立川武蔵のトンデモ論

立川武蔵はインド学・仏教学のそれなりの大家だと思っていましたが、氏の「般若心経の思想史」(法蔵館文庫)を読んでいて啞然としました。何とマックス・ヴェーバーがユダヤ人であると、しかもご丁寧に2回も書いています。そしてヴェーバーがキリスト教・ユダヤ教では人は神の道具、仏教やヒンドゥー教では神の容器にした、と説明しています。(ヴェーバーが「神の道具」としているのはカルヴィニズムのような禁欲的プロテスタンティズムです。「神の容器」は瞑想的な神秘主義{エックハルトのような}です。キリスト教が全部「神の道具」だなどとは全く言っていません。)ちなみに参照しているのは青木書店のウェーバー社会学論集に入っている中間考察です。文学博士、民族博物館名誉教授だそうですが、本当に信じられないほどひどいです。そもそも般若心経の説明にヴェーバーの仮説的分類なんか持ち出す必要はない訳で、これ自体が日本で長くヴェーバーがその言っていることの正しさも検証されず盲目的に受容されて来たことの証拠の一つだと思います。

ヴェーバー当時(1890年代)の「ゲマインデ」の実態資料

加藤房雄先生の本に、「ゲマインデ事典」というのが出て来て、ヴェーバーが土地問題・農業問題を扱う時に参照した統計資料のようです。原題は”Gemeindelexikon für das Königreich Preußen”です。インターネット上で現物を見られます。例えば、https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb11480933?page=12,13

これの中身の分類が、今日でいう地方自治体だけではなく、
Stadtgemeinden(都市型ゲマインデ)
Landgemeinden(農村型ゲマインデ)
Gutsbezirke(大土地所有領域)
となっています。都市ゲマインデがおそらく地方都市など、農村ゲマインデは多くは名前の通り、村でしょうが、その中には、昔のマルク共同体が単に名前を変えただけのものも多く含まれていて、旧マルク共同体の権利者集団が Realgemeinde / Altgemeindeとして新しいゲマインデの中でも依然として権利をそのまま保持した構成員として残っている例があります。
これだけを見ても、折原浩の間違った説明「ゲマインデは地域ゲマインシャフトでゲゼルシャフト化を契機としたもの」という説明がおかしいことは明らかです。ヴェーバーはゲマインデについて何か新しい定義を与えたりはしておらず、当時の歴史的実体としてのゲマインデを使っていることに再度注意すべきです。また、地方自治体とはまったく関係のない大地主の所領も含めて全体でゲマインデとしていることにも注意すべきです。
ただStadtgemeindenのここでの使い方を見て、「宗教ゲマインシャフテン」に出てくるのはやっぱり「都市ゲマインデ」でいいんだ、と勝手に勘違いされると困りますが。(笑)宗教ゲマインシャフテンに出てくるStadtgemeindeは明らかに一つの都市がある教団の拠点化することですから。(そもそもヴェーバーの原文は以下で、Stadtgemeindeという言い方すらしていません。
Und in beiden Fällen hemmten jene Momente sogar, sahen wir, die Entwicklung der Stadt zu einer »Gemeinde« weit stärker als die des Dorfes.)

セレンディピティ

今日は、セレンディピティとはこういうことか、ということを体験しました。
上の写真の右の、加藤房雄さんの「ドイツ世襲財産と帝国主義」を一ヶ月くらい前から少しずつ読んでいたのですが(私はここ数年は10~15冊くらいの本を常に同時に少しずつ読んでいます)、その第三篇「マックス・ヴェーバーのドイツ農業論と世襲財産」の第四章「ヴェーバーの世襲財産論の内容とその意義」のP.153辺りまで読んでいた所、本日書店に行って久し振りに社会学コーナーを眺めていたら、なんとその加藤房雄さんの訳による、ヴェーバーの「ドイツ世襲財産問題の考察-プロイセンを中心に-」の日本語訳を発見したのです!しかも2026年8月20日発売になっていて、フライングゲットです。こういう冗談みたいなことって本当にあるんですね。ちなみにこのヴェーバーの論文は1903年でプロ倫の1年前に書かれております。日本での通俗的ヴェーバー理解だと、精神の病→プロ倫で学者として復活、と思っている方がいらっしゃいますが、事実に反しています。しかし私の「中世商事会社史」「ローマ土地制度史」の日本語訳も、商業出版社が出すにはきついのでオープン翻訳+Amazonでの販売という形にしていますが、それよりもまたある意味マイナーな論文を勁草書房は良く出したなと思います。帯に書いてある「精神論中心から制度論・政策論中心へ!」には拍手を送りたいです。また70代後半というご年齢で貴重な日本語訳を出された加藤房雄さんにも大拍手を送りたいです。こういうのこそ学問です。

