折原浩訳の問題点(161)

ここは誤訳というより、必要な訳注がない、という問題。創文社訳もアルテ・ディ・カリマラ以外は訳注無しです。私の訳注をご参照ください。ここは訳注が無ければ表面的な訳にしかなりません。

原文
Die großen Händlergilden jedoch schützten sich gegen die Einrede der usuraria pravitas teils durch Ausschluß aus der Gilde, Boykott und schwarze Listen (wie etwa gegen den Differenzeinwand unserer Börsengesetzgebungen), die Mitglieder aber für ihr persönliches Seelenheil durch von der Zunft beschaffte Generalablässe (so in der Arte di Calimala) und massenhafte testamentarische Gewissensgelder oder Stiftungen.

折原訳
それにもかかわらず、大きな商人ギルドは、不当暴利(ウースーラーリア・プラーヴィタース)の申し立てに対して、ギルドからの除名や、ボイコットや、(ちょうどわれわれの取引所立法が、差額支払い要求者に対処するのと同様の) ブラック・リストの作成などの方法によって、自己防衛策を講じ、構成員たちは、個々人の即人的な魂の救いのために、(カリマーラ商人組合のように) ツンフトが一括赦免金を用立てたり、遺言として多額の浄財や献金を寄せたりして、折り合いを計った。

丸山訳
しかしそうはいっても巨大な諸商人ギルドは、usuraria pravitas[高利貸しの悪徳さ]という異議申し立てに対して、部分的にはギルドからの締め出しや、ボイコット、そしてブラック・リストに載せる(丁度例えば我々[ヴェーバー当時の]の取引所の立法が差金抗弁に対して行っているの同じ[1])ことで自己防衛しており、しかしその構成員達は自分個人の魂の救済のためには、ツンフトが用立てた一般贖宥金によるか(それはアルテ・ディ・カリマラ[2] でのように)、そして多額の遺言に基づく良心の償い金[3] または寄付金を払うことでその目的を果たそうとした。

[1] 当時のドイツの取引所における先物取引(Terminhandel)にて、最終的な先物取引の結果による差額を債務者に訴訟によって請求した場合に、債務者が出すことがあるのが「差金の抗弁」で、ドイツ民法第764条でこうした差額だけを目的とする取引を賭博の一種として禁じていたのを利用したもの。実際には先物取引は広く行われており賭博とは厳密に区別されており、この抗弁が認められるのは裁判で最初から差額だけを目的としていた賭博的取引であったことが立証された場合のみである。この抗弁は法的には有効であるものの、実際にやると信義則に反するものとして、取引所では私的制裁を受けて取引がそれ以降実質出来なくなった、そのことを言っている。また審議そのものが裁判所ではなく取引所の名誉裁判所に回される場合もあった。参考:ハインリッヒ・ミッタイス、世良晃志郎・廣中俊雄訳、「ドイツ私法概説」、創文社、P.254など。なお、この法律の実効性が乏しいという批判は成立当初からあり2002年にこの条項は廃止されている。

[2] フィレンツェの毛織物業のギルドで、そのメンバーからはアルベルティ家やペルッツイ家のような巨大な財閥ファミリーが出ているほど力を持っていた。

[3] 高利の貸し付けで得た利益を死後にそれによって損失を得た者に返却するもの。但し返却先が不明な場合は教会や貧者に寄付された

 

折原浩訳の問題点(160)

ここはそもそも、Constitutum Ususとか、commenda dare ad proficuum de mariについての訳が元々デタラメだったのを私が公開時に訂正済みですが、それを除いても問題があり、この訳者が経済についてあまり分かっていないことが伺えます。

(1)利子は言うまでもなく一般に利率で決まるのであり、「定額利子」は変です。固定率の利子ということです。
(2)Erwerbskreditverträgenを営利貸付契約と訳していますが、ここでは海上取引への出資といった意味も含み貸付に限定されるものではありません。
(3)「多用されていた」も原文にはなく、固定率の利子自体が非常に稀であったのに比較して、固定配当金による出資型のコムメンダというのもあった、というぐらい。ちなみに一般的なコムメンダに比べればこの形態のコムメンダは特殊ですが、ヴェーバーがここでわざわざ言及しているのは、本来のコムメンダでの出資に比べれば、固定率の利子付きの貸し出しに近い形態になっており、教会から利子付き貸出だとして非難されたからです。

要するに「中世合名・合資会社成立史」を読んでいないと「宗教ゲマインシャフテン」も正しく訳せないということです。

Im übrigen aber ist zu bedenken, daß im Mittelalter der feste Zins zunächst gerade bei den damals sehr stark risikobelasteten, namentlich den für überseeische Geschäfte geschlossenen, Erwerbskreditverträgen (wie sie z.B. auch für Mündelgelder in Italien universell benutzt wurden) ohnehin die seltene Ausnahme war gegenüber einer verschieden begrenzten und zuweilen (im Pisaner Constitutum Usus) tarifierten Teilnahme an Risiko und Gewinn des Geschäfts (commenda dare ad proficuum de mari).

折原訳
もっとも、中世には当初、定額利子が、当時はきわめて危険の多い、とりわけ海外交易事業に乗り出すさいに締結される営利貸付契約に適用され (たとえばイタリアでは、後見人が管理する被後見人の所持金にも、あまねく適用された)、いずれにせよ稀な例外に属し、事業の危険と利益に参加する形式としてはむしろ、さまざまな条件に即して、ときには (ピサのコンスティテュートゥム・ウースス [Constitutum Usus]に見られるように) 固定配当金による出資型のコムメンダ[commenda dare ad proficuum de mari]が多用されていた、という事情を考慮に入れるべきであろう。

丸山訳
しかしながら、その他のことで考慮すべきことは以下である。中世においては固定利率の利子が、まず何よりも特別に強く危険負担[分担]的な、特に海上取引のために締結された業務上の信用諸契約(例えば、イタリアでは被後見人の所持金に対しても広く適用された[1])などに使われ、それに対してある様々に限定された、時には(ピサのピサのコンスティテュートゥム・ウースス[Constitutum Usus[2]]の中に見られる)業務の危険と利益について固定料率で参加するというもの( 固定配当金による出資型のコムメンダ[commenda dare ad proficuum de mari[3]])に比べれば、いずれにせよ稀な例外であった。

[1] 中世イタリアでは被後見人(未成年)の財産で後見人が管理しているものの運用に海上取引が使われたケースが多くある。「中世合名・合資会社成立史」の「ソキエタース法に対する利子禁止原理の意義」を参照。

[2] 1160年頃から編纂されたピサにおける慣習法集成。当時強力な海軍力を持って地中海での貿易が盛んであったピサの状況を反映し、多くの海事関係の慣習法を含む。ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」第4章参照。

[3] コムメンダは中世イタリアの沿岸都市で広く行われていた貿易の形態で、出資者と実際に船旅をして貿易を行う者がパートナーとなり、海上でのリスクと貿易の結果としての利益を分け合うやり方。dare ad proficuum de mari は出資者の位置付けが後退し、貿易の利益の一定部分を取るのではなく、仕向け地毎に決まった固定配当金のみを受け取る形態。そして通常のコムメンダは利子付き貸し出しとは見なされなかったが、この形態は後にそう見なされた。