IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.278 – 283 日本語訳(35)

日本語訳の第35回目です。ここには別にアップしたように英訳、全集版の注を含めて疑問点があるのですが、現在Consitutum Ususが含まれたBonainiの本のファクシミリ版を取り寄せ中(新型コロナのお陰で海外からの発送に時間がかかっています)で、それが到着するまで最終判断は保留です。(ちなみに英訳者のKaelber教授は、comperaeが「販売」でないことは認めましたが、それでは全集の注釈に「購買」とあるから「購買」だろう、という回答です。正直な所自分であまり考えていないように思います。)
海上貿易に従事するものであったトラクタトールと、家内制手工業における手工業職人が同じ者に相当するというヴェーバーの論述はちょっと驚きです。
これでほぼ3/4を訳し終わりました。
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2. その影響

 この共同の生(Kommunion)《ヴェーバーはVita Communisの言い換えでKommunionという語を使っている。この言葉の本来の意味はカトリックでの「聖体拝領」、つまり信者がキリストと一体になる儀式。》の影響は以下のことの中に現れる。

 1)全ての共通の財産の取り扱いは、特定の動産の直接的な個人的使用にまで及ぶものであった:”de eo quod tunc acquisiverint si aliquid eis praeter convenientia vestimenta remanserit, de acquisitu eorum sit commune”(その時に彼らが獲得したものについて、もし彼らにサイズの合った衣服以外の何かが残ったとしたら、その彼らの獲得したもの{の残り}は共有となる)。ある持分所有者が外部の資金によってある業務を営む場合、そこから得られた全ての利益はゲマインシャフトのものとなる。この持分所有者がゲマインシャフトとは別にある特別財産を持っている場合で、その特別財産またはそれ以外でゲマインシャフトの外部にある彼の妻の嫁資(dos)をある事業に用いた場合、その場合彼はその事業によって得た利益の1/4をゲマインシャフトに入金する、――それは法学的には明白かつ論理一貫したものであり、というのは彼の労働による利益はソキエタス法によれば全利益の1/4に値すると規定されており、それについてはゲマインシャフトのものとなる。残りの3/4については出資から得た収益分となる。

 2)それぞれの個々の成員は彼ら自身として共有の財産を使ってそれにより何かの業務を営むという権利を付与されている。そして法規は確かに、他の成員に対して2日の猶予期間の間での異議申立の権利を付与している。しかしその異議申し立ては、当該の業務について、その業務を企てた者(企業家)がそれを自分の勘定にて引き受ける限りにおいて、その企業者の個人的な勘定に対して作用するだけであり、その企業家の勘定がそれ自体を超えてさらに何らかの(共有の)資金を必要とする限りにおいては、異議を申し立てる者はなるほどその勘定の中の利益については関与するが、全ての成員間においてのリスクについては関与しなかった。それ故に一人一人の持分所有者は自分自身の勘定の分を超えて(ゲマインシャフトの)財産を使って業務を行うことが正当化されている。他の持分所有者はこの個々の持分所有者の行動を止めることは出来なかった。ある一人の持分所有者の勘定の中で行われた comperae 《現代イタリア語のcompraに相当するとするすれば「買うこと」。但し単純な購買行為ではなく、何かの特別な購買と思われる。12-14世紀のジェノヴァやフィレンツェではこの言葉は、国が私的団体に対して債券を発行し、それを買ったものは例えば塩にかかる間接税のようなものを一種の利子として受け取ることが出来た、その債券またはそれを引き受けた団体のこと。つまり一種のRentenkauf(定期収入金を一種の利子の代替物にした金銭貸借)である。全集の注はヴェーバーがConsitutum Ususの中の概念を使っているとしているが、それがどのページなのかをヴェーバー自身も全集の編集者も記載しておらず、本当にそうなのか疑わしい。》に対しては、他の持分所有者は介入権を持っていた。(今日の合名会社の場合と同様。)

 3)各持分所有者に個人的に必要なお金は共通の財産から充足されたが、それはあくまで個人レベルの需要に限定されていた。もし持分所有者の中の誰かが過度の出費をした場合には、法規は他の持分所有者に対して異議申し立ての権利を認めていた。しかしその異議の及ぶ所としては、持分所有者同士の関係の中で、より安い金額の見積りを証拠として、その出金をした持分所有者が多く使った分を異議の結果として取り立て、異議を申し立てた持分所有者達の勘定にそれを入れるということだけに限られていた。このように一見独特な規則の存在は、先に述べた見解、つまり(法の)発展は一般的に元々正当であった持分所有者の無制限の財産についての処分権を制限する方向に推移していたという見解に対する一つの明白な証拠である。

 以上がピサの法における communis vita の中身である。我々はこれまでに次のことを見て来た。つまり communis vita は、それが成立する所ではそれが維持される方法としては、一つは遺言によって形成の指示があったソキエタスによってであり、またもう一つは共同相続人達がソキエタス・マリスの形である業務を営むという形によってである。また communis vita は明示的なソキエタス契約の締結を代替し、またそれはいわば共生の精神(animus associandi)を文書化することによって具現化するのである。共同相続人達の間でのソキエタスは従ってただ契約だけに基づく訳ではない。しかしそうではあってもそのソキエタスの中には契約というものに適合した要素が含まれているのである。文献史料で見る限り重点は以下の所に置かれている。つまりこのソキエタスもまた”societas nominata”(当時者間の明確な合意に基づくソキエタス)であるという点である。ソキエタス・マリスの法からこの communis vita のソキエタスは利益配分のやり方を受け継いでおり、――vita communis それ自身のソキエタスにおいては全ての業務が全ての持分所有者の勘定に対して等しく収益をもたらす場合には、一緒に住んでいる者達のソキエタスが構成されている所では、コムメンダの原理に従った利益の分割の仕方が登場してくるのであり、まさにこのことから判断する限り、根源は明らかに家族財産法にあるのではなく、ソキエタス・マリスについての任意法を基礎とする法原則にあるのである。

Societas omnium bonorum 《全ての財産が現在及び将来において成員間に共有されるソキエタス》

 我々はこれまで完全な家計ゲマインシャフトとしては、家族仲間(Familiengenossen)によって構成されたもののみを見て来た。

 非親族との間の同様の関係については、Consitutum Ususの中には societas omnium bonorum《全ての財産を共有するソキエタス》と societas lucri 《利益のみを共有するソキエタス》についてのわずかな注釈があるだけである。後者と前者の違いは次のことにある。つまり後者は利益のゲマインシャフトであり、前者の場合は全ての最終的な資本全てが頭数に応じて分割される。 societas omnium bonorum においては――このことはランゴバルド法の兄弟間のゲマインシャフトの規定を思い出させるが――ただ封土と土地貸借のみがゲマインシャフトから除外されていた。それ以外にどのような事実がここで与えられた概念に適合するかということは不明瞭であり、ただ次のことが推測出来るだけである。つまりこの非親族との間でのソキエタスは、communis vita で家族の構成員の間で適合する関係が非親族との間の関係でも使われているということである。

ピサにおける連帯責任原理

 もし我々がそれでも完全なまでに規定されているこの《vita communisという》制度に対してどのように連帯責任の原理を位置付けられるかという問いかけをする場合には、その場合にはここでもまたまず次の事を強調すべきであろう。つまり、法規の中でそれが言及されていないことを即ちそれがピサにおいて存在していないと結論付けてはならないということである。取り分けこれまで詳しく述べて来た家計ゲマインシャフトの内部に向かっての構造は連帯責任を、ここでは全てのゲマインシャフトの財産の外部に向かっての責任を仮定しているように見える。連帯責任について法規の中で言及されていないということは、ここで主張した見解が正しいならば、次のことから説明出来るかもしれない。つまりピサにおける連帯責任は、ジェノヴァの場合と同様に、中心に存在している貿易取引にとって何の意味も持っておらず、というのは貿易取引はコムメンダという法形式を利用していたからである。Consitutum Usus の中に含まれているソキエタス法は、その結果として連帯責任について全く触れていないだけではなく、むしろ逆のことを規定している。

V. Compagina de terra (陸上のCompagnia)

 海上取引のゲゼルシャフトについての法形式は、ここにおいてまた、ジェノヴァとピアチェンツァにおけるのと同じく、陸上取引についても適用されている。

 Dare ad proficuum maris に相当するのはここでは”dare ad proficuum de terra in bottega vel alio loco” 31) (陸上取引で得られる利益のために、bottega または他の場所にあるものに対して出資する)であり、ただここでは投資した場合に得られる固定の利益の料金表が欠落しており、そして全ての関係はまだ貸借の関係として構成されており、そこにおいてはトラクタトールが責任を免れれるのは不可抗力の通知をした場合のみである。

31)Capitulo 22 l.c.

