マックス・ヴェーバーの「音楽社会学」は、例によって「高度な和声法と(平均律)とそれに基づくポリフォニー音楽を発展させたのは近代西欧だけ」という論点で書かれています。平均律という発明で、(純粋な音の響きの調和を少し犠牲にした上で)12の音をそれぞれ基音とする調性を自由に転調出来るようにしたのは確かに西洋音楽の功績です。しかし、ここで注意すべきなのは「和声・旋律」のみが音楽の要素なのか、ということです。西洋音楽はもう一つの重要な要素であるリズムについては、きわめて単純であり、基本的に単純な等分割リズムか、付点音符を使ったシンコペーションぐらいしかありません。日本の作曲家矢代秋雄が1958年に作曲した「交響曲」の第2楽章には、西洋音楽としてはきわめて珍しいリズムが使われており、それは「テンヤ、テンヤ、テンテンヤ、テンヤ」(6/8+(2/8+6/8)(Wikipediaによる)というもので、元となっているのは獅子文六の「自由学校」の映画に使われたお神楽のリズムです。この矢代の交響曲がある欧州の一流のオケで演奏された時、プロ揃いのオケのメンバーが、このリズムをきちんと刻むことに非常に苦労したという話しがあります。また、現代音楽作曲家でスティーブ・ライヒという人がミニマルミュージックと呼ばれる音楽を作曲していますが、それの元はインドネシアのガムラン音楽であり、独特の音の色相が徐々に移り変わって行くような曲は元々西洋音楽にはありませんでした。
さらには、演奏家という面で、チベットの仏教僧は口を十字型にして二つの音高の音を同時に発し、一人で和音を出してしまうという超絶技巧で知られています。そういった様々な事例を考え合わせて、ヴェーバーの「~を発展させたのは近代西欧だけ」という記述は割り引いて読んだ方がいいと思います。
投稿者: Moritz
マハラノビス距離と社会科学
折原浩先生のいわば「弁証法的」理念型解釈を批判しましたが、ではお前はどう考えるのか、歴史や社会をどういう方法で解釈・分析するのかと問われたら、私はマハラノビス距離のような多次元ベクトル(多変量)空間の考え方を取るしかないかと思います。マハラノビス距離というのはインドの数理統計学者のマハラノビスが考案したもので、元々は未知のマンモス等の骨の化石をどういう種のものか同定するために考案されたものです。ある骨の分析をしてその特性(重さ、長さ、密度、色、硬度、原子構成、形状、等々)の多次元ベクトルマップを作り、既に同定が済んでいる別の化石のベクトルマップと比べ、それぞれの平均値(全てのベクトルを平均した重心のようなイメージ)同士の距離を比べて、一番近いものがその骨の正体である、という方法です。
私はこのマハラノビス距離については、2つのことで知るきっかけを得ました。
(1)田口メソッド
品質管理や製品開発の技法として実験計画法というものを田口玄一博士が考案し、これが田口メソッドと呼ばれています。この田口メソッドは昔は日本よりも海外で有名でした。昔化学メーカーで半導体材料を売っていましたが、インテルやモトローラといった大手の半導体会社は重要な部材のサプライヤーに対して、最低1年に1回以上の工場監査を行います。そういう時に監査資料の質問の日本語訳、逆に回答の英語訳という仕事を若い時には良くやりました。そういった監査の際に良くあった質問として「お前の会社は新商品開発などで田口メソッドを使っているか」というのが結構な頻度で入っていました。その当時、日本では一部の人(私が在籍していた会社では工場長レベル)は田口メソッドを知っていましたが、海外ほどではありませんでした。その田口メソッドの発展でMT法というのがあり、このMがまさにマハラノビスであり(Tは当然田口)、多次元情報データによる予測、診断、分析法です。
(2)類似文書検索ソフトウェア
以前在籍したソフトウェア会社で、類似文書検索システムというのを販売していました。開発したのはアメリカの会社ですが日本語への対応を私がいた会社が行いました。これがまさにマハラノビス距離を使っていて、文書を形態素解析して品詞に分解し、名詞系の単語の分野(人名、地名、商品名、法学用語、IT用語等々)を使ってどんな分野でどれだけの数の単語があるかを計算し、それで同じように多次元ベクトル空間を作って、それと検索対象の文書のベクトル空間とのマハラノビス距離を取って、それが近ければ類似文書とみなす、というアルゴリズムでした。このソフトはFAQの検索システムなどで良く使われていました。
