VI. Die juristische Literatur. Schluß P.325 – 329 日本語訳(45)

日本語訳の第45回目です。ここはなかなかドイツ語本文がタフでした。
その反面、注39のラテン語は長いですが、割ときちんとした学識者が書いたラテン語らしく、意味を取るのにそれほどは苦労しませんでした。
ともかく後1回になりました!
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その意義においては次のような原則が採用されていた。つまり、ソキエタスの勘定に算入される業務だけがソキエタスの成員達に関係付けられるのであり、法的な構成を行う場合には、そういった業務はさらにソキエタスの全員を一つにまとめた集合体として、つまり一つの corpus (身体)として擬人化し、最終的には次のような慣習法が確立するに至った。その慣習法とはつまり、その種の業務の契約の際には、全てのソキエタスの成員の個別の勘定に関係する形で契約するのだということが特別に強調され、そしてそれ故に当該のソキエタスは外部に対しては全てのソキエタスの成員の名前を包含する集合的表現 30)としての一つの総体として、つまり本来の意味の商号(Firma)として立ち現われることとなった、――というものであり、――そしてそういう業務は今度は次のような論理的な帰結を導き出していた。つまりある業務の関係者はある集合的な名称を受け入れ、そしてその名前において契約を締結する。ある者がいて、その名前が集合的な商号の中に包含されていると見なされる者は――”cujus nomen expenditur”(その者の名前が載っている)――連帯して責任を負うソキエタスの成員とされるのである。集合的な商号の名前を使って締結された契約こそがソキエタスの契約であるとされたのである。

30)”Corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”(複数の名前が融合している神秘的な体)、先に引用した Dezision der Rota Genuensis を参照せよ。

31)商号については Dietzel《Gustav Dietzel、1827~1864年、ドイツの法学者》の論文、一般法年鑑の第4巻と、本論文の第3章の注70を参照せよ。

以上のような原則についてと、それによって合名会社と合資的関係を明確に区別するということは、実際の所(法制史から)商法の領域に足を踏み入れてしまっており、それについてはここで見て来た通りである。そしてこれらの考え方が実際に行われるようになったということは、私見ではあるが、やはりまた法学の貢献の一つであり、その貢献の中で法学は同時代の既にあった法との関係において、この章の冒頭で見て来たようなこうした新しい会社形態の法的把握についてある種の制限を含めていたのである。法学はこの論文で取り扱って来た法的制度(会社)の経済的意義と歴史的な発展に対してはほとんど関与していなかったが――しかしそういった法的な把握は間違いなく存在していた――従ってこの部分についてのボローニャやパドヴァの大学で法学の予備教育に従事していた法学者《バルドゥスのことと思われる、原文は「予備教育を受けていた」であるが、バルドゥスはこの2つの大学で教えていたのであり、学生として学んではいない。》の評価については、正当なものとしては、控えめにしておくべきものであろう。――しかしながらローマ法の法的思考の新しいものを解明する能力は、法とはある意味まったく異質な領域でもまたその真価を発揮したのである。以上のようなことを明らかにすることが、先に描写して来た法学文献の概観の目的であったが、これらの文献についてほぼ完全にそう出来たかという点と、あるいは法教義の歴史的発展について全体で明らかにすることが出来たかと言う点については 32)、残念ながらまったくそうとは言えない。

32)これについてはEndemannによる研究によって、より包括的に行われている。ただバルドゥスのConsiliaの扱いは彼の研究した法教義の意義との関係においては上手く行っていない――この研究では、特にConsiliaの傍注とそれに関係した部分が無視されている。

ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年法
発展の結着

 こういった法科学《法制史の分野では、法教義学中心の伝統的な法学と、法科学は区別される》の仕事の成果としてもっとも完全な形で表に現れて来たのはジェノヴァの控訴院判例集であり、それは学識経験者による判事で占められた裁判所 33)によるものであり、その判例集はその当時疑い無く国際的な価値を認められていた。

33)Statuten v. Genua v. 1588/9 1. I c. 7によれば: constans ex tribus doctoribus exeris. (常に3人の外部から招聘された博士から成る)を参照。《exerisをexterisとして解釈。この綴りの変更は全集の注による。》

ジェノヴァにおいては、そこは合資会社の発祥の地の一つであるが、既に見て来たように、会社法の実務において焦眉の急の問題であったのは、合名会社を合資会社関係から、つまりは個人的に(無限)責任を負うソキエタスの成員(社員)を有限責任社員から区別することが不可欠だったということである。実際の所この区別は厳密に行われていたのである。特にパラヴィチーニ家とグリマルディ家《共にジェノヴァの名門28家の一つ、特にグリマルディ家はモナコの支配者として有名》の間で何百万リラという巨額の金額について争われた大規模な裁判(Decis. 14)においては、控訴院は原則的に次のことを強調する立場を取った。つまり、商人達がソキエタス関係にある場合において、Institorat(代表者)の仮定というものはまったく成立していないということを。(このことは Bartolus 34)《Bartolus de Saxoferrato、1313または1314~1357年11月より前、ペルージャ生まれの法律家でバルドゥスの先生》の主調には反しているが)しかしながらその反面次の場合については特に強調はしていなかった。つまり、契約に沿った形である一人のソキエタスの成員のみが事業の管理権を持ち、事業において彼のみが外部に対して契約者として現れる場合、つまりそれ故に契約は他のソキエタスの成員の名前を含めた形では行われず 35)、そして第三者である契約の相手方は、”nicht “fidem eorum secuti sunt”” 36)(ソキエタスの他の成員の信用を求めていなかった)、それはつまり契約する者の信用がソキエタスとしての信用を担保するものではない、そういう場合である。そのためにあるソキエタスの成員で、自分の名前にて契約が締結され、更に彼自身の判断で他のソキエタスの成員達の名前を含めた形で契約を締結する権利を持つ者、そういう成員のみが合名会社の(無限責任)社員である。ソキエタスの名前で締結された契約のみが他のソキエタスの成員、つまり”quorum nomina expenduntur”(その者達の名前が載っている)、に関係付けられ、それらの成員達は契約を締結した者の特別な事業の従事者となる 37)。ここにおいてソキエタスの成員の周知の二重人格性《ソキエタスの契約に拘束される「社員」としてとその者自身の個人としての二重性》が現れて来るのである。

34) Decisiones XII no. 67以下を参照。

35)前掲書、no. 48を参照。

36)前掲書、no. 97を参照。

37)Decisiones 7を参照。

38)前掲書を参照。

 これらの新しい内容の法については、控訴院が強調したように、それは一般法から派生したものであったが、1567年の法規がまだ何もそれらを含んでいない一方で、1588/89年の法規はそれらを取り入れていたのである 39)。

39)De societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l. 2.): Socii sive participes societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in solidum pro omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu societatis.
(商人達のソキエタスまたは事業について(第12章、l. c.):ソキエタスの成員またはソキエタスあるいは何かの事業についての出資者で、その名前がそこにおいて記載されている者は、全ての業務と全員そして個々のソキエタスまたはその事業に対しての債権者(達)に対して連帯して責任を負う。)

 Socii seu participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in aliquo obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et beneficia …
(ソキエタスの成員または出資者で、その名前が記載されていない者は出資者の出資金を超えた何かの債務、あるいはその者がソキエタスの共通資金の中で分担している金額を超えた債務について責任を負わないとされる。しかしそれにも関わらず、そういう者達は出資(分担)の割合に応じて(事業による)利益とその他の便益を受け取る…)

 Creditores hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum, sive plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur quibuscunque aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio nomine, et in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint potiores et anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et praeferri debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel quondam suam praetenderet.
(この種の債権者達は、ソキエタスまたは事業を、あるいは一人の者の名前によって全部のまたは複数の成員を…(債権者達は)商品と財産において、ソキエタスまたは事業に対して、ソキエタスのどの成員一人への債権者よりも優先権を持つ。出資者自身の名前によるかあるいは他の名前によっても、前述の商品と財産において、債権者は次のように見なされる。つまり抵当と特権において他の債権者よりも上位にあり、かつ時間的にも(破産の際の)先取り特権を与えられている。それ故に嫁資や他の何か別のものについても優先されるし、また優先されなければならないが、例外としてある者がその者個人の所有物としている商品と、または前からその者の所有物と見なされる商品を除く。)

 De accommendis et implicitis (cap. 13 l. c.).
(委託された(コムメンダ契約で)ものと、関係者について(第13章、l. c.))

 ここにおいてより古い時代のジェノヴァの法規のコムメンダに関する規定は、特に興味を惹くような変更は無く、繰り返されている。その中には債権者の先取り特権とコムメンダ契約で委託された商品についてのソキエタス成員に対しての規定も含まれている。

そこにおいては発展の成果が次のような形式で法として形作られていた:
 1.何人かの人員から成るソキエタスで、そのゲマインシャフトとしての名前の下である業務を営み、そこではソキエタスの成員がソキエタスの債権者達と彼ら相互に対してのみ連帯責任を負っている形態(合名会社)。
 2.何人かの人員から成るソキエタスで、ある業務をソキエタスの名前で営み、別の者は出資を通じてそのソキエタスに関与するもの。後者の責任は個人として(無限責任を)負うのではなく、その出資額を上限とした責任(有限責任)に限定される。Rota von Genua のDecis. 14、それはこの種のソキエタスについて規定している箇所であるが、それによれば次のように見える。つまり、ただ出資しただけのソキエタスの成員がまた事業の遂行のやり方についてある程度の影響力を持っていたということであるが、そうでないとしたら次の問いは成立し得ない。つまり事業を遂行するソキエタスの社員(is qui complementum dat、{ある者で何からの補完を行う者《例えば資金が不足する場合の追加の出資など》} — Decisiones Rotae Genuensis 18、 — 無限責任社員)が有限責任社員に対しての管理者(Institor)として観察することが適当かどうかという問いである。そこには次のことの名残りが見られる。つまり元々は有限責任社員こそが、無限責任社員ではなく、本来の企業家と見なすべき存在だったということである。この形態は明らかに合資会社である。

