ローマ土地制度史-公法と私法における意味について」の日本語訳(43)P.248~251

「ローマ土地制度史―公法と私法における意味について」の日本語訳の第43回です。
生成AIであるChatGPT4oは、ラテン語の翻訳において便利な下調べツールとして有用なだけでなく、時として辞書代わりにもなります。ラテン語をドイツ語化した法律用語はほとんどの場合独和辞書には出て来ません。またググっても使用例は確認出来ますが、なかなか意味まで探すのは大変です。
例えば、
1.Litisaestimation
私:ローマ法の強制執行に関係した用語だと思いますが、Litisaestimationとはどういう意味ですか?
ChatGPT:
Litisaestimation(リティスエスティマティオ)とは、ローマ法において、訴訟対象の価値を評価・見積もることを指します。この用語は、主に訴訟における賠償額や義務履行の代替価値を決定する文脈で使用されます。

文脈と意味
強制執行の過程での評価

訴訟の中で、被告が原告に対して義務を果たさない場合、裁判所は義務履行の代わりに、損害賠償金としての金額を算出する必要があります。この金額の評価が「Litisaestimation」です。
例えば、不動産や財産の引渡しが物理的に不可能な場合、または拒否された場合、その対象物の金銭的価値を訴訟の一部として評価します。(以下略)
2.Strafsponsion
私:ドイツ語でStrafsponsionとはどういう意味ですか?そのまま解すると刑罰の誓約になりますが。
ChatGPT:
ドイツ語のStrafsponsion(ストラーフスポンシオン)は、ローマ法の文脈で特定の意味を持つ法的概念です。この用語は、特に訴訟手続きに関連する誓約や担保を指します。

具体的な意味
Strafsponsionとは、訴訟当事者の一方が不法行為を行った場合に、その違反に対して課される罰金や損害賠償を担保するための誓約または保証金を意味します。この誓約は訴訟手続きでプラエトル(裁判長)が要求することがありました。
(以下略)

といった具合で、単なる訳だけでなくかなり突っ込んだ背景まで含めて答えが得られます。
この日本語訳をスケジュール通り進めていく上で非常に役に立っています。
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そういった税額を維持しようとしたことと、個々の土地区画の種別が非常に容易に変更されるものであったということは、矛盾しているように思われる。更に言えばこの時代の法学の文献が “tributum soli”[土地税]について言及している箇所では、今指摘したことは次のような形で現れている。つまりは土地税というのものが、個々の具体的な土地区画に対しての固定された公課という前提で扱われているように見える、ということである57)。

57) 学説彙纂のD. 39、§ de legat[is] I, 30。それについて新カルタゴの碑文 C. I. L., II, 3424, によれば、ある者が神殿を建てようとした時に、総督補佐官の指示に従い、(5%税としての)20デナリウスの金額または土地税(つまりある固定額の)の控除無しにそれを行っている(モムゼンの同箇所への注釈を参照)。Vectigal と土地税は引用した学説彙纂の箇所では並記されている。この2つの対立については、vectigal の相対的に見て流動的な性格から考慮してみることが必要であろう。コンスタンティヌス大帝の統治下のフリギア≪小アジア中西部≫のナコレイアとオルキストゥス≪どちらもフリギアの都市≫の碑文が言及している tributum … ubertatis [土地の肥沃さに基づく土地税](C.I.L.,III,352)がまさしく、土地の価値によって固定額として定められた土地税に関することを確かに述べている。≪全集の注ではここは ubertatis ではなく libertatis(自由な) が正しいとされているので、ヴェーバーの推論は成立しない。≫同様の例として水道橋の側の土地に住んでいる者への土地税がある(p.348、ラハマン)。そしてまた D.42. 52,§2 de pact[is], 14 でも土地税が固定額の公課として扱われている。

最終的には税額の査定は一定の書式に基づいて行われ、それはウルピアーヌスが描写している(D.4 de censib[us])通りであるが、そこにはっきりと注記されていることは(前掲書§1)、ワイン用ブドウ畑とオリーブ栽培畑を――それらがもっとも高い地代を課されたカテゴリーであったが――それより低い地代のカテゴリーに変更する場合には、何故その変更が必要なのかについての十分な理由付けが必要であり、そしてそれは税査定官に対して良く説明されねばならず、そうでない場合はその変更申請は却下された。それによって税額が低くなる土地利用方法の変更の際には、それはただ relevatio [救済]または peraequatio [税の不平等の是正]という行政措置を利用してのみ可能であったが、それについてはすぐこの後で更に論じることになる。土地の利用方法の変更の結果としての、その土地の課税カテゴリーの高い方への移行に際してはしかしながら、徴税担当官は税の引き上げの実施を peraequatio による全体の税の見直しの機会まで待ったりはしなかった 58)。