こうした考え方を社会科学に応用すれば(経済学では既に応用されています)、理念型(=一つの次元)の設定はある意味多ければ多いほど良い訳です。そしてそれぞれをヴェーバー的決疑論で精度を上げ、最終的に多次元ベクトル空間として分析すれば、歴史の中でのAの文明とBの文明をよりよく比較するということがある程度可能になるのではないかと思います。まあ思い付きの域を出ていませんが。ヴェーバーがインドや中国の宗教を研究したのは、折原浩先生の説明によれば「プロ倫」をラッハファールに批判されて「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神は単に親和関係があるぐらいとしか言えない」というのに対し、「思考実験」としてプロテスタンティズムの倫理が無かった国々を調べた、ということです。しかし、思考実験が本当の意味での実験でないのは言うまでもありません。実は自然科学の分野でも完全な実験(多数あるパラメーターの内、比較されるものから一つのパラメーターだけを変えて、その結果がどうなるか見る)を行い得るケースは非常に限定されています。例えば医学の世界で、ある薬がコロナウィルスに効くかどうかの実験で、その薬を飲んだかどうか以外は全ての条件が同じ複数の人間を用意するのが不可能なことは誰でも知っていますし、また2つの実験群の内片方にプラセボ(偽薬)だけ与えてどれだけ死亡するか見る、という非人道的な実験も不可能です。そういう場合は、統計学的な処理で「推計」をするしかありませんが、社会科学でも同じことだと思います。
Wikipediaという暗黒空間
Wikipedia(日本語)については、以前は色々書いていて、私が初めて立てた項目もいくつかあります。マックス・ヴェーバーについては、これはさすがに元からありましたが、それでも現行のものの6割くらいは私が書いたものです。その内、通称「Wikipedia自警団」と呼ばれる連中とのトラブルがあり、Wikipedia(日本語版)から手を引きました。しかし、先日、Wikipediaで久し振りにヴェーバーの項を見たら、次のようなトンデモ記事が書かれていました。
Volksを人民と訳すセンスは置いておいても(というかこの学部名はおそらく東ドイツ時代のベルリン大学の学部名でしょう)、ヴェーバーが法律を学んだのはハイデルベルク大学での間だけで、ベルリン大学では経済学(経済史)を学び「中世合名・合資会社成立史」で経済学博士の学位を得たそうです。Wikipediaの自警団は人の書いた物に「要出典」とか「独自研究」とかの変なタグを嫌みに貼り付けるのが好きな癖にまさにそういうタグを付けるべき記事は放置です。
言うまでもなく
(1)ヴェーバーが「後に」歴史学派の経済学者と認められるのは事実ですが、少なくとも大学で経済学に関する学位を取ったなどというのは、マリアンネの伝記にも青年時代の手紙にもどこにも出てきません。
(2)学士はともかく、修士であれば最低限論文審査がある筈ですが、ヴェーバー全集にもそんな論文は載っていません。
(3)そもそもヴェーバーの当時のドイツに、経済学士とか経済学博士などという学位は存在していません。経済学は法学部の中で片手間に研究や教育が行われていただけです。現在のドイツでも経済学博士という学位は無く、英語で言えばDoctor of scienceの中にまとめられています。
(4)ヴェーバーは1886年に司法官試補の試験に合格していますが、兵役の1年を除いたわずか3年間で、法学の他に経済学の修士を取るなど、いくらヴェーバーが天才といえどもあり得ません。
(5)経済学の博士号を得たことで、テオドール・モムゼンが祝辞を送るなどあり得ません。
結局、この項目の記事を多く書いている私としては放置できかね、結局修正して今は以下のようになっています。
「1882年からハイデルベルク大学法学部で法律学、ローマ法、国民経済学、哲学、歴史などを3セメスター(=一年半)学び、その後シュトラスブルク大学、ベルリン大学(当時の名称でFriedrich-Wilhelms-Universität zu Berlin)、ゲッティンゲン大学でローマ法や商法、法制史、ドイツ国法・行政法、ドイツ団体法、農業経済史などを学んだ。[16][注釈 2]1883年にはシュトラスブルク[注釈 3]にて予備役将校制度の志願兵として1年間の軍隊生活を送る[注釈 4]。将校任官試験を最優等の成績で合格し、予備役将校の資格を持つ下士官に昇進した[19]。1986年には司法試験に合格して司法官試補の資格を得、1887年から1991年まで裁判所に勤務しながらベルリン大学で学究生活を続けた。[20]
1889年、ベルリン大学で「イタリアの諸都市における合名会社の連帯責任原則と特別財産の家計ゲマインシャフト及び家業ゲマインシャフトからの発展」という論文(後に合資会社についての考察も追加されて「中世商事会社(合名・合資会社)史」という論文になった)[21]で法学博士の学位を取得、論文の審査を傍聴しヴェーバに質問して議論したテオドール・モムゼンより、「<息子よ、私の槍を持て、私の腕にはもうそれは重すぎる>と誰にもまして私が言いたいのは、私の高く評価するマックス・ヴェーバーに向かってであろう。」という祝辞を送られた。
ヴェーバーの未来予知?
