折原浩訳の問題点(85)

はい、今日もデタラメな折原訳です。
1.「きわめて多様な外皮に包まれていた」なんてどこにも書いてありません。ここは前の文の「日常と非日常の性向[Habitus]の間の矛盾を除去する」を受けて、その二つの間を「埋める、充填する」ということです。
2.ここでHabenは明らかに経理用語の「貸方」なのに、折原訳は単に「所持」にしてしまっています。所持ならBesitzなどを使う筈です。ヴェーバーが経済学者でもあることを完全に失念しています。私の解釈では救済財がまさに企業における「資本」のように簡単には増減しないというイメージも含まれているのだと思います。「中世合名・合資会社成立史」のテーマがまさに、合名会社の「特別財産」である資本金がどのように生まれたかの分析でした。まあ折原センセはそこまで気がつかないでしょうが。(折原センセだけじゃなく「中世合名・合資会社成立史」を読んでいない人は全員。)

後で出てきますが(全集P. 322)、ヴェーバーは救済財の「所有」と言いたい場合には、きちんとBesitzを使っています。
die Konzentration auf das Heilsgut und dessen Besitz

原文
Aus der unermeßlichen Fülle jener inneren Zuständlichkeiten, welche die Heilsmethodik erzeugen konnte, schälten sich schließlich einige wenige deshalb als eigentlich zentral heraus, weil sie nicht nur eine außeralltägliche, seelisch-körperliche Einzelverfassung darstellten, sondern das sichere und kontinuierliche Haben des spezifischen religiösen Heilsguts in sich zu schließen schienen: die Gnadengewißheit (»certitudo salutis«, »perseverantia gratiae«).

折原訳
救済技法が生み出すことのできた内面的な状態性は、きわめて多様な外皮に包まれていたが、そのなかから、理由あって最終的に外皮を破り、本来の核心として、現れ出たのは、ごくわずかであった。その理由とは、非日常的な個々の精神的・身体的状態だけではなく、宗教に特有の救済財のいっそう確実な継続的所持をも、したがって恩恵の確かさ(「救いの確かさ」「恩寵の持続」)を内包しているかに見えた、というところにある。

丸山訳
救済の方法論が産み出すことが出来た、そういった内面の安定状態の計り知れない充溢の中から、最終的にはいくつかの少量のものが、それ故に実際は中心から外へと、殻を破って頭を出すのであり、何故ならそういった充溢はただ非日常的な、霊肉の一体性を表現するだけでなく、特別な宗教的救済財が確実かつ継続的に貸方に計上されているように見える[1]からである:つまり救いの確かさ(”certitudo salutis”[救いの確信]、”perseverantia gratiae”[神の恵みの堅忍])である。

[1] ヴェーバーはここでは複式簿記のイメージで信者にとって救済財が「借方」(外から入って来るもの、資本のイメージ)に入れられると表現している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA