「中世合名・合資会社成立史」ダイジェスト版

マックス・ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」のダイジェスト版をお届けします。
全体の1/17ぐらいのボリュームになっており、ダイジェスト版といってもMS Wordで17ページ分ぐらいあります。
この論考を現時点で日本で一番精読しているのは最初の日本語への翻訳者である私だと思います。そういう立場にあるものとして、ダイジェストで内容を簡単に参照出来るようにするのもある種の義務かと思ったのと翻訳の正確さの再チェックの意味もこめて作成しました。
この論考の結論部をここにアップしてから、アクセス統計を見ているとそこだけ読んでこの論考の概要を理解されようとしている方が多数いらっしゃるのを発見しました。しかしながらこの結論部は全体で論じたことをもう一度簡略にまとめる、という一般的な結論部とはちょっと異なっていて、ここだけ読んでこの論考の概要を理解するのは難しいと思います。そもそもこの論文の主題が何か新しい仮説を提示してそれを論証するという性格のものではなく、合名・合資会社の成立についての、広範囲での決疑論なので、その意味でも結論部だけ読む意味は薄いです。
以下のダイジェストを読んでいただければ、おおよその全体像はつかめると思います。それによってこれまでの日本人によるこの論考への言及者の代表である大塚久雄氏と安藤英治氏のものが、偏っていてまた多くの間違いも含んでいることが理解していただけると思います。その二人の言及についての論評は別にアップします。
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序文
伝統的な団体に関する法規定である、ローマ法のソキエタースから、中世にイタリアの諸都市で現れた貿易や手工業のための団体がどのように発展してその後合名会社として定義されるようになったのか、商慣習から始まってやがて慣習法として定着し、最終的に商法において会社として定義されるようになるその過程を探ることがこの論文の目的である。合資会社についても合名会社との対比で取上げ、その共通性と差異を論じる。

ローマ法と今日の法。研究の工程。
ソキエタースと合名会社の違いは、まずは合名会社もソキエタースの一種であることに注意。
しかし元々のソキエタースではそこで使われる資金は、構成員の持ち寄りに過ぎず、所有権については各構成員が保持したままである。共通の勘定(arca communis)というものは存在するが、それは必要な費用を各個人が立て替え払いをして後で精算する手間を省く程度の目的のためにあるに過ぎない。
これに対して合名会社では、外部からも認識出来る「合名会社自身の特別財産」というものが存在し、破産の際には差し押さえの対象になり、各構成員の合名会社への債権(出資金)に対し優先される。またある合名会社の社員がその会社の名前で契約したことは、他の全ての社員も拘束し、いわゆる連帯責任の原則が採用されている。また合名会社においては「商号」が使われており、その名前で契約することが連帯責任を発生させる源泉になっている。この「連帯責任」と「会社の特別財産」の存在こそが合名会社と元々のソキエタースの違いであり、この論文ではその発生の過程を探る。

ローマ法における合名会社的な原理の萌芽
ローマ法において、いくつか連帯責任や団体の特別財産を指し示しているかのような法規定が散見されるが、いずれも何かの特殊な場合に限定されたものであり、ローマ法においての合名会社の原理の成立は否定される。

研究の工程。経済的な見地と法的な見地の関係。
この研究は中世のイタリアにおける会社制度の発展の中で最終的に法的に規定される上でどのような標識が重視されたのかという観点でその法規定の発生の歴史を探るのが主目的である。その意味では一見経済とは無関係に思える要素も研究の対象となる。

Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタース
1.コムメンダと海上取引における諸要求

中世のイタリアで貿易(対スペイン、対中東圏)が発展するが、そこでは貿易で発生する危険を分割して対処するためのいくつかの特別な制度が発展していた。

西ゴート法典と海上取引
西ゴート法典において、貿易においての危険と利益の分担についての新たな法形成の萌芽が見られる。

コムメンダの経済的な基礎
そういった危険と利益の分担について最初に登場したのがコムメンダと呼ばれる制度で、資金を準備して商品を買い入れる側と、その商品を船で外国で運んで販売する代理人がパートナーとなり、代理人が利益の一定部分(1/4)を得るのが特徴で、12世紀のジェノヴァでは既に普通に行われていた。

コムメンダのソキエタース的性格
コムメンダも資金提供と労働の分担、利益分割などの点でソキエタースの一種として登場し、実際にソキエタースとして法的に扱われていた。

コムメンダの参加者の経済的位置付け
コムメンダにおいては、やがて被委任者が自分自身の商品を航海に持ち込んだり、複数の出資者の委任を引き受ける形に発展したが、そこにはまだ複数の出資者同士がソキエタースを形成するようなことは見られなかった。

2.ソキエタース・マリース[海のソキエタース]
コムメンダは一方的な出資-委託関係であるが、参加者の双方、つまり委託される側も出資するソキエタース・マリースという制度が続けて登場している。そこでは被委託者の地位が向上し、共同事業者になっている。

ソキエタース・マリースの法的性格
ソキエタース・マリースのコムメンダとの一番大きな違いは、コムメンダでは貿易のリスクは出資者のみが負っていたが、ソキエタース・マリースでは被委託者も出資し危険を分担しているということである。もし貿易で事故があった場合には、その損失は出資者の双方がつまりソキエタース全体が負担する。貿易で得られた利益もまずはソキエタース自身の資本勘定となる。

経済的な意味
ソキエタース・マリースにおいて、被委託者(トラクタートル)が複数の委託者(ソキウス・スタンス)を受け入れるようになると、そのトラクタートル自身が企業家となり、反面委託者は単なる出資者になり相対的に事業における地位が低下する。しかし、法的な位置付けではコムメンダもソキエタース・マリースもまだ同じように扱われていた。

3.コムメンダ関係の地理的領域
コムメンダとソキエタース・マリースの地中海沿岸地域での発展状況の確認。
・スペイン、シチリア島、サルディーニャ島、トラーニ、アンコーナ、アマルフィ→これらの地域では萌芽的なものに留まっていた。
・ピサ→第4章で扱う。(Consitutum Ususという11世紀の慣習法集成の中に2つの制度が登場している。)
・ヴェネツィア→10世紀に既にコムメンダもソキエタース・マリースも存在していた。
・ジェノヴァ→ジェノヴァではこの2つの制度が広く普及し、それに対する国家の法書式も確立しており、それが他の都市でもそのまま使われた。その内容は細かな点で曖昧さを含んでいたが、しかし16世紀の末までほとんど変更されることなく使い続けられた。

4. 海上取引に関係するソキエタースの財産法上の扱い
コムメンダとソキエタース・マリースという制度が合名会社という新しい法的制度についてどういう意味を持っていたかを探求する。

ソキエタースの基金
コムメンダやソキエタース・マリースでは、ソキエタースの財産というものが成立しているように見えるが、それはまだあくまで内部においてのものであり、外部から見てその存在が判別出来るようなものにはなっていなかった。

特別財産形成への萌芽
これらの制度の中では、出資側のソキウス・スタンスがソキエタースの資金で購入されたものに対する別除権(差し押さえの対象から外してもらう権利)が設定されており、トラクタートルの個人的負債に対する差し押さえから保護されていた。ここにおいて、トラクタートル個人への債権と、ソキエタースの財産への債権が分離される萌芽が見出される。

ソキエタースの債務
トラクタートルがソキエタースの業務によって契約した債務はトラクタートル個人の債権に留まっていて、まだソキエタース自身の債務にはなっていない。

成果
コムメンダやソキエタース・マリースにおける特別財産の形成はまだ萌芽的であり、また連帯責任についてはまだまったく見られない。

5.陸上コムメンダと合資会社
陸上コムメンダ
海上取引で始まったコムメンダを陸上での取引きにも転用した陸上のコムメンダが存在する。しかし法的な書式などは海上のものをそのまま転用したものである。ピアチェンツァは自身がジェノヴァの後背地にあたるという取引関係から、コムメンダの制度をジェノヴァとの取引きにおいて採用した。

合資会社の始まり。ピアチェンツァ。
ピアチェンツァにおいて、一人のトラクタートルに対して複数のソキウス・スタンスが存在する場合において、そのソキウス・スタンス達が同盟関係を結んで、むしろトラクタートル自身もその中から任命するようなことが行われており、ここに合資会社の萌芽を見ることが出来る。すなわち複数のソキウス・スタンスが有限責任社員であり、トラクタートルが無限責任社員であるような関係である。

陸上コムメンダの意味
陸上のソキエタースに関する法規定はピアチェンツァではなくジェノヴァの法で規定されている。しかしそれは海上取引に関するソキエタースに比べてまったく副次的なものだった。
結論としてこの章で見て来た制度の中には連帯責任の発生も会社の特別財産の生成も確認出来ない。

III. 家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト
共通の家族経済
共通の家族経済というものは通常何世代も続き、共通の業務を通じてゲマインシャフトの財産も蓄積してきていた。

家族経済の財産法上の帰結。夫婦財産共有制[財産ゲマインシャフト]
こうした家族経済の財産法上の扱いは、ゲルマン法では財産ゲマインシャフトとして扱われており、ローマ法との違いは家父長の権限が限定されており、各家族成員がそれぞれ権利を持っているという点である。またゲルマン法で特徴的なことは、支出が共通の勘定にて行われることだけではなく、収入もすべて共通の勘定に入るということである。家族は消費ゲマインシャフトというより、むしろ生産ゲマインシャフトであり、イタリアにおいての様々なゲゼルシャフト形成の基礎になった。

諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト。
家ゲマインシャフトは家族だけを成員とするのではなく、使用人なども包含しており、共通の労働で結び付けられた家計ゲマインシャフトとなっている。共通の労働は共通の家(作業場)とも結び付いている。

財産法的発展の行程。成員の分け前への権利。
家ゲマインシャフトでの財産共有は次第に制限が加えられるようになり、特に南イタリアのシチリア島では成員のそれぞれの分け前という考え方が普及した。しかし他のイタリアの諸地域ではそういう傾向は見られず、むしろ個々の割り当てを超える無制限の処分権が大規模な商業において有効に利用されていた

家族以外での諸家計ゲマインシャフト
前項での無制限の処分権を成員が持つゲマインシャフトは家族だけのゲマインシャフトに限定されていなかった。特に手工業において家族以外の職人仲間なども含めた家族ゲマインシャフトと同等のものが形成された。

手工業のソキエタース
手工業で生産された製品についての販売業務の必要性が高まることが、ゲゼルシャフト形成の源流になった。しかしそこでは資金をまとめて共通基金とすることや、コムメンダ的なゲゼルシャフト形成はまだ見られなかった。職人達は同じ住居に起居して仕事を共にすることで家計ゲマインシャフトを形成した。この家計的な要素が手工業のソキエタースの一つの特徴となっている。

