折原浩訳の問題点(164)

最後のイスラム教でのdie Armensteuerとは、いわゆるザカートと呼ばれるイスラム教での5つの戒律の一つです。ムハンマドの時代からあるものなので、折原訳での「導入」は原文にもないものを勝手に補っているもので、間違いです。またザカートは義務化された喜捨であり、税金とは違います。ドイツ語のdie ArmensteuerもSteuerが入っていますが、税金ではなく貧者への支援金のことです。
また「なるほど~てはいた。」と訳していますが、そう訳すとカルヴァンの慈善否定と同じような動きがあった、という風に読めてしまいます。カルヴァンの慈善否定と慈善の合理化・体系化は似て非なるものであり、むしろ対立するものです。

原文
Theoretisch ist dies die Leistung des Salmasius. Vor allem vernichtete aber ganz allgemein der Calvinismus die überkommenen Formen der Karitas. Das planlose Almosen war das erste, was er beseitigte. Allerdings war schon seit der Einführung fester Normen für die Verteilung der Gelder des Bischofs in der späteren Kirche und dann durch die Einrichtung des mittelalterlichen Spitals der Weg zur Systematisierung der Karitas betreten, wie im Islam die Armensteuer eine rationale Zentralisation bedeutet hatte.

折原訳
これは、理論上は、サルマシウスの業績 である。ところが、カルヴィニズムは、慈善の伝来の諸形式を、とくに全面的に廃絶した。無計画な喜捨こそ、カルヴィニズムが排除した第一のものであった。なるほど、慈善の体系化への道は、中世後期の教会で、司教による金銭配分に確定的な規範が導入されて以来、その後やがては中世救貧院の設立以来、すでに歩み始められてはいた。イスラムにおいても、貧民救済税の導入は、慈善の合理的集中化を意味していた。

丸山訳
このことは、サルマシウス[1] の業績である。しかし取り分けカルヴィニズムは、慈善の伝来の諸型式を、一括して無効とした。無計画な慈善は、彼が真っ先に廃止したものである。もちろん既に[中世の]後期の教会で司教による資金の分配についての確固たる規範が導入されて以来、そして次に中世での救貧院の設立によって、慈善の体系化への道が開かれたのであり、それはイスラム教においての義務的な喜捨による貧民の支援[ザカート[2]]が合理的な慈善の集中化を意味していたのと同じである。

[1] Claudius Salmasius、1588~1653年、フランスの古典学者かつ法律家。1630年のDe usuris liberとそれに続く一連の文書で、貨幣はそれ自体の経済的価値があるのでその対価としての利子は正当であると論じ、また利子付き貸し出しを自由化した方が利率が下がるとも論じた。その論拠として古代ローマでは利子付き貸し出しが広く行われており、利子を取ることが自然法に反していないと論じた。

[2] イスラム教で一定以上の財産を持つ者に課せられる義務的な喜捨のこと。ヴェーバーはArmensteuerと税金のようにドイツ語で表現しているが、税金そのものではない。

 

折原浩訳の問題点(163)

ここも経済・金融のことが良く分かっていない例。原文にKreditとしか書いてないのに勝手に「信用貸し」にしてしまっています。「信用貸し」は一般的に無担保融資のこと。ここでは単なる「信用供与」ということです。
それから、教会にモンテ・ディ・ピエタによる貧者への融資が非常な暴利として忌避された、というのは歴史的事実に反し、そういう貧者への融資が低利で行われている一方で、ユダヤ人などによる商業者への高利融資が非難された、ということだと思います。モンテ・ディ・ピエタ自体の利子は必要最小限の経費をカバーするもので禁止されている類いの利子ではないと公会議によって公認されています。

原文
Das Zinsverbot selbst wurde vom Protestantismus, speziell vom asketischen Protestantismus, auf Fälle konkreter Lieblosigkeit beschränkt. Der Zins wurde jetzt gerade da, wo ihn die Kirche selbst in den Montes pietatis faktisch geduldet hatte: bei Kredit an die Armen, als liebloser Wucher perhorresziert, — die Juden sowohl wie die christliche Geschäftswelt empfanden seit langem deren Konkurrenz als lästig, — dagegen wurde er als eine Form der Teilnahme des Kapitalgebers an den mit geliehenem Gelde gemachten Geschäftsprofit und überhaupt für den Kredit an die Mächtigen und Reichen (politischer Kredit an Fürsten) legitimiert.

