久しぶりに「中世合名・合資会社成立史」ネタ。前から気になっていた、合名会社の商号に出資者の名前が入るという意味での表現で”cuius nomen expenditur”というのがあって、私は「その者の名前が(重要な情報として)載っている」と訳しました。これが本当に正しいかずっと気になっていたのですが、ChatGPT4oに今日確認してみたら、ChatGPT4oも賛成してくれました!
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私
中世の合名会社の発祥に関する議論で、初期の「商号」(=出資者の名前を全て列挙したもの、つまり合名)で”cuius nomen expenditur”という表現が出て来ます。ここでのexpenditurはどういう意味ですか?私は「(重要な情報として)そこに載せられている」と解釈しました。
カテゴリー: 「中世合名・合資会社成立史」日本語訳プロジェクト
「中世合名・合資会社成立史」決定版公開
「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳については、2020年9月(マックス・ヴェーバー没後100年)に初版を公開してから、40回以上読み直し細かな校正を進めて来ました。2024年5月3日の「第2回正式公開版V1.5」を最終決定版とさせていただきます。今後は明らかな誤訳の箇所などが新たに見つからない限り、これ以上の校正は保留とさせていただき、「ローマ土地制度史」の翻訳に専念したいと思います。
ChatGPT4に「中世合名・合資会社成立史」について聞いてみる
久しぶりにChatGPT4で、「中世合名・合資会社成立史」について聞いてみたら、最初の回答はおそらくWeb上にある間違った俗説に基づいています。しかし、正しい情報を入れたら、2回目の回答はかなりまともになりました。=======================================================
私
マックス・ヴェーバーの「中世商事会社史」(Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter)はどういう内容の本ですか?
ChatGPT
マックス・ヴェーバーの「中世商事会社史」(”Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter”、直訳すると「中世における商事会社の歴史」)は、中世ヨーロッパにおける商事会社の発展とその社会経済的影響について詳細に分析した作品です。ヴェーバーは社会学者であり経済学者でもあるため、彼の分析は経済的な側面だけでなく、社会的、文化的な文脈も含めて考察されています。
この本では、中世の商事会社がどのようにして形成され、成長したか、また、それが中世ヨーロッパの経済と社会にどのような影響を与えたかについて研究しています。ヴェーバーは特に、商業の発展が社会構造や法律制度、さらには日常生活にまでどのように影響を与えたかに焦点を当てています。商事会社の組織形態、貿易ルート、商業法の発展なども重要なテーマです。
ヴェーバーの分析は、中世の商事会社が後の資本主義的経済体制の形成にどのように寄与したかを理解する上で重要な基盤を提供しています。彼の研究は、経済史だけでなく、社会学や法学の分野にも影響を与えています。
私
この論文は法学博士論文がベースになっており、社会学的・経済学(経済史)的な内容はほとんど含まれていないと思います。
ChatGPT
ご指摘いただき、ありがとうございます。マックス・ヴェーバーの「中世商事会社史」(”Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter”)についてのより正確な情報を提供いたします。
この著作はヴェーバーの法学博士論文がベースとなっており、主に法学的な視点から中世ヨーロッパの商事会社に関する研究を行っています。社会学的または経済学的な分析は主要な焦点ではなく、むしろ、中世の商事会社がどのように法律的に構成され、運営されていたかに焦点を当てています。
ヴェーバーは、商事会社の法的地位、運営の方法、および商事法の発展に関する詳細な調査を行っています。この研究を通じて、彼は中世ヨーロッパの商業活動が法的枠組みの中でどのように機能していたかを明らかにしています。彼のこの作品は、中世の法制史、特に商業法の発展に関する重要な貢献と見なされています。
