折原浩先生訳の問題点(14)

原文1
Allerdings besonders oft mit noch ausgesprochenerer Neigung zur unoffiziellen sektenhaften Religiosität, für deren sämtliche Formen die mit der Not des Tages, den Schwankungen des Brotpreises und der Verdienstgelegenheit kämpfende, auf »Bruderhilfe« angewiesene gewerbliche Unterschicht der Städte überall ein höchst dankbares Feld dargeboten hat.

折原訳1
もとより職人徒弟層が、非公認のゼクテ的宗教性への傾向をいっそう顕著に示すことは、とくにしばしば見られる。こうしたゼクテ的宗教性のあらゆる形態は、日々困窮して、パンの価格や雇用機会の動揺と闘い、「同胞の援助」を頼りに生業にありついている都市下層民から、いたるところで好感をもって迎えられ、容易に活動できる領域を見出した。

丸山訳1
とはいえ特にしばしば、なお一層顕著にこの職人の徒弟達が非公認の教派的信仰へと向かう傾向を持っていることと共に、その信仰の集合態にとっては、日々の困窮と共に、つまりパンの価格の変動と働いてお金を稼ぐ機会の増減と戦いながら、「兄弟による支援」に頼る都市の下層民が、いずれの場所においても高度に酬いられる領域として見出されたのである。

原文2
Die Religion wird hier vielmehr normalerweise durch andere ideelle Surrogate ersetzt.

折原訳2
そこではむしろ、宗教が通例、他の観念的なスローガンにとって代わられている。

丸山訳2
宗教はここではよりむしろ、通常の場合他の観念上の代用品によって補償されている。

コメント
(1)折原訳1の「いたるところで好感をもって迎えられ」はein höchst dankbares Feld dargeboten hatの訳であるが、ここで書いてあるのはゼクテ的信仰にとって下層民という対象がもっとも都合の良い布教先だったということで感謝するのはゼクテ的信仰の方であり、都市の下層民の方ではない。またそのゼクテ的宗教性を持ち込んでいるのは遍歴の徒弟であり、都市の貧民層から見ればよそ者で自分達の仕事を奪う可能性が高いもので「好感をもって迎えられ」という訳はその意味でも不適切。
(2)折原訳2の「スローガン」はおそらくSurrogateの発音「スロガーテ」から短絡的に「スローガン」としたもの。実際は代用品、代替物という意味であってスローガンなどという意味はまるでない。英語にも同じ綴りであり、サーラゲイトと発音し「代理人」の意味。Unicodeで異体字や絵文字を表示する仕組みとしてサロゲートペアがある。

この2箇所とも創文社訳は正しく訳しています。「翻訳の体を成していない」のは一体どちらの訳でしょうか?

Gemeindeについて更に補足ーGemini+ChatGPT

Gemeindeに「信徒の集まり」と言った意味が追加になった時期をGeminiで、それに関連するルターの発言をChatGPT5.2で更に調べました。
ともかくも折原センセがゲマインデ(Gemeinde)について述べていることは全てデタラメですので、忘れてください。折原センセに限らず日本のヴェーバー学者で下記に書いたレベルの説明をきちんと出来る人は皆無でしょう。


ドイツ語のGemeindeで一般的な「地方の集落、村、町」などといった意味から、宗教上、特に初期キリスト教のエクレシア(信徒の集団)を意味するようになったのは歴史的に見ていつ頃からですか?ルターはその聖書訳でエクレシアをKircheではなくGemeindeと訳しています。

Gemini
ドイツ語の **Gemeinde(ゲマインデ)** が宗教的な意味(信徒の集団)を持つようになった経緯と、ルターの翻訳における意義については、キリスト教史とドイツ語史の両面から非常に重要なポイントが含まれています。

結論から述べますと、**「Gemeinde」が宗教的な集団を指す言葉として確立・定着したのは、中世後期(14世紀〜15世紀)から宗教改革期(16世紀)にかけて**です。

以下に、その歴史的変遷を詳しく解説します。

### 1. 「Gemeinde」の語源と初期の用法

元々「Gemeinde」は、古高ドイツ語の *gimeinitha*(共通の、公共の)に由来します。

* **初期の用法:** 12世紀頃までは、主に「(草地や森林などの)入会地(いりあいち)」や、それを共有する「村落共同体」という、世俗的・法的な土地利用の共同体を指す言葉でした。
(丸山補足:中世ドイツのマルク共同体で、共有の土地Allmendeを管理する共同体がGemeinde。)
* **集落から集団へ:** 地方の集落(村)において、住民が共同で物事を決定する「人々の集まり」そのものを指すようになり、そこから徐々に「自治組織」としての意味を強めていきました。

