die offene Handelsesellschaft (合名会社、OHG)の”offene”(=公開された、オープンな)が何を意味するかについての注記です。わざわさ”offene”が前に付いていることは、それに対立する概念として公開されていない、オープンでは無い会社形態があったということになります。私は以前はこの”offene”は「登記されて外部に公開されている」という意味に解釈していましたが、合名会社の場合登記自体は必須ではない(但し契約などで第三者に対抗するには登記が必要)ので違いました。
それが匿名組合= die stille Gesellschaft です。つまり合名会社ではその会社に対し誰が出資しているのか、まず名称に出資者全員の名前が入っている(=合名)のであり、公開されています。これに対し匿名組合では一部の出資者の名前は外部に対して秘密になっています。要するに貴族や聖職者、あるいは各地を渡り歩く商人などが自分の名前を出さずに他人のビジネスに参加する時に都合の良い会社形態だったわけです。コムメンダも元々はこの匿名組合です。この匿名の出資者が業務執行権も持つ場合には、内部組合= die Innengesellschaft と呼ばれました。合名会社はこの内部組合に直接対比されるものです。匿名組合として始まったコムメンダは結局合資会社へと発展しますが、そうであるならば、ヴェーバーが言っているように合名会社と合資会社は共通の起源に基づくというのは正しいのでしょう。
参考文献:ハインリッヒ・ミッタイス、ドイツ私法概説、P.91
Modernes Recht der offenen Handelsgesellschaft. pp.147-149 中世合名会社史ドイツ語原文(4)
「現在の法における合名会社」の所のドイツ語原文です。P.149の途中まで。
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Modernes Recht der offenen Handelsgesellschaft.
Das Bestehen einer solchen beschränkt zunächst seine Wirkungen keineswegs auf das Verhältnis zwischen den socii, es ist vielmehr eine Thatsache, welche auch von dritten nicht ignoriert werden kann. Diejenigen Geschäfte, welche ein nach Maßgabe des Gesellschaftsvertrages dazu berechtigter socius für Rechnung „der Gesellschaft“ abschließt, ergreifen alle Gesellschafter ohne weiteres in gleicher Weise. Ein dritter, wenn aus solchen Geschäften verpflichtet, muß sich gefallen lassen, daß auch ein anderer socius, als sein Kontrahent, sie „für die Gesellschaft“ gegen ihn auf den vollen Betrag geltend macht, er kann umgekehrt als Berechtigter sie außer gegen seinen Kontrahenten auch gegen die anderen socii in solidum und daneben auch gegen „die Gesellschaft“, d. h. zu Lasten des Gesellschaftsvermögens, geltend machen. Dies Gesellschaftsvermögen, als wesentlich charakteristisches Moment, steht im engen Zusammenhang mit jener aktiv und passiv über die Person des Kontrahenten hinausreichenden Wirkung von Rechtshandlungen eines socius. Denn da diese letztere nicht hinsichtlich aller von einem socius geschlossenen Geschäfte, sondern nur hinsichtlich der „für die Gesellschaft“ geschlossenen Platz greift, so folgt, daß die obligatorischen Beziehungen, in welche ein socius tritt, ganz verschiedene Bedeutung gewinnen, je nachdem er dies nur auf eigenen Namen oder „für die Gesellschaft“ thut, während andererseits alle „für die Gesellschaft“ geschlossenen Geschäfte, gleichgültig von welchem socius sie geschlossen sind, untereinander gleichmäßige Bedeutung haben.
Es entstehen also obligatorische Berechtigungen und Verpflichtungen, welche sich von den übrigen Aktiven und Passiven im Vermögen jedes Gesellschafters in ihrer Bedeutung wesentlich unterschieden, untereinander aber sich gerade in dem unterscheidenden Merkmal gleichen. Ebenso finden sich dingliche Rechte, – an den „für die Gesellschaft“ erworbenen species, – welche der quotenmäßigen Verfügung der einzelnen socii nach den Regeln des römischen Miteigentums nicht unterliegen, über welche der socius vielmehr nur so und insoweit, als er nach dem Gesellschaftsvertrage bezw. nach Societätsrecht dazu berechtigt ist, verfügen kann. Auch diese Rechtsobjekte also unterscheiden sich in ihren rechtlichen Beziehungen sehr wesentlich von allen anderen Gegenständen in dem Vermögen eines der socii und sind gerade in dem unterscheidenden Merkmale untereinander gleichgestellt. Wenn nun sowohl bei den obligatorischen, als bei den dinglichen Rechten dieser Kategorie die erwähnten Unterschiede Folge der Beziehung auf den Gesellschaftszweck sind, so gewinnt damit die arca communis des römischen Rechts, wenn wir sie als diese Vermögensstücke umfassend denken, eine andere Bedeutung. Die Rechte, welche zu ihr gehören, scheiden sich scharf von den übrigen Vermögensstücken der socii, die Verfügung darüber ist gleichmäßig geregelt, die Teilrechte der einzelnen sind, solange die Gesellschaft dauert, nicht unmittelbar wirksam, weichen vielmehr den in Gemäßheit des Gesellschaftsrechts darüber getroffenen Verfügungen; sie sind diesen gegenüber das schwächere Recht, so daß weder die Privatgläubiger des socius im Exekutionswege unmittelbar diese Objekte, resp. die Quotenanteile daran angreifen können, noch dieselben als einzelne unmittelbar in den Konkurs des socius fallen. Ebenso scheiden sich andererseits die jenem Komplex als Passiva zugehörigen Verbindlichkeiten scharf dadurch von den Verpflichtungen eines einzelnen socius. daß sie, und nur sie, die arca communis im obigen Sinne unmittelbar belasten und zum direkten Zugriff auf sie berechtigen, derart, daß bei einer Auseinandersetzung nur das nach ihrem Abzug Verbleibende dem Vermögen des socius, bezw. seiner Konkursmasse, zufällt.