これらのゲマインシャフトの共通の土台
外部から経営ゲゼルシャフトとして扱われるには、簿記と外部からひとかたまりのものとして認識されるということが必要であったが、このことは家族によるゲマインシャフトと経営ゲゼルシャフトで同じであった。その意味で家族ゲマインシャフトは経営ゲゼルシャフトの発展の基礎となっている。

共通の特質
家計ゲマインシャフト、労働ゲマインシャフトの二つの特質について。

1.男性 socii[ソキエタースの成員{複数}]への制限
この種のゲマインシャフトでは男性の成人が共通の財産を取り扱う主体として考えられており、またその結果の責任も負うことになっていた。

2. 不動産の除外
この種のゲマインシャフトにとって共通の家は活動の拠点であるが、共通の財産には含まれていなかった。

財産関係における変化
財産ゲマインシャフトが全体をカバーするものではなくなり、個々の成員がそれぞれの勘定を持つに至った場合、それぞれの勘定の独立性を認めそれ自体をその成員が自由に処分するのを認める可能性が出て来た。またそういう風に各成員が全体の中で自分の割り当て分を持つ一方で、自分の資金から新たにソキエタースに投資を行うという二重の関係を持つ場合が出て来た。元々は家ゲマインシャフトとして法律での規定の元自然に成立していたものを新たな契約によりソキエタース関係として定義し直すということも出て来た。

第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係。
連帯責任を元々持っていたのは氏族関係においてであるが、特に殺人の場合に私的復讐の義務が生じていた。この復讐の義務は後に賠償金のように金銭的債権のような形に置き換わって財産権的な性格を持つようになった。しかしながら氏族関係は信用取引の世界ではまったく何の役目も演じることはなかった

家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係
ある成員の違法行為について家計ゲマインシャフトにおいて他の成員が責任を負うという法規定は様々な法規に見られる。しかしながら単なる債務について違法行為から生じる連帯責任を準用するというやり方は後退して行き、結局行われなくなった

ゲマインシャフトにおける責任についての二重の意味
ゲマインシャフトの責任(債務)には次の2種類がある。
1) ある成員が契約した結果としてのゲマインシャフトの共通財産に対する債務
2) 成員のそれぞれが個人として他の成員と連帯して負う債務

1.共有財産についての責任
ある成員が契約した債務の不履行で、強制執行が家の全体に及ぶということが法の発展の中で可能になっていた。他の成員が個人で出来るのは調停を申し出て差し押さえられた全体の中から一部を免除してもらうということぐらいであった。

2.成員の個人責任
1.の場合においては強制執行が家全体に及んだが、しかし成員の全てが連帯保証を負わされるという形ではまだなかった。ゾームは合手概念を基礎とする債務ゲマインシャフトというものを提示するが、連帯責任というのはそういう債務ゲマインシャフトよりも更に上位のものである。連帯責任については成員によって「管理された」財産のみに適用出来るという考え方は、後の合名会社形成への萌芽となっている

家の成員の責任の源泉と発展
業務ゲマインシャフトは家ゲマインシャフトから発生したものではなく、それを置き換えたものである。例えば氏族関係は、やがて近隣関係を基礎とするゲマインデに置き換えられた。新しい、業務を主体とする暮らしの中に共通の家計と業務ゲマインシャフトというものが発生している。元々の家ゲマインシャフトには無制限の相互責任が存在したが、法はそれを制限する方向に進化した。ある成員の債務についてゲマインシャフトが無制限に責任を持つことが制限されることと、信用取引でより大きな信用を必要とするということは矛盾しそれを法的に解決する必要があった

諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説。
上記の問題点をどう解決するかという視点を持つことでようやく文献調査に入ることが出来る。
その場合また考慮しなければいけないのは、ローマ法の(再)伝播であり、それは非常に強い影響力を持ったものとして扱うべきである。

スペイン
スペインの法規では連帯責任が広く認められていたが、ローマ法の流入によりそれがほぼ完全に消え去った。

ヴェネツィア
ヴェネツィアにおいては、男性の兄弟同士で結成されるfraterna compagniaという相続ゲマインシャフトが存在し、そこでは父親から相続した財産の共有と連帯責任が行われていた。しかしそれには制限が加えられて行った。しかし、ヴェネツィアの法規は独自の道を行き、一般法の形成に大きな影響を及ぼすことは無かった。

その他のイタリアの地方諸都市における法規
家計ゲマインシャフトでも手工業者のソキエタースでも、成員相互が連帯責任を負うという条項はイタリア各地の法規に見出すことが出来る

非独立の仲間の責任
上述の連帯責任は家ゲマインシャフトにて家族だけでなく、そこで働く使用人や従僕も拘束するものであった。独立前の家住みの息子もそれらの家族以外のメンバーと同等に扱われていた。

家族ゲマインシャフトにおける財産分与義務
家住みの息子は、例え別居していても共通の家計に関与する限りにおいては家ゲマインシャフトの一員として扱われていた。しかしながら家住みの息子は父親に対して独立を要求することが出来、その場合は父親は例え自分がまだ生きている間であっても息子に正当と考えられる財産を分与しなければならなかった。息子はその場合独立して新たな家ゲマインシャフトを形成する。家住みの息子の債務が連帯責任となるのはあくまで独立前の債務についてのみであった。

個人債務とゲマインシャフトの債務
個人の債務とソキエタースの全体責任の線引きについては、この家住み息子の独立の例にも見られるように、あくまでその成員の割り当てられている資本の分のみが個人債務の担保となっていた。しかし他方では商取引において無限責任の考え方も同時に存在しており、この二つの線引きをどこでするかが問題になる。

家族以外での連帯責任。共通の stacio[工房、店]。
共通の工房や店という意味でのbottega、taberna、stacioというものが経営ゲマインシャフトの中核となっていたが、ビジネスの規模が拡大するにつれ、その意味は具体的な店舗や作業場をもはや意味せず「業務」という意味になっていった。

個人債務と業務上債務
連帯責任については「共通の業務に関係する債務」のみに適用されるというのが法規では一般的であった。しかしそこに、ソキエタースの成員でソキエタースの事業に投資したものの債権や、ソキエタース外でソキエタースの成員の一人の個人に対して債権を持つ者とソキエタースの業務上の債務の関係が問題になった。

ゲゼルシャフトにおける特別財産
諸法規の中に、「ゲゼルシャフトの業務」の結果としての財産形成や債務を負うという内容の「ゲゼルシャフトの特別財産」形成についての契機を見出すことが出来る。

経営ゲゼルシャフトと商事会社
手工業ゲマインシャフトから始まった連帯責任原理の採用が、商業においてもっとも意義を発揮することになった。

合名会社とソキエタース契約の目印。商号。
ある業務がソキエタースのために行われたかどうかの目印は、以前は共通の仕事場(bottega、taberna等)で行われたということがそれであったが、商業分野での業務が拡大するにつれ、共通の仕事場の代わりに、連帯責任を持つ持つ成員の名前全員を含んでいる商号が使われるようになった。また商号を登記することも行われるようになっていた。最終的には商号はそれ自体が公的に認知されたものになり、その際には全員の名前を含んでいることはもはや必要無くなっていた。

ゲゼルシャフトの契約についての文献史料
ソキエタース・マリースにおいては、ソキウス・スタンスがトラクタートルに全権を委任していることの裏付けとして連帯責任が使われた。
いまや連帯責任は法規上でも規定されるようになったが、それはそれまでに既に存在していた商慣習を認めたということであり、むしろ法規は連帯責任に対して制限を加える傾向にあった

Ⅳ. ピサ。Constitutum Ususにおけるソキエタース法。
Constitutum Usus
ピサの慣習法の集成であるConsitutum Ususを分析する。そこにソキエタース関連の規定が多く見られるし、また歴史的にも古く、さらにローマ法の影響を受けており、さらには法的決疑論として十分に検討された結果としての慣習法が多く見られるからである。

Constitutum Usus の領域
Consitutum Ususは種々雑多な領域を取り入れた慣習法集成であり、そこに商取引において確立した様々な商慣習を確認することが出来る。

Consitutum Usus の条文の性質
Consitutum Ususの中に連帯責任についての規定は存在しない。しかしながらそれは連帯責任の原理がピサでの商取引で採用されていなかったということを意味しない。

ソキエタース法的内容
1.ソキエタース・マリース
Consitutum Ususの中でソキエタース・マリースは詳細に論じられている。そこにおいて、ソキウス・スタンスとトラクタートルのどちらが事業の主体となるかについて、Capitaneus(キャプテン)という概念が使われていた

法的な区別。Kapitanie[キャプテン]の意味。
トラクタートルとソキウス・スタンスについて、どちらかがCapitaneusである両方の場合が存在していた。トラクタートルがCapitaneusである場合でも、トラクタートルへの監視や損害賠償請求など、ソキウス・スタンス側が元々企業家であったという意識は失われていなかった。

ソキエタース・マリースの財産法
Consitutum Ususでは、ソキエタースの共通財産についてhenticaという出資金の合計を特別なものと見なしていた。

特別財産
ソキエタースが破産した場合の成員同士の優先権と成員と外部の債権者の優先権についての規定がConsitutum Ususに存在する。

1.個人への債権者との関係
ソキエタースの中のある個人への債権者で、その債権がその個人がソキエタースの出資をする前だった場合には、その債権者はソキエタースの財産への差し押さえを行うことが出来ない。

2.ソキエタースの成員達のゲゼルシャフトの基金への位置付け
同一のソキエタースへの出資を行ったソキエタースの成員達の間で、またはソキエタース・マリースの成員達の間で、仮にその中のある成員が他の成員よりも優先権を持ち、またソキエタースの財産を担保として使っていたとしても、その、先に言及された財産(つまりはソキエタースの財産)は成員の全員が受け取る権利を持ち、共有のものと認められ、出資比率に応じて均等に分けられる。

3. ゲゼルシャフトへの債権者への位置付け
Consitutum Ususにおいてはcreditores henticeという言葉が使われており、その名前の通りソキエタースに出資された資金の合計(hentice)に対する債権者というものが成立しており、破産の際にはソキエタースの個々の成員の出資分に対しても、ソキエタースの個人への債権者に対しても優先権を持っている

4.ゲゼルシャフトの財産の範囲
henticaが成立するのは、ソキエタースの成員によって持ち込まれた商品の価格が決定し、かつそれらが一まとめにされる時である。

ここまでの成果。合資会社。
ここでConsitutum Ususに規定されているのは合資会社の原理であり、すなわちトラクタートルは「個人として」無限責任を負い、ソキウス・スタンスは出資者に留まりその責任は出資分に限定される。

