「理解社会学のカテゴリー」を「経済と社会」旧稿の「頭」と表現するのは適切か?


ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」、理解社会学の意味をもう一度自分なりに考えなおすため、最近写真に写っている複数の書籍を、「同時に」少しずつ読んでいます。とはいってもどれもほんの少しを読んだだけであり、まだ結論を出すには早すぎますが、それでも私なりに見えて来たものがあるので、途中経過の記録という意味でアップします。
まず「理解社会学のカテゴリー」自体をヴェーバーが後にどう評価しているかと言うと、それは「社会学の根本概念」の冒頭にありますが、「社会学の根本概念」での規定と合わせて、「こうした入門的な概念規定はたしかに欠くことができないものであるが、しかしそれはいきおい抽象的かつ没現実的 (Wirklichkeitsfremd) とならざるをえない。」としています。(恒星社厚生閣、阿閉・内藤訳、P.5)”Wirklichkeitsfremd”はもっと噛み砕けば「現実とは縁遠い」ということです。こうした述懐が、「理解社会学のカテゴリー」を書いて、その後「経済と社会」の旧稿を書いて、そして第1次世界大戦によるインターバルの後に書かれているというのは非常に興味深いです。このことは私自身、「経済と社会」の旧稿を含む一通りを通読して、同様に感じた所です。もちろん旧稿を読むのに「理解社会学のカテゴリー」の用語法をまず知っておく必要性があるのは当然のことで何も否定しませんが、果たしてそれが「頭」というほど全体を支配している方法論なのかというと疑問です。もちろん法社会学での法教義学と法社会学の区別といった概念的な所では「カテゴリー」の概念は上手く使われています。しかし、法社会学の後半部、支配、都市、宗教といった歴史上の具体的な部分を扱う場所については、ヴェーバーが自身言うように「現実とは縁遠い」概念であり、それが有効に働いているとは思えません。私自身が旧稿に対する「カテゴリー」の位置付けを形容するのであれば、それは「頭」というより音楽用語での「通奏低音」みたいなものではないかと。
写真に写っているような書籍を眺めだして段々と見えて来た、「理解社会学のカテゴリー」(および一連の科学論文)をヴェーバーが書いた動機と言うのは、

(1)19世紀後半の国民経済学に顕著な科学と倫理を一緒にしたような学問のあり方への批判(グスタフ・フォン・シュモラー、「国民経済、国民経済学および方法」、日本経済評論社、田村信一訳、P.172、原著:1911年「古い宗教・道徳体系、古い国家理論、古い国民経済学は、存在・事象を説明しようとするよりも、むしろ価値判断と理想に立脚して当為Sollenを説教しようとすいる目的をもっていたといっても過言ではない。」→シュモラーはヴェーバーとの価値判断論争で有名ですが、だからといってシュモラーが学問と価値判断をまぜこぜにしている訳ではなく、シュモラーもまた古い国民経済学から訣別しようとしていました。シュモラーとヴェーバーの違いは「客観的な」価値判断というものが成立するかどうかという点です。)
(2)19世紀後半に優勢だった「心理学が全ての科学の基礎である」(心理学主義)という考え方からはっきりと自分の立場を別にすること。(この点はフッサールがやったこととほぼ同じ。またテンニースの後継者の社会学者フィーアカントがまさに心理学主義的な社会学を提唱した。)
(3)マルクス主義における唯物論、史的弁証法、あるいは唯物論の逆の唯心論(シュタムラー)、国家有機体説(ヘーゲル、ロッシャー他)など、複雑な歴史の諸現象を単純な枠組みで全て説明してしまうような乱暴な方法論からの訣別
(4)人間集団を表現するタームを日常的な用語法からはっきり切り離して、ある程度厳密で科学的な定義を与えること(おそらくゴットルの影響?)
(5)ジンメル的なすべてを人間の表象に還元し、歴史における客観的事実を認めない立場との差別化
(6)メンガーとシュモラーの間で行われたいわゆる「方法論争」に対するヴェーバーなりの応答。メンガーらが経済学で行った「限界効用」という基礎概念に基づく分析の社会学版を検討しようとした。

といったことではないかと思います。フッサールの書籍のタイトルをもじれば、「厳密な科学としての社会経済学」を打ち立てようという、ある意味野心的試みかと思います。それはいいのですが、「経済と社会」がそもそも教科書として書かれたということを考えれば、ヴェーバーがやはり「社会学の根本概念」の緒言で書いているように、あまりにペダンチックだと思います。ミュンヘン大学の学生が「理解社会学のカテゴリー」をほとんど理解しなかったすれば、それは「教科書」としては失格ということになります。

