折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」が出版間近になっています。
それはいいのですが、未來社のHPでの発売日告知がひどくて、これまで3回、まだ発売もされていないのに「発売中」と表示され、そればかりか「在庫有り」と表示され、更にはネット販売サイト(Amazon他)のリンクまで表示されていました。しかしながら、当然発売されていない書籍をオンライン書店で注文出来る筈もなく、リンクをクリックしても「そんなページはありません」と表示されました。そして過去3回ほどこの件について電話とメールで連絡しています。結果としてその後発売中表示はなくなり近刊予定に戻っていますが、それについて何のお詫びも改善します、という返信もありません。
おそらくはここのサイトは、Web開発業者に丸投げで、近刊予定の説明に入っている発売予定日が来ると、自動的に新刊の方に移る、という乱暴なロジックが入っているのだと思います。(最近はスクラッチでWebサイトを作ることはまずなく、何らかのCMS=Contents Management Systemを使います。ここのサイトのWordPressもそうです。そういったCMSにはまずあるコンテンツのアップ日を未来に設定しておいてその日になったら自動的にアップする、といった機能があります。)失礼ながら新刊の点数だって限られており別にこんな自動処理は不要だと思います。メールで返事が無いので社長のブログにもコメントしましたが、そちらも何の連絡もありません。また発売日が変更されたのはこれまで6~7回になると思います。遅れている事情は私もある程度は分かっていますが、いわゆる「狼が来た」の域を越えた杜撰なWebサイトです。出版業もこんな前近代的な体質(いわゆる蕎麦屋の出前)を引き摺るのはそろそろ止めて欲しいです。(以前ソフトウェア会社にいた時に、コンテンツとして辞書データなどを買う交渉に色々な出版社に行ったことがあります。しかし、名前は通っている出版社の多くについて、その規模の小ささに驚いた、という経験があります。)今は私がやっているように、Amazonで電子書籍も紙の書籍もどこの出版社も通さず販売することが出来る時代です。出版社がビジネスの基本を守れないのであれば、残念ながら英語で言う”go the way of the dodo”ということになるでしょう。
30)liber coloniarum 230, 8: Alatrium, muro ducta colonia. populs deduxit. iter populo non debetur. ager eius per centurias et strigas est adsignatus.
[アラトリという町は、(ある)植民市において壁によって区切られていた(区画にあった)。(ローマの)人々がそれを拓いた。そこでは道路は個人の所有にはなっていなかった。そこの土地はケントゥリアとstrigaeによって分割割り当てされた。]
国家の名において賃貸しされた耕地が、法の取り決めに従って測量地図上に記載されなければならないということは、グラニウス・リチニアヌス≪Granius Licinianus、2世紀のローマの歴史家、その著作については若干の断片のみが現存している。≫の著作に一部に出ている。その記述によれば、部分的に個人によって占有された ager Campanus [カンパーニャ地方の耕地] の [所有権の] 変更に当たって、元老院によって全権委任された執政官の P. レントゥルス≪Publis Comelius Lentulus Spinther、BC101~BC47年頃、BC57年に執政官を務めた、ローマの政治家・軍人≫が語ったところに拠れば――それはモムゼンのC.I.L., X P.386における解読に従えば――:
Agrum (e)u(m) in (fundos) minu(t)os divisum (mox ad pr)et(i)um indictu(m locavit et mu)lto plures (quam speraverat agros ei rei) praepositus reciperavit formamque agrorum in ae(s) incisam ad Libertatis fixam reliquit, quam postea Sulla corrupit.
”et sunt plerumque agri, ut in Campania in Suessano, culti, qui habent in monte Massico plagas silvarum determinatas.” [そのほとんどが次のような土地であった。それはつまりカンパーニャとスエッサにあった耕地で、マッシコ山の麓にあった平野で森に囲まれていた。]
27) l. Col. (Liber coloniarum) 236, 7, Ostensis ager ab imp[eratoribus] Vespasiano, Trajano, et Hadriano, in praecisuris, in lacineis et perstr iga s, colonis eorum est adsignatus. [オスティアの土地については、皇帝ウェスパシアヌス、トラヤヌス、そしてアドリアヌスによって、切り分けられ、境界を与えられ、そして strigae を使って、その地の植民者達に割り当てられた。]
明らかなこととして、互いに隣接し合っている土地の割り当てのやり方は、それより以前の土地割り当ての方法が引き継がれており、ここに言及されている3人の皇帝によってそのやり方が継承されている。
原文(注29の最後):auch Landlose ledig geworden sein konnten.
英訳:landless men could be bachelors [and childress]
(土地を持っていない者は独身であり子供がいなかった可能性がある)
私の日本語訳:また新たに割り当てられる土地も枯渇していたと考えられるからである。
Nuper ecce quidam evocatus Augusti, vir militaris disciplinae, professionis quoque nostrae capacissimus, cum in Pannonia agros veteranis ex voluntate et liberalitate imperatoris Trajani Augusti Germanici adsignaret, in aere, id est in formis, non tantum modum quem adsignabat adscripsit aut notavit, sed et extrema linea unius cujusque modum comprehendit: Uti acta est mensura adsignationis, ita inscripsit longitudinis et latitudinis modum. Quo facto nullae inter veteranos lites contentionesque ex his terris nasci poterunt. Namque antiqui plurimum videbantur praestitisse, quod extremis in finibus divisionis non plenis centuriis modum formis adscripserunt. Paret autem quantum hoc plus sit, quod, ut supra dixi, singularum adsignationum longitudinem inscripserit, subsicivorumque quae in ceteris regionibus loca ab assignatione discerni non possunt, posse effecerit diligentia et labore suo. Unde nulla quaestio est, quia, ut supra dii, adsignationem extrema quoque linea demonstravit.
