ギールケのゲノッセンシャフトと中根千枝先生の「タテ社会の人間関係」

「ゲノッセンシャフト」について、日本国語大辞典(精選版)は、「〘名〙 (Genossenschaft) 成員の自由意志に基づき契約によって成立する協同体。本来は、ローマ法的個人主義的団体の対立概念だったが、現在は主として協同組合をさすものとして用いられる。」と説明している。しかしこの「契約によって成立する」は明らかな間違いと思います。少なくともギールケが言っているゲノッセンシャフトに「契約が必須」などという定義はありません。ギールケのゲノッセンシャフトはドイツの歴史上存在した全ての団体に共通して存在する一種の団体形成原理です。そもそも古代ゲルマンの時代に「契約」によってゲノッセンシャフトが成立したなどという歴史的事実は存在しないでしょう。ギールケのゲノッセンシャフトにもっとも近いのは、これを発見したのは私が初めてではないかと思いますが、中根千枝先生の「タテ社会の人間関係」における「タテ」と「ヨコ」の概念でしょう。中根先生は「タテ」を親子のような垂直の人間関係、「ヨコ」を兄弟のような水平の人間関係と説明しており、これはそのままギールケのヘルシャフトとゲノッセンシャフトの説明と同じです。ただ中根千枝先生の「ヨコ」は主としてインドの様々な社会の分析から得られたもので、カーストのような層を成した上下関係の下での同一カーストメンバー間の協力関係のような点に重きを置いています。そういう意味でちょっとギールケとは違うかもしれませんが、ギールケは「ドイツ団体法論」の史的決疑論分析の中で、どうみてもヘルシャフト的な人間集団の中にさえ、それでも同僚的なゲノッセンシャフト的関係を見出そうとしていますので、そういう意味ではやはり同じかもしれません。ちなみに現代のドイツでのゲノッセンシャフトはいわゆる生活協同組合のようなもので、ギールケの基本概念とはまるで違いますのでご注意ください。ヴェーバーはゲノッセンシャフトという言葉はあまり使っていません。おそらくギールケのゲノッセンシャフト論の中に「ゲルマン民族の精神」のようなある意味非科学的でアプリオリなものを見出していて、それでわざと避けているように思います。