III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.213 – P.218 日本語訳 (20)

日本語訳の第20回目です。かなり議論の中心点に入ってきていて、合名会社や合資会社における「無限責任」「有限責任」という考え方のせめぎ合いが、家ゲマインシャフトの「共通財産」との関係でどのように成立してきたのか、という話になります。
余談ですが、私はこの日本語訳において、なるべく原文に忠実な順番を守ろうとしています。何かというと、Es ist sicher, daß …というドイツ語文の通常の日本語訳は、「~ということは確実である。」となり、最初に来ている”Es ist sicher”の部分が最後に訳されています。これは日本語としてはまったく自然ですが、問題となるのはdaß以下が非常に長くなる場合で、ヴェーバーの文章はほとんどそうですが、ネイティブは最初に”Es ist sicher”を読んで、ヴェーバーが結論としていることをあらかじめ分った上で以下の文を読んでいけます。これに対して「確実である。」を最後に訳すと、日本語の読者にとっては、ヴェーバーの結論が何なのか最後まで読まないと確定しない、ということになります。これは読解の上でもまた私にとって翻訳作業においても、あまりよろしくないと考え、「次のことは確実である。つまり~」といった訳にしています。この訳し方だとやたらと「つまり」が出てきて却って読みにくいというご批判もあるかと思いますが、今の所最後までこの方針で行ってみるつもりです。
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2.構成員の個人責任

 (個人の成員の債務に対する強制執行がその成員の所属する家の総体に及ぶという)こうした考え方は、また共通の財産それ自身の責任(債務)でもあったし、そしてそれぞれの構成員のお互いに共通財産における自分の持ち分に対してだけの責任(債務)でもあった。しかしそれはある一人の成員の債務が他の成員にも連帯保証人として及ぶという直接的な関係にまでは至っていなかった。

 (共通の財産への責任とそれぞれの成員の共通の財産の中の持ち分についての責任との)この二つの違いについては、ベルガモのStatuti del paratico e foro della Università de’ mercatanti(1479年校訂、中身はもっと以前に記述されたもの、1780年版)の中に明確に規定されているのを見出すことが出来る: c. 92: … quod patres et filii masculi … et fratres stantes ad unum panem et vinum … talium fugitivorum teneantur et obligati sint creditoribus in solidum et contra eos procedi possit … realiter tantum … sed si intromiserint se de negociatione, tunc … teneantur sicut eorum ascendentes pp.
(父親とその男の子供達…そして一かけらのパンと一本のワインを共にする兄弟達であるということ…そのような逃亡者達については、責任を負わされ、債権者に対して全体で義務を負わされ、債権者に対して訴えを起こすことも可能であり…そしてただ実際には…しかしもし彼らがある業務に従事するならば、その場合…彼らは彼らの年長者と同様に責任をおわされる、等々。)
つまり:あるゲマインシャフトの成員の債務はそれ自体として債権者に対して他の成員にもその債務を負わせるでのはなく、ただ「実際上は」共通の財産に対してその債務が課されるのである。

 我々にとってここでまた問題なのはそういった債務が個人の責任になるかどうかということである。氏族の構成員の責任は次のようなものであり、またまさにそのようなものとして後に(この論考で)示される。つまり、それは家を共にする仲間(ゲノッセン)の責任であり、更に後の合名会社のそのもっとも初期の形成においては、常に合名会社の社員(socii)の責任だったのである。

