ここも良く調べないで思いこみで訳を付けている例。dolusは辞書を引けばその意味は”trick, device, deceit, treachery, trickery, cunning, fraud”であり明らかに詐欺的な行為ということであり、「故意」ではありません。折原訳は「過失」が来たから「故意」だろう、ぐらいのノリで訳したとしか思えません。そもそもここはintentio の説明であり、それ自体に「故意」という意味があり、そこで更に「故意」を使うと単なる同義語の反復になってしまいます。また「善意」「悪意」も私が注を付けたように日本の法律用語としては一般の意味と違うので適切な訳とはいえません。本来のローマ法での意味はbona fides は「詐欺・欺罔・不公正な振る舞いを含まない誠実な態度」です。
大体、こんな未完成もいい所の下訳レベルで、しかも先行訳にも大幅に劣るものを「オープン翻訳」を「騙って」(まさしく dolus)出すなんて、ちょっとその神経が信じられません。
p.s.
創文社訳の訳注には船田亮二の「羅馬法」の訳に従ったとして、dolusが確かに「故意」になっています。
しかしインターネット上のLSDというサイトの説明だと
Dolus is a Roman and civil law term for intentional wrongdoing. It primarily refers to fraud or deceit, indicating bad faith or conduct intended to mislead. It can also describe intentional aggression or willful injury, especially to another’s property, distinguishing it from mere negligence or accident.
となっており、ローマ法では単なる故意ということよりも「故意での詐欺行為」です。それにここではIntentioが最初に来ていてその説明でローマ法の概念が示されているので、単なる「故意」では合わないと考えます。なので私の訳の「詐欺的意図」ぐらいが適当と思います。
原文
Denn die »intentio«, auf welche es nach der Sündenlehre des Katholizismus für die ethische Bewertung des Handelns ankommt, ist nicht eine einheitliche Persönlichkeitsqualität, deren Ausdruck die Handlung ist, sondern sie ist, im Sinne etwa von bona fides, mala fides, culpa, dolus des römischen Rechts, die »Meinung« bei der konkreten einzelnen Handlung.
折原訳
それというのも、カトリックの罪業説によれば、行為の倫理的評価のさいに重視される「志向(インテンチオ)」とは、行為に表明される統一的な人格的資質ではなくて、ローマ法のたとえば善意・悪意・過失・故意の意味における、個々の具体的な行為の「意向(マイヌンク)」にすぎないからである。
丸山訳
というのはカトリックの罪に関する教説がその上に行為の倫理的評価を関連付ける”intentio”[行為者の志向]とは、その表出が行為となる統一された人格的資質ではなく、例えばローマ法の誠実 [bona fides]、不誠実 [mala fides][1]、過失 [culpa]、詐欺的意図 [dulas]などの意味での、「主観的意向」[Meinung]である。
[1] ここの原文は、bona fides、mala fidesであるが「善意」「悪意」と訳すと、日本の法律では「ある事情を知らなかったか知っていたか」という意味になるため、誠実、不誠実と訳した。本来例えばbona fidesは「信義・誠実」「詐欺や不公正な取引の不存在」という意味であり、現在の日本の法律用語はその内のごく一部だけを使用していることに注意。