ヴェーバーの後期の作品、特に「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などで、彼はより社会学的、経済学的なテーマに焦点を当てていますが、「中世商事会社史」では、彼の法学的な訓練が強く反映されていることが特徴です。
再考:合名会社と合資会社の起源について
ヴェーバーの「合名・合資会社成立史」をこの正月休みに改訂して読み直しましたが、翻訳していた時には気付かなかったことを段々と考えるようになって来ました。まず、合名会社の起源については、ヴェーバーが説くように、家計ゲマインシャフトから発展したものであるということは、現在でも定説のようですので、こちらは一応OKとします。気になるのが合資会社の方で、Wikipediaによれば、各言語での合資会社の表現は、羅: societas in commendam、独: Kommanditgesellschaft、仏: société en commandite になります。見ていただければお分かりのように、いずれも「コムメンダ」に相当する表現を含んでおり、すなわち現在での定説は「合資会社はコムメンダから発達した。」になります。この定説の長所は、コムメンダは、出資者と航海者というように対等ではない人間関係に基づいているため、合資会社における無限責任社員と有限責任社員の差別をある程度説明出来るということです。逆に短所は、コムメンダでは航海する側は出資していないのに対し、合資会社での有限責任社員は一応出資者であり、そこがどうしてそうなったのかを説明するのが困難です。一方ヴェーバーの合資会社がソキエタース・マリースから発達したという説ですが、こちらは本来の出資者と航海者が両方出資しており、それでも立場は対等ではないため、合資会社の2種類の社員の差をある程度説明出来ます。ただヴェーバーは、無限責任社員となったのは、貿易事業に関わる出資者(複数)・航海者の中で、capitaneus(キャプテン)と呼ばれるいわばリーダー的な存在だと論じています。この場合、もし航海者がcapitaneusになったとすると、通常ソキエタース・マリースでの航海者は一人ですから、そこから出来た合資会社のプロトタイプにおける無限責任社員は一人だけ、ということになります。このことは歴史的な実例に合致するのか、ヴェーバーは法規のみしか論じていないのでそこは不明です。また逆に複数の出資者の中から誰かがcapitaneusになった場合を考えると、この場合も一人(何故なら通常会社の社長は一人ですし、トップが複数いるのは多くの点で不都合でしょう)であり、他の出資者よりリスクの高い地位を引き受けるインセンティブやメリットは何なのかが不明です。いずれにせよ、無限責任社員が1名というのが本当に歴史の真実なのかがポイントです。もし合資会社の無限責任社員が1名であるのが通例なら、このことは合資会社が合名会社から発展したものであるという大塚久雄他の発展段階説のはっきりした否定になります。何故なら合名会社では社員(出資者)が1名ということは、今の日本の法律では認められるようになっていますが、本来は絶対にあり得ないからです。
私見では、コムメンダとソキエタース・マリースは、元々厳密に区別出来るようなものではなく(法律上の規定は別として)、例えばジェノバの公証人の記録に出て来る例では、ある冒険心には富んでいるけどお金の無い若者が、まずコムメンダで金持ちから出資してもらい、対スペイン貿易を決行して成功し、1/4の利益を得、次にその得た利益を全額出資して、今度はより儲けることの出来る可能性の高い中東地域との貿易で再度前の出資者と組んでソキエタース・マリースを行う、という風にある意味一種のオプション選択に過ぎないものであったと理解すべきと思います。なので定説がコムメンダ起源にしていますが、この場合のコムメンダはその変種であるソキエタース・マリースを含むと解釈すべきと思います。いずれにせよヴェーバーの「成立史」の欠点は、そういった経済史的な実例の分析が弱く、慣習法から制定法に変わっていく法的な取り扱いだけしか見ていないことで、ヴェーバーの論述だけで合資会社の起源について確定的なことを述べることは出来ません。
佐藤俊樹の「社会学の新地平 ――ウェーバーからルーマンへ」
