折原浩先生による他者の誤訳指摘

折原浩先生が内田芳明氏の「古代ユダヤ教」についての誤訳指摘をそのHPの中でしています。
http://hkorihara.com/z46%20(2).htm

念のため、手元にある当該の岩波文庫(2017年11月6日版)で該当箇所を確認しましたが、この時点で既に折原浩先生が主張する内容に翻訳は改められています。上記の批判は2023年2月のものですが、折原浩先生は最新の版の内容を確認せずに以前した批判を繰り返したことになります。

私がこの批判に違和感を持っていたのは、内田芳明氏はその著書の中でトレルチの「ルネサンスと宗教改革」を日本語訳した時に、匿名の人から誤訳を指摘した手紙をもらい、それに真摯に対応したことが述べられていたからです。なので誤訳の批判に対して誠意をもって対応していないかのような批判はおかしいと思います。

なお、手元にある別の1999年版では確かに折原浩先生が指摘されるような訳になっています。

p.s.
この部分について、ChatGPT5は以下のように、元々の内田芳明氏の訳を正しいとしています。

3. 折原浩氏の批判の問題点

折原氏は次のように論じます:

「むしろこの sie が Bedenken を受けて、『疑念がますます優位を占めた』と訳せば自然だ。」

確かに、文法的にはそう読めます。しかし――

  • 「疑念が優位を占める(die Bedenken gewannen die Oberhand)」という表現はドイツ語としては不自然です。
    通常、die Oberhand gewinnen は「勢力が優位に立つ」「集団・陣営が勝る」など、人間集団・理念的勢力に使う表現で、Bedenken のような抽象名詞にはあまり用いません。

  • さらに、直前の「競争が終結した(erhielt ihren Abschluß)」という文と連動させると、「疑念が優位を占める」とは意味的に接続が悪い。

    ======
    私もこのChatGPT5説に賛成です。
    何故なら直前に「疑念が完全に無くなることは無かった。」と「0にはならないものの弱くなった」という意味のことを述べておいて述べておいてすぐその後で「疑念がますます優位を占めた」とするのは不自然だからです。折原浩先生の立場では「ヴェーバーが文法ミスをする筈がない」でしょうけど、私は実際に2つの論文を日本語訳して、ヴェーバーが文法ミスをする場面は何度も経験しています。

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