 この2つの会社形態の双方において、我々がこれまで確認して来た意味でのゲゼルシャフト(会社)の財産が成立している。この法規の第12章のI.IVと古い時代の法規の編集(Statuta Perae 207)を比べてみると明らかに、前者の法規は後者の法規にある付加規定を拡張したものを含んでおり、さらに第12章の当該の部分を読むと、次のことについては全く疑問の余地が無い。つまりそこで記述されているソキエタスで連帯責任が無いものは、ソキエタス・マリスの発展したものであるということである。

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.325 – 329 ドイツ語原文(45)

ドイツ語原文の第45回目です。注39に長いラテン語があり、そこが最後のヤマかと思います。
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(前の段落から続く)
Sie hatte den Grundsatz, daß nur Geschäfte, die für Rechnung der Sozietät geschlossen wurden, die socii angehen, juristisch konstruiert, sie hatte ferner die Sozietät als eine Personengesamtheit, ein „corpus”, personifiziert und hatte endlich den Usus durchgesetzt, daß bei derartigen Kontrakten das Kontrahieren für Rechnung aller socii besonders hervorgehoben wurde, daß also die Sozietät nach außen als ein Ganzes unter einer die Namen der socii enthaltenden Kollektivbezeichnung 30), einer eigenen Firma 31), auftrat, — und sie konnten nunmehr die Konsequenz ziehen: die Absicht, eine Sozietas mit Solidarhaftung einzugehen, sei daraus zu entnehmen, daß die Betreffenden einen Kollektivnamen annehmen und unter ihm ihre Kontrakte schließen; derjenige, dessen Namen in der Kollektivfirma enthalten sei — „cujus nomen expenditur” —, sei solidarisch haftender socius; Kontrakte, welche unter der Kollektivfirma geschlossen werden, seien Sozietätskontrakte. Diese Grundsätze, und damit die Möglichkeit klarer Scheidung zwischen der offenen Gesellschaft und den Kommanditverhältnissen, sind in der Tat in das Handelsrecht übergegangen, wie wir schon oben sahen; und daß dies geschehen, ist, wie mir scheint, wesentlich auch ein Verdienst der Jurisprudenz, welches eine Einschränkung des an die Spitze des Kapitels gestellten Urteils über deren Verhältnis zum Recht ihrer Zeit involviert. Der wirtschaftlichen Bedeutung und dem historischen Werdegang der Rechtsinstitute stand sie vielfach fern — dies Urteil muß aufrecht erhalten bleiben — und man wird nach dieser Richtung an einen in den Hörsälen von Bologna und Padua vorgebildeten Juristen billigerweise nur bescheidene Ansprüche stellen dürfen, — aber die klärende Macht der römischen Rechtsgedanken bewährte sich auch hier auf fremdem Gebiet. Dies anschaulich zu machen, war der Zweck der vorstehend skizzierten Übersicht über die juristische Literatur, welche auf eine auch nur annähernde Vollständigkeit oder darauf, die dogmengeschichtliche Entwicklung im ganzen klargestellt zu haben 32), keinen Anspruch macht.

30) „Corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum” in der früher zitierten Dezision der Rota Genuensis.

31) Über die Firma cf. die Abh. v. Dietzel, Jahrbuch des germeinen Rechts Bd. 4 und die Anm.70 zu Kap. III.

32) Dies ist bei Endemann, Studien, umfassender geschehen. Nur die Consilia des Baldus kommen bei ihm im Verhältnis zu ihrer Bedeutung wohl zu kurz. — Im obigen ist namentlich die Glosse und was sich an sie anschließt, außer Betracht gelassen worden.

Die Dezisionen der Rota von Genua und die genuesischen Statuten v. 1588/9.
Abschluß der Entwickelung.

 Das Ergebnis dieser Arbeit der Rechtswissenschaft tritt am vollständigsten in den Dezisionen der Rota von Genua zutage, eines mit gelehrten Richtern besetzten Gerichtshofes 33), welche ihrer Zeit eine zweifellos internationale Bedeutung erlangt haben. In Genua, einer der Wiegen der Kommanditen, wie wir sahen, war die brennende Frage der Praxis des Gesellschaftsrechts notwendig die Scheidung der offenen Handelsgesellschaft von den Kommanditverhältnissen, der persönlich haftenden socii von den Kommanditisten. In der Tat ist nun diese Scheidung scharf durchgeführt. Besonders in dem großen Millionenprozeß Pallavicini c/a. Grimaldi (Decis. 14) nimmt die Rota prinzipiell Stellung, betont, daß die Institoratspräsumtion keineswegs überall Platz greife, wo Kaufleute in einem Sozietätsverhältnis stehen (gegen Bartolus) 34), insbesondere dann nicht, wenn vertragsmäßig nur einer der socii die Verwaltung habe und das Geschäft so führe, daß nur er als Kontrahent nach außen auftritt, wenn also die Kontrakte nicht auf den Namen auch der anderen socii gehen 35) und die dritten Kontrahenten mithin nicht „fidem eorum secuti sunt” 36), d.h. also, wenn deren persönlicher Kredit nicht Kreditbasis der Sozietät ist. Es ist also nur der socius, auf dessen Namen kontrahiert wird und der seinerseits das Recht hat, namens der socii zu kontrahieren, offener Gesellschafter. Nur unter dem Namen der Sozietät geschlossene Kontrakte gehen die socii, quorum nomina expenduntur, an, andere sind propria negotia des Kontrahierenden 37). Die bekannte duplex persona des socius erscheint auf der Bildfläche 38).

33) Stat. v. Genua v. 1588/9 1. I c. 7: constans ex tribus doctoribus exeris.

34) Decisiones XII no. 67f.

35) Eod. no. 48.

36) Eod. no. 97.

37) Decisiones 7.

38) Eod.

 Diesen Rechtszustand, welcher, wie die Rota betont, aus dem gemeinen Recht abgeleitet ist, haben dann, während die Statuten von 1567 davon noch nichts enthalten, die Statuten von 1588/89 lib. IV cap. 12 und 13 aufgenommen 39). Es ist da|selbst
das Ergebnis der Entwicklung zu folgenden Rechtsformen gestaltet:
1. Sozietät von mehreren Personen, welche unter ihrem gemeinschaftlichen Namen ein Geschäft betreiben mit Solidarhaftung der Socii gegenüber den creditores societatis und nur ihnen gegenüber (offene Handelsgesellschaft);
2. Sozietät von mehreren Personen, von welchen eine das Geschäft auf ihren Namen betreibt, die anderen mit Kapitaleinlagen an demselben beteiligt sind. Die letzteren haften nicht persönlich, sondern mit ihrer Einlage. Nach der Decis. 14 der Rota von Genua, welche eine derartige Sozietät betrifft, scheint es, daß auch die nur mit Kapital beteiligten socii einen gewissen Einfluß auf die Art der Geschäftsführung gehabt haben, sonst hätte die Frage nicht entstehen können, ob der geschäftsführende socius (is qui complementum dat, — Decisiones Rotae Genuensis 18, — der Komplementar) als ihr institor zu betrachten sei. Es liegt darin eine Reminiszenz daran, daß ursprünglich die, nicht der Komplementar, als die Unternehmer zu gelten hatten. Dies ist offenbar die Kommanditgesellschaft.

39) De societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l. 2.): Socii sive participes societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in solidum pro omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu societatis.

 Socii seu participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in aliquo obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et beneficia …

 Creditores hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum, sive plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur quibuscunque aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio nomine, et in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint potiores et anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et praeferri debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel quondam suam praetenderet. //SW437//

 De accommendis et implicitis (cap. 13 l. c.).

 Hier werden die Bestimmungen der älteren genuesischen Statuten über die Kommenda mit hier nicht interessierenden Änderungen wiederholt, inkl. der Bestimmungen über Vorzugsrechte der Gläubiger und socii am kommendierten Gut.

 Bei diesen beiden Gesellschaften gibt es ein Gesellschaftsvermögen in dem von uns festgehaltenen Sinn. Es ist bei Vergleichung von c. 12 l. IV dieser Statuten mit den alten Statutenredaktionen (Stat. Perae 207) offensichtlich, daß ersteres Kapitel eine Weiterbildung der in den letzteren enthaltenen Ansätze enthält und es unterliegt ferner bei Durchsicht des cap. 12 l. c. keinem Zweifel, daß die dort geschilderte Sozietät ohne Solidarhaftung das Entwicklungsprodukt der societas maris ist.