Sofern man nun einen Komplex von Rechten, welche alle einem bestimmten Zweck dienen, über welche gleichmäßig in besonders geregelter Art verfügt wird und auf welchen besondere Lasten ruhen, ein „Vermögen“ nennen will, – und die Berechtigung dieser Bezeichnung unterliegt keinem begründeten Zweifel, – so kommt dieser Charakter auch der Gesamtheit jener oben geschilderten rechtlichen Beziehungen zu. Aus der arca communis ist ein Sondervermögen. das „Gesellschaftsvermögen“, geworden, es ist nun ein geeignetes Objekt für Zwangsvollstreckung und Konkurs, überhaupt eine Grundlage für alle sonstigen, von einem Vermögen versehenen rechtlichen Funktionen vorhanden, und es ist das Bestehen von Rechten und Verbindlichkeiten zwischen diesem Vermögen und den einzelnen socii begrifflich nicht ausgeschlossen1).
Sind nun hier auf seiten des Objekts die Merkmale des Vermögens vorhanden, so liegt das dogmatische Bedürfnis nahe, ja es ist im Interesse der Präzision des Ausdrucks fast unumgänglich, dafür auch ein Subjekt, oder doch etwas einem Subjekt Entsprechendes, dessen Funktionen Versehendes zu finden. Eine Handhabe hierfür bietet die Verwendung der Firma. Prinzipiell ist sie nur eine Art praktischer Breviloquenz, denn sie dient nur zur Zusammenfassung der auf Rechnung „der Gesellschaft“ im obigen Sinne laufenden Vermögensbeziehungen.
I. Römisches und heutiges Recht. Gang der Untersuchung. – 中世合名会社史 日本語訳(3)
Ⅰ. ローマ法と今日の法。研究の工程。 144
ソキエタスと合名会社 144
ローマ法におけるソキエタス 145
の所の日本語訳です。
「破産宣告」がどうのという後半の部分は、もっとこなれた日本語にすべきかと思いますが、取り敢えずは試訳としてアップし、またこれから先を訳した後で振り返って修正していくことにしたいと思います。(→11月6日18時、書き直しました。)
なお、原文のイタリック(斜体)は下線にしています。
ドイツ語原文はここです。
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ローマ法と今日の法
研究の工程
ソキエタスと合名会社
以下の研究において、まず第一にどの法規を取上げるべきかという問題は、ローマ法のソキエタスと現代法の合名会社の本質的な対比を思い浮かべるならば、容易に明らかになる。
二つの概念の対置には、それによって二つの実際的な比較を行うことが出来るように、二つの概念間の境界をより詳細に解明することがまず必要である。
合名会社とローマ法のソキエタスとは一般には決して簡単に対比させることが出来ない。何故ならば合名会社はソキエタスに対してはまずはその特別な場合を意味するからである。それ故に合名会社とソキエタスは対比ではなく前者が後者のある一つの場合としてのみ比較され得るのであり、その特定の場合のソキエタスは今日の合名会社と同様の諸目的を達成しようとするのである。-こういうことを断るのは、ローマのソキエタスの概念の一つの特徴はまさに、様々に異なる現実の諸形態に対してそれぞれに異なる法規程を適用するのではなく、汎用的に適用出来るある概念上の法的なテンプレートを意味せんとするからである。
故に合名会社は本質的にはまず第一に商業上の営利の目的のために存在するのであり、さらには(ドイツ)商法典第85条に規定されているように《訳者注①》、いずれの社員も出資財産に対する責任を制限されず、結局は「当座(的な)組合」に対比されるものとして、つまりはその目的を継続的な共通の営業活動を行うことに置き、個々のその時々の業務についてのみ共同作業を行うのではない形態として、-そういった理由からこの論考では合名会社をローマ法のソキエタスの特別な形態に相当するものとして、ソキエタスと同一の尺度で評価出来るように概念化するであろう。
続けて、ソキエタスと同名会社の違いは本質的には例えば次のように定式化される:
ローマ法におけるソキエタス
ローマ法によれば、この種のソキエタスは、当事者間での契約の締結により、相互にそのソキエタスの目的の遂行に必要な行為を強制するという義務を生じさせる。その義務の個別の内容は、我々の考察対象においては以下のようなものである:《列挙の番号は訳者追加》
1. ソキエタスの各成員が労働力を、また必要に応じてソキエタスの目的の遂行に必要な資金を提供するということ。
2.あるソキエタスの成員に対して、契約によりその成員がソキエタスの目的に適合するべく負わされた責任の程度に応じて、ソキエタスを精算する際にはその程度割合に応じた分け前を与えること。
3.契約に従ってソキエタスの各成員が立て替えた金銭が、同じくその成員に返金されること。
4.ソキエタスの目的に沿った業務を遂行していく上で、ソキエタスの成員全員に対して生じた債権については、それぞれにその出資割合に比例して(pro rata)配分すること。
5.利益を各成員に配分すること。
6.当該の業務により獲得した物権を特定のソキエタス成員に与えること。
処分可能な現金をソキエタスの共通の勘定(arca commnis)に入れておくこと、つまりソキエタスの目的のために行われた業務などから発生した所得を、取り敢えずはその勘定に入れておくようにすることは、望ましいと言えるであろう。次にあるソキエタスの成員で、当該業務の必要から何らかの支払いをしなければならなくなった場合、その勘定から現金を引き出し支払いに充てることが、その成員の権利でありかつ義務とされる。その勘定の実際の中身は、その成員のソキエタスへの出資分に比例した財産として成立し、単に精算方法を簡略化するということと、その都度それぞれのソキエタスの成員が出資分に比例した支払をする手間を簡略化するのに役立っている。その勘定の中に見出される現金準備においてのその成員の割り当て分については、他の成員の分についても同様にその成員の個人財産の一部なのであって、その成員に対しての債権者は直ちに合法的に差し押さえすることが出来る性質の財産である。第三者は、ただお互いに義務を持った成員間の関係の複合体としてのソキエタスにはまったく接点を持たない。-あるソキエタスの成員がある業務をソキエタスの名前で第三者と行う場合、それは個人の名前で行われる業務と、その法的効果についてはまったく何らの差もないのである。もしソキエタスの名前で行われる業務で損失が発生した場合には、外部に対してはその損失はただその損失と直接関わった特定の業務を執り行ったソキエタスの成員の損失とみなされ、その損失について、ソキエタスに対しての当該成員の取り分への賠償請求権は、よって確かにその担当の成員の個人財産に対して有効なのであり、このような請求権は個人へのものとして破産財団の借方勘定に入れられる。その場合の破産債権はただ個々のソキエタス成員の財産に対して、その個人と契約した債権者という関係でのみ成立し、その債権者が時には同じソキエタスの他の成員という関係である場合もある。特に例えばこの「ソキエタス財産」に対して宣告された特定の破産の管理可能な財産になり得るような共通勘定(arca communis)やソキエタス契約に沿った形で作り出された物権といったものは存在しないのである。そういった破産というのはナンセンスであろうし、その破産が(管理の)対象とすることが出来るものは存在し得ないであろう。というのも、この「ソキエタス財産」に帰属するすべての財産は、比例配分により分割された共有財産の個々の対象物をまとめた全体とまったく等しいのであり、それらの個々の対象物はまた同時に個々のソキエタスの成員のソキエタス財産とは別の個人財産の一部でもある。-それ故にそういった破産は単に破産請求権を持つ主体についてだけではなく、同時にまた自分が占有しようとしている破産財団の財産という客体=対象物についても、いたずらに存在しないものを追い求めているのと同じであるからである。
