佐藤俊樹の「社会学の新地平 ――ウェーバーからルーマンへ」を読了。この本を読んだのは、どうも私が日本語訳した「中世合名・合資会社成立史」を読んだ上で議論している様子が伺い見えたからです。そしてそれはその通りで、「プロテスタンティズムの倫理の資本主義の精神」を理解する上に、ヴェーバーの会社制度の研究を考慮に入れなければならない、という主張が含まれており、そういう風に活用していただけると訳した方としても張り合いがあります。また「丁寧で精度の高い日本語訳」(P.117)とお褒めの言葉もいただいているので、その点については感謝したいと思います。
ただ、これまでのヴェーバー研究がこの「成立史」の内容をほとんど知らずかまたは完全な誤解をして他人に伝えるかのどちらかであり、それがきちんと内容を読んだ上で新たな議論をしているということは良いのですが、著者には申し訳ありませんが、著者の「成立史」の解読には私から見ると間違っていたり不正確な部分が多く見受けられます。まず第一に、これは安藤英治氏と同じ誤解ですが、フィレンツェにおける家業ゲマインシャフトからの合名会社の成立ということだけが、この論文の主張ではない(元になっている博士号論文「イタリアの諸都市における合名会社の連帯責任原則と特別財産の家計ゲマインシャフト及び家業ゲマインシャフトからの発展」はそれだけを論じていますが)と言うことです。特にピサのConstitutum Ususの分析の章にはっきり書いてありますが、コムメンダのバリエーションとして同時期に行われていたソキエタース・マリースが、合資会社が成立する基礎であることがはっきり述べられています。(訳からの引用(一部略):「ここまでの論述の結果として私にとって明らかになって来たことは、理解しづらいConsitutum Ususの法文について、より明証性の高い解明を行うことが出来たということである。――それはつまり、我々はここにおいて合資会社の財産法的な基礎原理を目の当たりにしているということである。合資会社に必要なものは全てここにおいて揃っているか、あるいは少なくともその登場が予示されている。」)(大塚久雄は会社組織というものは個人事業→合名会社→合資会社のように段階的に発展したとしていますが、ヴェーバーはそういう発展段階説を否定し、合名会社と合資会社の起源は異なりお互いに鋭く対立するものとしています。)また、合名会社についてもそもそも当初の合名会社はフィレンツェの章で述べられているアルベルティ家(商会、銀行)のように、家業ゲマインシャフトという表現から想像されるよりもはるかに巨大な「財閥ファミリー」が採用したものでした。その主目的はファミリーの資産の一体性を保ち、それが相続等で分割され小さくなっていったり他人に分与されるのを防止するということです。このことは日本でも同じで、明治になって財閥も会社化することが必要になると、三井や安田の財閥が(持ち株会社として)採用したのは合名会社でした。このことから合名会社を「自由な労働の合理的組織」の基礎として捉えるのはまったくもって無理があります。そもそも合名会社は合名会社の法律上の社員(会社法での「社員」は株式会社なら株主であり、従業員ではありません)ではない、単なる従業員(もしいたとしたら)に何かのメリットがある制度ではまったくありませんし、様々な技能を持った人材が集まって共同で会社の仕事をする、などという著者が主張しているような機能はまったく果たしていません。それから容易に推測出来ることですが、社員一人一人に無限責任が求められる合名会社は、財閥家にとっては都合が良いものの、それ以外の場合は、会社規模が限定され(例えば「成立史」論文でも出て来るお雇いドイツ人法学者レースラー{ロエスレル}が作った日本最初の商法の草案では「合名会社の社員は2人以上7人以下」でした。現在の会社法では上限は無く、最低は1人でも可能になりましたが、私は現在において、規模の大きい合名会社の例を寡聞にして知りません。)、この意味でも合名会社は近代的な資本主義のベースにはなり得ません。むしろ合資会社の方が投資という形で参加だけする社員(有限責任社員)とその外部資本を取り込めるので、規模の拡大にははるかに有利です。最終的には株式会社という形で経営と資本の分離がある意味完成する訳ですが、この流れは合名会社からは生まれ得ません。(特にドイツにとって、株式会社は「外から」入って来たものでした。ヴェーバーのこの論文の当時、ドイツの法学者の間で株式会社をどう法的に位置づけるかの議論が盛んでした。)また合名会社誕生当時のフィレンツェでは、経済を牛耳っていたのはツンフト(ギルド)であり、前述のアルベルティ家の場合も、アルテ・ディ・カリマラという毛織物の生産・販売同業者組合に所属しており、その保護の下で資本を蓄積して行っています。ヴェーバーは何故かツンフトを詳細に論じた箇所がほとんど無い(「都市の類型学」に少しだけ出て来ます、また講義ベースの「一般社会経済史要論」を除く)のですが、このツンフトこそある意味「資本主義の精神」の反対のものです。時間をかけてずっと読んできているギールケの「ドイツ団体法論」にて丁度今読んでいる所がツンフトに関する箇所なのですが、原材料をツンフトからの購入に限定、夜間・休日労働の禁止、価格の統制、取引先の統制等々、今なら独占禁止法に抵触することばかりです。