Die römische Agrargeschichteは「ローマ農業史」か?

Die römische Agrargeschichteの日本語訳にようやく着手しました。今目次部分を訳しています。”Zur Geshichite der Handelsgesellschaften im Mittelalter”の時も、それまでのタイトルの邦訳「中世商事会社史」に異を唱えましたが、今回もこれは「ローマ農業史」ではなく「ローマ土地制度史」だと思います。そうでないと後ろに続く「公法と私法への意味付けにおいて」と上手くつながらなくなります。(この論文では土地に関する法律が論じられています。)もちろん古代ローマにおいての土地のもっとも主要な利用方法は建物用を除けば農地としてであり、それ故にagrar(ラテン語ではagrarius)には「農業の」という意味もあります。しかし本来のラテン語の意味は土地=agerに形容詞化語尾の-ariusが付いたもので、「土地制度改革者(農地改革者)の、土地制度の、土地に関する」といった意味です。この論文で論じられているのは、ローマで公有地から私有地への転換がどのように行われたのか、土地制度の歴史を、それがどのように立法化されたのか、例えばBC111年の土地法の規定などを参照しながら論じられています。それ故に「農業史」と意味を限定せず「土地制度史」と訳すべきと考えます。
同様に、これまで「古代農業事情」と訳されているAgrarverhältnisse im Altertumも「古代においての土地を巡る諸事情」だと思います。渡辺・弓削訳は「古代社会経済史 古代農業事情」ですが。

追記(2021年10月21日):本日翻訳にあたっての参考文献として、西洋史学家の村川堅太郎東京大学名誉教授の「羅馬大土地所有制」(日本評論社、昭和24年刊)を取り寄せました。そのP.22に「たとえばWeberが1891年の「羅馬土地制度史」において」と書かれています。表記が違うだけでまったく私の訳と同じでした。これで私の「ローマ土地制度史」という日本語訳が間違いないことの裏付けが取れました。

 

「ローマ土地制度史 国法と私法への意味付けにおいて」ドイツ語原文

「ローマ土地制度史 国法と私法への意味付けにおいて」のドイツ語原文のざっとした通し読み(意味はきちんと取っていません)が終了したので、これから日本語訳を開始したいと思います。「中世合名・合資会社成立史」を訳した時は、その訳した箇所毎にドイツ語原文を掲載していましたが、結構面倒な作業なため、今回はMax Weber im Kontextから取ったドイツ語原文をPDFでここにまとめてアップしておきます。中野敏男先生によると、このCD-ROM結構誤記があるようですが、もし疑わしい場合は、Web上に原文が公開されていますので、そちらでご確認ください。
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「ローマ土地制度史 国法と私法への意味付けにおいて」英訳を一応読了。

「ローマ土地制度史 国法と私法への意味付けにおいて」のRichard I. Frankによる英訳を日本語訳の準備作業として一通り読了しました。(注釈を除く。)「中世合名・合資会社成立史」のルッツ・ケルバー氏の英訳に比べると非常にこなれた英語で分かりやすかったです。また訳者が古典語の学者なので、ラテン語の知識という点でもこう言っては何ですがケルバー氏よりはるかに上で安心して読むことが出来ました。一通り読んだと言っても、ほとんど斜め読みなので意味の把握はこれからですが、私見ではこの論文はゴルトシュミットと並ぶもう一人のヴェーバーの大学での恩師であるマイツェン(ドイツ農制史の専門家)の影響下にあるのでしょうが、それ以外に「中世合名・合資会社成立史」の元になっている博士号論文の審査においての、ヴェーバーとモムゼンの論争にもからんでいるのでは、つまりそこで議論されたことをより詳細に調べるという目的と動機があったのではないかと思います。もちろんその時の論争の内容が公開されている訳ではないので推測に過ぎませんが、マリアンネの伝記ではローマの植民市についての何かの概念についての論争だったということです。この「土地制度史」にはローマの植民地における土地税制、農業の実態が中心的なテーマとして取上げられています。しかし農業に関する内容は後半1/3ぐらいで、その前はローマにおける土地の測量と登記の方法、そしてそれにからむ税制の話が延々と続きます。その中でモムゼンが解読チームのリーダーであった、ローマの碑文資料が多数出て来ます。

折原浩先生のHPの移動

折原先生のHPですが、昔YusenがやっていたgyaoのサービスとしてのHPサービスが今はSo-netが運営しているのですが、そのサービスが来年の1月28日で終了するとのことで、新しいサイトに移動になります。

新しいURLは http://hkorihara.com/ になります。
実は私が引っ越しのお手伝いをして、独自ドメインを取っての運用になります。

P.S.(2020年12月3日)
本当はgyaoの方のページでリダイレクト処理して新しいサイトに飛ばそうと思っていたのですが、先生の方で既に11月末でgyaoのHPサービスを解約されてしまったとのことで、現時点で旧サイトはアクセス出来なくなっています。

「中世合名・合資会社成立史」Web版(2.7版)

中世合名・合資会社成立史のHTML版をアップします。 既にPDF版は2020年9月に公開していますが、HTMLの方が検索エンジンでの検索ターゲットとしては多少いいかもというだけの理由です。 読むのであれば、PDF版の方がはるかに読みやすいのでそちらをお勧めします。またAmazonでKindle版も$0.99で販売しておりますので(Amazonでは価格0という設定は出来ません、何故ならそうなるとAmazon側に取扱い手数料が入らないので)、スマホやKindleで読みたいという方はそちらをご利用ください。

