuta
comunis Vissi]
などがある。—他
の都市のものでは、ブレシア[206]の
もの(Statuti della
Mercanziaのc. 61)、
ベルガモ[207]の
もの(Capitula de
fugitivis の1341年
版の p.203, 205 の
引用箇所)、サンジョルジョ[208]の
ものがあり、これらの法規は全てが同様に、ヴェネツィアでの兄弟間での申し立てのケースと同様に、あらかじめ決められていた責任を抗議によって覆すこ
とが出来た。いくつかの法規では、まだ父親の家に住んでいる家住み息子と契約することが禁止されていた。ボローニャの法(l. III cons.
civiの
引用箇所 72)、
モンカリエリ[209]、
ローディ[210](Statuti
vecchi c. 46)
とニッツァ[211]の
法規では、その父親と別れて住んでおらずまた商人ではない息子に対しては、義務の遂行能力というものが一般的には否認されていた。この後の条件[商人
ではないこと]は、次のことを再度明らかにしている。つまり、人が家住み息子に対してその義務遂行能力を明らかに認めるのは、ただ家族全体の[連帯]
負担とすることが想定出来た場合のみであったが、しかしまさしく商人の権利というものが信用を得るという利害関心において、古い法原理の中において採
用されていたのである。家住み息子と契約することの直接的な禁止はまた法の観点においてのみその根拠を見出すのであり、もし誰かが家住み息子と契約す
るということは、家族の財産が損害を被る可能性が想定されていた。ボローニャの法規[liber tertius
caus. civil. fol. 54 c.]
でも、息子が父親から別れたことによって初めて義務遂行能力が与えられるとしている。(ただ[父親と]別れて住んでいる者とそして商人が義務を果たす
ことを要求される、とされる。)
家
族ゲマインシャフトにおける財産分与義務
家ゲマインシャフトはその際に常に次の事を前提としていた:
「父親から離れて別に住んでいる息子[filius
seorsum a patre habitans]」は、この家ゲマインシャフトのメンバーでは無くなる、とい
うことを。ただ[息子の独立による]経済の分離の前に父親または息子によって作られた債務のみが、その分離の後でもまだ他方の[連帯]責任とされる50)。
ローマ法の侵入はこうした法的発展を後にもっぱらコモン・ロー[ius commune]
へと作り替えた。責任の制限はやはりここにおいてもより大規模な、書面で取り交わされる債務について必要とされるようになった51)。
その責任の制限については[共有の]財産は全ての成員の必要に応えるものであるという、古くからある考え方と適合していた。そこから導かれるのは、し
かしながら全ての費用、それはつまり債務も含めて全員の責任になる、ということではなかった。何故ならばここで扱われているのはもはや個々の成
員の必要ではなく、それまで予想されていなかった財務的な意義を持つ投機的な活動であったからである。しかしながら、必ずしも常にローマ
法の原則が使われたのではなかった。ここにおいて、むしろある興味深い特別な発展が見出されるのである。
50)
ピアチェンツァの法規、c.514。
51)
ヴェネツィアの法規、l. I c. 37。
ただ単に家ゲマインシャフトが無くなったという事実をもっ
て、古い法原則では家族の責任も無くなるということになっていた。しかしながら不可解に感じるのは、[息子の]責任については、その息子が継続してそ
の父親と同じ住居の中に住んでいるか、それともその外に住んでいるかということで有り無しが決められるということを理解しようとする時である。ゲマイ
ンシャフトの本質的な側面としてはよくそういう風に強調されるように、血縁関係ではなく、またある空間を共有するということでもなく、その二つがただ
経済ゲマインシャフトを結び付けているから、または結び付けている限りにおいて、そうだと言えるのである。古い形のゲマインシャフト的家計はそういっ
たものを包含していた。というのも家計はその予算の中に、今日でも小さな男の子にとってそうであるように、収入と支出の全てを包括していたからであ
る。多くの者が一かけらのパンと一本のワインを共にするということが意味するのは、古い時代においては、それぞれの者の収入と支出はそれが疑わしい場
合でもともかく共有だったのであり、というのは手工業者の経済的活動は、まずは身体的に生存し続けていくということが中心だったのであり、つまりはパ
ンとワインに関わることであり、それは生命を維持していくのに不可欠なものを示すイタリアでの常套句だったのである。製造業者は後になって、自身の家
計における支出のみの勘定を持つことになった52)。
古い時代においての家族の中の父親はこうした勘定において[支出のみでなく]借方と貸方で、自分が関係する全てのものを把握しようとしていた。それ故
に家ゲマインシャフトの廃止は、ただ生計ゲマインシャフトの廃止としてのみ法的な意義を持ち得るのである。息子が両親の家の外で父親と一緒のゲマイン
シャフトにおける計算に組み入れられる場合は、その息子は例え家の外にいても言葉の本来の意味でパンとワインを共にするソキエタースの成員のままなの
である。逆に息子がその父親の家に住んでいて、しかしゲマインシャフトとしては父親と生計を共にしていない場合には、息子は共通の家に住むという事実
にも関わらず、もはや父親とパンとワインを共にする同じソキエタースの成員ではないのである。それ故に家計の分離は生計ゲマインシャフトの分離として
理解され、父親は息子と話し合って結着を付ける必要があった。しかしここにおいてその結着の中身はどのようなものと理解すれば良いので
あろうか?諸法規は様式については多くの場合公正証書[carta
publica]を要求していた。しかしながら他にも具体的なものが要求され
ていた。父親は息子と話し合って結着を付ける際に財産を分与した。それも「正当とされる割合」[legitima
pars]で、息子が「当然受け取るべき」とされる割合を分与した。
従ってそれについての法規定が存在していたし、それも北イタリアの法規によれば明らかに、疑わしき場合でも財産の内の主要部分の全てを分与の対象にし
なければならなかった54)。
52)
その方向への発展についてはこの論考のフィレンツェの章において、ペルッツィ家とアルベルティ家の場合において注目することになる。その両家の場合に
おいては、初期の段階からまたある程度経ってからも、全ての支出において事業のためのものと家計のためのものが入り乱れて処理されていたのであり、た
だ常にそういった支出は事業における大規模な勘定の中で既に「支出」として切り分けられていたように見える。
53)ペ
トルゥス・デ・ウバルディス[212]の"De
duobus fratribus"の
序文において、自然法に反しているため、諸法規が次のことを定めようとしていることは許容できないとしている:"quod
pater teneretur pro filio nisi filius patri referat quaestum.” [父
親は息子が儲けを父親に渡さない場合を除いては息子について責任がある。]
54)
シチリア-南イタリアの法における財産分与の元々の原則は一般的な形では見出すことが出来ない。しかしながら次注を参照せよ。
ピアチェンツァの1341年
のCapitula
de fugitivis、1350年
の補遺: 父
親は息子に連帯保証の分全額[solidum]
を支払わなければならない。または、"ipsi
filio obligato assignare
partem legitimam omnium bonorum suorum … super qua quatenus
attigerit
creditor solucionem suam consequatur” [彼
自身の息子が負っている債務の分について彼の全財産の内の一定部分で法的に息子がもらう権利がある分を分け与え...債
権者はその分け与えられた分の範囲で支払いを求めることが出来る。]
ただこういった部分的な財産の移動のみが、本当の息子への財産
分与として通用し、このことは諸法規によって息子が潜在的に持っている持ち分についての権利からの論理的帰結として理解されることは明白である55)。
我々にとっても、この時代においての法学56)に
おける早くも現れているローマ法的な見解にとっても、ほとんど身の毛もよだつような原則、つまり息子はその父親が彼に独立した家計を譲渡しようとする
場合、自分の取り分を父親がまだ生存している時であっても望むことが出来たという原則については、自明のこととして、これらの同じ諸法規が――ローマ
法の流入の影響により、この原則を認めずまたこの原則を明確に排除している57)こ
とを意味している。まさにこの原則が我々に身の毛がよだつようなやり方で示そうとしてることは、我々の社会的・経済的な見解が理解して来た、家族の財
産権の確立という大きな変化を、頭から否定しようとしていることである。こうした法規定のこういう側面からの評価についてはここでは扱わない。しかし
ながらそういった法規定で述べられていることからは、次のことが間違いなく生じてきていることが確認出来る。それはそのような規則が成立し得るのはた
だ、まだ独立していない家住み息子も家の財産の一部に権利を持つ家の仲間であり、そして彼自身の契約が家族の財産に対して及ぶという見解が権利意識に
おいて優勢であるという場合のみである。同様に我々はここでまた、いわゆる"emancipatio
legis
Saxonicae"[213]の意味について、実際的な根本原理をこれまでとは異なる見地で
観察することが出来る。家計の分離の論理的帰結としての財産分与の義務は、その他にも確かにゲマインシャフトの維持に対しての強い動機付けでもあっ
た。
55)
ヴィチェンツァ[214]の
法規は、違法行為の場合には家族の責任が全ての財産の主要部分に及ぶことを承認している:1264年
のヴィチェンツァのStatuta
communisのl. III rubr. の
"quod dominus teneatur pro servo et pater pro
filio” [家
の主人は奴隷{召使い}について責任があり、父親は息子について責任がある]: つ
まり父親は責任があり "ita
quod persona patris pro virili porcione cum aliis filiis computetur” [そ
れ故に父親の人格は他の息子達とまったく同じ分だけ認められる]、モデナ[215]の
法規は家族の成員の中でのそれぞれのカテゴリーについて独特な分類方法を提示している:家住み息子で犯罪を行った者、その結果”bona ejus
devastari deberent” [彼
の財産は没収される]、その場合あるやり方で計算され分割される、つまり父親は1/2を
負担し、残った半分は息子達の間で一定の割合によって分割されることが規定されており、そのようにして調査された割合でそれぞれの財産が没収される。
父親が犯罪を行った場合には。その財産の1/2が
没収され、残りの1/2は
子供達に残される。よって父親もまたある比率に応じて権利を与えられる。シチリア島と南イタリアの法規と比較せよ。
56)カ
ルパノ[216]は
ミラノの法規への注釈書の中で、法学的に考えた場合、遺産を与える者がまだ生存している時に[息子の]権利が既に有効になるということは不可解である
と説明している。
57)
パドヴァ[217]の12・13世
紀の法規:父親は息子に対してはただ扶養する義務があるが、財産の一部を与える義務は無い、しかしながらただ
"nisi justum videbitur potestati vel rectori
de parte
arbitrio ejus dando” [父
親が息子に一部の財産を与えることについての裁定が権力者または支配者によって正当であると見なされない限りにおいて]。マッサ[218]の
法規も同様のことを定めている。最も決定的な表現は1502年
のミラノの法規に現れている:fol. 150: Si
pater filium emancipaverit, partem debitam jure naturae
bonorum suorum assignare
compellatur. [も
し父親が息子を一人前として独立させる時には、自然法により、父親の財産の中から息子の取り分を分け与えることが強制される。]ここに
おいてもまた息子達だけが、ここに記述されたようなやり方で取上げられている。
1264年
のヴィチェンツァのStatuta
Communisのlib. IIIの
見出し:"quod
dominus teneatur pro servo
et pater pro filio” [家
の主人は奴隷[=召
使い]に対する責任を持ち、そして父親は息子に対して責任を持つということ]はさらに次のことを示している。つまり、家の使用人はその主人に対して自
分達についての責任を負わせることを正当化する点で、家住み息子と同位置に置かれているということと、このことはしかしローマ法学を取り入れたという
ようなことではなく、Institrat[219]または「推定代理権」であり。それは家族及び代理人において法
的に誰かに義務を負わせることが出来る権利と今日で言うところの「業務代理人」と「使用人頭」である、ということを示している。
個
人債務とゲマインシャフトの債務
これまで述べて来たこと以外に、我々はこの独特なAusschichtung[220]の義務の制度について、――これによって我々は前述した問いに
また戻るのであるが:ゲマインシャフトの成員の債務に対するゲマインシャフトの責任の制限の問題が諸法規によってどのように解決されたのか?――[そ
の問いに対しては]次のような様々な場合が存在していることを見て取ることが出来る。つまり、そこにおいてはこうした制度は事実上次のようなやり方で
行われている58)。
それはただ一人の成員への割り当て分が、それは先に家族ゲマインシャフトのソキエタース的性格について見出したことを考慮に入れてそういう風に言うこ
とが出来るのであるが、つまりその成員の出資分が、つまり[投下]資本が、それをその成員はゲマインシャフトに投資した訳だが、その出
資総額の範囲内においてのみ債権者に対する担保として使用出来るということである。それ故にここでは父親の財産における家住み息子への分与分、この分
与分のみが家住み息子の債務の担保となるのである。しかし他方では、この種の[有限責任の]規則が我々がこれまで論じて来たようなゲマインシャフト全
般に適用されるのでは必ずしもないことは、我々が既に見てきた通りである。無限責任の考え方は、それは当初の論理的帰結であったが、それは後の時代に
なっても保持され、そして我々は既にそれより先に進んだ[ゲマインシャフトの]形態も確認して来たが、商法が確立される時代になっても
その原則は保持されたのである。我々はそうした歴史的経過に適合したこととして以下のものを認容する。つまり、古い時代からの[無限]責任の原理がま
さしくゲマインシャフトとその債務の扱いについて存続したのであり、その債務というものは商法の範疇に入るような商取引の遂行に関連していたのであ
る。これをもって我々は業務上の債権者と個人的な債権者に釣り合わせることが出来る重要な対象物を見出すのである。債務全体の中で、ゲマインシャフト
とその全ての成員が責任を持つ債務と、ある一人の契約を締結した成員の、その成員の本来の取り分にだけの責任となる債務との境界は、後者においての経
過の中では、その成員は自分の持ち分をゲマインシャフトから取り出して「新たな層を形成」[Ausschichtung]しているのだが、また我々がこの二つの場合をある成員の債務
の可能となる法的帰結として確認した後において、一体どこに線を引けばいいのであろうか?
58)
上述の注11を
参照。
家
族以外での連帯責任。共通のstacio[工房、店]
家のゲマインシャフトを基礎とする連帯責任の原則が及ぶ範囲
が必ずしも家族である成員に限定されていなかったということを先に列挙した諸法規は示しており、それらの中の一部はそういう限定を設けていなかった
し、また別の一部は一かけらのパンと一本のワインを共にする者達を家族である成員に依然並置していた。家族の外で家のゲマインシャフトを手工業の領域
で見出してみようとする試みについては既に述べて来た。しかしながら手工業から始まって、それは国際的な意義を持つ産業へと成長し、手工業者の住居、
それはその者の工房でもあり販売のための店舗でもあったが、その住居が占めてた場所に後には広大な大工場的な経営が登場して来るのである。そのような
[大規模の工場]経営においてはしかしながら、職人仲間の家ゲマインシャフトはもはやまったくもって通常のことではあり得なくなっていた。いわんや経
営ゲマインシャフトを特徴付けるような目印となっていることもあり得なかった。こうした方向への変化というものは、小手工業の場合がそうであったよう
な、自然な形での住居と工房と販売のための店の兼用がもはやされなくなった時に、既に始まっていた。botteghe[店、工房]、staciones[工
房、店]、tabernae[{小規模の}店、飲食店、酒場]は都市の街区の中で建物を賃
借して営まれていたし、共通の家のゲマインシャフトはいつも同じbottega[=botteghe]の中での共通の仕事と規則的に一緒になっているということは
まったく無くなっていたし、仲間[Konsorten、古いイタリア語で同輩・仲間]はそれぞれ異なるbotthegheの中で異なる仕事に従事しているということもあった。いまや実
際的な連帯責任の利害関心は業務上の債務を可能にする信用に集中していたので、それ故そのような別れた場所での業務の場合には、共通のstacioは経
営ゲマインシャフトの根幹であり、また連帯責任のための統合された基礎でもあったが、商取引のためにもはや利用することが出来ない家計ゲ
マインシャフトの要素は、副次的なものとして背景に退かなければならなかった。それに適合して我々は共通のstacioを
先に引用した諸法規の箇所において既に家ゲマインシャフトに並置される自立的な責任の基礎として位置付けて来た。そこで引用されていたベルガモの
Statuti del paratico の箇所は、既にstacioの
抽象的な意味を「業務」と把握していた。
個
人債務と業務上債務
まずはしかしながらいわばゲマインシャフトという建物を支え
る「支柱」59)と
でも言うべきものは、具体的な作業場であったり、また[露店レベルの]小さな店であった。そこから導かれることとして、債務の作用の及ぶ所が、契約の
当事者を超えて、stacio[工
房、店]の経営の中に包含されている者にも及ぶようになり、そういった経営に関する契約としては:"sopre
aquelle cose … sopre le
quali seranno compagni” [そ
ういった事柄を超えて...そ
ういった事柄を超えて彼らは仲間となるであろう]という規定をシエーナ[221]のlanajuoli[英
訳によれば羊毛を扱う商人]の法規の該当箇所が述べている。こういった考え方、つまり連帯責任は、共通の職業による経営の中において、我々の言い方で
はソキエタースとしての会計としてひとかたまりと見なすことが出来るような業務に対してのみ適用されるべきということは、そうした[ソキエタースの中
の]人間関係から見れば明白であり、しかしながら原理的に特別に重要なことであった。そうした考え方が明白であった理由は、それがソキエタースの内部
を連結することの単純な帰結であり、その結果として共通のstacio[工
房、店]の形成につながったからである。二人のソキエタースの仲間がいたとして、その二人がゲゼルシャフトとしての業務の遂行の外側で、お互いに財産
権的な関係はなく、そうでありながら家計における債務等について相互に責任を持ち合うということは意味を成さないと言えるであろう。また家族の家ゲマ
インシャフトにとって次の方向への発展も見出すことが出来る。即ち、ただ共通の家計の利害に沿う形で作られた債務が、ゲマインシャフト[全体として
の]の責任という論理的帰結を作り出すという発展である。それから家ゲマインシャフトからの業務ゲマインシャフトの解放と同じくらいに古くからあるの
は、ただ共通の業務のみに関係する債務が直ちに全ての全てのソキエタースの成員に関係してくるという考え方である。ピアチェンツァの古い商人の法[Statuta
antiqua mercatorum Placentiae]のc. 550と
その1325年
の改定版[Reformacio]のc. 6は
その考え方に従って同じstacio[工
房、店]に属するソキエタースの成員の責任を、そのソキエタースの成員の一人である一人の[共通の業務として対外的に取引する]商人によって作られた
債務についてのみに及ぶと規定している。ヴェローナ[222]のStatuta domus mercatorumの l. III c. 85も
同様の原則を定めている。ローディ[223]とアレッツォ[224]の法規については、すぐこの後で扱う。
フィレンツェの法規を除いて、その法規については特別に後で
取上げることになるが、諸法規においてこの重要な[連帯責任という]関係については、どちらかといえば貧弱な内容となっている。引用したそれぞれの法
規においての表現の仕方を見る限りでは、その当時そういった内容の規定は自明のことと考えられていたという結論になるほどなるかもしれない。しかしが
ら次第に程度を増し重要になっていた問題:
1.ソキエタースの内部の債権者、つまり業務の執行における契約
にて発生した債務への、[ソキエタースの内部でその事業に投資した]債権者の[ソキエタースの外部の]個人への債権者に対する関係の問題
2.[ソキエタースの外部の]個人への債権者の[ソキエタース
の]業務上の財産に対する問題
これらの問題に対するより詳しい説明は、フィレンツェの法規を
除いては各都市の法規の史料には直接的には含まれていない。
59)いくつかの法規は、ソキエタースからある成員が脱退した場
合、その者は[自分の]bottega[店、工房]を他のソキエタースの成員に任せなければならない
と定めている。より詳しくは1271年の版のモデナの法規に対するカンポリ[225]による序文に引用されている文献原本を参照せよ。ピサの1321年の
Breve dei Consoli della Corte dei
mercatanti はc. 80にて以下を定めている:"… se
alcuno mercatante …
comperasse alcuna cosa u merce u avere alcuno et de la parte di quali
merce
intra loro u differenzia d’avere fosse … non patrò … di quelle avere …
dare
oltre una parte, non dividendo quella parte per lo numero dei
mercatanti et
persone ma per numero de le botteghe” [...も
しある商人が...何かの物または商品を買ったか、あるいは何かの彼らの間で共有
されているそれらの商品の一部を所有した場合、あるいは違う物を所有した場合...その者は...そ
の持っている物から...そ
の一部の商品ないし違う物を超えて与えることが出来ない、その所有している部分を商人または成員の数で分けることは行わず、bottegaの数によって分ける。]従って[あるソキエタースの成員がその
ソキエタースから脱退しようとする時]脱退者の持ち分については残った成員の頭数で分けられるのではなく、bottegaの数で分けられるのであり、ここで権利を与えられているのは
個々の成員ではなく、それぞれの業務である。
60)1390年
のローディの法規(rubr. 244)
によれば、家住み息子の契約が有効になるのは、ただその契約が父親の家の業務において締結された場合だけである。ただそういう業務だけがつまり家に対
して責任を負わせるのである。
ゲ
ゼルシャフトにおける特別財産
上記の2番
目の問題は、ゲマインシャフトの財産の位置付けにとっては決定的な意味を持っている。「業務」は[ソキエタースの外部の]個人に対する債務者に対して
どういう位置付けになり、またそれはゲゼルシャフトの成員[社員]に対してどういう位置付けになるのか?一般的にこのような「業務」[Geschäft]という語において理解されることとして見出し得るのは、何ら
かの形で創り出されたものの痕跡であり、それは我々が今日における合名会社の財産について創り出されたものの痕跡として確認すべきもの、つまりゲゼル
シャフトの「特別財産」であろうか?
ソキエタースの内部への人間関係、またソキエタースの成員間の人間関係に影響することは、既にランゴバルド法において家族コミューンに対して無制限の
共有についてのかなりの程度の制限が存在していたということである。ランゴバルド法での該当の条文は、イタリアの諸都市の法規の中で部分的な単語レベ
ルの類似をもって繰り返されている:
・1216年
のミラノの法規、rubr.
XIV.:fratres, inter quos est
quoddam jus
societatis, quicquid in communi domo vivendo acquisierint, inter eos
commune
erit.[兄弟達で、彼らの間において何らかの法的なソキエタース関係
にある場合、何物であれ、その共通の家に住んでいる者が何かを獲得した場合、それはその兄弟の間で共有される。]
・1502年
のミラノの法規(1502年
にミラノで印刷されたもの)fol. 150:Item
fratres quoque, inter quos est
quoddam jus societatis, illud obtineant ut quicquid etc … que non
habeant locum
in quesitis ex successione … nec etiam occasione donationis … vel
dotis … et
intelligantur fratres stare in communi habitatione etiam si contingat
aliquem
ex pred[ictis] fratribus se absentare ex causa concernenti communem
rem …[同様にまた兄弟達で、彼らの間で何らかの法的なソキエタース
関係がある場合で、それ、または何か、等々を維持する場合で、そして遺産継承者から得たもの、または何かの機会の贈り物または嫁資{持参金}から得た
もの、そういうものの一部を受け取っていない場合、その時は兄弟達はあたかも一緒の住居に住んでいると理解される。それは前述の兄弟達の中の一人が共
通の財産に関することが理由で家を去ることがあったとしてもである。]
・マッサの法規(1532年
印刷) l. III c. 77:Si fratres paternam
hereditatem indivisam
retinuerunt et simul in eadem habitatione Vet mensa vitam duxerint,
quicquid ex
laboribus, industria, aut ipsorum, vel alicujus negociatione
vel ex ipsa
hereditate .. , vel aliunde, ex emtione venditione, locatione vel
contr.
emphyteotico acquisitum fuerit, totum debeat esse commune .. quamvis
frater acquirens nomine proprio contraxisset … ita ut non
conferatur acquisita ejus deducto aere alieno. idem quoque servetur in
aliis
debitis quomodocunque contractis si pervenerint in utilitatem
communis,
et non aliter … [も
し兄弟達が父親からの遺産を分割せずに保持する場合、そして同時に同じ住居に住んで同じテーブルで食事を取る場合で、何であっても将来彼らが獲得する
もの、あるいは労働、作業から、または自分または誰かの仕事から、または自分の相続したものから...ま
たは別のものから、例えば売上の送金から、または貸家または永小作権の契約による収入から、全てのものは共同所有となる...し
かしながらある兄弟の一人が自分の名前で契約して獲得したもの...そ
れ故に彼が獲得したものは彼の債務と相殺した後に共有財産とは一緒にされないように維持する。また同じく[共有の]原則が他の債務や契
約についても、もしそれが共通の財産に関係する場合は保持される。もうそうでない場合については...]
この後に先に引用した仮定的な委任に基づく連帯責任についての記述が続いている。
・ローディのStatuti vecchiの c. 16:
Consuetudo est, quod fratres et patrui et alii qui nunquam se
diviserunt simul
habitantes vel stantes quicquid acquirent, acquiritur in communi …
Ausnahme:
legatum, hereditas, donatio, similia … et debitum quod fecerint sit
commune. Et
ita quod ex eo debito fratres inter se pro partibus contingentibus
ipso jure
habeant actionem ad debitum solvendum nisi sit debitum fidejussoris
vel
maleficii vel alterius sui proprii negotii.[次のことは慣習となっている。即ち兄弟達と父方の伯父[叔
父]達とその他の者で自分達の財産を一度も分割したことが無く、また一緒に住むか滞在している場合には、何であれ将来獲得するものは共有のものとして
獲得される...例
外:遺産、継承したもの、贈与されたもの、その他同様のもの...そ
れから債務について[将来]発生するものは[同じく]共有とされる。そしてそれ故に、その債務の中から兄弟達は彼ら自身の間で、それぞれの分担分に応
じてその債務の発生分について、法律上[ipso
jure]その債務について支払いを行う。但しその債務が保証人のもの
だったり、または犯罪によるものだったり、誰かのその人自身の業務による債務である場合を除く。]
・モデナの法規、1327年
に改定されたもの、 l. III rubr.
22: Si aliquis mercator vel aliquis de aliqua artium dederit aliquid
in
credentia licet ille qui dederit sit absens, socii tamen possint
petere si
debitor negaverit et si confiteatur rem emisse a socio absenti … alii
non
possint petere et id in quo socius est obligatus pro societate eo
absente et
alii solvere teneantur si confiteantur vel probatur contractum factum
esse pro societate
… et intelligantur socii —[も
しある商人または何かを取り扱う者が何かを信用取引で売った場合、その場合にその売った人間が仮に[その後]不在となっても問題は無く、それにも関わ
らず[その販売者と同じ]ソキエタースの成員達はもし債務者がその債務を否定しようとする場合でも、またはその売った物が[現在]不在であるそのソキ
エタースの成員から送られた場合でもその代金を請求することが出来る...そ
のソキエタースの成員は代金の請求を出来ないかもしれない。そしてその不在のソキエタースの成員がソキエタースの名前で負っている債務については、も
し他の成員がその契約がソキエタース全体のために成されたことを認めたか確かめた場合には、そのソキエタースの他の成員はその債務につ
いて支払う責任がある...そ
してソキエタースの成員達とは次のように理解され――この後に先に引用したソキエタース成員達の家仲間としての定義が続いている。
これまで引用してきた諸法規の中に、ある確かな発展段階が存在
する。ミラノの法規は明確にランゴバルド法に依拠している。特別に記載された例外的な収入[lucra]
を例外として、他の全てはゲマインシャフトの勘定に入る。マッサの法規では逆にゲマインシャフトに入る収入の方を主として記述されている。そこで想定
されているのは、共通の相続財産からの収入以外の、ゲマインシャフトの[共通の]負担となるような業務からの所得である。その際に重要なのは、"quamvis
… nomine proprio
contraxisset” [し
かしながら...自
分自身の名前で契約した]と記載されている章(r.)
においてはほぼいつも次のことが前提とされていることで、つまりソキエタースの成員が締結した契約は、それがゲマインシャフトに関係する場合は、同時
にゲマインシャフトの名前でも締結されたと見なされることである。ソキエタースの成員間の関係においては、このことはマッサの法規によ
れば成員間で平等に適用される。しかしまさにその同じ法文の中にほのめかされている前提を見出すことが可能であろう。それはつまり、受動的な面に注目
して見た場合、このことは[ソキエタースの外部の]第三者との関係においては異なっているのではないかということである。この推測は引用済みのモデナ
の法規の箇所によってよりはっきりと根拠付けられる。ある一人のソキエタースの成員によって「ソキエタースの名前で」[pro
societate]締結された契約が、明らかに能動的かつ受動的に、あるやり方
でゲマインシャフトに関係づけられることになるが、そのやり方とは各ソキエタースの成員はその契約に関する訴訟において、その「ソキエタースの名前
で」というのを一種の言い訳として[ad
causam]自身を正当化することが出来るということである。こうした直
接的な効果をマッサの法規の該当箇所もまた強調している:ゲマインシャフトはローマ法的な形で成立するのではなく、それ故に純粋な売上
だけがゲマインシャフトに支払われるかもしれないだけではなく、同時に発生した責任が直接的に能動的かつ受動的な形でゲマインシャフトの負うところに
なるのである。このことをもっともはっきりと表現しているのは、先に引用したアレッツォの法規である:
c. 42: Quilibet socius
alicujus negociationis
mercantiae seu artis in qua … socios habeat, et contraxerit
obligationem,
dominium, possessio et actio ipso jure et etiam directa queratur
alteri socio …
Zahlung an einen befreit auch gegenüber den anderen, .. et
insuper
quilibet socius etiam in solidum teneatur ex obligatione vel contractu
pro
altero ex sociis celebrato pro dicta societate vel conversis in ea,
et
d[ictorum] sociorum bona … intelligantur obligata …
[c.42:
あるソキエタースのある成員が、商人の仕事または何か別の取引でその中で...ソ
キエタースの成員達に関わる場合で、そして何かの債務、所有権、所有そのもの、または法律上で認められている行動について契約を締結した場合、そして
その契約について別のソキエタースの成員から苦情を受ける場合、...あ
る一人のソキエタースの成員への支払いは他の成員に支払ったことと等価だと見なされる...そ
れに加えてソキエタースの成員の誰かだけではなく、またソキエタースの成員全体で次のことへの責任を負うことになる。即ち債務からのもの、ソキエター
スの別の成員の名前でソキエタース全体に及ぶ契約からのもの、当該のソキエタースの名前で執り行われたもの、そして前述したソキエター
スの財産についてのもの、これら全てについてソキエタースの全体に責任があると解釈される...]
それ故に実質的にまたは形式的に「ゲゼルシャフトの」勘定の中
に入れられる業務は、ゲゼルシャフトの成員間の関係において、そしてモデナやアレッツォの法規で見て来たように、また外部に対しても特別な法的効果を
持つのであり、その法的効果はまさにソキエタースのある成員の業務ではなく、「ソキエタースそのものの」業務として通用するという点において成立する
のである。我々がここで第1章
にて論じた合名会社の特別財産のことを振り返ってみると、この「ゲゼルシャフト」の権利と義務と個々の成員のそれとの区別こそが特別財産形成への本質
的な契機の全てとなっていることを見出すことが出来る。もし、我々が既に見て来たように、既にソキエタース・マリスの関係の中に次のことへの明確なな
萌芽が存在したとしたら、つまりソキエタースの基金を独立のものとすることと、また第三者との関係においてその基金を考慮することへの萌芽であるが、
その場合にはそういったソキエタースにおいては、まさしく第三者に対する関係から[ソキエタースの共通基金の独立化が]出現したのであるが、それは非
常に先進的な事例であったに違いない。ソキエタースの財産の一部で、それに対する[モデナの法規参照]個々のソキエタースの成員の請求権が、「ソキエ
タースの名前で」[締結された債務契約]に起因する[強制]処分に対して劣位に置かれるという性質のものが存在する。またあるソキエタースの成員の債
務で、そのために、既に見て来たように、強制執行が直接にゲマインシャフトに対して行われるものが存在する。それではゲマインシャフトがそのような
[連帯責任の形での]責任を負わない債務についての債権者の位置付け、つまり「個人への債務」の位置付けはどのようなものになるのであ
ろうか?ローディ、モデナ、そしてアレッツォの法規について、ソキエタースの名前で契約した債務がソキエタースの成員達の連帯責任という結果に終わる
ということと、他の債務がそういう結果に終わらなかったということの相関関係が確かに存在し得たのである。しかしながら文献史料は今度
は、先に見て来たように、次の二つの問題を区別していない。一つはソキエタースの成員の個人としての責任の問題であり、もう一つはそれとは本来異なっ
ている[ソキエタースの]共通財産について債権者が差し押さえをすることが出来るかという問題である。我々はそこから次のことを仮説として提示する:
個人への債権者であり、かつゲゼルシャフトの財産には関与していない者が、そのゲマインシャフトの財産を直接差し押さえることが出来る
ということである。しかしもしそうであれば、次のことは想定可能であろうか?:その個人への債権者がゲゼルシャフトの財産について本来まったく何の権
利も持っていなかったということが。その答えは「[権利を持つことは]非常に困難」である:我々は既に次のことを確認して来た。つまり家住み息子の債
務のために、ゲマインシャフトがそれを負担するということは無効であり、そうではなくてその債務はその家住み息子が一人で負担するのであり、――不法
行為による債務の場合はとりわけそうであるが――債権者はその家住み息子が[元の家族]ゲマインシャフトから独立して別のゲマインシャフトを作ること
を要求することが出来、その新しいゲマインシャフトに与えられる財産は、その債務者[家住み息子]の元のゲマインシャフトの共通の財産の中の彼の取り
分と同額なのである。諸法規での規定ではしかし逆に、そういった種類の債務ではなく、ゲマインシャフト全体としての負担に結果としてなるような債務を
扱っており、特にそれは商取引上の債務であり、家住み息子のゲマインシャフトからの独立について規定しているのではなく、上記で列挙したように、父
親、息子達、兄弟達等々にその債務について連帯して責任を負わせている。ここから次のような区別が生じる:1.
ゲマインシャフト債務;この債務はゲマインシャフトの成員の財産全体の負担となり、またそれぞれの個人財産においても負担ともなる。2.
個人債務;これについてはあるゲマインシャフトから別れて新しいゲマインシャフトを作る権利と義務を両方含んでいる。これがもし家族ゲマインシャフト
においてであった場合には、我々はその根拠として次の事を仮定出来る。つまり同様の分割が他の別のゲマインシャフトについても発生するであろうという
ことが。それにも関わらず、フィレンツェの法規を除いて他の諸法規はこの区別については何も言及していない、――フィレンツェの法規についてはしかし
ながら後で再度特別に論じることとする[226]。
61)
ランゴバルド法への依拠は特に次のことを示している。—"quaesita
ex successione” [相
続からの収入]という観点で見て、古代の法では問題とされなかったものであるが—特
別の勘定に入れるべき様々な収入[lucra]
(上記参照)の内容を確かめておくべきということである。ランゴバルド法における妻の財産と[契約の]手付け金のように、バルドゥスに
よって編集されこの論考の注8に
おいて引用した箇所において、ゲマインシャフトにおけるdos[古
代ローマでの嫁資]がその特別な勘定という問題に関して、非常に重要である。
経
営ゲゼルシャフトと商事会社
以上論じて来たように、次のことを確認して来た:ある債務で
一人のソキエタースの成員が実質的または形式的にソキエタースの勘定に入れるべきものとして、またソキエタースの名前で契約するものは、ソキエタース
の財産とソキエタースの個々の成員それぞれに責任を負わせる。その際に思い出さないといけないのは、我々がここで「ソキエタース」や「ソキエタースの
業務において」や「その[ソキエタースの]勘定に」入れられる債務の契約を話題にする場合には、必ずしもいつも純粋に商法の領域だけに
おいて議論を展開しているのではないということである。
我々はなるほどもはや家計ゲマインシャフトの領域に留まって
いるのではないが、次のことを確認して来た。つまり経営ゲマインシャフトまたは業務ゲマインシャフト(stacio、bottega)は家計ゲマインシャフトを同列のものと見なしていたし、部分
的に、――各都市の諸法規のそれぞれの発展段階によって――家計ゲマインシャフトを継承したのである。このゲマインシャフトに基づく責任については、
ただ商業経営に従事した者達だけではなく、作業場で労働した者達、つまり手工業的な業務に従事していた者達にも関係しているのであり、
さらには独立している者と非独立の者の両方に関係している。後の時代の独立した仲間への制限はブレシアの
Statuten der Mercanzia の引用済みの箇所[c.91~107]
において見出すことが出来る。ゲマインシャフトの発展は、しかしそれにも関わらずまた次の方向に向かって進行している。それは業務としての労働、手作
業から出現した連帯責任の原理が、商業においてもっとも顕著な意義を獲得したということである。その連帯責任の原理はいまや本来の業務
的な領域を離れ始めて、業務仲間についてはただ商業の領域にて活動する者、つまり商事会社の社員がその連帯責任の原則を基礎に置き始めたのである。こ
ういった発展は、私見であるがヴェローナの
Statuta domus mercatorum で記述されていることなのである:
l. III c. 85. Item
ordinamus, quod quilibet
mercator istius civitatis possit habere societatem cum alio de Verona
simul et
ad invicem, quamvis non essent de uno et eodem misterio. Et
quod illi,
qui reperirentur esse socii palam teneantur unus pro alio de illo
debito et
mercanderia vel de misterio quam et quod fecerint stando simul et
permanendoin
societate: Quod autem praejudicare non debeat alicui mercatori vel de
misterio
qui non esset socius palam et non steterit simul in societate et
stacione: nec
praejudicet etiam stando in stacione et essendo socius palam: dummodo
non esset
praesens, cum socio, ad accipiendam mercanderiam et non promitteret de
solvendo
eam.