これに対し合名会社の構成は、ソキエタスに対してはっきりとした違いを見せる:
訳者注① Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch (ADHGB)
1869年制定、第85条の規程は以下の通り。”Eine offene Handelsgesellschaft ist vorhanden, wenn
zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter gemeinschaftlicher
Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter die Betheiligung auf
Vermögenseinlagen beschränkt ist.
Zur Gültigkeit des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen
Abfassung oder anderer Förmlichkeiten nicht.”
(Moritz訳)
合名会社とは以下の場合に成立する。
2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責任を制限されない。
会社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。
《その契約を第三者に対抗出来るようにするには合名会社の商業登記が必要である。》
モーア・ジーベックの全集版の「中世合名会社史」誤植
「中世合名会社史」がこれまで日本語訳されてこなかった理由についての私見
ヴェーバーのこの「中世合名会社史」が翻訳されてない理由について、Webを検索していて出てきたのが下記の文章。このtono-taniさんがどういう方なのかはまったく存じませんし、ブログにも情報はありません。
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tono-tani
2011-02-04
特集「ウェーバーの超え方」(『季報唯物論研究』113,2010/8)について
https://tono-tani.hatenadiary.org/entry/20110204/1296781899
四
「ウェーバーの超え方」というのなら、ウェーバーの学問の方法を把握しなければならない。周知のように、ウェーバーの学位論文『中世商事会社史』は、翻訳されていない。というより、未だ翻訳が出来ないのである。論文で引用されている史料が、読み切れないのである。つまり、ウェーバーの理念型は、しゃれではなく、単なるアイデアではない。未だに邦訳がなされ得ない実証的研究などに基づいて構築されたものであるということを言いたいのである。
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私はこのコメントに対して色々と疑問を持ちました。
(1)「論文で引用されている史料が、読み切れない」
通常ある論文を翻訳するのに、その文献表に載っている参考文献に全部目を通し理解する必要性は、何か翻訳上の問題とか疑問が出て来ない限りありません。ヴェーバーが本文中で引用している各種ラテン語または俗ラテン語、一部イタリア語・スペイン語の文献の量は元の文献全体に比べるときわめて限られており断片的な引用に過ぎません。確かに俗ラテン語は古典ラテン語に比較すれば色々と破格で読むのが大変なのでしょうが、「読み切れない」というレベルのものとは思えません。また参考文献として橋本寿哉著の「中世イタリア複式簿記生成史」とか、ヨーゼフ・クーリッシェル著、伊藤栄訳、諸田実訳の「ヨーロッパ中世経済史」といった書籍を取り寄せ中ですが、そうした書籍も当然同様の史料を取り扱っている筈であり、ヴェーバーのこの著作だけ著しく翻訳が困難、ということはあり得ないと思います。そもそも欧州の歴史を学ぶのであれば、ラテン語の知識は最低限古典ラテン語だけでも必須だと思います。(写真は「中世イタリア複式簿記生成史」のP.304にある1460年のミラノ・メディチ銀行の借方残高表。手書きのイタリア語です。{クリックで拡大}ヴェーバーもイタリアのある家の遺産の分割協議の書類を解読していますが、それがヴェーバーだけの高度な文献調査とは思いません。)
また、私も参照している英訳は既に2003年に出版されています。その中で引用部はすべて英訳されていますから、これを利用して日本語訳をすることは、まさに今私がそうしようとしているように、出来ないことは無い筈です。またこの英訳の中のラテン語の訳は、多くが既に英訳された別の出版物からの引用で、訳者のLutz Kaelberが自分で訳している箇所はそう多くないと思われます。また、ラテン語が出てきたら訳せない、というのであれば、「古代社会経済史」なども訳せないということになり、おかしな議論だと思います。
(2)「ウェーバーの理念型は、しゃれではなく、単なるアイデアではない。未だに邦訳がなされ得ない実証的研究などに基づいて構築された」
これはある意味買いかぶりが過ぎると思います。序文でヴェーバーが述べているように、この論文でヴェーバーが準拠しているのは、直接の1次文献ではなく、大半が既に誰かの手により編集された印刷物であり、いわば1.5次史料のレベルです。また少なくともその多くは英訳が存在していることがKaelberの英訳を見れば分かります。ヴェーバーが序文で言及しているラスティヒの著作のように、手書きの本当の意味での1次史料も横断的に調査し、30年近い年月をかけて調査したものなら「実証研究」と堂々と言えるでしょうが、ヴェーバーの研究は当時の歴史学派の研究の中で「実証性」という意味ではレベルは決して高くないと思います。(博士号論文という時間的な制約の中ではそうなるのはある意味仕方がないと思いますが。)いわゆるテキスト・クリティークもまったくやっていないと本人が断っていますし。私はこの論文の価値は実証性よりも、むしろ歴史的素材に対するヴェーバーの解釈だと思います。
これは私のまだ思いつきレベルですが、この論文が日本語訳されていない最大の理由は、ラテン語文献のせいなどではなく、大塚久雄がこの論文に対して、おそらく十分に読むことなく否定的な評価をくだしており、それが大塚の後継者にも拡がったからではないかと想像します。また、大塚久雄はドイツの歴史学派全体を否定的に見ていたようです。大塚がこの論文をきちんと読みこんでいないのでは、と推定した理由ですが、「株式会社発生史」には、「ソキエタス(合名会社)」という、ソキエタスを合名会社と同じものとする記述が多く出てきます。ヴェーバーの論文はそもそもソキエタスから合名会社が発生する過程を解明しその違いがどうやって生じたかを記述したものであり、それをきちんと読んでいたら「ソキエタス(合名会社)」のような乱暴な表現はしないと思うからです。一般に現在百科事典等でもソキエタスを「合名会社」と訳している例は見つかりません。訳すのであれば「組合」です。
I. Römisches und heutiges Recht. Gang der Untersuchung. – 中世合名会社史ドイツ語原文(3)
Ⅰ. ローマ法と今日の法。研究の工程。 144
ソキエタスと合名会社 144
ローマ法におけるソキエタス 145
の所のドイツ語原文です。
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I. Römisches und heutiges Recht.
Gang der Untersuchung.
Societas und offene Handelsgesellschaft.
Auf welche Rechtssätze es bei der nachfolgenden Untersuchung in erster Linie ankommt, erhellt leicht, wenn man sich die wesentlichsten Gegensätze der römischen societas und der modernen offenen Handelsgesellschaft vergegenwärtigt.
Die Gegenüberstellung beider bedarf zunächst, damit wirkliche Vergleichspunkte gewonnen werden, der näheren Begrenzung.
