日本語訳の第45回目です。ここはなかなかドイツ語本文がタフでした。
その反面、注39のラテン語は長いですが、割ときちんとした学識者が書いたラテン語らしく、意味を取るのにそれほどは苦労しませんでした。
ともかく後1回になりました!
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その意義においては次のような原則が採用されていた。つまり、ソキエタスの勘定に算入される業務だけがソキエタスの成員達に関係付けられるのであり、法的な構成を行う場合には、そういった業務はさらにソキエタスの全員を一つにまとめた集合体として、つまり一つの corpus (身体)として擬人化し、最終的には次のような慣習法が確立するに至った。その慣習法とはつまり、その種の業務の契約の際には、全てのソキエタスの成員の個別の勘定に関係する形で契約するのだということが特別に強調され、そしてそれ故に当該のソキエタスは外部に対しては全てのソキエタスの成員の名前を包含する集合的表現 30)としての一つの総体として、つまり本来の意味の商号(Firma)として立ち現われることとなった、――というものであり、――そしてそういう業務は今度は次のような論理的な帰結を導き出していた。つまりある業務の関係者はある集合的な名称を受け入れ、そしてその名前において契約を締結する。ある者がいて、その名前が集合的な商号の中に包含されていると見なされる者は――”cujus nomen expenditur”(その者の名前が載っている)――連帯して責任を負うソキエタスの成員とされるのである。集合的な商号の名前を使って締結された契約こそがソキエタスの契約であるとされたのである。
30)”Corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”(複数の名前が融合している神秘的な体)、先に引用した Dezision der Rota Genuensis を参照せよ。
31)商号については Dietzel《Gustav Dietzel、1827~1864年、ドイツの法学者》の論文、一般法年鑑の第4巻と、本論文の第3章の注70を参照せよ。
以上のような原則についてと、それによって合名会社と合資的関係を明確に区別するということは、実際の所(法制史から)商法の領域に足を踏み入れてしまっており、それについてはここで見て来た通りである。そしてこれらの考え方が実際に行われるようになったということは、私見ではあるが、やはりまた法学の貢献の一つであり、その貢献の中で法学は同時代の既にあった法との関係において、この章の冒頭で見て来たようなこうした新しい会社形態の法的把握についてある種の制限を含めていたのである。法学はこの論文で取り扱って来た法的制度(会社)の経済的意義と歴史的な発展に対してはほとんど関与していなかったが――しかしそういった法的な把握は間違いなく存在していた――従ってこの部分についてのボローニャやパドヴァの大学で法学の予備教育に従事していた法学者《バルドゥスのことと思われる、原文は「予備教育を受けていた」であるが、バルドゥスはこの2つの大学で教えていたのであり、学生として学んではいない。》の評価については、正当なものとしては、控えめにしておくべきものであろう。――しかしながらローマ法の法的思考の新しいものを解明する能力は、法とはある意味まったく異質な領域でもまたその真価を発揮したのである。以上のようなことを明らかにすることが、先に描写して来た法学文献の概観の目的であったが、これらの文献についてほぼ完全にそう出来たかという点と、あるいは法教義の歴史的発展について全体で明らかにすることが出来たかと言う点については 32)、残念ながらまったくそうとは言えない。
32)これについてはEndemannによる研究によって、より包括的に行われている。ただバルドゥスのConsiliaの扱いは彼の研究した法教義の意義との関係においては上手く行っていない――この研究では、特にConsiliaの傍注とそれに関係した部分が無視されている。
ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年法
発展の結着
こういった法科学《法制史の分野では、法教義学中心の伝統的な法学と、法科学は区別される》の仕事の成果としてもっとも完全な形で表に現れて来たのはジェノヴァの控訴院判例集であり、それは学識経験者による判事で占められた裁判所 33)によるものであり、その判例集はその当時疑い無く国際的な価値を認められていた。
33)Statuten v. Genua v. 1588/9 1. I c. 7によれば: constans ex tribus doctoribus exeris. (常に3人の外部から招聘された博士から成る)を参照。《exerisをexterisとして解釈。この綴りの変更は全集の注による。》
ジェノヴァにおいては、そこは合資会社の発祥の地の一つであるが、既に見て来たように、会社法の実務において焦眉の急の問題であったのは、合名会社を合資会社関係から、つまりは個人的に(無限)責任を負うソキエタスの成員(社員)を有限責任社員から区別することが不可欠だったということである。実際の所この区別は厳密に行われていたのである。特にパラヴィチーニ家とグリマルディ家《共にジェノヴァの名門28家の一つ、特にグリマルディ家はモナコの支配者として有名》の間で何百万リラという巨額の金額について争われた大規模な裁判(Decis. 14)においては、控訴院は原則的に次のことを強調する立場を取った。つまり、商人達がソキエタス関係にある場合において、Institorat(代表者)の仮定というものはまったく成立していないということを。(このことは Bartolus 34)《Bartolus de Saxoferrato、1313または1314~1357年11月より前、ペルージャ生まれの法律家でバルドゥスの先生》の主調には反しているが)しかしながらその反面次の場合については特に強調はしていなかった。つまり、契約に沿った形である一人のソキエタスの成員のみが事業の管理権を持ち、事業において彼のみが外部に対して契約者として現れる場合、つまりそれ故に契約は他のソキエタスの成員の名前を含めた形では行われず 35)、そして第三者である契約の相手方は、”nicht “fidem eorum secuti sunt”” 36)(ソキエタスの他の成員の信用を求めていなかった)、それはつまり契約する者の信用がソキエタスとしての信用を担保するものではない、そういう場合である。そのためにあるソキエタスの成員で、自分の名前にて契約が締結され、更に彼自身の判断で他のソキエタスの成員達の名前を含めた形で契約を締結する権利を持つ者、そういう成員のみが合名会社の(無限責任)社員である。ソキエタスの名前で締結された契約のみが他のソキエタスの成員、つまり”quorum nomina expenduntur”(その者達の名前が載っている)、に関係付けられ、それらの成員達は契約を締結した者の特別な事業の従事者となる 37)。ここにおいてソキエタスの成員の周知の二重人格性《ソキエタスの契約に拘束される「社員」としてとその者自身の個人としての二重性》が現れて来るのである。
34) Decisiones XII no. 67以下を参照。
35)前掲書、no. 48を参照。
36)前掲書、no. 97を参照。
37)Decisiones 7を参照。
38)前掲書を参照。
これらの新しい内容の法については、控訴院が強調したように、それは一般法から派生したものであったが、1567年の法規がまだ何もそれらを含んでいない一方で、1588/89年の法規はそれらを取り入れていたのである 39)。
39)De societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l. 2.): Socii sive participes societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in solidum pro omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu societatis.