II. 特別財産の無いソキエタース(Dare ad portandum in compagniam)
その他Consitutum Ususには、Dare ad portandum in compagniamというものがあり、それは単にソキエタースへの出資のみを行い、有限責任社員のように経営内容には関与しない、匿名組合におけるような関係のことを言う。この場合henticaは形成されない。ジルバーシュミットのコムメンダ→合資会社、ソキエタース・マリース→合名会社の説は正しくなく、むしろソキエタース・マリースは合資会社の基礎原理である

III. 固定配当金を持ったソキエタース(Dare ad proficuum maris)
その他、貿易の仕向地までの危険性の度合いによって手数料が変る形の貿易向けの貸し付けである、Dare ad proficuum marisという形態もあった。この形態は後に教会法で禁じられていた利子付き貸し付けと見なされ消えていった。

ソキエタース法に対する利子禁止原理の意義
コムメンダやソキエタース・マリースを、教会法によって禁止されていた利子付き貸し付けの代替物として見なす立場の意見があるが、コムメンダやソキエタース・マリースが発達した主要因は明らかにそれではない

IV. ソキエタース・マリースと家族ゲマインシャフト
Consitutum Ususの中では、家族関係の中においてソキエタース契約が行われた例があった。

ソキエタース・マリースが家族連合[associationen]から生じたという仮説
ジルバーシュミットがピサの各種ソキエタースが家族法を起源にしているという説を唱えている。しかし家族内でのソキエタース契約はむしろ家族外とのソキエタースの契約内容が修正されて用いられたのであり、その仮説は正しくない。

家族ゲマインシャフトの特性
ピサにおいては、societas inter patrem et filium factaという父親と(独立前の)息子によって作られたソキエタースも存在したが、基本的に家族の成員に対して一定の分け前を与えるのが目的で行われていた。

ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト
家族の中でのソキエタース契約の例としては他にもsocietas inter fratres factaという兄弟間で結ばれるものがあった。その目的は相続した財産の共有である。その結成にあたっても解散にあたっても同意が必要であったが、その同意を代替するものとしてVita communis(共生)という考え方があった

Vita communis[共生]
1.前提条件
Vita communisの特徴は3つである。
1)一緒に一つの家に暮していること。
2)契約によって共通の勘定を設定している。
3)共通の労働が要求される。

2. その影響
Vita communisの影響としては、次の3つになる。
1)共通の財産の影響は個人の消費支出にまで及ぶ。
2)すべての個々の成員は共通の財産を使って何かの事業を行うことが出来る権利が与えられた。
3)個人レベルの支出は共通の財産から行われたが、もしその金額が多額だった場合には他の成員が異議申し立てをする場合があった。

Societas omnium bonorum [全ての財産が現在及び将来において成員間に共有されるソキエタース]
Consitutum Ususで、家計ゲマインシャフトで非親族と構成されるものについては、societas omnium bonorum[全ての財産を共有するソキエタース]と societas lucri [共同事業で得られた利益のみを共有するソキエタース]についての注釈で触れられているだけである。おそらくそこではVita communisの家族とのゲマインシャフトの原則が準用されたと思われる。

ピサにおける連帯責任原理
Consitutum Ususの中に連帯責任に関する規定は存在しないが、それはおそらくピサで連帯責任原則が存在していなかったことを意味しない。ピサではジェノヴァ同様貿易が主体であったのでコムメンダが主流であり、そこでは連帯責任の必要性が無かった。

V. Compagina de terra [陸上のコンパーニャ]
ジェノヴァやヴェネツィアと同じく、海上取引のための各種ソキエタースがピサでも陸上での取引きに転用されていた。ここにおいてもソキエタース・マリースでトラクタートルが単なるソキウス・スタンスの手足である場合と、独立の企業家である場合の両方がある。トラクタートルが手足である場合は多くはソキエタースがbottegaと結び付けられており、トラクタートルはある意味手工業における雇われた職人の延長にあった。

合名会社と合資会社の原理上の違い
合資会社の出発点では、その結合は社会的に平等ではない者同士の連合であった。これに対して合名会社で連帯責任が発達するのは対等な関係ということによっていた。ピサにおける諸ソキエタースからはともかく連帯責任原則は発達しなかった。

ソキエタースに関する諸文献
ピサでの手工業におけるcompagina de terraの実例。

成果
ピサにおいては合資会社的な関係がはっきり存在していた。このことは合資会社と合名会社の起源がまったく異なっていたことを示している。

V. フィレンツェ
フィレンツェにおける産業上の財産
フィレンツェは、内陸の都市として、また商業による資本の集積ではなく、毛織物産業を中心とした産業が資本の集積をもたらし、また同業者組合(ツンフト、ギルド)が発達したのも特長で、そこからペルッツィ家やアルベルティ家のような財閥家が出て来て、教皇庁や王室にまで資金を貸付けるような巨大な存在になっていた。ここでの主要なソキエタースは家ゲマインシャフト、労働ゲマインシャフトであった。

I. 法規における文献素材。発展段階。
大資本が家ゲマインシャフトをベースにすることで何世代も事業を継続出来たことが文献調査からも裏付けられる。

ゲゼルシャフトの連帯責任についての血縁関係の意味
ここでは古い時代の氏族の間の連帯責任の発展として家ゲマインシャフトにおける連帯責任が発生している。
フィレンツェの家ゲマインシャフトは、成員の死によって事業が停止してしまうというリスクを避けることを可能にしていた。そして家ゲマインシャフトということで、それは使用人等家族以外も含んではいたが、成員間の信頼関係を作り出していた。

家族とソキエタースの類似性について
1.仲裁裁判
家族間でのもめ事は、裁判ではなく家の中の権威者による仲裁で解決されていた。

2.責任と相続財産分与義務
フィレンツェでは都市の法規も、同業者組合(アルテ・ディ・カリマラ)の法規も、連帯責任について規定していた。強制執行に関する規定が出て来るがそれは、ソキエタースの成員個人に対してのもので、その持分を限度としての強制執行である。

3. ソキエタースの成員の個人的関係
家ゲマインシャフトの効力は成員の住む所、結婚、別の職業選択の否定など、成員の生活全体に及んだ。

4. 家住み息子と使用人頭
fattore(使用人頭)と discepolo(徒弟)は、家住み息子と同等に扱われ、ゲマインシャフトの債務については連帯責任を負っていた。しかし法規は後には代表者のみの責任としてこれらの者の責任を免除した。

家族ゲマインシャフトのソキエタース的性格とソキエタースの家族的性格
後に巨大な産業上の連合になるようなゲゼルシャフトは、その出発点で家族的な要素と共通の家計をその中に取り込んでいた。

ソキエタースの財産法
ソキエタースの債務と個人的債務
ソキエタースの連帯責任については、すべての債務についてそれが適用されるのではなく、ソキエタースの債務のみに限定されるようになっていったが、そのためには何がソキエタースの債務となるのかという見分けるための目印が必要とされた

ソキエタースの債務を判断する目印
1.会計簿への記帳
その目印としてまず登場したのはソキエタースの会計簿へのその債務の記帳であった。しかしそれだけでは十分ではなく、どの債務が記帳されるべきなのかという更に別の目印が必要であった。

2.ソキエタースの名前での契約
その目印として使われたのが、ソキエタースの名前=商号であった。初期の商号は責任を持つ者の名前を全て含んでいた。(合名会社の「合名」の意味)ソキエタースの名前=商号によって契約されたものが、ソキエタースの業務として連帯責任を負うべきものとなった。

ソキエタースの財産に対する差し押さえからの個人への債務者の除斥
ソキエタースの財産がある契約について責任を負う一方で、ソキエタースの成員個人の債権についてはソキエタースの財産は関知しない。ソキエタースが破産した場合は、各成員の財産はソキエタースに関連付けられ優先的に差し押さえられる。

II. 諸文献:アルベルティ家とペルッツイ家における商業簿記
大規模なソキエタースの実例としてアルベルティ家とペルッツイ家に関する文献を確認し、そこに今まで見てきた発展の過程を再確認する。

家計ゲマインシャフト
まずは、この両家において、共通の家計に基づく、共用品についての支出がソキエタースの共通金庫から支払われている例を確認出来る。また共同で行う宴会の費用などがまず共通金庫から支払われ後に各成員の勘定に振り替えられている事例が確認出来る。

ゲマインシャフトの土台としてのソキエタース契約
これらのフィレンツェの大規模ファミリーにおいては、家ゲマインシャフトを基礎にしながらも、そこでは一定年数毎に書面による契約が締結されていた。

資本金と各ソキエタース成員の出資
これらのファミリーにおいては、各成員の出資金を合計した資本金=il corpo della compagnia [コンパーニアの実体]が存在しており、利益が繰り入れられ損失が控除されるが、2年に1回の決算までは増額も減額も出来なかった

各ソキエタース成員のゲマインシャフトの外部での特別財産。
1.不動産
不動産については、相変わらずソキエタースの財産の外部にあるものとされており、分割や増額・減額の対象外であった。

2.個人の動産
ソキエタースの成員は、本来のソキエタースの出資金以外でのソキエタースへの投資として、短期的な貸し付けを行うことが行われていたが、その貸し付けはいつでも引き出せる預金のような性格のものであり、ソキエタースの資本金の外部にあるものとして扱われた。

1336 年のアルベルティ家の相続協定
ここでは、アルベルティ家のある父親が亡くなった後の、死後17年目にようやく行われた相続財産分割の協定の内容が示される。この例で本来の資本金への出資と、一種のコムメンダ的な預け入れ金がはっきり区別されていることが確認出来る。また、父親が出資していた分について3兄弟で分割して相続している。各成員が所持する財産は次の4種類であった。
1.不動産であって、ソキエタースとは無関係に存在するもの。
2.動産であって、ソキエタースとは無関係のもの。
3.動産であって、ソキエタースにおいて資本金以外の扱いで投資されているもの。
4.コンパーニアの資本金の中での各自の出資金としての財産。

成果
ここに出て来たcorpo della compagniaという資本金こそが、ゲゼルシャフトの特別財産である。
この財産は内部に対しても外部に対してもゲゼルシャフトの財産として認められるものであった。

VI. 法的文献。結論。
法的文献とそのソキエタースへの関係
ここまでで合名会社を特徴付ける、会社の特別財産、連帯責任、商号の発展を明らかにした。
また合資会社をその始まりからある程度まで発展した形までの経緯を明らかにしてきた。

1.合資関係
合資会社は対等ではない成員間のソキエタースであり、ローマ法的には説明が困難だった。また、教会法による高利禁止に該当するかしないかという問題も厄介だった。

