大塚久雄氏の「中世合名・合資会社成立史」への言及について

安藤英治氏の「中世合名・合資会社成立史」の紹介についての論評に続き、大塚久雄氏の「中世合名・合資会社成立史」への言及について紹介すると共に、その問題点を指摘します。その言及は大塚氏の最初のまとまった研究成果である「株式会社発生史論」(1938)の前篇に、いわば先行研究批判のような形で出て来ます。この二人の研究内容については、次のように表にして比較してみるとわかりやすいかと思います。

マックス・ヴェーバー「中世合名・合資会社成立史」 著者・表題 大塚久雄「株式会社発生史論」(前篇部)
1889年 発表年 1938年
ローマ法の団体概念であるソキエタスから、中世において合名・合資会社がどのように生まれたか。 研究の範囲 株式会社がどのような歴史的な段階を経ながら発展して来たか、その初期の段階としての合名・合資会社研究を含む。
法制史を中心としながら一部経済史 学問分野 マルクス主義的経済史
会社の特別財産と連帯責任原則の発展 着目している要素 個別資本の集積
多数の中世の諸都市の法規の実証研究に基づく決疑論で先行研究への批判も含む 研究手法 主に先行研究の文献調査と事例研究
合名会社の特別財産と連帯責任は、イタリアの諸都市での家計・家業ゲマインシャフトの中から発展した。合資会社はその特別財産の部分は合名会社と共通であるが、その起源はまったく異なる対立概念である。 結論 (前篇部のみ)
株式会社の歴史的な発展段階は、個人企業→合名会社→合資会社→株式会社という単線的なものである。