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.320 – 325 日本語訳(44)

日本語訳の第44回目です。「連帯責任」を法的にどう扱うのかの議論が延々と続きます。
ヴェーバーはこの「連帯責任」に非常にこだわっていますが、後の歴史を見れば合名会社の複数の無限責任社員が連帯責任を持つという考え方は過渡的で、結局会社組織は無限責任社員というものを排除する方向に進み、責任は個々の社員ではなく法人格そのものが負うということに変っており、個人的には無限責任の法的解釈が安定することより、商号から法人という概念が発生する方がより重要性が高いように思います。
後45回と46回で最後の部分に到達します。
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連帯責任の実質的な根本原理との関係

 今まで見てきたような(連帯責任の)純粋にロマニステン的な論理構成の試みにも関わらず、(その当時の)法学にとっては次のような観察結果を見なかったことにして済ますことは不可能だった。その観察結果とは、連帯責任というものが、それは実際の所当時一般に採用されていたのであるが、今まで述べて来たような法学的思考形式に関連付けられていたのではなく、全くもって具体的で外から見てはっきり分る諸事実に関連付けられていたということである。それ故にそういった諸事実と先に述べたような法学的思考形式を結び付ける必要性が生じていたが、しかしそれは常に成功した訳ではなかった。家計ゲマインシャフトが(合名会社の)発展の歴史における出発点であったということは、法学的な文献の中にも登場するようになっていた。duo fratres communiter viventes(一緒に生活している二人の兄弟)の主題は相当浩瀚な法学書籍の中で何度も詳しく論じられていたが、それ以外にその主題自体が単体として研究論文(モノグラフ)にて取上げられていた 20)。それが可能である限りにおいて、ローマ法の societas omnium bonorum 《全ての財産が現在及び将来に渡って共有されるソキエタス》という分類形式が使われ、実質的な根本原理である共通の家計は、上述したような委任とか Institorat といった関係の上述の意味での成立という仮定を正当化するという役割を演じていたが、そういった観察結果は現実の人間関係の本質とはほとんど適合していなかった。しかしながらそういった観察結果は他方ではそれ自身をさらに明確に形作る上で有効に働く要素を内蔵していた。法学が家計のゲマインシャフト、つまり後の stacio(店)や taberna (店、食堂)を、あるソキエタスが成立する上での契機としてのみ観察している過程において、それらのゲマインシャフトは次のようなやり方で解釈する必要があった。つまりそういったゲマインシャフトの実情を分析することによって、それが発達する主因を明らかにし、法学はその主因をソキエタスの特性として他のものから切り出して描写するという、そういうやり方である。

20)ペルージャの Petrus de Ubaldisの De duobus fratribus と、パドヴァの Franciscus de PorcellinisのDe duobus fratribus を参照せよ。

というのも法学者達が強調したのは、発達の主な原因を単に一緒に住むということに帰するのではなく、その一緒に住むことにより経営ゲマインシャフトを形成するという意図をもって行われている場合にだけそうするべきということであった。夫と一緒に住んでいる妻は、それについて Rota Florentina Dec. 65 は詳しく述べているが、それ故に夫と一緒のソキエタスの一員とは見なされない。何故ならばその夫婦の共同生活はまず第一には、共同の経営の実務を行うという意図以外の別の法的根拠に基づいているからである。同じ原則が一緒に住んでいる兄弟達にも適用出来る。その場合においても単純に一緒に住んでいる(cohabitatio)という事実は責任についての法的根拠ではなく 21)、その事実に共同の労働と共同の経営という意図が含まれていることが法的根拠なのである。法学はこの意図については、兄弟の間においてそれぞれが自分の勘定を持って精算するというやり方が存在しない場合が、その意図を裏付ける根拠と見なした 22)。以上のこと全てが連帯責任の考え方を識別する上での目印なのであり、これまで見て来たように、それらのことは観察対象とする実際の人々の生において実際に起きたことなのである。――この共同での経営の業務遂行ということがこの意図においての本質的な側面であったとしたら、この意図は外部からも判別出来るように適当なやり方で文書化されねばならなかった。

21)バルドゥスの Consilia IV 472:Cohabitatio non facit societatem. (一緒に住むだけではソキエタスの形成とは言えない。)を参照。

22)Petrus de Ubaldisの書籍のDe duobus fratribus の序文を参照。また Ansaldus de Ansaldisの Discursus legales de commercio Disc. 49 を参照。バルドゥスは Consilia V 482 にて兄弟間での societas omnium bonorum の成立を判定する標識として以下を列挙している:

1. coarctatio in una domo,(一つの家の中で密に暮していること)
2. commensalitas (vixisse communi sumptu),(生活する上で出費を共通のものとしていること)
3. lucrorum communicatio,(収入を共通のものとしていること)
4. defensio communis in litibus,(訴えられた場合は共同で対抗すること)
5. communio bonorum pro indiviso,(財産を分割しないで共有すること)
6. publica fama super societate omnium bonorum.(societate omnium bonorum の存在が公にされていること)

上記の条件(6番を除いて)のどれも、それ単体だけでは連帯責任が存在しているという仮定を産み出すには十分ではない。しかし一緒に業務に携わっているということは常に必須条件だったと考えられる。

バルドゥスは(連帯責任が発生する条件として)共通の「業務(negociatio)」23)の存在と、更にそれに関連して成員の誰もが、それが家族の一員であろうと家族以外の者であろうと、実際に業務に従事していたこと、そして「取引者(negociator)」として登場していることも必要と考えていた 24)。

23)注22の最後の部分を参照。

24)バルドゥスの Consilia V 125 (屠殺業者・肉屋のソキエタス);V172:ただ業務を行う能力がありかつ実際に業務に従事している者のみがソキエタスの成員と見なされた;I 19:ただソキエタスが成立する場合のみ経営というものは兄弟の勤労によってゲマインシャフトの中に現れる(III 30も参照);III 451:一緒に住むこと(cohabitatio)がではなく、しばしば行われる共同の行為(actus sociales frequenter facti)が(連帯責任発生のための)仮定を生じさせる。Petrus de Ubaldis l. c. III, 2を参照。

論理的な帰結としての、利益はただこの経営においての業務遂行からゲゼルシャフトの中に入って来るもののみであるという考え方は、そこから直ちに導き出されることは、他の方法による利益は”Adventizgut”(本業外収益による異質な財産)と見なされるということである 25)。

25)バルドゥスの Consilia I 120 を参照。

更にそこから進んだ論理的な帰結となるのは、それ故にソキエタスの勘定に入れられる業務をまた形式上他の業務から区別しなければならなかった、ということである。そのような形式的な標識を当時の法学は契約書の文中にそれを発見した。それは単に”nomine communi”(共通の名前で)という章句であり、――形式的にまたゲマインシャフトの勘定に入れられるという意味にもなるが――その共通の名前で執り行われた業務がソキエタスの業務として関係付けられたのである 26)。その語句においては、委任という仮定と代表者の仮定の両方がその中に取り込まれていたのである。この標識を利用することによってその当時の法学は自らを再び実践的な方の発展の基礎の上に位置付けることが出来たのであり、その法の発展は、これまで我々が見て来たように、(連帯責任の原理を採用した合名会社の成立といった)同様の結果につながったのである。この最後のことが起きたということは、もしかすると部分的には法学者達の功績であったかも知れず、彼らの作業は放棄の編纂であるのと同時にまた、本質的な部分では司法上の実践でもあったのであり、そういった実践がこのような論理的な帰結を明確にして発展させたのである。

26)Petrus de Ubaldis l. c. III, 2を参照。

国際的な発展に対しての法学研究の成果
ソキエタス会社

 引き続いて今まで述べて来たようなゲマインシャフトの単なる成立を根拠とする連帯責任は、ロマニステンの教義にとっては適当なものでなかった。何故ならば全ての新しい解釈の仕方にも関わらず、それはローマ法の法形式に正しく適合する現象ではなかったからである。バルドゥスはそれまで通用していた法に対して、連帯責任を実際に存在するものとして認めていた。しかしながらそれについての個々の司法的決定を通じて、明らかに次のような傾向を持っていた。それは当該の集団における委任や代表者という意図を証明することが益々困難になっていたことによって、当該のゲマインシャフトをひとまずはソキエタスと定義するが、しかしそれに付随する不人気の(連帯責任という)制度を可能な限り制限しようとする、そういう傾向である 27)。

27)Consilia V, 125, 402を参照せよ。

カルパノは自身のミラノの法規についての注解書の中で、次のことについて強い疑いを抱いていた。それは1498年の法規の第415章が、ある父親の息子に対する債権者のための父親の息子への相続財産分与義務に関しての規定であるが、それが神意に背いて人間が作った法であるのか(contra divina et humana jura sei)ないのか、という疑いである 28)。そしてカルパノはそのことにより、証拠の重視ということを正当化しようと試みるのであるが、それを彼は望ましいことと考えていた。

28)注釈aaa:というのは次のことは不自然と考える。ある者が自分がまだ生存中に息子に対して遺産相続を行わなければならない、ということは。

1502年の法規の第481章の、相互に別れないで一緒に住んでいる兄弟に関しての箇所について、カルパノは次のように注意している。つまりそのような(連帯責任を持った)ゲマインシャフトについては十分に注意を払う必要があると、それはあたかも「丁度火に対してそうするように 29)」、というのもそうしたゲマインシャフトは全ての関与者を場合によっては破滅に導くこともあるだろうから、としている。

29)注釈b:このようなソキエタスやコミュニティからは身を遠ざけるべきである、丁度火から身を遠ざけるべきであるように。

いずれの場合においても、このような法学的な把握は次のことに対して強力に影響を及ぼした。つまり(相互に)責任を持つソキエタスの成員達とそういう内容のソキエタス契約の特性が、そういう性格を示すものとして契約の中で使われた名前への参照と言及によって確認されるということと、こうした名前による識別、つまり「ソキエタスの名前で」(nomine societatis)契約するということが、個人の債務からソキエタスの債務を区別する上での最も確実な標識になったということである。そのことはある時間の間継続的な意義を持っていた。というのも責任についての古くからの基礎:つまり共通の家計、共通の店(stacio)、工房(bottega)、店・食堂(taberna)が国際的な取引きにおいて、その存在意義を失った際に、いまや別の標識がソキエタスに何かの責任を負わせる契約と、その契約によって責任を負うことになる個人にとっての必要物になったのであり、それによって法学における予備的な仕事は実際的な意義を勝ち取ったのである。

Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalterの日本語訳タイトルについて

Zur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalterの日本語訳のタイトルについて、これまで「中世合名会社史」として来ましたが、日本語訳も終盤にさしかかり、色々検討した上で最終的な邦訳のタイトルを「中世合名・合資会社成立史」にします。以下がその理由です。

1.「中世商事会社史」の「商事会社」という表現は、他の所で書いたように現在の日本の法律で「商事会社」と「民事会社」という区別がもはや存在せず、またその区別がされていた時代にも実質的な区別の意味はなかったということを考えると適当ではないと考えます。