折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」でもう一つ納得出来ないこと。
P.218以下の「未来予知――「イギリス支配下の平和」の終焉と「印パ紛争」」の箇所で、ヴェーバーが現在に至る「印パ紛争」を、大筋では的確に予知-予測していた、と説明されています。
まず、未来予知というのであれば、ヴェーバーの理論を使ってこれからのインドに何が起きるかを述べるのなら意味があると思います。しかし、過去に既に起きている事象に対して、ヴェーバーがそれを予知していたというのは、単なる後付けのこじつけ的な説明に過ぎないのではないでしょうか。
そもそも、イギリスは1857~58年の「インド大反乱」(昔はセポイの乱と呼ばれていました)の後、それまでの東インド会社を使った間接統治から直接統治に切り替えます。なおかつイギリスはインドの反乱の目を抑えるために、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立を煽り、1905年にはベンガル地域をイスラム教徒の地域とヒンドゥー教徒の地域に分割しようとすらしており、そういった政策によってイギリスに直接反乱が及ばないようにしたのは周知の事実です。従って何らかの事情でイギリスの統治が無くなれば、イスラム教徒とヒンドゥー教の対立が先鋭化することは、その当時の誰もが予測出来たことであり、特にヴェーバーの理論?に拠る必要は無いと思います。今正確には思い出せませんが、E. M. フォースターの「インドへの道」(1924年)にもそれに類する記述があったように思います。なおついでに言えば、ムガル帝国が支配していた時は、ヒンドゥー教とイスラム教徒は平和裏に共存していました。(イスラム教は現在そう思われているような非寛容的な宗教では決して無く、イベリア半島でも、ムガル帝国でも、またオスマン帝国でも、人頭税さえ払えばキリスト教やユダヤ教、ヒンドゥー教他の信仰を続けることが出来ました。改宗しなければ皆殺し、ということは起きていません。)
理念型とフラット・キャラクター(加筆再掲)
私の「理念型」の理解の仕方の説明として、別のブログに書いたものを引用します。
文学におけるフラットキャラクターというものを知ったのは、作家の小林信彦がその処女作である「虚栄の市」についてある評論家が「登場人物の一部が類型的すぎる」と批判したのに対し、小林信彦が「それはフラットキャラクターだからだ」と反論したことによってです。
文学におけるフラットキャラクターの使用は、
(1)ラウンドキャラクターと差を付けることでラウンドキャラクターをより目立たせる。
(2)フラットキャラクターが常に読者の期待に応える行動・発言をすることで、読者に読みやすくさせる。
(3)作家が小説を作る上での省力化
というメリットがあります。
これに対し、私が社会科学で文学におけるフラットキャラクターと同等の位置にあると考えるのが「理念型」です。私にとっては理念型はあくまでも議論のスタートで主題を分かりやすくさせる、ということからスタートするのであり、その後論を詳しくすることでその内容をより明確化し意義を説き明かします。
これに対比されるものとしては、文学作品でのフラットキャラクターだと私は考えており、例としてはディケンズの有名な「クリスマスキャロル」のスクルージ爺さんが挙げられます。ご承知の通り、物語の前半ではスクルージ爺さんは典型的なフラットキャラクターで「吝嗇」の象徴です。(今でも英語でスクルージ爺さんみたいな人、というのはケチのことです。)しかし物語の後半でこのフラットキャラクターは三人のクリスマスのスピリットとの出会いで次第にラウンドキャラクターとなり、最後は人類愛に目覚め、「クリスマスの楽しみ方を一番知っている人」に変遷します。社会科学における理念型もこのようなプロセスを踏むのが常道ではないのでしょうか。
理念型とフラット・キャラクター
Posted on 2018年7月15日
今、フランスの歴史家のイヴァン・ジャブロンカが書いた「歴史は現代文学である」を読んでいます。この本は歴史を科学的に扱おうとして19世紀以降歴史と文学が切り離された物を、もう一度結びつけようとする試みでなかなか興味深いです。