2021年11月10日Ver.2.7

コムメンダのイスラム起源説は、既に1885年時点でありました。

長場正利という方が書かれた「コムメンダに關する研究」という1929年の論文があります。それによると、J. Kohlerという人の1885年の”Die Commenda im islamitischen Rechte”という論文で、既にコムメンダのイスラム起源説が唱えられていたようです。しかし、この説は当時のジルバーシュミットなどからは受け入れられなかったようです。ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」が1989年ですから、ヴェーバーもこの論文を読むことは出来た筈です。ですが、何の言及もないというのはちょっと不可解です。

「中世合名・合資会社成立史」についての訳者としてのコメント

ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」について、訳者として思ったことを、素人考えかもしれませんが、紹介してこの翻訳作業の締めくくりとしたいと思います。あくまで翻訳した結果として思った感想であり、下記の個人的意見によって翻訳の内容にバイアスが掛かっているということはありません。
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1.連帯責任原理について

ヴェーバーは合名会社のメルクマールとして成員間の「連帯責任」を真っ先に挙げるが、法律で規定されている合名会社の責任は「無限責任」であり、二つは決して同じ概念では無い。合名会社は複数の人間の間の連帯責任がメインなのではなく、全ての参加者=無限責任社員が一人一人会社の債務全体に責任を負っているのであり、相互の関係は副次的なものに過ぎない。
また、連帯責任というのは信用創造というプラス面だけでなく、大きなビジネスを行う上ではむしろ制約条件になる面もあり、実際にその後の発展を見ても、合名会社はきわめて規模の小さな商店レベルの会社か(無限責任社員が10人いる合名会社といったものは同族会社を除き聞いたことが無い→レースラーが作った日本最初の商法の草案では合名会社の社員は2人以上7人以下とされていた)、あるいは日本の財閥での持ち株会社に好都合のシステムとして使われただけであり、会社制度全体の発展の中では決して本質的なものにはなっていない。結論部に出て来るが、いわゆる悪名高い連帯保証人の制度も含め、「連帯責任」については法学的には決して好ましい制度としては扱われていない。
さらに付け加えて言えば、現在の日本では合名会社の結社性(複数の社員が必要)の要求は無くなっており、一名の無限責任社員だけの合名会社の設立も可能になっている。この場合連帯責任はそもそも存在しない。
さらには、結論部でヴェーバーが書いているように連帯責任原則はドイツ法の合手原理がベースになっている可能性が高い。何故なら、合名会社の財産は連帯責任というより複数の無限責任社員の「共有」の形態として考えた方が自然だからである。しかしこの論文ではその観点での検討はほとんど行われておらず、連帯責任についての研究が中途半端に終っている。その点が結論部では言い訳のように書かれている。

2.会社の特別財産について

会社の特別財産については、合名会社の会社財産は形式的には独立したものに見えるが、実質的には全て無限責任社員の個人の財産によって担保されているのであり、個人財産と大差無い。その場合合名会社の破産ということは、すなわち個人の破産と同等であり、そこに特別財産が成立しているというのは法的な形式に過ぎないと思われる。現在において個人事業か合名会社かという選択はほとんど税金の問題として選択されるケースが多い。この論文では会社組織への課税という観点はまったく触れられていない。

3.商号について

むしろ会社組織の発展の上では「法人」概念の成立が重要だと訳者は思うが、商号と法人概念に関する分析は限定的である。”corpus mysticum”(神秘的な体)については結論部で少し触れられているだけだが、もう少し突っ込んだ分析が欲しかった。