2.「商事会社」は一般には「商社」と解釈される場合もありますが、ヴェーバーの論文はもちろん商社だけを扱ったものではありません。

3,ヴェーバーがこの論文で扱っているHandelsgesellschaftは合名会社と合資会社のみで、今日一般的な有限合資会社(GmbH)や株式会社(AG)については何の言及もありません。これには理由があり、「商事会社」は人的商事会社(ヒトが支配する会社)と資本的商事会社(カネが支配する会社)に分けられます。この論文では人的商事会社のみを扱っています。いわゆる株式会社については、19世紀になって外からドイツ(プロイセン)に入って来たものであり、ドイツの中で合名会社や合資会社から発達したものではありません。有限合資会社は元々は有限会社であり小規模な株式会社と考えることが出来ます。それが有限合資会社に変ったのは、税制上で有限会社(社長一名だけの会社も多かった)に対して、法人への課税と社員の給与に対する課税で二重に課税されたということが起き、それに対抗するために20世紀初頭に考え出されたものが有限合資会社で、合資会社の無限責任社員が有限会社である(=つまり結局は有限責任であり、無限責任を負う社員は存在しない)というものになります。ちなみに、株式会社と有限合資会社については、その後商法からは取り除かれ、それだけを規定する専用の法律が作られています。

おそらくは大塚久雄の「株式会社発生史論」で言及されていることから来るものと思われますが、よくこのヴェーバーの論文を「株式会社の起源を探った」という風に解釈されている場合があります。これは完全な誤解であり、この論文はローマ法のソキエタスから、連帯責任と固有財産や商号を備えた合名会社がどのように生まれて来たかについての考察がメインであり、それとの対比で合資会社についての考察も付け加えられているものです。当初の博士号論文(第3章)では合名会社のみだったので、タイトルも「イタリアの諸都市における合名会社の連帯責任原則と特別財産の家計ゲマインシャフト及び家業ゲマインシャフトからの発展」となっていますが、その後の他の章の追加の際に合資会社の考察も付け加えられたので、ヴェーバーは合名会社と合資会社の両方に当てはまる表現として「商事会社」を使いましたが(論文の序論を参照)、ここに書いた理由でその呼称は不適当と考えより具体的に説明する「中世合名・合資会社成立史」としたいと思います。

参考:山田晟著 「ドイツ法概論 III 商法・労働法・経済法・無体財産権 第3版」、有斐閣、1989年

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.320 – 325 ドイツ語原文(44)

ドイツ語原文の第44回目です。これを入れて後3回となりました。
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Verhältnis zu den wirklichen Grundlagen der Solidarhaftung.

 Trotz dieser Versuche einer rein romanistischen Konstruktion konnte sich aber die Jurisprudenz doch unmöglich der Beo|bachtung verschließen, daß die Solidarhaftung, wie sie tatsächlich in Übung war, nicht an die erwähnten juristischen Denkformen, sondern an ganz konkrete äußere Tatbestände anknüpfte. Es mußten deshalb diese Tatbestände mit jenen Denkformen in Beziehung gesetzt werden, was nicht immer gelang. Daß die Haushaltsgemeinschaft der historische Ausgangspunkt der Entwicklung war, tritt auch in der juristischen Literatur hervor. Das Thema der duo fratres communiter viventes ist in den größeren juristischen Werken wiederholt erörtert, außerdem aber zum Gegenstand von Monographien gemacht worden 20). Soviel möglich, wurde das römische Schema der societas omnium bonorum angewendet, die wirkliche Grundlage, der gemeinsame Haushalt, spielt nur die Rolle, die oben dargestellten Präsumtionen für das Bestehen eines Mandats- oder Institoratsverhältnisses im obigen Sinn zu rechtfertigen, eine Betrachtungsweise, welche dem Wesen des Verhältnisses wenig entsprach. Indessen hat sie doch andererseits für dessen Fortbildung auch günstige Wirkungen gehabt. Indem die Jurisprudenz die Gemeinschaft des Haushaltes, später der stacio oder taberna, nur als Symptom des Bestehens einer Sozietät betrachtete, mußte sie darauf hingeführt werden, durch Analyse des Tatbestandes diejenigen Momente zu entwickeln, welche ihr als für den Sozietätscharakter charakteristisch sich darstellten. So betonen denn die Juristen zunächst, daß es nicht auf das Zusammenwohnen als solches ankomme, sondern darauf, daß dies Zusammenwohnen in der Absicht der Erwerbsgemeinschaft stattfinde. Eine mit dem Ehemann zusammenlebende Ehefrau, so führt die Rota Florentina Dec. 65 aus, ist deshalb nicht socia des Mannes; denn ihr Zusammenleben hat prinzipaliter einen anderen Rechtsgrund, als die Absicht gemeinsamer Erwerbstätigkeit. Entsprechend ist es bei gemeinsam lebenden fratres. Auch hier ist nicht die einfache cohabitatio der Rechtsgrund der Haftung 21), sondern die mit derselben verbundene Absicht gemeinsamer Arbeit und gemeinsamen Erwerbes.

20) Cf. Petrus de Ubaldis de Perusio, De duobus fratribus, Franciscus de Porcellinis von Padua, De duobus fratribus.

21) Baldus, Consilia IV 472: Cohabitatio non facit societatem.

Diese Absicht fand die Jurisprudenz in der Abwesenheit kontomäßiger Abrechnung unter den fratres ausgedrückt 22). Alles dies sind Merkmale, die, wie wir sahen, auch im praktischen Leben bestanden. — War die wesentlichste Seite die Absicht gemeinsamer Erwerbstätigkeit, so mußte sich diese Absicht äußerlich in entsprechender Weise dokumentieren. Baldus verlangt gemeinsame „negociatio“ 23) und im Anschluß daran, daß jeder der Beteiligten, seien es Familienglieder oder extranei, auch wirklich eine Erwerbstätigkeit entfalte, als „negociator“ auftrete 24).

22) Petrus de Ubaldis im Eingange seiner Schrift De duobus fratribus. Ansaldus de Ansaldis, Discursus legales de commercio Disc. 49. Baldus, Consilia V 482 zählt als Kriterien für die societas omnium bonorum inter fratres auf:
1. coarctatio in una domo,
2. commensalitas (vixisse communi sumptu),
3. lucrorum communicatio,
4. defensio communis in litibus,
5. communio bonorum pro indiviso,
6. publica fama super societate omnium bonorum.
Keiner dieser Gründe (außer dem ad 6) soll allein die Präsumtion ergeben. Immer aber soll negotiatio communis nötig sein.

23) Cf. Schluß der vorigen Note.

24) Baldus, Consilia V 125 (Sozietät von Schlächtern); V 172: nur erwerbsfähige und erwerbende Mitglieder sind socii; I 19: nur bei Bestehen einer Sozietät fällt Erwerb ex industria fratrum in die Gemeinschaft (Cf. III 30); III 451: nicht die cohabitatio, sondern actus sociales frequenter facti ergeben die Präsumtion. Petrus de Ubaldis l. c. III, 2.

Die Konsequenz, daß auch nur der Gewinn aus dieser Erwerbstätigkeit in die Gemeinschaft fällt, ist denn auch alsbald gezogen, lucrum anderer Art ist „Adventizgut“ 25). Eine weitere Konsequenz ist, daß demnach die auf Rechnung der Sozietät gehenden Geschäfte auch formell von anderen geschieden werden mußten. Ein solches formelles Merkmal fand die Jurisprudenz in dem Satz, daß nur „nomine communi“ — auch formell für Rechnung der Gemeinschaft — geschlossene Geschäfte diese angehen 26), ein Satz, zu welchem sowohl die Mandats- als die Institoratspräsumtion hindrängte. Mit Aufstellung dieses Merkmals befand sich die Jurisprudenz wiederum auf dem Boden der praktischen Rechtsentwicklung, welche, wie wir sahen, zu dem gleichen Resultat gelangte. Daß letzteres geschah, war vielleicht zu einem Teil mit das Verdienst der Juristen, in deren Händen die Statutenredaktion sowohl als die gerichtliche Praxis zum wesentlichen Teil lagen und welche diese Konsequenzen klar entwickelt hatten.

25) Baldus, Consilia I 120.

26) Petrus de Ubaldis l. c. III, 2.

Ergebnisse der Arbeit der Jurisprudenz für die internationale Entwicklung.
Societätsfirma.

 Immerhin war die Solidarhaftung auf dem Grunde des bloßen Bestehens einer derartigen Gemeinschaft eine der romanistischen Doktrin nicht bequeme, weil trotz aller Umdeutung nicht recht in die römische Schablone passende Erscheinung. Baldus erkennt, gegenüber dem nun einmal geltenden Recht, sie als bestehend an, aber durch seine einzelnen Entscheidungen geht offenbar das Bestreben, durch Steigerung der Schwierigkeiten für den Beweis der Absicht der Parteien, daß ihre Gemeinschaft eine societas sein solle, das mißliebige Institut tunlichst einzuschränken 27).

27) Cf. Consilia V, 125, 402.

Carpano in seinem Kommentar zu den Statuten von Mailand zweifelt sehr, ob nicht cap. 415 der Statuten von 1498, betreffend die Abschichtungspflicht des Vaters zugunsten der Gläubiger des Sohnes, contra divina et humana jura sei 28), und sucht damit die Erschwerung des Beweises zu rechtfertigen, welche er für erwünscht hält. Zu cap. 481 der Statuten von 1502, betreffend die unabgeteilt lebenden Brüder, bemerkt er, man müsse sich vor derartigen Gemeinschaften hüten, „wie vor dem Feuer“ 29), denn sie könnten nur zum Ruin aller Beteiligten führen. Jedenfalls wirkte die juristische Auffassung energisch darauf hin, daß die Eigenschaft der haftenden socii und der Sozietätskontrakte als solcher durch ausdrückliche Bezugnahme und Nennung der Namen in den Kontrakten konstatiert wurde und daß diese namentliche Bezeichnung, das Kontrahieren „nomine societatis“ eins der sichersten Kriterien der Unterscheidung von den Privatschulden wurde.

28) Note aaa: denn es sei unnatürlich, daß jemand bei seinen Lebzeiten sich beerben lassen müsse.

