「ローマ土地制度史―公法と私法における意味について」の日本語訳の第44回です。
ここでは中世において盛んになる Rentenkauf (地代徴収権の売買)の萌芽がローマにおいて見られる、という私には非常に興味深い箇所です。Rentenkauf は中世においてはキリスト教会による利子禁止の回避手段として使われ、お金の貸し借りではなく、あくまでも地代を徴収する権利の売買として禁止の対象から外れました。しかしその代わり、借りた方は永久にレンテ(定期支払い金、地代)を払い続ける必要があります。ローマでは地代=税=利子が流動的な関係にあって、ゲマインデが土地を利用して資金(税金)を得る手段として使われたことが論じられます。
個人的には、この Rentenkauf については色々思い入れがあり、大学の卒論で研究したドイツの第1次世界大戦後のハイパーインフレを終息させる手段として発行された有名なレンテンマルクもまさしくこの Rentenkauf の仕組みを利用したものでした。また、そもそも「中世合名・合資会社成立史」を訳したのも、そこで Rentenkauf が論じられていたのがきっかけの一つです。
===================================
ただまだ論じていないケースに該当する所有状態についての、正規な手続きに基づく物権訴訟が後になって現れてくるが、このケースでは国家が関与するものではなくて、諸ゲマインデが関与していた劣位の権利を持った所有状態であった。
ムニキピウムによる Ager vectigalis
それは “si ager vectigalis petatur” [もし賃貸借料が課されている土地に対してその占有の取り消しが行われたら]≪法規の中の章名≫という場合においての形式である。この形式はレーネル≪Otto Lenel、1849~1935年、ドイツの法学者、法制史家≫によれば、疑い無く次のような場合においての耕地の占有を回復することに該当する。それはつまり貸借地あるいはむしろ永代貸借地であったものがゲマインデによってそれを取り消された場合であると。このケースについては後でより詳しく検討することにするが、というのもイタリアにおいてはいずれにせよ疑い無く、同盟市戦争の後ではローマ国家が認めた貸借人というものがもはや証明不能になり、アフリカにおいての ager privatus vectigalisque の資格証明はともかくも疑わしき状態に留め置かれたのであり、それ故にこの形式による手続きが、ローマ法が改正された時代においての、永代貸借権の全体の状態を明らかにする唯一のやり方だったのである。
以上述べた形式の行政法的な起源については、ここにおいて疑いようがない:どのような私人もこういった永代貸借権を与える側になることは出来ず、このやり方の制度化はそうではなくて国家の大権に基づくものであり、諸ゲマインデにおいてはそれは昔の国家主権の遺物と見なされていた 61)。
61) しかしながらまた、市民植民市もまた永代貸借権を賦与する側になることが出来たが、それについては既に注記した通りである。――Leibrenten≪一生支払い続ける義務のあるレンテ=定期支払い金≫で一まとまりの fundus に対して課せられるものも、また個人に対してのものとしても制度化出来ていた、参照:D. 12. 18 pr., 19 pr. de annuis 33, 1、C.I.L., V, 4489。しかしながらその類いの永久レンテは実際には存在しておらず、無期限のレンテの遺贈もそういった形では存在しておらず、ただ終身レンテの信託遺贈のみが行われていた、D. 12 前掲部参照。
諸ゲマインデはこの ager privatus vectigalisque の制度を彼らに元々帰属する土地として利用するのと同時に、ローマ国家の公有地から彼らに譲渡された土地として――しかも常に無期限にそうされたものとして――利用した。
ゲマインデの税とゲマインデの財産
ローマ領内の個々のゲマインデがどのようにしてそれぞれの必要物を調達していたのか、その方法については周知のようにほとんど知られていない。その構成員の大部分が夫役制への移行へと追い立てられ、そこに一方ではそのゲマインデに所属する人員と、他方でその人員と一緒に働いている家族や奴隷も引き入れられた、ということを、スペインにあったカエサルによって建設された市民植民市のウルソ 62)≪セビリア東方100Kmの所にあった、現在のオスナ≫の碑文として残されている法規から知ることが出来る。
62) Lex coloniae Genetivae, Ephem. epigr.≪Ephemeris Epigraphica、ヴェーバーの当時古代の碑文の解読を集めた雑誌≫ II, p.221f., c,98. 99。
そこにおいては、割当てることが認められた週あたりの夫役の日数は一人あたりが5日、1ユゲラの面積あたりでは3日と定められていた。こういった夫役と並んで、その夫役ではカバー出来ない需要について、先行して金銭による賦課も行われていたことは、同様に確実である 63)。