佐藤俊樹の「社会学の新地平 ――ウェーバーからルーマンへ」を読了。この本を読んだのは、どうも私が日本語訳した「中世合名・合資会社成立史」を読んだ上で議論している様子が伺い見えたからです。そしてそれはその通りで、「プロテスタンティズムの倫理の資本主義の精神」を理解する上に、ヴェーバーの会社制度の研究を考慮に入れなければならない、という主張が含まれており、そういう風に活用していただけると訳した方としても張り合いがあります。また「丁寧で精度の高い日本語訳」(P.117)とお褒めの言葉もいただいているので、その点については感謝したいと思います。
ただ、これまでのヴェーバー研究がこの「成立史」の内容をほとんど知らずかまたは完全な誤解をして他人に伝えるかのどちらかであり、それがきちんと内容を読んだ上で新たな議論をしているということは良いのですが、著者には申し訳ありませんが、著者の「成立史」の解読には私から見ると間違っていたり不正確な部分が多く見受けられます。まず第一に、これは安藤英治氏と同じ誤解ですが、フィレンツェにおける家業ゲマインシャフトからの合名会社の成立ということだけが、この論文の主張ではない(元になっている博士号論文「イタリアの諸都市における合名会社の連帯責任原則と特別財産の家計ゲマインシャフト及び家業ゲマインシャフトからの発展」はそれだけを論じていますが)と言うことです。特にピサのConstitutum Ususの分析の章にはっきり書いてありますが、コムメンダのバリエーションとして同時期に行われていたソキエタース・マリースが、合資会社が成立する基礎であることがはっきり述べられています。(訳からの引用(一部略):「ここまでの論述の結果として私にとって明らかになって来たことは、理解しづらいConsitutum Ususの法文について、より明証性の高い解明を行うことが出来たということである。――それはつまり、我々はここにおいて合資会社の財産法的な基礎原理を目の当たりにしているということである。合資会社に必要なものは全てここにおいて揃っているか、あるいは少なくともその登場が予示されている。」)(大塚久雄は会社組織というものは個人事業→合名会社→合資会社のように段階的に発展したとしていますが、ヴェーバーはそういう発展段階説を否定し、合名会社と合資会社の起源は異なりお互いに鋭く対立するものとしています。)また、合名会社についてもそもそも当初の合名会社はフィレンツェの章で述べられているアルベルティ家(商会、銀行)のように、家業ゲマインシャフトという表現から想像されるよりもはるかに巨大な「財閥ファミリー」が採用したものでした。その主目的はファミリーの資産の一体性を保ち、それが相続等で分割され小さくなっていったり他人に分与されるのを防止するということです。このことは日本でも同じで、明治になって財閥も会社化することが必要になると、三井や安田の財閥が(持ち株会社として)採用したのは合名会社でした。このことから合名会社を「自由な労働の合理的組織」の基礎として捉えるのはまったくもって無理があります。そもそも合名会社は合名会社の法律上の社員(会社法での「社員」は株式会社なら株主であり、従業員ではありません)ではない、単なる従業員(もしいたとしたら)に何かのメリットがある制度ではまったくありませんし、様々な技能を持った人材が集まって共同で会社の仕事をする、などという著者が主張しているような機能はまったく果たしていません。それから容易に推測出来ることですが、社員一人一人に無限責任が求められる合名会社は、財閥家にとっては都合が良いものの、それ以外の場合は、会社規模が限定され(例えば「成立史」論文でも出て来るお雇いドイツ人法学者レースラー{ロエスレル}が作った日本最初の商法の草案では「合名会社の社員は2人以上7人以下」でした。現在の会社法では上限は無く、最低は1人でも可能になりましたが、私は現在において、規模の大きい合名会社の例を寡聞にして知りません。)、この意味でも合名会社は近代的な資本主義のベースにはなり得ません。むしろ合資会社の方が投資という形で参加だけする社員(有限責任社員)とその外部資本を取り込めるので、規模の拡大にははるかに有利です。最終的には株式会社という形で経営と資本の分離がある意味完成する訳ですが、この流れは合名会社からは生まれ得ません。(特にドイツにとって、株式会社は「外から」入って来たものでした。ヴェーバーのこの論文の当時、ドイツの法学者の間で株式会社をどう法的に位置づけるかの議論が盛んでした。)