折原浩訳の問題点(200)

ここの折原訳、200回記念の大型誤訳コレクション。

(1)規模の大きい資金供給者層なのにまたも「大高利貸」
(2)「機会を搾取し尽くし」は日本語として変。「機会を利用し尽くし」ぐらい。
(3)「地獄にも漕ぎ出そう」→「地獄の中を通っていくことも辞さない」
(4)「煉獄の火で焼かれようとも」→地獄と煉獄が同じだと思っている。
(5)「またユダヤ人にも体得され」→そんなことは書いていない。大体心情を体得する、というのは変。
(6)「事態はまさに正反対である」→事態ではなく、Gesinnung、つまり儲けられるだけ儲けるというのと、合理的な経営がまったく正反対である、ということ。

しかも訳注に書いたけど、ヴェーバーのここの書き方は、典型的なユダヤ人に対する偏見に基づいたものとしか思えません。

原文
Und vor allem: jene Wirtschaftsgesinnung, welche allem urwüchsigen Händlertum, dem antiken, ostasiatischen, indischen, mittelalterlichen Händlertum, dem Krämertum im kleinen, dem Großgeldgebertum im großen, typisch war und ist: der Wille und das Verständnis, rücksichtslos jede Chance des Gewinns auszunutzen — »um Gewinnes willen durch die Hölle zu fahren, und wenn sie die Segel versengt« —, diese ist auch den Juden recht stark eigen. Aber gerade sie ist weit entfernt davon, etwas dem modernen Kapitalismus gegenüber anderen kapitalistischen Epochen Eigentümliches zu sein. Im graden Gegenteil.

折原訳
また、他方ではとりわけ、あらゆる原生的商人層――したがって、小は小売商人から大は大高利貸にいたる、古代・東アジア・インド・中世の商人――に典型的に見られ、現に見られる経済心意[志操]、すなわち、いかなる利得の機会も容赦なく搾取し尽くし、「利得のためなら地獄にも漕ぎ出そう、たとえ帆が煉獄の火で焼かれようとも」というような意欲と諒解は、これまたユダヤ人にも体得され、かなり顕著な特徴ともなっていた。ところが、まさにそうした経済心意こそ、近代資本主義に特徴的なもの、すなわち、近代資本主義以外の[前期的]資本主義時代とは対照的に異なる、近代資本主義にこそ特徴的な心意とは、およそ縁遠いものである。事態はまさに正反対である。

丸山訳
そして取り分け:全ての原生的な商人層に、古代の、東アジアの、インドの、中世の商人層に、小規模の小売商人層に、規模の大きい資金供給者層に、かつて典型的であり、今もそうである経済的な心情は:容赦なく利益を得るチャンスを利用し尽くすこと、という欲求と理解であり--「利益のためであれば地獄の業火の中もかいくぐっていく、たとえその火にこの帆が焼かれようとも[1]」--こういったことはまたユダヤ人においても非常に強く特徴として見られるものである[2]。しかしまさにそういった心情は次のものからは遠く隔たっている。つまり近代的な資本主義の何かで、他の資本主義的な時代にはなく、それ特有なものである。以上の二つの心情はまったく反対のものである。

[1] この表現は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では「あのオランダ人船長の」セリフとして紹介されており、つまりいわゆるさまよえるオランダ人伝説とオランダ人はケチで強欲であるというステレオタイプなイメージが結び付いたものである。

[2] こういった書き方は、ユダヤ人に対するきわめてステレオタイプな偏見にしか見えない。

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