29) Note b: Ab istis societatibus et communionibus abstinendum est tanquam ab igne.

Das war von dauernder Bedeutung. Denn als die alten Grundlagen der Haftung: gemeinsamer Haushalt, gemeinsame stacio, bottega, taberna, im internationalen Verkehr ihre Bedeutung verloren und nun ein anderes Merkmal für die zu Lasten der Sozietät gehenden Kontrakte und für die aus denselben haftenden Personen Bedürfnis wurde, gewann die Vorarbeit der Jurisprudenz praktische Bedeutung.(この段落続く)

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.316 – 320 日本語訳(43)

日本語訳の第43回目です。
ソキエタスの連帯責任原理の法的な論理構成についてのこみ入った議論が展開されています。
ヴェーバーも言っていますが、法学というのは時に非常に奇妙な論理をひねり出すんですよね。個人的には大日本帝国憲法から日本国憲法への移行についての「(1945年)8月革命説」を思い出します。
残りが12.5ページでラストスパートに入っています。
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(前回の段落から続く)
ソキエタスの成員達はソキエタスの財との関連では一まとまりで”una persona”(一人の個人)と見なすことが出来るとしよう。その場合であってもソキエタスの特別財産というものは発達することがなく、そうではなくてソキエタスの基金というものは言ってみればローマ法のdos(嫁資)と同じように扱われていた。《ローマ王の嫁資(dos)は家ゲマインシャフトの財産とは別勘定にされ、法律上は夫の所有物であるが、実質的には妻の所有物とされ、離婚したり寡婦になったりした場合は妻であった女性に戻された。》ソキエタスの財というものは次の場合にはむしろ特別財産とは全くの逆の方に置かれていた。その場合とはBaldusが corpus societatis (ソキエタスの実体→資本金)について語っていた時既にそうであった 6)。そして彼の言葉が引用される時、そして他には Dezisionen der Rota von Genua 《ジェノバ控訴院決定集、1606年》の中でソキエタスが “corpus mysticum”《神秘的な体、元々はキリスト教で信者の集まりをキリストの体と一体化した一つの霊的な共同の体と見なすもの。転じて欧州において人以外のものに人格を認める場合に使われた。》として、つまりある種の法人として呼称されている場合である。ここにおいてはソキエタスの基金はソキエタスの財に発展したのであるが、しかしそれはゲゼルシャフトの財ではなく、法人(Korporation)の財としてであった。というのは corpus societatis という表現は既にBaldusにおいても法的な主体――つまりゲゼルシャフト――または法的な客体――その財産――を意味していただろうからであり、――後者についてより確からしいと思われるのは 8)、――少なくとも明らかなのは、ソキエタスを法人と見なすことの法人にとっての動機は次のような観察によるものであるということである。その観察とは、破産時の先取り特権(債権の優先回収権)を用いた法的な論理構成はソキエタスの基金に財産としての特質をよりむしろ認めなければならない場合に十分では無かったというものである。その財産についてはそこからただソキエタスを一種の法人(Korporation)として把握することによって可能になると信じられていた。

6)BaldusのConsilia V 125を参照。

7)Decisiones Rotae Genuensis《Genuensisは正しくはGenuae》 7の: “quia societas est corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”(何故ならばソキエタスは複数の名前{人}が一つに溶け合った神秘体である)を参照。

8)ここでの用語法の、ソキエタスの内部についての corpo della compagnia との関係についての考察は、”フィレンツェ”の章(第5章)の結論部を参照せよ。

そこから生じて来るものとしてはまず、
1. gesta extra societatem non obligant consortium, sed solum ipsum contrahentem (ソキエタスの外部にて行われたことはコンソーシアム{一つのまとまりとしてのソキエタスの成員全体}を拘束せず、ただ契約を行った者のみを拘束する 9)、その一方では
2. あるソキエタスの成員が次のような者として契約する場合は、”qui habet unum obligatum, habet et alterum et ipsam societatem”({何かの契約でそれを契約した}一人だけに責任を負わせているものは、もう一つべつのものにも責任を負わせている。つまりその者が所属するソキエタスである)(つまりゲゼルシャフトの財産である)、というのは:”quicquid scribitur per socium habentem facultatem nominis expendendi, dicitur scriptum ab ipso corpore seu societate, non ab ipsis ut particularibus”(ソキエタスの成員でソキエタスの名前で支払いをする能力を持っている者によって書かれた{書面で契約された}ものは何であれ、その者のコーポレーションまたはソキエタスによって書かれたものとして見なされ、どのような場合でもその特定の者{個人}だけによって書かれた{契約された}とは見なされない 10)。)ソキエタスをある複数の nomina(名前)を一緒にして構成した一つの人格として叙述することが示しているのは商号(Firma)の人格化がゲゼルシャフトを独立の存在として構築するための手段であったということである。ソキエタスを法人として把握することは、それについてはもう全く疑う余地は無い。しかし歴史的そして法教義学的にはそれは認められていないが、 ただそうした把握の仕方はゲゼルシャフトの基金を法の発展においてのソキエタスの成員の個人財産から特別財産として分離することをまた疑い無く非常に容易にした:その当時の法学にとってこれ以外の他のカテゴリーで意のままに扱えるものは存在していなかった。

9)Decisiones Rotae Genuensis 12 を参照。

10)Decisiones Rotae Genuensis 7 を参照。

b)連帯責任。委任の仮定と代表者(Institorat)の仮定。

 ロマニステン(ローマ法主義者)的なゲゼルシャフトの財産の法的な構成が、ひとたび法人という観念が使われるようになって以降は、それほど困難でなかったとしたら、そのことはよりいっそう法学者達に対して連帯責任の原理を創出させることにつながった。その創出を手助けするごく自然な考え方としては、契約を行うソキエタスの成員を仮定的な他のソキエタスの成員の代表者と見なすことであった。まず利用されたのは「委任が行われた」ということを仮定することで、契約を行うソキエタスの成員を代理人 11)または mandatarius exigendi 12)(代理の任を与えられた者)として取り扱い、それに合わせて次のことを行うことを目論んだ。つまり、おそらくはソキエタスの他の成員と対置する形で、その者に対する代理権の授与を expressis verbis 、つまり明確な言葉によって保証する書面を用意するということを 13)。しかしながらこういった構成の仕方はソキエタスにおいての実際の人間関係にほとんど合致していなかった。こういったやり方がきわめて異常と見なされていたに違いない一方で、明示的な全権というものが存在しないことに対して――そこから直ちに導かれる形で――まったくもって普通のものでは無い、非常に強い権力を持った全権というものを仮定することになったのである。その時々のケースにおいて、前提となっている各ソキエタスの成員が相互に保証人 14)になるという考え方は、一人一人が代表者的な連帯保証人としての責任を明確にするという目的には十分ではなかった 15)。同様にローマにおける銀行家による共同保証というやり方を利用することも、それは Petrus de Ubaldis がほのめかしていることであるが 16)、出来ておらず、それは連帯責任によって結び付けられた諸ゲマインシャフトが本質的には銀行的な業務を全く行っていなからであった。そういった考え方より、結局の所信じられるようになったのはローマ法における Institorat (代表者)という概念をこうした場合での把握の仕方としての法的なひな型として使うことが出来る、ということであった。パンデクテン法学《ローマ法の影響下にあった当時のドイツの普通法学》における、 institor (店主)の考え方のように、ここにおいては業務の遂行において締結された契約についての責任が扱われているのであり、その業務の遂行については契約を行う者が管理人としてそれを差配(さはい)しており、そしてその者が実質的には他の者――ここではソキエタスの成員の総体(しかしそこには契約を締結する者も含まれており、そこが既にローマ法とはまず異なっている点である)――に責任を負わせているのである。

11)Decisiones Rotae Florentinae 55 を参照。

12)Decisiones Rotae Florentinae 107を参照。

13)このことは、l’Orient latinの古文書史料の源泉であり、これらの全ての法様式が使用している。

14)BaldusのConsilia V 155を参照。

15)そうした把握の仕方はしかしながら Decisiones Rotae Romanae P. III d. 168 に見られる、ソキエタスの成員を Korrealschulner 《相対債務者、自分の持分だけについて責任を負う債務者》という概念の基礎となっている。

Institor(店主)がそういう風に扱われるように、ソキエタスの成員達は連帯して責任を負うことになるが、それは全くのところ Institor が特別な全権をひけらかすような行いをせずに業務遂行に勤しんでいるという理由からである。そして最終的には――このことが特別に重要であると思われるが――何人かの個人が共通の Institor を持つ場合、その者達は各自連帯してその Institor に対して責任を負うのである。そういう状況に対応するために採用されたのがソキエタスの成員を交代制で Institor に任命すること(praepositio institoria)であり、こうした把握の仕方が長く優勢な考え方として続いたのである 17)。

16)De duobus fratribus IX 参照。

17)トライチュケ《ハインリヒ・トライチュケ、1834~1896年、ドイツの歴史家、政治記者、1871~1884年の間帝国議会議員。》による Die Gewerbegesellschaft においても、まだ特に Thöl 《第2章の注12の訳注参照》の Handelsrecht (商法)においてもそれが見られる。

こうした把握の仕方は、ローマ法の概念の利用が重視された場合には、次のような驚くべき結果をもたらしている:Carpano 《第3章の注76の訳注参照》がそのミラノの法規への注解書の中で次のような結論を引き出している。つまり連帯責任というものは個々のソキエタスの成員がソキエタスの名前で契約する場合に成立するのであり、それに対してもしあるソキエタスの名前での契約の締結の際に全てのソキエタスの成員が個人として関与したとしたら、それはもう連帯責任ではあり得ず、各人の持分に比例した(pro rata)責任のみが発生するのであり、その際にはそれぞれのソキエタスの成員が自らかつ自己のために契約するのであり、それ故に institor という者は存在せず、それによって連帯責任を裏付ける法的な基礎はどこかに行ってしまうのであると 18)。このことは再度次のことに関しての証拠となる。つまりまずはどの程度まで法学における論理構成を行う上において法律家の個々人としての判断のみがその基礎になっているかということ、次に如何に法律家がそれ故に正当化され得ないかということ、最後にその中の底深い所に哲学的または社会的な理論を見出すことが出来るかという、そういった事々への証拠となる。――一般論として、Carpano によって提示された難点については驚きはしないが、その一方でまた他の著述家もそのことについて言及しているのである 19)。