それでちょっと思いついたのですが、社会学で「理念型」(ドイツ語でIdealtypus)という方法論みたいなのがあります。歴史の現象を解釈する上で、観念的に作り出された一種の純粋型のことです。昔は「理想型」と訳されていましたが、「理想」というと価値判断が伴っているようですし、また「売春宿」のIdealtypusもあり得るということで、ニュートラルな「理念型」という訳に落ち着いています。
で思ったのが、この「理念型」の元は、文学における「フラット・キャラクター」(平面的キャラクター)じゃないのかということです。この「フラット・キャラクター」はE.M.フォースターの造語で、対照にされるのは「ラウンド・キャラクター」(立体的キャラクター)です。フラット・キャラクターは、フォースターはディケンズの小説の登場人物はほとんどそうだとしていますが、ある類型的な性格や社会的地位をもっていて常に読者が期待するような行動をする人のことです。(ラウンド・キャラクターはそれとは違い、性格などが次第に変化して深まっていくようなタイプのキャラクターです。)例えば「クリスマス・キャロル」の(改心する前の)スクルージ爺さん、「ディヴィッド・コパフィールド」の悪役のユライア・ヒープ(ロックバンドのユーライア・ヒープはこの名前を借りたものです)、貧しいながらいつも何とかなると思っている楽天家の代名詞ウィルキンズ・ミコーバーなんかが、まさしくフラット・キャラクターです。
マックス・ヴェーバーは有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、「資本主義の精神」を読者にわかってもらうための「理念型」としてベンジャミン・フランクリンを使います。しかし、それは実在のフランクリンというより、キュルンベルガーという作家の書いた「アメリカにうんざりした男」という詩人レーナウのアメリカ体験を元にした小説に登場する「カリカチュア化されたフランクリン」であり、まさしくフラット・キャラクターそのものです。
もちろん、「理念型」は人間だけに使うものではないのですが、少なくとも小説におけるフラット・キャラクターの使用の方が社会科学よりはるかに先なんではないかと。
「互酬-循環構造」続き
「互酬-循環構造」(あるいは「互酬-循環関係」)の議論の続き。
結局、折原先生の言いたかったのは、ある2つの要素が相互に循環的な影響を及ぼし合い、ポジティブな影響だけでなく時にはネガティブな影響を及ぼし合い、互いに互いを変えていく、と言う意味かと思います。
しかしもしそうだとすると、これは要するに弁証法的な史観ではないのでしょうか。ヴェーバーがヘーゲルをどの程度取り入れ、どの程度批判しているかは私の現在の知識を超えていますが、少なくとも以前「ロッシャーとクニース」などを読んだ限りでは、そのような単純化・モデル化した歴史研究を批判していた筈です。そもそも折原先生の「2つの要素」とは私から見れば単なる「理念型」です。そして「理念型」というものは議論を始めるための仮置きの概念としか思っておらず、それが何か歴史的にはっきりした実体を伴っていて、別の同じような理念型と相互作用を及ぼし合うという捉え方自体、違和感を強く感じます。「経済と社会」などの議論は、理念型からスタートし、決疑論を行い、それによって元の理念型を修正していく、そういう繰り返しだと理解しています。(最初の論文である「中世合名・合資会社成立史」からして、ローマ法のソキエタースが本来はまったく想定していなかった新しい人間関係をどのように取り込んでいって変遷したか、という観点で書かれています。)また宗教社会学でのインドや中国の研究は、ご承知の通り全て欧州の学者が書いた2次文献をベースにしています。そういう研究でそのような単純な弁証法的史観を採用するというのは、一般化・理論化があまりにも性急であり、とてもそのまま受け入れることは出来ません。また、現実の社会は2つの要素どころか無数に近い要素が複雑に絡み合ったマトリックスであり、この意味でもその中から2つだけ取り出してその相互作用だけを論じるという方法論には賛成出来ません。折原先生の宗教社会学の解説は一般向けに分かりやすく論じるため、という点を考慮しても、ヴェーバーの議論を単純化しすぎているように感じます。
折原先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」における用語法の問題点