[l. III c. 85.
同様に我々は次のことを規定する。つまりその都市のどの商人であってもヴェローナの別の人間とソキエタースを結成することが出来るということを。し
かしながらその逆も同様だが、その二人は一つの同じ職業ではないと見なされる。そして公的にソキエタース関係にあると見出
された者達は、一人は他の者のためにその債務と商品とについて、または彼らが一緒に居て同じソキエタースの中に留まった間に従事した職業について、責
任を負う:しかしながらこのことは次の様に最初から解釈されてはならない。つまり誰であっても、商人であってもある職業に従事する者であっても、公的
には[元々同じ]ソキエタースの仲間ではないし、そして[一緒のソキエタースを結成する前に]ソキエタースまたは工房・店の中に一緒に留まっていた訳
でもない:さらにはまた次のような者も同じ公的なソキエタースと工房・店に居たと判断されるべきではない。それは、その者が他のソキエタースの仲間と
は一緒に居なかったり、商品を受け取ることになっていなかったり、またはその商品について代金を支払うことを約束しない場合である。]
それ故にsocii[ソ
キエタースの成員達]というのは商法においてはただ次のことを意味する:
1.「palam」
[公開された形で、公式に]でそして「同じstacione[工房・店]で」ある業務をsociiと
して営んでいる者達で、その際に参加者[単なる出資だけを行う者]と個人としてではなく[ソキエタースの]経営に関与する者は除外される。
2.1.
の者達の中で、しかしながらただ業務の商業的な面において、業務上の対外的活動を行う者達のみ:このことを先ほど引用した法規[ヴェローナのStatuta
domus mercatorum]の最後の文は言いたいのである62)。
この2)
によって生産を行うための作業場にて手工業的な業務だけに従事する者達は除外される。"Idem
misterium” [同じ職業]は、法規の該当箇所が述べているように無関係であ
り、古い時代に必須であった"eandem
artem exercere” [同じ種類の職業]条件は取り除かれている。連帯責任の原理
は、その元々の成立の土台としていたものから切り離され、結局のところ手工業における共通の経営から商業の共通の経営へと移し替えられ
たのである。
62)
次のように考えてはいけない。つまり双方が存在し[一緒に]契約するのだと。というのはそこで意味されていることは、ただ「一人が他方
のために」責任を負わなければならない、ということだからである。そうではなくてここではピサのConstitutum
Ususが"communiter vivere” [一
緒に暮している者]の定義としていることと同じことが想定されている。それは"si
contractus et similia communiter fecerint” [も
し彼らが契約していて、一緒に同じような業務に従事する]ということであり、そこでも一緒に契約するということは想定されておらず、そ
れについては法規のもっと先の箇所で明確に示されている。(ピサの例を参照)
合
名会社とソキエタース契約の目印。商号。
以上のことから、しかしまたようやく次の疑問への答えについ
て:つまり上記で定義した意味でのソキエタースの成員がある契約を取り結ぶ時、それはソキエタースの業務として取り扱われるのか?という疑問に対して
の最終的な答が与えられているのである。ソキエタース関係を協定する対象物が共通のbottega[店]
やstacio[工房]である限りにおいて、連帯責任を負うソキエタースの成
員についても、またその成員が取り結んだ契約で、それはソキエタースの契約として認められていたが、その契約についても直ちにそれらを識別するための
目印が与えられているのである:つまり共通の店において契約することである。しかしながら大規模な商取引においてそれは実際の店舗とは関係の無いもの
になっていた。アレッツォの法規(既に引用した箇所)はそのことからsociiの
定義を単に:
“… et intelligantur
socii, qui invicem pro talibus
se tractant et publice pro sociis habentur … “ [ソ
キエタースの成員とは次のように理解される。つまり自分自身を相互にそのように取り扱い、そして公的に他のソキエタースの成員との関係を保持している
者達として。]
そしてヴェローナのStatuta domus mercatorumは引用した箇所でsociiに
ついて"palam”
[公開された、公的な]と表現している。ソキエ
タースの業務としてそれ相応の法的な扱いを受ける業務についての目印として、アレッツォの法規は次のように規定している:"pro
dicta societate celebrata” [当該のソキエタースの名前で執行された]業務であるとし、さ
らに次のように定めている:
„et si quis contraxerit
nomine alterius
praesumatur pecunia fuisse illius cujus nomine contractum fuerit” [もし誰かが他の成員の名前で契約を取り結んだ
場合、その契約で言及されている金銭については、その名前で契約が行われたその成員のものとなると見なされる][この後に先に引用した箇所が続く]。
同様にモデナの法規は当該の業務が"pro
societate” [ソキエタースの名前で]執行されたかどうかということを判定
している。それ故にソキエタースの名前において締結された契約はソキエタースの責任となる。ここにおいてつまり共通のtaberna[店]
が以前は使われていた位置に、今度はゲマインシャフトの共通の名前というものが登場して来るのである。次のことは明白である、つまりこの目印が誰がソ
キエタースの成員の資格を持っているのかということを判定する問題にも利用可能であるということである。そしてまさにそれは実際に利用されたのであ
る。taberna、
つまり小規模の経営を進めるための業務を行う店の前に、盾のような板にその店の所有者の名前が書かれたもの[看板]が掲げられ、一般的な意味での第三
者の契約者はその名前がその板の上に書かれている者(cujus
nomen „expenditur“)[その者の名前が{重要な情報として}載っている]が我々の
言う意味でのsociiの
一人であることを確かめることが出来る。ここにおいて大規模な取引が商号[Firma]
を用いて行われるということが発生したのであるが、言ってみればこの商号は仮想的な看板である。ただソキエタースの名前で締結された契約[に関わるこ
と]のみがソキエタースの業務であるように、ただ個人的に責任を負うソキエタースの成員である者、その者の名前で契約が締結されるが、
その者の名前は商号の中に記載されて[含まれて]いるのである。(このことはまた後の時代のRota
Genuensisと1588/89年
のジェノヴァの法規{この論考の結論を参照}での諸決定においての"cujus
nomen expenditur” [その者の名前が{重要な情報として}載っている]の実質的な
意味となっている。)より正確に言えば、今挙げた二つ[看板と商号]についてさらに別の基準が存在する:それはソキエタースの成員としての資格を明確
にするための公的な登記簿への登記である(登記は既に13世
紀からイタリアの数多くのコムーネ{イタリアの地方自治体}で制度化されていた)、――ソキエタースの借金としての債務の存在を明確にするためにはソ
キエタースの帳簿への記帳が行われた。公的な登記簿への登記に関しては、次のことは実証されていない。つまりそれが個々の商号の所有者を公衆に明示す
る63)と
いう目的に本当に貢献したのかどうかということである。しかしながら登記が後の時代になって、ある人が現存する業務を執り行っているソキエタースの成
員であることを調べるのに使われたということに関しては疑いの余地が無い64)。
ゲゼルシャフトの帳簿への記帳に関しては、それはもちろん確実な目印であり、それだけで証明手段としての性質を持っている:ソキエタースの債務がソキ
エタースの帳簿に記帳されていない場合には、その債務は債権者に返済しなくても良かった65)。
しかしながら何よりもソキエタースの勘定上の債務として公的な登記簿に登録すること[227]はその債務がトラクタートル[Kommanditisten]66)自
身の債務であるのと同時にソキエタースの基金についての債務でもあることを登録するのであり、ソキエタース・マリス67)の
契約においてはこの登記が前提条件となっていた。これに対して共通の名前の下にある共通に執行された業務に起因する債務について契約を締結する者は、
そこで前提条件となるのはただ、合名会社の場合においてのみ、契約を締結しようとするソキエタースの成員は、まるで自分自身が契約するのと同様に扱わ
れ、それ故にここではその業務と個々の契約を、その者の名前のみにて進めることが可能である。「ソキエタースの名前で」契約することは、「商号」が独
立した存在となることに成功し始めた時に、"usato
nome delle compagnia”68)[コムパーニャ{会社}の名前を使った]契約となり、さらには
ソキエタースの商号の下での契約行為になり、その商号はもはやソキエタースの成員[社員]全員の名前を含んでいる69)必要は無くなっていた70)。
63)ラ
スティヒの見解[ここまでに何度も引用した論文の中の]、つまり大学への学籍登録が裁判権の確立に寄与したのではないかという仮説につい
ては、それを裏付けるような相当数の明白な印刷された文献史料が挙げられていない。
64)
この後のフィレンツェに関する論述の中の注5(全
集版テキストでは注12)
に引用された1303年
の記述を参照せよ。
65)
この後のフィレンツェに関する論述を参照せよ。
66)ア
ンサルドゥス・デ・アンサルディスのDiscursus
legales de commercioのDisc. 51を
参照せよ。登記ではトラクタートル[Kommanditisten]
は一般の単なる出資者から区別されている。67)
第2章
を参照せよ。
67)
前章の記述と比較せよ。
68)
後述のフィレンツェに関する論述とそのフィレンツェの法規自身が引用している1509年
のボローニャのStatuti della
honoranda università de mercatantiのfol. 67を
参照せよ。
69)
しかしながら同様のことは既により古い時代にもあった。特に家族ソキエタースの場合ではただ、しばしば世間で良く知られた家の名前だけを挙げることが
行われた:ブション[228]の1843年
にパリで出版されたNouvelles
recherches sur la Principauté française de Moréeの
中で引用されているシチリアのロベルト王[229]の
史料の中に出て来るsocietas
Aczarellorum de Florentina [di Acciajuoli]
など。
70)
誤解を避けるため、次のことをさらに特別に強調しておいた方が良いであろう。つまり上記における商号という制度の発展はどんな場合でも完全なものであ
るかのように記述されるべきではない、ということである。中世における[会社の]代表権の原則の発展を取上げること無しに、ゲゼルシャフトの商号の法
制史的な原則――会社法の歴史の中で疑い無く重要な点であるが――を完全に記述することは出来ない。我々の研究のためには次の事実から出発すれば十分
である。つまり商号がゲマインシャフト的な店舗においても上記のテキストで述べられているような関係で引き継がれているという事実である。
ゲ
ゼルシャフトの契約についての文献史料[230]
以上述べて来たことに適合する形で、当時の合名会社という関
係は対外的には文献史料の中では次のように記述されている。つまりトラクタートルがそのソキエタースの契約の中ではソキエタース・マリスにおいて何一
つ所有していない一方で、その文献には利益の分割の仕方についての規定が有り、さらに航路その他が確認され、ここではトラクタートルであるソキエター
スの成員は外国においては所属するソキエタースを代表し、全権を保持し、その全権の中にはそのトラクタートルをソキウス・スタンスである成員が"procurator
et certus nuntius” [代理人で、かつ合意に基づくメッセンジャー]に任命し、ソキ
エタースの契約については連帯して責任を負うことを義務付け、そして実際の契約においては、この"instrumentum
procurae” [代理のための道具]という概念を引き合いに出して、取り決め
が契約者[=トラクタートル]とそのソキエタースの仲間[=ソキウス・スタンス]の双方の名前で行われるのである。この類いの文献史料は主としてキリ
スト教徒が占有している中東地域71)へ
の国際交易の中心地の一つから多数見つかっている。
これらの文献史料を目にすることにより、我々には最後の原理
的な問いが生じて来る。
71)Archives de l’Orient
latin Vol. II Documents のp.5: Ego Raffus
Dalmacus
facio, constituo et ordino meum certum nuncium et procuratorem
Lanfrancum de
Lenaria socium meum presentum etc. [私ことRaffus
DalmacusはLenariaのLanfrancusを
私との合意に基づくメッセンジャーかつ代理人、さらには私と同じソキエタースの現在における仲間として、確認し任命しかつ手配する、等々。]全く同じ
文章で今後は逆にLenariaのLanfrancusがRaffus
Dalmacusを自分との合意に基づくメッセンジャー兼代理人に任命している。同様の文献史料であるソキエタースの成員の契約に
ついて連帯して責任を負うという取り決めをしているものは、同じ出版物の中で、公証人の元での公正証書の登記のために提供されたキプロス島のファマグ
スタ、アルメニアのアジャクシオ[231]など類似の
例が約100ばかり有る。
ここに関連文書として引用してきた文献史料が作成された時代
において、即ち大体十字軍が終了しようとしていた頃[232]、連帯責任の原則は間違いなく既に法的に有効なものとなってい
た、――しかしながらその法律上の書式は当時何世紀もの間継承されて来たものであり、この考え方から次の二つのことを近接するものと考えてはならな
い。一つは法律で規定された連帯責任が様々な文献史料の中で慣習的に維持されてきた連帯しての責任の約束を破壊して置き換えるのだと考
えることである。もう一つはそれ故に、常に繰り返されてきた連帯責任を定めた契約という事実から、ソキエタースの成員の間では連帯しての責任が望まし
いものとされていたと、またそこからそれに適合した形の慣習法が成立してきたという仮定72)を
することである。――まずは次のことに注意しなければならない。中世初期の文献史料がある一定の[連帯責任の]取り決めを含むということから、その当
時において次のことが生じて来たのでは全くない。それはつまりこの連帯責任に関して明確に条文化された法的関係の作用がまた本来ex
lege、
つまり法律それ自体の効果として直接に生じたのではないということである。それはむしろ逆である:この連帯責任という自然な要求については、当時の公
正証書が特別に詳細に、またかなりの文言を費やして記載するのが常であったし、この事に関連する文献史料においては、この連帯責任という条項を詳細に
規定して73)含
めることについての純粋に法的な要求以外での様々な理由が存在した。ここでの文献史料は国際的な取引関係を扱っているのであり、そして14世
紀においてのフィレンツェのギルドの法規においてもまだ、ソキエタースの成員の連帯責任として昔からずっと法文として確定させており、それは外国との
取引における確実性という利害関心において、各ソキエタースの外国における代表者に対して文書によって全権を与えることを各ソキエタースに対して規定
しており、それ故ここでは資格証明の目的でのこの種の登記についての同様の需要についても述べているのである。最後の資格証明という目的は特に以下に
説明する目的のためであった。何故ならばここでは海上輸送による取引が問題にされているのであり、しかし海上取引についてはコムメンダ契約を使うのが
普通であり、旅をするソキエタースの成員はそこから次の状態に置かれた。即ちその権利を取引相手に求めてもらうために、そのソキエタースの成員につい
て連帯責任を負うことを義務化し、ソキウス・スタンス[Kommandite]のトラクタートルとして見なしてもらうという資格証明の手段
が不足していたのである。[この目的のために資格証明の需要が生まれた。]しかしながら本質的にはこの章で実証の手段として提示して来た文献がその中
でほのめかされている偶発性について言わんとしているのは、私はそう信じたいのであるが、法規の中での法形成の向かう方向は、通常それは連帯責任の原
理の取引における慣習から発展したに違いないと思われているが、その原理をより確実にしまた拡張する方向ではなく、共通の取引という経営が関わる領域
の場合はむしろそれを制限し、その適用範囲を狭めようとする方向に向かったのである。そのことは次のことを否定するものではない。つまりそれが法規に
おける法的な発展にとって重要だったということである。その場合においては、商取引が連帯責任を法規定にすることを促進した。そして公証人に関する文
献史料は、明らかに法学におけるローマ法的な法解釈により影響を受けているので、そういった把握の仕方は実際のところ一つの水路だったのであり、その
水路を通じて法律家の観察の仕方は現実の取引とそれによってまた法形成に近づいていったのである。――そのことについては結論の章で手短に述べる。何
はともあれ、さらにいくつかの法領域について、その法領域に対してはそれ以外では抜けの多い法規についての文献史料を広範囲に自由に使用することが出
来るが、次のことについての証拠を見出さなければならない。それはつまり先の二つの章での叙述が、それらの法的な文献史料としての内容の吟味に耐え得
るのかどうかということであり、それは我々にとってはそこで扱われた諸制度について、包括的な、また部分的には地方色に染まってもいる確固たる像を引
き出すということである。
72)ランゴバルド法において既に、l. II rubr. の"de
debitis et quadimoniis"において、その最後で連帯責任の条項を定めた部分が存在してい
る。同様の例でCollectio
sexta novellarum Dmni Justiniani imperatorisの"de duobus reis promittendi"の章もある。
73)
人はそれ以外にも次のものにも注目しがちである。つまり1279年の婚姻契約、アルメニアのアジャクシオ[233]にて締結されたもので、その中で婚姻適格年齢の女性が[その契
約を破った場合には]違約金を払うという条件で[!]婚姻契約を結んでいる。"stare
et habitare tecum in tua domo” [あ
なたの家に居て、あなたと一緒に住みます。]、"nec
jacere cum alio viro” [他の男性と寝たりしません。]さらに服従等を誓っている。そ
して婚姻する男性は"食べ物と着る物を十二分に与えること"を誓っている。結論としては、当時の結婚におけるこれらの義務
はそれ自体として固有のものではなかった。
Ⅳ. ピサ。Constitutum
Usus[234]におけるソキエタース法。
Constitutum
Usus
我々はこの章で、我々にはピサのソキエタース法として知られ
ているものについての叙述に特別に一つの章を立てることにする。その理由は主に、ピサの法規についての文献史料において、次のような性質のものを見出
すからである。つまりそれらは明らかに法典編纂上の意図において決議論的に十分に検討された上で作られている。そこにはローマ法1)の
概念の強い影響をはっきりと認めることが出来るし、また相対的に非常に価値の大きな財産を特に際立つように取上げている。また経済的な現象の中に法的
に重要なことを見出そうとしている。しかしながら例えばジェノヴァの法規との違いという意味では、主に法の生成の能力という意味で、ある制度の発展の
過程においての経済的な意味で新たに発生している差異を、法学的にも差別化を行って正しく取り扱おうとしている。ピサの法的文献についてとりわけ興味
深いのはその相対的な歴史の古さである。
1)
次を参照せよ。例えば既に真正のローマ的な概念である利得に対する評価だけについても—id, quo
factus est locupletior[あ
る物、それによってその者がより富めるようになった物]という表現がある。
――
例えばボナイーニ編の Statuti
inediti della città di PisaのVol. IIの
後半、PP.341とPP.348に
おける諸制度で学説彙纂には含まれていないものを参照。ピサにおいて学説彙纂の手稿[235]が
保存されていたことは非常に大きな影響力を持っている。――ピサの法典におけるこれらの規定(Beve Pisanti
communis et compagnie 1313年 l. I c. 247)
と比較せよ。
Consitutum Ususは
我々がこの章で本質において検討しようとしている法的史料であるが、その日付はピサ暦[236]で1161年、
我々の暦[237]で1160年
のものであるが、この年に制定されたものは間違いなく最初の版では無く、また同時に最後の判でも無い2)。
2)シャ
ウベ[238]の"Das
Konsulat des Meeres in Pisa"の P.2の 3, 149と
比較せよ。またそれについてのゴルトシュミットの商法雑誌第35巻
に収録された論考のP.601も
同じく比較せよ。
これらの法典の性質について詳細に述べるのはこの論考の役割
ではないにしても、次のことについてのいくつかの注記は必須であろう。それはつまり、これらの法典編纂――Constitutum
Ususはその序文にもそのようなものであろうとしているとことが書か
れているが――が他の法的史料にどのように取り入れられたか、とりわけピサの特殊法の集成であるConstitutum
Legisに、それから様々な法規が自明の前提としている、補完的なもの
として働く共通法にどのように取り入れられたかという状況についての注記が必須である。そういう状況は、今日の商法・民法に対する関係を多くの関連す
る点で想起させてくれる。
Constitutum Ususの領域
Constitutum Ususの
管轄下に置かれる領域は次のような諸事実の列挙によって確認される。その諸事実は、Ususの
範疇に入れられるのであり、それはそれ故に客観的なものに限定され、例えば商人という職業についての職業法の場合のように主観的なもの
では無い。我々の商法典[HGB]
が商取引に関わる「事柄」を商法の中で扱っているように、「商取引に関わる諸件」[causae
pertinentes ad usum]をConsitutum Ususは
その中で扱っているのである。そういったUsus関
係の事柄の取り扱いは、ある特別な法廷にて行われた。それは、Curia
previsorum apud ecclesiam Sti
Ambrosiiで
あり、1259年
以降は、Curia Ususと呼ばれた。その管轄権については、訴訟において民事法廷での
審議の前にUsusに
おいて判決すべき関係のものが争点となっている場合には、仮処分によってその案件がCuria
Ususに回付されるという形での訴訟手続となり、[最終的にCuria
Ususでの]管轄権が確定する。
Ususが
カバーしている領域について、多数の文献史料[239] 3)が
列挙されている。その領域というのは全くもってそれ自体として閉じていて、体系的な系統分類がきちんとされている法的関係の複合体として記述されてい
るのではまるでなく、それはむしろ私法の全ての領域を超えて新しい枝を伸ばしているのである。不動産法、公共の道路や水路についての法、婚姻財産法、
相続に関する手続き、市場関係、所有権、ソキエタース法、貸借、不法行為の結果として生じる債務、そういったものについての個々の法的関係がUsusに
取り入れられている。そういったもの全てについてある統一した原理を見出すことは不可能である:実際にそういうものは存在しない。Usus[慣
習法]の反対のものはlex[制
定法]で
あり、それもConsitutum
Ususの序文に詳しく説明してあるように、まずはローマ法[lex
Romana]であり、また同時にランゴバルド法[lex
Langobarda]であり、それに従ってピサの市民は、"quaedam
retinuit” [色々なものを維持してきた]のであり、さらにはまた最終的に
はConsitutum
Legisの基礎として、共通法を補完して支える、ある特定の個別立法と
なったのである。
Ususは
それ故に、その当時の人間の意識によれば、[ボナイーニの本に]列挙されているどの一つの文献史料にも閉じていない、慣習法が発展したものとして記述
されなければならない。その現れ方は、――ここでは一般的な分析を試みるのでは全く無いが――商法の領域、とりわけソキエタース法の領域に関連する部
分においては商慣習であり、一部は地域に限定されたもので一部は国際的なものである。その中に含まれている法文はほとんどが任意法的な性質のものであ
り、そしてそれはその商慣習がまだどう見ても出現したばかりで発展途上にあると理解される場合を除いてであるが4)。
そういった商慣習はさらに任意の規範に関係するだけでなく、また次のことを前提としている。つまり、その同じ商慣習がそういった規範に適合するように
固定化されるのが常であったということである、――そのためここでは、一般的にまずは商取引における慣習法の根本原理としての商慣習で
あり、次に法規という形で確定された規範として観察することが出来る。
3)ボ
ナイーニのStatuti
inediti della città di Pisa Vol. II. p.835を
参照。
4)
たとえば、creditores hentice[出
資による債権者]の破産時の優先権についての重要な法文は、未だ叙述において明確さに欠けその全体像に関する検討も不十分なものであった。
Consitutum
Ususの
条文の性質
我々にとっての結論は、我々はConsitutum
Ususにおいて本質的に(全体を通じてではない)我々が関心を持って
いる[商取引の]領域における次のような性質の法文を見出すことを期待することは出来ないということである。そのような法文とは、その
本質において最初から任意のものではなく、強制的な性質を持ち、つまりは単純に言えば、ある一定の事実から法的な結果として引き出されるもの、という
そういう性質の法文のことである。そういった法文に属するものとしては、まずは第一に連帯責任であり、それについてはこれまで既に取上げてきた。しか
しながらこの連帯責任についての直接的な表現は事実上Consitutum
Ususの中には出て来ない。それに関連した法的な人間関係がそれでも
どの程度まで存在しているかということを明確にすることについて以下でさらに詳細に述べることになる。どういった場合でもConsitutum
Ususの中に連帯責任についての言及が無いという事実から、その原理
が存在していなかったという結論を引き出すべきではない。
それ以外に、ピサにおいて海上取引が無条件に広く行われてい
たという点で、ピサにおける様々な人間関係はジェノヴァのそれに似通っていた。その理由からも我々は次のことを期待する。つまり、海上取引にとって都
合の良い資本と労働の結合についての法形態がここでは特に広範囲に創り出されていることを見出すことである。
ソ
キエタース法的内容
今述べたことは、Consitutum Ususで
は実際に起きていることである。Consitutum Ususの
中のこれらの制度についての章は、我々がそれについて一般的に入手出来る史料の中ではもっとも浩瀚なものである。――
1.ソキエタース・マリス
我々はソキエタース・マリスがConsitutum
Ususの中で詳細に論じられているのを見出す5)。
特にジェノヴァにおいて知られていたものが通常のケースとして次のspecies[外
観を持った具体的な物]として見出すことが出来、そのspeciesは"societas
inter stantem et in aliquod tassedium euntem” [ソ
キウス・スタンスとある商業上の航海を行う者との間のソキエタース]と描写されている。それはある輸出業者とあるトラクタートルの組合[Association]であり、ソキウス・スタンスが2/3、
トラクタートルが1/3を出資した場合には、利益の分割については半々になる。こう
いった利益の分割の仕方は、別のケース[コムメンダのこと]では、トラクタートルが利益の1/4[quarta
proficui]
を取り、これらは通常のやり方[naturalia
negotii]であった。
ジェノヴァにおいては、我々が既に見て来たように、個々の
ケースにおいて経済的に見た場合、トラクタートルはソキウス・スタンスの単なる手足である場合と、逆にトラクタートルが本来の意味での企業家であり、
ソキウス・スタンスは本質において単に出資を通じて参加するだけの資本家であるという場合のどちらかであった。ピサにおいても同様の法文がこの二つの
やり方の裏付けとなっていたが、そこではKapitanie[キャプテン]という概念がこの二つの違いを法学的に有効にす
るために使われていた。
5)Consitutum
Ususのc.22のde societate
inter extraneos facta p.883 の
引用箇所qqを
参照せよ。
法
的な区別。Kapitanie[キャプテン]の意味
Capitaneus 6)と
は、――その言葉の意味に適合するのは――次のソキエタースの成員、つまり我々が前述した業務での”Chef”
[主宰者]、つまり事実上の企業家と名付けた者である。Consitutum Ususに
よれば、ソキウス・スタンスとトラクタートルのどちらもが"capitaneus"であることが可能である。誰であれcapitaneusである者は今や当該の事業の全体に対して処分権を持つ。特にcapitaneusではないソキエタースの成員は、自己の判断でその事業を取りや
めることは出来ず、その者がソキウス・スタンスである場合には自己の出資した分を取り返すことは出来ないし、またその者がトラクタートルである場合は
予定されていた航海を中止することは出来ない。その一方でcapitaneusは、――他のソキエタースの成員に対して、証明することが出来
る形での発生損失について補償を行う限りにおいて――当該事業の中止、出資分の返還、航海の中止といったことの決定について権限を与えられていた。実
際にこのことが決定的に重要な点であり、その他の違いについては副次的なものに過ぎない。capitaneusはまた、ソキエタース契約の目的という点で見れば、その事業全
体の管理者という位置付けになるのであり、他のソキエタースの成員の契約上の権利というものは、その中では個別の資格でしかない。このことの結果とし
て次のような法規上の表現が出て来る。つまりソキウス・スタンスがcapitaneusである場合には、トラクタートルはcapitaneusの許可無しには一回の航海について他の[第三者との]コムメン
ダ契約を結んでそこから別に自分の収入を得ることは出来なかった。もしトラクタートルがそれに違反してその航海に自分の商品も持ち込んだ場合には、ト
ラクタートルが第三者とのコムメンダ契約で得た全体の利益の内の1/4の
取り分については、全てが最初のソキエタースの取り分とされた7)。
逆のケースでトラクタートルがcapitaneusである場合は、次のことは自明である。つまり、そのトラクター
トルがその事業に参加することが出来、その事業に必要な人員はそのトラクタートルの望む通りとなり、もし損失が発生した場合でトラクタートルの責任と
なるのは、その者がその事業によって定められていたトラクタートルの本来の出資金よりも少ない出資金しか出しておらずそれによって損害が発生した場合
だけ8)で
ある。
6)Consitutum
Ususのp.884の
該当箇所を参照せよ。
7)p.893の
該当箇所の"jus
capitanie ["capitanie jure salvo"]
においてトラクタートルの、ソキウス・スタンスがcapitaneusの
場合の利益取得の権利について詳しく規定されている。
8)p.884の
中央部を参照せよ。
一般的に言って、ソキウス・スタンスがcapitaneusとなる特別な取り決めが無かったことにより、法規によればトラ
クタートルがcapitaneus
9)と
成るのが通例であった――その場合にここでもまた先に一般的な説明として論じた次の方向への発展が見られた。つまり、ソキウス・スタンスが通常は資本
家として把握され、外国との取引という事業に参加するだけ、という形の発展である。このことはConsitutum
Ususにおいてある事業において一人のトラクタートルが多くのソキウ
ス・スタンスと契約を結ぶということが通例であることによって、よりいっそうの頻度で起きることになった。これらの多数の"socii
ejusdem hentice”10)
[同じソキエタースに出資しているソキエタースの成員達]とそ
の相互の関係については、とりわけその者達の間での利益と危険の分割については、Consitutum
Ususが詳細に規定している。我々は既にこういった関係については
ジェノヴァでの例を見て来たし、ピアチェンツァにおいても固有のやり方でそうした関係が形成されるのを見て来た。そのピアチェンツァでは我々は特に次
のことを確認した。つまり、そこではまだ多数のKommendanten[委任する側=ソキウス・スタンス]が本来の企業家として通用
していたということを。その場合はその時々のトラクタートルは、ただその複数のKommendantenの共通の、彼らがビジネスを行う上での道具である手足として位
置付けられていた。そうした関係はまたConsitutum
Ususにおいても存在することが出来ていて、それどこ
ろかこういうケースは、"societas
inter extraneos facta”
[親族外の者と結成されたソキエタース]についての章で詳細に
扱われている。それからさらに複数のソキウス・スタンスの中の一人がゲゼルシャフトのcapitaneusとなり、トラクタートルはそのcapitaneusに
従属し、そのcapitaneusには会計の必要性が生じ、その者は貿易のための航海が終わった
後に、ソキエタースを解体して精算する。その際に法規自身がそう規定しているように、ソキウス・スタンスの内の一人がcapitaneusであるということは常に行われていることでは決してなかった。
もしトラクタートルがcapitaneusであった場合は、その者は逆にゲゼルシャフトの清算人でなけれ
ばならなかったし、既に論じて来たように、ソキウス・スタンスの指図することには拘束されなかった――ただ当然のこととして損害が発生した場合にはそ
れをソキウス・スタンス達に補償する義務を負っていた――、ソキウス・スタンスの側はむしろ彼らの側として、capitaneusであるトラクタートルに一度出資した資金を委任したままにしな
ければならなかった。その場合でも引き続きソキウス・スタンス達には広範囲の監督権が別に留保されていたし、また彼らが元々企業家であったという意識
自体は決して失われてはいなかった。特にトラクタートルによって不正なやり方で譲渡または売却されたソキエタースの財産の悪意の所有者に対抗しての返
還請求や利益請求、それ故さらにトラクタートルの第三者に対する処分権の制限についての権能も、ソキウス・スタンス達に認められていた。
9)p. 884 l.c.を
参照せよ。
10)p. 839[補
遺]:"inter
socios ejusdem hentice seu societatis maris etc.” [出
資を同じくするソキエタースの、またはソキエタース・マリスの成員達の間で];hentica =ἐνθήκη、Einlage[出
資]。この語の語源がギリシア語であるということはまたもこの制度が東ローマに由来するということの証拠となる。
11)
トラクタートルは特にcapitaneusで
あるソキウス・スタンスに対して航海からの帰還命令を受ける可能性と航海において果たすべき課題を与えられているという点で拘束されていた。
12)
このトラクタートルがcapitaneusで
あるというケースは、文献史料においては完全な形では記述されていない。ただその存在について、p. 884の
該当箇所によれば通常のケースであったことは確実と思われる。
13)
ソキエタースの成員間の関係の全体については、p. 886 ff. の
該当箇所を参照せよ。
ソ
キエタース・マリスの財産法
我々にとってもっとも中心となる問題は、ここにおいても――
まずは:これまで述べたような状況はそこで言及されているソキエタースの財産権とどう折り合っているのか、またゲゼルシャフトの特別財産という考え方
をどう解決しているのか?その答えが肯定的なものである場合には、我々はこれらのソキエタースの財産の発展の過程において、合名会社の形成についての
基本原理を見出すことが可能であろうか?――実際の所、次のことを確認することが出来る。つまりConsitutum
Ususの法文は、ジェノヴァの法規と同様に、ただよりさらに明確にか
つ意識的に、ソキエタースの成員達の出資によって作り出された基金、つまり"hentica"を特別な運命の下に置くという内容の法文を含んでいる。
特
別財産
法規であって" inter socios ejusdem
hentice seu
societatis maris” [同
じソキエタースに出資した者達またはソキエタース・マリスの成員達の間で]とこれらの成員達と[外部の]債権者との間の関係の差異について、Consitutum
Ususの中で条項が追加されているものは、これらの規定にこれらの人
員グループ分類毎のそれぞれについての、仮にソキエタースが破産した場合の財産の優先権についての注記を付け加えており、その注記の追加がここで14)番
号のより若い補遺として行われていることが特徴的なことである。その内容は我々にとって特別に興味深いものである。
14)p. 839の
該当箇所を参照せよ。
この箇所にて述べられていることは以下の通りである:
1.個人への債権者との関係
I. ソ
キエタースの中の成員と、ある債権者でソキエタースに出資された財産についての債権者ではない者との間での訴訟において、その債権者がソキエタースの
成員に対する債権を持ったのが、その成員がソキエタースへの出資をする前だった場合[inter
socios et alios creditores, qui
non sint creditores ejusdem hentice, licet creditores sint priores
tempore]、—ソ
キエタースの成員達はソキエタースに属する財産[rebus
societatis]については優先権を持つが、それは他の財について法による秩
序が守られている[in
aliis bonis secundum ordinem juris
observetur]
限りにおいてである。それ故にこの場合ソキエタースの成員達は債権者とソキエタースの成員達の中の個人としての債務者の間に入り、その債権者に対し、
その債権者がソキエタースの共通の出資金を担保に取るという契約を締結していない場合には、ソキエタースの財産の返還を請求することが出来る。(トラ
クタートル個人への債権者と我々は呼ぶべきであろう。)
II. さ
らに次のことが述べられる。
"inter
socios ejusdem hentice
seu societatis maris, licet aliqui socii sint priores tempore et
habeant etiam
hypothecas, tamen in praedictis bonis (scil. Societatis), ejus, quod
quisque
sociorum recipere habet, communiter admittantur et per libram
dividant” [同一のソキエタースへの出資を行ったソキエタースの成員達の
間で、またはソキエタース・マリスの成員達の間で、仮にその中のある成員が他の成員よりも優先権を持ち、またソキエタースの財産を担保として使ってい
たとしても、その、先に言及された財産(つまりはソキエタースの財産)は成員の全員が受け取る権利を持ち、共有のものと認められ、出資比率に応じて均
等に分けられる]
それ故に多数のソキウス・スタンスが一人のトラクタートルを共
通に持つその者達は(というのはそれがここで想定されたケース:つまり同一のソキエタースへの出資をしたソキエタースの成員達{socii
ejusdem hentice}である)、ソキエタースの財産を[出資額に応じて]均等に分
けることになる。それ故にさらに次の義務への遵守が必要となる:
1.
ソキエタースの成員達の中の誰であっても、ソキエタースの財産への強制執行の際に自己出資分について他の成員達に対する優先権を主張することは出来な
い。
2.ソキエタースの成員達の中の誰であっても、自己のIllaten
in natura[全集版の注釈によれば出資分のこと]の返還請求をすることは
出来ない。
――これらのことは明確には述べられてはいない。しかしこれら
のことは I. の
法文への相対概念かつ論理的帰結として成立する。さらにも次のことからも直接導かれる。つまり、ジェノヴァのソキエタース・マリスの場合と同様にここ
でも、ソキエタースの本質的な機能は危険を共有[分散]することであり、それ故に個々の成員についての事象はもはや考慮されず、そうではなくてただ利
益と損失が全体の勘定の中に算入されるのであるが、Consitutum
Ususが明確に規定しているように、あるソキエタースで「混ざり合っ
た状態を享受する」[havere
mixtum]、つまり共通の財産が分割されずに存在しているということ
と、利益と損失が出資割合に応じて[per
libram]分割されなければならない15)
と
いうことが規定されている。このことからもこの II.
