I. Römisches und heutiges Recht. Gang der Untersuchung. – 中世合名会社史 日本語訳(3)

Ⅰ. ローマ法と今日の法。研究の工程。 144
ソキエタスと合名会社 144
ローマ法におけるソキエタス 145
の所の日本語訳です。
「破産宣告」がどうのという後半の部分は、もっとこなれた日本語にすべきかと思いますが、取り敢えずは試訳としてアップし、またこれから先を訳した後で振り返って修正していくことにしたいと思います。(→11月6日18時、書き直しました。)
なお、原文のイタリック(斜体)は下線にしています。

ドイツ語原文はここです。
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ローマ法と今日の法
研究の工程

ソキエタスと合名会社

以下の研究において、まず第一にどの法規を取上げるべきかという問題は、ローマ法のソキエタスと現代法の合名会社の本質的な対比を思い浮かべるならば、容易に明らかになる。

二つの概念の対置には、それによって二つの実際的な比較を行うことが出来るように、二つの概念間の境界をより詳細に解明することがまず必要である。

合名会社とローマ法のソキエタスとは一般には決して簡単に対比させることが出来ない。何故ならば合名会社はソキエタスに対してはまずはその特別な場合を意味するからである。それ故に合名会社とソキエタスは対比ではなく前者が後者のある一つの場合としてのみ比較され得るのであり、その特定の場合のソキエタスは今日の合名会社と同様の諸目的を達成しようとするのである。-こういうことを断るのは、ローマのソキエタスの概念の一つの特徴はまさに、様々に異なる現実の諸形態に対してそれぞれに異なる法規程を適用するのではなく、汎用的に適用出来るある概念上の法的なテンプレートを意味せんとするからである。

故に合名会社は本質的にはまず第一に商業上の営利の目的のために存在するのであり、さらには(ドイツ)商法典第85条に規定されているように《訳者注①》、いずれの社員も出資財産に対する責任を制限されず、結局は「当座(的な)組合」に対比されるものとして、つまりはその目的を継続的な共通の営業活動を行うことに置き、個々のその時々の業務についてのみ共同作業を行うのではない形態として、-そういった理由からこの論考では合名会社をローマ法のソキエタスの特別な形態に相当するものとして、ソキエタスと同一の尺度で評価出来るように概念化するであろう。
続けて、ソキエタスと同名会社の違いは本質的には例えば次のように定式化される:

ローマ法におけるソキエタス
ローマ法によれば、この種のソキエタスは、当事者間での契約の締結により、相互にそのソキエタスの目的の遂行に必要な行為を強制するという義務を生じさせる。その義務の個別の内容は、我々の考察対象においては以下のようなものである:《列挙の番号は訳者追加》
1. ソキエタスの各成員が労働力を、また必要に応じてソキエタスの目的の遂行に必要な資金を提供するということ。
2.あるソキエタスの成員に対して、契約によりその成員がソキエタスの目的に適合するべく負わされた責任の程度に応じて、ソキエタスを精算する際にはその程度割合に応じた分け前を与えること。
3.契約に従ってソキエタスの各成員が立て替えた金銭が、同じくその成員に返金されること。
4.ソキエタスの目的に沿った業務を遂行していく上で、ソキエタスの成員全員に対して生じた債権については、それぞれにその出資割合に比例して(pro rata)配分すること。
5.利益を各成員に配分すること。
6.当該の業務により獲得した物権を特定のソキエタス成員に与えること。

処分可能な現金をソキエタスの共通の勘定(arca commnis)に入れておくこと、つまりソキエタスの目的のために行われた業務などから発生した所得を、取り敢えずはその勘定に入れておくようにすることは、望ましいと言えるであろう。次にあるソキエタスの成員で、当該業務の必要から何らかの支払いをしなければならなくなった場合、その勘定から現金を引き出し支払いに充てることが、その成員の権利でありかつ義務とされる。その勘定の実際の中身は、その成員のソキエタスへの出資分に比例した財産として成立し、単に精算方法を簡略化するということと、その都度それぞれのソキエタスの成員が出資分に比例した支払をする手間を簡略化するのに役立っている。その勘定の中に見出される現金準備においてのその成員の割り当て分については、他の成員の分についても同様にその成員の個人財産の一部なのであって、その成員に対しての債権者は直ちに合法的に差し押さえすることが出来る性質の財産である。第三者は、ただお互いに義務を持った成員間の関係の複合体としてのソキエタスにはまったく接点を持たない。-あるソキエタスの成員がある業務をソキエタスの名前で第三者と行う場合、それは個人の名前で行われる業務と、その法的効果についてはまったく何らの差もないのである。もしソキエタスの名前で行われる業務で損失が発生した場合には、外部に対してはその損失はただその損失と直接関わった特定の業務を執り行ったソキエタスの成員の損失とみなされ、その損失について、ソキエタスに対しての当該成員の取り分への賠償請求権は、よって確かにその担当の成員の個人財産に対して有効なのであり、このような請求権は個人へのものとして破産財団の借方勘定に入れられる。その場合の破産債権はただ個々のソキエタス成員の財産に対して、その個人と契約した債権者という関係でのみ成立し、その債権者が時には同じソキエタスの他の成員という関係である場合もある。特に例えばこの「ソキエタス財産」に対して宣告された特定の破産の管理可能な財産になり得るような共通勘定(arca communis)やソキエタス契約に沿った形で作り出された物権といったものは存在しないのである。そういった破産というのはナンセンスであろうし、その破産が(管理の)対象とすることが出来るものは存在し得ないであろう。というのも、この「ソキエタス財産」に帰属するすべての財産は、比例配分により分割された共有財産の個々の対象物をまとめた全体とまったく等しいのであり、それらの個々の対象物はまた同時に個々のソキエタスの成員のソキエタス財産とは別の個人財産の一部でもある。-それ故にそういった破産は単に破産請求権を持つ主体についてだけではなく、同時にまた自分が占有しようとしている破産財団の財産という客体=対象物についても、いたずらに存在しないものを追い求めているのと同じであるからである。
これに対し合名会社の構成は、ソキエタスに対してはっきりとした違いを見せる:

訳者注① Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch (ADHGB)
1869年制定、第85条の規程は以下の通り。”Eine offene Handelsgesellschaft ist vorhanden, wenn
zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter gemeinschaftlicher
Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter die Betheiligung auf
Vermögenseinlagen beschränkt ist.
Zur Gültigkeit des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen
Abfassung oder anderer Förmlichkeiten nicht.”

(Moritz訳)
合名会社とは以下の場合に成立する。
2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責任を制限されない。
会社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。
《その契約を第三者に対抗出来るようにするには合名会社の商業登記が必要である。》

モーア・ジーベックの全集版の「中世合名会社史」誤植

P.205のAugangspunktはAusgangspunkt(出発点)の誤植です。日本円で3万円以上も取る書籍で、こんな初歩的な誤植を残しているのはちょっと信じられません。
Max Weber im KontextのCD-ROM版は正しい表記でした。大体、このCD-ROMに結構誤植があると聞いたので全集版を校正のため買ったのですが、これでは逆です。

「中世合名会社史」がこれまで日本語訳されてこなかった理由についての私見

ヴェーバーのこの「中世合名会社史」が翻訳されてない理由について、Webを検索していて出てきたのが下記の文章。このtono-taniさんがどういう方なのかはまったく存じませんし、ブログにも情報はありません。
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tono-tani

2011-02-04
特集「ウェーバーの超え方」(『季報唯物論研究』113,2010/8)について

https://tono-tani.hatenadiary.org/entry/20110204/1296781899


「ウェーバーの超え方」というのなら、ウェーバーの学問の方法を把握しなければならない。周知のように、ウェーバーの学位論文『中世商事会社史』は、翻訳されていない。というより、未だ翻訳が出来ないのである。論文で引用されている史料が、読み切れないのである。つまり、ウェーバーの理念型は、しゃれではなく、単なるアイデアではない。未だに邦訳がなされ得ない実証的研究などに基づいて構築されたものであるということを言いたいのである。
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私はこのコメントに対して色々と疑問を持ちました。

