Jenseitsを彼岸と訳す危うさ

創文社訳も、折原訳も、J(j)enseits、D(d)iesseitsをほぼ100%といって良い確率で「彼岸」「此岸」と訳しています。(先頭大文字は名詞、小文字は副詞。)
確かにjenseitsは「あちら側に」という意味でdiesseitsは「こちら側に」という意味なので、彼岸は「かの岸」、此岸は「この岸」だから、訳に使ってもいいだろう、ぐらいにししか考えていないように思います。この点で罪が重いのは、ニーチェのJenseits von Gut und Böseの日本語訳です。このタイトルは本来は「善と悪の区別を超えた所に」ぐらいの意味だと思いますが、それを「善悪の彼岸」と訳したのは、ある意味名訳なのかもしれませんが、これが誤解を撒き散らしたように思います。
彼岸と此岸は本来仏教用語であり、此岸が今我々が住んでいる「この世」であり、彼岸は輪廻の激流の「向こう岸」にある悟りの境地、涅槃のことです。(元々サンスクリットの「pāramitā=波羅蜜多」を「至彼岸」と漢訳したものです。)春と秋の昼と夜の長さが同じ頃を「お彼岸」というのは、太陽が真西に沈み、西方浄土は涅槃=彼岸と同一視されたので、その西方浄土にもっとも近くなった頃という意味からです。また日本で誰も向こう岸のことを「彼岸」と言う人はいません。
少なくとも、木村・相良とか小学館の独和大辞典にはJ(j)enseitsで「彼岸」という意味は載せていませんが、最近の辞書には残念ながら載せているものもあるようです。
私がこうした訳を問題にしているのは、「宗教ゲマインシャフテン」の論文だからであり、キリスト教徒が最後の審判を受けて、イエスの元に迎え入れられる新しい世のことを「彼岸」とするのは、非常に程度のひどい誤訳です。キリスト教関係のことについて書いてある場所であれば、適宜「来世」「来るべき世」などと訳すしかありません。またこの前の折原誤訳指摘のように、輪廻転生での次の生を「彼岸」と訳すのも、これまた信じられないような誤訳です。

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