「ローマ土地制度史―公法と私法における意味について」の日本語訳の第63回目です。
この辺りはヴェーバーが1年間の軍役に従事している時に書かれたもので、そのせいか文法的に破格な文章が多く、かなり意味を取るのに苦労しました。
なおかつ驚くのは、アウグストゥスが実施したケンススによって、マリアとヨセフがベツレヘムに帰郷しそこでイエスが産まれる、という話がルカ福音書に書いてあるのはクリスチャンなら常識ですが、ヴェーバーはそれをマタイ福音書と間違えています。(序文で訂正しています。)後年宗教社会学をやる人とはまるで思えないお粗末さです。
序文でそこを訂正しているのは、読んだ人にすぐ指摘されたのでしょう。
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コローヌスの夫役はそこから、既に引用済みのアフリカの碑文にて、モムゼンが主張したように、ゲマインデ、例えば Genetiva≪Julia Genetiva Ursonesis、スペイン≫によって課された夫役に完全に相似するものとして取り扱われ 68)、まるで公的に課された労働であるかのように見なされ、その場合には請負人[conductor]にそれを扱う職権が与えられたのである。
68) Genetiva の法規、c.98。
コローヌスの土地に関しての所有権についての全ての法的な争いが行政的に解決された、ということは、第三章にて詳論した内容によって明らかである。請負人が賃借している土地の内の一区画を誰か他の者に与えることを許すのを望んだかどうかは、もちろんその請負人の意向によるものであった。アフリカにおける現金での税支払者の土地区画の状況も前の章で詳しく述べた通り同様であった。ここでの土地の所有は属州総督の職権と行政が関与するものとしてのみ可能となっていた。というのは結局のところは、イタリアにおける例外扱いの土地や、アフリカにおいて永代小作地とされた ager privatus vectigalisque においてのように、コローヌス達は事実上は地主から土地を借りているだけの存在であり、いずれの場合もムニキピウムの司法当局が関与することはなく、可能であったのはより上位の裁判所への訴えであり、それは何よりもただローマの中央裁判所への訴えであった。後の帝政期にはこの制度は色あせたものとなり、コローヌスに留保条件付きで許されたのは、正規の裁判官に対して地主を訴えるということで、特にそれはまた次のケース、つまり地主がコローヌスへのそれまでの賃貸料を引き上げようとした時 69) に起きていた。
69) ユスティニアヌス法典のXIの章の49。
つまりまたここで起きていたことは、元々の国家の賃貸人と元々の私的な賃貸人の区別が無くなって一まとめに扱われているということであり、国家の直轄地の大規模賃借人がその下の小規模な賃借人に対して行うことが許されていなかったこと――つまり賃貸料の値上げが――他の占有者達に対しても禁じられていた、ということである。他の条件においても同じにすることが行われていたが、この値上げ禁止ということはしかしコローヌスにとって有利なことだった。次のことは既に何度も主張して来た。つまり分割されていないまとまった土地の所有には、明らかに個々の土地領域 70) を測量によって境界線をはっきりさせるということは必要ではなかった、ということである。
70) 何度も考察して来たアフリカの saltus Brinitanus の碑文は、確からしいこととして、測量が行われており、その碑文は tabularium principis ≪銅板に刻まれた法規≫を引用してかつ測量地図を参照しており、このケースでは2種類の書類上にその法規に近い規定が含まれていた。
いずれの場合も使用料として税金を払う土地領域とそしてまた例外扱いされた土地においては、コローヌスがその土地の所有権を得るということが起きていた可能性がある。この点については、コローヌスが自分の所有する土地を任意に売却出来るかどうかということは、恐らくは後に、コローヌスの大地主への依存関係が深く根を下ろした状態になった時には、疑義が生じていた。そしてそれは結局は許されない、ということで決定され 71)、それ故に所有権のある所有というものは、土地所有の変更という点においては、元々の貸借地としての所有ということと同一視され、何故ならば明らかにコローヌスの労働奉仕はその者が所有する全ての土地所有に課せられている負荷として、10人組による奉仕やそれに類似のものとして取り扱われたからである 72) 。
71) テオドシウス法典 1 ne col[onus] insc[io] dom[ino] 5, 11 (ウァレンティヌスとウァレンス):”non dubium est quin non licet “[合法的でないことは疑いの余地がない。]。