4.その他

・この論文は当初合名会社だけを扱っており、博士号論文(第3章のみ)を拡大して現在の形にした時に合資会社の分析も追加された。そのためか、合資会社についての分析が突っ込み不足であり、何故無限責任社員と有限責任社員の差異が形成されるのかが、capitaneus等の概念が紹介されるだけである。このために大塚久雄氏が言及しているように、ゴルトシュミットやハックマンの批判を招くことになった。
・この時点では当然のことながら、「会社制度の合理化の段階」といった「合理化」の観点はまだほとんど見られない。
・ただローマ法が持っていた汎用性、つまり新しい経済現象が出て来てもそれを取り込んで対応していく能力ということについては言及されている。
・コムメンダの考え方はイスラム教圏におけるムダーラバ契約の考え方が欧州に入って来て出来たものとする説が現在ではあるが、ヴェーバーの当時、ヴェーバーも含めて誰もこのようなイスラム圏からの影響ということを考慮していない。(コムメンダやソキエタス・マリスが最初に発達したピサもジェノヴァも十字軍の拠点であり、(十字軍が拠点を築いた)イスラム圏との貿易が広く行われていた。)
・中世の法規文献の調査については、論文執筆の開始時点ではヴェーバーはスペイン語・イタリア語の知識に乏しく、その2つの言語を学びながら文献を解読していった努力については、泥縄的とはいえ素直に頭が下がる。
・ただ文献調査に多大な時間と手間を要した割りには、得られた成果は地味で、研究の効率という意味では高くない。ある意味師であるゴルトシュミットの研究の補完として使われたという面があるのを否定出来ない。
・この論文で様々なゲマインシャフトの形態がゲゼルシャフトへと変化して行く実例が多く挙げられている。このことが後年の「理解社会学のカテゴリー」での独特のゲマインシャフト-ゲゼルシャフトの理解(ゲゼルシャフトも一種のゲマインシャフトである)につながったのではないか。実際に、この論文で挙げられている例では、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの境界は流動的であり、テンニースのように対立概念と捉えることはほとんど出来ない。
・この論考で中世の教会法での利子禁止がどのように経済に作用したかという検討がされており、プロ倫の中にそれが活かされている。
・ヴェーバーの研究方法が、最初の論文から決疑論であることは非常に興味深い。
・法制史的観点が中心で、経済史的観点が弱い。例えばコムメンダやソキエタス・マリスについてももっと経済史的に突っ込んだ説明、例えば中世の都市国家の社会背景の説明などが個人的には欲しかった。実際に例えばジェノヴァのジョバンニ・スクリーバの公正証書をいくつか読んで見ると、この論文だけでは得られない当時の実情が良く理解出来る。
・しかしながら、ヴェーバーの関心が法教義学よりも法制史(それも経済ともっとも関係の深い商法の歴史)、そして経済史、さらに歴史そのものという具合に変化していく兆しが最初の論文からもう現れているというのは興味深い。
・ピサのConsitutum Ususについての調査は、最初に法規集を編纂したボナイーニとヴェーバー以外には、インターネットを検索した限りの感触ではきちんと研究している人が見当たらず、そういう意味では貴重な研究と言える。
・テオドール・モムゼンはこの論文の審査にゲストとして出席し、あるローマの植民都市を表す2つの単語の差異についてヴェーバーと討論している。そして周知のようにその討論におけるヴェーバーの主張には納得していないものの、ヴェーバーのザッハリヒな研究態度と論理的な能力については高く評価し、有名な「息子よ我に代わってこの槍を持て」発言につながっている。モムゼンもまた、ある面では膨大なラテン語の碑文の解読を行うプロジェクト(ラテン語金石碑文大成)を立ち上げた、きわめて実証的な学者である。

「中世合名・合資会社成立史」の英訳の評価

「中世合名・合資会社成立史」のこれまでの日本での評価・紹介について、安藤英治氏と大塚久雄氏のものを取上げました。さらには、この際、Lutz Kaelber氏の英訳の質についても評価しておきます。(“The History of Commercial Parntership in the Middle Ages”, Rowman & Littelfiels Publishers, Inc., 2003)

最初に申し上げておくべきなのは、初めて(2003年に)この論文を外国語に翻訳したLutz Kaelber氏の功績は大きいということです。私はこの英訳が無かったら、中世ラテン語、中世イタリア語、中世スペイン語などの法規文献の引用が飛び交うこの論文を最初から一人で日本語訳しようという気にはまずならなかったと思います。その点ではLutz Kaelber氏には非常に感謝しています。また、そういった法規文献の英訳は、おそらく半分以上は別の人が既に訳したものを引用しているものですが、そういった文献を見つける手間だけでも相当なものがあると思われ、最初の英訳者の功績を損なうものではありません。

しかしながら、そういう感謝の気持ちの一方で、Lutz Kaelber氏がご自身で訳されたと思われるドイツ語、ラテン語、イタリア語その他の部分について疑問が無い訳ではなく、残念ながら特に後半の1/3については翻訳のレベルが低下しているように見受けられ、不適切訳や誤訳が散見されました。実は、下記の(1)の誤訳の指摘の時から、氏とは何度かメール(英語)をやり取りしました。一部こちらの指摘を受け入れたのもありますが、多くはまったく回答無しであり、こちらもそうなるとわざわざ英訳の校正を手伝う気も無くなったので、交信は現時点では途絶えています。下記の指摘は一部で、まだまだおかしな部分は多くあります。

ご興味があれば、以下の具体例をご覧下さい。私自身の態度としては、英訳者の対応を他山の石とし、誤訳の指摘には真摯に対応し、必要に応じて修正を図って行くことを心がけたいと思います。

以下、誤訳・不適切訳の具体例。ページ数はドイツ語原文(全集版)-英訳-日本語訳の順。

(1)P.175-P.74-P.35
原文:Unzweifelhaft ist in der Verfassung, in welcher die Kommenda und societas maris uns in den Statuten und Urkunden von Genua, an welches sich die südfranzösischen Statuten anlehnen,
英訳:Without doubt, the statues and the documents of Genoa, following southern French statutes,
日本語訳:ジェノヴァにおいて、コムメンダやソキエタス・マリスを見出すことができる法規や文献史料の中で、それらに南仏の諸法規が依拠しているのであるが 、(中略)、何の疑問も差し挟む余地も無く同意出来る。

英訳は依存関係が逆で、ジェノヴァの法規が南仏の法規に依拠していると訳しています。
ドイツ語からしてもそのような解釈は不可能ですし、また文脈から言ってももし南仏の法規がそのような性格のものなら、ヴェーバーはジェノヴァの法規では無く、南仏の法規について詳細に説明しなければならなくなりますが、当然そのような説明はありません。
これについてはLutz Kaelber氏も誤りを認めました。

(2)P.193-P.87-P.52~53
原文(ラテン語):”si quis ex ipsis duxerit uxorem et de rebus communibus meta data fuerit”
英訳: “If one of the brothers takes a wife and gives her a marriage portion from the common property.”
日本語訳:そして兄弟達の内の誰か一人が妻を娶って[その妻の実家に]共通の財産から[一種の]結納金を払うことになる。

