折原浩先生訳の問題点(11)

折原センセは創文社訳がStadtgemeindeを「都市教団」と訳していることを誤訳だと言っているのですが、下記の折原訳と注釈を見る限り、むしろ分かっていないのは折原センセの方で、都市教団で合っていると思います。そもそも都市は既にもっとも普通の意味でのゲマインデであって都市がゲマインデに発展するというのは意味を成しません。

原文:
Und in beiden Fällen hemmten jene Momente sogar, sahen wir, die Entwicklung der Stadt zu einer »Gemeinde« weit stärker als die des Dorfes.

折原訳:
そして、両地域ともに、そうした[宗教的]契機によって、都市がひとつのゲマインデに発展することが、村落がひとつのゲマインデに発展すること以上に、顕著に阻止されたことは、すでにわれわれが見たとおりである 。

折原訳注:
宗教ゲマインデとしての教団と、都市ゲマインデ、村落ゲマインデとの関係。制定秩序の制定によって媒介された近隣ゲマインシャフトのゲマインシャフト結成態というゲマインデの一般概念から、説明。

ここの折原訳と訳注は勘違いも甚だしい、トンデモ解釈です。折原訳はゲマインデを何か村落や都市よりも高次の存在だと思っているようですが、ゲマインデのもっとも普通の意味は同じ場所に住んでいる人の集団(Ortsgemeinde)ということであり、その意味で村落も都市も最初からゲマインデです。なので村落や都市が発展してこの意味のゲマインデになるというのは明らかに論理の破綻です。ここで言っているのはゲマインデがカッコに入れられていることから分かるように、都市が宗教の教団化するということであり、創文社訳の「都市教団」は全く問題のない正しい訳です。そもそもすぐこの前の箇所でミュンスターが再洗礼派に占拠され、財産共有などの過激な政策が採用されたことが出て来ましたが、都市の「ゲマインデ」化とはまさにそういうことです。

折原センセはこの訳を例に出して創文社訳が翻訳の体を成していないと酷評していますが、そういう低レベルの翻訳なのは折原センセの訳の方です。しかも社会学者といいながらこんな基礎概念も分かっていないのですから、全くあきれてものも言えません。「理解社会学のカテゴリー」にこだわるあまり、何でもそこに書いてある図式でしか判断出来ないということでしょう。ちなみに「ローマ土地制度史」では「ゲマインデ」は私の訳で253回も出て来ます。折原センセが言うような「都市の発展した高次の人間集団」などという意味で使われている箇所は一箇所もないことを訳者として断言しておきます。

参考1:この私家版訳をこちらに渡して来た時のメールより:
「じっさい、邦訳文は、基礎概念を表示する術語も、普通名詞と同じように扱って、熟考を凝らしはするのですが、そのときどきのコンテクストに引きずられて、たとえばVergesellschaftung に「利益社会化 (ときには共同体化)」、Stadtgemeinde に「都市教団」という訳語を当てる、といった具合で、読者を、同じ混乱に引き入れ、読解を妨げています。 」

参考2:私が「ローマ土地制度史」の訳でゲマインデに付けた訳注
ドイツ語でGemeindeは「何かを共通にしている人の集団」であって、ゲマインシャフトと意味は近い。しかしゲマインデの場合は Ortsgemeinde として、「ある地域に一緒に住んでいる人の集団」という意味で使われることが多く、地域コミュニティや地方自治体という意味になる。どちらかといえば、行政的・法的に組織された自治体というニュアンスが強いが、ヴェーバーはこの論文では(この論文に限らずと言うべきか)正確な定義無しに多くの地方の集団に対してこの語を使っている。なお、後年の宗教社会学では、ある宗教の教団、例えばキリスト教でのイエス・キリストと12使徒ないしは聖パウロとそれに付き従う人々、といった意味でもゲマインデを使っている。またはカトリック教会での教区という意味もある。