(商人達のソキエタスまたは事業について(第12章、l. c.):ソキエタスの成員またはソキエタスあるいは何かの事業についての出資者で、その名前がそこにおいて記載されている者は、全ての業務と全員そして個々のソキエタスまたはその事業に対しての債権者(達)に対して連帯して責任を負う。)
Socii seu participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in aliquo obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et beneficia …
(ソキエタスの成員または出資者で、その名前が記載されていない者は出資者の出資金を超えた何かの債務、あるいはその者がソキエタスの共通資金の中で分担している金額を超えた債務について責任を負わないとされる。しかしそれにも関わらず、そういう者達は出資(分担)の割合に応じて(事業による)利益とその他の便益を受け取る…)
Creditores hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum, sive plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur quibuscunque aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio nomine, et in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint potiores et anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et praeferri debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel quondam suam praetenderet.
(この種の債権者達は、ソキエタスまたは事業を、あるいは一人の者の名前によって全部のまたは複数の成員を…(債権者達は)商品と財産において、ソキエタスまたは事業に対して、ソキエタスのどの成員一人への債権者よりも優先権を持つ。出資者自身の名前によるかあるいは他の名前によっても、前述の商品と財産において、債権者は次のように見なされる。つまり抵当と特権において他の債権者よりも上位にあり、かつ時間的にも(破産の際の)先取り特権を与えられている。それ故に嫁資や他の何か別のものについても優先されるし、また優先されなければならないが、例外としてある者がその者個人の所有物としている商品と、または前からその者の所有物と見なされる商品を除く。)
De accommendis et implicitis (cap. 13 l. c.).
(委託された(コムメンダ契約で)ものと、関係者について(第13章、l. c.))
ここにおいてより古い時代のジェノヴァの法規のコムメンダに関する規定は、特に興味を惹くような変更は無く、繰り返されている。その中には債権者の先取り特権とコムメンダ契約で委託された商品についてのソキエタス成員に対しての規定も含まれている。
そこにおいては発展の成果が次のような形式で法として形作られていた:
1.何人かの人員から成るソキエタスで、そのゲマインシャフトとしての名前の下である業務を営み、そこではソキエタスの成員がソキエタスの債権者達と彼ら相互に対してのみ連帯責任を負っている形態(合名会社)。
2.何人かの人員から成るソキエタスで、ある業務をソキエタスの名前で営み、別の者は出資を通じてそのソキエタスに関与するもの。後者の責任は個人として(無限責任を)負うのではなく、その出資額を上限とした責任(有限責任)に限定される。Rota von Genua のDecis. 14、それはこの種のソキエタスについて規定している箇所であるが、それによれば次のように見える。つまり、ただ出資しただけのソキエタスの成員がまた事業の遂行のやり方についてある程度の影響力を持っていたということであるが、そうでないとしたら次の問いは成立し得ない。つまり事業を遂行するソキエタスの社員(is qui complementum dat、{ある者で何からの補完を行う者《例えば資金が不足する場合の追加の出資など》} — Decisiones Rotae Genuensis 18、 — 無限責任社員)が有限責任社員に対しての管理者(Institor)として観察することが適当かどうかという問いである。そこには次のことの名残りが見られる。つまり元々は有限責任社員こそが、無限責任社員ではなく、本来の企業家と見なすべき存在だったということである。この形態は明らかに合資会社である。
この2つの会社形態の双方において、我々がこれまで確認して来た意味でのゲゼルシャフト(会社)の財産が成立している。この法規の第12章のI.IVと古い時代の法規の編集(Statuta Perae 207)を比べてみると明らかに、前者の法規は後者の法規にある付加規定を拡張したものを含んでおり、さらに第12章の当該の部分を読むと、次のことについては全く疑問の余地が無い。つまりそこで記述されているソキエタスで連帯責任が無いものは、ソキエタス・マリスの発展したものであるということである。