折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」について、宗教社会学についての先生のまとまった概説書は私見ではこれまで無かったので、今回それがきちんとまとめられたという意義は大きいと思います。
そういったポジティブな評価の一方で、残念ながら用語法の点においては、いくつか問題点があり非常に気になりました。
(1)「互酬」の不適切な使い方
この本の中で「互酬-循環関係」「互酬-循環構造」という用語が事項索引では8回登場します。その頻度から言ってかなり重要な用語として使われています。しかし私はこの言葉が出てくる度に強い違和感を感じて引っ掛かりました。何故ならば「互酬」という言葉の使い方が一般に社会学や人類学で使われている使い方と違うからです。(文化人類学を少しでも囓った人なら「互酬-循環」という言葉を聞いたら真っ先に連想するのはマリノフスキーの「クラ交易」でしょう。)この本での「互酬」は単なる相互に影響を及ぼし合う、という意味で使われています。例としては「プロテスタンティズムの倫理」が「資本主義の精神」を産みだし、一旦後者が成立するとその結果としてその持ち主の宗教心を弱め、いわゆる「精神無き専門人・心情無き享楽人」を産み出すものとして、「プロ倫」では描写されていることはご承知の通りです。しかしこのような関係に「互酬」という言葉を用いることは、下記の理由で不適切です。
[1]「互酬」は人間相互の関係に用いるもので、理念型のような抽象概念同士の関係に用いることは通常あり得ません。比喩としても無理があります。
[2] [1]のことから共時的な関係について言うのであり、歴史の中で長い年月が経る中で相互の要素が関係を及ぼし合って、というものには通常使いません。
[3] 互酬をこのように特殊な形で使用する一方で、P.206では互酬と同じ意味である「互恵」を今度は通常の互酬の意味(相互扶助)で使っています。
[4] 互酬は基本的には双方がポジティブな影響を及ぼすのであり(現代風に表現すればWIN-WINの関係、「互いに酬いる」関係)、折原浩先生が使われているような「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」が初期の関係から変質して前者が後者からある意味ネガティブな反作用を受ける、というものを表現するには不適切です。
[5] 「互酬」は文化人類学では「交換」や「営利」と対比される重要なタームであり、代表的な人にカール・ポランニーやマーシャル・サーリンズがいます。また贈与の互酬性を最初に説いたのはマルセル・モースで彼はデュルケームの弟子{甥}であり、社会学者でもあり、デュルケームの専門家でもある折原浩先生が知らない、ということは出来ません。
[6] ヴェーバー自身が「互酬」Reziprozitätを用いているのは「儒教と道教」にていわゆる儒教の「恕」の説明で、それは「互恵」(己の欲せざる所を人に施すなかれ)という意味でしかありません。すなわちヴェーバー自身の用語ではありません。
この問題は、2年前に書きかけの原稿をいただいた時にも「通常使われるのと別の意味での使い方であり、使いたいなら十分な説明が必要では」と私見を申し上げましたが、残念ながら私の意見はまったく考慮されずに今回の書籍が発売されています。
(2)「推転」P.245、249
私はこの単語を見たのは今回の本が初めてです。ネット検索で出てくる事例は非常に少ない上に、ほとんどがマルクス主義関係の書籍でした。(手持ちの辞書類には出てきません。)その後更に調べたら元々はヘーゲルの übergehen (あるいは名詞でÜbergang)の訳語として使われるようです。特に廣松渉氏がその書籍で使われていました。本来の意味は、「AからBへ持続的に徐々に変化していく」ということのようです。しかし「推転」という言葉からその意味を想像することはほぼ不可能で、元のドイツ語が非常に基本的な動詞であり誰でも意味を理解出来るのに比べれば非常に分りにくい訳語と言わざるを得ません。要するに英語で言うjargon(狭い範囲の専門家内での隠語)です。
上記のような問題点は有能な編集者であれば、出版前に著者に連絡して良く話し合うべきだと思います。しかし未來社の編集者がそういうことをしたという痕跡は残念ながら確認出来ませんでした。ちなみに非常に単純な誤植・誤記も数ヶ所容易に発見出来ています。