「心意倫理」という訳の問題点

折原センセはGesinnungsethikの訳として「心情倫理」は誤訳であり「心意倫理」とすべきだと主張します。
しかし、この主張には色々問題があります。

(1)「心情」は「思い」という意味で、意思も感情も含む語である。
(2)「心意」という日本語は存在しない。
(3)「意」も「思い」という意味であり、必ずしも意思という意味に限定されない。
(4)(3)のことから「心意」は「思い思い」と言っているトートロジーである。
(5)「心意」と聞くと私は「意馬心猿」(=煩悩が制御出来ない状態)を想像する。
(6)Gesinnung自体が「個人の基本的な考え方、心根、心情、志操、主義」であり、必ずしも「意思」的な意味に限定されるものではない。
(7)小学館の独和大辞典のGesinnungの説明の中に「心情」が入っている。

ということから、「心情倫理」の方が「心意倫理」のようなおかしな訳よりもずっと原語のニュアンスを伝えていると思います。
ともかくこの人は「人の目のおがくずを指摘する癖に自分の目の中の丸太に気が付かない」人であり、このレベルのものを「誤訳」とか言う前に、自分の翻訳の質を上げてほしいです。

無教会主義と日本における聖書研究の一つの系譜

私は「ローマ土地制度史」の日本語訳の序文で「日本におけるマックス・ヴェーバー研究はご承知の通り、実質的には1930年代後半に梶山力が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の翻訳を開始したことから始まっており、初期の研究者の多くは内村鑑三の流れを汲む無教会主義のクリスチャンでした(例えば梶山以外に、大塚久男、内田芳明、関根正雄など)。」と書きました。

しかしヴェーバー研究に留まらず、日本における聖書を学問的に研究する流れにも、無教会主義は大きな影響を及ぼしています。簡単に図示すると、
内村鑑三(1861年~1930年)→
塚本虎二(1885年~1973年)→
関根正雄(1912年~2000年)、前田護郞(1915年~1980年)→
佐竹明(1929年~2024年)、荒井献(1930年~2024年)、八木誠一(1932年~)、田川建三(1935年~2025年)

という流れになります。佐竹明以降の四人はおそらく無教会主義ではありませんし、田川建三に至っては「神を信じない」と公言している人です。塚本虎二は岩波文庫の「福音書」の翻訳者として知られています。

そして佐竹明、荒井献、八木誠一の3人は私の出身学科である教養学部教養学科ドイツ科の1953、54、55年の卒業生です。

そもそもこの流れを作ったのは、1949年に東大の教養学部長になった(1951年には東大の総長にもなった)矢内原忠雄です。矢内原忠雄自身がその前の東大総長であった南原繁と同じく、内村鑑三の教えを受けた無教会主義のクリスチャンです。そして矢内原忠雄が教養学部で一般教養を教えるだけではなく、卒業生を出したいということで1951年に後期課程である教養学科を創設し、その大学院に西洋古典科を作り、戦争中ずっとドイツとスイスに留学していた、同じ無教会主義の聖書学者の前田護郞を招聘します。その元でドイツ科から3人の聖書研究者が育った訳です。なお田川建三は3人と同じコースを取りたくて前田護郞を訪ねていますが、「それだったら佐竹明君に聞いてみたまえ」と冷たくあしらわれて、宗教学の大畠清の勧めもあって本郷の宗教学科に進み、大学院で駒場の西洋古典科に進んでいます。(ちなみに、私の推測ですが田川建三が荒井献をある意味ヒステリックに批判するのは、3人とは違うコースで来たということである種の外様意識があったのではないかと思います。)

私は教養学科時代の最後の学期に半年だけですが、荒井献先生から教えを受ける機会がありました。その私が今「宗教ゲマインシャフテン」の日本語訳をしているというのも、何かの縁を感じます。まあ聖書学については門前の小僧以外の何者でもありませんが。

また、戦後のアノミー状態で、知識人に大きな影響を与えたのはマルクス主義とキリスト教だと思います。日本でのマックス・ヴェーバーの受容というのはこの両方に深く関係している訳です。

辞書は新しい方がいいか?