は
直接導かれるのである。
15)p.884 の
該当箇所を参照せよ。
3. ゲゼルシャフトへの債権者への位置付け
III. ト
ラクタートルへの債権者で、トラクタートルがその者とソキエタースの財貨について契約を取り交わした者は、ソキウス・スタンス個人に対する債権者では
ない。このことはやはり直接的には表現されておらず、ただ私には少なくとも自明と思われるが、次のことからも判断される。それはこういった責任関係が
破産時における優先権を通じて構成されているそのやり方によってである。そこにおいてはソキエタースへの出資者達は、その出資分を一つにした財産に対
する債権者[creditores
hentice]の差し押さえには対抗出来ない――そのことはcreditores
henticeという名前がまさに示す通りであるが――となっており、その
[トラクタートルとのソキエタースの財貨についての]債権者は出資の結果一まとめにされたソキエタースの財産について、ソキエタースの成員達に対し
て、またさらにソキエタースの成員個人に対する債権者に対しても、優先権を与えられている。ソキウス・スタンスそれぞれの個人的な連帯責任の引き受け
を基礎とするソキエタースは、むしろ明確にジェノヴァでのソキエタース・マリスにおける構築の仕方にまた舞い戻るような今述べたようなソキエタースの
構成のやり方を必要としていない。――ソキエタースへの債権者はソキウス・スタンスに対してはただ、出資されて一まとめにされた財産への債権者[creditores
hentice]であるということである。
4.ゲゼルシャフトの財産の範囲
IV. hentica [出
資の結果として一まとめにされた財産に基づくソキエタース]がここで述べて来たようなやり方で機能することを開始するのは、そこに所属する具体的な物
[species]
が、ソキエタースの基金という形で一つになった瞬間である。ソキエタースの基金というものは法学的には次のことが成立した後に成立する。それは該当す
る価値のある客体が、それぞれの金銭的価値(aestimatio)に従って事実上一つにまとめられた(mixta)
後に16)、それらはその結果としてソキエタースの基金に算入され、それ
もある一定の合計額として「算入された」、その後である。それらの客体について価額が未定の場合は、それらはまだソキエタースの財では無い。何故なら
その場合には個々のソキエタースの成員が、自分の出資によってどこまでソキエタースの財産の中で分け前を持つのかということが確定しないからである。
――というのも、しかしながら、個々のソキエタースの成員の勘定に算入されるのはその成員が持ち込んだ財貨そのものではなく、その財貨の資本としての
価額なのであり、この資本としての価額を通じてその成員のソキエタースの財全体の中でのその成員の分け前の権利が表現されるのであり、それ故にその価
額の確定は法学的に見たソキエタースの成立の過程17)の中で本質的な部分なのであり、それによってその成員に対して
出資金[hentica]
の中の分け前の比率は、まさしくその成員によって持ち込まれた財貨の登場する所において確定するのである。henticaと
まだ価額が確定していない有価物との関係は、まだ仮のものであり、それは利益や損失と一緒で特別な勘定として扱われ、それが売却されて価額が確定した
時に初めて共通の金銭勘定の中に取り込まれるのである。
16)p.885の
該当箇所を参照せよ。
17)
ローマ法における嫁資の価額の決定[dos aestimata]
についての規定を参照せよ。これらのソキエタースとローマ法における先行事例(卑俗法の中から、ゴルトシュミットがロード海法やAgermanament[240]を
そう呼んでいるように)、特に Contractus
aestimatorius と
の関係については――学説彙纂D.44のpro socioを
参照せよ。――aestimatioの
そこでの取り扱いは、またも[この「価額の決定」ということの重要性の]有力な証拠としてみなすことが出来る。
こ
こまでの成果。合資会社。
ここまでの論述の結果として私にとって明らかになって来たこ
とは――ここにこのように現れている事象によって[rebus
sic stantibus][241]、通常は非常に理解しづらいConsitutum Ususの
法文について、より明証性の高い解明を行うことが出来たということである。――それはつまり、我々はここにおいて合資会社の財産法的な
基礎原理を目の当たりにしているということである。合資会社に必要なものは全てここにおいて揃っているか、あるいは少なくともその登場が予示されてい
る。「個人的に」責任を負うゲゼルシャフトの成員、つまりトラクタートル18)と、
――価値のある客体の複合体で個人への債権者の差し押さえの対象になるもの、その客体の複合体に対してはゲゼルシャフトが存在している間は各ソキエ
タースの成員の持ち分への権利は劣位に置かれるのであるが、その複合体に対しては各ソキエタースの成員は債権者ではなく持ち分所有者[株主]として権
利を与えられる。それ故これらのことによってソキエタースの特別財産が形成され、それはゲゼルシャフトの債権者に対してその債権の額に応じた[242]返済をあらかじめ用意するのであるが、最終的にはゲゼルシャフ
トの成員[=有限責任社員]でその責任は自己の出資分に限定されている者達、これら全てが実質的に合資による会社財産形成の目印なのであるが、しかし
法学的にはまだ完全な姿とは言えない。この「不完全な」という意味は、特に次の理由でそうである。何故ならばゲゼルシャフトの財産の存在は、少なくと
もまだその出資元が外から見て取れる限りにおいては、対外的には強制執行の要請があった時に初めてその存在が明るみに出るのであり、それ以前において
はトラクタートルのみが契約当事者であり、そしてそのトラクタートルとそのソキエタースの業務において契約する債権者は、最初から権利を与えられてい
るのは次のことだけである。つまり、その債権者達が、個々の強制執行の対象となる客体に対して、――つまり既に述べて来た意味でゲゼルシャフトの財産
に属する客体について、絶対的に優先権を与えられているということである。全体の人間関係は純粋にローマ法的に構成されており、そのような合資会社的
な「ゲゼルシャフト」はまだそれ自体が可能な契約当事者として自立するまでには至っておらず、そのゲゼルシャフトの特別な破産の可能性もまだ考慮され
ていなかった。そういった特別財産の成立は、文献史料によれば、その成員達に対する強制執行や破産手続の場合によりいっそう詳細に規定されていた。そ
ういったソキエタースの成員達が[まだ]財産を自らの手の内に持ち、またトラクタートルをも管理していた。――
18)
トラクタートルの個人責任は、ここでは全く疑いのないものであり、それはジェノヴァにおける場合と同じである。しかしConsitutum
Ususに
おいては明確には規定されていない。そのトラクタートルの個人責任という考え方は、まさしく他の様々なものと同様に、当たり前のこととして成立してい
る。直接に文献史料の中の特定の位置から証拠となるのを持ってきて証明するのでない限りは、何かをただ主張しようとするやり方には疑問が多い。Consitutum
Ususで
のソキエタース法の規定は、しかしその浩瀚さにも関わらず、逆にその浩瀚さが最も重要な箇所だけを取り出すのを不可能にしてしまう。そういったソキエ
タース法の規定は、法文においてソキエタース法の成立がその当時の人間にとっては疑いもないものであり、そのためにその意味の説明も省略されているよ
うに見えるような形で記述されている、まさにその箇所において《現在の我々から見れば論証の》不備を露呈している。これらの法文については従って、他
の諸都市の類似の法規によってと、最終的には昔存在していた原初的な人間関係の構図からの論理的帰結によって補完的に説明されなければならない。
II. 特別財産の無いソキエタース(Dare ad
portandum in compagniam)
ここまではただ次のケースについてのみ詳細に論じて来た。そ
れは多数のソキエタースの成員達が出資を一斉に行うことによりソキエタースの基金が形成され、それが様々な関係において特別財産としての機能を発揮す
るというケースである。Consitutum
Ususにおいてはしかしながら、別のケースも存在している。それは利
益の中からの分け前を条件とした、事業に対しての一方向的な投資のケースであり、丁度ジェノヴァでのコムメンダのように――事業参加者に対しての1/4の
利益配分――を含むものであった。
これらのケース、つまり、"dare ad portandum in
compagniam"と表現される形態についての非常に不備の多い所見から、まずは
次のことが導かれる19)。
つまりこうしたやり方で引き渡された資本が、それについて価額が確定した場合には、既に出資された分と一緒に、その事業の中に組み込まれたトラクター
トルまたは第三者の資本と一体化される。しかしながらこのケースでは、法規によれば、ソキエタースの元の成員達に不利益をもたらしてはならないとされ
ている。この最後の部分の意味するところは、ただ次のことである。つまり、このような形であるソキエタースに出資する者は、それによって上述した意味
でのsocius
hentice[同一のソキエタースに出資したソキエタースの成員達]にもcreditor
hentice[一つにまとめられた出資に基づくソキエタースへの債権者]に
も成ることはなく、そうではなくてただ今日の匿名組合員[stiller
Gesellschafter]のように、トラクタートルに対しての債権者であり、そのトラ
クタートルに対して資金を貸付けるのである。その者は、法規がそう定めているように、その貸付けの行為によって事実上トラクタートルの仕事に関与して
いる場合でも、それによってソキエタースの成員、今日の言葉で言う有限責任社員[Kommanditist]に成ることは決して無い。このような外部の者がその出資をソ
キエタースの共同出資金と一体化した場合に、元々のソキエタースの成員達に何らかの損害を与えた場合には、その者はその分を補償しなければならなかっ
た—こ
のことから上述した特別の意味での「資金の引き渡し」は、ad portandum in
compagniamにおいては所与または通常のケースでは無かったように思われ
る。トラクタートルは引き渡された資本について、それを自己の責任で更に別の委託契約に出資することが出来たが、これはソキエタース・マリスの場合で
は権限が与えられていなかったことである。
19) P.885を
参照。
ここにおいての[henticaが
形成されるケースとこのad
portandum in compagniaとの]本質的な違いは次のような点にあると考えられる。つま
り、ここでの出資は技術的な意味でhenticaと
して取り扱われず、従ってまた法規においても、henticaと
ソキエタース・マリスについては債務に関わる人間関係についての明確な規定の中では言及されていない。そのためにここではゲゼルシャフトの財産が成立
したようにはまったく思えず、そのためにこの形態をソキエタース・マリスと違うものとして扱う場合は、あたかも商法典においての「匿名」組合と合資会
社の中間に位置付けられるものとして考えることが出来るかもしれない。ゲゼルシャフトの財産を持った合資会社は疑い無く法学的にはより上位の形態であ
る。もしラスティヒが
participatio [参加する]という動詞によってこうした人間関係を理解しよう
としているのであれば、それは確かに意義のあることと考えても良いであろう。その
participatio という概念においては、ただ債務という考え方だけを扱い、その
業務への参加者の間で維持されている利益と損失の分担を特別財産の形成とは見なさず扱うのであり、それはソキエタース・マリスとは対置される性格のも
のであると考えられる。—こ
うした見解は法学的なものであり、資本と労働がどのように結合されているかということについて、それぞれの単なる経済的な差異を抜き出して描写しよう
としているのではないだろう。
こういった特別財産を持つ
ソキエタースと持たないソキエタースの違いというものは、しかしながら当初から存在していた訳ではない。――我々はその違いについてはジェノヴァの例
においては、ただ曖昧にまた間接的に認識することが出来ただけである。その二つの違いが明確になるにはようやく次のような時点からである。それは根源
的には現金取引の中で利用されていたコムメンダとソキエタース・マリスという制度が、外部に対して債権-債務の関係を明確に示す必要性が生じた時で、
それは特に海外との商取引においてもより大規模な信用取引が行われるようになった場合である。ジェノヴァにおいてはただソキエタースの財産形成につい
ての非常に萌芽的な諸契機を見出すことが出来ただけである。その財産形成についての法的な取り扱いという意味では、ピサにおける法規の編纂者達のより
高度の水準にある法学的技術が、既に見て来たようにかなり早い段階でそれ以上の成功を収めていた。
これまで論じて来たことからジルバーシュミットが
コムメンダの中に合資会社の、そしてソキエタース・マリスの中に合名会社の、それぞれの始まりを見出そうとするアプローチは正しくないと思われる。ソ
キエタース・マリスはむしろ逆に合資会社の基礎原理なのであり、コムメンダはしかし、それが一方向的な関係に留まる限りにおいては、単純な参加型の関
係という形でのみ発展する傾向を持っており、固有の制度としては最終的には消え去ってしまった。それはConsitutum
Ususの中では既に見て来たように、datio[dare] ad portandum
in compagniam の
所である意味相当程度継
母のように扱われていた。
今述べた最後のことを明らかにし、そして同時に我々の見解が
正しいということについてのさらなる証拠は次の所で提供される。つまり、まずはコムメンダが取り入れられている法規の該当部分においてであり、さらに
はコムメンダがその形を変えていくその方向によって、そしてまたConsitutum
Ususの中でより単純化された信用取引の受け入れという方向にさらに
進んでいく取引における人間関係についての規定を通じて提供される。その人間関係は dare
ad proficuum de mari という名称で詳細に規定されている20)。
20) Constitutum
Ususの c. 24: de his quae dantur ad proficuum maris を
参照。
III. 固定配当金を持ったソキエタース(Dare ad
proficuum maris)
この dare ad proficuum maris
もまた、文献史料によれば、ある種の"accipere
havere ad proficuum de
mari in aliquo tassedio ad tractandum in hentica” [共同出資によるソキエタース{hentica}
の商品をどこか航海に出てそれを{海外で}販売し、それによって利益を得ようとする意図に基づくソキエタースへの参加の受け入れ]である。この表現か
ら、コムメンダがこの制度の歴史的な土台であることが良く分る。その他また数多い煩瑣な形式的な疑問に答える完全に統一された諸規定から分ることは、
もし何らかの理由でここで通常の利益分割のやり方が採用されない場合には、補完的に使われていた契約法[lex
contractus]の規定である1/4の
利益配分にまた戻ってしまうということである。(その1/4の
利益は、例えば契約違反の場合の違約金として支払わなければならないものである。"ac
si re vera socius
esset"[そ
してもしその者が何か正当な手段によってソキエタースの成員であるだろうとされるならば。])この人間関係については、それ以外の点では対外的にその
祖先であるコムメンダとの類似点がほとんど見つからない。例えば出資に関してはピサでは、商慣習として固定化された利益の内の最大の取り分についての
料金表が作られていて、その%で示された値は仕向先の港の位置する場所によって異なっていた21)。
これらの法文の規定は、企業家側からすれば「資本の調達コスト」として支払わなければならないものであり、根源的には常のこととして、[そうした資本
調達コストを負担する前提で]利益を事業によって得ようとするものであった。利益が想定より少ないかあるいは全く無いという事態が――何らかの責任を
負う必要がないこと[例えば不可抗力]が原因で――生じてそれが通知されることにより、ある決まった規則によって支払い利益の割引が発生する。また払
い込まれた資本の全額の償還の際にも、臨時の減額の通知によって、元本割れの金額の返却という事例も見られた。この制度は海事利息制度[243]とソキエタースの中間に位置付けられるが、しかし私はシュ
レーダー22)[244]の説である海事利息制度の変形であるとは考えず、むしろ海事利
息制度の法規定の中に取り入れられている法文によって変形された出資ソキエタース、コムメンダの特別なケースであると考える。――その「特別なケー
ス」とは以下のようなケースである:その形成にあたっては、西地中海の沿岸に位置する全ての港を仕向地として完全に分類して算出した取引のリスクとさ
らにそこから派生する保証[のコスト]から、その[貿易]業務において平均してどの程度の計算可能な収益が得られるかということを明らかにする、そう
いうケースである。またそういう取り決めの目的は明らかに、信用取引の引き受けが主眼ではなく、利益の分割の仕方である。
21)Consitutum
Usus c. 25: constitutio de prode maris を
参照。
22)エ
ンデマン編の Handbuch des deutschen Handels-,
See-, und Wechselrechts の
第4巻
の§ 46、ヴァー
グナー[245]のHandbuch des
SeerechtsのIのp. 25のNo. 61、ゴ
ルトシュミット(Festgabe für
Beseler p. 204)
は全てこの制度をゲゼルシャフト的に変形された海事利息制度としている。私は文献テキストトの中で探そうとした海事利息制度のコムメンダへの歴史的な
依存という仮説を、そのコムメンダについては根本原理としては応急的なものとして登場したと考えるべきであるとする文章への言及を考慮し、少なくとも
債権-債務関係の形成という点では正当であると考えたい。
こうした業務の細かい点については、我々の関心の範囲外であ
る。我々がここに見出すのは、先に述べた参加型業務がはっきりとより広範囲に行われるようになったということであり、それは料金表に記載されたそれぞ
れの港湾との増大する定期的な取引より生じた。そうした参加型の業務はそれぞれの港湾との貿易での固定化された利益配当を可能にしたのである。という
のもいまや、既に述べて来たように、これらの関係も――その取り扱いについてはソキエタース・マリスと関連し、――またコムメンダを継承するものとし
て登場しているため、我々はここでまた、ラスティヒの言う所の一方向的な労働ゲマインシャフトと同じく一方向的な資本ゲゼルシャフトの
対立が、こうした貿易業務の発展においての決定的な契機ではなかったことを見出すのである。
"dare ad proficuum de
mari "の形の制度は後に消滅してしまっている。法典の補遺において
は、固定化された利益と引き換えの資本提供を禁止しており、Consitutum
Ususの中の該当の章は破棄され、"usura"が先頭に付く名前の章はこの業務形態を別のより害のないものに
置き換えている。
ソ
キエタース法に対する利子禁止原理の意義
この機会に手短に次の見解についての議論に立ち入っても良い
であろう。その見解とは中世における諸ソキエタースの発展を教会法での利子禁止原理の方へ本質において引き戻そうとするものであり、特にエンデ
マンがそういう立場である23)。
この見解では次のことが仮定されている。つまり当時の教会法の教義において、ソキエタースを「資本と労働の結合」[pecunia-opera]と把握し、それの一つであるコムメンダ関係について、その本
来の構造を本質的に次のことから把握している。つまりそれは資本が教会法によっての利子禁止の制限を何とかかいくぐって利子[収益]を得ようとするす
る形態であると。それ故にある人間関係について考慮する場合、もしそれが経済的には明らかに一定の利息の受け取りを条件とした資金貸付けとして登場す
るのであれば、それは[教会法では営利を目的とする]ソキエタースと見なされるのである。—次
のことは既に知られている。この時代の人間が地
代徴収権購入[246]に似たやり方で抵当権上の保証が付いたヴェールに隠された利子
付き貸付けをどのように行おうとしていたのかを説明しようとするのであるが、しかしこのような把握の仕方はその後断念されたと見なし得るのである。アー
ノルド[247]等の研究は次のことを明らかにした。地代徴収権購入は次第に[資金提供者から地主への]貸付けの関係から諸都市に
おける土地所有権[の代用品]として発展し、そしてそれは全くの自明のことである経済的な要求を充たすものであったが、しかしながら利子付き貸付けが
出来ないことに対する代替品としては主要なものでは全く無かった。――それがまた後になって、その制度が独立して発展した後になってようやく、投資先
を求める資本が利子付きの抵当権設定という形態が欠けている状況での代替品として利用されたとしてもである。ソキエタース的な関係に関して言えば、こ
れまで述べたことから十二分に次のことを確認することが出来る。つまりここにおいても[ソキエタースの]法学的かつ経済的な発展は[教会法の利子禁止
原理をかいくぐる手段としてよりも]独立に発生したということである。
23)Studien zur
romanisch-kanonischen Wirtschafts- und Rechtslehre を
参照。—そ
れに対するラスティヒの反論は引用済みの論文を参照せよ。
我々はしかしながら、他方ではもちろん次のことも見て来た。つ
まりは実際の所コムメンダとソキエタース・マリスの形態は投資の目的で、場合によっては未成年者の財産を運用するためにも使われていたということであ
る。――このことはピサの法規においてもまたそうであった。当時においてはこの種類のソキエタースの発展が、中世においては一度それが到達段階として
最高点に至ったということにより、そのことは経済的には決定的なことという扱いで大きく限界点を超えることを認容しているが、そのような形で投資され
た資本はそのやり方を主要なものとして選んだと言える。何故ならばそれによってその当時の人は通常考えれば自然なやり方である利子付きの貸し出しを放
棄しているからである。しかしながらこのことは常に証明出来ないだけでなく、また逆のことが正しいとさえすることが出来る。当時の商取引においては、
当時の人々が教会法の利子禁止について「良心の法廷」[forum
conscientiae][248]の外側でも真摯に実務的に対処しようと考える前に、純粋な利子
付きの貸付けは、相対的に見ると本当に取るに足らない役割しか果たしていなかった。投資先を欲する資本が今日であっても利子付きの貸付けが基本的に含
まれている個人への私的な貸付けに向かうということは決して広範囲では行われていない。ましては当時はさらに少なかった。――公的な信用というものの
本質は、当時においてひょっとしたら発生していたかもしれない資本家という者達の手間暇を要する需要に応じる方向に向かうことはほとんどなかったであ
ろう。運用可能な資本は、それが不動産の購入と貸し出しという形、つまり資本家による不動産の引き渡しという方向に向かっていなかった場合は、その利
用と投資の対象として、我々の法領域における海上取引を見出したのである。しかしながら純粋な貸し付けのやり方はこの海上取引という目的においてはほ
とんど適していなかった。ある事業で航海という目的で受け入れられた資金貸し付けに対する返済については、万一その事業が何らかの惨事[249]に見舞われた場合が、もっとも問題であると考えられていた。そ
の理由からローマ法の
foenus nauticum が、そして北イタリアの諸法規ではコムメンダと競争していた海
上貸し付け制度[Seedarlehen]が登場するのであり、そこにおいて投資が利益の分配を条件と
する航海の危険への参加という形で登場するのであり、後者が非常に隆盛を極めたがために、その分より多くの資金を必要とした取引[の関係者]が喜んで
受け入れたのである。こうした海上貸し付け制度はしかしまた、先に詳しく論じたように、この当時大規模な取引のあった地中海貿易を理解する上では有用
であるが、その大規模取引に対し海上貸し付け制度は次のような意味で関わってその利用を許したのではなかった。即ち資金の引き渡しは海を越えての商品
の輸送という事業自体に参加するのが目的ではなかったし、それは同様にその事業の可能性のあるリスクそのものに直接関わろうとするものでもなかった。
その意味でこういったリスクがこのシステムによって[海難事故の]平均的な確率という意味での計算可能性の中で扱えるようになったという見解は修正す
る必要がある。この意味から、そして綿密に検討された利子禁止の教義の回避の必要性からではなく、資本家達による危険の共有と、また権利関係では経済
的に見れば貸し付けに近づいた状態であることが説明出来るようになり、さらにはこのシステムが定額の配当金を持つソキエタースとして構成されているよ
うに見えるのである。利子の教義としては――そういったものが存在していることを認めようとする立場からであるが――経済における戦場にそれが姿を見
せたとしたら、それは各種のソキエタースの形態の発展が—そ
れはラスティヒがエンデマンに対して明確に強く反論した点であるが――それをとっくに実現していた。教会法による利子禁
止がその後演じた役割は、イタリアにおいても決して小さなものではなかった。(ほとんど全ての法規定がそれについて何らかの記述を行っている。――ど
のように?はここでは扱わない。)しかしながらある新しい法的な制度の発展または既に存在している制度のさらなる発展においては、我々が研究対象とし
ている領域では、私が見る限りでは利子禁止という方向に戻るような傾向は見出せない。ここでは唯一の制度、つまり dare
ad proficiuum maris のみが、その利子禁止という教義に対し違反するようになってい
たが、その他の制度に関しては[利子というやり方の]成長を妨げる方向に作用し、創造的な方向には作用していなかった。丁度
"dare ad proficuum maris" の人間関係が、それはソキエタースの構成のやり方としては明ら
かにもっとも劣悪なものであったが、エンデマン的な理論の範例[利子禁止の回避の方法として]という意味では、最適であるように思われ
る。それは利子という経済原理の支配の前でその確立に成功したのであり、利子の原理が本当の意義を持つようになって広く普及した時になってみれば、そ
れはむしろ[利子禁止原理の]犠牲になったのであり[250]、それもリスクについての調整方法によってではなく、固定した
利益という考え方によってであるが、そのことは利子禁止ということがその本来の構造の基礎目的には決してなっていなかったということを明確に示してい
る。
我々は利子禁止に関する議論はこの辺りで切り上げ、ピサのソ
キエタース法の観察に戻ることにしたい。
IV. ソキエタース・マリスと家族ゲマインシャフト
というのは我々はまだ海上取引に関わる諸ソキエタースの一般
的かつ前述した形でのいくつかの特別な形成物についてまだ詳しく論じなければならないからである。それらの形成物はまさに我々の関心に応えるという意
味で適当であるし、Consitutum
Usus においては"de societate inter
patrem et filium et
inter fratres facta” [父
親と息子の間、または兄弟の間にて結成されたソキエタースについて]という特別な章において取り扱われている24)。
つまりはソキエタース・マリスが次の場合では確実に修正され
ているのである。つまり、ここでの章の表題に示されているようにソキエタースが家族の成員の間で締結されている場合である。それについてここで論じる
べきであると考える。
24)Consitutum
UsusのCapitulo 21を
参照。
ソ
キエタース・マリスが家族連合[associationen]から生じたという仮説
ここで主にジルバーシュミットによって主張さ
れている仮説に対してその誤りを指摘しておかなければならない。その仮説とはピサにおける種々のソキエタースがまさしく家族法を起源にしていると見な
すべきである、というものである。――それはつまりある家族の成員、特に家住み息子が家族の資金を用いてある商取引のための旅を企てた時に、次のこと
の必要性が明らかになったということである。それは申し合わせによって、得られるであろう利益の分配の仕方を定めるということであり、それはその後確
かな商慣習として発展しただろうということである。このような商慣習は、この種の事業が
extraneus [親族以外の外部の者]の資金によって行われている場合には特
に、その事業の基礎的な要素として扱われるということである。
ソキエタース・マリスにおいて複数の
extraneus の間で通用していた根本原則は、家族の成員にとってはそのまま
適用出来るのではなくむしろ逆だったのであり、その原則が家族による成員間でのソキエタースに適用される場合には修正された上で適用されたのである。
その場合に関連法規の理解としては、その法規においての"societas
inter patrem et filium
et inter fratres facta"に
ついての記述に対して、"societas
inter extraneos
facta"に
適用される法文をそのまま適用することに疑問があることが示されており、当面の間は家族間のソキエタースは
extraneus 間のソキエタースの特殊な場合として理解されるようになるので
あり、そのことは法規の該当する章を見れば分ることである。さらに法規の関連箇所の記述を見れば、こうした理解の仕方が事実上の人間関係に適合してい
たことが分る。しかしここで前提とされるのは次のようなことである。この家族の成員の間でのソキエタースがそれ自身の傍らに、一般的でまた同時にある
意味特別でもあるそれ自身に元々備わっていた修正された要素を保持し続けたということであり、その要素の中身をこれから詳しく述べていく。その要素は
自らがその源泉となったものは何であったのかという問いを投げかけている。
まず第一に確認されなければならないのは、この関係において
は純粋に親族関係という要素は意味を持っていないということである。もし in
potestate [ある力を持つ]ではない、つまに共通の家の中に住んでいない
息子または兄弟が、その父親または兄弟とソキエタースを結成する場合、そのソキエタースは
societas extraneorum [親族以外の人間とのソキエタース]と取り扱われる25)。
25)P.887 の
該当箇所を参照。
共通の家計を土台にした共通の労働はここにおいても家族の暮
しの中での経済的に自然な要素である、それ故に法規は父親に対して息子をその家で労働に従事させる権利を与えている。また同じ理由から、息子が父親の
資金を使って海上取引に従事する場合には、申し合わせの欠如により利益は出資比率で[pro
rata]分割された。父親が航海に同行する場合には、父親は常に息子
の分担分として持ち込まれた商品の売却によって得られた利益の1/4を
受け取っており、それは”sicut havere
esset extranei” [あ
たかも息子が赤の他人であると望むかのように]ということであり、しかしその他にも"totum
quod per operam sive alio
modo acquisiverit” [彼
自身の労働によって、または別の何かの手段によって獲得した全ての物]を自分の元に留めていたのである。息子の労働の成果については、最初のケース
[父親の資金で息子が海上取引を行う場合]では、息子には何も与えられず、報酬は直ちに父親のものとなった。父親はここで挙げたような諸ケースにおい
ては、自然な帰結としてそのソキエタースの
capitaneus であったのであり、そのソキエタースはその他の点では親族では
ない他人とのソキエタースの規則に完全に適合していたし、さらにそこではまた利益の分割についての異なったやり方が申し合わせられるのが常であった。
家族ゲマインシャフトの財産法的な帰結は、ここも我々が既に
別の所でなじみとしている事であるが、――家族財産は純粋な個人財産[の集まり]としては扱われず、全ての成員の共通の家計として規定されている。父
親はそれ故に法規によれば随意にそのような[貿易取引のための]ソキエタースを個々の息子と結成し、そのことによって他の成員を蚊帳の外に置くことは
出来なかった。もし父親がそれでも敢えてそれをやった場合には、そこから得た利益は共通財産の収入となった。もしその父親が「それにも関わらず」、家
族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタースを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父
親は家ゲマインシャフトから独立していない[家住みの]息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいし
か出来ず、それ以外に何かを[例えば金銭で]息子に対して支払うことは出来なかったであろう。そこでは次のような考え方が背景にあったのは間違いな
い。つまり、――より以前の時代からの発展に適合する形で――[家族ゲマインシャフトの]共通の財産に対して複数の[それぞれの成員の]勘定が作ら
れ、それは共通財産が外部に対して開示されていないという状態を損なわない形で、また[他の家族との]相互の関係にてそれぞれ共通財産中に分け前を持
つ家族の個別の成員が、自分自身の金銭勘定とリスクの負担に基づいて何らかの業務において企業家としてかあるいは[資本だけの]参加者として関わるこ
とが出来るようになったという形で行われていたが、そういった考え方である。以上のことは次の箇所でも確認出来る。つまりピサの法によれば先に詳しく
述べた父親の[独立しようとする]息子への財産分与義務は、独立前の息子が何らかの違法行為を行った場合に[も]成立しており、そこにおいてはまた共
通の財産に対する分け前への関係においてその息子に固有の、違法行為に対して課せられた罰金の支払いに[も]使用出来る個々の財産について述べてい
る、その箇所である。我々にはこうしたある家族ゲマインシャフトにおいてのそのようにお互いに分け前を権利として認めるという考え方は、共同相続人、
兄弟達、そして一般的に同等の地位にある者達の間であるとしたら何も不思議なことではない。しかし父親と息子達の間でもそのような[等しい]関係を想
定するということは、あまり自然なことではないように思われる。しかし我々は14世
紀における、この先で考察することになるフィレンツェのペルッツィ家とアルベルティ家の会計において次の事を見出す。つ
まり、事実上かつ疑いも無く分割されていない家計が成立した所では、息子達はその父親がまだ存命中はその本来の家計とは別のある一定の金額の勘定をし
ばしば作り、それによって商取引を行う家族によるソキエタースに関与していた。この場合に外部に対して父親が家族を代表しているという見方は疑わし
かった。しかし父親はそのソキエタースにおいて[外部との]契約にサインし、投資を行っていた。しかし父親はそういうケースではあくまで"per
se et filius suos” [彼自身とその息子達のために]それを行っていたのである。
家族の成員に付随する権利についてのこうした見解、つまり共
通の財産に対してのある割り合いによる分け前という考え方がその家族に対してあるはっきりしたソキエタースとしての性格も付与したという見解は、既に
以前から主張されており、その際にまた次の事も注記されていた。つまり家族ゲマインシャフトに対するこうした取り扱いは、家族の資本が何世代にも渡っ
て本質的に商業を営むための財産であった場合には、そういう風に取り扱うしかなかったし、またそういう風に取り扱わなければならなかった。
ピサにおける societas inter patrem
et filium facta は、多く法文の中から読み取る限りでは、その中に多くの要素を
包含している:純粋な商慣習としての要素、契約法を基礎として派生した要素、そして家族財産法から発生した要素、そして我々に対し抑制的な形で示され
ているのは家族成員のそれぞれの分け前分に対する権利[の集合体]である共通の財産、そしてまた家住みの息子達などであり、これらの要素は他の場所で
も、もっともはっきりした形では[シチリア島などの]南イタリアで見出せる。最後の二つの要素はしかしながら他の要素とは区別して考えるべきで、最初
の範疇は家族法から発生するのではない。その源泉は常に同一である。つまり父親と息子が実際に[同じ]ソキエタースの成員である場合であり、そのソキ
エタースははっきりと「名前を持った」[nominata]ものであり、明確に取り決められており、そうでない限りソキ
エタースという形態での利益の分割というものは成立し得ないのである。—そ
の結果として、その基礎となるべきはただ契約のみであった。
ピ
サにおける継承された遺産ゲマインシャフト
こうした[家ゲマインシャフトと契約に基づくソキエタース
の]混合は、また法規が
societas inter fratres facta [兄弟の間で結成されたソキエタース]の場合においてはまた特
有のものとして認められるものであり26)、
そういうソキエタースは多数の独立していない共同相続人のゲゼルシャフト関係と理解することが出来る。
26) P.878f. の
引用箇所
を
参照。
父親は法規によれば、遺言による処分によりそのようなソキエ
タースを自分の相続人に対して基礎付けることが出来たし、同様に相続人達は相続ゲマインシャフトをソキエタースへと作り替えることが出来た。――最初
のケースでは、[遺言に対して]直ちに反対を受けない限りにおいて、またどちらの場合もはっきりとした取消し要求がされない限りにおいては有効であっ
た。後者のケースがその当時基本的に許されていたからといって、次のことを当然と考えるのは適当でないであろう。つまり、結果としてその関係はソキエ
タースの成員達の同意に基づき、即ち原理的にはただ任意の成員間で作られるとかと述べるのは正しくない。解約権の成立は、ソキエタースの契約に基づく
成立とはまったく別物である。このことは実務上は次の事を意味している。つまり共同相続人達がそのソキエタースが解散されるまでは相互
に拘束されており、また特別な意思表示無しにソキエタースの成員として扱われるということをである。さらにまたソキエタースの解散については、様々な
ケースで個々の成員の除権について猶予期間が設けられており、さらに共同相続人の内の一人が業務を遂行することが出来ない場合でも、そ
の者について、権利を取上げることも、また本人からの権利放棄の両方が不可能であることも意味している。それ故に:その相続人ソキエタースは根本的に
は解散するためには、またそこまで無条件ではないにせよ設立のためにも、共同相続人の意思表示を必要とした。
ソキエタースの創設のためには、よりむしろ特別の意思表示を
代替するものとして、明白な共同相続人の「共生」[communis
vita]が確立された。そこからすぐさま派生してくることは、法規が
共同相続人達に対して次のことを命じることである。それは「仮に共同相続人達が共に暮さなかった場合でも」[etiamsi non communiter vixerint]、明示的な契約無しに利益の分割を一定の割合に応じて保証す
ることが出来、その利益はある共同相続人が共通の動産を用いて業務を行って獲得したものである場合、それに対してはっきりした同意の意思表示[expressus
consensus]を与えることで、利益とリスクは通常のソキエタースの成員間
におけるのと同じように分割されなければならなかった。はっきりした同意の意思表示[expressus
consensus]はそれ故にここにおいてはその効果において「共生」[communis
vita]と等価であった。
Vita communis[共生]
1.
前提条件
これら今述べたことはソキエタースの成立についての vita
communis の影響であるとすれば、次のような疑問が生じて来る:この vita
communis という概念は、そういった特別な人間関係を除外してみた場合に
は、それ自体としてはどのような意味を持っているのであろうか?
Vita communis の
ここで述べられた意味での法学的な区別のための目印については、Consitutum Usus は
次のようなやり方で示している27):
1."si de
communi in una domo vixerint” [も
しそのコミュニティーが一つの家に同居している場合は]。—つ
まり住居ゲマインシャフトであり、この先で述べるように家計ゲマインシャフトでもある。不在者、つまり他の住居に住んでいる者はゲマインシャフトの一
員であることを止めることになる。
27)P. 879を
参照。
2."et
contractus et similia communiter fecerint” [そ
して契約またはその同等物を一緒に締結したとしたら]、—こ
れの意味する所は双方が常に一緒に契約を締結するということではなく、双方が契約によって共通の勘定を設定することを意味する。それは
法規の補遺の中で、次のように示されている通りである:"sive
absentes sive praesentes
sint, sive unus praesens alius absens” [双
方とも不在であるか、双方とも居るか、あるいは片方が居て他方が不在の場合]。
3.