### 2. 宗教的意味への転換(中世後期)

「Gemeinde」が教会的な文脈で使われ始めたのは、14世紀頃の**「神秘主義」**や**「托鉢修道会」**の影響が大きいとされています。

* 彼らは、ラテン語の *communitas*(共同体)や *congregatio*(集会)をドイツ語に訳す際、当時すでに世俗の自治組織として機能していた「Gemeinde」という言葉を転用しました。
* これにより、単なる「村の住民」ではなく、「同じ信仰を持つ人々の集まり」というニュアンスが加わり始めました。

### 3. マルティン・ルターによる決定的な定義

質問にある通り、ルターが聖書をドイツ語に訳す際、ギリシア語の **ekklesia(エクレシア)** を「Kirche(教会)」ではなく「Gemeinde」と訳したことは、言語史上の大事件でした。

* **ルターの意図:** ルターは「Kirche」という言葉を、当時のカトリック教会の「階層組織(教皇や司教といった権力構造)」や「石造りの建物」を想起させるものとして嫌いました。
* **エクレシアの再定義:** 彼は、新約聖書の *ekklesia* の本質は「呼び集められた人々の集まり(キリスト信徒の会衆)」であると考えました。そこで、当時の人々にとって身近で、かつ「対等な人々の集まり」というニュアンスを含んでいた **Gemeinde**(あるいは *Versammlung*「集会」)を選んだのです。
(丸山補足:ギリシア語ἐκκλησία(ekklesia)は「呼び出す(ek-kaleō)」に由来し、「神によって召し集められた(召命を受けた)者の集まり」を意味する。
ルターがこれをKircheではなくGemeindeと訳したことにより、制度的教会から信徒共同体への神学的転換が行われた。)

### 4. 歴史的な時期のまとめ

* **12〜13世紀まで:** 主に「共有地」や「村落共同体」という世俗的な意味。
* **14〜15世紀:** 宗教的な「信徒の集い」を指す言葉として、一部の神学や説教の中で使われ始める。
* **1520年代(宗教改革):** ルターによる聖書訳と神学的主張によって、「Gemeinde = キリスト教徒の共同体(エクレシア)」という定義がドイツ語圏全体に決定的に定着した。

### 補足:ルターのこだわり

ルターは1530年頃の著作で、「Kirche(教会)」という言葉はドイツ語として曖昧であり、盲目的であると批判し、**「キリスト教徒の聖なる人々(ein heilig christlich Volk)」**こそが真の意味であり、それを最もよく表すのが「Gemeinde(共同体)」であると述べています。

今日、ドイツ語で「市町村(自治体)」と「教区・信徒集団」の両方を Gemeinde と呼ぶのは、この宗教改革期の「信仰の共同体」と「生活の共同体」が密接に結びついていた歴史の名残なのです。


現代においては、地域共同体の意味のGemeindeは地方自治体などで元々がゲマインシャフトとほぼ同義だったのに比べれば明らかにゲゼルシャフト化されたものに変わっています。こうした変遷はいつ頃発生したのですか?

Gemini
現代の「Gemeinde(自治体)」が、かつての有機的な**ゲマインシャフト(共同体)から、機能的・事務的なゲゼルシャフト(社会・団体)へと変質した過程は、主に19世紀のプロイセン改革から20世紀の「地域再編(Gebietsreform)」**にかけて段階的に進みました。

特に決定的な転換点は、以下の3つの時期に集約されます。


1. 近代自治の誕生:シュタインの都市条例(1808年)

それまでのGemeindeは、地縁や血縁、あるいは「教会教区」と分かちがたく結びついた自然発生的な集落共同体でした。

  • 変遷の契機: ナポレオン戦争に敗北したプロイセンで行われた「シュタイン・ハルデンベルク改革」です。

  • 内容: 国家が行政効率を上げるため、Gemeindeを「国家の末端組織」として法的に定義し直しました。これにより、住民は「共同体の仲間」であると同時に、法に基づく「市民・納税者」というゲゼルシャフト的な側面を持つようになりました。

2. 産業革命と世俗化(19世紀後半)

19世紀後半、都市化が進むことで、Gemeindeの性格は決定的に変わります。

  • 機能の分離: 以前は生活・信仰・行政が一体でしたが、都市への人口流入により、伝統的な「村の掟」では統治できなくなりました。

  • 公共サービスの導入: 上下水道、ガス、電気といった「インフラ提供組織」としての役割が肥大化し、Gemeindeは住民にとって「サービスを提供する官僚組織」へと変質していきました。

3. 20世紀後半の「地域再編」(1960-70年代)

現代のゲゼルシャフト化を完成させたのが、1960年代後半から70年代にかけて旧西ドイツで実施された**地域再編(Gebietsreform)**です。

  • 合併の強制: 経済合理性と行政効率を追求するため、数千の小さなGemeinde(伝統的な村落)が強制的に合併され、巨大な「統合自治体(Einheitsgemeinde)」となりました。