2.合名会社
a) 特別財産
合名会社の特別財産については、法規の中ではっきりと扱われているものは見出せない。それはソキエタースの破産の際の債権回収の優先権という形でようやく確認出来る。その後、ソキエタースが “corpus mysticum”(神秘的な体)という言葉で一種の擬人として扱われるようになり、ソキエタースの特別財産はその擬人の財産として理解されるようになり、成員個人の財産から分離された。それが最終的には法人概念の発生につながっている。

b)連帯責任。委任の仮定と代表者[Institorat]の仮定。
連帯責任の法的な説明としては、ソキエタースの成員が代表者を選んでその者に全権を委任したのだ、という現実には存在しない仮構が用いられた

連帯責任の実質的な根本原理との関係
連帯責任は法的に規定された結果普及したのではなく、商慣習が先行し、法学的な理論付けは後から行われた。
その際に家計ゲマインシャフトでの連帯責任成立の条件としては、単に一緒に住んでいるだけでは不十分で、共同の労働、共同の経営ということが必要とされた。契約書においての「共通の名前で」という記載がそれについての標識とされた。

国際的な発展に対しての法学研究の成果
ソキエタース会社
しかしそうした連帯責任の法的定義はローマ法的な立場からは決して好ましいものではなく、法律はそれを出来るだけ制限しようとしていた。そのために、その契約がソキエタースの名前で行われたかどうかは厳密な形で要求され、それをより明確にするために、参加するソキエタースの成員の名前を全て含んでいる商号が契約に使われるようになった。この点は法学の貢献である。

ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの 1588/9 年法
発展の結着
最終的に法律として合名会社や合資会社の定義が確立するのは16世紀のジェノヴァ控訴院判例集とジェノバの1588/9年法においてであった。この二つの会社形態で、ゲゼルシャフトの特別財産が確立していることが確認出来る。

結論。得られた成果の法教義学的利用の可能性。
合名会社における連帯責任概念の成立については、ドイツ法の「合手制」の概念が影響している可能性が高い。しかしながらこの論考ではドイツ法の領域において合名会社に相当するものが平行して発達したかどうかという確認は行っていないので、それに対してはっきりした見解を述べることは出来ない。ただザクセンシュピーゲルに同種の制度が存在していることは確認出来る。
この論文の成果として、合名会社と合資会社に共通する要素としての会社の特別財産の成立の過程を明らかにしたことが挙げられる。その二つの違いとしては合名会社はその特別財産が財産権的な人格を持つに至ったが、合資会社についてはそういった全体としての人格性は無く、有限責任社員の関与は単に参加という次元に留まっている。

「ローマ農業史」の日本語訳プロジェクトのスタート

「中世合名・合資会社成立史」の校正もほぼ終ったので、次のステップとして「ローマ農業史 国法と私法への意味付けにおいて」の日本語訳プロジェクトを開始します。まだ訳せるかどうかは分りませんが、これも英訳が出ているのでそれを読んで訳せそうかどうかを判断してから取りかかりたいと思います。今、一冊訳してドイツ語の読解力は大学卒業直前のレベルにほぼ戻ったと思っていますし、またラテン語も復習出来たので、間を空けるより一気にやってしまった方がいいかなと思います。この論文はヴェーバーの2番目の論文で、これで教授資格を得るのですが、これも何故か今まで一度も日本語訳されていません。ページ数は、「中世合名・合資会社成立史」が約200ページでしたが、こちらは160ページくらいで短いです。

「中世合名・合資会社成立史」のAmazonでのKindle版に付けた説明

Amazonで「中世合名・合資会社成立史」のKindle版につけた紹介文です。この程度でも今までこの論文の内容を的確に説明したものは無かったと思います。

「マックス・ヴェーバーの博士号論文(正確には元々の博士号論文は本論考の第三章のみで他は後から付け加えられたもの)で実質的な学者としての業績のスタートであるZur Geschichte der Handelsgesellschaften im Mittelalter(1889年)の最初の日本語訳です。古典ラテン語、俗(中世)ラテン語、初期イタリア語、初期スペイン語、中低ドイツ語等々で書かれている中世の法規史料の引用部(本文中、注釈中とも)についても全て日本語に訳している完全翻訳です。ヴェーバーが中世の北イタリアの沿岸都市において地中海貿易・中東貿易での危険分担と利益の分割の必要性から生まれて来たコムメンダやソキエタス・マリスといったある種の新しい経済団体や、フィレンツェやピアチェンツァなどの内陸都市で盛んだった手工業における家計・労働ゲマインシャフトが、元々のローマ法のソキエタス(組合)の延長としての解釈を超えて、最終的に合名会社や合資会社という新しいゲゼルシャフトとして法制度の中で定義されるまで、どのように発展し確立していくかという過程を、会社の特別財産と連帯責任と商号の成立という3つの観点で実証的に分析したものです。この論文に出て来るコムメンダやソキエタス・マリス、海事利息等は教会法で禁じられていた利子付き金銭貸借を回避する手段についての議論の中で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中でも言及されていますし、またゲマインシャフトを基礎としそこに契約を契機としてゲゼルシャフトが新たに生成される過程は、後の「理解社会学のカテゴリー」でゲゼルシャフトはゲマインシャフトの特別な場合であるという議論にもつながり、ヴェーバーの学問像全体の研究においては必読の論文です。」

AmazonでKindle版も入手出来るようにしました。

「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳ですが、AmazonでKindle版の販売も開始しました。お金を取るつもりは無かったのですが、無料という設定は出来なかったので、最低価格の$0.99(日本円で105円)になっています。

中世合名・合資会社成立史のPDF版公開

「中世合名・合資会社成立史」の日本語訳のPDF版を公開します。
まだ校正が十分ではありませんが、取り敢えず訳者注を本文から分離して脚注にしました。また人名をカタカナ表記に変更しました。

追記:2020年9月9日(校正0006版)→書式(フォントサイズ、イタリック下線部分の下線追加など)を一応終了しました。
追記:2020年9月10日(校正0012版)目次が全集版のページ数だけになっていたのを、この日本語訳でのページ数を()で追加しました。
追記:最新の校正版はここです。

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.329 – 332 日本語訳(46)

ついに最後の日本語訳です!
それはいいのですが、最後の結論の所、信じられないくらい回りくどく何を言っているかを理解するのが非常に難しいです。普通は結論というと述べて来たことをまとめて、更に今後の課題を書いたりするものですが、ヴェーバーは私の印象では自分が書いた論文でゲルマニステンとロマニステンの間での不毛な論争になるのを極力避けようとしている、そんな感じを受けました。大体この論文自体が両方にいい顔をしようとしている、コウモリ的な性格を持っているように感じました。まあ、この論文についての感想はまた別の機会に行います。今後は校正に入ります。
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古い時代の一方向的なコムメンダは次の章にて扱われている。そしてその最後の部分から明らかに分ることは、そういったコムメンダは手数料ベースの委託販売になったということである。それ故に古い時代の統一された法的制度であったコムメンダは、次の二つの方向へと分かれて発展した:一方ではソキエタス・マリスを経由して合資会社に、もう一方は手数料ベースの委託販売へと 40)。

40)Lepa《第2章の注12の訳注参照》の商法雑誌の第26巻のP.438以下の記述と比較せよ。ただ私の印象では、Lepaは手数料ベースの委託販売の利用が始まったのが更にもっと古い時代と考えているように思える。古い時代のトラクタートル(Kommendatar)については手数料ベースの委託販売人とは見なすことは出来ない。トラクタートルは、先に見て来たように、委任する側(ソキウス・スタンス、Kommendanten)の非独立の器官であるか、またはそれより後の位置付けでは、自身が企業家であり、委任する側の資本を自分自身の業務においての投資としてだけ利用したのである。(コムメンダにおいてトラクタートルが取る)1/4の利益配分を手数料として理解することはまず無理であり、いずれの場合でも第2章の説明を通じて確からしく思われることは、こうした見解は当時の人々の理解とも合致していないということである。Lepaは手数料ベースの委託販売人もまたソキエタスの成員として考えていた。そしてソキエタスの業務を海外との取引きに限定していなかった。コムメンダから手数料による委託販売が分かれるのはもっと後の時代であるが、ここではそれについて立ち入るべきではない。しかしながらコムメンダと委託販売の対立ははっきりしたものでは全く無かった。

それというのも、第12章の該当する部分において、我々が仮定しているように、古い時代においてのコムメンダの場合に存在していた萌芽が発展して形作られてたゲゼルシャフトの特別財産が合名会社と合資会社において同じように利用されており、そのためここにおいては次のことが明らかになったように思える。それは前述の箇所で可能であると主張したように、コムメンダ関係における特別財産の形成が、合名会社におけるゲゼルシャフトの特別財産の発展と形成の仕方を同様に採用することで行われたということである。――ジェノヴァの法規の1598/99年版についてここでさらに詳しく述べる。まずそれは合資会社と合名会社の対立について特別に明確なやり方で並置して扱っており、それからその法規については法学の影響が明らかであるので、そこにおいては普通法の応用としての合名会社についての規定が、それが先の場所で説明されていたように、明らかに採用されているのである。その他の点については、この研究は後は次のことを確認すれば、終着点に到達したと言えるであろう。それはここで扱って来た諸制度について地方の諸法規において次の点にまで追いかけたかということである。その点とは、まずは科学の土台の上で国際的な法形成の発展が起こり、そしてその法形成が地方の諸法規の成果を取り入れ自らの手柄としたという点である。そしてその後、このような国際的な発展の成果がそれ自身として、今度は近代的なより広範囲の地域においての立法につながる端緒をどのように見出したかということは、もはやこの論文で扱う範囲を超えている。