18)Carpano による1502年の法規の第483章への注1を参照。

19)BartolusPetrus de Ubaldisがその例である。Petrus de Ubaldis の De duobus fratribus IX を参照。

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.316 – 320 ドイツ語原文(43)

ドイツ語原文の第43回目です。今回の分を含めて後4回です。
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Die socii seien in bezug auf das Sozietätsgut als una persona anzusehen. Mit alledem ist ein Sondervermögen nicht entwickelt, sondern der Sozietätsfonds ist etwa mit der römischen dos auf eine Linie gestellt. Nach der entgegengesetzten Seite hin liegt es, wenn schon Baldus von einem corpus societatis spricht 6) und unter Berufung auf ihn und andere in den Dezisionen der Rota von Genua die societas ein „corpus mysticum” 7), eine juristische Person genannt wird. Hierbei ist der Sozietätsfonds als Sondervermögen entwickelt, aber nicht als Gesellschafts-, sondern als Korporationsvermögen. Denn mag nun der Ausdruck corpus societatis schon bei Baldus das Rechtssubjekt — die Gesellschaft — oder das Rechtsobjekt — deren Vermögen — bezeichnen, — das letztere ist wahrscheinlicher 8), — jedenfalls ist klar, daß der Anlaß für die juristische Personifikation der societas für die Jurisprudenz in der Beobachtung lag, daß die Konstruktion mittels Konkursprivilegien nicht ausreichte, daß man vielmehr dem Sozietätsfonds den Charakter eines Vermögens zugestehen müsse, für welches man alsdann ein Subjekt nur durch die Auffassung der societas als einer Korporation gewinnen zu können glaubte. Daraus ergab sich dann, daß 1. gesta extra societatem non obligant consortium, sed solum ipsum contrahentem 9), während 2. wenn ein socius als sol|cher kontrahiert, „qui habet unum obligatum, habet et alterum et ipsam societatem” (das Gesellschaftsvermögen), denn „quicquid scribitur per socium habentem facultatem nominis expendendi, dicitur scriptum ab ipso corpore seu societate, non ab ipsis ut particularibus” 10). Die Darstellung der Sozietät als einer aus mehreren „nomina” zusammengesetzten Person zeigt, daß die Personifikation der Firma das Mittel zur Konstruktion der selbständigen Existenz der Gesellschaft war. Die Auffassung der Sozietät als einer juristischen Person war, darüber waltet kein Zweifel mehr ob, historisch und dogmatisch ungerechtfertigt, allein sie hat die klare Ausscheidung des Gesellschaftsfonds als eines Sondervermögens aus dem Privatvermögen der socii in der Rechtsentwicklung ebenso zweifellos sehr erleichtert: der damaligen Jurisprudenz stand eine andere Kategorie nicht zu Gebote.

6) Baldus, Consilia V 125.

7) Decisiones Rotae Genuensis 7: „quia societas est corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”.

8) Mit Rücksicht auf den Sprachgebrauch im Verhältnis nach innen corpo della compagnia, vgl. unter „Florenz” am Schluß.

9) Decisiones Rotae Genuensis 12.

10) Decisiones Rotae Genuensis 7.

b) Solidarhaftung.
Mandats- und Institoratspräsumtion.

 War so die romanistische Konstruktion des Gesellschaftsvermögens, nachdem man einmal die Kategorie der juristischen Person zur Anwendung brachte, nicht besonders schwierig, so machte die Solidarhaftung den Juristen um so mehr zu schaffen. Die naturgemäße Abhilfe war, daß man den kontrahierenden socius als präsumtiven Vertreter der übrigen socii auffaßte. Man nahm zunächst die Präsumtion eines Mandats zu Hilfe, behandelte ihn als procurator 11)oder mandatarius exigendi 12)der übrigen und suchte dementsprechend darauf hinzuwirken, daß womöglich eine gegenseitige Bevollmächtigung expressis verbis urkundlich ausgefertigt werde 13). Indessen entsprach diese Konstruktion den tatsächlichen Verhältnissen wenig, indem es im höchsten Grade abnorm erscheinen mußte, für den Fall des Mangels einer ausdrücklichen Vollmacht — und gerade auf diesen kam es an — dieselbe mit ihren ungemein einschneidenden Wirkungen zu präsumieren. Die gelegentlich vorkommende Auffassung der socii als gegenseitiger Bürgen 14)reichte zur Erklärung ihrer Haftung als prinzipaler Selbstschuldner nicht aus 15), ebensowenig konnte die Anknüpfung an die Mithaft der argentarii in Rom, welche bei Petrus de Ubaldis angedeutet wird 16), befriedigen, indem die mit Solidarhaft verbundenen Gemeinschaften keineswegs wesentliche Bankgeschäfte betrieben. Man glaubte vielmehr schließlich, im römischen Institorat die juristische Formel für das Institut finden zu können. Wie bei dem institor der Pandekten, so handelte es sich hier um Haftung für in einem Geschäftsbetriebe, welchem der Kontrahierende als Verwalter vorsteht, und welcher materiell auf Rechnung anderer, — hier der Gesamtheit der socii (aber einschließlich des Kontrahenten, das ist schon die erste Differenz vom römischen Recht), — geht, geschlossene Kontrakte. Wie für den institor so wird für den socius in solidum gehaftet rein auf Grund dessen, daß er in dem Geschäftsbetrieb tätig ist ohne besonderes Vollmachtsverhältnis. Wenn endlich — das schien besonders wesentlich — mehrere Personen einen gemeinsamen institor haben, so haften sie für ihn ein jeder in solidum. Man nahm demgemäß wechselseitige praepositio institoria der socii an und, wie bekannt, ist diese Auffassung dauernd die herrschende geblieben 17). Auch sie führte, wo man mit der Verwendung der römischen Begriffe Ernst machte, zu erstaunlichen Resultaten: Carpano in seinem Kommentar zu den Statuten von Mailand zieht die Konsequenz, daß die Solidarhaftung nur da eintrete, wo ein einzelner socius namens der Sozietät kontrahiere; wenn dagegen etwa bei Abschluß eines Kontraktes namens der Sozietät sich alle socii persönlich beteiligt hätten, könne nicht Solidarhaftung, sondern nur Haftung pro rata eintreten, indem dann ja jeder socius selbst und für sich kontrahiere, also kein institor vorhanden und damit der Rechtsgrund der solidarischen Haftung weggefallen sei 18). Wieder ein Beweis dafür, wie weit juristische Konsequenzmacherei Grundlage der einzelnen Entscheidungen der Juristen ist und wie wenig man deshalb berechtigt ist, darin Ausflüsse einer tiefliegenden philosophischen oder sozialen Theorie zu sehen. — Im allgemeinen stieß man sich an der von Carpano aufgeworfenen Schwierigkeit nicht, wiewohl auch andere Schriftsteller sie erwähnen 19).

11) Decisiones Rotae Florentinae 55.

12) Decisiones Rotae Florentinae 107.

13) Dies der Ursprung der Urkunden in Archives de l’Orient latin, welche alle diese Rechtsform verwenden.

14) Baldus, Consilia V 155.

15) Sie ist indessen wohl die Grundlage der in der Decisiones Rotae Romanae P. III d. 168 begegnenden Auffassung der socii als Korrealschuldner.

16) De duobus fratribus IX.

17) Noch bei v. Treitschke, Die Gewerbegesellschaft, und namentlich bei Thöl, Handelsrecht.

18) Carpano zu cap. 483 der Statuten v. 1502 Note 1.

19) Bartolus und Petrus de Ubaldis. Petrus de Ubaldis, De duobus fratribus IX.

V. Florenz – VI. Die juristische Literatur. Schluß P.312 – 316 日本語訳(42)

日本語訳の第42回目です。第5章も終わり、ついに結論の章に入りました。
またしても高利禁止の話が出てきます。
これで残り17ページ(全集版)となり、ゴールが見えて来ました。
結論部の最初に合名会社と合資会社の説明がありますが、合名会社の方は分かりやすいですが、合資会社についてはどうも歯切れが悪いように思います。ヴェーバーの説明だと合資会社はソキエタスの枠組みをはみ出した新しい制度なのに、法律家が従来のソキエタスの理論をそのまま無理矢理使って定義しようとしたとしています。。
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 このこと(ゲゼルシャフトの特別財産を他から切り離してまさに特別なものとして取り扱うこと)は、また次の二つのことの対立をいっそう明確にしている。一つは合名会社におけるこれまで述べて来たような法学的に必然性を持っている特別財産への投資という概念であり、もう一つは単なる貸し付けという形での資本参加である。前出のアルベルティ家の相続協定の例が示しているように、ある特定のソキエタスの成員が意図的に何らかの資金をソキエタスに対して投資したとしても、この資金によってはまだゲゼルシャフトの基金においての持分所有者にはならないということである。そうではなく、(ゲゼルシャフトの)特別財産というものはこういった(資本)参加的な人間関係とは別に存在しているということである。――ラーバントが次のように言う場合、つまりゲゼルシャフトの財産が成立しているということが今日の合名会社の概念と法的には等価であると言う場合、それに対してはたまたまソキエタスの成員間の関係はまた貸借関係としてかあるいは資本参加としてかの二つに整理して考えることが出来るため、次のように反論することが出来る:もしソキエタスの成員間に今挙げた二つの人間関係の内の一つが成立した場合、そういった場合であってもまだそれ以外にゲゼルシャフトの特別財産というものは成立し得るのであると。その特別財産というものが対外的にはたとえ経済的に無に等しいものであっても《例えば法律上資本金が存在していても実際には資本金を食い潰して欠損になっている場合など》、法学的は存在しているということは、この論文の導入部で既に述べて来た。しかし、それについて更に次のことを確認することが出来る。つまりここで(ゲゼルシャフトの)内部についての関係が、外部に対しての関係においても決定的に作用するということである。ソキエタスの成員の間における関係でゲゼルシャフトの財産とされるものは全て、外部の(ソキエタスへの)債権者達との関係においてもまたゲゼルシャフトの財産とされるのである。