  • 結果: この時、物理的な「村(Dorf)」としてのゲマインシャフトと、行政単位としての「Gemeinde」が完全に切り離されました。役場は遠くなり、住民は単なる「行政サービスの受益者」というゲゼルシャフト的な関係に固定されました。


概念の変遷まとめ

時代 形態 性格(テンニース的解釈)
中世〜近世 自然村・教区 ゲマインシャフト(本質意志、全人格的結合)
19世紀 近代自治体 移行期(法制化と市民意識の芽生え)
1970年代〜現在 統合自治体 ゲゼルシャフト(選択意志、事務的・機能的関係)

現代の揺り戻し

面白いことに、現代ドイツではこの「ゲゼルシャフト化」しすぎた自治体への反省から、**”Bürgerschaftliches Engagement”(市民参加)**を促し、人為的にゲマインシャフト的な「温かみ」や「つながり」を取り戻そうとする政策が盛んに行われています。

ルターが求めた「信仰による自発的な集い」としてのGemeindeという理念は、皮肉にも現代では行政(Gemeinde)の手が届かない、ボランティア団体やNPOなどの活動の中にその面影を探すことができるかもしれません。

この「行政の巨大化とコミュニティの喪失」というテーマについて、さらに特定の歴史的事件や、現代のドイツの事例について詳しく知りたい部分はありますか?


そういう意味でGemeindeというドイツ語には現代ではゲマインシャフトの意味とゲゼルシャフトの意味が両方含まれていると解釈していいですか?

Gemini

その通りです。現代のドイツ語における Gemeinde は、まさに**「ゲマインシャフト(共同体)」としての歴史的・感情的な根源と、「ゲゼルシャフト(利益社会・組織)」としての近現代的な実態**が同居した、非常に重層的な言葉であると解釈できます。

一つの言葉の中に、相反する二つの概念が地層のように積み重なっている状態です。


1. ゲゼルシャフトとしての「Gemeinde」

現代のドイツ人が日常で「Gemeinde」と口にする際、まず意識されるのはこちらです。

  • 法的・行政的実体: 予算、税収、ゴミ処理、建設許可などを司る**「最小の地方行政機関」**です。

  • 契約的関係: 住民はそこに「所属(帰属)」しているというより、住民登録という「手続き」を経てサービスを受ける「顧客」や「納税者」に近い関係にあります。

  • 合理性: 1970年代の地域再編を経て、歴史的なつながりよりも「人口規模や効率」で区画が決まる、機能優先の組織となっています。

2. ゲマインシャフトとしての「Gemeinde」

しかし、言葉の響きの中に潜む「共同体」としてのニュアンスも死んでいません。

  • アイデンティティの拠り所: サッカークラブや消防団(Freiwillige Feuerwehr)、伝統行事の文脈では、Gemeindeは依然として**「我々(Wir-Gefühl)」という連帯感**を象徴します。

  • 宗教的文脈: ルター以来の伝統である「信徒共同体(Kirchengemeinde)」としての意味では、今もなお全人格的な結びつき(ゲマインシャフト)を指し続けています。

  • 連帯の呼びかけ: 政治家が「我が共同体(Unsere Gemeinde)のために」と言うとき、それは単なる行政機構のことではなく、助け合う「運命共同体」としての感情に訴えかけています。


二面性の構造図

側面 基盤となる意志 具体的な現れ 典型的な訳語
ゲマインシャフト的 本質意志(感情・伝統) 教区、祭礼、ボランティア、村の結束 共同体、会衆
ゲゼルシャフト的 選択意志(目的・合理性) 役場、条例、税金、インフラ整備 自治体、町村

なぜ両方が含まれていることが重要なのか

この二面性は、ドイツ社会の**「補完性の原則(Subsidiarität)」**を理解する鍵になります。

ドイツでは「できるだけ身近な共同体(Gemeinde)で問題を解決する」という思想が強いですが、これは「行政サービス(ゲゼルシャフト)」としての側面だけでなく、「住民同士の助け合い(ゲマインシャフト)」が機能することを前提としているからです。

つまり、ドイツ語の Gemeinde は、「冷徹な行政機構」と「温かな人の集まり」の間を、文脈に応じて絶えず揺れ動いている言葉だと言えます。

もしこの「言葉の重層性」という観点から、さらに別の単語(例えば VolkStaat など)との関係性にも興味がおありでしたら、さらに詳しく掘り下げることができます。いかがでしょうか?

