前に「問題の多い理解社会学のカテゴリー」というタイトルで下記のことをブログに書きました。「もっと変なのはゲゼルシャフト行為、ゲゼルシャフト関係であり、ゲゼルシャフト行為の定義をするにあたり、その中にゲゼルシャフト関係が登場するという、一種のトートロジー、循環論法になってしまっています。(ヴェーバーの定義はゲゼルシャフト関係の中で作られた制定律に準拠しそれを当てにして他人の行動を予測して行うのがゲゼルシャフト行為とされています。)こちらもゲマインシャフトと同様、論理的定義を行おうとしているのに、何故か最初からゲゼルシャフトの一般イメージが借用されています。」
この問題の原因は、原文を見直したら、日本語訳文が間違っていたせいでした。 未來社の中野・海老原訳(ちなみに訳者は二人とも1980年代当時の折原ゼミの参加者)では「われわれは、あるゲマインシャフト行為が以下のような要件を備えている場合、そしてその時に限って、そのゲマインシャフト行為をゲゼルシャフト関係的な行為(ゲゼルシャフト行為)と名づけることにしよう。」となっていますが、「ゲゼルシャフト関係的な行為」の原文は”vergesellschaftetes Handeln”です。”Vergemeinschaftung Handeln”ではありません。(日本語訳は一応()内に原単語は入れていますが)原文が言っているのは「ゲゼルシャフト化された行為=ゲゼルシャフト行為」であって、その定義の中に「ゲゼルシャフト関係」は入っていないので、トートロジーにはなりません。一方、Vergemeinshaftungはむしろ「形成された集団」を意味するニュアンスが強く、これを定義の中で使うのは不適当で、ヴェーバーは正しく定義しており、日本語訳が間違っていると思われます。
ヴェーバーの「カテゴリー論文」での定義自体は問題ありませんが、別に問題となるのは、「経済と社会」の戦前草稿群の中で早期に書かれたとされている「法社会学」の冒頭の「法秩序と経済的秩序」(ここに既に「秩序」が登場している)で、いきなりカテゴリー論文にないVergemeinschaftung、Vergesellschaftungが登場することです。もちろん意味は想像出来ますが、ヴェーバーは少なくともカテゴリー論文でこの2つの単語をきちんと定義すべきでした。読む者は誰でもテンニースの定義とどう違うのかに迷うことになるからです。ヴェーバーはカテゴリー論文の冒頭で「私の概念構成がテンニースのそれと異なっているとしても、それは必ずしも見解の相違を意味するものではない。」と書いているので、余計に判断に迷うことになります。
ちなみに「社会学の根本概念」ではようやくVergemeinschaftung、Vergesellschaftungが定義されます。そうなるとやはり戦前草稿群は「理解社会学のカテゴリー」だけでなく「社会学の根本概念」も読んで両方を比較しながら読まないといけない、ということになり、シュルフターの「双頭説」に有利になります。