共通の資本の存在は要求されていない。一緒に生きるということだけで、"de eo, quod tunc
acquisiverint” [彼らがその時に獲得することになるであろうその物について]
ゲマインシャフトとしての作用を及ぼす[ゲマインシャフトのものとして扱う]ことが出来る。それ故に、資本ではなく、共通の労働にここでの人間関係は
基礎付けられているのである。このことは次のことによっても確認される。つまりこの種のゲマインシャフトが機能するのは、ただ――ヴェネツィアのcompagnia
fraternaの名残として――ゲマインシャフトが男性の成員のみで成立する
場合のみである。ただ労働力を提供する者だけが[ゲマインシャフトの]仲間[Genossen]である。
2. その影響
この共同の生[Kommunion][251]の影響は以下のことの中に現れる。
1.
全ての共通の財産の取り扱いは、特定の動産の直接的な個人的使用にまで及ぶものであった:"de
eo quod tunc acquisiverint
si aliquid eis praeter convenientia vestimenta remanserit, de
acquisitu eorum
sit commune” [そ
の時に彼らが獲得したものについて、もし彼らにサイズの合った衣服以外の何かが残ったとしたら、その彼らの獲得したもの{の残り}は共有となる]28)。
ある持分所有者が外部の資金によってある業務を営む場合、そこから得られた全ての利益はゲマインシャフトのものとなる。この持分所有者がゲマインシャ
フトとは別にある特別財産を持っている場合で、その特別財産またはそれ以外でゲマインシャフトの外部にある彼の妻の嫁資[dos]
をある事業に用いた場合、その場合彼はその事業によって得た利益の1/4を
ゲマインシャフトに入金する、—そ
れは法学的には明白かつ論理一貫したものであり、というのは彼の労働による利益はソキエタース法によれば全利益の1/4に
値すると規定されており、それについてはゲマインシャフトのものとなる。残りの3/4に
ついては出資から得た収益分となる
29)。
28) P. 880 の
引用箇所
を
参照。
29) P. 882 の
引用箇所
を
参照。
2.
それぞれの個々の成員は彼ら自身として共有の財産を使ってそれにより何かの業務を営むという権利を付与されている。そして法規は確かに、他の成員に対
して2日
の猶予期間の間での異議申立の権利を付与している。しかしその異議申し立ては、当該の業務について、その業務を企てた者[企業家]がそれを自分の勘定
にて引き受ける限りにおいて、その企業者の個人的な勘定に対して作用するだけであり、その企業家の勘定がそれ自体を超えてさらに何らかの[共有の]資
金を必要とする限りにおいては、異議を申し立てる者はなるほどその勘定の中の利益については関与するが、全ての成員間においてのリスクについては関与
しなかった。それ故に一人一人の持分所有者は自分自身の勘定の分を超えて[ゲマインシャフトの]財産を使って業務を行うことが正当化されている。他の
持分所有者はこの個々の持分所有者の行動を止めることは出来なかった。ある一人の持分所有者の勘定の中で行われた
comperae[252]に対しては、他の持分所有者は介入権を持っていた。(今日の合
名会社の場合と同様。)
3.
各持分所有者に個人的に必要なお金は共通の財産から充足されたが、それはあくまで個人レベルの需要に限定されていた。もし持分所有者の中の誰かが過度
の出費をした場合には、法規は他の持分所有者に対して異議申し立ての権利を認めていた。しかしその異議の及ぶ所としては、持分所有者同士の関係の中
で、より安い金額の見積りを証拠として、その出金をした持分所有者が多く使った分を異議の結果として取り立て、異議を申し立てた持分所有者達の勘定に
それを入れるということだけに限られていた。このように一見独特な規則の存在は、先に述べた見解、つまり[法の]発展は一般的に元々正当であった持分
所有者の無制限の財産についての処分権を制限する方向に推移していたという見解に対する一つの明白な証拠である。
以上がピサの法における communis vita の
中身である。我々はこれまでに次のことを見て来た。つまり communis vita は、
それが成立する所ではそれが維持される方法としては、一つは遺言によって形成の指示があったソキエタースによってであり、またもう一つは共同相続人達
がソキエタース・マリスの形である業務を営むという形によってである。また
communis vita は明示的なソキエタース契約の締結を代替し、またそれはいわば
共生の精神[animus
associandi]を文書化することによって具現化するのである。共同相続人達
の間でのソキエタースは従ってただ契約だけに基づく訳ではない。しかしそうではあってもそのソキエタースの中には契約というものに適合
した要素が含まれているのである。文献史料で見る限り重点は以下の所に置かれている。つまりこのソキエタースもまた"societas
nominata” [当時者間の明確な合意に基づくソキエタース]であるという点
である。ソキエタース・マリスの法からこの
communis vita のソキエタースは利益配分のやり方を受け継いでおり、――vita
communis それ自身のソキエタースにおいては全ての業務が全ての持分所有
者の勘定に対して等しく収益をもたらす場合には、一緒に住んでいる者達のソキエタースが構成されている所では、コムメンダの原理に従った利益の分割の
仕方が登場してくるのであり、まさにこのことから判断する限り、根源は明らかに家族財産法にあるのではなく、ソキエタース・マリスについての任意法を
基礎とする法原則にあるのである。
Societas
omnium bonorum [全
ての財産が現在及び将来において成員間に共有されるソキエタース]
我々はこれまで完全な家計ゲマインシャフトとしては、家族仲
間[Familiengenossen]によって構成されたもののみを見て来た。
非親族との間の同様の関係については、Consitutum
Ususの中には societas omnium bonorum[全ての財産を共有するソキエタース]と
societas lucri [共同事業で得られた利益のみを共有するソキエタース]につい
てのわずかな注釈があるだけである30)。
後者と前者の違いは次のことにある。つまり後者は利益のゲマインシャフトであり、前者の場合は全ての最終的な資本全てが頭数に応じて分割される。
societas omnium bonorum においては――このことはランゴバルド法の兄弟間のゲマイン
シャフトの規定を思い出させるが――ただ封土と土地貸借のみがゲマインシャフトから除外されていた。それ以外にどのような事実がここで与えられた概念
に適合するかということは不明瞭であり、ただ次のことが推測出来るだけである。つまりこの非親族との間でのソキエタースは、communis
vita で家族の成員の間で適合する関係が非親族との間の関係でも使わ
れているということである。
30) P.883 の
引用箇所
を
参照。
ピ
サにおける連帯責任原理
もし我々がそれでも完全なまでに規定されているこの[vita
communisという]制度に対してどのように連帯責任の原理を位置付けられ
るかという問いかけをする場合には、その場合にはここでもまたまず次の事を強調すべきであろう。つまり、法規の中でそれが言及されていないことを即ち
それがピサにおいて存在していないと結論付けてはならないということである。取り分けこれまで詳しく述べて来た家計ゲマインシャフトの内部に向かって
の構造は連帯責任を、ここでは全てのゲマインシャフトの財産の外部に向かっての責任を仮定しているように見える。連帯責任について法規の中で言及され
ていないということは、ここで主張した見解が正しいならば、次のことから説明出来るかもしれない。つまりピサにおける連帯責任は、ジェノヴァの場合と
同様に、中心に存在している貿易取引にとって何の意味も持っておらず、というのは貿易取引はコムメンダという法形式を利用していたからである。Consitutum
Usus の中に含まれているソキエタース法は、その結果として連帯責任
について全く触れていないだけではなく、むしろ逆のことを規定している。
V. Compagina
de terra [陸
上のコンパーニャ]
海上取引のゲゼルシャフトについての法形式は、ここにおいて
また、ジェノヴァとピアチェンツァにおけるのと同じく、陸上取引についても適用されている。
Dare ad proficuum maris
に相当するのはここでは"dare ad proficuum de
terra in bottega
vel alio loco" 31)[陸上取引で得られる利益のために、bottega
ま
たは他の場所にあるものに対して出資する]であり、ただここでは投資した場合に得られる固定の利益の料金表が欠落しており、そして全ての関係はまだ貸
借の関係として構成されており、そこにおいてはトラクタートルが責任を免れれるのは不可抗力の通知をした場合のみである。
31)Capitulo 22
l.c.
Compagnia de terra32)は
様々な形態を取ることが可能であった。――それはまずは商用の旅に関連付けることが出来、それはソキエタース・マリスと同じであり、ただこの場合は旅
の目的値が海の向こうではなく陸続きの場所というだけである。
Compagnia de terra はまた――そしてこの場合においてのみ特異性を示すのであるが
――ある店/工
房、"bottega"においての業務の遂行に関連付けられることが可能である。
32)Consitutum
Ususのc.23のde compagnia
de terra, P.897の
該当の箇所.を
参照。
このcompagnia de terra の形態では、出資者側のリスクが[陸上取引なので]軽減されて
いるという事情に合わせ、企業家の利益の取り分は全利益の1/3に
なっている。これはソキエタース・マリスの場合では出資比率がトラクタートルが1/4、
出資者[ソキウス・スタンス]が3/4の
場合、利益は折半になっている。法規はここにおいても、トラクタートルが独立した企業家であるかどうかということを区別している。("cum
jam de suo quis
negotiationem facere paratus fuit vel alterius")[既にある者が自分自身の資本でまたは他人の資本で業務を行
う準備が出来ている場合に]――それから出資が一方的で[トラクタートル自身が出資しない]場合は、トラクタートルは全利益の内から分配割合に従い2/3を
出資者に戻す。それからその他の場合ではトラクタートルは完全に独立しており、資本家は単なる参加者である。――またはトラクタートルが多かれ少なか
れ資本家達に従属した手足である場合である。最後の場合ではトラクタートルは多くの場合ある決まったbottegaと
関連付けられて考えられており、そのbottegaと
契約することで資本家はトラクタートルと契約するのであり、トラクタートルは自分の1//4の
出資分を超えて第三者の外部の商品を出資として受け入れることは出来なかった。後の時代になって明らかに追加された規定としては、トラクタートルとあ
る特定のbottegaを
関連付けるという直接的な強制を除外するというものがあるが、そのことによって高い明証性を持ってそうした除外が元々存在していたと結論付けることが
出来る。このことからまた、次のことも確からしいと考えることが出来る。つまりトラクタートルのbottegaに
対する広範囲で見られた依存関係を考慮に入れた場合、bottega に
おけるトラクタートルは隷属的な手工業者のやり方を引き継いだいわば後継者であったということである。それは
fattore [使用人頭]、famulus [家
奴]、Kommis
[手代・番頭]が隷属的な使用人の後継者であったのと同じで、委任される者[Kommendatar]
は隷属的なKargadors[253]の後継者であった。より確定的なことを述べるのは不可能である
が、次の考え方はしかしながら確実に存在している。つまり
societas de terra と今まさに述べて来たやり方での隷属的なトラクタートルはまた
法形式としては、今日我々が家内制手工業と呼ぶある程度の大きさの産業と労働者の関係に適用されるものと同様のものであった。Consitutum
Usus の法規定により決められているように、こうした製造のための集
団[association]において製造業者はトラクタートルの労働によって作り出され
た商品から得られる利益の配分についてのある種の独占権を留保しており[第三者の出資の禁止により]、製造業者はトラクタートルに対し手工業生産のた
めの機械や治工具、家具、そしてしばしばある種のCottage-System[254]――住居または bottega を
提供している33)。
33)
疑いもなく存在していた家内制手工業の法形式についてより深入りするのはこの論考の目的ではない。スティーダ[255]の Die deutsche
Hausindustrie に
よるこの制度についての全ての経済学的な指標はしかしながらこの論考で述べて来た様々な人間関係に当てはまっている。ほとんど全ての規定の中に大商人
または大工場経営者と手工業マイスター[熟練職人]達との間のこの種のソキエタースの結成を禁止する条項が何度も繰り返し現れている。もちろんこうし
たソキエタースの禁止は社会政策的に労働従事者や手工業の保護を目的として追求したものではなく、いずれにせよ一義的にはそうではなく、その他の大工
場経営者達を手工業によって製造された安価な商品との競争からと、労働力の供給の全てを個々人の利益のための独占から守ることが目的であった。――後
述の注35も
参照せよ。
合
名会社と合資会社の原理上の違い
製造業者にとってそのような状況があったのであれば、我々は
観察結果について次のような興味深い証拠を再び手にしたことになる。――その観察結果はラスティヒが詳しく述べた見解に近付くのである
が――それはつまりコムメンダ関係とそしてそれに続きさらにはまた合資会社へも発展していく人間関係が、その出発点は経済的に見て、またさらにはそう
いう言い方さえ出来る、社会的に平等ではない地位の者達の連合[association]であるということであり、その一方では連帯責任原理というも
のが、相互に平等であって原則的にはある財産に対して平等な処分権を付与されている者達のゲマインシャフトから生まれているということである。ピサに
おける様々なソキエタースが、そこから連帯責任の原理が生成される基礎では決して無いと言う事例を我々は数多く目にすることが出来る。ここで問題とな
るのはただ次のことである。つまり可能性としてソキエタースの財産に対しての制限の方策が、特別財産一般の形成を、つまりまた公開会社[ゲゼルシャフ
ト]の形成を、抑制する方向に働いたのではないかということである。特に次のことは確からしいと言えるであろう。つまりbottegaと
それに属する財産についての責任を制限することが、その制限はソキエタース・マリスからの類推によって
compagnia de terra において生じたに違いないののであるが――文献史料はそれにつ
いては何も言及していないが――、公開会社[ゲゼルシャフト]においての業務によって生じた財産に対する、先に述べた制限の強化を促進したのである
と。それ以外にソキエタースの財を特別な勘定に入れるという簿記上のやり方も、つまりそれがどのようにジェノヴァの文献史料及び海上取引に関わる諸ソ
キエタースにおける事物の本性[die
Natur der Sache][256]から発生したのかということも、また連帯責任原理の生成への抑
制に影響力を持っていたと言える。文献の位置付けについてはしかしながら未定のままにしておかねばならない。
ソ
キエタースに関する諸文献
これまで詳しく述べて来たことから導き出されることである
が、ピサの法規がソキエタース法に関する研究に対して相対的に多くの材料を提供している一方で、その研究調査の成果物は非常にわずかである。—ボ
ナイーニが
出版した書籍において、compagnia
de terra においての対立する意味として次の二つが例示されている。その
一つは 1.利益の取り分という意味での労働の対価、そしてもう一つは2.
利益の取り分という意味での資本投下の対価、である。
1.
の例としては1337年
の次の文献がある:
Toccius maliscalcus …
posuit semetipsum cum
domna Cia … ad standum et morandum cum ea ed ejus familia ad artem …
matiscalcie et fabrorum faciendam et exercendam in apotheca ipsius dae
Ciae et
extra, ubicumque lucrum … percipiendum erit, hinc ad annum unum … et
ei ejusque
familiae … serviet pp. [蹄
鉄工の
Toccius は Cia 婦
人と次のことについて合意した...つ
まり彼女とその家族の元に留まりさらに滞在し続け次のことを行うことを。...職
人として蹄鉄工の仕事にCia婦
人の作業場にて従事し作業することを、またはそれによって利益を保証される限りにおいては別の場所でも...こ
の日付から1年間...彼
女とその家族に奉仕することを。等々][ここで書かれた蹄鉄工の仕事の]利益はまずは Cia
婦
人のものとなり、Toccius は賃金として月に45ソ
リドゥスを得、さらに全体の利益の1/4を
得る。
こ
こにおいては Cia
が
ソキエタースの capitanea [capitaneus の
女性形]であり、Tocciusは部分的には従僕でありそれに対しては賃金が支払われ、また同
時に全体の事業に対するトラクタートルなのであり――それに対しては利益の一部が与えられる。
2.
の例として存在するのは1384年
の次の文献である:
Carbone … ligator
bellarum de Florentia … et
Joannes filius dicti Carbonis ferrovecchius … ex una parte, et Berthus
furnarius … ex una et alia parte fecerunt … societatem … in arte … de
ferrovecchiis, vendendi ad minutum et alia faciendi per dictum
Johannem … in
quadam apotheca posita in civitate Pisana conducenda … In qua …
societate
dictus Johannes mittat … suam personam et industriam … Et dictus
Berthus mictet
… florenos 200 auri … in florenis, mercantiis pp…. investiendies per
dictum
Johannem in mercantiis pp…. Et debet dictus Johannes … esse caput et
major in
dicta apotheca conducenda pp. [Carbone
は...フィ
レンツェの貴金属についての責任を負うことになる...そ
して前述の Carbone の息子である
Johannes は
貴金属を扱う商人であり...この Johannes を
一方のメンバーとし、そして金属加工の職工である Berthus を...も
う一方のメンバーとしてソキエタースを結成する...次
のやり方で...金
属屑については、小物とまた他に作られた[大きな]物は前述の Johannes に
よって販売され...Johannes はピサにある店[倉庫]において契約し...そ
のソキエタースにおいては前述の Johannes は
彼自身の労働力と業務を提供する...そ
して前述の Berrthus は mictetす
る[257]。...200フ
ローリン金貨が...フ
ローリン金貨で、商品に、等々...前
述の
Johannes はによって商品その他への出資が行われる等々...そ
して前述の Johannesは...前
述の契約した店[倉庫]において[その事業の]責任者かつ管理者とならなければならない、等々。]店[倉庫][apotheca]の家賃と Johannes と
その従者の生活費、さらに同様のソキエタースにおいて慣習的に差し引かれる経費を控除した後に残ったものが、利益の残りとなる。そして4年
が経過した後の最終資本は半分ずつに分けられる。
Ricordi
Di Cose Familiari de Meliadus
Baldiccione De'Casalberti Pisano[258]は一人の資本家について言及している。その者は、同様の後継の
資本家がジェノヴァにおいても登場するが、同時にかつ継続的にその資本を海上または陸上における非常に様々な事業に投資しており、その大半はソキエ
タースにおいてであった34)。
34)Archivio
storico italiano App. t. VIII. 単
純なコムメンダ、例えば1344年:Commuccio … e
Barone suo figliolo de Piombino dîno dare a me Milisdusso Balduccione
… che li
diei loro in compagnia di pescara in Corsica fior. 6 d’oro e
altretanti ne die’
loro Andrea Masso … [Commuccio と
その息子であるピオンビノ[259]の Barone は
私こと Milisdusso
Balduccione に
与えることについて...そ
の者達は私と彼らが compagnia を
結成してコルシカ島で魚の売買をした日に6フ
ローリン金貨を私に与え、同じ額を彼らは Andrea Masso
に
も与え...]
利益の分割の割合は自明なこととしてここでは言及されていない。同様に:1344年:Commuccio …
de’ dare a me Miliadusso Balduccione … che li diei in Cia ad andare in
Corsicha
a la parte … a mio risco di mare e di gente fior. 12)[Commuccio は...私
こと Miliadusso
Balduccione に
与えることについて...そ
の者が compagnia を
結成してコルシカ島に行った日に次の部分に対して、つまり海の危険の分と人員の費用として12フ
ローリンを私に与える。]この部分では1フ
ローリンと12ソ
リドゥスの他に12フ
ローリンが支払われていることが明記されている。—Compagnia di
terra:1357年
の文献:50フ
ローリンがbottegaに
おいて委託され、...e non li
de’ mettere in mare e se Dio li fa bene de’ fare bene a me e se danno
lo
simile, la parte che ne toccha a 3 mili donari, [そ
してその者はそれを海上取引に持ち込んではならない。神がその者に幸運を与えるのであれば、その者は私にも同じようにしなければならない。同様に貨物
に損傷が起きた場合には、その者は私の持分である300デ
ナリまで補償しなければならない。]――この場合は明白なこととして[他のソキエタースの成員の行動に]干渉権を持たない単なる資本参加である。
一人の製造業者[工場主]と一人の労働者35)の
連合[association]についての文献としては、ビーニ[260]編のもの(I Lucchesi a Venezia I
p.50)があり、その文献はまた先に述べて来たこの種のソキエタース
のピサという都市に対しての経済的な意義をまた裏付けている。――これ以外には証拠となるような文献素材は存在していない。
35)Joannes
quondam Buncontei Paltoris tintor ex parte una, et Cincius quondam
Tedaldini et
Franciscus filius Campanari ... mercatores sete et filugelli pro se
ipsis …
intendentes simul compagniam et societatem facere in arte tingendi …
setam et
filugellum … et propterea apothecam communem et masseritias et alia
utilia et
necessaria habere … Joannes … exercebit et operabit artem tintorie
bona fide …
custodiendo et gubernando feliciter setam et filugellum … [以
前は Buncontei
Paltoris で
あった染物職人の Joannes を
一方のメンバーとして、そして以前は Tedaldini で
あった Cincius と Cappanariの
息子である Franciscus は...生
糸と蚕を自分達自身で扱う商人であり...以
下を行おうとしている。Compagnia と
ソキエタースを結成し染色を行う...生
糸と蚕を...そ
してそのために共通の apotheca [店]
と作業場とその他の設備と必要なものを保持する...Joannes は...染
色作業と設備の操作を誠実に行い...生
糸の生産と蚕の飼育を自発的に維持し管理することを... ]
それもある業務を執り行うための bottega に
おいて。Joannes は
その割り当て分として500リ
ブラ{ポンド}を得、さらに設備と利益の1/2を
手元に留める。第三者と[さらに別の]ソキエタースを結成することは出来ず、他の者のための染色作業も行うことが出来ない。製造業者が労働力を自分の
ためだけに使うように独占することはおそらく次の人間関係《の規定》と同じであり、それは文献の中では手工業者とのソキエタースの結成の禁止の所で扱
われている人間関係である。禁止の理由は、それについては既に注33で
述べているが、手工業者の社会的・政治的な保護という側面は小さく、むしろその中に見られる競争とまたそこからの懸念としての労賃の上昇を抑止すると
いう側面が大きかった。
既に言及した労働者と手工業者の古くからの依存関係は、未だにある個別の専門分野に属している互助的な小事業に従属していて、その個別の専門分野に該
当するギルド[Zunft]
の中に出現しているのである。
成
果
ここまでのピサの諸法規についての観察の成果としては次のこ
とが挙げられる。つまり、Consitutum
Ususがソキエタースについて規定している箇所では、合資会社的な関
係が存在していることを確認出来たことである。—歴
史的に見てのこれらの法形態と合名会社36)と
の間においてのはっきりした対立は、ここにおいてまさに明確に現れているのである。
36)
歴史的な事実として、両者[合名会社と合資会社]は異なった起源からそれぞれ派生して来たということは、多くの独断的な見解を吟味する上では重要であ
る。
ギー
ルケ[Die
Genossenschaftstheorie und die deutsche Rechtsprechung]
が合名会社を個人を対象とする法規に基づく関係であると描写する場合、その描写はあくまでも彼がその際に理解している意味においてのみ認容することが
出来る。その意味とはソキエタースの成員が実際の所 stare ad
unum panem et vinum [一
かけらのパンと一本のワインを分け合う]ということによって相互に関係づけられている、ソキエタースの成員の総体的な財産権における人格として、とい
うことである、――しかしギールケはさらに(p. 454 の
該当の箇所)合資会社に対して概念的な構成を行おうとしている。それによれば、その際には「制限された株式による財産権を持った人格」、つまり有限責
任社員が合資会社に従事しているのであり、しかしながらそのことは株式による合資会社についてあまり一般的では無い「代替可能となった人員」という概
念を導き出している。そうした議論は非常に独断的でかつ必ずしも正しいとはいえないように見え、有限責任社員のある決まった額の出資金に固定された会
社への参加の程度がどのように次のことを導き出すことが出来るか、つまり財産権の観点で見た法人の人格性の一部[である有限責任社員]についての別の
意味を説明することが出来るかどうかということであるが、その説明については何か別の義務的な人間関係についてのものをそのまま適用しているように見
える。出資者は合資会社における労働力の、またはその会社財産のどの任意の部分についてもそれを自由に使うことは出来ず、自由に処分可能なのは自己の
出資分の固定された金額についてのみであり、それは金銭貸借における債権者の立場と同じことである。その出資者の全体の活動においてのビジネスの部分
については、[合資会社という]ソキエタースの関係によって影響を受けることはまったく無かった。歴史的には完全に次のことが確認可能である。つま
り、合名会社が実際の所前述したような意味での人格権と名付けられるような人間関係から派生したという一方で、合資会社はまったく異なる前駆体から出
現したのであり、その前駆体においては最初から[後の]有限責任社員においてその[合資会社の]業務全体についての関係を扱っているのではなく、その
業務の意味は、本質的にはただ出資を通じて参加するだけである。有限責任社員にとってはその参加の度合いというものは出資した金額の範囲内に制限され
ていたのである。
合資会社が合名会社にとって次の発展段階であるというような、そういう事実は見出せない。そうではなくて、合名会社と合資会社は歴史的にも理論的にも
お互いに同じレベルで鋭く対立するものなのである。
V. フィレンツェ
フィ
レンツェにおける産業上の財産
フィレンツェにおける商法の発展については、既にラス
ティヒにより繰り返し主張されているように、カテゴリーとしてイタリアの沿岸[港湾]諸都市のそれと対比されるものとして把握されかつ説
明されている。フィレンツェは、コムーネにおける独立した法規という形での法形成が始まった時代においては、内陸都市であって、その海への出入り口と
して唯一関税徴収のための税関が無い商用の道路が、その前にあるピサの領土によって封鎖されていた[261]。このフィレンツェにおいては本来のものとしての大規模な交易
と遠隔地との交易を資本形成の基礎として説明することは出来ず、フィレンツェ自身が作成していた法形式については、ここでは独自のものは存在していな
かった1)。
そうではなくて経営活動については、産業においての労働への言及という形で行われていた。大規模な産業によって形成された財産がこの都市の経済的な力
の基礎となったのであり、そしてまた大規模な同業者組合[Konsortien]によるが、それは14世
紀においてはイングランドのエドワード王[エドワード3世]、
ナポリのアンジュー家[ロベルト1世]、
ギリシアにおけるラテン語話者住民、イタリアにおけるグエルフィ[教皇党]に対する資金援助を行っていた。その同業者組合はツンフト[ギルド]のメン
バーの中の大規模ないくつかの家によって形成され、特に毛織物業者の集まりから、――つまりアルテ・ディ・カリマラ[Arte
di Calimala]という毛織物業者組合から、ペルッツィ、アルベルティ、バル
ディッサ、アッチャイオリの各名門家が出現した。このような産業における財産が何世代にも渡って取り組もうとした経済上の課題は、同時
にツンフトの法規においての立法上の課題でもあった。疑いも無く、発展の最初の諸段階においては、商品の売買というものは商品の製造の後ろに隠れた存
在であり、我々はその点において労働ゲマインシャフトの力強い発展を、特に家族ゲマインシャフトの力強い発展を予期するのである。――それの意味する
所は、家族こそ産業におけるゲマインシャフトの自然な土台であり、そしてただ父親達から息子達や孫達へと代々継承された緊密に保持された大資本がその
労働ゲマインシャフトの優先的地位を継続させることが出来たのである。 1)
1)
コ
ムメンダ関係についてはアルテ・ディ・カリマラの法規(エミリアーニ=グイディーチ[262]編
のStoria dei comuni)
のI c. 59で
非公式のものとして言及されているだけである。
I. 法規における文献素材。発展段階。
そしてそれが実際に起きたことだった。
ラスティヒは2)、1309年の Generalis balia、
法規の1320、1321、1324、1355年の各版と、1393年
のアルテ・ディ・カリマラと die
Statuta mercatorum によって構成されている発展の順序について論述し、そして類似
する箇所をまとめて並べることによりその内容を一目で分るようにした。
2)
既に引用済みの商法雑誌の論文を参照せよ。
そこで述べられている発展の経緯は、本質において上述した一
般論としての発展と同じであり、特に次の点においてそうである。つまり連帯責任の前提条件として、より古い時代の文献においての"communiter
vivere” [一緒に生きること]に後に"eandem mercantiam et
artem exercere” [同じ商品を扱い同じ仕事に従事すること]ということが付加さ
れているという点においてである。個々の法規からの引用を並べてみることをここで繰り返す必要はないであろう。――
ゲ
ゼルシャフトの連帯責任についての血縁関係の意味
より古い版の法規においては、連帯責任はまず第一に一緒に生
活している[communiter
viventes]「肉体における兄弟[fratres carnales]」
のものとして言及されている。ラスティヒはまたここから一つの――実際の所はあまり有力とは言えない――論拠を引き出しているが、その
論拠とは純粋に血縁関係による観点を優先して考えることへの論拠である。次の考え方は――ここで再度手短にこの問題に立ち入るが――疑う余地が無い。
それはつまり確かな事実から考えてジッペ[氏族]の仲間の間におけるお互いの責任関係がより古い制度であるという考え方である。しかし
ながらそれは少し誇張されており、それ故にここでの結論としてはより後の時代になって家のゲマインシャフトに基礎を置く連帯責任がその古い[氏族の仲
間の間での]責任関係の発展形として「出現した」のだということになる。フィレンツェにおいてはラスティヒによって引用された法規の諸
版の中で最も古いもののさらに前に既に、ソキエタースの成員間の連帯責任を承認する原則を見出すことが出来る:Custodes
nundinarum Campanie et Brie、つまり[フランスの]シャンパーニュ[とブリー]の大市[263]の警備当局が1278年
にフィレンツェの警備当局に対して、ある何かの罪[または債務]によって逃亡者となった Lapo
Rustichi について、その者本人とその者のソキエタースの仲間について財
産を差し押さえ身柄を拘束することを要請している3)。
同一の警備当局が1300年にフランスの裁判所に対して、フィレンツェの
Scali の
ソキエタースによる Guido Pazzi という者の債務に対しての強制執行を行って欲しいという内容の
依頼をしている。そのソキエタースは"nomine
suo et dictorum sociorum
suorum” [そ
の者自身と前述のその者のソキエタースの名において]シャンパーニュの大市と"per
suorum et dicte societatis
venditionem bonorum” [そ
の者自身と前述のソキエタースによる商品の販売について]4)契
約していた。1303年には、ソキエタースの債務に基づく支払いの不履行によりフィ
レンツェのコムーネによって[更なる借り入れを]禁じられた5)と
いうフィレンツェの市民が、それに対してその男はソキエタースの成員ではなかったと抗弁しており、さらに次のように主張している:
„que li livres et
l’escripture toute dou dit
Francoiz furent venues a Paris … par la quele escriture il ne fu
onques trouvez
comme compains … Item que la coustume de la dite vile de Florence est
tel que
qui est compains d’aucune compaignie, ses nons est portés au Conses de
la vile
et autrement il n’est pas tenus compains” [そ
の書物と書面は全て前述のフランソワがパリにやって来たと言っているということを...ど
んな他の文献によってもその者はかつてソキエタース{コンパーニア}の成員と見なされたことは無い...さ
らにフィレンツェの前述の町の慣習法は何かのソキエタースの成員である者は、その町のConses[264]に名前が記録される、そうでなければその者はソキエタースの成
員とは見なされない。]
Scaliの
ソキエタースは、その破産について ヴィ
ラーニ[265]が1326年
のこととしてその年代記で述べているが、このソキエタースは1326年
の時点で既に100年以上も存続しており、同様にアルベルティ家とペルッツィ家の
ソキエタースが後の時代と同様な形態で既に13世
紀に存在していた。
3)Giornale
Storico degli Archivi Toscani[ト
スカーナ州の古文書館の史料]の Iのp.246を
参照せよ。In dem
Excitatoriumの
項の252ペー
ジにこの例と同様の例が見られ、そしてまたロマニストの主張する Institorats[266]の
概念を使った論理構成が既に行われている:"quod
dictus Bartolus et Grifus fratres et Johannes Adimari mercatores
predicti, dictum
Lapum pro ipsis ipsorumque societatis totius nomine, constituerant in
solidum …
actorem et nuntium specialem negotiorumque gestorem, prout in
instrumento …
vidimus …” [前
述のBartolusとGrifusの
兄弟、そしてJohannes
Adimari、
これらの以前言及した商人達は、前述の Lapus を
自分達と自分達のソキエタース全体の名前において、全員一致で指名した、代理人、特別かつ仕事上のメッセンジャー、また仕事を遂行する者として、この
文書に書いてある限りにおいて、...我々
は確認した...と
いうことを]ここで示された文献は責任についての法的な根拠としてではなく、[委任された者の]身分と正当性の証明のために引用されており、それもよ
うやく2番
目の手
紙においてである。
4)1284年
にロンドンにて発行された受領書(バルドゥッツィ・ペゴロッティ[267]の Della decima
e di varie altre gravezze imposte del comune di Firenze t. II のp.324)
にて
Simone Gherardi は
次のことを告白している、della
compagnia di Messes Thomaso Ispigliati e di Lapo Ughi Spene: … che io
ò
ricevato e avuto per me e per li compagni desla vandetta compagnia etc[大
市におけるソキエタース{コンパーニア}の仲間である Thomaso
Ispigliati と Lapo Ughi Speneに
ついて:...私
は私の名前においてと販売のためのソキエタースの仲間の名前において受領し所有した、等々]。
5)Giornale Storico degli Archivi Toscani Iの p.272を
参照せよ。
諸法規が後の時代になってもなお肉体における兄弟[fratres
carnales]における責任を最上位に置いているか、あるいはただそれだけ
に言及している。そこで行われているのはまったくもって a
potiori[268]なやり方である:フィレンツェ人におけるソキエタースは圧倒的
に多くは家族ソキエタースであった。このことにはまったくもって経済的な理由があった:親族以外のメンバーとの連合[association]の当時のまた今日においてものアキレス腱[致
命的弱点]は、ある成員の死亡によるその連合の崩壊と、その成員の死後遅
かれ早かれ連合の財産を――流動化[資産売却による現金化]しなければならない必要性であり、多くの場合それは多大な損失を伴うものであった。この危
険を伴う不測の事態について、何世代にも渡って継承され、家計ゲマインシャフトに基礎を置く家族連合[association]においては、相当な程度までこのリスクを軽減することが出来
ていた。産業における財産の存続と連続性はここにおいて確固たる自然な土台を持っていた。しかしそれにもかかわらず、家族ソキエタースにおいてもまた
次の規則を持っていた。つまり、そのソキエタースの中心部を成す家族の成員以外に、その家族の名前がゲゼルシャフトの名前となっていたのであるが、家
族ではない成員の存在を許容しており、その者達の権利は家族成員と同等であるという規則である。この規則はアルベルティ家とペルッツィ家のソキエター
スに関する書面に疑いもなくはっきりと現れている。
ここにおいて言及された方式の全てのソキエタースは、それに
ついては既に述べて来たが、ある種の家族的な性格を持っていた。その性格は非常に個人的な、根源的に常にそれと結び付けられていた家計のゲマインシャ
フトによって強められており、ソキエタースの成員間の信頼関係を作り出していたのである。
家
族とソキエタースの類似性について
1.
仲裁裁判
家族仲間の間での争いごとは、ソキエタースの成員間のそれと
同様、ここフィレンツェにおいても他の都市と同様に、正規の訴訟手続によっては解決されていなかった、――根源的に見て明白なこととして、そのような
人員間の果たし合いのような裁判上の手続が不適当であることにより、――そうではなくて権威者[ex
officio]による強制的な命令による仲裁によって解決されていた6)。
6)Statuta
Populi et Communis Florentiae は1415年
に Edit. Friburg-Florentiae,
l. II c. 66 を
最終的に改訂している。また Statuto dell’ Arte di Calimala I 60.
を
参照せよ。ほとんど全ての法規ににおいて繰り返されているソキエタースの成員がお互いに証人として出廷することが出来ないということと、それに適合し
ている証言の拒否についての法、例えば Decisiones
Rotae Lucensis 35 を
比較せよ。
2.責任と相続財産分与義務
家全体での責任については、—ソ
キエタースの場合は基本的に使用人頭[fattori]
と徒弟[discepoli]の責任も、家族の場合は家住み息子の責任も、主人または父親
に対して、そしてその逆の責任も、Statuta
Populi et Communis Florentiae
l. II c. 110 と
ツンフト[ギルド]の法規(ラスティヒが引用した箇所)によって等しく認められていた。家族仲間[Genossen]の責任に関しては、諸法規はまたここにおいて固有のものであ
り、そして我々にとっては別の場所で既に出会っている相続財産分与義務と――そしてそれに関連する権利とを――家族の中のある債務超過の状態にある成
員の相続分について無限責任として規定している。――これと全く相似の形でソキエタースについて、Statuto
dell’ Arte di Calimala (I c. 62)
における規定は、強制執行を次のことに関して定めている。
"compagni e compagnia e
gli altri … salvo
che se’l maggiore o lo scrivano di quella compagnia … giurasse … che
quello
compagno, per cui si domanda, non abbia del suo nella compagnia, in
questo caso
non siano tenuti di pagare per lui. E se … dicesso che egli avesse
meno …
facciasi l’eccecuzione solo in quella quantità che s’ha … “ [ソキエタース{コンパーニア}の成員とソキエタース{コン
パーニア}と他のもの...も
しソキエタース{コンパーニア}の支配人またはソキエタース{コンパーニア}における雇われ人が...誓っ
たのでなければ...その者について問い合わせがあったソキエタース{コンパーニ
ア}の成員が、そのソキエタース{コンパーニア}において何も所有していない場合には、そのソキエタース{コンパーニア}の他の成員はその者に代わっ
て支払うことは無い、そしてもし...彼
が彼自身で[請求された金額より]少ない金額しか持っていないと言われているとしたら...強
制執行[269]についてはただその者が保有している範囲内で行うものとする...]
