折原センセは訳者注をほとんど付けないだけでなく、何と原注まで訳さないで、
[原文に付加された注釈]フォン・エギディ氏への期待と幻滅。
だけで終わらせています。
以下が私の訳ですが、ここはヴェーバー自身の体験として、非常に興味深い、かつ重要なことを言っているのに、訳さないで終わらせるというのは信じられません。フォン・エギディ氏とは、元陸軍中佐までいったバリバリの軍人でありながら平和主義者に転じた過激な人です。
[1] 私には以下の体験がある。それはつまりフォン・エギディ[1] 氏(退役陸軍中佐)が最初に世に出た時、将校集会所でそれなりの期待感が高まったということである。つまり皇帝陛下[ヴィルヘルム2世]が、正統派教会の一員であるエギディ氏が批判する権利があることは当然のことであると考え、その主張するところを理解し、つまり軍隊における神への礼拝の中身は、今後はもはや今までのような子供向けの童話で、信じるに足る真っ当な中核部を持っていると主張出来ないようなものであってはならないとして、その主張を取り上げるのではないか、ということである。しかしそういったことは当然のことながら全く起きなかったので、次に新兵にとっては教会の教えが、彼らにとっては最良の弾除け[2] となるという考え方が広まった。
[1] <丸山> Christoph Moritz von Egidy、1847~1898年、ザクセンの官僚であり後にキリスト教に基づく平和主義者として「宥和」という名前の雑誌の発行者となった。</丸山>
[2] <丸山>原語はFutterでここは「餌」という意味と、「(衣服などの)裏張り」という意味があるが、兵士にとって弾に当たらないことは最大の望みであるため、教会の教えを信じていれば弾に当たることはない、と解釈した。旧日本軍での千人針と同じ。創文社訳は「餌」にしている。正確には記憶していないがレマルクの「西部戦線異状なし」にも同様の迷信的信仰が出て来た筈である。</丸山>