今日3本目。後半1/3に入りましたが、誤訳の方もパワーアップしています。
もう言葉もないくらいひどい誤訳ですね。
最後の文で、採用する→発展させる、彫琢し、完成させて→それに成功している、です。よくもここまで勝手な解釈に改変出来るものです。こういう一見意味が通る誤訳が一番たちが悪いです。
原文
1. rein rituelle Kulthandlungen und Zeremonien sein, sowohl innerhalb eines Gottesdienstes, wie im Verlauf des Alltags. Der reine Ritualismus ist an sich von der Zauberei in seiner Wirkung auf die Lebensführung nicht verschieden und steht zuweilen in dieser Hinsicht sogar insofern hinter der magischen Religiosität zurück, als diese unter Umständen eine bestimmte und ziemlich einschneidende Methodik der Wiedergeburt entwickelt hat, was der Ritualismus oft, aber nicht immer vollbringt.
折原訳
1.神礼拝の内部または日常の生活過程における純儀礼的な礼拝行為および儀式であるという場合もある。そういう純然たる儀礼主義それ自体は、生き方への作用の点では、呪術となんら異なるものではない。この点ではときに、魔術的宗教性に劣っている場合もある。それというのも、魔術的宗教性も、事情次第では、再生にかかわるかぎりで生き方にもくい込み、深刻な影響をおよぼす特定の方法を発展させたからである。それに反して、儀礼主義のほうは、そうした方法をしばしば採用するとしても、かならずしもそれを彫琢し、完成させてはいない。
丸山訳
1. 純粋に儀礼的な礼拝行為と様々な儀式であり、日常的なことであるのと同時に神への礼拝の中で行われる。純粋な儀式主義は、それ自体が生活実践に対しての作用を持つという意味で呪術と何ら異なっておらず、この観点では時には、むしろ魔術的な信仰に劣っている場合すらあるが、魔術的な信仰は状況によっては、ある一定の、かなり影響力の大きい再生への方法体系を発展させているのに対し、儀式主義もそれにしばしば成功しているのだが、しかし常にではない。
