折原浩訳の問題点(196)

ここは最初、何で「愛の信仰」が叙事詩にと思ったんですが、何のことはない折原訳の誤訳でLyrikは叙情詩です。
また、「それぞれの退路が開けている。」もまったくおかしく、単に「芸術に戻ってくる」と言っているだけです。戦争で追い詰められたみたいなイメージは全く原文にはありません。

原文
Und innerlich führt von jeder orgiastischen oder ritualistischen Stimmungsreligiosität, aber auch von der auf mystische Sprengung der Individuation ausgehenden Liebesreligiosität bei aller Heterogenität des letztlich gemeinten »Sinnes« psychologisch der Weg äußerst leicht zur Kunst zurück; von der ersteren besonders zu Sang und Musik, von der zweiten zur bildenden Kunst, von der letzten zur Lyrik und Musik.

折原訳
そのうえ、内面的には、あらゆる狂騒的ないしは儀礼主義的な気分 [を旨とする] 宗教性から、そればかりか、個体化の神秘的破砕をめざす愛の宗教性からも、究極において抱懐されている「意味」の異質性にもかかわらず、心理的にはいたって容易に、芸術に戻る道が通じる。第一の狂騒的宗教性からは、とくに歌唱と音楽に、第二の儀礼主義的宗教性からは、造形美術に、第三の愛の宗教性からは、叙事詩と音楽に、それぞれの退路が開けている。

丸山訳
そして内面的には、全てのオルギア的または儀式主義的な情緒的信仰から、また別には、個体化の神秘的な破壊から現れ出る愛の信仰からも、最終的に想定されている「意義」が全て異なっているという状況では、心理的には結局の所、容易に芸術に舞い戻ってしまうのである;最初のもの[オルギア的な信仰]からは特に歌唱と音楽であり、二番目[儀礼主義的信仰]からは造形芸術であり、最後のもの[愛の信仰]からは音楽と[それとセットになった]叙情詩である。

折原浩訳の問題点(195)

今日もまた大物の誤訳。
「皇帝教皇主義」は私が訳注に書いたように、東方教会やロシアでのもの。なので[ローマ・カトリック教会の]という補足は噴飯ものの間違い。しかも皇帝教皇主義的な皇帝の権力のなのに、皇帝教皇主義的教皇権力と訳して二重の間違い。
それ以外にも
Ganz abgesehen davon, daß「~を別にしても」の部分が全くの誤訳。
[やはり、宗教倫理上の反偶像的スタンスからではなく]→勝手に補足しています。皇帝自体が反聖像主義でなかったとどうして断定出来るのでしょうか。
「東方教会のこの収入源」→ビサンチンの修道士達の収入源
「[全世界の普遍的] 教会支配計画」→全世界まで考えていたというのはどこから出てくるのか?

原文
Ganz abgesehen davon, daß eine organisierte Massenreligiosität nicht selten mit der Kunst durch ökonomische Interessen eng verknüpft ist, wie z.B. bei dem Ikonenhandel der byzantinischen Mönche, welche Gegner der, auf das bilderstürmerische, weil aus den Grenzprovinzen des damals noch streng spiritualistischen Islam rekrutierte Heer gestützten, cäsaropapistischen Kaisergewalt waren, während diese ihrerseits umgekehrt gerade durch Abschneidung dieser Verdienstquelle diesem gefährlichsten Gegner ihrer Kirchenherrschaftspläne die Existenz abschneiden wollte.

折原訳
組織化された大衆宗教性が、経済的な利害関心によって芸術と緊密に結びついていることも、稀ではない。たとえば、画像 [制作]販売に携わったビザンチン [東方教会]の修道士は、[ローマ・カトリック教会の] 皇帝教皇主義的教皇権力 にたいする敵対者であったが、この皇帝権力は、当時はなお厳格に霊性主義的だったイスラムとの境界地域から補充され、それゆえに偶像破壊的な軍隊によって支えられており、それはそれで、逆に [やはり、宗教倫理上の反偶像的スタンスからではなく]、まさに東方教会のこの収入源を断ち切ることによって、彼らの [全世界の普遍的] 教会支配計画にとってもっとも危険な敵対者の、息の根を止めようと企てたのである。

丸山訳
ある組織化された大衆的な信仰が、経済的な利害によって緊密に芸術と結び付けられているということが、決して稀ではないということを別にしても[大衆的宗教と芸術の緊密な関係は明らかであり]、例えば[そういう経済的利害で結び付いた例としてあるのが]ビサンチンの修道士のイコン販売が、その修道士達は皇帝教皇主義[1] 的な皇帝の権力に敵対していたのであるが、その皇帝の権力はその当時まだ厳格に霊性を重んじていたイスラム教との境界領域から徴兵されていたため[2] 聖像破壊主義的であった軍隊に支持されており、この権力がそちら側の立場からは逆に、まさにこの修道士達の収入源を断ち切ることによって、その権力の教会に対する支配諸計画の、この危険な敵対勢力について、その存在を消し去ろうと欲したからである。

[1] 東ローマ帝国やロシアにおいて、世俗の皇帝が宗教的権威である教皇や教会をも支配するという体制や考え方のこと。

[2] 7世紀に西アジアに発生したイスラム教は偶像崇拝を厳しく排斥した。