上記の研究の範囲を見ていただければ良く分りますが、ヴェーバーはローマ法から中世の合名・合資会社の成立までで、それに対し大塚久雄氏はその中世から近代の株式会社の発展を追ったものなので、両者の研究対象はずれており、それが重なるのは中世における合名・合資会社の部分だけです。
また学問分野を見てもヴェーバーは法制史がメインで一部経済史を含みます。それに対し大塚久雄氏は経済史のみで、それもマルクス主義的な教条主義に囚われた発展段階論です。ここで言えるのは、合名・合資会社という歴史的な事象を正しく理解する上では、色々な要素を総合的に勘案して判断すべきと考えますが、ヴェーバーは少なくとも経済史的要素を無視することはせずまた様々な法規の事例を地道に調べた決疑論に徹していますが、大塚久雄氏はいかにもマルクス主義的唯物論という感じで、いわば「上部構造」とも言える法制史的側面についてはまったく考察の対象としておらず、またヴェーバーが苦労して調べた具体的事例の数々も参考にした形跡は窺えません。
以上のことから、大塚久雄氏の研究にとっては、ヴェーバーの研究は先行学説とは言い難い部分がありますが、大塚氏は「補注」という形でヴェーバーの研究に言及しています。そこで大塚氏はヴェーバーの研究を「合名会社の発達の起源を家族共同体に求める諸説」として紹介しています。まずはこの「家族共同体」という言い方が既に問題で、ヴェーバーは家族ゲマインシャフトと家計ゲマインシャフトは厳密に区別しており、「家族ゲマインシャフト」から合名会社が生成したなどとは書いていません。もっとも大塚氏はその後の方で「労務共同体」という言葉を使っていますので、大塚氏自体がそのことを理解していない訳ではありませんが、既に最初から読者に対して誤解を与える表現になっています。ヴェーバーが実例として挙げているフィレンツェのペルッツィ家やアルベルティ家は15世紀の段階では、法王や各国の国王に資金を貸付けるいわば財閥ファミリーとなっており、人が「家族ゲマインシャフト」でイメージするような家族数人のきわめて小規模なゲマインシャフトとはまるで異なります。
それから、大塚氏はヴェーバーのこの説にゴルトシュミットとハックマンが反対しているとして、まるでヴェーバーの説が少数意見であるかのような書き方をしています。しかし、大塚氏がこの部分の冒頭で書いているように、中世イタリアのフィレンツェなどの内陸都市で「家計ゲマインシャフト」から発生した「コンパーニア」(原義はパンを共にすること→ヴェーバーが再三引用している” stare ad unum panem et vinum”{一かけらのパンとワインを共にする}、現在のcompanyの語源です)であるということは、私が調べた限り現在でも定説、多数派説です。更にはゴルトシュミットとハックマンの反対意見については、おそらくは家計ゲマインシャフトは合名会社生成の一つの要素であるが、それだけはないという主張であると思われます。また大塚氏はゴルトシュミット・ハックマン側に賛成する理由として、「『会社』なるものが個別資本の集中形態である」からとしています。更にはヴェーバーが法制史的側面だけ見て経済史的側面を見ていないと批判していますが、私に言わせればヴェーバーは少なくとも経済史的側面を無視したりしていませんが、大塚氏は法制史的側面をまるで無視しています。大塚氏が根拠とする個別資本の集中という点でも、ヴェーバーは家族の成員以外とのソキエタスの欠点として、ある成員が亡くなってしまった場合のソキエタスの財産の維持の困難さを挙げており、日本の財閥ファミリーである三井家や住友家の例を挙げるまでもなく、家計ゲマインシャフトは資本の集積には親和的に働いていました。大塚氏のこの観点でのヴェーバー批判は自分で考えたと言うより、ゴルトシュミットとハックマンの尻馬に乗っているだけという風に私には見えます。
それからもっと重要な問題は、これについては安藤英治氏も指摘していますが、大塚氏の結論である、個人企業→合名会社→合資会社→株式会社という発展段階について、ヴェーバーは個人企業→合名会社の部分も合名会社→合資会社の部分もはっきりと否定しているということです。合名会社の発展は先の説にもあるように家計ゲマインシャフトからであり、そこに個人企業といった段階は認められていません。そして何よりも、ヴェーバーは合資会社と合名会社は鋭く対立するものであって、合名会社から合資会社が生まれたというような説を完全に否定しています。第4章の注36:「合資会社が合名会社にとって次の発展段階であるというような、そういう事実は見出せない。そうではなくて、合名会社と合資会社は歴史的にも理論的にもお互いに同じレベルで鋭く対立するものなのである。」私が大塚久雄氏が「中世合名・合資会社成立史」をきちんと読んでいないだろうと推測する最大の理由はこの点です。もし仮に読んでいてそれについて何も言及していないのであれば、学者として失格でしょうし、全部を読まないで批判を書いたとしたら、それもまた学者としては、特に後年ヴェーバー研究者として知られるようになった者としては、怠慢としか言いようがありません。
さらに大塚論文での問題を挙げておくと、用語法の混乱です。大塚氏はソキエタス・マリスを「ソキエタス」と呼び、またコムメンダを「コンメンダ」と呼んでいます。ヴェーバーが「コムメンダは最初からソキエタスと呼ばれていた(コムメンダもまたローマ法のソキエタスの概念の範囲で理解されていた)」と書いていることを考えると、ここからもうおかしな用語法なのですが、問題は歴史的なコムメンダとソキエタス・マリスの実態とはまた別の観念的な定式化であるということです。さらにはその自分で作った定義ですら徹底されておらず、P.116では「ただしこのソキエタスの用語法が…(中略)…この場合の用語法ではむしろソキエタスではなくしてコンメンダであることが注意せらるべきである」などと書いており、混乱しているとしか言いようがありません。また、ヴェーバーがコムメンダにおける様々な要素として「委託販売」「単純な資本『参加』」といった区別を持ち込んでより深く分析しようとしていますが、大塚氏のはむしろ悪しき単純化・定式化にしか見えません。
以上、大塚氏の論文は1938年という時代を考えれば無理もない、という弁護が出来なくもない部分もありますが、その後大塚氏が1960年代にヴェーバーの紹介者・翻訳者として有名になったという経緯を考えた場合、「あの大塚先生がこういう評価をしているのだから、『中世合名・合資会社成立史』は特に読まなければならない本ではないのだな」という間違った評価につながったということは否定出来ません。そしてそういうネガティブな評価が、2020年まで日本語訳が無かったというアンバランスな状態にもつながったのだと思います。教訓としては、「どんな偉い先生がある本について何と言っていようと、評価はまず自分で読んでからにすべきである。」ということかと。