Die offene Handelsgesellschaft kann nicht füglich der römischen societas überhaupt entgegengestellt werden, da sie der letzteren gegenüber zunächst einen Spezialfall darstellt; sondern sie kann nur mit einem Fall der socictas verglichen werden, in welchem dieselbe dem gleichen Zwecke dient, wie die heutige offene Handelsgesellschaft, – denn ein Charakteristikum des römischen Societätsbegriffes ist es eben, daß er für die verschiedenen faktischen Gestaltungen nicht auch verschiedene Rechtssätze zur Verfügung stellt, sondern eine allgemein anwendbare Schablone darstellen will.
Wenn also der offenen Handelsgesellschaft wesentlich ist einmal der Zweck des Erwerbes durch Handel und ferner, wie HGB. Art. 85 es ausdrückt, daß bei keinem der Gesellschafter die Beteiligung auf Vermögenseinlagen beschränkt ist, endlich, im Gegensatz zur „Gelegenheitsgesellschaft“, daß jener Zweck durch dauernde gemeinsame gewerbsmäßige Thätigkeit, nicht durch Zusammenwirken zu einzelnen, gelegentlich unternommenen Geschäften erreicht werden soll, – so werden wir uns eine entsprechende Spezialgestaltung einer römischen societas vorzustellen haben, um kommensurable Größen zu gewinnen.
Alsdann nun läßt sich die Differenz im wesentlichen etwa wie folgt formulieren:
Römisches Recht der societas.
Nach römischem Recht entstehen durch den Abschluß einer derartigen societas unter den Kontrahenten Obligationen, sie sind einander zu den zur Erreichung des Societätszweckes erforderlichen Leistungen verpflichtet, in unserem Falle also dazu, ihre Arbeitskraft und, soweit nötig, Kapital zum Betriebe des Geschäfts herzugeben, die von einem socius dem Vertrage gemäß zu Societätszwecken eingegangenen Verbindlichkeiten sich bei der Abrechnung anteilsweise anrechnen zu lassen, – gemäß dem Vertrag gemachte Auslagen ebenso dem socius zu erstatten, – Forderungen, welche ihnen aus unter den Societätszweck fallenden Geschäften erwachsen sind, pro rata dem socius anzurechnen, bezw. den Ertrag herauszugeben, – die aus derartigen Geschäften erworbenen dinglichen Rechte mit dem socius zu kommunizieren. – Es kann wünschenswert sein, verfügbare Barmittel in einer arca communis, Societätskasse, niederzulegen, die Einkünfte aus den für Societätszwecke geschlossenen Geschäften &c zunächst in sie fließen zu lassen. Aus ihr ist dann der socius, welcher aus dergleichen Geschäften Zahlungen zu leisten hat, die Mittel dazu zu entnehmen befugt wie verpflichtet. Ihr Inhalt steht im anteilsweisen Eigentum der socii, dient im übrigen nur der Vereinfachung der Abrechnung und der Ersparung jedesmaliger anteilsweiser Zahlungen; die Quote des darin befindlichen Barvorrates ist ein Vermögensstück des socius wie andere auch, dem Zugriff seiner Gläubiger regelmäßig ohne weiteres unterworfen. Dritte kann die Societät, als lediglich ein Komplex obligatorischer Beziehungen unter den socii, nichts angehen, – ein Geschäft, welches ein socius auf Rechnung der Societät mit dritten eingeht, unterscheidet sich in seinen Wirkungen in keiner Weise von irgend einem auf private Rechnung abgeschlossenen Geschält; sind Geschäfte, welche auf Rechnung der Societät gehen, von Verlust begleitet, so ist dies nach außen lediglich Verlust desjenigen, welcher das Geschäft schloß; zu seinem Vermögen gehört alsdann allerdings ein Anspruch auf quotenmäßige Erstattung gegen die socii, und dieser Anspruch kommt auch in die Aktivkonkursmasse. Ein Konkurs findet nur über das Vermögen des einzelnen statt und unter Beteiligung nur derjenigen als Gläubiger, mit welchen er kontrahiert hat, darunter also eventuell auch der socii. Insbesondere sind nicht etwa die arca communis und die gemäß dem Societälsvertrage kommunizierten Gegenstände mögliches Objekt eines über dies „Societätsvermögen“ zu eröffnenden besonderen Konkurses; ein solcher Konkurs wäre ein Unding, er würde nichts finden, worauf er sich erstrecken könnte, da alles, was zu diesem „Societätsvermögen“ gehört, ohne Rest aufgeht in den an allen einzelnen Gegenständen pro rata bestehenden Miteigentumsanteilen, und da diese ihrerseits Stücke anderer Vermögen, derjenigen der einzelnen socii sind, – da mithin ein solcher Konkurs nicht nur ein Subjekt, sondern auch ein Objekt, welches er ergreifen könnte, vergebens suchen würde.
