「ローマ土地制度史―公法と私法における意味について」の日本語訳の第61回目です。この日本語訳では colonus はそのままラテン語をカタカナ表記にしたコロヌスを採用しています。その理由は一般に小作農や農奴と訳されることが多いようですが、元々のcolonusの意味は「耕す人」であり、自営農民も小作農民も両方を指す言葉でした。それがこの部分で議論されているように、次第に地主の大農場の耕作にも動員されるようになり、4世紀頃になると移動の自由もなく大農園に縛り付けられた存在となり、それが中世での農奴につながっていきます。そういう意味の変遷を伴う言葉であるため、敢えてコロヌスと訳しています。
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しかしながら、当時重点が置かれていたのは支払われた賃借料であった。それに対してより目的に合った形の大土地経営の組織は、それは大地主達が自分達にとって、農場経営者としての性格がより重要になった時に構築したものであるが、もはやその第一の目的としては外部から定期的な現金収入を得ることが出来るという意向には重きが置かれていなかった。コルメラはそのため次のように注意している。つまり農場経営者は、コロヌスの主な利用価値は賃借料ではなく、労働の成果[opus]に置くべきであると 56)。
56) コルメラが注意している本質的な部分(農業書 I, 7の)は以下の通りである: Atque hi (scil. homines) vel coloni, vel servi sunt, soluti, aut vincti. Comiter agat (scil. dominus) cum colonis, facilemque se praebeat, et avarius opus exigat, quam pensiones: quoniam et minus id offendit, et tamen in universum magis prodest. Nam ubi sedulo colitur ager, plerumque compendium, nunquam (nisi si coeli major vis, aut praedonis incessit) detrimentum affert, eoque remissionem colonus petere non audet. Sed nec dominus in unaquaque re, cui colonum obligaverit, tenax esse juris sui debet, sicut in diebus pecuniarum, ut lignis et ceteris parvis accessionibus exigendis, quarum cura majorem molestiam, quam impensam rusticis affert … L. Volusium asseverantem audivi, patrisfamilias felicissimum fundum esse, qui colonos indigenas haberet, et tanquam in paterna possessione natos, jam inde a cunabulis longa familiaritate retineret … propter quod operam dandam esse, ut et rusticos, et eosdem assiduos colonos retineamus, cum aut nobismetipsis non licuerit, aut per domesticos colere non expedierit: quod tamen non evenit, nisi in his regionibus, quae gravitate coeli, solique sterilitate vastantur. Ceterum cum mediocris adest et salubritas, et terrae bonitas, nunquam non ex agro plus sua cuique cura reddidit, quam coloni: nunquam non etiam villici, nisi si maxima vel negligentia servi, vel rapacitas intervenit … In longinquis tamen fundis, in quos non est facilis excursus patrisfamilias, cum omne genus agri tolerabilius sit sub liberis colonis, quam sub villicis servis habere, tum praecipue frumentarium, quem minime (sicut vineas aut arbustum) colonus evertere potest, et maxime vexant servi.
[そしてこの者達というのはコロヌス達であるか奴隷であり、拘束されていないか、あるいは鎖でつながれている者達である。農場主はコロヌスに対して親切にし、寛大な態度を取るべきであり、そして地代の支払いよりも労働の提供をむしろ貪欲に求めるべきである:何故ならば労働の提供の依頼の方がコロヌス達にとってはより不快を感じにくく、更に全体ではより好意的に受け止められるからである。というのは、土地がきちんと耕作されており、利益が出ている場合は、ほとんどの場合で(悪天候に大きく影響を受ける場合や盗賊が襲撃して来た場合を除いて)損害は発生しないために、コロヌスス達が地代の減免を敢えて要求することはまずないからである。しかしながら農場主達は、その者達がコロヌス達に権利を持っている全てのことがらについて、それを執拗に求めるべきではなく、例えば地代の支払日についての注意だとか、または焚き木やその他の些細な付属物について、それらをしつこく催促すべきではなく、そういったことが地方に住むコロヌス達には単純な出費よりも重荷となるのである…私はかつて L. ヴォルシウス≪Lucius Volusius Sturninus, BC38または37~AD56年、ローマの元老議員≫は]が次のように熱心に語っているのを聴いたことがある。彼が言っていたのは、農場主にとって、自分の土地で、そこのコロヌス達が生まれついてそこでコロヌスとして暮らしているのがもっとも利益を生む種類の土地であり、そこではコロヌス達がまるで自分の父親の資産である土地で生まれたかのように感じており、また赤児の時にまだゆりかごの中にいた時からずっと長く親しんでいる状態を保っているのである…このことから次のことについて努力しなければならない。