 Compagnia de terra 32) は様々な形態を取ることが可能であった。――それはmずは商用の旅に関連付けることが出来、それはソキエタス・マリスと同じであり、ただこの場合は旅の目的値が海の向こうではなく陸続きの場所というだけである。

 Compagnia de terra はまた――そしてこの場合においてのみ特異性を示すのであるが――ある店/工房、”bottega”においての業務の遂行に関連付けられることが可能である。

32)Consitutum Ususのc.23のde compagnia de terra, P.897 l.c.を参照。

 このcompagnia de terra の形態では、出資者側のリスクが《陸上取引なので》軽減されているという事情に合わせ、企業家の利益の取り分は全利益の1/3になっている。これはソキエタス・マリスの場合では出資比率がトラクタトールが1/4、出資者《ソキウス・スタンス》が3/4の場合、利益は折半になっている。法規はここにおいても、トラクタトールが独立した企業家であるかどうかということを区別している。(”cum jam de suo quis negotiationem facere paratus fuit vel alterius”)(既にある者が自分自身の資本でまたは他人の資本で業務を行う準備が出来ている場合に)――それから出資が一方的で《トラクタトール自身が出資しない》場合は、トラクタトールは全利益の内から分配割合に従い2/3を出資者に戻す。それからその他の場合ではトラクタトールは完全に独立しており、資本家は単なる参加者である。――またはトラクタトールが多かれ少なかれ資本家達に従属した器官である場合である。最後の場合ではトラクタトールは多くの場合ある決まったbottegaと関連付けられて考えられており、そのbottegaと契約することで資本家はトラクタトールと契約するのであり、トラクタトールは自分の1//4の出資分を超えて第三者の外部の商品を出資として受け入れることは出来なかった。後の時代になって明らかに追加された規定としては、トラクタトールとある特定のbottegaを関連付けるという直接的な強制を除外するというものがあるが、そのことによって高い明証性を持ってそうした除外が元々存在していたと結論付けることが出来る。このことからまた、次のことも確からしいと考えることが出来る。つまりトラクタトールのbottegaに対する広範囲で見られて依存関係を考慮に入れた場合、bottega におけるトラクタトールは隷属的な手工業者のやり方を引き継いだいわば後継者であったということである。それは fattore (代理指図人)、famulus (家奴)、Kommis (手代・番頭)が隷属的な使用人の後継者であったのと同じで、委任される者(Kommendatar)は隷属的なKargadors《船荷に同行する使用人、現代スペイン語ではcargadorで港湾労働者、運送屋、ポーターの意味。》の後継者であった。より確定的なことを述べるのは不可能であるが、次の考え方はしかしながら確実に存在している。つまり societas de terra と今まさに述べて来たやり方での隷属的なトラクタトールはまた法形式としては、今日我々が家内制手工業と呼ぶある程度の大きさの産業と労働者の関係に適用されるものと同様のものであった。Consitutum Usus の法規定により決められているように、こうした製造のための集団(association)において製造業者はトラクタトールの労働によって作り出された商品から得られる利益の配分についてのある種の独占権を留保しており(第三者の出資の禁止により)、製造業者はトラクタトールに対し手工業生産のための機械や治工具、家具、そしてしばしばある種のCottage-System《労働の対価の一部として住居を安く提供すること》――住居または bottega を提供している 33)。

33)疑いもなく存在していた家内制手工業の法形式についてより深入りするのはこの論考の目的ではない。Stieda《Wilhelm Christian Hermann Stieda、1852~1933年、ドイツの国民経済学者、経済史家。》の Die deutsche Hausindustrie によるこの制度についての全ての経済学的な指標はしかしながらこの論考で述べて来た様々な人間関係に当てはまっている。ほとんどすべての規定の中に大商人または大工場経営者と手工業マイスター《熟練職人》達との間のこの種のソキエタスの結成を禁止する条項が何度も繰り返し現れている。もちろんこうしたソキエタスの禁止は社会政策的に労働従事者や手工業の保護を目的として追求したものではなく、いずれにせよ一義的にはそうではなく、その他の大工場経営者達を手工業によって製造された安価な商品との競争からと、労働力の供給の全てを個々人の利益のための独占から守ることが目的であった。――後述の注35も参照せよ。

“comperae”の訳について、英訳の間違いと全集版の注釈の不十分な説明

今訳している所で、英訳及び全集版の注釈について、誤訳と不十分な説明の箇所を見つけました。

原文は全集版のP.279の10行目~12行目です。
Für die von einem Teilhaber auf eigene Rechnung abgeschlossenen comperae haben die anderen ein Eintrittsrecht (nach Art der heutigen offenen Handelsgesellschaft).
(ある構成員によってその構成員の会計中で締結されたcomperaeについては、他の構成員は介入権を保持する。(今日の合名会社でのやり方と同じ))

問題は”comperae”という中世ラテン語です。
Lutz Kaelber氏の英訳では、P.144で”comperae [sales]”としています。

これに対し全集版の注釈では、”Erwerbung durch Kauf. Weber übernimmt den Quellenbegriff des Constitutum Usus.”(購買の業務。ヴェーバーはConsitutum Ususの中の概念を使っている。)となっています。

つまり、英訳はここを「販売」と訳し、全集版の注釈は「購買」と訳しています。

まずは英訳についてはKaelber教授に問い合わせ中ですが、返事が来るかどうか不明です。
(ちなみにようやく今日になって2月に送ったメールの返事が来ました。)
しかし、comperaeという中世ラテン語は、おそらく現代のイタリア語ではcompraであり(伊和辞書にcompera→compraとあります)、その意味は「買う」です。故に全集版の「購買の業務」の方が正しいと思います。

しかし、問題は単なる「購買」なら、わざわざ法規の方で特別な名前を付ける必要があるのか、という疑問が湧きます。実際にこのすぐ前では、「構成員が自分の勘定の中で業務を行う限り、他の構成員はゲマインシャフトを脱退しない限りそれを阻止することは出来なかった」とありますので、このcomperaeに対してだけ何故 Eintrittsrecht (介入権)を行使してそれを阻止出来るのかが不明です。またヴェーバーはその阻止の行為は今日の合名会社でも同じと言っていますが、通常業務の中の個々の購買行為を他の無限責任社員が一々介入して阻止するというのは聞いたことがありません。更には単純な購買については次の3)で述べられていますので(個々の構成員のBedüfnis=需要、という形で)、ますますここで単なる購買行為に言及するのはおかしいです。それから、Consitutum Ususの概念をヴェーバーが使っているという全集版の注釈は、それなら何故ヴェーバーが該当のページを注釈として入れていないのかという疑問があります。(他の場所ではほとんど注釈があります。)全集版の編者もConsitutum Ususにおける具体的な場所を記載しておらず、私見ですがここは単なる推定で書いているとしか思えません。

実は compera(comperaeは複数形)には特殊な意味があります。

永沼博道著、中世ジェノヴァ植民活動の特質 : マオーナ・ディ・キオの事例によせて、関西大学学術リポジトリ、https://nkk001-my.sharepoint.com/personal/tmaruyama_nkkswitches_co_jp/Documents/Weber/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E5%90%88%E5%90%8D%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%8F%B2/KU-1100-19930127-07.pdf
の一部を下記に引用します。

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12世紀以降ジェノヴァ共和国は,きわめて緊急を要する出費のために市民に自発的な融資を募った。融資に応じた市民は,国家の歳入となる間接税の一部を融資した期間権利として買うことになる。期間が終了した後,国家は債務の全てを払い戻す。そうして市民は,都市国家当局に対して優位に立つ目的で融資者組合を結成した。こうした団体は,前払いした金額の見返りに,本来国家に帰すぺき租税,各種間接税,税関からの収入を受け取った。1149年共和国は度量衡税を売った。同様に入港税, 通行税, 塩税などの間接税が売り出される。団体は自らのリスクにおいて歳入の管理を肩代わりし,こうした公債はコンペラ(買ったものを意味する)と呼ばれた。コンペラは, 100リラ単位の公債証書(locumすなわちluogo)の形に分割され取引の対象となった。またコンペラを購入した私的団体もまたコンペラと呼ばれた 27)。
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実はこの「コンペラ」は一種のRentenkaufであると考えられます。金を貸してその利子を取る代わりに、何かの税からの収入を定期的に得ることが出来るからです。
ヴェーバーはこのコンペラについて、「古代農業事情」の中で、「11・12世紀のジェノヴァや13・14世紀のフィレンツェでRentenkaufを使った国債の発行があった」という形で言及しています。(この項の最後に原文を引用します。)

ピサのConsitutum Ususの成立の前に、ジェノヴァでのコンペラは始まっています。どこまでピサでコンペラに類することが行われたか未調査(現在BonainiのConsitutum Ususの本 {Statuti inediti della città di Pisa} を取り寄せ中ですが、新型コロナウイルスの影響で海外からの配送に時間がかかっており未着です)ですが、ヴェーバーがここでこのコンペラを使っているとすれば、これはソキエタスの単なる購買の行為ではなく、ソキエタスが他のソキエタスや国に金を貸し、その代償として定期的な収入を受け取るというRentenkauf的な契約をすると解釈するのが一番自然で明証的と思います。そうであれば他の無限責任社員が介入してそれを阻止するというケースも十分考えられます。仮にRentenkaufで無いとしても、いずれにせよ単純な購買行為とは区別される何か特別な購買と考えるべきです。

英訳はこの辺りの事情をまったく理解していない間違った英訳を付けていますし、全集版の注釈も「購買」という意味にしたのは間違っていませんが、まったく突っ込み不足で、きちんとこの語が使われた背景まで説明していません。

(「古代社会経済史 古代農業事情」での中世イタリアのRentenkaufを使った国債への言及の箇所)
Aber jeder Blick z.B. in die Urkunden von Genua vom 11. und 12. Jahrh. an, und vollends in die Bücher der Florentiner Kaufleute des 13. und 14. Jahrh. zeigt nicht nur die Überlegenheit der Geldverkehrstechnik, sondern auch die größere Sättigung der Wirtschaft mit »Kapital« damals gegenüber der Antike. Wo z.B. die mittelalterliche Entwicklung von der Belastung der besitzenden Klassen in Notlagen der Stadt durch zinslose Zwangsanleihen zur Ausbeutung der Notlage der Stadt seitens der Besitzenden in Form von Emissionen von Anteilen an der zins- resp. dividendetragenden Staatsschuld und weiter zur Staatsanleihe in Form des Rentenkaufs fortschreitet, da steht auf hellenistischer Seite, als Notmittel neben der Vermögenssteuer, die Anleihe unter Verpfändung der Burg (Lampsakos), der Gemeindewiesen (Orchomenos), nur gelegentlich: der Zölle (Knidos), dagegen einmal des gesamten öffentlichen und Privatvermögens und außerdem noch die persönliche Haftung der Schatzmeister (Arkesine) an die einzelnen Gläubiger der Stadt.