要するにmeta(注:ラテン語ではなくランゴバルド語の単語)を「持参金」と訳すか「(一種の)結納金」と訳すかということです。持参金は文字通り嫁が持参するもので、それを結婚して夫になるものの家の共通の財産から嫁に払うという英訳はおかしく、日本語訳のようにすべきだということです。(ハインリヒ・ミッタイスの本にもmetaは花嫁の父親に対して支払う一種の結納金だと説明されています。父親は受け取った結納金を原資にして、花嫁に一種の財産分与として持参金となるお金を与えます。)
本指摘へのKaelber氏からの回答は3ヵ月以上かかり、その内容は「この部分はKatherine Fischer Drewのランゴバルド法の英訳を写しただけ」というものでした。この英訳は入手しましたが、確かにそう訳していますが、それが正しいという保証はどこにもありません。Kaelber氏がどう考えるのかという回答は結局ありませんでした。この翻訳者の基本姿勢がこれで良く分りました。

(3)P.274-P.141-P.125
原文:Wenn nun der Vater trotzdem, daß das Vermögen ungeteilt ist, mit den einzelnen Söhnen societates einzugehen überhaupt imstande ist, so muß notwendig auch dem nicht abgeteilten Sohne schon jetzt im Rechtssinn Vermögen überhaupt zustehen, sonst könnte er nichts einwerfen.
英訳:If the father at all able to enter into partnership with his sons, in spite of the fact that asssets are undivided, then the son who has not received his share in the property must have a claim to the assets in a legal sense; otherwise, he could not contribute anything.
日本語訳:もしその父親が「それにも関わらず」、家族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタスを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父親は家ゲマインシャフトから独立していない[家住みの]息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいしか出来ず、それ以外に何かを[例えば金銭で]息子に対して支払うことは出来なかったであろう。

ここの英訳は、訳者がドイツ語ネイティブとはとても思えないようなひどい誤訳です。原文の主語は一貫してder Vaterです。にも関わらず英訳は後半部分では主語がthe son(息子)に変ってしまいます。原文は息子については3格(与格)で”dem nicht abgeteilten Sohne”(まだ独立していない息子に)となっているので、これは主語にはなり得ません。にも関わらず英訳は「その息子は法的な意味においてのその資産に対しての請求権を持たなければならない(持つことになる)」としています。文法的にも無理ですし、また文脈から考えても意味不明の訳です。
zustehenという単語は他動詞の場合はzugestehenと同義で「譲り渡す」という意味です。その場合、日本語訳の内容で無理なく訳すことが出来ます。

この点についてもメールで指摘しましたが、2020年9月22日現在回答はありません。

(4)P.279-P.144-P.129
原文:Für die von einem Teilhaber auf eigene Rechnung abgeschlossenen comperae haben die anderen ein Eintrittsrecht (nach Art der heutigen offenen Handelsgesellschaft).
英訳:The others are entitled to subrogation for comperae[sales] the partner made on his own account (similar to today’s general partnership.).
日本語訳:ある一人の持分所有者の勘定の中で行われた comperae (訳注252) に対しては、他の持分所有者は介入権を持っていた。(今日の合名会社の場合と同様。)

訳注252:(若干加筆しています。)現代イタリア語の compra に相当するとするすれば「買う」という意味です。但し単純な購買行為ではなく、何かの特別な購買と思われます。何故なら単純な購買はこれに続く箇所で別途説明されているからです。12-14 世紀のジェノヴァやフィレンツェではこの言葉は、国が私的団体に対して債券を発行し、それを買ったものは例えば塩にかかる間接税のようなものを一種の利子として受け取ることが出来た、その債券またはそれを引き受けた団体を意味する特殊なタームです。つまり一種のRentenkauf(定期収入金を一種の利子の代替物にした金銭貸借)になります。ゴルトシュミット他のドイツ歴史学派はこの compera(コンペラ) を株式会社の起源であると考えていました。全集の注はヴェーバーが Consitutum Usus の中の概念を使っているとしていますが、それがどのページなのかをヴェーバー自身も全集の編集者も記載しておらず、本当にそうなのか疑わしいですし、翻訳者の方でインターネットで確認出来る Consitutum Usus を検索してもそのような特別の概念の定義は発見出来ませんでした。ヴェーバーはConsitutum Ususの箇所を参照する時は逐一注を付けていますので、全集の注は根拠不明です。

この部分の英訳でcomperaeを[sales]と真逆の意味に訳していること自体の問題だけでなく、それを指摘したら「じゃあ全集の注に『購買』とあるから購買だろう」という回答でした。英訳については誤訳もともかく、その後もともかく自分で考えようという姿勢が見えません。私が訳注に書いたような情報はKaelber氏にも伝えましたが、その後何の回答もありません。

(5)P.297-P.157-P.147
原文: … quilibet talium sociorum sit … in solidum obligatus.
英訳:…any one of such partners…is to be held liable for the full amount.
日本語訳:…そのようなソキエタスの成員の誰もが…連帯して責任を負うことになる。

何故、in solidumという今日でも使われている「連帯責任で」が「全額で」という訳になるのかまるで理解が出来ません。ドイツ語だけでなくKaelber氏のラテン語もかなり怪しいです。

(6)P.248-P.122-P.101
原文:cujus nomen “expenditur”
英訳:whose name is “hang out”
日本語訳:その者の名前が{重要な情報として}載っている