 そのことはしかしながら、このような個人的な責任を(他の)構成員との関係において直ちにゲマインシャフトの財産に基礎付けることを認容するのでは決して無い。とりわけSohm《Gotthold Julius Rudolf Sohm、1841~1917年、ドイツの法学者・神学者・協会史家》がつい最近 32)《1888年12月22日》出版したばかりの論考《Die deutsche Genossenschaft》において、これらのゲマインシャフトをその基礎としている合手の原理《合有という形の共同所有で、各成員はその持ち分を自由に処分出来ず、利益も損失も共同で分かち合い、その共有団体が解消される場合にのみ各成員にその持ち分が分配されうような共有の形》から構成員の「債務ゲマインシャフト」という概念を、経営ゲマインシャフトへの相関概念として導き出す場合には、この箇所における合手概念の利用については経営ゲマインシャフトと対抗するような試みをすべきではないと考える 33)。そこにおいては(Sohmは)まず第一に論理的にはしかしながら次のことを仮定しているかのように見える。つまり、債務ゲマインシャフトが、丁度経営ゲマインシャフトと同様に、共有であった財産と同時に(共有財産が成立した)その後に共有になった財産にまでも及ぶということである。しかしながら連帯責任というものはそういったもの(債務ゲマインシャフト)よりも根本的に更に上位のものなのである。更にSohmが合手制における構成員に「構成員としてその者に帰属する管理権」を行使させるとする場合には、そのことは我々の例に適用すれば、後代のそして今日の合名会社においての共有の財産に対しての負債ということを解明するのに利用可能である。しかしそれにもかかわらず、これから試みる説明は正当であり、そこでは「業務上」締結された契約に対する責任への制限が、なるほど物事の本質における必要不可欠な、しかしようやく歴史的に発展して来た古き時代の無制限の責任への制限を意味するということである。とするならば、これらのより古い時代の法の状態についてのそういった定式化が可能かどうかと言う検討は、後の時代における歴史的根本原理を考慮していないと考えられる。(その際に不法行為についての責任はどこへ行ってしまったのか?)そういった(債務ゲマインシャフトのような)定式化は全くのところ個人における連帯責任が問題にされる限りにおいては、次のような考え方と相容れない。つまりある「管理する」権利についての論理的な帰結としてはただ、管理された財産についてのみ成立し得る 34)という考え方である。次のことには留意すべきである。つまり家計ゲマインシャフトにおいては、たまたま成立していた共通の財産も、またその家計ゲマインシャフトと共に古い時代から結成されていた労働ゲマインシャフトも、共通の業務を一緒に執り行う 35)ゲマインシャフトでは無かったのであり、標準的であったのは実際の所「個々の権利に基づくような」と言うべき関係だったのであり、そしてそういった契機は後の時代における今日の合名会社の形成に至るものとして再び見出されるのであり、本質的に合資会社に対置されるものを形成するのである。

32)Die deutsche Genossenschaft, “die Festgabe für Windscheid“から。《Bernhard Windscheid、1817~1892年、ドイツの法学者でドイツ民法典の起草者の一人》

33)最終章(第6章)を参照せよ。

34)SohmのP.30を参照:「これらの(他の)成員の財産の持ち分も処分出来るという権利。」

35)このことは同時代の法学文献における見解でもあった。BaldusのConsilia III. 451.

家の構成員の責任の源泉と発展

 家の構成員(ゲノッセン)の個人的な責任は今や文献史料においては多かれ少なかれ犯罪に関連した破産の事例と結び付くようになる。次のことについては除外されるのではないし、また―何かよりはっきりした事は肯定的な面でも否定的な面でも述べることは出来ない―それはつまり次の事に関してのわずかな蓋然性を語っているということであり、それは相互に姻戚関係にあった頃の記憶は法形成に影響を与えたのであり、またそういった法形成を容易にもしたと言う事である。しかしそれはまたそれ以上のものでも無い。(法形成の)発展それ自身は疑いも無く氏族的な考え方の外側で成就したのであり、そしてなるほど、姻戚関係という契機がもはや統一されたものでは無くなって初めてある役割をようやく演じたのである。ある特定の考え方は「他の物から現れ出た」のではなく、他の物を置き換えたのである。氏族社会的なゲノッセンシャフトの位置におけるゲマインデ関係(地域的な共同体)におけるように、近隣関係を基礎とする地方における耕地ゲマインシャフトというものが登場して来たのであり、そうした耕地ゲマインシャフトというものは、植民の場合においてはおそらく規則的に近隣関係と一つのものであったのであり、それ故にここにおいて家族の位置していた場所に、業務を主とする暮らしにとってもっとも重要な財産法的な特性、つまり共通の家計と業務ゲマインシャフトが登場してきたのである。より新しい原則が古いものから発展したのだということは、証明することが出来ないし、変化した部分について適切にその特徴を述べることも難しい。Vicus(古代ローマでの村)はおそらく決して氏族関係による構成員(ゲノッセン)だけを包含していたのではないし、共通の家計は確かに氏族関係に先行するただ一つの関係では決して無かった。そこでは確定されたある土地への定住と農業経済のやり方が、このやり方という点ではゲマインシャフトでの業務を主とする暮らしが諸都市において自らをはっきりと形作ったように、異なったかつ新しい原則が、その原則はその本質においては古い原則から原理的に差別化を図ったのであるが、古い原則を置き換えたのである 36)。