英訳の誤り(追加)

ドイツ語の第34回の冒頭の部分:Tut er es dennoch, so fällt aller Gewinn daraus ihm, d.h. dem gemeinsamen Vermögen zu. 
の英訳ですが、
If he does anyway, all profits will fall to him―that is, to the joint assets.
となっています。
つまりihmを「父親に」と解釈しています。しかし父親の収入になることが、そのまま家ゲマインシャフトの共通財産の収入になる、とはどこにも書いていません。ここはihmと書くと「父親に」とも解釈され得るので、わざわざ「父親ではなくてVermögen(財産)の方ですよ」(Vermögenは中性名詞なので、3格の指示代名詞はihmで同じ)と言っているだけと解釈するのが自然です。Kaelber氏の英訳の特徴としてここもそうですが、ドイツ語の代名詞、指示代名詞をそれが指し示している実体ではなく、そのまま英語の代名詞に置き換えて訳しているケースが非常に目立ちます。言うまでもなく、英語では名詞の性や格変化がほぼ無くなっているから、こういう翻訳の仕方は原文にあった情報量を落とすことにつながり問題です。それからこの箇所のように、間違った代名詞に訳してしまうということも起きています。

 

 

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.278 – 283 ドイツ語原文(35)

ドイツ語原文の35回目です。ここではCompagnia de terraが登場します。

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2. Wirkungen.

 Die Wirkungen dieser Kommunion stellen sich dahin, daß
 1) aller Erwerb gemeinsames Eigentum wird bis auf die zum unmittelbaren persönlichen Gebrauch bestimmten Mobilien: „de eo quod tunc acquisiverint si aliquid eis praeter convenientia vestimenta remanserit, de acquisitu eorum sit commune“ 28). Macht ein Teilhaber mit fremdem Gelde ein Geschäft, so gebührt der gesamte Gewinn daraus der Gemeinschaft. Hat er Sondervermögen neben der Gemeinschaft und verwendet dies oder die hier wie sonst außerhalb der Gemeinschaft bleibende dos seiner Ehefrau zu Unternehmungen, so wirft er 1/4 des lucrum in die Gemeinschaft ein, — juristisch klar und konsequent, denn sein voller Arbeitsertrag, welchen nach Sozietätsrecht die quarta proficui darstellt, gebührt der Gemeinschaft, 3/4 gelten als Kapitalgewinn 29).

28) S.880 l. c.

29) S.882 l. c.

 2) Jeder einzelne Beteiligte ist an und für sich befugt, über das gemeinsame Vermögen zu disponieren und damit Geschäfte zu machen. Das Statut gibt zwar den anderen Beteiligten ein Widerspruchsrecht binnen zweitägiger Präklusivfrist, der Widerspruch hat aber nur die Wirkung, daß das Geschäft, soweit der Unternehmer dasselbe auf sein Konto unternimmt, auf seine privative Rechnung geht, soweit es darüber hinaus Mittel in Anspruch nimmt, der Widersprechende zwar für das auf sein Konto Entnommene am Gewinn beteiligt ist, aber im Verhältnis unter den Konsorten nicht am Risiko. Also ist ein einzelner Teilhaber auch über sein Konto hinaus mit dem Vermögen Geschäfte zu machen legitimiert; solange die anderen die Gemeinschaft nicht aufheben, können sie dies nicht hindern. Für die von einem Teilhaber auf eigene Rechnung abgeschlossenen comperae haben die anderen ein Eintrittsrecht (nach Art der heutigen offenen Handelsgesellschaft).

 3) Der persönliche Bedarf der Teilhaber wird aus dem gemeinsamen Vermögen bestritten, und zwar an sich lediglich nach Bedürfnis des einzelnen. Für den Fall, daß jemand übermäßigen Aufwand macht, hat das Statut den anderen Konsorten ein Widerspruchsrecht eingeräumt, jedoch nur mit der Wirkung, daß im Verhältnis unter den socii er das nach billigem Ermessen zu viel Entnommene von Erhebung des Widerspruchs an auf sein Konto zu nehmen hat. Es ist diese anscheinend absonderliche Regelung ein klarer Beweis für die Richtigkeit der oben vertretenen Auffassung, daß die Entwicklung im allgemeinen in der Richtung der Beschränkung der prinzipiell rechtlich schrankenlosen Dispositionsrechte der Teilhaber verlief.

 Soviel über die communis vita des pisanischen Rechts. Wir sahen oben, daß die communis vita, wo sie besteht, bei letztwillig angeordneten Sozietäten oder wo von den Miterben ein Geschäftsbetrieb in den Formen der societas maris unterhalten wird, den ausdrücklichen Abschluß eines Sozietätskontraktes ersetzt, sie dokumentiert den animus associandi. Die Sozietät unter Miterben beruht somit nicht ausschließlich auf Vertrag. Aber trotzdem ist auch in ihr das Element des Vertragsmäßigen enthalten. Die Quellen legen Gewicht darauf, daß auch diese Sozietät eine „societas nominata“ sei. Aus dem Recht der societas maris nimmt sie den Modus der Gewinnverteilung auf, — während an sich bei der vita communis aller Erwerb allen Konti gleichmäßig zugute kommt, tritt da, wo eine societas der gemeinsam Wohnenden angenommen wird, die Gewinnteilung nach den Kommendagrundsätzen ein, und gerade dies Moment hat seinen Ursprung offenbar nicht im Familienvermögensrecht, sondern in den auf dem Boden des dispositiven Rechts stehenden Rechtsregeln über die societas maris.

Societas omnium bonorum.

 Wir haben bisher die volle Haushaltsgemeinschaft nur unter Familiengenossen kennen gelernt.
Über gleichartige Verhältnisse unter Nichtverwandten enthält das Constitutum Usus nur die dürftigen Bemerkungen über die societas omnium bonorum und die societas lucri 30), letztere von ersterer dadurch sich unterscheidend, daß sie eine Errungenschaftsgemeinschaft darstellt, während bei der societas omnium bonorum das gesamte Endkapital nach Köpfen geteilt wird. Bei der societas omnium bonorum ist — und dies erinnert an die Bestimmung der lex Longobardorum über die brüderliche Gemeinschaft — nur feudum und libellaria von der Gemeinschaft ausgeschlossen. Welcher Tatbestand sonst den angegebenen Begriffen entsprach, ist undurchsichtig und nur zu vermuten, daß sie die der communis vita unter Familienmitgliedern entsprechenden Verhältnisse inter extraneos betrafen.

30) S.883 l. c.

Das Solisarhaftsprinzip in Pisa.

 Wenn wir nach alledem fragen, wie sich zu den sämtlichen geschilderten Instituten das Prinzip der Solidarhaftung stellt, so ist zunächst auch hier wieder zu betonen, daß aus dessen Nichterwähnung nicht sein Nichtbestehen in Pisa gefolgert werden darf; insbesondere scheint die Struktur der erörterten Haushaltsgemeinschaft nach innen die Solidarhaftung, d.h. hier die Haftung des gesamten gemeinschaftlichen Vermögens, nach außen zu postulieren. Daß es nicht erwähnt wird, würde sich, wenn die hier vertretene Ansicht richtig ist, daraus erklären, daß die solidarische Haftung in Pisa, wie in Genua, für den im Mittelpunkt stehenden Seehandelsverkehr keine Bedeutung hatte, da derselbe sich der Rechtsform der commenda bediente. Das in dem Constitutum Usus enthaltene Sozietätsrecht hat infolgedessen mit der Solidarhaft nicht nur nichts zu tun, sondern bildet sogar einen Gegensatz dazu.

V. Die Compagnia de terra.

 Die Rechtsformen der Seehandelsgesellschaften wiederholen sich nun auch hier, wie in Genua und Piacenza, auf dem Lande.

 Dem dare ad proficuum maris entspricht das „dare ad proficuum de terra in bottega vel alio loco“ 31), nur fällt hier die Tarifierung der Kapitalmiete weg und ist das ganze Verhältnis noch darlehensartiger gestaltet, indem der tractator nur durch Nachweis von vis major liberiert wird.

31) C[apitutulo] 26 l. c.

 Die compagnia de terra 32) kann verschiedene Gestaltungen annehmen, sie kann zunächst sich auf eine Handelsreise beziehen, wie bei der societas maris, nur hier auf eine Reise zu Lande. Sie kann auch — und nur dieser Fall bietet Besonderheiten — einen Geschäftsbetrieb in einem Laden, „bottega“, betreffen.

32) Cons[titutum] Us[us] c. 23 de compagnia de terra p.897 l. c.

 Bei dieser Form wird, dem geringeren Risiko des Kapitalisten entsprechend, der Unternehmeranteil auf 1/3 des lucrum angenommen, was bei Einlagen von 1/4 (tractator) und 3/4 (Kapitalist) Teilung halb und halb ergibt. — Nun unterscheidet das Statut auch hier, ob der tractator selbständiger Unternehmer ist („cum jam de suo quis negotiationem facere paratus fuit vel alterius“) — alsdann ist die Einlage rein einseitig, der tractator gibt pro rata 2/3 des Gewinnes heraus und steht im übrigen ganz selbständig, der Kapitalist ist Partizipant; — oder ob der tractator nur ein mehr oder weniger abhängiges Organ des Kapitalisten ist. Letzterenfalls ist der tractator meist an eine bestimmte bottega gebunden, auf welche hin der Kapitalist mit ihm kontrahiert, er darf nicht über seinen Viertelsanteil hinaus fremdes Gut Dritter als Einlage annehmen. Ein offenbar späterer Zusatz, welcher direkten Zwang gegen den tractator, die bestimmte bottega zu beziehen, ausschließt, läßt mit einer gewissen Wahrscheinlichkeit auf dessen ursprüngliche Zulässigkeit schließen und macht es damit wahrscheinlich, daß, angesichts dieser weitgehenden Abhängigkeit, der tractator in bottega der Sukzessor des hörigen Handwerkers in derselben Weise gewesen ist, wie der fattore, famulus, Kommis derjenige des unfreien Gesindes und der Kommendatar derjenige des unfreien Kargadors. Bestimmteres darüber zu ermitteln ist nicht möglich, — der Gedanke liegt aber sehr nahe, daß die societas de terra mit dem in der eben geschilderten Weise unselbständigen tractator auch die Rechtsform war für dasjenige Verhältnis des Großindustriellen zum Arbeiter, welches wir heute mit „Hausindustrie“ bezeichnen. Wie die Bestimmungen des Constitutum Usus ergeben, behält sich bei dieser Assoziation der Fabrikant gegen Gewinnanteil eine Art Bezugsmonopol (durch das Verbot, Einlagen Dritter anzunehmen) an den Arbeitsprodukten des tractator vor, er stellt ihm das Handwerks- und Hausgerät und oft — eine Art Cottage-System — die Wohnung bzw. bottega 33).