Die Konstruktion der offenen Handelsgesellschaft stellt sich dem scharf gegenüber:
中世合名会社史ー日本語訳プロジェクト:(2)緒言
元のドイツ語。
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緒言
法教義学的には、ローマ法のソキエタスと近代商法における会社形態の中でもっとも重要な集団との、特に合名会社との原理上の相違点については、しばしば詳細に論じられまた十分に解明もされてきた。法制史上では、そうした会社形態の近代的原理の発展は、地中海沿岸諸国、とりわけイタリアの諸都市国家における、交易を主体とした生活の中から生まれて来たのであり、それらの会社形態の原理は国際交易の上で実用的に必要なものとして把握され、その主要な特性としてこれまで解明されてきたのである。
しかしながら、特にそれらの会社形態の初期の発展段階において、個々の事例において法形成がどのように行われてきたのかということ、つまりまったくの新たな法的思考が、日常の中でたちまち幾倍にも膨れ上がっていく様々な必要性の中から成長していき、やがて商慣習へと進化し、そこからさらに商業における慣習法としてまで認められるようになったのかということと、さらには現在において存在する各種の法律上で定められた団体が本当にその中から発展してきたのかどうかという事実の確認と、またどこまでそう言えるのかという程度の問題は、現在においても多くの場合で、完全に疑いのないレベルまでは解明されていない。というのもラスティヒ 1)《Gustav Lastig、1844 – 1930、ドイツの法学者、商法の発展を商業の種類が拡大されてきた歴史に求める歴史学派で、ゴルトシュミットのライバル的存在》によって(執筆計画が)発表された(商事)会社についての包括的な著作は、既に発表されている部分の記述によれば、我々には入手が不可能である多数の文献史料に基づいて執筆されるのであるが、その完成はまだかなり先の話である。《全集版の注によれば、ラスティヒ自身が少なくとも30年はかかると発表時に述べているとのこと。実際に最初の構想の発表は1878年で、最終的に完成したものが発表されたのは1907年であり、29年後である。》そのことがこの論文での試み、つまりまずは既存の諸研究に関連付け、出版された文献史料に基づいて商法の発展における本質的な諸契機についてのより具体的なイメージを得るということを、よりいっそう試みる価値のあるものとすると言うことが出来るだろう。私の方で入手可能である文献史料については前述の通りの状況であり、従ってこの論考で得ることの出来た結論それ自体が、その主要な点において、私には入手不可能だった史料、とりわけ手書きの史料によって本質的な訂正が行われてきた、といったような幻想はまったくもって成立し得ないのである。2)
これから述べる研究は、ベルリンの枢密顧問官のゴルトシュミット教授のゼミナールにてある時に提出された筆者の論文を拡張し改訂することから始まったものである。その内容としては、(単に)合名会社の歴史としてではなく、(商事)会社全般の歴史についての貢献として捉えるのが正しいであろう。この論文ではただ一つの財産法上の制度として、合名会社だけでなく合資会社をも包含して解明するということを試みている。確かに私はこの二つの会社形態を同一のものとして統合的に把握することが可能であり、更にまたその二つの差異をも歴史的に明らかにすることが出来ると考えている。この論文で利用するのは、前述したように印刷史料のみであり、それも利用出来たのはベルリン図書館収蔵のものと、枢密顧問官ゴルトシュミット教授の個人所有のもののみであり、後者は教授がご親切にも参照を許可してくださったものである。従ってこの論文の数少ない成果としての新たな観点となり得るのは、おそらくこれまでの知見の訂正と各概念の境界をより具体的に定義し直すことであろう。
1) その論考は、商法雑誌の第34巻に収録されており、これから続く研究への出発点として構成されている。《英訳の注によれば第34巻はヴェーバーの引用ミスで正しくは第23巻と第24巻。Zeitschrift für das Gesamte Handelsrecht, “Beiträge zur Geschichite des Handelsrechts”, 1878年と1879年》
2)この理由から、史料批判についても以下の論文では断念している。
(手書き文献資料等の)写真については、印刷された入手可能な資料の中に収録されているもののみを、論述に利用している。
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翻訳者コメント
「(商事)会社」という表記は、現在の日本の法律ではドイツでのHandelsgesellschaftに相当する語は単に「会社」であり、「商事会社」という表現は現在の日本の会社法上には存在しない概念であるため(一部マイナーな法律で条文にまだ残っているものがあるが)、「商事」に()を付けている。つまりこの論文のタイトルも、現在の日本の法律に合わせれば直訳は「中世会社史」である。
なお、商事会社と民事会社の区別が商法から消えたのは平成17年の改正によってであるが、元々民事会社であった農協や漁協も改正前から商法上の会社とみなされており法的な取扱は商事会社と同じで区別する実益はなかったということである。(有斐閣 法律用語辞典 第4版の「商事会社」と「民事会社」の項参照。)
なお、何故この論文のタイトルが当初「合名会社の歴史」とはっきり言っていたのに、2回目の出版の時に現在の「(商事)会社史」に変わった理由は、この序文の最後の段落にそれなりに述べられている。
また、この論文自体が、法学における「歴史学派」の流れに完全に位置付けられるものであることが分かり、ヴェーバーが自身を「歴史学派の子」と称するのもよく理解出来る。(歴史学派の法学は、イギリスなどにおける「自然法」思想に対抗し、歴史的な発展の経緯の中に法律の規定の起源を探ろうとしたものである。)
ちなみに、この論文は博士号論文という審査を受ける論文なので、後年の論考より読みやすいのではないかと期待していたが、その期待は完全に裏切られた。栴檀は双葉より芳しではないが、ヴェーバーのやたらと1つの文が長い「悪文」は既にこの序文の中でたっぷり出て来る。この序文は3つの段落で出来ているが、それぞれ1つの段落は1つの文章で構成されている。この翻訳では適宜文章を分けている。(英訳も同様である。)