「理解社会学のカテゴリー」の冒頭で言及されているフッサールの著作

この前の投稿で、理解社会学のカテゴリーの冒頭の注釈で言及されているフッサールの著作は「厳密な学としての哲学」ではないかと推定しましたが、実際に取り寄せてみたら、その推定は正しかった(少なくともこの書は間違いなくその一つ)と思います。

(1)これが書かれたのが1910年、「カテゴリー」は1913年で時系列では無理が無い。
(2)掲載誌が、「カテゴリー」と同じ「ロゴス」で、それも創刊号。これによってヴェーバーが読んでいる可能性が高くなります。
(3)下記の目次(クリックで拡大します)を見ても、心理学への批判、(現象学と)心理学との区別についての言及があり、「カテゴリー」と共通性があります。(フッサールの最初のまとまった論考は「算術の哲学―論理学的かつ心理学的研究―」で、タイトル通り数学・算数を心理学的なものとして位置付けようとしています。しかしそれでは科学の客観性が担保されないという批判を受けて、その後心理学主義から訣別します。)
(4)訳者によればこの書で始めて「現象学」が厳密に定義されたそうです。

中野氏に解説していただきたかったこと

中野敏男氏の「ヴェーバー入門」批評の補遺。
ヴェーバーは「理解社会学のカテゴリー」の冒頭の注釈で、以下の人名(と書名)を挙げています。(後ろに?があるのは書名記載が無く、私が想像したもの)

ジンメル「歴史哲学の諸問題」
リッケルト「自然科学の概念形成の限界。歴史科学への論理的入門」(第二版)
ヤスパース「精神物理学総論」
ゴットル「言葉の支配」
ラートブルフ「法哲学」?
フッサール「厳密な学としての哲学」?
エミール・ラスク「哲学の論理学とカテゴリー論」?

テンニース「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」
フィーアカント「社会学」
シュタムラー「唯物論的歴史把握による経済と法」

最初の7人はヴェーバーが影響を受けたもの。そしてその次の2人はヴェーバーが「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」について別の説明をしているけど、2人の見解を否定しているのではない、としているもの。そしてシュタムラーはヴェーバーが批判して、このカテゴリー論文を本来はシュタムラーが書くべきだったもの、としています。

中野書でこれらの人と書について解説があるのは、ほぼジンメルだけです。その他シュモラー、クニース、ヘーゲル等ここには出て来ない人に対してかなりのページが割かれています。「理解社会学」が重要だと言うなら、何故ヴェーバーが一番最初に言及しているこれらの人々の主張とのつながりが解説されていないのでしょうか。ちなみにこれらの参照は、ほぼそのまま「社会学の根本概念」でも繰り返されています。入門書レベルで解説すべきではない、というならシュモラーやクニースやヘーゲルの説明もそうであり、一貫していません。

私は上記のものについて、入手可能な邦訳を取り寄せ中です。ゴットルについては森川剛光さんの「社会科学方法論における初期ゴットルとマックス・ヴェーバー」がここで入手可能です。これを読んだだけでも、私の理解社会学への理解はかなり深まりました。ゴットルは国民経済学の根本概念として 「財 」 「資本」 「価 値 」 「富」 「経済」などが使われているのを、国民経済学者はそれらについての意味を一般的な世間での曖昧な概念に依存していて、きちんとした学問的な定義を行うことなくそれぞれだけを個別に論じている、と批判しています。ヴェーバーがここでゴットルに言及しているのは、ヴェーバーもカテゴリー論文で、日常的に使われている「ゲマインシャフト」や「ゲゼルシャフト」を、その一般的な意味をベースにするのではなく、学問的にどう定義するかという意味で、ゲマインシャフト行為やゲゼルシャフト行為といった、実際の人間集団においてはほとんど意識されない始原的な発生契機に遡って分析して定義に使っていると理解しました。