33) Näher auf die Rechtsform der unzweifelhaft vorhandenen Hausindustrie einzugehen ist hier nicht der Ort. Alle von Stieda, Die deutsche Hausindustrie, aufgestellten ökonomischen Kennzeichen dieses Instituts treffen aber für das im Text geschilderte Verhältnis zu. In fast allen Statuten kehrt ferner das Verbot dieser Art von „societates“ zwischen Großhändlern oder Großindustriellen und den Handwerksmeistern wieder. Natürlich verfolgte dies Verbot nicht den sozial-politischen Zweck des Schutzes der Arbeitnehmer und des Handwerks, jedenfalls nicht in erster Linie, sondern den des Schutzes der übrigen Großindustriellen gegen die Konkurrenz des mit Hausindustriellen billiger Produzierenden und gegen die Monopolisierung des gesamten Angebotes von Arbeit im Interesse einzelner. — S[iehe] u. S.409 Note 2.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.274 – 278 日本語訳(34)

日本語訳の第34回目です。これで全体の70%の訳が済みました。
なお、英訳の誤訳と思われるのを指摘した部分は最初の段落です。
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家族ゲマインシャフトの特性

 家族ゲマインシャフトの財産法的な帰結は、ここも我々が既に別の所でなじみとしている事であるが、―家族財産は純粋な個人財産(の集まり)としては扱われず、全ての成員の共通の家計として規定されている。父親はそれ故に法規によれば随意にそのような(貿易取引のための)ソキエタスを個々の息子と結成し、そのことによって他の成員を蚊帳の外に置くことは出来なかった。もし父親がそれでも敢えてそれをやった場合には、そこから得た利益は共通財産の収入となった。もしその父親が「それにも関わらず」、家族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタスを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父親は家ゲマインシャフトから独立していない(家住みの)息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいしか出来ず、それ以外に何かを(例えば金銭で)息子に対して支払うことは出来なかったであろう。そこでは次のような考え方が背景にあったのは間違いない。つまり、―より以前の時代からの発展に適合する形で―(家族ゲマインシャフトの)共通の財産に対して複数の(それぞれの成員の)勘定が作られ、それは共通財産が外部に対して開示されていないという状態を損なわない形で、また(他の家族との)相互の関係にてそれぞれ共通財産中に分け前を持つ家族の個別の成員が、自分自身の金銭勘定とリスクの負担に基づいて何らかの業務において企業家としてかあるいは(資本だけの)参加者として関わることが出来るようになったという形で行われていたが、そういった考え方である。以上のことは次の箇所でも確認出来る。つまりピサの法によれば先に詳しく述べた父親の(独立しようとする)息子への財産分与義務は、独立前の息子が何らかの違法行為を行った場合に(も)成立しており、そこにおいてはまた共通の財産に対する分け前への関係においてその息子に固有の、違法行為に対して課せられた罰金の支払いに(も)使用出来る個々の財産について述べている、その箇所である。我々にはこうしたある家族ゲマインシャフトにおいてのそのようにお互いに分け前を権利として認めるという考え方は、共同相続人、兄弟達、そして一般的に同等の地位にある者達の間であるとしたら何も不思議なことではない。しかし父親と息子達の間でもそのような(等しい)関係を想定するということは、あまり自然なことではないように思われる。しかし我々は14世紀における、この先で考察することになるフィレンツェのペルッツィ家とアルベルティ家の会計において次の事を見出す。つまり、事実上かつ疑いも無く分割されていない家計が成立した所では、息子達はその父親がまだ存命中はその本来の家計とは別のある一定の金額の勘定をしばしば作り、それによって商取引を行う家族によるソキエタスに関与していた。この場合に外部に対して父親が家族を代表しているという見方は疑わしかった。しかし父親はそのソキエタスにおいて(外部との)契約にサインし、投資を行っていた。しかし父親はそういうケースではあくまで”per se et filius suos”(彼自身とその息子達のために)それを行っていたのである。

 家族の成員に付随する権利についてのこうした見解、つまり共通の財産に対してのある割り合いによる分け前という考え方がその家族に対してあるはっきりしたソキエタスとしての性格も付与したという見解は、既に以前から主張されており、その際にまた次の事も注記されていた。つまり家族ゲマインシャフトに対するこうした取り扱いは、家族の資本が何世代にも渡って本質的に商業を営むための財産であった場合には、そういう風に取り扱うしかなかったし、またそういう風に取り扱わなければならなかった。

 ピサにおける societas inter patrem et filium facta は、多く法文の中から読み取る限りでは、その中に多くの要素を包含している:純粋な商慣習としての要素、契約法を基礎として派生した要素、そして家族財産法から発生した要素、そして我々に対し抑制的な形で示されているのは家族成員のそれぞれの分け前分に対する権利(の集合体)である共通の財産、そしてまた家住みの息子達などであり、これらの要素は他の場所でも、もっともはっきりした形では(シチリア島などの)南イタリアで見出せる。最後の2つの要素はしかしながら他の要素とは区別して考えるべきで、最初の範疇は家族法から発生するのではない。その源泉は常に同一である。つまり父親と息子が実際に(同じ)ソキエタスの成員である場合であり、そのソキエタスははっきりと「名前を持った」(nominata)ものであり、明確に取り決められており、そうでない限りソキエタスという形態での利益の分割というものは成立し得ないのである。―その結果として、その基礎となるべきはただ契約のみであった。

ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト

 こうした(家ゲマインシャフトと契約に基づくソキエタスの)混合は、また法規が societas inter fratres facta (兄弟の間で結成されたソキエタス)の場合においてはまた特有のものとして認められるものであり、そういうソキエタスは多数の独立していない共同相続人のゲゼルシャフト関係と理解することが出来る。

 父親は法規によれば、遺言による処分によりそのようなソキエタスを自分の相続人に対して基礎付けることが出来たし、同様に相続人達は相続ゲマインシャフトをソキエタスへと作り替えることが出来た。―最初のケースでは、(遺言に対して)直ちに反対を受けない限りにおいて、またどちらの場合もはっきりとした取消し要求がされない限りにおいては有効であった。後者のケースがその当時基本的に許されていたからといって、次のことを当然と考えるのは適当でないであろう。つまり、結果としてその関係はソキエタスの成員達の同意に基づき、即ち原理的にはただ任意の成員間で作られるとかと述べるのは正しくない。解約権の成立は、ソキエタスの契約に基づく成立とはまったく別物である。このことは実務上は次の事を意味している。つまり共同相続人達がそのソキエタスが解散されるまでは相互に拘束されており、また特別な意思表示無しにソキエタスの成員として扱われるということをである。更にまたソキエタスの解散については、様々なケースで個々の成員の除権について猶予期間が設けられており、更に共同相続人の内の一人が業務を遂行することが出来ない場合でも、その者について、権利を取上げることも、また本人からの権利放棄の両方が不可能であることも意味している。それ故に:その相続人ソキエタスは根本的には解散するためには、またそこまで無条件ではないにせよ設立のためにも、共同相続人の意思表示を必要とした。

 ソキエタスの創設のためには、よりむしろ特別の意思表示を代替するものとして、明白な共同相続人の「共生」(communis vita)が確立された。そこからすぐさま派生してくることは、法規が共同相続人達に対して次のことを命じることである。それは「仮に共同相続人達が共に暮さなかった場合でも」(etiamsi non communiter vixerint)、明示的な契約無しに利益の分割を一定の割合に応じて保証することが出来、その利益はある共同相続人が共通の動産を用いて業務を行って獲得したものである場合、それに対してはっきりした同意の意思表示(expressus consensus)を与えることで、利益とリスクは通常のソキエタスの成員間におけるのと同じように分割されなければならなかった。はっきりした同意の意思表示(expressus consensus)はそれ故にここにおいてはその効果において「共生」(communis vita)と等価であった。

Vita communis(共生)

1.前提条件

 これら今述べたことはソキエタスの成立についての vita communis の影響であるとすれば、次のような疑問が生じて来る:この vita communis という概念は、そういった特別な人間関係を除外してみた場合には、それ自体としてはどのような意味を持っているのであろうか?

 Vita communis のここで述べられた意味での法学的な区別のための目印については、Consitutum Usus は次のようなやり方で示している 27):

1)”si de communi in una domo vixerint”(もしそのコミュニティが一つの家に同居している場合は)。―つまり住居ゲマインシャフトであり、この先で述べるように家計ゲマインシャフトでもある。不在者、つまり他の住居に住んでいる者はゲマインシャフトの一員であることを止めることになる。

27)P. 879を参照。

2)”et contractus et similia communiter fecerint”(そして契約またはその同等物を一緒に締結したとしたら)、―これの意味する所は双方が常に一緒に契約を締結するということではなく、双方が契約によって共通の勘定を設定することを意味する。それは法規の補遺の中で、次のように示されている通りである:”sive absentes sive praesentes sint, sive unus praesens alius absens”(双方とも不在であるか、双方とも居るか、あるいは片方が居て他方が不在の場合)。

3)共通の資本の存在は要求されていない。一緒に生きるということだけで、”de eo, quod tunc acquisiverint”(彼らがその時に獲得することになるであろうその物について)ゲマインシャフトとしての作用を及ぼす(ゲマインシャフトのものとして扱う)ことが出来る。それ故に、資本ではなく、共通の労働にここでの人間関係は基礎付けられているのである。このことは次のことによっても確認される。つまりこの種のゲマインシャフトが機能するのは、ただ―ヴェネツィアのcompagnia fraternaの名残として―ゲマインシャフトが男性の成員のみで成立する場合のみである。ただ労働力を提供する者だけが(ゲマインシャフトの)仲間(Genossen)である。