(1)「論文で引用されている史料が、読み切れない」
通常ある論文を翻訳するのに、その文献表に載っている参考文献に全部目を通し理解する必要性は、何か翻訳上の問題とか疑問が出て来ない限りありません。ヴェーバーが本文中で引用している各種ラテン語または俗ラテン語、一部イタリア語・スペイン語の文献の量は元の文献全体に比べるときわめて限られており断片的な引用に過ぎません。確かに俗ラテン語は古典ラテン語に比較すれば色々と破格で読むのが大変なのでしょうが、「読み切れない」というレベルのものとは思えません。また参考文献として橋本寿哉著の「中世イタリア複式簿記生成史」とか、ヨーゼフ・クーリッシェル著、伊藤栄訳、諸田実訳の「ヨーロッパ中世経済史」といった書籍を取り寄せ中ですが、そうした書籍も当然同様の史料を取り扱っている筈であり、ヴェーバーのこの著作だけ著しく翻訳が困難、ということはあり得ないと思います。そもそも欧州の歴史を学ぶのであれば、ラテン語の知識は最低限古典ラテン語だけでも必須だと思います。(写真は「中世イタリア複式簿記生成史」のP.304にある1460年のミラノ・メディチ銀行の借方残高表。手書きのイタリア語です。{クリックで拡大}ヴェーバーもイタリアのある家の遺産の分割協議の書類を解読していますが、それがヴェーバーだけの高度な文献調査とは思いません。)

また、私も参照している英訳は既に2003年に出版されています。その中で引用部はすべて英訳されていますから、これを利用して日本語訳をすることは、まさに今私がそうしようとしているように、出来ないことは無い筈です。またこの英訳の中のラテン語の訳は、多くが既に英訳された別の出版物からの引用で、訳者のLutz Kaelberが自分で訳している箇所はそう多くないと思われます。また、ラテン語が出てきたら訳せない、というのであれば、「古代社会経済史」なども訳せないということになり、おかしな議論だと思います。

(2)「ウェーバーの理念型は、しゃれではなく、単なるアイデアではない。未だに邦訳がなされ得ない実証的研究などに基づいて構築された」
これはある意味買いかぶりが過ぎると思います。序文でヴェーバーが述べているように、この論文でヴェーバーが準拠しているのは、直接の1次文献ではなく、大半が既に誰かの手により編集された印刷物であり、いわば1.5次史料のレベルです。また少なくともその多くは英訳が存在していることがKaelberの英訳を見れば分かります。ヴェーバーが序文で言及しているラスティヒの著作のように、手書きの本当の意味での1次史料も横断的に調査し、30年近い年月をかけて調査したものなら「実証研究」と堂々と言えるでしょうが、ヴェーバーの研究は当時の歴史学派の研究の中で「実証性」という意味ではレベルは決して高くないと思います。(博士号論文という時間的な制約の中ではそうなるのはある意味仕方がないと思いますが。)いわゆるテキスト・クリティークもまったくやっていないと本人が断っていますし。私はこの論文の価値は実証性よりも、むしろ歴史的素材に対するヴェーバーの解釈だと思います。

これは私のまだ思いつきレベルですが、この論文が日本語訳されていない最大の理由は、ラテン語文献のせいなどではなく、大塚久雄がこの論文に対して、おそらく十分に読むことなく否定的な評価をくだしており、それが大塚の後継者にも拡がったからではないかと想像します。また、大塚久雄はドイツの歴史学派全体を否定的に見ていたようです。大塚がこの論文をきちんと読みこんでいないのでは、と推定した理由ですが、「株式会社発生史」には、「ソキエタス(合名会社)」という、ソキエタスを合名会社と同じものとする記述が多く出てきます。ヴェーバーの論文はそもそもソキエタスから合名会社が発生する過程を解明しその違いがどうやって生じたかを記述したものであり、それをきちんと読んでいたら「ソキエタス(合名会社)」のような乱暴な表現はしないと思うからです。一般に現在百科事典等でもソキエタスを「合名会社」と訳している例は見つかりません。訳すのであれば「組合」です。