こ
こにおいては、忘れるべきではないが、個人に対する債権者のことを扱っているのであり、我々はここにおいて以前述べた最初の発展段階について確認する
ことが出来る:つまりソキエタースにおいて責任というものが占めている位置に、直ちにかつ直接的にゲマインシャフトに対する強制執行が登場して来るの
であり、ソキエタースにおいては財産分与の義務と債権者による財産分割の要求が登場して来るのである7)。
7)
[ヴェーバーがこの論考を執筆していた]今日の商法典[HGB]
の第119,120。126、127条
を参照せよ。
3. ソキエタースの成員の個人的関係
家族仲間の場合と同じように、ソキエタースの成員においても
ゲマインシャフトの効力はゲマインシャフト全体の業務を主とする暮らしに対して及んだし、また全ての重要な個人的な関係に対しても及んだ。フィレン
ツェ以外の土地での結婚、つまり管理不能の場所での結婚は、ソキエタース[コンパーニア]の許可無しにはソキエタースの成員、使用人頭[factor]、
そして徒弟[discipulus]には認められていなかった8)。
それらの者達は、彼らがツンフト[ギルド]のメンバーであるソキエタースに所属する限りにおいては、そのツンフトから脱退することは許されていなかっ
た9)。
また彼らはソキエタース[コンパーニア]の仕事以外に、さらに別の自分自身の仕事をすることも許されていなかった 10)。
8)Statuto dell’
Arch. di Calimala I c. 75を
参照せよ。
9)
上掲書 c.81。
10)
上掲書 c.67。
4. 家住み息子と使用人頭
商人[のソキエタース]におけるfattore――
使用人頭[270]――とdiscepolo――
徒弟――の位置付けは、家住み息子の位置付けと非常に似た形で規定されている。家住み息子と同じように、fattoreは
基本的にゲマインシャフトの全てを手に入れているが、その者自身はあくまでそのゲマインシャフトにおいての非独立の一部分として所属しているだけであ
る11)。fattore と discepolo の
両方がゲゼルシャフトの債務についてさらに責任があり[271]、債権者はその債務を直接に fattore や
discepolo 自身の債務であると見なすことが出来る。[しかしながら]諸法
規はそういうケースにおいては、ただゲゼルシャフトの代表者[Chef]
のみに対して、その債務について責任を持たせ、それを返済することを義務付けている12)。
ようやく1393年になってこれらの者達の個人的な責任は免除されるようになっ
た13)。
代表者を裁判の対象にするということと、これらの fattore や
discepolo を裁判の対象にするということは、両方共に必要なことであった14)。fattore にソキエタースの業務の義務を負わせる上でのその正当性の証明
のやり方については既に言及して来た。そういった全てのことを考慮しても、――徒弟と使用人頭の[ソキエタースとの]関係についてここで詳細に述べる
ことはしないが――非独立のゲマインシャフトの成員[とソキエタースと]の関係においての、ソキエタースと家族ゲマインシャフトの相似性は疑いようも
ないほど明白である。
11)Tractatus
Consulum Artium et Mercatorum R. 17を
参照。――この法規の1415年
版におてもL. IVで
同じものが採用されている。
12)
の引用箇所 R. 18. を
参照。
13)Tractatus de cessantibus et fugitivis R. 14を
参照。
14)Tractatus Consulum Artium et Mercatorum R. 19を
参照。
家
族ゲマインシャフトのソキエタース的性格とソキエタースの家族的性格
ここで問題となるのはここまで述べたことから演繹して、ソキ
エタースというものは家族法の概念を転用[272]したものと考えてよいかどうかということである。今我々がここ
で考察しているソキエタースというものは、疑い無くある一種の人間関係というもの以上の独自の形態を持っているが、それはソキエタースの関係それ自体
から直ちに生まれて来るようなものではない。そのソキエタースはしかしながら、その起源として手工業から発生したものとして、全くのところ家計のゲマ
インシャフトと結び付けられたものとして説明しうるのであり、そのゲマインシャフトは一緒になった仲間[Genosssen]同士の個人的関係に影響を及ぼす信頼関係を内包していた。こ
れに対して他方では、法律における諸規定は家族ソキエタースについて、我々の見解からすれば数多くの違和感のある内容を定めており、そうした法規定は
次のような観察の仕方によってのみ明確に理解される。つまり、家の新しく生まれた息子について、早々と父親または祖父の業務における使用人頭[Kommis]
とかソキエタースの成員[Compagnon]
に将来成ることを期待する、そういう観察の仕方においてである。
労働ゲマインシャフトと後の時代の巨大な産業上の連合[Associationen]は、まず最初の発展段階において家族に固有である要素と共通
の家計をその発展の段階の中で自分自身の内に取り込んでいた。家族はしかしながら、それ自身がソキエタースとして構成されており、—た
とえばそのように両者の関係を構成することが出来るかもしれないし、またラスティヒの見解は私見ではその点で制限して考えるべきである
と思われる。
ソ
キエタースの財産法
ソ
キエタースの債務と個人的債務
既に我々が知っているもっとも初期のフィレンツェでの法的史
料において、ソキエタースの仲間[Genosssen]の責任については次の方向へと進んでいた。つまり、ソキエ
タースの成員一人一人の任意の債務の全てではなく、ただある決まったカテゴリーを、つまりソキエタース[全体]の債務のみを連帯責任の対象として考え
る、という方向である。そして次に来る立法上の問題は、ある債務がソキエタースの債務であるかないかということを判定するための標識をどう設定すべき
か、ということであった。
1309年
の
Generalis balia は特定のソキエタースの成員達に"in
quantum socios
tangeret"で
ある債務に対して責任を負わせており、その意味はその債務がその成員達に関係している限りにおいて、ということであった。しかし何をもってその者達は
関係していると言えるのか?商取引においてはそれについての実用的な判断のための目印が必要であった。
ソ
キエタースの債務を判断する目印
1.
会計簿への記帳
ここフィレンツェにおいては簿記が最初から意義を持ち得てい
た。我々が既にソキエタース・マリスにおいてソキエタースの財についての特別な記帳の必要性を強調したように、ここにおいてはさらにも増して業務の遂
行に関連しての特別な記帳が必須であった。そういった特別な記帳の発生を、これまで既に見て来たアルベルティ家とペルッツイ家の帳簿を載せた出版物15)は
明らかにしている。既に1324年の法規で下記のことが規定されている:
„Et quicunque recipere
debet aliquam pecuniae
quantitatem adscriptam alicujus libri societatis alicujus quilibet
sociorum et
obligatur in solidum.“
[そして誰であれある額のお金をソキエタースの何かの勘定か
ら受け取ることになっている場合は、ソキエタースのどの成員であっても、その金額について連帯して責任を負う。]
15)パッ
セリーニ[273]の Gli Alberti
di Firenze を
参照。また
ペ
ルッツィ[274]の Storia del
commercio c dei banchieri di Firenze を
参照。特に後者の帳簿には勘定表が含まれている。
同様に Statut der Arte di
Calimala I 88 も次のことを規定している:
"a pagare tutti e
ciascuno debiti, i
quali egli overo alcuno de’ suoi compagni fosse tenuto di dare ad
alcuna
persona i quali debiti fossono scritti nel libro della loro
compagnia."
[全てのかつ各々の債務を支払うことにより、その債務はその
者自身かその者の属するソキエタースの別の誰かが、また別の第三者に対して負っていると見なされるのであるが、その債務はそのソキエタースの帳簿に記
帳されると見なされる。]
そして1393年
の商人の法[Satute
mercatorum]は次のことを規定している:
"Si vero aliquis …
promissionem fecerit
etiam ignorante … socio … et ratio talis debiti … reperiretur
descripta in
aliquo libro ydoneo talium sociorum … quilibet talium sociorum sit …
in solidum
obligatus."
[もし実際に誰かが...約
束を[将来において]した場合でそしてまたソキエタースの成員がそのことを知らなかった場合...そ
してその場合の債務の金額が...あ
る適当なソキエタースの帳簿に記帳されたものが見出されることになるであろう...そ
のようなソキエタースの成員の誰もが...連
帯して責任を負うことになる。]
こうした[特別記帳の]基本原則は、このように一貫して採用さ
れている。
しかしながら当然のこととして、この基本原則だけでは十分で
はなかった。第三者に対する責任、債権者の権利は、ただ単に債務者の記帳の仕方だけに依存していることは有り得なかった。記帳は[債務の存在の]証拠
を示す一つのやり方という性格を持っていた。このある意味偶然作られたような目印とは別に、もっと本質的な目印が必要だった:それはつまりどの債
務がソキエタースが負うべきものとして記帳されるのかということであった。
2.ソキエタースの名前での契約
より古い時代の小規模な人間関係におけるのと同じように、こ
こにおいてある商店の業務遂行についてどう取り扱うかを検討するとすれば、結論として使われるのはその商店において、またはその商店の中から自生的に
生まれた目印であった。より後の時代での大規模な取引においてはこの目印ということは問題にされていなかった。Tractatus
de cessantibus et fugitivis
のある箇所(第14章)
が次のことについて公的な判断基準を決めている場合において、その判断基準とはソキエタースとしての債務が存在しているのか否かということについての
ものであるが、既に1324年
の法規のある箇所(ラスティヒによって出版された本の中に引用されている箇所)において、またより後の時代の法規の諸版において、さら
にまた
Statuto dell’ Arte di Calimala においても、ある一人のソキエタースの成員による、その者がソ
キエタースの名前において契約しているという説明付きでの単純な契約が、そのソキエタースの成員に対して対外的に義務を負わせる上で十分なものと認め
られ、そのソキエタースの帳簿への記帳と並んで、債権者達からのソキエタースの成員に対する要求を十分に満たす基礎的なこととして法規の中で設定され
ていた。この"asserere
se facere pro se et
sociis suis” [{契
約を}自分自身の名においてとまた他のソキエタースの成員の名において行うこと]のより後の時代での形態は、商号[Firma]
を使った契約であり、それは1509年
のボローニャの"Statuti
della honoranda
università de’ mercatanti"のfol.
67に
示されている通りである。その同じ法規によれば、ソキエタースの成員の責任はお互いに、ここで言及している内容に適合する諸ケースにおいての以下の事
実の相互確認によって制限を受けていた。その事実とは、
1.債権者が債務のソキエタースの帳簿への記帳を証明すること。
または
2.送金の手形の上に"proprio e usato nome
della compagnia” [適切かつ一般に認められているソキエタースの名前]が記載さ
れていること。
の二つである。後者については当然のこととしてここでは"pro
se et sociis suis” [自分の名前と自分の属するソキエタースの成員の名前で]で契
約するということに適合している。
またフィレンツェにおいても、より後の時代の会社[ゲゼル
シャフト]の商号の名前で契約することへの土台となったものを見出すことが出来る。その商号による契約はソキエタースの債務というものについての純粋
に形式的な標識である。しかしながらその商号というものは、実際には発達しなかった。ある側で商号の概念が敬遠されるようになると、別の側ではそれは
むしろより強固な概念となった。商号の定義は様々な法規の中ではこうなっている:"asserendo
.. se facere pro se
et sociis suis.” [自
分が自分の名前と自分の属するソキエタースの成員の名前で行動していると主張すること。]それ故にまず第一に浮かんでくる疑問は:誰が
一体その者のソキエタースの仲間であるのか、共通の家計や共通の店舗[taberna]
がもはや識別のための目印としては十分で無くなった後は?ということである。それに対しての簡単な定義:その者とある商号[Firma]
の下である業務を営む者16)、はまだ使われていなかった。1324年
の法規と1355年
の法規との間の時期に"publica
fama ipsos socios esse” [そ
の者達がソキエタースの仲間であるという公的な情報が存在していること]、それはつまり:該当の者達が外部に対して自分達はそのソキエタースの一員で
あるというように振る舞い、そしてそれを相手方に確認させる、そういう状況を意味している。これより後の時代の法規においては、もはや識別のための目
印一般が挙げられていない。
16)"Quorum
nomina expenduntur” [そ
の者達の名前が{重視されて}{商号の中に}記載されている]というのが、後の時代における定義になる。
しかしながらそれから契約を行おうとする人は、――それは部
分的にはローマ法学理論の影響により――契約の相手がただその契約しようとしているソキエタースの成員の言葉だけによって、その者がソキエタースの名
前で契約するのだということについて、本当は連帯責任にはなっていないのではないかという不安に駆られ、その結果としてその契約しようとするソキエ
タースについての有効性について一人または複数のソキエタースの成員の同意[書]を要望するようになった17)。
このような複数の法規に見出すことが出来る諸規定は、より前の時代の有効性が限定された連帯責任の残滓といったようなものではなく、より後の時代にお
ける司法警察的な性質を持った制限であり18)、
それは例えば Statuto
dell’ Arte di Calimala19)の規定と同じ立ち位置のものである。その規定とは職権をもって
次のことについての判定をさせるということで、その判定とは外国に旅しているソキエタースの成員達にソキエタースの側から文書によって裏付けられた無
制限の権利が与えられているかどうかということについてのものであった。その際のあるソキエタースの成員の正当性の証明は、その成員と同じソキエター
スの他の成員の義務として最初から用意されていたものではなく、それはただ国際的な取引における金銭のやり取りの確実性についての要求に支えられてい
たものだった。Statuta
mercatorum の1393年
版と1415年
の法規集成の中でのそれの改版においては、そういった制限を再度無くしている。それらの法規の版で要求されているのはただ次のことである。"talis
contractus esset vel
fuisset de aliqua vel super aliqua re spectanti et pertinenti ad
societatem seu
trafficum hujusmodi sociorum” [そ
のような契約は、ソキエタースまたはソキエタースの成員の取り引きに関連するかあるいは付属する何か、あるいはその何かに関連するものについてである
とされるか、あるいはあったとされる。]それ故、その契約のソキエタースとの関連性の確認は裁判官に委ねられた。その場合にはただソキエタースの元々
の営業内容に含まれる業務のみが取り扱われなければならなかった。
こういった法の改版によりフィレンツェにおける連帯責任原理
の発達は終わってしまっている。この根本原則の決定的な確立は、つまり誰がその商号[の会社]に所属するのかということについての確認方法の確立は、
つまりは"cujus
nomen expenditur” [誰の名前が{重要な情報として}商号の中に入れられている
か]ということは、その商号を使って締結された契約に基づく業務に対して保証を与えたし、その確立は先に素描した国際的な発展の一部を構成していた。
17)1324年
版の法規と1355年
の法規:dummodo
nullus socius possit [hiernach wohl
nicht nur im Verhältnis unter den socii]] contrahere
debitum in civitate vel districtu Florentiae ex quo aliquis socius vel
socii
teneantur …, nisi talis obligatio fiat de consensu saltem duorum
aliorum de
ipso societate.[一
人のソキエタースの成員も以下のことが出来ないとされている場合は{ここについてはソキエタースの仲間における関係だけに限定されていない}、債務に
ついて市内またはフィレンツェの行政区において同意すること、その債務についてはどのソキエタースの成員または成員達も責任を持つが、...も
しそのような債務がそのソキエタースの最低2名
の同意をもって発生していない場合は。]
18)
前注における規定はその効力をフィレンツェの行政区の中に限定している。この規定が狭義の更新であることは、Statuto dell’
Arte di Calimalaが
この規定を含んでおらず、ようやく1341年
の Additamenta のSub IIに
おいて付け加えられているということから判定出来る。
19)I c. 66を
参照。
ソ
キエタースの財産に対する差し押さえからの個人への債務者の除斥
今まで述べたことから、あるソキエタースの成員によって契約
された債務について、ソキエタースの財産がそれについて責任を負う場合には、その場合にはその関連で次のような概念が生まれてくる。つまりソキエター
スの成員の他の[個人的]債務については、ソキエタースの財産は関知しないということである。この論理的帰結は
Statuto dell’ Arte di Calimala の次の箇所(I c.56)
を思い起こさせる――そしてそれによってソキエタースの特別財産というものが決定的に構成されるのである:
もしあるソキエタースの成員が[個人的な]債務を負っている
とした場合、
"in sua specialità a suo
nome per carta o
per scrittura di sua mano secondo che è principale, o per mallevadore,
ove non
si faccia menzione della compagnia della quale fosse compagno, fattore
overo
discepolo … sia costretto cotale obligato nella sua persona e ne’ suoi
beni
solamente … niuno di quella compagnia possa essere costretto nè
molestato …
veramente si … avesse alcuni beni in quella compagnia, sia tenuto la
compagnia
di rispondere interamente di quelli beni per tale obligato e
conviuto."
[その者の専門の職業において、その者の名前によって簡単な
申し込み書によるか、あるいはその者自身の責任に基づくその者の自筆署名付きの契約書によって、あるいは保証人を通じて、その際にその者が成員、使用
人頭または徒弟であるという、そのソキエタースへの言及無しに...そ
のような場合の債務はその者個人の債務であり、またその者自身の財産に対する債務であり...そ
のソキエタースの成員の誰においてもその債務を強制されたり責任を負わされることはない...本
当に...その者が当該のソキエタースにおいて何かの財を持つ場合、その
ソキエタースはそのような債務とそれへの同意については、ただその者の{ソキエタースに投資した}財の部分についてだけ責任があるとされる。]
最後に考慮した事例においての規制方法については、ソキエター
スの成員への財産分与ということを通じて既に言及して来た。ゲゼルシャフトの財産について何か特別な破産ということが可能かどうかと言うことは、どの
法規においても言及されていない。そのような可能性を考えることは困難であると考えられていた。あるソキエタースが破産した場合、そのソキエタースの
成員個人に対する債権者はその破産については無関係の状態ではいるのは難しかった。そしてそのソキエタースの成員の個人財産はいずれの場合においても
ソキエタースの破産に直接関連付けられ、差し押さえられてしまうのである。その次にソキエタースの特別財産についてのゲゼルシャフトに対する債権者の
権利が、それはフィアリ[275] 20)
が
叙述している通りであるが、"sportello”
[専
用窓口]からの優先的な返済を受ける権利として立ち現われるのである。法的な史料が大規模なゲゼルシャフトの財政的破綻について語っている所では、つ
まり1326年
のスカリ家[276]の破綻、そしてバルディ家の破綻、また1345年21)の
ペルッツイ家他の破綻について語っている所では、そういった史料でそういったCompagnia
[ソ
キエタース]を破産者として扱っており、そしてさらにそういったソキエタースについて「破綻しており逃亡している」と説明している。
20)Della Società
chiamata Accomanditaを
参照。
21)ヴィ
ラーニ[277]の Croniche
storiche X c. 4 を
参照せよ。
II. 諸文献:アルベルティ家とペルッツイ家における商業簿記
これまでに既にしばしば言及してきたこれらの大規模なソキエ
タースの人間関係について文献史料にて知られていることについて、ここで最終的にさらに手短に立ち入ってみたい。その内容は多くはない:最大限に見て
もこの二つの規模の大きい、アルテ・ディ・カリマラに属していた銀行家ファミリーであるアルベルティとペルッツイの両家[278]についての抜粋的記述に過ぎない。それはそれぞれの個別の記述
については法学的な視点からではなく、そしてペルッツイ家に関する部分は、さらに素人で専門家ではない者によって出版されたものである22)。
引き続きこの断片的な文献史料においても、我々がこれまで論じて来た発展を再び見出すことが出来るのである。
22)パッ
セリーニの Gli Alberti
di Firenzeを
参照。ペルッツィの storia del commercio e dei banchieri
di Firenze も
参照せよ。さらにはゴルトシュミットの商業雑誌掲載の論文の第14巻
のP.660と
比較せよ。
家
計ゲマインシャフト
まず第一に登場して来るのは、ゲゼルシャフトの自然な特性と
しての共通の家計である。libro
segreto des Giotto Peruzzi[ジオット・ペルッツィの決算帳簿] の1308年
以下及びその他の年の中にある記帳明細は、あるソキエタースの成員のソキエタース共通の費用として支出された分をある成員個人が立て替えた生計上の支
払い23)に
ついての精算を含んでいる—:
それは例えばパン、塩漬け肉、酒、馬、ロウソク、小遣い[danari
borsinghi[279]]、奉公人の賃金など――そしてそれらから切り離されていない
帳場や商品倉庫での必要な支出、例えば定型文書と業務の帳簿用の羊皮紙、封ろう、筆記用具などである。これらの支出についてはまずは金庫番のソキエ
タースの成員によってソキエタースの共通金庫から払い出され、それから個々の関連する家族のメンバーに対して割り当てられる24)。
23)バ
ルドゥスによってもまた、Consilia II
260 に
おいて、家計上での費用支出で疑わしいものは、単純にソキエタースの成員達による議論の対象となっている。
24)
例えばペルッツィの: 1308年
の codici[補
遺]の t. I p.2:
Sono lire 698. 16. 8 a fiorini che Tommaso Peruzzi e Compagni nostri
pagarono
per me Giotto Peruzzi per la terza parte di spese di casa e famiglia
comune col
detto Tommaso e con Arnoldo miei fratelli la quale fue da Kalen
novembre 1308 a
Kalen novembre 1309 — — l. 698. 18. 8.
[私
は8月16日
に698リ
ラをフィオリーノ金貨換算で[280]受
け取った。それはトマソ・ペルッツィと私の所属するソキエタースが私ことジオット・ペルッツィに対して支払ったもので、それは家と家族の共通の出費の1/3に
ついてであり、前述のトマソとアルノルドの2人
の兄弟と一緒に{1/3ず
つ}もらったものであり、それは1308年
の11月1日
から1309年
の11月1日
についての支出予定としてである。――698リ
ラ、8月18日。]
1309 p.3:
Sono l. 933. 4. 10 a fiorini che Tommaso etc. pagarono etc. per la
terza parte
di spese di casa, di famiglia, per fazioni di comuni, di cavalli e di
fanti,
pane e vino e a nostra e loro spese comuni con Tommaso suddetto e
Arnoldo nell’
a.
[1309年
のp.3:
私は10月4日
に993リ
ラをフィオリーノ金貨換算で受け取った。それはトマソ他が支払ったもので、それは家、家族と、またソキエタースの共通費用の一部について、馬、{男
の}召使い、パンと酒、また上記のトマスとアルノルドとの共通の支出を含めた1310年
の予定支出の1/3と
してである。しかしこの金額は137番
帳簿の分として記帳される。—―933リ
ラ、10月4日。]
1310 pero in
spese in questo libro nel 137 — — — — — l. 933. 4. 10. 1310 … per
spese della
mia famiglia per calzare, vestire, danari borsinghi, più 35 fiorini
d’oro
giocati e 45 fior. d’oro per spese di mobilia al bagno a Menzona come
appare al
libro della compagnia.
[1310年...私
の家族の次の支出について、つまり普段着とドレスと、お小遣い、の支出分として追加の35リ
ラがフィオリーノ金貨換算で提供され、さらに45リ
ラがフィオリーノ金貨換算でメンツォナの家の浴場の備品の費用として提供され一緒にソキエタースの帳簿に記帳される。]
1312 … di
mangiare e bere, salario di masnadieri, di fanti e lanciulli e spese
di cavalli
e fazione di comune e altre spese che face a comune …
[1312年...飲
食の費用について、警備担当のごろつき共の賃金[281]、
男女の召使いの俸給、馬、ソキエタースの共通費用の一部と、共通の目的で使われた他の費用...]
今やはっきりとした発展が認められるようになった。1313年
にはこのような共通の支出、今丁度そう名付けるのであるが、が出現している。しかしそれははっきりそれと強調された例外的な支出と一緒にされており、
その例外とは被服費や小遣い銭の費用であった。この最後のものについてはそれを発生させた者の特別な勘定に入れられた 25)。
25)… per la
terza parte di spese di casa, di famiglia, e fazione di comune e
altre, senza
vestimenti nè calzamenti nè danari borsinghi, spese in comune col
detto Tommaso
mio fratello e con Ridolfo di Donato mio nepote …
[...の
支出の1/3に
ついて、家の、家族の、そして共通の費用の一部、そして他の費用、しかし衣服、靴、小遣い銭は除き、また前述の私の兄弟であるトマソと私の孫であるリ
ドルフォ・ディ・ドナートと一緒に費用を...]
そのような共通の支出というものが出て来たのに適合してある変
化が1334年5月1日
のアルベルティ家の相続において同様に出現しているのを見出すことが出来る。それによればある未来の時期まで――その時までは支出はペルッツィ家の場
合と同じように取り扱われ――各人は自身の家族の必要とするものの費用を自らが負担しなければならなかった。そこから例外として除かれたものはゲマイ
ンシャフトで一緒に行う宴会の費用といくつかの同様のものの費用だった。そういった費用はひとまずは共通の費用として扱われ、その後各家族に割り当て
られた。しかしながら明白なこととして、関与している各家族のソキエタースの中での力が異なっていることにより、まずは各々の成員に対してあらかじめ
決められている固定額がその者の負担分として記帳され、その後残った分についてだけ均等に分割されてそれぞれの負担とされたのである26)。
26)1334年
の5月1日
よりカロッチオ、ドゥッチオとアルベルト・ディ・ラポ・アルベルティの間で次のようなやり方の精算が行われるようになった。つまり、"ciascheduno
quelle della sua propria famiglia del suo proprio le debba fare, chome
bene
piacerne a ciachuno” [各々
はこれらの自分自身の家族についての費用について本人自身がそれを負担しなければならない。そのやり方は各々にとって好ましいことである]、これに対
し、
"le spese chessi far a chomune, cioè alle tavola nostra, ove
chomunemente
partecipiamo, e le spese chomuni a minuto diputa a presente affare per
noi a
Jacopo di Charoccio … queste cotali tassiamo, che ne debba tocchare
per anno a
Charoccio l. 300 piccioli e a Duccio l. 250 piccioli e a Alberto l.
200
piccioli l’anno.
[{ソ
キエタースの}共通の経費として発生した支出については、それは我々が一緒に集まって会食した費用であるが、その共通の支出は細かなものを含めて出席
した者に委任され、我々の間での処理についてはジャコポ・ディ・カロッチオに...こ
の支出については次のように割り当て、今年の内に取り立てなけれならない。カロッチオには300デ
ナリ・ピッチョリで、ドウッチオには250デ
ナリ・ピッチョリで、そしてアルベルトには200デ
ナリ・ピッチョリの支払いを今年の分として割り当て取り立てる。]
E fummo in
achordo che se la detta spesa fosse maggiore che quel chotale piu
fosse per
terza intra noi e se la detta spesa fosse minore che anche quel meno
fosse per
terzo intra noi.”
[次のことについて契約が取り交わされており、上記の支出が今割り当てた金額の合計より多い場合はその超過分は我々の間で1/3ず
つ負担する。逆に実際の支出額が割り当て合計額より少ない場合は、その余った分は我々の間で1/3ず
つ支払額から控除される。][282]
同様の方法で宿泊者があった場合の費用を共通で分担する場合のある決まった額の割当金が規定されている。もし実際の金額がその定額を超えている場合に
は、超過分は各々が負担していた。費用全体をどのように個々の成員で分担するかについては、ソキエタースにおける兄弟達の動産の額に比例して割り当て
られており、該当の者の勘定への算入という形で処理されていた。
こうした[共通の費用の発生という]変化は、それは我々には
ピサにおいて確認した現象を思い起こさせるものであるが、先に叙述した法の発展の傾向について間違えようがないはっきりした具体例を提供している。そ
の傾向には元々無制限であった個々のソキエタースの成員の財の処分の自由という権利を、ソキエタースの人間関係に適合する形で制限するというものであ
る。
ゲ
マインシャフトの土台としてのソキエタース契約
いまや我々の研究もゲマインシャフト関係の基礎を論じる所に
まで至ったが、その際にその基礎というものは形式的には契約によったものである。なるほど家計のゲマインシャフトというものは、世代から世代へと継続
していたが、それへの参加者というものは、継続して同一の者とその子孫であった。しかしながら形式的にはある決まった年数に時間的に制限されたゲゼル
シャフトがその都度書面によるソキエタース契約によって作り出されており、その契約が更新される際には常に参加者の分け前としての権利も新たなものに
差し替えられた。
27)ペ
ルッツィによって既に引用済みの箇所を含む多くのソキエタース契約を含んだ書籍が出版されている。
資
本金と各ソキエタース成員の出資
ソキエタースの資本金――il corpo della compagnia
[コンパーニアの実体]――は各ソキエタースの成員の出資金を
合計したものとして成立していた。
これらの出資金は、通常の場合認められうる限りにおいて全部
をまとめた合計額として表現され、利益が繰り入れられ損失が控除される。各ソキエタースの成員の出資金は総決算[Generalrechnung]、つまり saldament della
compagnia 28) [コ
ンパーニアの決算]と呼ばれたもので、一般的に2年
に1回行われる決算までは増額も減額もすることが出来なかった。そ
の決算の時までは、またそのソキエタースの成員の死においても、その出資金はソキエタースに縛り付けられ、そして利益と損失を分割する際の基準となっ
た。決算の時になってやっとソキエタースの成員は出資金の額を変更することが出来、そしてそれ以降増額したまたは減額した結果としての出資金の額でソ
キエタースの成員はソキエタースに関与し、その金額でのその成員の新たな資本勘定が開設されるのである。その決算において、もしそれがある場合はよう
やく利益が発生するので、その成員の「購買」もまた疑い無く、前もって一概にはその成員の資本勘定への算入は許されておらず29)、
そうではなく、我々が既に見て来たように個人的なまたは家計上の必需品対する支出も、ソキエタースの共通金庫から支払われ、後にそれらの支出が各成員
に振り替えられた。(もしかすると、またはよりむしろ、非常にはっきしたこととして、後の時代になって共通の家計用の金庫はソキエタースの共通金庫か
ら分けられるようになった。)ソキエタースの財産はこういったやり方で、形式的に閉じたものとなっていた。
28)
ソキエタース契約の協定として繰り返し登場している。
29)
その成員の分の利益の分け前についても同じで、何故ならばそういったものが存在しているのが分るのは決算が行われてからであったからである。
各
ソキエタース成員のゲマインシャフトの外部での特別財産。
1.
不動産
まず第一にソキエタースの財産の外部にあるものとして留まっ
たのは不動産の形での所有物だった。共通の不動産というものを見出すことが出来るのは、特にフィレンツェにおける家であり、それはゲゼルシャフトの居
住地となっていたが、明らかに共通のものであった。しかしながらソキエタースの契約と決算から次の事が出現して来ているように思われる。つまり資本金
への出資だけが計算され記帳されており、資産を分割したり持ち分を計算したりすることは、ただ動産の場合のみに可能となっていた。このことは上記の一
般的な[不動産についての]説明と矛盾していない。外見上はっきりした、当時の慣習に適合した、包括範囲の広い不動産の所有はソキエタースの参加者の
特別な所有権として成立し、ゲマインシャフトにおいては考慮されなかった。フィレンツェにおける諸家族の間では良く知られているように、家とその分割
物[283]に対してのはっきりした所有というものが見出される。しかしな
がら個々のソキエタースの成員の不動産についてはソキエタースの契約の中では全く言及されていない。
2.個人の動産
それにも関わらず、ソキエタースの成員はゲゼルシャフトの基
金以外にも動産を所有している。そしてそうした動産の中で我々にとって取り分け重要なのは、次のような資金である。それはソキエタース[コンパーニ
ア]において何かの目的で自発的に出資されたものであるが、しかしながら出資金としては扱われないものである。ほとんど全てのソキエタースの契約の中
にそういった資金についての規定を見出すことが出来る。そういった資金はあるソキエタースの成員が、"fuori
del corpo della compagnia”
[コンパーニアの資本金の外側で]所有するものである。という
のもここにおいてはソキエタース[コンパーニア]の資本金の特徴は、ソキエタースの成員がその資本金における自己の出資額を決算が行われるまでは変更
することが出来ないということであり、そのために次のことを受け入れなければならなかった。つまり各ソキエタースの成員は当初の出資金以外の資金を初
期出資と同じやり方でソキエタース[コンパーニア]に関連付けることが出来ないということである。そういった類の資金は、そのソキエタースの成員独自
の勘定として取り扱うことが可能であろう。その勘定とは、その金額についてはその成員が総決算の時以外であっても増額したり減額したりすることが出来
る、そういう性格のものである。そのことに適合するのは、—そ
してそれはソキエタースの契約の中で何度もはっきりと述べられていることであるが、—そ
ういった資金はその成員の出資金と同様のやり方では収益や損失に関与することは出来ないということである。大抵の場合、そうした資金はソキエタースに
とっては単にそれをソキエタースの成員に対して利子を支払うべき借り入れであるように見え、それは今日においての、いつでも引き出すことが出来る銀行
普通預金と同じである30)。
30)
ペルッツィにおける1300年
のソキエタース契約(ペルッツィ編 l.3 c.2 6番)。
結論部は:Ordinato si è
quando faremo ragione di detta compagnia che ciascuno abbia sua parte
siccome
toccherà per migliajo; ancora si è ordinato che quelli compagni che
tengono de’
loro danari fuori del corpo della compagnia e dovranno
riaverli da essa
la compagnia ne dove a quei cotali a ragione dell’ 8 per cento l’anno.
