折原デコトラ翻訳の典型例。
「神秘的なマリアよりも禁欲的なマルタ」なんて原文にはまったくないものを勝手に追加しています。大体聖書を読んでいる人は、この場面でマルタが禁欲的だ、などと言えないのは知っています。(単にイエスをもてなすための食事の準備をしていただけです。)ついでに最後の文で次の文をくっつけてしまったことです。このためキリスト教が最初からマルタを上に置いていたと読めてしまいますが、もちろんそれは事実ではありません。
それから「シトー会修道院の瞑想・フランチェスコ会修道院の聖霊主義的瞑想」も変です。詳しくは私の訳と訳注を参照してください。
原文
Sowohl die bernhardinische wie die franziskanisch-spiritualistische, wie die täuferische und die jesuitische Kontemplation wie die Gefühlsschwelgerei Zinzendorfs hinderten nicht, daß bei der Gemeinde und oft beim Mystiker selbst, Handeln und Bewährung der Gnade im Handeln immer wieder, wenn auch freilich in sehr verschiedenem Maße, asketisch rein oder kontemplativ gebrochen, die Oberhand behielten, und Meister Eckhart stellt schließlich Martha über Maria, dem Heiland zum Trotz.
折原訳
シトー会修道院 の瞑想・フランチェスコ会修道院の聖霊主義的瞑想・洗礼派とイエズス会派の瞑想・ツィンツェンドルフの感情耽溺、これらいずれの場合にも、ゲマインデでは、しばしば神秘家自身においてさえ、行為と行為における恩恵の確証とが、たえず繰り返し優位を占めた。そのさい、純然たる禁欲に傾くか、瞑想によって打ち砕かれた形態をとるか、程度の差が大きかったことはいうまでもない。神秘家のマイスター・エックハルトでさえ、救世主イエスの言にすら反して、結局は神秘的なマリアよりも禁欲的なマルタを上位に置いたが、これはある程度、キリスト教に当初から固有のことであった。
丸山訳
ベルナール主義[1] の、フランシスコ会-心霊派[2] の、そして再洗礼派とイエズス会の瞑想も同様に、さらには、ツィンツェンドルフの感情への耽溺もまた、次のことを妨げない。それは教団において、またしばしば神秘主義者それ自身においても、行為とそれにおける恩恵の確証が、繰り返し、もちろんまたそれぞれ非常に異なった程度に、禁欲上純粋な形の場合も、あるいは瞑想的に打ち砕かれた場合があったとしても、優位を占め続けたのであり、マイスター・エックハルト[3] は、救世主の言葉に反して、結局はマルタをマリアよりも上としているのである[4]。
[1] クレルヴォーのベルナールはフランスのシトー会所属の神学者で、旧約聖書の雅歌のイメージを使って霊魂を花嫁、キリストを花婿とするような恋愛感情的な神との一体化を主張した。
[2] 13世紀後半に北イタリアと南フランスで、その頃のフランシスコ会の清貧原則の緩和方針に反対し、清貧の厳格な実施を提唱したが、これを心霊派(スピリチュアル主義)と言う。
[3] 1260?~1328年頃、ドイツの神学者で神秘主義者。信者の魂における神の子の誕生という説を唱えたことで、異端審問にかけられ、その審問を待っている間に死亡した。
[4] 新約聖書、ルカ10:38-42。イエスがマルタの家に迎え入れられ、マルタはイエスのための食事の準備に没頭したが、妹のマリアは姉を手伝わずただイエスの話を聞いていた。マルタがマリアに何故手伝わないのかと咎めた時に、イエスが「マルタは色々なことに思い煩いすぎであり、マリアは必要である一つのことを選んだのだからそれを取り上げてはいけない」と諭したもの。エックハルトがマルタをより高く評価したのは事実であるが、それは彼自身の特殊な考え方(異端とされた)に基づくもので、キリスト教の内部で一般的な解釈であったのではまったくない。