「中世合名会社史」の英訳の誤りと思われる箇所

英訳にまた明らかな語訳と思われる箇所を発見しました。Lutz Kaelber氏にはメールしましたが、前回の箇所についても何も返信が無かったので、今回のメールも無視されるかもしれません。
今回の誤訳はちょっとひどいと言うか、原文の主語はder Vater(父親)でこれは最後の一文までそうですが、Kaelber氏の英訳は何を考えたのか、途中で主語がSohn(e)(息子)にすり替わってしまい、しかも原文には書いてないことを勝手にくっつけて訳しています。正直な所この人本当にドイツ語のネイティブなのか疑わしく思います。(SohnではなくSohneであり、しかも冠詞はdemなんで3格=与格であることは明らかです。)

ここでヴェーバーが言いたいのは、父親が息子と一緒に貿易のビジネスをやって、その利益の一部をまだ独立していない息子にあげたくても、息子と家族ゲマインシャフトとは別にソキエタス契約を結ばない限りは、その息子への利益供与はほぼ不可能であり(全ての利益は家族ゲマインシャフトに入るので)、敢えてやろうとしたら何か隠し財産みたいなもので法律上財産として扱われるものを、こっそり息子に渡すとかするしかない、その他の手段で例えば現金で支払うようなことは不可能だ、ということです。

元のドイツ語:
(全集版のP.274)

Wenn nun der Vater trotzdem, daß das Vermögen ungeteilt ist, mit den einzelnen Söhnen societates einzugehen überhaupt imstande ist, so muß notwendig auch dem nicht abgeteilten Sohne schon jetzt im Rechtssinn Vermögen überhaupt zustehen, sonst könnte er nichts einwerfen.

societates einzugehen = ソキエタス契約を結ぶ
imstande sein = 不可能である
dem nicht abgeteilten Sohne まだ父親から独立していない(家ゲマインシャフトから別れていない)息子に
zustehen = zugestehen 譲る
einwerfen = 渡す

Lutz Kaelber氏の英訳(P. 141):

If the father at all able to enter into partnership with his sons, in spite of the fact that asssets are undivided, then the son who has not received his share in the property must have a claim to the assets in a legal sense; otherwise, he could not contribute anything,

私の英語試訳:

If then, the father, nonetheless, under the condition that the property is not divided and it is generally impossible to enter into partnership with each son, then he must inevitably transfer now some asset in general by legal definition also to an unseparted son (from the family association), otherwise he would not be able to pass anything (to the son).

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.274 – 278 ドイツ語原文(34)

ドイツ語原文の第34回目です。
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Natur der Familiengemeinschaft.

 Die vermögensrechtlichen Konsequenzen der Familiengemeinschaft sind auch hier die uns sonst bekannten, — das Familienvermögen wird nicht als reines Individualvermögen behandelt, es ist zum gemeinsamen Unterhalt aller Beteiligten bestimmt. Der Vater darf deshalb nach dem Statut nicht nach Belieben solche Sozietäten mit den einzelnen Söhnen eingehen, durch welche die übrigen zurückgesetzt würden. Tut er es dennoch, so fällt aller Gewinn daraus ihm, d.h. dem gemeinsamen Vermögen zu. Wenn nun der Vater trotzdem, daß das Vermögen ungeteilt ist, mit den einzelnen Söhnen societates einzugehen überhaupt imstande ist, so muß notwendig auch dem nicht abgeteilten Sohne schon jetzt im Rechtssinn Vermögen überhaupt zustehen, sonst könnte er nichts einwerfen. Der Gedanke liegt nahe, daß — entsprechend dem früher Entwickelten — an dem gemeinsamen Vermögen Konti eröffnet waren, derart, daß, unbeschadet der Geschlossenheit des Gesamtvermögens nach außen, im Verhältnis untereinander das einzelne beteiligte Familienglied auf eigene Rechnung und Gefahr als Unternehmer oder als Partizipant sich am Geschäftsleben beteiligen konnte. Dies findet seine Bestätigung darin, daß nach pisanischem Recht die früher erörterte Abschichtungspflicht des Vaters im Fall eines Delikts des unabgeteilten Sohnes bestand, hiernach also auch in dieser Beziehung der Anteil am gemeinsamen Vermögen das eigene, der Exekution zugängliche Vermögen des einzelnen darstellte. Uns hat der Gedanke einer solchen quotenmäßigen Mitberechtigung in einer Familiengemeinschaft nichts Befremdliches unter Miterben, Brüdern, überhaupt Gleichstehenden, — daß aber auch unter Vater und Söhnen das Verhältnis so gedacht wurde, erscheint uns weniger naturgemäß. Wir finden aber in den dem 14. Jahrhundert angehörigen, unten zu erwähnenden Rechnungen der Peruzzi und Alberti in Florenz, daß in der Tat, auch wo zweifellos ungeteilter Haushalt bestand, die Söhne bei Lebzeiten ihres Vaters neben diesem häufig mit Konti in bestimmter Höhe in der handeltreibenden Familiensozietät beteiligt werden; nach außen hat in dubio der Vater die Familie zu vertreten, — er unterzeichnet den Sozietätsvertrag und macht die Einlage, aber er macht sie in solchen Fällen „per se et filios suos“.

 Daß diese Auffassung der Mitrechte der Familienglieder, als quotenmäßiger Anteile am gemeinsamen Vermögen, der Familie einen gewissen Sozietätscharakter gab, ist schon früher hervorgehoben, auch bemerkt, daß diese Behandlungsweise nur entstehen konnte, aber auch entstehen mußte, wo das Kapital der Familie durch Generationen hindurch im wesentlichen Handlungsvermögen war.

 Die pisanische societas inter patrem et filium facta birgt, soviel ist aus dem Gesagten zu erkennen, in sich verschiedene Elemente: rein usancemäßige, auf dem Boden des Vertragsrechts erwachsene und solche, welche dem Familienvermögensrecht entstammen und uns das gemeinsame Vermögen von Anteilsrechten der Beteiligten, auch der Haussöhne, beherrscht zeigen, so wie wir dies auch anderwärts, am schroffsten in Unteritalien, fanden. Diese beiden Elemente sind aber zu scheiden, die erstere Kategorie entstammt nicht dem Familienrecht; die Quellen heben immer hervor, daß, wo Vater und Sohn wirkliche socii seien, die societas eine „nominata“, eine ausdrücklich stipulierte sei, anderenfalls tritt die sozietätsmäßige Gewinnverteilung nicht ein, — folglich ist deren Basis eben allein der Vertrag.

Die fortgesetzte Erbengemeinschaft in Pisa.

 Eigentümlich nun ist diese Mischung auch bei derjenigen Sozietät, welche das Statut konkret als societas inter fratres facta bezeichnet 26), und unter welcher es das Gesellschaftsverhältnis unter mehreren unabgeteilten Miterben versteht.
Der Vater kann nach dem Statut durch letztwillige Verfügung eine solche societas unter seinen Erben begründen, ebenso können die Erben die Gemeinschaft als Sozietät fortsetzen, — ersterenfalls, wenn nicht sofort Widerspruch erhoben wird, in beiden Fällen solange, bis eine ausdrückliche Aufkündigung erfolgt. Obwohl nun letztere grundsätzlich jederzeit freisteht, wäre es doch unrichtig zu sagen, daß folglich das Verhältnis nur auf dem Konsens der socii beruhe, also prinzipiell ausschließlich ein gewillkürtes sei. Das Bestehen des Renuntiationsrechts ist etwas sehr Verschiedenes von dem Bestehen der societas auf Grund eines Vertrages. Dies zeigt sich praktisch darin, daß der Miterbe eben bis zur Renunziation gebunden ist und unabhängig von einer besonderen Willenserklärung socius wird; daß ferner für die Renunziation in verschiedenen Fällen Präklusivfristen bestehen und daß, wenn einer der Erben handlungsunfähig ist, ihm gegenüber resp. von ihm eine Renunziation überhaupt unmöglich ist. Also: es bedarf grundsätzlich zur Auflösung, nicht ebenso unbedingt aber zur Begründung des Verhältnisses einer Willenserklärung des Miterben.

26) S.878f. l. c.

 Für die Begründung der Sozietät bildet vielmehr das Surrogat der besonderen Willenserklärung offenbar die communis vita der Miterben, wie schon daraus hervorgeht, daß das Statut für Miterben anordnet, daß, „etiamsi non communiter vixerint“, ohne ausdrücklichen Vertrag Teilung des Gewinns, welchen ein Miterbe aus dem Betrieb von Geschäften mit dem gemeinsamen Mobiliarvermögen gezogen habe, pro rata eintrete, dagegen bei expressus consensus der Gewinn und das Risiko wie bei socii geteilt werden solle. Der expressus consensus steht also hier in seiner Wirkung der communis vita gleich.

Vita communis.
1. Voraussetzungen.

 Ist dies der Einfluß der vita communis für das Bestehen einer Sozietät, so müssen wir nun fragen: welche Bedeutung hat sie an und für sich ohne diese spezielle Beziehung?

 Die juristischen Merkmale der vita communis im hier besprochenen Sinn gibt das Constitutum Usus folgendermaßen an 27):

 1) si de communi in una domo vixerint“, — also Gemeinschaft der Häuslichkeit und, wie sich zeigen wird, auch des Haushalts; eine absentia, welche ein anderes domicilium begründet, hebt die Gemeinschaft auf;
 2) „et contractus et similia communiter fecerint“, — d.h. nicht, daß beide stets zusammen den Kontrakt schließen, sondern daß sie ihn auf gemeinsame Rechnung schließen, wie der Zusatz zeigt: „sive absentes sive praesentes sint, sive unus praesens alius absens“;
 3) Vorhandensein eines gemeinsamen Kapitals ist nicht erfordert, es genügt das Zusammenleben, um „de eo, quod tunc acquisiverint“, die Wirkungen der Gemeinschaft eintreten zu lassen. Also nicht auf Kapital, sondern auf gemeinsame Arbeit ist auch hier das Verhältnis gegründet. Dies wird auch dadurch bestätigt, daß die Wirkungen dieser Gemeinschaft nur eintreten sollen, wenn — eine Reminiszenz an die compagnia fraterna in Venedig — sie „inter masculos“ besteht. Nur wer seine Arbeitskraft zur Verfügung stellt, ist Genosse.