58) どのような事情があろうと、それ故にこの種の土地税(他の全ての土地税と同じく)は、それがあまりにも実態より高く査定されていない限りにおいては、ともかくもそれはその耕地において行われている耕作を維持させるために手段だったのであり、というのも全体の税額が同じままで耕地を拡張することは、相対的に見てより多くの場合認められていたからである。この視点はハイスターベルク≪Bernhard Heisterbergk、1841~1898年、ドイツの古代史家、古典文献学者≫が適切に指摘しており、次のことは疑いようがない。つまり特にアフリカに関しての彼の本質的な視点である、収穫物に対する一定割合の現物貢納が、同地における穀物栽培をもしこの課税が仮に行われていなかった場合よりもより強固にしたに違いない、ということであるが、いずれにせよこの視点は非常に注目に値するものであるが、しかしまたコロヌス≪ローマ末期に現れて来る隷属的小作農民≫の制度の発展にとって本質的なものであったか、という点については、私は一般論としてそうは考えない。

添付の図面1のアラウシアの碑文[地図]の中に事実上、私にはいずれにせよ非常に確からしくそう思われるのであるが、割当てられた土地とそのそれぞれに課税合計額が記載されているとするならば、その場合そこから導かれることは、その課税額は常に固定されていた、ということである。ある特定の土地区画である特定のカテゴリーの耕作が行われているものに対して土地税を固定するという傾向は、土地税を変更する全ての理由を除外して考えると、全くのところ一般に安定していたものであり、またその傾向はゼノン≪東ローマ皇帝、在位474~491年≫の法(C.1 de j[ure] emph[yteutico] IV, 66)からも生じており、それに従って土地区画を(永代賃貸地に)転換する際の土地税の免除の根拠付けとして使われていた。その当時においては土地税の固定は既にそのずっと前の時代から一般的なものとして確立していたに違いない。それに適合していることとして既に皇帝スカエウォラの時に土地税を支払わなかったことによる法的な結果としての税徴収の資格を持つ者によるその土地区画の競売(D.52 pr. d[e]a[ctione] e[mptio] v[enditi] 19,1)が起きており、それ故に強制執行は≪ローマの中で≫統一的に実施されるように≪制度的に≫整備されていた。それと並んで C.Th.1 de aquaed[uctu] 15,2 (320年のもの)において見出すことが出来ることは、水道周辺の土地に義務として課されている清浄維持義務を果たさなかった場合のその土地の差し押さえである。しかしこちらは古い法により多く依存している。

公有地の所有状態の法的性格

我々はここまで次のような劣位の権利しかない所有状態について語って来た。それは国家の公有地を利用するという形で発展して来たものであり、そしてこの性格をたとえ個々の場合でかなりの程度変更が加えられた場合でも、本質においては保持していた、ということである。そういった所有状態のゲマインシャフトという観点から見た法的な特性は、一般的に言うならば、ただ否定的な方向に作用した、ということである。既にここまで次のことを見て来た。クイリテース所有権の欠如によってこの所有状態はケンススから、また握取行為[Akten per aes ut libram]からも根源的な原則として除外されただけでなく、またその他の私権に基づく譲渡行為や物権一般からも除外されたのである。その例外は占有そのものに関することが問題になっている場合と、そういう所有状態の一部となっている、ある地域の地所全体をまとめて獲得する場合であった。

行政上の手続き

今挙げたような様々な除外と同様に、それと関連する正規の法的手段からの原則的除外について既に色々な角度から論じて来た。訴訟の争点が占有に関することでない限りにおいては、そういった所有状態についての争い事に対して権限を持っていたのはただ行政当局の判断だけであり、従ってそういう争い事は「特別審理」[extraordinaria cognito]の領域に属していた。どういった官吏がその時々にそういう権限を与えられていたかについては、ここでは詳しく論じない、――グラックス兄弟の改革の時の三人委員会や643年の土地改革法の時の二人委員会のような特別な権限を与えられた者ではない限りは、それはその時々に暫定的に作り出されたのであり、一般的には部分的に監察官の権限であり、また別の部分では上級官吏、つまり執政官の権限として与えられていた。属州の長官の場合はこの二者の権限が一人の人間にまとめて与えられていた。ここにおいての違いというのは管轄権の範囲の違いであって、手続きの進め方の違いではない。これを理解することは非常に重要である。

