折原浩先生訳の問題点(10)

今日の所は両者が付けた訳注を比較してください。折原センセのは観光ガイド?おそらく以前訪れたことがあるのでしょうが。必要な事項に注釈がない、どうでもいいことに注釈がある典型例です。

原文
Also eine höchst bunte Mannigfaltigkeit, welche wenigstens dies beweist, daß eine eindeutige ökonomische Bedingtheit der Religiosität des Handwerkertums nie bestand. Immerhin liegt höchst deutlich eine ausgesprochene Neigung sowohl zur Gemeindereligiosität, wie zur Erlösungsreligiosität und schließlich auch zur rationalen ethischen Religiosität vor, verglichen mit den bäuerlichen Schichten, und es ist nur nachdrücklich daran zu erinnern, daß auch dieser Gegensatz von eindeutiger Determiniertheit sehr weit entfernt ist, wie denn die Ausbreitungsgebiete zum Beispiel der täuferischen Gemeindereligiosität anfänglich in sehr starkem Maße besonders auf dem platten Lande (Friesland) gelegen haben und in der Stadt (Münster) zunächst gerade ihre sozialrevolutionäre Form eine Stätte fand.

折原訳
したがって、少なくともこうした諸例の、彩色に富む多様性は、職人層の宗教性を一義的に規定する経済的条件はけっして存立しなかったことを、示しているかのようにも見える。ところが、農民諸層と比較すると、ゲマインデ宗教性、また救済宗教性、ついには倫理的宗教性にも向かう紛れもない傾向が、きわめて明瞭に現れており、ただ、こうした [農民層との] 対照的差異が、けっして一義的に決定されているわけではないことを、再度強調すれば足りる。たとえば、洗礼派の普及地域は、当初とくに顕著に [オランダ北部の] 低地農村地帯 (フリースラント) にあったが、やがて都市 (ミュンスター) で初めて、その社会革命的な形態をとるにいたっている[注1]。 注1:ランベルティ教会の檻。

丸山訳
それ故に非常な程度までに様々な多様性は、少なくとも次のことを証明している。それは職人層の信仰は一義的に経済によって制約されたりは決してしていなかったということである。そうではあっても非常に明確なこととして存在したのは、農民層と比較した場合において、ゲマインデ信仰へと同様に、救済信仰とさらに最終的にはまた合理的で倫理的な信仰へと向かう傾向であり、そしてそのことははっきりと次のことを思い起こさせる。つまりまたこうした職人層と農民層の対立が一義的に決定されるかといえば、実際はまったくそれからは遠く離れたものであり、その例としては再洗礼派の信仰が広まった地域を例に取れば、初期は非常に強い程度で特に平野部(フリースラント[1])に在り、次の段階として都市(ミュンスター[2])においてその社会革命的な形態[3] の実現場所を見出したというのがある。

[1] <丸山>オランダ・ドイツの北海沿岸の低地。16世紀に神聖ローマ帝国のカール5世が併合するまで領主不在の時期が続き、自由な農民が多かった。</丸山>

[2] <丸山>現在のドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州ミュンスター行政管区。ドイツで20番目に大きな都市。</丸山>

[3] <丸山>再洗礼派の指導者のヤン・マティスが1534年2月にオランダからミュンスターにやって来て、同じ月に市参事会選挙で勝利した他の再洗礼派と一緒に成人洗礼を受け入れない市民の追放、財産共有制、一夫多妻制などの革新的な政策を実施した。最終的には1535年6月にミュンスター司教の軍勢が市を包囲して陥落させ、ほとんどの男性は殺され、首謀者3人は処刑されその死体が見せしめのため聖ランベルティ教会の塔に吊された。この反乱は再洗礼派の中では一部の動きであり、再洗礼派全て(全部で60派くらいあった)がこういう動きをしたのではない。またミュンスターにおいての再洗礼派の支持者は都市の下層民であり、職人層ではないことにも注意。更には単純に反カトリックだけでなく反ルター派でもあり、ルター派のように既存の世俗秩序を認めなかった。</丸山>