72) テオドシウス法典 2 de pign[oribus] 2, 30 は奴隷、代理人、コローヌス、管理人、請負業者が地主の土地を担保にして借金することを禁じており、そしてテオドシウス法典 1 quod jussu 2, 31 は次のように規定している。それは今挙げた者達が借金をしたことについては、地主は義務を負わない、ということである。これらの法文は明らかに次のことによって生じた混乱について扱っている。それはコローヌスが所有権を保持する土地と賃借料を払わなければならない地主の土地が明確には区別されていなかった、ということである。
出生と行政管理上の出生地への送還
また別の方向への動きとして次のことが登場して来る。つまり、公的な負荷を負わされた者に対して、10人組ないしはそれに似た制度による取扱いの一つで、それはこれまで述べて来た地主とコローヌスとの間の関係形成と類似している。あるゲマインデに所属しているということとそこから生じる全ての帰結は、ローマ帝国に属する者の出生地と結び付けられていた。コローヌスにおいてはこのことは、その者がそこで生まれた土地領域が存在する地域、ということであった。他の全てのゲマインデについては、それが許されていた場合には、自由に≪名目上の出生地を≫設定することが出来た。しかしここにおいてまた見出されることは、公的な労働奉仕を義務付けられていた者の自由移住権は、帝政期には事実上まだ非常に強く制限されていた、ということである。ある確実な程度まで、このことは常に起きていたことである。元老院議員に対しては、まだ会期が先に残っているのに帰郷する場合には、周知のように先行して≪ローマに戻ってくる保証のための≫担保を取ることが行われていた。元老院の会議に直接的な強制で連行するのは、適当な手段ではなくかつ実行不能とおそらく考えられていたのであり、また法的には許されないこととされていた。帝政期になると一般にはこうした担保による間接的な強制に代わって、違反の際には行政的な現物執行が行われることとなった。新約聖書のルカによる福音書が書かれた頃においては≪ヴェーバーはここをマタイによる福音書と間違えていた。正直な所、とてもキリスト教徒とは思えない初歩的なミスである。クリスマスイブの教会では必ずルカ福音書の第2章が朗読される。参考:ルカ福音書の第2章冒頭「イエスの誕生 1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」新共同訳≫、一般的な意識として次のことが許可されていると考えられていた。つまりケンススのために属州民が自分の出生地に赴くことが必要とされる、ということであり、それについてはアウグストゥスによるケンススの記録が示している。ウルピアーヌスの時代になると、次のことはもう疑義を持たれなかった。つまり10人組は自分の出生地が属しているゲマインデに強制的な形で帰されることが行われ得たということである。もし諸ゲマインデが相互にまたはある土地領域について、次の点で訴えを起こした場合には、つまりある土地区画及びそこに見出される人員が、そのゲマインデの領地に属しているのかということと、それ故にその人員はそのゲマインデに対して納税と兵士への応召義務があるのか、という点であるが、その場合は controversia de territorio に基づいて行政上の手続きとして裁かれたのである。既にウルピアーヌスの時代にはそういった争いの際には、”vindicatio incolarum” [住民の返還請求]という言葉が使われていた。次のことは自明である。つまり土地に依存しているコローヌス達の場合は10人組の一員以外の何者でもないとして取り扱われ、それはその者達が公的なまた準公的な義務、例えば夫役、を行うべきとされている限りにおいてそうであった。コローヌス達は行政的な方法でその出生地に送還された 73)。
73) Revocare ad originem bei Curialen [元のクリアに呼び戻すこと]D.1 de decurionibus 50, 2 (ウルピアーヌス)。テオドシウス法典 16 de agent[ibus] in re[ebus] 6, 27。そこから派生して curiales originales [元々のクリア]テオドシウス法典 96 de decur[ionibus] 12, 1。鉱夫のその出生地への変換 テオドシウス法典 15 de metallar[iis] 10, 19。こういった手続きの行政的な性格を記述している箇所は 1.1 de decur[ionibus] の本文にある。コローヌスにおいてのこの手続きが、本来行政上の処理であったことを記述しているのは、そのことを扱っている箇所の本文全体であり、同様に、行政法において元々の出生地を再確認するということを扱っているのは:テオドシウス法典 1 de fugit[ivis] col[onis] 5, 9。