この部分は商号の初期の段階で、店の看板のような板に無限責任を負う者全員の名前を記載し、それをどこかに看板として掲げたということです。英訳はラテン語のexpenditurを「ぶら下がっている」と訳しています。看板だから店先にぶら下げられているんだろうという解釈です。しかしラテン語のexpenditur(expendoの受動形、3人称単数)の意味は、「1.支払われる 2.重み付けされる」という意味しかなく、「ぶら下げられている」という意味はありません。penditurならそういう意味ですが、英語の相当語であるexpend-expenseにも「ぶら下がる」という意味が無いのはご承知の通りです。

ここで更におかしいのは、
P.327-P.177-P.175にてこの表現が再度複数形で出て来ますが
原文:quorum nomina expendunter
英訳:whose name are held out
日本語訳:その者達の名前が載っている

という風に、まったく同じ表現で主語と動詞(受動形)が単数か複数かの違いですが、英訳は今度は”held out”(提出される)と訳を変えています。要するに訳し方がその場その場の適当な思いつきで左右されているということです。

大塚久雄氏の「中世合名・合資会社成立史」への言及について

安藤英治氏の「中世合名・合資会社成立史」の紹介についての論評に続き、大塚久雄氏の「中世合名・合資会社成立史」への言及について紹介すると共に、その問題点を指摘します。その言及は大塚氏の最初のまとまった研究成果である「株式会社発生史論」(1938)の前篇に、いわば先行研究批判のような形で出て来ます。この二人の研究内容については、次のように表にして比較してみるとわかりやすいかと思います。

マックス・ヴェーバー「中世合名・合資会社成立史」 著者・表題 大塚久雄「株式会社発生史論」(前篇部)
1889年 発表年 1938年
ローマ法の団体概念であるソキエタスから、中世において合名・合資会社がどのように生まれたか。 研究の範囲 株式会社がどのような歴史的な段階を経ながら発展して来たか、その初期の段階としての合名・合資会社研究を含む。
法制史を中心としながら一部経済史 学問分野 マルクス主義的経済史
会社の特別財産と連帯責任原則の発展 着目している要素 個別資本の集積
多数の中世の諸都市の法規の実証研究に基づく決疑論で先行研究への批判も含む 研究手法 主に先行研究の文献調査と事例研究
合名会社の特別財産と連帯責任は、イタリアの諸都市での家計・家業ゲマインシャフトの中から発展した。合資会社はその特別財産の部分は合名会社と共通であるが、その起源はまったく異なる対立概念である。 結論 (前篇部のみ)
株式会社の歴史的な発展段階は、個人企業→合名会社→合資会社→株式会社という単線的なものである。