結論。得られた成果の法教義学的利用の可能性。

 これまで行って来た考察の成果の法教義学的かつ法実務的な意義を問われた場合には、まず次のことが確認されなければならない。それはこのような考察についてそのような意義をある程度はっきりした形で切り出すことは出来ないということである。このことはもしかすると次の場合にはまた違った対応になるであろう。つまり、もしこの考察から次の問いへの答えが得られるとしたら、その問いについてはここでは提示されるだけで今すぐ答えを出すべき筋合いのものではないが、その問いとは合手制度とこの考察で合名会社の発生の基礎としてつきとめられた諸制度との関係はどうなっているのか、ということである。この問いは提示自体はされなければならない。何故ならば、周知のように、顕著な特徴から 41)合手制度は合名会社が成立する上での基礎として扱われるし、その場合さらに、つまり問いは事実においてはまず次のように言い換えられねばならないとされるからである: 合名会社は歴史的かつ法教義学的に合手関係なのか、あるいは何か別のものなのか?それからさらに問われるかもしれない、(もしそうだとしたら)それは一体何なのか?この問いについてはここでは種々の理由から答えを保留とせねばならない。まずは、この問いは何よりも用語論的なものであり、そこでは合手の概念を債務関係に適用する場合には、周知のように全くの所ただ契約する者の communi manu (共通の手=合手)だけに限定されていない。《ドイツ民法では合手の概念は組合、夫婦財産共同性、共同相続関係などの「共有」の場合において使われている。》――このドイツ法におけるある制度に関しての用語法の問題をローマ法の領域に持ち込んで結着を付けることは出来ない。同じ制度がしかし次の場合では問題無く扱うことが出来、今の問いに対しては満足な答えが与えられるであろう。それは更に新たに抽出される問いとしてであり、つまりここにおいて法制史上の合名会社の先祖というものを、イタリアのおいて見出し得ていた色々な制度について、その概念の中に当てはめて見て問題が無いかという問いである。この最後の問いは完全にゲルマン法上の問題であり、そしてもし我々が次のことについての研究の工程の中で、つまり我々が追究した法的制度の発展についてゲルマン法の考え方がその程度まで影響力を持っていたのか、それともまた何か別の起源を受け入れるべきなのかという研究の過程において、決して些末ではない何かの手がかりを得ていたとしたら、そうだとしたら次のことは是認されないであろう。それは純粋にドイツ法の土台の上において、何か(合名会社に)平行して発展したものが無かったかどうかという確認を行うこと無しに、ここでの問いに対して何か確固たる判断を行うことである。どの程度までドイツ法が関与していたかを確認していない場合はしかしながら、ここで扱っている諸制度のドイツ法の合手の考え方との関係についての論述は暗中模索の状態に陥ってしまうであろう。というのもこのドイツ法の関与の程度という問題は対象としている法制度の法教義学的な詳細な議論に入った瞬間に、直ちに燃え上がってしまうであろう。そのためそういった詳細な議論はドイツ法の領域に属する同種の制度についての調査と分析を行うまでは差し控えることになる。――そのような同種の制度が存在していることは、第3章の注14aで引用したザクセンシュピーゲルの箇所が示している。こうした調査と分析はしかしながら、また別の観察として留保しなければならない。

41)ギールケゾーム、そして何よりもKuntzeの商法雑誌の第6巻収録の論文を参照せよ。

 その研究を留保する代わりに、別の方向においての成果を確認することが出来るかもしれない。(この論文で行った)歴史的な観察により、合名会社と合資会社については二つの別のものとするのではなく、原則的には同じ土台の上に構築されたものであり、単に会社形態の分類において別のものと扱うことが出来ると言える。特別財産は二つの制度に共通しており、しかしその発展の仕方については二つは全く異なった出発点から始まってそれぞれの状態に至っているのであり、そして更に述べれば財産処分能力を持っているということは、ただこの二つの形態にのみ備わっているのではなく、確かに非常に本質的な特徴ではあっても決してまず第一に他からの判別に使われるべきような特徴ではない。財産処分能力はただゲゼルシャフト(会社)形成の基礎の法学的な性質として見られるものであり、それはこの二つの形態でそれぞれ根本的に異なっているのである。合資会社は合名会社と比べた場合、その発展の経過はまったく異なっていた。合資会社の有限責任社員においてのいわゆる「責任」は合名会社の(無限責任社員の)それと並置することはまったく出来ず、合名会社のそれの緩和と制限として理解される。というのみ歴史的な発展に従って考察する限り、「有限責任社員の(無限)責任」について語ることは全くもって正当化され得ない 42)。

42)Endemann《下線は訳者が追加》のハンドブック第1巻中のラスティヒの論文とも比較せよ。

有限責任社員は「責任を負う」のではなく、その資本を用いて利益及び損失(の機会に)参加するのであり――それこそがイタリアの文献史料においての理解であるが――その利益と損失はその有限責任社員にとっては他人の行った業務の結果であり、それ故にその者が投資した資金は(会社が)第三者への支払いを済ませた後で(deduct aere alieno)のみ返還請求出来るのであり、更に会社の債務の返済の原資として使われてしまう性質のものであった。合名会社はソキエタスの成員の総体としての財産権上の人格性を保持しているが、有限責任社員の(全体としての)財産権的な人格性というものは、合資会社におていは認められていなかった。合資会社の信用の基礎は合名会社のそれとは根本的に異なっていた。合名会社を総体としての人格性を持ったゲマインシャフトと表現する一方で、合資会社は(有限責任社員)の参加の関係として構成することが出来る。

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.329 – 332 ドイツ語原文(46)

ドイツ語原文の第46回目です。ついに最後まで到達しました。
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Die alte einseitige Kommenda ist im folgenden Kapitel behandelt und es ist aus den am Schlusse gegebenen Definitionen ersichtlich, daß sie zum Kommissionsgeschäft geworden ist. Es hat sich also das alte einheitliche Rechtsinstitut der Kommenda nach zwei Richtungen entwickelt: nach der einen Seite durch die societas maris hindurch zur Kommandite, nach der anderen zum Kommissionsgeschäft 40).

40) Vergl. Lepa in der Zeitschr. f. Handelsr. Bd. 26 S.438f. Nur datiert Lepa, wie mir scheint, die Ausmünzung des Kommissionsgeschäftes als solchen wohl zu weit zurück. Den alten Kommendatar kann man nicht als Kommissionär bezeichnen. Er ist, wie früher gezeigt, entweder unselbständiges Organ des Kommendanten, oder, in seiner späteren Stellung selbst Unternehmer, welcher nur das Kapital des Kommendanten in seinem Geschäft als Einlage vernutzt. Die quarta proficui als Provision zu fassen, ist doch wohl nicht angängig, jedenfalls, wie mir durch die Darstellung in Kap. II dargetan erscheint, nicht der Auffassung der Zeitgenossen entsprechend. Diese faßte ihn als socius; er schloß die Geschäfte nicht ausschließlich für fremde Rechnung. Die Loslösung des Kommissionsgeschäfts liegt später, doch ist hier nicht der Ort darauf einzugehen. Scharf ist der Gegensatz allerdings nicht.

Da nun in cap. 12 l. c. die, wie wir annehmen, aus den alten, bei der Kommenda vorhanden gewesenen Ansätzen entwickelte Konstruktion des gesellschaftlichen Sondervermögens für offene und Kommanditgesellschaft gleichmäßig verwertet wird, so erscheint hiermit wahrscheinlich gemacht, daß, wie oben als möglich hingestellt wurde, die Sondervermögensbildung bei den Kommendaverhältnissen von Einfluß auf die Art der Entwicklung und Konstruktion des Gesellschaftsvermögens bei der offenen Handelsgesellschaft gewesen ist. — Die Statuten von Genua von 1588/9 sind hier noch erörtert worden, einmal, weil sie den Gegensatz der Kommandite und der offenen Gesellschaft in besonders klarer Nebeneinanderstellung enthalten, dann, weil an ihnen der Einfluß der Jurisprudenz ersichtlich ist, indem die Bestimmungen über die offene Gesellschaft der gemeinrechtlichen Praxis, wie sie vorstehend geschildert wurde, offenbar entnommen sind. Im übrigen war diese Untersuchung an ihrem Ende angelangt, nachdem wir die behandelten Institute in den Lokalstatuten bis zu dem Punkte verfolgt hatten, wo, zunächst auf dem Boden der Wissenschaft, die internationale Entwicklung einsetzt und den lokalen Gewohnheitsrechten die Rechtsbildung aus der Hand nimmt. Wie dann das Produkt dieser internationalen Entwicklung seinerseits wieder Eingang in die moderne Territoriallegislation gefunden hat, gehört nicht mehr hierher.

Schluß. Möglichkeit dogmatischer Verwertung der gewonnenen Ergebnisse.

 Fragt man nun nach der dogmatischen und praktischen Bedeutung der Ergebnisse vorstehender Untersuchungen, so muß konstatiert werden, daß eine solche ihnen in ihrer Vereinzelung nicht in irgend beträchtlichem Maße zukommt. Dies wäre vielleicht anders, wenn aus denselben die Antwort auf eine Frage hervorginge, welche hier nur aufgeworfen, nicht beantwortet werden soll, nämlich die nach dem Verhältnis des Instituts der gesamten Hand zu den als Grundlagen der offenen Handelsgesellschaft ermittelten Instituten. Aufgeworfen muß diese Frage werden, weil, wie bekannt, von hervorragenden Seiten 41) die gesamte Hand als Grundlage der offenen Handelsgesellschaft vertreten worden ist, und zwar so entschieden, daß die Frage in der Tat zunächst so gestellt werden müßte: Ist die offene Handelsgesellschaft historisch und dogmatisch Gesamthandsverhältnis oder etwas anderes? und alsdann erst eventuell: was? Unbeantwortet muß die Frage hier aus verschiedenen Gründen bleiben. Einmal, weil sie zunächst eine terminologische ist, indem der Begriff der gesamten Hand in seiner Anwendung auf Schuldverhältnisse bekanntlich keineswegs allseitig auf das Kontrahieren communi manu beschränkt wird; — diese Frage der Terminologie hinsichtlich eines deutschrechtlichen Instituts kann aber nicht auf dem Boden des romanischen Rechtsgebiets ausgefochten werden.

41) Gierke, Sohm und zuerst Kuntze in der Zeitschr. f. Handelsr. Bd. 6.

Dasselbe gilt aber, mag die Antwort auf jene Frage ausfallen wie sie will, für die weiter entstehende, ob die hier als rechtshistorische Vorfahren der offenen Handelsgesellschaft in Italien angesehenen Institute unter jenen Begriff fallen. Der letztere ist ein rein germanischer und, wenn wir auch im Laufe der Untersuchung darüber, wie weit germanische Rechtsgedanken für die von uns verfolgte Entwicklung bestimmend waren oder eine anderweite Provenienz anzunehmen ist, nicht unerhebliche Anhaltspunkte gewonnen haben, so wäre es doch ungerechtfertigt, ohne Feststellung dessen, was auf dem Boden des reinen deutschen Rechts an Parallelen vorhanden ist, darüber eine definitive Entscheidung treffen zu wollen; ohne Feststellung aber, wie weit das deutsche Recht beteiligt ist, geht eine Erörterung über das Verhältnis der hier behandelten Institute zu den deutschen Rechtsgedanken der gesamten Hand im Dunkeln. Und da diese Frage bei Eintritt in eine dogmatische Erörterung des Instituts sofort brennend wird, so muß eben eine solche suspendiert werden bis zur Ermittlung und Analyse der dem deutschen Rechtsgebiet angehörigen gleichartigen Institute, — daß es solche gibt, zeigt die in Kap. III Anm. 14 zitierte Sachsenspiegelstelle. Diese Untersuchung muß aber einer gesonderten Betrachtung vorbehalten bleiben.