ここにおいてもまた個人の身分に基づく権利と私権として通用する規範を作り出すための行政上の手続きが形成されているのであり、更にはあるゲマインデへの帰属に対して婚姻が果たす作用についても同じであり、というのもケンススへの登録にあたっては、ゲマインデへの帰属と土地への帰属が規制されねばならなかったからである。次のことは非常に自然なことである。つまりその際に奴隷が持つ権利からの類推によって関係付けられた、ということである。仮に我々の国家権力が弱体化して個人の自由移住権が制限されていたとしたら、その場合は我々も自分の属する土地領域において全く同じことを経験するであろうし、特に次のこともまた経験するであろう。つまり農民としての大地主に対しての私法的な義務と、公法上の大地主への義務の2つが、行政当局には継続して識別することは出来なかったであろう、ということであるが――夫役義務のある農民については、例えばローマ国家の土地領域においては、ここではそういうことを扱っているのでは全くない、という可能性がある。結婚についての規制の行政上の由来は、またテオドシウス法典の 1 de inui[inis] et co[lonis] 5, 10 に示されており、特に次の規定で:つまりある者で、女性のコローヌスの返還を義務付けられた者は、代理の者を立てることでその義務を免れることが出来、そして年齢制限にかかる場合も同じであった、ということである。その他の点についての参照 Nov. Valent ≪ウァレンティヌス3世、在位425~455年、がテオドシウス法典の後に出した新勅法 [novella constitutio]≫ I, II、第9章、更にユスティニアヌス法典の 11, 50 の de col[onis] Palaest[inis] の唯一の条文――そこでは”lex a majoribus”≪祖先によって制定された古き良き法≫がアフリカの大土地区画[saltus]についてのハドリアヌス法典と並置されており、同様に章 11,51、そしてユスティニアヌス法典の 11, 47 の章の全文もそうである。何度も登場する “inquilini”[同宿人、下宿人]は「借家住まいの農民」、つまりコローヌスとしては扱われず、その土地区画に従属する居住者のことであり、本質的にはコローヌスの成れの果てである。ユスティニアヌス法典 13 de agric[olonis] 11, 47 はそれ故に次のように注記している、問題が出生地への帰還に関係するのであれば、コローヌスとインクイリニの2つのカテゴリーは等しいものとして扱う、と。
ディオクレティアヌス帝の時代になって市民の裁判と行政上の処理が混ざり合って一つになった時には、そこから “vindicatio”[返還請求]が起き、その際にゲマインデのクリエがそのゲマインデの参事会に対して所有権の訴えを、まるで可愛がっている家畜を一緒に追い立てるかのように行い、その結果コローヌスはそれだけいっそうほとんど家畜と同様の法的な扱いを受けるようになったのである。最終的には Interdictum Utrubi [どちらがその動産をより長く所持していたかによって所有権を確定させる命令]が奴隷に対してと同じようにコローヌスに対しても下され、それによってまた再びコローヌスの性格が定住の農業に従事する農場労働者であるということが明確に現れるようになっていた 74)。
74) テオドシウス法典 1 utrubi 4, 23。善意の占有者はまずはそのコローヌスを取り戻し、それからその訴えは “causa originis et proprietatis” [出生地と所有権に基づく訴え]として取り扱われた。
そのコローヌスがその大地主に「属する」とういうことは無条件に宣言され 75)、そして事実上そのことは実際の状況に合致していた。何故ならばそのコローヌスがその農場に従事しているということは、いまや十分に明白になっていたからである 76)。
75) テオドシウス法典 2 si vag[um] pet[atur mancipium] 10,12 の “cujus se esse profitetur”[それがその者に属すると宣言された]。
76) それ故に次のケースではその当時の見解に従えば農業従事者のカテゴリーを移動させることであった。その場合とは、テオドシウス法典 1 の de fugit[ivus] col[onis] 5, 9 によれば、逃亡したコローヌスは奴隷に落とされねばならず、その箇所での表現によれば、その目的は行政当局が次のことを認めることで、それはまた自由な農場への従属者であったに違いない者を、奴隷として新たに整理し直す、という場合である。Nov. Major. ≪マヨリアーヌス帝新法典、同帝は西ローマ皇帝、457~461年在位≫4, 1 のクリア民がクリアの奴隷として表現されているように、そしてテオドシウス法典 39 の de decur[ionibus] 12, 1 にてその者達に拷問を加えてはいけないことが特別に規定されているように、この場合のコローヌスは「領地に属する奴隷」となっていた。