27) S.879.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.270 – 274 日本語訳(33)

 日本語訳の第33回目です。前回と今回の所は、教会の利子禁止原理とそれをかいくぐる手段の資本主義発達との関係という文脈で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で触れられている所であり、「プロ倫」をきちんと理解しようと思われる方には必読の部分だと思います。
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我々はしかしながら、他方ではもちろん次のことも見て来た。つまりは実際の所コムメンダとソキエタス・マリスの形態は投資の目的で、場合によっては未成年者の財産を運用するためにも使われていたということである。―このことはピサの法規においてもまたそうであった。当時においてはこの種類のソキエタスの発展が、中世においては一度それが到達段階として最高点に至ったということにより、そのことは経済的には決定的なことという扱いで大きく限界点を超えることを認容しているが、そのような形で投資された資本はそのやり方を主要なものとして選んだと言える。何故ならばそれによってその当時の人は通常考えれば自然なやり方である利子付きの貸し出しを放棄しているからである。しかしながらこのことは常に証明出来ないだけでなく、また逆のことが正しいとさえすることが出来る。当時の商取引においては、当時の人々が教会法の利子禁止について「良心の法廷」(forum conscientiae)《キリスト教徒が自己の内面における神との関係で事の善悪を自分の良心に従って判断すること。カントは人間の良心を「内的法廷の意識」と呼んでいる。》の外側でも真摯に実務的に対処しようと考える前に、純粋な利子付きの貸付けは、相対的に見ると本当に取るに足らない役割しか果たしていなかった。投資先を欲する資本が今日であっても利子付きの貸付けが基本的に含まれている個人への私的な貸付けに向かうということは決して広範囲では行われていない。ましては当時はさらに少なかった。―公的な信用というものの本質は、当時においてひょっとしたら発生していたかもしれない資本家という者達の手間暇を要する需要に応じる方向に向かうことはほとんどなかったであろう。運用可能な資本は、それが不動産の購入と貸し出しという形、つまり資本家による不動産の引き渡しという方向に向かっていなかった場合は、その利用と投資の対象として、我々の法領域における海上取引を見出したのである。しかしながら純粋な貸し付けのやり方というのはこの海上取引という目的においてはほとんど適していなかった。ある事業で航海という目的で受け入れられた資金貸し付けに対する返済については、万一その事業が何らかの惨事《例えば船の難破》に見舞われた場合が、もっとも問題であると考えられていた。その理由からローマ法の foenus nauticum が、そして北イタリアの諸法規ではコムメンダと競争していた海上貸し付け制度(Seedarlehen)が登場するのであり、そこにおいて投資が利益の分配を条件とする航海の危険への参加という形で登場するのであり、後者を非常に隆盛を極めたがために、その分より多くの資金を必要とした取引が喜んで受け入れたのである。こうした海上貸し付け制度はしかしまた、先に詳しく論じたように、この当時大規模な取引のあった地中海貿易を理解する上では有用であるが、その大規模取引に対し海上貸し付け制度は次のような意味で関わってその利用を許したのではなかった。即ち資金の引き渡しは海を越えての商品の輸送という事業自体に参加するのが目的ではなかったし、それは同様にその事業の可能性のあるリスクそのものに直接関わろうとするものでもなかった。その意味でこういったリスクがこのシステムによって《海難事故の》平均的な確率という意味での計算可能性の中で扱えるようになったという見解は修正する必要がある。この意味から、そして綿密に検討された利子禁止の教義の回避の必要性からではなく、資本家達による危険の共有と、また権利関係では経済的に見れば貸し付けに近づいた状態であることが説明出来るようになり、さらにはこのシステムが定額の配当金を持つソキエタスとして構成されているように見えるのである。利子の教義としては―そういったものが存在していることを認めようとする立場からであるが―経済における戦場にそれが姿を見せたとしたら、それは各種のソキエタスの形態の発展が―それはラスティヒEndemmanに対して明確に強く反論した点であるが―それをとっくに実現していた。教会法による利子禁止がその後演じた役割は、イタリアにおいても決して小さなものではなかった。(ほとんど全ての法規定がそれについて何らかの記述を行っている。―どのように?はここでは扱わない。)しかしながらある新しい法的な制度の発展または既に存在している制度のさらなる発展においては、我々が研究対象としている領域では、私が見る限りでは利子禁止という方向に戻るような傾向は見出せない。ここでは唯一の制度、つまり dare ad proficiuum maris のみが、その利子禁止という教義に対し違反するようになっていたが、その他の制度に関しては《利子というやり方の》成長を妨げる方向に作用し、創造的な方向には作用していなかった。丁度 “dare ad proficuum maris” の人間関係が、それはソキエタスの構成のやり方としては明らかにもっとも劣悪なものであったが、Endemman的な理論の範例《利子禁止の回避の方法として》という意味では、最適であるように思われる。それは利子という経済原理の支配の前でその確立に成功したのであり、利子の原理が本当の意義を持つようになって広く普及した時になってみれば、それはむしろ《利子禁止原理の》犠牲になったのであり《実際に1236年に法王庁から非難され、最終的には無くなっている》、それもリスクについての調整方法によってではなく、固定した利益という考え方によってであるが、そのことは利子禁止ということがその本来の構造の基礎目的には決してなっていなかったということを明確に示している。

 我々は利子禁止に関する議論はこの辺りで切り上げ、ピサのソキエタス法の観察に戻ることにしたい。

IV. ソキエタス・マリスと家族ゲマインシャフト

 というのは我々はまだ海上取引に関わる諸ソキエタスの一般的かつ前述した形でのいくつかの特別な形成物についてまだ詳しく論じなければならないからである。それらの形成物はまさに我々の関心に応えるという意味で適当であるし、Consitutum Usus においては”de societate inter patrem et filium et inter fratres facta“(父親と息子の間、または兄弟の間にて結成されたソキエタスについて)という特別な章において取り扱われている 24)。

 つまりはソキエタス・マリスが次の場合では確実に修正されているのである。つまり、ここでの章の表題に示されているようにソキエタスが家族の成員の間で締結されている場合である。それについてここで論じるべきであると考える。

24)Consitutum UsusのCapitulo 21を参照。

ソキエタス・マリスが家族連合(associationen)から生じたという仮説

 ここで主にジルバーシュミットによって主張されている仮説に対してその誤りを指摘しておかなければならない。その仮説とはピサにおける種々のソキエタスがまさしく家族法を起源にしていると見なすべきである、というものである。―それはつまりある家族の成員、特に家の息子が家族の資金を用いてある商取引のための旅を企てた時に、次のことの必要性が明らかになったということである。それは申し合わせによって、得られるであろう利益の分配の仕方を定めるということであり、それはその後確かな商慣習として発展しただろうということである。このような商慣習は、この種の事業が extraneus (親族以外の外部の者)の資金によって行われている場合には特に、その事業の基礎的な要素として扱われるということである。

 ソキエタス・マリスにおいて複数の extraneus の間で通用していた根本原則は、家族の成員にとってはそのまま適用出来るのではなくむしろ逆だったのであり、その原則が家族による成員間でのソキエタスに適用される場合には修正された上で適用されたのである。その場合に関連法規の理解としては、その法規においての”societas inter patrem et filium et inter fratres facta”についての記述に対して、”societas inter extraneos facta”に適用される法文をそのまま適用することに疑問があることが示されており、当面の間は家族間のソキエタスは extraneus 間のソキエタスの特殊な場合として理解されるようになるのであり、そのことは法規の該当する章を見れば分ることである。さらに法規の関連箇所の記述を見れば、こうした理解の仕方が事実上の人間関係に適合していたことが分る。しかしここで前提とされるのは次のようなことである。この家族の成員の間でのソキエタスがそれ自身の傍らに、一般的でまた同時にある意味特別でもあるそれ自身に元々備わっていた修正された要素を保持し続けたということであり、その要素の中身をこれから詳しく述べていく。その要素は自らがその源泉となったものは何であったのかという問いを投げかけている。

 まず第一に確認されなければならないのは、この関係においては純粋に親族関係という要素は意味を持っていないということである。もし in potestate (ある力を持つ)ではない、つまに共通の家の中に住んでいない息子または兄弟が、その父親または兄弟とソキエタスを結成する場合、そのソキエタスは societas extraneorum (親族以外の人間とのソキエタス)と取り扱われる 25)。 25)P.887 l.c. 参照。

 共通の家計を土台にした共通の労働はここにおいても家族の暮しの中での経済的に自然な要素である、それ故に法規は父親に対して息子をその家で労働に従事させる権利を与えている。また同じ理由から、息子が父親の資金を使って海上取引に従事する場合には、申し合わせの欠如により利益は頭数で(pro rata)分割された。父親が航海に同行する場合には、父親は常に息子の分担分として持ち込まれた商品の売却によって得られた利益の1/4を受け取っており、それは”sicut havere esset extranei”(あたかも息子が赤の他人であると望むかのように)ということであり、しかしその他にも”totum quod per operam sive alio modo acquisiverit”(彼自身の労働によって、または別の何かの手段によって獲得した全ての物)を自分の元に留めていたのである。息子の労働の成果については、最初のケース(父親の資金で息子が海上取引を行う場合)では、息子には何も与えられず、報酬は直ちに父親のものとなった。父親はここで挙げたような諸ケースにおいては、自然な帰結としてそのソキエタスの capitaneus であったのであり、そのソキエタスはその他の点では親族ではない他人とのソキエタスの規則に完全に適合していたし、さらにそこではまた利益の分割についての異なったやり方が申し合わせられるのが常であった。

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.270 – 274 ドイツ語原文(33)