GemeinschaftとGesellschaftの日本語訳についての補足
この翻訳で、Gemeinschaft、Gesellschaftを単にカタカナ化した「ゲマインシャフト」「ゲゼルシャフト」とし、敢えて日本語化しない理由を補足します。(Gesellschaftは「会社」としか訳しようがない場合が多いですが。)
ヴェーバーの学問的生涯を通じて、この2つの語はキーワードであり、ヴェーバーのこの2語の使い方は変化を続けてきており、特に「理解社会学のカテゴリー」である意味ピークに達します。
よくGemeinschaftを「共同体」とか「共同態」とか訳す人がいますが、ドイツ語で何かを「共通にする」人間集団を意味する単語には、Gemeinschaftの他にGemeinde、Genossen(schaft)の少なくとも3つが考えられます。いくつかの日本語の百科事典は「共同体」(英語でcommunity)のドイツ語相当語をGemeindeにしています。ヴェーバーのGemeindeの使い方は揺れていますが、近隣ゲマインシャフトを基礎としそこにゲゼルシャフト形成が行われた村落などの地域共同体及び宗教における教団に対しGemeindeの語を使用しています。
また、GemeinschaftとGesellschaftを対立概念と捉え、それぞれを共同社会、利益社会と捉え、前者の例として家族、村落、中世都市など、そして後者の例として各種の会社組織や国家などを挙げるのが、テンニースの1887年の「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」です。これに対してヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」では、そうした二つの人間集団を所与のものとして対立的に捉えるのではなく、まずは「ゲマインシャフト行為」というゲマインシャフトをむしろその時々の人間同士の相互作用に基づくダイナミックな生成物として捉え、さらにその特殊な場合として「ゲゼルシャフト行為」「ゲゼルシャフト関係」を定義して行きます。しかしこのヴェーバーのGemeinschaftとGesellschaftの新しい使い方は、ヴェーバーが「理解社会学のカテゴリー」の内容をミュンヘン大学の学生に講義した時に、テンニースの用法との混同を招き、なかなか理解されない、ということになり、後にヴェーバーがカテゴリー論文を「社会学の根本概念」として書き直すことにつながります。
それからGenossen(schaft)は、「何かを共通にする集団」(木村相良独和辞書によれば、元々は「家畜」を共同所有する集団という意味)という意味ではGemeinschaftと同じです。但しGenossen(schaft)の方が、より対等に近い仲間、という暗黙の了解があるのと、また実際には具体的には認知しがたい概念的な「仲間」に良く使われます。例えば同時代人はZeitgenossenです。同年齢人はAltergenossenです。
Gesellschaftについては、テンニースによれば、この語の成立はGemeinschaftよりもかなり新しいとされています。語源的には、Geselleというのは、旅をしながら自己の職業の腕を磨いていく「徒弟」のことです。シューベルトの「冬の旅」の中の有名な歌である「菩提樹」に、”Komm her, zu mir, Geselle”(こちらへ、私の元へおいで、若者よ)と粉挽き職人修行の徒弟である若者に対する呼びかけとして使われています。Gesellschaftというのは、元はそういう徒弟が共同で寝泊まりする「職人宿」が語源のようです。(Geselle自体が木村相良によれば「部屋を同じくする仲間」という意味のようです。)
色々書きましたが、九鬼周造は日本語の「いき」について、一篇の論文を書いてそこに内包されている意味を解明しました。また日本の民俗学での最重要キーワードに「ケとハレ」がありますが、これらの「いき」や「ケとハレ」は単純には他の外国語には翻訳出来ない単語です。ドイツ語のGemeinschaftやGesellscahftも同じで、いつも決まった一つの日本語に置き換え可能な概念ではありません。どちらもドイツでの社会学では最重要概念です。このことからこの翻訳では、Gemeinschaftは「ゲマインシャフト」、Gemeinschaftは明らかに会社である場合などを除いて「ゲゼルシャフト」と訳します。この点ご了解ください。(最終的に他の日本語で表現した方が適切な場合は、翻訳が一通り完了した時点で見直して、必要があれば修正します。)
Vorbemerkung (緒言)-中世合名会社史ドイツ語原文 (2)
中世合名会社史のドイツ語原文、続けてVorbemerkung(緒言)の所です。
ドイツ語OCRはABBYY Fine Readerというのの製品版を使っています。
かなり変換精度は高く、注釈の番号とか句読点を除けば本文部分はほぼ100%正確に変換出来ています。(ただし、ラテン語部分は精度が低いです。)
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Vorbemerkung.
Dogmatisch ist der grundsätzliche Unterschied zwischen der Societas des römischen Rechts und der wichtigsten Gruppe der modernen Gesellschaftsformen, der handelsrechtlichen, speziell der offenen Handelsgesellschaft, oft erörtert und genügend aufgeklärt. Historisch ist die Entwickelung der modernen Grundsätze aus dem Verkehrsleben der Mittelmeerländer, speziell Italiens, von wo aus der internationale Handelsverkehr sie als für sich praktikabel allgemein übernahm, in den Hauptzügen klargestellt.