 Nach einer anderen Richtung dürfte dagegen immerhin ein Ergebnis zu konstatieren sein. Die historische Betrachtung kann die offene Handelsgesellschaft und die Kommanditgesellschaft nicht als zwei, auf prinzipiell gleicher Grundlage ruhende, nur dem Grade nach verschiedene Gesellschaftsformen behandeln. Das Sondervermögen ist ihnen gemeinsam, aber zu dessen Ent|wicklung sind sie von gänzlich verschiedenen Ausgangspunkten aus gelangt, und ferner ist die Vermögensfähigkeit nicht eine nur diesen Gemeinschaftsformen zukommende, also zwar eine sehr wesentliche, aber nicht ihre in erster Linie charakteristische Eigenschaft. Die letztere kann nur in der juristischen Natur der Basis der Vergesellschaftung liegen und diese ist eine bei beiden grundverschiedene. Die Kommanditgesellschaft hat eine von derjenigen der offenen Handelsgesellschaft weit abliegende Vergangenheit. Die sogenannte „Haftung” des Kommanditisten kann in keiner Beziehung neben diejenige des offenen Handelsgesellschafters gestellt, als eine Abschwächung und Beschränkung der letzteren gefaßt werden. Denn dem geschichtlichen Werdegang nach ist es überhaupt nicht gerechtfertigt, von einer „Haftung des Kommanditisten” zu sprechen 42). Er „haftet” nicht, sondern er partizipiert mit seinem Kapital an Gewinn und Verlust — das ist die Auffassung der italienischen Quellen — eines fremden Geschäftsbetriebs und kann deshalb seine Einlage nur deducto aere alieno zurückverlangen bzw. muß sie zur Deckung der Schulden einzahlen. Die offene Gesellschaft ergreift die gesamte vermögensrechtliche Persönlichkeit der socii, die vermögensrechtliche Persönlichkeit der Kommanditisten bleibt von der Kommanditgesellschaft unberührt. Die Kreditbasis ist eine grundverschiedene. Während die offene Gesellschaft eine Personengemeinschaft darstellt, ist die Kommanditgesellschaft als Partizipationsverhältnis zu konstruieren.

42) Vergl. auch Lastig in Endemanns Handbuch Bd. 1.

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.325 – 329 日本語訳(45)

日本語訳の第45回目です。ここはなかなかドイツ語本文がタフでした。
その反面、注39のラテン語は長いですが、割ときちんとした学識者が書いたラテン語らしく、意味を取るのにそれほどは苦労しませんでした。
ともかく後1回になりました!
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その意義においては次のような原則が採用されていた。つまり、ソキエタスの勘定に算入される業務だけがソキエタスの成員達に関係付けられるのであり、法的な構成を行う場合には、そういった業務はさらにソキエタスの全員を一つにまとめた集合体として、つまり一つの corpus (身体)として擬人化し、最終的には次のような慣習法が確立するに至った。その慣習法とはつまり、その種の業務の契約の際には、全てのソキエタスの成員の個別の勘定に関係する形で契約するのだということが特別に強調され、そしてそれ故に当該のソキエタスは外部に対しては全てのソキエタスの成員の名前を包含する集合的表現 30)としての一つの総体として、つまり本来の意味の商号(Firma)として立ち現われることとなった、――というものであり、――そしてそういう業務は今度は次のような論理的な帰結を導き出していた。つまりある業務の関係者はある集合的な名称を受け入れ、そしてその名前において契約を締結する。ある者がいて、その名前が集合的な商号の中に包含されていると見なされる者は――”cujus nomen expenditur”(その者の名前が載っている)――連帯して責任を負うソキエタスの成員とされるのである。集合的な商号の名前を使って締結された契約こそがソキエタスの契約であるとされたのである。

30)”Corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum”(複数の名前が融合している神秘的な体)、先に引用した Dezision der Rota Genuensis を参照せよ。

31)商号については Dietzel《Gustav Dietzel、1827~1864年、ドイツの法学者》の論文、一般法年鑑の第4巻と、本論文の第3章の注70を参照せよ。

以上のような原則についてと、それによって合名会社と合資的関係を明確に区別するということは、実際の所(法制史から)商法の領域に足を踏み入れてしまっており、それについてはここで見て来た通りである。そしてこれらの考え方が実際に行われるようになったということは、私見ではあるが、やはりまた法学の貢献の一つであり、その貢献の中で法学は同時代の既にあった法との関係において、この章の冒頭で見て来たようなこうした新しい会社形態の法的把握についてある種の制限を含めていたのである。法学はこの論文で取り扱って来た法的制度(会社)の経済的意義と歴史的な発展に対してはほとんど関与していなかったが――しかしそういった法的な把握は間違いなく存在していた――従ってこの部分についてのボローニャやパドヴァの大学で法学の予備教育に従事していた法学者《バルドゥスのことと思われる、原文は「予備教育を受けていた」であるが、バルドゥスはこの2つの大学で教えていたのであり、学生として学んではいない。》の評価については、正当なものとしては、控えめにしておくべきものであろう。――しかしながらローマ法の法的思考の新しいものを解明する能力は、法とはある意味まったく異質な領域でもまたその真価を発揮したのである。以上のようなことを明らかにすることが、先に描写して来た法学文献の概観の目的であったが、これらの文献についてほぼ完全にそう出来たかという点と、あるいは法教義の歴史的発展について全体で明らかにすることが出来たかと言う点については 32)、残念ながらまったくそうとは言えない。

32)これについてはEndemannによる研究によって、より包括的に行われている。ただバルドゥスのConsiliaの扱いは彼の研究した法教義の意義との関係においては上手く行っていない――この研究では、特にConsiliaの傍注とそれに関係した部分が無視されている。

ジェノヴァ控訴院判例集とジェノヴァの1588/9年法
発展の結着

 こういった法科学《法制史の分野では、法教義学中心の伝統的な法学と、法科学は区別される》の仕事の成果としてもっとも完全な形で表に現れて来たのはジェノヴァの控訴院判例集であり、それは学識経験者による判事で占められた裁判所 33)によるものであり、その判例集はその当時疑い無く国際的な価値を認められていた。

33)Statuten v. Genua v. 1588/9 1. I c. 7によれば: constans ex tribus doctoribus exeris. (常に3人の外部から招聘された博士から成る)を参照。《exerisをexterisとして解釈。この綴りの変更は全集の注による。》

ジェノヴァにおいては、そこは合資会社の発祥の地の一つであるが、既に見て来たように、会社法の実務において焦眉の急の問題であったのは、合名会社を合資会社関係から、つまりは個人的に(無限)責任を負うソキエタスの成員(社員)を有限責任社員から区別することが不可欠だったということである。実際の所この区別は厳密に行われていたのである。特にパラヴィチーニ家とグリマルディ家《共にジェノヴァの名門28家の一つ、特にグリマルディ家はモナコの支配者として有名》の間で何百万リラという巨額の金額について争われた大規模な裁判(Decis. 14)においては、控訴院は原則的に次のことを強調する立場を取った。つまり、商人達がソキエタス関係にある場合において、Institorat(代表者)の仮定というものはまったく成立していないということを。(このことは Bartolus 34)《Bartolus de Saxoferrato、1313または1314~1357年11月より前、ペルージャ生まれの法律家でバルドゥスの先生》の主調には反しているが)しかしながらその反面次の場合については特に強調はしていなかった。つまり、契約に沿った形である一人のソキエタスの成員のみが事業の管理権を持ち、事業において彼のみが外部に対して契約者として現れる場合、つまりそれ故に契約は他のソキエタスの成員の名前を含めた形では行われず 35)、そして第三者である契約の相手方は、”nicht “fidem eorum secuti sunt”” 36)(ソキエタスの他の成員の信用を求めていなかった)、それはつまり契約する者の信用がソキエタスとしての信用を担保するものではない、そういう場合である。そのためにあるソキエタスの成員で、自分の名前にて契約が締結され、更に彼自身の判断で他のソキエタスの成員達の名前を含めた形で契約を締結する権利を持つ者、そういう成員のみが合名会社の(無限責任)社員である。ソキエタスの名前で締結された契約のみが他のソキエタスの成員、つまり”quorum nomina expenduntur”(その者達の名前が載っている)、に関係付けられ、それらの成員達は契約を締結した者の特別な事業の従事者となる 37)。ここにおいてソキエタスの成員の周知の二重人格性《ソキエタスの契約に拘束される「社員」としてとその者自身の個人としての二重性》が現れて来るのである。

34) Decisiones XII no. 67以下を参照。

35)前掲書、no. 48を参照。

36)前掲書、no. 97を参照。

37)Decisiones 7を参照。

38)前掲書を参照。

 これらの新しい内容の法については、控訴院が強調したように、それは一般法から派生したものであったが、1567年の法規がまだ何もそれらを含んでいない一方で、1588/89年の法規はそれらを取り入れていたのである 39)。

39)De societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l. 2.): Socii sive participes societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in solidum pro omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu societatis.
(商人達のソキエタスまたは事業について(第12章、l. c.):ソキエタスの成員またはソキエタスあるいは何かの事業についての出資者で、その名前がそこにおいて記載されている者は、全ての業務と全員そして個々のソキエタスまたはその事業に対しての債権者(達)に対して連帯して責任を負う。)

 Socii seu participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in aliquo obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et beneficia …
(ソキエタスの成員または出資者で、その名前が記載されていない者は出資者の出資金を超えた何かの債務、あるいはその者がソキエタスの共通資金の中で分担している金額を超えた債務について責任を負わないとされる。しかしそれにも関わらず、そういう者達は出資(分担)の割合に応じて(事業による)利益とその他の便益を受け取る…)

 Creditores hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum, sive plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur quibuscunque aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio nomine, et in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint potiores et anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et praeferri debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel quondam suam praetenderet.
(この種の債権者達は、ソキエタスまたは事業を、あるいは一人の者の名前によって全部のまたは複数の成員を…(債権者達は)商品と財産において、ソキエタスまたは事業に対して、ソキエタスのどの成員一人への債権者よりも優先権を持つ。出資者自身の名前によるかあるいは他の名前によっても、前述の商品と財産において、債権者は次のように見なされる。つまり抵当と特権において他の債権者よりも上位にあり、かつ時間的にも(破産の際の)先取り特権を与えられている。それ故に嫁資や他の何か別のものについても優先されるし、また優先されなければならないが、例外としてある者がその者個人の所有物としている商品と、または前からその者の所有物と見なされる商品を除く。)

 De accommendis et implicitis (cap. 13 l. c.).
(委託された(コムメンダ契約で)ものと、関係者について(第13章、l. c.))