[次
のことが取り決められる。つまり我々が前述のコンパーニアについて権利を持つ場合、その権利とはそれぞれが自分の取り分を1000分
のいくつという単位で表された分だけ持つことになるというものである。しかしまた次のことも取り決められる。つまりこれらのコンパーニアの成員達が彼
らのお金をコンパーニアの資本金以外で保持する場合、彼らはそのコンパーニアから1年
間8%を
利子として支払いを受けなければならない。]
1322年
のアルベルティ家のソキエタース契約: … il corpo
della compagnia diciamo che sia in somma l. 25000 a fiorini e ciascuno
debba
partire per sua parte per gli denari che metterà per suo corpo di
compagnia del
guadagno e perdito che Iddio ne desse; e que’ denari che si metterano
per lo
corpo siano obbligati alla detta compagnia e niuno ne posse
trare nè avere
per niuno modo, salvo che quando si facesse il saldamento della
regione della
detta compagnia e se avesse alcuno che ne volesse traere, si possa in
questo
modo che da quello saldamento inanzi debba abbattere di sua parte e di
suo
corpo di compagnia quanti danari egli traesse e quei che rimangono
s’intendono
essere sua parte. Ancore se … volesse al saldamento … mettere … piu
danari …
debba dal saldamento … inanzi partire per gli denari che vollà mettere
… E
ciascuno de’ detti compagni che avrà danari nella detta compagnia,
oltre i
denari che avrà per il suo corpo, stea al provvedimento degli altri
compagni
p.p. ( t. I p.25). [...我々
はコンパーニアの資本金を合計でフィオリーノ金貨換算で25,000リ
ラとする。それぞれの者はそれぞれの持分としていくら出資するのかを明確にしなければならない。その投資した資金については、コンパーニアの資本金の
中でその者の持分となり、そこから上がる利益と損失については神がそれを与え給うであろう。このコンパーニアの資本金として投資された
資金については、前述のコンパーニアの債務と見なされ、誰もその資金を引き出したり所有するすることはどんなやり方でも出来ない。ただ前述のコンパー
ニアがその所在地にて実施する決算の場合を除く。もしコンパーニアの成員の内の誰かが[資本金から]お金を取り戻したいと思う場合には、この決算の時
は可能であるが、その際にはあらかじめその者の分の資本金をその分だけ減額しておかねばならず、自分の分の資本金からいくら取り戻してその結果残った
その者の資本金がいくらになるかを明確にしなければならない。しかしもし成員の内の誰かが決算の時にさらに資金を投入したい場合には、その決算の時に
にいくら増資したいかをあらかじめ明確にしておかなければならない。そして前述のコンパーニアの成員の内の誰かが、そのコンパーニアにおける自分の分
の資本金をさらに増やしたい場合には、その金額をあらかじめ他の成員に通知しておかねばならない、等々。(t. I p.25)]
ここで書かれていることはペルッツィ編の1304年
のアルベルティ家の契約の内容と既に合致している。
1336年のアルベルティ家の相続協定
こうした[コンパーニアの成員間の]人間関係の全体像につい
て理解する上で最も良い材料となるのは、1336年
のカロッチオ、ドゥッチオ、そしてアルベルトの3兄
弟のラポ・デル・グィディーチェ・デイ・アルベルティの遺産についての相続協定であり、その遺産はその協定の時まで17年
間も分割されない状態のままで置かれていた。その協定における本質的な取り決めの部分をここで吟味する意義が十分あるであろう31)。
31)パッ
セリーニによる出版物、Gli Alberti
di Firenzeを
参照。
ラポ・デル・グィディーチェは死の際にコンパーニアにおいて、それへの出資分として1200リ
ブラを保持していた。1336年の遺産分割の際には財産の内訳は次のようになっていた[284]:
22,300リ
ブラ
コ
ンパーニアの資本金中の出資額
10,308リ
ブラ18ソ
リドゥス6デナリ
コ
ンパーニアへの出資金以外の投資額
———————————————————————————————————
32,608リ
ブラ18ソ
リドゥス6デナリ
が
動産として、それに
4,785リ
ブラ
の
不動産[課税対象額]が加わり、
合
計で
———————————————————————————————————
37,393リブラ18ソ
リドゥス6デ
ナリ
が分割対象の総額となる。
この合計額から、4,008リ
ブラ18ソ
リドゥス6デナリが兄弟達の共通の負担分として、コンパーニアに対しての"in
Accomandigia” [預け入れ金]として控除されることになる。このことの意味
は:利子を条件とした預け入れかあるいは疑似的なコムメンダ[資金委託]で、つまりは収益の分け前を条件としてのものである。この場合においては利子
付きの預け入れの方がまずはより確からしく思われるが、しかしながらジェノヴァにおいてコムメンダによる委託の商品がソキエタース自身の商品と並置さ
れたように、それ自体としてここではコムメンダ[による出資]が出資資本金に並置されていると解釈することも出来る。ソキエタースの成員はそれから出
資金を保持している公開社員であるのと同時に、匿名の社員[持分所有者]であるとも考え得るであろうし、利益の分割の仕方については、推定ではあるが
それぞれ異なっていたであろう。この事例においてまた後者の匿名社員という人間関係が想定されているであろうことは、この協定の中で言及されている亡
父の遺言に基づく規定が示している通りである。その遺言によれば3人
の息子をはフィオリーノ金貨換算で200リ
ラをそれぞれの息子[亡父の孫]のコンパーニアへの出資分として負担することになっており、この規定の詳細な記述は先ほど述べた疑似的なコムメンダを
意味している32)。
資本金として設定されている金額
37,393リブラ18ソ
リドゥス 6デ
ナリ
各成員についての控除分 4,008リブラ18ソ
リドゥス 6デ
ナリ
———————————————————————————————————
差し引き残額
33,385リブラ 0ソ
リドゥス 0デ
ナリ
この残額については3人
の兄弟の間で分割される。そしてなるほどより年長の兄弟の分け前の分についてはその妻の嫁資がゲマインシャフトの中に算入されている筈なので、カロッ
チオの取り分はドゥッチオよりも500リ
ブラ多くなり、またドゥッチオはアルベルトよりも1000リ
ブラ多く取るということになる。 従っ
て兄弟間での分割の内訳は:
カロッチオ
11,794リブラ
ドゥッチオ
11,295リブラ
アルベルト
10,295リブラ
————————————————-
合計
33,385リブラ
と
なる。
これによって資本金である33,385リ
ブラは上記のようにきれいに分割されてそれぞれの持分が設定された訳である。 こ
の遺産分割については次図で再確認する: そ
れぞれの所有分は33):
32)
この場合において、コムメンダ的に委託されている資本に対して、さらにある金額を追加したりまた何かの用益権をさらに付加するということが認められて
いなかったというまさにそのことから、次のことが明らかになる。つまりそのようなコンパーニアの資本金の外にある資金の受け入れが、今挙げたケース以
外では許されていたことを。
33)
ここに引用された数字は、パッセリーニ編の書籍によっているが、写本の状態が良くなかったことが、あるいは印刷が良くなかったことが原
因で、ひどく歪んでしまっており、計算の結果がしばしば食い違っている。私はそれに対して自分なりの修正を施しているが、ただそれによってのみ正しい
計算結果を確認出来たと考えるが、しかし一つ一つの修正についてここで細々と述べるには紙面が足りない。
カ
ロッチオ
ドゥッチオ
アルベルト
合計
——————————————————————————————————————————————-
1)
動産として 725L-S-D
2,030L-S-D
2,030L-S-D
4,785L-S-D
2)
資本金に組み入れ 7,766L13S04D 7,766L13S04D
6,776L13S04D[285]
22,300L-S-D
3)
資本金外の資金
3,303L6S8D 1,498L06S08D
1,498L 6S 8D
6,300L-S-D
———————————————————————————————————————————————
合
計
11,795S-S-D
11,295S-S-D
10,295S-S-D
33,385L-S-D
上記以外のコムメンダによる委託
4,008L18S06D
——————————————-
以上で前述の資本合計となる。
37,393L18S06D
《L=リブラ、S=ソリドゥス、D=デナリ、1L=20S、1S=12D》
この表から分るように、それぞれのソキエタースの成員が所有
するのは:
1.
不動産であって、ソキエタースとは無関係に存在するもの。
2.
動産であって、明示的に示されている限りにおいてソキエタースとは無関係のもの。
3.
動産であって、ソキエタースにおいて、利子付きという場合であれ、利益についての配当という形であれ[無利子の預け入れではない、それは用益権への言
及が示している通りである]、投資されているもの。
4.
コンパーニアの資本金の中での各自の出資金としての財産。
成
果
corpo della compagnia というイタリア語での表現は、ラテン語では
corpus societatis [ソキエタースの実体]に相当する。このラテン語での表現は法
律家においての、例えばバルドゥスの用法では、外部に対する関係においてのゲゼルシャフトの財産、つまり合名会社の特別財産を意味す
る。ここにおいては同じ表現が内部に対しての関係としての特別財産を意味するのであり、それはこれまで述べて来た状況の中から発生してきたように見え
る。諸法規が外部に対しての特別財産というものを制定し定義するように、ソキエタースの契約はそういったものを内部に対してソキエタースの成員達に対
して制定し定義するのである。そして外部に対してのゲゼルシャフトの特別財産と同じものの内部に対してのものが全く同一のものであることは全く疑いの
余地が無い35)。
この二つが相等しいということは何らの偶然でもなく、また法学における観察において無視して良いことでは全く無い。さらに次のことについては詳しく論
じるまでもなく自明のことである。つまり
corpus societatis というものは必要性から生まれた合名会社の歴史的な発展であ
り、ゲマインシャフト[会社]の位置付けとして、[会社の]財産に対する唯一の主体であるということと適合している。以上のことを見解としてまとめる
と、この
corpo della compagnia というものは、フィレンツェの[法的]文献史料においては、そ
の概念を他から切り離して特別なものと捉え、そしてそれに対して特別の記述を行うことが本質においての目的であった。ここでの成果としては、 ラー
バントの見解に対しての歴史的な観察に基づく意見の表明という意義を
持っている。
34)Consilia V
125を
参照。
35)
もちろんこの同じであるということの意味は、corpo della
compagnia と corpus societatis が
表現として意味が同じだからではなく、誰かが "nella
compagnia” [コ
ンパーニアの中で]持つもの[Statuto dell’ Arte di Calimata I c.
62の
先に引用した部分を参照]で、まさにここで記述した出資金以外のもので、外部に対しての関係で同一の役割を持つ何か別のものが存在するということは全
く考え難いからである。
このこと[ゲゼルシャフトの特別財産を他から切り離してまさ
に特別なものとして取り扱うこと]は、また次の二つのことの対立をいっそう明確にしている。一つは合名会社におけるこれまで述べて来たような法学的に
必然性を持っている特別財産への投資という概念であり、もう一つは単なる貸し付けという形での資本参加である。前出のアルベルティ家の相続協定の例が
示しているように、ある特定のソキエタースの成員が意図的に何らかの資金をソキエタースに対して投資したとしても、この資金によってはまだゲゼルシャ
フトの基金においての持分所有者にはならないということである。そうではなく、[ゲゼルシャフトの]特別財産というものはこういった[資本]参加的な
人間関係とは別に存在しているということである。――ラーバントが次のように言う場合、つまりゲゼルシャフトの財産が成立しているとい
うことが今日の合名会社の概念と法的には等価であると言う場合、それに対してはたまたまソキエタースの成員間の関係はまた貸借関係としてかあるいは資
本参加としてかの二つに整理して考えることが出来るため、次のように反論することが出来る:もしソキエタースの成員間に今挙げた二つの人間関係の内の
一つが成立した場合、そういった場合であってもまだそれ以外にゲゼルシャフトの特別財産というものは成立し得るのであると。その特別財産というものが
対外的にはたとえ経済的に無に等しいものであっても[286]、法学的は存在しているということは、この論文の導入部で既に
述べて来た。しかし、それについてさらに次のことを確認することが出来る。つまりここで[ゲゼルシャフトの]内部についての関係が、外部に対しての関
係においても決定的に作用するということである。ソキエタースの成員の間における関係でゲゼルシャフトの財産とされるものは全て、外部の[ソキエター
スへの]債権者達との関係においてもまたゲゼルシャフトの財産とされるのである。
VI. 法的文献。結論。
法
的文献とそのソキエタースへの関係
我々はここまでの論述によって、我々が扱って来た法的な制度
の解明について次の所にまで到達出来た。つまり合名会社にとっての全ての本質的な基礎原理:商号[Firma]、
連帯責任、特別財産について明らかにすることが出来た。我々は同様に、合名会社に対立するものを比較して検討するという目的で、合資会社についてその
始まりからある発展段階の一つに到達するまでを観察して来た。その発展段階においては、法的な構造についてみれば、今日の合資会社が有している意義と
いう点で見てもそう大きくは隔たっていない。より後の時代における法形成は、それについてここで扱うことは出来ないが、今述べた発展段階における法的
な構造を通じて法学的な見方を継承しており、そういった構造の組み合わせとそれの拡張によって、そういう法学的な見方は現代における人間関係に適合し
たゲマインシャフトの形態を創出することが出来ていた。――しかしながらここでは単にその内の何点かだけについて論じることとする。
まず第一に明らかにしたいのは、[合資会社の黎明期の]同時
代の法学者がその時代における制度として観察している人間関係についてである。
1.合資関係
合資会社の人間関係は、契約法の基礎の上に成立するものとし
て見た場合、ローマ法の理論に照らし合わせて何か非常に把握困難なものとして扱うことは許されていなかった。しかし実際にはその把握は非常に困難だっ
たのであり、それはラスティヒのエンデマンに対する所見と一致していることは間違いない。その当時の法学の文献が行って
いる合資会社関係への考察を見ると次のことが述べられている。つまりそういう考察においては、ローマ法学がそのような合資会社関係については、多分に
渋々ではあるが、新しい制度として歴史的な把握を行うことがほとんど無理であることを認めるという形で妥協するしかないという、そういう意義でしかな
かったことが表明されている。バルドゥスのConsiliaとその中に含まれている他の者の文書は、それについて十分な証
拠を示している。その者達によって取り扱われている
societas "pecunia-opera” [in qua alter impossit
pecuniam, alter operam][資本-労働結合型ソキエタース、{その中では一方の成員は
資金を提供し、他方の成員は労働を提供する}]は、コムメンダを想定して述べていることは間違いない 1)。
1)バ
ルドゥス編の Consilia II
87 のquatra proficui [{ト
ラクタートル}が利益の1/4を
取ること]と比較せよ。コムメンダというものは、バルドゥスがそれをそうイメージしているようにこのような形態で行われ、それまではそ
のような形態は存在していなかった。ただ利益のみが分割され、最終資本はそうされなかったということと、利益が得られなかった場合には、投下資本は全
額償還されたということについて、バルドゥスは明らかに変則的であると考えており、その変則性をソキエタースがまさに "lucrum
dividere” [利
益を分けること]を目的として、"capitare dividere” [資
本を分けること]を目的としていない理由としていた。他方ではコムメンダという形態は冒険的な性格を持っていると把握することが出来、損失は参加する
双方の側で等しく分担することになっていた。その場合、もし全ての資本が失われてしまった場合には[!]、委任した側[Kommendant]
がその1/2を
負担し、そしてトラクタートルもまた[!]損金の全体額に関わらず資本の1/2を
負担し返金しなければならなかった: Consilia IV
65、 214、 453。
同じくロフレダス[287]な
どの法注解学者達もコムメンダについて同じような把握の仕方をしていた。ただ特別な協定が取り交わされる場合があり[それについてバルドゥスが
そう主調し、他の学者はその存在を疑っているが]、その場合には資本家のみがリスクを負担することが求められていた。それ故にコムメンダの制度の法学
的構成はここでは全くナンセンスなほどの資本というものの重要視につながるのであり、それはまた法学者の見解において、全員がそれを高利貸し的な制度
とは見なしていなかったことの証拠である。
歴史的に見れば、そうした法学的な把握の際には海上取引におけ
るコムメンダの本来の目的は考慮されていなかった。法教義学的に見た人間関係という意味で法学者達は――明らかにローマ法に基づく見解の結果として、
ソキエタースの成員というものは基本的に対等の関係であり、同じような権利を与えられた契約者でなければならないという立場に立っており、――その見
方によれば、委任される人[トラクタートル]は自分自身を、つまり自分の労働力をゲゼルシャフトへの投資の代わりに持ち込み、それは委任する人[ソキ
ウス・スタンス]が出資するのと同様のことであり、委任される人[トラクタートル]の労働の成果がその者にとっての利益[fructus]
であり、それは丁度資本家にとっての利子に相当し2)、
――しかしその際には次の事が認識されていなかった。つまり今描写したような人間関係が、例え偶発的な思いつきだったとしても、より対象を明確に把握
するために使用されたのだとしたら、それは許容範囲かもしれないが言って見れば観念的なお遊びであり、もし法学的な構成を行うにはそれしかなかったの
だと言うのであれば、それはもう意味不明と言わざるを得ない。
2)
もっとも明確にそのことが表現されているのは、ペトルゥス・デ・ウバルディス[288]編
の De duobus
fratribus III 12 で
あり、投資された全資金の返済という委任された方[トラクタートル]の義務が、たとえ利益も損失も目論まれていない場合であっても、次の事についての
動機の説明となっている。つまり、委任された方の労働[operae]
が資本家にとっての期間利子[interusurium][289]に
相当するということと、それから委任された方[トラクタートル]が分け前を持つことが出来るのは[資本の中ではなく]ただ利益の中においてのみである
ということである。アンジェルス・デ・ペリグリス・デ・ペルーソ[290]の De
societatibus Pars I no. 2 に
おいては同じような概念が扱われており、そこでは著者は次のような議論を展開している:最終資本の分割は次のように行われるのではない。つまり資本家
が当初の出資金を回収し、次にトラクタートルが自分の労働分としてその同額を取り、そしてさらに残った分が分割される[つまり:初期資本が100で
最終資本が300だっ
た場合、委任した方が100を
取り、トラクタートルが次に100を
取り、残りの100が
分割される]のではない。そうではなくて、トラクタートルの人格が委任する側の資本と等価に扱われるので、委任した側がまず資本100を
取り、トラクタートルはその人格分として0、
つまり何も取らず、残った200が
分割されるのである。
より後の時代の著述家にとって、エンデマンが指
摘したように、これらのソキエタース契約において次に尚一層頭を悩ませる問題となったのは、このようなソキエタースの契約が[教会法による]高利の禁
止に該当するのか、するとすればどのレベルでそうなるのかという問題であった。我々がこの論考で見て来たように、コムメンダのいくつかの変種は実際に
高利禁止の犠牲になって廃れてしまっていたし3)、
そこまで行かなくても、高利禁止原則は実務上の取り扱いにおいて、確実に法理論家にとって悩みの種であった。法律家達によるその問題についての取り扱
いと説明の仕方の全ては、また次のことも示している。つまりそういった場合に何かしら良く考えられかつ論理が一貫した形で行われた、経済的または非常
に社会的な観察方法に関する理論といったものに基づいていたのではなく、それはそれぞれ個別の場合のその時々の判断として何か抽象的な論理構成の産物
としてのみ行われていた、ということである。
3)バ
ルドゥスによれば、[海上取引での]危険が債務者[=トラクタートル]の側だけに生じるのでは無い場合には――ピサにおける dare ad
proficuum maris は
それには該当しなかったが――利益の何%か[procentuale
lucrum]
を利子のように徴収することは許されていた。
2.合名会社
a) 特別財産
我々にとってここでより興味深いのは法学においての合名会社
の取り扱いである。まず第一にそれに関係するのは特別財産であるが、見て取れる限りにおいては明らかに、諸文献の中では特別には扱われていない。ソキ
エタースに対する債権者の権利とそれの[ソキエタースの成員である]個人への債権者に対しての関係は、法学的には[ソキエタースの]破産の際の債権回
収の優先権という形で現れ、そしてそれについてはピサの例で見て来たように、ソキエタースの成員達の[ソキエタースの成員の中の]個人への債権者に対
しての関係と、ソキエタースの債権者のソキエタースの成員達への関係は、どちらについてもまずは法規によって回収優先権を与えられた債権者かどうかと
いうことで判断される。パドヴァのフランシスクス・デ・ポルセリニス4) [291]はそこから次に、ジェノヴァの法規5)の
考え方と一致して、次のような法文を残すに至っている。つまりまたソキエタースの成員[委任する方]の投資金に対しても次のローマ法の考え方が適用出
来るということである。そのローマ法の考え方とは、"res
succedit in locum pretii et
pretium [succedit] in locum rei” [財
というものはそれに対して価格が与えられた場所で成立し、価格というものはある物の[それが売られた]場所で成立する]というものである。
4)De
duobus fratribus Quaestio 1を参照。
5)Statuta Perae
lib. V c. 207 を
参照。
ソキエタースの成員達はソキエタースの財との関連では一まとま
りで"una
persona” [一個の人格]と見なすことが出来るとしよう。その場合であっ
てもソキエタースの特別財産というものは発達することがなく、そうではなくてソキエタースの基金というものは言ってみればローマ法のdos[嫁
資]と同じように[一種の別扱いの財産として]扱われていた[292]。ソキエタースの財というものは次の場合にはむしろ特別財産と
は全く反対側に置かれていた。その場合とはバルドゥスが
corpus societatis [ソキエタースの実体→資
本金]について語っていた時既にそうであった6)。
そして彼の言葉が引用される時、そして他には Dezisionen der Rota von
Genua[293]の中でソキエタースが "corpus mysticum"[294]
7)と
して、つまりある種の法人として呼称されている場合である。ここにおいてはソキエタースの基金はソキエタースの財に発展したのであるが、しかしそれは
ゲゼルシャフトの[実際の]財ではなく、法人[Korporation]の[ある意味仮想的な]財としてであった。というのは
corpus societatis という表現は既にバルドゥスにおいても法的な主
体――つまりゲゼルシャフト――または法的な客体――その財産――を意味していただろうからであり、――後者についてより確からしいと
思われるのは8)、
――少なくとも明らかなのは、ソキエタースを法人と見なすことの法人にとっての動機は次のような判断によるものであるということである。その判断と
は、破産時の先取り特権[債権の優先回収権]を用いた法的な論理構成はソキエタースの基金に財産としての特質をよりむしろ認めなければならない場合に
それだけでは十分では無かったということである。その財産についてはそれ故にソキエタースを一種の法人[Korporation]として把握することによってのみ可能になると信じられてい
た。
6)バ
ルドゥスのConsilia V
125を
参照。
7)Decisiones Rotae Genuensis[295]
7の: "quia societas est corpus mysticum ex
pluribus nominibus conflatum” [何
故ならばソキエタースは複数の名前{人}が一つに溶け合った神秘体である]を参照。
8)
ここでの用語法の、ソキエタースの内部についての corpo della
compagnia と
の関係についての考察は、"フィ
レンツェ"の
章[第5章]
の結論部を参照せよ。
そこから生じて来るものとしてはまず、
1. gesta extra societatem non obligant consortium, sed solum ipsum
contrahentem
[ソキエタースの外部にて行われたことはコンソーシアム{一つ
のまとまりとしてのソキエタースの成員全体}を拘束せず、ただ契約を行った者のみを拘束する9)]、
その一方では
2. あるソキエタースの成員が次のような者として契約する場合は、"qui
habet unum obligatum, habet
et alterum et ipsam societatem” [{何
かの契約でそれを契約した}一人だけに責任を負わせているものは、もう一つ別のものにも責任を負わせている。つまりその者が所属するソキエタースであ
る](=ゲゼルシャフトの財産である)、というのは:"quicquid
scribitur per socium
habentem facultatem nominis expendendi, dicitur scriptum ab ipso
corpore seu
societate, non ab ipsis ut particularibus” [ソ
キエタースの成員でソキエタースの名前で支払いをする能力を持っている者によって書かれた{書面で契約された}ものは何であれ、その者のコーポレー
ションまたはソキエタースによって書かれたものとして見なされ、どのような場合でもその特定の者{個人}だけによって書かれた{契約された}とは見な
されない10)。]
ソキエタースをある複数の nomina[名
前]を一緒にして構成した一つの人格として叙述することが示しているのは商号[Firma]
の人格化がゲゼルシャフトを独立の存在として構築するための手段であったということである。ソキエタースを法人として把握することは、それについては
もう全く疑う余地は無い。しかし歴史的そして法教義学的にはそれは認められていないが、 た
だそうした把握の仕方はゲゼルシャフトの基金を法の発展においてのソキエタースの成員の個人財産から特別財産として分離することをまた疑い無く非常に
容易にした:その当時の法学にとってこれ以外の他の法的な範疇で自由に法的な論理構成に使用出来るものは存在していなかった。
9)Decisiones
Rotae Genuensis 12 を
参照。
10)Decisiones Rotae Genuensis 7 を
参照。
b)連帯責任。委任の仮定と代表者[Institorat]の仮定。
ロマニステン[ローマ法主義者]的なゲゼルシャフトの財産の
法的な構成が、ひとたび法人という観念が使われるようになって以降は、それほど困難ではなくなったとしたら、そのことはよりいっそう法学者達が[今度
は逆に]連帯責任の原理を産み出すことを促進することにつながった。その産出を手助けするごく自然な考え方としては、契約を行うソキエタースの成員を
仮想的に他のソキエタースの成員の代表者と見なすことであった。まず利用されたのは「委任された」ということを仮想することで、契約を行うソキエター
スの成員を代理人11)ま
たは mandatarius
exigendi12)[代理の任を与えられた者]として扱い、それに合わせて次のこ
とを行うことを目論んだ。つまり、おそらくはソキエタースの他の成員と対置する形で、その者に対する代理権の授与を
expressis verbis 、つまり明確な言葉によって保証する書面を用意するということ
を目論んだ13)。
しかしながらこういった構成の仕方はソキエタースにおいての実際の人間関係にほとんど合致していなかった。こういったやり方がきわめて異常と見なされ
ていたに違いない一方で、明示的な全権というものが存在しないことに対して――そこから直ちに導かれる形で――まったくもって普通のものでは無い、非
常に強い権力を持った全権というものを仮想することになったのである。その時々の具体的な事例において、[連帯責任の]前提となってい
る各ソキエタースの成員が相互に保証人14)に
なるという考え方は、一人一人が代表者であってそれ故に連帯保証人としての責任を負っているということを明確にするという目的には十分ではなかった15)。
同様にローマにおける銀行家による共同保証というやり方を利用することも、それは ペ
トルゥス・デ・ウバルディスがほのめかしていることであるが16)、
出来ておらず、それは連帯責任によって結び付けられるべき諸ゲマインシャフトが本質的には銀行的な業務を全く行っていなからであった。そういった考え
方より、結局の所当てにされたのはローマ法における
Institorat [代表者]という概念をこうした場合での把握の仕方としての法
的なひな型として使える、ということであった。パンデクテン法学[296]における、 institor [店
主]の考え方のように、ここにおいては業務の遂行において締結された契約についての責任が扱われているのであり、その業務の遂行については契約を行う
者が管理人としてそれを差
配しており、そしてその者が実質的には他の者――ここではソキエ
タースの成員の総体(しかしそこには契約を締結する者も含まれており、そこが既にローマ法とはまず異なっている点である)――に責任を負わせているの
である。
11)Decisiones
Rotae Florentinae 55 を
参照。
12)Decisiones Rotae Florentinae 107を
参照。
13)
このことは、l'Orient latinの
古文書史料の源泉であり、これらの全ての法様式が使用している。
14)バ
ルドゥスのConsilia V 155を
参照。
15)
そうした把握の仕方はしかしながら Decisiones Rotae Romanae P. III d.
168 に
見られる、ソキエタースの成員を Korrealschulner[297]と
いう概念の基礎となっている。
Institor[店主]がそういう風に扱われるように、ソキエタースの成員達
は連帯して責任を負うことになるが、それは全くのところInstitor
が
特別な全権をひけらかすような行いをせずに業務遂行に勤しんでいるという理由からこそである。そして最終的には――このことが特別に重要であると思わ
れるが――何人かの個人が共通のInstitor
を
持つ場合、その者達は各自連帯してそのInstitor
に
対して責任を負うのである。そういう状況に対応するために採用されたのがソキエタースの成員が交代でInstitor
に
任命されると[praepositio institoria]いう仮想であり、こうした理解の仕方が長く優勢な考え方とし
て続いたのである17)。
16)De duobus
fratribus IX 参
照。
17)ト
ライチュケ[298]に
よる Die
Gewerbegesellschaft に
おいても、まだ特に
テー
ル[299]の Handelsrecht
[商
法]においてもそれが見られる。
こうした理解の仕方は、ローマ法の概念の利用が重視された場合
には、次のような驚くべき結果をもたらしている:カルパノ[300]がそのミラノの法規への注解書の中で次のような結論を引き出し
ている。つまり連帯責任というものは個々のソキエタースの成員がソキエタースの名前で契約する場合に成立するのであり、それに対してもしあるソキエ
タースの名前での契約の締結の際に全てのソキエタースの成員が個人として関与したとしたら、それはもう連帯責任ではあり得ず、各人の持分に比例した[pro
rata]責任のみが発生するのであり、その際にはそれぞれのソキエ
タースの成員が自らかつ自己のために契約するのであり、それ故に
institor という者は存在せず、それによって連帯責任を裏付ける法的な基
礎はどこかに行ってしまうのであると18)。
このことは次のことに関してもまた証拠になる。つまりまずどの程度まで法学における論理構成を行うかという上で法律家の個々人としての判断のみがその
基礎になってしまっているということ、次に如何に法律家がそれ故に正当化され得ないかということ、最後にその中の底深い所に哲学的または社会的な理論
を見出すことが出来るという、そういった事々への証拠となる。――一般論として、カルパノによって提示された[以上のような]矛盾点に
ついては驚きはしないが、その一方でまた他の著述家もそのことについて言及しているのである19)。
18)カ
ルパノによる1502年
の法規の第483章
への注1を
参照。
19)バ
ルトゥルスとペトルゥス・デ・ウバルディスがその例である。ペトルゥス・デ・ウバルディスのDe duobus
fratribus IX を
参照。
連
帯責任の実質的な根本原理との関係
今まで見てきたような[連帯責任の]純粋にロマニステン的な
論理構成の試みにも関わらず、[その当時の]法学にとっては次のような観察結果を見なかったことにして済ますことは不可能だった。その観察結果とは、
連帯責任というものが、それは実際の所当時一般に採用されていたのであるが、今まで述べて来たような法学的思考形式に関連付けられていたのではなく、
全くもって具体的で外から見てはっきり分る諸事実に関連付けられていたということである。それ故にそういった諸事実と先に述べたような法学的思考形式
を結び付ける必要性が生じていたが、しかしそれは常に成功した訳ではなかった。家計ゲマインシャフトが[合名会社の]発展の歴史における出発点であっ
たということは、法学的な文献の中にも登場するようになっていた。duo
fratres communiter viventes[一緒に生活している二人の兄弟]の主題は相当厚い法学書籍の
中で何度も詳しく論じられていたが、それ以外にその主題自体が単体として研究論文[モノグラフ]にて取上げられていた20)。
それが可能である限りにおいて、ローマ法の societas omnium bonorum
[全ての財産が現在及び将来に渡って共有されるソキエタース]
という分類形式が使われ、実質的な根本原理である共通の家計は、上述したような委任とか
Institorat といった関係の上述の意味[連帯責任]の成立という仮定を正当
化するという役割を演じていたが、そういった思考結果は現実の人間関係の本質とはほとんど適合していなかった。しかしながらそういった思考結果は他方
ではそれ自身をさらに明確に形作る上で有効に機能する要素を内蔵していた。法学が家計のゲマインシャフト、つまり後の
stacio[店]
や taberna [店、食堂]を、あるソキエタースが成立する上での契機として
のみ観察している過程において、それらのゲマインシャフトは次のようなやり方で解釈する必要があった。つまりそういったゲマインシャフトの実情を分析
することによって、それが発達する主因を明らかにし、法学はその主因をソキエタースの特性として他のものから切り出して描写するという、そういうやり
方である。
20)
ペルージャのペトルゥス・デ・ウバルディスのDe duobus
fratribus と、
パドヴァのフランシスクス・デ・ポルセリニスのDe duobus
fratribus を
参照せよ。
というのも法学者達が強調したのは、発達の主な原因を単に一緒
に住むということに帰するのではなく、その一緒に住むことにより経営ゲマインシャフトを形成するという意図をもって行われている場合にだけそうするべ
きということであった。夫と一緒に住んでいる妻は、それについて Rota
Florentina Dec. 65 は詳しく述べているが、その理由だけで夫と一緒のソキエタース
の一員とは見なされない。何故ならばその夫婦の共同生活はまず第一には、共同の経営の実務を行うという意図以外の別の法的根拠に基づいているからであ
る。同じ原則が一緒に住んでいる兄弟達にも適用出来る。その場合においても単純に一緒に住んでいる[cohabitatio]という事実は責任についての法的根拠ではなく21)、
その事実に共同の労働と共同の経営という意図が含まれていることが法的根拠なのである。法学はこの意図については、兄弟の間においてそれぞれが自分の
勘定を持って[別々に]精算するというやり方が存在しない場合が、その意図を裏付ける根拠と見なした22)。
以上のこと全てが連帯責任の考え方を識別する上での目印なのであり、これまで見て来たように、それらのことは観察対象とする実際の人々の生において実
際に起きたことなのである。――この共同での経営の業務遂行ということがこの意図においての本質的な側面であったとしたら、この意図は外部からも判別
出来るように適当なやり方で文書化されねばならなかった。
21)バ
ルドゥスの Consilia IV
472:Cohabitatio non facit societatem. [一
緒に住むだけではソキエタースの形成とは言えない。]を参照。
22)ペ
トルゥス・デ・ウバルディスの書籍のDe duobus
fratribus の
序文を参照。また
ア
ンサルドゥス・デ・アンサルディスの Discursus
legales de commercio Disc. 49 を
参照。バルドゥスは Consilia V
482 に
て兄弟間での societas omnium bonorum の
成立を判定する標識として以下を列挙している:
1. coarctatio in una domo,[一
つの家の中で密に暮していること]
2. commensalitas [vixisse communi sumptu],[生
活する上で出費を共通のものとしていること]
3. lucrorum communicatio,[収
入を共通のものとしていること]
4. defensio communis in litibus,[訴
えられた場合は共同で対抗すること]
5. communio bonorum pro indiviso,[財
産を分割しないで共有すること]
6. publica fama super societate omnium bonorum.[societate
omnium bonorum の
存在が公にされていること]
上
記の条件[6番
を除いて]のどれも、それ単体だけでは連帯責任が存在しているという仮定を産み出すには十分ではない。しかし一緒に業務に携わっているということは常
に必須条件だったと考えられる。
バルドゥスは[連帯責任が発生する条件として]共通の「業務[negociatio]」23)の
存在と、さらにそれに関連して成員の誰もが、それが家族の一員であろうと家族以外の者であろうと、実際に業務に従事していたこと、そして「取引者[negociator]」として登場していることも必要と考えていた24)。
23)
注22の
最後の部分を参照。
24)バ
ルドゥスの Consilia V 125 [屠
殺業者・肉屋のソキエタース];V172:
ただ業務を行う能力がありかつ実際に業務に従事している者のみがソキエタースの成員と見なされた;I 19:
ただソキエタースが成立する場合のみ経営というものは兄弟の勤労によってゲマインシャフトの中に現れる[III 30も
参照];III 451:
一緒に住むこと[cohabitatio]
がではなく、しばしば行われる共同の行為[actus
sociales frequenter facti]
が[連帯責任発生のための]仮定を生じさせる。ペトルゥス・デ・ウバルディスの引用箇所 III, 2を
参照。
論理的な帰結としての、[本来のゲゼルシャフトの]利益という
ものは、ただ経営においてのこういった業務遂行からゲゼルシャフトの中に入って来るもののみであるという考え方から直ちに導き出される
ことは、他の方法による利益は"Adventizgut”
[本
業外収益による異質な財産]と見なされるということである25)。
25)バ
ルドゥスの Consilia I
120 を
参照。
さらにそこから更に進んだ論理的帰結となるのは、それ故にソキ
エタースの勘定に入れられる業務をまた形式上他の業務から区別しなければならなかった、ということである。そのような形式的な標識を当時の法学は契約
書の文中にそれを見出した。それは単に"nomine
communi” [共通の名前で]という章句であり、――形式的
にまたゲマインシャフトの勘定に入れられるという意味にもなるが――その共通の名前で執り行われた業務がソキエタースの業務として関係付けられたので
ある26)。
その語句においては、委任という仮定と代表者の仮定の両方がその中に取り込まれていたのである。この標識を利用することによってその当時の法学は自ら
を再び実践的な方の発展の基礎の上に位置付けることが出来たのであり、その法の発展は、これまで我々が見て来たように、[連帯責任の原理を採用した合
名会社の成立といった]同様の結果につながったのである。この最後のことが起きたということは、もしかすると部分的には法学者達の功績であったかも知
れず、彼らの作業は法規の編纂であるのと同時にまた、本質的な部分では司法上の実践でもあったのであり、そういった実践がこのような論理的な帰結を明
確にして発展させたのである。
26)ペ
トルゥス・デ・ウバルディスの引用箇所 III, 2を
参照。
国
際的な発展に対しての法学研究の成果
ソ
キエタース会社
引き続いて述べれば今まで述べて来たようなゲマインシャフト
の単なる成立を根拠とする連帯責任は、ロマニステンの教義にとっては好ましいものでなかった。何故ならば全ての新しい解釈の仕方にも関わらず、それは
ローマ法の法形式に正しく適合する現象ではなかったからである。バルドゥスはそれまで通用していた法に対して、連帯責任を実際に存在す
るものとして認めていた。しかしながらそれについての個々の司法的決定を通じて、明らかに次のような傾向が伴っていた。それは当該の集団における委任
や代表者という意図を証明することが益々困難になっていたことによって、当該のゲマインシャフトをひとまずはソキエタースと定義するが、しかしそれに
付随する不人気の[連帯責任という]制度を可能な限り制限しようとする、そういう傾向である27)。
27)Consilia V,
125, 402を
参照せよ。
カルパノは
自身のミラノの法規についての注解書の中で、次のことについて強い疑いを抱いていた。それは1498年
の法規の第415章が、ある父親の息子に対する債権者のための父親の息子への相
続財産分与義務に関しての規定であるが、それが神意に背いて人間が作った法であるのか[contra
divina et humana jura sei]ないのか、という疑いである28)。
そしてカルパノはそのことにより、[その規定が決して神意には背いていないという]証拠を重視するということを正当化しようと試みるの
であるが、それを彼はそうすべきと考えていた。
28)
注釈aaa:
というのは次のことは不自然と考える。ある者が自分がまだ生存中に息子に対して遺産相続を行わなければならない、ということは。
1502年
の法規の第481章の、相互に別れないで一緒に住んでいる兄弟に関しての箇所に
ついて、カルパノは次のように注意している。つまりそのような[連帯責任を持った]ゲマインシャフトについては十分に注意を払う必要が
あると、それはあたかも「丁度火に対してそうするように29)」、
というのもそうしたゲマインシャフトは全ての関与者を場合によっては破滅に導くこともあるだろうから、としている。
29)
注釈b:
このようなソキエタースやコミュニティーからは身を遠ざけるべきである、丁度火から身を遠ざけるべきであるように。
いずれの場合においても、このような法学的な把握は次のことに
対して強力に影響を及ぼした。つまり[相互に]責任を持つソキエタースの成員達とそういう内容のソキエタース契約の特性が、そういう性格を示すものと
して契約の中で使われた名前への参照と言及によって確認されるということと、こうした名前による識別、つまり「ソキエタースの名前で」[nomine
societatis]契約するということが、個人の債務からソキエタースの債務を
区別する上での最も確実な標識になったということである。そのことはある一定の期間継続して意義を持っていた。というのも責任についての古くからの基
礎:つまり共通の家計、共通の店[stacio]、
工房[bottega]、店・食堂[taberna]
が国際的な取引きにおいて、その存在意義を失った際に、いまや別の標識がソキエタースに何かの責任を負わせる契約と、その契約によって責任を負うこと
になる個人にとっての不可欠なものになったのであり、それによって法学における予備的な仕事は実際的な意義を勝ち取ったのである。その意義においては
次のような原則が採用されていた。つまり、ソキエタースの勘定に算入される業務だけがソキエタースの成員達に関係付けられるのであり、法的な構成を行
う場合には、そういった業務はさらにソキエタースの全員を一つにまとめた集合体として、つまり一つの
corpus [身体]として擬人化し、最終的には次のような慣習法が確立す
るに至った。その慣習法とはつまり、その種の業務の契約の際には、全てのソキエタースの成員の個別の勘定に関係する形で契約するのだということが特別
に強調され、そしてそれ故に当該のソキエタースは外部に対しては全てのソキエタースの成員の名前を包含する集合的表現30)と
しての一つの総体として、つまり本来の意味の商号[Firma]
として立ち現われることとなった、――というものであり、――そしてそういう業務は今度は次のような論理的な帰結を導き出していた。つまりある業務の
関係者はある集合的な名称を受け入れ、そしてその名前において契約を締結する。ある者がいて、その名前が集合的な商号の中に包含されていると見なされ
る者は――"cujus
nomen expenditur” [その者の名前が載っている]――連帯して責任を負うソキエ
タースの成員とされるのである。集合的な商号の名前を使って締結された契約こそがソキエタースの契約であるとされたのである。
30)"Corpus
mysticum ex pluribus nominibus conflatum” [複
数の名前が融合している神秘的な体]、先に引用した Dezision der
Rota Genuensis を
参照せよ。
31)
商号については
ディー
ツェル[301]の
論文、一般法年鑑の第4巻
と、本論文の第3章
の注70を
参照せよ。
以上のような原則についてと、それによって合名会社と[連帯責
任という意味での一つのcorpusに
なっていない]合資的関係を明確に区別するということは、実際の所[法制史から]商法の領域に足を踏み入れてしまっており、それについてはここで見て
来た通りである。そしてこれらの考え方が実際に行われるようになったということは、私見ではあるが、やはりまた法学の貢献の一つであり、その貢献の中
で法学は同時代の既にあった法との関係において、この章の冒頭で見て来たようなこうした新しい会社形態の法的把握についてある種の制限を行っていたの
である。法学はこの論文で取り扱って来た法的制度[会社]の経済的意義と歴史的な発展に対してはほとんど寄与していなかったが――しかしそういった法
的な把握は間違いなく存在していた――従ってこの部分についてのボローニャやパドヴァの大学で法学の予備教育に従事していた法学者[302]の評価については、正当なものとしては控えめにしておくべきも
のであろう。――しかしながらローマ法の法的思考の新しいものを解明する能力は、法とはある意味まったく異質な領域でもまたその真価を発揮したのであ
る。以上のようなことを明らかにすることが、先に描写して来た法学文献の概観の目的であったが、これらの文献についてほぼ完全にそう出来たかという点
と、あるいは法教義の歴史的発展について全体で明らかにすることが出来たかと言う点については32)、
残念ながらまったくそうとは言えない。
32)
これについてはエンデマンによる研究によって、より包括的に行われている。ただバルドゥスのConsiliaの
扱いは彼の研究した法教義の意義との関係においては上手く行っていない――この研究では、特にConsiliaの
傍注とそれに関係した部分が無視されている。
ジェ
ノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年法
発
展の結着
こういった法科学[303]の仕事の成果としてもっとも完全な形で表に現れて来たのはジェ
ノヴァの控訴院判例集であり、それは学識経験者による判事で占められた裁判所33)に
よるものであり、その判例集はその当時疑い無く国際的に高く評価されていた。
33)Statuten v.
