折原浩訳の問題点(151)

今、前の箇所でグリァソンの「沈黙交易」への参照と見られるのが出て来て、同書の日本語訳を改めて読んでいますが、この箇所に書いてあることも、元ネタはグリァソンだと思います。それどころか、有名な「対内倫理と対外倫理の使い分け」(古代ユダヤ教)も元ネタはグリァソンだと思います。

そういう背景を押さえて上で折原訳を見ると

(1)Grenzeが限界ではなく、ある人間集団の「境界」のこと。対内と対外を分かつものです。
(2)保護と恩恵→これもおかしく、寛大さと慈悲、くらいです。
(3)従順と好意→自発性・自発的協力と好意、です。

原文
Innerhalb bestimmter Grenzen ist ja Schonung und Güte auch gegen die eigenen Gewaltunterworfenen ein eigenes wohlverstandenes Interesse des Gewalthabers, da von deren Gutwilligkeit und Zuneigung, in Ermangelung rationaler Kontrollmittel, seine Sicherheit und Einkünfte weitgehend abhängen.

折原訳
それというのも、特定の限界内では、自分の権力に従属している者に対しても、保護と恩恵を施すことが、よく考えれば、権力保有者自身の利害に適う所作だからである。合理的な統制手段を持たない場合、かれの安全と収入は、従属者の従順と好意に大幅に依存せざるをえない。

丸山訳
特定の[国境や村境のような]境界の内部では、自分の権力に服する者達への寛大さと慈悲は確かにまた、権力保持者自身が良く分かっている利害に適うことであり、というのはその権力保持者の安全と所得は、合理的な制御手段が欠乏している場合には、広範囲に権力に服する者達の自発的協力と好意に依存するからである。