折原浩訳の問題点(100)

100回記念。
ここはともかくこの訳者が原文を改変しまくって勝手な訳文に変える様を確認してください。ともかく学術論文の翻訳としては決してしてはいけないことばかりです。

(1)motorisch はモーター的な、ということで要するに精神的なものというより身体の運動的なものということ。折原訳の「動因からの」は意味不明。
(2)「そなえて「は」いる」などと原文にはないニュアンスを追加し、またNurを「但し」と訳しこれまた意味をすり替えている。
(3)一契機ではなく、einはFühlenにかかる。また「すぎない」というのも原文にはない。
(4)[救済目標として追求され、達成されるのではない]も原文にはない、余計な独自解釈の注釈。
(5)「生きられる場合のみである。」の「のみ」も原文にはない。

私の訳と比較して、いかにこの訳者が余計な改変や追加をして読者が原文を理解するのを妨げているかをご確認ください。

原文
Nur ist dies Fühlen ein sozusagen »motorisch« bedingtes. Es ist dann vorhanden, wenn er in dem Bewußtsein lebt, daß ihm das einheitlich auf Gott bezogene, rational ethische Handeln als Gottes Werkzeug gelingt.

折原訳
禁欲者にとっても、神的なものが感得され、意識され、把握されることは、中心的な意義をそなえてはいる。ただし、この感得は、いわば「動因からの」制約を被った一契機にすぎない [救済目標として追求され、達成されるのではない]。そうした感得が禁欲者に生まれるのは、統一的に神に関係づけられる合理的に倫理的な行為が、神の道具であるがゆえに首尾よく達成される、とかれに意識され、かれがそうした意識の裡に生きられる場合のみである。

丸山訳
ただ禁欲者にとってはこうした感情はいわゆる「身体運動的[motorisch]」に制約されたものである。そうった感情は、禁欲者にとって統一的に神に関係づけられた合理的・倫理的行為が、神の道具として上手く機能しているという意識にある時に生まれて来る。

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