VI. 法的文献。結論。

法的文献とそのソキエタスへの関係

 我々はここまでの論述によって、我々が扱って来た法的な制度の解明について次の所にまで到達出来た。つまり合名会社にとっての全ての本質的な基礎原理:商号(Firma)、連帯責任、特別財産について明らかにすることが出来た。我々は同様に、合名会社に対立するものを比較して検討するという目的で、合資会社についてその始まりからある発展段階の一つに到達するまでを観察して来た。その発展段階においては、法的な構造についてみれば、今日の合資会社が有している意義という点で見てもそう大きくは隔たっていない。より後の時代における法形成は、それについてここで扱うことは出来ないが、今述べた発展段階における法的な構造を通じて法学的な見方を継承しており、そういった構造の組み合わせとそれの拡張によって、そういう法学的な見方は現代における人間関係に適合したゲマインシャフトの形態を創出することが出来ていた。――しかしながらここでは単にその内の何点かだけについて論じることとする。

 まず第一に明らかにしたいのは、(合資会社の黎明期の)同時代の法学者がその時代における制度として観察している人間関係についてである。

1.合資関係

 合資会社の人間関係は、契約法の基礎の上に成立するものとして見た場合、ローマ法の理論に照らし合わせて何か非常に把握困難なものとして扱うことは許されていなかった。しかし実際にはその把握は非常に困難だったのであり、それはラスティヒEndemannに対する所見と一致していることは間違いない。その当時の法学の文献が行っている合資会社関係への考察を見ると次のことが述べられている。つまりそういう考察においては、ローマ法学がそのような合資会社関係については、多分に嫌々ながらではあるが、新しい制度として歴史的な把握を行うことがほとんど無理であることを認めることで妥協するという、そういう意義しかなかったことが表明されている。BaldusのConsiliaとその中に含まれている他の者の文書は、それについて十分な証拠となっている。その者達によって取り扱われている societas “pecunia-opera”(in qua alter impossit pecuniam, alter operam)(資本-労働結合型ソキエタス、{その中では一方の成員は資金を提供し、他方の成員は労働を提供する})は、コムメンダを想定して述べていることは間違いない 1)。

1)Baldus編の Consilia II 87 のquatra proficui ({トラクタートル}が利益の1/4を取ること)と比較せよ。コムメンダというものは、Baldusがそれをそうイメージしているようにこのような形態で行われ、それまではそのような形態は存在していなかった。ただ利益のみが分割され、最終資本はそうされなかったということと、利益が得られなかった場合には、投下資本は全額償還されたということについて、Baldusは明らかに変則的であると考えており、その変則性をソキエタスがまさに “lucrum dividere”(利益を分けること)を目的として、”capitare dividere”(資本を分けること)を目的としていない理由としていた。他方ではコムメンダという形態は冒険的な性格を持っていると把握することが出来、損失は参加する双方の側で等しく分担することになっていた。その場合、もし全ての資本が失われてしまった場合には(!)、委任した側(Kommendant)がその1/2を負担し、そしてトラクタートルもまた(!)損金の全体額に関わらず資本の1/2を負担し返金しなければならなかった: Consilia IV 65、 214、 453。同じくRoffredusなどの法注解学者達もコムメンダについて同じような把握の仕方をしていた。ただ特別な協定が取り交わされる場合があり(それについてBaldusがそう主調し、他の学者はその存在を疑っているが)、その場合には資本家のみがリスクを負担することが求められていた。それ故にコムメンダの制度の法学的構成はここでは全くナンセンスなほどの資本というものの重要視につながるのであり、それはまた法学者の見解において、全員がそれを高利貸し的な制度とは見なしていなかったことの証拠である。

歴史的に見れば、そうした法学的な把握の際には海上取引におけるコムメンダの本来の目的が考慮されていなかった。法教義学的に見た関係という意味で法学者達は――明らかにローマ法主義の見解の結果として、ソキエタスの成員というものは基本的に対等の関係であり、同じような権利を与えられた契約者でなければならないという立場に立っており、――その見方によれば、委任される人(トラクタートル)は自分自身を、つまり自分の労働力をゲゼルシャフトへの投資(の代替物)として持ち込み、それは委任する人(ソキウス・スタンス)が資金をそこに持ち込むのと同様のことであり、委任される人(トラクタートル)の労働の成果がその者にとっての利益(fructus)であり、それは丁度資本家にとっての利子に相当し 2)、――しかしその際には次の事が認識されていなかった。つまり今描写したような姿が、たまたまだったとしても、より対象を明確に把握するために使用されたのだとしたら、それはある意味許容範囲ではあっても観念的なお遊びであり、もしそれを使って法学的な構成が行われなければならなかったのだとしたら、それはもうナンセンス以外の何物でも無い。

2)もっとも明確にそのことが表現されているのは、Petrus de Ubaldis《第3章の注53での訳注を参照》編の De duobus fratribus III 12 であり、投資された全資金の返済という委任された方(トラクタートル)の義務が、たとえ利益も損失も目論まれていない場合であっても、次の事についての動機の説明となっている。つまり、委任された方の労働(operae)が資本家にとっての期間利子( interusurium)《高利には該当しないと当時許容されていた範囲の一定期間に生ずる利子》に相当するということと、それから委任された方(トラクタートル)が分け前を持つことが出来るのは(資本の中ではなく)ただ利益の中においてのみであるということである。Angelus de Periglis de Peruso《?~1446または1447年、イタリアのペルージャ出身の法学者、Petrus de Ubaldisの兄弟のAngelusとは別人》の De societatibus Pars I no. 2 においては同じような概念が扱われており、そこでは著者は次のような議論を展開している:最終資本の分割は次のように行われるのではない。つまり資本家が当初の出資金を回収し、次にトラクタートルが自分の労働分としてその同額を取り、そして更に残った分が分割される(つまり:初期資本が100で最終資本が300だった場合、委任した方が100を取り、トラクタートルが次に100を取り、残りの100が分割される)のではない。そうではなくて、トラクタートルの人格が委任する側の資本と等価に扱われるので、委任した側がまず資本100を取り、トラクタートルはその人格分として0、つまり何も取らず、残った200が分割されるのである。

より後の時代の著述家にとって、Endemannが指摘したように、これらのソキエタス契約において次に尚一層頭を悩ませる問題となったのは、このようなソキエタスの契約が(教会法による)高利の禁止に該当するのか、するとすればどの段階でそうなるのかという問題であった。我々がこの論考で見て来たように、コムメンダのいくつかの変種は実際に高利禁止の犠牲になって廃れてしまっていたし 3)、そこまで行かなくても、高利禁止原則は実務上の取り扱いにおいて、確実に法理論家を困惑させていた。法律家達によるその問題についての取り扱いと説明の仕方の全ては、また次のことを示している。つまりそういった場合に何かしら良く考えられかつ論理が一貫した形で行われた、経済的なまたは非常に社会的な観察方法についての理論といったものに基づいていたのではなく、それはそれぞれ個別の場合の判断として何か抽象的な論理構成の産物としてのみ行われていた、ということである。

3)Baldusによれば、(海上取引での)危険が債務者(=トラクタートル)の側だけに生じるのでは無い場合には――ピサにおける dare ad proficuum maris はそれには該当しなかったが――利益の何%か(procentuale lucrum)を利子にように徴収することは許されていた。

2.合名会社
a) 特別財産

 我々にとってここでより興味深いのは法学においての合名会社の取り扱いである。まず第一にそれに関係するのは特別財産であるが、明らかに見て取れる限りにおいては、文献の中では特別には扱われていない。ソキエタスに対する債権者の権利とそれの(ソキエタスの成員である)個人への債権者に対しての関係は、法学的には(ソキエタスの)破産の際の優先権(債権を他の債権者よりも先に回収出来る特権)という形で現れ、そしてそれについてはピサの例で見て来ているが、ソキエタスの成員達の(ソキエタスの成員の中の)個人への債権者に対しての関係と、ソキエタスの債権者のソキエタスの成員達への関係は、どちらについてもまずは法規によって回収優先権を与えられた債権者という形で把握される。Franciscus de Porcellinis von Padua 4)《?~1453年、イタリアのパドヴァ生まれの法学教師》はそこから次に、ジェノヴァの法規 5)の考え方と一致して、次のような法文を残すに至っている。つまりまたソキエタスの成員(委任する方)の投資金に対しても次のローマ法の考え方が適用出来るということである。そのローマ法の考え方とは、”res succedit in locum pretii et pretium 《succedit》in locum rei”(財というものはそれに対して価格が与えられた場所で成立し、価格というものはある物の(それが売られた)場所で成立する)というものである。

4)De duobus fratribus Quaestio 1を参照。

5)Statuta Perae lib. V c. 207 を参照。

(この段落続く)

V. Florenz – VI. Die juristische Literatur. Schluß P.312 – 316 ドイツ語原文(42)

ドイツ語原文の第42回目です。V章の最後の段落の後、結論部である最終章に入ります。
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 Dies um so mehr, als auch der Gegensatz des bei der offenen Handelsgesellschaft nach dem Gesagten juristisch notwendigen Begriffs der Einlage in das Sondervermögen gegen eine bloße Kapitalbeteiligung beleuchtet wird. Wie der in dem Erbrezeß der Alberti vorkommende Fall zeigt, ist der socius, welcher Kapital werbend bei der Sozietät anlegt, wegen dieses Kapitals noch nicht Teilhaber an dem Gesellschaftsfonds. Sondern das Sondervermögen besteht neben diesen Partizipationsverhältnissen. — Wenn nun Laband sagt, das Bestehen eines Gesellschaftsvermögens sei für den Begriff der heutigen offenen Handelsgesellschaft rechtlich gleichgültig, weil zufällig: das Verhältnis inter socios könne auch als Darlehen oder als Partizipation reguliert sein, so ist dagegen zu sagen: daß wenn unter den socii eines der letzteren Verhältnisse stattfindet, trotzdem und außerdem doch noch das gesellschaftliche Sondervermögen besteht. Daß es nach außen, mag es wirtschaftlich gleich Null sein, juristisch doch existiert, wurde schon in der Einleitung gesagt. Es ist aber ferner auch zu konstatieren, daß hier das Verhältnis nach innen entscheidend auf dasjenige nach außen einwirkt: alles, was im Verhältnis unter den socii Gesellschaftsvermögen ist, ist es auch im Verhältnis zu den Gläubigern.