また合名会社誕生当時のフィレンツェでは、経済を牛耳っていたのはツンフト(ギルド)であり、前述のアルベルティ家の場合も、アルテ・ディ・カリマラという毛織物の生産・販売同業者組合に所属しており、その保護の下で資本を蓄積して行っています。ヴェーバーは何故かツンフトを詳細に論じた箇所がほとんど無い(「都市の類型学」に少しだけ出て来ます、また講義ベースの「一般社会経済史要論」を除く)のですが、このツンフトこそある意味「資本主義の精神」の反対のものです。時間をかけてずっと読んできているギールケの「ドイツ団体法論」にて丁度今読んでいる所がツンフトに関する箇所なのですが、原材料をツンフトからの購入に限定、夜間・休日労働の禁止、価格の統制、取引先の統制等々、今なら独占禁止法に抵触することばかりです。(もちろん会員の安定した利益を保証したり、作られる製品の品質を一定以上に保つ、などメリットが無い訳ではもちろんありません。)つまりガチガチの「不自由労働」の世界であり、この意味でも「自由な労働の合理的組織」の元になったことはあり得ません。最初の合名会社はそれ自体が独立的に生まれたのでは無く、このツンフトという「都市の中の都市」的なものの内部で生まれた、それによって強い規制を受ける存在であったことには注意すべきです。(ヴェーバーの「成立史」は8割方法制史の論文であり、ローマ法のソキエタースの概念が拡張されて如何に合名・合資会社が新たに法的に定義されたかが主軸であり、経済史的な分析は非常に少ないといえます。)ちなみにドイツではこのツンフトの解体が遅れ、ビスマルクの時代であっても、未だに多くのツンフトが存在していました。この本に出てくるカール・D・ヴェーバーの活動も、反ツンフト(かつ反問屋制度、問屋制度はある意味ツンフトの残滓)であると考えると理解しやすいでしょう。
それから、「成立史」は「資本主義の起源」を研究したものでも「株式会社のスタート」を研究したものではありません。著作の発表順序や思想的発展を無視した議論はすべきではないでしょう。(もちろんこの論文で研究した素材が後の著作で何度も使われ、「後から」本人の中での位置付けが変化したのでしょうが{特にゾンバルトとの資本主義の起源を巡る論争の中で}、論文の評価はそれ自体に書かれていることに基づいて判断すべきです。「資本主義」「株式会社」という単語はどちらも一度も出て来ません。)
後、用語として「共同責任」などという法律用語はありません。言うまでもなく「連帯責任」です。(もしかすると、会社の所有者の間の「連帯責任」を、法律上の社員ではない単なる従業員のエンゲージメント意識に意図的にすり替えてわざと「共同責任」という言い方に変えた可能性も考えられます。もしそうなら一種の詐術です。また中世の「手工業」と書くべきを何度も「工業」と書いているのも同様の詐術。ヴェーバーは「古代社会経済史」の中で、中世のイタリアの一番大きな工房でもそれは「工業」と呼べるものではなかった、と書いています。)
後、これは「成立史」と関係ないことも含め、3点指摘しておきます。
(1)「資本主義の精神」の定義
プロ倫でどこにも「資本主義の精神」の定義が無い、とありますが、理念型に最初からきちんとした定義がある筈が無く最初は例示で大体の概念が示されるだけだと思います。理念型は研究の最後できちんとした類型として確立するものだと思います。(プロ倫はある意味で研究のスタートであり完成した研究ではないので、最後まで完全な定義が出て来ないのは事実です。)それから法律というものは厳密な定義から始る、というのはナンセンスであり、通常法律の制定それだけで厳密な適用範囲は決まらず、裁判と判例を通してその意味する所が次第に確定していくものです。(つまり決疑論)最近の日本の例では「同一労働同一賃金」(2020年4月1日より適用開始の「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」)で、その適用範囲は2020年10月の5つの最高裁判決と、最近の1つによってようやく少しずつその意味する所がはっきりしつつあります。)もっと分かりやすいのは憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」です。これに厳密な定義がありますか?これについては朝日訴訟という裁判で最高裁が「この条文は国がこれを目差していく」というプログラム的な規定であるとしました。
(2)うつ病?
