「中世合名・合資会社成立史」の英訳の評価

「中世合名・合資会社成立史」のこれまでの日本での評価・紹介について、安藤英治氏と大塚久雄氏のものを取上げました。さらには、この際、Lutz Kaelber氏の英訳の質についても評価しておきます。(“The History of Commercial Parntership in the Middle Ages”, Rowman & Littelfiels Publishers, Inc., 2003)

最初に申し上げておくべきなのは、初めて(2003年に)この論文を外国語に翻訳したLutz Kaelber氏の功績は大きいということです。私はこの英訳が無かったら、中世ラテン語、中世イタリア語、中世スペイン語などの法規文献の引用が飛び交うこの論文を最初から一人で日本語訳しようという気にはまずならなかったと思います。その点ではLutz Kaelber氏には非常に感謝しています。また、そういった法規文献の英訳は、おそらく半分以上は別の人が既に訳したものを引用しているものですが、そういった文献を見つける手間だけでも相当なものがあると思われ、最初の英訳者の功績を損なうものではありません。

しかしながら、そういう感謝の気持ちの一方で、Lutz Kaelber氏がご自身で訳されたと思われるドイツ語、ラテン語、イタリア語その他の部分について疑問が無い訳ではなく、残念ながら特に後半の1/3については翻訳のレベルが低下しているように見受けられ、不適切訳や誤訳が散見されました。実は、下記の(1)の誤訳の指摘の時から、氏とは何度かメール(英語)をやり取りしました。一部こちらの指摘を受け入れたのもありますが、多くはまったく回答無しであり、こちらもそうなるとわざわざ英訳の校正を手伝う気も無くなったので、交信は現時点では途絶えています。下記の指摘は一部で、まだまだおかしな部分は多くあります。

ご興味があれば、以下の具体例をご覧下さい。私自身の態度としては、英訳者の対応を他山の石とし、誤訳の指摘には真摯に対応し、必要に応じて修正を図って行くことを心がけたいと思います。

以下、誤訳・不適切訳の具体例。ページ数はドイツ語原文(全集版)-英訳-日本語訳の順。

(1)P.175-P.74-P.35
原文:Unzweifelhaft ist in der Verfassung, in welcher die Kommenda und societas maris uns in den Statuten und Urkunden von Genua, an welches sich die südfranzösischen Statuten anlehnen,
英訳:Without doubt, the statues and the documents of Genoa, following southern French statutes,
日本語訳:ジェノヴァにおいて、コムメンダやソキエタス・マリスを見出すことができる法規や文献史料の中で、それらに南仏の諸法規が依拠しているのであるが 、(中略)、何の疑問も差し挟む余地も無く同意出来る。

英訳は依存関係が逆で、ジェノヴァの法規が南仏の法規に依拠していると訳しています。
ドイツ語からしてもそのような解釈は不可能ですし、また文脈から言ってももし南仏の法規がそのような性格のものなら、ヴェーバーはジェノヴァの法規では無く、南仏の法規について詳細に説明しなければならなくなりますが、当然そのような説明はありません。
これについてはLutz Kaelber氏も誤りを認めました。

(2)P.193-P.87-P.52~53
原文(ラテン語):”si quis ex ipsis duxerit uxorem et de rebus communibus meta data fuerit”
英訳: “If one of the brothers takes a wife and gives her a marriage portion from the common property.”
日本語訳:そして兄弟達の内の誰か一人が妻を娶って[その妻の実家に]共通の財産から[一種の]結納金を払うことになる。

要するにmeta(注:ラテン語ではなくランゴバルド語の単語)を「持参金」と訳すか「(一種の)結納金」と訳すかということです。持参金は文字通り嫁が持参するもので、それを結婚して夫になるものの家の共通の財産から嫁に払うという英訳はおかしく、日本語訳のようにすべきだということです。(ハインリヒ・ミッタイスの本にもmetaは花嫁の父親に対して支払う一種の結納金だと説明されています。父親は受け取った結納金を原資にして、花嫁に一種の財産分与として持参金となるお金を与えます。)
本指摘へのKaelber氏からの回答は3ヵ月以上かかり、その内容は「この部分はKatherine Fischer Drewのランゴバルド法の英訳を写しただけ」というものでした。この英訳は入手しましたが、確かにそう訳していますが、それが正しいという保証はどこにもありません。Kaelber氏がどう考えるのかという回答は結局ありませんでした。この翻訳者の基本姿勢がこれで良く分りました。

(3)P.274-P.141-P.125
原文:Wenn nun der Vater trotzdem, daß das Vermögen ungeteilt ist, mit den einzelnen Söhnen societates einzugehen überhaupt imstande ist, so muß notwendig auch dem nicht abgeteilten Sohne schon jetzt im Rechtssinn Vermögen überhaupt zustehen, sonst könnte er nichts einwerfen.
英訳:If the father at all able to enter into partnership with his sons, in spite of the fact that asssets are undivided, then the son who has not received his share in the property must have a claim to the assets in a legal sense; otherwise, he could not contribute anything.
日本語訳:もしその父親が「それにも関わらず」、家族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタスを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父親は家ゲマインシャフトから独立していない[家住みの]息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいしか出来ず、それ以外に何かを[例えば金銭で]息子に対して支払うことは出来なかったであろう。