上記の研究の範囲を見ていただければ良く分りますが、ヴェーバーはローマ法から中世の合名・合資会社の成立までで、それに対し大塚久雄氏はその中世から近代の株式会社の発展を追ったものなので、両者の研究対象はずれており、それが重なるのは中世における合名・合資会社の部分だけです。
また学問分野を見てもヴェーバーは法制史がメインで一部経済史を含みます。それに対し大塚久雄氏は経済史のみで、それもマルクス主義的な教条主義に囚われた発展段階論です。ここで言えるのは、合名・合資会社という歴史的な事象を正しく理解する上では、色々な要素を総合的に勘案して判断すべきと考えますが、ヴェーバーは少なくとも経済史的要素を無視することはせずまた様々な法規の事例を地道に調べた決疑論に徹していますが、大塚久雄氏はいかにもマルクス主義的唯物論という感じで、いわば「上部構造」とも言える法制史的側面についてはまったく考察の対象としておらず、またヴェーバーが苦労して調べた具体的事例の数々も参考にした形跡は窺えません。
以上のことから、大塚久雄氏の研究にとっては、ヴェーバーの研究は先行学説とは言い難い部分がありますが、大塚氏は「補注」という形でヴェーバーの研究に言及しています。そこで大塚氏はヴェーバーの研究を「合名会社の発達の起源を家族共同体に求める諸説」として紹介しています。まずはこの「家族共同体」という言い方が既に問題で、ヴェーバーは家族ゲマインシャフトと家計ゲマインシャフトは厳密に区別しており、「家族ゲマインシャフト」から合名会社が生成したなどとは書いていません。もっとも大塚氏はその後の方で「労務共同体」という言葉を使っていますので、大塚氏自体がそのことを理解していない訳ではありませんが、既に最初から読者に対して誤解を与える表現になっています。ヴェーバーが実例として挙げているフィレンツェのペルッツィ家やアルベルティ家は15世紀の段階では、法王や各国の国王に資金を貸付けるいわば財閥ファミリーとなっており、人が「家族ゲマインシャフト」でイメージするような家族数人のきわめて小規模なゲマインシャフトとはまるで異なります。
それから、大塚氏はヴェーバーのこの説にゴルトシュミットとハックマンが反対しているとして、まるでヴェーバーの説が少数意見であるかのような書き方をしています。しかし、大塚氏がこの部分の冒頭で書いているように、中世イタリアのフィレンツェなどの内陸都市で「家計ゲマインシャフト」から発生した「コンパーニア」(原義はパンを共にすること→ヴェーバーが再三引用している” stare ad unum panem et vinum”{一かけらのパンとワインを共にする}、現在のcompanyの語源です)であるということは、私が調べた限り現在でも定説、多数派説です。更にはゴルトシュミットとハックマンの反対意見については、おそらくは家計ゲマインシャフトは合名会社生成の一つの要素であるが、それだけはないという主張であると思われます。また大塚氏はゴルトシュミット・ハックマン側に賛成する理由として、「『会社』なるものが個別資本の集中形態である」からとしています。更にはヴェーバーが法制史的側面だけ見て経済史的側面を見ていないと批判していますが、私に言わせればヴェーバーは少なくとも経済史的側面を無視したりしていませんが、大塚氏は法制史的側面をまるで無視しています。大塚氏が根拠とする個別資本の集中という点でも、ヴェーバーは家族の成員以外とのソキエタスの欠点として、ある成員が亡くなってしまった場合のソキエタスの財産の維持の困難さを挙げており、日本の財閥ファミリーである三井家や住友家の例を挙げるまでもなく、家計ゲマインシャフトは資本の集積には親和的に働いていました。大塚氏のこの観点でのヴェーバー批判は自分で考えたと言うより、ゴルトシュミットとハックマンの尻馬に乗っているだけという風に私には見えます。
それからもっと重要な問題は、これについては安藤英治氏も指摘していますが、大塚氏の結論である、個人企業→合名会社→合資会社→株式会社という発展段階について、ヴェーバーは個人企業→合名会社の部分も合名会社→合資会社の部分もはっきりと否定しているということです。合名会社の発展は先の説にもあるように家計ゲマインシャフトからであり、そこに個人企業といった段階は認められていません。そして何よりも、ヴェーバーは合資会社と合名会社は鋭く対立するものであって、合名会社から合資会社が生まれたというような説を完全に否定しています。第4章の注36:「合資会社が合名会社にとって次の発展段階であるというような、そういう事実は見出せない。そうではなくて、合名会社と合資会社は歴史的にも理論的にもお互いに同じレベルで鋭く対立するものなのである。」私が大塚久雄氏が「中世合名・合資会社成立史」をきちんと読んでいないだろうと推測する最大の理由はこの点です。もし仮に読んでいてそれについて何も言及していないのであれば、学者として失格でしょうし、全部を読まないで批判を書いたとしたら、それもまた学者としては、特に後年ヴェーバー研究者として知られるようになった者としては、怠慢としか言いようがありません。
さらに大塚論文での問題を挙げておくと、用語法の混乱です。大塚氏はソキエタス・マリスを「ソキエタス」と呼び、またコムメンダを「コンメンダ」と呼んでいます。ヴェーバーが「コムメンダは最初からソキエタスと呼ばれていた(コムメンダもまたローマ法のソキエタスの概念の範囲で理解されていた)」と書いていることを考えると、ここからもうおかしな用語法なのですが、問題は歴史的なコムメンダとソキエタス・マリスの実態とはまた別の観念的な定式化であるということです。さらにはその自分で作った定義ですら徹底されておらず、P.116では「ただしこのソキエタスの用語法が…(中略)…この場合の用語法ではむしろソキエタスではなくしてコンメンダであることが注意せらるべきである」などと書いており、混乱しているとしか言いようがありません。また、ヴェーバーがコムメンダにおける様々な要素として「委託販売」「単純な資本『参加』」といった区別を持ち込んでより深く分析しようとしていますが、大塚氏のはむしろ悪しき単純化・定式化にしか見えません。
以上、大塚氏の論文は1938年という時代を考えれば無理もない、という弁護が出来なくもない部分もありますが、その後大塚氏が1960年代にヴェーバーの紹介者・翻訳者として有名になったという経緯を考えた場合、「あの大塚先生がこういう評価をしているのだから、『中世合名・合資会社成立史』は特に読まなければならない本ではないのだな」という間違った評価につながったということは否定出来ません。そしてそういうネガティブな評価が、2020年まで日本語訳が無かったというアンバランスな状態にもつながったのだと思います。教訓としては、「どんな偉い先生がある本について何と言っていようと、評価はまず自分で読んでからにすべきである。」ということかと。

安藤英治氏の「中世合名・合資会社成立史」紹介の問題点

「中世合名・合資会社成立史」のダイジェスト版のアップも終ったので、次はこの論文の日本での受容について論評したいと思います。今まで私が知る限り日本でこの論文について言及したのは、二人だけです。一人はヴェーバー研究者・紹介者として有名な大塚久雄氏であり、もう一人はやはりヴェーバー研究者として著名な安藤英治氏です。今回はまず安藤英治氏の「ウェーバー歴史社会学の出立―歴史認識と価値意識―」を取上げます。この論文は安藤英治氏がヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」をヴェーバーの最高の論文として捉え、それに至るまでの道筋を明らかにするという目的で書かれたものです。「中世合名・合資会社成立史」の紹介は、P.108からP.130まで23ページというそれなりのボリュームを費やして書かれています。 結論から先に申し上げれば、これまで大塚久雄氏の論文以外ではまったく言及されておらず、ヴェーバーの研究者の間でもほとんど読まれていなかったこの論文を「ともかくも」読み、その内容を他に伝えようとした努力に対しては敬意をもって接するべきだと思います。しかし、後述するように、この論文のもっとも中心的な論点でまったくの誤解をしたままの紹介であり、読者に間違った情報を伝えている点では問題が多いと思います。以下、その問題点をa potioriに(重要性の高いものから)紹介します。