ドイツ語原文の第33回目です。
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Wir haben aber andererseits allerdings auch gesehen, daß in der Tat die Form der Kommenda und societas maris zum Zweck der Kapitalanlage, selbst für Mündelgelder, benutzt wurde, — dies auch nach den pisanischen Statuten. Indessen einmal war damals die Entwicklung dieser Sozietäten bereits auf der höchsten im Mittelalter überhaupt von ihnen erreichten Stufe angelangt, und dann ist es auch wirtschaftsgeschichtlich entschieden eine gewaltige Übertreibung, anzunehmen, das so angelegte Kapital habe diesen Modus hauptsächlich gewählt, weil man ihm den sonst natürlichen Weg, zinsbar ausgeliehen zu werden, verschlossen habe. Dies ist nicht nur nicht erweislich, sondern es kann das Gegenteil als sicher gelten. Im damaligen Verkehr hat, noch ehe man daran dachte, das kanonische Wucherverbot auch außerhalb des forum conscientiae ernstlich als praktisch zu behandeln, das reine zinsbare Darlehen eine relativ recht unerhebliche Rolle gespielt. Anlagebedürftiges Kapital pflegt auch heute sich nicht in großen Dimensionen dem privaten Personalkredit, welchem das zinsbare Darlehen grundsätzlich angehört, zuzuwenden, noch weniger damals; — ein öffentliches Kreditwesen bestand damals wenigstens nicht in der Art, daß es einem chronischen Bedürfnis etwaiger Kapitalisten entgegengekommen wäre. Verfügbares Kapital wandte sich vielmehr, soweit es nicht im Kauf und Wiederausleihen von Immobilien, der überlieferten Form des kapitalistischen Immobilienverkehrs, Verwendung und Anlage fand, in unserem Rechtsgebiet dem Seehandel zu. Die Form des reinen Darlehens war aber für diesen die wenigst geeignete. Die Rückzahlung eines zum Zweck des Unternehmens einer Seereise aufgenommenen Darlehens mußte in dem Fall, daß das Unternehmen von einer Katastrophe betroffen wurde, höchst problematisch erscheinen — daher das römische foenus nauticum, und das in den Statuten mit der Kommenda konkurrierende Seedarlehen des Mittelalters, daher hier die Kapitalanlage in Form der Beteiligung an der Gefahr gegen Gewinnanteil, welch letzteren der aufblühende, daher kapitalbedürftige Handel gern gewährte. Es entsprach diese Form aber auch, wie früher ausgeführt, der Auffassung des mittelländischen Seeverkehrs, der ältesten Stätte des Großhandels, welchem es nicht in den Sinn wollte, daß die Hingabe von Kapital zum Zweck einer überseeischen Expedition nicht als eine Beteiligung an derselben, also auch an ihrem Risiko, gelten sollte. Darin änderten sich die Ansichten, als dies Risiko der Durchschnittsberechenbarkeit zugänglicher wurde. Hieraus, und nicht aus dem Bedürfnis einer subtilen Konstruktion behufs Umgehung des Wucherverbots, erklärt sich die Beteiligung des Kapitalisten an der Gefahr und der Umstand, daß auch Rechtsverhältnisse, welche wirtschaftlich dem Darlehen nahe stehen, noch als Sozietäten mit fixierter Dividende konstruiert erscheinen. Als die Wucherdoktrin — wenn man eine solche als bestehend anerkennen will — auf dem wirtschaftlichen Kampfplatz erschien, war die Entwicklung der Sozietätsformen — das hat Lastig gegen Endemann scharf betont — längst vollendet. Die Rolle, welche das kanonische Verbot alsdann gespielt hat, ist auch in Italien keine kleine gewesen (fast alle Statuten nehmen zu ihm Stellung, — wie? ist hier nicht zu erörtern), aber die Entwicklung eines neuen Rechtsinstituts oder auch nur die Fortentwicklung eines bestehenden ist auf unserem Gebiet, soviel ich sehe, nicht darauf zurückzuführen, es hat hier einzelne Institute, so das dare ad proficuum maris, verkümmern lassen und sonst hemmend, aber nicht schöpferisch gewirkt. Gerade daß das Verhältnis des proficuum maris, welches sich augenscheinlich der Konstruktion als Sozietät am schlechtesten fügt und am geeignetsten für ein Paradigma der Endemannschen Theorie scheint, offenbar vor der Herrschaft der Wucherdoktrin zur Ausbildung kam und später, als jene Doktrin wirklich zu Bedeutung gelangte, ihr zum Opfer fiel, und zwar nicht der Art der Regulierung des Risikos, sondern des certum lucrum wegen, zeigt deutlich, daß nicht das Wucherverbot der Grund seiner eigentümlichen Struktur war.

 Wir kehren zur Betrachtung des pisanischen Sozietätsrechts zurück.

IV. Die societas maris und die Familiengemeinschaft.

 Denn wir haben noch gewisse Spezialgestaltungen der allgemeinen, oben dargestellten Form der Seesozietät zu erörtern, welche gerade unser Interesse zu erregen geeignet sind und von dem Constitutum Usus in einem besonderen Kapitel: „de societate inter patrem et filium et inter fratres facta“, behandelt werden 24).
Die societas maris nämlich erleidet gewisse Modifikationen, wenn eine Sozietät der dargestellten Art zwischen Familiengliedern geschlossen wird, und davon soll jetzt die Rede sein.

24) C[apituto] 21.

Angebliche Ursprung der societas maris aus Familienassociationen.

 Als irrtümlich muß hier namentlich die von Silberschmidt aufgestellte Ansicht bestritten werden, daß die pisanischen Sozietäten gerade aus dem Familienrecht ihren Ursprung genommen haben sollten: — indem nämlich, wenn ein Familienglied, insbesondere ein Haussohn, mit Geld der Familie eine Handelsreise unternahm, sich das Bedürfnis herausgestellt habe, durch Verabredungen, welche alsdann allmählich eine gewisse Usance entwickelt hätten, die Verteilung des Gewinnes zu regeln; diese Usancen seien dann, auch wo derartige Unternehmungen mit dem Gelde eines extraneus gemacht worden seien, zugrunde gelegt worden.

 Daß dem nicht so ist und vielmehr umgekehrt die Grundsätze, welche bei der societas maris unter extranei galten, auf den Fall einer Sozietät unter Familienmitgliedern modifiziert angewendet wurden, ergibt vorläufig schon die Fassung des Statuts, welches stets bei Darstellung der societas inter patrem et filium et inter fratres facta auf die bei der societas inter extraneos facta geltenden Rechtssätze als in dubio anwendbar verweist, erstere als einen besonderen Fall der letzteren behandelt, wie jeder Blick in das betreffende Kapitel lehrt. Die zusammenhängende Darstellung wird zeigen, daß diese Fassung dem tatsächlichen Verhältnis entsprach. Vorausgesetzt aber, daß dies der Fall, so enthalten die Sozietäten unter Familiengliedern neben diesen allgemeinen auch speziell ihnen angehörige, modifizierende Elemente, deren Inhalt zu erörtern sein wird, und von welchen es sich fragt, welches ihre Quelle gewesen sein mag.

 Zunächst ist festzustellen, daß das rein verwandtschaftliche Element hier bedeutungslos ist. Wenn ein nicht in potestate, d.h. nicht im gemeinsamen Hause befindlicher Sohn oder Bruder mit seinem Vater bzw. Bruder eine societas eingeht, so wird sie als societas extraneorum behandelt 25).

 Gemeinsame Arbeit auf Grundlage gemeinsamen Haushalts ist auch hier das ökonomische naturale des Familienlebens. Deshalb gibt das Statut dem Vater ein Recht auf die Arbeitsleistung der Söhne in seinem Hause und aus demselben Grunde wird, wenn der Sohn mit Kapital des Vaters den Seehandel betreibt, mangels Abmachungen der Gewinn pro rata geteilt, während wenn der Vater reist, er stets die quarta proficui von dem als Anteil des Sohnes Mitgeführten, „sicut havere esset extranei“ bezieht, außerdem aber für sich behält, „totum quod per operam sive alio modo acquisiverit“. Die Arbeitsleistung des Sohnes wird im ersten Fall nicht entgolten, sie gebührt dem Vater ohne weiteres. Der Vater ist in derartigen Fällen naturgemäß stets capitaneus der Sozietät, welche im übrigen ganz den Regeln der societas extraneorum entspricht und bei welcher auch die übliche Art der Gewinnverteilung stipuliert zu werden pflegte.

25) S.887 l. c.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.266 – 270 日本語訳(32)

日本語訳の第32回目です。これで訳し終わった箇所が2/3を超えました。
ヴェーバーはコムメンダやソキエタス・マリスの発達は教会法の利子禁止原理の回避が主目的ではないとしますが、もしコムメンダがイスラム圏でのムダーラバ契約の影響を受けて出来たものであれば、それはまさにイスラム教での利子禁止に抵触しない方式として考案されたのであり、ある意味議論が根本的に変ってきます。
また「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に出て来る、教会法の利子禁止原理と資本主義の発達との関連についてのゾムバルトへの反論の中で言及されている海事利息制度(大塚訳では海上貸借)、コムメンダ(大塚訳はコンメンダ)、ソキエタス・マリス、dare ad proficuum de mari は全てこの「中世合名会社史」の中で扱われています。
ちなみに先日訳者としての大塚久雄の姿勢を批判しましたが、同じ批判を英訳者のLutz Kaelber氏に対しても行います。今回の箇所に出て来る”foenus nauticam”は、最初は第2章の冒頭に登場します。しかしKaelber氏は”foenus nauticam”をそのまま引用しただけで、英語に訳すことも訳者注を付けることもしていません。今回の箇所にSeedarlehenという単語が登場しますが、実はこれは”foenus nauticam”をドイツ語にしたものです。(ここを参照。)Kaelber氏はその訳を”the ocean loan”と、何だか一般的な貿易への資金貸付けのように訳しています。読者はこの訳では何故それが教会法の利子禁止原理と関連するのかがまったく理解出来ません。自分にとって分らないことを調べずに放置してそのまま引用することが、結局他の箇所でも翻訳の質を低下させることにつながります。
それからまた、そもそもこの論考を翻訳するきっかけになったのは、この論考にRentenkaufが登場することなのですが、どういう文脈で扱われたのか、ようやく理解出来ました。
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 ここにおいての《henticaが形成されるケースとこのad portandum in compagniaとの》本質的な違いは次のような点にあると考えられる。つまり、ここでの出資は技術的な意味でhenticaとして取り扱われず、従ってまた法規においても、henticaとソキエタス・マリスについては債務に関わる人間関係についての明確な規定の中では言及されていない。そのためにここではゲゼルシャフトの財産が成立したようにはまったく思えず、そのためにこの形態をソキエタス・マリスと違うものとして扱う場合は、あたかも商法典においての「匿名」組合と合資会社の中間に位置付けられるものとして考えることが出来るかもしれない。ゲゼルシャフトの財産を持った合資会社は疑い無く法学的にはより上位の形態である。もしラスティヒが participatio 《参加する》という動詞によってこうした人間関係を理解しようとしているのであれば、それは確かに意義のあることと考えても良いであろう。その participatio という概念においては、ただ債務という考え方だけを扱い、その業務への参加者の間で維持されている利益と損失の分担を特別財産の形成とは見なさず扱うのであり、それはソキエタス・マリスとは対置される性格のものであると考えられる。―こうした見解は法学的なものであり、資本と労働がどのように結合されているかということについて、それぞれの単なる経済的な差異を抜き出して描写しようとしているのではないだろう。