Wie aber, besonders in den früheren Entwickelungsstadien, sich im einzelnen die Rechtsbildung gestaltet hat, – ob hier ganz neue Rechtsgedanken, aus den schnell sich vervielfältigenden Bedürfnissen des Tages erwachsen, durch Übergang in den Handelsgebrauch und von da in das Handelsgewohnheitsrecht, sich Anerkennung verschafften, oder ob und inwiefern eine Anknüpfung an vorgefundene Rechtsinstitute stattfand, ist vielfach noch nicht außer Zweifel gestellt, und da das von Lastig 1) in Aussicht gestellte umfassende Werk über die Handelsgesellschaften, welches, nach den bisherigen Proben zu schließen, auf einer Fülle uns unzugänglichen urkundlichen Materials zu fußen in der Lage sein wird, noch auf sich warten läßt, darf der Versuch immer noch als lohnend gelten, im Anschluß an die bisherigen Arbeiten, auf Grund des gedruckten Materials eine konkretere Vorstellung von den hier für die Entwickelung wesentlichen Motiven zu gewinnen. Nach Lage des mir zugänglichen Quellenmaterials kann hiernach, wie vorweg zu bemerken ist, die Illusion nicht aufkommen, als ob die hier zu gewinnenden Ergebnisse nicht selbst in den Hauptpunkten wesentliche Korrekturen auf Grund mir unzugänglichen, insbesondere handschriftlichen Materials, zu gewärtigen hätten. 2)
Daß die nachstehende, aus Erweiterung und Umarbeitung einer seiner Zeit im Seminar des Herrn Geheimrat Goldschmidt in Berlin vorgelegten Arbeit entstandene Untersuchung sich nicht als Geschichte der offenen Handelsgesellschaft, sondern als Beitrag zur Geschichte der Handelsgesellschaften überhaupt bezeichnet, wird der Inhalt rechtfertigen. Nur einzelne Institute des Vermögensrechtes sowohl der offenen als der Kommanditgesellschaft sind hier zu beleuchten versucht. Allerdings nehme ich an, daß dieselben besonders geeignet sind, den Gegensatz beider historisch klarzustellen. Benutzt ist, wie bemerkt, nur gedrucktes Material und auch dies nur, soweit es in der Berliner Bibliothek und dem Privatbesitz des Herrn Geheimrat Goldschmidt, welcher mir die Benutzung seiner reichen Bibliothek gütigst gestattete, zugänglich war. Weniger neue Gesichtspunkte, als vielleicht eine Korrektur und konkretere Umgrenzung der bereits gewonnenen können hiernach das Ergebnis bilden.
1) Dessen Aufsatz in der Zeitschr. für Handelsr. Bd.34 den Ausgangspunkt der nachstehenden Arbeit bildet.
2) Es ist aus diesem Grunde auch von Quellenkritik im folgenden abzusehen gewesen.
Es soll nur das Bild, welches das gedruckt vorliegende Material bietet, zur Darstellung gebracht werden.
中世合名会社史ー日本語訳プロジェクト:(1)目次
以下が目次の日本語訳です。
この段階ではほんの試訳ですのでその点ご注意ください。
今後何度も変更される可能性があります。
訳者注は《》で入れています。それ以外に原文にはありませんが補った方が理解しやすいものは()で補っています。
いくつかラテン語などドイツ語外の単語で不明な単語がありますが、現時点は原文のままにしています。
ご意見、誤り等が見つかりましたら、コメントで指摘いただけると助かります。
Gemeinschaftは現時点ではすべて「ゲマインシャフト」として訳しています。
これに対しGesellschaftは「ゲゼルシャフト」とした場合と、「会社」とした場合があります。これらについての日本語訳は翻訳が一通りすべて終わってから再度慎重に見直したいと思います。
また論文のタイトルは、今のところ仮で「中世合名会社史」としておきます。
「中世商事会社史」は何度か書いたように
(1)現在の日本の法律では「商事会社」という法概念が無くなっている。(今の用語では単なる会社のこと。)
(2)「商事」という日本語は「商社」をも意味する。
(3)ドイツ語のHandelsgesellschaftは合名会社、合資会社、GmBH、株式会社すべてを含む概念だが、ヴェーバーが最初の2つしかこの論文では扱っていない。
の3つの理由から良くないと思っています。最初のタイトルでは「合名会社の歴史」とはっきり限定していた訳ですから(”Entwickelung des Solidarhaftprinzips und des Sondervermögens der offenen Handelsgesellschaft aus den Haushalts- und Gewerbengemeinschaften in den italianischen Städten.”{「イタリアの諸都市における合名会社の連帯責任原則と共有財産の家計ゲマインシャフト及び家業ゲマインシャフトからの発展」})、「中世合名会社史」を当面使いたいと思います。全部一通り訳し終えてから決めます。ちなみに英訳は「中世 Commercial Partnership 史」です。(英語のCommercial Partnershipは「商事組合」と訳されていたり、「合名会社」と訳されていたりします。「合名会社」は元々欧州の大陸法での概念であり、英米法ではそのものずばりの対応する単語がありません。)