1.合名会社の「特別財産」の理解
ダイジェスト版を読んでいただければ分りますが、合名会社において、ローマ法のソキエタースでの財産が、各成員の個人財産を寄せ集めただけで、例えば外部から見て差し押さえが可能であるようなソキエタース自身の財産がどのようにして認められるようになったのかの歴史的経緯を探るのがこの論文の大きな主題の一つです。その財産をヴェーバーはソキエタース(ゲゼルシャフト)の「特別財産」(Sondervermögen)と呼んでいます。 この「特別財産」についての安藤英治氏の紹介はP.117にあり、「だが動産のうちに組合に投資されたものでありながらEinlage(注:投資されたもの)に含まれないものがある。これをcorpo della compagniaという。すなわち二年毎に行われる総合計算(注:一種の決算)の時以外に増減可能な資本があることになる。ウェーバーは丁度今日の常時解約可能な預金の如きものだと解説している。このcorpo della compagniaはラテン語のcorpus societatisに当たる。それは対外関係において会社財産を意味し、『したがってこれは合名会社の特別財産に当たる。』」 この安藤氏の説明は100%間違っています。このcorpo della compagniaについてヴェーバーがこの論文で述べている所を拙訳から引用します。

「 ソキエタースの資本金(注:原文でGrundkapital)――il corpo della compagnia [コンパーニアの実体]――は各ソキエタースの成員の出資金を合計したものとして成立していた。  これらの出資金は、通常の場合認められうる限りにおいて全部をまとめた合計額として表現され、利益が繰り入れられ損失が控除される。各ソキエタースの成員の出資金は総決算[Generalrechnung]、つまり saldament della compagnia 28) [コンパーニアの決算]と呼ばれたもので、一般的に2年に1回行われる決算までは増額も減額もすることが出来なかった。その決算の時までは、またそのソキエタースの成員の死においても、その出資金はソキエタースに縛り付けられ、そして利益と損失を分割する際の基準となった。」

安藤氏が誤って「特別財産」と解釈している財産についてのヴェーバーの記述をやはり拙訳から引用します。

「 それにも関わらず、ソキエタースの成員はゲゼルシャフトの基金以外にも動産を所有している。そしてそうした動産の中で我々にとって取り分け重要なのは、次のような資金である。それはソキエタース[コンパーニア]において何かの目的で自発的に出資されたものであるが、しかしながら出資金としては扱われないものである。ほとんど全てのソキエタースの契約の中にそういった資金についての規定を見出すことが出来る。そういった資金はあるソキエタースの成員が、”fuori del corpo della compagnia” [コンパーニアの資本金の外側で]所有するものである。」

il corpo della compagniaはつまり「そのコンパーニアの実体」という意味であり、つまり現在の用語で言えば会社の資本金であり、これが個人の財産の単なる集合から区別される「特別財産」であることは、普通に読めばすぐに理解されることです。またヴェーバーが”fuori del corpo della compagnia” について「我々にとって取り分け重要なのは」と書いているのは、ローマ法のソキエタースではむしろそういう財産の集合がソキエタースの財産だったのが、この段階ではソキエタースの特別財産である資本金と従来型の各成員の一時的な投下資金の集合がはっきり区別されるようになっているという点においてです。
安藤氏が何故こんな初歩的な読み誤りをしたのかの理由は分りませんが、ソキエタースのメンバーが一時的にソキエタ-スに預けているような財産がソキエタースの実体=「特別財産」と呼ばれることはあり得ないのは常識で考えても容易に理解出来ることです。このような部分だけを拾い読みしてとんでもない誤解を読者に紹介しているという、このことだけでも安藤氏の読解は問題だと思います。

2.Firmaの翻訳
次の問題として、ヴェーバーがゲゼルシャフトの連帯責任が成立するためには外部との契約がFirmaによって行われることが必要だったとしていますが、安藤氏はP.118にて「かくてソキエタスは外に対しては一つの集合名詞をもった一個の全体として、特有の商社 Firma として立ち現われた。」と書き、Firmaを「商社」と翻訳しています。確かに辞書を引けば現在のFirmaの意味はまずは会社であり、商社という訳もあり得ます。しかしながらこの論文では最初から最後までFirmaは「商号」の意味で使われ、商社という意味で使われたことは一度もありません。 私が訳注の中で引用したヴェーバー当時のドイツの商法典の合名会社に関する記載を再度引用します。

「Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch [ADHGB] 1869年制定、第85条の規程は以下の通り。”Eine offene Handelsgesellschaft ist vorhanden, wenn zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter gemeinschaftlicher Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter die Betheiligung auf Vermögenseinlagen beschränkt ist. Zur Gültigkeit des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen Abfassung oder anderer Förmlichkeiten nicht.” [日本語訳] 合名会社とは以下の場合に成立する。2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責任を制限されない。会社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。」

合名会社の「合名」とは、無限責任社員の名前をすべて「商号」の中に列挙することが必要とされていたことから来た名前であり(今日でも欧州には二人の名前を&でつないだ会社名は多くありますが、そういう会社は元は合名会社からスタートしたか、あるいはかつてのそういう規則が現在でも真似されているかのどちらかです)、合名会社についての論文で Firma が使われたらまず「商号」という訳しかあり得ないのは常識に近いと思います。もしかすると安藤氏は、商事会社を商社の意味だと誤解している可能性もあります。