63) キケロ、Del. agr. ≪De Lege Agraria contra Rullum≫2, 30, 82, Verr. ≪In Verrem≫IIの53, 131, II, 55, 138, Pro Flacco の 9, 20; 更に C.I. 10. De vectig[alibus] IV, 61。
更に知られていることは、諸都市においての貧民救済施策≪ローマでは共和政末期から帝政期に、貧民に小麦を安価で支給した、いわゆる「パンとサーカス」政策。≫は、土地所有者に穀物の備蓄をさせ、それを特価で提供させる、という形で行われており 64)、あるいは現物貢納という形でも先行して行われていた 65)、ということである。しかしこういった賦課、特に金銭賦課がどのようにして徴収され、またどのような原則に基づいていたのかということについては知られていない。しかしながら古代の諸都市は中世の諸都市と次の点は共有しているように思われる。つまり全てのこういった直接税は都市の予算の均衡を作り出すための特別な手段という性格を持っていたということであり 66)、この関係でそれらの直接税は都市による借款に等しいものであり、ひょっとするとローマにおいてそうであったように、強制的な公債として通用していたのかもしれない。
64) D. 27, §3 de usufr[uctu] は属州による穀物の購入に相当する。
65) キケロの Verr. III, 42, 100 (ここではローマに支払うべき公課を補完するものとして)
66) このことに該当するのは、それがもしゲマインデに対する課税について扱っている場合は、徴税官の時限的措置である l. 28 de usu 33, 2 の箇所である。
いずれにせよこうした直接税が結果としてもたらしたものは、我々の把握するところでは、ゲマインデの財産を出来る限り吸い上げる結果として税額を非常な程度まで増大させようとする動きが各所で熱心に行われていた、ということである。間接税、とりわけ関税・通行税は、それらは土地の所有の結果として生じるものとして捉えられるが、ここでは詳細に論じず、ただ諸ゲマインデのレンテ収入のみを扱う。――中世の諸都市においてはそれらの財産の管理において、高度の、部分的には天才的と言ってよいほどの業務と権利の形態を創造したことが記録されている。その中でも特に不動産を活用したレンテ≪定期的に入って来る不労所得≫の業務を発展させ、それは相対的に見て安定した公債制度を作り出したという観点で理解されるべきである。ローマの領土内で諸ゲマインデが財政をどのように運用していたかについてはほとんど知られていないが、しかし次のことはそれでも確かである。それはこのレンテを利用した収入の手段の運営という意味では、相対的には非常に遅れていた、ということである。
レンテ業務
ローマの諸ゲマインデにおいての公債制度はおそらくは大部分はレベルの低いもので 67)、諸ゲマインデは確かに能動的なレンテ業務を発達させたことはさせたが、それはまだ非常に原始的なものであり、つまりはただの賃貸しであり、まだレンテ≪地代の徴収権≫そのものが売買の対象とされる段階には至っていなかった。
67) 小アジアの諸都市は、≪兵士への≫賃金を支払うことが出来なかった時に、高利貸しから資金を借りる羽目に陥った、(Plut. Lucull 7, 20)
通常のゲマインデの財についての賃貸権と永代賃貸借と並んで 68)ここで見出すことが出来るのは、土地区画を個人が経営している場合に、そしてその土地区画を地代を課すという形でその個人に≪正式に占有を認めて≫返還することが行われており、それはゲマインデの資金 69) という形であるか、あるいはひょっとしたら特定の公的なあるいは福祉目的のための永久レンテの形であり、その中でも特に貧困家庭に対して子供の養育費を援助するという目的であった 70)。
68) これらについては、たとえば D. 219 の de v[erborum] s[iginigicatione] では契約者による貸し出しの結果として成立すると説明されている。
69) 皇帝は総統とゲマインデの管理者に次のことを指示した。つまり以下について尽力せよということで、それは擬制的に投資されたゲマインデの資金が可能な限り元の債務者≪元々土地を使用していた者≫の手に残るようにする、ということである。≪永久レンテの設定は、本来なら資金をその土地の所有者に与え、それに対する永久の利子の支払いとして定期的に金を支払う、ということであるが、この場合資金の貸し付けは実際には行われておらず、土地の占有と使用を前のまま認めることがどの代替の方法となっている。≫D. 33 de usur[is] (32, 1)参照。
70) そのようにアティーナ≪ローマとナポリの中間に位置する都市≫の C.I.L., X, 6328 他はなっている。
帝政期においては中央権力の干渉が見られ、それはある観点では貧困者救済という利害関心によっての、資本の前払いという形で土地区画への利子を条件とする貸付投資を進めさせたということであり、それは福祉目的のためと定められていたが 71)、別の観点ではそれによってゲマインデの財の投資を監視しようとしたのである。