ところで折原浩先生が、私の中野書批評で、「経済と社会」は理解社会学のカテゴリーの概念だけでは読めない、その例としてギールケのゲノッセンシャフト他を挙げたのに対し、下記のコメントをされています。
「これは別件ですが、「カテゴリー論文」で規定されるのは、まさにいくつかのeinigeもっとも一般的な基礎範疇(「シュタムラーが本来――規範学と経験科学とを混同せずに――言うべきであったこと」)にほかなりません。「家」、「近隣」、「氏族」その他、「普遍的な種類のゲマインシャフト」にかんする基礎概念ではありません。① たとえば、突然の驟雨に通行人が一斉に雨傘を広げる、相互間に意味関係」はない、自然現象への「斉一反応」、②「無定形のゲマインシャフト行為」、③「慣習律に準拠する諒解(ゲマインシャフト)行為」、④「制定秩序に準拠するゲゼルシャフト(的ゲマインシャフト行為」という四基礎範疇を定立し、社会関係一般の 「合理化」尺度を「類的理念型}として設定し、「旧稿」本論における具体的適用にそなえているわけです。」

この折原先生の意見に対しては以下反論します。
(1)ギールケのゲノッセンシャフトは、歴史における個々の「普遍的な種類のゲマインシャフト」を指すものではなく、それ自体ヴェーバーのゲマインシャフトやゲゼルシャフトと同じレベルのカテゴリー概念である。(ギールケはゲルマン民族のもっとも特徴的な「精神」と捉えています。)
(2)何よりヴェーバー自身がまさに「理解社会学のカテゴリー」の中で「国家」や「ゲノッセンシャフト」(海老原・中野訳では「仲間団体」)や「封建制」の概念は、社会学にとっては一般的に言って、人間の特定の種類の共同行為のカテゴリーを表現している、と書いています。(海老原・中野訳、P.38。ついでですが、Genossenschaftは「仲間団体」などとは訳さず、「ゲノッセンシャフト」と訳すべきと思います。ギールケの「ドイツ団体法論」の訳者の庄子良男さんもそう主張され、一貫して「ゲノッセンシャフト」と訳されています。また単語としてはGenossenverband, Genossenschafstverbandというのもドイツ語にはあります。後者は海老原・中野訳式だと「仲間団体団体」になってしまいます。)
(3)ヴェーバーが「理解社会学のカテゴリー」ではフェライン、アンシュタルト等も定義しており、これらはギールケの「ドイツ団体法論」でも登場する。(ヴェーバーとは若干定義が違う。)

(1)~(3)から、ヴェーバーを(経済と社会を)理解するには「理解社会学」があればいい、といった主張はバランスを欠いていると思いますし、また最初に書いたように、そう主張するならもう少し丁寧に同時代の他の思想家・学者の主張との関連を説明して欲しかったです。(なお、「理解社会学のカテゴリー」の日本語訳にある中野氏の「解説」も参照しましたが、そこにもそういう説明はありませんでした。)

 

 

 

 

都市の類型学におけるヴェーバーの「日本の都市」分析の誤り

「都市の類型学」で日本の都市についての言及が3箇所ぐらい出てきますが、どうも私はこれが信用出来ないと思います。

(1)世良訳のP.26

ヨーロッパの都市は、衛戌えいじゅ地(軍隊が永久的に駐屯している土地)または特殊な要塞であり、日本にはこういう都市はまったく存在しなかった。つまりは日本にはそもそも都市が存在しなかった。

古い方で言えば、佐賀の吉野ヶ里遺跡は、相当な規模の環濠や物見櫓と思われるものを供えたある意味要塞的な小都市です。
また戦国時代の大名の城を中心とした城下町は要塞都市と十分言えるでしょうし、また石山本願寺のあった大坂、堺、奈良の今井などはすべて環濠城塞都市でしょう。また、日本は海に囲まれて外国からの侵略を受けることが相対的に非常に少なかったので、環濠都市の必要性が低かっただけで、それをもってして日本に都市は無かったなどとは暴論です。(私は九州に多い、「原」を「バル・ハル」と読む地名が、サンスクリットの-pur(城塞都市を示す地名接尾語。例:シンガプラ=シンガポール)と関係があるのではという仮説を立てたことがあります。日本では確かに大規模な城塞都市がほとんどなかったのは事実です。)

(2)世良訳のP.42

都市ゲマインデの条件は(1)防御施設(2)市場(3)自分自身の裁判所、独自の法(4)団体として他から区別される性格を持つこと(5)自律性と自首性をもつこと。(日本にはそういう都市は存在しなかった。)

堺や今井については、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)は全て揃っていたと見なし得ます。堺については、他ならぬヨーロッパからの宣教師であるガスパル・ヴィレラが「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる。」というようにヴェネツィアと同じく自治都市であることをはっきりと書いています。

