キュルンベルガーの「アメリカにうんざりした男」についての補足

ヴェーバーのプロ倫で、「資本主義の精神」という理念型の描写に使われているフェルディナント・キュルンベルガーの「アメリカにうんざりした男」(Der Amerika-Müde, amerikanisches Kulturbild 、1855年)について補足します。

実はタイトルのDer Amerika-Müdeはその当時の欧州のドイツ語圏に存在していたDer Europa-Müde(ヨーロッパにうんざりした男)のもじりです。1848年がドイツ語圏での革命の年だったのはご存知と思いますが、その革命の目標だった共和制の確立、統一ドイツの確立の2つがどちらも実現しないまま革命は失敗します。この失敗の結果として失望した人達がDer Europa-Müdeです。
その同じ頃、アメリカで何が起きていたかというと、49ersという言葉が残っているようにカリフォルニアでゴールドラッシュが起きています。この49ersに似た言葉で、当時の欧州においてDer Europa-Müdeの人達が欧州で夢破れて、新天地のアメリカで一旗揚げてやろうとして多くのドイツ語圏の人がアメリカに渡っていますが、この人達のことをDie Achtundvierziger(48年族)と呼びました。一般に移民というと本国で食い詰めた人が多いイメージですが、このAchtundvierzigerはどちらかというと中上流階級の人が多かったことが特徴です。

その48年族の元祖みたいな人に、オーストリアの詩人のニコラス・レーナウがいます。「アメリカにうんざりした男」は実はこのレーナウの体験をベースにした小説です。レーナウは親の遺産で生活していますが、ある時投機で財産の半分を失うという打撃を受け、それがきっかけで1932年にアメリカに渡ります。そこでオハイオ州で400エーカーの土地を買ってその賃貸料(レンテですね)で暮らそうとします。しかし慣れない国で手続きや契約に色々と苦労をしたみたいで、結局1年もしないくらいでアメリカを離れオーストリアに戻ります。(ついでに言えばその後自殺を図って精神病院に入れられその5年後に悲惨な最期を遂げます。)レーナウはアメリカをワインも芸術もない粗野な人達の国と思っていたようです。「アメリカにうんざりした男」はこのレーナウの話にかなり脚色を加えて書かれた小説です。

要するにこの本はベストセラーであるのと同時に、当時のドイツ語圏でのアメリカの見方、つまり経済的には繁栄しているけど文化の無い粗野な人達の国というものをある意味代表している訳です。ヴェーバーがこの小説のフランクリン描写を使ったのは、学術論文としてはどうかとも思いますが、当時のドイツ語圏の人に自分の言いたい「資本主義の精神」を理解してもらうには、最適な素材を使っている、ということは言えるかと思います。私に言わせるとプロ倫は純粋アカデミズムの産物というより、元から論争を引き起こすことを半分意図したかなりレトリカル、悪く言えばソフィスト的な作品だと思います。(発表誌も「社会科学と社会政策のためのアルヒーフ」であり、この雑誌自体が学問と政治ジャーナリズムの中間にあったようなものです。)つまりプラトンというよりゴルギアスです。

翻訳革命

ヴェーバーに限ったことではなく幅広い分野で一種の翻訳革命が起きているような気がします。例えば文学ですが亀山郁夫のドストエフスキー新訳、吉川一義によるプルーストの「失われた時を求めて」の詳細な訳注付きの新訳、あるいは酒井昭伸によるフランク・ハーバートの「デューン」シリーズの新訳。いずれも共通しているのが旧訳が1960年代くらまでのものが多いということです。どう考えてもあの当時の日本人の平均語学力より今の方が上ですし、しかもインターネットでほとんどのことが調べられますので。
はばかりながら、私の出したヴェーバーの2つの論文の翻訳もその新しい翻訳に入るものと思っています。

折原浩先生訳の問題点(2)

「宗教社会学」の折原浩先生訳とそれを変更した私の訳を提示します。
どちらが分かりやすいか比べてみてください。ヴェーバーを必要以上に難解に見せているのが、一つには日本語訳のせいであることが良く分かると思います。
ちなみに、wiederholtを「再度」と訳すのは明らかな誤訳で、創文社の訳が「繰り返し」と正しく訳しているのをわざわざ誤訳に変更しています。

原文
Aber regelmäßig ist es in der Hauptsache doch die priesterliche Bekämpfung des tiefverhaßten Indifferentismus, der Gefahr, daß der Eifer der Anhängerschaft erlahmt, ferner die Unterstreichung der Wichtigkeit der Zugehörigkeit zur eigenen Denomination und die Erschwerung des Übergangs zu anderen, was die Unterscheidungszeichen und Lehren so stark in den Vordergrund schiebt. Das Vorbild geben die magisch bedingten Tätowierungen der Totem- oder Kriegsverbandsgenossen. Die Unterscheidungsbemalung der hinduistischen Sekten steht ihr äußerlich am nächsten. Aber die Beibehaltung der Beschneidung und des Sabbattabu wird im Alten Testament wiederholt als auf die Unterscheidung von anderen Völkern abgezweckt hingestellt und hat jedenfalls mit unerhörter Stärke so gewirkt.

折原訳
しかし、識別の徴表や教説を際立って前面に押し出す動因は、通例、主要にはやはり祭司の闘いである。すなわち、自他の区別に冷淡な宗派上の無関心を憎んで止まず、信奉者の熱意が冷める危険と闘い、自宗派に所属することの重要な意義を強調して、他宗派への移行を困難にする、という闘いである。その先例をなすのは、トーテム団体あるいは戦士団体の仲間内で施される、魔術的に制約された入れ墨である。外面的にこれにもっとも近いのが、ヒンドゥー教のゼクテ [信徒結社]で仲間の額に施される識別彩色である。ところが、旧約聖書では、割礼と安息日タブーの保持が、再度、他民族との区別を目的として力説され、いずれにせよ未曾有の効力を発揮した。

丸山改訳
しかし、一般に規則的に、[ある宗派の]識別の手がかりや教説が非常にはっきりと前面に現れてくるのは、祭司たちが、[信徒たちの]信仰上の無関心主義への深い憎悪という形で、信者の熱意が冷めていくことに抗う闘いを繰り広げ、さらに自宗派にとどまり続けることの重要性を強調し、他宗派への移行を困難にしようとすることの結果としてである 。その先例をなすのは、トーテム団体あるいは戦士団体の仲間内で施される、魔術的な理由による入れ墨である。外面的にこれにもっとも近いのが、ヒンドゥー教のゼクテ [信徒結社]で仲間の額に施される識別彩色である。ところが、旧約聖書では、割礼と安息日タブーの保持が、たびたび他民族との区別を目的として提示され、いずれにせよ極めて強力に作用した 。