折原浩訳の問題点(210)

(1) menschenbezwingendenは「人間を圧倒するような」であり「人間として抑えようのない」ではありません。
(2) 「歓喜の叫びを」「行間から」「感得する」って日本語としてつながりません。
「行間を読む」は元の文章にははっきり書いていないことを読み解くことです。また「感得する」は「深い道理などをはっきりと感じ、悟ること」(明鏡国語辞典)です。ヴェーバーが言っているのはパウロ書簡のどの行を見ても、そこには律法から解放された圧倒的な喜びをすぐに感じ取ることが出来る、と言っているだけです。行間を読んだり、感得する必要性はまったくありません。日本語センスの怪しい方々に限って、国語辞書を引くという習慣がないように見えます。

Den menschenbezwingenden Jubel des aus dem hoffnungslosen »Sklavengesetz« mit dem Blut des Messias in die Freiheit Erkauften fühlen wir aus jeder Zeile, die Paulus schrieb. Die Möglichkeit christlicher Weltmission aber war die Folge. Ganz ebenso übernahmen die Puritaner gerade nicht das talmudische und auch nicht das alttestamentliche spezifisch jüdische rituelle Gesetz, sondern die sonstigen im Alten Testament bezeugten — schwankend, in welchem Umfang noch maßgebenden — Willensäußerungen Gottes, oft bis in Einzelheiten, und fügten sie zusammen mit den neutestamentlichen Normen.

折原訳
メシアの血によって、望みのない「奴隷律法」から自由の身へと贖い出された者たちの、人間として抑えようのない歓喜の叫びを、我々はパウロ書簡のどの行間からも感得する。キリスト教の世界伝道の可能性は、まさにそこで開けたのである。まったく同様に、ピューリタンが引き継いだものは、タルムードの律法や、旧約聖書中のユダヤ教に特有の儀礼的律法ではなく、旧約聖書に証示されている、まさにそれ以外の――どこまでが権威あるものかは、確定し難いが――しばしば細部にまでおよぶ神意の表明であり、しかもこれを、ピューリタンは、新約聖書の諸規範と接合したのである。

丸山訳
希望の持てない「奴隷律法」から、メシアの血によって自由へと購われたことへの人間を圧倒するほどの歓喜を、我々はパウロが書いたもののどの1行からも感じることが出来る。キリスト教の世界伝道の可能性はしかしその結果である。全く同様にピューリタン達が受け取ったのは、まさしくタルムードのそして旧約聖書の、特別にユダヤ的な儀式律法ではなく、そうではなくてその他の、旧約聖書にて証明された--どの範囲までが決定的なものなのかは流動的ではあるが--様々な神の意志の表示であり、それもしばしば個々の部分までであり、ピューリタン達はそれを新約聖書の規範とつなぎ合わせたのである。

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