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ちなみにChatGPT5.2に教えて貰った上記のルターがKircheではなくGemeindeと訳すべきと述べている箇所:

Martin Luther, Von den Conciliis und Kirchen (1539)
WA 50, S. 628ff.(Weimarer Ausgabe)

Denn das Wort ecclesia heißt eigentlich eine Versammlung, Haufen oder Gemeine,
und sollte nicht Kirche, sondern Gemeinde oder Versammlung heißen.

(WA 50, 629)

直訳:「ecclesia という語は、本来、集まり・群れ・共同体を意味し、
Kirche ではなく、Gemeinde あるいは Versammlung と訳されるべきである。」

Kirche ist ein deutsches Wort und bedeutet eigentlich ein geweihter Bau.
Aber das griechische ecclesia bedeutet die Gemeine der Gläubigen.

(WA 50, 630)

直訳:「Kirche とは本来、聖別された建物を意味するドイツ語である。
しかしギリシア語の ecclesia は『信者たちの共同体』を意味する。」

グリムのドイツ語辞書によるGemeindeの説明

グリムのドイツ語辞書で、改めてGemeindeを調べてみました。何度も強調されているのはゲマインシャフトとほぼ同じことで、どちらかというとゲマインシャフトの共有資産とかそういう意味があるということです。そして「教団」の意味が出て来たのは後からで、そこでも「信仰ゲマインシャフト」となっており、初期のキリスト教でのエクレシア(=教会)が挙げられています。
折原センセの「そこで、祭司などの礼拝スタッフと平信徒大衆との権利-義務関係が、制定秩序によって規制されるようになり、平信徒がこの制定秩序に準拠して積極的にも参与するようになると、ゲマインシャフト関係一般ではなく、ゲマインデとなる。」(他の論考では「「ゲゼルシャフト結成に媒介された近隣ゲマインシャフト群としての『ゲマインデGemeinde』」という一般概念」)は完全な誤りです。ヴェーバーのゲマインデは彼が特別に定義した用語ではなく、一般的な用語として使っています。以下のように既にルター聖書でἐκκλησίαの訳として使われています。(ルターはおそらくKircheと訳すとローマ教会という連想が働くのを嫌ってわざわざGemeindeを選んだのだと思います。プロテスタントの万人司祭主義にも通じます。)

ルター訳聖書(1545)使徒言行録 8:1
Es erhub sich aber zu der Zeit eine große Verfolgung über die Gemeinde zu Jerusalem;
(Nestle Greek New Testament 1904:Ἐγένετο δὲ ἐν ἐκείνῃ τῇ ἡμέρᾳ διωγμὸς μέγας ἐπὶ τὴν ἐκκλησίαν τὴν ἐν Ἱεροσολύμοις·)
(共同訳2018:その日、エルサレムの教会に対して激しい迫害が起こり)

要するに社会学としての正しい把握は
(1)最初は信仰共同体(原始キリスト教では召命共同体)であるゲマインデとして始まり
(2)その内規模が拡大し、内部に制定律が作られゲゼルシャフト化し
(3)次にそのゲゼルシャフトが大きくなってローマ教会のようになり
(4)最後は幼児洗礼によって自動的にその組織のメンバーになるというアンシュタルトになる
というのが宗教関係の集団の発展図式になります。

折原センセのゲマインデに関する誤解は、要するに誤読です。:
Die »Gemeinde« in diesem religiösen Sinn — die zweite Kategorie von Gemeinde neben dem aus ökonomischen, fiskalischen oder anderen politischen Gründen vergesellschafteten Nachbarschaftsverband —

「こうした宗教的意味のゲマインデ は、経済的、財政的、あるいはそれ以外の政治的理由でゲゼルシャフト関係に編成された近隣団体と並ぶ、ゲマインデの第二範疇であって、」
というヴェーバーによるゲマインデの説明において、「ゲゼルシャフト関係に編成された」は通常の意味でのゲマインデ(地方コミュニティ)だけにかかる形容なのを、第二範疇(=教団)にもかかると誤読したからでしょう。

初期キリスト教徒の社会層

初期のキリスト教徒(使徒言行録に出てくるような)がどういう人達だったかですが、ウェイン・A・ミークスの本(「 古代都市のキリスト教: パウロ伝道圏の社会学的研究」)に 紹介されているロナルド・ホックの研究(「天幕づくりパウロ – その伝道の社会的考察」)によればパウロが伝道の旅で接触したのは「政府役人、商人、放浪者、病人、書簡配達人、観光客、逃亡奴隷、逃亡者、囚人、競技者、職人、教師、学生」とあります。おそらくこの内容が初期キリスト教徒の信徒層にも近いのではと思います。職人はあくまで一部。ヴェーバーの都市の職人層を中心に信徒を集めたというのは、まったく歴史的事実に反します。そういうちゃんとした職業を持った人より、むしろ当時のボヘミアン達です。そういう人達が共同生活をして終末の訪れを予期しながら暮らしたというのが、歴史的に妥当な実像です。

上記の内奴隷については、パウロがコリント人への手紙Iでわざわざ言及しています。初期信徒の中に一定数奴隷がいたからこそだと思います。

折原浩先生訳の問題点(13)

まあ次から次に出て来ます。(笑)

原文
Der Handwerker speziell hat ferner während der Arbeit wenigstens bei gewissen, in unserem Klima besonders stark stubengebundenen Gewerben — so in den Textilhandwerken, die daher überall besonders stark mit sektenhafter Religiosität durchsetzt sind — Zeit und Möglichkeit zum Grübeln.