(3)世良訳のP.45

都市の住民の特殊身分的な資格が中国・インド・日本の都市には全く存在していない。

やはりイエズス会の宣教師の報告書の中に堺について「他の諸国において動乱あるも、この町にはかつてなく敗者も勝者もこの町に在住すれば、皆平和に生活し、諸人相和し、他人に害を加えるものなし。」とあり、明らかに堺の住民は他の日本の地域とは明らかに違う特殊な身分であったことが伺えます。「都市の空気は自由にする」という言葉は堺にも当てはまるでしょう。

ヴェーバーの日本の都市に関する考察は、明治政府のお抱え外人だった経済学者のラートゲン(ちなみにヴェーバーがメンタルの病気を発症後、ハイデルベルク大学の国民経済学教授の地位を継いだ人です)が書いたもの等を参考にしているようですが、上記のように短兵急で限られた資料からだけ判断したお粗末なものだと思います。

オットー・フォン・ギールケの「ドイツ団体法論」

オットー・フォン・ギールケの「ドイツ団体法論」四分冊を入手しました。中野書への批評の中で、「理解社会学のカテゴリー」だけでは「経済と社会」全体を理解出来ない、という例として、オットー・フォン・ギールケの概念であるゲノッセンシャフトとケルパーシャフトを挙げました。実は「中世合名・合資会社成立史」を訳した時にも、ギールケが何を論じたのかは確認したくて、「ドイツ団体法論」を参照したかったのですが、買うと四分冊で合わせて6万円弱、という価格なのでちょっと手を出せませんでした。(あの翻訳のためには学説彙纂の英訳とか、オックスフォードのラテン語大辞典とか色々書籍代がかさんでいます。)しかし色々調べていくと、結局ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」は、ギールケのこの書籍を通説(あるいは当時の学問的常識)として前提とした議論をしていると私には思え、ヴェーバーとしては「ゲマインシャフト行為」「ゲゼルシャフト行為」のような個々人の「行為」に着目することでここは確かに「理解社会学的」視点を新たに提唱しています。それからアンシュタルトやフェラインと言ったものは、ギールケの書籍にも当然出てくるのであり、それに対してヴェーバーは例えばアンシュタルトについては(普通はこれは公的機関、公的施設という意味です)、「人が自由意志に関係なく生まれた時から所属するようになるもの」という点を強調して独自色を出しています。
ヴェーバーの「経済と社会」はなるほど確かに「決疑論」の集成ではありますが、ギールケのこの書籍は「決疑論」という意味ではそれをはるかに上回るレベルです。私見ですが、ゲノッセンシャフトというのは法律上正式に使われた用語ではなく、ギールケがドイツにおける諸団体を貫く原理としてもっとも重視しているものに見えます。(序文によれば、ゲノッセンシャフトという語を使い出したのはギールケの師のゲルマニストのベーゼラーとのことです。)ギールケはドイツの諸ゲマインシャフトの中に、この「ゲノッセンシャフト」的な要素と「ヘルシャフト」的な要素を見出します。ゲノッセンシャフトは人間同士の横(家族で言えば兄弟姉妹の関係)のつながりであり、ヘルシャフトはそれに対し縦(家族で言えば親子)の関係です。これがある意味合理化され、それぞれ外側からはっきり識別出来る団体として進化したのが、ケルパーシャフトとアンシュタルトということになります。そういう意味ではギールケのアンシュタルト定義はヴェーバーの定義と視点が違います。(ヴェーバーもまた、「法社会学」の中で{世良訳P.205}、「法学的意味におけるアンシュタルトと社会政策的な{世良さんの注ではまたは社会学的な、原文は”sozialpolitisch”=「社会(学)・政治(学)的な」}アンシュタルト概念は単に部分的に一致するにすぎない」と書いています。)またケルパーシャフトは、法人や各種の社団でゲルマン法的な言い方がケルパーシャフトで、ローマ法的な言い方がコルポラチオーンではないかと思いますが、ギールケはこの書籍の前書き(Vorwort、第1巻だけでなく4巻全体への前書き)でフェラインからケルパーシャフトを区別するものとして「観念的な法人格」の存在を挙げています。実はこの第1巻はゲノッセンシャフトについてのもので、ケルパーシャフトについての詳細な議論は第2巻になります。まあその論じている所はこれからぼちぼち目を通していくつもりです。さすがに全部は読めないと思いますが。それから付記しておけば、現代のドイツではゲノッセンシャフトは協同組合の意味になります。また「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」を書いたテンニースは、その両者を統合したのがゲノッセンシャフトと考えていたようです。先日書いた中野書批評をこの観点から振り返って、中野書にもっとも欠けているのはヴェーバーの「経済と社会」におけるいわばギールケ的要素だと思います。