 こういった固有財産を持つソキエタスと持たないソキエタスの違いというものは、しかしながら当初から存在していた訳ではない。―我々はその違いについてはジェノアの例においては、ただ曖昧にまた間接的に認識することが出来ただけである。その2つの違いが明確になるにはようやく次のような時点からである。それは根源的には現金取引の中で利用されていたコムメンダとソキエタス・マリスという制度が、外部に対して債権-債務の関係を明確に示す必要性が生じた時で、それは特に海外との商取引においてもより大規模な信用取引が行われるようになった場合である。ジェノアにおいてはただソキエタスの財産形成についての非常に萌芽的な諸契機を見出すことが出来ただけである。その財産形成についての法的な取り扱いという意味では、ピサにおける法規の編纂者達のより高度の水準にある法学的技術が、既に見て来たようにかなり早い段階でそれ以上の成功を収めていた。

 これまで論じて来たことからジルバーシュミットがコムメンダの中に合資会社の、そしてソキエタス・マリスの中に合名会社の、それぞれの始まりを見出そうとするアプローチは正しくないと思われる。ソキエタス・マリスはむしろ逆に合資会社の基礎原理なのであり、コムメンダはしかし、それが一方向的な関係に留まる限りにおいては、単純な参加型の関係という形でのみ発展する傾向を持っており、固有の制度としては最終的には消え去ってしまった。それはConsitutum Ususの中では既に見て来たように、datio(dare) ad portandum in compagniam の所である意味相当程度継母ままははのように扱われていた。

 今述べた最後のことを明らかにし、そして同時に我々の見解が正しいということについてのさらなる証拠は次の所で提供される。つまり、まずはコムメンダが取り入れられている法規の該当部分においてであり、さらにはコムメンダがその形を変えていくその方向によって、そしてまたConsitutum Ususの中でより単純化された信用取引の受け入れという方向にさらに進んでいく取引における人間関係についての規定を通じて提供される。その人間関係は dare ad proficuum de mari という名称で詳細に規定されている。

III. 固定配当金を持ったソキエタス(Dare ad proficuum maris)

 この dare ad proficuum maris もまた、文献史料によれば、ある種の”accipere havere ad proficuum de mari in aliquo tassedio ad tractandum in hentica”(共同出資によるソキエタス{hentica}の商品をどこか航海に出てそれを{海外で}販売し、それによって利益を得ようとする意図に基づくソキエタスへの参加の受け入れ)である。この表現から、コムメンダがこの制度の歴史的な土台であることが良く分る。その他また数多い煩瑣な形式的な疑問に答える完全に統一された諸規定から分ることは、もし何らかの理由でここで通常の利益分割のやり方が採用されない場合には、補完的に使われていた契約法(lex contractus)の規定である1/4の利益配分にまた戻ってしまうということである。(その1/4の利益は、例えば契約違反の場合の違約金として支払わなければならないものである。”ac si re vera socius esset”{そしてもしその者が何か正当な手段によってソキエタスの成員であるだろうとされるならば。})この人間関係については、それ以外の点では対外的にその祖先であるコムメンダとの類似点がほとんど見つからない。例えば出資に関してはピサでは、商慣習として固定化された利益の内の最大の取り分についての料金表が作られていて、その%で示された値は仕向先の港の位置する場所によって異なっていた 21)。これらの法文の規定は、企業家側からすれば「資本の調達コスト」として支払わなければならないものであり、根源的には常のこととして、(そうした資本調達コストを負担する前提で)利益を事業によって得ようとするものであった。利益が想定より少ないかあるいは全く無いという事態が―何らかの責任を負う必要がないこと(例えば不可抗力)が原因で―生じてそれが通知されることにより、ある決まった規則によって支払い利益の割引が発生する。また払い込まれた資本の全額の償還の際にも、臨時の減額の通知によって、元本割れの金額の返却という事例も見られた。この制度は海事利息制度《第2章の冒頭で言及されているfoenus nauticamのこと。そちらの訳注を参照。》とソキエタスの中間に位置付けられるが、しかし私はSchröder 22)《Richard Schröder、1838~1917年、ハイデルベルク大学の法制史家・商法学者》の説である海事利息制度の変形であるとは考えず、むしろ海事利息制度の法規定の中に取り入れられている法文によって変形された出資ソキエタス、コムメンダの特別なケースであると考える。―その「特別なケース」とは以下のようなケースである:その形成にあたっては、西地中海の沿岸に位置する全ての港を仕向地として完全に分類して算出した取引のリスクとさらにそこから派生する保証(のコスト)から、その(貿易)業務において平均してどの程度の計算可能な収益が得られるかということを明らかにする、そういうケースである。またそういう取り決めの目的は明らかに、信用取引の引き受けが主眼ではなく、利益の分割の仕方である。

21)Consitutum Usus c. 25: constitutio de prode maris を参照。

22)Endemann編の Handbuch des deutschen Handels-, See-, und Wechselrechts の第4巻の§ 46、Wagner《Rudolf Wagner、1851~1885年、ドイツ-ラトビアの法学者》のHandbuch des SeerechtsのIのp. 25のNo. 61、ゴルトシュミット(Festgabe für Beseler p. 204)は全てこの制度をゲゼルシャフト的に変形された海事利息制度としている。私は文献テキストトの中で探そうとした海事利息制度のコムメンダへの歴史的な依存という仮説を、そのコムメンダについては根本原理としては応急的なものとして登場したと考えるべきであるとする文章への言及を考慮し、少なくとも債権-債務関係の形成という点では正当であると考えたい。

 こうした業務の細かい点については、我々の関心の範囲外である。我々がここに見出すのは、先に述べた参加型業務がはっきりとより広範囲に行われるようになったということであり、それは料金表に記載されたそれぞれの港湾との増大する定期的な取引より生じた。そうした参加型の業務はそれぞれの港湾との貿易での固定化された利益配当を可能にしたのである。というのもいまや、既に述べて来たように、これらの関係も―その取り扱いについてはソキエタス・マリスと関連し、―またコムメンダを継承するものとして登場しているため、我々はここでまた、ラスティヒの言う所の一方向的な労働ゲマインシャフトと同じく一方向的な資本ゲゼルシャフトの対立が、こうした貿易業務の発展においての決定的な契機ではなかったことを見出すのである。

 ”dare ad proficuum de mari “の形の制度は後に消滅してしまっている。法典の補遺においては、固定化された利益と引き換えの資本提供を禁止しており、Consitutum Ususの中の該当の章は破棄され、”usura”が先頭に付く名前の章はこの業務形態を別のより害のないものに置き換えている。

ソキエタス法に対する利子禁止原理

 この機会に手短に次の見解についての議論に立ち入っても良いであろう。その見解とは中世における諸ソキエタスの発展を教会法での利子禁止原理の方へ本質において引き戻そうとするものであり、特にEndemannがそういう立場である 23)。この見解では次のことが仮定されている。つまり当時の教会法の教義において、ソキエタスを「営利活動」(pecunia-opera)と把握し、それの一つであるコムメンダ関係について、その本来の構造を本質的に次のことから把握している。つまりそれは資本が教会法によっての利子禁止の制限を何とかかいくぐって利子(収益)を得ようとするする形態であると。それ故にある人間関係について考慮する場合、もしそれが経済的には明らかに一定の利息の受け取りを条件とした資金貸付けとして登場するのであれば、それは(教会法では営利を目的とする)ソキエタスと見なされるのである。―次のことは既に知られている。この時代の人間が地代徴収権購入《Rentankauf、ある土地の所有者から土地そのものを買うのではなく、その土地の利用者に対して発生する年間いくらという地代{Rente}の徴収権を購入するもの。毎年受け取る地代が支払った金額に対する利子のように機能するが、貸付けではなくあくまで売買であるため、教会法の利子禁止原理の制限を免れた。》に似たやり方で抵当権上の保証が付いたヴェールに隠された利子付き貸付けをどのように行おうとしていたのかを説明しようとするのであるが、しかしこのような把握の仕方はその後断念されたと見なし得るのである。アーノルド《Wilhelm Christoph Friedlich Arnold、1826~1883年、ドイツの法律家・歴史家・政治家》等の研究は次のことを明らかにした。地代徴収権購入は次第に(資金提供者から地主への)貸付けの関係から諸都市における土地所有権(の代用)として発展し、そしてそれは全くの自明のことである経済的な要求を充たすものであったが、しかしながら利子付き貸付けが出来ないことに対する代替品としては主要なものでは全く無かった。―それがまた後になって、その制度が独立して発展した後になってようやく、投資先を求める資本が利子付きの抵当権設定という形態が欠けていることに対しての代替品として利用されたとしてもである。ソキエタス的な関係に関して言えば、これまで述べたことから十二分に次のことを確認することが出来る。つまりここにおいても(ソキエタスの)法学的かつ経済的な発展は(教会法の利子禁止原理をかいくぐる手段としてよりも)独立に発生したということである。(この段落続く)

23)Studien zur romanisch-kanonischen Wirtschafts- und Rechtslehre を参照。―それに対するラスティヒの反論は引用済みの論文を参照せよ。