折原訳
利子禁止令自体は、プロテスタンティズム、とくに禁欲的プロテスタンティズムにおいては、具体的に非情な事態を引き起こす場合にかぎって適用された。いまや利子は、かつて教会自体がモンテス・ピエターティスという形で事実上容認していた、貧者への融資にかんして、非情な暴利として忌避された。――ユダヤ人およびキリスト教徒の実業界も、長らく教会との競合を、煩わしいと感得してはいた。――それに対して、いまや利子は、貸与された貨幣をもって生み出される事業利得に、当の貸与者が与る形式として、また、一般に有力者および富者にたいする信用貸し(王侯への政治的信用貸し)として、正当化された。

丸山訳
利子禁止それ自体は、プロテスタンティズムによって、特に禁欲的なプロテスタンティズムによって、利子を取ることが具体的に冷酷な場合にのみ限定して適用された。利子は今やまさに、教会自身がモンテ・ディ・ピエタの制度において貧者に対する信用供与という形で事実上許容していたが、それでも冷酷な高利貸しとして嫌悪されていた状況において、--ユダヤ人と同様キリスト教の商業界も、かなり前から教会の命令との競合を煩わしいと感じていたのであるが--そういった状況に対して、資本供与者の、貸与された資金がもたらす事業収益へ与ることの一形態として、そして一般に諸権力者と富者への信用(世俗の高位者への政治的信用供与)に対して正当化されたのである。

折原浩訳の問題点(162)

最後の文は、ließen nicht entstehenで誰が読んでも「~を成立させなかった」ですが、折原訳は「成立させることはできなかった。」と何故か主語がそれを望んでいたけど出来なかったという意味に誤訳しています。小さな箇所ですが、こういう勝手な原文の改変が本当に各所で行われています。それからethischem Berufが何で「倫理的資質」になるのか。ここは職業というより召命でしょう。「倫理的資質」ではHabitusになってしまいます。

原文
Der tiefe Zwiespalt zwischen den geschäftlichen Unvermeidlichkeiten und dem christlichen Lebensideal wurde indessen oft sehr tief gefühlt und hielt jedenfalls gerade die frömmsten und ethisch rationalsten Elemente dem Geschäftsleben fern, wirkte vor allem immer wieder in der Richtung einer ethischen Deklassierung und Hemmung des rationalen Geschäftsgeistes. Die Auskunft der mittelalterlichen Anstaltskirche: die Pflichten ständisch abzustufen je nach religiösem Charisma und ethischem Beruf, und daneben die Ablaßpraxis ließen jedoch eine geschlossene ethische Lebensmethodik auf ökonomischem Gebiete überhaupt nicht entstehen.

折原訳
それでも、事業を営むうえで避けられないことと、キリスト教的な生活理想との間にある深い亀裂は、しばしば非常に深刻に感得された。いずれにせよ、この亀裂が、まさしくもっとも敬虔で倫理的にもっとも合理的な分子を、事業生活から遠ざけ、とりわけ、合理的な事業精神を倫理的に貶価し、その発達を阻止する方向に絶えず作用した。中世のアンシュタルト教会は、もろもろの義務を、持ち前の宗教的カリスマと倫理的資質の差異に応じて、身分的に段階づけ、これとならんで贖宥を実施したが、およそこうした方策では、経済の領域に、ひとつの自足完結的な倫理的生活方法を成立させることはできなかった。

丸山訳
[利子付き貸し出しの]業務上の不可避性とキリスト教の生活上の理想との間の深い分裂は、それにもかかわらずしばしば、非常に深く感じ取られ、いずれにせよそれがまさしく最も敬虔で倫理的に最も合理的な諸要素を業務上の生活から遠ざけたのであり、取り分け常にそれが作用したのは、合理的な業務的精神を倫理的に低い階級のものと見なすことと、それの阻害という方向においてであった。中世でのアンシュタルト化した教会からの案内:宗教的なカリスマと倫理的な召命に応じて、様々な義務を身分毎に等級分けすることと、そしてそれと並んで贖宥の実施が、しかしながらある閉じた倫理的な生活の方法体系を経済的な領域において成立させることをさせなかったのである。

折原浩訳の問題点(161)

ここは誤訳というより、必要な訳注がない、という問題。創文社訳もアルテ・ディ・カリマラ以外は訳注無しです。私の訳注をご参照ください。ここは訳注が無ければ表面的な訳にしかなりません。

原文
Die großen Händlergilden jedoch schützten sich gegen die Einrede der usuraria pravitas teils durch Ausschluß aus der Gilde, Boykott und schwarze Listen (wie etwa gegen den Differenzeinwand unserer Börsengesetzgebungen), die Mitglieder aber für ihr persönliches Seelenheil durch von der Zunft beschaffte Generalablässe (so in der Arte di Calimala) und massenhafte testamentarische Gewissensgelder oder Stiftungen.

