また今日もかなり問題の折原誤訳、60回記念(笑)。
(1)「呪術者の後継者養成」なんて原文にはありません。
(2)魔術と呪術が混じって分かりにくい。
(3)「[魔術的能力がすでに獲得されている場合には]その確保-継続を追求する」これもそんなことは書いてない。
(4)»Entrückung«はキリスト教で言う「携挙」のことで、ある状態から奪われて別の状態に移行するということ。「虚脱」なんて意味はない。大体エクスタシー-虚脱、ってまるでポルノ小説です。(笑)
(5)「聖祓」もそんな言葉は無く、「聖別」です。神道用語の「清祓」と混同しているようです。
原文
Der Besitz des magischen Charisma setzt fast stets Wiedergeburt voraus: die ganz spezifische Erziehung der Zauberer selbst und der Kriegshelden durch sie und die spezifische Art der Lebensführung der ersteren erstrebt Wiedergeburt und Sicherung des Besitzes einer magischen Kraft, vermittelt durch »Entrückung« in Form der Ekstase und Erwerb einer neuen »Seele«, die meist auch Namensänderung zur Folge hat, — wie diese ja als Rudiment solcher Vorstellungen noch bei der Mönchsweihe vorkommt.
折原訳
魔術カリスマの所持は、ほとんどつねに再生を前提としている。すなわち、呪術師自身に固有の生き方と、呪術師の後継者養成、ならびに、英雄戦士の呪術師による育成は、再生による魔術的能力の覚醒 [カリスマ覚醒教育 ] を要し、[魔術的能力がすでに獲得されている場合には]その確保-継続を追求するものである。その手段は、法悦形態への「虚脱」と、新しい「霊魂」の獲得にある。この獲得はたいてい、改名をもともない、修道士が聖祓のさいに改名されるのも、そうした観念の残滓と見られよう。
丸山訳
呪術的なカリスマを持つことはほとんど常に再生を前提としている:呪術師それ自身へと戦士英雄への呪術師による特別な教育と、呪術師の特別な種類の生活実践は再生と魔力の所有への保証を得ようとし、エクスタシーという形態の「魂の離脱[キリスト教用語では「携挙[1]」]」と、新しい「霊魂」の獲得は、その多くは改名を結果として伴い、--その例としてはそういった概念の残滓が今でも修道士が聖別される際に改名が行われている。
[1] プロテスタントにおいて復活の時に起きるとされている現象で、一度滅びた肉体の復活と魂の復活、昇天とキリストとの一体化が続けて起こるもの。テサロニケの信徒への手紙:4:16-17によれば「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、 17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」