別の所でも書きましたが、ヴェーバーの神経症を根拠も示さず「うつ病」(大うつ病)と断定しないで欲しいです。
(3)ヴェーバーの時間管理
著者はヴェーバーが時間管理が出来ない証拠として博士号論文に時間をかけすぎていることを挙げますが、おそらく著者は博士号論文は「成立史」論文の第三章の所だけだということを理解していないように思います。またこの時期ヴェーバーは裁判所に勤務しながら論文を書いていて更に中世の法文献を調べるためスペイン語まで勉強したりしています。また「成立史」論文で参照された法文献は膨大なものであり、読みにくい中世ラテン語他の文献を短期間によくぞこれだけ読んだと感心しこそすれ、時間管理が出来ない、などとは思いません。むしろヴェーバーの徹底癖が出ていると私は理解しますし、どちらかと言えば仕事は他の人に比べて非常に速く普通の意味の時間管理などする必要も無かったのだと思います。ヴェーバーの問題としては、短期的な時間管理ではなく、あまりにも興味の赴くまま手を広げすぎ、生涯全体で結局宗教社会学も社会経済学もどちらも未完で終ってしまった、ということを私は指摘したいです。(スペイン風邪によると思われる肺炎で急死するとはもちろん本人は予想していなかったでしょうが。)ついでに言えば「成立史」論文が教授資格論文の一つ(ローマ土地制度史以外に)使われたというのも、博士号論文に比べるとページ数だけでも約3倍(全集版で全体が193ページ、第三章の博士号論文部分が63ページ)であり、またそれぞれ別に出版されており、そういう意味でほぼ新規論文とも言え、まったく問題無いと私は考えます。
「中世合名・合資会社成立史」を改訂しました。
「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳、第1回正式公開版(2020年9月23日より公開開始)はその後細かな校正で30回以上改訂して来ましたが、この度第4章の一部でちょっとした誤訳があったのを発見しこれを改めたのと、特に前半部で原注の番号が抜けている箇所が多く見つかったため、これを修正してこの機会に版を新たにしました。この際に同時にヘッダーにこれまで版番号を入れていたのを読者の便宜を考え章名に変更しました。
「中世合名・合資会社成立史」の結論部について
「中世合名・合資会社成立史」をまだAmazonで販売せず、このブログにだけに掲載していた時に気が付いたのは、日数を空けて公開している各部分訳について、結論に近付くと急にアクセスが増えたことです。常識的に考えて、この読みにくい論文を全部読もうという奇特な人は少なく、手っ取り早く結論部だけ見て、何が書かれているのかを知ろうとした、と推測出来るでしょう。ところが、この論文の結論部、私の翻訳でわずか2ページちょっとしかありませんが、これは多くの人が期待する結論部的な内容をまったく裏切る肩透かし的な内容です。普通、論文の結論部と言えば、自分の設定した問題を繰り返し、そしてその論文でその問題が解決できたのか、あるいは出来なかったのかを明らかにしてまとめ、最後に今後の研究の方針を示す、といったものでしょう。ところがこの論文の結論部は一言で言えば「言い訳」に終始しています。簡単に振り返ってみましょう。
1.法教義学的利用の可能性
結論部のタイトルが「結論。得られた成果の法教義学的利用の可能性。」なのですが、これは19世紀後半のドイツの法学界で主流だった「歴史学派」が何を目的に史的研究を行っていたのかを考えれば容易に理解出来ます。すなわち、各地方の領邦(ラント)に分れていたドイツという国が、ようやく1871年にプロイセンを中心とした連邦国家(ドイツ帝国)としてまとまり、そこでどのような近代的な法体系を統一国家として整えて行くのか、というのが法学者達にとって喫緊の課題でした。そのための歴史研究であり、その中にローマ法をもっとも重要な法源と考えるロマニステンとゲルマン法を重視するゲルマニステンの対立が生まれ、激しい論争を引き起こします。どちらのグループに属するにせよ、単純な歴史研究ではないのが本来の歴史学派の姿です。しかしながらヴェーバーは、「これまで行って来た考察の成果を問われた場合には、まず次のことが確認されなければならない。それはこのような考察についてそのような[法教義学的]意義をある程度はっきりした形で切り出すことは出来ないということである。」と結論部の最初である意味堂々と「法教義学的な成果は無い」と開き直っています。ヴェーバーの母のヘレーネが、ヴェーバーがやりたかったのは歴史研究で、法教義学は息子の趣味ではない、とどこかで言っていましたが、まさしくその通りの開き直り方です。
