折原浩訳の問題点(139)

ここの折原訳は、Trotz、Stolzを全面的に良い意味として、心意[志操]、矜持と訳していますが、果たしてそうでしょうか?「ファリサイ派」という括弧書きが付いている以上、ここは、「勇猛さ、豪胆さ」や「誇り、プライド」というポジティブな意味と同時に「尊大さ、傲慢さ」というネガティブな意味も同時に含んでいると解釈すべきと思います。ファリサイ派は、自分達が律法を遵守しているから救われると思い上がっていた人達であることを考えれば、この解釈は自然です。

(Prädestinationについては、従来の「予定」という日本語訳は、取り消しや変更が可能という風に読めてしまうため、私は「既定」にしています。)

原文
Wie die moira und der Trotz, sie zu bestehen, den kriegerischen Heldenstolz, so speist die Prädestination den (»pharisäischen«) Stolz heroistischer bürgerlicher Askese.

折原訳
運命と運命に耐えて動じない心意 [志操]が、戦士の英雄的矜恃を育成するのと同様、予定は、市民の英雄的禁欲の (「ファリサイ的」) 矜恃を培う。

丸山訳
運命[moira]とそれに耐える不適さが、戦士の英雄としての誇り(尊大さ)[1] の元となるように、既定という考え方は英雄的な市民の禁欲においての(「ファリサイ派的な」)誇り(尊大さ)の元となる。

[1] わざわざ「ファリサイ派」と補足していることから考えて、ここでのTrotz、Stolzは良い意味だけではなく「傲慢さ、尊大さ」というネガティブな意味も含んでいると考えられる。

 

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