というのはこの権利状態の正規の法的手段からの閉めだしは modus procedendi [契約の進め方、契約当事者の双方の義務]に関して大きな意味を持つことになったからである。特別審理[extraordinaria cognito]については、その特徴は全くもって単に訴訟手続き及びそれに関連した手続きだけが欠けている、ということではないのである。特別審理におけるこうした欠如は概して言えば不可欠なのにもかかわらず許されていなかった、ということではなく、ただ無くとも問題にはならない、という性質のものであった:また行政上の審理について決定権を持つ官吏は、その審理を陪審員に対して委託する命令を出すことが出来た。我々にとってより重要なのはひょっとするとこの手続きのもう一つの特性:現物に対する強制執行の可能性、であろう。

現物に対する強制執行

行政上の審理において決定権を持つ官吏はまた、法廷での決定に不服な者に対して、ただ罰金刑の宣告のみに留めることも出来、それは民事裁判での罰金刑の宣告に相当するものであった。しかしそういった官吏は疑いなくまたその宣告において現物で執行することが出来、つまり係争の対象になっていた土地区画を敗訴した者から取り上げ勝訴した者に与えることが出来たのである。特別審理においてこういった現物での処置が本質的なものであったことは、疑いの余地が無い。現物執行は地方総督の管轄となる訴訟においても完全に無くなることはなく、またそういった訴訟に先行して法で規定されている事例 59)とは違い、特別訴訟[Prozedur extra ordinem]の性格を事実上持っていた、ということも無かった。

59) D.2,§8 testam[enta] quemadmorum] 29, 3 (“omnimodo compelletur”); D.3,§9 de tab[ulis] exh[ibendis] 43,5 (“coërceri debere”); D.1,§3 de insp[iciendo] ventr. 25,4 (“cogenda remediis praetoriis”); D.5,§27 ut in poss[essione] leg[atorum] c[ausa esse liceat] 36,4 (per viatorem aut officialem); D.3,§1 ne vis fiat 43,4 (extraordinaria executio); D.1,§1 de migrando 43,32 (“extra ordinem subvenire”).

その際に扱われているのは本質的には審理を主導している者の判断に基づく執行である;それに対して特別訴訟や一般的な行政訴訟における手続きとしての現物執行は規定を設けてそれに則る形で行われていた。監察官は確かなこととして、次のことを必要であるとは認めなかった。つまり国家の賃貸人が土地を奪った方からその土地を取り上げ、代償として金銭で弁済する、ということで、そうではなくて監察官が出来たことは、国家の賃貸人に倒して≪土地を奪われた方に≫別の地代付きの土地を割当てさせることであった。グラックス兄弟による土地割当てにおいては、土地区画の譲渡不可という状況では執行は争いとなっている土地の価額の金銭での見積もりという形で、それは訴訟の目的を部分的に無効にさせる≪土地そのものは諦めさせるという意味で≫のと同じことを意味していたのかもしれない。controversia de territorio [領土を巡る争い]においては、それは同様に特別審理という形で決着を付けられたが、それについては碑文によれば執行が現物で行われた 60) ということが確認出来る。

60) C.I.L.,X, 7852 とそれに対するモムゼンの Hermes ≪当時の古典研究の雑誌≫II の注釈参照。

この現物執行ということは、その対象がまず第一に場所[locus]であり、一定の地代を課された、課税される、等々の全ての所有状態の土地に対して行われていた。面積[Areal]についても現物執行は有用なものとして扱われた。というのはそれは丁度、本来はただ場所についてのみ占有を保護する禁止令が、その強権的な罰金支払い誓約≪訴訟においてどちらか一方が判決で宣告されたある義務を果たさなかったり、あるいは違法行為を行った場合に罰金を支払うことを訴訟開始前に誓約すること≫などの威力も利用して、現物執行に近付こうとする努力と、現物での解決について服従を強いるということから発生して来たように、そういった事情は面積についても同じであったからである。訴訟手続きの更なる発展については、この現物執行はしかしながら大きな意味を持っており、というのはほとんどの属州においての土地区画は劣位の権利しか持たない状態で占有されていたからであり、物的訴訟においての現物執行の許容は時が経つに連れ共通の法≪ユス・コムーネ≫として扱われるようになり、それはウルピアヌスの D.68 de r[ei] v[indicatione] (VI, I)で既に見て来た通りである。

以上述べて来たことは大法官がこのような所有状態に対して、通常の裁判手続きに基づく訴訟を許可した場合は、当然のことながら事情が違っていた。しかしながらそういうケースで知られているものは無い。所有権という点において本来の≪クイリテース≫所有権の次に来るグラックス兄弟による土地の割当て自身が、法的な処理という点で、既に注記したように、彼らからして見れば管轄外だったのである。また擬制的な規定が作り出されたかどうかについても知られていない。