Genua v. 1588/9 1. I c. 7に
よれば: constans ex
tribus doctoribus exeris. [常
に3人
の外部から招聘された博士から成る]を参照[304]。
ジェノヴァにおいては、そこは合資会社の発祥の地の一つである
が、既に見て来たように、会社法の実務において喫緊の課題であったのは、合名会社を合資会社関係から、つまりは個人的に[無限]責任を負うソキエター
スの成員[社員]を有限責任社員から区別することが不可欠だったということである。実際の所この区別は厳密に行われていたのである。特にパラヴィチー
ニ家とグリマルディ家[305]の間で何百万リラという巨額の金額について争われた大規模な裁
判(Decis.
14)においては、控訴院は原則的に次のことを強調する立場を取っ
た。つまり、商人達がソキエタース関係にある場合において、Institorat[代表者]の仮想というものは実際はまったく成立していないと
いうことを。(このことは バ
ルトルス34)[306]の主調には反しているが)しかしながらその反面次の場合につい
ては特に重視することをしていなかった。つまり、契約に沿った形である一人のソキエタースの成員のみが事業の管理権を持ち、事業においてその者のみが
外部に対して契約者として現れる場合、つまりそれ故に契約は他のソキエタースの成員の名前を含めた形では行われず35)、
そして第三者である契約の相手方は、"nicht "fidem eorum secuti sunt"" 36)[ソ
キエタースの他の成員の信用を求めていなかった]、それはつまり契約する者の信用がソキエタースとしての信用を担保するものではない、
そういう場合である。そのためにあるソキエタースの成員で、自分の名前にて契約が締結され、さらに彼自身の判断で他のソキエタースの成員達の名前を含
めた形で契約を締結する権利を持つ者、そういう成員のみが合名会社の[無限責任]社員である。ソキエタースの名前で締結された契約のみ
が他のソキエタースの成員、つまり"quorum
nomina expenduntur” [その者達の名前が載っている]、に関係付けられ、それらの成
員達は契約を締結した者の特別な事業の従事者となる37)。
ここにおいてソキエタースの成員の周知の二重人格性[307]が現れて来るのである。
34) Decisiones
XII no. 67以
下を参照。
35)
前掲書、no. 48を
参照。
36)
前掲書、no. 97を
参照。
37)Decisiones 7を
参照。
38)
前掲書を参照。
これらの新しい内容の法については、控訴院が強調したよう
に、それは一般法から派生したものであったが、1567年
の法規がまだ何もそれらを含んでいない一方で、1588/89年
の法規はそれらを取り入れていたのである39)。
39)De
societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l.2) : Socii sive
participes
societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in
solidum pro
omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu
societatis.
[商
人達のソキエタースまたは事業について[第12章、
の引用箇所]:ソキエタースの成員またはソキエタースあるいは何かの事業についての出資者で、その名前がそこにおいて記載されている者は、全ての業務
と全員そして個々のソキエタースまたはその事業に対しての債権者[達]に対して連帯して責任を負う。]
Socii seu
participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in
aliquo
obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et
nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et
beneficia
…
[ソ
キエタースの成員または出資者で、その名前が記載されていない者は出資者の出資金を超えた何かの債務、あるいはその者がソキエタースの共通資金の中で
分担している金額を超えた債務について責任を負わないとされる。しかしそれにも関わらず、そういう者達は出資[分担]の割合に応じて[事業による]利
益とその他の便益を受け取る...]
Creditores
hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum,
sive
plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur
quibuscunque
aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio
nomine, et
in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint
potiores et
anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et
praeferri
debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel
quondam suam
praetenderet.
[こ
の種の債権者達は、ソキエタースまたは事業を、あるいは一人の者の名前によって全部のまたは複数の成員を...[債
権者達は]商品と財産において、ソキエタースまたは事業に対して、ソキエタースのどの成員一人への債権者よりも優先権を持つ。出資者自身の名前による
かあるいは他の名前によっても、前述の商品と財産において、債権者は次のように見なされる。つまり抵当と特権において他の債権者よりも上位にあり、か
つ時間的にも[破産の際の]先取り特権を与えられている。それ故に嫁資や他の何か別のものについても優先されるし、また優先されなければならないが、
例外としてある者がその者個人の所有物としている商品と、または前からその者の所有物と見なされる商品を除く。]
De
accommendis et implicitis [cap. 13 の
引用箇所].
[委
託された[コムメンダ契約で]ものと、関係者について[第13章、
の引用箇所]]
ここにおいてより古い時代のジェノヴァの法規のコムメンダに関する規定は、特に興味を惹くような変更は無く、繰り返されている。その中には債権者の先
取り特権とコムメンダ契約で委託された商品についてのソキエタース成員に対しての規定も含まれている。
そこにおいては発展の成果が次のような形式で法として形成され
ていた:
1.
何人かの人員から成るソキエタースで、そのゲマインシャフトとしての名前の下である業務を営み、そこではソキエタースの成員がソキエタースの債権者達
とその人員相互に対してのみ連帯責任を負っている形態(合名会社)。
2.
何人かの人員から成るソキエタースで、ある業務をソキエタースの名前で営み、別の者は出資を通じてそのソキエタースに関与するもの。後者の責任は個人
として[無限責任を]負うのではなく、その出資額を上限とした責任[有限責任]に限定される。Rota
von Genua のDecis. 14、
それはこの種のソキエタースについて規定している箇所であるが、それによれば次のように思われる。つまり、ただ出資しただけのソキエタースの成員がま
た事業の遂行のやり方についてある程度の影響力を持っていたということであるが、そうでないとしたら次の問いは成立し得ない。つまり事業を遂行するソ
キエタースの社員(is
qui complementum dat、{ある者で何からの補完を行う者[308]}
――Decisiones Rotae
Genuensis 18、
――無限責任社員)が有限責任社員に対しての管理者[Institor]として観察することが適当かどうかという問いである。そこに
は次のことの名残りが見られる。つまり元々は有限責任社員こそが、無限責任社員ではなく、本来の企業家と見なすべき存在だったということである。この
形態は明らかに合資会社である。
この二つの会社形態の双方において、我々がこれまで確認して
来た意味でのゲゼルシャフトの財産が成立している。この法規の第12章
のI.IVと古い時代の法規の編集(Statuta Perae 207)を比べてみると明らかに、前者の法規は後者の法規にある付加
規定を拡張したものを含んでおり、さらに第12章
の当該の部分を読むと、次のことについては全く疑問の余地が無い。つまりそこで記述されているソキエタースで連帯責任が無いもの[合資会社]は、ソキ
エタース・マリスの発展したものであるということである。古い時代の一方向的なコムメンダは次の章にて扱われている。そしてその最後の部分から明らか
に分ることは、そういったコムメンダは手数料ベースの委託販売になったということである。それ故に古い時代の統一された法的制度であったコムメンダ
は、次の二つの方向へと分かれて発展した:一方ではソキエタース・マリスを経由して合資会社に、もう一方は手数料ベースの委託販売へと40)。
40)レ
パ《第2章
の注12の
訳注参照》の商法雑誌の第26巻
のP.438以
下の記述と比較せよ。ただ私の印象では、レパは手数料ベースの委託販売の利用が始まったのがさらにもっと古い時代と考えているように思
える。古い時代のトラクタートル[Kommendatar]
については手数料ベースの委託販売人とは見なすことは出来ない。トラクタートルは、先に見て来たように、委任する側[ソキウス・スタンス、Kommendanten]
の非独立の手足であるか、またはそれより後の位置付けでは、自身が企業家であり、委任する側の資本を自分自身の業務においての投資としてだけ利用した
のである。[コムメンダにおいてトラクタートルが取る]1/4の
利益配分を手数料として理解することはまず無理であり、いずれの場合でも第2章
の説明を通じて確からしく思われることは、こうした見解は当時の人々の理解とも合致していないということである。レパは手数料ベースの
委託販売人もまたソキエタースの成員として考えていた。そしてソキエタースの業務を海外との取引きに限定していなかった。コムメンダから手数料による
委託販売が分かれるのはもっと後の時代であるが、ここではそれについて立ち入るべきではない。しかしながらコムメンダと委託販売の対立ははっきりした
ものでは全く無かった。
それというのも、第12章
の該当する部分において、我々が仮定しているように、古い時代においてのコムメンダの場合に存在していた萌芽が発展して形作られてたゲゼルシャフトの
特別財産が合名会社と合資会社において同じように利用されており、そのためここにおいては次のことが明らかになったように思える。それは前述の箇所で
可能であると主張したように、コムメンダ関係における特別財産の形成が、合名会社におけるゲゼルシャフトの特別財産の発展と形成の仕方を同様に採用す
ることで行われたということである。――ジェノヴァの法規の1598/99年
版についてここでさらに詳しく述べる。まずそれは合資会社と合名会社の対立について特別にはっきりと並置して扱っており、それからその法規については
法学の影響が明らかであるので、そこにおいては普通法の応用としての合名会社についての規定が、それが先の場所で説明されていたように、明らかに採用
されているのである。その他の点については、この研究は後は次のことを確認すれば、終着点に到達したと言えるであろう。それはここで扱って来た諸制度
について地方の諸法規において次の点にまで追いかけたかということである。その点とは、まずは科学の土台の上で国際的な法形成の発展が起こり、そして
その法形成が地方の諸法規の成果を取り入れ自らの手柄としたという点である。そしてその後、このような国際的な発展の成果がそれ自身として、今度は近
代的なより広範囲の地域においての立法につながる端緒をどのように見出したかということは、もはやこの論文で扱う範囲を超えている。
結
論。得られた成果の法教義学的利用の可能性。
これまで行って来た考察の成果の法教義学的かつ法実務的な意
義を問われた場合には、まず次のことが確認されなければならない。それはこのような考察についてそのような意義をある程度はっきりした形で切り出すこ
とは出来ないということである。このことはもしかすると次の場合にはまた違った対応になるであろう。つまり、もしこの考察から次の問いへの答えが得ら
れるとしたら、その問いについてはここでは提示されるだけで今すぐ答えを出すべき筋合いのものではないが、その問いとは合手制度とこの考察で合名会社
の発生の基礎としてつきとめられた諸制度との関係はどうなっているのか、ということである。この問い自体は提示されなければならない。何故ならば、周
知のように、顕著な特徴から41)合
手制度は合名会社が成立する上での基礎として扱われるし、その場合さらに、つまり問いは現実的には次のように言い換えられねばならないとされるからで
ある: 合
名会社は歴史的かつ法教義学的に合手関係なのか、あるいは何か別のものなのか?それからさらに問われるかもしれない、[もしそうだとしたら]それは一
体何なのか?この問いについてはここでは種々の理由から答えを保留とせねばならない。まずは、この問いは何よりも用語論的なものであり、そこでは合手
の概念を債務関係に適用する場合には、周知のように全くの所ただ契約する者の
communi manu [共通の手=合手]だけに限定されていない。[309]――このドイツ法におけるある制度に関しての用語法の問題を
ローマ法の領域に持ち込んで結着を付けることは出来ない。同じ制度がしかし次の場合では問題無く扱うことが出来、今の問いに対しては満足な答えが与え
られるであろう。それはさらに新たに出て来る問いとしてであり、つまりここにおいて法制史上の合名会社の先祖というものを、イタリアにおいて見出し得
ていた色々な制度について、その概念の中に当てはめて見て問題が無いかという問いである。この最後の問いは完全にゲルマン法上の問題であり、そしても
し我々が次のことについての研究の工程の中で、つまり我々が追究した法的制度の発展についてゲルマン法の考え方がその程度まで影響力を持っていたの
か、それともまた何か別の起源を受け入れるべきなのかという研究の過程において、決して些末ではない何かの手がかりを得ていたとしたら、そうだとした
ら次のことは是認されないであろう。それは純粋にドイツ法の土台の上において、何か[合名会社に]平行して発展したものが無かったかど
うかという確認を行うこと無しに、ここでの問いに対して何か確固たる判断を行うことである。どの程度までドイツ法が関与していたかを確認していない場
合はしかしながら、ここで扱っている諸制度のドイツ法の合手の考え方との関係についての論述は暗中模索の状態に陥ってしまうであろう。というのもこの
ドイツ法の関与の程度という問題は対象としている法制度の法教義学的な詳細な議論に入った瞬間に、直ちに燃え上がってしまうであろう。そのためそう
いった詳細な議論はドイツ法の領域に属する同種の制度についての調査と分析を行うまでは差し控えることになる。――そのような同種の制度が存在してい
ることは、第3章
の注14aで引用したザクセンシュピーゲルの箇所が示している。こうした
調査と分析はしかしながら、また別の観察として留保しなければならない。
41)ギー
ルケ、ゾーム、そして何よりもクンツェ[310]の
商法雑誌の第6巻
収録の論文を参照せよ。
その研究を留保する代わりに、別の方向においての成果を確認
することが出来るかもしれない。[この論文で行った]歴史的な観察により、合名会社と合資会社については二つの別のものとするのではなく、原則的には
[特別財産という]同じ土台の上に構築されたものであり、単に会社形態の分類において別のものと扱うことが出来ると言える。特別財産は二つの制度に共
通しており、しかしその発展の仕方については二つは全く異なった出発点から始まってそれぞれの状態に至っているのであり、そしてさらに述べれば財産処
分能力を持っているということは、ただこの二つの形態にのみ備わっているのではなく、確かに非常に本質的な特徴ではあっても決してまず第一に他からの
判別に使われるべきような特徴ではない。財産処分能力はただゲゼルシャフト形成の基礎の法学的な性質として見られるものであり、それは
この二つの形態でそれぞれ根本的に異なっているのである。合資会社は合名会社と比べた場合、その発展の経過はまったく異なっていた。合資会社の有限責
任社員においてのいわゆる「責任」は合名会社の[無限責任社員の]それと並置することはまったく出来ず、合名会社のそれの緩和と制限として理解され
る。というのみ歴史的な発展に従って考察する限り、「有限責任社員の[無限]責任」について語ることは全くもって正当化され得ない42)。
42)エ
ンデマンのハンドブック第1巻
中のラスティヒの論文とも比較せよ。
有限責任社員は「責任を負う」のではなく、その
資本を用いて利益及び損失[の機会に]参加するのであり—そ
れこそがイタリアの文献史料においての理解であるが—そ
の利益と損失はその有限責任社員にとっては他人の行った業務の結果であり、それ故にその者が投資した資金は[会社が]第三者への支払いを済ませた後で
[deduct
aere alieno]のみ返還請求出来るのであり、さらに会社の債務の返済の原資
として使われてしまう性質のものであった。合名会社はソキエタースの成員の総体としての財産権上の人格性を保持しているが、有限責任社員の[全体とし
ての]財産権的な人格性というものは、合資会社においては認められていなかった。合資会社の信用の基礎は合名会社のそれとは根本的に異なっていた。合
名会社を総体としての人格性を持ったゲマインシャフトと表現する一方で、合資会社は[有限責任社員]の参加の関係として構成することが出来る。
文
献一覧
(こ
の部分は原文のイタリックはそのままイタリックにしている。)
1. Spanien. Lex Wisigothorum bei Lindenbrog
S.1-238.
Fuero
Luzgo en Latin y Castellano, Madrid 1815.
Fueros
francos, ed. Helffrich-Clermont, Berlin-Paris 1860.
Colleccion
de fueros municipales y cartas pueblas de los reinos de Castiella,
Leon, Corona
de Aragon y Navarra — p. D. Tomas Muñoz y Romero, Tom. I, Madrid 1847.
Nueva
Recopilacion de Leyes, Madrid 1745.
Fuero
Viejo de Castiella, Madrid 1774.
Ordenamiento
de Leyes de Alcalà, Madrid 1774.
Ordenanzas
de Burgos, Madrid 1647.
Ordinacions
y sumari dels privilegs, consuetuds y bons usos del regne de Mallorca,
Mallorca
1663.
Costums
de Tortosa bei Oliver, El derecho de Cataluña T. IV, Madrid
1881.
Consolat
del mar bei Pardessus, Collection des lois maritimes.
Statuten v. Barcelona u. einzelne Verordnungen bei Pardessus.
Las
Siete Partidas del sabio Rey don Alfonso Nono per las cuales son
deremidas y
determinadas las cuestiones y pleytos que en España occurren. Con la
glosa del
egregio dotor Alfonso Diaz de Montalvo.
Commentarii
Jacobi de Marquilles super usaticis barchinonensibus, 2. Ausg.,
Barcelona 1502.
Gonzali
Suarez de Paz,
Praxis ecclesiatica et secularis, Francofurti 1613.
Capmany
y Monpalau,
Memorias historicas sobre la marina, commercio y artes de la antigua
ciudad de
Barcelona, Madrid 1779.
2. Südfranzösische Statuten bei Pardessus
l. c.
3. Sizilien und Unteritalien. Statuten bei Brünneck,
Siziliens mittelalterliche Stadtrechte.
Constitutiones
Regni Siciliae Imperatoris Friderici, Folio-Ausgabe.
Tabula
Amalfitana, ed. Laband, in der Zeitschr. für Handelsr. Bd. 7.
Le
Consuetudini della città di Amalfi, ed. Volpicella, Napoli
1849.
Consuetudini
della città di Sorrento, ed. Volpicella, Napoli 1869.
Stattuten v. Trani, Sassari, Ancona bei Pardessus.
4. Genua.
Dattasches Fragment, ed. Desimoni, in den Atti della
Società
Ligure di storia patria I.
Breve
della compagna in den Historiae Patriae Monumenta Leges Municipales.
Statuten
v. Pera, ed. Promis, in den Miscellanea di storia Italiana
edita per
cura della regia deputazione di storia patria T. XI, Torino 1820.
Statuti
d’Albenga, ed. Valsecchi, Albenga 1885.
Statuta
et Decreta Communis Genuae, Venetiis apud Dominicum Nicolinum 1567.
Statutorum
civilium reipublicae Genuensis libri VI, Genua 1609.
5. Pisa.
Bonaini, Statuti inediti della città di Pisa.
6. Venedig.
Videbis lector hoc in volumine Statuta Veneta in fine: stamp. in
Venetiis 1528.
Novissimum Statutorum et Venetarum Legum Volumen (A.
Gryphi), Venetiis 1779.
Einzelgesetze bei Pardessus, andere bei Lattes,
Della libertà delle banche a Venezia.
7. Mailand. Liber consuetudinum Mediolani 1216 in
den H. P. M. Dieselben Stat. ed. Lambertenghi
1869.
Statuta
Mediolani, Mediolani 1502.
Statuta
Ducatus Mediolanensis, ed. Carpano, Francofurti 1611.
8.
Verona. Leges et statuta civitatis Veronae, Vicentiae 1478.
Liber
civilis urbis Veronae, ed. Bartolomaeo Campagnola, Veronae
1728.
Statuta
domus mercatorum Veronae.
9. Florenz.
Statuten bei Emiliani-Giudici, Storia dei communi italiani,
Firenze
1866.
Statuten
bei Fierli, Della società chiamata Accomandita 1846.
Statuten bei Lastig, Zeitschr. für Handelsr. Bd.
24.
Statuta
Populi et Communis Florentiae publica auctoritate collecta, castigata
et
praeposita ao sal. 1415. Friburgi, 3 Bde.
Tractatus
de cessantibus et fugitivis, ed. Fuchs (Programm), Marburg
1865.
10. Übrige
Städte. Statuten v. Como, Vercelli, Novara, Brescia, Bergamo,
Nizza,
Moncalieri, Ivrea in H. P. M. Leg. Munic.
Brescia:
Statuti della Mercanzia di Brescia. Brescia 1788.
Visso:
Statuta communis Vissi, ed. Santoni. Camerino 1884.
Modena:
Statuta civitatis Mutinae a. 1337 reformata, in Monumenti di Storia
patria,
Serie degli Statuti I.
Piacenza:
Statuta Varia civitatis Placentiae, Parma 1860, in Monumenta historica
ad
provincias Parmae et Placentiae spectantia.
Ferrara:
Statuta urbis Ferrariae. Ferrara 1624.
S.
Giorgio: Statuta Burgi et Curie Sti Georgii, in Monumenti Legali del
Regno
Sardo Disp. IV.
Siena:
Statuti de’ lanajuoli del 1292 ss., in Collezione di opere inedite e
rare T. I.
Bologna 1869.
Sinigaglia:
Statutorum et Reformationum magnificae civitatis
Senae
Gallicae volumen 1584.
Rom:
Statuten, ed. Camillo Re, Rom 1880.
Lodi:
Landensium Statuta. Lodi 1586.
Statuti
vecchi di Lodi, ed. Cesare Vignati, Milano 1884.
Bergamo:
Statuti e privilegi del Paratico e foro della università de’
Mercatanti di
Bergamo. Bergamo 1780.
Bologna:
Liber tertius causarum civilium communis Bononiae, gedruckt 1491.
Statuta
Bononiae a. 1250 ss., in Monumenti Istorichi pertinenti alle provincie
della
Romagna.
Statuti
della honoranda università de’ mercatanti di Bologna a. 1509.
Padua:
Statuti del Comune di Padova dal secolo 12. all’ a. 1288.
Massa: Statuta Massae, gedr. Lucae 1592.
Arezzo: Liber statutorum Aretii, Florenz 1580.
11. Italien im allgemeinen:
Lex Longobardorum seu capitulare divini et sacratissimi
Caroli magni imperatoris et Franciae regis ac novellae constitutionumm
dni
Justiniani imperatoris per dnum Nicolaum Boherii.
Anschütz, Die Lombarda-Kommentare des Ariprand und Albertus.
Heidelberg 1855.
Petri exceptiones legum Romanarum bei Savigny,
Geschichte d. Römischen Rechts im Mittel-Alter.
Spruchsammlungen:
Rotae Genuae de Mercatura
et rebus ad eam pertinentibus Decisiones. Francofurti 1603.
Decisiones
Rotae Florentinae, ed. Hieronymus Magonius,
Francofurti 1600.
Decisiones
Rotae Lucensis, Lucae 1580/1.
Decisiones
Rotae Romanae, ed. Verallus.
Urkunden:
Historiae Patriae
Monumenta, Chartarum Tom. II.
Archives
de l’Orient latin Vol. I, II. Documents.
Archivio
Veneto T. VI, XII.
Monumenta
spectantia historiam Slavorum Meridionalium Vol. I Zagrabiae 1868.
Ricordi
di Miliadusso Baldiccione de Casalberti Pisano, im Archivio Storico
Italiano
App. Tom. VIII.
SW443Ricordanze
di Ghido di Filippo di Ghidone dell’ Antella e de suoi figliuoli e
discendenti,
im Archivio Storico Italiano T. IV.
Estratto
del epistolario della Repubblica Fiorentina, im Archivio Storico
Italiano, Nova
Serie Tom. VI.
Urkunden bei Bini, I Lucchesi a Venezia.
Urkunden bei Buchon, Nouvelles Recherches sur la
principauté française de Morée.
Urkunden im Giornale Storico degli Archivi Toscani Tom.
I.
Urkunden bei Passerini, Gli Alberti di Firenze.
Urkunden bei Peruzzi, Storia del commercio e dei
banchieri di Firenze.
Zeitgenössische Literatur:
Baldo de Ubaldis Consilia, Francofurti 1589.
Franciscus
de
Porcellinis de Padua, De duobis fratribus Juriscon
sultorum. Illustrium
Angelus
de
Periglis de Perusio, De societatibus
Jurisconsultorum
Ansaldi de Ansaldis, Discursus legales de commercio et
mercatura, Genua 1688.
注:ここにある文献一覧は書誌学的な目的を持ったものではまったく
無く、ただ私にとって入手可能だった文献材料の概観を提示することを目的としている。
[1] 原 文はHandelsgesellschaftenで本来は「商事会社」が日本語での相当語だが、2020年 現在日本で「商事会社/民 事会社」の区別は無くなっていることなどから、具体的な中身である「合名・合資会社」にしている。この論文では有限合資会社や株式会社については まったく言及されておらず、Handelsgesellschaftenが通常意味する会社形態の内の人的会社である合名会社と合資会社についてしか扱っていないことに注 意。
[2] Levin Goldschmidt、1829~1897年、 ドイツの商法学者で代表的歴史学派。1875年 から1877年 までドイツ帝国議会議員。
[3] ペー ジ数はまずJ.C.B. Mohrの全集版のページを示し、()内にこの翻訳でのページを示す。
[4] ユ スティニアヌス帝がまとめた古代ローマ法の再編纂版である「学説彙纂」(ラテン語でDigesta)の番号を示す。
[5] 古 代ローマでの公職の一つで按察官と訳す。主に公共建築・祭儀などを管理。
[6] ス ペイン南岸のフェニキアの植民市で後にローマの同盟市。
[7] 本 文中では「Urkunden= 出典」になっている。
[8] 1161年 に編纂されたピサにおける商業上の慣習法の集成。
[9] 以 下がローマ法におけるソキエタースの分類。
(1) societas omnium bonorum
ソ キエタースの全ての財産が現在および未来において成員間で共有されるもの。
(2) societas omnium bonorum quae ex quaestu veniunt
ソ キエタースの固有の財産は、ソキエタースの成員がソキエタースの目的のために行った業務によって獲得したものに限定されるもの。
(3) societas alicuius negotiationis
ソ キエタースの利益と損失がある特定のビジネスに関わることに限定されるもの。
(4) societas unius rei
1回きりの業務を対象とするもの。
[10] 陸 上のCompagna=イ タリアでソキエタースとコムメンダから発展した会社の原型。
[11] Gustav Lastig、1844~1930年、 ドイツの法学者、商法の発展を商業の種類が拡大されてきた歴史に求める歴史学派で、ゴルトシュミットのライバル的存在。
[12] 全 集版の注によれば、ラスティヒ自身が少なくとも30年 はかかると発表時に述べているとのこと。実際に最初の構想の発表は1878年 で、最終的に完成したものが発表されたのは1907年 であり、29年 後である。
[13] こ の研究で扱われているのは合名会社と合資会社の「人的会社」だけであり、有限会社、有限合資会社、株式会社などの「物的会社」については全く扱わ れていないことに注意。
[14] 英 訳の注によれば第34巻 はヴェーバーの引用ミスで正しくは第23巻 と第24巻。Zeitschrift für das Gesamte Handelsrecht, "Beiträge zur Geschichte des Handelsrechts", 1878年と1879年。
[15] Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch [ADHGB]
1869年制定、第85条
の規程は以下の通り。"Eine
offene Handelsgesellschaft ist
vorhanden, wenn zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter
gemeinschaftlicher Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter
die
Betheiligung auf Vermögenseinlagen beschränkt ist.
Zur
Gültigkeit
des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen
Abfassung
oder
anderer Förmlichkeiten nicht."
[日 本語訳]
合 名会社とは以下の場合に成立する。
2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責 任を制限されない。
会 社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。
[そ の契約を第三者に対抗出来るようにするには合名会社の商業登記が必要である。]
[16] 箇 条書きの番号は訳者が追加したもの。
[17] こ の翻訳では原則的にGemeinschaft、Gesellschaftの 日本語訳については単にカタカナ化した「ゲマインシャフト」「ゲゼルシャフト」を使い、敢えて日本語化しない。[一部例外有り]その理由は以下の 通り。
ヴェー バーの学問的生涯を通じて、この二つの語はキーワードであり、ヴェーバーのこの2語 の使い方は変化を続けてきており、特に「理解社会学のカテゴリー」である意味ピークに達する。
よ くGemeinschaftは「共同体」とか「共同態」とかに訳される場合があるが、ドイツ語で何かを「共通にする」人間集団 を意味する単語には、Gemeinschaftの他にGemeinde、Genossen[schaft] の少なくとも3つ が考えられる。いくつかの日本語の百科事典は「共同体」[英語でcommunity] のドイツ語相当語をGemeindeに している。ヴェーバーのGemeindeの 使い方は揺れているが、近隣ゲマインシャフトを基礎としそこにゲゼルシャフト形成が行われた村落などの地域共同体及び宗教における教団に対しGemeindeの 語を使用している。
ま た、GemeinschaftとGesellschaftを 対立概念と捉え、それぞれを共同社会、利益社会と捉え、前者の例として家族、村落、中世都市など、そして後者の例として各種の会社組織や国家など を挙げるのが、テンニースの1887年 の「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」である。(ちなみにヴェーバーの本論考は1889年。) これに対してヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」では、そうした二つの人間集団を所与のものとして対立的に捉えるのではなく、まずは「ゲマイ ンシャフト行為」というゲマインシャフトをむしろその時々の人間同士の相互作用に基づくダイナミックな生成物として捉え、さらにその特殊な場合と して「ゲゼルシャフト行為」「ゲゼルシャフト関係」を定義して行っている。しかしこのヴェーバーのGemeinschaftとGesellschaftの 新しい使い方は、ヴェーバーが「理解社会学のカテゴリー」の内容をミュンヘン大学の学生に講義した時に、テンニースの用法との混同を招き、なかな か理解されない、ということになり、後にヴェーバーがカテゴリー論文を「社会学の根本概念」として書き直すことにつながっている。
そ れからGenossen[schaft] は、「何かを共通にする集団」[木村相良独和辞書によれば、元々は「家畜」を共同所有する集団という意味]という意味ではGemeinschaftと同じである。但しGenossen[schaft] の方が、より対等に近い仲間、という暗黙の了解があるのと、また実際には具体的には認知しがたい概念的な「仲間」に良く使われている。例えば同時 代人はZeitgenossenであり同年齢人はAltergenossenで ある。なお、代表的なゲルマニステン[ゲルマン法重視派]であるギールケは、ドイツの社会集団の発展をGenossenschaftからKörperschaftに 進化したとしている。ギールケのGenossenschaftは、均等な立場にある者の横のつながりを重視した概念である。
Gesellschaftに ついては、テンニースによれば、この語の成立はGemeinschaftよりもかなり新しいとされている。語源的には、Geselleと いうのは、旅をしながら自己の職業の腕を磨いていく「徒弟」のことである。シューベルトの「冬の旅」の中の有名な歌である「菩提樹」に、”Komm her, zu mir, Geselle”[こちらへ、私の元へおいで、若者よ]と粉挽き職人修行の徒弟である若者に対する呼びかけとして使 われている。Gesellschaftというのは、元はそういう徒弟が共同で寝泊まりする「職人宿」が語源である。[Geselle自 体が木村相良によれば「部屋を同じくする仲間」という意味。]
九 鬼周造は日本語の「いき」について、一篇の論文を書いてそこに内包されている意味を解明した。また日本の民俗学での最重要キーワードに「ケとハ レ」があるが、これらの「いき」や「ケとハレ」は単純には他の外国語には翻訳出来ない単語である。ドイツ語のGemeinschaftやGesellscahftも 同じで、いつも決まった一つの日本語に置き換え可能な概念ではない。このことからこの翻訳では、Gemeinschaftは「ゲマインシャフト」、Gesellscahftは 明らかに会社である場合などを除いて「ゲゼルシャフト」と訳す。
[18] Paul Laband、1838~1918年、 ドイツの法学者。
[19] Otto Friedlich von Gierke、1841~1921年、 ドイツの法学者、特に団体法の研究で有名でゲルマニステンの代表的存在。
[20] ソ キエタースの一成員として他の成員に対する法的な行動(訴訟など)のこと。
[21] D=Digesta、ユスティニアヌス法典の中の学説彙 纂、17.2.63.5。
[22] A~Dは 分かりやすくするため訳者が追加したもので原文には無い。
[23] 法 律用語としての「善意」であり、ある事情について知らなかったということ。
[24] (再 掲) 古 代ローマでの公職の一つで按察官と訳す。主に公共建築・祭儀などを管理。
[25] Hermann Roesler、 レー スラーまたはロエスレル、1834~1894年、 ドイツの法経済学者、1878年にルター派からカトリックに改宗した結果メクレンブルク州で の公職を失い、またビスマルクに対し批判的であって当局から危険人物視されたこともあって日本に渡り、いわゆるお雇い外人として伊藤博文に仕え、 大日本帝国憲法と商法の草案を作る上での中心的な役割を果たした。
[26] 日 本語訳は、最後のcum singulisをcum multisに修正した上で解釈している。この変更は全集版の注による。
[27] 現 在のスペインのマラガ。
[28] ビ ザンチン皇帝レオ6世 [在位 886~91年]による ユスティニアヌス法典の批判的な見直しとしての大法典。
[29] Theodor Mommsen、1817~1903年、 ドイツのローマ史家、法学者。ヴェーバーのこの論文の審査に陪席してあるラテン語の単語の意味についてヴェーバーに質問して論争した後、「私がや がて墓場に急がねばならぬとき、『槍はすでにわが腕に重すぎる、われにかわりて、わが子、汝この槍を持て』と呼びかける相手は、わが敬愛するマッ クス・ヴェーバー以外にはない。」という賛辞を送った。
[30] Leopold Heyrovský、1852-1924、チェコのローマ法の専門家。
[31] Vipascaは昔の鉱山名、現在の地名はポルトガルのアルジュストレル。
[32] Karl(Carl) Eduard Georg Bruns、1816~1880年、 ドイツの法律家・法学者。
[33] "Fontes iuris romani antiqui"、 C.G. Bruns, Tübingen、 1909年、247ページ、https://zenodo.org/record/2484590 参照。
[34] foenusはfaenus(利 息)で「海事利息」の意味。海事契約利息とも言う。ある貸主が貿易を行うものに資金を貸し付けるが、借主は船が無事に戻って来た時のみに返済義務 を負い、海難事故で船が全損した場合は返済不要という内容のもの。返済の際には借りた金額より多い金額を返すため、一種の海上損害保険の先駆けと もみなせるが、教会の利子禁止の裏をくぐるような利息付き貸し付けともみなせるため、1236年に法王庁から非難されたことがある。参考:Palgrave Macmillan, A. B. Leonard編, "Marine Insurance Origins and Institution, 1300 - 1850 (Palgrave Studies in the History of Finance)"。
[35] ロー ド海法、紀元前3世紀にロードス島で編纂されたと信じられていた海上取引に関す る慣習法。原本は今日でも未発見。ユスティニアヌス法典の勅法彙纂の中に"lex Rhodia de iactu"(「投 荷 (共 同海損) に 関するロード法」)という一章が含まれている。(「共同海損」は船の事故の時に船を軽くするために捨てた荷物の荷主の損害を船主や用船者と荷主全 員で平等に負担する仕組みで、今日の海上保険でも存在する概念。)参考:ブリタニカ国際大百科事典 小 項目事典。
[36] 西 ゴート王国のChindasuinth王が642年 から643年にかけて最初に編纂し、その息子のRecesswinth王が654年 により大規模にまとめた法典。ローマ法とゲルマンの慣習法及びキリスト教会法を融合しようとしたもの。
[37] ゲ ルマン民族であるランゴバルド族の部族法。643年に編纂されたロタリ王法典[Edictum Rothari]などいくつかの法典の総称。
[38] ス ペインのアラゴン王ペドロ3世(1239~1285年)により編纂された地中海における海事法である concolato del mare に出て来る初期の海運業者。
[39] 合 資会社の原初形態。
[40] 8世紀にビザンチン帝国において私人の手により編纂され、ロード 海法を偽装したもの。
[41] イ タリアの港湾都市トラーニで1063年に編纂された中世地中海での最初の海商法典。
[42] Jean Marie Pardessus、1772~1853年、 フランスの法学者。
[43] 1149年にスペインのバルセロナで編纂された慣習法の集成。
[44] Bienvenido Oliver、1836~1912年、 スペインの法律家・歴史学者。
[45] 12世紀のジェノヴァにおける最初期の公証人。
[46] イ タリアの史的文書の集成。1836年~1901年 にトリノで編纂された。全22巻。以下HPMと 略す。
[47] ジェ ノヴァ控訴院判例集、原文のGenuensisは全集版の注によれば、Genuaeの 誤り。
[48] 二 つともおそらく当時の織物の種類か?欧州は元々毛織物が一般であったが、この時代に絹織物と木綿が伝わっている。ヴェーバー以外にもインターネッ ト上で見つかる2、3の 文献がここを引用しているが、いずれもこの二つについてはそのまま引用しており訳されていない。
[49] お そらく二つとも何かの染め物の技法ないし染料の種類か?