折原訳
加えては、とくに職人の場合、労働しながら沈思黙考する時間と可能性に恵まれる。少なくとも、われわれ[北欧]の気候風土のもとで、労働が屋内作業とならざるをえない、いくつかの業種については、しかりであり、ゼクテ的宗教性が、そうした条件にある繊維産業の手工業者に、とくに顕著に浸透したのも、そのためであろう。

丸山訳
更に職人は特別に、その仕事の間に、少なくとも特定の、我々欧州の気候においては多くの場合部屋の中で行わざるをえない 生業[注1]において--繊維職人はまさにそうであり、その者達はそのことによりどこにおいても特別に強く教派的な信仰を作り上げたが--熟考する時間と機会を持っているのである[注2]。

注1:欧州一般の話であり、繊維産業が特にそうだとするならば、寒いから部屋の中で仕事するではなく、基本的に雨が降る可能性があったり強烈な紫外線にさらされる屋外では行えない、という意味。
注2:職人は黙々と仕事をしながら考える時間があるので合理的な信仰になじみやすいと言っている訳だがこじつけにも程がある。黙々と仕事をするなら農民も一緒であり、大体仕事中に考え事などは普通しない。また繊維職人のゼクテ信仰もまったく詭弁である。

この”in unserem Klima”を折原センセは「北欧」と書いています。おそらくは北欧は寒いから部屋の中で仕事する、と解釈したんでしょうが、ここは私が注に書いたようにどちらかといえば雨とか強烈な日差しを避けて、という意味でしかあり得ないです。大体ヘレニズム地域の話をしていてどうして北欧に飛ぶのか。ドイツやイギリスの話だとしても「北欧」ではありません。大体染め物とかは紫外線を避けるために薄暗い室内でやるのを知らないんですかね。私は徳島で藍染めの作業場を見たことがあります。歴史知識もないし、世の中一般の知識にも欠けています。

それから注2はヴェーバー自身への批判。ここは本当にひどいです。

 

折原浩先生訳の問題点(12)

原文
Und der namentlich die in der Hand alter Rohstoffvölker, welche zuerst als »Störer«, dann als einzelne ansässige Fremdbürtige, ihre Kunst anbieten, verbliebenen Gewerbe zur Bindung an Pariakasten verurteilt und auch die Manipulationen des Handwerkers, seine Technik, magisch stereotypiert.

折原訳
古来より原材料を所有し、当初には「旅回りの職人(シュテーラー)[注]」 として、やがては[定住農民の「庭畑地」に住居を与えられて]定住する異郷者として、各人の技を定住民に提供する、そういう「(客人)原料民」に掌握されたままの生業が、パーリア・カーストの専業に拘束されたり、職人の所作やかれの技術が魔術としてステロ化されたりするのも、主としてこうした事情からである。

注釈: 自分の仕事場ではなく、顧客の家に赴いて働くことによって、ツンフトの秩序を「かき乱すstören」者。

丸山訳
そして特に古来からの特定の原材料を供給することを生業とする諸部族、その者達はまず第一に「放浪職人[注]」として、次には個々に住み着いた異邦人として、その技芸を提供し、定住の上での生業がパーリアのカーストに結び付けられ卑賤民の仕事と見なされ、また職人一般の扱いとしても、その技術も、呪術的なものというステレオタイプな偏見を持たれるのである。

注釈: 原語はStörerで元々の意味は「(外部からやって来て)既成の秩序をかき乱す存在」ということ。ここの記述はこの語も含めて特にディアスポラのユダヤ人を想定して考えると分かりやすい。また古代ギリシアのポリスでのメトイコイ(μέτοικοι)の成立事情の説明ともなっている。

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折原訳・注の問題点
(1)古代の初期キリスト教徒の話をして、「都市の職人」を論じているにもかかわらず、「定住農民の「庭畑地」に住居を与えられて」と農村の話にしてしまっている。
(2)「そういう「(客人)原料民」に掌握されたままの生業が、パーリア・カーストの専業に拘束されたり」が意味不明。
(3)注釈のツンフトの秩序以下も意味不明。そもそも中世の話ではないし、またツンフト(ギルド)は遍歴職人をむしろ制度化していた。また「顧客の家に赴いて働く」も意味不明。
(4)ここはほぼキリスト教初期のギリシアの都市においてのメトイコイ(移住外国人)の話であることがまったく分かっていない。

