中世合名会社史の英訳1回目読了

中世合名会社史の英訳、取り敢えず1回通して読みました。といっても私の日課での英語の学習のTimeやNews Weekなどの雑誌を20分読んでいる中で、10分をこの英訳に当てたのであり、毎日10分で2ヵ月弱かかりました。
最初の通し読みの最大の目的は、果たしてこの論考を本当に日本語訳出来るのかどうか、という見極めでした。その結果としては、時間はかかるかもしれないが、十分可能である、でした。確かに文中にラテン語ないしは半分イタリア語化したラテン語などが登場します。しかしそのほぼ全てに英訳が付けられていますので、いくらなんでもそれが正しいかどうかぐらいの判断は私のラテン語力・イタリア語力でも出来ると思います。また英訳も良くこなれていて、更にはヴェーバーの論述も後年のものほどは錯綜していない感じでした。
ちょっと面白かったのは、結論の所で、英語だとsociation、ドイツ語だとVergesellschaftungという単語が登場することです。つまり「理解社会学のカテゴリー」風に言えば「ゲゼルシャフト関係形成」ということになります。つまり、合名会社(無限責任)、合資会社(無限責任+有限責任)といった団体がどのように形成され法的な裏付けが与えられるかが主題な訳で、ヴェーバーの関心事というのはある意味最初の論文から一貫しているのだなと思いました。
ちなみに余談として、日本語で「合名会社」となっている意味は、大陸法などでは文字通り合名会社の会社名は、無限責任社員の「名前を合わせて=合名」会社名とすることが規定されていたということです。今私が使っている西洋剃刀で”Giesen & Forsthoff”というのがありますが、これは元々GiesenさんとForsthoffさんの合名会社だったのかなと想像します。他にもこのパターンの&が間に入る会社名は多数あります。
次はドイツ語版オリジナル(パウル・ジーベックの全集版)の通し読みに入ります。

ヴェーバーが何故合名会社の法概念の成立を研究したかについて私考

「中世合名会社史」については、現在英訳を読書中です。それが終わったら今度はドイツ語原典に一通り目を通します。
その前に、以前別の所で書いたものを再度記載しておきます。何故かというと、ヴェーバーの最初の論文が何故合名会社の(法的な取扱いの)歴史なのかということの一つの答えになると思うからです。
「ヴェーバーの社会学を理解する上で重要なのは、この決疑論の部分もそうですが、やはり原点は法学からだということです。ヴェーバーより25年若いドイツの法制史家のハインリヒ・ミッタイス(ヴェーバーの先輩の法制史家でRentenkaufの概念を古代ギリシアの事例を分析するのに適用したルートヴィヒ・ミッタイスの息子)は、「ドイツ私法概説」の中でこう書いています。「人間の団体に関する理論は、ドイツの法律学の最も重要な部分である。諸国民の社会的・文化的・政治的生活は団体の中でおこなわれ、団体は国家とその部分団体において頂点に達する。」「ローマ法は個人法の領域で、ドイツ法は社会法の領域で、その不滅の功績をあげたのである。」(創文社、世良晃志郎・廣中俊雄共訳、1961年初版、P.82)ヴェーバーの社会学はこうしたドイツ法学の伝統と切り離して考えることは出来ないと思います。」
古代ローマにおいても色々な団体は存在しましたが、ローマ法をそれらを法的に正当なものとして認めるのに消極的であり、近代法のような例えば「法人」のような自然人と同等に取り扱われる団体の法概念を作り出すことがなく、ほぼsocietasのみに留まっていました。まだ全部読んでもいない論文の要旨を勝手に語るのは問題かもしれませんが、要は中世の北イタリアにおいて、commendaやsocietas marisのような形の連帯責任を負う団体が登場し、その登場の経緯とそれに対してどのような法概念が与えられるようになったのか、ということがこの論文の本筋ではないのかなと思います。

大塚久雄と「中世合名会社史」

丸山眞男の話が出たので、バランスとして大塚久雄の話もします。この「中世合名会社史」がまだ日本語訳されていないことを知った時、最初に思った疑問は何故大塚久雄がこれを訳さなかったのか、ということです。というのは会社の発生の歴史は大塚久雄にとってはど真ん中の専門だからです。この理由は大塚の「株式会社発生史論」を見ると分かります。P.120に、ヴェーバーが合名会社が家族共同体から発生した説を唱えていると、この「中世合名会社史」を紹介しています。そしてこのヴェーバーの説に対して、ゴルトシュミットなどの反対論があることを紹介し、大塚としてはむしろゴルトシュミットの意見に賛成すると書いています。つまり、大塚はヴェーバーのこの論文をあまり高く評価していないということです。なお、大塚は文献表では、学術論文なので当然ですが原語で引用しているので、「中世商事会社史」という不適切な訳は、少なくとも大塚の責任ではないようです。

”Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter”の日本語訳について

このポータルサイトを開設したのは2018年10月でしたが、それ依頼「準備中」状態が続いていました。ようやくヴェーバーの最初の論文である、”Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter”の英訳を読み始めました。ところで英訳のタイトルは、”The History of Commercial Partnerships in the Middle Ages”のタイトルになっています。”Partnerships”とは「合名会社」のことです。これまで日本ではこの論文のタイトルは「中世商事会社史」と一般に呼ばれてきました。しかし、この「商事会社」という訳は色々な意味で問題のように思います。
(1)「商事会社」というのは昔の商法にあった規定で、「民事会社」と対になるもので、商行為を目的とした会社のことです。それに対し民事会社というのは農業や漁業のような「民事」を目的とするもので現在の民法における「組合」のことです。この2つの区別は、商法上ではどちらにせよその構成員の利益を目的としていることは同じで、区別する意味がなくなったとして廃止されており、現在の日本の法律上「商事会社」という言葉は一部例外的に商法以外のマイナーな法律に残っている以外は消滅しています。
(2)「商事会社」が生きていた時代であっても、それは限りなく現在の一般的な「会社」の意味に近くなります。もしかすると”Handels”=商取引なので、法律用語としての商事会社ではなく、単なる造語で商事会社としたのかもしれません。しかしヴェーバーが使っているHandelsgesellschaft(en)という単語は、現在のドイツの会社法では、前にoffeneが付きますが、「合名会社」(構成員が外部に対し無限責任を負う会社)のことです。この場合の”offene”は匿名ではなく、会社として登記している、というぐらいの意味と考えられ(別にドイツでは匿名組合というのがあります)、ヴェーバーも「合名会社」の意味で使っているのは明らかです。(もちろんヴェーバー当時の現在の「合名会社」ではなく、その成立期のプロトタイプみたいなものですが。) ちなみにモーア・ジーベック社から出ている全集でも、このタイトルに対する注としてoffene Handelsgesellshaftの発展を述べたものである、とはっきり書いており、間違いなく「合名会社」の意味と解釈しています。
(3)現在で「商事会社」というと一般的には「商社」を連想し、これは明らかな間違いです。

(付記 2019年7月15日:丸山眞男の「戦前における日本のヴェーバー研究」によれば、伊藤久秋という人が、1921年にヴェーバーの追悼記事を書いており、その中に「最著名なるは南欧伊太利の材料に基づける中世商業会社史にて学者の商業会社発達を論ずるもの、本書を掲げざるはなし」とあります。やはり単純にHandels=「商業」と思い込んでいることが良く分かります。この論考で丸山眞男は自身の思い出として田中耕太郎博士による商法の講義で「『中世商事会社の歴史』を参考書の一つとしてあげられ」と書いています。)