2.「合手制」と合名会社の関係
1.で開き直ったヴェーバーは次に、しかし合名会社と「合手制」の関係を考察すれば、そう言った「法教義学的かつ法実務的な意義」は「もしかしたら」そういうものが得られるかもしれない、と続けています。この「合手制」こそ、ゲルマニステンがゲルマン法におけるもっとも重要な法原理の一つとして認めるものです。実はこの論文の審査にも参加しているゲルマニステンの大ボスのオットー・ギールケが合名会社(の特別財産と連帯責任)は合手制度に基づくものであると主張しています。おそらく論文の審査の課程でヴェーバーはギールケから直接このことについて質問を受けたのではないかと思います。しかしヴェーバーはこの「合手制」についてもあれこれ言い訳を書き連ねて結局現状では「判断出来ない」と逃げてしまいます。(ヴェーバーはこの論考を書くのに数百冊の中世のイタリアやスペインの法規集を、スペイン語を新たに習得してまで非常な手間をかけて(それらのほとんどが(俗)ラテン語として見ればかなり文法的に崩れていたのを)必死に解読しています。しかしそこにおいて彼が期待していた「連帯責任」というものがどういう風に諸法規で定義されてきたかということはほとんど確認出来ず、その確認はむしろそう言った「連帯責任」が諸法規の中で制限されているということであり、それをもって逆説的に実質的には「連帯責任」原理が一般に行われていた証拠とする、という苦しい論証をしています。マリアンネの伝記では「私が法規の中に探していたまさにそのものを(そういう法規を作った)市参事会員が法規の中に入れなかった」というヴェーバーの表現が載っています。)しかし後年になって「法社会学」の中で、合名会社も合資会社についてもその連帯責任や対外的な信用を得る目的で、合手制が非常に適合的で大きな役目を果たしたことを認めています。(世良訳P. 206 – 207)私には何だかヴェーバーがギールケという大きなお釈迦様の手の中を飛び回っている孫悟空のように感じます。(ちなみに、ヴェーバーが25歳で法学の博士号を取ったのを「すごい、天才!」と称賛する人がいるようですが、ギールケが法学博士号を取ったのは19歳(!)の時です。おそらくヴェーバーの時とは大学制度そのものが少し違ったのかもしれませんが、それにしてもあり得ない年齢です。)
3.合名会社と合資会社の共通点と相違点
ここまで延々と言い訳を書き連ねて、ようやくこの論文が明らかにしたことが登場します。それが、合名会社と合資会社が、「特別財産」という他から識別され得るまとまった財産を共通の原理として、基本的には同じ土台の上に作られたものであることを示します。しかしながら共通点と同時に、相違点として財産処分能力のあり方が二つでまったく異なっているとし、二つの発展の経緯がまったく別であることも論じます。(このことは合名会社から合資会社が発展した、とする大塚久雄他の発展段階論者とはまるで見解を異にしています。)そして合名会社は法人格を持った団体(ギールケ用語ではケルパーシャフト)になったのに対し、合資会社では少なくとも有限責任社員は単なる参加の関係に過ぎないとして、両者の相違を総括して終ります。
最後に、結論部にはまったく書いてありませんが、元になった博士号論文(この論文の第三章)のタイトルは、「イタリアの諸都市における合名会社の連帯責任原則と特別財産の家計ゲマインシャフト及び家業ゲマインシャフトからの発展」でした。要するに「ゲマインシャフトから(合名会社という)ゲゼルシャフトが生まれた」と言っている訳です。ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」での、「ゲゼルシャフトはゲマインシャフトの特別な場合である」というテンニースの「ゲゼルシャフトとゲマインシャフトは対立概念である」とまったく異なる定義付けは、何もヴェーバーが理解社会学というものを謳うようになった時に始めて考え出されたものではなく、この最初の学術論文から始っているということです。そういう意味で、ヴェーバーの真価は「プロ倫」以降である、といった短絡的な見方に私は反対します。
「中世合名・合資会社成立史」久し振りの校正
中世合名・合資会社成立史の日本語訳ですが、久し振りにある程度まとまった校正を行いました。前の版からの校正箇所は65箇所くらいです。ほとんどが日本語として分りにくい表現をよりこなれた日本語にしたものですが、誤訳の訂正も数ヶ所含まれています。Web公開版は既に校正済みのものです。Amazonで販売されているペーパーバック版とKindle版は現在作業中で、おそらく11月18日ぐらいからの販売のものが今回の校正済みの版になります。