折原訳
それにもかかわらず、大きな商人ギルドは、不当暴利(ウースーラーリア・プラーヴィタース)の申し立てに対して、ギルドからの除名や、ボイコットや、(ちょうどわれわれの取引所立法が、差額支払い要求者に対処するのと同様の) ブラック・リストの作成などの方法によって、自己防衛策を講じ、構成員たちは、個々人の即人的な魂の救いのために、(カリマーラ商人組合のように) ツンフトが一括赦免金を用立てたり、遺言として多額の浄財や献金を寄せたりして、折り合いを計った。

丸山訳
しかしそうはいっても巨大な諸商人ギルドは、usuraria pravitas[高利貸しの悪徳さ]という異議申し立てに対して、部分的にはギルドからの締め出しや、ボイコット、そしてブラック・リストに載せる(丁度例えば我々[ヴェーバー当時の]の取引所の立法が差金抗弁に対して行っているの同じ[1])ことで自己防衛しており、しかしその構成員達は自分個人の魂の救済のためには、ツンフトが用立てた一般贖宥金によるか(それはアルテ・ディ・カリマラ[2] でのように)、そして多額の遺言に基づく良心の償い金[3] または寄付金を払うことでその目的を果たそうとした。

[1] 当時のドイツの取引所における先物取引(Terminhandel)にて、最終的な先物取引の結果による差額を債務者に訴訟によって請求した場合に、債務者が出すことがあるのが「差金の抗弁」で、ドイツ民法第764条でこうした差額だけを目的とする取引を賭博の一種として禁じていたのを利用したもの。実際には先物取引は広く行われており賭博とは厳密に区別されており、この抗弁が認められるのは裁判で最初から差額だけを目的としていた賭博的取引であったことが立証された場合のみである。この抗弁は法的には有効であるものの、実際にやると信義則に反するものとして、取引所では私的制裁を受けて取引がそれ以降実質出来なくなった、そのことを言っている。また審議そのものが裁判所ではなく取引所の名誉裁判所に回される場合もあった。参考:ハインリッヒ・ミッタイス、世良晃志郎・廣中俊雄訳、「ドイツ私法概説」、創文社、P.254など。なお、この法律の実効性が乏しいという批判は成立当初からあり2002年にこの条項は廃止されている。

[2] フィレンツェの毛織物業のギルドで、そのメンバーからはアルベルティ家やペルッツイ家のような巨大な財閥ファミリーが出ているほど力を持っていた。

[3] 高利の貸し付けで得た利益を死後にそれによって損失を得た者に返却するもの。但し返却先が不明な場合は教会や貧者に寄付された

 

折原浩訳の問題点(160)

ここはそもそも、Constitutum Ususとか、commenda dare ad proficuum de mariについての訳が元々デタラメだったのを私が公開時に訂正済みですが、それを除いても問題があり、この訳者が経済についてあまり分かっていないことが伺えます。

(1)利子は言うまでもなく一般に利率で決まるのであり、「定額利子」は変です。固定率の利子ということです。
(2)Erwerbskreditverträgenを営利貸付契約と訳していますが、ここでは海上取引への出資といった意味も含み貸付に限定されるものではありません。
(3)「多用されていた」も原文にはなく、固定率の利子自体が非常に稀であったのに比較して、固定配当金による出資型のコムメンダというのもあった、というぐらい。ちなみに一般的なコムメンダに比べればこの形態のコムメンダは特殊ですが、ヴェーバーがここでわざわざ言及しているのは、本来のコムメンダでの出資に比べれば、固定率の利子付きの貸し出しに近い形態になっており、教会から利子付き貸出だとして非難されたからです。

要するに「中世合名・合資会社成立史」を読んでいないと「宗教ゲマインシャフテン」も正しく訳せないということです。

Im übrigen aber ist zu bedenken, daß im Mittelalter der feste Zins zunächst gerade bei den damals sehr stark risikobelasteten, namentlich den für überseeische Geschäfte geschlossenen, Erwerbskreditverträgen (wie sie z.B. auch für Mündelgelder in Italien universell benutzt wurden) ohnehin die seltene Ausnahme war gegenüber einer verschieden begrenzten und zuweilen (im Pisaner Constitutum Usus) tarifierten Teilnahme an Risiko und Gewinn des Geschäfts (commenda dare ad proficuum de mari).