[50] Rudolf Lepa、1851~1921、ローマ法学者。
[51] J. L. M. de Casaregis、1670~1737、 イタリアの法学者で手形やその裏書き、保険や海上取引などの各種商行為を研究し後代の 商 法の整備の基礎を作った。
[52] Heinrich Thöl、1807~1884、ドイツの法学者でドイツ商法の整備に貢献した。
[53] Elia Lattes、1843~1925年、 イタリアのローマ法、法制史・経済史の研究家でエトルリア語の専門家。
[54] ア ラゴンのペドロ3世(1239~1285年)によって編纂された地中海の海事法の集成、現在のアラゴン 語の元になった言語で書かれている。
[55] 以 上はアラゴン語の元になった言語で書かれており、日本語訳はLutz Kaelberの英訳に載っているStanley S. Jadosの"Consulate of the Sea and Related Documents"の 英訳を元にしている。
[56] 訳 者の推定であるが、ここをもう少し意訳すると、「何故ならばコムメンダで委託された者の多くは、船上で彼ら自身が出資した商品を保持しておらず、 ただ一部の被委託者が自分で買い入れた商品を少しだけ許可を得て持ち込んでおり、それを世界中をその船で旅する間所持する。さらには彼ら自身が船 主ではない場合にはその存在は無に等しい。もう一つ付け加えれば、海上で貨物が損害を受けた場合でも、多くの場合それは被委託者の所有物ではない ため、彼らにとっての損害は存在しない。...それ故に(被委託者が船主であっても)船主が他の船上の者より 有利に扱われることは公平ではない。」
[57] 今 日の海上損害保険における「共同海損」の原理。
[58] Francesco Bonaini、1806~1874年、 イタリアの文献・古文書学者。
[60] 11世紀の終わりにジェノヴァの市民によって結成された自治組織で 後の共和国のベースとなった。
[61] Samuel Wilhelm Endemann、1825~1899年、 ドイツの法学者・ドイツ帝国議会議員。
[62] "in qua alter imposuit pecuniam, alter operam”、 つまりソキエタースの一方の成員はお金だけを出し、他方の成員は労働だけを提供するもの。
[63] 第1巻:1874年、 第2巻:1883。
[64] Fuero Juzgoとも表記。スペインのカスティーリャ王国で1241年にフェルディナント3世 により制定された法律で、内容的には654年の西ゴート法典のスペイン語への翻訳が主で他にローマ法や教 会法の影響も受けている。
[65] スペインのカスティーリャ王国で賢王(El Sabio)と呼ばれたアルフォンソ10世 (在位:1252~1284年) によって編纂された法規集。同王は音楽史において「聖母マリアのカンティーガ集」の編纂でも知られている。
[66] カ タルーニャ州の地名。
[67] ア ルフォンソ7世が12世 紀に定めたグアダラハーラの地方法。
[68] 1772年のスペインの法規集成。
[69] バ レンシアで13世紀に制定された通常の法と同様の効力を持つ慣習法の集成。
[70] 8世紀から15世 紀までのスペインにおけるレコンキスタというキリスト教地域復活運動の中で、征服した地域の住民の労働が功績を挙げたものに委託される制度。
[71] Jean-Marie Pardessus 、1772 - 1853、フランスの法学者。商法・海事法の専門家。
[72] Don Antonio de Capmany 、1742~1813年、 スペインのカタルーニャの政治家、歴史家、ローマ法学者、辞書編纂者。
[73] colonnaについては栗田和彦著『アマルフィ海法研究試論』(関西大学出 版部、2003)で詳しく研究されている。
[74] あ らかじめ存在する理論的なカテゴリーやモデル(後のヴェーバーの用語法では理念型{Idealtypus})に個々の事例((ラテン語でcasus、ケース)がどのように当てはめられるのかあるいはられないの かを検討し体系化を図る学問の技法。例えば法教義学において、個々の事件にどのような法律概念を適用出来るか検討する(例:殺人だが正当防衛なの で無罪)ようなこと。
[75] 詳 細不明。
[76] 詳 細不明。
[77] 正 しくは"Tabula Amalfitana"、全集版の注による。
[78] Luigi Volpicella、1816~1883年、 イタリアのナポリの法律家・裁判官。
[79] 第4章。
[80] 1871年創刊のイタリアの史学雑誌。
[81] 共
同事業についてのコミッション、Lutz
Kaelberの英訳による。
[82] 全 集版の注によれば、1232年のパルドゥシュのCollection Vの第22章 にある、Statut criminel de Veniceが 正しく、Promissiones maleficii(虚偽の約束)という箇所は実際には存在しない。
[83] 1097年頃に結成された誓約共同体、自治組織であり、ジェノヴァ共和 国の原型となったもの。
[84] Nicolaus Dens、生没年不明だが13世 紀に生きたジェノヴァの公証人。
[85] Antonius de Quatro、生没年不明だが13世 紀に生きたジェノヴァの公証人。
[86] Kambertus de Sambuseto、13~14世 紀のジェノヴァの公証人。
[87] 当 事者の意思によって適用を免れることができる法規。
[88] ド イツ語でSiebenbürger。
[89] ヴェー バーがこの論考を書いていた時、既に当該史料はベルリンの博物館に移送されている。今日でも同じ。
[90] 木 板の表面に蝋を塗って先の尖った鉄筆類で文字を書けるようにしたのが蝋板本だが、トリプチカはその板を3つ重ねてつなぎ合わせたもの。しかしここで言及されているラテ ン語金石碑文大成の950は2枚 しか無い。
[91] ラ テン語金石碑文大成。CILと略記する。1847年 にテオドール・モムゼンが主宰した解読のための委員会が発足し、2020年1月現在全17巻 が刊行され、18万種類にも及ぶラテン語の金石碑文の解読結果が収録されてい る。
[92] 紀 元164年の12月23日。kal.(月 の初日)の何日前、という時は実際の日数差に2日 を足す。
[93] 紀 元166年4月12日。ローマでは月中の日はいくつかの起点の日の何日前という風 に表現された。
[94] ロー マの執政官は任期は1月1日 から1年間であり、ある年を言う場合は誰それが執政官であった年、と 表現される。
[95] arrenatumという語のブルンズの解釈による。
[96] ロー マでは奴隷が主人に代わって利殖を行うのが通常だった。
[97] ヴェー バーのテキストではXXの上に横線があり、これは1000倍 を意味するので20,000になるが、数字が大きすぎるし、インターネット上で確認出来る この部分の原典では横線は付いていない。Kaelberの英訳ではその左の解読出来ない文字も含めて30としている。
[98] Carl Georg Bruns、1816~1880年、 ドイツの法学者・法律顧問官。
[99] こ の部分については全集版の注90を参照。モムゼンがブルンズの脚注を見落として間違った解釈を し、ヴェーバーがそれをそのまま引用した可能性が指摘されている。
[100] 第4章。
[101] 破 産の際に優先的に弁済を受ける権利。
[102] Pietro Luigi Datta、?~1875年、イタリアの歴史家・古文書研究家、Regia deputatione di storia patria(1833年に設立された王立のイタリアの歴史史料の蒐集・編纂を行う団 体)のメンバー。
[103] ”res succedit in locum pretii et pretium (succedit) in locum rei”(財 というものはそれに対して価格が与えられた場所で成立し、価格というものはある物の(それが売られた)場所で成立する。)という説明が最終章に出 て来る。
[104] 花 嫁の持参金は古代ローマでは普通の慣習だった。
[105] 物 に対比される債権。
[106] コ ンスタンティノープル郊外に1267年 に形成され、1453年 のコンスタンティノープル陥落まで続いたジェノヴァ人居留区。ガラタ地区とも呼ばれ、現在のイスタンブール市のカラキョイ 地区。
[107] イ タリア共和国リグーリア州サヴォーナ県の都市。
[108] 詳 細不明。英訳は羊毛の靴下としている。あるいは石灰でなめした革製品?。
[109] 第4章。
[110] Josephi Laurentii Mariæ de Casaregis、Discursus Legales de Commercio、1740年の著者。
[111] Gregorio Fierli、1744~1807年、 イタリアの法律家、"Della società chiamata accomandita e di altre materie mercantili"の著者。
[112] Johann Heinrich Thöl、 ドイツの法学者、フランクフルト国民議会議員。商法の整備に貢献した。Handelsrecht、1841年 の著者。
[113] 今 日のイタリア語で店主、行商人の意。第6章の結論部で、この概念が再度取上げられる。
[114] フ ランス語・英語での"force majeure"と同じ、超越した力=不可抗力。
[115] 第4章。
[116] Beseler: Georg Beseler、1809~1888年、 プロイセンの法律家、政治家。
[117] Francesco Bonaini、1806~1874年、 イタリアの歴史家・文献学者。
[118] ま だ父親の保護監督下にあり独立していない息子のこと。
[119] 第1章の「ローマ法におけるソキエタース」。
[120] Ansaldo Ansaldi、1651~1719年、 イタリアの法律家、なおヴェーバーは"Ansaldus de Ansaldis"と している。
[121] 訳 者の推測であるが、ランゴバルド族での兵役が例えば家ゲマインシャフト当たりに2人といった割り当て制であったならば、その兵役の義務に対し支 払われる報酬がその兵士ではなく家ゲマインシャフトに支払われるのは自然である。これに対し王に従僕として仕える場合は本人の意思に基づくのであ るから報酬がその者に払われるのであろう。
[122] H.ミッタイスの「ドイツ私法概説」のP.114によれば、ランゴバルド語での"meta"は嫁を迎える際にMunt(家 父長権)を相手から譲り受ける代償として支払うMundschatzのことであるという。これで実家に支払われたお金の中から花嫁 は嫁資=持参金を得ることになる。
[123] 両 者とも詳細不明だが、アリプランドは12世紀のイタリアの法学教師。
[124] August Anschütz、1826~1874年、 ドイツの法学者。
[125] 全 集版の注釈では「花嫁の持参金」とされているが、P.193の下でヴェーバーは「持参金」{mitgebenと動詞形で表現}は父親または男の兄弟より花嫁に与えられ、 「それによって財産の分与を受けたことになる。[und sind damit abgefunden]」と書いているので、ex communi{共通の財産}から[花嫁に直接]与えられると読める記述は明ら かに矛盾している。"meta"はH.ミッ タイスの「ドイツ私法概説」によれば、花婿が花嫁の父親から花嫁に対するMunt{保 護監督権}を引き渡してもらうことの代償として花嫁の父親に支払う、日本語で言えば一種の結納金のことであり、確かに父親はその受け取ったお金の 中から娘に持参金を渡すのであるが、一度お金は父親の財産となったものをさらに財産分与として与えるのであり、直接花婿の家から花嫁に支払われる 訳では無い。ヴェーバーは花嫁の持参金以外に、何か別のお金が花婿の家の共通財産から花嫁に支払われると勘違いしている可能性も否定出来ない。H.ミッタイスによれば、ランゴバルド法での女性の地位、とりわけ 婚姻後の地位についてはもっとも大きく学説が変わったとしており、ヴェーバーの時代ではmetaの意味が間違って解釈されていた可能性も考えられる。
[126] Otto von Gierke、1841~1921年、 ドイツの法学者でゲルマン法主義者であるゲルマニステンの中でもっとも高名。
[127] 邦 訳書名:ドイツ団体法論。
[128] Baldus de Ubaldis、1327年頃~1400年、 イタリアの法学者で中世ローマ法の大家。
[129] ド イツの法学界においての古代ローマ法重視派、サヴィニーやイェーリングなどが代表的。ゲル マン法重視派のゲルマニステンと激しい論争を繰り広げた。
[130] 12世紀に南イタリアを占領し、ノルマン・シチリア王国を建国し た。
[131] 現 在のオランダであるフリースランドにゲルマン民族であるフリース人が進出し、7~8世 紀にフリースラント王国を建国した。ブルグント人は元々スカンジナビアに住んでいたゲルマン人であり、5世紀初めにローマ帝国領内に侵入し、ライン川の西にブルグント 王国を建国した。ブルグント王国は叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の舞台としても有名。また現在のフランスのワインで有名なブルゴーニュ地方の名前 はブルグントにちなむもの。
[132] Wilhelm von Brünneck、1839~1917年。ドイツの法学者、法制史家。
[133] 1881年、シチリア島の中世の都市法。
[134] Max Pappenheim、1860~1934年、 ドイツの法制史家。
[135] 1882年、ブレスラウ。
[136] rubrは法規における構成単位。
[137] ソ レント慣習法集成。
[138] ホー エンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世の時代、1197~1250年。
[139] 同 じくシチリアの町。
[140] 1341年、シチリア島のノートの法規。
[141] 1130~1154年 までシチリア王。
[142] Luigi Volpiicella、1864~1949年、 イタリアの歴史家。
[143] ファ ルファはローマの近郊で北東方向にある地名。
[144] Heinrich Brunner、1840~1915年、 オーストリアの法制史家。
[145] 全 集版のP.195、「諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフ ト」の最初の箇所。
[146] 5.の「陸上コムメンダと合資会社」の箇所。
[147] Alessandro Lattes、1858~1940年、 イタリアの法制史家で商法史とランゴバルド法が専門。
[148] 第4章。
[149] ザ クセンの騎士 Eike von Repgowによって1220年 から1235年の間に編纂されたドイツ中世の慣習法をまとめた法書。中低ド イツ語で書かれている。「ザクセンの鏡」の意。
[150] Karl Lamprecht、1856~1915年、 ドイツの歴史家。歴史研究における法則性の発見の重要性を主張し、史料批判を重視するドイツの他の歴史学者との激しい論争を引き起こした。
[151] Theodor Inama von Sternegg、1843~1908年、 ドイツ・オーストリアの経済史家。
[152] Andreas Heusler、1865~1940年、 スイスの中世研究者で特にゲルマンとスカンディナビアを専門とした。
[153] 一 定の金額までがソキエタース・マリスでそれを超えた分はコムメンダとされるといった例があった。
[154] Luigi Passerini Orsini de' Rilli、1816~1877年、 イタリアの政治家・歴史学者・系譜学者。
[155] Simone Luigi Peruzzi、1832~1935年、 イタリアの歴史家、メディチ家に連なる家系の出身。
[156] Liutprand(リュートプランド)王、712~744年の間、ランゴバルドの王。
[157] Petrus、生没年不詳、12世 紀初頭のフランスのプロヴァンスの法学者。
[158] Gotthold Julius Rudolf Sohm、1841~1917年、 ドイツの法学者・神学者・協会史家。
[159] 1888年12月22日。
[160] ド イツ法における「合手」概念についての補足説明。
ド イツ民法に、共同所有の概念として共有(Miteigentum)、合有(Eigentum zur gesamten Hand)、 総有(Gesamteigentum)の3種 類がある。(ドイツ民法をベースに作られた日本の民法では、3つ の概念の明確な区別の規定は存在しないが、一部の「共有」の表現が同様の概念を包含しているとされている。)
「共 有」はローマ法に由来するもので、今日でも一般的な共同所有の形態で、
(1) 各共有者が自分の持ち分を自由に処分する権利を保持する。
(2) 各共有者が共有物についてそれぞれの持分に応じた分割請求の自由を持つ。
と いうのが特徴である。
こ れにたいし、「合有」は、ここに「合手」(Gesamthand) が出て来る。共有がローマ法に由来するのに対し、合有はゲルマン法に由来するものであるという説が、19世 紀のギールケなどの歴史学派のゲルマニステンにより主張された。そうした歴史的な起源にもかかわらず、今日でも組合、夫婦財産共同制、共同相続関 係の場合に使われている概念となっている。その特徴は、共有される物が、全体が各人に帰属しているのと同時に、残りの「合手者」全員に帰属してい て各人の持分が明確になっていないことである。構成員の共同関係が存続している間は、各構成員は個別に自分の持分に相当するであろう分を自由に処 分することは出来ない。共同関係を解消する際に初めて潜在的に存在していた「持分」が決定されて各自に配分され、それぞれでの自由な処分が可能に なる。「合手=手を合わせる」という概念は、本来はドイツの封建制度において、ある亡くなった封臣が持っていた領地を、その封臣の息子達が領主の 下にその領地を共同で相続することを認めてもらうために訪れた場合、領主は再授封の儀式としてその息子達がお互いの手を重ねているのを自分の両手 で包むようにすることに由来する。(両手を差し出すのは武器を持つ手を領主に委ねるという意味である。)
(一
緒になった手=Gesamthand、下の絵はザクセンシュピーゲルの挿絵に登場する合手のシーン。)これによって、封臣の息子達は死
んだ父親に代わってその領主に忠誠を誓い、領主はその忠誠の代償に改めて息子達に土地を与える。
最 後の「総有」は、各構成員は共有物に対して利用・収益権だけを持ち、管理権は代表者のみが行使するという形態で、各構成員の持分請求は無い。 い わゆる山林などの入会権や、ドイツ民法54条 における権利能力なき社団(登記がまだ行われていない会社など)がこれに該当する。
参 考文献
ハ インリッヒ・ミッタイス、世良晃志郎・広中俊雄 訳、 創文社、1961年、 「ドイツ私法概説」P.165他
高 津 春 久、「封建時代の主君と家臣の付き合い方 : 『レー エン法訴訟法書』が教えるもの」、ドイツ文學研究 (1995)、 40: 1-35
[161] Bernhard Windscheid、1817~1892年、 ドイツの法学者でドイツ民法典の起草者の一人。
[162] ス ペインのアラゴン州サラゴサ県にある都市。
[163] Tomas Muñoz y Romero、1814~1867年、 スペインの歴史家。
[164] ス ペインのカスティーリャ・イ・レオン州ソリア県の都市。
[165] 1073年または1074年~1134年、アラゴン王およびナバラ王、在位:1104~1134年。
[166] ス ペインのナバラ州の都市。
[167] ナ ヘラ、スペインのラ・リオハ州の都市。
[168] Santa Chritine、 スペインのカタルーニャ州東部の町。
[169] 1171~1230年、1188~1230年 のレオン王。
[170] ア ルフォンソ10世の時にまとめられた7部 からなる巨大なカスティーリャの法集成。
[171] 紀 元47年頃ウェスパシアヌス皇帝の時の法規で、父親から独立する前の 子供が借金することを禁じたもの。
[172] 債 権者がある船長と契約した債権について、その船長を飛び越えて直接船主や船の借主に対して働きかけが出来る権利。
[173] 債 権者がある店のマネージャーと契約した債権について直接に店の持ち主に働きかけが出来る権利。
[174] ラ イオンのソキエタース、イソップ寓話の「獅子の分け前」でライオンが狩りの獲物の分配の大半を取ってしまう話に基づくもので、そこから特定のソキ エタースの成員がソキエタースのほとんどの利益を独占することを言う。
[175] 1567年編纂のスペイン大法典。
[176] James Marquilles、1368年または1370年~1451年または1455年、 カタルーニャの法律家。
[177] Bienvenido Oliver、1836~1912年、 スペインの法律家・歴史学者。
[178] ス ペインのカスティーリャ・イ・レオン州のブルゴス県の県都。
[179] 同 上州のサラマンカ県の県都。
[180] Gonzola Suarez de Paz、?~1590年、スペインの法学者。
[181] モ ンテネグロの都市、中世においてはダルマチア地方の有力な都市国家だった。
[182] ヴェ ネツィアの街には運河が張り巡らされ、その土手に相当する部分に家や商店が並んでいる。
[183] 通 常公証人の公正証書は、(1)まず公証人が自分用のメモを作成、(2)次いで公証人自身の登記簿に登録、(3)公正証書の作成、と3段 階を経るが、さらにコムーネの登記簿に登記する場合は4番目の作業がある。この全ての過程を合わせて「4部作成」と表現していると思われる。
[184] Marc' Antonio Zorzi、1703~1787年、 イタリアの法律家・詩人。
[185] Maggior Consiglio、 ヴェネツィア共和国の最高決定機関。
[186] Danielle Manin、1804~1857年、ヴェネツィアの弁護士・政治家、1848年に成立したヴェネツィア臨時政府の大統領となったが1849年にオーストリアに敗れ、以後はパリで亡命生活を送った。
[187] ア ルベルティとペルッツィについては第3章の注23と 注25を参照。
[188] Luigi Passerini Orsini de’ Rilli、1816~1877年、 イタリアの政治家・歴史学者・系譜学者。
[189] Simone Luigi Peruzzi、1832~1935年、 イタリアの歴史家、メディチ家に連なる家系の出身。
[190] 以 下箇条書きにしているのは原文には無く、訳者が付けたもの。
[191] Camillo Re、1840~1890年、 イタリアの法学者。
[192] イ タリアのロンバルディア州の都市。
[193] イ タリアのトスカーナ州にある都市。
[194] イ タリアのロンバルディア州にある都市。
[195] イ タリアのロンバルディア州にある都市。
[196] イ タリア北部のコムーネ。
[197] イ タリアのエミリア=ロマーニャ州にある都市。
[198] イ タリアのトスカーナ州の都市。
[199] ク ロアチア南部の都市、15世紀から18世 紀終わりまではヴェネツィアに支配された。
[200] イ タリアのトスカーナ州の都市。
[201] イ タリアのトスカーナ州の都市。
[202] あ る主人に従属する者が、本来その者の固有財産に入れられるべき利益の中の取り分を、主人がごまかして自分のものにしようとした場合に、従者が主人 を訴え苦情申し立てをすること。
[203] 第3章の「財産法的発展の過程。成員への分け前の権利。」
[204] イ タリアのベネト州の都市。
[205] 第3章の「第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする血縁関係。」
[206] イ タリアのロンバルディア州の都市。
[207] イ タリアのロンバルディア州の都市。
[208] イ タリアにはSan Giorgiaが付く都市が25ぐ らいありどの都市を指しているか不明。
[209] イ タリアのピエモンテ州にある都市。
[210] イ タリアのロンバルディア州の都市。
[211] イ タリアのピエモンテ州のニッツァ・モンフェラートのことか?
[212] Petrus de Ubaldis 、1335~1400年、 イタリアの法律家。兄弟にバルドゥス、アンゲルスがおり、この3兄 弟はしばしば同一視される。
[213] ザ クセン法における息子の解放、ローマ法と対比してのゲルマン法における、息子を父親の監督権[Munt]から解放して財産を分与することに対しての根拠付けのこと。 「経済と社会」の家ゲマインシャフトに関する部分を参照。
[214] 北 イタリアのヴェネト州にある都市。
[215] イ タリアのエミリア=ロマーニャ州のコムーネ。
[216] Horazio Carpano、1525~1595年、 イタリアのミラノ生まれの法律家・書記。
[217] イ タリアのヴェネト州の都市。
[218] イ タリアのトスカーナ州の都市。
[219] 主 人の代理で主人の名前による契約を締結する代理権を持った者。この語については最終章でも扱われている。
[220] 現 代のドイツ語辞書には無い単語。おそらくは初高ドイツ語で、原義は「層を形成すること」、ここでは息子に財産を分与することで、元の家ゲマイン シャフトとは層関係を成す新しい家ゲマインシャフトを作ることを言っていると思われる。
[221] イ タリアのトスカーナ州の都市。
[222] イ タリアのヴェネト州の都市。
[223] イ タリアのロンバルディア州の都市。
[224] イ タリアのトスカーナ州の都市。
[225] Cesare Campori、1814~1880年、 イタリアの文筆家・学者。
[226] 第5章。
[227] お そらく公正証書の作成について言っていると思われる。
[228] Jean Alexandre Buchon、1791~1849年、 フランスの歴史家。
[229] 1276~1343年、 ロベルト一世、ナポリ王。
[230] こ の項は冒頭の目次では単に「文献史料」となっている。
[231] コ ルシカ島のアジャクシオの間違い?アルメニアにアジャクシオという地名は確認出来ない。
[232] 最 後の十字軍である第9回十字軍は1271~1272年。
[233] コ ルシカ島のアジャクシオの間違い?
[234] 1160年という中世の早いタイミングで集成されたピサの慣習法の集成 で、当時強力な艦隊を持ちヴェネツィアと並んで地中海と東方との海上取引を支配していたピサの状況を反映して海事関係の慣習法を多く含む。
[235] ピ サ写本と呼ばれている。
[236] 新年が前年の3月25日に既に始まる。
[237] グ レゴリオ暦。
[238] Adolf Schaube、1851~1936年、 ドイツの歴史家。
[239] ボ ナイーニの本において。
[240] 詳 細不明、この語自体は「姉妹都市」という意味なので、マラカ法などのローマの同盟市・自治市・植民市の法のことではないかと思われる。
[241] clausura rebus sic stantibus= 法学でいう「事情変更の原則」をもじっていると思われる。つまりローマ法でのソキエタースの法規定が貿易に伴って生じた新しい人間関係による事情 変更により新しい解釈が必要となった、と言いたいのだと思われる。
[242] proratarischen→ラテン語のpro rata「取 り分に応じて」からのおそらくヴェーバーの造語。
[243] 第2章の冒頭で言及されているfoenus nauticamのこと。そちらの訳注を参照。
[244] Richard Schröder、1838~1917年、 ハイデルベルク大学の法制史家・商法学者。
[245] Rudolf Wagner、1851~1885年、 ドイツ-ラトビアの法学者。
[246] Rentankauf、ある土地の所有者から土地そのものを買うのではなく、その土 地の利用者に対して発生する年間いくらという地代[Rente]の徴収権を購入するもの。毎年受け取る地代が支払った金額に 対する利子のように機能するが、貸付けではなくあくまで売買であるため、教会法の利子禁止原理の制限を免れた。
[247] Wilhelm Christoph Friedlich Arnold、1826~1883年、 ドイツの法律家・歴史家・政治家。
[248] キ リスト教徒が自己の内面における神との関係で事の善悪を自分の良心に従って判断すること。カントは人間の良心を「内的法廷の意識」と呼んでいる。
[249] 例 えば船の難破。
[250] 実 際に1236年に法王庁から非難され、最終的には無くなっている。
[251] ヴェー バーはVita Communisの言い換えでKommunionという語を使っている。この言葉の本来の意味はカトリックでの 「聖体拝領」、つまり信者がキリストと一体になる儀式。そもそもVita communis自体が本来はキリスト教徒の共同生活を指す言葉であることに注 意。
[252] 現 代イタリア語のcompraに相当するとするすれば「買うこと」。但し単純な購買行為では なく、何かの特別な購買と思われる。12-14世紀のジェノヴァやフィレンツェではこの言葉は、国が私的団体 に対して債券を発行し、それを買ったものは例えば塩にかかる間接税のようなものを一種の利子として受け取ることが出来た、その債券またはそれを引 き受けた団体のこと。つまり一種のRentenkauf(定期収入金を一種の利子の代替物にした金銭貸借)である。ゴ ルトシュミット他のドイツ歴史学派はこのcompraを株式会社の起源であると考えていた。全集の注はヴェーバーがConsitutum Ususの中の概念を使っているとしているが、それがどのページなのか をヴェーバー自身も全集の編集者も記載しておらず、本当にそうなのか疑わしいし、翻訳者の方でインターネットで確認出来るConsitutum Ususを検索してもそのような特別の概念の定義は発見出来なかった。
[253] 船 荷に同行する使用人、現代スペイン語ではcargadorで港湾労働者、運送屋、ポーターの意味。
[254] 労 働の対価の一部として住居を安く提供すること。
[255] Wilhelm Christian Hermann Stieda、1852~1933年、 ドイツの国民経済学者、経済史家。
[256] 法 律が存在しない時に裁判の判断の基準となる社会通念や公序良俗などのこと。
[257] お そらく高炉を使って金属製品を作るといった意味。
[258] ボ ナイーニ編の1339~1382年 のピサの文献史料、1850年版。
[259] イ タリアのトスカーナ州リヴォルノ県のコムーネ。
[260] Telesforo Bini、1805~1861年、イタリアの文学史家。
[261] 1406年にフィレンツェがピサを支配下に収めるまでこの状態は続い た。
[262] Paolo Emiliani Giudici、1812~1872年、 イタリアの文筆家。
[263] フ ランスのシャンパーニュ平原の諸都市で行われた12~14世 紀での大規模な市のこと。
[264] ラ テン語でのcensus、市民の登記簿のことと思われる。
[265] Giovanni Villani、1276または1280~1348年、フィレンツェの銀行家、外交官、年代記作者。
[266] 会 社の責任者、ある業務の責任者。論文の最終章を参照。
[267] Francesco Balducci Pegolotti、1290~1347年、 フィレンツェの商人かつ政治家。
[268] よ り重要性の高いもの、主要なものから先に扱う論述の方法。
[269] eccecuzione →esecuzione、 英語でのexecution。
[270] 日本語での番頭や手代のイメージ。
[271] ゲ マインシャフトの話をしていたのにここで急にゲゼルシャフトの話にすり替わる。ヴェーバーが家ゲマインシャフトから家計ゲマインシャフト、そして 合名会社のようなゲゼルシャフトの移行を流動的に捉えている証拠と思われる。
[272] 原語は"Herübernahme"、辞書に無い単語。おそらくギリシア語のμετάληψις=換喩、ある慣用的な表現の中の言い回しを別のコンテキストにお いて使うこと{例:「早起きは三文の得」という表現を踏まえて「明日は三文得するつもり[=早起きする予定である]」などと言うこと。}、をドイ ツ語にしたのではないか。ドイツ語の直訳のニュアンスは「こちらに持ってきて受け取ること」。
[273] 第3章の注46へ の訳注参照。
[274] 第3章の注46へ の訳注参照。
[275] 第3章の訳注参照。
[276] 当 時のフィレンツェの三代銀行家ファミリーの一つ。
[277] 第5章の訳注参照。
[278] 日 本語の書籍によっては「アルベルティ商会」などと訳されている場合があり、「家」で想像するよりもはるかに巨大なユニットであるが、ここでは ヴェーバーの文脈を踏まえ、「アルベルティ家」としている。
[279] = 財布の中のお金。
[280] 当 時のフィレンツェはフィオリーノ金貨とピッチョロ銀貨が使われていたが、この二つの交換比率は変動していたため{銀は次第に減価していた}、この 当時金額をリラで言う時はどちらの価値をベースにしたかを言う必要があった。
[281] 直 訳すると山賊へ与える給与。
[282]フィレンツェの通貨は従来からあるデナリ・ピッチョロと言う銀
貨に加え、1252年にいわゆるフィオリーノ金貨[フローリン金貨]を鋳造し、こ
のフィオリーノ金貨が19世紀における英ポンドや第2次
世界大戦後のブレトンウッズ体制での米ドルのように、その当時の欧州での国際金融・商取引における基軸通貨となった。しかし国内での日常品の売買
などにはフィオリーノ金貨は額面が大きすぎて使いにくく、デナリ・ピッチョロ銀貨も使い続けられた。1252年での1フィ
オリーノ金貨は240デ
ナリ・ピッチョロ銀貨の換算レートであったが、このレートは変動するものであり、14世紀前半には1フィ
オリーノ金貨=780デ
ナリ・ピッチョロ銀貨にまで銀貨が減価していた。このため、何かの金額をリラの単位で言う時はフィオリーノ金貨とデナリ・ピッチョロ銀貨のどちら
で換算したものなのかを示す必要があった。なお、このデナリ・ピッチョロは現在イタリア語で、”denaro
spicciolo” [小
銭]という形で今も残っている。
[283] 相 続の際に、ある家を間仕切で区切って分割することが行われていた。
[284] 死 の際の1200リブラの出資金とと下記の数字との関連が不明、出資金ではなく 下記の"in Accomandigia” [預け入れ金]のことか?
[285] 注32で
ヴェーバーは原本の計算違いを全て正したと言っているが、他
の数字が全て正しければここは6,766S13S04Dの
間違い。
[286] 例 えば法律上資本金が存在していても実際には資本金を食い潰して欠損になっている場合など。
[287] Beneventanus de Epiphanio Roffredus、1170~1244年。 イタリアのローマ法学者。
[288] 第3章の注53で の訳注を参照。
[289] 高 利には該当しないと当時許容されていた範囲の一定期間に生ずる利子。
[290] Angelus de Periglis de Perusio、?~1446または1447年、 イタリアのペルージャ出身の法学者、Petrus de Ubaldisの 兄弟のAngelusとは別人。
[291] Franciscus de Porcellinis von Padua、?~1453年、イタリアのパドヴァ生まれの法学教師。
[292] ロー マ王の嫁資[dos]は家ゲマインシャフトの財産とは別勘定にされ、法律上は夫の 所有物であるが、実質的には妻の所有物とされ、離婚したり寡婦になったりした場合は妻であった女性に戻された。
[293] ジェ
ノヴァ控訴院判例集、1606年。
[294] 神 秘的な体、元々はキリスト教で信者の集まりをキリストの体と一体化した一つの霊的な共同の体と見なすもの。転じて欧州において人以外のものに人格 を認める場合に使われた。
[295] Genuensisは正しくはGenuae。
[296] ロー マ法の影響下にあった当時のドイツの普通法学。
[297] 相 対債務者、自分の持分だけについて責任を負う債務者。
[298] ハ インリヒ・トライチュケ、1834~1896年、 ドイツの歴史家、政治記者、1871~1884年 の間帝国議会議員。
[299] 第2章の注12の 訳注参照。
[300] 第3章の注76の 訳注参照。
[301] Gustav Dietzel、1827~1864年、 ドイツの法学者。
[302] バ ルドゥスのことと思われる、原文は「予備教育を受けていた」であるが、バルドゥスはこの二つの大学で教えていたのであり、学生として学んではいな い。
[303] 法 制史の分野では、法教義学中心の伝統的な法学と、法科学は区別される。
[304] exerisをexterisと して解釈。この綴りの変更は全集の注による。
[305] 共 にジェノヴァの名門28家の一つ、特にグリマルディ家はモナコの支配者として有名。
[306] Bartolus de Saxoferrato、1313または1314~1357年11月 より前、ペルージャ生まれの法律家でバルドゥスの先生。
[307] ソ キエタースの契約に拘束される「社員」としてとその者自身の個人としての二重性。
[308] 例 えば資金が不足する場合の追加の出資など。
[309] ド イツ民法では合手の概念は組合、夫婦財産共同性、共同相続関係などの「共有」の場合において使われている。
[310] Johannes Emil Kuntze、1824~1894年、 ドイツの法学者。