なお、Lutz Kaelberの英訳については、十分に参考にさせてもらいますが、あくまでここでの日本語訳はドイツ語からの翻訳であり、英訳からの重訳ではないことをお断りしておきます。
元のドイツ語へのリンク
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中世の合名会社の歴史について
南欧の史料に基づいて
枢密法律顧問官のゴルトシュミット教授に感謝と畏敬の念をもって献呈す。
内容目次
序文 142
Ⅰ. ローマ法と今日の法。研究の工程。 144
ソキエタスと合名会社 144
ローマ法におけるソキエタス 145
近代法における合名会社 147
ローマ法の根本原則の変遷を示しているという条項について:
1) D.63 §5 pro socio (あるソキエタスの成員の他の成員に対しての{権利}) 152
2) D.44 §1 de aed[ilicio] edicto (アエディリス{按察官}の布告について) 152
3) Argentarii (銀行家) 153
4) マラカ《スペイン南岸のフェニキアの植民市で後にローマの同盟市》法 C.65 153
ローマ法についての考察の結果としての否定的な結論 155
研究の工程。経済的見地と法的見地の関係 155
Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタス
1) コムメンダと海上取引における諸要求 157
西ゴート法典と海上取引 158
コムメンダの経済上の諸原則 159
コムメンダのソキエタス的性格 163
コムメンダへの参加者の経済的な位置付け 163
2) ソキエタス・マリス(海のソキエタス) 165
ソキエタス・マリスの法的性格 166
経済的な意味 168
3) コムメンダ関係の地理的領域 170
スペイン 170
シチリア、サルディーニャ 172
トラーニ、アンコラ 172
アマルフィ 172
ピサ 173
ヴェネツィア 173
ジェノヴァ 174
4) 様々な海上取引関連ソキエタスの財産権法上の扱い 177
ソキエタスの基金 177
固有財産形成への萌芽 179
ソキエタスの責務 180
ソキエタスの成果 181
5) 陸上コムメンダと合資会社 182
陸上コムメンダ 182
合資会社の萌芽、ピアチェンツァ 184
陸上コムメンダの意味 188
Ⅲ. 家族と労働ゲマインシャフト
生計を共にする家族経済 190
家族経済の財産法上の帰結 191
諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト 195
財産法的発展の行程。構成員の分け前への権利。 196
家族外での家計ゲマインシャフト 201
手工業者のソキエタス 201
これらのゲマインシャフトの共通の土台 203
共通の特質 205
1) 男性socii(ソキエタスの構成員)への制限 205
2) 不動産の除外 206
財産関係における変化 206
第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係 208
家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係 210
ゲマインシャフトにおける責任についての二重の意味 211
1) 共有財産についての責任 211
2) 構成員の個人責任 213
家の構成員の責任の源泉と発展 216
諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説 218
スペイン 218
ヴェネツィア 222
その他のイタリアの地方における法規 226
非独立構成員の責任 229
家ゲマインシャフトにおける相続時の財産分与義務 232
個人債務とゲマインシャフトの債務 237
家族以外での連帯責任。共通のstacio(業務、仕事) 237
個人債務と業務上債務 238
ゲゼルシャフトにおける共有財産 240
家業ゲゼルシャフトと手工業ゲゼルシャフト 245
合名会社の特質とソキエタス契約 247
出典 250
Ⅳ. ピサ。Constitutum Usus 《1161年に編纂されたピサにおける法令集》におけるソキエタス法 253
Constitutum Usus 253
Constitutum Usus の領域 255
Constitutum Usus の条文の性質 257
ソキエタス法的な内容:
Ⅰ. ソキエタス・マリス 257f
法的な区別。船長の意味 258
ソキエタス・マリスの財産法 261
固有財産 261
1) 個人債権者との関係 262
2) ソキエタス構成員の会社資本金への拠出 262
3) 会社の債権者への拠出 263
4) 会社財産の範囲 263
ここまでの成果。合資会社 264
Ⅱ. 固有財産の無いソキエタス。Dare ad portandum in compagniam 265
Ⅲ. 固定配当金を持ったソキエタス。Dare ad proficuum maris 267
ソキエタス法に対する高利原理の意義 269
Ⅳ. 海上ソキエタスと家族ゲマインシャフト 272
海上ソキエタスの家族連合における起源についての推定 273
家族ゲマインシャフトの特性 274
ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト 276
Vita communis 《共通の生、同じゲマインシャフトの中で生きる人々》:
1) 前提条件 277
2) その影響 278
Societas omnium bonorum 《ソキエタスの全ての財産が現在と将来に渡って共有されるソキエタス》 280
ピサにおける連帯責任原理 280
Ⅴ. Compagna de terra 《陸上のCompagna=イタリアでソキエタスとコムメンダから発展した会社の原型》21
合名会社と合資会社の原理上の違い 283
ソキエタスに関する文献類 284
成果 286
Ⅴ. フィレンツェ 287
フィレンツェにおける産業上の財産 287
Ⅰ. 成文化された資料:発展段階 288
A. 会社の連帯責任についての血縁関係の意味 289
家族とソキエタスの類似性について 291
1) 仲裁裁判 291
2) 責任と相続分与義務 292
3) ソキエタス構成員の個人的関係 293
4) 家の息子と雇用人 294
家族ゲマインシャフトのソキエタス的性格とソキエタスの家族的性格 295
B. ソキエタスの財産法:ソキエタスの債務と個人債務
ソキエタスの債務の徴表:
1) 会計簿への記帳 296
2) ソキエタスの名前での契約
ソキエタスの財産に対する差し押さえからの個人債務者の除斥 300
Ⅱ. 諸文献:アルベルティとペルッツィにおける商業簿記 302
家計ゲマインシャフト 302
ゲマインシャフトの土台としてのソキエタス契約 305
資本金と各ソキエタス構成員の出資 305
各ソキエタス構成員のゲマインシャフトの外部での固有財産:
1) 不動産 306
2) 個人の動産 306
1336年のアルベルティ家の相続協定 308
成果 311
Ⅳ. 法的文献、結論 312
法的文献とそのソキエタスへの関係 312
1) 合資会社関係 313
2) 合名会社:
a. 固有財産 315
b. 連帯責任。強制的な仮定と代表者(Institorat)の仮定 317
連帯責任の実質的な根本原理との関係 320
国際的な発展についての法学研究の成果。ソキエタス会社。 323
ジェノヴァのロタにおける諸決定とジェノヴァの1588/9年法。発展の結着 326
結論。得られた成果の法教義学的利用の可能性 330
文献一覧表 333