5. Die Landkommenda und die Kommanditen 残りと III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.189 – 193、日本語訳(15)

日本語訳の第15回です。いよいよ第3章に入り、ヴェーバーのこの論文における中心的な議論が出てきます。
またこれまでローマ法が中心ですが、ここではゲルマン法に関する議論が多くなってきます。ゲルマニストという言葉は日本では普通「ドイツ文学研究者」という意味で使われることが多いですが、19世紀のドイツでは、ローマ法とゲルマン法のどちらを近代法の法源として重視するかの争いがあり、ゲルマン法を重視する立場の法学者がゲルマニストと言われました。(反対はロマニスト。)ヴェーバーの法制史的なこの論文でも当然両方が取り扱われます。
元のドイツ語はここです。
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 我々にこれまでの考察によって、連帯責任の根本原理はこれまで扱って来た制度の中には見出すことが出来ないということが明らかになった。まさに陸上でのソキエタスの中で店舗(apotheka、注38参照)の経営の場合における(参加者の関係の)構造が全体的な権利関係を決定し、それと同時に次のような考え方を排除した。つまり経営のための基金の内全てかあるいは一部を出資した資本家が、その報酬としてただ利益の一部を受け取り、さらにまるであたかもその業務に対してお金を貸した債権者達に対して何らかの保証をすることを意図していた、といった考え方である。標準的なひな型として用いられた海上取引に関するソキエタスについては、ソキウス・スタンスの個人的な保証が、そのソキエタスの構造に対してそれと反するものになっていたのではないかということを、我々はこれまで既に確認して来た。

 我々が更に(ソキエタスの)特別財の形成についての何らかの契機を見出すことがあったとしても、しかしながらそれは我々がこの論文で探し求めている特別財差の根本原理としては扱うことは出来ない。(その特別財産形成に対しての)間接的な影響として見なし得るかどうかについては、ここではまだ保留としておく 51)。

 我々はここまでただ、海事法上のまたは海事法に依存する法的な制度のみを考察の対象として来た。そしてこれからは、内国におけるソキエタスの形態の研究に視線を移すことになるが、その内国の法においては常に、時間を節約するためにも、そういった法は海上取引との関係で言えばこれまで詳細に見て来た様々な法規とは異なり、原則的には無関係であると理解されるべきである。

51) 最終章を参照。

III. 家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト

共通の家族経済

 ある家族における父親とその妻及びその子供達の、または共通の家に住んでいる家族の内の、父親が亡くなった後の家族仲間の共通の家族経営というものは、最も古い(社会的な)関係の一つであり、その関係はゲマインシャフト的な生業を執り行うという目的をもったゲマインシャフトの財産の形成につながっていくことに間違いなく、また法的な規制の対象になるように見えるものである。

 城壁に囲まれた都市の中で、自立した定住のための土地と現金を得ることの困難さは、見知らぬ人の住居に家賃と引き換えに住む事へのよく知られた嫌悪感と結びつき、そのことはほとんど個人の自由の放棄と捉えられていたのであるが、家における世継ぎの息子と共同相続人に対し、共通の家を間仕切り壁 1) によって分割するか、一つの家に一緒に住むという家ゲマインシャフトの継続のどちらかの選択を迫ることとなった。前者の場合は、分割といっても当然限界があるが、我々はこれをイタリアにおいて見出す。その場合、当然のように見えるような田舎においての人間関係においてのみではなく、まさしく規則的に都市においても頻繁に事例を見出すのである。その場合、一方では結婚した息子達もまたその父親の家に留まっていたし、他方では相続人達が共通の家計を継続的に、しばしば何世代にも渡って維持したのである。

1) 実際の所、より古い法規においては、この種の家の分割は慎重に扱うべきものとして詳細に規定されている。例えば”Breve Curiae Arbitrorum V”、ピサ、c.4 (Bonaini編《Francesco Bonaini、1806~1874年、イタリアの歴史家・文献学者》の”Statuti inediti della citta dir Pisa”中)を参照せよ。

家族経済の財産法上の帰結。夫婦財産共有制(財産ゲマインシャフト)