 ここにおいてより古い時代のジェノヴァの法規のコムメンダに関する規定は、特に興味を惹くような変更は無く、繰り返されている。その中には債権者の先取り特権とコムメンダ契約で委託された商品についてのソキエタス成員に対しての規定も含まれている。

そこにおいては発展の成果が次のような形式で法として形作られていた:
 1.何人かの人員から成るソキエタスで、そのゲマインシャフトとしての名前の下である業務を営み、そこではソキエタスの成員がソキエタスの債権者達と彼ら相互に対してのみ連帯責任を負っている形態(合名会社)。
 2.何人かの人員から成るソキエタスで、ある業務をソキエタスの名前で営み、別の者は出資を通じてそのソキエタスに関与するもの。後者の責任は個人として(無限責任を)負うのではなく、その出資額を上限とした責任(有限責任)に限定される。Rota von Genua のDecis. 14、それはこの種のソキエタスについて規定している箇所であるが、それによれば次のように見える。つまり、ただ出資しただけのソキエタスの成員がまた事業の遂行のやり方についてある程度の影響力を持っていたということであるが、そうでないとしたら次の問いは成立し得ない。つまり事業を遂行するソキエタスの社員(is qui complementum dat、{ある者で何からの補完を行う者《例えば資金が不足する場合の追加の出資など》} — Decisiones Rotae Genuensis 18、 — 無限責任社員)が有限責任社員に対しての管理者(Institor)として観察することが適当かどうかという問いである。そこには次のことの名残りが見られる。つまり元々は有限責任社員こそが、無限責任社員ではなく、本来の企業家と見なすべき存在だったということである。この形態は明らかに合資会社である。

 この2つの会社形態の双方において、我々がこれまで確認して来た意味でのゲゼルシャフト(会社)の財産が成立している。この法規の第12章のI.IVと古い時代の法規の編集(Statuta Perae 207)を比べてみると明らかに、前者の法規は後者の法規にある付加規定を拡張したものを含んでおり、さらに第12章の当該の部分を読むと、次のことについては全く疑問の余地が無い。つまりそこで記述されているソキエタスで連帯責任が無いものは、ソキエタス・マリスの発展したものであるということである。

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.325 – 329 ドイツ語原文(45)

ドイツ語原文の第45回目です。注39に長いラテン語があり、そこが最後のヤマかと思います。
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(前の段落から続く)
Sie hatte den Grundsatz, daß nur Geschäfte, die für Rechnung der Sozietät geschlossen wurden, die socii angehen, juristisch konstruiert, sie hatte ferner die Sozietät als eine Personengesamtheit, ein „corpus”, personifiziert und hatte endlich den Usus durchgesetzt, daß bei derartigen Kontrakten das Kontrahieren für Rechnung aller socii besonders hervorgehoben wurde, daß also die Sozietät nach außen als ein Ganzes unter einer die Namen der socii enthaltenden Kollektivbezeichnung 30), einer eigenen Firma 31), auftrat, — und sie konnten nunmehr die Konsequenz ziehen: die Absicht, eine Sozietas mit Solidarhaftung einzugehen, sei daraus zu entnehmen, daß die Betreffenden einen Kollektivnamen annehmen und unter ihm ihre Kontrakte schließen; derjenige, dessen Namen in der Kollektivfirma enthalten sei — „cujus nomen expenditur” —, sei solidarisch haftender socius; Kontrakte, welche unter der Kollektivfirma geschlossen werden, seien Sozietätskontrakte. Diese Grundsätze, und damit die Möglichkeit klarer Scheidung zwischen der offenen Gesellschaft und den Kommanditverhältnissen, sind in der Tat in das Handelsrecht übergegangen, wie wir schon oben sahen; und daß dies geschehen, ist, wie mir scheint, wesentlich auch ein Verdienst der Jurisprudenz, welches eine Einschränkung des an die Spitze des Kapitels gestellten Urteils über deren Verhältnis zum Recht ihrer Zeit involviert. Der wirtschaftlichen Bedeutung und dem historischen Werdegang der Rechtsinstitute stand sie vielfach fern — dies Urteil muß aufrecht erhalten bleiben — und man wird nach dieser Richtung an einen in den Hörsälen von Bologna und Padua vorgebildeten Juristen billigerweise nur bescheidene Ansprüche stellen dürfen, — aber die klärende Macht der römischen Rechtsgedanken bewährte sich auch hier auf fremdem Gebiet. Dies anschaulich zu machen, war der Zweck der vorstehend skizzierten Übersicht über die juristische Literatur, welche auf eine auch nur annähernde Vollständigkeit oder darauf, die dogmengeschichtliche Entwicklung im ganzen klargestellt zu haben 32), keinen Anspruch macht.

30) „Corpus mysticum ex pluribus nominibus conflatum” in der früher zitierten Dezision der Rota Genuensis.

31) Über die Firma cf. die Abh. v. Dietzel, Jahrbuch des germeinen Rechts Bd. 4 und die Anm.70 zu Kap. III.

32) Dies ist bei Endemann, Studien, umfassender geschehen. Nur die Consilia des Baldus kommen bei ihm im Verhältnis zu ihrer Bedeutung wohl zu kurz. — Im obigen ist namentlich die Glosse und was sich an sie anschließt, außer Betracht gelassen worden.

Die Dezisionen der Rota von Genua und die genuesischen Statuten v. 1588/9.
Abschluß der Entwickelung.

 Das Ergebnis dieser Arbeit der Rechtswissenschaft tritt am vollständigsten in den Dezisionen der Rota von Genua zutage, eines mit gelehrten Richtern besetzten Gerichtshofes 33), welche ihrer Zeit eine zweifellos internationale Bedeutung erlangt haben. In Genua, einer der Wiegen der Kommanditen, wie wir sahen, war die brennende Frage der Praxis des Gesellschaftsrechts notwendig die Scheidung der offenen Handelsgesellschaft von den Kommanditverhältnissen, der persönlich haftenden socii von den Kommanditisten. In der Tat ist nun diese Scheidung scharf durchgeführt. Besonders in dem großen Millionenprozeß Pallavicini c/a. Grimaldi (Decis. 14) nimmt die Rota prinzipiell Stellung, betont, daß die Institoratspräsumtion keineswegs überall Platz greife, wo Kaufleute in einem Sozietätsverhältnis stehen (gegen Bartolus) 34), insbesondere dann nicht, wenn vertragsmäßig nur einer der socii die Verwaltung habe und das Geschäft so führe, daß nur er als Kontrahent nach außen auftritt, wenn also die Kontrakte nicht auf den Namen auch der anderen socii gehen 35) und die dritten Kontrahenten mithin nicht „fidem eorum secuti sunt” 36), d.h. also, wenn deren persönlicher Kredit nicht Kreditbasis der Sozietät ist. Es ist also nur der socius, auf dessen Namen kontrahiert wird und der seinerseits das Recht hat, namens der socii zu kontrahieren, offener Gesellschafter. Nur unter dem Namen der Sozietät geschlossene Kontrakte gehen die socii, quorum nomina expenduntur, an, andere sind propria negotia des Kontrahierenden 37). Die bekannte duplex persona des socius erscheint auf der Bildfläche 38).

33) Stat. v. Genua v. 1588/9 1. I c. 7: constans ex tribus doctoribus exeris.

34) Decisiones XII no. 67f.

35) Eod. no. 48.

36) Eod. no. 97.

37) Decisiones 7.

38) Eod.

 Diesen Rechtszustand, welcher, wie die Rota betont, aus dem gemeinen Recht abgeleitet ist, haben dann, während die Statuten von 1567 davon noch nichts enthalten, die Statuten von 1588/89 lib. IV cap. 12 und 13 aufgenommen 39). Es ist da|selbst
das Ergebnis der Entwicklung zu folgenden Rechtsformen gestaltet:
1. Sozietät von mehreren Personen, welche unter ihrem gemeinschaftlichen Namen ein Geschäft betreiben mit Solidarhaftung der Socii gegenüber den creditores societatis und nur ihnen gegenüber (offene Handelsgesellschaft);
2. Sozietät von mehreren Personen, von welchen eine das Geschäft auf ihren Namen betreibt, die anderen mit Kapitaleinlagen an demselben beteiligt sind. Die letzteren haften nicht persönlich, sondern mit ihrer Einlage. Nach der Decis. 14 der Rota von Genua, welche eine derartige Sozietät betrifft, scheint es, daß auch die nur mit Kapital beteiligten socii einen gewissen Einfluß auf die Art der Geschäftsführung gehabt haben, sonst hätte die Frage nicht entstehen können, ob der geschäftsführende socius (is qui complementum dat, — Decisiones Rotae Genuensis 18, — der Komplementar) als ihr institor zu betrachten sei. Es liegt darin eine Reminiszenz daran, daß ursprünglich die, nicht der Komplementar, als die Unternehmer zu gelten hatten. Dies ist offenbar die Kommanditgesellschaft.

39) De societatibus seu rationibus mercatorum (cap. 12 l. 2.): Socii sive participes societatis seu rationis quorum nomen in ea expenditur, teneantur in solidum pro omnibus gestis et erga omnes et singulos creditores rationis seu societatis.

 Socii seu participes quorum nomen non expenditur, non intelligantur nec sint in aliquo obligati ultra participationem seu quantitatem pro qua participant et nihilominus percipere possint pro eorum rata participationis lucra et beneficia …

 Creditores hujusmodi societatum sive rationum, sive sint sub nomine unius tantum, sive plurium … in rebus et bonis societatum seu rationum praeferantur quibuscunque aliis creditoribus sociorum singulorum, vel proprio vel quovis alio nomine, et in dictis rebus et bonis dicti creditores intelligantur et sint potiores et anteriores tempore, hypotheka et privilegio, ita ut praeferantur et praeferri debeant dotibus et aliis quibuscunque excepto eo qui rem suam vel quondam suam praetenderet. //SW437//

 De accommendis et implicitis (cap. 13 l. c.).

 Hier werden die Bestimmungen der älteren genuesischen Statuten über die Kommenda mit hier nicht interessierenden Änderungen wiederholt, inkl. der Bestimmungen über Vorzugsrechte der Gläubiger und socii am kommendierten Gut.

 Bei diesen beiden Gesellschaften gibt es ein Gesellschaftsvermögen in dem von uns festgehaltenen Sinn. Es ist bei Vergleichung von c. 12 l. IV dieser Statuten mit den alten Statutenredaktionen (Stat. Perae 207) offensichtlich, daß ersteres Kapitel eine Weiterbildung der in den letzteren enthaltenen Ansätze enthält und es unterliegt ferner bei Durchsicht des cap. 12 l. c. keinem Zweifel, daß die dort geschilderte Sozietät ohne Solidarhaftung das Entwicklungsprodukt der societas maris ist.