折原訳
もっとも、中世には当初、定額利子が、当時はきわめて危険の多い、とりわけ海外交易事業に乗り出すさいに締結される営利貸付契約に適用され (たとえばイタリアでは、後見人が管理する被後見人の所持金にも、あまねく適用された)、いずれにせよ稀な例外に属し、事業の危険と利益に参加する形式としてはむしろ、さまざまな条件に即して、ときには (ピサのコンスティテュートゥム・ウースス [Constitutum Usus]に見られるように) 固定配当金による出資型のコムメンダ[commenda dare ad proficuum de mari]が多用されていた、という事情を考慮に入れるべきであろう。

丸山訳
しかしながら、その他のことで考慮すべきことは以下である。中世においては固定利率の利子が、まず何よりも特別に強く危険負担[分担]的な、特に海上取引のために締結された業務上の信用諸契約(例えば、イタリアでは被後見人の所持金に対しても広く適用された[1])などに使われ、それに対してある様々に限定された、時には(ピサのピサのコンスティテュートゥム・ウースス[Constitutum Usus[2]]の中に見られる)業務の危険と利益について固定料率で参加するというもの( 固定配当金による出資型のコムメンダ[commenda dare ad proficuum de mari[3]])に比べれば、いずれにせよ稀な例外であった。

[1] 中世イタリアでは被後見人(未成年)の財産で後見人が管理しているものの運用に海上取引が使われたケースが多くある。「中世合名・合資会社成立史」の「ソキエタース法に対する利子禁止原理の意義」を参照。

[2] 1160年頃から編纂されたピサにおける慣習法集成。当時強力な海軍力を持って地中海での貿易が盛んであったピサの状況を反映し、多くの海事関係の慣習法を含む。ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」第4章参照。

[3] コムメンダは中世イタリアの沿岸都市で広く行われていた貿易の形態で、出資者と実際に船旅をして貿易を行う者がパートナーとなり、海上でのリスクと貿易の結果としての利益を分け合うやり方。dare ad proficuum de mari は出資者の位置付けが後退し、貿易の利益の一定部分を取るのではなく、仕向け地毎に決まった固定配当金のみを受け取る形態。そして通常のコムメンダは利子付き貸し出しとは見なされなかったが、この形態は後にそう見なされた。

折原浩訳の問題点(159)

相も変わらず、原文にないことを訳文で勝手に捏造しています。
「修道院教育が、俗世にいる妻帯教師に安値競争を挑んだ」なんていうのは、歴史的事実としてあり得ないでしょう。
安価または無償の修道院教育というものがあったせいで、結婚している教師達は自分達の労働を安売りせざるを得なかった、ということでしょう。
大体宗教の組織が「安値競争を挑む」なんてあり得ないのは常識だと思います。
それから「修道院手工業の「苦力労働者との競争」」も意味不明。修道院の労働が安値の労働だったので、市民側が「苦力との競争のようだ」と感じたということだと思います。

原文
In eigentümlicher Paradoxie gerät vor allen Dingen, wie schon mehrfach erwähnt, die Askese immer wieder in den Widerstreit, daß ihr rationaler Charakter zur Vermögensakkumulation führt. Namentlich die Unterbietung, welche die billige Arbeit asketischer Zölibatäre gegenüber dem, mit dem Existenzminimum einer Familie belasteten, bürgerlichen Erwerb bedeutet, führt zur Expansion des eigenen Erwerbs, im Spätmittelalter, wo die Reaktion des Bürgertums gegen die Klöster eben auf deren gewerblicher »Kulikonkurrenz« beruht, wie bei der Unterbietung der weltlichen verheirateten Lehrer durch die Klostererziehung.