VI. Die juristische Litteratur, Schluß.

Die juristische Litterature und ihr Verhältnis zu den Societäten.

 Wir haben hiermit die Entwicklung der von uns behandelten Institute bis zu einem Punkte verfolgt, wo für die offene Handelsgesellschaft alle wesentlichen Grundlagen: Firma, Solidarhaftung, Sondervermögen, gewonnen sind. Wir haben ebenso, um den Gegensatz zu gewinnen, die Kommanditgesellschaft von ihren Anfängen an bis zu einer Stufe der Entwicklung betrachtet, welche der rechtlichen Struktur nach von ihrer heutigen Bedeutung nicht mehr allzufern abliegt. Der späteren Rechtsbildung, welche hier nicht behandelt werden kann, waren damit die juristischen Gesichtspunkte geliefert, durch deren Kombination und Ausbau sie den modernen Verhältnissen entsprechende Gesellschaftsformen zu schaffen in der Lage war. — Es sollen hier nur noch einzelne Punkte zur Sprache kommen.

 Zunächst das Verhältnis der zeitgenössischen Jurisprudenz zu den vorstehend betrachteten Instituten.

1.Kommanditverhhältnisse.

 Was die Kommanditverhältnisse anlangt, so hätten dieselben, als auf dem Boden des Vertragsrechts stehend, der romanistischen Theorie erhebliche Schwierigkeiten nicht verursachen dürfen. Und doch ist dies der Fall, und es muß in Übereinstimmung mit Lastigs Bemerkungen gegen Endemann, bei einer Betrachtung der juristischen Literatur jener Zeit davon ausgegangen werden, daß eine solche nur die Bedeutung haben kann, zu zeigen, wie die romanistische Jurisprudenz es, zum Teil nicht mit Glück, versucht hat, sich mit Instituten, deren historische Erfassung ihr fern lag, abzufinden. Die Consilia des Baldus und die einschlagenden Schriften anderer geben davon genügend Zeugnis. Die von ihnen behandelte societas „pecunia-opera“ (in qua alter imposuit pecuniam, alter operam) soll die Kommenda vorstellen 1).

1) Conf. die quarta proficui bei Baldus, Consilia II 87. Die Kommenda ist in der Form, wie Baldus sie sich vorstellt, sicher nie vorgekommen. Daß nur der Gewinn, nicht das ganze Endkapital geteilt werde, und daß mangels Gewinn das Kapital ganz zurückgezahlt werde, was Baldus offenbar für abnorm hält, motiviert er damit, daß eben die societas auf „lucrum dividere“, nicht auf „capitale dividere“ geht. Dagegen ist er der abenteuerlichen Ansicht, der Verlust werde zwischen beiden Teilen gleich geteilt, wenn also (!) das ganze Kapital verloren gehe, so trage der Kommendant 1/2 und der tractator habe also (!) noch 1/2 herauszuzahlen trotz des Totalverlustes: Consilia IV 65, 214, 453. Auch die Glossatoren, Roffredus u.a., hatten ähnliche Vorstellungen. Nur besondere Abmachung (die nach Baldus gültig ist, was andere bezweifeln) kann dem Kapitalisten das Risiko allein aufbürden. Also die juristische Konstruktion würde hier zu einer völlig unsinnigen Begünstigung des Kapitals führen, ein Beweis, daß nicht alle Ansichten der Juristen der Wucherdoktrin zur Last fallen.

Historisch wird dabei der ursprüngliche Zweck derselben im Seehandel nicht berücksichtigt. In dogmatischer Beziehung gehen die Juristen, — offenbar infolge der romanistischen Ansicht, daß „socii“ grundsätzlich einander gleichstehende und gleichberechtigte Kontrahenten sein müssen, — von der Vorstellung aus, der Kommendatar bringe „sich selbst“, seine Arbeitskraft, als Einlage in die Gesellschaft ein, wie der Kommendant sein Kapital, seine Arbeitsleistung seien seine „fructus“, entsprechend den Zinsen des Kapitalisten 2), — ohne dabei zu erkennen, daß ein derartiges Bild, wenn gelegentlich, zum Zweck der Anschaulichkeit verwendet, eine zulässige Spielerei, wenn aber darauf eine juristische Konstruktion aufgebaut werden soll, Unsinn ist. Den späteren Schriftstellern hat dann, wie Endemann nachgewiesen hat, bei diesen Sozietäten mehr noch die Frage, ob und wann dieselben unter das Wucherverbot fallen, Kopfzerbrechen gemacht. Wir sahen, daß einzelne Abarten der Kommenda dem Wucherverbot wirklich zum Opfer fielen 3), im übrigen hat dasselbe wohl sicherlich die Theoretiker mehr als die Praxis beunruhigt. Auch zeigt die ganze Art der Behandlung und Erörterung bei den Juristen, daß nicht irgendeine durchdachte und konsequent durchgeführte wirtschaftliche oder gar soziale Theorie ihrer Betrachtungsweise zugrunde liegt, sondern daß ihre einzelnen Entscheidungen lediglich ein Ergebnis abstrakter Konstruktion sind.

2) Am ausdrücklichsten bei Petrus de Ubaldis, De duobus fratribus III 12, wo die Verpflichtung des Kommendatars zur Rückzahlung des vollen Kapitals, wenn weder Gewinn noch Verlust erzielt worden ist, damit motiviert wird, daß die operae des Kommendatars dem interusurium des Kapitalisten entsprechen, er also ebenso wie letzterer nur an den Früchten Anteil haben könne. Angelus de Periglis de Peruso, De societatibus Pars I no. 2 operiert mit ähnlichen Begriffen, indem er argumentiert: die Teilung des Endkapitals geschieht nicht so, daß der Kapitalist sein Kapital, der tractator ebensoviel als Wert seiner Person herausnimmt, der Rest geteilt wird (also: Anfangskapital 100, Endkapital 300: Kommendant 100, tractator 100, 100 geteilt), sondern die Person des tractator steht dem Kapital des Kommendanten gleich, also zieht der Kommendant sein Kapital (100), der tractator seine Person (0) heraus, der Rest (200) wird geteilt.

3) Nach Baldus ist, wenn die Gefahr nicht den Schaden allein trifft, — was beim dare ad proficuum maris in Pisa nicht der Fall war, — auch procentuale lucrum zulässig.

2. Offene Handelsgesellschaft.

 Uns interessiert hier mehr das Verhalten der Jurisprudenz gegenüber der offenen Handelsgesellschaft.

a) Sondervermögen.

 Anlangend zunächst das Sondervermögen, so ist dasselbe, soviel ersichtlich, in der Literatur nicht speziell behandelt; die Rechte der Sozietätsgläubiger und ihr Verhältnis zu den Privatgläubigern ließen sich juristisch in die Form von Konkursprivilegien bringen, wie wir in Pisa sahen; die socii gegenüber den Privatgläubigern und die Sozietätsgläubiger gegenüber den socii werden daher zunächst nur als statutarisch privilegierte Gläubiger aufgefaßt worden sein. Franciscus de Porcellinis von Padua 4) gelangt dann, in Übereinstimmung mit den Genueser Statuten 5) zu dem Satz, daß auch auf die Illaten des socius (Kommendanten) der römische Gedanke: „res succedit in locum pretii et pretium in locum rei“ Anwendung finde. (この段落続く)

4) De duobus fratribus Quaestio 1.

5) Statuta Perae lib. V c. 207.

安藤英治氏の「中世合名会社史」の紹介における誤り

以前、安藤英治氏の「ウェーバー歴史社会学の出立」におけるこの「中世合名会社史」に関する言及を紹介しました
日本語訳の第41回目を公開して、終わりにも近付いたのでその内容を再度読んでみたのですが、残念ながら色々と誤読されているようです。特に致命的な誤りは今回の日本語訳の所に出て来る、corpo della compagnia を動産の内で資本金に含まれないものを言い、それがヴェーバーの言う「ソキエタスの特別財産」だとされていますが、これは完全な誤りであり、corpo della compagnia は今回の日本語訳を読んでいただければ分りますが、出資された投資金額の合計=資本金のことです。現在でも貸借対照表の資産の部は資本と借入金の合計ですが、会社の実体を示すものは資本金であり、借入金では無いのは言うまでもありません。また、資本金のように一定期間の取り戻しや増額や減額が簡単に出来ないものこそ、「特別財産」と呼ぶにふさわしいもので、いつでも取り戻せる貸付金なら、それはローマ法のソキエタスの各成員の持ち寄り財産と何ら変りません。
どうしてこういう誤読が生じたかですが、引用されている箇所を見る限り、全文を読まれたのではなく、各章のErgebnis(成果)の所だけを読まれたのだと思います。
大塚久雄氏も決してこの論文をちゃんと読んでいないということは何度も言っておりますが、要するに日本人学者でこれまでこの論文をきちんと通して読んだ人は一人もいない、ということだと思います。