要するにここでもヴェーバーの歴史についての研究の背景がまったく理解されていないということです。メトイコイは「ローマ土地制度史」にも出て来ます。

折原浩による「経済と社会」再構成仮説の評価

このブログを作った元々の目的はオープン翻訳もありますが、第一には折原浩の「経済と社会」再構成仮説を検証することでした。
しかし「宗教社会学」の折原の数々の致命的な誤訳を見ることによってもう私なりに結論が出ました:

ChatGPT5に「不完全な頭を持ったキメラ的トルソ(としての「経済と社会」旧稿)」のお題で描いてもらったもの。(笑)

(1)「経済と社会」の旧稿に「あるべき完成形」など元々存在しない。ヴェーバーは書いている途中で構想を変更し「支配」他を含めた形に変えている。即ちこの旧稿はヴェーバーの思想的変遷に従った流動的な論考である。
(2) 「理解社会学のカテゴリー」はごく一部の社会学的カテゴリーを経済学における「限界効用論」のように試作的にまとめたものであり、(1)の「支配」や「宗教」におけるカリスマの議論で使われるゲマインデ、それ以外にもゲノセッセンシャフト、ケルパーシャフト等々にも定義が与えられていないまったく不十分・未完成なものであり、それが旧稿全体を整然と説明するような理論にはまったくなり得ていない。
(3) 折原の「単頭説」、シュルフターの「双頭説」ではシュルフター説の方が妥当である。但し「頭」ではなく、また旧稿時点では書かれていなかった「社会学の根本概念」については、その内容が先取りされていた、ぐらいの説明が妥当と思われる。
(4) 折原の「宗教社会学」解釈は、無理矢理全ての団体概念を「理解社会学のカテゴリー」で説明しようとしたこじつけに過ぎない。
(5) 折原のヴェーバーのドイツ語読解力には問題が多く、この意味でも「再構成」など出来る能力に欠けている。

この辺り、「宗教社会学」の翻訳が終わったら正式に論文形式にまとめます。

折原浩先生訳の問題点(11)

折原センセは創文社訳がStadtgemeindeを「都市教団」と訳していることを誤訳だと言っているのですが、下記の折原訳と注釈を見る限り、むしろ分かっていないのは折原センセの方で、都市教団で合っています。そもそも都市は既にもっとも普通の意味でのゲマインデであって都市がゲマインデに発展するというのは意味を成しません。

原文:
Und in beiden Fällen hemmten jene Momente sogar, sahen wir, die Entwicklung der Stadt zu einer »Gemeinde« weit stärker als die des Dorfes.

折原訳:
そして、両地域ともに、そうした[宗教的]契機によって、都市がひとつのゲマインデに発展することが、村落がひとつのゲマインデに発展すること以上に、顕著に阻止されたことは、すでにわれわれが見たとおりである 。

折原訳注:
宗教ゲマインデとしての教団と、都市ゲマインデ、村落ゲマインデとの関係。制定秩序の制定によって媒介された近隣ゲマインシャフトのゲマインシャフト結成態というゲマインデの一般概念から、説明。

ここの折原訳と訳注は勘違いも甚だしい、トンデモ解釈です。折原訳はゲマインデを何か村落や都市よりも高次の存在だと思っているようですが、ゲマインデのもっとも普通の意味は同じ場所に住んでいる人の集団(Ortsgemeinde)ということであり、その意味で村落も都市も最初からゲマインデです。なので村落や都市が発展してこの意味のゲマインデになるというのは明らかに論理の破綻です。ここで言っているのはゲマインデがカッコに入れられていることから分かるように、都市が宗教の教団化するということであり、創文社訳の「都市教団」は全く問題のない正しい訳です。そもそもすぐこの前の箇所でミュンスターが再洗礼派に占拠され、財産共有などの過激な政策が採用されたことが出て来ましたが、都市の「ゲマインデ」化とはまさにそういうことです。

折原センセはこの訳を例に出して創文社訳が翻訳の体を成していないと酷評していますが、そういう低レベルの翻訳なのは折原センセの訳の方です。しかも社会学者といいながらこんな基礎概念も分かっていないのですから、全くあきれてものも言えません。「理解社会学のカテゴリー」にこだわるあまり、何でもそこに書いてある図式でしか判断出来ないということでしょう。ちなみに「ローマ土地制度史」では「ゲマインデ」は私の訳で253回も出て来ます。折原センセが言うような「都市の発展した高次の人間集団」などという意味で使われている箇所は一箇所もないことを訳者として断言しておきます。