地方の農民、つまり彼ら自身が定住しているコロヌス達をそのまま暮らしていけるようにするということである。何故ならば農場主自ら農場で耕作を行うとか、あるいは家人に耕作させることが得策ではない場合があるからである。そういったことが実際に起きるのは、その地域の天候が農耕に対して向いていないとか、また土地がやせていて荒廃している場合である。しかしそれ以外で良い気候とほどほどに肥えた土地に恵まれている場合には、それぞれの地主の管理の仕方によっては、コロヌス達に耕作させるよりも、多くの利益を得ることが出来る:また土地管理人が奴隷を使って耕作させる場合でも、その奴隷達が非常に怠惰であったり、収穫物の窃盗を行ったりしないのであれば同様の結果が得られる…にもかかわらず、遠く離れた場所にある土地での耕作の場合で、地主がそこまで監督に行くのが容易ではない場合には、土質の良否にかかわらず、管理人の下で奴隷を働かせるより、自由民であるコロヌス達に任せた方が良い。特に穀物栽培の場合は(ブドウやオリーブの栽培の場合とは違って)コロヌス達がそれを駄目にする可能性は低く、逆に奴隷に任せた場合は駄目にする危険性がある。]
その際にこの”opus”という語がコロヌスによる賃借料を課された土地の耕作についての言及と考えることは可能であり、しかしそれがただ賃借料付きの土地についてのみ言及していると考えるのは不確かであり;確からしいのはその際に収穫と耕作のための夫役も考慮されているということで、事実上そこから結論付けられることは、コロヌス達がそれぞれ農場主の土地の一定の場所について受け持ち、同時に他のコロヌス達が別の場所を受け持っていて、一緒に耕作し収穫していた、ということである。この状況はつまり小土地区画の賃貸と、農場耕作と収穫作業の一部を請負業者に請け負わせることを結合させたものであり、カトーの時に既に知られていたように、ただこの段階では請け負う者が地主に対して事実上の従属関係にある小規模のコロヌスになっており、そしてそのコロヌス自身の、その者によって耕作される土地でそれに対して賃借料を支払っているものについては、そのままの賃借料支払い[Ablöhnung]が続いたのである。≪Ablöhnungという語をヴェーバーが用いているのはおそらくは農場での作業賃との相殺のようなケースも想定している可能性がある。≫私の考える所 、文献史料は確かに次のことを述べている。つまり事実上はこうした状況はこれまでの所で概観して来たように発展したのであろう、ということである。コルメラがある箇所で示していることは、コロヌス達は土地を耕作することによって食べているのであり 57)、それは奴隷も同じであるが、――もちろんそれはその者達が農場主のために働いている間に限られてのことであるが、その労働は他の夫役と同様に普通のことだったのである。
57) コルメラ II, 9。前注で引用した箇所が次のことを意味しているとすれば、つまりコロヌスがその借りている土地を良い状態に維持している場合は、remissionem petere non audit [賃借料の減免を敢えて要求したりしない]のであり、私がそこから想定することは、ここで扱われているのは農場主の土地の耕作である、ということである。もし農場主の土地が上手く管理されているのであれば、その場合コロヌスはたとえ凶作の時であっても自分が借りている耕地について賃借料の免除を求めないであろう。
こういった状況はビジネスとして見た場合は次のように把握することが出来よう。つまりコロヌス達が労働者として農場主の土地の耕作や収穫の作業を行うことを受け入れ、そしてその者達への賃金は収穫物の一定量に対して、ある決まった割合を受け取るという形で成立していた。こういった実態は、経済的に重要なことという観点では、作業義務のある農民を使った農場経営の成立と、従来の定住している農場労働者との間の関係を関係を動揺させることとなった。コロヌス達によって耕作された農場主の土地が、確からしくはコモドゥス帝の時代≪在位180~192年≫のある碑文に見られる ”partes agrariae” [開拓地の一部]という語の意味であろう。それはモムゼンによって説得力がありかつ目覚ましいやり方で補完・解釈されたものであるが 58)、先に仮定した意味での農場経営の成立は、つまり中心にある自分自身の農場経営と、(とりもなおさず経済的には)従属しているコロヌス達の夫役労働を有機的に結び付けたものとして、きわめて明確に説明出来るものである。
58) Hermes XV, P. 390以下。
この碑文はアフリカにおていの皇帝領である山がちの土地のコロヌスが皇帝直轄地の賃借人(conductor)についての苦情を申し立てたものである。その請願者達 59) に対しての保証の点で、その賃借人はその者達に対して不正を働き、そして労働を強制したのであり、その者達はその土地に対する諸条件を規定している法規、つまりハドリアヌス法の中の一つであるが、それによって≪契約に無い追加の≫労働の義務は負っていなかったのである。
59) “Ita tota res compulit nos miserrimos homines iussum divinae providentiae tuae invocare. Et ideo rogamus, sacratissime Imperator, subvenias. Ut capite legis Hadrianae quod supra scriptum est, adscriptum est, ademptum sit jus etiam procuratoribus, nedum conductori, adversus colonos ampliandi partes agrarias aut operarum praebitionem jugorumve: et ut se habent litterae procuratorum, quae sunt in tabulario tuo tractus Carthaginiensis, non amplius annuas quam binas aratorias, binas sartorias, binas messorias operas debeamus itque sine ulla controversia sit, utpote cum in aere incisa et ab omnibus omnino undique versum vicinis visa perpetua in hodiernum forma praescriptum et procuratorum litteris, quas supra scripsimus.”
