相も変わらず、原文にないことを訳文で勝手に捏造しています。
「修道院教育が、俗世にいる妻帯教師に安値競争を挑んだ」なんていうのは、歴史的事実としてあり得ないでしょう。
安価または無償の修道院教育というものがあったせいで、結婚している教師達は自分達の労働を安売りせざるを得なかった、ということでしょう。
大体宗教の組織が「安値競争を挑む」なんてあり得ないのは常識だと思います。
それから「修道院手工業の「苦力労働者との競争」」も意味不明。修道院の労働が安値の労働だったので、市民側が「苦力との競争のようだ」と感じたということだと思います。
原文
In eigentümlicher Paradoxie gerät vor allen Dingen, wie schon mehrfach erwähnt, die Askese immer wieder in den Widerstreit, daß ihr rationaler Charakter zur Vermögensakkumulation führt. Namentlich die Unterbietung, welche die billige Arbeit asketischer Zölibatäre gegenüber dem, mit dem Existenzminimum einer Familie belasteten, bürgerlichen Erwerb bedeutet, führt zur Expansion des eigenen Erwerbs, im Spätmittelalter, wo die Reaktion des Bürgertums gegen die Klöster eben auf deren gewerblicher »Kulikonkurrenz« beruht, wie bei der Unterbietung der weltlichen verheirateten Lehrer durch die Klostererziehung.
折原訳
とりわけ禁欲は、すでにたびたび論及したとおり、特有の逆説的関連 において、その合理的性格が財産の蓄積をもたらす矛盾に、再三再四陥っている。とくに、禁欲的独身修行者の労働は、一家族の最低生活費は稼ぎ出さなければならない市民の営利に比して、はるかに安価で、安値競争に勝つことができたから、中世後期になると、独身修行者自身の営利の拡張をもたらし、同時に、修道院にたいする市民層の反撥を引き起こした。この反撥はまさしく、修道院手工業の「苦力労働者との競争」に起因し、これはちょうど、修道院教育が、俗世にいる妻帯教師に安値競争を挑んだ場合と同様であった。
丸山訳
禁欲はその特有のパラドックスにおいて、既に何度も言及したように、その合理的な性格が財産の集積をもたらす、という矛盾に常に陥る。特に安い労働力は、一家の最小限の生活費を稼がなければならないという重荷を負わされた市民的な経営に対しての、禁欲的独身者の安価な労働という意味であったのであるが、中世後期になると、それ自身の経営の拡大につながり、そこでは市民層からの修道院への反動が、その産業的な「苦力[クーリー]的競争」に基づいたものであったのだが、それは丁度世俗的な結婚している教師達が、修道院教育によって自分達を安売りしなければならなかったのと同じである。