参考1:この私家版訳をこちらに渡して来た時のメールより:
「じっさい、邦訳文は、基礎概念を表示する術語も、普通名詞と同じように扱って、熟考を凝らしはするのですが、そのときどきのコンテクストに引きずられて、たとえばVergesellschaftung に「利益社会化 (ときには共同体化)」、Stadtgemeinde に「都市教団」という訳語を当てる、といった具合で、読者を、同じ混乱に引き入れ、読解を妨げています。 」

参考2:私が「ローマ土地制度史」の訳でゲマインデに付けた訳注
ドイツ語でGemeindeは「何かを共通にしている人の集団」であって、ゲマインシャフトと意味は近い。しかしゲマインデの場合は Ortsgemeinde として、「ある地域に一緒に住んでいる人の集団」という意味で使われることが多く、地域コミュニティや地方自治体という意味になる。どちらかといえば、行政的・法的に組織された自治体というニュアンスが強いが、ヴェーバーはこの論文では(この論文に限らずと言うべきか)正確な定義無しに多くの地方の集団に対してこの語を使っている。なお、後年の宗教社会学では、ある宗教の教団、例えばキリスト教でのイエス・キリストと12使徒ないしは聖パウロとそれに付き従う人々、といった意味でもゲマインデを使っている。またはカトリック教会での教区という意味もある。

P.S.
別の箇所の折原注を見る限り、ゲゼルシャフトとゲマインデがごちゃごちゃになっています。
「そこで、祭司などの礼拝スタッフと平信徒大衆との権利-義務関係が、制定秩序によって規制されるようになり、平信徒がこの制定秩序に準拠して積極的にも参与するようになると、ゲマインシャフト関係一般ではなく、ゲマインデとなる。」→こんなことは「理解社会学のカテゴリー」にも「社会学の根本概念」にもどこにも書いてありません。また都市は既に十二分にゲゼルシャフトであり、制定秩序は既に存在しています。

そもそもゲマインデは元々は単に同じ場所に住んでいる人たちなので単なる村とかだったのが、それが近代では(主に)地方公共団体(市町村)になっており、前者はゲマインシャフト、後者はゲゼルシャフトであり、単純にどちらかとは言えない、そもそも尺度が違う概念です。

P.S.2
決定的証拠。ヴェーバーの正当的支配の三純型のカリスマ的支配の冒頭で、Der Herrschaftverband ist die Vergemeinschaftung in der Gemeinde oder Gefolgschaft.と教団の意味のゲマインデはゲマインシャフト関係(Vergemeinschaftung)と明記しています。折原注の「そこで、祭司などの礼拝スタッフと平信徒大衆との権利-義務関係が、制定秩序によって規制されるようになり、平信徒がこの制定秩序に準拠して積極的にも参与するようになると、ゲマインシャフト関係一般ではなく、ゲマインデとなる。」はまったく根拠無し。制定秩序に準拠するのはゲゼルシャフト関係。

折原浩先生訳の問題点(10)

今日の所は両者が付けた訳注を比較してください。折原センセのは観光ガイド?おそらく以前訪れたことがあるのでしょうが。必要な事項に注釈がない、どうでもいいことに注釈がある典型例です。

原文
Also eine höchst bunte Mannigfaltigkeit, welche wenigstens dies beweist, daß eine eindeutige ökonomische Bedingtheit der Religiosität des Handwerkertums nie bestand. Immerhin liegt höchst deutlich eine ausgesprochene Neigung sowohl zur Gemeindereligiosität, wie zur Erlösungsreligiosität und schließlich auch zur rationalen ethischen Religiosität vor, verglichen mit den bäuerlichen Schichten, und es ist nur nachdrücklich daran zu erinnern, daß auch dieser Gegensatz von eindeutiger Determiniertheit sehr weit entfernt ist, wie denn die Ausbreitungsgebiete zum Beispiel der täuferischen Gemeindereligiosität anfänglich in sehr starkem Maße besonders auf dem platten Lande (Friesland) gelegen haben und in der Stadt (Münster) zunächst gerade ihre sozialrevolutionäre Form eine Stätte fand.