[こういった全ての状況がこの上なく哀れな人間である我々をして、皇帝陛下の神聖なるご意志である命令をご行使賜るというお願いに駆り立てたのです。それ故にこの上なく神聖なる皇帝陛下のご支援を願い奉るものです。既に上で述べましたハドリアヌス法の法文に規定してあるように、たとえ皇帝の代理の監督官でも、ましてや賃借人は言うに及ばず、コロヌスに対して耕作させる土地の面積や夫役やまた夫役に使う耕作牛の数などを勝手に増やす権利はありません。それからカルタゴ地区の陛下の文書保管庫に入っている代理の監督官たちの書面に記載されている通りに、1年の内開墾≪鋤でやる作業≫、播種≪種蒔き前後の鍬でやる作業≫、収穫の作業についてそれぞれ2日を超える労働の義務は負っていない筈であり、そのことは議論なく認められるべきです。何故ならばそれは銅板に記され、全ての近隣の者がどの場所からも見える形で恒久的に掲示されており、現在に至るまで有効な形式で決定されているからで、そしてそれは前記した代理の監督官の書面にも記載されています。]
自ら働くことによって生計を立てている者は、富裕な賃借人で皇帝の代理の監督官と親交が深い者に対しては反抗しなかった。
同法によればコロヌス達の夫役は年当たり2日の開墾≪鋤を使った作業≫、2日の整地と種蒔き≪鍬を使った作業≫、そして同様に収穫期の作業も2日分としてカウントされ、しかも人間による夫役と牛馬を使った夫役の両方であった。賃借人はそれから”partes agrariae”[土地の一部]を拡張した。それは私の考える所では、その賃借人が直接管理している主人の土地を拡げたのであり、新たな土地を開墾したのである。それと同じことがドイツの改革期≪ナポレオンに敗退したプロイセン王国が1807年から農奴解放などの近代化を図った時期≫にも行われており、次に夫役義務のある農民に対してこの拡大された部分の土地も、それまでのより少ない面積の土地と一緒に耕作し、収穫することを要求した。我々が考察しているローマの場合ではまた、人間による夫役と牛馬を使った夫役の両方を増やすことになったのは先行する事実からの当然の帰結であった。土地区画の賃借料と大農場経営においての播種と収穫の時期においての労働力需要の並存関係は、私が碑文の内容から考察する限りにおいて、非常に明確に成立している。
こうした大土地経済においての夫役に従事するコロヌス達を使用した組織は、それは農業においての労働者不足の問題の効果のある解決策となっているのであるが、おそらくそれは帝政期における全ての大規模土地所有において通常のことだったのである。法的文献史料においては、常に次のことが見出される。つまり、まとまった数のコロヌス達が大農場主の一人の請負人、代理人、そして管理人と一緒にされていることで、更にこのまとまった数のコロヌス達とは別に、一団の奴隷達が請負人または代理人の管理下にある土地において存在しているのであり、そして法的文献史料からは詳細な点は知ることが出来ないが、コロヌス達が大土地所有制に従属している、ということである 60)。
60) コロヌスを大土地所有制の中で使用することになったことの結果は、D.9, §3 locati で述べられているように、農園に対して適用される統一法規である lex locationis に基づいて(この表現に該当するのは、その前の時代の国家的大賃借人に適用された lex censoria、皇帝領だった Brunitanus ≪現チェニジア≫での saltus Burunitanusu ≪注59の碑文のこと≫についての lex Hadriana)、コロヌス達がある種のゲマインシャフト、つまり colonia [植民地]を形成したということである(D.84, §4 前掲箇所)。その者達に並べて考えられているのが、大規模賃借人、請負人とそれと一緒の奴隷の一団(D.11 pr. 前掲箇所)、あるいは農場主の代理人[procurator]である管理人(D.21, de pign[oribus])である。コロヌスに対しては以上述べて来たことに適合することとして、大農場の一部の土地が割当てられ、残りの部分の土地は農場主の代理人[actor]である管理人が管理した(D.32 de pign[oribus])。≪procurator はより大規模な領地の管理・代理人、actorは現場レベルの管理人。