毎度おなじみの折原誤訳。
(1) 何故この人は nach+3格「~に従って判断すれば」を「発生・類型的な担い手・この担い手によって決定的に重要とみなされた宗教的な生き方の内容にかけて」のように全部同格のように訳していますが、意味不明です。
(2) entlehnenは「拒否する」ではなく「借りる」。「拒否する」では文脈が壊れてしまいます。おそらくはEntzauberungが「脱呪術化」だから「拒否」と短絡したんでしょう。entlehnenは「元の場所から取り去って借りて来る」というイメージ。Entzauberungも呪術を取り去る、ということです。
(3) 「その事実は否みがたい」なんて原文にはありません。mit der größten Bewußtheit は我々のことではなくて、キリスト教がはっきりと意識していた、ということです。
(4) vielleichtを訳していない、manche(s)も2回出て来ているのに後ろのは訳していない。要するに原文通り訳そうとする姿勢が感じられない。
ちなみに以上の4点、創文社訳は全て正しく訳しています。まったくどちらが「翻訳の体を成していない」のでしょうか。
前にも書きましたが、折原センセほど次の聖書の句がぴったりな人を他に知りません。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」
Aber das Entscheidende für das Schicksal des alten Christentums war doch, daß es nach Entstehung, typischem Träger und dem von diesem für entscheidend angesehenen Gehalt seiner religiösen Lebensführung, eine Erlösungslehre war, welche, mochte sie manche Teile ihres soteriologischen Mythos mit dem allgemein orientalischen Schema gemein, vielleicht manches direkt umbildend, entlehnt und mochte Paulus schriftgelehrte Methodik übernommen haben, dennoch mit der größten Bewußtheit und Konsequenz sich vom ersten Anbeginn an gegen den Intellektualismus stellte.
折原訳
ところが、古キリスト教の運命にとって決定的なことはやはり、その発生・類型的な担い手・この担い手によって決定的に重要とみなされた宗教的な生き方の内容にかけて、その誕生の瞬間から、最高度に意識して、また首尾一貫して、知性主義に敵対的な態度をとる救済教説であった、という事実である。たとえそれが、救済神話の数多の部分を、オリエントに一般に流布していた図式と共有し、おそらくは直接変形したり、拒否したりしたとしても、さらにはまた、パウロが律法学者の方法を継受していたとしても、その事実は否みがたい。
丸山訳
しかしながら初期キリスト教の運命にとって決定的であったのは、それが発生から判断しても、またその典型的な担い手や、そしてこの担い手によって決定的なものと見られた自身の宗教的な生き方の内容から判断しても、救済信仰であったのであり、それはその救済論的神話の大部分を一般的なオリエント的な思考の枠組みと、ひょっとしたら多くを直接的に変形させ、あるいは借りて来て、共有していたとしても、そしてパウロが律法学者としての方法論を引き継いだとしても、それでもなお非常にはっきりと意識されていたこととして、かつ首尾一貫して、そういった救済信仰は主知主義に対して最初から反対の立場を取っていた。
