ヴェーバーがルターについて言っているderb-sinnliche Naturは「粗野で肉欲的な」ということで、かなりの程度ディスっています。折原訳の「抑制が不可能な自然の感性が露呈しており」は綺麗事にしすぎ。(笑)原文の侮蔑調がまったく消えています。
それから、ここのルターの引用はかなり問題で、資料操作に近いレベルです。また訳注に書いたように、タルムードの方もそんな強い宗教的な戒告ではありません。
原文
Die strikte Ablehnung zwar nicht aller und jeder Askese (vor Fastern, Betern, Büßern bekundet Muhammed seinen Respekt), wohl aber jedes Mönchtums (rahbanija) im Koran mag, soweit dabei die Keuschheit in Betracht kommt, bei Muhammed persönlich ähnliche Gründe gehabt haben wie in den bekannten Aussprüchen, in denen Luthers derb-sinnliche Natur hervortritt; also in der auch dem Talmud eigenen Überzeugung, daß, wer mit einem bestimmten Alter nicht verheiratet sei, ein Sünder sein müsse.
折原訳
コーランにおいては、なるほど、どんな禁欲もことごとく拒否されるのではないとしても(ムハンマドは、断食者・祈祷者・懺悔者には、敬意を表している)、およそ修道院制(ラーバニヤ)は厳格に拒否されるが,これはおそらく、[修道院における]貞潔戒が問題とされるかぎり、ムハンマド個人に、ルターの周知の言葉に表明されているのとよく似た理由があったからかもしれない。ルターの言表には、抑制が不可能な自然の感性が露呈しており、「一定の年齢に達しても結婚していない者は、罪を犯しているにちがいない」というタルムードに特有の確信とも、軌を一にしている。
丸山訳
あらゆる禁欲を厳格に拒否することはないにしても(断食者、祈祷者、懺悔者に対してはムハンマドは敬意を表している)、しかしクルアーンにおいては全ての禁欲的修道院制[ラフバーニーヤ]が拒否された[1] のは、そこにて貞潔さが考慮されている場合には、ムハンマドにおいては個人的に、ルターの有名な言説であって、そこに彼の粗野で官能的な性質が現れているものと似た理由を持っていたと思われるが;つまりタルムードにおいてもまたそれ独自で論証されている、ある一定の年齢に達して結婚していない者は、罪を犯していることになる、ということである[2]。
[1] クルアーン57:27の一部「だが禁欲の修道院制は,かれらが自分で作ったもので,われがかれらにそれを指示してはいない。アッラーの喜びを得たいばかりにしたことだが,かれらはそれも守らねばならないようには守っていなかった。」
[2] ルターは聖職者の結婚禁止に反対して自身も結婚しているが、「独身者は罪を犯している」といったことまでは言っていない。ルターが言っているのは「良心に従って独身のままでいられるなら、そうしてよい。貞潔を保てないなら妻を娶れ」程度、一方タルムードでは、Kiddushin 29bに以下の記述がある。”When will he marry a woman? Once he reaches the age of twenty and has not married, He says: Let his bones swell, i.e., he is cursed and God is no longer concerned about him.”なのでここに引用されているのはタルムードのものであり、ルターの有名な言説ではない。またこのタルムードも要は父親に向かって、息子が早く結婚出来るようにしてやりなさい、と説いている箇所であり、独身者を直接糾弾しているものではない。また前にもあったが、ヴェーバーはムハンマドを「性欲を制御出来なかった」者として描写するのが前の箇所にも出て来ていた。