折原訳
したがって、少なくともこうした諸例の、彩色に富む多様性は、職人層の宗教性を一義的に規定する経済的条件はけっして存立しなかったことを、示しているかのようにも見える。ところが、農民諸層と比較すると、ゲマインデ宗教性、また救済宗教性、ついには倫理的宗教性にも向かう紛れもない傾向が、きわめて明瞭に現れており、ただ、こうした [農民層との] 対照的差異が、けっして一義的に決定されているわけではないことを、再度強調すれば足りる。たとえば、洗礼派の普及地域は、当初とくに顕著に [オランダ北部の] 低地農村地帯 (フリースラント) にあったが、やがて都市 (ミュンスター) で初めて、その社会革命的な形態をとるにいたっている[注1]。 注1:ランベルティ教会の檻。

丸山訳
それ故に非常な程度までに様々な多様性は、少なくとも次のことを証明している。それは職人層の信仰は一義的に経済によって制約されたりは決してしていなかったということである。そうではあっても非常に明確なこととして存在したのは、農民層と比較した場合において、ゲマインデ信仰へと同様に、救済信仰とさらに最終的にはまた合理的で倫理的な信仰へと向かう傾向であり、そしてそのことははっきりと次のことを思い起こさせる。つまりまたこうした職人層と農民層の対立が一義的に決定されるかといえば、実際はまったくそれからは遠く離れたものであり、その例としては再洗礼派の信仰が広まった地域を例に取れば、初期は非常に強い程度で特に平野部(フリースラント[1])に在り、次の段階として都市(ミュンスター[2])においてその社会革命的な形態[3] の実現場所を見出したというのがある。

[1] <丸山>オランダ・ドイツの北海沿岸の低地。16世紀に神聖ローマ帝国のカール5世が併合するまで領主不在の時期が続き、自由な農民が多かった。</丸山>

[2] <丸山>現在のドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州ミュンスター行政管区。ドイツで20番目に大きな都市。</丸山>

[3] <丸山>再洗礼派の指導者のヤン・マティスが1534年2月にオランダからミュンスターにやって来て、同じ月に市参事会選挙で勝利した他の再洗礼派と一緒に成人洗礼を受け入れない市民の追放、財産共有制、一夫多妻制などの革新的な政策を実施した。最終的には1535年6月にミュンスター司教の軍勢が市を包囲して陥落させ、ほとんどの男性は殺され、首謀者3人は処刑されその死体が見せしめのため聖ランベルティ教会の塔に吊された。この反乱は再洗礼派の中では一部の動きであり、再洗礼派全て(全部で60派くらいあった)がこういう動きをしたのではない。またミュンスターにおいての再洗礼派の支持者は都市の下層民であり、職人層ではないことにも注意。更には単純に反カトリックだけでなく反ルター派でもあり、ルター派のように既存の世俗秩序を認めなかった。</丸山>

古キリスト教=都市の職人の宗教というヴェーバー説への反証

ヴェーバーの古キリスト教の信徒の中心が都市定住の職人であったというのが間違っている(一般化が過ぎている)証拠を挙げます。

1.まずパウロは確かにテントの布を作って売っていた職人ですが、ヴェーバー自身が「遍歴の」と書いている通り、若い時はキリスト教徒を弾圧するために、回心してからは布教のためあちこちの都市を旅しており、決して定住の職人ではありません。

2.例えばイエスの12使徒や初期の信奉者に都市の職人はいません。聖書にある通りそれは漁師、徴税人、あるいは元売春婦といった人達です。

3.そもそも都市の職人や小資本家だったのはむしろイエスの最大の敵対者であったパリサイ人です。

4.das alte Christentum = 古キリスト教という言い方自体がそもそも学問的ではなく、いつのどこのキリスト教を指しているかまったく不明です。

5.初期のキリスト教は最終的にカトリックとして正統信仰が固まるまで、様々な、後に異端とされる派が存在しています。例えばグノーシス、モンタノス、エピオン、マルキオンなど。それらが全て都市の職人中心だったということはありません。

6.特に北アフリカに多かったドナトゥス派の信徒は多くが農民、コローヌス、兵士などであり都市の職人では全くありません。

7.「使徒言行録(使徒行伝)」に出てくる初期のキリスト教徒は、召命を重んじる、霊が降ってきて霊に満たされた、などの記述が多く見られ、ヴェーバーの言うUnio Mystica(神秘的合一)型の信仰であって、プロテスタンティズムの禁欲的な生活合理化につながる信仰とは別のものです。(私は大学の時聖書学者の荒井献先生の「使徒言行録」の成立史の授業を受けており、それなりに「使徒言行録」は読み込んでいます。)

8.ここでは「イエス」「パウロ」という固有名を出さず、Sein Heiland, seine Missionare (の内の最大の者)など曖昧な書き方をしています。これは特殊個別事例にしか過ぎないものを敢えて一般的な類型であるかのように見せる印象操作です。

要するにここでヴェーバーがしていることは、禁欲的プロテスタンティズムを担った層(の一部)が都市の職人層であったことを敷衍して、キリスト教自体が当初はやはり都市の職人に担われた宗教であったという、カトリックの否定、プロテスタンティズムから見たキリスト教史の書き換え、新しい神話作りに過ぎないということです。
それから「都市の」の部分も、初期のキリスト教徒はディアスポラのユダヤ人中心であり、故郷を追われたユダヤ人が生計を立てられるのは都市でしかなかったということだというだけです。