 こういった家に関係する人間関係の財産法的な作用としては、今やゲルマン法の夫婦財産共有制(財産ゲマインシャフト)の一種と成らざるを得なかった。それは純粋に個人主義的な財産形成であり、家の主人の個人財産として子供達の、また共同相続人の集合体(communio)の要求権は存在せず、中世の法とはまったく異なっていた。

 家長はその子孫と一緒に住み、家ゲマインシャフトの財産に対する処分権を持ち、ローマ法との唯一の違いは、後に論じるように、ローマ法においては家長以外の家族仲間は父親の側にあって権利を共有する者としてはなく、せいぜい家長(paterfamilia)の個人財産として構成された家の財産の収入の一部についての受け取り人として考慮されるだけであった。これに対して、ゲルマン法では全ての家の構成員の要求権が根本原理として成立している。家の構成員は家長の権力によってなるほど本質的には拘束されていたが、しかしそれは全ての関係についてではなかった。家の息子の処分権は家の共通の財産に対しても及んでいた。共同相続人においては、彼らが(家)ゲマインシャフトを維持しているのであるが、各々ゲマインシャフトの財産について責任とまた処分権を与えられていた。ゲマインシャフトの財産は全ての共同相続人について、特にはっきりした原則的制限も無く、その時々の必要に供された。ローマ法のcommunioと対立する点は、今述べた考え方以外にも、個々の成員の要求権が独立していて外部と交渉可能な複数の客体への概念上の分け前として構成されていなかった、という所にも存在する。分け前に応じた共同の権利という考え方は、ゲマインシャフトが存在する間は、決して個々の成員への権利付与の尺度としては登場していなかった。個々の成員が必要とする物については、むしろその金額の大小に関わらず、前述《第1章の「ローマ法におけるソキエタス」》の通り、共通の金庫《arca communis》から一人一人の成員が支払う手間を取らせることなく支払われ、他方では同時に非常に特徴的なことは、個々の成員の利得の全体がその規模の大きさに関係無く、また個々の成員の持ち分に算入されることなく(ゲマインシャフトの共通勘定に)払い込まれるということである。収入も共通のものとして扱うということは、詳細に検討してみると、支払いにおいてそれぞれの持ち分から払うというやり方の欠如よりも、むしろはるかに驚くべきことである。-我々の今日における人間関係においては、次の事を当たり前だとみなしている。つまりある家の父親がその子供達に、彼らが両親の家計に従属している間にかかった費用について、何か特別な事情があると疑われる場合を除き、請求する事は無い。それと反対に、ローマ法における場合とは違っているそういうやり方の相関物としての営利ゲマインシャフト(Erwerbgemeinschaft)については自然なものとは見なし得ないし、むしろ逆に-人は一般的な原則論の立場から次のように問うであろう:「一体何の権利があって?」-息子が自分自身の収入をその手元に取っておくことを多かれ少なかれ自明の事と見なすのである。何らかの個々の勘定に収入を算入するということが行われていないという事は、古い法律においては夫婦財産共有制(財産ゲマインシャフト)の立場では自然なこと 2) であるように思われる。こういったことが根本思想である事は、各種文献史料が早くから規定していた制限事項から直ちに見て取ることが出来る。そういった文献史料においては、商取引における全ての収入と支出を共同の物(ゲマインシャフト)とすることが、多くの場合非合理的な結果を招くことになったのであるが。

2) Ansaldi de Ansaldis 《Ansaldo Ansaldi、1651~1719年、イタリアの法律家、なおヴェーバーは”Ansaldus de Ansaldis”としている。》の”Discursus legales de commuciis et mercatuta”(ジェノヴァ、1698年)のDisc. 49は、更に、フィレンツェでのある利益の分配についての裁判における法的鑑定の中で、societas omnium bonorum《全ての収入と支出が共同のものとなるソキエタス》があらかじめ存在していた事について、次の事柄から証拠を導き出している。その事柄とは、”notissima illa societatis omnium bonorum requisita“(非常に慣習的な全ての収入と支出を共同のものとするソキエタスの必要性)と描写されるものである:つまり”communis habitatio, lucrorum communicatio et nunquam ratio reddita“(共有の住居、利益の共有、そして共通の勘定が放棄される事は決して無かった)ということである。同様にDisc. 50では、ある勘定から控除したり逆にその勘定に算入したりする事が行われていないという場合が利用されている。また比較すべき事は、Disc. 52においての”societas particularis”(特定ソキエタス)と”societas universalis”(普遍的ソキエタス)の同じ見地からの区別であり、そこでの”societas universalis”とはつまり次のような事であると理解される。”contractus activi et passivi, dispendia et emolumenta per consocios omnium bonorum facta et acquisata non curantur, sed habita dumtaxat contemplatione ad bona de tempore divisionis faciendae, partitio fieri debet aequaliter.”(能動的契約と受動的契約、”societas omnium bonorum”の活動による費用と利益、そしてソキエタスが獲得したもの、これら全てを成員間でどう割り振るかという事は考慮されない。しかしながらただ{ソキエタスの所有する}商品が分割された場合だけは考慮され、その際の分割の仕方は均等にされなければならない。)