宗教社会学の次の箇所:
Ganz im Gegensatz dazu gilt in der Vergangenheit die Stadt als Sitz der Frömmigkeit, und noch im 17. Jahrhundert erblickt Baxter in den (durch hausindustrielle Entwicklung herbeigeführten) Beziehungen der Weber von Kidderminster zur Großstadt London ausdrücklich eine Förderung der Gottseligkeit unter ihnen.

ここのBeziehungenをどう訳すか?おそらくは皆様の手持ちの新しい独和辞典には「関係」の意味しか載っていないと思います。
しかし写真にあるようにここは「移住」という意味です。

私の訳:
しかしそれとは正反対に過去においては、都市こそが敬虔的信仰の中心地だったのであり、17世紀においてもなおバクスターは(手工業の発展の結果としての)キダーミンスターの織工の大都市ロンドンへの移住について、それが明らかにその者達の間で神への敬虔な信仰が進んだ印と捉えていたのである。

この単語の本来の意味は「移住」で「関係」は後から派生した意味ですが、しかし現在では「移住」の意味は廃れたので、新しい独和辞典にはこの意味が出ていません。写真は1963年の木村相良独和辞典のコンパクト版です。この辞書は古いドイツ語文献を読むときには良いと故麻生建先生に教わって、ヴェーバーを訳す時はほとんどこれです。

異常に静的なヴェーバーの社会学理論

ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」で歴史がまったく説明出来ない例です。 「理解社会学のカテゴリー」では、ゲマインシャフト行為からゲマインシャフトが形成されると読めます。 このように人間の行為によって何らかの集団が結成される例があるかというと、それはあります。但しそれが例えば古代ローマの軍団がある部族を戦いで打ち破りその部族の生き残りを奴隷にした場合を考えると、この奴隷の集団は明らかにローマ軍の指揮者と兵士の戦いという行為によって作り出されたものです。しかしその行為において、ローマ軍と相手の部族は慣習も習俗も法規も何も共有しておらず、単にお互いに敵として戦っただけなので、ローマ軍の行為はゲマインシャフト行為ともゲゼルシャフト行為ともまったく定義付けられません。こういった事例は現在では稀でしょうが、古代ローマの時代ではきわめて普通の事例であり、それがまったく説明出来ないカテゴリーには一体何の意味があるのでしょうか。

ということを考えて、さらによく考えてみたら、カテゴリーに留まらずヴェーバーの著作全体で「戦争」とか「革命」と言ったものを正面から論じたものがほとんどないことに気が付きました。支配も秩序も官僚制も既に出来上がっているものを後から説明するような静的なものばかりで、そうった秩序や社会が他の例えば国家との戦いで崩壊したり、革命が起きて秩序がひっくり返ったり、そういったことが全く論じられていないように思います。これはある意味同時代のマルクス主義的な思想から距離を置いているとも読めますが、要するに自分の属するブルジョアジーの価値観の反映であり、革命も戦争もネガティブにだけ捉えているということかと思います。この辺りがマンハイムが批判したように、ヴェーバーが価値自由を唱えていながら、その背後にかなり強い価値判断が存在しているという一つの事例でもあります。更にもう一つ言うならば、結局ヴェーバーは最初に学んだ法学の思考パターンから抜け出せていないのかとも思います。法学は基本的に秩序が存在することを前提とした学問であり、戦争法学、革命法学といったものは存在しません。更にいえば19世紀のドイツの社会科学全体を支配していた「官房学(国家学)」の伝統から抜け出していないとも言えると思います。(ヴェーバーへの国家学の影響は、牧野雅彦氏の「マックス・ウェーバーの社会学 『経済と社会』から読み解く」を参照。)

マックス・ヴェーバーとファイヒンガー

ファイヒンガーの「かのようにの哲学」は彼が主宰していた哲学雑誌のKantstudienに連載されていたものです。問題はヴェーバーがこの雑誌を読んでいたかどうかですが、このページを見ると、この雑誌の編集をジンメルとヴェーバーの弟のアルフレートが手伝っていた、ということなので、これはもうヴェーバーが目を通していたのはほぼ間違いないですね。他にもディルタイやヴィンデルバントも編集メンバーであり、むしろヴェーバーが読んでいない方が不自然です。下記の表紙の写真は1899年のもの。

ヴェーバーの著作は体系的か?