VI. Die juristische Literatur. Schluß P.320 – 325 日本語訳(44)

日本語訳の第44回目です。「連帯責任」を法的にどう扱うのかの議論が延々と続きます。
ヴェーバーはこの「連帯責任」に非常にこだわっていますが、後の歴史を見れば合名会社の複数の無限責任社員が連帯責任を持つという考え方は過渡的で、結局会社組織は無限責任社員というものを排除する方向に進み、責任は個々の社員ではなく法人格そのものが負うということに変っており、個人的には無限責任の法的解釈が安定することより、商号から法人という概念が発生する方がより重要性が高いように思います。
後45回と46回で最後の部分に到達します。
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連帯責任の実質的な根本原理との関係

 今まで見てきたような(連帯責任の)純粋にロマニステン的な論理構成の試みにも関わらず、(その当時の)法学にとっては次のような観察結果を見なかったことにして済ますことは不可能だった。その観察結果とは、連帯責任というものが、それは実際の所当時一般に採用されていたのであるが、今まで述べて来たような法学的思考形式に関連付けられていたのではなく、全くもって具体的で外から見てはっきり分る諸事実に関連付けられていたということである。それ故にそういった諸事実と先に述べたような法学的思考形式を結び付ける必要性が生じていたが、しかしそれは常に成功した訳ではなかった。家計ゲマインシャフトが(合名会社の)発展の歴史における出発点であったということは、法学的な文献の中にも登場するようになっていた。duo fratres communiter viventes(一緒に生活している二人の兄弟)の主題は相当浩瀚な法学書籍の中で何度も詳しく論じられていたが、それ以外にその主題自体が単体として研究論文(モノグラフ)にて取上げられていた 20)。それが可能である限りにおいて、ローマ法の societas omnium bonorum 《全ての財産が現在及び将来に渡って共有されるソキエタス》という分類形式が使われ、実質的な根本原理である共通の家計は、上述したような委任とか Institorat といった関係の上述の意味での成立という仮定を正当化するという役割を演じていたが、そういった観察結果は現実の人間関係の本質とはほとんど適合していなかった。しかしながらそういった観察結果は他方ではそれ自身をさらに明確に形作る上で有効に働く要素を内蔵していた。法学が家計のゲマインシャフト、つまり後の stacio(店)や taberna (店、食堂)を、あるソキエタスが成立する上での契機としてのみ観察している過程において、それらのゲマインシャフトは次のようなやり方で解釈する必要があった。つまりそういったゲマインシャフトの実情を分析することによって、それが発達する主因を明らかにし、法学はその主因をソキエタスの特性として他のものから切り出して描写するという、そういうやり方である。

20)ペルージャの Petrus de Ubaldisの De duobus fratribus と、パドヴァの Franciscus de PorcellinisのDe duobus fratribus を参照せよ。

というのも法学者達が強調したのは、発達の主な原因を単に一緒に住むということに帰するのではなく、その一緒に住むことにより経営ゲマインシャフトを形成するという意図をもって行われている場合にだけそうするべきということであった。夫と一緒に住んでいる妻は、それについて Rota Florentina Dec. 65 は詳しく述べているが、それ故に夫と一緒のソキエタスの一員とは見なされない。何故ならばその夫婦の共同生活はまず第一には、共同の経営の実務を行うという意図以外の別の法的根拠に基づいているからである。同じ原則が一緒に住んでいる兄弟達にも適用出来る。その場合においても単純に一緒に住んでいる(cohabitatio)という事実は責任についての法的根拠ではなく 21)、その事実に共同の労働と共同の経営という意図が含まれていることが法的根拠なのである。法学はこの意図については、兄弟の間においてそれぞれが自分の勘定を持って精算するというやり方が存在しない場合が、その意図を裏付ける根拠と見なした 22)。以上のこと全てが連帯責任の考え方を識別する上での目印なのであり、これまで見て来たように、それらのことは観察対象とする実際の人々の生において実際に起きたことなのである。――この共同での経営の業務遂行ということがこの意図においての本質的な側面であったとしたら、この意図は外部からも判別出来るように適当なやり方で文書化されねばならなかった。

21)バルドゥスの Consilia IV 472:Cohabitatio non facit societatem. (一緒に住むだけではソキエタスの形成とは言えない。)を参照。

22)Petrus de Ubaldisの書籍のDe duobus fratribus の序文を参照。また Ansaldus de Ansaldisの Discursus legales de commercio Disc. 49 を参照。バルドゥスは Consilia V 482 にて兄弟間での societas omnium bonorum の成立を判定する標識として以下を列挙している:

1. coarctatio in una domo,(一つの家の中で密に暮していること)
2. commensalitas (vixisse communi sumptu),(生活する上で出費を共通のものとしていること)
3. lucrorum communicatio,(収入を共通のものとしていること)
4. defensio communis in litibus,(訴えられた場合は共同で対抗すること)
5. communio bonorum pro indiviso,(財産を分割しないで共有すること)
6. publica fama super societate omnium bonorum.(societate omnium bonorum の存在が公にされていること)

上記の条件(6番を除いて)のどれも、それ単体だけでは連帯責任が存在しているという仮定を産み出すには十分ではない。しかし一緒に業務に携わっているということは常に必須条件だったと考えられる。

バルドゥスは(連帯責任が発生する条件として)共通の「業務(negociatio)」23)の存在と、更にそれに関連して成員の誰もが、それが家族の一員であろうと家族以外の者であろうと、実際に業務に従事していたこと、そして「取引者(negociator)」として登場していることも必要と考えていた 24)。

23)注22の最後の部分を参照。

24)バルドゥスの Consilia V 125 (屠殺業者・肉屋のソキエタス);V172:ただ業務を行う能力がありかつ実際に業務に従事している者のみがソキエタスの成員と見なされた;I 19:ただソキエタスが成立する場合のみ経営というものは兄弟の勤労によってゲマインシャフトの中に現れる(III 30も参照);III 451:一緒に住むこと(cohabitatio)がではなく、しばしば行われる共同の行為(actus sociales frequenter facti)が(連帯責任発生のための)仮定を生じさせる。Petrus de Ubaldis l. c. III, 2を参照。

論理的な帰結としての、利益はただこの経営においての業務遂行からゲゼルシャフトの中に入って来るもののみであるという考え方は、そこから直ちに導き出されることは、他の方法による利益は”Adventizgut”(本業外収益による異質な財産)と見なされるということである 25)。

25)バルドゥスの Consilia I 120 を参照。

更にそこから進んだ論理的な帰結となるのは、それ故にソキエタスの勘定に入れられる業務をまた形式上他の業務から区別しなければならなかった、ということである。そのような形式的な標識を当時の法学は契約書の文中にそれを発見した。それは単に”nomine communi”(共通の名前で)という章句であり、――形式的にまたゲマインシャフトの勘定に入れられるという意味にもなるが――その共通の名前で執り行われた業務がソキエタスの業務として関係付けられたのである 26)。その語句においては、委任という仮定と代表者の仮定の両方がその中に取り込まれていたのである。この標識を利用することによってその当時の法学は自らを再び実践的な方の発展の基礎の上に位置付けることが出来たのであり、その法の発展は、これまで我々が見て来たように、(連帯責任の原理を採用した合名会社の成立といった)同様の結果につながったのである。この最後のことが起きたということは、もしかすると部分的には法学者達の功績であったかも知れず、彼らの作業は放棄の編纂であるのと同時にまた、本質的な部分では司法上の実践でもあったのであり、そういった実践がこのような論理的な帰結を明確にして発展させたのである。

26)Petrus de Ubaldis l. c. III, 2を参照。

国際的な発展に対しての法学研究の成果
ソキエタス会社

 引き続いて今まで述べて来たようなゲマインシャフトの単なる成立を根拠とする連帯責任は、ロマニステンの教義にとっては適当なものでなかった。何故ならば全ての新しい解釈の仕方にも関わらず、それはローマ法の法形式に正しく適合する現象ではなかったからである。バルドゥスはそれまで通用していた法に対して、連帯責任を実際に存在するものとして認めていた。しかしながらそれについての個々の司法的決定を通じて、明らかに次のような傾向を持っていた。それは当該の集団における委任や代表者という意図を証明することが益々困難になっていたことによって、当該のゲマインシャフトをひとまずはソキエタスと定義するが、しかしそれに付随する不人気の(連帯責任という)制度を可能な限り制限しようとする、そういう傾向である 27)。

27)Consilia V, 125, 402を参照せよ。

カルパノは自身のミラノの法規についての注解書の中で、次のことについて強い疑いを抱いていた。それは1498年の法規の第415章が、ある父親の息子に対する債権者のための父親の息子への相続財産分与義務に関しての規定であるが、それが神意に背いて人間が作った法であるのか(contra divina et humana jura sei)ないのか、という疑いである 28)。そしてカルパノはそのことにより、証拠の重視ということを正当化しようと試みるのであるが、それを彼は望ましいことと考えていた。

28)注釈aaa:というのは次のことは不自然と考える。ある者が自分がまだ生存中に息子に対して遺産相続を行わなければならない、ということは。

1502年の法規の第481章の、相互に別れないで一緒に住んでいる兄弟に関しての箇所について、カルパノは次のように注意している。つまりそのような(連帯責任を持った)ゲマインシャフトについては十分に注意を払う必要があると、それはあたかも「丁度火に対してそうするように 29)」、というのもそうしたゲマインシャフトは全ての関与者を場合によっては破滅に導くこともあるだろうから、としている。

29)注釈b:このようなソキエタスやコミュニティからは身を遠ざけるべきである、丁度火から身を遠ざけるべきであるように。

いずれの場合においても、このような法学的な把握は次のことに対して強力に影響を及ぼした。つまり(相互に)責任を持つソキエタスの成員達とそういう内容のソキエタス契約の特性が、そういう性格を示すものとして契約の中で使われた名前への参照と言及によって確認されるということと、こうした名前による識別、つまり「ソキエタスの名前で」(nomine societatis)契約するということが、個人の債務からソキエタスの債務を区別する上での最も確実な標識になったということである。そのことはある時間の間継続的な意義を持っていた。というのも責任についての古くからの基礎:つまり共通の家計、共通の店(stacio)、工房(bottega)、店・食堂(taberna)が国際的な取引きにおいて、その存在意義を失った際に、いまや別の標識がソキエタスに何かの責任を負わせる契約と、その契約によって責任を負うことになる個人にとっての必要物になったのであり、それによって法学における予備的な仕事は実際的な意義を勝ち取ったのである。