 Lex Longobardorum l. II Rubr. de successionibus: Rex Rothar: … Si fratres post mortem patris in casa communi remanserint, et unus ex ipsis in obsequio regis aut cum judice aliquas res acquisierit, habeat in antea absque portione fratrum, et que foris in exercitu acquisierit commune sit cum fratribus quos in communi casa dimiserit, et si quis alicui de suprascriptis fratribus garathinx (Boherius = donatio) fecerit, habeat in antea ille cui factum fuerit, et si quis ex ipsis duxerit uxorem et de rebus communibus meta data fuerit: quando alter uxorem tulerit aut quando ad divisionem faciendam venerint, simili modo de communibus rebus ei refundat aliud tantum quantum ille alter frater in meta dederit. paterna autem vel materna substantia quod reliquum fuerit inter se equaliter dividant …
(ランゴバルド法 I. II 表題「相続について」:ロタリ王:…もしある兄弟達が父親の死後も共通の住居に留まる場合、そしてその中の一人が王に忠誠を誓うことによって、あるいは何かの判決によって何かの物を獲得する場合、その者はそれが兄弟達によって分割されるのより先に自分の物として持つことになる。しかしその兄弟達の中で兵士として出征してその報酬として何かを獲得した場合には、その者はそれを兄弟達と共有することになる。《訳者の推測であるが、ランゴバルド族での兵役が例えば家ゲマインシャフト当たりに2人といった割り当て制であったならば、その兵役の義務に対し支払われる報酬がその兵士ではなく家ゲマインシャフトに支払われるのは自然である。これに対し王に従僕として仕える場合は本人の意思に基づくのであるから報酬がその者に払われるのであろう。》もし誰かが兄弟達の一人に贈り物(Boherius = donatio)をする場合、それを受け取った者はその物については兄弟達と共有する必要は無い。そして兄弟達の内の誰か一人が妻を娶って(その妻の実家に)共通の財産から(一種の)結納金《H.ミッタイスの「ドイツ私法概説」のP.114によれば、ランゴバルド語での”meta”は嫁を迎える際にMunt(その女性に対する保護監督権)を相手から譲り受ける代償として支払うMundschatzのことであるという。これで実家に支払われたお金の中から花嫁は嫁資=持参金を得ることになる。》を払うことになる。そして他の兄弟達の内の別の一人も妻を娶った時、または何らかの形の財産の分割が行われる時は、最初に結婚した兄弟がその妻の実家に与えたのと同額の財産が共通の金庫から与えられる事になる。しかしながら父親または母親の所有物で残った物がある場合は、それらは兄弟達の間で均等に分割される。)
結婚する娘達はその保護監督者である父親または男の兄弟がその結婚式に持たせてやる持参金(嫁資)を受け取り、それによって財産の分与を受けたことになる。更に次の事についての規定も見出される。つまりもし彼女達が寡婦として共通の家に出戻りした場合に、どのように持参金を家の勘定に戻すのかと言う事と、後に万一財産の分割が発生した場合に、その寡婦についてどのような分け前が考慮されるかという事である 3)。

3) ランゴバルド法(ロタリ法典)におけるこの箇所は、そっくりそのまま他のランゴバルド法典にコピーされている。12世紀におけるAriprandAlbertus《両者とも詳細不明》によるランゴバルド法への注釈(Anschütz《August Anschütz、1826~1874年、ドイツの法学者》編、”Die Lombarda-Kommentare des Ariprand und Albertus”、1855年、ハイデルベルク)では、この箇所についてのコメントは無い。