36)Lastigにおけるこの関係の形成の説明は、私には全くもって受入れ難いように思われる。

 さて家の仲間(ゲノッセン)の責任というものがより古い法においては原則的に無制限であったということが、一般的に諸都市の法規における法の発展の方向を常にそういう責任を制限する方向にするという結果に導いた。法においてそういう制限が設けられているということは、そのような制限が実際に家の仲間(ゲノッセン)同士の関係においても存在したということである。古き時代におけるある仲間(ゲノッセン)の他の仲間(ゲノッセン)に対する完全な責任は、原始的な商取引や信用関係においても疑うべきもなく存在していた。当時において、後の時代に先行して現れて来ていた個々の成員を拘束するということは、同じように自明なこととして、それぞれの成員が家共同体の共通の勘定について責任を持つということになった。それは今日において家長である父親が、家のメンバーが使った小売人や手工業者に対する代金を、ぶつぶつ言いながらあるいは黙って仕方なく支払うようなものである。そうした生き方の帰結としての共通の成功や破滅ということは、ある一人の成員の契約(の責任)が他にも及ぶということである 37)。

37) Constitum Usus Pisene civitatisは家ゲマインシャフトを次のように定義している:”si de communi in una domo vixerint et contractus et similia communiter fecerint, sive absentes sive praesentes, sive uno absente, altero praesente etc.” (もし彼らが一緒に一つの家に住んで契約及び同様の協定を取り交わした場合、またはある者が不在である者が居た場合、または一人が不在で他の者は居る場合、等々。)

 より古い時代の法に対する意識において、原理的に異なっている二つの考え方、つまり共通の財産それ自身の責任と、全ての構成員(ゲノッセン)の責任とを常に区別すること 38)は困難であると認めざるを得ない。この二つの区別は、財産ゲマインシャフトが本質において完全なものである限りにおいては重要性が低かった。これに対して―構成員(socii)の間よりもむしろ外部に対する関係において―次のような困難が生じてくるのが不可避だった。つまり、信用の意義が増大して来た時に個々の成員が債務によって拘束されることは、次のような性格を持つことになり、つまり当該の成員に債務について責任を取らせることは、もっぱら共通の家計という原則においてはしばしば不当なものと見なされるようになったということである。他方においては、当該のゲマインシャフトを業務を中心とする暮らしの中で信用の担保として使えるようにするために、まさにそのゲマインシャフトが無条件の責任を持つという形で対応したのである。こういった信用の担保としての利用は、また個々の成員の持ち分全額までへの責任の限定という場合において―それは普通当然と見なされる考え方であるが―放棄されることになったかもしれない。信用の担保として利用することの方が利害の上でより重要であった場合には、(無制限の)責任ははっきりと確立される必要があった。法の発展において、このような立法上の問題点は一体どのように解決されたのであろうか?

38)この点についての法学上の解釈が存在していた限りにおいては、後者(全ての構成員の責任)が全社(共通の財産についての責任)からの法学的な帰結として考察されている、例えばBaldusのConsilia V 125: ソキエタスの構成員(socii)は拘束される、何故ならcorpus societatis(ソキエタスの体)、つまりゲゼルシャフトの財産が拘束されるからである。