折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」

折原浩先生の「マックス・ヴェーバー研究総括」を先生より贈っていただき落手しました。9月30日に別にAmazonで予約していますが、そちらは10月14-16日出荷予定でまだ届いていません。また現時点ではAmazonの納期は「注文後1~2ヵ月で出荷」になっています。すぐに入手されたいのであれば、複数のオンライン書店をあたった方がいいかと思います。なお未來社のサイトでは10月7日発売となっていますが、例によって嘘情報です。Amazon他に出ている10月12日が本当の発売日だと思います。

浜島朗の「権力と支配」の版の違いについて

現在講談社学術文庫で入手出来る浜島朗(濱嶋朗)氏の「権力と支配」は、ヴェーバーの「経済と社会」の中の支配の諸類型他の日本語訳です。この翻訳には実は3つの版があります。

(1)1954年、みすず書房版
(2)1967年、有斐閣(書名が「権力と支配 : 政治社会学入門」に変更)
(3)2012年、講談社学術文庫(書名が「権力と支配」に戻る。)

実は、(1)→(2)の時に、構成に大きな変更があり、みすず書房版が第二部は「支配の諸類型」だったのが、有斐閣版以降はその中の「官僚制」を残して後は削除されています。
現行の版の内容は、創文社の世良晃志郎さんの訳とすべてかぶっていますので、現在では正直な所日本語訳としてあまり価値は高くありません。むしろみすず書房版の第二部が、現在これ以外では日本語訳が無いため貴重です。私はみすず書房版をamazonのマーケットプレイスで買えましたが、「日本の古本屋」サイトでは検索しても出てきませんでした。

参考までに現行の版とみすず書房版の章構成を引用しておきます。
(みすず書房版に入っている「社会主義」は講演であり、「経済と社会」には含まれていません。)なお、この翻訳は全集第3版に基づくもので、有斐閣版、講談社学術文庫版もそのままです。

現行版(講談社学術文庫版)

第一部 権力と支配
 第一章 正当性の妥当
 第二章 官僚制的行政幹部をそなえた合法的支配
 第三章 伝統的支配
 第四章 カリスマ的支配
 第五章 カリスマの日常化
 第六章 封建制
 第七章 カリスマの没支配的意味転換
 第八章 合議制と権力分立
 第九章 政党
 第十一章 代表
 第十二章 身分と階級       

第二部 官僚制
 1 官僚制の特徴
 2 官僚の地位
 3 官僚制化の前提と根拠
 4 官僚制機構の永続的性格
 5 官僚制化の経済的および社会的帰結
 6 官僚制の権力的地位
 7 官僚制の発展段階
 8 教養と教育の「合理化」

みすず書房版(初版)
第一部 支配の諸類型
一 正當性の妥當
二 官僚制的行政幹部をそなえた合法的支配
三 傳統的支配
四 カリスマ的支配
五 カリスマの日常化
六 封建制
七 カリスマの沒支配的意味轉換
八 合議制と權力分立
九 政黨
十 沒支配的團體行政と代議政治
十一 代表
十二 身分と階級

第二部 支配の諸類型
第一章 支配
第二章 政治共同體
第三章 勢力形象。「國民」
第四章 階級、身分、黨派
第五章 正當
第六章 官僚制

附錄 社會主義

 

 

宗教社会学の邦訳の誤訳

創文社の「宗教社会学」邦訳において、「中世合名・合名会社成立史」に出て来る事項について誤訳がありましたので指摘しておきます。

場所:邦訳(武藤・薗田訳)のp.273(第11節の四、生の宗教的-倫理的合理化と経済的合理化との緊張関係の中)

P.273、6行目

誤:ピサの利益協定(コーンステイトウートウム・ウースース{振り仮名})

正:ピサのConstitutum Usus(1161年に編纂されたピサにおける様々な慣習法、特に商慣習法の集成。Constitutum=協定、法規、Usus=慣習、両方で「慣習法」)

