社会学者によるヴェーバーの歴史研究の無視

折原先生の「経済と社会」構成についての「誤った」考えの原因について」で書いたこととほぼ同じ内容が今読んでいる「マックス・ヴェーバーとエデュアルト・マイアー」(フリードリッヒ・H・テンブルック、ミネルヴァ書房「マックス・ヴェーバーとその同時代群像」に収録)に書いてありました。すなわち「経済と社会」の中の様々な理念型がヴェーバーの長年の歴史研究の結果として提示されたもので、それを社会学者はほとんど理解もせず、元となった歴史研究的著作を読みもしなかったということです。折原先生だけが間違ったのではなく、多くの社会学者が誤ったということです。大体、1913年に発表された「理解社会学のカテゴリー」がヴェーバーが初めて「社会学」と名前の付く論文を出した最初です。そのすぐ後から執筆が開始された「経済と社会」が完成された「社会学」的体系であるなど、ほとんど考えられないことです。
これは「経済と社会」の日本語訳を分冊で出した創文社にも責任の一端はあって、「経済と社会」の構成単位でしかないそれぞれを「法社会学」「支配の社会学」「都市の社会学」等々の「社会学」付きの邦題で出しました。これが大きな誤解を生んだ原因の一つだと思います。正しくは経済史+法制史+国民経済学の本であり、社会学はほんの上澄み、付け足しに過ぎません。
更にはヴェーバー自身に「社会学者」としての自覚がどれほどあったのか。要するに当時まだ生まれたてで脆弱な基礎しか無かった社会学を手伝ったぐらいのように思います。

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