マックス・ヴェーバーと森鴎外

以前、ヴェーバーにおいて重要な方法論である決疑論を説明するのに、森鴎外の小説「カズイスチカ」を紹介したことがあります。
ちょっと思い立ってまだ読んでいなかった鴎外の「かのように」を青空文庫で読んで見たのですが、その中に出てくる”Die Philosophie des Als Ob”(「かのようにの哲学」)という書籍があります。これは鴎外の創作かと思ったら、ファイヒンガーという哲学者が実際に書いた本でした。実は森鴎外は1862年生まれで、1864年生まれのヴェーバーとほぼ同時代人であり、鴎外がドイツ留学してベルリンにいた時にはヴェーバーは主としてハイデルベルクにいました。
それでふと思ったのですが、ヴェーバーはこのファイヒンガーの「かのように」の影響をかなり受けているのではないかと。(ファイヒンガーは新カント学派です。ヴェーバーの方法論が新カント学派の影響を強く受けているのは周知の事実です。)本が出たのは1911年ですが、そのかなり前から哲学雑誌に連載され話題になっていたもので、ヴェーバーが読んでいる可能性は高いと思います。ヴェーバーにおいての「かのように」の影響は、まずは理念型がまさにこの「かのように」であり、実際には存在しないものをあたかも存在するように扱うものです。また「理解社会学のカテゴリー」における「諒解」概念も、ある人間集団の人が制定律には拠らないが、それがあたかも「あるかのように」扱うということです。
それで鴎外の方も、「かのように」を書いたのはおそらくは自分の歴史小説の方法論としてであり、歴史そのままを書くのではなく、まさしく理念型的に歴史を構築したのが鴎外の歴史小説と言えると思います。
まあ思い付きですが、日本の研究者でヴェーバー-鴎外-ファイヒンガーという連関を論じている人は私が知る限りではいないので、ちょっと紹介させていただきました。