≫Relica colonorum [コロヌス達の残り]は、つまり賃借料滞納者のことであるが、そこからある一定のやり方で土地の従属物と見なされた可能性があり、それはその者達が厳密な法的な意味ではそれには該当しない場合にもそうであった(D.78, §3 de legai[is] III)。コロヌスと奴隷はお互いにその土地の住人として2つの異なるカテゴリーと見なされていた(D.91, 101 前掲箇所;D.10,§4 de usu et hab[itatione] 7, 8)。コロヌスは奴隷と同じく土地の売買の際にはその土地区画の価値にプラスされる付属物として扱われていた(D.49 pr. de a[ctionibus] e[mpti] v[enditi])。こういったコロヌスと、先に言及した長期契約を前提とした握取契約に基づく公有の農場での二次賃借人との関係について、D.53 locati が説明している。皇帝領の請負人については、それに対して通常はより短期の契約が結ばれ、法律上では5年であり、その契約期間はコロヌスへの再賃貸の場合にも適用された(D.24, §2 locati)。時々は混乱した表現が使われることもあり、例えば “colonus” がその領域全体の賃借者を指すものとしても使われていた場合がある:D.19, §2 locati; D.27, §9, §11 ad l[egem] Aquil[iam]。しかしながら明らかなこととして、fundi[土地]が一般的に大土地所有制として組織化されていない場合には、これから更に述べる意味での大土地所有制でコロヌスは全く使われていなかった。大土地所有制と自由なコロヌスとの意味の混同は、文献史料の位置付けを不明瞭にしている。――他の多くの箇所と同様に D.19, §2 locati の引用箇所が示しているのは、Location[土地の場所]を常に英語の joint business を思わせるような大地主とその賃借人のゲマインシャフト的な関係として説明していることである。ここにおいて経済的な諸関係にそのまま適合する形で、こうした形での個々の関係形成が、そのまま直ちに無数の類似の関係の形成の機会を与えたのであることは、明らかである。我々がここで論じる関係形成には、相対的に規模の大きい大地主の政治・経済的優位性が内包されており、そしてそれ故に賃借契約の関係がそのままヴェールに覆われた労働契約関係となっているのである。コロヌスはそのあてがわれた土地に対しての耕作義務を持つ者として D.25, §3 locati と D.30 の前掲箇所(ユリアヌスの、またそれ以外で引用して来た箇所であるスカエウォラ、パピニアヌス、ウルピアヌスそしてパウルスのもの)で把握されている。 それに適合するように、D.24, §2 locatiでは農場主は次の権利を持つものとされている。つまりコロヌスがその借りた土地を契約が満期となる前に放棄する場合は、直ちに、そのコロヌスに何か別の立ち退き理由があるのか、または賃借料の不払いに該当するかどうかの判定を待つことなしに、そのコロヌスに対して訴えを起こすことが出来るという権利である。何について訴えるのかということは書かれていない。しかし明らかに単なる利害関心の及ぶ所からの訴えであり、何故ならばその訴えの際の賃借地については、それが契約上どう定義されていたか、ということは含まれていないからである。それと並んで§3の前掲箇所で、コロヌスが成すべき労働について言及されており、そのことを理由として同様に訴えが行われているからである。農場主の土地の耕作者と賃貸している土地のそれはそれ故に同等のものとして扱われており、ただ原則として前提とされているのは、農場主は賃貸している土地の耕作の仕方についてはただ契約が終了した時に初めて何らかの形で関与する、ということである。その外に農場主はもちろん賃貸対象の土地を別のやり方でも譲渡することも出来た。このことは後の時代にはコロヌスの連れ戻しという形で起こったのであり、それは navicurarii [小麦の海上輸送]のための小麦栽培の耕地について、コロヌス達を徐々に強制的に連れ戻し再度耕地を与えた、というやり方であった。最初の土地契約終了時の例は市民法的な、navicurarii の例は行政上の強制行為であった。コロヌスが不自由な立場の奴隷に対して自由な農場での労働者であり、それは自由意志の賃借契約に基づいて賃借料を支払う代わりに土地をあてがわれたというのの類推として扱われた。実際の所、奴隷が地方の農園の中に住んでいた状態から、自分自身の家に移された場合には、その奴隷は直ちにコロヌスと同等に扱われたのである。