(もちろん会員の安定した利益を保証したり、作られる製品の品質を一定以上に保つ、などメリットが無い訳ではもちろんありません。)つまりガチガチの「不自由労働」の世界であり、この意味でも「自由な労働の合理的組織」の元になったことはあり得ません。最初の合名会社はそれ自体が独立的に生まれたのでは無く、このツンフトという「都市の中の都市」的なものの内部で生まれた、それによって強い規制を受ける存在であったことには注意すべきです。(ヴェーバーの「成立史」は8割方法制史の論文であり、ローマ法のソキエタースの概念が拡張されて如何に合名・合資会社が新たに法的に定義されたかが主軸であり、経済史的な分析は非常に少ないといえます。)ちなみにドイツではこのツンフトの解体が遅れ、ビスマルクの時代であっても、未だに多くのツンフトが存在していました。この本に出てくるカール・D・ヴェーバーの活動も、反ツンフト(かつ反問屋制度、問屋制度はある意味ツンフトの残滓)であると考えると理解しやすいでしょう。
それから、「成立史」は「資本主義の起源」を研究したものでも「株式会社のスタート」を研究したものではありません。著作の発表順序や思想的発展を無視した議論はすべきではないでしょう。(もちろんこの論文で研究した素材が後の著作で何度も使われ、「後から」本人の中での位置付けが変化したのでしょうが{特にゾンバルトとの資本主義の起源を巡る論争の中で}、論文の評価はそれ自体に書かれていることに基づいて判断すべきです。「資本主義」「株式会社」という単語はどちらも一度も出て来ません。)
後、用語として「共同責任」などという法律用語はありません。言うまでもなく「連帯責任」です。(もしかすると、会社の所有者の間の「連帯責任」を、法律上の社員ではない単なる従業員のエンゲージメント意識に意図的にすり替えてわざと「共同責任」という言い方に変えた可能性も考えられます。もしそうなら一種の詐術です。また中世の「手工業」と書くべきを何度も「工業」と書いているのも同様の詐術。ヴェーバーは「古代社会経済史」の中で、中世のイタリアの一番大きな工房でもそれは「工業」と呼べるものではなかった、と書いています。)
後、これは「成立史」と関係ないことも含め、3点指摘しておきます。
(1)「資本主義の精神」の定義
プロ倫でどこにも「資本主義の精神」の定義が無い、とありますが、理念型に最初からきちんとした定義がある筈が無く最初は例示で大体の概念が示されるだけだと思います。理念型は研究の最後できちんとした類型として確立するものだと思います。(プロ倫はある意味で研究のスタートであり完成した研究ではないので、最後まで完全な定義が出て来ないのは事実です。)それから法律というものは厳密な定義から始る、というのはナンセンスであり、通常法律の制定それだけで厳密な適用範囲は決まらず、裁判と判例を通してその意味する所が次第に確定していくものです。(つまり決疑論)最近の日本の例では「同一労働同一賃金」(2020年4月1日より適用開始の「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」)で、その適用範囲は2020年10月の5つの最高裁判決と、最近の1つによってようやく少しずつその意味する所がはっきりしつつあります。)もっと分かりやすいのは憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」です。これに厳密な定義がありますか?これについては朝日訴訟という裁判で最高裁が「この条文は国がこれを目差していく」というプログラム的な規定であるとしました。
(2)うつ病?
別の所でも書きましたが、ヴェーバーの神経症を根拠も示さず「うつ病」(大うつ病)と断定しないで欲しいです。
(3)ヴェーバーの時間管理
著者はヴェーバーが時間管理が出来ない証拠として博士号論文に時間をかけすぎていることを挙げますが、おそらく著者は博士号論文は「成立史」論文の第三章の所だけだということを理解していないように思います。またこの時期ヴェーバーは裁判所に勤務しながら論文を書いていて更に中世の法文献を調べるためスペイン語まで勉強したりしています。また「成立史」論文で参照された法文献は膨大なものであり、読みにくい中世ラテン語他の文献を短期間によくぞこれだけ読んだと感心しこそすれ、時間管理が出来ない、などとは思いません。むしろヴェーバーの徹底癖が出ていると私は理解しますし、どちらかと言えば仕事は他の人に比べて非常に速く普通の意味の時間管理などする必要も無かったのだと思います。ヴェーバーの問題としては、短期的な時間管理ではなく、あまりにも興味の赴くまま手を広げすぎ、生涯全体で結局宗教社会学も社会経済学もどちらも未完で終ってしまった、ということを私は指摘したいです。(スペイン風邪によると思われる肺炎で急死するとはもちろん本人は予想していなかったでしょうが。)ついでに言えば「成立史」論文が教授資格論文の一つ(ローマ土地制度史以外に)使われたというのも、博士号論文に比べるとページ数だけでも約3倍(全集版で全体が193ページ、第三章の博士号論文部分が63ページ)であり、またそれぞれ別に出版されており、そういう意味でほぼ新規論文とも言え、まったく問題無いと私は考えます。