誤:収益率を定めた上で参加する(commenda dare ad proficuum de mari)
正:固定配当金による出資型のコムメンダ(通常のコムメンダは資金提供者と貿易業務の実行者の間で利益を3:1に分けるが、この特殊なコムメンダは資金提供者がただ資金を提供し、貿易が完了した場合に仕向先別に(それぞれの航海の危険度を考慮し)あらかじめ決められている固定配当金を上乗せして資金を回収する、というもの。教会法における利子禁止に抵触すると考えられたこともあり、後に廃れている。)

どちらの事項も、「中世合名・合資会社成立史」の第4章で詳しく解説されています。
この邦訳は他にもAnstalt(人がその意志とは関係なく取り込まれるように所属するようになった集団、例えば国家や幼児洗礼による教会など。対立する語がVerbandで人が自分の意志で参加するもの、結社。)を「施設」と訳していたりして問題が多いです。(つまり「理解社会学のカテゴリー」の概念が使われていることを理解しないで訳している訳です。)

決疑論とは何か

「決疑論(けつぎろん)」というのはあまりなじみのない言葉であり、人口に膾炙しているものとは思えないため、ヴェーバーを学ぶ人向けに簡単な解説を上げておきます。

決疑論はドイツ語では(die) “Kasuistik”です。(英語では”casuistry”)元はラテン語で「事例、ケース」を意味する”casus”をドイツ語的に綴った”Kasus”に学問や技術を表す接尾辞である”istik”がくっついたものです。それ故、非常にラフな言い方としては一般に使われるケース・スタディと意味が重なります。しかし、単純な意味での具体的事例の研究だけではありません。

この言葉は元はキリスト教のカトリック神学から出てきたもので、カトリックの教会の神父が、信者から告解(懺悔)を聞いた時に、基本的なことしか定めていないカトリックの神学の体系からは、どう扱っていいか分からないような複雑で時には教義と矛盾する個別の事例(例えば、ある男性が結婚した女性について、結婚後に実は長年生き別れになっていた実の娘であったことが分かった場合、その男性はどう行動すべきか)に対し、どのように神学として処理して現実的な指針を与えるか、ということを研究した学問です。例えば単純な例では、法学ともかぶりますが、自分を殺そうとして襲いかかって来た者を思わず反撃して殺してしまった場合罪になるのかどうかということです。(大抵の宗教では、「汝殺すなかれ」というルールがあると思います。法学ではご承知の通り正当防衛になり、無罪となります。)法学が出てきましたが、法律においても、具体的な個々の法令がすべての事例の可能性を想定して詳細に説明出来ている訳では当然なく、通常は裁判の結果としての判例の積み重なりによってその法律の具体的な適用の範囲が決まって行きます。つまり決疑論的な思考は法学においてもきわめて通常の事であると言うことになり、また法律の規定における曖昧さを排除し明確化・体系化する作業であるとも言えます。(ヴェーバーがこの言葉を使う場合、「体系化、特殊ケースの扱いを網羅的に明確化すること」といった意味で使っている場合も多いです。)

また、医学にも決疑論はあって、ある病気が定義されている場合、医者は個々の患者の具体的な症状を見て、それが既存の病気で定義可能か、ということを日常的にやっています。この医学における決疑論を見事に描写しているのが、自身が医者であった森鴎外の小説「カズイスチカ」です。(この小説は著作権は既に切れているので青空文庫で読むことが出来ます。)その中では、若い医者である花房がある農民の息子が破傷風にかかったのを往診し、実際の患者を診て「内科各論の中の破傷風の徴候が、何一つ遺(わす)れられずに、印刷したように目前に現れていたのである。」ということに感心する、といった話です。医学の世界でも医学書が規定する各種の病気の病態と、現実の患者に現れる様々な病状を照らし合わせて病名を決定していく時に、まさしく神学や法学と同じような「決疑論」が使われる訳です。

ヴェーバーにおいての決疑論は、彼の理念型と一緒に考えると分かりやすいです。つまりある思考のためのモデル設定である理念型を用い(例えば「中世合名会社史」では「家ゲマインシャフト」)、その設定した理念型を現実の歴史における諸事例と照らし合わせ、どの程度それらの事例に適合しているのかしていないのかを吟味し、その結果を元にして場合によっては理念型の方を訂正し、再度諸事例との照合を行う、という繰り返しになります。そうした決疑論の集大成がヴェーバーの宗教社会学と並立される大著である「経済と社会」だと思います。

以上をまとめると、「決疑論」とはある一般法則的なものと個別の特殊ケースのせめぎ合いについて、どう折り合いをつけていくか、どうその一般法則の適用範囲を定めて体系化するかを研究する学問だということです。