折原訳
とりわけ禁欲は、すでにたびたび論及したとおり、特有の逆説的関連 において、その合理的性格が財産の蓄積をもたらす矛盾に、再三再四陥っている。とくに、禁欲的独身修行者の労働は、一家族の最低生活費は稼ぎ出さなければならない市民の営利に比して、はるかに安価で、安値競争に勝つことができたから、中世後期になると、独身修行者自身の営利の拡張をもたらし、同時に、修道院にたいする市民層の反撥を引き起こした。この反撥はまさしく、修道院手工業の「苦力労働者との競争」に起因し、これはちょうど、修道院教育が、俗世にいる妻帯教師に安値競争を挑んだ場合と同様であった。

丸山訳
禁欲はその特有のパラドックスにおいて、既に何度も言及したように、その合理的な性格が財産の集積をもたらす、という矛盾に常に陥る。特に安い労働力は、一家の最小限の生活費を稼がなければならないという重荷を負わされた市民的な経営に対しての、禁欲的独身者の安価な労働という意味であったのであるが、中世後期になると、それ自身の経営の拡大につながり、そこでは市民層からの修道院への反動が、その産業的な「苦力[クーリー]的競争」に基づいたものであったのだが、それは丁度世俗的な結婚している教師達が、修道院教育によって自分達を安売りしなければならなかったのと同じである。

Jenseitsを彼岸と訳す危うさ

創文社訳も、折原訳も、J(j)enseits、D(d)iesseitsをほぼ100%といって良い確率で「彼岸」「此岸」と訳しています。(先頭大文字は名詞、小文字は副詞。)
確かにjenseitsは「あちら側に」という意味でdiesseitsは「こちら側に」という意味なので、彼岸は「かの岸」、此岸は「この岸」だから、訳に使ってもいいだろう、ぐらいにししか考えていないように思います。この点で罪が重いのは、ニーチェのJenseits von Gut und Böseの日本語訳です。このタイトルは本来は「善と悪の区別を超えた所に」ぐらいの意味だと思いますが、それを「善悪の彼岸」と訳したのは、ある意味名訳なのかもしれませんが、これが誤解を撒き散らしたように思います。
彼岸と此岸は本来仏教用語であり、此岸が今我々が住んでいる「この世」であり、彼岸は輪廻の激流の「向こう岸」にある悟りの境地、涅槃のことです。(元々サンスクリットの「pāramitā=波羅蜜多」を「到彼岸」と漢訳したものです。)春と秋の昼と夜の長さが同じ頃を「お彼岸」というのは、太陽が真西に沈み、西方浄土は涅槃=彼岸と同一視されたので、その西方浄土にもっとも近くなった頃という意味からです。また日本で誰も向こう岸のことを「彼岸」と言う人はいません。
少なくとも、木村・相良とか小学館の独和大辞典にはJ(j)enseitsで「彼岸」という意味は載せていませんが、最近の辞書には残念ながら載せているものもあるようです。
私がこうした訳を問題にしているのは、「宗教ゲマインシャフテン」の論文だからであり、キリスト教徒が最後の審判を受けて、イエスの元に迎え入れられる新しい世のことを「彼岸」とするのは、非常に程度のひどい誤訳です。キリスト教関係のことについて書いてある場所であれば、適宜「来世」「来るべき世」などと訳すしかありません。またこの前の折原誤訳指摘のように、輪廻転生での次の生を「彼岸」と訳すのも、これまた信じられないような誤訳です。

折原浩訳の問題点(158)

Jenseitsが出てくると、機械的に「彼岸」と訳す人。ここでは現世で約束を守らないと、輪廻転生での次の生で罰を受けるということであり、彼岸というのはその輪廻の輪から抜け出た場所です。仏教についてもまったく分かっていないことを示す訳です。

原文
Die Pfändung der Mumie des Toten in Ägypten oder die in manchen asiatischen Religiositäten verbreitete Vorstellung, daß wer ein Versprechen, also auch ein Schuldversprechen, namentlich ein eidliches, nicht halte, im Jenseits gequält werde und daher seinerseits die Ruhe der Nachfahren durch bösen Zauber stören könne, gehören dahin. Im Mittelalter ist, worauf Schulte hinwies, der Bischof besonders kreditwürdig, weil im Fall des Bruchs der Zusage, zumal der eidlichen, die Exkommunikation seine ganze Existenz vernichtete (darin ähnlich der spezifischen Kreditwürdigkeit unserer Leutnants und Couleurstudenten).

