ヴェーバーとタイプライター

ヴェーバーの論文は、理解するのが非常に困難である、という悪評がある意味定評にもなっています。その分かりにくさの理由の一つに、説明のための図や表などがまったく無い(ことが多い)、というのもあると思います。それでヴェーバーがどのように原稿を書いていたのかと思って、タイプライターの歴史を調べてみました。Wikipediaによると、タイプライターが一般向けに販売され始めたのは1880年代ぐらいのようです。そうすると「中世合名・合資会社成立史」や「ローマ土地制度史」を書いていた頃、ヴェーバーがタイプライターを使っていた、というのはまずあり得ないことになります。手書き原稿に図や表を入れるというのは困難でせいぜい「ローマ土地制度史」で巻末に2つの図が添付されていますが、その程度ぐらいしか出来なかったのでしょう。
その後タイプライターは20世紀に入ると次第に普及し、職業としてのタイピストも登場しています。野﨑敏郎氏の「ヴェーバー『理解社会学論』の執筆事情とその定位 ―リッケルト宛書簡を手がかりとして― 」という論考によれば、「理解社会学のカテゴリー」や「経済と社会」の旧稿が書かれた1909~1914年の頃は、ヴェーバーが肉筆で原稿を書き、それを妻であったマリアンネ・ヴェーバーがタイプ打ちして、それをヴェーバーがチェックして最終原稿に仕上げていたようです。もっともタイプ打ちでも表ぐらいは入れられますが、当然のことながら図は入っていません。
今回の「ローマ土地制度史」の日本語訳にあたっては、可能な範囲で図や表を入れようと考えています。複雑な土地の区画の話を文章で説明されるより、図にして見せれば一目瞭然というのが多数あるかと思います。幸いにしてネット上には著作権が大昔に切れた図表類がかなりありますので、そういうのを活用しようと思います。