宗教社会学の邦訳の誤訳
創文社の「宗教社会学」邦訳において、「中世合名・合名会社成立史」に出て来る事項について誤訳がありましたので指摘しておきます。
場所:邦訳(武藤・薗田訳)のp.273(第11節の四、生の宗教的-倫理的合理化と経済的合理化との緊張関係の中)
P.273、6行目
誤:ピサの利益協定(コーンステイトウートウム・ウースース{振り仮名})
正:ピサのConstitutum Usus(1161年に編纂されたピサにおける様々な慣習法、特に商慣習法の集成。Constitutum=協定、法規、Usus=慣習、両方で「慣習法」)
誤:収益率を定めた上で参加する(commenda dare ad proficuum de mari)
正:固定配当金による出資型のコムメンダ(通常のコムメンダは資金提供者と貿易業務の実行者の間で利益を3:1に分けるが、この特殊なコムメンダは資金提供者がただ資金を提供し、貿易が完了した場合に仕向先別に(それぞれの航海の危険度を考慮し)あらかじめ決められている固定配当金を上乗せして資金を回収する、というもの。教会法における利子禁止に抵触すると考えられたこともあり、後に廃れている。)
どちらの事項も、「中世合名・合資会社成立史」の第4章で詳しく解説されています。
この邦訳は他にもAnstalt(人がその意志とは関係なく取り込まれるように所属するようになった集団、例えば国家や幼児洗礼による教会など。対立する語がVerbandで人が自分の意志で参加するもの、結社。)を「施設」と訳していたりして問題が多いです。(つまり「理解社会学のカテゴリー」の概念が使われていることを理解しないで訳している訳です。)
ドイツ語の tralaticisch の意味
「ローマ土地制度史」で今訳している所に„Tralaticische” Quellencitate habe ich thunlichst beschränkt verwendet という文章が出てきます。この„tralaticische”という形容詞が、紙の辞書、オンラインの辞書とも出てきません。しかしググるといくつかの昔の文献で使用されているのが確認出来ます。おそらくこの形容詞は英語での相当語は”tralatitious”ではないかと思います。もしそうならOEDによれば、語源はラテン語のtrālātīciusです。綴りの相似から見て、„tralaticische”はこのラテン語をドイツ語化したもので間違いないでしょう。その場合の意味は、「伝統的な、代々伝えられてきた、慣習となっている、通常の」と言った意味になります。ここでは「伝承的な≪本当にオリジナルの文献通りの引用か疑問がある≫文献引用については、私は可能な限りそれへの準拠を最小限に留めた。」という訳になるかと思います。ローマ法というのは、十二表法という名前の通り12枚の板に刻んで書かれていた原本が内乱で完全に失われており、その後に出た法学書に引用されている条文から元の法文を再現することが行われています。また、ユスティニアヌス帝によるローマ法の再現である学説彙纂について、ヴェーバーの時代に編纂者が表面的に辻褄が合わない所を恣意的に変えた可能性がある、ということで見直しが行われていました。そういう背景から理解すべき文であると思います。 (「中世合名・合資会社成立史」の翻訳の際に、そのことについての記事を書きましたので、必要であればご参照ください。)
ちなみに英訳はこの部分を”Lengthy quotations from the primary sources have been kept to a minimum in the interests of brevity;”(「元々の原典からの長々とした引用は文章の簡潔さを保つため最小限に留めた。」)と訳して、„tralaticische”を「lengthy=長々とした」と訳しています。もちろん間違いです。この翻訳者は古典語学者ということで期待していましたが、ダメですね。何故ヴェーバーがわざわざ引用符まで付けてラテン語起源の特殊な単語を使っているのかまったく理解していません。それに「文章の簡潔さを保つため」という内容も元の文章にはありません。大体ヴェーバーは「文章の簡潔さを保つ」よりも、可能な限りありとあらゆる留保条件まで書いて正確さを重視する人であるのは言うまでもありません。