III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.194 – P.198 日本語訳 (16)

日本語訳の第16回目です。ここはラテン語はあまり出て来ないのですが、別の記事で書いた”meta”というランゴバルド法での一種の結納金に対する解釈が、H.ミッタイスの本(ドイツ私法概説)を見る限り、ヴェーバーも英訳者も全集版の注釈者も全て間違えているんじゃないかという疑問があり、大変でした。またヴェーバーのドイツ語も前章までに比べると錯綜してきたように思います。
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故に王に忠誠を誓うことによって王より与えられたか、あるいは何かの判決によって獲得されもののみがゲマインシャフトの勘定には入らず、そして(外部から嫁いで来た)妻に共通の財産から(ex communi)与えられた”meta”《全集版の注釈では「花嫁の持参金」とされているが、P.193の下でヴェーバーは「持参金」{mitgebenと動詞形で表現}は父親または男の兄弟より花嫁に与えられ、「それによって財産の分与を受けたことになる。(und sind damit abgefunden)」と書いているので、ex communi{共通の財産}から(花嫁に直接)与えられると読める記述は明らかに矛盾している。”meta”はH.ミッタイスの「ドイツ私法概説」によれば、花婿が花嫁の父親から花嫁に対するMunt{保護監督権}を引き渡してもらうことの代償として花嫁の父親に支払う、日本語で言えば一種の結納金のことであり、確かに父親はその受け取ったお金の中から娘に持参金を渡すのであるが、一度お金は父親の財産となったものを更に財産分与として与えるのであり、直接花婿の家から花嫁に支払われる訳では無い。ヴェーバーは花嫁の持参金以外に、何か別のお金が花婿の家の共通財産から花嫁に支払われると勘違いしている可能性も否定出来ない。H.ミッタイスによれば、ランゴバルド法での女性の地位、とりわけ婚姻後の地位についてはもっとも大きく学説が変わったとしており、ヴェーバーの時代ではmetaの意味が間違って解釈されていた可能性も考えられる。》のみが、(財産全体の)分割の際には、各成員個人に帰属すると認められる。そうでない場合の全ての収入は、兵士として出征したことで得られるものであってもゲマインシャフトの勘定に入り、同じく全ての支出もゲマインシャフトの勘定から行われるのである。支出のゲマインシャフト(全ての支出を共通の勘定から行うこと)にとって重要な事は、より古い時代の単純な人間関係の中にあった。そこでは支出を毎日必要となるもののみに限定しており、まだ信用売買は全く利用されていなかった。そういったやり方は今日の眼では心許なく見えるが、実際はそれ程でも無かった。収入のゲマインシャフトが関係する場合は、それ以外の要素も現れて来たかのようであった。つまり家族仲間の間での自然な関係 4)として、共通の家に住む共通の労働と生業という要素である。家族というものは、その時代での見方によれば、まだまず第一に一つのまた自然に与えられもした「生産ゲマインシャフト」であり、今日我々が普通に考えている単なる「消費ゲマインシャフト」だけでは無いのである。そういった生産ゲマインシャフトは、特にイタリアの諸都市では、広範囲に及ぶゲゼルシャフト形成の基礎であった。

4)Breve Pisani. Communis. v. 1286 l. I c. 118における家の息子に対する家の労働の強制を参照せよ。またランゴバルド法の表題 “De eo quod pater filiis vel filiabus necesse habet relinquere”(父がその息子達や娘達に残すように強制されたものについて)における、家の労働に良く貢献した(bene servientes)息子達に対して遺言で援助を与えることへの許可についても同様に参照せよ。こうした見解を裏付ける更に何倍もの具体例については後でまた扱うことになる。

諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト

 家族ゲマインシャフトと共に基礎に置かれる親族関係は、最初から本質的な契機ではあり得なかったということをここで確認しておかなければならない。

 家族を構成員とする家のゲマインシャフトは家族の成員以外にまた家族以外の人間 5)を含んでいた:家における使用人もまた、古い時代から家の成員として認められていた。そしてその取り扱いは家族について法的な因果関係を考える上での意味を持っており、それについては今後折に触れ立ち帰って検討することになる。財産法の側面については、大規模な商業の始まった時代においては、親族関係は大きな意義を持ち得ず、その代りに家計ゲマインシャフト、文献史料での呼び方では、”stare ad unum panem et vinem”(一つのパンと一本のワインを共にする)、がそれによって結び付けられた労働 6)のゲマインシャフトという点において本質的な特徴として表現されている。

5) このこと(家族以外の人間が加わっていること)は、ギールケ《Otto von Gierke、1841~1921年、ドイツの法学者でゲルマン法主義者であるゲルマニステンの中でもっとも高名》のGenossenschaftsrecht《邦訳書名:ドイツ団体法論》の第1巻のP.14以下において、他の関係の場合でも注記されている。-ギールケがジッペ(氏族)と家計の関係について論じている所で、彼はその二つの差異を本質的にジッペ(氏族)のゲノッセンシャフトとは対立関係にある、家計ゲマインシャフトに基づく専制君主の組織の中に見出している。しかし注意を要するのは、家のゲマインシャフトが家父長を頂点に置いていない場合で、つまり各成員が平等に扱われるように構成されている場合において、むしろ何よりもそれ自体が独特の性格を持っている、ということである。またイタリアにおいても、少なくともランゴバルド法においては、家族の組織に対しての家父長の専制君主的な固有の権利という考え方は存在せず、南イタリアにおいてもほとんど存在していなかった。