折原訳
エジプトにおける死者のミイラの差し押さえや、アジアの数多の宗教性に普及しているつぎのような考えは、そうした利用の類に属する。すなわち、約束を守らない者、したがってまた、負債の約束、殊に誓約を交わした約束を守らない者は、彼岸において苦しめられるが、かれとしても、悪しき呪術によって子孫の平安を脅かすことができる、という考えである。西洋中世には、シュルテが指摘しているとおり、司教には特別に信用が置ける、と考えられた。それというのも、司教が、約束とくに誓約による約束を破ると、破門されて、全生活が破滅するからである (ドイツで、少尉や学生組合員に特別の信用が置かれるのも、同じことである)。

丸山訳
エジプトにおいての死者のミイラの差し押さえ、または多くのアジア的な信仰におい広範に存在していた考え方である、約束を、つまりはまた債務についての約束を、特に誓約付きの約束を守らない者は、次の生で苦しみを受け、そしてそこからその者はその者なりに、子孫の平安を悪しき呪いによって妨げることが出来るという考え方は、父祖への恭順の利用の例である。中世においては、シュルテ[1]が言及しているように、司教は特別に[債務者としての]信用力があるとされ、何故なら約束した債務について不履行だった場合には、取り分け誓約付きの約束がそうだった場合、破門されてその者の全存在が無に帰するからである(その点で類似している例には、ドイツでの少尉[若い下級将校]と学生組合に所属する大学生がある[2])。

[1] Aloys Schulte、1857~1941年、ドイツの歴史家で中世の商業史・交通史の研究家。カトリック信者。

[2] ヴェーバー自身、若い頃の軍役で少尉→中尉にまでなっており、またハイデルベルク大学の学生時代学生組合(Die Burschenschaft Allemannia zu Heidelberg)のメンバーであった。学生組合は決闘を行うなど名誉を重んじており、ヴェーバー自身も決闘を行って顔に傷を負い、ヘレーネから平手打ちをくらっている。

折原浩訳の問題点(157)

ここはan der Person haftete で誰が見ても債務が個人に帰属させられていた(人的責任)ということを言っているだけなのに、「債務者の即人的対応に委ねられていた」という意味不明の訳。そして最後のDann以下も「やがて」ではなく、その場合には次のステップとして、ぐらいの意味。また「事実の世界」もあまりに直訳で何を言っているのか分かりません。「露骨に」もganz directの訳としてはあまりにも俗っぽいです。

原文
In der Welt der Tatsachen hat dabei die religiöse Ethik infolge der unvermeidlichen Kompromisse, verschiedene Schicksale gehabt. Von jeher ist sie ganz direkt für rationale ökonomische Zwecke, insbesondere auch der Gläubiger, benutzt worden. Namentlich da, wo die Schuld rechtlich noch streng an der Person des Schuldners haftete. Dann wurde die Ahnenpietät der Erben ausgenutzt.

折原訳
そのさい、事実の世界においては、宗教倫理が、現世との妥協を避けられず、さまざまな運命をたどる結果となる。宗教倫理は太古から、合理的な経済的目的のため、とりわけ債権者の [債務者が債務を履行するように仕向ける]目的に、露骨に利用されてきた。債務 [の履行] が、法律上なお大幅に、債務者の即人的対応に委ねられていたところでは、殊にそうであった。やがて、祖先にたいする相続人の恭順が、存分に利用された。

丸山訳
その際に宗教的な倫理は、現実で構成された現世において、避け難い妥協の結果として、様々な運命をたどったのである。ずっと以前から宗教的な倫理はまったく直接的に合理的な経済上の諸目的のために、特にまた債権者の諸目的のために利用されたのである。それは特に、債務が法的にはまだ厳格に債務者自身に帰属されていた場合にそうであった。その場合には、相続人の父祖への恭順が徹底して利用されたのである。

折原浩訳の問題点(156)

[近隣ゲマインシャフトにおける懇請労働と懇請貸し付けの]に補足しますけど、この勝手にゲマインデをゲゼルシャフトを契機とする近隣ゲマインシャフト群とするのは、完全にゲマインデに関するヴェーバーの説明を誤読した折原による思い込みです。
昨日紹介した加藤さんの本にもまだ、19世紀になっても、元々のマルク・アルメンデ共同体としての名残である「ゲマインデ」が農村には存在していたことが出て来ます。そして何より強調したいのは、ヴェーバーはこの農村の土地問題については、完全に専門家だということです。(元々マイツェンの農村地理学のゼミ出身です。さらに「ローマ土地制度史」と「東エルベ・ドイツにおける農業労働者の状態」と「ドイツ世襲財産問題の考察」を書いています。)その専門家が書いた論文に素人が勝手な誤解に基づく補足を入れるなど、言語道断です。翻訳者として最低です。