再度折原浩先生から引用「ヴェーバーの「宗教社会学」を、基礎カテゴリーから体系的に読めるように」、しかしヴェーバーの論考、文章はそもそもそんなに体系的なものなのでしょうか?

向井守「マックス・ウェーバーの科学論」P.249
「全体として彼の理想型(注:向井は「理念型」ではなく「理想型」)を見ると、限界効用学派経済学、歴史学派経済学、マルクス主義経済学、さらには法学、政治学、宗教学についての巨大な知識を背景にして彼の思想がとめどもなく爆発的に噴火し、体系的には制御しがたく奔流しているような印象を受ける。」

ヴェーバー「ローマ土地制度史」第2章注102より
「(前略)この論文の大部分の記述と同様に、そこにおいては学芸における最も困難なこと、つまり”ars ignorandi”(重要ではない情報を無視し、本質的な部分に集中するという学問・討論上の技法) が何重にも失われてしまっているのである。私は次のことを確かに自覚している。つまり私の記述において明確化という意味で成功していない多くの命題が見出され、それらについては個々の[文献]調査によって再検証されなければならないということである。それについてはただ私が、ここで提示した見解について、それをより大きな因果連関の中で検討する試みをせず、ただそれを何としても記述しなければならないという強迫観念に駆られていたことに、自分で気が付いていなかったと言える。 」

この2つの例を見るだけでも、ヴェーバーの論文というのは頭の中に浮かんで来た様々な雑多な知識をとにかく並び立てなければ気が済まない、といったもので、「体系的」な論文とはおよそ正反対であることが分かります。(こういうと差し障りがあるかもしれませんが、双極性障害の患者の躁状態の時の思考パターンとしては非常に典型的です。)

折原浩先生のやろうとしていたのは、元々まったく体系的でないヴェーバーの「経済と社会」を無理矢理「理解社会学のカテゴリー」の概念で統一的に構成されていると事実に反することを仮定して解釈しようとした、「想像の産物」であることを再度強調させていただきます。

「経済と社会」はもっとも教科書を書いてはいけないタイプの学者が無理に教科書を書こうとした、元々無理ゲーです。(笑)

ヴェーバーの学問は科学か?

カール・ポパーという哲学者がいて、最近日本でもすっかり有名になっているアドラー心理学を科学ではない「疑似科学」と批判しています。その理由は
(1)反証することが不可能→そもそも明確な根拠も不明な諸前提に基づいた論で、科学的なエビデンスを出して反証することが不可能。
(2)なんでももっともらしく説明してしまう。
の2つです。
これってよく考えたら、ヴェーバーの学問にもそのまま言えるのではないでしょうか?プロ倫におけるヴェーバーテーゼはきわめて知名度が高いですが、そもそも本人が証明に失敗しているし、またはっきりと誤っているという証明に成功した人もいません。即ち反証不可能。
また、ヴェーバーの宗教社会学を見れば、色んなことをもっともらしく説明するのばかりだということは誰でも読めば分かります。
これって、誰でも気付きそうな内容なのにこれまで主張している人を見たことがありません。もしかするとこのことを明らかにするとヴェーバー教団から刺客が送られて暗殺される?(笑)
ちなみに前の投稿で、ヴェーバーの理念型のファイヒンガーの「かのようにの哲学」の影響を論じましたが、アドラーもまたファイヒンガーの「かのように」を心理学に応用した人です。
(余談ですが、私はブームになるはるか前からアドラー心理学は知っています。昔Nifty Serveの外国語フォーラムで野田俊作さんという日本におけるアドラー心理学のエヴァンジェリスト的な人と知り合いだったからです。岸見一郎氏はちなみにそのフォーラムのシスオペ{会議室管理者}でした。岸見氏のアドラー心理学は元々野田氏から教わったもの。)