もういい加減ウンザリしてきますが、折原訳については毎ページでおかしな訳に遭遇します。
ここまで見た限り、この訳者にはドイツ語の基本的な読解力が不足しているか、あるいは翻訳にあたって十分時間を取って考えていない(辞書も引いていない)のどちらかだと思います。
Daher tritt sie typisch dann auf, wenn die, sei es adligen, sei es bürgerlichen herrschenden Schichten entweder durch eine bürokratisch-militaristische Einheitsstaatsgewalt entwickelt und entpolitisiert worden sind, oder sich selbst aus irgendwelchen Gründen davon zurückgezogen haben, wenn also die Entwicklung ihrer intellektuellen Bildung in ihre letzten gedanklichen und psychologischen inneren Konsequenzen für sie an Bedeutung über ihre praktische Betätigung in der äußeren diesseitigen Welt das Übergewicht gewonnen hat.
折原訳
したがって、救済宗教性が典型的に出現するのは、貴族的であれ市民的であれ、支配権を掌握した社会層が、官僚制的・軍事的な統一国家権力の発展によって、非政治化[政治権力を剥奪]されるか、あるいは、なんらかの理由で、自ら政治活動から脱退した場合、したがって、そうした社会層にとって、彼らの知的な教養を発展させ、その思想的また心理的な究極の内面的帰結にまで突き詰めることが、此岸の外界における実践活動に優る意義をもつと感得される場合、である。
丸山訳
そのため、救済信仰が典型的に出現するのは、それが貴族であれ市民であれ支配者に[一旦は]なった社会層が、官僚制的・軍事的な統一国家の権力によって、発展させられながらも非政治化された場合か、あるいは自ら何らかの理由でそこから身を引いたかの場合であり、つまりはその者達にとっての心の中での最終的な思想・心理上の論理帰結に至るまでに、知的な教養を発展させることが、この世の中での外部の諸事に実務的に関与することよりも重要になった場合である。
上記の文のentwickeltが官僚制的・軍事的な統一国家の権力にかかるなんて、あり得ません。ヴェーバーがここで「発展させられるけども(結局は)非政治化される」と非常に興味深いことを言っているのが、まったく違った意味になってしまいます。