6)バルドゥス《Baldus de Ubaldis、1327年頃~1400年、イタリアの法学者で中世ローマ法の大家》のConsilia IV 472:”cohabitatio sola non facit societatem“(一緒に住んでいるというだけではソキエタスの構成要件として十分ではない)の箇所を、Consilia II 74の、一緒に暮している兄弟達の「勤勉な労働」によって獲得されたものは均等に分けられなければならない、の所と結び付けて参照せよ。Consilia のIIの451と更にIIIの30の、相続された共通の財産はその一族の間で、また労働によって獲得されたものは頭数によって分割されねばならない、を参照せよ。Consilia I 19の箇所においては、ロマニステン(ローマ法重視派)的な見解をより厳密に借用しようとする場合において、ソキエタス契約締結の証拠が必要とされ、それは共通の労働を結合しつつ一緒に暮すこと以外の要素から推定されるのである。というのはIIの260はIの19に出て来る判断を次のことによって再び無効とする。つまり分け前の持ち主があるものをどこから獲得したのかということを証明出来ない時、それについては共通の財産から取得したと見なし、そのことにより獲得の意図についての証拠が無いのにも係わらず、ゲマインシャフトのために獲得したのだということにして、成員間の共通性が損なわれないような状態に留めるのである。
 共通の家に一緒に住んでいない者は、ゲマインシャフトによって産み出されたものを取得することは出来ない。-このことは既に引用済みのランゴバルド法の箇所から結論付けることが可能であり、そしてピサのConstitutum Ususでは明確に、ゲマインシャフトは家に不在の者(absentia)が他の住居を建てた場合にはその者の権利を剥奪する、と述べている。
 その中で行われる共通の生業と結び付いている共通の住居は、財産法の側面においてもまた本質的なものであり、-そして我々にもこの側面がまず第一に重要なのである。

7)Bonaini、Statuti inediti della città di Pisa Vol. II のp.880を参照せよ。

財産法的発展の行程。構成員の分け前への権利。

 財産法的発展の行程は、次の事によって特徴付けられる。つまり、既に我々が見て来たように、ランゴバルド法は無制限の財産ゲマインシャフトに対する様々な制約を最初から視野に入れていた:少額の収入についてはゲマインシャフトの共通勘定に入れることはなく、しかし支出については少額でもゲマインシャフトからとしなければならなかった。この支出をどこから行うかについて、次に本質的では無い新たな変更が加えられた。個々の成員はいまやゲマインシャフトにおいて計算の目的である種の-まだ簿記とは言えないまでも-個別勘定を持つことになり、もはや全ての収入がゲマインシャフトには必ずしも入らなくなり、この傾向は更なる制約条項の出現を示唆するものとなった。

 しかしながら法的な観察の上で更に重要な因果関係が出現している。ゲマインシャフトのある構成員が計算を行うことと、少額の収入が自分に帰属するというのと、支出がまた自分の持ち分の勘定から行われるという風に見なすこと 8)が始まるや否や、-そしてゲマインシャフトがその本来的な業務を行うものとして現れ出るや否や、両方の場合で次のことが不可欠になる。-つまり、その場合には次のような原則的な疑問が出て来るのである。それは全ての構成員から見て、誰が一体それぞれの分割された部分について独立した権利を持っていると認めるのか-例えば家の息子達か?-というものであり、ゲマインシャフトにおいての個々の成員による共通財産の分割は一般的に持ち分という概念で考えられたのであり、そしてそれはソキエタスへの投資として理論的には扱われる傾向があった。しかしそれから、法的に重要な次の疑問に対しての態度決定が必要となった:つまり、共通の財産における家族の財産は、ゲマインシャフトの個々の成員の分け前として分離して扱うべきなのか、または逆に能動的でも受動的でも、ゲマインシャフトの仲間への分け前へという権利に対抗して、徹底的に共通の財産の統一を保つことを選ぶようにするか、ということである。

8)これらの必要性についての論理的帰結を導くためのこみ入った法的決疑論の構成については、バルドゥスの何を共通の家計として一般的に把握するのかという疑問に対する多数の決定事項によって十分に答が与えられている。これについては、Consilia Iの21、97、260,IIの87、347、IVの189、239,335、461、Vの40、65、234,259,284、372において、そして他にも多くの箇所で述べられている。既にランゴバルド法において、-前記の箇所を参照-女性の嫁資(持参金)またはローマ法の嫁資であるdosの計算についての特別な規定を導き出すという目的での、疑問に対する答がここでも前面に登場している。

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