折原浩訳の問題点(145)

今日2つ目で、これまたひどい誤訳。前半のJe…, desto…の部分でdieseとihreは同じく「宗教的倫理の現世に対しての位置付け」(前の文)を指しているのに、折原訳は前を「現世」、後ろを「宗教倫理」と変えるという有り得ない訳をしています。そしてもし「現世」が正しいと仮にするならば、今度は「現世の現世の諸秩序への緊張」という意味不明なことになってしまいます。
そして最後の「ならざるを得ない」は単に「なり得る」と言っているだけ。可能を必然として訳すのは本当に勝手な訳者による論理の捏造です。
それからEigengesetzlichkeit の訳語として「固有法則性」はおかしく、ここは「自律性」、つまり現世のそれぞれの生活圏で独自のルール(法律・習律)が作られそれに従った生活が行われ、それが宗教倫理との摩擦を引き起こす、と言っているのですから。なんでこんなそれこそ社会学として重要でかつ「理解社会学のカテゴリー」の内容とも関わる語を正しく訳さないのか理解に苦しみます。

原文
Je systematisch-rationaler diese unter religiösen Gesichtspunkten zu einem Kosmos geformt wird, desto prinzipieller kann ihre ethische Spannung gegen die innerweltlichen Ordnungen werden, und zwar um so mehr, je mehr diese selbst ihrerseits nach ihrer Eigengesetzlichkeit systematisiert werden.

折原訳
現世が、宗教的観点のもとでひとつの宇宙へと体系的-合理的に形成されるにつれて、現世内の諸秩序にたいする宗教倫理の緊張は、それだけ原理的となる。しかもそのさい、現世内の諸秩序の側が、これはこれで、それぞれの固有法則性に即して体系化されると、それだけ宗教倫理との緊張も原理的とならざるをえない。

丸山訳
この現世に対する位置付けが、宗教的な見地である秩序ある世界[Kosmos]としてまで、より体系的・合理的に形成されるほど、現世内諸秩序に対するその位置付けの倫理的な摩擦はそれだけいっそうより原則的なものになり得、しかも現世内諸秩序自身がそれはそれとしてその自律性に沿う形で体系化される時はよりいっそうそうなり得る。

折原浩訳の問題点(144)

ここは3つの間違い。sanktionieren は元々「神聖にする」という意味で、そこから「承認する・是認する」という意味が派生します。社会学では確かにサンクションは承認と処罰の両方を含む場合がありますが、ここではそういう両義的な意味と解釈することは文脈上不可能です。

「それだけ柔軟な適応性を取得することができる。」の「できる」も間違い。原文はistで終わっており、「可塑的で適応性を持っている。」です。どこにも「取得する」という動詞はなくまたkannもありません。

それからProblematikはeinerが付いているので単数なのに、折原訳は勝手に「問題群」と複数にしてしまっています。

最後に「ステロ化」は日本の学会の方言みたいなもので、和製語彙であり、私は使いません。(おそらくは元は印刷屋さんでステレオタイプ(鉛活字)のことをステロ版と呼んでいたのが、学界にも入ったものと思われます。どちらにせよ今では一般に通じません。)

原文
Sie kennt kein »heiliges Recht«, sondern eine »heilige Gesinnung«, welche je nach der Situation verschiedene Maximen des Verhaltens sanktionieren kann, also elastisch und anpassungsfähig ist. Statt stereotypierend kann sie, je nach der Richtung der Lebensführung, die sie schafft, von innen heraus revolutionierend wirken. Aber sie erkauft diese Fähigkeit um den Preis einer wesentlich verschärften und »verinnerlichten« Problematik.

折原訳
そうした「心意倫理」への体系化は、「聖法」は知らず、ひとつの「聖なる心意」を知るのみである。そして、この「聖なる心意」は、そのときどきの状況に応じて、さまざまな行動の準則を両義的に裏打ち(サンクション) [あるものは賞揚し、あるものは非難]できるので、それだけ柔軟な適応性を取得することができる。したがってそれは、ステロ化にとって代わり、それぞれによって創り出される生き方の方向に向けて、内面から革命的に作用する場合もある。ところで、心意倫理への体系化が、こうした [革命的作用への] 力能を獲得するには、ある一連の、本質上尖鋭化され「内面化」された問題群を抱え込む、という代償を払わなければならない。

丸山訳
心情倫理への体系化は「聖なる法」には通じておらず、ある「神聖な心情」には通じており、その心情はその時々の状況に応じて様々な行動の原則を是認することが出来るのであるが、それ故に可塑的で適応性を持っている。そういった体系化は、ステレオタイプ的にする代わりに、それが作り出す生活実践の方向に向けて、内部からの革命的な作用を及ぼすことが出来る。しかしそういった体系化はそういった能力を、ある本質的に研ぎ澄まされ「内面化された」問題点を代償にして獲得する。