71) 知られているのはネルウァ帝≪在35~98年≫からアレクサンデル・セルウェルス帝≪在222~235年≫までに導入された離別された妻や私生児を扶助するための大規模な基金であり、それについての碑文としてはトラヤヌス帝≪在98~117年≫の時のものが2つC.I.L. に含まれている。C.I.L., IX, 1455、参照:デジャルダン≪Ernest Dejardins、1823~1886年、フランスの歴史家、地理学者、考古学者≫の De tab. alim. パリ、1854年。ヘンツェン≪Wilhelm Henzen、1816~1887年、ドイツの碑文研究家≫の arch. Inst. in Rom の1844年の年報。土地区画に課された使用料を財源とする基金の資金は低い利率で貸し出された。土地区画の所有者がこの課された使用料を免れることが許されていなかったことは、確かなことと見なすことが出来、それはまた別の点では低利率によって償還金額の合計額を一定の額以下に抑えるという効果もあった。
そういった形で部分的に土地の売却や永代貸借権の付与が制限され 72)、諸ゲマインデが独自に税を課すことも禁じられ 73)、また部分的に vectigal による収益は諸ゲマインデとローマ国家の間で分けられ 74)、その結果としてゲマインデからのその分の税収入が国家の税にとって追加分となったように見える。
72) lex. col. Genetivae c.82 では売却と永代貸借は5年以上その土地を借りてい場合にのみ許されていた。
73) セウェルス帝≪在193~211年≫とカラカラ帝≪在209~217年≫の c. 2 vectig[alia] nov[a] IV, 62。
74) テオドシウス帝≪在379~395年≫ウァレンティニアヌス朝≪ウァレンティニアヌス1世、ウァレンス、グラティアヌス、ウァレンティニアヌス2世の4人の在位の364~392年のこと≫での c.13 de vectig[alibus] IV, 61(1/3 がゲマインデに、2/3 が国家にとなっている)。
どのように税がゲマインデから国家に吸い上げられたかという権利の侵害については、後に論じる。ここではゲマインデから利子を代償として与えられた土地について詳細に論じることにする。
ager vectigalis の法的性格
まずは次のことは確かである。それは諸ゲマインデがそういった土地区画の本来の所有者であった、と認められていたということである。確かに、次のような時々には利子≪税金≫を徴収する権利はゲマインデの権利の対象であるように見える。その時々とは、スペインのムニキピウムの Cartimitatum≪Cartima、現在のスペインのマラガ近郊のカルタマ≫の女性司祭が “vectigalia publica vindicavit”[公的な賃貸料を取る権利を主張した]と述べている場合(C.I.L., II, 1956)や、あるいはウェスパシアヌス帝≪在69~79年≫によって作られたスペインのあるゲマインデがその賃貸料徴収の権利を行使していなかった場合(同資料の1423)、あるいはティスバイの住民が元老院決議によってその者達が持っていた賃貸料徴収権を今後も継続して持つことを認可されている場合 75)、またドイツ語の表現で文書によって呈示される利子について “von Eigenschaft wegen”[所有権を持つことによって(その権利として派生する)]もこのことに適合しているし、またポンペイにおいてある者がゲマインデに対して利子≪使用料≫を支払っていて、その理由が “ob avitum et patritum fundi Rhdiani”[祖父と父がRudhiani≪正しくは Audiani≫に持っていた土地のため]となっている場合(Nr.123のポンペイの税受領書、モムゼンの Hermes XII p.88f と比較せよ)などである。しかしながら、ゲマインデが利子徴収権を持っているからといって、そういった土地の権利状態が曖昧になっている訳ではない。
75) Eph. epigr. I, p.279f。
ある者が自分の占有する土地区画に永久レンテを設定しようと欲した場合≪その土地区画をレンテ売買の形で売却しようとした場合≫、その者はその土地区画をゲマインデに売却せねばならず、次にその者は土地をこの永久レンテという形での≪永久≫利子支払いという条件の下で≪自分の土地の実質的な使用権を≫取り戻すことになる 76)。
76) C.I.L., IX≪正しくはX≫, 5853. Plinius, Ep. I, 8, 10; VII, 18, 2。
これに対して永久レンテが設定された土地区画の所有者は、用益権は留保しつつもその土地自体の所有権はゲマインデに対して放棄するのであり、それ故に[元の]所有者はもはやその土地を譲渡することが出来ない、というのは既にゲマインデがその所有権者になっているからである 77)。
77) C.I.L., X, 1783のプテオリ≪ポッツオーリ、前掲の地図参照≫での例。