3.内陸都市と沿岸都市の対立という構図
安藤氏はヴェーバーがイタリアにおいて、ピサ、ヴェネツィア、ジェノヴァのような沿岸都市と、フィレンツェのような内陸都市を対立概念として捉え、沿岸都市では連帯責任の原則は発達せず、コムメンダやソキエタース・マリースでそれが無いことの確認をしただけで、本論は内陸都市の部分である、という解釈をされています。またP.115では「連帯責任はゲルマン的財産共同体の影響の及ばないイタリアの沿岸都市からは原理的に発生し難いことになろう。」としています。 しかし、こういった対立構図は、ヴェーバーの叙述にはほとんど確認出来ないどころかそれと反対のことが書かれています。第5章のフィレンツェの冒頭では
「フィレンツェにおける商法の発展については、既にラスティヒにより繰り返し主張されているように、カテゴリーとしてイタリアの沿岸[港湾]諸都市のそれと対比されるものとして把握されかつ説明されている。」
とさらりと紹介されているだけで、ヴェーバーは特にこの観点を強調したりはしていません。また第3章の原注12では「海上取引の盛んな都市と産業の発達した都市の対立がラスティヒによって強調されている。Entwicklungswege und Quellen des Handelsrechts[商法の発達の道と源泉])ゴルトシュミットは Zeitschrift für das Gesammte Handelsrecht[総合商法雑誌]の第 23 号の 309 ページ以下で、このラスティヒの論に対し、対立を際立たせるやり方が行き過ぎであり、また一般化も過度であるとして批判している。(以下略)」と書かれており、ヴェーバーの先生であるゴルトシュミットがラスティヒの沿岸都市と内陸都市の対比の仕方が行き過ぎであると批判していることが書かれています。従ってヴェーバーとしては両論併記のような形で特にラスティヒ説を強く支持するようなことはまったく書かれていません。 ここでヴェーバーが言いたいのはフィレンツェのような内陸都市では貿易での必要性から生まれたコムメンダやソキエタース・マリースが発展せず、別の形のゲゼルシャフト形成が主流であったということだけです。また連帯責任原理が沿岸都市には無かったというのもおかしな解釈で、ヴェーバーは沿岸都市のピサで法規上には連帯責任の記載はないがそのことがピサで連帯責任が行われていなかったことを意味しないと書いていますし、またヴェネツィアにも独自の連帯責任があったことが記述されています。またこの連帯責任がゲルマン法由来のものであれば、ゲルマン民族の国であるランゴバルド王国というのは沿岸・内陸を問わずシチリア島などの一部の地域を除いてイタリア全土を6~8世紀に渡って200年以上支配したのであり、ゲルマン法が沿岸都市には影響を及ぼさなかったとする解釈は不可能です。 また、コムメンダやソキエタース・マリースという沿岸都市で発達した新しい一種の会社組織の前形態は、最終的に合名会社や合資会社が成立する上で大きな役割を演じており、単にそこに連帯責任原理の発展が無かったという確認のためだけに取上げられているのでありません。(ただヴェーバーは通説でのコムメンダ→合資会社、ソキエタース・マリース→合名会社を否定して、ソキエタース・マリースから合資会社が生じたとしています。)

4.ローマ法とゲルマン法の対立
安藤氏は内陸都市と沿岸都市の対立以外に、ローマ法とゲルマン法の対立というのもヴェーバーが採用しており、これが後にプロテスタンティズム研究につながるとしています。そしてここでもまたローマ法では家父長権が強く、ゲルマン法では家族の権利が平等で、コムメンダは平等ではない成員間のシステムなのでローマ法から生まれ、そこから合資会社が生まれたとしています。しかし上述したようにヴェーバーは合資会社を産んだのはコムメンダではなくソキエタース・マリースであると明記しており、この点も間違っています。また、ローマ法のソキエタースは対等の人間間を前提としており、コムメンダをソキエタースの枠組みで解釈するには当時の法学者が苦労した旨が記載されています。さらに言うならば、ローマ法とゲルマン法の対立という図式はヴェーバーが改めて持ち出したものでは当然なく、19世紀のドイツの法学においてきわめて激しい論争があった対立であり、その対立がようやく治まってドイツにおける法整備が一応進んだ段階での研究者であるヴェーバーが、両方を考慮して議論を進めるのはある意味当然です。しかしながら結局ヴェーバーはこの論文でゲルマン法の基礎原理である合手制については、きわめて限定的にしか論じておらず、どちらかというとロマニステンに近い立場で論文を書いています。これはおそらく師のゴルトシュミットの影響だと思われます。ヴェーバーはしかし大学で代表的ゲルマニステンであるギールケの講義も聴講しています。

以上4つほど論点を挙げましたが、細かい点を入れればまだまだ誤りはかなりあります。 安藤先生には申し訳ありませんが、私はこの「中世合名・合資会社成立史」の紹介は問題が非常に多く、この論文で展開されたヴェーバーの議論の的確な紹介にはまるでなっていない上に、ヴェーバーがもっとも苦労して論述している「会社の特別財産」や「商号の成立」についてはあり得ないような誤解をし、また「沿岸都市 対 内陸都市」や「ローマ法 対 ゲルマン法」のような本来はヴェーバーがここで初めて言い出したことでもないことを、あたかもヴェーバーが初めて主張したかのように説明するという意味で読者にとって非常に有害と言わざるを得ません。