今度こそMWGの全集の間違った注釈(2)-ヴェーバーはポトラッチを知っていた

色々調べましたが、私としての結論は、ここのsahen wir はオリジナルのsehen wir が正しく、その場合には前後参照句ではなく、「人類学の研究にて報告されているように」ぐらいが一番正しいと思います。そもそも文頭で In naturalwirtschaftlichen Verhältnissen (自然経済的な状況では)とわざわざ断っている訳ですから、ここは人類学の知見に関連して言っていると考えるのは自然です。また前後参照句ならヴェーバーは通常wieを前に付けていますし、また過去形ないし未来形で通常は書かれます。書き直した訳注は以下の通り:

MWGの全集は、初版ではsehen wirだったのをsahen wirに変更した上で、参照先を最初の全集の209ページ(家ゲマインシャフト)としている。しかしそこに書かれているのは、「大所有は、まさに所有であるがゆえに社会的地位の担い手となる。」であり全く逆の内容である。訳者の方で別途調べて、下記の箇所の可能性も検討した:
„Klassen“, „Stände“ und „Parteien“(「階級」、「身分」、「政党」)
最初の全集のP.635
Aber die ständische Ehre muß nicht notwendig an eine „Klassenlage“ anknüpfen, sie steht normalerweise vielmehr mit den Prätensionen des nackten Besitzes als solchem in schroffem Widerspruch.

濱島朗訳(みすず書房「権力と支配」P.226)
「だが身分的名誉は必然的にある「階級的地位」に結びつくとはかぎらない。かえってそれは、露骨な所有自体の要求ときびしく矛盾するのが普通である。」(漢字を新字体に変更)

しかしここも直接の参照先としては微妙に違っているように思われれる。何故ならばここでヴェーバーが述べているのは文化人類学で言うポトラッチ(顕示的消費)的なことであるからである。むしろ可能性があるのは最初の全集のsehen wir が正しいということである。「ポトラッチ」は既にフランツ・ボアズの1897年のクワキウトル族研究で扱われていたから、ヴェーバーが「ポトラッチ」を知っていた可能性がある。そもそもこの論文の最初の方で出て来たハマチャの兄弟団も同じクワキウトル族の話であることを考えれば、更に知っていた可能性は高い。また何より、ヴェーバーは1903年のグリアソンのSilent Tradeについて他の箇所で言及しているので間違いなく読んでいるが、その中に「例えば、ユーコン川南部の部族では、寛大という名声を得んものとする気概はきわめて大きく、そのためにお返しなど望まず数年間にわたって貯えてきたものを惜しげもなく分配(ギブナウェイ)して、敢えて素寒貧になろうとする。」(ハーベスト社、「沈黙交易」、中村勝訳、P.49)のようなポトラッチについての記述が複数箇所にあるので、ヴェーバーがポトラッチ的概念を知っていたのはほぼ確実である。その場合、sehen wir は前後参照句ではなく、単に「自然経済的な状況で見られるように」という意味の可能性が高く、訳語もそうした。

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