折原浩訳の問題点(158)

Jenseitsが出てくると、機械的に「彼岸」と訳す人。ここでは現世で約束を守らないと、輪廻転生での次の生で罰を受けるということであり、彼岸というのはその輪廻の輪から抜け出た場所です。仏教についてもまったく分かっていないことを示す訳です。

原文
Die Pfändung der Mumie des Toten in Ägypten oder die in manchen asiatischen Religiositäten verbreitete Vorstellung, daß wer ein Versprechen, also auch ein Schuldversprechen, namentlich ein eidliches, nicht halte, im Jenseits gequält werde und daher seinerseits die Ruhe der Nachfahren durch bösen Zauber stören könne, gehören dahin. Im Mittelalter ist, worauf Schulte hinwies, der Bischof besonders kreditwürdig, weil im Fall des Bruchs der Zusage, zumal der eidlichen, die Exkommunikation seine ganze Existenz vernichtete (darin ähnlich der spezifischen Kreditwürdigkeit unserer Leutnants und Couleurstudenten).

折原訳
エジプトにおける死者のミイラの差し押さえや、アジアの数多の宗教性に普及しているつぎのような考えは、そうした利用の類に属する。すなわち、約束を守らない者、したがってまた、負債の約束、殊に誓約を交わした約束を守らない者は、彼岸において苦しめられるが、かれとしても、悪しき呪術によって子孫の平安を脅かすことができる、という考えである。西洋中世には、シュルテが指摘しているとおり、司教には特別に信用が置ける、と考えられた。それというのも、司教が、約束とくに誓約による約束を破ると、破門されて、全生活が破滅するからである (ドイツで、少尉や学生組合員に特別の信用が置かれるのも、同じことである)。

丸山訳
エジプトにおいての死者のミイラの差し押さえ、または多くのアジア的な信仰におい広範に存在していた考え方である、約束を、つまりはまた債務についての約束を、特に誓約付きの約束を守らない者は、次の生で苦しみを受け、そしてそこからその者はその者なりに、子孫の平安を悪しき呪いによって妨げることが出来るという考え方は、父祖への恭順の利用の例である。中世においては、シュルテ[1]が言及しているように、司教は特別に[債務者としての]信用力があるとされ、何故なら約束した債務について不履行だった場合には、取り分け誓約付きの約束がそうだった場合、破門されてその者の全存在が無に帰するからである(その点で類似している例には、ドイツでの少尉[若い下級将校]と学生組合に所属する大学生がある[2])。

[1] Aloys Schulte、1857~1941年、ドイツの歴史家で中世の商業史・交通史の研究家。カトリック信者。

[2] ヴェーバー自身、若い頃の軍役で少尉→中尉にまでなっており、またハイデルベルク大学の学生時代学生組合のメンバーであった。学生組合は決闘を行うなど名誉を重んじており、ヴェーバー自身も決闘を行って顔に傷を負い、ヘレーネから平手打ちをくらっている。

折原浩訳の問題点(157)

ここはan der Person haftete で誰が見ても債務が個人に帰属させられていた(人的責任)ということを言っているだけなのに、「債務者の即人的対応に委ねられていた」という意味不明の訳。そして最後のDann以下も「やがて」ではなく、その場合には次のステップとして、ぐらいの意味。また「事実の世界」もあまりに直訳で何を言っているのか分かりません。「露骨に」もganz directの訳としてはあまりにも俗っぽいです。

原文
In der Welt der Tatsachen hat dabei die religiöse Ethik infolge der unvermeidlichen Kompromisse, verschiedene Schicksale gehabt. Von jeher ist sie ganz direkt für rationale ökonomische Zwecke, insbesondere auch der Gläubiger, benutzt worden. Namentlich da, wo die Schuld rechtlich noch streng an der Person des Schuldners haftete. Dann wurde die Ahnenpietät der Erben ausgenutzt.

折原訳
そのさい、事実の世界においては、宗教倫理が、現世との妥協を避けられず、さまざまな運命をたどる結果となる。宗教倫理は太古から、合理的な経済的目的のため、とりわけ債権者の [債務者が債務を履行するように仕向ける]目的に、露骨に利用されてきた。債務 [の履行] が、法律上なお大幅に、債務者の即人的対応に委ねられていたところでは、殊にそうであった。やがて、祖先にたいする相続人の恭順が、存分に利用された。

丸山訳
その際に宗教的な倫理は、現実で構成された現世において、避け難い妥協の結果として、様々な運命をたどったのである。ずっと以前から宗教的な倫理はまったく直接的に合理的な経済上の諸目的のために、特にまた債権者の諸目的のために利用されたのである。それは特に、債務が法的にはまだ厳格に債務者自身に帰属されていた場合にそうであった。その場合には、相続人の父祖への恭順が徹底して利用されたのである。