ここの英訳は、訳者がドイツ語ネイティブとはとても思えないようなひどい誤訳です。原文の主語は一貫してder Vaterです。にも関わらず英訳は後半部分では主語がthe son(息子)に変ってしまいます。原文は息子については3格(与格)で”dem nicht abgeteilten Sohne”(まだ独立していない息子に)となっているので、これは主語にはなり得ません。にも関わらず英訳は「その息子は法的な意味においてのその資産に対しての請求権を持たなければならない(持つことになる)」としています。文法的にも無理ですし、また文脈から考えても意味不明の訳です。
zustehenという単語は他動詞の場合はzugestehenと同義で「譲り渡す」という意味です。その場合、日本語訳の内容で無理なく訳すことが出来ます。

この点についてもメールで指摘しましたが、2020年9月22日現在回答はありません。

(4)P.279-P.144-P.129
原文:Für die von einem Teilhaber auf eigene Rechnung abgeschlossenen comperae haben die anderen ein Eintrittsrecht (nach Art der heutigen offenen Handelsgesellschaft).
英訳:The others are entitled to subrogation for comperae[sales] the partner made on his own account (similar to today’s general partnership.).
日本語訳:ある一人の持分所有者の勘定の中で行われた comperae (訳注252) に対しては、他の持分所有者は介入権を持っていた。(今日の合名会社の場合と同様。)

訳注252:(若干加筆しています。)現代イタリア語の compra に相当するとするすれば「買う」という意味です。但し単純な購買行為ではなく、何かの特別な購買と思われます。何故なら単純な購買はこれに続く箇所で別途説明されているからです。12-14 世紀のジェノヴァやフィレンツェではこの言葉は、国が私的団体に対して債券を発行し、それを買ったものは例えば塩にかかる間接税のようなものを一種の利子として受け取ることが出来た、その債券またはそれを引き受けた団体を意味する特殊なタームです。つまり一種のRentenkauf(定期収入金を一種の利子の代替物にした金銭貸借)になります。ゴルトシュミット他のドイツ歴史学派はこの compera(コンペラ) を株式会社の起源であると考えていました。全集の注はヴェーバーが Consitutum Usus の中の概念を使っているとしていますが、それがどのページなのかをヴェーバー自身も全集の編集者も記載しておらず、本当にそうなのか疑わしいですし、翻訳者の方でインターネットで確認出来る Consitutum Usus を検索してもそのような特別の概念の定義は発見出来ませんでした。ヴェーバーはConsitutum Ususの箇所を参照する時は逐一注を付けていますので、全集の注は根拠不明です。

この部分の英訳でcomperaeを[sales]と真逆の意味に訳していること自体の問題だけでなく、それを指摘したら「じゃあ全集の注に『購買』とあるから購買だろう」という回答でした。英訳については誤訳もともかく、その後もともかく自分で考えようという姿勢が見えません。私が訳注に書いたような情報はKaelber氏にも伝えましたが、その後何の回答もありません。

(5)P.297-P.157-P.147
原文: … quilibet talium sociorum sit … in solidum obligatus.
英訳:…any one of such partners…is to be held liable for the full amount.
日本語訳:…そのようなソキエタスの成員の誰もが…連帯して責任を負うことになる。

何故、in solidumという今日でも使われている「連帯責任で」が「全額で」という訳になるのかまるで理解が出来ません。ドイツ語だけでなくKaelber氏のラテン語もかなり怪しいです。

(6)P.248-P.122-P.101
原文:cujus nomen “expenditur”
英訳:whose name is “hang out”
日本語訳:その者の名前が{重要な情報として}載っている

この部分は商号の初期の段階で、店の看板のような板に無限責任を負う者全員の名前を記載し、それをどこかに看板として掲げたということです。英訳はラテン語のexpenditurを「ぶら下がっている」と訳しています。看板だから店先にぶら下げられているんだろうという解釈です。しかしラテン語のexpenditur(expendoの受動形、3人称単数)の意味は、「1.支払われる 2.重み付けされる」という意味しかなく、「ぶら下げられている」という意味はありません。penditurならそういう意味ですが、英語の相当語であるexpend-expenseにも「ぶら下がる」という意味が無いのはご承知の通りです。

ここで更におかしいのは、
P.327-P.177-P.175にてこの表現が再度複数形で出て来ますが
原文:quorum nomina expendunter
英訳:whose name are held out
日本語訳:その者達の名前が載っている

という風に、まったく同じ表現で主語と動詞(受動形)が単数か複数かの違いですが、英訳は今度は”held out”(提出される)と訳を変えています。要するに訳し方がその場その場の適当な思いつきで左右されているということです。