13世紀後半から14世紀前半におけるフィレンツェの通貨について

今訳している所の中世イタリア語の文章で、”piccioli”という単語が出てきて、手持ちの紙の辞書にもWiktionaryなどのインターネット上の辞書にも無く、困って色々検索していたら、これはフィレンツェで流通していた銀貨の名前でした。それでこの13世紀後半から14世紀前半のフィレンツェの通貨事情がかなり面倒なので簡単にまとめておきます。
まず、8世紀からこの13世紀前半の欧州での通貨は銀本位制(銀を含むコインが正貨として使われたという意味)で、最初はカール大帝(在位:768~814年)が定めたものです。
この場合、単位としてリブラ、ソリドゥス、デナリがあり(それぞれ元々は重量の単位、イギリスのいわゆるポンドスターリング制では、それぞれポンド、シリング、ペニーに相当)ました。換算率は、1リブラ=20ソリドゥス、1ソリドゥス=12デナリ、つまり1リブラ=240デナリになります。
実際には1リブラの銀貨は、馬鹿でかいものになるため発行されず、いわば仮想通貨でした。この銀本位制は次第に欧州で国際的な商取引や金融取引が活発になってくると、銀自体の貴金属の価値の変動が大きく、また大きな金額の決済には銀貨では相当な重さになって不便であるという問題がありました。(例外的に一部で中東から持ち込まれたDinar金貨が使われていました。)この問題を解決するため、1252年に、フィレンツェとジェノヴァで金貨が鋳造されます。フィレンツェのそれが有名なフィオリーノ(フローリン)金貨です。フィオリーノコイン1枚は1リブラ→1リラでした。この時に従来使われていたDenar Piccioloという銀貨は名前の通り、1枚が1デナリです。そのため1252年時点での1フィオーリノ金貨は240 Denar Piccioloに換算されました。
その後、このフィオリーノ金貨は価値が安定しておりまた額面も大きいということで、中世のヨーロッパにおける国際取引でもっとも使われた通貨になりました。その一方で銀は価値が次第に低く評価されるようになり、1300年代初めには1フィオリーノ金貨は780 Denar Piccioloに換算されるまで減価しました。しかしながらそれでもフィレンツェでの中での通常の商取引は、フィオリーノは額面が大きすぎて使いにくいという理由でDenar Piccioloで行われていました。まさにカール・ポランニーの言う、Special-purpose moneyが複数共存しそれぞれ別の目的で使われるということが起きていた訳です。
以上の理由でこの時代の文書で、リラによる金額を記載する時は、それがフィオリーノ金貨での価値換算なのか、Denar Piccioloでの価値換算なのかを明記することが行われていました。”piccioli”であればそれはDenar Piccioloのその時の価値で換算されたリラ価格ということになります。

参考にしたサイト:
Fiorini, Quattrini e Piccioli. Il sistema monetario europeo nel Trecento
フィオリーニ金貨の誕生と帳簿

P.S.
参考サイトの日本語の方の方から、現代のイタリア語でもspiccioliという単語(spiccioloの複数形)があり、「小銭、釣り銭」の意味であることを教えていただきました。また、伊和辞典によれば denaro spicciolo は小銭という意味です。Denar Picciolo がそのまま現在でも残っている訳ですね。
教えていただいた方にこの場を借りて御礼申し上げます。