こういったそれまでとは違う測量-地図作成方法の根底にある意味は何であろうか?それについてはハイジンが、204ページ以下のまとまった説明の導入部において、教えてくれており、そこについては既に一度(p.117)部分的な解釈が行われている。そこでは次のような説明がなされている:
Agrum arcifinium vectigalem ad mensuram sic redigere debemus ut et recturis et quadam terminatione in perpetuum servetur. Multi huius modi agrum more colonico decimanis et cardinibus diviserunt, hoc est per centurias, sicut in Pannonia: mihi (autem) videtur huius soli mensura alla ratione agenda. Debet (enim aliquid) interesse inter (agrum) immunem et vectigalem. Nam quem admodum illis condicio diversa est, mensurarum quoque actus dissimilis esse debet. Nec tam anguste professio nostra concluditur, ut non etiam per singulas provincias privatas limitum observationes dirigere possit. Agri (autem) vectigales multas habent constitutiones. In quibusdam provinciis fructus partem praestant certam alli quintas alii septimas, alii pecuniam, et hoc per soli aestimationem. Certa (enim) pretia agris constituta sunt, ut in Pannonia arvi primi, arvi secundi, prati, silvae, glandiferae, silvae vulgares, pascuae. His omnibus agris vectigal est ad modum ubertatis per singula jugera constitutum. Horum aestimio nequa usurpatio per falsas professiones fiat, adhibenda est mensuris diligentia. Nam et in Phrygia et tota Asia ex huius modi causis tam frequenter disconvenit quam in Pannonia. Propter quod huius agri vectigalis mensuram a certis rigoribus comprehendere oportet, ac singula terminis fundari.
26)同様のことが、またエジプトにおける神殿の財産についての、レプシウス≪Karl Richard Lepsius、1810~1884年、プロイセンの考古学者・エジプト学者≫(Abhaandl. der Berl. Ak. der Wissensch. 1885年)によって解釈が行われたエドフ≪ナイル西岸のエジプトの都市、神殿があった。≫の象形文字で書かれた銘文についても見て取ることが出来る。そこでは、少なくとも各土地区画が記載された場所において、縦と横の境界線の長さが正確に記載されており、それもまた同じ理由からである:個々の土地区画を正確に確認出来るようにするためである。
19)そういった割り当てられる土地の面積が様々であった証拠として、U.C.643の公有地配分法(第60章)のある箇所が注目に値するが、以下のように規定されている:
neive unius hominis (nomine quoi . .. colono eive [sive] quei in coloneinu)mero scriptus est, agrum quei in Africa est, dare oportuit licuitve, amplius jugera CC in (singulos homines data adsignata esse fuisseve judicato . ..)[.]
[ある一人の者の(名前に対して、その者が植民者であるか、あるいは植民者の資格があると登録済みの場合、その者に対しアフリカの土地を割り当てることが明確に要求される。その土地の面積は200ユゲラより大きく、一人の者に割り当てられるか、あるいは既に割り当てられているかである。)] モムゼンは(C.I.Lのad h.l.->Lex agraria, P.97)次のことを確実視している。つまり、土地の所有に関して様々なやり方が存在しており、例えば一人あたり200ユゲラだったり、或いはそれより少なかった場合もあった。実際の例では、ポンペイでの例が示すように(参照:ニッセン≪1839~1912年、Heinrich Nissen、ドイツの古代史家。≫のPompeianische Studien, 1877年、P.5881)、割り当てられる土地の等級はその都市においてあらかじめ決められていた。しかしそれに関連する法は、割り当てられる土地の面積の最大値だけを定めており、200ユゲラという面積がある特定のカテゴリーの植民市における、規定された標準面積と見なすべきだとは一言も言っていない。私はむしろ次のように考えたい。割り当て用の土地の面積はその土地の価値査定に応じて異なっていたのであり、ただ1ケントゥリア以上の土地を一個人が所有することのみが原則的に禁止されており、例外的なケースとしてそれ以上の面積の土地を所有する場合には、法技術の上でそれは latus fundus [広大な土地資産、の意味。後に生じた大土地所有制は ラティフンディウム [latifundium] と呼ばれた。](ラハマン)、157、5)というカテゴリーで扱われたのである。
20)既に古代のベテラン兵の植民の場合の土地割り当ても均等割り当てであったし、ハンニバル戦争 [第二次ポエニ戦争] 時のベテラン兵(リヴィウス、Ab urbe condita、31、4)への土地割り当てにおいても同じであった。その他、より古い時代での均等割り当ては、また一種の戦利品の分配の形態を取っていた。
「ローマ土地制度史」のP.115の最後から2行目に”Conternationsverfahren”という単語が出てきます。これが辞書に無くて調べるのに時間がかかりました。この言葉は元々ハイジンの Corpus Agrimensorum Romanorum に出て来る言葉です。必死に調べて、ようやく画像の情報が得られました。出典は Oxford Latin Dictionary です。意味は「3つで1組の、3人で1組の」という意味です。ここではローマのベテラン兵には、1/3ケントゥリアが割り当てられたという処置のことを言っているというのがようやく分かりました。言うまでもなく英訳はこの単語を無視して訳していません。
ヴェーバーは時々こういう風にラテン語とドイツ語を混ぜ合わせた新語を作っています。